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😷|35都道府県が対象「訪問をできるだけ控えて」 北海道・東京・愛知・大阪・京都・広島・福岡・沖縄…


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35都道府県が対象「訪問をできるだけ控えて」 北海道・東京・愛知・大阪・京都・広島・福岡・沖縄…

 
内容をざっくり書くと
27日現在、基準の15人を上回っているのは、北海道、青森県、山形県、茨城県、群馬県、埼玉県、東京都、神奈川県、富山県、石川県、岐阜県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、岡山県、広島県、山口県、香川県、高知県、福岡県、佐賀県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県が対象となっています。
 

長野県は、新型コロナウイルスの感染者が多数発生している地域への訪問について、「できるだけ控える」よう… →このまま続きを読む

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岡山県

岡山県(おかやまけん、: Okayama Prefecture)は、日本中国地方南東部に位置する県庁所在地岡山市中国・四国地方の交通の結節点であり、瀬戸内海に面する。

概要

瀬戸内の気候と地勢を背景に古代より独自の文化圏としての歴史を有し、現代でも中国・四国地方の交通網の要衝として発展を続けている。県庁所在地の岡山市は2009年平成21年)4月1日、全国で18番目の政令指定都市に移行した。山陽本線山陽新幹線1988年(昭和63年)に開通した瀬戸大橋中国自動車道1997年(平成9年)全線開通した山陽自動車道をはじめとして西日本の交通の大動脈が県を縦断している。

古代、沿岸域から内陸地域にかけては「吉備国」として、現在の広島県東部に位置する備後地方や香川県島嶼部などと併せて大和朝廷に並ぶほどの勢力を持っていた。江戸時代初期には岡山池田氏津山森氏が外様大名として入封し、城下町を形成した。特に池田綱政日本三名園後楽園を造成し、閑谷学校を開くなど、文化・教育面に多大な功績を残した。笠岡井原徳川家康の従兄弟で有力譜代大名水野勝成氏の領地となり広大な新田開発が行われた他灌漑事業、産業育成により地勢が大きく変貌した。倉敷には寛永19年(1642年)に代官所が置かれ、江戸幕府直轄の物資集積地として船舶輸送中継も担う天領として発展した。

県内を南北に流れる3つの一級河川(高梁川旭川吉井川)による潤沢な水源、温暖で長い日照時間、江戸時代から昭和戦後期にかけて瀬戸内海の大規模な干拓で広い農地[1]が形成された事を背景として、水稲や麦、果樹の生産が盛んである。特に白桃マスカット・オブ・アレキサンドリアピオーネなどは生産量日本一であり、品質の高さから国内外に向けて高値で出荷されている。県北の標高1,200メートルに位置する蒜山高原では、ジャージー牛の大規模な放牧が行われており、チーズヨーグルトアイスクリームなどに加工されている[2]

県南西部の井笠地方(井原市、笠岡市など)は明治の府県統合まで県内の大部分とは別の道を歩んできた地域である。現在でも両市は県境を越えた広島県福山市ベッドタウンであり、通学通勤に加え日常的な買い物や通院による越境が多く見られ県域を越えた結びつきが非常に強い。なお井笠地方は岡山県内にありながら経済圏、生活圏は広島県東部と一体的であり福山都市圏を構成する。

戦前までは一次産業と紡績などの軽工業が県の主要産業であったが、戦後は水島地区の川崎製鉄(後に合併によりJFEスチール倉敷地区となる)、笠岡地区の日本鋼管(後のJFEスチール福山地区)と県内に大規模な二つの銑鋼一貫製鉄所が建造されるなど臨海部を中心に重工業化が進み工業県へと変貌した。両製鉄所はいずれも世界有数の生産量を誇り、特に福山地区の年間粗鉄生産能力は1200万トン規模と国内最大であり単独の製鉄工場としては世界上位である。水島臨海工業地帯全国総合開発計画(全総)に合わせて指定された新産業都市「岡山県南地域」の中核となり県を挙げて開発が進み国際コンテナターミナル、石油化学コンビナートが整備され、自動車等の加工組立型の企業群も進出した[3]。笠岡地区は全国総合開発計画において備後工業整備特別地域に指定され、沿岸部の埋立により大規模な国際港湾、製鉄を含む工場群が建造された。港湾輸出入額では水島港が中四国1位、福山港が2位と中四国の上位2港を岡山県の港湾が占めている[4]。なお笠岡港は港則法・関税法・検疫法・入国管理法・港湾運送事業法の各法上福山港に含まれ、JEF福山製鉄所の敷地は県境を跨ぎ笠岡市から福山市にかけて広がっている。

近年では瀬戸内市で2018年(平成30年)10月に運転を開始した「瀬戸内 Kirei 太陽光発電所建設プロジェクト[5]、2019年(令和元年)12月に運転を開始した日本最大の257.7メガワットの太陽光発電所となる作東メガソーラー発電所[6]、真庭市の木質バイオマス発電事業など自然エネルギーを活用する再生可能エネルギーの推進が県下全域で進められている[7]

県庁所在地における快晴日数の多さや降水量1ミリ未満の日数が全国最多であることから、1989年(平成元年)から「晴れの国 おかやま」を県のキャッチフレーズとしている[8][9]

地理・地域

概略

県北部には、三本の一級河川(旭川高梁川吉井川)の県内源流ともなっている中国山地山岳地帯がそびえている。標高500 - 1,000メートルの中央部には鍾乳洞などのカルスト地形が見られる吉備高原高地が連続的に広がり、南部には三大河川によって形成された裾野の広い岡山平野が広がっている。岡山平野にはかつて瀬戸内海に浮かんでいた小さな島が丘陵地として残り、干拓江戸時代につながった児島半島が県の南端部にある。県南西部には国営笠岡湾干拓事業として1650haと全国有数の規模の大干拓地域が造成された。

おもな山地としては蒜山標高1,122メートル)や後山(標高1,345メートル)などがあり、おもな湖沼としては、奥津湖、恩原湖、湯原湖、児島湾奥の締切堤防化によって人工的に造られた児島湖などがある。

兵庫県とは山地および備前市取揚島で、鳥取県とは山地で、広島県とは山地および市街地で、香川県とは海上および玉野市井島(石島)で隣接している。

広袤(こうぼう)

国土地理院地理情報によると岡山県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは104.87キロ、南北の長さは116.98キロである。

重心
北緯34度54分15秒 東経133度48分45秒 / 北緯34.90417度 東経133.81250度 / 34.90417; 133.81250 (岡山県重心)
北端
北緯35度21分10秒 東経133度59分52秒 / 北緯35.35278度 東経133.99778度 / 35.35278; 133.99778 (岡山県最北端)
西端
北緯35度3分11秒 東経133度16分0秒 / 北緯35.05306度 東経133.26667度 / 35.05306; 133.26667 (岡山県最西端)
中心点
北緯34度49分32秒 東経133度50分23.5秒 / 北緯34.82556度 東経133.839861度 / 34.82556; 133.839861 (岡山県中心点)
東端
北緯35度9分30秒 東経134度24分47秒 / 北緯35.15833度 東経134.41306度 / 35.15833; 134.41306 (岡山県最東端)

南端
北緯34度17分54秒 東経133度32分1秒 / 北緯34.29833度 東経133.53361度 / 34.29833; 133.53361 (岡山県最南端)

気候

中国山地瀬戸内海に挟まれた南部の平野地帯は典型的な瀬戸内海式気候を示し温暖少雨であり積雪は極稀である。一方、北部の中国山地沿いは日本海側気候に属し、豪雪地帯に指定されている。真庭市蒜山では冬季に1メートルを超える積雪となるほか、-10℃以下まで下がることもある[注 1][10]。県北部山間域には4か所のスキー場がある。中国山地と瀬戸内海の中間に位置する吉備高原は両者を折衷した気候を呈し、南部より多少冷涼で雨量も多く[11]、冬季の寒さは厳しい[12]

日本列島に来襲する台風やその影響による風雨は中国山地・四国山地によって弱められることが多く、それに加えて夏には瀬戸内海で発生する「」や山地越えのフェーン現象の影響もあって、都市部や内陸の盆地を中心に猛暑日になる日も少なくない。県庁所在地の岡山市は、吉備高原に属する旧建部町・御津町地域を除いて日照時間が年間約2,000時間と長く、年間降水量は1,100ミリ程度であり、日本有数の降水の少ない土地である。降水量1ミリ以上の日数が日本で最少であることが岡山県のキャッチフレーズでもある「晴れの国おかやま」の根拠となっている[9]

岡山県内各地の平年値(統計期間:1981年(昭和56年)(日応寺は2003年(平成15年)) - 2010年(平成22年)、出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
南部(瀬戸内海沿岸部)中部(瀬戸内海側内陸部)北部(中国山地・吉備高原)
岡山倉敷玉野笠岡瀬戸内市
虫明
和気高梁岡山市北区
福渡
岡山市北区
日応寺
新見新見市
千屋
真庭市
久世
真庭市
上長田
津山奈義美作市
今岡
平均
気温
(°C)
最暖月28.9
(8月)
27.9
(8月)
27.8
(8月)
28.1
(8月)
27.0
(8月)
27.1
(8月)
27.1
(8月)
27.2
(8月)
26.9
(8月)
24.2
(8月)
22.8
(8月)
26.1
(8月)
23.4
(8月)
26.0
(8月)
25.5
(8月)
25.3
(8月)
最寒月5.4
(1月)
5.0
(1月)
5.4
(1月)
4.3
(1月)
3.0
(1月)
2.8
(1月)
2.9
(1月)
3.1
(1月)
3.7
(1月)
0.9
(1月)
−0.1
(1月)
2.0
(1月)
1.0
(1月)
3.6
(1月)
1.9
(1月)
1.7
(1月)
降水量
(mm)
最多月161.5
(6月)
153.2
(6月)
145.1
(6月)
158.6
(6月)
155.8
(6月)
179.1
(7月)
190.0
(7月)
191.5
(7月)
216.3
(7月)
234.8
(7月)
261.9
(7月)
248.2
(7月)
270.1
(7月)
247.3
(7月)
264.3
(7月)
265.1
(7月)
最少月29.0
(12月)
30.5
(12月)
30.8
(12月)
29.4
(12月)
32.7
(12月)
34.9
(12月)
36.1
(12月)
36.0
(12月)
27.8
(1月)
42.9
(12月)
91.1
(12月)
52.8
(1月)
140.9
(12月)
46.3
(12月)
53.4
(12月)
66.5
(12月)

自然公園

瀬戸内海国立公園大山隠岐国立公園
氷ノ山後山那岐山国定公園
高梁川上流県立自然公園、吉備史跡県立自然公園、湯原奥津県立自然公園、吉備路風土記の丘県立自然公園、備作山地県立自然公園、吉備清流県立自然公園、吉井川中流県立自然公園

県域の変化(越県合併

  • 1896年(明治29年)3月30日‐岡山県吉野郡石井村全域が兵庫県佐用郡に移管。吉野郡讃甘村の一部(中山)が兵庫県佐用郡江川村に編入[13]
  • 1963年(昭和38年)9月1日 - 岡山県和気郡日生町の大字福浦の一部および大字福浦地先海面のうち、真尾鼻突端から綱崎突端まで引いた線以内の区域が兵庫県赤穂市に移行。
  • 1966年(昭和41年) - 11月1日、広島県福山市大門町野々浜字カチヤ坂の区域の一部を岡山県笠岡市へ編入、笠岡市茂平字堂面及び坂里の区域の各一部を福山市へ分離[14]。(境界変更)

実行されなかったもの

自治体

2004年(平成16年)以降、岡山県内でも平成の大合併が進められ、2011年(平成23年)現在、以下の15・10・10・2がある。町はすべて「ちょう」、村はすべて「そん」と読む。

県庁所在地の岡山市は2009年(平成21年)4月に政令指定都市に移行し、 北区中区東区南区の各4行政区が設置された。

地域圏

かつては備前備中備後美作地方は吉備国と呼ばれる同一文化圏であったが現在では備後地方のみ広島県に所属している。岡山県と広島県の境は山・川などで地形的に分断されるところがなく、今でも両地方の経済・文化的な関係は強くみられ倉敷市の西部を流れる高梁川以西が備後圏、井笠地方(井原市・笠岡市)は福山圏と認識されることがある。[16]

広域行政圏

岡山県の広域行政圏は旧地方振興局単位で分けられる。

商工会連合会地区

  • 岡山地区 - 岡山市
  • 備南地区 - 総社市、玉野市、倉敷市(真備、庄、茶屋町)、岡山市(灘崎)
  • 備西地区 - 倉敷市、笠岡市、浅口市、井原市、矢掛町、
  • 御津・東備地区 - 備前市、瀬戸内市、赤磐市、岡山市(御津、上道)、和気町、吉備中央町(加茂川)
  • 備北・阿哲地区 - 新見市、高梁市、吉備中央町(賀陽)
  • 真庭地区 - 真庭市、新庄村
  • 苫田・久米地区 - 津山市、鏡野町、美咲町、久米南町
  • 勝英地区 - 津山市(勝北)、美作市、奈義町、勝央町、西粟倉村

広域市町村圏

都道府県知事が関係市町村との協議を経たうえ、およそ10万人以上の人口を有し、一定の要件を具備する日常生活圏を形成すると認められる地域について設定する圏域である。

  • 津山広域市町村圏 - 津山市、鏡野町、美咲町、久米南町、勝央町、奈義町
  • 真庭広域市町村圏 - 真庭市、新庄村
  • 井笠広域市町村圏 - 井原市、笠岡市、浅口市、矢掛町、里庄町
  • 英田広域市町村圏 - 美作市、西粟倉村
  • 新見市(広域的市)- 新見市
  • 高梁市(広域的市)- 高梁市

岡山市など大都市周辺地域については、1978年(昭和53年)からこれとは別に大都市周辺地域広域行政圏が設定されている。

連携中枢都市圏

2014年(平成26年)12月に閣議決定された「まち・ひと・しごと創生総合戦略」において地域の広域連携に関し、一定要件を満たす都市が「連携中枢都市」となり、周辺市町村と連携協約(地方自治法252条の2第1項)を締結することで、「連携中枢都市圏」を形成するものである。

  • 倉敷市・高梁川流域圏(連携中枢都市:倉敷市)- 倉敷市・笠岡市・井原市・総社市・高梁市・新見市・浅口市・早島町・里庄町・矢掛町
  • 福山市・備後圏域(連携中枢都市:広島県福山市)- 笠岡市・井原市・広島県福山市・三原市・尾道市・府中市・世羅町・神石高原町

経済的に笠岡市・井原市は広島県福山市を中心とした福山都市圏に含まれる。

近隣県との関係

  • 香川県瀬戸内海を挟んで対岸に位置する。瀬戸大橋で結ばれ快速マリンライナーが約60分で頻発し相互に通勤通学圏となっており、地上波放送が相互乗り入れるなど結びつきが大きい。
  • 広島県:特に井笠地方(井原市笠岡市)は広島県東部の結びつきが強く福山都市圏を構成し、井笠地方は広島県福山市のベッドタウンとなっている。また井原市、笠岡市は広島県と市街地が連続している部分がある。
  • 鳥取県:隣接するものの間には中国山地があり、交通や物流の障壁となっている。しかし、米子自動車道の開通や伯備線の特急やくもが運行されるなど、交通は確保されている。観光、出張などでの行き来もある。
  • 兵庫県:隣接している県境にかけては山陽本線の便数は非常に少ないことからみるように、地域間の交流は少ない。ただし、備前市日生町は赤穂市と結びつきが強い。また備前県民局管内と美作県民局管内が兵庫県西播磨県民局管内と観光で連携している。

県内には山陽自動車道山陽新幹線山陽本線国道2号など中国地方の交通の大動脈が東西に貫通し、人や物の往来は多い。

歴史

県名の由来

県名は県庁所在地の岡山市に由来する。「岡山」とは、もともと現在の岡山城のある場所に存在した小高い丘のことを指して呼んだものであったが、戦国時代宇喜多秀家が「岡山」に城を築き、その後形成された城下町を含めて岡山と呼ぶようになったことに由来する。なお、秀家の書状から「岡山」が城下町の地名として呼ばれ始めたのは文禄3年(1594年)ごろからであると推測される。

原始・先史

旧石器時代

現在の岡山県の地域には、鷲羽山遺跡倉敷市)などの原始からの遺跡が存在しており、旧石器時代から人々が居住していたことがうかがえる。県の最北端上斎原村(現・鏡野町)に旧石器時代の恩原遺跡がある。その遺跡の下層(約2万5000年前の土層)からナイフ形石器が出土しており、その上層から約1万年前の細石刃も出土している。恩原遺跡では2基の跡が検出されている。うち1基は10個ほどの小石を半円形に並べており、焚き口幅40センチ、奥行35センチの小規模な炉で、石組みの中に木炭塊があり、炉の周辺に灰土が広がっていて、2万2000年前の旧石器時代人の生活痕跡を示す珍しい遺構である[17]

縄文時代

地球温暖化による海面上昇で瀬戸内海が出現した。そのことを示すのが瀬戸内市牛窓町の黄島貝塚である。その後は、人々は狩猟・採集・漁労の自然からの贈りもので生活し、豊かになっていった。縄文時代も後期になり、津雲貝塚で170体以上の人骨が発掘されている。晩期には岡山市北区の津島江道遺跡では水田遺構そのものが検出されている。縄文時代の終わりごろには、狩猟・採集活動をしながら水稲耕作も行われた。

弥生時代

また、彦崎貝塚(岡山市南区)では縄文時代前期の土層からイネプラント・オパールが大量に出土し、朝寝鼻遺跡(岡山市北区)でも同様の発見があり、縄文時代前期には畑作によるイネの栽培が始まっていたとみられる。

古墳時代

古代には吉備国といわれ、畿内地域や北九州地域、出雲地域などとともに、日本列島の中心地のひとつとして栄えていた地域である。吉備国畿内勢力と同盟関係を築いて日本列島の統一期(4世紀中葉)に影響を与えた。優れた鉄製技術を持ち、その支配地域は現在の岡山県・広島県中東部・香川県島嶼部・兵庫県播磨地方に及び、加古川を境界とし、さらには四国芸予諸島にも至っていたと推定されている。また、大きさが全国の古墳の中で第4位、一般人でも立ち入れる古墳としては全国第1位の規模を持つ造山古墳(岡山市北区)や全国第9位の作山古墳総社市)、両宮山古墳赤磐市)などの大型古墳が岡山県内に残されている。

古代

6世紀前半に大和朝廷への臣従したのち、吉備国は勢力抑圧のために備前国備中国備後国の3国に分割され、さらには備前国から美作国が分国された。国府は現在の岡山市(備前国)、総社市(備中国)、津山市(美作国)にそれぞれ置かれた。

旧吉備国からは奈良時代に中央政権で権勢を振るった吉備真備道鏡天皇位簒奪を阻んだ和気清麻呂らの優れた人材を輩出した。

平安時代には備前・備中は受領にとって実入りの多い「上国」のひとつとされており、農業生産力が高かった。またこの時代に各地に荘園が拓かれた。特に鹿田荘は藤原氏の氏の長者が受け継ぐ4つの荘園(殿下渡領)のひとつであった。その他に大安寺荘(岡山市北区)など。平安時代末期には平氏の勢力圏に置かれ、寿永2年(1183年)には県の南東部、倉敷市玉島地区で、翌年には藤戸地区で源平合戦が繰り広げられた(水島の戦い藤戸の戦い)。

中世

鎌倉時代に入ると元来東国を拠点としていた那須氏松田氏三村氏庄氏赤木氏などの有力御家人が地頭職などを得て移住・土着した(東国から西国に移った鎌倉幕府御家人という意味で西遷御家人と呼ばれる)。

南北朝時代後醍醐天皇が隠岐に流される際の通り道になったことで、児島高徳など宮方に与同する武士が現れ、隠岐脱出後は最初に拠点を構えた伯耆船上山が近隣であったため多くの武士が宮方として活動した。観応の擾乱室町幕府が分裂すると山陰に勢力を持つ山名氏が侵攻し、北部美作を中心に山名氏の勢力下に置かれる。しかし、山名氏は明徳の乱で衰退した。

室町時代には鎌倉幕府倒幕に活躍した播磨の豪族・赤松則村(円心)が播磨備前美作3国の守護職に任ぜられ、以後赤松氏が代々三国の守護職を受け継ぎ、この三国はほぼ連動した歴史を展開する。赤松満祐嘉吉の乱で時の将軍足利義教を討ったため、赤松氏は一時衰亡し、その後は赤松氏と地域の覇権を争っていた山名氏が三国を領有した。紆余曲折の末、復活した赤松氏は応仁の乱で東軍に組みし、管領細川勝元より三国守護職を約束され、赤松政則が西軍の山名氏の勢力を追い払うことで再び三国守護職に返り咲く。しかし、戦国時代守護代であった三石城城主・浦上村宗によって政則の子が殺され赤松氏は衰退の一途を辿る。赤松氏に取って代わり備前を中心に勢力を伸ばした浦上氏であったが、宗景の代に家臣であった宇喜多直家の下剋上によって滅ぼされ、備前と美作では宇喜多氏が勢力を伸ばした。

備中では室町期は守護細川氏が、戦国時代は出雲から侵攻した尼子氏庄氏ら有力国人を従えていた。その後、毛利氏の支援を得た三村家親が備中の大部分を統一し、美作・備前の一部も勢力下に治め三国を制する勢いであったが、永禄9年(1566年)三村家親が籾村の佛頂山興善寺に在陣中宇喜多直家の手の者により暗殺され、さらに後を継いだ三村元親が翌年宇喜多氏との明善寺合戦に敗退した。その後、織田氏の誘いを受けて毛利氏と争うに至り、三村氏は滅亡した(備中兵乱)。一方で、備中の南西笠岡などは村上水軍(能島村上氏)の支配地となり村上隆重により笠岡城が築かれた。

このように現在の岡山県域では多数の戦国武将が群雄割拠の様相を呈し、戦国期を通じ、現在の岡山県域を統一する一大勢力はついに出なかった。これは、岡山県が戦国前期には尼子氏・大内氏らの草刈場と化し、後期においては羽柴秀吉の水攻めで有名な備中高松城の戦いに代表されるように東の織田氏と西の毛利氏の衝突地点となったためである。備前の宇喜多氏や備中の三村氏などを除き、戦国期の在地国人勢力に顕著な活躍は見られなかった。しかし、その宇喜多氏・三村氏にしても東西勢力の代理戦争を演じていた面がないわけではない。秀吉との縁を得て後述のように戦国末期(近世初期)まで家を保持・成長させた宇喜多氏は在地勢力の例外といえる。

近世

現在の岡山の地は「岡山」「石山」「天神山(天満山)」と呼ばれていた3つの小高い丘のある備前国西部の農村地帯の一角に過ぎなかったが、岡山の地の利に目をつけた直家は「石山」に小規模な城を築いていた金光氏の当主・金光宗高を謀略により切腹させて開城ののち、岡山の地に入封した。直家の子宇喜多秀家は備前・備中・美作3国守護の座に就き、秀吉の許しを得て「岡山」に築城し、商人を備前福岡から呼び寄せるなど、城下町が形成されていった。秀家はその後、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、豊臣家五大老のひとつの地位を占めていた宇喜多氏は所領没収のうえに八丈島に流された。

戦勝側である小早川秀秋が3国51万石を領有したが2年で後継ぎなく死去、断絶となり、慶長8年(1603年)、西国将軍と称された姫路藩藩主・池田輝政の次男、池田忠継が分家として備前38万石に入った。忠継・忠雄のあとに池田本家の鳥取藩から領地の交換で岡山に31万5,000石で入封した池田光政(輝政の孫)が備前岡山藩の基礎を築き、以後、明治維新を迎えるまで光政の家系が藩政を担った。また、領内には池田家の家老陣屋が各地に所在し、伊木家3万3,000石の虫明陣屋を筆頭に、池田家3万2,000石の天城陣屋、池田家2万2,000石の周匝(すさい)陣屋、日置(へき)家1万6,000石の金川陣屋、池田家1万4,000石の建部陣屋、土倉家1万1,000石の佐伯陣屋があった。城下町・岡山は発展を続け、第4代池田綱政の治世の宝永4年(1707年)には町方人口が3万635人(武家・寺社方を含めた総人口は推定4万人から5万人)に達し、国内でも十指に入る経済力を持つ城下町となった。現在[いつ?]では日本三名園のひとつに数えられる御後園(後楽園)が造成されたのもこの時期である。19世紀に入り岡山藩の財政状況が悪化すると藩は被差別部落への差別を強化した。その結果、安政3年(1856年)に備前一国を巻き込む強訴(渋染一揆)が発生した。

備中には小早川氏改易のあと、一国を管轄する藩が置かれず幕領と大名領・旗本領が錯綜した。備中松山藩を筆頭に、足守藩庭瀬藩新見藩岡田藩浅尾藩・岡山藩の支藩である岡山新田藩(鴨方藩)および岡山新田藩(生坂藩)が成立した。現井笠地域の大部分は備後福山藩領であり備後と一体的に扱われ、福山藩主導の新田開発により干拓が進められる。また、交代寄合の山崎家の成羽陣屋(幕末成羽藩となる)、交代寄合の戸川家撫川陣屋が置かれ、戸川家は旗本としても早島・帯江・妹尾・中島(中庄)にそれぞれ陣屋を構えた。倉敷天領(幕府の直轄)となり、備中のみならず伊予讃岐など周辺諸国の幕領を管轄統治する幕府陣屋が置かれ、その繁栄は岡山以上とも言われた。

美作には森家が18万6,000石で入封。4代で断絶ののち、越前松平家の宗家筋の津山藩10万石、三浦家の勝山藩2万3,000石が成立した。

幕末期になり薩摩藩長州藩による倒幕の動きが広がると、外様であった岡山藩は勤皇派に、親藩譜代であった津山藩・備中松山藩は佐幕派に分かれ、明治元年(1868年)に勃発した戊辰戦争の際には当時の藩主である板倉勝静が老中職にあった備中松山藩を朝敵として岡山藩などが攻撃を加えた。

近代 - 太平洋戦争期

明治4年7月14日1871年8月29日)、明治新政府による廃藩置県により岡山藩を受け継いで、岡山県が備前国を範囲として設けられた。当初、現在の岡山県域には14県が設置されたが、同年12月には岡山県、深津県北条県の3県に再編された。その後、1875年明治8年)12月10日に備中国備後国にあたる小田県(旧深津県)を編入し、1876年(明治9年)4月18日には、備後国6郡を広島県に移管、美作国にあたる北条県を併せた。岡山県の境域はこれ以後1896年(明治29年)に吉野郡石井村兵庫県佐用郡へ編入、同郡讃甘村大字中山を兵庫県佐用郡江川村へ編入。戦後には1963年(昭和38年)、和気郡日生町(現・備前市)東部の福浦地区(寺山を除く)を兵庫県赤穂市へ編入、後に笠岡市で広島県側への編入の動きも出るが阻止されその後現在まで特に大きな変更はない。

県の政庁は岡山市に置かれ、鉄道網の整備や旧制第六高等学校・旧制岡山医科大学(岡山藩医学館を文部省が引き継ぐ)などの教育機関の設立なども相まって山陽地方の拠点として発展を見せた。また、政財界に優れた人材を輩出し、特に自由民権運動では片山潜やのちに首相となる犬養毅平沼騏一郎をはじめとして多くの運動家・政治家を、経済界では第一生命創業者の矢野恒太らを世に送り出した。

戦前の産業は農業が主であり、南部では児島湾干拓によって稲作面積を拡大して生産性を向上させ、イグサ綿花栽培や丘陵地での果樹栽培が行われる一方、北部では養蚕が盛んに行われた。瀬戸内海に面した児島地区(倉敷市)では塩田開発が江戸末期から明治にかけて盛んになり、地元の名家である野崎家が財をなした。

1870年代以降になると近代工業として製糸工場が県内に次々と立地した。倉敷紡績(略称:クラボウ)は全国有数の製糸企業に成長し、また倉敷紡績の大原孫三郎によって倉敷絹織(現在のクラレ)、紡績を支える中国水力電気会社(現在の中国電力)なども設立された。この時代の繊維産業の発展が現在の倉敷市ジーンズ学生服の隆盛の元になっている。大原は実業のかたわら、大原美術館倉敷中央病院、農業や社会問題の研究所などを設立したり、石井十次の孤児養育事業を支援するなど、現在でいうメセナ事業を行った。

1891年(明治24年)に山陽鉄道(現在のJR山陽線)が岡山を経由して広島県尾道まで開通し、その後もいくつかの私鉄路線が開通した(鉄道の項参照)。これらのうち主要なものはのちに国鉄に組み入れられた。

第一次大戦後には重化学工業が発達し、柵原では鉱山が開かれ、玉野では造船業が活況を呈するようになった。

経済の発展で中間市民層が厚みを増したことから、その求めにより中等教育・高等教育の充実が図られた。特に公立・私立の女学校が次々に設立され、全国的に見ても女子の中等教育の盛んな県となった。

こうした地勢より、社会福祉分野においても先見性が高い人材を数多く輩出しており、社会福祉学上において近代福祉事業発祥の地とされることもある。特に1917年大正6年)に自県にて発足した済世顧問制度大阪府方面委員制度と並んでのちの民生委員制度につながるものとされ、先述の片山潜も貧困層のために日本最初の隣保館を設立している。他にも救世軍において廃運動を繰り広げ、女性の権利と生活の向上に足跡を残した山室軍平や、児童自立支援施設の先駆けとなった家庭学校を設立した留岡幸助岡山博愛会病院を設立し地域医療に寄与したアリス・ペティ・アダムス、日本最初の孤児院(児童養護施設)を作り上げた石井十次などが岡山県にてその活動の発起を行った。そのため山室、留岡、アダムス、石井の4名は社会福祉の歴史上に多大なる功績を遺したことにより「岡山四聖人」と称される。

しかしながら第二次世界大戦が勃発し、戦争末期の1945年昭和20年)6月には航空機工場のあった倉敷市水島地区と岡山市がアメリカ軍による大規模な空襲を受けた。岡山市では空襲により中心部がほとんど壊滅し、1,700人以上の市民が犠牲となった。

戦後

戦後は児島湾、笠岡湾など大規模の干拓事業が引き続いて行われ、臨海部に巨大な農業地、工業地が出現する。

また三木知事時代の1960年代、全国総合開発計画に合わせて水島地区に大型船が入港可能な港湾と石油コンビナートを造成して製鉄石油化学および自動車などの工場を誘致された。また同時期に笠岡市は備後工業整備特別地域に指定され、日本鋼管福山製鉄所をはじめとした製鉄関連産業が進出する。このように県南部の臨海地帯を中心に重工業化が進み、農業中心の県から工業中心の県へと変貌を遂げた。他方では、1970年代には大気汚染、瀬戸内海への石油流出事故赤潮、児島湖の水質悪化などに悩まされた。

1970年代以降は山陽新幹線の開業や瀬戸大橋の開通による高速道路・鉄道網の整備、県が管理する空港としては全国で唯一3,000メートル滑走路を持つ岡山空港の開港による航空網の整備が行われ、交通の結節点としての地位を高めた。
南部では人口の増加が見られ、岡山市や倉敷市などが150万都市圏を形成している(岡山都市圏)。岡山インターチェンジから車で2時間圏の範囲の人口は約1,640万人で、東京都の人口よりも多い。その範囲の総生産額は約97兆円でカナダを上回る規模ともなっている。

21世紀

2000年代には紡績工場跡地などを転用したイオンモール倉敷などの郊外・準郊外型のショッピングモールが大小含め県内各地に建設された。一方で、商店街がシャッター通りとなり、ダイエー岡山店・三越倉敷店といった市街地中心部の大型店が相次いで撤退したことに象徴される中心市街地の空洞化(ドーナツ化)が深刻な問題となっている。

2020年12月20日。県と県医師会は新型コロナウイルスの急速な拡大に対し、を発表した[18]

人口

岡山県の人口は、戦後の165万人から一貫して増加を続け2005年平成17年)には約195万人に達した。広島市に次いで中国地方第2の都市である岡山市(約75万人)や第3位の倉敷市(約50万人)を擁する南部は岡山都市圏を中心に人口増加が堅調である。吉備高原や中国山地の山々に囲まれた地域では高齢化が進行し、人口の減少が顕著になってきている。そのため、県全体では1990年(平成2年)ごろから人口はほぼ横ばいであったが、2011年(平成23年)の東日本大震災以降から移住者の増加でに転じた[19][20]。NPO法人ふるさと回帰センターが毎年発表している「田舎暮らし希望地域ランキング」にて岡山県は、2012年(平成24年)度に2位、2013年(平成25年)度に3位にランクインしている[21]

婚姻関係では、男女の初婚年齢が香川県とともに全国屈指の早さとなっている。

Demography33000.svg
岡山県と全国の年齢別人口分布(2005年)岡山県の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 岡山県
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

岡山県の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より
岡山県の市町村の人口、面積、人口密度(2021年7月1日)
※自治体の順番は、全国地方公共団体コードの順
市町村人口面積人口密度
1岡山市723,256人789.95km2916人/km2
2倉敷市473,580人355.63km21,332人/km2
3津山市99,196人506.33km2196人/km2
4玉野市55,731人103.58km2538人/km2
5笠岡市45,442人136.24km2334人/km2
6井原市38,019人243.54km2156人/km2
7総社市69,318人211.90km2327人/km2
8高梁市28,517人546.99km252人/km2
9新見市27,621人793.29km235人/km2
10備前市31,771人258.14km2123人/km2
11瀬戸内市35,862人125.45km2286人/km2
12赤磐市42,451人209.36km2203人/km2
13真庭市42,229人828.53km251人/km2
14美作市25,702人429.29km260人/km2
15浅口市32,537人66.46km2490人/km2
16和気町13,483人144.21km293人/km2
17早島町12,374人7.62km21,624人/km2
18里庄町10,925人12.23km2893人/km2
19矢掛町13,296人90.62km2147人/km2
20新庄村798人67.11km212人/km2
21鏡野町11,944人419.68km228人/km2
22勝央町10,808人54.05km2200人/km2
23奈義町5,488人69.52km279人/km2
24西粟倉村1,381人57.97km224人/km2
25久米南町4,463人78.65km257人/km2
26美咲町12,877人232.17km255人/km2
27吉備中央町10,708人268.78km240人/km2

政治

歴代知事

(公選知事を特に列記する)

氏名在任期間
1西岡広吉1947年(昭和22年)4月16日 - 1951年(昭和26年)3月30日
2三木行治(4期)1951年(昭和26年)5月3日 - 1964年(昭和39年)9月21日
3加藤武徳(2期)1964年(昭和39年)11月12日 - 1972年(昭和47年)11月11日
4長野士郎(6期)1972年(昭和47年)11月12日 - 1996年(平成8年)11月11日
5石井正弘(4期)1996年(平成8年)11月12日 - 2012年(平成24年)11月11日
6伊原木隆太(3期目)2012年(平成24年)11月12日 - 現職

県議会

行政機関

岡山県の行政機関の本庁として、岡山県庁が同市北区内山下に所在している。岡山県内に備前・美作・備中の各県民局が置かれ、その下部組織として各地域事務所が設置されている。かつては地方振興局が設置されていたが統合・再編されて現在に至る。

財政

2008年(平成20年)6月2日の定例記者会見で2011年(平成23年)度にも、2009年(平成21年)度から新たに施行された自治体財政健全化法に基づいて起債制限など国に管理される財政再生団体に転落する可能性があるとして、財政危機宣言を発した。このため、構造的に見込まれる400億円規模の財源不足を解消するため、2008年(平成20年)8月に「岡山県財政構造改革プラン(素案)」[22]を公表した。その際に、歳出削減や県有施設の統廃合について、市町村、県民からさまざまな意見が表明されたことを踏まえ、同年11月に「岡山県行財政構造改革大綱2008」が策定された。この行革大綱の具体的な枠組みは、(1)職員数の削減、(2)組織体制の再構築、(3)職員の意識改革と人事制度、(4)事務事業の削減、(5)公共事業の削減、(6)歳入確保、(7)公の施設の閉鎖・譲渡・集約化、(8)市町村の事務・権限移譲、(9)外郭団体等の抜本的な見直し、(10)効果的な行政評価システムの構築の10分野に及び、これらの取組を2012年(平成24年)度(職員数は2013年(平成25年)度)までに実施することにより、一般財源で396億円の収支不足を解消し、歳入と歳出のバランスが取れた持続可能な財政構造を確立することを目標としている。また、今後の財政運営の目標として、「収入にあわせた予算を組みます」・「県債残高をこれ以上増やしませんプライマリーバランスの黒字化)」・「同規模県と比較してもっともスリムな体制を目指します」・「行革推進債などの緊急避難的な対策による財政運営と決別します」・「今後4年間で改革の総仕上げを行います」との5つの目標を掲げ、この目標に沿った財政運営に取り組むこととされている。

2007年度(平成19年度)

  • 財政力指数 0.54
    • Iグループ(財政力指数0.5以上、1.04未満)17自治体中15位

2006年度(平成18年度)

  • 標準財政規模 3,978億円
  • 一般会計歳入 6,975億円
  • 一般会計歳出 6,951億円
  • 財政力指数 0.49
    • IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)9自治体中1位
  • 経常収支比率 97.8%(都道府県平均:92.8% 財政硬直化が進んでいる)
  • 実質収支比率 0.3
  • 人口一人当たり人件費・物件費等決算額 13万379円 (都道府県平均:12万4,759円)
  • 実質公債費比率 17.8%(都道府県平均:14.7% 18%を超えると起債に制限)
  • 人口100,000人当たり職員数 1,237.10人(都道府県平均:1,173.11人)
    • 2005年度(平成17年度)に対して2010年度(平成22年度)の総定員数を1,400人程度削減予定
  • ラスパイレス指数 96.2 (都道府県平均:99.6)

地方債残高

  • 普通会計分の地方債現在高 1兆2,170億円
  • 上記以外の特別会計分の地方債現在高 1,092億円
    • 上記以外に第3セクターなど(財団法人含む)に対する債務保証にかかわる債務残高がある。

2005年度(平成17年度)

  • 財政力指数 0.42
    • IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)8自治体中8位

2004年度(平成16年度)

  • 財政力指数 0.40
    • IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)10自治体中10位

経済・産業

都市化が進み工業の発展する県南部の大部分の市町村は井原市、笠岡市、里庄町を除き岡山市を中心とする岡山都市圏に属する。県北部は山地が広がり人口は比較的まばらである。県南西部の井笠地方(ただし矢掛町と浅口市は含まれず、岡山都市圏に属する)は広島県福山市を中心とする福山都市圏である。

第一次産業

農業

農業生産額の割合では、(鶏卵・ブロイラー)が全生産額の23.7%で最も多く、が22.8%、果実が17.5%、野菜が15.3%と成っている[23]

岡山県南部に広がる児島湾干拓地を中心とした岡山平野や北部の津山盆地などでは、古来よりコメの栽培が盛んで、現在に至るまで農産物の中心をコメが占めており、コシヒカリ朝日米ヒノヒカリなどの品種が栽培されている。また、南部では岡山市灘崎地区のナス倉敷市連島地区のレンコンをはじめ大都市向けに出荷される花卉、全国的にも珍しい黄ニラなどが、北部や吉備高原ではシイタケマツタケなどが盛んに生産されている。

国内産のマスカットの約9割は岡山県で生産されており、明治時代以降は岡山市津高地域・栢谷地区などの丘陵地においてブドウやモモの温室栽培が行われるようになった。全都道府県における出荷量で見れば、ブドウは4位(西日本1位)、モモは6位(和歌山県に次ぐ西日本2位)で全体シェアの5パーセントにも満たないものの[24]、一部の品種に限れば、ブドウのマスカット・オブ・アレキサンドリアニューピオーネ黒大豆の作州黒の生産量は全国トップクラスであり[25]、現在では岡山県の主要な名産品となっている。県内では他にも岡山市東区でお歳暮シーズンの(あたご梨)や(ヤーリー)などの果物が全国シェアトップで栽培されており、高い生産技術と穏やかな気候に恵まれ、高品質な商品を生産している。近年、これらの農産物を中国台湾など海外に輸出し、販売する試みがなされている。

畜産においては中国山地沿いを中心に行われ、特に新見市千屋地区で肉牛の「千屋牛」などの和牛が飼育されている。酪農においては蒜山高原(真庭市)ではジャージー牛の放牧が行われ、脂肪分を多く含んだ濃厚な乳を用いた牛乳などを出荷しており、吉備中央町では気候に合わせた品種の乳を用いて吉田牧場が高品質のチーズを生産している。その他、山田養蜂場を中心として養蜂も行われている。


かつてはイグサコンニャクタバコの生産も盛んであったが、戦後の産業構造の転換により次第に生産量を減らしている。北部を中心とする中山間地域では若者の都市部への流出や高齢化による過疎化が進行しており、農業の担い手不足が課題となっている。

水産業

瀬戸内海に面する岡山県では児島湾などで、浅瀬を利用した沿岸漁業が行われており、かつてはサワラタイの中型魚がおもに獲れていたが、明治から昭和にかけての干拓事業による漁場の縮小と都市化の影響による瀬戸内海の水質汚濁が発生し、以前ほどの豊かな漁場は失われてしまった。

しかしながら、現在でも倉敷市下津井港をはじめとしてメバルイイダコカレイなどの好漁場となっており、瀬戸内市邑久町牛窓町などでは複雑に入り組んだ海岸を利用した海苔カキ養殖が盛んに行われている。カキの生産量は全国第2位である。瀬戸内海で獲れる海の幸を用いた郷土料理として、ばら寿司(まつり寿司として駅弁販売)や、たこめし、ママカリ(サッパ)の酢漬けなどがある。

また、備前市日生町などでは蛎をお好み焼きに入れた「カキオコ」を新たな名物として岡山県内や他県にPRしており、水産資源を町おこしの契機につなげる新しい取り組みも見られる。

近年の新たな取り組みとして、岡山理科大学の研究で陸上でのハタなどの海水魚の養殖も行われている。[26]

第二次産業

第二次大戦以前、農業県で大規模な港湾がなかった岡山県の第二次産業は製糸・紡績業などの軽工業がその中心であったが、戦後は県によって、それまで中国・四国地方の他県に後れを取っていた工業化に重点を置いた政策がとられ、水島コンビナート(倉敷市)の埋め立て造成と石油精製所・大手製鉄所・自動車工場などの誘致が行われ、工業的に急速な発展を遂げた。県内にはJFEスチールの倉敷地区、福山地区(笠岡市域を含むため)二つの銑鋼一貫製鉄所が立地する。

総社市などの内陸部にも工業団地が次々と立地し、自動車の関連部品の製造や電子機器の工場が誕生した。そのほか、岡山市では食品や印刷など市場指向型、軽工業系の工場が岡南地区や西大寺地区などに所在し、倉敷市では児島地区にジーンズ学生服など縫製業が立地している。学生服の出荷額は岡山県が全国第1位となっている。

県西部の笠岡市へは広島県のJFEスチール西日本製鉄所福山製鉄所の関連企業など広島県からの企業の進出が多く見られる。JFEスチール福山製鉄所の敷地自体も笠岡市域にまたがっている。

1980年代以降は吉備高原等の内陸地域を新たな産業ゾーンとするために高速道路の整備や岡山空港の郊外移転などの開発が行われ、IT関連企業やICなどの電子デバイス工場の誘致が県によって進められた。しかし、開発から数十年が経過した現在でも立地した工場は多くなく、当初の見込み通りには事業が進んでいない。

こうした県主導の工業化のためのハード面での積極的な整備によって工業県への変貌に成功したものの、反面、これらの事業によって増大した借金が昨今、県の財政を圧迫している。

第三次産業

近年の岡山県の第三次産業は、バイオテクノロジーを活用した医薬品や、IT情報通信などの産業などの特色を持つ。独自の精密加工生産を支える技術企業や、食品・健康・医療・環境・福祉やバイオ関連の企業・研究機関などが産学官連携で新たな雇用産業づくりに取り組み続けている。平成15年度には全国に先駆け、高速大容量の基幹光ファィバ網を県内全域を8の字型に結び、全国ギガビットネットワークとも接続された岡山情報ハイウェイが整備された。サービス業や小売業、金融業等は本社や事業所をおもに岡山市を中心とした県南部に構えている。

1960年代までは伝統的個人経営の小売店舗が多数を占めていた。1970年代以降、都市化やモータリゼーションの進行、大量消費社会の浸透により、全国や中国・四国地方規模で展開するスーパーマーケットコンビニ、電器店などのチェーン店舗が郊外の幹線道路沿いに多数開店した。生活するうえでの利便性が増した一方で、中心市街地空洞化を招いた。バブル経済の崩壊後以降は、都市部の地価の下落が進行。近年は中心市街地への高層マンションの建設が相次いでいる。また、小売店舗の中心市街地への新規出店や再開発事業が活発に展開されている。人口の増加[19][20]も見られており、現在では再び地価が上昇している[27]

岡山市では、江戸時代城下町に由来する表町地区と、1972年(昭和47年)の山陽新幹線開業後に発展したJR岡山駅周辺地区が2大商業地区となっている。岡山県南都市圏は現在人口150万人を擁し、地方都市としては数少ない、成長が見込まれる都市圏のひとつである。岡山市の政令指定都市移行を契機として、今後も再開発などの活性化が期待されている。

県南西部の井原市・笠岡市は江戸時代に備後福山藩領であったなど歴史的にも広島県東部との商業的な一体感が大きく、相対的に県内他市町村(岡山市など)とのつながりが小さい。これらの地域は現在でも完全に福山都市圏に属し、多くの住民が日常的な買い物などを福山市に依存している。

一方で、その他の地域では人口の流出・現象を伴った過疎化によって商業施設の撤退・閉鎖、大型商業施設の郊外出店によるスポンジ化現象が見られ、地域活性化が大きな課題となっている。

岡山県に本社を置く主要企業

上場企業

企業名本社所在地上場する市場
アルファ岡山市中区JASDAQ
E・Jホールディングス岡山市北区東証一部
ウエスコホールディングス岡山市北区東証二部
大本組岡山市北区JASDAQ
岡山県貨物運送岡山市北区東証二部
岡山製紙岡山市南区JASDAQ
岡山市北区東証二部
KG情報岡山市北区JASDAQ
サンマルクホールディングス岡山市北区東証一部
大黒天物産倉敷市東証一部
滝澤鉄工所岡山市北区東証一部
井原市東証一部
中国銀行岡山市北区東証一部
テイツー岡山市北区JASDAQ
天満屋ストア岡山市北区東証二部
トマト銀行岡山市北区東証一部
萩原工業倉敷市東証一部
はるやまホールディングス岡山市北区東証一部
ハローズ都窪郡早島町東証一部
ベネッセホールディングス岡山市北区東証一部

他県に登記上の本店を置いている企業を含む[28]

非上場企業

[29]

岡山県で創業し拠点事業所を置く主要企業

岡山県に拠点事業所を置く主要企業

岡山県が発祥とされる商品・サービス

生活・交通

警察

岡山県警察本部の管轄にあり、以下の22警察署が置かれている。ここ数年の市町村合併にともない、2006年(平成18年)4月1日に警察署管轄地域の見直しが行われた。また、2009年(平成21年)4月1日からは、岡山市の政令指定都市移行にともない岡山東警察署が岡山中央警察署に、西大寺警察署が岡山東警察署にそれぞれ名称変更された。

交通

鉄道

鉄道は1891年(明治24年)に山陽鉄道(現在のJR山陽本線)が三石駅から岡山駅まで開通したのを皮切りに、中国鉄道西大寺鉄道片上鉄道下津井電鉄などが次々と開通した。一方で戦後にはモータリゼーションの進行や利用者の減少により多くの私鉄路線が廃止された。1972年(昭和47年)には国鉄山陽新幹線新大阪・岡山間が、2年後には岡山・博多間が開業し、1988年(昭和63年)には瀬戸大橋開通にともないJR瀬戸大橋線が開業。以来、JR岡山駅は本州九州、および山陰四国を結ぶ一大ターミナルとなっている。現在、以下の路線が存在しており、岡山市では全国的に数少なくなった路面電車も運行されている。

西日本旅客鉄道(JR西日本)
四国旅客鉄道(JR四国)
  • 本四備讃線(瀬戸大橋線)- 児島駅 - 下津井瀬戸大橋
智頭急行
井原鉄道
水島臨海鉄道
岡山電気軌道

道路

山陰地方と四国の中間に位置し、古くから主要街道山陽道が通っていた岡山県は道路網が充実しており、特に2007年(平成19年)度の高速道路延長(面積1,000km²当たり延長)は41キロと全国第5位になっている。

高速道路(高速自動車国道・高規格幹線道路)
一般国道
県道

バス

岡山県は隣接する広島県とともにバス事業者の多い県である。岡山市内では多数の会社が乗り入れ、一時期は事業者間での激しい競合が発生する問題も起きていたが、調整が進むなど改善している。高速バスは京阪神、山陰、広島、東京、福岡、四国各県などに伸びる。都市圏が県境を跨ぐ県西部では井笠バスカンパニー、北振バスが地方部では非常に稀な路線バスが県境を越える越境路線を運行している。

  • 岡山市・倉敷市周辺
    • 両備ホールディングス(「愛称→両備バス、」岡山市内・倉敷市内および玉野市など)
      • 東備バス(岡山市西大寺地区・瀬戸内市、両備ホールディングスの分社子会社)
    • 岡山電気軌道(「愛称→岡電バス、」岡山市内中心。両備グループ)
    • 中国鉄道(「愛称→中鉄バス、」岡山市内および総社市など)
      • 子会社数社が県北部に路線網を持つ(下記記載)
    • 下津井電鉄(「愛称→下電バス、」岡山市内・倉敷市内など)
    • 宇野自動車(「愛称→宇野バス」岡山市内および、赤磐市、瀬戸内市など)
    • 中国ジェイアールバス(現在は高速バスのみ)
    • 八晃運輸(「愛称→めぐりんバス・岡山100円循環バス」岡山市内)
  • 県西部
  • 県北部

航空

県内の主要空港は岡山空港である。岡山市北区日応寺に所在し、県が管理する第三種空港、準国際空港である。国内線では東京札幌那覇の3都市へ、国際線ではソウル上海がデイリー運行、北京大連へ定期便が就航する。もとより東京行きの便が距離的・料金的に航空機と新幹線との間で競争が激しい地区であり、また、空港内の駐車場が無料(一部は有料)であることから、同じ中国地方で第二種空港広島空港には大きく水を空けられているものの、近年利用者が増大しており、他の地方第三種空港が経営に苦しんでいる中で高い収益を上げている。広島空港は広島県の中央に立地しているため、県西部の井笠地方は広島空港と岡山空港のほぼ中間にある。1988年(昭和63年)の岡山空港開港まで主要空港であった岡南飛行場(岡山市南区)は、現在セスナ機などの小型機の飛行場として運営されている。笠岡ふれあい空港は全国初の農道空港として開港したが、利用が振るわず旅客便が就航したことはなく、現在では定期便の運航はない。

港湾・船舶

昭和期までは長距離航路を含む多くの旅客船が寄港していたが、新幹線、高速道路など陸上交通の整備により長距離航路は全廃され、瀬戸内海の島嶼を結ぶ短距離航路のみ存続する。宇野港高松港へ向かう宇高連絡船が発着し、四国地方への玄関口として機能していたが、2019年(平成31年/令和元年)に宇高連絡船は廃止された。

医療・福祉

藩政時代末期の1870年明治3年)、西洋医学を推進する目的で藩の御典医らにより岡山藩医学館が設立され、官立大学の岡山医科大学を経て後の岡山大学医学部となった。また1970年昭和45年)には私立川崎医科大学が開校し現在は県内に2つの医学部がある。岡山大学病院、、川崎医科大学付属病院倉敷中央病院心臓病センター榊原病院などが大規模、高度な設備を備える県内の主要病院。県内の主要医療機関は岡山市、倉敷市に偏在しており県北部、西部との医療格差が問題となっている。医師不足の深刻な笠岡市では救急患者が常態的に広島県福山市内の医療機関へ搬送されるために負担にえかねた福山市側から搬送先情報の提供拒否が行われたことがある[30]。一方で、2021年には新型コロナウイルス感染症の拡大を受け県境の井原市や笠岡市を含む備後地域で医療が逼迫しているとして広島県の湯崎英彦知事が岡山県に患者受け入れの協力を要請[31]するなど県境を越えた医療の連携が進んでいる[32]

災害拠点病院は「岡山県災害拠点病院」を、保育所は「岡山県保育所一覧」を参照。

主要診療科の中で特に産婦人科は県内で1996年には37病院・39診療所だったものが2017年には13病院・24診療所と大きく減少しており、特に減少の深刻な県北西部では最寄りの分娩施設まで車で60分以上かかるエリアや、万一の際にいずれかの周産期母子医療センターまで60分以上かかるエリアが目立つ。[33]県南西部においては産婦人科医の常勤する病院は高梁川以西から既に消失し、井原・笠岡地域では地域の分娩機能の中心的役割は県境を越えた広島県福山市内の医療機関が担っている[34]。ただし、笠岡市内では分娩取扱医療機関として診療所が1拠点のみ指定されている。

マスメディア

テレビ局

岡山県では県域放送のNHKおよび電波相互乗り入れによる5つの民放テレビ局が視聴可能となっている。民放5局のうち3局は岡山県に、2局は香川県に本社を置いており、1970年代から相互乗り入れを実施している。

岡山県では2006年(平成18年)12月1日より地上デジタル放送が本格的に開始された。岡山・玉野市境の金甲山送信所を親局とし、県内に78か所の中継局が整備されている。リモコン番号はリモコンキーIDの記事の岡山県部分を参照。テレビ東京系のテレビせとうちが全国の地方都市では唯一存在しているため、独立UHF局がないことを除けば関東広域圏と同じとなっている[注 2]

テレビ放送
チャンネル番号放送局名放送系列略称備考
1・2NHK岡山放送局NHKNHK
6RSK山陽放送JNNRSKRSKホールディングス傘下
7テレビせとうちTXNTSC

山陽新聞傘下

中継局が少ない関係で、山間部等では受信できない地域がある(地上デジタル放送で視聴できない世帯は約14,000世帯)

8岡山放送FNNOHK
次の2社は香川県高松市に本社を置くが、放送対象地域を相互補完する目的から、送信所(親局)を金甲山送信所(岡山市南区・玉野市両市境)に設置している。なおかつ事業所の拠点性が高いことから、2社ともに岡山市にも本社(事実上の支社)を置いている。
4西日本放送NNNRNC四国新聞傘下
5瀬戸内海放送ANNKSB
兵庫県の独立局であるサンテレビジョンが一部受信できる地域があり、一部のケーブルテレビによって再送信されている。
3サンテレビJAITSSUN放送対象は兵庫県

ラジオ局

県域放送
コミュニティFM

※ 南東部から北東部では、近畿地方に本社および送信所を置く毎日放送(MBS)、朝日放送(ABC)、ラジオ大阪(OBC)、ラジオ関西(CRK)と香川県に本社および送信所を置く西日本放送(RNC)ラジオ、およびエフエム香川が受信できる地域がある。また、西部では広島県に本社および送信所を置く中国放送(RCC)、広島エフエム放送(HFM)と愛媛県に本社がおよび送信所を置く南海放送(RNB)が受信できる地域がある。この他、四国放送山陰放送が受信できる地域もある。

インターネットにおけるサイマルラジオ放送は、コミュニティ放送のつやまコミュニティFMを皮切りに各放送局で実施している。県域民放局が実施しているradikoにはRSK山陽放送と岡山エフエム放送(FM岡山)共に参加している。

ケーブルテレビ局

新聞

岡山県では県紙で1889年(明治22年)創刊の山陽新聞を中心に購読されている。また、全国紙では各紙が大阪本社の管轄下にあり、県内に支局を設置している。読売・毎日・日経・産経の各紙は県内に印刷工場を設け、朝日新聞は香川県内の印刷工場から輸送する体制をとっている。ただいずれの全国紙も岡山県での夕刊の販売はしておらず、朝刊のみである。夕刊紙の岡山日日新聞も存在したが、2011年(平成23年)11月10日をもって廃刊した。

地方紙
全国紙
スポーツ紙


教育

江戸時代備前国を治めた岡山藩は、池田光政の代である1669年寛文9年)に全国初の藩校である花畠教場を、続いて世界最古の庶民学校である閑谷学校を開くなど、教育の面では古くから先進的な取り組みがなされてきた。特に閑谷学校は領民だけでなく他藩の藩士にも門戸開放し、さらには藩主の転封改易などの不測の事態でも学校を存続できるように学校領を設けて藩財政から独立させた。岡山藩が教育を重視していたことがうかがえる。また、幕府の薦める朱子学ではなく儒学(陽明学)を学ばせ、頼山陽ら著名人も来訪したことで知られている。江戸時代の岡山県内の寺子屋数は長野県山口県に次ぐ第3位(1,031校)で、私塾数は第1位(144か所)であった[25]

明治時代になると1870年(明治3年)に岡山藩医学館が設置され、1900年(明治33年)には第六高等学校が、1922年(大正11年)には岡山藩医学館を継承した官立岡山医科大学が開校するなど高等教育が活発に行われ、当時の就学率は全国トップクラスであった。

ただし、女子教育については明治の初めまで、ほとんどの地域において初等教育(いわゆる市井の寺子屋女紅場・裁縫所)以上の教育はなされなかった。上記の各学校においても中等教育以上は男子教育の場でしかなかった。そのため岡山における女子の中等教育は日本全国の他地域と同様、明治以降にキリスト教系の信徒・思想者によって、分野開拓が行われている。岡山県内において、その嚆矢となったのが1885年(明治18年)に高梁向町(現在の高梁市向町)において福西志計子が開いた順正女学校(現・岡山県立高梁高等学校)とされる[注 3][35]。さらに、その源流として福西の幼少期の師であり私塾の牛麓舎にて、男女の別を問わず漢学を授けた山田方谷の存在を指摘する声もある[35]。順正女学校の設立を皮切りに、翌1886年(明治19年)には岡山市内で山陽英和女学校(現在の山陽学園大学)および岡山女学校(現在のノートルダム清心女子大学)などの女学校が開校した。

大学

現在、岡山県には3つの国公立大学、15の私立大学が設置されている。2007年(平成19年)現在、人口10万人当たりの大学短大設置数は全国第6位となっている[25]

2006年(平成18年)度からは、岡山県と岡山経済同友会を中心に、県内15の4年制大学が参加する大学コンソーシアム岡山が開始され、産・学・官の連携による地域社会の活性化や時代に合った高等教育の創造を目指している。

国公立

私立

短期大学

公立

私立

高等専門学校

国立

専修学校
特別支援学校
高等学校
中学校
小学校

島嶼を多く抱える岡山県では公営の(スクールボート)の運航が見られる。

幼稚園
越境通学
  • 広島県福山市立野々浜小学校:笠岡市茂平地区。「福山市と笠岡市との間の事務の委託に関する規約」により居住する児童の小学校教育事務の管理及び執行を広島県福山市に委託している。該当児童は徒歩で県境を越え福山市立野々浜小学校に通学する。茂平地区、野々浜小学校はいずれも県境に接し距離が近く住宅地域は県境を越え連続している。通学距離の短縮および児童の安全管理上の措置である。[36]
  • 兵庫県立佐用高等学校:美作市大原地区及び東粟倉地区、英田郡西粟倉村を学区に含む[37]。2006年(平成18年)に岡山県立大原高等学校が閉校して以降、最寄り高校までの通学時間が増大しており生徒の負担軽減のため2019年度より岡山県側の生徒の受け入れが始まった。
  • 鳥取県立智頭農林高等学校:津山市阿波及び加茂町、美作市大原地区及び東粟倉地区、英田郡西粟倉村[38]
  • 鳥取県立日野高等学校:真庭郡新庄村、新見市千屋花見、千屋井原、千屋実及び千屋[38]
  • 広島県立東城高等学校:新見市哲西町及び哲多町・高梁市備中町に居住し、当校以外の公立高等学校に出願しない旨の中学校長意見書を所持する者の受験を認めている。

文化・スポーツ

概略

岡山市を中心とする備前地域(旧備前岡山藩)は池田光政の儒教尊重が家風となり、近代以後も教育熱心な地域と言われる。古今和歌集において「真金吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川の音のさやけさ」と謳われ、吉備を表す枕詞が「真金吹く」であるように、古くから岡山(旧国名は吉備)は古代吉備から連綿と受け継いできた優れた鉄製技術を持っていた。そのため平安時代古備前派に端を発し、福岡千軒(現在の瀬戸内市長船町)では福岡一文字備前長船、そして吉岡一文字国宗派、また備中国の青江貞次らの青江派などといった有力な刀匠の一派が数々生まれて栄えた。さらに、備前・美濃・相模・山城・大和の5か国の作刀方式を「五箇伝」と呼び、その五箇伝のうち備前伝と美濃伝の刀が傑出して大量に生産されるに至った。また質の面では備前刀があらゆる流派の中でもっとも多く、国宝に指定されている。現在でも備前では刀匠によって刀が生産されている。

一方で陶器の備前焼日本六古窯のひとつであり、古墳時代の須恵器から発展したもので釉薬をまったくつけずに焼かれる。また何も塗られることもない素朴さと力強さ、炎と火の粉、薪の灰から生じる窯変の味わい、そのわびさびを体現した風貌から千利休古田織部などといった茶人に愛された。1250度の高温で約2週間焼き締めるため「投げても割れない」と言われ、茶人や公家、武家以外の一般庶民にも広く流通した。鎌倉時代初期までの作品は「古備前」と呼ばれ特に珍重される。金重陶陽といった人間国宝などの活躍もあり、また戦後にも再び脚光を浴びて一躍全国的に有名となった。

津山市を中心とする美作地域では、江戸後期から幕末にかけて宇田川家箕作家などの洋学の人材を輩出した。

方言

主に東京式アクセント岡山弁が用いられる。県内の方言は旧国ごとに「備前弁」・「備中弁」・「美作弁(作州弁・津山弁)」の3種に分類されることあるが互いに対立して分布しているという事象は、必ずしも多いとは言えない。笠岡市井原市などは旧備中国であるが備後福山藩領であったなど歴史的な背景から広島県側と共通の方言(福山弁備後弁)が用いられる。[39]このため県内では井笠地域のみに広島県からの連続分布により独自の事象分布が認められ、倉敷市などの備中弁とは語彙など多くの差異がある。笠岡市の真鍋島などでは特有のアクセントが用いられる。[40]

食文化

郷土料理

古代以来の農業の盛んな地域で、農産物・水産物は豊富である。主要なものは以下の通り。

など

ご当地B級グルメ

など

郷土菓子

など

伝統工芸

経済産業大臣指定伝統的工芸品
伝統工芸品

スポーツ

岡山県は、プロ野球Jリーグの球団の両方が本拠を構えている兵庫県広島県に挟まれ、地元に拠点を置くスポーツに対する関心が低い。1995年(平成7年)には倉敷市を本拠としていた川崎製鉄サッカー部(現・ヴィッセル神戸)がJリーグ誘致を目指していた神戸市に本拠を移すなど、長年にわたって本県に本拠を置くプロスポーツチームができず、「プロスポーツ不毛の地」と揶揄されることもあった[41]。しかし、2001年(平成13年)11月に女子バレーボールVリーグに所属するシーガルズ岡山市に本拠を移転[42]美作町(現・美作市)に女子サッカークラブ・岡山湯郷Belleが設立された。その後、2005年(平成17年)には晴れの国おかやま国体が開催され、県全体でスポーツに対する関心が高まった。国体開催の機運に乗じてJリーグを目指すサッカークラブとしてファジアーノ岡山FCが設立され、好成績を収め続けたファジアーノは岡山県リーグから中国リーグ、JFLと次々と昇格し、2009年(平成21年)シーズンからはJ2に昇格した。また2017年には県西部の井笠地方をホームタウンとする福山シティFCが結成された。こうした市民クラブに対するスポンサーやボランティアなどの支援の輪が広がっており、プロスポーツが県民にとって身近な存在になりつつある。

その他、女子マラソンに関しては岡山市に本店がある天満屋の女子陸上競技部から2000年(平成12年)シドニーオリンピック山口衛里が、2004年(平成16年)アテネオリンピック坂本直子、さらに2008年(平成20年)の北京オリンピックでも中村友梨香が出場している。さらに、1992年(平成4年)のバルセロナオリンピック1996年(平成8年)のアトランタオリンピックの2大会でメダルを獲得した有森裕子は岡山県出身であり、オリンピックに5大会連続で岡山県の関係者が出場している[注 4]

高校野球においては1965年(昭和40年)の選抜高等学校野球大会で優勝し、平松政次八木裕らを輩出した岡山東商業高校星野仙一らを輩出した倉敷商業高校倉敷工業高校をはじめとした古豪がある。近年では1999年(平成11年)の全国高等学校野球選手権大会で準優勝した岡山理科大学附属高校関西高校などの私立校が台頭している。

岡山県内に本拠を置く主なスポーツチーム

観光

有形文化財建造物

国宝
重要伝統的建造物群保存地区

史跡・旧跡

その他の名所

公園・テーマパーク等

祭事・イベント

国の重要無形民俗文化財
  • (笠岡市)
  • 備中神楽(井原市・総社市・高梁市・新見市)
  • (真庭市)
県指定重要無形民俗文化財
祭事・イベント

文化施設

博物館・美術館
コンベンション・コンサート
スポーツ施設

おかやま国際観光親善大使

対外関係

1992年(平成4年)6月1日友好交流協定締結
1993年(平成5年)5月7日友好交流協定締結
2006年(平成18年)1月19日友好交流協定締結
2006年(平成18年)1月20日友好交流協定締結
2009年(平成21年)10月17日友好交流協定締結

岡山県を舞台とした作品

人物

岡山県名誉県民

岡山県名誉県民の称号は、1981年(昭和56年)3月25日に制定された岡山県名誉県民条例(岡山県条例第24号)に基づき、「岡山県の発展に功績があり、県民の誇りとしてひとしく敬愛を受ける者」へ贈られる(条例第1条)[43]。対象者は「本県に居住し、又は居住していた者で、社会福祉の向上、経済の発展又は学術文化の振興に卓絶した功績があり、もつて県民福祉の増進に貢献し、又は本県の名声を著しく高め、県民が郷土の誇りとしてひとしく敬愛するもの」であり(条例第2条)、岡山県知事が岡山県議会の同意を得て選定することが定められる(条例第2条第2項)[43]名誉県民に選定された者には、顕彰状や徽章、記念品も併せて贈られるほか(条例第3条)、知事が定める礼遇や特典を受けられる(条例第4条)[43]

贈呈番号受賞者氏名職業選定年月日備考出典
1高畑浅次郎教育者1981年(昭和56年)9月29日岡山県教育長・高畑勲[44]
2土光敏夫実業家1981年(昭和56年)9月29日第二次臨時行政調査会[44]
3藤原啓陶芸家1981年(昭和56年)9月29日人間国宝[44]
4岡崎嘉平太実業家1985年(昭和60年)全日本空輸社長[45]
5川﨑祐宣医師1985年(昭和60年)川崎医科大学創設者[46]
6谷口澄夫歴史学者2001年(平成13年)1月15日岡山大学学長[47]
7江草安彦医師2015年(平成27年)11月10日追贈旭川荘理事長[48]

脚注

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注釈

  1. ^ 真庭市蒜山上長田(標高430m)では、1981年(昭和56年)2月28日に西日本(近畿以西)の平地における最低気温(−20.2℃)を記録したほか、2011年(平成23年)1月には最深積雪137cmを記録した。
  2. ^ ただし、一部地域では、兵庫県サンテレビがケーブルテレビで再送信されているため、事実上茨城県東京都を除く関東広域圏と全く同じになっている。
  3. ^ 女学校の前身となる裁縫所1881年(明治14年)設立。高梁高校では裁縫所の設立年を創立年としている。なお同地に所在する吉備国際大学を筆頭とする学校法人順正学園は福西死後の新設校であるため、直接の関連は無い。(設立時における間接的な関連はあるため、順正学園は福西を準学祖としている。詳細は当該校の項目を参照)
  4. ^ 古くは、1928年(昭和3年)のアムステルダムオリンピック人見絹枝1964年(昭和39年)の東京オリンピック木原美知子などがいる。

出典

  1. ^ 近代の児島湾干拓計画を策定したムルデル:農林水産省 http://www.maff.go.jp/j/nousin/sekkei/museum/m_izin/okayama_02/
  2. ^ 蒜山酪農農業協同組合 http://www.hiruraku.com/
  3. ^ 岡山県産業振興財団 | Facebook https://ja-jp.facebook.com/okayamazaidan/
  4. ^ 国土交通省. 港湾取扱貨物量などの現状<平成27年>. 
  5. ^ 金子憲治 (2018年11月12日). “瀬戸内市の塩田跡地に235MWのメガソーラー完成、稼働済みで日本最大”. クリーンテックラボ. 日経BP総研. 2021年6月15日閲覧。
  6. ^ 金子憲治 (2020年7月21日). “日本最大・260MWのメガソーラー、美作市に稼働”. クリーンテックラボ. 日経BP総研. 2021年6月15日閲覧。
  7. ^ 「おかやま新エネルギービジョン」の策定について”. 岡山県. 2020年8月20日閲覧。
  8. ^ 大好き「晴れの国岡山」1岡山県のアウトライン(県の概況、シンボルなど)”. 岡山県総合政策局公聴公報課. 2011年7月14日閲覧。
  9. ^ a b 「晴れの国おかやま」が引き続き統計的に裏付けられました”. 岡山県総合政策局統計分析課 (2011年5月26日). 2016年1月30日閲覧。
  10. ^ 上長田(岡山県) 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値) - 気象庁
  11. ^ 吉備中央町:市町村紹介:工業団地紹介:やっぱり岡山!企業立地ガイド:岡山県産業労働部企業立地推進課を玉野市・倉敷市といった吉備高原を含まない自治体と比較。
  12. ^ 「昔から吉備高原と呼ばれている一角にあり、気候はやや内陸性で県南部と比較して冷涼な地域です。」- 吉備中央町ホームページ
  13. ^ 岡山県兵庫県境界変更並福岡県大分県境界変更法律(明治29年3月30日法律第56号). (明治29年3月30日). 
  14. ^ 昭和41年10月28日 自治省告示第158号. (昭和41年10月28日). 
  15. ^ 中野正雄、吉備鶴雄、佐々木幸人、伊香厚雄 (1963/12). “広島県備後臨海工業地帯を中心として”. 瀬戸内臨海工業の発展が農業経営におよぼす影響に関する研究(第2報) 10: 109. 
  16. ^ 無漏田芳信・黒原義晶・片本武志 (1994). “備後・備中地方における通勤移動圏域の構造的変容に関する研究”. 福山大学紀要 第18号: 45. 
  17. ^ 狩野久「吉備の国づくり」 藤井学・狩野久・竹林栄一・倉地克直・前田昌義『岡山県の歴史』山川出版社 2000年(平成12年) 10 - 11ページ
  18. ^ 中国新聞2020年12月21日付 「岡山県が「医療非常事態」宣言 県医師会長は「現場から悲鳴」」
  19. ^ a b 震災以降、移住先として急浮上した岡山県とは?(上)
  20. ^ a b 震災以降、移住先として急浮上した岡山県とは?(下)
  21. ^ ふるさと暮らし希望地域ランキング”. ふるさと回帰ランキング (2013年2月26日). 2020年8月20日閲覧。
  22. ^ 岡山県財政構造改革プラン(素案),財政構造改革について - 岡山県ホームページ
  23. ^ 平成30年生産農業所得統計”. 2020年4月20日閲覧。
  24. ^ 平成25年 農林水産統計より
  25. ^ a b c 県のプロフィール・統計(岡山県)
  26. ^ 陸で育った海水魚出荷へ…岡山理科大が養殖ハタを初出荷【岡山・岡山市】
  27. ^ 岡山)基準地価、上昇は50地点 昨年より倍増[リンク切れ]
  28. ^ おかやま業界地図 (PDF)”. 岡山県 (2020年). 2021年6月9日閲覧。
  29. ^ 分類は、『岡山企業年報』の掲載業種別。
  30. ^ 医療連携へ模索続く岡山県境 共通課題は医師不足” (日本語). 岡山の医療健康ガイド MEDICA. 2020年5月31日閲覧。
  31. ^ 知事「ここで止めないと」 特措法の早期改正も要望:朝日新聞デジタル” (日本語). 朝日新聞デジタル. 2021年3月18日閲覧。
  32. ^ 中国地方5県ドクターヘリ広域連携に係る基本協定書. 
  33. ^ (39)安心の産婦人科医療 岡山市立市民病院 平松祐司マタニティセンター長” (日本語). 岡山の医療健康ガイド MEDICA. 2021年4月29日閲覧。
  34. ^ 広島県 (2013.03). “福山・府中二次保健医療圏”. 広島県保健医療計画 地域計画: 27. 
  35. ^ a b 『福西志計子と順正女学校 -山田方谷・留岡幸助・伊吹岩五郎との交友-』倉田和四生著、吉備人出版刊。2006年(平成18年)。ISBN 4-86069-143-1
  36. ^ 笠岡市 (昭和57年4月1日). 福山市と笠岡市との間の事務の委託に関する規約. 
  37. ^ 兵庫県立高等学校の通学区域に関する規則取扱規程 第5条
  38. ^ a b 鳥取県立高等学校学則 別表(第13条関係)(平23教委規則4・追加)
  39. ^ 無漏田芳信・黒原義晶・片本武志 (1994). “備後・備中地方における通勤移動圏域の構造的変容に関する研究”. 福山大学工学部紀要 第18号: 46. 
  40. ^ 吉田則夫. 岡山県下の方言分布について ―分布パターンの諸相―. 
  41. ^ <飛翔 J元年ファジアーノ>(4)胎動 - 山陽新聞 2009年(平成21年)2月15日
  42. ^ 日本バレーボールリーグ機構. “チーム沿革”. 2014年6月17日閲覧。
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  44. ^ a b c 岡山県初の名誉県民に土光敏夫、高畑浅次郎、藤原啓 [リンク切れ] - デジタル岡山大百科、2021年(令和3年)2月26日閲覧。
  45. ^ 岡崎嘉平太とは (日本語) - 岡崎嘉平太記念館、2021年(令和3年)2月26日閲覧。
  46. ^ 創設者 川﨑祐宣 (日本語) - 川崎医科大学、2021年(令和3年)2月26日閲覧。
  47. ^ 沿革 (日本語) - 岡山大学教育学部、2021年(令和3年)2月26日閲覧。
  48. ^ 岡山県名誉県民顕彰式を開催 (日本語) - 岡山県、2021年(令和3年)2月26日閲覧。

関連項目

外部リンク

先代:
岡山藩

小田県


北条県

行政区の変遷
1871年 -
次代:
-----

広島県
(旧・小田県のうち備後国

東京都

東京都(とうきょうと、: Tokyo Metropolis)は、日本首都[2][3]関東地方に位置する都庁所在地新宿区[2][注 2]

区部(23区)、多摩地域(26市と西多摩郡3町1村)および島嶼部(2町7村)からなる。関東南西部にあって東西に細長い都域を有し、東部は東京湾に面する[3]。西部は雲取山を最高峰とする関東山地となる[4]

行政機関金融機関大企業などが集中し、新聞放送出版などの文化面、大学研究機関などの教育学術面においても日本の中枢をなす。交通面でも鉄道網、道路網、航空路の中心。世界最大級の人口を有する国際的大都市である[3]

東京都と周辺7県で首都圏を構成している。特に東京圏(東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県)の総人口は約3500万人に達し、日本の人口の約30%を占める[5]

概要

管轄する領域は東京都区部(東京23区)、多摩地域(26市[注 3]と西多摩郡3町1村)および東京都島嶼部大島三宅八丈小笠原)の4支庁(2町7村)からなっている。沖ノ鳥島南鳥島を含む小笠原諸島を含むため、日本最南端および最東端に位置する都道府県でもある。都公認の「東京都」の英語表記はTokyo Metropolis(Tokyo Met.)。他には Tokyo Prefecture と Tokyo Metropolitan Prefecture がある。

人口は14,049,146人(2021年7月1日現在)。これは日本の都道府県の中では人口が最も多く、日本の人口のおよそ11%を占めている。人口密度も都道府県の中で最も高い。東京都を中心とする東京都市圏は人口3700万人を超える世界最大の都市圏である。日本の人口のおよそ3割が集中し、ポーランドモロッコカナダなどの国の総人口に匹敵する。

東京は、江戸幕府が置かれたかつての江戸であり、徳川家康都市計画によって大いに発展した。幕末の動乱を経て明治元年の文書から「東京」と表記されるようになった。1869年2月11日(明治2年1月1日)に平安京京都)から遷都され(東京奠都かつての首都の一覧も参照)、1878年(明治11年)に府制が施行されて東京府となった。第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)7月1日、首都の行政機能を強化する目的から東京都制が施行された。これにより東京府と東京市が廃止され、これらを統合する形で東京都が設置された[6]。終戦後の1947年(昭和22年)の地方自治法施行に伴い、1943年以来の東京都制は廃止されたが、「東京都」の名称と行政区域は変更していない。すなわち、東京都制によって都の直轄とされた、旧東京市内に設置された区は、地方自治法施行によって特別地方公共団体たる特別区となって市に準ずる権限を付与されたものの、一部の事務や徴税権は引き続き都に留保された[注 4]。このため東京都庁は、今なお「23区を包括する市役所としての機能」と「県庁としての機能」とを併せ持っている。

東京都の議決機関として東京都議会が設置される。東京都の首長東京都知事である。その権能は地方自治法によって定められており、選挙によって選出される。任期は4年。知事の補佐職として東京都副知事4名が置かれる。2017年平成29年)4月時点で都庁の職員数(いわゆる「都の職員」)は、知事部局等の一般行政職員が約2万5千人、公営企業部門(交通上水道下水道)が約1万3千人。これに東京消防庁および警視庁の職員、東京都内の公立学校の教職員を加えると総計約16万8千人となる[7]

東京都庁舎(本庁舎)は長らく千代田区有楽町にあったが、1991年(平成3年)4月1日新宿区西新宿へ移転した。移転に伴って地方自治法に従い条例が改正され、これ以降、都庁所在地は東京都新宿区西新宿二丁目となっている[8]。しかし、地図等の都庁所在地の表記は、便宜上「東京」が使用される[9]国土地理院によると、東京以外の道府県庁所在地は市の名称を用いるのに対し、東京の場合は実際の所在地である新宿区を含めた23区をまとめて「東京」と表記する[10][注 5]。教科書でも国土地理院と同じく「東京」としているものが多い。特別区が市町村でないことに加え、市町村が持つ業務の権限の一部を有しないこと、区部がかつて東京市という1つの市であったことなどが原因とされる[11]

日本の民間研究所2016年に発表した「世界の都市総合力ランキング」では、ロンドンニューヨークに次ぐ世界3位と評価された[12]。『エコノミスト』の調査部門、エコノミスト・インテリジェンス・ユニットによる2019年度の調査では、東京都は「世界で最も住みやすい都市」の世界7位、アジア2位に選出された[13]。 また、アメリカのシンクタンクが発表した2020年の世界都市ランキング(GCI 2020)では、ニューヨーク、ロンドン、パリに次ぐ世界4位の都市と評価された[14]イギリスの機関が発表している2021年の「世界金融センター指数」では、世界7位、アジア5位の金融センターと評価された[15]

首都

東京都心は、かつての江戸にあたり、江戸幕府成立以来、日本の政治・行政の実質的な中心地であった。1868年平安京から江戸に皇居太政官などの首都機能が移動したとされ(東京奠都)、その後江戸を東京府と改称、名目的にも首都となった。大日本帝国期には帝都とも呼ばれる。太平洋戦争中の1943年に東京府と東京市が統合されて、改めて東京都が首都となった。戦後の1950年に東京都を日本の首都として、十分にその機能を発揮し得るよう首都建設法が施行されたが、同法は1956年に首都圏整備法の施行に伴い廃止された。このように首都建設法の廃止により東京都は、法的には日本の首都である根拠を欠くが、日本国政府の公式見解や公文書上は首都とされており、東京都に日本の中枢機能が存在している。2018年2月には衆議院議員逢坂誠二の質問[16]に対し、「首都を東京都であると直接規定した法令はないが、東京都が日本の首都であることは、広く社会一般に受け入れられているものと考えている」との政府見解が示された[17]

また、首都圏整備法では、東京都は首都圏の一部とされており、東京都の公式英語表記「Tokyo Metropolis」の metropolis には「大都市、大都市圏」の他に「首都」の意味合いもある。

前述の通り、東京都を首都と直接規定するものは日本国憲法および日本の法律にはないものの、首都としてその中心部(特に東京23区)に、日本国政府の国会議事堂内閣総理大臣官邸と主要省庁、最高裁判所を始めとした三権の中枢機関が置かれる。この他にも、法律によってその機関を東京都に置くと定められているものもある[注 6]

地理・地域

東京都の主要部分は、関東平野に位置し、東京湾に面している。このほかに、伊豆諸島小笠原諸島の島嶼部も行政区域とする。この島嶼部には日本の最南端である沖ノ鳥島と、日本の最東端である南鳥島も含まれる。日本の最南端と最東端を行政区域に含むという意味では、日本最南端・日本最東端の都道府県となっている。

面積・範囲

国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、東京都の面積は2193.96平方キロメートルである[18]

東京都の東西南北それぞれの端は以下の位置である[19]。北端は大平山 (埼玉県秩父地方)の西、東端は南鳥島、南端および西端は沖ノ鳥島にある。沖ノ鳥島を考慮せずに県境未確定地域に仮の境界線を入れて求めた重心も併記する[20]。また統計局の平成22年国勢調査によると、人口重心は杉並区成田東1丁目付近にある[21]。広袤(こうぼう)は、北端から南端まで約1,700km、西端から東端まで約1,900km。

重心
北緯35度01分18秒 東経139度35分44秒 / 北緯35.02167度 東経139.59556度 / 35.02167; 139.59556 (東京都重心)

北端
北緯35度53分54秒 東経139度01分06秒 / 北緯35.89833度 東経139.01833度 / 35.89833; 139.01833 (東京都最北端)
人口重心
北緯35度41分15.49秒 東経139度38分15.28秒 / 北緯35.6876361度 東経139.6375778度 / 35.6876361; 139.6375778 (東京都人口重心)
東京都庁舎所在地
北緯35度41分22秒 東経139度41分30秒 / 北緯35.68944度 東経139.69167度 / 35.68944; 139.69167 (東京都庁)
東端
北緯24度16分59秒 東経153度59分11秒 / 北緯24.28306度 東経153.98639度 / 24.28306; 153.98639 (東京都最東端)
西端及び南端↓
北緯20度25分31秒 東経136度04分11秒 / 北緯20.42528度 東経136.06972度 / 20.42528; 136.06972 (東京都最西南端)

地形・地質

区部の東部には、隅田川荒川江戸川中川などの河口部に沖積平野が広がっている。地盤は軟弱であり、海抜ゼロメートル地帯も少なくない。南部の多摩川沿いの地域も低地となっている。区部の西部は武蔵野台地の末端部であり、いくつもの舌状台地が伸び、台地と低地が入り組んだ高低差のある地形となっている。臨海部は埋立地となっている。埋立は徳川家康の時代から始まったもので、現在は主に新海面処分場において廃棄物や建設残土の埋め立てが行われている。

多摩地域では、多摩川沿いの低地を中心として、北側は武蔵野台地、南側は多摩丘陵となっている。多摩西部には関東山地に含まれる山地がある。埼玉県入間郡から青梅市立川市府中市の方向には立川断層の存在が確認されている。立川断層は日本の活断層の中でも地震の発生確率が比較的高いと見られている。これ以外にも江戸~東京は相模トラフ巨大地震など度々の大地震(元禄地震安政江戸地震関東大震災)で被害を受けている。

島嶼部には伊豆諸島小笠原諸島が含まれる。いずれも火山活動によって形成された火山島である。伊豆諸島には活火山が多く、三宅島の雄山は2000年以降火山活動中である。また伊豆大島三原山でも1986年に大規模な噴火活動が見られた。小笠原諸島の西之島も火山噴出物により島の面積が拡大している。

小笠原諸島は特有の生態系を持ち、「東洋ガラパゴス」と呼ばれる程貴重な動植物が多く、世界自然遺産に登録されている。

気候

日本国内における気候区分では23区〜多摩東部および伊豆諸島太平洋側気候、多摩西部などは中央高地式気候に属する。小笠原諸島南日本気候である。特徴としては、四季の変化が明瞭であり、天気が日によって変化しやすい。夏季は高温・多雨となり、冬季は晴れて乾燥する日が多い。ケッペンの気候区分では東京都全体が温暖湿潤気候(Cfa)として分類されるが、あくまで世界基準の分類であるため、東京都の多様な気候を十分に説明できていない。

春は、天気は周期変化で、晴れる日が多いが、発達した低気圧が通過して天気が崩れることもある。寒冷渦の影響で雷雨になる時もある。梅雨の時季には梅雨前線に覆われ雨の降りやすい天気が続く。前半は弱い雨が中心だが、後半は強い雨が降りやすい。まれに空梅雨の年もある。夏は、太平洋高気圧に覆われて、晴れて湿度が高く暑い日が多く、雷雨も発生しやすい。ただし年によってはオホーツク海高気圧の影響で曇りや雨のぐずついた天気になる場合もある。

秋は、前半は秋雨前線の影響で雨が降りやすくなる。また台風が通過して暴風雨となることもある。後半は天気は周期変化となり、晴れる日が多い。冬は、西高東低の冬型の気圧配置になりやすく、晴れて空気が乾燥する日が多い。2月から3月にかけては南岸低気圧が通過しやすくなり、都心では数センチメートル程度の積雪となることがある。ただし、多摩地方では20センチメートル以上の積雪となることもある。雪が積もると交通機関の運行が乱れることもある。

  • 東京都区部 - 気象庁露場のあった大手町付近の観測によると、日本全国で最もヒートアイランドの影響が大きい。1920年代には、年間70日程度観測されていた冬日は少なくなり、熱帯夜の日数は3倍以上に増加している。また、冬場は南九州の鹿児島市宮崎市よりも最低気温が高くなることもあった。那覇市を除いた全国の都道府県庁所在地の中では、横浜市千葉市神戸市大阪市などと並び最低気温が最も高くなることも珍しくなかった。しかし、夏場の最高気温自体はそれほど高くもない。一方、内陸寄りにある練馬区のアメダス観測[注 7][22]地域では冬日は珍しくなく、新宿区渋谷区などの都心部でも冬日の観測はよく見られる。また、気象観測所のある千代田区内においても大手町付近と気象庁露場の移転した北の丸公園とでは冬場の最低気温に違いが見られ、2012年1月の平均最低気温は大手町1.8℃に対し北の丸公園は0.4℃であり、冬日の日数では大手町3日に対し北の丸公園は11日である。これは、1月の気温に関しては練馬(平均最低気温−0.3℃、冬日17日)よりの気温である。これらの要因から、同じ都区内でも練馬区など内陸よりの郊外と中央区千代田区などの臨海部との気温差が大きいことが分かる。さらに、江戸川区の沿岸部にも江戸川臨海という名でアメダスが設置されており、そこも大手町よりも冬の最低気温が低くなることが多く、冬の大手町のヒートアイランド現象が極めて著しいことを表しているが、東京都区部の天気予報で表示される気温はあくまで大手町の露場の気温が基準となっていた。
  • 多摩地方 - 内陸性気候のため、冬場の最低気温で東京都区部とは非常に大きな違いがある。府中の1月の平均最低気温は−0.8℃、青梅で−2.3℃、八王子で−2.0℃、奥多摩では−3.0℃と氷点下まで下がり、都心部との気温差が5度以上になることも珍しくない。また、冬には南岸低気圧によって、大雪をもたらすこともあり、20センチメートル以上の積雪となることも多い。都心部が霙や雨でも気温が低い多摩地方では雪になることが多い。特に奥多摩町檜原村青梅市山間部などの多摩西部では11月頃からが降ることもある。
  • 伊豆諸島 - 海洋性気候で、年間を通じて寒暖の差は小さい。真冬の平均気温は7℃ - 10℃前後と温暖な気候であるが、最も北に位置する伊豆大島では積雪することもあり、東京都心部より冷え込むことも珍しくない。より南にある八丈島三宅島はより温暖である。
東京都内各地の気象データ(出典:気象庁・気象統計情報)
平年値
(月単位)
23区多摩大島新島三宅島八丈島小笠原諸島
東部西部北部南部西部
江戸川区
臨海町
千代田区
大手町
大田区
羽田
練馬世田谷府中八王子青梅奥多摩町
小河内
檜原村
小沢
大島町
大島
新島村
新島
三宅村
三宅島
八丈町
八丈島
小笠原村
父島南鳥島
気候区分CfaCfaCfaCfaCfaCfaCwaCfaCfaCfaCfaCfaAw
平均
気温
(°C)
最暖月26.0
(8月)
27.1
(8月)
26.9
(8月)
26.2
(8月)
25.8
(8月)
25.1
(8月)
23.0
(8月)
25.3
(8月)
26.4
(8月)
26.1
(8月)
26.5
(8月)
27.6
(8月)
28.2
(6,8月)
最寒月5.6
(1月)
5.8
(1月)
4.5
(1月)
4.1
(1月)
3.1
(1月)
2.7
(1月)
1.3
(1月)
7.0
(2月)
9.1
(2月)
9.4
(2月)
10.3
(2月)
17.7
(2月)
21.3
(2月)
降水量
(mm)
最多月193.2
(9月)
208.5
(9月)
207.0
(9月)
220.4
(9月)
225.8
(9月)
223.7
(9月)
261.0
(9月)
243.4
(9月)
286.6
(8月)
297.1
(8月)
373.8
(9月)
282.0
(9月)
371.3
(9月)
443.5
(10月)
174.4
(5月)
166.9
(7月)
最少月33.2
(12月)
39.6
(12月)
34.9
(12月)
32.0
(12月)
38.6
(12月)
35.9
(12月)
32.2
(12月)
26.6
(12月)
26.2
(12月)
27.6
(12月)
93.6
(12月)
72.3
(12月)
133.6
(12月)
169.6
(12月)
61.4
(2月)
42.1
(2月)
降水
日数
(日)
最多月12.5
(6月)
11.9
(6月)
11.9
(6月)
12.5
(6月)
12.9
(9月)
12.7
(7,9月)
14.2
(9月)
14.2
(9月)
15.5
(9月)
14.7
(7月)
13.2
(6月)
12.9
(9月)
14.8
(3月)
16.6
(3月)
10.9
(10月)
14.6
(8月)
最少月4.5
(12月)
3.8
(12月)
4.5
(12月)
4.0
(12月)
4.5
(12月)
4.4
(12月)
4.1
(12月)
3.7
(12月)
3.2
(12月)
3.4
(12月)
6.7
(12月)
7.5
(12月)
9.5
(8月)
11.4
(7月)
7.2
(7月)
6.0
(4月)

地域

地域名

東京都は一般に、「区部」(東京23区、旧東京市)、「多摩地域(多摩26市3町1村)」、「島嶼部」(伊豆諸島小笠原諸島)の3地域に分けられることが多い。

東京都区部

区部では、旧江戸城皇居)を基準として「城北」「城東」「城南」「城西」と呼び分けることがある。区部の西側は武蔵野台地の末端部であることから「山の手」とも呼ばれる。区部の中心部には都市機能が集積しており「都心」と呼ばれる。「都心」の範囲は、統一された定義はないが、最も狭い意味では千代田区中央区港区の「都心3区」を指すことが多く、広い意味では区部全体が「都心」と呼ばれることもある(「都心#都心と中心部」も参照)。東京都庁では各種の都市計画において副都心を策定しており、今日では新宿副都心池袋副都心渋谷副都心上野・浅草副都心錦糸町・亀戸副都心大崎・品川副都心東京臨海副都心の7箇所を「副都心」と呼ぶことがある。

多摩地域

多摩地域は、かつての令制国多摩郡の名残りから、特別区部に含まれる東多摩郡以外の南多摩郡北多摩郡西多摩郡の総称として「三多摩」と呼ぶこともある。東京都心のベットタウンとしての役割を果たす一方で八王子市や立川市・府中市の様な大企業のオフィスや工場などがある都市もある。自然が都心部より残っている事から多摩地域はファミリー層などにも人気である。令制国時代は府中市に武蔵国府が国分寺に武蔵国分寺が置かれ、経済や政治の中心地となっていた。

東京都島嶼部

一方、島嶼部は、「大島支庁」「三宅支庁」「八丈支庁」「小笠原支庁」に区分されることもあるが、これは東京都庁の支庁の事務的な管轄範囲で区分するものであり、区域内の町村が支庁に属するわけではない。例えば、小笠原村の住所は「東京都小笠原村」であり、「東京都小笠原支庁小笠原村」ではない。

基礎自治体(区市町村)

東京都の区域内には、基礎自治体として以下の23区・26市・5町・8村の区市町村がある。町は全て「まち」、村は全て「むら」と読む。

東京都区部足立区荒川区板橋区江戸川区大田区葛飾区北区江東区品川区渋谷区新宿区杉並区墨田区世田谷区台東区中央区千代田区豊島区中野区練馬区文京区港区目黒区
多摩地域市部昭島市あきる野市稲城市青梅市清瀬市国立市小金井市国分寺市小平市狛江市立川市多摩市調布市西東京市八王子市羽村市東久留米市東村山市東大和市日野市府中市福生市町田市三鷹市武蔵野市武蔵村山市
西多摩郡奥多摩町日の出町瑞穂町檜原村
東京都島嶼部大島支庁大島町利島村新島村神津島村
三宅支庁三宅村御蔵島村
八丈支庁八丈町青ヶ島村
小笠原支庁小笠原村

旧令制国

歴史を踏まえると、令制国武蔵国の一部(概ね多摩川以北、及び概ね荒川以南)、伊豆国の一部であった伊豆諸島を併せたものが、現在の東京都の範囲に相当する。

地価

国土交通省発表の公的な地価である公示地価によると、東京都は日本で最も地価が高い都道府県である。平成30年発表の公示地価を東京都全体で平均した坪単価は340万2840円(平米単価は102万9359円)であり、日本で2番目に地価が高い大阪府(平均坪単価90万1015円、平米単価27万2557円)の3.78倍もの平均値となっている[24]。東京五輪開催を控えた東京都の地価はさらに上昇しており、東京都の公示地価のうち、前年から発表が継続された地点の平成30年平均上昇率は前年比3.39%である(都道府県では全国2位、1位は沖縄県で平成30年の地価上昇率は5.74%)。

東京都内で最も公示地価が高い市区町村は中央区であり、平均坪単価は2568万4691円(平米単価776万9619円)。東京都内で最も地価上昇率が高い市区町村も中央区であり、平均上昇率は前年比7.48%である。以下、2位渋谷区(上昇率7.07%)、3位台東区(上昇率6.99%)と続く。

東京都内で周辺の公示地価が最も高い駅は銀座駅で、坪単価は1億1878万7878円(平米単価は3593万3333円)。銀座駅周辺は日本一公示地価が高い場所であり、例年、公示地価の発表が注目されている。一方、東京都内で最も周辺の地価上昇率が高い駅は明治神宮前駅である。平均上昇率は前年比14.83%であり、銀座駅周辺の上昇率11.79%を上回る。以下、2位原宿駅(上昇率14.47%)、3位築地市場駅(上昇率13.51%)。なお、原宿駅では2020年に向けて総事業費550億円を投じた大規模な商業・住宅系の複合開発事業が進行しており、周辺の地価高騰に影響していると考えられる[25]

隣接自治体

埼玉県千葉県神奈川県と隣り合い、奥多摩の山岳地帯で山梨県とも接している。陸地で境界を接するのは以下の通りである。

埼玉県の旗埼玉県
千葉県の旗千葉県
神奈川県の旗神奈川県
山梨県の旗山梨県

人口

2015年(平成27年)10月1日時点の東京都の人口は、平成27年国勢調査によると1351万人である[26]。これは、その前の平成22年国勢調査の「1316万人」と比べ、およそ35万人増えており、2.7%の増加であった[26]

Demography13000.svg
東京都と全国の年齢別人口分布(2005年)東京都の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 東京都
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

東京都の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

年齢構成

高齢者

2010年(平成22年)時点で、東京都の高齢化率は20.4%であり、つまり高齢者が5人に1人に及んでいる[26](今後も老人人口が増えると見込まれ、2020年には、東京に住む4人に1人が高齢者になると見込まれている[26])。

一人暮らしの高齢者は、2010年(平成22年)時点で62万人[26](その10年後の2020年には80万人を超えると見込まれている[26])。

年少者

東京都の年少者(0〜14歳)人口は、すでに老人人口より小さい[26](将来的にも減少が見込まれる[26])。

昼間人口・夜間人口、昼間流入人口

昼間人口と夜間人口

2015年(平成27年)時点で、東京都の昼間人口は およそ1592万人。それに対して夜間人口は1352万人[27]。これは、東京都内の職場へと通勤する人々や、都内の学校へと通学する人々によって、昼間の人口が増えているということを示している[26](昼間だけ、東京から周辺の都道府県へと通勤・通学する人々もいるが、その数よりも流入する人口の方が大きいので、差引して、昼間の方が241万人多い、という現象が起きている)。多摩地域と東京周辺県(隣接しない茨城県栃木県群馬県の南部を含む)には東京のベッドタウンが点在し、静岡県東部や新潟県南部などからの新幹線通勤者も存在する[28]

昼間流入人口

区部への昼間流入人口は、1980年(昭和55年)に266万人だったのが徐々に増え、1995年(平成7年)に372万人とピークを迎え[26]、その後は徐々に減少し2015年(平成27年)に318万人になった[27]。昼間の流入人口が多いということは、それらの人々が区部で昼間に様々な活動(生産活動や消費活動)を行い活気を与えているという意味がある。だが、これは同時に、災害時には大量の帰宅困難者が生じるリスクを孕んでいることも意味する[26]東日本大震災の時には、東京都で約352万人が帰宅困難者になったと推計された(内閣府が2011年11月22日に発表したインターネット調査に基づく推計。詳細は「東日本大震災による帰宅困難者」の記事を参照のこと)。

歴史

第二次世界大戦中の1943年7月1日に、東京市東京府が廃止され、東京都が設置された。初代東京都長官は、内務省出身の大達茂雄であった。第二次世界大戦末期の1945年3月10日には東京大空襲によって下町は焼失し、それに前後する空襲による被害も合わせて、東京市街の多くが「焼け野原」と化した。また、小笠原諸島の硫黄島では地上戦が行われ、日米両軍で多くの損害を出した。

戦後の政府は首都たる東京の復興を最優先し、東京都戦災復興都市計画では放射状に延びる幹線道路34路線や環状線8路線および、都内の道路の整備が計画されたものの、結局は挫折したとされる。1964年開催の東京オリンピックによって戦後復興は終結し、東京は高度経済成長の中で新しい日本の政治・経済の中心として大発展を遂げる。1962年には東京都の常住人口(夜間人口)が世界で初めて推計1千万人を突破[29][注 8]、経済面においても烈しい東京一極集中が進み、現在もこの傾向は加速する一方である。

また、東京都内でも新宿渋谷池袋などの都区内西部にあるターミナル駅周辺が副都心繁華街として急速に発展した反面、浅草の衰退に象徴される都区内東部の停滞傾向が問題とされた。ドーナツ化現象により都区内人口は1966年の810万人をピークに緩やかな減少を始めた。一方、多摩地域では都区内への通勤者により急激な人口増が起こり、戦前には八王子市立川市のみだった市の数が26にまで増加し、人口比も高まった。稲城市多摩市・八王子市・町田市にかけて広がる多摩丘陵には多摩ニュータウンが建設され、それ以外でも農地武蔵野の丘陵・森林・原野から団地など住宅地への転用が進められた。

1968年、小笠原諸島および火山列島が米国より返還され、東京都へ編入された。1991年には新宿に都庁新庁舎が完成し、東京の新たな象徴となり、新宿は「新都心」と称されるようになった。1999年石原慎太郎が都知事に就任して以降は、品川丸の内汐留および臨海副都心などの都市再開発、幹線道路の整備が進められるが、区画整備は行われず複雑な道路事情となっている。超過密都市であるため、震災に対する全体としての不燃化や安全化などが都の条例などで進められている。

東京では高度経済成長期からバブル景気期にかけて賃金や資産価格の高騰が著しく進み、1980年代〜1990年代には地価物価が世界でもトップレベルであった。1990年代初めのバブル崩壊に伴い地価は暴落。1998年以降はデフレを背景に物価の下落が進み、為替レートの変動もあって、2010年代には既に世界のトップレベルの物価ではなくなっている[30]。東京の地価もバブル期以降長らく下落傾向にあったが、2012年頃には大半の地点で上昇に転じた[31]

2020年に2度目の開催となる東京オリンピックパラリンピックが予定されており、それに向けてインフラをはじめとする資本整備が新たに進められていく予定である(2020年から本格的な流行が確認された新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響により東京大会は2021年に延期予定である)[32]

政治

都政

東京都の組織は、議決機関としての議会と、執行機関としての知事等に大別することができる[33]。議会と執行機関とは、対等の地位にあり、互いの行動をチェック(評価・監視)する「二元代表制」の関係にある[33](チェック・アンド・バランスの関係[33])。

東京都の組織は、都域全体の政治(都政)と区部における都市の政治を担っている。

東京都議会

議決機関東京都議会である。これは日本国憲法および地方自治法の規定により設置されている[33]。議会を構成する都議会議員は、東京都民によって選挙で選出される[33]

東京都庁

執行機関は、東京都知事を代表とする東京都庁であり、議会の決定事項に基づいて事業を実施することを主たる任務としている[33]。東京都知事の任期は地方自治法により4年と定められている[34]。都知事は都民によって選挙で選出される[33]

東京都庁は、いわば区部の行政機関(市役所)と一般の県庁の両方の機能を併せ持つ。しかし、近年都庁から各特別区への権限委譲が進んでいるため、その特殊性は薄れ、一般の道府県に近づいている。

域内における基礎自治体市町村)は26市・5町・8村がある。他に特別地方公共団体である23の特別区がある。特別区は、市に準ずる基礎的地方公共団体とされており、日本では東京都の区域内にのみ存在する。特別区は、他の政令指定都市の「区」とは大きく形態が異なる。区長と区議会は公選制であり、近年には都からの権限委譲が進んでおりほとんど「市」と同様の自治体になっている。しかし、住民が区から市への名称変更に抵抗があること、残る権限委譲についてまとまっていないことから、現在でも「区」との名称が残っている。

このほか、域内における地方公共団体として、特別区の一部事務組合である特別区人事・厚生事務組合東京二十三区清掃一部事務組合(旧:東京都清掃局)、特別区競馬組合市町村の一部事務組合(34団体)、財産区(1市2町に8つの財産区)がある。

財政と事業

東京都の財政状況は、景気の回復による都税収入の増加と、石原慎太郎都知事による施政下での緊縮財政によって、2000年前後の最悪の水準から大幅に回復した。一般会計が他の会計から借り入れる「隠れ借金」も2006年度で完済する目処が立ち、2005年度の一般会計では16年ぶりの黒字決算となり、2016年度時点の収支は均衡、経常収支は黒字を確保している。起債依存度は全国の自治体で最低の5.0パーセントと財政の健全化が進んでいる。2016年時点、都道府県で唯一地方交付税交付金を受け取っていない自治体となっており、歳入のうち地方税の占める割合は74.3%(全都道府県平均45.1%)と極めて高い[35]

特別会計や監理団体なども含めた東京都の連結での負債は、2004年度末に16兆9508億円、都民一人当たりの負債額は約135万円と共に全国最多であったものが[36]、2015年度末には9兆522億円、都民一人当たり約66.7万円となり、減少傾向にある。実質公債費比率は0.7%、将来負担費比率も49.7%と低く、完全な財務体質を維持している[35]

かつて連結での財政を悪化させた要因は第三セクターの財政問題である。東京都が推進した臨海副都心開発事業では、東京テレポートセンター東京臨海副都心建設竹芝地域開発東京ファッションタウンタイム二十四の臨海関連第三セクター5社が相次いで経営破綻するなどの問題が発生し、5社の頭文字を取って「5T問題」と呼ばれた。他にも、国際貿易センター東京臨海高速鉄道東京都地下鉄建設、などの問題を抱えた(但し、東京臨海高速鉄道・東京都地下鉄建設という交通インフラは未来投資であり負債ではなく資本若しくは劣後債であることに注意されたし)。また、石原都知事の主導により中小企業金融を名目として2003年平成15年)に設立された新銀行東京は、巨額の赤字を計上し、東京都による追加出資が必要となる事態となったが、2010年度以降黒字化、2016年舛添要一都知事によって東京TYフィナンシャルグループに売却された。

生活保護を受けている世帯は、2005年4月時点140,848世帯で、人数は187,773人に上る。

国政

衆議院小選挙区が25。参議院では、全都で1区を構成する。

経済・産業

世界第3位の経済大国の中心として、日本経済のみならず、世界経済でも大きな地位を占めている。2014年度の都内総生産は約93兆円[37]であり、日本の国内総生産の20%近くを占めている。東京都を中心とした首都圏は米国ニューヨーク都市圏などを上回り、世界最大の経済規模を有する都市圏である[38]フォーブス・グローバル2000においては、世界レベルの大企業本社数がニューヨークやロンドンなどを上回り、世界で最も多い都市と評価された[39]2021年3月発表の調査結果によると、世界7位の金融センターである[40]

経済史

前史

江戸時代

江戸時代江戸は、江戸幕府や諸大名の藩邸が置かれ、政治の中心地であるとともに、国内最大の消費地であった。また、貨幣では金貨の流通が主流で、「江戸の金経済圏」を形成していた。しかし、「日本の富の7分は大坂に」と呼ばれたように、経済の中心地は大坂であった。また、江戸時代の税制は、天領旗本からの税収が主体であり、今日のような中央集権的な税制ではなかった。

明治維新

明治政府東京市に本拠地を置くと、欧米列強に伍する国力を持たせるために、行政機能の東京への集中を進めた。行政では、廃藩置県を実施して行政の中央集権を進め、地方統治は、地方在住の藩主から、中央から派遣される県知事に代えた。しかし文化・経済の面では、富裕層が多かった京都大阪神戸の比重が依然として高く、これは戦時体制が取られるまで変わらなかった。

第二次大戦

昭和10年代以降、戦時体制が作られると、経済面での東京一極集中の流れが強まり始めた。例えば、東京府新聞社は政府によって合併を強制され、朝日新聞毎日新聞読売報知日本経済新聞の4社の全国紙と、地方紙である東京新聞に整理された。この他、東京に本社を置く企業同士の合併と、京阪神に本社を置く企業と資本家の東京への移動も昭和10年代に相次いだ。

第二次大戦終盤以降

第二次世界大戦終戦直前になると、東京府と東京市が統合されて東京都制が敷かれた。ここからが東京都としての経済史である。

統合されたことで行政上の権力が強まった。中央集権と一極集中の傾向は第二次世界大戦後も続いた。1953年昭和28年)2月に日本放送協会テレビ放送を創始したのを皮切りに、民間放送のテレビ局も幾つか設立された。しかし、情報の独占を狙う日本の中央政府によって、東京都区部以外には、テレビのキー局の設立が事実上認められなかった。

高度経済成長期には、特に1964年東京オリンピックの前後に建設ラッシュが起きて、これに必要な労働力が「金の卵」として東日本各地から集められた。バブル経済の時期にも、東京都区部で地価が高騰し、「首都志向」の波が地方にも押し寄せた。この時期には、東京都の私立大学に進学する者が急増した。

バブル経済が破綻した後も、より一層、東京都区部への一極集中が加速している。そして、一極集中が加速するに連れて、製造業の本社が数多く興った地方都市や、本社が多く集まっていた他の大都市から、東京都区部に本社(本社機能)を移転する傾向が現れている。その結果、国内総生産における東京都(多摩地域と伊豆小笠原諸島を含める)が占める割合は6分の1に上り、全国の証券取引所における証券取引の約8割を東京証券取引所が占めるなど、日本経済において東京都は圧倒的な地位を占めるようになった。

1998年平成10年)に橋本龍太郎政権が実施した金融ビッグバン以降、東京都区部の渋谷区港区にはIT企業が集中するようになり、新産業として特に青年労働力を吸収するようになった。また、既存の企業も情報化を進めるようになり、知的労働者を中心に東京都区部に労働力が集中するようになった。

そして、不良債権処理のため、企業が社宅や遊休地を転売したり、旧国鉄の跡地が民間に払い下げられたり、公有地の用途指定が変更になって埋立地等が住宅地転用できるようになったりしたため、都心や沿岸部を中心に高層マンションが次々と建てられるようになった。すると、高層化によって比較的安価になった物件が増加し、郊外から都心に住み替える世帯が増加するようになり、「土地バブル」の様相を呈している。

金融ビッグバンなどの影響で、外国資本が東京都区部に流れ込むようになると、株式不動産投資信託などの金融部門で財を成した成金が現れ、六本木ヒルズなどの超高級マンションに住む者もいる。こうして、東京都区部では、山手線圏内には、都心に居住する富裕層の増加や「IT成金」の出現により、吸引力が一層強まっている。一方で、山手線圏外の特に北側や東側には、富裕層が集まる山手線圏内とは対照的に、生活保護を受ける貧困層が急増しており、二極化が顕著になっている。

他の地域から東京都区部へ通勤する者は、「○○都民」(例:茨城都民)と言われることがある。また、多摩地域在住あるいは同地域から東京都区部へ通勤する者を、「多摩都民」と呼ぶことがある。バブル経済期に地価高騰が起こった際には、東京への通勤圏は、「北は宇都宮から、西は沼津から」と言われるまでに拡大した。近年では、都心部分への回帰現象も起こっている。

過剰な一極集中に対する反省から、国会で首都機能移転が論議された。しかし危機的な財政状況などから首都機能移転の論議は実質的に中断しており、最近では千代田区や港区など都心部の再開発が行われるなど、再び都心回帰の傾向が見られる。また、経済面では、情報通信インフラの整備に伴い、本社機能を東京に置く必要がないとして移転する企業も見られているが、少数である。

この現状に対し、東京で地震などの自然災害が発生した場合、日本経済が大打撃を被る可能性がある。その上に75年周期で襲来する関東地震東海地震とは異なる直下型)が近い将来起きることが予想されているため、東京への過剰な一極集中に対して、懸念の声が高まっている。

学区別平均年収

山手線の内側の地価が高い傾向があり、山手線の内側で学区別平均年収の最も高い地域港区立南山小学校の学区で1409万円、山手線の外側では大田区立田園調布小学校の学区で1016万円である[41]

産業構成

東京都の総生産の産業別構成比は、第一次産業が0.4%、第二次産業が18.1%、第三次産業が81.5%である(2016年度)。このように、第一次産業が占める割合は極めて低く、第三次産業が占める割合が極めて高く、サービス業、卸売業、小売業の比率が高い。特にマスコミは、日本国内における主要な企業の大半が東京に集中している。

東京には、大手企業の本社や、外国企業の日本法人の本社などが数多く立地している。財界と呼ばれる主要経済3団体(日本経済団体連合会経済同友会日本商工会議所)の本部も所在する。この点から、東京都は、本社の存在によって経済が成り立っている「本店経済都市」と見なすことができる[注 9]。また、東京都区部は関東地方の中心的な都市でもあるので、東京都に置かれる本社は、関東一円をエリアとする「関東支社」「関東支店」を兼ねる場合も少なからずある。このため、東京都は支店経済都市という側面も持っている。

農林水産業

東京都の耕地面積は7330ヘクタール(2015年、農林水産省[注 10]で、全国最低である。ただし耕地率は高知県大阪府より上回っている。農地は多摩地域に集中し[注 11]、区部の農地は年々縮小している。農地が全くない地区もあり、都心や副都心がある11区では地域の農業協同組合が組織されていない[注 12][43]。東京都では、大消費地に近い地理的特性から、野菜果樹花卉が主に生産されており、小松菜ホウレンソウが主要な生産物である。特に小松菜は、東京都中央卸売市場の総入荷量の内、32.5%(2000年、東京都)を占める。昔は練馬大根が特産物であったが、現在ではキャベツに取って代わられ、あまり生産されていない。またの生産量は全国8位で関東7都県(茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・東京・神奈川)全てが全国の栗の生産量ベスト10に入る[44]。一方、は全国の都道府県で唯一、農林水産省が指定する産地品種銘柄がなく、生産者による直売を除くと「東京都産米」の表記をした販売はできないが、青梅市の「江戸っ娘」などの特定ブランド生産は小規模ながら行われている[注 13]

畜産業は都市化の急激な進展によって、年々生産者が減りつつあるが、大消費地に近いという有利な条件を生かし、生産者は経営体質の強化を図っている。財団法人東京都農林水産振興財団・青梅畜産センター(旧:東京都畜産試験場)が新品種の開発に力を入れており、これまでに「エド[注 14]」「TOKYO X」(いずれも)、「東京しゃも」(軍鶏)、「東京うこっけい」(烏骨鶏)が開発されている。中でも「TOKYO X」はブランドとしての認知度が高まりつつある。近年、世田谷区の千歳烏山の造園工事店・吉実園がTOKYO Xを中規模養豚で飼育している事がテレビで放送された。元々は吉実園は農家で、今も23区内で畜産を行う希少な兼業農家である。(吉実園ではTOKYO Xの他、養鶏も行っている。なおTOKYO Xを場所が高級住宅街に近いのでセレ豚(セレブー)とテレビで紹介していた。)他にも練馬区大泉学園町で酪農を営む酪農家がある他、多摩には東京産和牛の肥育農家も存在する。(いずれも全国ニュースで登場している)

林業は木材価格の低下や、林業経営費用の上昇、林業従事者の高齢化などの要因により、衰退の一途を辿っている。東京都の森林面積は、東京都の総面積の約36.0%を占める。特に多摩地域西部の、あきる野市青梅市奥多摩町八王子市日の出町檜原村などに、スギヒノキなどから成る多くの山林があるが、森林の荒廃が進みつつあり、環境問題ともなっている。特に奥多摩の森林から毎年発生する大量の杉花粉は、花粉症の原因として、住民の生活に多大な悪影響を及ぼしている。

水産業は島嶼部で主要な産業の一つとなっている。かつて東京湾は「江戸前の海」と呼ばれ、江戸前寿司の語源となるような漁場であった。現在の水産業の中心は島嶼部であり、伊豆大島付近、八丈島付近の海域での漁獲量が多い。種類としては、鶏冠海苔が多く、くさやの干物のような特産物もある。

また多摩地方ではニジマス等の陸封型マス類の養殖が行われている。金魚は江戸川区に養魚池があるほか、葛飾区水元公園の旧水産試験場跡地で養殖を行っている。

製造業

東京都は、千代田区中央区港区新宿区などの、いわゆるオフィス街に日本を代表する多くの大手製造業の本社が立地する。京浜工業地帯の一角でもあることから、東京湾沿岸部を中心に事業所(工場)が多く集まる。特に大田区には、いわゆる町工場が多い。多摩地域では日野市府中市八王子市羽村市瑞穂町青梅市などにも大型の事業所が多くあり、これら地域の製品出荷額も多い。ただし、東京都内の製造業はこの数十年にわたって急速な減少基調にある。事業所数は1983年の9万7646カ所から減少を続け、2008年には4万0137カ所、調査方法が変わった2015年には2万7142カ所となってほぼ7割減となった。従業員数も1975年には100万人を超え、1983年でも94万4074人だったのが2008年には40万4917人、2015年には29万6132人となって40年間で7割以上の減少となった。製造出荷額は1990年の20兆4390億円から減少をはじめ、2015年には8兆5452億円で約6割減となった[46]。東京都経済労働局は、地価の高さや過去の公害にも起因する環境対策の厳格化などが交通の利便性を上回って製造業の都外流出要因となり、取引先である大工場の都外移転が中小工場の都外移転を更に加速していると分析している。

製造分野としては、印刷、情報通信機械、皮革精密機械の占める割合が多く、これらの分野での製品出荷額は全国1位である(2002年、東京都)。この他には、電気機械輸送用機械、一般機械の出荷額が多い。

商業

東京都の商業は、生産額が19兆4627億円(2001年、東京都)であり、都内総生産の内23.0パーセント(同)を占め、サービス業に次いで高い割合を占める。日本の商業において、東京都が占める割合は大きく、事業所数は10.5%、従業員数は14.3%、販売額は32.2%(2002年、東京都)に及ぶ。いずれも全国1位である。

特に卸売業の占める割合が大きく、事業所数は15.2%、従業者数は22.6%、販売額は38.7%(同)を占めている。事業所、従業員数に比べて販売額が大きいのが特徴で、取扱額が大きい事業所が多いことを示している。小売業は事業所数が9.2%、従業者数が10.2%、販売額が12.4%(同)で、卸売業ほど占める割合が大きくないが、全国1位である。東京都の卸売業と小売業を比較すると、事業所数では小売業が卸売業を大幅に上回るが、販売額では卸売業が小売業に比べて圧倒的な割合を占め、やはり卸売業では取扱額が大きい事業所が多いことが示されている。

東京都の卸売業は、事業所数57,653、販売額は159兆9582億円(2002年、東京都)である。事業所数では、従業員30人以下の小規模な事業所が多いが、販売額は100人以上の大規模事業所が約8分の5と、圧倒的な比率を占める。事業所は特に中央区に多い。産業小分類別に見ると、機械器具卸売業が販売額41兆3,760億円(同)で多数を占め、以下各種商品卸売業、建築材料、鉱物・金属材料等卸売業、飲食料品卸売業と続く。機械器具卸売業は、電気機械器具卸売業の占める割合が半数以上を占める。各種商品卸売業は、事業所数が149と非常に少ないにもかかわらず、販売額が40兆4903億円であり、非常に規模が大きい事業所があることが示されている。

東京都の小売業は、商店数119,016、販売額は16兆7460億円(2002年、東京都)である。商店数は区部に多く、販売額に占める割合も多い。特に中央区、新宿区、渋谷区など、百貨店家電量販店、各種専門店が集中する繁華街がある地域では販売額が大きい。

金融・保険業

東京都は日本のみならず、世界屈指の金融センターである。東京証券取引所は世界でも重要な証券取引所の一つであり、その他にも株式や金融商品の市場がある。関西発祥企業の相次ぐ東京本社機能拡充もあって大阪証券取引所の重要性が低下した社会変化を受け、2013年に両取引所が合併して日本取引所グループが発足すると従来の競合関係が改革され、専門性の高い一部取引を大阪取引所に集約する一方で東京証券取引所は一般的な株式売買を集約的に行う垂直的分業体制が整備され、国内の証券市場では圧倒的な優位を築いている。

東京都には、日本の中央銀行たる日本銀行の本店のほか、りそな銀行埼玉りそな銀行を除く都市銀行の本店、ゆうちょ銀行本店、大手証券会社、大手保険会社信託銀行の本社ないしは東京本部が置かれている。また、シティグループ香港上海銀行アリアンツAIGなどの日本以外の金融機関の日本法人本社や東京支店も特別区内にある。

イギリスのシンクタンク英語版が発表している「英語版 (GFCI)」によれば、2021年3月公表のランキングで世界7位となっている[40]。その一方、これらの金融機関や証券市場で形成される東京金融市場は、特に21世紀に入って顕著となった中華人民共和国の経済大国化の影響を受けてアジアでの絶対的な地位を喪失し、中国国内の上海や北京、中国の特別行政区となった香港、さらには東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国の経済成長の恩恵も受けるシンガポールなどとの域内競争が激化している。

出版

講談社小学館集英社などの全国規模の出版社の多くが、東京都区部に本社兼編集室を置いている。岡山市に本社を置くベネッセコーポレーション北九州市に本社を置くゼンリンなどが稀有な例外である。卸売は、トーハン日販の2社による複占となっている。トーハンは近年、物流の拠点を埼玉県桶川市に移した。

その他の産業

不動産業は、三井不動産三菱地所などの、大手不動産会社の本社が所在する。特に三菱地所は東京駅西側の丸の内地区の大地主であり、関東大震災の7カ月前にあたる1923年2月に竣工した8階建ての丸ノ内ビルヂングは「東洋一の高層ビル」と評され、この跡地に2007年に建設された丸の内ビルディングも旧ビルと共に「丸ビル」と呼ばれて、東京を代表する建造物の一つとなっている。

東京都ではオフィスビル・店鋪・マンションなどの需要が多く、丸の内日本橋六本木などでは大規模開発が進んでいる。バブル経済期に過熱した不動産価格は、その崩壊後大幅に下落したが近年では海外投資家による不動産投資も行われており、これらを受けて取引は活発化している。

この他、東京都には通信会社、IT関連広告代理店人材派遣など各種サービスを提供する会社の本社が置かれている。

生活・交通

警察

東京都の警察として警視庁がある。警視庁は、首都・東京都を管轄するため自治体の警察のみならず、首都警察としての性格も帯びる。

消防

都が設置し、東京都区部を管轄する消防として東京消防庁がある。ただし稲城市と島嶼部以外の自治体は、消防を東京消防庁に委託している。

交通

空港

東京都内には、東京国際空港調布飛行場大島空港三宅島空港八丈島空港新島空港神津島空港の各空港が存在する。

東京国際空港は、羽田空港とも呼ばれ、大田区南部にある。日本国内で最大の空港であり、世界でも有数の規模を有する。1978年5月の成田国際空港開港以降は日本の国内線を中心としているが、2010年10月に新国際線ターミナルビルが完成した。都心部との距離が近いため、日本政府の政府専用機や、国賓級の乗客が利用する外国政府の特別機も東京国際空港を使用することが多い。都心部との交通手段として東京モノレール京急電鉄がターミナル直下に乗り入れるほか、リムジンバスが都内の主要駅や主なホテル、近隣県の主な駅との間を結んでいる。他に路線バスやタクシーなどの連絡手段も利用される。

東京国際空港から発着する以外の国際線は、千葉県成田市にある成田国際空港から発着する。東京都との連絡手段は、開港当時には東関東自動車道経由のリムジンバスと、ターミナルから離れていた当時の成田空港駅(現:東成田駅)まで乗り入れていた京成電鉄スカイライナーに限られていたが、1991年3月から空港ターミナル直下に東日本旅客鉄道と京成電鉄が乗り入れるようになり、連絡状況は向上した。しかし東京都の都心部からはなお1時間程度を要することもあり、2010年7月に成田高速鉄道アクセスが開業した。

多摩地域には調布飛行場があり、新中央航空伊豆諸島へ少数の定期便を運航している。他の空港は島嶼部の空港である。伊豆大島にある大島空港には、調布飛行場、八丈島空港へ定期便が運航している。三宅島空港は、調布飛行場へ定期便が運航している。八丈島空港は、羽田空港へ定期便が運航している。新島空港神津島空港は、調布飛行場への定期便が運航している。小笠原諸島には空港が存在せず、交通状況の改善のために空港を建設すべきか、自然保護を優先すべきか、論争を引き起こしている。

また、伊豆諸島では東京愛らんどシャトルが就航している。

鉄道

東京都に所在する駅数は654駅であり、日本の都道府県で最も駅数が多く、最も面積が広い北海道(522駅)と比較しても100駅以上多い。

世界全体でも屈指のインフラである。

東京都の区部は東日本旅客鉄道山手線環状運転を行っており、沿線を環状に連なる東京駅上野駅池袋駅新宿駅渋谷駅品川駅などの各駅が鉄道各線を結節するターミナル駅として機能している。山手線の東側は京浜東北線横須賀・総武快速線上野東京ライン東海道線宇都宮線高崎線常磐線)が、西側は埼京線湘南新宿ラインが並走する。山手線の内側は中央線快速中央・総武緩行線のほか、東京地下鉄都営地下鉄による地下鉄13路線が縦横無尽に張り巡らされている。地下鉄路線のうち10路線は相互直通運転を行っており、多摩地域のほか埼玉県、千葉県、神奈川県まで直通列車が終日運行されている。

世界一の乗降人員を記録する新宿駅は都心西部(新宿副都心)の中心的な駅であり、中央線の他に京王線小田急小田原線が当駅と多摩地域を接続する。東京の玄関口である東京駅東海道新幹線東北新幹線を始めとする新幹線の起点であり、特定都区市内および東京山手線内の中心駅とされている。

関東地方に本社を所在する大手私鉄9社すべての列車が区部に乗り入れ、うち8社が自社路線を有する。設立や路線建設の経緯から路線網の大半が区部にある東京地下鉄のほか、小田急電鉄京王電鉄京急電鉄京成電鉄西武鉄道東急電鉄東武鉄道の各社路線が区部に乗り入れ、そのほとんどの主要路線は山手線と接続する。その一方で東武伊勢崎線は営業キロが100キロメートルを超える長大路線でありながら山手線の接続駅を有しないが、1962年に北千住駅を介して営団地下鉄日比谷線(現:東京メトロ日比谷線)と相互直通運転を開始して利便性を確保している。北千住駅は山手線が通らない区部の駅で最も乗降人員が多く、同路線を含めて5路線が乗り入れる。大手私鉄の中で唯一東京都内での自社路線を持たない相模鉄道は2019年に開業した相鉄・JR直通線により新宿駅への乗り入れを果たした。この他、第三セクター鉄道として開業した首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスを運行して秋葉原駅に乗り入れ、放射系鉄道網の一つとなっている。

「放射系」の充実が進む一方、山手線を挟んだ東西のエリアでは南北方向の鉄道路線が乏しい状況が続いており、東京メトロ有楽町線豊洲駅から同半蔵門線住吉駅まで支線を伸ばす計画[47]や、「環状系」のメトロセブンエイトライナーといった構想がある。

多摩地域は東京駅と新宿駅に直通する中央線の輸送人員が特に多く、京王井の頭線に接続する吉祥寺駅南武線青梅線に接続する立川駅横浜線八高線に接続する八王子駅にそれぞれ繁華街を有する。中央線の北側に西武新宿線西武拝島線、南側に京王線京王高尾線が並走し、いずれも新宿方面に線路が伸びる。一方で中央線を縦断する路線は少なく、武蔵野線多摩都市モノレール線が挙げられる程度である。神奈川県に隣接する町田駅も多摩地域では有数のターミナル駅であるが、こちらは前後の駅を神奈川県に挟まれており、小田急小田原線が新宿方面とのアクセスを担っている。町田市内からは小田急線の北側に京王相模原線、南側に東急田園都市線が並走している。多摩ニュータウンの中心駅である多摩センター駅には京王相模原線と小田急多摩線が乗り入れる。どちらの路線も新宿駅に直通する列車が終日に渡って運行されており、競合路線となっている。

東京都内を運行する中量輸送機関には、東京モノレール羽田空港線ゆりかもめ日暮里・舎人ライナー、多摩都市モノレール線、都電荒川線東急世田谷線があり、通勤通学や空港アクセスの機能を担っている。また、大量輸送機関である普通鉄道には中量輸送機関と大差のない輸送量や運行距離の路線もいくつかあるが、いずれも地域住民の生活に密着した存在として運行されている。

道路

東京都区部とその周辺地域には首都高速道路が建設されている。都心部は都心環状線中央環状線の二重の環状線が取り巻いており、これらの環状線を貫く形で、1号羽田線2号目黒線をはじめとする放射線が都心部から外周部へ向けて延びている。これらの放射線の多くは、外周部において東日本高速道路株式会社および中日本高速道路株式会社が管理する高速道路と接続している。都内の他の高規格幹線道路地域高規格道路は、新滝山街道を除き、東日本高速道路株式会社および中日本高速道路株式会社が管理している。都内の高速道路にサービスエリアは存在しない。

バス

東京都区部では東京都交通局が運行する都営バスが広範囲なバス路線を有している。

東京都内の路線バスは、事業区域を社局間である程度分けて運行されており、他県で見られるような路線の大幅な競合・共同運行等は比較的少ない。城東地区では東武バス京成バスなどが、城北地区では東武バス、西武バス国際興業バスなどが、城西地区は京王バス小田急バス西武バス関東バスなどが、城南地区は京王バス、小田急バス、東急バス京急バスなどの事業者が多数の路線を運行している。北多摩地域周辺では京王バス、小田急バス、西武バスなどが、西多摩地域では都営バス、西東京バス立川バスなどが、南多摩地域では京王バス、小田急バス、神奈中バスなどが運行している。伊豆・小笠原諸島では一部の島において公営または民営の路線バスが運行されている。なお、一部の区市町村ではコミュニティバスを開設しているが、いずれもバス・タクシー等の事業者へ運行を委託しているもので、自治体自らが運行することはない。
東京都区部と武蔵野市・三鷹市・調布市・狛江市の一般乗合バスは前乗り後降りの均一料金制だが、都営バスと民営バスで運賃が異なる。コミュニティバスは使用車両により乗車方法が異なるが、均一料金制を採っている。それ以外の地域は、基本的に後乗り前降りの対キロ料金制を採っているが、一部で自由乗降制を採っている路線も存在する。
なお、東京都では高齢者向けの福祉事業として東京都シルバーパスを発行しており、都営地下鉄、都営バス、都電、日暮里舎人ライナーのほか東京都内を運行する各社路線バス(一部除く)で利用することができる。長距離バスは、東京駅新宿駅などの大規模ターミナル駅から、関東近県のほか本州各地への路線が多く発着している。

港湾

東京港は日本の主要港の一つでありスーパー中枢港湾の指定を受け、横浜港川崎港と一体となった「京浜港」として京浜工業地帯の経済活動を支えている。東京港内の竹芝埠頭には旅客ターミナルが整備され、ここから伊豆諸島へは東海汽船が、小笠原諸島へは小笠原海運が就航して、区部と島嶼部を結ぶ交通結節点となっている。また、臨海部では国内遠距離航路のフェリーや貨客船を扱う東京港フェリー埠頭に加え、2020年に開業した東京国際クルーズターミナルによる国際クルーズ船の誘客が目指されているが、新型コロナウイルス問題による東京オリンピックの開催延期や外国人の入国制限などにより遊休状態にある。また、主に観光目的で東京湾から隅田川にかけての航路が整備されているが、旧東京市内の東部に広がっていた河川や運河の水路網は戦後復興におけるがれき処理などで大半が埋め立てられ、東京都内での内水路利用は大阪と比較すると非常に限定的である。

医療・福祉

災害拠点病院
保育所

教育

高等教育機関

東京都公立大学法人は、東京都立の高等教育機関の運営を統括しており、東京都立大学産業技術大学院大学東京都立産業技術高等専門学校を設置している。現在の東京都立大学は2005年4月に「首都大学東京」として4校の都立大学が統合して開設されたものが2020年に改称した機関であり、2011年3月に閉学した東京都立大学とは異なる法人格を有する別の大学である。産業技術大学院大学は、2006年4月に専門職大学院大学として開設された。

なお、東京都内には東京六大学[注 15]をはじめとする多数の国立大学公立大学私立大学短期大学高等専門学校が本部を置いている。また、外国大学の日本校が東京都内に設置されている例もある。一方、在日朝鮮人の民族教育を主目的とする朝鮮学校の高等教育機関である朝鮮大学校も小平市に設置されているが、これは日本の教育制度では各種学校と扱われている。なお、キリスト教系の神学校の中にも各種学校の形で専門教育を行う高等教育機関が東京都内にある。

高等学校

都立高等学校は、2015年時点で188校ある。しかし、近年の生徒数減少に伴う東京都立高校の廃校や、学校・学科の統合(残存校への吸収・合併ではなくいったん廃校の後新設の形を取る)も多く発生している。また、定時制高校はかつて多くの高校に課程があったが、統合・閉課程により数が減り、町田高校のように在籍生徒数が400名を超える大規模な定時制課程も存在している。

なお、東京都内には、公立高校も私立高校も、共に非常に数が多い。

専修学校
特別支援学校
高等学校
中学校
小学校
幼稚園

マスメディア

マスコミと呼ばれる各種報道機関のうち全国をカバーする会社は、95%以上が東京都区部に本社を置いている。

テレビに関しては、NHK、「キー局」と呼ばれる日本テレビ放送網TBSテレビフジテレビジョンテレビ朝日テレビ東京民間放送5局が関東広域放送を行っており、各地方のテレビ局を系列下に置いて日本全国に情報発信している。都を放送対象地域とする県域放送局としては、東京メトロポリタンテレビジョン (TOKYO MX) がある。

ラジオにおいても同じような状況が存在し、TBSラジオ文化放送ニッポン放送がキー局となっており、NHK第1第2放送を含め、関東広域放送を行っている。また、都の周辺を含めて放送対象地域[48]とするものにInter FMが、県域放送局としては J-WAVEエフエム東京 (TOKYO FM) がある。その他、アメリカ軍による放送である AFN横田基地内から行われている。

これら県域放送局は隣県に所在するものも含めてスピルオーバーが大きく[49][50][51][52]関東平野のほぼ全域に電波が届いている放送局も存在するため、各局ともそれらを意識した番組編成を行っている。

新聞においては全国紙の本社が置かれている。朝日新聞社毎日新聞社は明治初期の1870年代に大阪で設立された後に既存紙買収の形で東京に進出したが、いずれも進出から1世紀以上を経過しており、朝日新聞は本社機能を東京本社に一元化し、地域本社制を続ける毎日新聞も東京本社の影響力が大きい。一方、世界最大の発行部数を誇る読売新聞社や、経済情報に特化した紙面構成を持つ日本経済新聞社はいずれも1870年代に東京で創刊され、読売新聞東京本社日本経済新聞東京本社の双方はそれぞれの会社の中核的機能を持っている。一方、戦前は東京での有力紙だった都新聞は戦中戦後の推移を経て名古屋に本社を持つ中日新聞社の傘下に入ったが、中日新聞東京本社は自ら発行する新聞を東京新聞とし、地域性に配慮した独自記事も多く掲載する東京唯一のブロック紙として刊行されている。その他、英字新聞や各種業界紙などの専門紙も、大手新聞社系と独立系の双方でその多くが東京都区部から発行されている。

文化・スポーツ

方言

東京中心部で話される方言東京方言)は山の手の山の手言葉と下町の江戸言葉(下町言葉)に大きく分けられ、そのうち山の手言葉は標準語(共通語)の母体となった。その後、上京者の増加や都心部からの住民流出(ドーナツ化現象)などによって在来の東京方言は衰退し、山の手言葉と下町言葉の違いも薄れ、現代では共通語との違いが曖昧化した首都圏方言が優勢となっている。また、多摩地方には多摩弁、島嶼部には北部伊豆諸島方言八丈方言小笠原方言がある。八丈方言は古代東国方言の面影を残す方言として知られ、日本本土方言の中で最も特異な方言とされる。

芸能、大道芸

東京都では2002年より、大道芸人の公認制度「ヘブンアーティスト」を実施しており、都知事の前でパフォーマンスを実演するテストで「合格」とされ公認されれば、「ヘブンアーティスト」を名乗り、そのパネルを掲げて都立公園などで(堂々と、公園職員などから追い払われることもなく)パフォーマンスを行うことができるようになる。

浮世絵は江戸で活躍した絵師が大半であった。落語上方発祥であるが、江戸時代後期には江戸での上演が多くなり、中心地となっていた。演劇の伝統は日本映画の基盤ともなった。

また、漫画アニメーションも東京で活動した作家が多く、現代の東京は「マニア文化」「おたく文化」の世界的な発信地となっている。なお、東京全般というよりも、秋葉原小金井(世界的なスタジオジブリの所在地)、西東京市(「ドラえもん」のスタジオ 等々、制作会社が多数)など、特に集中している地区、著名な場所がいくつかある。

落語同様に上方発祥ではあるが、17世紀末の元禄文化以降は江戸の庶民の間で圧倒的な人気を持っていた歌舞伎は明治以降も日本の伝統文化を代表する芸能分野の一つとして勢いを保ち、初代が1899年に現在の中央区で完成した歌舞伎座や1913年の松竹による経営権掌握などを期に近代化を進めた。東京大空襲による歌舞伎座の焼失や戦後のGHQによる演目規制を経て、歌舞伎座の再建や映画・テレビへの進出を通じて、現在でも歌舞伎は根強い人気を維持している。一方、この松竹歌舞伎に反発した前進座プロレタリア文学の影響を受けた築地小劇場に続く文学座俳優座などの新派系劇団が戦後にも活動し、さらには1960年代の学生運動高揚を背景としたアングラ演劇小劇場の登場もあって、2010年代の東京では港区浜松町の専用劇場を拠点に大規模な商業演劇を展開する劇団四季が活動する一方、世田谷区下北沢本多劇場では小劇場系の各グループが入れ替わりで公演を行うなど、多様な演劇活動が展開されている。

音楽

東京都歌がある。昭和22年4月に制定されたもので、作詞 原田重久、補作 深尾須磨子、作曲 加須屋博[53]

民謡
ご当地ソング

スポーツ

1964年には第18回オリンピック競技大会が開かれたが、2021年にも再び東京都を開催都市として、第32回オリンピック競技大会が開催される予定である[注 16]。この2021年オリンピックやそれに続く2020年東京パラリンピックでは新宿区と渋谷区に建設された国立競技場をメインスタジアムとし、1964年大会で整備された各施設の再利用に加えて臨海地区の各施設、調布市東京スタジアム (味の素スタジアム)や隣接する武蔵野の森総合スポーツプラザに新設された各施設も使用される。

日本野球機構(NPB)では2021年時点でセントラル・リーグ読売ジャイアンツ東京ヤクルトスワローズの2チームが東京都区部をフランチャイズとし、特に文京区東京ドームを本拠地とする読売ジャイアンツは墨田区出身の王貞治が同じく中心選手の長嶋茂雄とともに1965年から1973年までの9年連続で日本一になった実績や過去の地上波テレビ中継の影響などから全国的な人気を得ている。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)ではFC東京東京ヴェルディ1969が上記の東京スタジアム(味の素スタジアム)を共に本拠地として東京都全域をホームタウンとする他、町田市限定での活動を行うFC町田ゼルビアが加盟するなど、全体として多摩地域での活動が盛んになっている。競技としては古代以前、現行組織としても江戸時代の18世紀に起源を持つ大相撲は1925年に東京側(江戸相撲)が大阪側(上方相撲)を統合して日本相撲協会を発足させてから唯一の全国組織となり、紆余曲折を経て1984年には墨田区に現在の両国国技館を自己保有で建設している。

この他、日本オリンピック委員会、かつての日本体育協会が改称した日本スポーツ協会、および同協会に加盟するスポーツ競技組織は大半が京都区内に本部を置いており、第18回オリンピックが行われた1964年からは岸記念体育会館、第32回オリンピックを控えた2019年からはJAPAN SPORT OLYMPIC SQUAREと、いずれも渋谷区内の施設に集約されている[注 17]

観光

紋章・シンボルマーク

紋章

明治22年12月に東京市会で市のマークとして決定されたものを、昭和18年7月1日の都政施行の際に東京都が引き継いだ。デザインとしては、太陽を中心に六方に光が放たれている様子を表しており、東京の発展を願ったものであり、日本の中心としての東京を象徴している[1]

シンボルマーク

東京都の「T」を中央に秘めているということであり、都の木であるいちょうの葉を象ったというわけでないという。

ロゴマーク

東京都のブランド戦略の一環として2015年10月に舛添要一都知事によって「&TOKYO」のロゴマークが策定された。アメリカ合衆国のニューヨーク市の「アイ・ラブ・ニューヨーク」などに並ぶロゴマークとすることを企図している。茜色藤色支子色松葉色縹色の5つの伝統色で伝統と革新が融合する東京の歴史と多様性を表現しており、「&」の前に様々な言葉を入れることで、東京で活躍する様々な人々が東京の魅力や価値、東京への想いやそれぞれの活動を表現できることをコンセプトとしている。しかし、翌2016年に就任した小池百合子都知事肝いりの有識者会議「東京ブランドの在り方検討会」は28億円費やした割に浸透していないとしており、小池知事は見直しを示唆している[54][55]

対外関係

東京都は世界12の都市と姉妹友好都市関係を締結し、スポーツ・環境・文化など多岐にわたる交流を行う[56]。なお、都は姉妹友好都市に限らず、戦略的に交流関係を構築すべき都市を選定し、二都市間都市外交を推進していくとしている[56]

姉妹友好都市

国・名称
アメリカ合衆国の旗 アメリカニューヨーク市1960
中華人民共和国の旗 中国北京市1979
フランスの旗 フランスパリ市1982
オーストラリアの旗 オーストラリアニューサウスウェールズ州1984
大韓民国の旗 韓国ソウル特別市1988
インドネシアの旗 インドネシアジャカルタ首都特別州1989
ブラジルの旗 ブラジルサンパウロ州1990
エジプトの旗 エジプトカイロ県1990
ロシアの旗 ロシアモスクワ市1991
ドイツの旗 ドイツベルリン州1994
イタリアの旗 イタリアローマ市1996
イギリスの旗 イギリスロンドン2015

交流・協力合意を締結した都市

国・名称
ロシアの旗 ロシア・トムスク州2015
ベルギーの旗 ベルギーブリュッセル首都圏地域2016
アメリカ合衆国の旗 アメリカ・ロサンゼルス市2018

人物

東京都を舞台にした作品

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 海上を隔てて隣接。
  2. ^ 後述のように新宿は特別区であるため、東京23区東京と表記する場合もある。
  3. ^ 「多摩26市」ともいう。東京都市長会/多摩26市
  4. ^ 例として、市町村が行える消防上水道事務は、東京23区内においては、それぞれ東京都が設置した東京消防庁東京都水道局が行っている。また、通常は市町村税である固定資産税や市町村民税法人分は、東京都においては都が徴収する都税とされており、都が一括して徴収した後、地方自治法が定める「都区財政調整制度」に基づき、都と各特別区に配分される。
  5. ^ ただし、具体的な対応は出版社ごと、あるいは同じ出版社であっても地図ごとに異なることがある。平凡社地図出版 東京都の都庁所在地は?
  6. ^ 裁判官弾劾裁判所裁判官訴追委員会国立印刷局統計センター本部、国立公文書館本部、国立病院機構本部、製品評価技術基盤機構本部、駐留軍等労働者労務管理機構本部、日本銀行本店、勤労者退職金共済機構本部、高齢・障害・求職者雇用支援機構本部、福祉医療機構本部、労働政策研究・研修機構本部、日本貿易振興機構本部、原子力安全基盤機構本部、国際観光振興機構本部、自動車事故対策機構本部、医薬品医療機器総合機構本部、情報通信研究機構本部、国立青少年教育振興機構本部、国立文化財機構本部、情報処理推進機構本部、日本高速道路保有・債務返済機構本部、年金積立金管理運用本部、国立高等専門学校機構本部、大学評価・学位授与機構本部、石油天然ガス・金属鉱物資源機構本部、農畜産業振興機構本部、国際協力機構本部、新エネルギー・産業技術総合開発機構本部、中小企業基盤整備機構本部、宇宙航空研究開発機構本部、日本年金機構本部、住宅金融支援機構本部、郵便貯金簡易生命保険管理・郵便局ネットワーク支援機構本部、日本高速道路保有・債務返済機構本部、日本中央競馬会本部、日本貿易保険本部、日本私立学校振興・共済事業団本部、自動車技術総合機構本部、農林中央金庫本部、平和祈念事業特別基金本部、農業者年金基金本部、農林漁業信用基金本部、消防団員等公務災害補償等共済基金本部、国際交流基金本部、大学入試センター本部、日本スポーツ振興センター本部、日本司法支援センター本部、工業所有権情報・研修館本部、国立科学博物館本部、国立美術館本部、日本電気計器検定所電子航法研究所海上技術安全研究所労働安全衛生総合研究所経済産業研究所産業技術総合研究所交通安全環境研究所国立健康・栄養研究所国家公務員共済組合連合会本部、全国市町村職員共済組合連合会本部、日本消防検定協会本部、地方競馬全国協会本部、日本放送協会本部、高圧ガス保安協会本部、日本勤労者住宅協会本部、北方領土問題対策協会本部、日本学術振興会本部、日本芸術文化振興会本部、日本赤十字社本社
  7. ^ それでも、練馬の観測地は都市気候の影響が強いとの要因から2013年度から緑地公園内に移転。
  8. ^ なお、都内へ通う都外の通勤通学者を含めた昼間人口は1960年(昭和35年)の国勢調査で1000万人を既に超えていた[29]
  9. ^ 東京都の産業連関表でも「財」(農林水産業、鉱業、製造業、建設及び電気・ガス・水道)と「サービス」「本社」という3部門に分かれている。
  10. ^ 2003年の農林水産省調査では8460ヘクタールだったので、12年間で1330ヘクタール、約16%の減少となった。
  11. ^ 以下、JA東京が情報源とした農林水産省関東農政局統計部「東京農林水産年報」よると、西多摩地区が1130ヘクタール(全体比15.8%)、南多摩地区が1607ヘクタール(22.5%)、北多摩地区が2721ヘクタール(38.2%)で多摩地区合計が5458ヘクタール(76.5%)。区部が559ヘクタール(7.8%)、島しょ地区が1113ヘクタール(15.6%)。[42]
  12. ^ 「都心5区」と呼ばれる千代田・中央・港・文京・台東の各区、および副都心のある墨田・品川・渋谷・新宿・中野の各区、それに荒川区が該当する。また、江東区では一部地域のみに地域農業組合が存在する。
  13. ^ コメの産地品種銘柄がないことから産地や品種の証明が得られず、米穀検査を受けるメリットがないため「未検査米」「複数原料米」という表記での販売となる。本文中で記した、生産者直売の場合に可能な「東京都産米」の明示は表示枠外で認められる。[45]
  14. ^ 三元交配豚として産み出される。開発に用いられたランドレースの系統豚・エドは東京都畜産試験場が開発した豚である。
  15. ^ ただし、法政大学を除く5大学はいずれも東京都外にもキャンパスを持っている。
  16. ^ 当初予定では2020年開催だったが、新型コロナウイルス感染症の世界的流行に伴い1年延期された。
  17. ^ 全日本スキー連盟日本スケート連盟のように、競技特性として東京都内での試合開催が難しいウィンタースポーツ競技の団体も両施設内に本部を持つ。なお、日本サッカー協会全日本柔道連盟は文京区に独立した本部を置く。また、少林寺拳法連盟は日本での少林寺拳法創設地である香川県多度津町に本部があり、東京都外にスポーツ連盟の本部がある稀少例となっている。

出典

  1. ^ a b 『都政2012』, p. 14.
  2. ^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)
  3. ^ a b c ブリタニカ国際大百科事典
  4. ^ 百科事典マイペディア
  5. ^ 日本経済新聞”. 総人口5年連続減、日本人1億2643万人 首都圏に集中. 2020年8月5日閲覧。
  6. ^ “県と歪み増す政令市 大都市行政現状を探る”. 日本経済新聞. (2011年11月22日). http://www.nikkei.com/article/DGXNZO36675800R21C11A1L83000/ 2015年12月2日閲覧。 
  7. ^ 東京都公式サイト「職員定数の概要」
  8. ^ [1]東京都庁の位置を定める条例(東京都)
  9. ^ 東京都の県庁(都庁)所在地について - 東京都政策企画局
  10. ^ “[おしえて]地図に東京都の都庁所在地は「東京」と書いてあるのはなぜですか”. 読売新聞 夕刊 (東京: 読売新聞社): p. 16. (2005年4月30日) 
  11. ^ 東京都庁は新宿区にありますが,地図ではこの位置を「新宿」ではなく「東京」と表しているのはなぜですか。 - 東京書籍 教科書・図書教材 よくある質問Q&A 中学校「新編 新しい社会」
  12. ^ 世界の都市総合力ランキング(GPCI) 2016 森記念財団都市戦略研究所 2016年10月31日閲覧。
  13. ^ “The Global Liveability Index”. (2019年度版). http://www.eiu.com/topic/liveability 2021年3月19日閲覧。 
  14. ^ 2020 Global Cities Index/KEARNEY URL/ https://www.kearney.com/global-cities/2020 |2021年3月19日閲覧。
  15. ^ GFCI公式サイト URL/ https://www.longfinance.net/programmes/financial-centre-futures/global-financial-centres-index/gfci-29-explore-data/gfci-29-rank/ |2021年3月19日閲覧。
  16. ^ 日本の首都に関する質問主意書
  17. ^ 衆議院議員逢坂誠二君提出日本の首都に関する質問に対する答弁書
  18. ^ 全国都道府県市区町村別面積調 国土地理院 2013年11月28日閲覧
  19. ^ 静岡県 市区町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系) 国土地理院 2013年2月22日閲覧
  20. ^ 関東地方の東西南北端点と重心の経度緯度[リンク切れ] 国土地理院 2013年2月22日閲覧
  21. ^ 我が国の人口重心 -平成22年国勢調査結果から- 統計局 2013年2月22日閲覧
  22. ^ 「東京一暑い街」、ついに卒業? 練馬の観測所移転へ 朝日新聞2012年7月25日[リンク切れ]
  23. ^ お天気Q&A Archived 2009年8月8日, at the Wayback Machine.
  24. ^ 東京都の地価公示価格 2018年11月20日閲覧
  25. ^ NTT都市開発/原宿駅前で複合開発計画/総延べ2・7万平米、17年秋着工へ (2017年3月7日)
  26. ^ a b c d e f g h i j k 『都政2012』, pp. 20-21.
  27. ^ a b 平成27年国勢調査結果(総務省)
  28. ^ 湯沢町で暮らそう(2018年8月21日閲覧)。
  29. ^ a b 宇野 1991, p. 1123.
  30. ^ 世界で最も生活にお金がかかる都市トップ20 1位はロンドン、東京は19位[リンク切れ]
  31. ^ 地価上昇地区、全国の過半数に 大都市で回復鮮明
  32. ^ http://tokyo2020.jp/jp/plan/outline/
  33. ^ a b c d