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😷|福山市で新たに2人確認 同じ職場で6人感染 県内464人に


写真 TSSテレビ新広島

福山市で新たに2人確認 同じ職場で6人感染 県内464人に

 
内容をざっくり書くと
この会社では広島市で3人、福山市で3人の合わせて6人の感染が確認されていますが、6人全員が仕事で茨城県と埼玉県を訪問していたということです。
 

福山市は14日、30代と20代の男性会社員2人が新型コロナウイルスに感染したことが確認されたと発表し… →このまま続きを読む

 広島ニュースTSS

広島県と山口県岩国市で取材した事件、事故、災害、政治、経済、スポーツなど様々なジャンルの最新ニュースをお届けします。


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茨城県

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茨城県(いばらきけん、: Ibaraki Prefecture)は、日本関東地方に位置する県庁所在地水戸市

都道府県人口は全国11位、面積は全国24位である。

概要

茨城県は、関東地方の北東部に位置する県で、元の常陸国全域と、明治期に千葉県から移管された下総国猿島郡結城郡豊田郡岡田郡の全域および相馬郡葛飾郡香取郡の一部から成り立っている。県の人口は2,853,139人(2020年11月1日)で、日本の総人口の約2.3%を占めており、静岡県に次いで全国11位である。茨城県に次ぐ全国12位は広島県で、政令指定都市を持つ両県に挟まれる順位に位置する形だが、本県は政令指定都市を持たない県の中で最も人口が多い県となっている。県内に人口30万人以上の都市は存在せず、人口20万人以上の市も県庁所在地の水戸市を含めて2市[2]、10万人以上20万人未満の市も6市で、残りの24市10町2村は10万人未満の市町村となっており、特定の都市に集中せず県域全体に広く人口が分布している点も、本県の地形が平地に富んでおり可住地面積が全国上位であることと併せて特徴的である。面積は6,094km2霞ヶ浦北浦牛久沼涸沼などを含めない場合は5,874.20km2)で、国土の約1.6%を占める。県内の市町村数は44で、うち市は32、郡は7で、その下に10の町と2の村がある。2008年度における県内総生産は11兆5157億円[3]

県内各地域の繋がりは薄く、県北部は日立市ひたちなか市で工業化が進み、太平洋八溝山地のある緑豊かな地域を形成する。県中央部は水戸市に県庁が置かれ、小美玉市茨城空港が置かれる。県東部の鹿嶋市神栖市では鹿島臨海工業地帯を形成し、工業化が進んでいる。県西部は関東平野の中央部にあたる農業を中心とした内陸の地域となっている。県南部は、筑波研究学園都市が整備され、東京都区部ベッドタウンとしてのニュータウン開発も進められた地域となっている。

名称

由来

県名に使用される「茨城」は、国郡里制時代に置かれた茨城郡に由来するものである。「茨城」の名称自体は『常陸国風土記』まで遡るもので、同記序文には常陸国成立以前に置かれた6つのクニ(新治筑波茨城那賀久慈多珂)の1つとして見える。常陸国成立に際して、この茨城国を踏襲して成立したのが茨城郡であるとされる[4]

『常陸国風土記』の茨城郡条では、「茨城」の名称の由来として次の2つの説話が挙げられている。1つは、朝廷から派遣された大臣(多氏)一族の黒坂命が、先住民の賊を茨棘を用いて滅ぼしたというものである。またもう1つの説話では、黒坂命が人々を悪賊から守るため、茨で城を築いたという。これらは、いずれもヤマト政権の勢力拡大を英雄に仮託した起源説話としてよく見られるものであり、実際の起源については詳らかでない。以上の説話を別として「(いばら/うばら)の生えた地域」を指した呼称と見る説もある[4]

なお『和名抄』によれば、この茨城郡内には特に「茨城郷」が存在している。この茨城郷の比定地は石岡市茨城(ばらき)とする説が有力で、同地は常陸国の古国府や茨城郡の郡家も置かれたと推定される政治的中心地でもある。また付近の茨城廃寺跡(ばらきはいじあと)からは「茨木寺」の墨書を持つ土器が出土しており、「茨城」が古くは「茨木」とも記されたことが知られる[4]

明治維新後、藩県併置時代や廃藩置県の当初の段階では「茨城県」は設置されていなかった。その後すぐ行われた諸県の統合に際して、水戸・松岡・宍戸・笠間・下館・下妻の6県を主体として茨城県が成立したのが県名としての始まりとなる。これは水戸の属した茨城郡を県名に採用したことによるが、「水戸県」とならなかったのは水戸藩の新政府への貢献度が認められなかったためとされる。なお、水戸周辺は律令制時代には茨城郡でなく那珂郡に属したが、太閤検地の時に茨城郡に移管されている[4]

なお「茨城県」の「茨」の字は都道府県としては唯一、表外漢字字体であった(「茨」の部分は「次」ではなく「二欠」が正しい)[注 1]が、2010年の常用漢字改訂により常用漢字となっている。

読み

県名の「茨城」は、現在は「いばらき」と読まれる。大阪府茨木市も本県と同じく「いばらき」であるが、どちらも同様にしばしば「いばらぎ」と誤読されがちである[5]。一方、同じく県名に「城」が含まれる宮城県においては、連濁により濁音となる点が本県と異なる[注 2]。歴史的な読みとしては、前身の茨城郡について『和名抄』では「牟波良岐」[6]、『常陸国風土記』の天保10年(1839年)刊本では「うばらき」と読み仮名が振られる[4]。現在の読み「いばらき」は、この「うばらき」が転訛したものになる。

地理・地域

地方区分としては、関東地方首都圏北関東東関東東京圏などに分類される。東は太平洋となっており、北は福島県東北地方)、西は栃木県および埼玉県、南は千葉県と接する。

県の面積は全国24位だが、関東平野を含む平地に富むことから、可住地面積[注 3]では全国4位となる[8]

大地形

山岳地形
県の北側3分の1は山岳地帯になっている。ここは東北地方から茨城県北部にかけての太平洋側に連なる阿武隈山地(阿武隈高地)の南端に相当する。一帯は那珂川久慈川などの河川による開析が進んでおり、那珂川と久慈川に挟まれた地域を八溝山地、久慈川と里川(久慈川支流)に挟まれた地域を久慈山地、里川の東側を多賀山地[9]と呼んでいる[10]
八溝山地は県の北西部を南北に縦走し、栃木県との県境になっている。この北西端には県内最高峰の八溝山(標高1022メートル)は福島県・茨城県・栃木県の県境になっている。八溝山地を侵食して東西に流れる河川を境にして、いくつかの山塊に区別することもあり、押川(久慈川支流)を南限とする八溝山塊、那珂川を南限とする鷲ノ子(とりのこ)山塊、JR東日本水戸線が走る低地を南限とする鶏足(とりあし)山塊などと呼ばれる。なお、これに筑波山加波山を中心とする筑波山地(筑波山塊、筑波連山)を八溝山地に含める場合もある[10]
久慈山地は西の久慈川、東の里川(久慈川の支流)に挟まれている。この山地は北へいくほど東西の幅が狭くて標高が高いので、険しい。その北部を東西に短絡する月居峠[注 4]は古くから交通の要衝とみなされていた。この峠下には袋田の滝があり、県を代表する観光地になっている。この山地の主峰は男体山(標高653.7メートル)[10]
多賀山地は北へ行くほど幅が広く、なだらかな高原地形になっている。分水嶺は西側の里川に寄って偏っており、東側には大北川、花貫川、十王川(梁津川)などが入り込んで渓谷を作っている[10]
水系
県内を流れる一級河川には利根川那珂川久慈川があり、いずれも太平洋(鹿島灘)に注いでいる。
主要な河川として、利根川水系の支流鬼怒川小貝川が県西部を北から南へ流れている[8]。これらが合流する利根川の下流域は、古代には香取海と呼ばれる内海が形成されており、霞ヶ浦などはその名残と考えられている。なお、霞ヶ浦は西浦、北浦、外浪逆浦などに区分される場合もある[注 5]。このほか県内には牛久沼涸沼などの淡水湖沼がある[8]
利根川水系の主な支流には、鬼怒川、小貝川のほか、新利根川桜川。このほか江戸川中川権現堂川は茨城県と千葉県・埼玉県の県境の一部に、渡良瀬川は茨城県と栃木県の県境の一部になっている。
二級河川としては、大北川、などがある。詳細は茨城県の二級水系一覧参照。
平野部
県の中部から南部は関東平野の一部になっている。一帯を常総平野と呼ぶ場合もある[8]。また、阿武隈山地よりも南側の茨城全域を常陸台地と呼び、千葉県北部の下総台地も含めて常総台地と総称することもある。久慈川、那珂川、利根川の各支流など、常総台地を流れる河川を境としてさらに細かい台地に区分する場合もある[11]
このほか、筑波山地の東部を(旧八郷町、現在の石岡市の一部)と呼ぶ場合もある。
その他の主要地形

気候

太平洋側気候を呈し、冬季は少雨乾燥、夏季は多雨多湿となる。また、太平洋沿岸部は海洋性気候、内陸部は内陸性気候となる。全般に冬季は朝晩は沿岸部を除き放射冷却により気温が下がり、夏季は埼玉県に近接する一部地域を除き北東気流の影響を受けやすく比較的冷涼である。豪雪地帯に指定されている地域は存在しないが、南東部を除く地域、特に北西部山間部は南岸低気圧や北東気流の影響で局地的に大雪となることもある。なお、豪雪地帯に指定されている地域を持たない県としては最北端に位置する。

  • 北部沿岸部北茨城市日立市高萩市などが該当。海に面するため県内では比較的温暖な地方であり、日立の冬季の気温は北部にありながらも南部に位置する鹿嶋と共に県内で最も高く、1月の平均最低気温は0.1°Cである。一方、夏季は冷涼であり、北茨城では8月の平均気温が23.5°Cと県内で最も低く、年間通して海洋性の気候の特色が出ている。
  • 北部山間部常陸大宮市常陸太田市大子町などが該当。冬季の冷え込みは筑波山を除くと県内では最も厳しく、時に-10°C前後の冷え込みとなることもある。大子では1月の平均最低気温が-5.5°Cだが、夏の日中は猛暑日になるほど暑くなる。しかし、熱帯夜は稀であるなど内陸性の気候となっている。
  • 南東端部鹿嶋市神栖市などが該当。海洋性の気候であり、冬は冷え込みの少ない県内で最も温暖な地域である。特に、銚子に隣接する神栖市沿岸部は関東地方全体で見ても温暖な地域となっている。また、積雪となることは非常に少なく、夏は冷涼である。
  • 南西端部古河市などが該当。県内では最も夏の暑さが厳しい地域であり、しばしば猛暑日を記録する。埼玉県群馬県の平野部に近い気候特性で、冬季はからっ風の影響を受けやすい。朝晩の冷え込みは県内他地域に比べると幾分弱く、1月の平均最低気温は-1.7°Cと、太平洋沿岸部を除くと、内陸では霞ケ浦に隣接する土浦に次いで高くなっている。夏季の最低気温も古河は県内では最も高く、熱帯夜になることも珍しくない。
  • 中央部・南部平野部水戸市からつくば市龍ケ崎市にかけての県内の大部分が該当。冬季の気温は関東平野部では最も低い部類に入り、1月の最低気温平年値は、つくばで-3.2°C鉾田で-3.1°C、最南部の龍ケ崎でさえ-2.4°Cなどと低くなっており、過去にはつくばで-17.0°C(1952年2月5日)、龍ケ崎で-15.5°C(1984年1月20日)を記録した。このように、平野部でも-10°C以下まで下がることがあり、21世紀に入ってからも下妻筑西、鉾田では-10°C以下を観測している。しかし、霞ケ浦の影響を受ける地域では冷え込みが弱い。一方、夏季も北東気流の影響を受けやすいために、熱帯夜は少ない。水戸周辺などの東部地域では北東風により時に、突発的なゲリラ降雪をもたらす。また、晩春から初秋にかけて、まれに竜巻が発生する。
茨城県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
北部沿岸部北部内陸部中部西部南部南東部
北茨城日立大子常陸大宮市
小瀬
水戸笠間下妻古河つくば筑波山土浦龍ケ崎鉾田鹿嶋
平均
気温
°C
最暖月23.4
(8月)
24.6
(8月)
24.5
(8月)
24.3
(8月)
25.0
(8月)
24.9
(8月)
25.3
(8月)
26.1
(8月)
25.2
(8月)
20.7
(8月)
25.7
(8月)
25.4
(8月)
24.6
(8月)
25.1
(8月)
最寒月3.5
(1月)
4.4
(1月)
0.3
(1月)
1.5
(2月)
2.8
(1月)
2.1
(1月)
2.6
(1月)
3.2
(1月)
2.3
(1月)
-0.5
(1月)
3.6
(1月)
2.9
(1月)
2.5
(1月)
4.4
(1月)
降水量
mm
最多月206.7
(9月)
201.4
(9月)
214.9
(9月)
208.8
(9月)
193.9
(8月)
194.0
(9月)
190.4
(9月)
183.3
(9月)
186.6
(9月)
181.0
(9月)
168.2
(9月)
179.0
(9月)
196.6
(9月)
215.1
(9月)
最少月30.0
(12月)
28.9
(12月)
29.3
(12月)
26.9
(12月)
33.1
(12月)
29.0
(12月)
27.5
(12月)
22.6
(12月)
34.6
(12月)
26.2
(1月)
30.9
(12月)
33.6
(12月)
34.8
(12月)
49.2
(12月)

自然公園

国定公園
県立自然公園
  • 奥久慈県立自然公園
  • 花園花貫県立自然公園
  • 高鈴県立自然公園
  • 太田県立自然公園
  • 御前山県立自然公園
  • 大洗県立自然公園
  • 笠間県立自然公園
  • 吾国・愛宕県立自然公園
  • 水戸県立自然公園
ジオパーク

地域区分

地域区分と2020年11月1日推計人口
内陸側太平洋側
栃木県県北
0590,450人)
太平洋
県央
0456,823人)
県西
(532,937人)
県南
(1,005,187人)
鹿行
(267,742人)

県域は、自然的条件から、広義では県南、県央、県北、鹿行に四分される。さらに社会・経済的特性とくに都市化を条件に加えると広義の県南は県南、県西に二分される[12]

県庁が定める地域区分

茨城県には32市7郡10町2村がある(本県の町は全て「まち」、村は「むら」と読む)。それらは、県庁によって以下の5つの地域に区分されている。以下、地域内人口と、都市圏等を記載する(地域内人口は2005年国勢調査の値、都市圏の人口は2010年国勢調査に基づく都市雇用圏の値)。

茨城県は、全国47都道府県の内、11番目に人口が多い。総面積は全国24番目であるが、可住地面積では全国第4位である。特定の都市に集中せず、全体に広く人口が分布しているとも言えるが、地域圏でみると、人口約300万人のうち、約1/3が東京圏(列びにつくば都市圏)に含まれ、残りの200万人がそれぞれの地域で農業や小規模な商工業を基盤とした地域圏を形成している。

県北地域

人口590,450人。地域内に日立都市圏(328,078人)を有する。

市部
郡部(町村部)
県央地域

人口456,823人。地域内から県北地域にかけて水戸都市圏(654,860人)が存在する。

市部
郡部(町村部)
鹿行地域

人口267,742人。かつての鹿島郡(現・鉾田、鹿嶋、神栖の3市)と行方郡(現・行方、潮来の2市)から1字ずつとった名称である。学校の部活動の地区名など「県東(けんとう)」と呼ばれることもある。神栖都市圏(261,053人)は千葉県の一部にも広がりがある。

市部
県南地域

人口1,005,187人。地域内は東京都市圏の一部(323,872人)に含まれるほか、県内を中心とする都市圏では最大規模であるつくば都市圏(843,332人)を有する。

市部
郡部(町村部)
県西地域

人口532,937人。地域内は小山都市圏の一部(50,257人)、東京都市圏の一部(8,165人)に含まれるほか、古河都市圏(208,370人)、筑西都市圏(138,787人)を有する。

市部
郡部(町村部)

その他の地域区分

水戸地方気象台が気象情報や注意報と警報などを発表する区分は、県北地域、県央地域、鹿行地域、県南地域、県西地域に分けられている。これらに分類される市町村は県庁が定める地域区分と同じである。また、県北地域と県央地域を合わせて茨城県北部、鹿行地域、県南地域、県西地域を合わせて茨城県南部と表す場合がある(水戸地方気象台が気象予報や注意報と警報などを発表する場合など)。

北部・南部
かつての気象予報区や、陸運事務所の管轄はこれに近い。北部が茨城県( - 1875年5月6日)、南部が旧・印旛県(千葉県)北西部、旧・新治県北部に当たる。
北部・南東部・南西部
旧・新治県のうち現在茨城県の部分を、国道51号沿線の南東部(鹿行地域)と、国道6号沿線の南西部に分ける。この場合旧・印旛県のうち現在茨城県の部分は南西部となる。
「地方」に市町村名などを冠していう方法
市町村の事務組合で使用されることがある。

地域的特徴

北部(県央地域と県北地域。1875年5月6日までの茨城県)と南部(旧・印旛県北西部、旧・新治県北部)では地域色が異なっており、旧・新治県でも、国道51号沿線(大洗鹿島線鹿島線)と国道6号常磐線)沿線、旧・印旛県でも国道6号(常磐線)沿線、つくばエクスプレス沿線、県西地域とでは、経済的基盤も異なっている。

北部で人口が減少し、南部で人口が増加傾向にある状態を「南北格差[13]」または「南北問題[14]」と呼ぶことがある。地域格差を解消するための施策として、県では、2006年から2010年度までの5ヶ年計画で、鹿行・県南・県西の各地域を「南部広域連携圏」とし、県北山間・県北臨海・県央の各地域を「北部広域連携圏」に分けた展開の方向性を示している。「南部圏」は、南関東との更なる連携を強める交通インフラに重点を置いた地域造りを、「北部圏」は、北関東における物流拠点や先端産業拠点と、広域交通基盤の整備を目指している。また、県庁内に、県北地域の振興を専門に行なう県北振興室が新設され、県北地域振興を担う(財)グリーンふるさと振興機構とともに、「いばらき さとやま生活」と名付けた主に団塊世代をターゲットにした移住・二地域居住など、県北地域(ひたちなか市・那珂市・東海村を除く)でのゆったりと豊かなライフスタイルを発信、推進している。

北部(県北・県央地域)
南部(県南地域)
東部(鹿行地域)
西部(県西地域)
  • 古河筑西を初めとする地域。元の猿島郡(一部は西葛飾郡より編入)、真壁郡結城郡(一部は豊田郡岡田郡より編入)に相当し、旧・真壁郡以外はかつて下総国、千葉県に属した。
  • 古河は宇都宮線の沿線にあるため、埼玉県栃木県の一部だと誤認されることも多い。
  • 結城新4号国道が通っているため、埼玉県や栃木県・群馬県(両毛)との繋がりが深いのに対して、県内他地域との繋がりは浅い。
  • 国や県の出先機関が集中する筑西も栃木県との境にあり、県庁所在地である水戸方面との繋がりは浅い。具体的な一例としては、自動車・鉄道とも栃木県の県庁所在地である宇都宮市の方が、水戸よりも近い、といった具合である。
  • 1978年(昭和53年)4月17日より車のナンバーは県西地域全域が「土浦」であったが、2007年(平成19年)2月13日から県西地域全域がご当地ナンバーである「つくば」となった[21][22]
  • 古河市・五霞町境町および坂東市の一部はNTT東日本栃木支店の管轄地域であり、電気通信上栃木県扱いとなる。同地域では、2010年1月をもってフレッツ光の全面供用が開始されたが、他の県西地域では現在も一部の市街地での提供に留まる。

歴史

先史

本県に人が住み始めたのは、今からおよそ2万4000年前の火山灰層(姶良・胆沢火山灰、略してAT)の堆積前後からであると考えられている。この層の下からナイフ形石器局部磨製石器、焼けた礫石群が見つかっている。これらの石器の後に細石刃が北(樺太北海道・東北)と南(九州・西日本)から伝播する。この時期の遺跡としては後野B遺跡(ひたちなか市)などから確認されている。細石刃核・細石刃・彫器掻器などが出土している[23]

明治から第二次世界大戦まで

現県域には水戸藩他14藩と県域外諸大名の飛び地、幕領旗本領などが錯綜していた。1868年慶応4年、明治元年)、幕府の解体により旧・幕領・旗本領は新政府の直轄地とされ、6月に粥川満明(三上藩士)が常陸知県事に、8月には佐々府貞之丞(肥後藩士)が下総知県事に任命され、常総の民政を担当した。翌1869年(明治2年)1月に下総知県事の管轄地が葛飾県、2月に常陸知県事の管轄地が若森県になった。こうした動きの中で、同年6月に版籍奉還が行われ、1871年(明治4年)7月の廃藩置県を経て、同年11月、現在の県域は茨城県および新治県印旛県のそれぞれ一部に統合された。1875年(明治8年)5月に新治県が分割され、そのうち常陸国6郡が茨城県と合併し、同時に千葉県1873年(明治6年)に印旛県と木更津県が合併)から概ね利根川以北に当たる区域を編入して現在の茨城県が成立した。

昭和後期(第2次世界大戦後)

平成

令和

人口・面積

1920年(大正9年)に135万人と関東地方では東京府(現・東京都)に次ぐ人口であったが、その後は緩やかに増加傾向が続き、1950年(昭和25年)に204万人、1999年(平成11年)に300万人になり、その後は緩やかに減少傾向にある。また、現在の人口は全国11位で政令指定都市を持たない県で最大である。

合計特殊出生率は1.37人と全国平均の1.37人と同じであり(平成20年)、総人口は北部山間部での減少が著しく、つくばエクスプレスの沿線開発が進む南部での増加が著しい。県は5つの地域区分に対して人口の3分の1が東京通勤圏に位置する南部に集中し、その一方で北部や西部などでは定住者に奨励金を交付する定住化促進制度を導入するなど人口減少を食い止める施策が行われている。

2019年1月1日現在の県人口(推計)は、県の常住人口調査で288万1020人となり、前年と比べ1万4887人減少した。2004年から15年連続の減少で、減少幅は統計が残る1965年以降で最大となった。前年に続き出生死亡による自然動態が1万人を超す減少となり、転入・転出による社会動態は3年ぶりに転出超過に転じた。総務省が1月末に発表した住民基本台帳人口移動報告でも、本県は全国最多となる7744人の転出超過となった。同報告は国外との転入転出を含まない[24]

Demography08000.svg
茨城県と全国の年齢別人口分布(2005年)茨城県の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 茨城県
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

茨城県の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より
茨城県の市町村の人口、面積、人口密度(2020年11月1日)
市町村人口面積人口密度
1水戸市269,334 人217.32km21,239人/km2
2日立市173,586 人225.78km2769人/km2
3土浦市137,955 人122.89km21,123人/km2
4古河市138,412 人123.58km21,120人/km2
5石岡市72,238 人215.53km2335人/km2
6結城市50,257 人65.76km2764人/km2
7龍ケ崎市76,208 人78.55km2970人/km2
8下妻市41,585 人80.88km2514人/km2
9常総市59,261 人123.64km2479人/km2
10常陸太田市47,843 人371.99km2129人/km2
11高萩市27,418 人193.58km2142人/km2
12北茨城市41,546 人186.80km2222人/km2
13笠間市73,603 人240.40km2306人/km2
14取手市104,430 人69.94km21,493人/km2
15牛久市84,653 人58.92km21,437人/km2
16つくば市244,778 人283.72km2863人/km2
17ひたちなか市154,541 人99.96km21,546人/km2
18鹿嶋市67,101 人106.02km2633人/km2
19潮来市27,479 人71.40km2385人/km2
20守谷市68,830 人35.71km21,927人/km2
21常陸大宮市39,074 人348.45km2112人/km2
22那珂市53,124 人97.82km2543人/km2
23筑西市99,906 人205.30km2487人/km2
24坂東市51,532 人123.03km2419人/km2
25稲敷市39,063 人205.81km2190人/km2
26かすみがうら市40,190 人156.60km2257人/km2
27桜川市38,881 人180.06km2216人/km2
28神栖市95,399 人146.98km2649人/km2
29行方市31,910 人222.48km2143人/km2
30鉾田市45,853 人207.61km2221人/km2
31つくばみらい市51,064 人79.16km2645人/km2
32小美玉市48,702 人144.74km2336人/km2
33茨城町31,414 人121.58km2258人/km2
34大洗町15,780 人23.74km2665人/km2
35城里町17,990 人161.80km2111人/km2
36東海村37,685 人38.00km2992人/km2
37大子町15,633 人325.76km248人/km2
38美浦村14,458 人66.61km2217人/km2
39阿見町47,980 人71.40km2672人/km2
40河内町8,275 人44.30km2187人/km2
41八千代町20,849 人58.99km2353人/km2
42五霞町8,165 人23.11km2353人/km2
43境町24,089 人46.59km2517人/km2
44利根町15,065 人24.90km2605人/km2

政治

県政

知事

県議会

  • 定数:62人
  • 任期:2019年(平成31年)1月8日~2023年(令和5年)1月7日
会派名人数
いばらき自民党34
茨城県民フォーラム4
公明党4
日本共産党1
立憲民主党  1
無所属17
欠員0

茨城県議会議員選挙は、統一地方選挙では実施されない数少ない都県の一つ(他は岩手県宮城県福島県東京都沖縄県)である。これは1966年(昭和41年)、県議会議長ポストをめぐって汚職事件が発生したことにより、同年12月21日に茨城県議会が解散したことによる。

財政

平成16年度
  • 財政力指数 0.53
    • Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)8自治体中7位
平成17年度
  • 財政力指数 0.55
    • Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)10自治体中7位
平成18年度
  • 財政力指数 0.60
    • Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)16自治体中7位
平成19年度
  • 財政力指数 0.64
    • Iグループ(財政力指数0.5以上、1.0未満)17自治体中6位

国政

衆議院

参議院

県全体では、国政選挙・県政選挙ともに投票率が低い傾向があり、参議院議員通常選挙をとってみると、第16回参院選(36.62%)・第17回参院選(36.94%)・第18回参院選(50.99%)・第19回参院選(50.18%)・第20回参院選(50.07%)と、選挙区の投票率が3回連続全国最低やワースト2位となっている他、知事選挙では1997年9月14日が31.87%、2001年9月16日が29.93%。衆議院議員総選挙でも年々下がり続け50%台で推移、県議選も2002年は40%台まで落ち込んだ。茨城県選挙管理委員会では、投票率を向上させる施策を県民から公募し、銀行コンビニATMに投票を呼びかける案などを実行したりしているが、特に大きな変化は見られない。選挙区の投票率を予想して応募し、ぴったり当てると特産のメロン常陸牛がもらえたり、県内の中学生からメッセージを募集し、ラジオCMで流したりするキャンペーンを行った第21回参院選では、全国ワースト2位であった。

経済・産業

県内の主要企業

ここでは、県内ローカル規模やそれに近い企業以外で、本県に本社を有する企業を記載する。

稲敷市
小美玉市
古河市
常総市

また、日立市ひたちなか市日立グループの企業の工場が数多くあり、鹿島臨海工業地帯を形成する鹿嶋市神栖市は鉄鋼、石油化学を中心に工場が置かれている。石岡市、鹿嶋市、かすみがうら市、つくば市、土浦市、日立市、ひたちなか市などに大手製造業の研究拠点が多く存在する。

農業

大和政権期に大国といわれ、『常陸国風土記』では「常世の国」と謳われたように、日本屈指の農業地帯である。農業産出額は、北海道に次ぐ第2位(2010年度の統計)で日本有数の農業県である[25]。県土の大半を平地が占め、その多くが農地であることから、森林率では31%と大阪府に次いで全国で2番目に低い[26]メロンの生産量は全国1位である。

農業産出額は1975年(昭和50年)から1993年(平成5年)まで全国2位であり、翌年から減少傾向が続き順位を下げたが、その後は上昇または横ばいと回復基調となり、2008年(平成20年)に15年ぶりに北海道に次いで全国2位となった[27]。2017年(平成29年)には鹿児島県に抜かれ、9年ぶりに全国3位となった。野菜の産出額は減少したものの農業産出額全体は前年を上回っている。

2018年(平成30年)の東京都中央卸売市場での茨城県産青果物取扱高は567億円で、15年連続で全国1位[28]

野菜
果実
穀物
畜産物
林産物
その他の農産物

水産業

長年有名だった霞ヶ浦のは、2003年10月のコイヘルペスウイルス騒動[30]で養殖が休業状態になっていたが、2009年(平成17年)4月に県の養殖自粛要請が解除され、養殖が再開されることになった[31]。 茨城県の沖合は暖流の黒潮(日本海流)と寒流の親潮(千島海流)の合流地域で、漁場として最適地域である。沖合漁業沿岸漁業が盛んである[32]

その他生産品目

食品系
非食品系


生活・交通

警察

交通

空港

鉄道

関東地方の中では唯一、大手私鉄会社の路線が無い。小田急電鉄の車両が取手駅に乗り入れて来るようになった2016年までは、東京メトロ以外の大手私鉄車両の県内への乗り入れも無かった。JR水郡線、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線、鹿島臨海鉄道鹿島臨港線、関東鉄道常総線、関東鉄道竜ヶ崎線、真岡鐵道真岡線、ひたちなか海浜鉄道湊線の各線は非電化である。

路線バス

道路

高速道路
有料道路
国道
県道

(→茨城県の県道一覧

港湾

フェリー

医療・福祉

災害拠点病院
保育所

教育

大学
短期大学
高等専門学校
高等学校
中学校
小学校
特別支援学校
学校教育以外の施設

マスメディア

テレビ局

ラジオ局

AM
上記の県域放送に加え広域放送(東京局)のTBSラジオ文化放送ニッポン放送の放送対象地域となっている。
FM
  • NHK水戸放送局(FM放送で県域放送を実施、中波ラジオは関東広域圏放送として東京のNHK放送センターより配信)

県内に本拠地を置く県域民放FM局は存在しないが、茨城放送が「i-fm」の名称でFM補完中継局を設置している。 また、県内が受信エリアに含まれる民放FM局は以下の通り。

コミュニティ放送

また、国際放送NHKワールド・ラジオ日本の送信所が県内にある。

県域民放テレビ局・FM局構想

かつては民放テレビ局、民放FM局開局の動きがあったが、テレビ放送を計画していた茨城放送はテレビ放送を断念。2019年現在、茨城県は民放テレビ局とFM局(親局)のどちらも存在しない唯一の都道府県である[41]。2011年3月11日に発生した東日本大震災で県内の被災状况がなかなかテレビで報道されなかった理由は、県内に民放テレビ局が存在しないことが理由だと指摘する著名人の訴えがあった[47][48][49][50]。茨城放送は2019年11月、資本構成が変わったのを機に再度テレビ放送への進出を検討している[41]

なお、1979年10月7日から2011年3月27日まではフジテレビの放送枠(日曜朝)にて県広報番組である『おはよう茨城』が放送されていた。同番組終了後、2011年4月22日よりテレビ朝日の『散歩シリーズ[注 13]の番組内(金曜日)にて県のインフォマーシャル(『磯山さやかの旬刊!いばらき』→『カミナリの「たくみにまなぶ」〜そういえば茨城ばっかだな!〜』)が放送されている(2分版・30秒版の2回)。

ケーブルテレビ局

茨城県のケーブルテレビ局を参照)

新聞

全国紙
地方紙
かつては、新いばらき(水戸)が存在した。

忘れられた被災地

2011年(平成23年)3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災では、岩手・宮城・福島3県の被害が甚大だったが、茨城県が被った被害も大きく県内多くの地域で最大震度6強の揺れを観測した。さらに午後3時15分には、茨城県沖を震源とするM7.4の地震も発生し(鉾田市で震度6強)、県内の被害が拡大した。この結果、死者・行方不明者は66名、住宅の全半壊・一部破損は20万軒以上に上った[51]。また多くの市町村で、液状化現象も認められた。

県内の太平洋沿岸地域は大きな津波を受け、北茨城市の名勝である五浦六角堂が流されて消失した。東海村の日本原子力発電東海第二原発も最大5.4メートルの津波に襲われた。しかし、6.1mの新防護壁が辛うじて全電源喪失を防ぎ冷温停止にこぎつけた[52]

こうした甚大な被害を受けた被災県であるにもかかわらず、神栖市では3月14日に計画停電が実施された。当時の茨城県知事 橋本昌が、首相 及び 東京電力に対して強く抗議を申し入れたことで、翌日から計画停電エリアからはようやく除外されたが、茨城県は被災地として忘れられているのではないか、という想いが県民の間に広がった[53]。このため茨城県は、忘れられた被災地とも言われている[54][55]

文化・スポーツ

方言

茨城県は常陸国下総国北西部によって形成され、歴史的には東関東方言地域に属する。県南地域の一部・県西地域の大部分は旧・下総国で、明治時代に千葉県より移管された経緯があるが、現在の茨城県内で使われる東関東方言を総称して茨城弁と呼ぶことがある。現在では、関東地方に多く見られる流れとして共通語化が進み、南部を中心に伝統的な方言が衰退し、主に首都圏方言が使われている[56]。また、東京都心からの距離の割に茨城弁標準語とは大きく異なる方言であることから、近年では伝統的な方言を解さない住民も多い。

食文化

郷土料理

伝統工芸

経済産業大臣指定伝統的工芸品
伝統工芸品

スポーツ

Jリーグ
なでしこリーグ
日本フットボールリーグ
社会人野球
Bリーグ
バレーボール - Vリーグ
プロレス
  • 常陸プロレス

観光

茨城県は、民間シンクタンクブランド総合研究所の調査による全国47都道府県の魅力度ランキングで、2013年以来 7年連続で最下位となっている。当該調査は、アンケート回答者の多くが大都市に偏在しており、その回答内容もあくまでも個人の主観によるものであって、各種統計データ等の客観的な数値や指標に基づかない単なるイメージ調査に過ぎないとする向きはあるものの、この結果を受けて県庁は対策として、観光客誘致だけでなく県産品の拡販も兼ねてブランド向上に力を入れており、2018年度に「営業戦略部」を設立している。前後して、都内にあるアンテナショップを改装、公認バーチャルYouTuber茨ひより」の展開などに取り組んでいる[57]

一方で、当該ランキングを巡っては、2019年に、令和元年東日本台風(台風19号)による被災に追い打ちをかけるタイミングで魅力度調査 7年連続最下位という結果が判明した際、人的・物的被害が出た中で復旧復興に努める県民感情に鑑みて遺憾であり、調査結果についても県のイメージを著しく毀損するとして知事の大井川和彦が不快感を顕わにし[58]調査会社側が謝罪する事態も生じている[59]

旧跡・歴史施設等

自然景勝

公園

博物館・美術館など

ホール・コンベンション施設

大型スポーツ施設

イベント

対外関係

茨城県を舞台とした作品

茨城県がロケ地となった作品まで含めると膨大な数になることから、ここでは茨城県が舞台となったものについて記載する。

映画

テレビドラマ

漫画・アニメ・小説

ゲーム

人物

茨城県名誉県民

茨城県名誉県民の称号は、1953年(昭和28年)12月25日に制定された茨城県名誉県民条例(茨城県条例第51号)に基づき、「社会の進歩に著しい功績があつた者」へ贈られる(条例第1条)[62]。対象者は「本県に10年以上居住している者若しくは居住していた者又は本県出身の者」で、「産業の振興、社会福祉の増進又は学術、技芸の進展に功績があ」り、「県民が郷土の誇として,ひとしく尊敬する者」であり、茨城県知事が茨城県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第2条・第3条)[62]

贈呈番号受賞者氏名職業選定年月日備考出典
1横山大観日本画家1954年3月1日文化勲章受章[63]
2板谷波山陶芸家1954年3月1日文化勲章受章[63]
3森田茂洋画家1993年12月20日文化勲章受章[63]
4江崎玲於奈物理学者2008年12月3日ノーベル物理学賞受賞・文化勲章受章[63]
5小林誠物理学者2008年12月3日文化勲章受章・ノーベル物理学賞受賞[63]

その他

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ ただし、「愛媛県」の「媛」は1990年人名用漢字の前は旧字体であった。
  2. ^ 宮城県は「宮(みや)」に濁音が含まれていないため連濁により「城」が「ぎ」と濁り、茨城県は「茨(いばら)」には既に濁音が含まれているため連濁せず「城」が「き」となる、という差異が生じる。
  3. ^ 可住地面積は、県の面積から林野と湖沼の面積を差し引いたもの[7]
  4. ^ 現在は国道461号が通過。
  5. ^ 「西浦」単独でも、北浦・外浪逆浦などを加えた総称でも、いずれの場合でも霞ヶ浦は琵琶湖に次いで日本で2番めに大きな湖である。
  6. ^ 実際の乗車時間については、途中駅での特急列車の待避等により列車によって差異がある。また、当該乗車時間は、普通列車のみを利用し、途中で特急(ひたち・ときわ)に乗り継がない場合のものである。取手駅から東京駅へは、上野東京ライン直通列車利用での時間で、乗り換えなしで行った場合での計算である。普通列車と同じく運賃のみで乗車でき、途中の停車駅が少ない特別快速列車の場合は、取手駅から東京駅まで40分程度となる。
  7. ^ この時、県庁が茨城郡水戸に置かれたので、茨城県と命名された。
  8. ^ 当初は印旛郡佐倉に県庁を置く予定であったが、実際は加村の旧・葛飾県庁舎を県庁とした。
  9. ^ ラッキョウを軟白栽培したもので「エシャレット」は日本独自の商品名である。フランス料理などに使用される本物のエシャロットとは別物。
  10. ^ a b 利根川の千葉・茨城県境から取手駅までの900mのみ。
  11. ^ 県内では古河駅のみ。
  12. ^ 日本国内の鉄道路線において、路線が通過する県に1つも駅がないのは東北新幹線が唯一である。中川浩一1981年の「茨城県鉄道発達史」において、新幹線が茨城県にただ騒音のみをもたらすことを危惧していたが、状況はその後も変わっていない。
  13. ^ ちい散歩』→『若大将のゆうゆう散歩』→『じゅん散歩

出典

  1. ^ 茨城県の「県のさかな」(平成7年6月19日 茨城県公告) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第659号: p.7, (1995年6月19日) 
  2. ^ 水戸市の人口は約27万人。
  3. ^ 平成20(2008)年度 茨城県県民経済計算の概要
  4. ^ a b c d e 『茨城県の地名』(平凡社、1982年)総論 県名の由来節。
  5. ^ 「茨城」が「いばら“ぎ”」と誤読されてしまう理由を考える ねとらぼ
  6. ^ 『茨城県の地名』(平凡社、1982年)茨城郡節。
  7. ^ 農林水産関係用語集,コトバンク版 2017年5月17日閲覧。
  8. ^ a b c d 茨城県庁 知事直轄広報広聴課県民広報,茨城県の地理と気候 2017年5月17日閲覧。
  9. ^ 『日本の地形3 東北』,小池一之・田村俊和鎮西清高・宮城豊彦・著,東京大学出版会,2005,2011(第3版),ISBN 978-4-13-064713-7,p6-69
  10. ^ a b c d 角川日本地名大辞典8 茨城県』,角川日本地名大辞典編纂委員会・竹内理三・編,角川書店,1983(初版),1996(再版),ISBN 4-04-001020-5,p19-21「自然と風土」
  11. ^ 世界大百科事典 第2版(日立ソリューションズ・クリエイト)、『日本の地名がわかる事典』(講談社)、『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)、コトバンク版 2017年5月17日閲覧。
  12. ^ 「茨城県」『世界大百科事典』平凡社、2007年
  13. ^ 第2回茨城県総合計画審議会(平成17年12月2日)の結果について”. 茨城県. 2010年3月13日閲覧。
  14. ^ 茨城県北地域振興の新たな可能性”. ARC. 2010年3月13日閲覧。
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  16. ^ a b 「茨城都民」はどう動く 知事選との同日選」 asahi.com 2005年9月2日
  17. ^ ナンバーセンター土浦”. 一般財団法人関東陸運振興センター<ナンバーセンター>. 2014年8月14日閲覧。
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  20. ^ [1]
  21. ^ ナンバーセンター土浦”. 一般財団法人関東陸運振興センター<ナンバーセンター>. 2014年8月14日閲覧。
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  65. ^ いばらきパートナーシップ宣誓制度を実施しています。”. 茨城県. 茨城県 (2019年12月27日). 2020年3月11日閲覧。

関連項目

外部リンク

行政
観光
先代:
松岡県水戸県宍戸県
笠間県下館県下妻県
新治県の一部(常陸国
千葉県の一部(下総国利根川以北)
行政区の変遷
1871年 -
次代:
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福山市

福山市(ふくやまし)は広島県の東部、備後地域にある市。1998年(平成11年)に中四国地方で2番目の中核市に指定された。

中国地方では広島岡山に次ぎ、非県庁所在地の都市圏としては全国5番目の規模の福山都市圏の中心都市。単一事業所として世界で初めて累計粗鉄生産量が4億トンに達した世界最大級の銑鋼一貫製鉄所JFEスチール)を抱える重工業都市である[1]。市内に年産1300万トン級の生産能力を持ち粗鋼生産量は日本一[2]。また鉄鋼関連産業、造船、機械産業などが集積する。市内の工業生産高は2兆円、工業事業所数は1200と山陰地方を越え、高知県の四倍と日本有数の規模を誇る[3][4]

概要

中心市街は芦田川デルタ地帯福山藩が行った新田開発を基にした干拓平野に広がる[5]。市制施行は尾道市明治31年)、呉市明治35年)に遅れる大正5年と戦前までは小都市に過ぎなかったが戦後、備後工業整備特別地域に指定され工業化とともに経済規模が急拡大、瀬戸内海の主要都市の一つとなった。都市形成の傾向として駅周辺から商業地域が発展していることがあげられる。これはかつて都市の中心であった福山城内を貫いて福山駅が作られ近世の商業的中心地がそのまま近代の商業的中心地へと移行したためである。このため福山城は本丸や二の丸を除いた大部分が開発され、全ての堀と三の丸の石垣のほとんどが市街化により消滅するか地下に埋もれている。広島県内では広島市に次ぎ2番目となる人口約47万を擁する中核市[6]であり広島・岡山都市圏に次ぎ都市圏人口約90万の福山都市圏の中心都市。都市圏は県境を跨ぎ地理的歴史的にも関係の深い岡山県井笠地方に広がる。但しこれは岡山県のなかで隣接する井笠地方のみが福山市の商圏にあることであり、福山から60kmあまりの距離のある岡山市など岡山県の他地域との関係性が格段に大きいということではない。市域は中国山地神石高原)・福山平野芸予諸島(備後群島)などから成る。山陽新幹線山陽自動車道国道2号山陽本線と西日本の重要幹線が市内を縦断し、国際港湾である福山港を擁するなど交通の要衝となっている[6]福山駅は新幹線のぞみが停車するほか福塩線井原線の起点であり、非県庁所在地の地方都市として非常に多い10路線を越える長距離高速バスが発着する広島県東部から岡山県西部の玄関口である。

歴史的な経緯から広島市や岡山県とも異なる独自の気質を持つとされる[7]。その都市圏規模から県庁所在地でないにも関わらず、陸運局の設置、電話番号の市外局番084、郵便番号の720など県庁所在地並の扱いを受けることがある[7]。世界規模の鉄鋼、造船企業を筆頭に都市人口の割に上場企業を含む多くの大手企業を擁しており、中小企業や大企業の研究開発拠点も集積している[7]。かつては非県庁所在地ながら市内に大規模百貨店(そごう天満屋)を2つを抱え大きな商業集積を誇っていたが、2000年代に入り中心市街地の著しい衰退が問題とされるようになった。

地理

福山市は、瀬戸内海の中央部で広島県の南東端に位置する。

三原市北部の大和町を源とする芦田川の河口に広がるデルタ地帯及び江戸時代以降干拓事業により築かれた福山平野に市の中心地がある。市の南端は瀬戸内海に面し、北部山岳地帯は概ね標高400 - 500メートルの吉備高原西南端部にある通称「神石高原」南端から形成される。ここは岡山県倉敷市へ注ぐ高梁川支流小田川流域である。

市街地は概ね、旧福山市街・東部(蔵王、春日)地区・南部(鞆、沼隈)地区・松永(旧松永市)地区・北部(神辺、駅家、加茂)地区に大別され市民性も地域により若干異なる。旧福山市は周辺の自治体を次々と編入したが東部は県境に、南部は海に阻まれている為市域は北部、西部へと拡大することとなった。結果として福山市の中心部は市域の南東に偏っている。一方で中心部から岡山県井原市笠岡市までの距離は福山市の西端、北端より小さい。また福山都市圏の広がる井原市笠岡市かけては市街地の連続性が高く県境を越えた連携が政経民間で幅広く見られる。

地理

  • 福山市は瀬戸内海式気候に属し、広島県内でも降水量が少なく(年間約1200mm)河川の流量が少ないのが特徴である。そのため市街化の進んだ地域を中心に河川の汚濁が顕著で、下水道事業などによって改善された地域もあるものの、多くの場所で水質汚濁が問題となっている。流水量の少なさや河口堰による汽水の消滅等の影響で、市内を南北に流れる芦田川は中下流の汚濁が激しく、水質中国地方一級河川の中で平成24年まで38年間連続ワースト1を記録してきた[8]
  • 市域の北半分および芦田川より西部は、中国山地に連なる山地となっている。植生平野部に近いほどアカマツが多く、単調な傾向にある。山並みは風化侵食を受けやすい花崗岩が多いため起伏が激しく、川沿いを中心に多くの谷が形成されている。市内最高峰は吉備高原南端の京ノ上山で海抜611m、2位は駅家町北部の蛇円山で546m、3位は加茂町北部の笠木山で513mとなっている。北部の山野町付近には部分的に石灰岩質の地質もあり、特に高梁川支流の小田川渓谷を作り上げている猿鳴峡があり、近くには県天然記念物の“矢川のクリッペ”や“上原谷石灰岩巨大礫”という石灰岩に纏わる名勝も存在する。また隣接する井原市には石灰岩の採石場(芳井鉱業所)もある。
  • 南側は瀬戸内海備後灘)が広がり多くの島が点在しているが福山市に属する島は少数である。福山市沖は瀬戸内海のほぼ中央に位置しており、満干差は非常に大きく平均で2mを超え、海流の速度は部分的に非常に速い。波は穏やかで波高は通常で50cm未満、荒れても2m程度である。津波の被害を受けた記録は存在しない。ただし、明治17年(1884年)の台風による高波では大きな被害が発生している。市で最大の島は田島で本土(沼隈半島)とは橋が架けられている。海底面は起伏があまりなく水深は深くとも30m程度である。かつての福山市沖は干潟が多く存在し豊かな自然に恵まれていたが、その大半は江戸時代からの干拓や日本鋼管福山製鉄所(現JFEスチール)建設の埋め立てなどにより消滅している。現在は家庭・工業廃水などの影響により福山港周辺の汚濁が深刻で特に夏期には海水が茶色あるいは乳白色に染まることもある。しかし、鞆の浦など湾岸沿いの大部分も透明度は高くないが陸から5km程度沖合に出れば(瀬戸内海としては)非常に綺麗である。
  • 地震は少なく、歴史上では地震により大きな被害を受けた記録は見つかっていない。このため、近年までは地震空白域とされていたが、2000年の鳥取県西部地震で震度5弱、2001年の芸予地震でも震度5弱を記録した。ただし、いずれも人的被害はない。活断層も近年まで確認されていなかったが、2002年に北部の加茂・御幸地区から西部の松永地区にかけて活動度B級の「長者原断層」の存在が明らかになり[9]、少なくとも3世紀以降に活動した痕跡が見つかっている。

気候

福山市は地形と立地場所による影響により、典型的な瀬戸内海式気候[10]である。夏の季節風は四国山地に、冬の季節風は中国山地によって各々遮られる。このため年間を通じて天気や湿度が安定しており、降水月が5、6、7月(梅雨時)と9月(秋雨・台風時)の二峰性となっており、二峰の間の8月(盛夏)の降水量が著しく少なく、雨温図上大きく凹む。

からにかけて、中国大陸から流入する黄砂が観測されることも多い。また、冬には氷点下まで下がる日もある。太平洋高気圧に覆われる夏季には瀬戸内海沿岸特有の「」が発生し、日中の気温は35℃を超える猛暑酷暑となる日もある[11]。降雪は少なく、平地部の積雪は稀である。

福山 (福山市松永町)の気候
1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
最高気温記録 °C (°F)17.4
(63.3)
23.6
(74.5)
24.0
(75.2)
28.6
(83.5)
32.4
(90.3)
34.3
(93.7)
38.2
(100.8)
38.3
(100.9)
36.7
(98.1)
32.2
(90)
26.2
(79.2)
21.4
(70.5)
38.3
(100.9)
平均最高気温 °C (°F)9.3
(48.7)
10.0
(50)
13.2
(55.8)
18.9
(66)
23.4
(74.1)
26.8
(80.2)
30.5
(86.9)
32.4
(90.3)
28.3
(82.9)
22.8
(73)
17.1
(62.8)
12.0
(53.6)
20.4
(68.7)
日平均気温 °C (°F)4.3
(39.7)
4.8
(40.6)
8.0
(46.4)
13.5
(56.3)
18.2
(64.8)
22.3
(72.1)
26.2
(79.2)
27.6
(81.7)
23.6
(74.5)
17.4
(63.3)
11.7
(53.1)
6.6
(43.9)
15.4
(59.7)
平均最低気温 °C (°F)−0.2
(31.6)
0.1
(32.2)
2.9
(37.2)
8.0
(46.4)
13.0
(55.4)
18.2
(64.8)
22.6
(72.7)
23.6
(74.5)
19.6
(67.3)
12.7
(54.9)
6.8
(44.2)
1.9
(35.4)
10.8
(51.4)
最低気温記録 °C (°F)−8.1
(17.4)
−9.2
(15.4)
−5.9
(21.4)
−1.8
(28.8)
2.8
(37)
8.0
(46.4)
13.2
(55.8)
15.8
(60.4)
8.0
(46.4)
1.5
(34.7)
−2.4
(27.7)
−6.7
(19.9)
−9.2
(15.4)
降水量 mm (inch)35.1
(1.382)
50.5
(1.988)
84.5
(3.327)
93.2
(3.669)
123.8
(4.874)
175.3
(6.902)
176.7
(6.957)
83.0
(3.268)
131.0
(5.157)
78.8
(3.102)
54.4
(2.142)
31.0
(1.22)
1,117.2
(43.984)
平均月間日照時間142.1139.2167.7192.7208.6172.3197.7226.4165.8179.0151.7152.82,096.1
出典 1: 気象庁[12]
出典 2: 気象庁[13]

隣接する自治体

人口

以前より中国・四国地方では広島市岡山市松山市倉敷市に次ぐ5番目の人口規模である。平成の大合併で隣接のベッドタウン4町を編入した結果、人口は約46万人(推計人口)となった。

合計特殊出生率はこの規模の都市としては非常に高い。2012年は全1742自治体中208位の1.71であった。人口30万人以上の都市としては、1.63の沖縄県那覇市や愛知県岡崎市を大幅に上回って1位である。

Demography34207.svg
福山市と全国の年齢別人口分布(2005年)福山市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 福山市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

福山市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


地域・方言

市章

市章は、こうもりを「山」の字にデザイン化したもの。また市章旗は黄地に黒で描かれている。これは1917年に市制施行時に福山出身の有名建築家の武田五一に依頼され彼がかかわったもの。由来については福山城のある付近はかつて蝙蝠山と称しており、こうもりは本来、中国思想の影響から縁起の良い動物とされ、「蝠」は福に通じることと初代藩主水野勝成が「福山」と名づけたとする地名由来説があることからモチーフに選ばれた。事実、明治時代初期の箱館戦争時に新政府軍側として参戦した福山藩の部隊はこのこうもりの旗印を掲げて参戦している。

「市の花」としてばら(1985年制定)とキク(2003年制定)があり、2000年代の一時期はばらを模したマークが市の出版物に描かれていたり市の施設などばらに因んだ名称が使用されたりと、ばらが「市章」に準じた扱いを受けていた事もあったが、2013年以降は正式なこうもり山の市章を中心に、用途によりばらのシンボルマークを使い分ける形となっている。

インフラ整備環境

  • 上水道は市内ほぼ全域をが供給。古くは、江戸時代に水野勝成が整備した福山旧水道が用いられており戦中まで利用、近代上水道は大正時代に整備され現在に至る。これら旧水道の一部や最初に建設された近代浄水場である佐波は佐波城山公園として文化財保存されている。現在の主要な浄水場は千田、中津原、箕島にある。また特に神辺地域では地下水が豊富。
  • 下水道は普及率65.5パーセント[要出典](神辺町域を合併以前の普及率)市街地ではほとんどが公共下水道へ放流可能。主要な下水処理場は芦田川浄化センター(箕沖町)、新浜処理場、松永処理場がある。
  • 電力は中国電力において供給。供給源としては市内に瀬戸内共同火力 福山共同発電所と福山RDF火力発電所がある。また2011年12月に中国地方初となるメガソーラー、福山太陽光発電所が箕沖で運転開始。
  • 都市ガス福山ガスによって旧市内ほとんどで利用可能。

町名一覧

主要な山岳・河川・島嶼部

方言

  • 福山弁と呼ばれ、この地域にあった備後弁を基礎に成り立った方言。岡山弁など東山陽地方の方言と同様に連母音の融合の傾向が強く、例えば赤い(akai)が[akæː](アケァー)等に発音される。一方で三河弁と共通の表現が使われることが特徴で、岡山弁と明確な線引きをすることができる。なお岡山県内でも井原市・笠岡市など旧福山藩であった地域は福山弁と差異がほとんどない。県名から広島市など安芸地方の方言(広島弁)と混同されることも多いが、広島県はかつて西部の安芸地方を領有した広島藩と東部、備後地方を支配した福山藩に分かれていたため県内での方言の差異が大きい。
  • 市内でも古くから海運で栄えた鞆の浦など上方方言の影響を受けている地域がある。

暴力団

福山市内には指定暴力団の本部はないが東の笠岡には五代目浅野組、西の尾道には三代目侠道会が本部を置く。市内には浅野組の二次団体の二代目中岡組や、三代目侠道会の二次団体の三代目下森組(したもりぐみ)が本部を置く。

事件・事故

政治

歴代の福山市長
通算代数氏名就任年月退任年月
初代1916年10月1926年12月
二代中野有光1927年9月1938年12月
三代1938年12月1944年8月
四代三谷一二1944年9月1946年3月
五代小林和一1946年3月29日1947年3月19日
六代藤井正男1947年4月1955年4月
七代徳永豊1955年5月1日1970年5月11日
八代立石定夫1970年5月12日1979年7月28日
九代中川弘1979年8月26日1983年8月25日
十代牧本幹男1983年8月26日1991年8月25日
十一代三好章1991年8月26日2004年8月9日
十二代羽田皓2004年9月5日2016年9月4日
十三代枝廣直幹2016年9月5日現職

市長・副市長・市議会議長、副議長・議員定数

  • 市長 枝廣直幹(第十三代)1期目・2016年9月5日 - [14]
  • 副市長
  • 副市長
  • 議長
  • 副議長
  • 会派(2018年11月9日現在)
    • 水曜会 13人
    • 公明党 7人
    • 誠勇会 4人
    • 市民連合 4人
    • 日本共産党福山市議会議員団 4人
    • 新政クラブ 3人
    • 無所属 3人
  • 市議会議員定数 40人

広島県議会(福山市選挙区)

議員名会派名備考
宇田伸自由民主党広島県議会議議員連盟
稲葉潔広島県議会民主県政会党籍は無所属
石津正啓公明党広島県議会議員団
村上栄二ひろしま令和無所属
尾熊良一公明党広島県議会議員団
三好良治自由民主党広島県議会議議員連盟
出原昌直自由民主党広島県議会議議員連盟
的場豊広島県議会民主県政会党籍は無所属
辻恒雄日本共産党
松岡宏道自由民主党広島県議会議議員連盟

衆議院

選挙区議員名党派名当選回数備考
広島県第7区(福山市)小林史明自由民主党3選挙区

行政・出先機関

国の機関

独立行政法人

広島県の機関

  • 広島県福山庁舎(三吉町)
  • 広島県福山旅券センター(東桜町)
  • 広島県福山児童相談所(瀬戸町)
  • 広島県福山教育事務所(三吉町)
  • 広島県東部運転免許センター(津之郷町)
  • 広島県東部県民文化センター(東桜町、愛称:エストパルク)
  • 広島県立東部工業技術センター(東深津町)
  • 広島県立福山高等技術専門校(山手町)
  • 広島県立福山少年自然の家(金江町)
  • 広島県立歴史博物館(丸之内)
  • 広島県立ふくやま産業交流館(御幸町、愛称:ビッグ・ローズ)

福山市の機関

主な組織 - 2012年(平成24年)4月1日時点

  • 市長公室
  • 企画総務局
  • 財政局
  • 経済環境局
  • 保健福祉局
  • 市民局
  • 福山市民病院
  • 建設局
  • 会計管理者
  • 上下水道局
  • 議会事務局
  • 選挙管理委員会事務局
  • 監査事務局
  • 農業委員会事務局
  • 教育委員会

市の環境に対する取組


歴史

古代

古代における現在の福山市街の中心地はほぼ全域が干潟や海であった。近年までは現在の神辺平野も海となっていて「穴の海」と呼ばれたといわれていたが、これは遺跡の分布や地層の調査から現在では否定されている。この呼称があったとすれば江戸時代に干拓され陸地化された現在の福山市街を示していた可能性が高い。古代における備後地方の中心地は備後国国府の所在した現在の府中市一帯であった。これに至る旧山陽道が中国地方の重要な幹線道となっていた。その名残が市北部地区の駅家町の地名で文字通り山陽道の駅家(宿駅)であったことを示している。現在の福山市域に含まれる山陽道は神辺平野を横断するように通され、外港として設けられた深津市は賑わい、この周辺は瀬戸内で最も栄えた地域であった。(現在の福山東IC付近)また、この地方はヤマト王権吉備との勢力争いの最前線であり、古くからヤマト王権の重要拠点ともなっていた。“二子塚古墳”のような大規模な前方後円墳や、畿内以外では珍しい横口式石槨を持つ古墳が残り全国でも有数の古墳集積地である。瀬戸内の中央部に位置する備後南部にが多く点在する。深津、津之郷、吉津、奈良津、今津など港を意味する地名が今日も残されている。また中でも、鞆の浦万葉集にも詠まれるように風待ち、潮待ちの港として古代より独自の地位を築いていた。

中世

中世には長年の芦田川の堆積作用により現在の福山市街は次第に陸地へと姿を変えていき、本庄、木之庄といった荘園が形成され現在の草戸町には草戸と呼ばれる港湾都市が栄えるようになった。しかし、この町は芦田川の堆積作用により港湾施設の使用が難くなり衰退したと考えられている(遺跡は芦田川の浚渫により消滅)。一方、現在の深津高地と呼ばれる深津島一帯は瀬戸内における金融拠点として発展し、その後の福山藩成立にも多大な貢献をしている。平安時代には最澄により静観寺、空海により医王寺が創建されるなどそれぞれの西日本の布教拠点となったが、南北朝時代には北朝と南朝の間で幾度も戦闘があり、静観寺五重塔などの貴重な文化財が失われた。戦国時代になると備後地方は毛利氏勢と尼子氏勢との拠点争いの地となり銀山城神辺城などの多くの城が築かれた。

近世

安土桃山時代になると備後国は概ね毛利氏の所領となり、鞆には毛利氏の庇護の元、室町幕府15代将軍足利義昭が滞在した(備後国を参照のこと)。関ヶ原の戦い以後は福島氏の所領となり、神辺に支城が置かれた。1619年、福島氏の改易により徳川家康の従兄弟である水野勝成が西日本の有力外様大名への幕府方の楔として備後国東南部・備中国西南部の10万石を与えられ、福山藩が成立する。勝成は当時干潟であった臨海部の深津郡深津村と野上村に新たな城(福山城)と城下町を建設し、この町を福山と名づけた。このため、今日に至る福山の歴史は元和8年(1622年)から始まったといえる。なお、当初の構成領地は備後国深津郡安那郡沼隈郡 神石郡 品治郡 葦田郡備中国小田郡後月郡のそれぞれ大半であった。水野氏は江戸の神田上水に次ぐ規模を持つ上水道網(福山旧水道)を整備し、瀬戸内海から運河を城まで引き入れると共に大船団を組織し城下に係留させた。産業育成では土地を無償で与え地子を免除するなどして城下の振興を図り、寛永7年(1630年)には全国初ともいわれる藩札を発行した。また、イグサの生産を統制し、福山藩で生産される畳表は「備後表」と呼ばれ全国に最高級品として知られた。このように現代の福山の発展の基盤は水野時代に築かれた。その後、1698年に5代藩主水野勝岑の死去で無嗣除封となり、一時的に福山藩領全域が天領(幕府直轄領)とされるが、1699年松平忠雅が転封する。しかし、松平忠雅はわずか10年後の1710年伊勢国桑名藩に移封して、替わりに1710年阿部正邦が福山に転封した。以後、阿部氏が明治維新まで続くことになった(詳しくは備後福山藩を参照のこと)。

福山市神辺町に備後国分寺が発見されている[15]国府国分寺の近くに置かれる事から、備後国府が当地にあった可能性があり、発掘が続いているが確定に至っていない[16]

近代

1871年明治維新廃藩置県により備後国旧福山藩領と神石郡甲奴郡の半分、備中国小田郡後月郡の大半を持って福山県が設立し県庁所在地は福山町に定められた。しかし、これから行政区分はめまぐるしく変わり、1871年福山県深津県へ名称が変更され、翌年(1872年)には深津県倉敷県が統合され小田県が設立、県庁は小田郡笠岡町に移転された。そして、1875年には小田県岡山県へ編入され、この翌年(1876年)に岡山県から旧備後国である沼隈深津安那品治芦田、神石の6郡が広島県に移管される(福山町は深津郡に含まれる)。こうした中、1891年9月11日山陽鉄道笠岡-福山間が開業し、同年11月3日には福山-尾道までが開業すると福山町は工業都市へと姿を変えていった。1898年10月1日、芦田・品治両郡、深津・安那両郡はそれぞれ統合され、芦品郡深安郡が成立する。その後、1908年に陸軍第41連隊が福山町(深安郡)に設置されると町の経済は発展を遂げ、1913年4月1日には福山町が野上・三吉両村を編入し、同年12月21日に鞆軽便鉄道(福山-鞆)が開業して、翌年(1914年7月21日には両備軽便鉄道(両備福山(1935年廃止)-府中町)が開業するなど交通機関も整備されていき、1916年に福山町は廃され、福山市が誕生することになった。

市制施行後

福山市は大正5年(1916年)7月1日に全国で73番目、広島県では広島、尾道、呉に次ぐ市として誕生した。市制施行当時は旧城下町を中心とする地域で人口は32,356人であったとされる。しかし、発足後の道程は平坦ではなく、市制施行間もなくの大正7年(1918年)には米騒動、その翌年の大正8年(1919年)には大水害に見舞われ、大正末期には軍縮の影響での陸軍41連隊が廃止の計画が持ち上がった。41連隊の廃止は市の財政破綻にも繋がりかねなかったが、これは市の陳情により回避されることになった。その後、福山市は順調な発展や周囲の村を吸収合併して市域を広げたことなどから、平野部が少なく開発の余地がない尾道市に替わって広島県東部の中心都市となっていった。しかし、昭和20年(1945年)の福山大空襲により市街地は壊滅的な打撃を受けた。

戦後、市街のほどんどは焼き尽くされ引揚者の帰国による人口増加などの要因も重なり、陸軍の撤退により財政難となった福山市は非常な混乱期を迎える。焼野原となった福山駅周辺などには闇市が開かれ治安の悪化も深刻となった。沼隈郡沼隈町では初代町長神原秀夫が「町ぐるみ移住」を打ち出し積極的な南米パラグアイへの移民を推進したことから、戦後期の移民団の主力となった[17]。1960年代に入ると高度経済成長の波に乗り復興を遂げていき、特に当時世界最大の規模の日本鋼管福山製鉄所の誘致により企業城下町として急激に開発が進み人口が増加していった。昭和後期になると高度経済成長時代の終焉や鉄鋼不況などにより人口は約37万人程度で頭打ちとなったが、この頃には製鉄所の町から県東部の中心地へと脱却していった。そして、平成の大合併により市域は更に拡大し、ほぼ旧福山藩領であった地区になり人口は約45万人に達するが、近年の実質的な人口増加率は微増にとどまっている。

年表

越県合併の模索

1963年昭和38年)岡山県笠岡市に編入されていたの旧茂平村(1889年他2村と共に城見村設立)が同市より分離、福山市への編入(越県合併)を模索した騒動。

騒動の経緯

岡山県の南西端にある旧茂平村地区は、当時より、地理的(地区が隣接する)、社会的(多くの住民の親戚等が福山市に居住および福山市出身の住民が多い)等により福山市との結びつきが強い地域であった。1963年岡山県日生町福浦が強い住民運動により兵庫県赤穂市に合併されたことに刺激をうけた住民が大規模な合併運動を開始(以前より幾度か合併案はあった)。当時広島県議会議員中川弘(のち福山市長に就任)賛同のもと、福山市議会議員数人の賛同も得る。また、城見村内で旧茂平村地区と同じ境遇の旧地区も福山市との合併に賛同し共同で運動を始めた。その後、旧茂平村地区は旧用之江村地区と共同で福山市に合併嘆願書を提出した。

騒動の終結

福山市に合併嘆願書が提出されると、岡山県議会、笠岡市議会からの反対運動が起こる。また、翌年(1964年)岡山県知事に地元出身の加藤武徳が就任すると、知事も合併運動に反対し、騒動は終結。

姉妹都市・提携都市

海外

国内

提携都市
  • Flag of Okazaki, Aichi.svg岡崎市愛知県
    • 岡崎生まれの徳川家康と初代福山藩主水野勝成の従兄弟関係が縁。また市制施行日が同じでもある。1972年11月9日親善都市提携締結。
  • Flag of Bunkyo, Tokyo.svg文京区東京都
    • 江戸時代中期以後備後福山藩 阿部家中屋敷があった区内西片地区にて江戸藩邸詰めの藩士の育成を目的として設立された藩校である誠之館の跡地に現在の文京区立誠之小学校の前身となる誠之舎を設立した縁や同じく藩邸跡地を使い文京区屈指の高級住宅街として整備し、後に文京区のイメージを形作った文学人達が多く住んだ礎を築いたという縁に基づき2018年3月には両自治体の住民交流や文化、観光、防災等の相互協力に関する協定を締結。また西片地区には福山坂と名付けられた坂道もある。[18]
その他

その他

正式な友好都市提携は結んでいないものの深い交流のある地域
  • 広島県の旗 広島県府中市尾道市神石高原町(隣接自治体・消防救急などの連携)
  • 岡山県の旗 岡山県井原市笠岡市(隣接自治体・同一都市圏で消防救急、都市計画、行政サービスなど幅広い連携)
  • 茨城県の旗 茨城県結城市(福山開祖、初代福山藩主“水野家”が5代目で断絶後に新たに立藩された事に由縁する。結城城址には水野勝成を祀る聰敏神社がある。)
  • 茨城県の旗 茨城県水戸市(阿部家福山藩七代藩主“阿部正弘公”と水戸藩主“徳川斉昭公”との深い交友関係の縁)

特に井原市笠岡市は県境を挟んで接しており、福山市中心部からも福山市の北端西端よりも近い距離にある。両市は県を越えているが非常に密接な関係があり都市計画上も一体的に扱われる機会が少なくない。

行政主体の友好都市提携などは結んでいないものの民間レベルでの深い交流のある国など

交通

空港

空路は広島県三原市にある広島空港まで福山駅前より空港リムジンバスで約65分、岡山空港へは車で1時間半弱である。かつては岡山空港への福山駅からリムジンバスが就航していたが、利用者が少なかったため廃止されている。また新幹線経由でより規模の大きい大阪国際空港関西国際空港福岡空港までいずれも120分程度であり路線や価格により利用される。

鉄道

西日本旅客鉄道

山陽新幹線は東京、新大阪方面には日中毎時4-5本、博多方面は4-6本停車する。やのぞみでは岡山駅までも最短16分、広島駅まで最短24分、新大阪駅へは58分、博多駅へも1時間30分で到達する。山陽地方主要都市や関西圏九州北部へのアクセスも良く、また東京駅へも、のぞみ利用で最速3時間26分で到着する。

井原鉄道

JR西日本については、中心駅の福山駅からは山陽本線の岡山方面へは日中、在来線各駅停車が毎時4本に加え、快速(サンライナー)が夕方以降のみ運行。快速での所要時間は笠岡駅まで13分、新倉敷駅まで25分、倉敷駅まで約33分、岡山駅まで45分である。広島方面へは日中、毎時3 - 4本程度運行。尾道駅まで18分、三原駅までは33分、西条駅までは69分、広島駅までは100分の所要時間。広島方面へは在来線の優等列車の設定はなく、広島方面の列車は全て糸崎駅または三原駅までの運行であり、本郷駅以西へは全て糸崎駅または三原駅での乗り換えが必要である(2019年3月改正以前は直通列車が存在した。)。福山駅を起点とし、内陸の府中市三次市を結ぶ福塩線や、井原市総社市とを結ぶ井原鉄道井原線も一日の3本のみ神辺駅を経由し福山駅に直通乗り入れしている。

なお、鞆鉄道の運営する鞆鉄道線も1913年から1954年まで存在していた。またJR福塩線の福山 - 府中間は両備鉄道が前身であるが、両備鉄道時代は現在の福塩線と一部異なるルートを通っていた。

高速道路・国道

山陽自動車道国道2号線といった基幹交通網も市内を東西に走っており、広島都市圏岡山都市圏などと結ばれている。また四国を結ぶ2つの本州四国連絡橋(瀬戸中央自動車道瀬戸内しまなみ海道)の本州側起点の中間に位置している為、香川県愛媛県といった四国北部方面へのアクセスも良好。また愛媛県今治市へは一日16往復運行されている高速バスしまなみライナー西瀬戸自動車道(しまなみ海道)経由所要時間約1時間強。

路線バス

市内・近郊路線

街の規模としては異例の3社の民間バス会社が市中心部に乗り入れている。北振バス、尾道バスは市内に路線を持つが市中心部への乗り入れはない。

井笠バスカンパニーは岡山県に本社を置くが、歴史的な経緯から福山市を主要運行エリアとしている。は同社最大のターミナルとなっている。これにより同社は、全国的にも稀な越県路線を複数持つ路線バス会社である。

都市間高速路線

県外路線

福山市は非県庁所在地でありながら10を超える県外路線を抱える。一方で高速バスの大半を運行する中国バスは収益を求め過度の路線拡大を行った結果として経営環境が苦しく、乗務員に無理な運行を強いるなどの行為がたびたび露見し、当局より指導を受けるなどしてきた。高速バスの過当競争に巻き込まれ収益性の低下した中国バスは積みあがる累積赤字を解消することができず2000年代に入り経営破綻、経営権は両備グループに譲渡された。

県内路線

ローズライナーは新幹線との競合の為、1日36往復と高頻度で運行されている。

港湾

福山市を発着する航路

以下の4航路が存在する。かつては福山港 - 香川県多度津町間に福山・多度津フェリーが就航していたが、2008年8月31日をもって廃止された。

  • 鞆港 - 走島間航路(走島汽船)
  • 鞆港 - 仙酔島渡船(市営)
  • 鞆港 - 尾道間観光船(瀬戸内クルージング
    春季から秋季まで 土曜日、日曜日、祝日のみの限定運航
  • 尾道港 - 戸崎港 - 歌港 - 満越港 - 福田港(百島) - 常石港(備後商船

公共サービス

警察

広島県警察

消防・救急

(福山市・府中市・神石高原町の2市1町で組織され、消防・救急業務を運用中。) 8署、1分署、6出張所

  • 本部(福山市沖野上町5丁目)
  • 南消防署(福山市沖野上町5丁目)、鞆出張所(福山市鞆町鞆字関町)、瀬戸出張所(福山市瀬戸町)
  • 北消防署(福山市奈良津町2丁目)、駅家分署(福山市駅家町万能倉)
  • 東消防署(福山市引野町北4丁目)
  • 西消防署(福山市松永町3丁目)、今津出張所(福山市今津町字安毛の下)、沼隈内海出張所(福山市沼隈町常石)
  • 水上消防署(福山市箕沖町)
  • 芦品消防署(福山市新市町戸手)
  • 深安消防署(福山市神辺町川北)、安田出張所(神石高原町安田)
  • 府中消防署(府中市府中町)、小塚出張所(府中市上下町小塚)

市内の主な病院

マスメディア

テレビ

    • 以前、NHK福山放送局が市内に存在した(現・NHK福山支局)。

ラジオ

以前は広島エフエム放送も支社を設置していたが、合理化により廃止された。

新聞

地域紙

  • 経済リポート(当地域一の経済誌で購読者数も一位)
  • 中国ビジネス情報
  • びんご経済レポート(本社は尾道市)
  • ウィンク(タウン情報誌)
  • 福山リビング新聞(無料誌)
  • プレスシード(無料誌)
  • タウン情報ふくやま(タウン情報誌)※2006年10月号をもって休刊。

経済

工業

福山市の製造品出荷額は約1兆5000億円で中四国地方でも倉敷市に次ぐ2番目の規模。特に1961年(昭和36年)に完成したJFEスチール西日本製鉄所福山地区(旧日本鋼管福山製鉄所)は、同社最大の製造拠点であるのみならず世界最大規模の製鉄所でもあり、造船、機械産業の大工場も複数抱える。

地場産業では繊維・電子機器・ポンプ・クレーン・機械検査機器・食品トレー・ゴム製造業などの一大製造拠点になっている。

また上場企業やその業種のオンリーワン企業が都市規模の割合に比較しても非常に多く、国内地方都市では静岡県浜松地区に次ぐ上場・トップシェア企業の多い地域である。

基幹産業・上場企業

輸送用機器
食品
  • 虎屋本舗(和洋菓子製造販売・本社所在地)
  • (麺類製造販売・本社所在地)
  • (漬物製造販売・本社所在地)
サービス業・不動産
  • ベッセル(ホテル・マンション経営、ビルメンテナンス・印刷業・飲食業)、元「福山地所(株)」。本社所在地
  • ロイヤルコーポレーション(自動車学校、クレーン学校、小型船舶教習所、本部所在地)
衣服・繊維
卸・小売業
運輸・運送業
その他製造業

鉱業

かつて以下のような鉱山が存在したが、すべて閉山している。

  • 大谷鉱山 - 本郷村大谷。江戸時代に銅を中心に算出した。永鉱山鉱山とも。大正6年には14万1452貫を生産したが、その後閉鎖[20]
  • 山南銅山 - 沼隈郡山南村。明治44年には銅2180貫を生産したが大正時代に操業停止[20]
  • 大豊銅山 - 沼隈郡千年村常石大越。大正7年に8万7619貫を生産したが、大正23年までに操業停止[20]
  • 勝負銅山 - 赤坂村勝負にあった。大同年間より採掘が開始された。大正23年までに操業停止。断続的に昭和28年まで操業した[20]
  • 田壕銅山(だぼ) - 沼隈町の熊ヶ峰中腹にあった銅山。大正11年5月より試掘開始[20]
  • 本郷町の炭田 - 松永本郷町の納屋地区にあった炭田[21]。亜炭を産出したが、操業期間は短かった。

商業

福山駅前(中心街)

市内随一の商業集積を持つ地域で、福山駅南口周辺を中心として形成される。

昭和30年代ごろまでは駅から少し離れた本通りや霞銀座、大黒町といった古くからの商店街が小売の中心であった。戦後間もなくの1948年(昭和23年)に天満屋が福山駅前に出店し、昭和40年代にダイエーやニチイ(後に福山ビブレとなる)、イズミ(後に複合専門店ビルCASPAとなる)などが相次いで出店すると小売の主軸は駅前へと移っていった。

1984年(昭和59年)に元町市街地再開発事業で建替えられた天満屋福山店が大幅増床オープンし駅前地区の商業は全盛期を迎える。しかし、1990年代までに商業の中心は蔵王・春日(東部)を始めとする郊外型の店舗へと移行していき、1992年(平成4年)に当時中国地方最大級の規模を持つ百貨店「福山そごう」が駅南西の工場跡地に開店。バブル経済崩壊や駅から若干離れる立地などから売り上げは伸び悩み、経営母体の破綻による煽りを受け、わずか8年後の2000年(平成12年)には閉鎖された。また、その前年には福山ビブレが営業不振により閉店、2005年(平成17年)にはダイエー福山店が閉店した。

福山そごう跡は福山市が買い取り2003年(平成15年)に天満屋系列の複合専門店ビルが入居して“福山ロッツ”としてオープンし、2013年 (平成25年) に天満屋が撤退後に大和情報サービスの運営に切り替わり"RiM-f"となった。福山ビブレ跡地にはホテルや貸しオフィスや飲食店、岩盤浴施設などの複合多目的ビルが開店し、ダイエー東館跡には2002年(平成14年)からフタバ図書GIGAが入居したが2009年(平成21年)に閉店し、これをトモテツセブンが取得して専門店ビルとして再生させた。ダイエー西館跡は解体され高層分譲マンションが建設された。また2018年にはダイエー東館の解体に着手、跡地にはダイワロイネットホテル福山が2020年に完成予定。またビブレ跡のビルも部分解体を受けて「ホテル1・2・3」が入る14階建てホテルに改築。その隣接地のNHK福山放送局跡地にも20階建て分譲マンションの計画がある。キャスパ跡地も2019年4月に再開発計画が発表され、低層階に商業施設を併設した22階建てマンションや13階建ホテルを中核とするビルが2023年までに完成予定[22]

駅前地区の衰退に歯止めをかけるため、福山市は福山そごう跡買い取りに続いて2009年(平成21年)に循環バス路線「まわローズ」の運行を開始、更に駅前周辺の整備事業として2011年には駅南口に地下送迎場を設置、同時に駐輪場設置や道路整備を行なうなど、様々な振興策を打ち出した。同年、民間主導による再開発事業により商業・住居複合ビルアイネスフクヤマが完成したものの、テナントがアイネスフクヤマに移動してしまったキャスパが2012年閉店となる。駅南東側の伏見町にも複合ビルを中心とした再開発計画があったが頓挫、再開発準備組合は2016年に解散した[23]

一方、駅ナカでは「福山サントーク」が、中国四国地方初の7店を含む91店集積の下、2007年平成19年)11月1日に「さんすて福山(サンステーションテラス福山)」としてリニューアルオープン。2008年7月1日に今まで駅北東側の三吉町にあった市立図書館が福山市生涯学習プラザ(愛称:まなびの館ローズコム)として中心部から南に進んだ霞町、中央公園内(福山市民会館跡地)に移転した。

なお、居住環境としての福山駅前は2000年代後半ごろから都市部への回帰や新幹線が停車する利便性の高さなどにより、分譲マンションの建設が進んだ。また、福山駅北口は分譲・賃貸マンションやビジネスホテル、飲食店・小売店などが点在するほかは空地や駐車場が目立つなど比較的開発が進んでいなかったが、ここにも2000年代後半ごろから新たなビジネスホテルや高層マンションが相次いで建設され、2008年平成20年)には福山大学のサテライトスクールが設置された。

松浜町・入船町・港町・王子町 (中心街)

福山駅前から南東へ約1.5キロ辺りに広がる地区である。実質、福山市中心部を管轄する福山東警察署があり松浜町や入船町は歓楽街が主体であるが市中心部の国道2号線と県道との交差点にあった日本化薬福山工場(市内箕沖町に移転)跡地を中心に大規模な再開発がなされ、イトーヨーカドー福山店(2019年2月に閉店。同年6月29日にゆめタウン福山としてオープン)と天満屋天満屋ハピータウンを中核とする大規模駐車場を備えたポートプラザ日化が建設された。市も周辺を大規模な区画整理を行い、隣接の松浜町の工場跡地に福山芸術文化ホール(リーデンローズ)がオープン。入船町と隣接した港町の入江を埋め立てた場所に福山市立大学が開校。また入船町にエディオン福山本店、松浜町にケーズデンキ福山店などの大規模な小売業の進出した。当該地区を取り囲むように分譲・賃貸マンションが多く立地している。王子町は主に国道2号沿いに当地に本社を構える洋服の青山本店を中心に郊外型店が密集している。

沖野上町

福山駅前から南へ約2キロ辺りに広がる地区で旧国立病院(現在の国立福山医療センター)付近を中心に大・中規模の医療施設の集積が多く、分譲・賃貸マンションも多い。ある程度の商業集積があるが駅前地区との連続性は乏しい。近隣の緑町には大規模な都市公園である緑町公園とかつて天満屋ハピータウン緑町店やサンピアがあった場所に郊外型の商業施設のココローズやみどり町モールがオープン。また沖野上地区にはルートイン Spa Resortホテルグランティア福山、複合宴会場のアルセがある。

昭和町・南町・住吉町・松浜町・入船町・寺町・旭町

福山駅前から南東へ約700メートル辺りに広がる地区で分譲・賃貸マンションが多数存在する。

寺町から旭町にかけては、水野勝成公の城下町建設に従って集められた寺院が集積している。

東深津・南蔵王・引野・明神・手城・春日(東部)

福山駅前から東へ約3-5キロ辺りに広がる福山駅前に次ぐ集積を持つ地区である。かつては広大な干拓農地が一面に広がるエリアであったが、平野部は国道182号線バイパスの設置や昭和40年代の大規模区画整理により整備され、山間部も昭和50年代に日本鋼管(現JFE)の住宅団地として伊勢ヶ丘・春日台が開発された。こうした中、市は東部副都心構想を策定してJR東福山駅や福山市民病院(蔵王町)東深津町には当時の日本鋼管が寄贈したプールや小規模な遊園地を併設したメモリアルパークを設置するなどインフラを整備する。そして、蔵王・春日地区の平野部を東西に貫く県道沿いに「イズミ蔵王店(現在のゆめタウン蔵王)」がオープンしたことを皮切りに昭和60年頃から周辺に数多くの郊外型店舗が立地していき、後背地に幕山・伊勢ケ丘・大谷台といった大規模住宅地を抱える地理的条件もあいまり大発展を遂げた。また、昭和63年には山陽自動車道福山東ICが蔵王町に開通するなど交通の利便性も更に高まり、現在では高層の分譲・賃貸マンション、戸建住宅・オフィスなどの立地も盛んで単なる郊外型商業地ではない高度な集積が形成されている。この他、JR山陽新幹線を隔てた明神町の国道2号線沿いにはヤマダ電機福山店やニトリラウンドワンフタバ図書ドン・キホーテなど新たな商業集積ができつつあり、伊勢ケ丘地域ではJFE西日本製鉄所社宅跡地を利用した食品スーパーのハローズやホームセンターのユーホーTSUTAYAマクドナルドなどを中核とするショッピングモールがある。

松永(西部)

福山駅前から西へ約10キロ辺りにあり、かつては松永市だったが昭和41年に福山市に合併された。江戸時代に水野家家臣の本庄重政の指揮の下、遠浅の海岸地形を干拓して以来製塩業が盛んで、その薪燃料を別利用した下駄製造が二次的に栄えたが、今ではほとんど見られない。昭和35年の国策での塩田廃止後は駅南部の塩田跡地は徐々に埋め立てられ、住宅地や商業地へと変貌している。(ロイヤルドライビングスクールは塩田跡地をそのまま利用したもので地表面が周りから比べると明らかに低い。)旧松永市時代には中世より宿場町として栄え江戸時代には本陣も置かれた今津地区とを結ぶJR松永駅北部が中心地であったが、駅南側もゆめタウン松永店のオープンを皮切りに郊外型店舗を中心とする集積が進んでいった。また、小規模ではあるが駅南口には歓楽街もある。駅周辺は福山大学の開設の契機に中高層の主に学生向け賃貸マンションが多く立ち並ぶようになった。西側の尾道市との境である高西町は南松永と高西町を繋ぐ架橋が完成したり土地区画整理やヤマダ電機福山西店の出店などにより市町村合併前は同じ旧高須村地域であった過去を物語る様に連続的な集積が出来ている。東側の福山市中心部と松永地区の中間点である津之郷、赤坂、瀬戸地区にも郊外型パワーセンターのサファ福山やライフステージ太陽福山店などが立地している。

駅家・御幸・神辺(北部)

福山駅前から北へ約6-7キロ辺りに広がる地区で駅家地区は昭和50年代に福山市に編入された地域である。長らくJR福塩線の北側の県道沿いにのみ小規模な商店街が形成されるのみであったが、昭和50年代にニチイ駅家店(後にサティになるが現在は撤退し食品スーパーのハローズ主体の駅家モールとなっている)がオープンし、この地区の郊外型店舗のさきがけとなった。そして、これを軸に商業集積が出来ていったが、幾分道路事情が悪かったことなどから商業的中心は国道486号線沿いへと移っていった。

御幸地区は南部の県道沿いに小規模な集積があったのみであったが、北部に国道486号線が開通したことや、福山平成大学や中国中央病院、広島県立ふくやま産業交流館(ビッグローズ)が完成すると神辺平野の中核的な地域となり、現在では国道沿いに駅家地区、神辺地区と連続した商業集積を持っている。

神辺地区は国道313号線沿いや国道182号線沿いの川南・道上地区、旧山陽道(西国街道)沿いに古くからの小規模な商業集積があるのみであったが、JR神辺駅周辺に昭和50年代に郊外型商業施設である天満屋ハピータウン神辺店(現在は撤退して食品スーパーのハートが入店)やニチイ神辺店(サティに衣替えするが撤退しユーホーが出店するが隣接地に移転する)がオープンする。しかし、神辺駅周辺は道路事情が悪いことや御幸地区の発展などから現在は衰退気味である。一方、国道486号線沿いは国道313号線との交差点付近(湯野区画整理事業地内)にパワーセンターであるMrMax(現在はフレスポ神辺モールへ移転)やアクト神辺がオープンし、平成に入り国道486号線が全通して国道182号線と結ばれたことを契機に駅家・御幸地区との連続的集積が形成されていった。そして、平成17年(2005年)に486号線と182号線の交差点付近(道上土地区画整理事業地内)にフジグラン神辺を中心とする大規模商業エリアが完成した。

川口・多冶米・新涯・曙・一文字・水呑(南部)

福山駅前から南へ約4-5キロ辺りに広がる地区であり、川口と多治米は江戸時代初期、新涯(曙、一文字を含む)は幕末に干拓された地域。1970年代の大規模土地区画整理事業以前はバス通り沿いに小規模な商業集積があるのみの田園地帯であった。昭和47年(1972年)に手城町とを隔てる運河に入江大橋が架けられ国道182号線とを結ぶ県道380号線が開通したことを契機にこの通り沿いを中心に郊外型商業施設が建ち始めた。しかし、周辺人口の少なさや海に囲まれた閉鎖的な地理環境などから現在も大規模な集積は生まれていなかった。平成6年(1994年)に駅前大通りから続く道路(福山駅箕島線)が開通し、平成15年(2003年)の芦田川大橋開通により芦田川対岸の水呑町と結ばれ、交通事情が大きく改善している。商業的中心は川口地区から新涯地区へと移っていった。また、芦田川大橋を渡った水呑町も区画整理事業が完了するに伴い商業集積が高まってきている。

ビックボール有する、ボウリング、ビリヤード、漫画店等に隣接するイオン系列のショップモールの撤退後、(2007年)以降からは大規模な総合アミューズメント施設(コロナワールド)が建つ他、観覧車の設置、福山夏祭りの恒例イベントである花火大会を芦田川大橋付近で行うなど近年、賑わいを集めている。人口の増加では駅前周辺に次ぐ増加率である。

各場所にはじじんさんと呼ばれる石造の神様が江戸期に行われた大新涯干拓事業により設置されている。

この区域ではクワイ(芋類の一種)の生産が盛んであり、福山は生産高日本1位(また2010年現在)も記録されている。

箕島・箕沖(南部)

箕島は元々は福山湾内に浮かぶ離島であったが、江戸時代から明治初年に行われた大新涯の干拓により陸続きになった。作物に恵まれた地域である。また近くの茶山には古墳が存在する。

新涯・箕島から2 - 3キロに続く埋立地を箕沖と言い、中国電力の太陽光発電所やエフピコ・日本化薬、各種製造会社、港湾施設などが立ち並ぶ。

新市(北部)

福山駅前から北西へ約15キロ辺りに広がる地区で古代から繁栄した地域で備後一宮も鎮座する。県道沿いのJR新市駅付近に小規模な商業集積があったが国道486号沿いの駅家町や府中市との境界付近に一定規模の連続的な商業集積がある。繊維業が盛んで日本三大絣の備後絣発祥の地としても有名。自重堂、コーコスなどのワーキング大手やブルーウェイやカイハラなどジーンズ系大手が本社を構える繊維の街である。

主な大規模小売店

主要宿泊施設

  • ホテル1-2-3 福山
  • リッチモンドホテル福山駅前
  • 福山ニューキャッスルホテル(福山最大のシティホテル)
  • ホテルエリアワン福山
  • 福山ターミナルホテル
  • キャッスルイン福山
  • サンホテル福山
  • 福山オリエンタルホテル
  • アンカーホテル福山
  • 丸之内ホテル
  • 福山プラザホテル
  • 福山ローズガーデンホテル
  • カンデオホテルズ福山
  • ベッセルホテル福山
  • ホテルグランティア福山SPA RESORT
  • 景勝館漣亭
  • 鞆シーサイドホテル
  • 汀邸遠音近音
  • ホテル鴎風亭
  • 人生感が変わる宿ここから
  • 東横イン福山新幹線駅前
  • 常石ハーバーホテル
  • ダイワロイネット福山駅前(建設中)
  • リブマックス福山駅前

主な大手企業支店一覧

市内に本・支店をおく地方金融機関支店一覧

地方銀行
  • 広島銀行福山営業本部・福山西・福山胡町・福山手城・福山春日・福山南・福山蔵王・福山川口・福山瀬戸・鞆・松永・松永南・駅家・新市・千年・神辺・神辺西各支店・イトーヨーカドー福山店出張所
  • 中国銀行福山・福山胡町・松永・鞆・駅家・神辺・新市・千年・福山春日・福山西・福山東・福山南各支店
  • 山口銀行福山支店
  • 山陰合同銀行福山支店
  • 伊予銀行福山支店
  • 百十四銀行福山支店
  • 西日本シティ銀行福山支店
第二地方銀行
  • もみじ銀行福山地区本部・松永・福山南・蔵王・神辺・福山中央・福山東・福山西各支店・住宅センター福山・福山御船・川口・手城・御幸・春日各出張所
  • トマト銀行福山支店
  • 香川銀行福山支店
  • 愛媛銀行福山支店
信用金庫・信用組合等
地方証券会社

教育

1970年代より、同和団体による教育への過剰な干渉が広島県で問題となった。福山市は府中市や芦品郡世羅郡などとともに、それらの問題が激かった地区である。国会で問題視され文部省による是正措置が行われた後は解消しつつある。

以下は福山市内の教育機関の一覧である(休校中の学校を除く)。

小学校

公立
私立

中学校

国立
市立
私立

義務教育学校

公立

高等学校

国立
県立
市立
私立

大学

公立
私立

専門学校

私立
  • 学校法人穴吹学園
    • 穴吹医療福祉専門学校
    • 穴吹情報デザイン専門学校
    • 穴吹調理製菓専門学校
    • 穴吹動物専門学校
    • 穴吹ビューティ専門学校
  • 朝日医療専門学校福山校
  • 広島県東部美容専門学校
  • ファッションビジネス・アカデミー福山
  • 福山市医師会看護専門学校
  • 福山市歯科医師会附属福山歯科衛生士学校
  • 福山福祉専門学校
  • 福山ペットビジネス専門学院
  • 福山YMCA学園
  • 福山YMCA国際ビジネス専門学校
  • 弥勒の里国際文化学院日本語学校

その他の教育機関

県立

学校教育以外の施設

独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構立
県立

統廃合および廃止された教育機関

幼稚園

小学校

中学校

高等学校

専門学校

その他の教育機関

学校教育以外の施設

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

文化財

国宝

  • 明王院五重塔(草戸町)
  • 明王院本堂(草戸町)
  • 太刀 銘 正恒(福山市所有、ふくやま美術館保管)[24]
  • 太刀 銘 国宗(福山市所有、ふくやま美術館保管)
  • 太刀 銘 吉房(福山市所有、ふくやま美術館保管)
  • 太刀 銘 則房(福山市所有、ふくやま美術館保管)
  • 太刀 銘 筑州住左(江雪左文字)(福山市所有、ふくやま美術館保管)
  • 短刀 銘 左/筑州住(太閤左文字)(福山市所有、ふくやま美術館保管)
  • 短刀 銘 国光(名物会津新藤五)(福山市所有、ふくやま美術館保管)

重要文化財(国指定)

  • 福山城伏見櫓(京都伏見城より後述の筋鉄御門と伴に江戸時代初期に移築・丸之内一丁目)
  • 福山城筋鉄御門(丸之内一丁目)
  • 沼名前神社能舞台(鞆町・沼名前神社境内・京都伏見城にあったもの)
  • 鞆の浦太田家住宅・太田家住宅朝宗亭(鞆町)
  • 鞆の浦備後安国寺釈迦堂(鞆町)
  • 木造十一面観音立像(草戸町・明王院蔵)
  • 木造阿弥陀如来及両脇侍立像(鞆町・安国寺蔵)
  • 木造法燈国師坐像(鞆町・安国寺蔵)
  • 磐台寺観音堂(沼隈町)
  • 備後吉備津神社本殿(新市町)
  • 木造狛犬(新市町・吉備津神社蔵)
  • 毛抜形太刀 五阿弥長行作(新市町・吉備津神社蔵)
  • 毛抜形太刀 五阿弥長行作(新市町・吉備津神社蔵)
  • 毛抜形太刀 正光作(新市町・吉備津神社蔵)
  • 毛抜形太刀 正光作(新市町・吉備津神社蔵)
  • 太刀 銘国清(福山市所有、ふくやま美術館保管)
  • 太刀 銘備州長船兼光 延文三年二月日(福山市所有、ふくやま美術館保管)
  • 短刀 銘光包(福山市所有、ふくやま美術館保管)
  • 太刀 銘備前国住長船盛景(福山市所有、ふくやま美術館保管)
  • 短刀 朱銘貞宗(名物朱判貞宗)(福山市所有、ふくやま美術館保管)
  • 刀 無銘 伝 来国光(福山市所有、ふくやま美術館保管)

特別史跡

史跡(国指定)

名勝(国指定)

天然記念物(国指定)

重要有形民俗文化財(国指定)

国登録有形文化財建造物

  • 福寿会館 - 「鰹節王」氏の旧別宅。文化財の洋館日本庭園、和風本館で構成される
  • 福山誠之館高等学校記念館
  • 南禅坊(鞆町) - 本堂・山門
  • (新市町)

その他

スポーツ施設

レジャー

スポーツ

ボーイスカウト

観光・芸術

博物館・資料館

美術館

  • 福山市立ふくやま美術館(丸之内一丁目)
  • 福山市立ふくやま文学館井伏鱒二の書を中心に展示・丸之内一丁目)
  • 福山市立(西町1丁目・福山ロッツ8階)
  • しぶや美術館(本町・福山通運創業者澁谷昇氏の絵画コレクションを展示)
  • 中川美術館(中国古代美術・熊野町)

図書館

  • まなびの館ローズコム - 福山市中央図書館、福山市生涯学習プラザなどの複合施設。2008年7月1日開館。霞町一丁目・中央公園の一角にある。
  • 松永図書館 (松永町)
  • 北部図書館 (駅家町)
  • 東部図書館 (伊勢丘)
  • 沼隈図書館 (沼隈町)
  • 新市図書館 (新市町)
  • かんなべ図書館 (神辺町)
  • 水呑分室 (水呑町)

その他

閉館

祭り

福山市の名産品

福山市出身・ゆかりの主な著名人

公人

実業家

文化人

芸能人

スポーツ選手

放送・新聞