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😷|新型コロナウイルス 新たに72人の感染を確認


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新型コロナウイルス 新たに72人の感染を確認

 
内容をざっくり書くと
ところで、アメリカ軍は6日、嘉手納基地やキャンプハンセン、キャンプフォスターで8人が新たに感染したと県に報告した。
 

県内では6日、新たに72人の新型コロナウイルスへの感染が確認された。 70人以上の感染はおよそ1ヶ月… →このまま続きを読む

 沖縄テレビ

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キャンプ・ハンセン

座標: 北緯26度27分38秒 東経127度54分54秒 / 北緯26.460467度 東経127.915076度 / 26.460467; 127.915076キャンプ・ハンセン英語: Camp Hansen)とは日本国沖縄県中部にあるアメリカ合衆国海兵隊の基地である。本基地は主として金武町にあり、金武湾の北岸に近く、沖縄本島に位置する主要な軍事施設としては、北から2番目にあり、基地北方にはキャンプ・シュワブがある。キャンプ・バトラーの一部となっているが、キャンプ・バトラーは物理的な基地を意味するものではなく、沖縄の海兵隊施設全体を包含する際の呼称である。

本基地は沖縄戦で戦死し名誉勲章に叙されたデール・マーリン・ハンセン(英:Dale M. Hansen)海兵隊二等兵にちなんで命名された。

基地概要

本基地はキャンプシュワブと共に、中部訓練区域(Central Training Area)の中核に当たり、幾つかの射撃場や、実弾射撃訓練のための一連の建物や、その他の訓練区域を含み、沖縄本島で実弾射撃が許されている数少ない場所である。また、キャンプ・ハンセンは軍刑務所もあり、極東周辺の軍関係者を短期間監禁するための施設となっている。

本基地を上空からの写真で見ると平地に碁盤の目上に建物が整然と建つ東側の平野部と、西側の丘陵地帯からなっていることに気づく。前者が国道329号沿いの金武町の市街地に面した「キャンプ地区」であり、後者はキャンプ地区北西側の恩納村から名護市、宜野座村に至っており「訓練地区」と呼ばれている。『名護市と基地』によれば、訓練場は、CTA1a〜1c、2a〜2g、3a〜3f、5a〜5fに細分されている。3c、3f及び4地区を除いた地区では実弾射撃は行わず、一般演習場として部隊訓練或いは戦術訓練が行われるという[1]。実弾射撃を実施している区域は2005年時点で12となっている[2]

基地内の水域は必要に応じて毎日使用している。空域、およびR-177と呼ばれるイーズリー射撃場は常時使用となっている。『沖縄の米軍基地』(平成20年度版)には「同施設の訓練区域一帯は沖縄本島有数の森林地帯となっており、木材等生産水源の機能を果たしている」と明記されており、国、市町村有地の過半は森林である[3]。水源の少ない沖縄本島の中で北部に次ぐ森林地帯のため、各種のダムが多く建設されその集水域となっている。

ヘリパッド数については米軍の運用上の都合を理由として非公表である[4]

施設には売店(PX)、劇場、コンビニエンスストア、2つのジム、The Palmsとして知られる総合エンターテインメント施設(consolidated entertainment facility)がある。Palmsには2つのレストランとして、下士官向けのSNCOと、士官向けのクラブがある。

基礎情報

出典は『名護市と基地』2010年版による。

  • 名護市(字久志、字喜瀬、字幸喜、字許田):計1,682千㎡
  • 恩納村(字恩納、字喜瀬武原、字安富祖、字大田):計15,667千㎡
  • 宜野座村(字宜野座、字惣慶、字漢那):計12,386千㎡
  • 金武町(字金武、字伊芸、字屋嘉):計21,448千㎡
  • 総面積:51,182千㎡
    • 国有地:1,997千㎡
    • 県有地:186千㎡
    • 市町村有地:40,110千㎡
    • 私有地:8,889千㎡
  • 地主数:2162人(2009年3月現在)
  • 年間賃借料(2008年度実績):72億2,000万円
  • 駐留軍従業員数:555人(2009年3月現在)
  • 駐留海兵隊規模:総計約6000名[5]

金武町の町域の6割余りを本基地が占めているため、本基地は周辺自治体の中でも金武町に対してとりわけ大きく影響を与えている。

所属部隊

歴史

金武飛行場

  • 1945年4月下旬:沖縄戦中、上陸した米軍は金武村 (当時) 農耕地に約2000mのコーラル敷滑走路を建設し、「金武飛行場」(Chimu Airfield) 開設。
  • 1945年7月1日:5000フィートの滑走路が完成。
  • 1947年6月:場として再使用するため、沖縄民政府総務部が事前調査を実施

射撃演習場

開設当初は飛行場としての設置であり、その目的は日本本土攻撃の発進基地という位置付けであったが『調和』によれば貨物輸送機の発着に使用されていたという。日本降伏後、金武飛行場は一時放棄されたが、1947年に「飛行場を射撃場に使用する」方針が立てられた。当時地元では薪炭向けの材木切り出しのため村有林を払い下げて復興に資する計画を持っていたため、金武、並里、喜瀬武原の区長が演習場設定阻止の陳情を沖縄民政府工務部長で金武出身の松岡政保に働きかけを行った。しかし、米軍の強行により演習場としての運用が開始され、当初は小銃程度の使用だったものが、1949年になるとバズーカ迫撃砲野砲などが加わり、朝鮮戦争の開始によりさらに洋上に停泊する艦船による演習も追加されて大幅に拡大された。この頃同時に沖縄の基地自体も恒久化が決定されたのである。

  • 1947年7月:射撃場への転換を地元に通知
  • 1947年9月:米軍が旧金武飛行場周辺の村有林に射撃場を設定し、射撃演習を開始
  • 1950年6月:朝鮮戦争勃発に伴い、艦砲射撃航空支援(銃撃、爆撃)等の演習が追加
  • 1957年:「キャンプ・ハンセン」使用開始
  • 1959年:「キャンプ・ハンセン訓練場」使用開始
  • 1962年10月20日:兵舎地区を中心とした施設工事が完了
  • 1971年6月30日:沖縄返還協定了解覚書C表によりキャンプ・ハンセン訓練場の一部177.4千㎡、キャンプ・ハンセンの一部390.6千㎡を返還
  • 1972年5月15日:沖縄返還。2施設が統合され、「キャンプ・ハンセン」として提供開始
  • 1975年5月19日:沖縄自動車道路敷のため約576千㎡を返還
  • 1986年:キャンプ・マクトリアスより4軍共同運営の刑務所が移転。
  • 1990年3月:最初の都市型戦闘訓練施設が完成
  • 1996年12月2日:沖縄に関する特別行動委員会(SACO)の最終報告にて、県道104号線越え実弾砲兵射撃訓練は、1997年度中に取りやめることが合意された。
  • 2002年2月6日:着工を予定している漢那ダムのため、約839,000㎡が返還された。この際、漢那ダムの湖水面を米軍と共同使用することを返還条件とした。
  • 2006年5月1日:在日米軍再編に伴い陸上自衛隊との一部施設共同使用の方針が発表される。
  • 2006年7月10日:用地として、土地約729,000㎡の返還を日米合同委員会で合意した[6]
  • 2013年8月5日:キャンプ・ハンセン敷地内においてHH-60が1機墜落、乗員4名中1名が死亡した。この機は第5空軍第18航空団の第33救難飛行隊に所属する機だった
  • 2013年9月:日米合同委員会は、キャンプ・ハンセンの一部返還に合意した。2014年6月30日に名護市幸喜区内の55ヘクタールを、2017年6月30日に名護市喜瀬区と許田区の計107ヘクタールを返還する計画である。なお、名護市長稲嶺進沖縄タイムスなど、この返還を歓迎していない[7]
  • 2014年6月30日:幸喜区の55ヘクタールを返還[8]
  • 2017年6月30日:喜瀬区と許田区の計107ヘクタールを返還[8][9]

大規模基地の建設工事

國場組が主契約者となったことで知られる恒久施設の建設は1950年代末からである。最盛期には2000名の労働者を監督して工事は実施された。

工事計画は1958年に公表され、1959年5月15日国際入札が実施された。当初計画では予算約1100万ドルであり、後に実施された追加工事は400万ドルの契約[10]である。『國場組』社史はこれを約40億円、現在(1984年出版時)の貨幣価値に換算すれば数十倍と書いている。

『極東の城』には次のような規模だと伝えている[11]

  • 収容人員:海兵隊員約5000名
  • 建物:218棟[12]
  • 道路、駐車場の舗装:251,320平方ヤード
  • 排水渠延長:22,935フィート
  • 直接埋設電力線延長:39,160フィート
  • 銅電線延長:57,260フィート
  • 鋳鉄製水道管延長:52,290フィート
  • コンクリート下水管延長:46,590フィート
  • 地下輻射暖房システムの完備
  • 専用の水源としてを建設
  • 工事区域面積:約800万平方メートル

この入札は沖縄内ばかりでなく本土の業者や海外の業者も参加したが、國場組としては採算性に多少目を瞑ってでもこのプロジェクトを受注して名を挙げることとし、ギリギリの採算ラインとして1114万5600ドルの入札価格を弾き出した。しかし、1,100万ドル前後が勝負と見られたため、更に15万ドル差し引く案が提案され、熟考の末社長の國場幸太郎の決断により差し引いた。結果は、1位で堂々の落札となったが、2位のフィリピンの業者とは僅か2万2,000ドルの差であった。なお最高入札額は本土のある業者で1772万7554ドルであった。その後、細部を詰めてアメリカ陸軍工兵隊沖縄地域工兵隊と6月11日に契約授与の署名を手交した[13]

ただし着工後は問題も発生した。國場組は戦後一貫して米軍関係工事を受注し続けており、米軍工事につき物のPQ(Pre-Qualification,事前審査)による施工能力、実績などのハードルも乗り越えて来ており、米軍仕様には慣れていた[14]。それでもこの工事の際米軍が求めてきた検査の厳格さは従来に無いものであり、検査官に工事のやり直しを命じられた箇所もあった。また、工事規模が大きくなったことから建設労務者と機材が逼迫し、各種技能者への手当ても高騰する結果となった。当時沖縄は基地建設ブームで島外からも業者が参入しており、國場組を含めて土木機械はリースで調達することが多かったため、このリース料も高騰した。このような要因により、國場組の工程管理と労務管理は失敗し、同社は資本金の3倍を上回る欠損を出して銀行の管理下に入り経営再建の道を歩むこととなったのである[15]。なお、当時としてはプレキャスト・折版造りで建設されたキャンプとしては海兵隊最大のものであった。1962年10月20日、工事は完成した[11]

この建設工事完工に連動して基地周辺には米兵を顧客とする特飲街(新開地と通称)が発達し、人口も町外から流入し急増していった。金武にて町制の施行は1980年4月1日である。

県道104号線超え砲撃訓練

かつて県道104号線越えの実弾射撃演習が実施され、その総回数は180回余りに達した。これは、復帰以降に開始された野砲による砲撃訓練であり、第1回は1973年3月30日に実施、1973年4月24日に実施した第2回より県道封鎖が実施された[16]

1996年、SACOでの日米合意によって演習の移転が決定された。

都市型戦闘訓練施設

基地の豊富な沖縄にあっても、米軍基地に欠落する機能は存在した。そのひとつが都市環境を模した戦闘訓練施設であった。この問題を解消するため1990年3月、宜野座村福山区付近戦闘訓練村が完成した。これは西太平洋で海兵隊が保有する唯一の施設である。完成当初の施設は教会、小学校、レストラン、銀行、2階建てアパート2棟の計6棟から成り、近傍にヘリパッドがある。村に通じる道路は2本である。人質救出、全面侵攻など様々な戦術状況を想定した訓練が実施されている。建設業者にとって異質だったのは、各建物によじ登ったり、懸垂降下出来るように引っ掛けが設けられたことであり、窓の大きさは異なるものばかりであることだった。こうした工夫は海兵隊員に想定外の状況での行動を可能とするように設計された[17]

しかし、この時の訓練施設建設に対しては地元より激しい反発があった。特に反発が激しかったのは恩納村に建設された施設で、同村は当時既にリゾート地として開発が進んでいたことも理由となっている。建設資材搬入の際県警は機動隊を投入して護衛を図った程のものであった[18]。その後、知事であった西銘順治の訪米直訴により、恩納村に建設された訓練施設は解体・撤去の方針となり、1993年7月に作業は完了した。その後、長らく宜野座村福山区付近に建設された方の施設のみが供用されてきた[19]

米軍再編以降

2000年の選挙でジョージ・W・ブッシュが大統領になると米4軍は地球規模で米軍再編を開始し、本基地にもその影響が現れている部分がある。

陸軍複合射撃場

海兵隊の基地だが、アメリカ陸軍など他の軍も訓練に使用している。

2002年度予算において、新たな複合射撃場が建設されることが2001年12月21日、2002年9月21日〜26日にかけての新聞で相次いで報じられた[20]。この施設は2005年に複合射撃訓練場(いわゆる都市型戦闘訓練施設)としてレンジ4(Range4)と呼ばれる区域に建設された。当時の政府答弁書によれば、従来レンジ16に設置していた訓練場が損耗し移設を検討していた際、陸軍が本基地とキャンプ・シュワブで分散実施していた訓練を統合・効率化するためレンジ4への新設計画が持ち上がったという[21]。使用する部隊は特殊部隊群第1大隊(通称号、グリーンベレー)である[22]

しかし、当該地は伊芸地区の住宅地から300m余りの場所にあり、地元から「近すぎる」と批判が出されていた[23] 。このような地元からの抗議を受け、完成直前に町村信孝外務大臣は再移設の方針を明示し[24]、移設に向けた動きが始まった[25]。代替施設完成後、レンジ4の施設は海兵隊へ移管する方針である旨が外務省より説明された。海兵隊移管後の取扱いについては「米軍が実弾射撃訓練を行うことは想定されていない」との答弁がなされている[26]

なお、レンジ16の代替施設が完成するまでは、レンジ4の施設を暫定使用することとされた。2005年にこの施設での訓練が開始された際には日本の民主党も抗議の談話を出しており、名代はネクスト防衛庁長官前原誠司である[27]。この施設については代替施設の建設が進められ、2009年7月末に完成、沖縄防衛局より金武町に報告された[28]

レンジ4の訓練施設は海兵隊に引き渡されたため、その後も使用の際抗議が行われている[29]

複合射撃場の概要については別項を参照のこと。

陸上自衛隊の施設共同使用

2006年4月には在日米軍再編についての最終案がまとまり[30]陸上自衛隊も本基地を使用して訓練をすることが取り決めされた。この決定に対して金武町、宜野座村、恩納村の3町村の首長や議長らでつくる「キャンプ・ハンセンに関する3町村連絡協議会」は早々に反対を貫くことで合意し[31]、地元金武町議会は自衛隊の施設使用に反対する決議を出した[32]

なお、この施設共同使用に先立ち、第一混成団(当時)が簡易手製爆弾(IED,Improvised Explosive Device)の処理訓練を本基地内で実施していたと報じられ、県内の平和団体は「カンボジアでの平和維持活動(PKO)で経験した地雷処理任務とはまったく異なる」と懸念を表明した[33]

2007年11月には地元3町村の首長は容認へ転換の方向を表明した[34]。2008年3月、陸上自衛隊は本基地での訓練を開始した[35]

新規施設の建設

この再編に呼応して各種訓練施設の拡大工事が進められた。工事はA,B,Cの3地区に区分される[36]

  • A地区:2008年4月提供。金武IC北方、レンジ1東。射撃場。
  • B地区:2008年12月提供。レンジ15東方。既存の複合射撃場のような訓練塔を備えている。
  • C地区:2009年7月末完成。上述の複合射撃場であり、ここでは施設概要を説明する。レンジ16付近はレンジ4より東方であり、兵舎地区に近い。なお、移転工事は当初2008年3月末完成予定だったが海兵隊の都合により遅延した。射程は1200mまで対応し射撃は住宅地とは反対の北西方面に向けられている。また、第161回国会答弁では「流弾・跳弾対策として、射撃用建物内では、標的の後方に高密度ゴム製の弾丸トラップという安全設備等を設置する」と述べられている[21][37]。代替施設の建設にかかる経費は7億5400万円である[38]

なお、陸軍向け施設の建設としてはレンジ3にリペリング(Rappelling)訓練施設なども建設されている[39]

また、2010年4月には新しい犬舎が完成し、軍用犬の管理に役立てられている[40]

その他

2010年9月29日には普天間飛行場駐留のヘリ部隊と連携した負傷兵救出訓練を報道陣に公開し災害支援など「こうした訓練は地域住民を救うのに役立つ」と強調したという[41]

2010年11月10日、第3海兵遠征軍第3海兵師団第7通信大隊のマイク・ジョンソン中尉(アフガニスタンでの戦いで戦死)を悼んで、ケリーホールにある会議室に中尉の名が命名された[42]

基地内には他の大型の米軍基地と同様にメリーランド大学の分校が基地内大学として開校している[43]

周辺対策

本基地に関係する周辺対策事業は他の自衛隊・在日米軍施設同様「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律」を根拠法とし(以下本節で同法と呼ぶ)、旧防衛施設庁の主導により下記が実施されてきた[44]

一般的に、周辺対策事業は下記のように区分され、その他にも名目をつけて予算措置がなされることがある。

  • 障害防止工事の助成
  • 民生安定施設の助成
  • 調整交付金の交付

基地周辺対策の実施対象自治体は金武町他上記4市町村である。

障害防止工事

障害防止対策事業(同法3条に基づく)の内一般障害防止については、演習場運用に伴い敷地が荒廃することに起因した保水力の低下、土砂流出、洪水被害などがあり、その対策として河川改修工事、排水改修工事、砂防ダム建設工事などの助成があり、1972年度から1998年度末時点まで、宜野座村、恩納村へ約174億の助成を実施している。

砂防ダムについては赤土流出による周辺海域の汚濁防止の観点から重視されてきた。満本裕彰によれば1950年代から60年代の恒久施設建設当時には特段の対策は採られなかったため、当時もかなりの赤土が流出したと考えられているが、定量的な記録は残っていない。その後1989年9月には都市型戦闘訓練施設の建設に伴って赤土が流出し、近傍のシャコガイ養殖場にも被害が出た[45]。砂防ダム建設は1977年度より事業が開始されており、1993年度より貯留型砂防ダム[46]も建設が始められ、1996年度までに8基が完成した。総事業費は24億円である。その後も砂防ダムの建設は継続されており、CTA全体では23基が計画されている。CTAを対象にした赤土流出を纏めた研究も存在する[45]

学校等の公共施設の騒音防止対策事業としては、航空機騒音の防止・軽減対策としては迫撃砲の実弾射撃、ヘリボーン訓練などによる騒音が存在する。これを軽減するため1983年度より小学校、中学校などに防音工事を実施し、1997年度末時点で宜野座村、恩納村に対して総計は約12億円となっている。

民生安定施設の助成

民生安定施設の助成は同法8条に基づき、一般助成と防音助成に分かれる。

一般助成事業として、花卉類の出荷施設、蘭栽培用温室、養豚・養鶏施設、家畜糞尿処理施設、農民研修施設等について、1973年度より金武町、恩納村、宜野座村等に助成を開始し、1997年度時点までで総計は約51億円となっている。

防音助成については学習等供用施設施設、博物館、庁舎等について1983年度から1997年度までの累計で約3億円の補助が実施されている。

他に道路改修事業として金武町、恩納村、宜野座村の町村道を対象に、1972年度から1997年度までで約18億円の補助金が交付され、演習場への進入路なども「工事費」の費目にて整備を図り同期間で総計約8億円となっている。

特定防衛施設周辺整備調整交付金

同法9条に基づき、を特定防衛施設関連市町村に指定されている4市町村に対して交付している。1975年度の開始から1997年度までで総計約85億となっている。使途はこれも道路、排水路、し尿処理施設、火葬場などの公共施設の用地購入、整備である。

上記とは別に、普天間飛行場を初めとする沖縄米軍基地問題の全国的な注目によって、1997年度より「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会」(通称、島田懇)が設置され、金武町も参加している。島田懇は内閣官房長官に事業の提案を行い、予算化される。国側の窓口機関としては当初防衛施設庁那覇防衛施設局(防衛省統合後沖縄防衛局)が一部を担当している。

事業の目的としては「継続的な雇用機会を創出し、経済の自立に繋がるもの」「近隣市町村も含めたj広域的な経済振興や環境保全に役立つもの」などが掲げられている。

金武町での事業としては街灯の設置、ふるさとづくり整備、新開地整備事業などがある。

その他

上記のどの費目に区分されるか明記が無いが、復帰間もない1976年3月には演習時に封鎖となる県道104号の迂回路として延長5km、幅員5.5mの迂回道路が建設され金武町道に編入された[44]

また、防衛施設庁はCTA全体で約19haの緑化を実施している[45]

フレンドシップ・フェスティバル

毎年夏にフレンドシップフェスティバルが開催され、その他不定期にフリーマーケットなどのイベントがある。日時は変更になることもあるので、基地に問い合わせの上出掛けた方が良い旨案内されている(基地従業員は日本人であるため日本語での通話が可能)[47]

ハロウィンにはパーティを開き付近の子供たちを招待してお菓子を渡している[48]

また、金武町商工会の職員を招いてボウリングなどの親睦イベントが実施されている[49]。2010年4月末には駅伝も実施された[50]

事故と対応

砲撃訓練

県道104号線超えの実弾砲撃訓練は1997年に本土に移転されたが、移転前にも米軍自身の自主規制は行われている。地元要請のうち住宅地に近い砲座(GP)の廃止などに対応して、小学校に近い3箇所のGPを小学校終業時間以降の使用としたり、当該の砲座を使用する演習自体を、周辺人口の増加を理由に1993年以降廃止した事例などが一例である[44]

赤土流出

赤土流出の環境対策としては、下記が実施されている[51]

  1. 建設工事の実施に当たっては「日本環境管理基準」を遵守し「沖縄県赤土等流出防止条例」を考慮
  2. 建設業者に対し、赤土流出防止計画の提出を義務
  3. のり面を安定させるため植栽を実施
  4. 赤土流出防止さく及び防水シートを使用して工事を実施

なお流出量については2001年の実績値で県全体30万トンの内米軍基地全体で2万3000トンとなっている[51]

植栽については、海兵隊環境保全課では1998年10月より、着弾地域の裸地化部分の緑化に資するため、傾斜地での養生用に粘着性を強化した団粒固定添加剤を混合した草木類の種子散布を実験的に開始している[44][45]。その後2001年度も継続して予算がつけられた際、琉球新報にて報じられている[52]

山火事への対応

演習場内は森林地帯であるため、山火事が度々発生している。山火事の発生件数は復帰以降2003年半ばまでで380件、焼失面積は合計3140haであり、沖縄米軍施設で発生した原野火災の大半を本基地での火災が占めている。火事の原因は不発弾の着火、降下訓練の失敗による夜間の死傷兵捜索において照明弾を使用した等である[53]。これに対しての対策は半年ごとに米軍による清掃作業が実施され、その際発見された不発弾を処理しているという[51]

これに対しては沖縄防衛局(旧那覇防衛施設局)により防火水槽、防火用道路が整備されている。米軍は発生の際は日本側にも通報し、消防車が入れない地区での山火事の場合にはヘリで消火を実施している。問題は夜間の空中消火活動は困難であるため、このような方法は日没が限界となることである[54]

流れ弾への対応

基地からの流れ弾などによる被弾事故は1972年の復帰より2009年までに10件となっている[55]。内容としては、昭和時代には照明弾の落下、貯水タンクへの小銃弾貫通、信管不良による過早爆発等による民家、サービスエリアへの破片落下などがあった[56]。対策としては、上述の複合射撃施設で述べたように、設置場所や射撃方向への配慮が挙げられる。

日米合意による他施設からの移転

かつて存在した読谷補助飛行場ではパラシュート降下訓練が実施されており、落下したトレーラーに小学生の女児が押しつぶされるなどの被害が発生していた。そのため読谷村では1979年以降訓練中止の運動を実施してきた経緯がある。この訓練は1995年7月の日米合同委員会報告にて、キャンプ・ハンセン境界線上のに移転されることが決定した。その後、1999年10月の日米合同委員会報告では伊江島補助飛行場への移転が決定された。

また、同飛行場内に設置されていた楚辺通信所についても同村は撤去を求めたため、代替施設が本基地敷地内に建設が検討され、2000年9月に移転の見通しが立ち、移転工事が実施された後2006年12月に同通信所は日本側に返還された[57]

墜落事故

2013年8月5日、嘉手納基地所属の救難ヘリHH-60がキャンプ・ハンセン内にある水源地、大川ダムのすぐそばで墜落[58]し、取水制限が続いた。米軍は立入調査認めず、翌年、米海兵隊太平洋基地環境課は墜落地点の土壌調査で環境基準値の74倍の鉛や21倍のヒ素を検出したと発表したが、大川ダムの水は安全だと宣言した[59]

関連項目

脚注

  1. ^ 『名護市と基地』2010年版P9
  2. ^ 実弾射撃を実施している訓練施設は2005年時点で下記
    レンジ2、3、4、4R、5、5F、7、8、9、16、18、22の12区域
    平成17年第3回沖縄県議会(定例会)第7号7月6日知事公室長(花城順孝)の答弁
  3. ^ 「第8章 基地の概要 第1節 米軍の施設別状況」内『沖縄の米軍基地 平成20年3月』 P188-189
  4. ^ ヘリパッドについての出典は下記
    平成22年第4回沖縄県議会(定例会)第5号10月1日知事公室長(又吉進)の答弁
  5. ^ 金武町と米軍基地 金武町HP
  6. ^ 億首(おくくび)ダム建設のためのキャンプ・ハンセンの一部土地の返還について『防衛施設庁』2006年7月10日 PDF本文
  7. ^ “社説[ハンセン一部返還]負担軽減?いやがらせ?”. 沖縄タイムス. (2013年9月8日). http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-09-08_53819 2013年9月20日閲覧。 
  8. ^ a b 米軍基地環境カルテ (PDF)
  9. ^ 以上、「光あふれる民俗芸能の町 金武」(『調和 基地と住民』)、『名護市と基地』2010年版等を参照。
  10. ^ 國場組社史は追加工事を100万ドルとしている。
  11. ^ a b 「極東の城 第2章2 沖縄地域工兵隊による米軍への支援」『防衛施設と技術』1994年10月
  12. ^ 國場組社史では130棟
  13. ^ 『國場組社史』第1部P124-126
  14. ^ 『國場組社史』第1部P111-112
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    なお、自衛隊はこのような複合射撃訓練施設を有していないという。
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    なお、記事中には実弾訓練についての記述は無い。
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参考文献

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  • 那覇防衛施設局「キャンプ・ハンセン-その運用と周辺対策-」『調和 基地と住民』1999年3月15日
  • 沖縄県金武町「光あふれる民俗芸能の町 金武」『調和 基地と住民』2003年6月

外部リンク

嘉手納飛行場

嘉手納飛行場(かでなひこうじょう、英語: Kadena airfield)は、沖縄県中頭郡嘉手納町沖縄市・中頭郡北谷町[1]の広大な面積に拡がる極東最大のアメリカ空軍基地嘉手納空軍基地(Kadena Air Base=米での正式名)、アメリカ空軍嘉手納基地、あるいは単に嘉手納基地と呼ばれることも多い。1945年4月、米軍が沖縄戦で旧日本陸軍中飛行場を接収し、その後さらに拡張した基地である。

概要

施設内容

3,700mの滑走路2本を有し、約100機の軍用機が常駐する極東最大の空軍基地、在日空軍最大の基地である。面積においても、日本最大の空港である東京国際空港(羽田空港)の約2倍である。かつてはスペースシャトルの緊急着陸地に指定されていた。

第5空軍の第18航空団の拠点としてだけではなく、居住地区には、学校、図書館、野球場、ゴルフ場、映画館、スーパーマーケット等、多種の米軍向け支援施設を包有し、国道58号西側の嘉手納マリーナ地区は、米軍人等の福利厚生施設でもある。

  • 場所:嘉手納町(水釜、兼久、嘉手納、屋良、野国、国直、東、野里)沖縄市(諸見里、山内、森根、白川、御殿敷、宇久田、大工廻、嘉良川、上地)北谷町(伊平、浜川、上勢頭、下勢頭、砂辺)那覇市(宮城)
  • 面積:19,855,000m2
  • 地主数:11,450人[2]
  • 管理:アメリカ空軍
  • 用途:飛行場

管理運営

管理部隊名:第18航空団

使用部隊名:第18運用群、第18任務支援群、第18整備群、第18医療群、第18施設群、在沖米海軍艦隊活動司令部、第7艦隊哨戒飛行隊、等

地理

  • 嘉手納町の面積の82%が嘉手納飛行場や嘉手納弾薬庫地区に占有されており、現在、嘉手納町の住民は残り18%の住居区に暮らす。県道74号沿いに「道の駅かでな」通称「安保の見える丘」があり、滑走路の北東側や戦闘機の駐機場周辺を見ることができる。嘉手納の歴史を紹介する常設展示もある。
  • 東京都品川区にほぼ匹敵する面積(東京ドーム約420個分)を、沖縄本島中部に占めている。
  • 嘉手納飛行場が占める面積のうち、9割以上が私有地である。沖縄戦の占領以降も土地の強制接収で拡大し、地主数も11,450人になる。このため年間239億円を超える賃借料が、日本の税金で土地所有者に支払われている。

嘉手納飛行場の名称

嘉手納飛行場は通称「嘉手納基地」ともよばれるが、北側に隣接する嘉手納弾薬庫とは異なる。また、米軍占領下で沖縄に配備されたメースBの4カ所のミサイル基地が嘉手納サイトとよばれたのは、メースの制御司令塔が嘉手納基地にあったためであり、実際は嘉手納基地からは離れている。

施設番号沖縄返還協定での名称旧名称
FAC6022嘉手納弾薬庫地区
FAC6037嘉手納飛行場嘉手納飛行場
キャンプ・サンソネ
陸軍住宅地区
FAC6038返還

沿革

旧日本陸軍「中飛行場」として

  • 1944年(昭和19年)4月:日本軍は北飛行場の補助として北谷村、屋良、嘉手納、東、野里、野国、国直にまたがる約47万3170平方メートルの広大な土地を緊急に強制接収し、5月から昼夜兼行で中飛行場の突貫工事を進めた。
  • 1944年(昭和19年)9月:大日本帝国陸軍航空隊の中飛行場として開設される。
  • 1944年(昭和19年)10月10日:十・十空襲で施設の多くが破壊された。
  • 1945年(昭和20年)3月30日:第32軍は浦添飛行場滑走路の自壊を命令。
  • 1945年(昭和20年)4月1日:米海兵隊の無血上陸で午前中に占領され、その日のうちに修復され米軍の臨時飛行場として使用可能な状態となる。

米軍嘉手納基地として

  • 1945年(昭和20年)4月1日:占領後、随時整備拡張が行われ、同年6月には全長2,250mの滑走路が完成、嘉手納飛行場として使用開始。同年にキャンプ・サンソネ、陸軍住宅地域が設置される。
  • 1954年(昭和29年)2月5日日本航空の東京-沖縄線が就航(週2往復)。那覇空港の民間航空地区が工事中だったため、11月まで嘉手納飛行場が沖縄側の空港として使用された[3]
  • 1965年(昭和40年)7月29日グアム台風を避けるため前日から嘉手納に展開していたB-52爆撃機25機が、同日北ベトナム空爆に出撃。以降、成り行きで同機の飛来が定着、嘉手納はアメリカ政府の主張による「補給基地」から、実質的な「出撃基地」のひとつとなる
  • 1967年(昭和42年)5月:4,000m級の滑走路2本が完成。
  • 1970年(昭和45年):B-52をグアムのアンダーセン空軍基地へ移管。
  • 1972年(昭和47年)5月15日:沖縄の復帰に伴い施設・区域が提供される(このときキャンプ・サンソネ、陸軍住宅地域は嘉手納飛行場に統合)。
  • 1974
  • 1987年(昭和62年)10月:基地内大学への県民の就学受入開始。
  • 1987年(昭和62年)12月14日:ソ連のTu-16バジャー偵察機領空侵犯し、嘉手納基地上空を飛行。スクランブルにより航空自衛隊機が警告射撃
  • 1999年(平成11年)12月27日沖縄に関する特別行動委員会(SACO)において合意のあった遮音壁(長さ2.3km 高さ5m)完成。
  • 2001年(平成13年):約40万発の劣化ウラン弾が保管されていた。湾岸戦争使用分の約半分に相当。イラク戦争で使われたとされ、また、住民や米軍兵士に生じたがんなどとの関連が指摘された[4]
  • 2007年(平成19年)2月17日: 第27戦闘飛行隊のF-22 ラプターラングレー空軍基地から派遣(5月10日に撤収)。
  • 2007年1月11日付の米空軍発表のニュースによると、米空軍がイラクでの軍事作戦などを支援するため米軍嘉手納基地から600人以上の空軍兵が派遣されていることが分かった。
  • 2007年2月10日(飛来は17日)から5月10日までF-22戦闘機12機が暫定的に配備された。また、この機会を利用し、沖縄近海において自衛隊との共同訓練が実施された。
  • 常駐しているF-15戦闘機が老朽化しているため、米国本土にある機齢の若い機体との入れ替えを行なうアイロン・フロー計画が実施された。この計画において、米国本土向け発進する際の離陸時刻が未明~早朝であることから「周辺への騒音の影響が大きい」として地元自治体はこれに抗議し離陸時刻の変更を要求しているが、米軍側は「運用上の必要がある」としてその要求に応じない姿勢を示している[5][6]。嘉手納基地報道部によれば、老朽機の米国本土への飛行は2008年4月23日未明で終了した。その他、米国本土への飛行は、米国での到着時刻を勘案することにより当基地の発進時刻が未明~早朝になるよう設定されることが多い。
  • 2007年11月4日、米本国ミズーリ州で発生したF-15戦闘機の空中分解・墜落事故(11月2日)を受けて、嘉手納基地における同型機の飛行訓練も停止された。
    2008年1月14日、前年11月に停止されたF-15戦闘機の飛行訓練を再開。限定的に再開された数日を除けば約2ヶ月ぶりの本格的再開であった。

嘉手納基地と事件事故

嘉手納基地では近年、外来機が膨大に増え、従来の嘉手納基地所属機種による事故だけではなく、外来機による落下物事故、緊急着陸も増えている。また嘉手納基地所属兵士の飲酒運転逮捕も、2019年の在日米軍の緩和以降に急速に増えている。また嘉手納のF15は油圧トラブルが多く、緊急着陸の頻度が多い。

  • 1959年6月30日、宮森小学校米軍機墜落事故。嘉手納基地所属のF100D戦闘機が住宅地に墜落。宮森小の児童12人を含む18人が死亡(児童1人は後遺症で死亡)。
  • 1968年11月19日、嘉手納飛行場B-52爆撃機炎上事故ベトナム戦争アークライト作戦に出撃するために離陸しようとしたB-52が滑走路をオーバーラン、満載していた燃料と爆弾に引火して大爆発を引き起こした。周辺施設民間人にも被害をもたらす。これをもって、同機の撤去運動が一層高まる。
  • 1974年9月30日、C-130輸送機が嘉手納飛行場に墜落、乗員2人が負傷した。
  • 1986年3月22日、ケリー空軍基地所属C5Aギャラクシー輸送機が、嘉手納基地離着陸訓時に第1エンジンを炎上させ不時着した。
  • 1986年6月9日、嘉手納所属のRF-4ファントム偵察機が、離陸直後にガソリンタンク2個を落下させ滑走路で炎上した。
  • 1994年4月4日、嘉手納基地を離陸しようとしたF-15戦闘機が嘉手納弾薬庫内の黙認耕作地に墜落炎上した。
  • 1999年6月4日、AV-8Bハリアー機が嘉手納飛行場離陸時にエンジン部分から火を吹き墜落。
  • 2013年5月28日、F-15戦闘機が3機、沖縄県東方沖の約126キロ地点の訓練空域で空中戦の訓練を行っていた際、1機墜落しパイロットは脱出、航空自衛隊が連絡を受け、那覇救難隊のU-125Aが1機、9時25分に離陸。9時28分にはUH-60Jが1機離陸。9時55分にU-125Aがパイロットを発見し、10時8分にはUH-60Jを要救助者を収容し、アメリカ軍へ引渡した。

嘉手納基地と諸問題

騒音と爆音訴訟

離着陸時の飛行コースは、民間地域の上空をも通る。このため、周辺地域では日常的に騒音に悩まされている。嘉手納基地騒音訴訟騒として、音軽減を要求する内容の訴訟も提起された。
1996年に日米両政府が合意した「航空機騒音規制措置」では午後10時から午前6時までの飛行、地上活動の制限が定められているが、米軍の運用上の必要があれば除外できるとする規定があり、十分守られていない[8]

第一次嘉手納爆音訴訟 (1981年-1998年)

1982年2月26日、夜間飛行差し止め及び過去、将来の損害賠償等を国に求め那覇地裁沖縄支部に提訴。

1994年2月24日、1審判決。差し止め棄却、損害賠償は将来分却下、過去分認める(W値80以上、危険への接近分減額)。

1998年1月16日、控訴審判決。差し止め却下、W値75以上で過去分の損害賠償認める(但しⅠ類型)。国側の危険への接近論は棄却。健康被害は認めず。原告側に約13億円の支払いを命じた。

第二次嘉手納爆音訴訟 (1999年-2011年)

2000年3月27日、沖縄市、石川市、具志川市、北谷町、嘉手納町、読谷村の原告5,544人が、那覇地方裁判所沖縄支部に提訴。日本国政府に加え、アメリカ合衆国連邦政府も被告とする。予備的に、国に対し、地位協定に基づく合同委員会において外交交渉義務があることの確認を請求。約56億円の支払いを命じた2009年の二審判決が確定。

第三次嘉手納爆音訴訟 (1999年-2011年)

周辺住民2万2034人が夜間・早朝の米軍機の飛行差し止めと騒音被害に対する損害賠償などを国に求めた「第3次嘉手納爆音訴訟」。原告2万2020人への総額約261億2577万円の支払いを命じた[9]。賠償の認定基準額を1審から減額し、飛行差し止め請求は1審と同様に退けた。原告側は上訴の意思。

外来機問題と駐機場問題

旧駐機場使用問題

1996年、日米特別行動委員会(SACO)最終終報告で、嘉手納の住宅密集地に隣接する「海軍航空機の運用及び支援施設」を南側に移転することが掲げられ、日米合同委員会は2009年2月、海軍駐機場の移転に合意、2011年に工事開始し、2017年1月に新駐機場工事が完了。工事費と移転費用約157億円は日本政府が負担した[10]。しかし、今度は新駐機場ばかりか旧駐機場にも他の基地から飛来した外来機を駐機させるという問題が継続しておこるようになり[11]、負担軽減を唱えながらも、実質的な負担増加の実体に県民の不信感を招いた[12][13][14]。市町村や県の幾多の申し入れに、米軍は場所を間違えた[15]、部隊関係者と齟齬があった[16]、などと釈明しながらもまたしても旧駐機場を使用し、騒音や悪臭問題を引き起こした[17][18]。2020年1月10日、日米合同委員会は旧海軍駐機場にある建物を解体することで合意したが、どれほど効果があるのか不透明のままである[19][20]

嘉手納基地パラシュート降下訓練問題

嘉手納の住宅密集地上空で嘉手納基地がパラシュート降下訓練をおこなっている問題 (写真7) について、パラシュート降下訓練は日米がSACO合意で基本的な訓練場所を伊江島補助飛行場と合意しており、また地元や県も反対しているにもかかわらず、嘉手納基地が夜間も降下訓練をおこなっている[21]

2019年10月29日、米軍は日米間の協定に基づいて安全に嘉手納基地で夜間のパラシュート訓練をおこなったとして公式に画像を公開したが[22]、実際には同日午前中も河野太郎防衛相が中止要請を申し入れていた。その夜の訓練強行に対して、河野大臣は「同盟に影響を与えかねない大変遺憾な出来事だ」[23]「少なくとも、アメリカ側から、しっかりとした説明がなされていないという認識だ。ゆゆしき問題と言わざるをえない」と米軍側の対応を批判している[24]

嘉手納基地と汚染公害

消化剤の流出問題やジェット燃料の流出が、頻繁に起こっている[25]。また特に近年重大な問題となっているのが、PFOSとPFASの流出源としての嘉手納基地問題である。PFASは、発がん性が指摘される残留性有害物質「永遠に残る化学物質」(Forever Chemicals) と呼ばれており、除去、浄化などの対応が極めて困難な有害物質である。特に濃度が高かったのが、滑走路脇を流れる大工廻川で、基準値の約20倍の濃度が検出されている[26]

2016年1月、米空軍は嘉手納基地の汚染に関連する8,725ページの事故報告、環境調査、電子メールを公開した。1990年代半ばから2015年8月までの日付のついた文書は、日本の米軍基地の汚染を詳述する最近の情報としては初めての事例である。その報告書は、1998年から2015年の間に約415件の環境事故をリストしているが、そのほとんどが日本側には報告されていなかった[27]。また、1972年に沖縄が日本統治に復帰する前、嘉手納基地と隣接する知花弾薬庫 (現在の嘉手納弾薬庫) には、800発の核弾頭と数千トンのマスタード、VX、サリンガスという地球上で最大の大量破壊兵器が保管されていたことがわかっている[28]

  • 1996年、嘉手納基地の一部北谷町上勢頭が返還され住宅を建てようとしたところ、高濃度のダイオキシンを含む廃棄物が見つかった問題で、除去が進まず、2020年、嘉手納町が地権者から町予算で土地を買い取る方針を固めた。約5400万円を計上しているが、政府が補償する見通しは立っていない[29]
  • 2007年5月、航空機燃料約8.7キロリットルの漏出。1960年代から1970年代の間、PCBを含む廃油を溜池に投棄していたことも明らかになっている。これらの汚染に関し、日米地位協定の定めにより、日本側の調査権は著しく制限されている。地下水は上水道の水源でもあり、これらの汚染物質による環境汚染が懸念されている。
  • 2014年、アメリカ軍が1987年に作成した嘉手納基地内の有害物質、ポリ塩化ビフェニール(PCB)による高濃度汚染のデータを記載した書類を隠していたことが明らかになった[30][31]
  • 2014年~2017年、嘉手納基地内の13カ所で飲料水の生涯健康勧告値の最大1億倍以上の汚染があった[32]。県や環境団体は立ち入り調査を求めているが、一度もおこなわれていない[33]
  • 2016年1月~2017年11月まで、ジェット燃料など有害物質の流出事故が少なくとも95件あり、確認されているだけでも2件は同基地の外へ流れ出していたことが、米空軍の内部資料で判明した。有害物質の流出総量は少なくとも6万3366L (ドラム缶317本分) だが、日本側への報告はなかった[34]
  • 2019年、嘉手納PFOSとPFOAの値は、それぞれ830ng/l、1400ng/lであることが調査で判明。アメリカ合衆国環境保護庁が2016年に設定した生涯健康勧告値は、70ng/lである[35]

基地経済と雇用問題

米軍専用施設があることによって、あるいは、という名目で、国から周辺自治体に補助金が支払われる。また、米軍基地への協力という国策への貢献を政府与党が評価して、振興策が提起されることもある。通称「軍雇用員」と呼ばれる日本の民間人雇用者は、米軍が採否を決定し人件費は日本政府が負担するが、近年は非正規雇用が多く、日本の法律で守られない、不当な解雇がおこなわれる、職場のハラスメントと差別などがあるという苦情が寄せられている。基地内アスベスト対策も対応が遅れた[36]

2019年、嘉手納基地で働く日本人従業員11人と米軍キャンプ瑞慶覧で働く日本人従業員1人が出勤停止など不当な処分を受けたとして、雇用主の国を相手に処分の撤回などを求める訴訟を31日、那覇地裁に起こした[37]

航空管制と所属部隊

航空管制

CLR123.300235.000
GND118.500275.800
TWR126.200236.600315.800
APP/DEP(北方面)119.100335.800
APP/DEP(南方面)126.500258.300
18 WG COMD POST311.000355.200
AIRLIFT COMD POST128.000349.400
PTD131.400266.000
BASE OPS266.000
MET344.600
ATIS124.200280.500
管制は、米空軍(第5空軍)が担当する。ただし、ターミナルレーダー管制業務については、那覇空港に設置された那覇進入管制区(国土交通省所管)が担当する。

嘉手納ラプコンの返還

沖縄周辺の空域の航空管制については、沖縄の施政権返還後も、「日本国政府がこれらの飛行場へのレーダー進入管制業務を提供できるまでの暫定期間中、これらの飛行場に対する進入管制業務を行う」として、当飛行場設置の沖縄進入管制区("Okinawa Approach Control"、通称「嘉手納ラプコン」。当飛行場の上空約6000m・半径約90km、および久米島上空約1500m・半径約55kmの空域。ただし、当飛行場および那覇飛行場普天間飛行場の各を除く。)の管制官が担当してきた。

2000年3月16日コーエン米国防長官(当時)が当管制区の日本への移管方針を表明し[38]2004年12月10日日米合同委員会にて3年後(2007年度)をめどに日本への移管が決定され[39]、同12月15日から国土交通省所属の航空管制官の訓練が開始された[40]。もっとも、管制方式の違いを主因として管制官の訓練に時間を要したことにより移管は遅れた。

2010年3月31日午前0時(日本時)に移管されることが決定された[41]。現在は国土交通省所管の那覇進入管制区(当飛行場の上空約6000m・半径約90km、および久米島上空約4900m・半径約55kmの空域。ただし、当飛行場および那覇飛行場、普天間飛行場の各管制圏を除く。)となっている。

2013年、嘉手納ラプコン返還後も、那覇ターミナル管制所で米軍関係者が管制業務に携わり続け、米軍の飛行のための「アライバル・セクター」という空域が存在していることが分かった。米軍機が普天間飛行場や嘉手納基地に着陸する際、米軍関係者の退役軍人が那覇ターミナル管制所で管制業務を実施する。また米軍の訓練実施のため「アルトラブ」と呼ばれる一時的な空域制限も年間千回近く発生していることを明らかにした[42]

航空灯台

局名種別識別信号周波数運用時間
嘉手納VORKAD112.00024時間
TACAN-1018.000
保守は、米空軍が担当

所在部隊

アメリカ空軍として単一では最大の混成航空団である。第18航空団のほか基地に所在する四軍の部隊を合わせて、チーム・カデナとも呼ばれる。18,000人近いアメリカ人と4,000人以上の日本人からなる要員がチーム・カデナを形成する。[要出典] 航空団は5つのグループに分かれ、それぞれ作戦、メインテナンス、任務補助、土木、医療を担当する。F-15C/D(第44、67戦闘飛行隊の2個飛行隊24機)やKC-135空中給油機)・E-3AWACS機などを保有し、米の西太平洋及び東南アジアでの抑止力の中心を担う在日米空軍の主力部隊。救難飛行隊もあり、救難ヘリコプター、HH-60を使用している。
フロリダ州ハールバート空軍基地空軍特殊作戦コマンドに属する。750人の飛行要員を持つ3つの飛行隊、1つのメインテナンス隊、1つの特殊戦術隊、1つの作戦補助隊からなる。C-130輸送機を改造したMC-130H/Pなどを保有。この部隊に所属する第320特殊戦術中隊などは、2011年3月11日発生の東日本大震災の大津波で破壊された、航空自衛隊松島基地の災害復旧にいち早く投入され活躍した。[要出典]
320人以上の要員からなり、嘉手納飛行場の人員と貨物の航空輸送を担当する。毎月650機が飛来し、12,000人を超える人員と3,000トン近い貨物の輸送を行う。
太平洋地域での偵察任務。太平洋軍にとって重要な部隊であり、得られた情報は国防総省及び他の政府機関で活用される。第390情報隊と密接に協力する。RC-135U/V/WWC-135といった偵察機を使用する。
空軍情報局に所属。情報活動、保安活動を行う。

その他

過去には「カデナカーニバル」最近は「アメリカフェスト」と呼ばれるオープンハウスが概ね合衆国独立記念日前後に行われる慣習であるが、アメリカ同時多発テロ事件の影響により近年続けて中止となっている。過去のオープンハウスでは、本土の米軍基地公開では通常厳しく制限される自家用車の乗り入れが原則自由であったり、滑走路(05L/23R)を駐車場にした例もあった。

2008年7月5日、実質4年ぶりに基地公開(アメリカフェスト)が行われた。飛行展示がなく、機体の見学は写真撮影も可などの条件は従来の公開と同様であった。当時の基地司令官ブレット・ウィリアムズ准将は、翌年(2009年)の開催では飛行展示の実施も考慮していることを明らかにしていたが、基地を抱える3市町はいずれも飛行展示に反対していた。

2009年には7月3日(軍人、軍属、従業員等、基地ID保有者限定)、7月4日(一般開放日)の両日にアメリカフェスト2009と題して基地が一般に公開された。ラングレー空軍基地から展開中のF-22ラプター戦闘機が一般には日本で初めて公開され人々の注目を浴びた。基地の通常業務に関わる航空機の運行はあったもののフェスティバルの為の飛行展示は行われなかった。 なお、海外の米軍基地で働く兵士・従業員の慰問のために俳優のゲーリー・シニーズ 率いるLt. Dan Bandがライブで演奏を行った。

最近の動静

  • 2009年1月10日ヴァージニア州ラングレー空軍基地所属のF-22戦闘機12機が嘉手納基地に飛来、3ヶ月の予定で訓練を行う。これでF-22戦闘機の嘉手納基地展開は2度目となる。
  • 2009年5月30日、ヴァージニア州ラングレー空軍基地所属のF-22戦闘機4機が嘉手納基地に到着。在日米空軍の発表によると全部で12機が4ヶ月にわたって嘉手納に展開する予定。これでF-22の嘉手納基地展開は3度目となる。
  • 2009年6月2日、5月30日に続いて、別のF-22戦闘機4機が嘉手納基地に到着。翌3日には地元嘉手納基地所属のF-15戦闘機や在韓米軍所属のF-16戦闘攻撃機との訓練を行った。また、F-22の嘉手納基地展開は4度目となった。
  • 2009年6月2日、5月30日に続いて、別のF-22戦闘機4機が嘉手納基地に到着。翌3日には地元嘉手納基地所属のF-15戦闘機や在韓米軍所属のF-16戦闘攻撃機との訓練を行った。また、F-22の嘉手納基地展開は4度目となった。
  • 2012年7月28日、ヴァージニア州ラングレー空軍基地第1戦闘航空団(1FW)所属のF-22戦闘機12機が飛来、6ヶ月の予定で訓練を行う。
  • 2012年9月12日、アラスカ州エルメンドルフ空軍基地太平洋空軍第3航空団(3WG)第90戦闘飛行隊(90FS)所属の10機が目的地グアム・アンダーセン空軍基地へ飛行する経由地として飛来。
  • 2013年1月、ヴァージニア州ラングレー空軍基地第1戦闘航空団とバージニアANG第192戦闘航空団(192FW)所属の12機が飛来。

アメリカ合衆国国防総省の公表した「2015会計年度・基地構造報告」によれば、最も資産価値の高い在外基地(75億ドル。第2位は横須賀海軍施設の74億ドル、第3位は陸軍グラーフェンヴェーア航空基地の65億ドル)。

脚注

  1. ^ a b 防衛省・自衛隊:在日米軍施設・区域(共同使用施設を含む)別一覧
  2. ^ FAC6037嘉手納飛行場/沖縄県”. www.pref.okinawa.jp. 2020年3月3日閲覧。
  3. ^ “最初は国際線、着陸は米軍基地内 JALの沖縄―東京便が就航65年”. 琉球新報. (2019年2月10日). https://ryukyushimpo.jp/news/entry-871640.html 
  4. ^ 毎日新聞 2006年8月2日 第1・2・25面
  5. ^ 琉球新報 (2006年6月16日). “米軍、未明離陸を強行/嘉手納基地 F15など4機”. 2006年6月20日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2009年3月12日閲覧。
  6. ^ 琉球新報 (2008年4月23日). “嘉手納F15 未明離陸”. 2008年4月30日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2009年3月12日閲覧。
  7. ^ 北朝鮮攻撃を想定し嘉手納で訓練 在日米軍基地では珍しい「象の行進」とは…?|沖縄タイムス+プラス ニュース” (日本語). 沖縄タイムス+プラス. 2020年3月4日閲覧。
  8. ^ 渦巻く民意:普天間移設(毎日jp 2009年11月4日)[リンク切れ]2009年11月7日閲覧
  9. ^ 飛行差し止め認めず 賠償261億円に減額 第3次嘉手納爆音訴訟 高裁那覇支部判決” (日本語). 毎日新聞. 2020年3月3日閲覧。
  10. ^ 嘉手納基地旧海軍駐機施設解体へ 日米合同委で合意”. ryukyushimpo.jp. 琉球新報. 2020年3月11日閲覧。
  11. ^ 合意ほご、旧駐機場「今後も使用」 米軍嘉手納基地、負担軽減に逆行 | 女性自身” (日本語). WEB女性自身. 2020年3月11日閲覧。
  12. ^ 旧海軍駐機場使用中止を求め意見書 沖縄市議会、全会一致で可決 | 沖縄タイムス+プラス ニュース” (日本語). 沖縄タイムス+プラス. 2020年3月11日閲覧。
  13. ^ F35飛来、降下訓練、嘉手納旧駐機場の使用継続… 負担軽減「まやかし」地元自治体の不信【深掘り】 | 沖縄タイムス+プラス プレミアム” (日本語). 沖縄タイムス+プラス. 2020年3月11日閲覧。
  14. ^ U2偵察機、残る2機が韓国へ 嘉手納の旧駐機場使用 暫定配備38日間か | 沖縄タイムス+プラス ニュース” (日本語). 沖縄タイムス+プラス. 2020年3月11日閲覧。
  15. ^ 米軍機、嘉手納の旧駐機場を使用 場所を間違えたと釈明 | 沖縄タイムス+プラス ニュース” (日本語). 沖縄タイムス+プラス. 2020年3月11日閲覧。
  16. ^ 嘉手納の旧海軍駐機場「使用しない」米軍謝罪 「部隊関係者と齟齬あった」 | 沖縄タイムス+プラス ニュース” (日本語). 沖縄タイムス+プラス. 2020年3月11日閲覧。
  17. ^ 謝罪から2週間… 米軍、また使用 嘉手納基地・旧駐機場 | 沖縄タイムス+プラス ニュース” (日本語). 沖縄タイムス+プラス. 2020年3月11日閲覧。
  18. ^ 嘉手納基地の旧海軍駐機場使用、米が「司令官の事前承認」で通知 防衛局は通知把握せず | 沖縄タイムス+プラス ニュース” (日本語). 沖縄タイムス+プラス. 2020年3月11日閲覧。
  19. ^ 嘉手納基地旧海軍駐機施設解体へ 日米合同委で合意” (日本語). 琉球新報. 2020年3月11日閲覧。
  20. ^ 旧駐機場の施設解体/日米合意 騒音改善の効果不透明 | 沖縄タイムス紙面掲載記事” (日本語). 沖縄タイムス+プラス. 2020年3月11日閲覧。
  21. ^ 米軍 合意違反の降下訓練 嘉手納基地 日本の中止要請聞かず” (日本語). 東京新聞 TOKYO Web. 2020年3月11日閲覧。
  22. ^ Kadena safely conducts paradrop training” (英語). DVIDS. 2021年2月12日閲覧。
  23. ^ “河野防衛相、嘉手納のパラシュート降下訓練の中止要請…米軍は強行 「大変遺憾だ」” (jp). Mainichi Daily News. (2019年10月29日). https://mainichi.jp/articles/20191029/k00/00m/040/323000c 2021年2月12日閲覧。 
  24. ^ 日本放送協会. “米軍が嘉手納基地でパラシュート訓練 4回目 周辺自治体は反発 | 注目の発言集” (日本語). NHK政治マガジン. 2020年3月11日閲覧。
  25. ^ 沖縄県「米軍基地環境カルテ」(2017)
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  28. ^ Mitchell, Jon (2016年4月16日). “Contamination: The human cost of dioxin, PCBs and pollution at Kadena Air Base” (英語). The Japan Times. 2021年1月10日閲覧。
  29. ^ 汚染地を町が買い取りへ 米軍基地返還地からダイオキシン 政府の補償は不透明”. ryukyushimpo.jp. 2020年3月3日閲覧。
  30. ^ 嘉手納基地PCB隠し 不安拡大 | 沖縄タイムス+プラス ニュース” (日本語). 沖縄タイムス+プラス. 2020年3月3日閲覧。
  31. ^ 報道制作局, 琉球朝日放送. “英字新聞 1980年代に嘉手納基地でPCB汚染” (日本語). QAB NEWS Headline. 2020年3月3日閲覧。
  32. ^ 嘉手納基地のPFOS汚染、米基準の最大1億倍 水源へ流出 高い可能性 | 沖縄タイムス+プラス ニュース” (日本語). 沖縄タイムス+プラス. 2020年3月3日閲覧。
  33. ^ クローズアップ:沖縄基地周辺、水質汚染 有害物質、米基準の28倍 米軍、立ち入り調査認めず” (日本語). 毎日新聞. 2020年3月3日閲覧。
  34. ^ 嘉手納基地から大量の有害物質 約2年でドラム缶317本分、95件 | 沖縄タイムス+プラス ニュース” (日本語). 沖縄タイムス+プラス. 2020年3月3日閲覧。
  35. ^ Company, The Asahi Shimbun. “米軍基地による有機フッ素化合物(PFAS)汚染の現場 - 桜井国俊|論座 - 朝日新聞社の言論サイト” (日本語). 論座(RONZA). 2020年3月3日閲覧。
  36. ^ 基地従業員のアスベスト被害 沖縄と本土で対応に温度差(沖縄タイムス)” (日本語). Yahoo!ニュース. 2020年3月3日閲覧。
  37. ^ あらぬ容疑かけ米軍が処分…嘉手納基地での窃盗事件 基地従業員12人が国を提訴 「処分理由は事実無根」”. www.msn.com. 2020年3月3日閲覧。
  38. ^ 琉球新報 (2000年3月17日). “嘉手納ラプコン返還/「一歩前進」も残る不安”. 2010年3月30日閲覧。
  39. ^ 琉球新報 (2004年12月10日). “嘉手納ラプコン返還 日米政府が正式合意”. 2010年3月30日閲覧。
  40. ^ 琉球新報 (2004年12月15日). “移管に備え嘉手納ラプコンで運用訓練”. 2010年3月30日閲覧。
  41. ^ 外務省 (2010年3月18日). “外務省:沖縄進入管制(通称「嘉手納ラプコン」)の日本側への移管”. 2010年3月30日閲覧。
  42. ^ 琉球新報「本島に米軍優先空域 訓練時の一時制限 年千回」2013年8月10日 10:17

関連項目

外部リンク


 

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