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香芝市の「なら香芝天満座」 コロナ支援でチャリティー公演
内容をざっくり書くと
大衆演劇を見放さないように、こんな時期ですがよろしくお願いいたします。
新型コロナの影響で全国の劇場などが経営難に陥る中、香芝市にある劇場ではチャリティー公演が行われました… →このまま続きを読む
奈良テレビ放送
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大衆演劇
大衆演劇(たいしゅうえんげき)とは、日本の演劇におけるジャンルの一つ。一般大衆を観客とする庶民的な演劇のこと。一般的には「旅役者」と呼ばれる劇団に当たる。
概要
数名から数十名の規模で形成された劇団によってそれぞれ運営・実施される。劇団の主催者は座長(ざちょう)とよばれ、世襲されることが多い。しかし、他の伝統芸能のような、確立した特定の家元・流派・名跡は存在しない。
一座の多くが、ごく近しい血縁者で構成されている。1歳から3歳ほどの幼い頃に初舞台を踏み、楽屋を我が家とし、一座の中で成長していく。やがて役者として座長を継ぎ、または一役者として舞台を踏み、あるいは独り立ちする。時には血縁者の座長を盛りたてたりと、その身内の絆は強い。
最近は専用の芝居小屋は少なくなり、もっぱら温泉宿やホテルのホールや大広間での公演となってしまっている。しかし九州や四国地方では未だ盛んである[1]。
大衆演劇の舞台は、芝居とショーの二部から三部構成で演じられる。
- 芝居:人情劇や剣劇(時代劇など)が演じられる。
- 『忠臣蔵』・『国定忠治』・『清水次郎長』といった歌舞伎・新派劇・新劇の演目が多い。
- 歌謡ショー/舞踊ショー:劇団に属する役者が歌うあるいは踊るショー。
- 日舞を基本とし演歌や歌謡曲にのせて踊る、あるいは歌う。
東京、大阪、九州では芸風が全く異なっており、例えば東京で受けたものが東京以外で受け入れられるとは限らない。
公演終了後には劇団員が総出で退出する観客を見送る送り出しが行われ、観客と演者との一体感を醸成するのに役立っている。ショーのとき、贔屓のお客さんから「お花」と呼ばれるご祝儀(一万円札や五千円札をつなぎ合わせてレイにして役者の首にかけたり、扇状にして胸元にさしたりする)を貰うことがある。
女形に注目されがちであるが、女性座長や女優もおり、舞台を彩っている。
歴史
各地を巡業していた旅役者の流れを汲む。
江戸時代
数多く存在した旅役者の一座のうち、江戸においては中村座・市村座・河原崎座のみ、官許され常設の芝居小屋を持つことができた。この江戸三座を「大芝居」と呼ぶ。これに対し、寺社境内などで演じられたものを「小芝居」と呼ぶ。江戸の他、大阪・京都でも上記のような大芝居、小芝居の区別が生じた。
大芝居が幕府の保護あるいは監視のもと、伝統と格式を追求し練り上げていくのに対し、小芝居は伝統や格式よりも、より派手に見世物的に演じることを主体とし、庶民に娯楽を提供する傾向にあった。
大芝居、小芝居とは別に、江戸・京都・大阪の3都市以外で全国を回る旅役者も変らず存在していた。これらは「」と呼ばれた。
明治時代から戦前
開国した日本は「諸外国に誇れる総合芸術を[2]」と大芝居に目を向け、また大芝居側もより堅実で高度な芝居をしたいという、双方の利害が一致し、大芝居の近代化が図られた。こうして、明治初年から20年代にかけて演劇改良運動が起こる。大芝居は明治政府と松竹により保護、「国劇」と認知され、大芝居とその他亜流(小芝居、旅芝居)の明確な線引きが生まれることになる。大芝居は「大歌舞伎」、小芝居は「中歌舞伎」という呼び名がここで生まれた。大歌舞伎はこの後、今日の「歌舞伎」へと進化していく。
演劇改良運動の急激な改革に反発、あるいは零れ落ちた大芝居の役者達の小芝居・旅芝居や新たな一座を立ち上げる流れや、江戸時代から盛んだった地方部の農村歌舞伎のセミプロの流れが、離合集散し全国を巡業した。明治中期に新派、仁輪加、浪花節の旅一座などと時折合同公演を行ううち、節劇が生まれた。
大正末期から一角の繁栄を築いていた一方、大阪はじめ西日本では(九州では特に)「」と呼ばれる浪花節を舞台回しに使う演劇が流行していた。
新劇と呼ばれるもののうち、澤田正二郎の劇団「新国劇」は大衆演劇の直接の起源の一つとされている。1919年発表の『月形半平太』・『国定忠治』によって確立した剣劇は、今まで小芝居・旅芝居で演じられてきた歌舞伎の形式・形を踏まえつつも殺陣を用いた「チャンバラ時代劇」であった。そして1928年、大衆作家と呼ばれた長谷川伸が新国劇に書き下ろした『沓掛時次郎』・『股旅草鞋』によってが確立する。
この剣劇・股旅物を主として演じる小芝居・旅芝居の役者・劇団が、「大衆演劇」と呼ばれ始めるはこの頃からである。
戦後から現代
テレビの登場によりその人気は下火となった。これに危機感を覚え、東京・大阪・福岡の各劇団が相互扶助の為に3つの団体を発足。即ち、「東京大衆演劇劇場協会」・「関西大衆演劇親交会」・「九州演劇協会」の3つである。
「下町の玉三郎」こと梅沢劇団梅沢富美男の登場により、冷えていた大衆演劇がマスコミの注目を浴び、再び世間に広く知られるようになった。
公演場所
大衆演劇の公演場所は劇場とセンターのふたつに大別される。
- 劇場:大衆演劇専門の芝居小屋のこと。通称常打ち小屋と呼ばれている。2007年現在、日本全国に25か所ある。
- センター:健康ランド、ホテルや旅館など劇場以外でステージを有する場所のこと。
- 市民ホール、町民ホール:意外な場所として挙げられている[3]。
大衆演劇のスター
- 梅沢富美男:「下町の玉三郎」の通称で知られる。
- 嘉島典俊:「チビ玉」の通称で知られる。
- 沢竜二:「演劇の神」の通称で知られる。
- 松井誠:「生きる博多人形」の通称で知られる。
- 大川良太郎:「平成の良太郎」の通称で知られる。
- 早乙女太一:「流し目王子」の通称で知られる。
- 橘大五郎:「大衆演劇界のニューヒーロー 天才女形」の通称で知られる。橘菊太郎劇団 三代目座長
- 烏丸遊也:「異例の若丸一門」として知られる。若丸一門 劇団時遊座長
- 小林真:「マコ様」の愛称で知られる。小林劇団の総座長
- :「ようちゃん」の愛称。岡山市北区の中心地に後楽座を設立。
主な演目
- 忠臣蔵
- 四谷怪談
- 怪猫
- 国定忠治
- 文七元結
- 滝の白糸
- 瞼の母
- 清水の次郎長
- 婦系図
- 明治一代女
著名な劇場
- 浅草大勝館(東京都台東区浅草、浅草公園六区)※2009年、老朽化により閉館。
- 木馬館大衆劇場(東京都台東区浅草、浅草奥山)※昭和52年から[5]
- 篠原演芸場(東京都北区十条)※昭和26年から[6]
- 湯宴ランド (東京都江戸川区小岩)※2016年、再開発と老朽化により閉館。
- 立川けやき座(東京都立川市)
- みのりの湯(千葉県柏市十余二)
- 三吉演芸場(神奈川県横浜市南区)
- 大島劇場(神奈川県川崎市川崎区大島)
- 湯ぱらだいす佐倉(千葉県佐倉市 JR佐倉駅前)
- 浪速クラブ(大阪府大阪市浪速区、新世界)
- 朝日劇場(大阪府大阪市浪速区、新世界)
- 鈴成座(大阪府大阪市西成区)
- 梅南座(大阪府大阪市西成区)
- オーエス劇場(大阪府大阪市西成区)
- 明生座(大阪府大阪市生野区)
- 満座劇場(大阪府大阪市城東区)
- 羅い舞座 京橋劇場(大阪府大阪市都島区)
- 梅田呉服座(大阪府大阪市北区)
- 木川劇場(大阪府大阪市淀川区)
- 堺東 羅い舞座(大阪府堺市堺区)
- 池田呉服座(大阪府池田市)
- 尼崎中央 天満座(兵庫県尼崎市)
- 座 三和スタジオ(兵庫県尼崎市)
- 新開地劇場(兵庫県神戸市兵庫区、新開地)
- 弁天座(奈良県大和高田市)
- 御所 羅い舞座(奈良県御所市)
大衆演劇を題材とした作品
- 『淋しいのはお前だけじゃない』(TBS)
- 『いちばん太鼓』(NHK連続テレビ小説)
- 『ワンハート〜この空の下で〜』(TBS)
国際的視点
参考文献
- 『大衆演劇お作法』 ぴあ伝統芸能入門シリーズ、ぴあ株式会社、2004年3月6日。ISBN 4835609220
- 橋本正樹『あっぱれ旅役者列伝』現代書館、2011年1月。ISBN 978-4768476635
脚注
- ^ 最近は専用の芝居小屋は少なくなり、もっぱら温泉宿やホテルのホールや大広間での公演となってしまっている。しかし、今でも九州や四国地方を訪れると、必ず旅の途中に芝居公演に出くわすほどだ。出典:南正時『「寅さん」が愛した汽車旅』2008年4月20日。p.39
- ^ 日本芸術文化振興会(国立劇場)・歌舞伎への誘い
- ^ 大衆演劇お作法p.9
- ^ 以上、大衆演劇お作法p.46-65
- ^ 大衆演劇お作法 はじめにp.2
- ^ 大衆演劇お作法 はじめにp.2
- ^ 鵜飼正樹「タイの大衆演劇 リケー」『現代風俗 娯楽の殿堂 現代風俗研究会年報第27号』新宿書房、2006年発行。p.174 ISBN 9784880083483
関連項目
外部リンク
- 大衆演劇(たいしゅうえんげき)とは - コトバンク
- 東京大衆演劇劇場協会 - 大衆演劇の協議会の一。
- 劇団いばらき~水戸黄門~ - 茨城県水戸市の大衆演劇市民劇団。