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🤖|オリジナル作品のIPビジネス展開に乗り出す中国動漫――中国動漫産業の実態と動向(後編)


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オリジナル作品のIPビジネス展開に乗り出す中国動漫――中国動漫産業の実態と動向(後編)

 
内容をざっくり書くと
とはいえ、中国大陸発の漫画作品が日本で翻訳された例は、寡聞にして多くを知らない。
 

執筆者:馬場公彦 中国のアニメや漫画は、いまどのような状況にあるのでしょうか? 北京大学・馬場公彦氏… →このまま続きを読む

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中国大陸

中国大陸(ちゅうごくたいりく、: Mainland China)は、アジア大陸の東に存在する現代国家としての中国領域に含まれる陸地を指す用語。略称大陸(たいりく)。中華人民共和国中華民国では政治及び法律の分野で公的に用いられており、中華人民共和国では祖国大陸(そこくたいりく)[1]、中華民国では大陸地区(たいりくちく)[2]という別称も使用されている。基本的な領域はアジア大陸部と海南島及びそれらに付属する島嶼であるが、詳細な範囲は用語の使用者・使用時期により異なっているため、用語の利用状況に留意する必要がある。類義語として中国内地(ちゅうごくないち)や中国本土(ちゅうごくほんど)が用いられる(詳細は#類語にて記述)。

範囲

中国

中華人民共和国(中国)における「中国大陸」ないし「祖国大陸」は、中国政府領有権を主張している領域の内から特定の地域を除外した範囲を指す(領有権を主張する範囲については、中華人民共和国#地理及び中華人民共和国#領土問題を参照のこと)。ただし除外される範囲は、中国政府の用例を見ると1980年代以前と1990年代以降とで差異が見られるため注意が必要である。

1980年代以前の用例

1980年代以前の中国政府による用例では、1. 中華民国国民政府)が実効支配を続ける台澎金馬(台湾)、及び2. 民間の定住者がいない南海諸島以外で中国政府が領有権を主張する領域を「中国大陸」としていた。

具体的用例としては、1958年9月に全国人民代表大会常務委員会が承認した『中華人民共和国政府の領海に関する声明』の第一条[3]において、領海を12海里とする「規定が及ぶ範囲」を「中華人民共和国の一切の領土」とし、具体的範囲として「中国大陸及びその沿岸島嶼」、「台湾及びその周囲各島、澎湖列島東沙群島西沙群島中沙群島南沙群島」と記載している。また、1987年10月に中華人民共和国国務院が公表した『探親旅行[注 1]で祖国大陸に来た台湾同胞の受け入れに関する中華人民共和国国務院弁公庁の通知』[4]において、中華人民共和国が実効支配している地域を「祖国大陸」または「大陸」、中華民国が実効支配している地域を「台湾」と記載している[注 2]

1990年代以降の用例

1990年代以降の中国政府による用例では、1. 主権が外国(植民地)から中国に移管された香港及び澳門(マカオ)、及び2. 中華民国が実効支配を続ける台湾以外で中国政府が領有権を主張する領域を「中国大陸」としている。

具体的用例としては、香港返還直前の1997年2月に全国人民代表大会常務委員会が採択した『《中華人民共和国香港特別行政区基本法》第百六十条を根拠とする従前から香港にある法の処理に関する全国人民代表大会常務委員会の決定』の附件三-8[5]において、「基本法では「大陸」、「台湾」、「香港」及び「澳門」の表現が用いられるが、これらの地はいずれも中華人民共和国を構成する一部分(中华人民共和国的一个组成部分)として解釈される」と規定している。この用法は、マカオ返還直前の1999年10月に採択された『《中華人民共和国マカオ特別行政区基本法》第百四十五条を根拠とする従前からマカオにある法の処理に関する全国人民代表大会常務委員会の決定』の附件四-6[6]でも踏襲された上、香港では『釈義及び通則条例』第2A(3)条[7]、マカオでは『回帰法』附件四-六[8]において法的に明文化されている。

なお、中国政府が主権移管後の香港及びマカオを中国大陸と別個に扱っているのは、一国二制度により特別行政区とされた両地域が植民統治終了後も中国のその他地域とは異なる政治・法律体系を引き続き採っており、中央政府の直接支配が及んでいないからである。実際、同じ国内でありながら、香港・マカオと中国大陸とでは相互に出入国管理にあたる出入境管理を行っている(詳細は香港の査証政策及びマカオの査証政策を参照のこと)。

台湾

中華民国(台湾)における「中国大陸」ないし「大陸地区」は、教育部編纂の国語標準中国語辞典である『教育部重編國語辭典修訂本』において「台湾地区[注 3]以外の中華民国の領土」[14]と説明されている。ただし1949年中央政府遷台[注 4]から2006年までの期間、該当する範囲は行政府の公告資料と法令及び司法府・行政府が用いる実務上の定義との間で整合性が取れていなかった。

行政府の公告資料

台湾地区以外の中華民国の領土は、2006年まで行政院新聞局編纂の『中華民國年鑑』で公告されていた。

2006年刊行の『中華民國九十四年[注 5]年鑑』[9]では、中華民国の国土(「土地」)を「台湾」(第一篇第二章第一節)[15]と「大陸地区」(第一篇第二章第二節)[16]とに分けて記載し、「大陸地区」の項にて中国大陸の範囲を解説している(詳細は中華民国#地理及び中華民国#行政区分、または中国語版を参照のこと)。

具体的な範囲は①1727年[注 6]から1941年までの間に清朝または中華民国が諸外国と条約で確定させた国境線内のアジア大陸地域、及び②南海諸島のうち中央政府遷台後に中華民国が実効支配していない島々であり、中華人民共和国実効支配する領域の他に、モンゴル[注 7]パミール高原蔵南地区、及び江心坡等の中華人民共和国以外の国が実効支配する領域がある。

大陸地区の領域は、国民大会立法院選挙区、及び監察院公署の区割りに反映され、中国語版中国語版1947年)、及び中国語版1948年)は大陸地区と台湾地区の双方で実施された。大陸地区も内包した中華民国の領域は中央政府遷台以降も万年国会が存在している間は名目上使用され続けてきたが、1990年代に組織変革で万年国会が消滅すると『中華民國年鑑』等の政府公告資料でのみ確認できる存在となった。

2006年11月1日発行の『中華民國年鑑(民国94年・2005年版)』(行政院新聞局編)を最後に、2021年3月現在に至るまで中華民国政府は政府刊行物で大陸地区の領域に関する情報を公告していない。

実務上の定義

司法・法令・行政 行政府の公告資料とは別に、中華民国の司法判断や法令の条文、行政府の実務においては「中華人民共和国中共)の実効支配下にある地域」を「中国大陸」としている。

司法が下した判断文の実例としては、1954年中国語版が下した『(民国)43年判字第11号』[17]は「(中国)大陸」を「民国三十八年の(中央)政府遷台から今日まで淪陷し(敵の占領下にあり)、窒礙の状態(国民政府による大陸奪還を妨げる状態)にある地」[注 8]と記し、同年に司法院が下した憲法解釈の『釈字第31号』[18]は、「大陸各省市及び蒙古西藏」を「中共に占領された地域」と規定している。また、1982年最高法院が下した『71年台上字第8219号』の判例[19]でも、「我が国の大陸領土は共匪(中国共産党)によって一時的に盗まれている」[注 9]が「それは依然として固有の領土である」[注 10]と記している。

法令の条文や行政の実務における実例は、「中共」・「共匪」と表現していた中華人民共和国と実務的な接触が生じるようになった1980年代後半から発生するようになった。例えば、行政院が中華人民共和国との業務全般を担う部署として1988年に設置した機関は『行政院大陸工作会報』と命名され、1991年に行政院大陸委員会へと改編された。法令上の用例としては、1989年に大陸工作会報が公布した『台湾地区と大陸地区の民衆の間接通話(通報)開放を実施する方法』[20]において「大陸地区」が事実上「中華人民共和国の実効支配地域」を意味する語として用いられ、1991年中華民国憲法増修条文が公布されると「大陸地区」が憲法上の用語となった。この時点では「大陸地区」の範囲が法令上は明文化されていなかったが、1992年に制定された「台湾地区と大陸地区の人民関係条例」[2]第2条第2項で「大陸地区」は「台湾地区以外の中華民国の領土」であり、かつ同条例の施行細則第三条[21]で「本条第二条第二項の執行区域は、中国共産党の支配下にある地区を指す。[注 11]と法的に規定された。

そのため、中華民国政府の大陸委員会は、中華人民共和国の統治区域に編入された香港・澳門についての事務も管轄している。

類語

特別行政区を除く中華人民共和国の実効支配地域に関しては、「中国大陸」のほかにもいくつかの呼称が用いられる。香港・澳門では「内地」(ただし英語は「the Mainland」)も使われることがある。例えば、香港、澳門住民が大陸地区を訪問する際に使用する身分証は「港澳居民来往内地通行証」である。

台湾では台湾海峡を挟み向かい合うことから「対岸」、中国共産党政権の統治下であることから本来は同党の略称である「中共」が同義語として使われ、台湾独立派には、あえて台湾がそれに含まれないことを強調する政治的意図から「中国」と呼ぶ向きがある。

内地」は台湾人には歴史的な背景もあり植民地宗主国を思わせる上、中華人民共和国や特別行政区の体制側がよく使うために媚びが感じられ、受け入れられないことがある。「対岸」は台湾でのみ使える相対的で場面を選ぶ用語である。「中共」は、中華人民共和国を認めない含みがあるため、当の中国当局がこの用法を拒否している。「中国」は、香港・澳門を含むと考えられるので多くの場合「中国大陸」と範囲が異なるほか、中国語圏で台湾を含まないことを念頭に使用する(たとえば「中国」と「台湾」を同格に並べる)場合は、中華民国体制・一つの中国論を否定する政治的な意味が強い。このため消去法で、比較的中立である「中国大陸」が選ばれる面がある。

ただし、香港では返還後に大陸部から押し寄せた旅行者や移民への反感により、「大陸」の言葉自体がいささか侮蔑的ニュアンスを含むようになってしまった。「大陸仔」(大陸から来た男性)「大陸妹」(大陸から来た女性)などが完全に侮蔑的表現として定着したほか、「大陸」という言葉自体が形容詞として「マナーの悪い」「汚い」などの意味で用いられるようになったため(例として「道端で立ち小便するなんて、彼はなんて大陸なんだろう」など)、香港政府は「大陸」や「中国大陸」という表現を避け「内地」を好んで用いることが多い(大陸人→内地人、内地同胞など)。これはもともと差別用語でなかった「支那」という言葉が現代の日本語で差別的とされ、「中国」がもっぱら用いられるのと同じケースである。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 「探親」は「多く長い間会っていない親族に会いに行く」という意味の中国語で、ここで言う「探親旅行」は国共内戦で離散した家族に会う目的で台湾から中国大陸へ行く旅行を指す。
  2. ^ なお、南海諸島は民間の定住者がいないため同通知で一切言及されていない。そのため、同通知が述べる「大陸」の範疇に南海諸島が入るか否かは不明確である。
  3. ^ 台湾澎湖金門馬祖及びその他我が国(中華民国)の統治権が及んでいる場所・地区。
  4. ^ 第二次国共内戦の敗北に伴い、1949年12月7日国民政府が大陸部から台湾へ移転した出来事を指す。
  5. ^ 民国暦の表記であり、西暦では2005年となる。
  6. ^ キャフタ条約によって清朝ロシア帝国間の国境が確定した年。
  7. ^ 中華民国は建国以来一貫して外蒙古領有権を主張しており、国民政府地方行政区分として蒙古地方を設置していた。だが、実際は帝政ロシアソビエト連邦の度重なる政治介入により、外蒙古はモンゴル人民共和国(モンゴル)として独立(1924年)するかトゥヴァ自治州(トゥヴァ)としてソ連に編入(1944年)されていた。その後、国民政府は中ソ友好同盟条約1945年)の締結によってトゥヴァの領有権を放棄し、かつ同条約の交換公文に基づいて行われた住民投票の結果を受け、1946年1月5日にモンゴルの独立を承認した。しかし第二次国共内戦の敗北によって中華民国政府が台湾への移転を余儀なくされると、政府はソ連による条約の不履行を理由として1953年2月24日に条約を破棄し、モンゴルの独立承認ないしトゥヴァの領有権放棄を取り消した。
  8. ^ 中国語原文:「溯自民國三十八年政府遷臺後,大陸淪陷迄今,窒礙之狀態,仍繼續存在。
  9. ^ 我國大陸領土雖因一時為共匪所竊據
  10. ^ 但其仍屬固有之疆域
  11. ^ 原文:本條例第二條第二款之施行區域,指中共控制之地區。

出典

  1. ^ 教育部、国务院台办关于做好在祖国大陆高校学习的台湾学生教育和管理工作的通知” (中国語). 中华人民共和国教育部门户网站. 2019年3月13日閲覧。
  2. ^ a b 臺灣地區與大陸地區人民關係條例(民國81年公布)(ウィキソース)
  3. ^ 中华人民共和国政府关于领海的声明ウィキソース
  4. ^ 中华人民共和国国务院办公厅关于台湾同胞来祖国大陆探亲旅游接待办法的通知(ウィキソース)
  5. ^ 全国人民代表大会常务委员会关于根据《中华人民共和国香港特别行政区基本法》第一百六十条处理香港原有法律的决定(ウィキソース)
  6. ^ 全国人民代表大会常务委员会关于根据《中华人民共和国澳门特别行政区基本法》第一百四十五条处理澳門原有法律的决定(ウィキソース)
  7. ^ 釋義及通則條例律政司
  8. ^ 回歸法中国語版
  9. ^ a b 『中華民國九十四年年鑑』行政院新聞局編)
  10. ^ 編印臺灣全圖及各級行政區域圖”. 中華民國內政部地政司. 20210405閲覧。
  11. ^ 俄羅斯聯邦”. 中華民國外交部. 20210405閲覧。
  12. ^ 塔吉克共和國”. 中華民國外交部. 20210405閲覧。
  13. ^ 緬甸聯邦共和國”. 中華民國外交部. 20210405閲覧。
  14. ^ 中華民國教育部國語推行委員會編、教育部重編國語辭典修訂本 「中國大陸」及び「大陸地區」の項 による。
  15. ^ 『中華民國九十四年年鑑』 第一篇 總論 第二章 土地 第一節 臺灣(行政院新聞局編)
  16. ^ 『中華民國九十四年年鑑』 第一篇 總論 第二章 土地 第二節 大陸地區(行政院新聞局編)
  17. ^ 43年判字第11號法務部
  18. ^ 釋字第31號司法院大法官
  19. ^ 法務部-判例(71年台上字第8219號)(法務部)
  20. ^ 開放臺灣地區與大陸地區民眾間接通話(報)實施辦法(法務部)
  21. ^ 臺灣地區與大陸地區人民關係條例施行細則(法務部)

関連項目

  • 中国本土(チャイナ・プロパー):清朝中国支配以前から歴史的に漢民族が多数居住してきた地域を指す概念。中国に関する地域概念の一つ。
  • 台湾地区:中華民国が実効統治する区域を指す語。「中華民国自由地区」、「台澎金馬」ともいう。中華民国政府は「中国大陸(大陸地区)」の対義語として用いている。

漫画

漫画(まんが、英語: comicコミック)/複数形:英語: comicsコミックス)、cartoon、manga)とは、狭い定義では笑いを企図した絵をいい、「戯画カリカチュア)」の概念と近い。広い定義では、必ずしも笑いを目的としない「劇画」「ストーリー漫画」「落書き」「アニメ」なども含み、幅広い意味を持つ。マンガという表記も漢字以上に広く使われており、特に漫の字がユーモアを想起させることから、広義で用いる場合はその傾向がある。

日本では明治時代に輸入された"comic"、"cartoon"[注 1]日本語訳として「漫画」という言葉を北澤楽天今泉一瓢が使用したことに始まって以後、漫画はcomicと同義として扱われる様になり、その意味での「漫画」が昭和初期に普及し、現代における漫画という語へ定着するようになった[1][2]。本項では、日本の漫画のみではなく、漫画全般について説明する。

漫画の形式

漫画は、現時性と線上性とが複合した一連のである。現時性とは「その全てを一望して把握できること」、線上性とは「流れの中で部分を辿り、把握していくこと」である。法隆寺の落書きのような卑俗な笑いから、フランス革命前夜のビラのような体制への嘲笑であったり、また時に、ゴヤのような人間存在を揺るがす鋭いブラックユーモアであったりする。その歴史は長く、時代・地域・社会層によりさまざまな形で存在してきた。その形式は極めて多様であり、厳格な定義はほとんど意味をなさない。

漫画は、簡略化と事象の抽象化が特徴とされる。現代漫画は、映画などの影響を受けて20世紀に世界的に発展した、ストーリーのある「コマ割り漫画」の comics (コミック)と、「一コマ漫画」の cartoon (カートゥーン)に分類することができる[3]

定義

  1. 視覚情報を絵として提示する(文章による説明ではない)。
  2. 絵は話の展開を動的に描写し、情報の本質部分を占める(挿絵とは異なる)。
  3. 聴覚情報は人物のセリフは文字として、音が擬音として表現される。ただし、音楽は擬音ではなく絵やコマの行間のようなもので表現される場合が多い。
  4. コマフキダシなど独特の形式を持っている。

漫画では情景や人物の動作などは情報伝達の際に、その絵を提示する事で表現されることがある。視覚芸術の一分野に位置付けられるが、1つの画面で完結しない「時間の継起性」において、時間の一瞬を切り取った(近代以降の)絵画とは区別する傾向があり、1つの画面(フレーム)がコマを指すのか紙面を指すのか不確定なところに、フレームが1つしかない映画との区別がなされる。

本記事においては漫画と表記されているが、「マンガ」や「まんが」と表記される場合、これらの表記は意図的に用いられている場合もある。ただし個々の評論家研究者によって定義は異なる。

漫画と他のメディアの比較
メディア視覚情報の表現聴覚情報の表現画像の連続性
漫画絵を提示声は文字化
音は擬音
動的
絵本絵の提示と文章での説明声は文字化
音は文章表現か擬音
静的・挿絵的
小説文章のみで説明
(挿絵が入る場合がある)
声は文字化
音は文章表現か擬音
なし(挿絵は静的)
オーディオドラマ音声のみで説明声も音も直接提示なし
映画・アニメ・ドラマ映像を直接提示声も音も直接提示
テロップによって表現されることもある
動的・実時間的
紙芝居絵を提示声は読み手の発声
音は読み手の発声による文章表現か擬音
静的・挿絵的
絵画絵を提示なし静的

語源

「漫画」という言葉は、字義的には「気の向くままに漫然と描いた画」という意味である。語源は、よくわかっていないが、随筆を意味する漢語「漫筆」が「漫筆画」を経て「漫画」になったとする説と、「漫画(まんかく)」という名のヘラサギに由来するとの説がある。江戸時代には、山東京伝(『四時交加』、1798年[4]浮世絵師の葛飾北斎北斎漫画初版、文化11年(1814年))[5]の作品の序文や題名で、用語「漫画」が「絵による随筆」、「戯画風のスケッチ」という意味で使用されている[6]

明治時代になると、今泉一瓢が"caricature"や"cartoon"の訳語として「漫画」を用いた。北澤楽天は"comic"の訳語として「漫画」を使用し、以降はこの意味が「漫画」の最も一般的な用法として定着した。

各言語における漫画の呼び名

英語でコマ割り漫画を意味する comics (コミック)は、ギリシャ語で「喜劇」を意味するΚωμικός(コーミコス)から派生した、「滑稽な」を意味する形容詞 comic に由来する言葉である(現代のギリシャ語でも、同じ語源を持ち、おそらくは英語の影響をも受けた用語Κόμικς(コーミクス)が、漫画の意味で使われている)。初期の漫画の多くはほぼ同じサイズのコマを一列に並べた物であり、また、ほとんどは滑稽な内容を扱っていたために、これらのジャンルには comic stripコミック・ストリップ、滑稽な端切れ)という呼び名が与えられた。それらを一冊の冊子にまとめた物は、 comic bookコミック・ブック、滑稽な本)と呼ばれ、それが短縮されて comic となった。しかしながら、漫画が深刻なテーマを取り扱うようになると、それらに冠された comic という名は混乱をもたらし、 これを嫌ったアメリカ合衆国の漫画家ウィル・アイズナーsequential art (シーケンシャル・アート、「連続された絵画」の意味)という呼び名を導入した。なお、英語の comic はアイズナーが代替語として sequential art という用語を提案した事からも分かる通り、原則的には複数のコマで構成される漫画のみを指す用語である。英語では一コマ漫画は cartoonカートゥーン)あるいは panel (パネル)と呼ばれる。現代の英語の cartoon という用語が、専ら animated cartoon (アニメーション作品)を指す言葉として使われるようになったため、印刷媒体の上での一コマ漫画である事を強調したい時は、printed cartoon と表記される。

英語の comic という言葉はヨーロッパ諸国へも輸出され、ドイツ語Comic(コミーク)やロシア語Комикс 等の呼び名は、英語の comic に由来する。そしてオランダ語では主に strip が漫画の呼び名として使われている。ただし、ドイツ語でも漫画に対して自国語由来の Bildergeschichte (ビルダーゲシヒテ、絵の物語)という言葉が使われる事がある。

一方、漫画に対して英語の comic とは異なる呼び名を持つ言語圏も多数あり、フランスベルギーといったフランス語圏では bande dessinéeバンド・デシネ)が使われている。これは「絵の描かれた帯」という意味で[7]、英語の comic strip と同様に、漫画のコマの配列について言及した言葉である。

フィンランド語sarjakuva (サルヤクヴァ、「連結した(sarja)」+「画像(kuva)」)も、やはり同様の意味の言葉である。

スペイン語では、アメリカンコミックのようなストーリー性のあるものはそのまま comic(コミック) 、もっと軽い、どちらかと言えば子供向けのものは tebeo(テベオ、単語の由来は後述**) 、風刺画、戯画のようなものは historieta (イストリエタ)[8]viñeta (ビニェータ)、caricatura (カリカトゥーラ)等と呼ばれる。近年スペインでは絵やストーリーのスタイルが日本の漫画から大きな影響を受けている作品群はそのまま manga(マンガ) と呼ばれ、2012年には王立スペイン語アカデミー編纂のスペイン語辞書第23版にも外来語として記載されるようになった。 

  • tebeo (テベオ)は1917年にバルセロナで創刊された長寿漫画雑誌 TBO に由来する。TBO はスペイン語の te veo (私は君を見る)から付けられたタイトルである。

イタリア語では漫画は fumetto (フメット)と呼ばれる。これはイタリア語で「煙」を表す fumo (フーモ)に由来する言葉で、漫画のフキダシの形からこの呼び名が生まれた。fumetto の複数形は fumetti (フメッティ)であるが、この言葉はアメリカではイタリアの漫画よりも、むしろ写真を用いた漫画を表す言葉として使われている。

中国語圏や韓国語圏では、日本から輸出された「漫画」の表記のそれぞれの現地発音による「漫画」(台湾と香港では「漫畫」)(マンホア)や 만화マンファ)という呼び名を使う。

エスペラント語では漫画一般を指す言葉として、bildo(画像)とliteraturo(文学)を組み合わせた言葉 bildliteraturo(ビルドリテラツロ)が作られたが、日本風の漫画に関してはmangao(マンガーオ)と表記することもある。

日本では、一般に「漫画」「マンガ」「まんが」「コミック」などと呼称されている。古い呼び方としては、日本初の漫画雑誌ジャパン・パンチに由来する「ポンチ」という名が明治から大正年間にかけて使用されていた[9]。その名残で、出版業などビジネス界では、漫画絵のことを「ポンチ絵」とも呼称している(製造業ではポンチ絵はラフ(簡単な絵の概略構想図)の 類似表現である)。詳細は「日本の漫画」項を参照。

歴史

漫画発祥の時期と場所については、主に漫画の定義に依存する多数の異なった説が存在する。

古代と中世

戯画的漫画・落書きは、その大衆的性格から(また時に体制批判的な内容から)、美術が権力者や宗教に従事していた古代や中世には、積極的に残される努力はされなかった。それ故に、作例がかなり限られてくる。日本の現存する最古の漫画の作例では、法隆寺に残された漫画が挙げられる。古代エジプトの漫画としては、権力者を動物化して表現した漫画が存在している。これは壁画や壷絵等、複数残されている。古代ギリシアでも、壷絵には、割と多くの戯画的表現を見出すことが出来るが、古代世界で多くの漫画が残されているのはポンペイである。この古代ローマ時代の地方都市は、ある日突然に火山の噴火によって町が灰に埋もれたことから、普通では残ることのないようなごくごく日常的な絵画や漫画の類まで残されている。これらは偶然に残されたこと、庶民的性格、おおらかな性の表現といった点で似ている。

また、宗教において写本画のごくごく目立たない部分に落書きがあったり、後期中世を通じて大量に流布していた木版画には、民衆的ユーモアを確認することができる。日本の仏典の端には、写学生の気晴らしと思われる漫画などが見られる。ゴシック末期の、例えばショーンガウアーやボッスの作品には、様々な戯画的世界が見られる。 宗教関連では、仏教では釈迦一代記曼荼羅が描かれた。これは、釈迦の両親から、象の夢による妊娠に始まって、出家、涅槃までを、中央の釈迦を中心に、左下から反時計回りに展開したものである。一方、キリスト教では、イエスの物語を語り継ぐことが信仰の中心となったこともあり、十字架の道 (Via Crucis) が多くの教会の内部(巡礼に倣うために、各柱の下)に描かれた。これは、イエスの死刑宣告から復活まで、14コマ+1コマで描くものであり、イエスやピラト、マリア、シモン、ベロニカなどのキャラクターが定型的に描かれる。これらを原点として、仏教でも、キリスト教でも、さまざまな時間的な物語が、絵や彫刻、ステンドグラスのコマ、ないし連続的展開によって説明される形式が確立されていた。ただし、当時の民衆は文字が読めない場合が多かったために、説明は、宗教家の活弁によって補われる必要があった。

近世

ルネサンス美術は、極めて多様な作例を残している。特に、16世紀以降は、美術に従事するものは個性的であることが優れていると考えられ、そのために、表現の幅が広げられた。レオナルド・ダ・ヴィンチは、奇妙・奇怪なものに非常に関心を示し、彼の手稿には、多くの戯画が残されている。レオナルドの興味は、マニエリスムを予感させる。そしてまた、民衆的な笑いのセンスが、芸術的な形に現れた時代でもあった。後期ルネサンスやマニエリスムには、下卑た笑い、エロティックなもの、世相批判的なもの、そういったまるでフランソワ・ラブレーの世界が、美術に展開し、枚挙に暇がない。それは漫画と密に通じている。代表的な美術家としては、ピーテル・ブリューゲル(父)、ジャック・カロジュリオ・ロマーノルーカス・クラーナハ(父)などがいる。カロや、クラーナハの場合、当時飛躍的に発展しつつあった印刷技術との関連においても重要である。

「コミック・アートの歴史」を著したR. セービンは、漫画は本質的に印刷媒体と関連付けられているという主張の下に、印刷術の発明により漫画の形式が具体化されたとの見解に立っている。したがって、印刷術に先立つすべての漫画のバリエーションは、あくまで漫画の先行形式であり、漫画の系譜に属するものとは見なせないとするのが、セービンの見解であった。

漫画の形式を備えていると見なせる、現在残されている初期の作品はフランシス・バーローによる『A True Narrative of the Horrid Hellish Popish Plot(恐るべき地獄のようなカトリック陰謀事件についての真実の物語)』(1682年)である。これは、コマ絵の連続で経緯が描かれ、セリフはフキダシによって表現されている。その後、同様の形式を持つものはいくつも発表されているが、エディ・キャンベルは「それらの作品は漫画と言うよりも、風刺画の連作ではないか」と反論している。この時期の特筆すべき制作者としては、トマス・ローランドソン、ジャン・ヴァンデルフフト、ジェームズ・ギルレイジョージ・クルックシャンクがいる。ローランドソンとギルレイの作品の中には、フキダシを導入しているものも見られる。

それらの中でも、当時の政治を風刺したローランドソンの1784年の作品『The loves of the fox and the badger, or the coalition wedding』は、キャプション、フキダシ、きちんと展開するコマ形式を備えた上に、思考表現のフキダシも持ち、コマ漫画のプロトタイプであると見なされ、このローランドソンの作品は、絵物語の連続表現としてのコマ漫画形式の普及を促進したといえる。[10]

19世紀

スイスロドルフ・テプフェールは、19世紀前半の漫画史における重要人物である。コマ絵とその下に添えられた文から成るテプフェールによる一連の作品は、ヨーロッパとアメリカの様々な地域で出版された(ただし、この作品にはフキダシは用いられていない)。当時の著作権法の不在により海賊出版されたこれらの翻訳版は、両大陸で漫画という形式を持つ作品のための市場を整えた。[11]

1845年に、テプフェールは著書『Essai de Physiognomonie(人相学エッセイ)』の中で、彼の考えを形式付けている。「絵物語を構築し、しばしば澱となって沈んでいる素材から可能性を余さず引き出してやるのに、名匠の業を身に付ける必要はない。絵物語の構築は、単に鉛筆画で軽佻浮薄なカリカチュアを描き出すことではない。また、単に世間の噂話を物語にすることでも、駄洒落を絵画化することでもない。あなたは実際にある種の演劇を発明し、企画に沿った形で部品を配置し、全体を満足な形に整えねばならない。ただジョークを書き綴ったり、対句を繰り返したりするだけでは駄目なのだ。それが優れたものであるにせよ、劣ったものであるにせよ、真面目なものであるにせよ、馬鹿げたものであるにせよ、狂ったものであるにせよ、正常なものであるにせよ、あなたは『本』を作るのである」[12]

美術史家エルンスト・ゴンブリッチは、テプフェールを新たな絵画言語の発明者として認識している。これは読者自身の想像力によって補われる、省略された表現形式であった。

デイヴィド・カンズル(アメリカ)やティエリ・グルンステン(フランス)などの漫画史の研究者によれば、テプフェールは現代的な意味でのコマ漫画(コミック・ストリップバンド・デシネ)という表現形式を事実上発明した人として評価され、「コマ漫画の父」とも呼ばれている。

19世紀には、新聞紙上での風刺漫画が人気を博した。1841年、イギリスで風刺漫画雑誌『パンチ』が創刊された。1843年に、『パンチ』は当時フレスコ画の下絵(カートゥーン)展示会を行っていたイギリスの国会議事堂を揶揄して、誌上に掲載された風刺漫画を「カートゥーン (cartoon)」と名付けた。この用語は漫画を表す一般的な英語となり、現代でも使われている。同種の風刺漫画雑誌として、ヨーロッパ大陸ではドイツの『フリーゲンデ・ブレッター』やフランスの『シャリバリ』があり、アメリカ合衆国では『ジャッジ』と『パック』が人気を博していた。

1865年に、ドイツでヴィルヘルム・ブッシュによる『マックスとモーリッツ』が新聞紙上で発表された。この絵物語は漫画の重要な先駆作品であると考えられている。この頃から中国では漫画の形式が整い始め、1927年には完成した。

1884年にイギリスで雑誌形式により出版された『アリー・スローパーの半休日』は、特定の主人公(アリー・スローパー)による最初の連載漫画として評価されている。1890年には、イギリスで更に2冊の漫画雑誌『コミック・カッツ』と『イラストレーテッド・チップス』が登場した。これらの漫画はアメリカでも新聞連載された。これらの作品により、定期刊行雑誌としてのブリティッシュ・コミックの伝統が確立された。

一般的な基準による、特定の登場人物が登場する最初の成功した連載漫画は、アメリカのリチャード・F・アウトコールトによる連載一コマ漫画『ホーガンズ・アレイ』(1896年)か、ドイツ系アメリカ移民のルドルフ・ダークスによる連載コマ漫画『カッツェンジャマー・キッズ』(1897年)であった[13]。『ホーガンズ・アレイ』の主人公であるイエロー・キッドの人気は連載された新聞の売り上げ拡大に貢献し、その他の連載漫画の誕生を促した。この漫画ブームは、大衆芸術としての漫画の始まりを示すものであった。

20世紀

アメリカ合衆国において漫画を示す用語である「コミックス (comics)」は、ユーモラスな物語を特徴とした初期のコミック・ストリップ(新聞漫画)に用いられた形容詞「滑稽な (comic)」に由来する。

1929年に、アクション漫画である『バック・ロジャーズ』と『ターザン』の連載開始により、コミックはその分野を拡大し始めた。更に多くの漫画が誕生する内に、「コミックス」という用語は、やがて作品の内容よりも形式を指す用語となっていった。また、同年にはベルギーの新聞『ル・ヴァンティエーム・シェクル(20世紀新聞)』付録の白黒漫画で、タンタンの冒険が初登場した[14]。タンタンの物語は1930年に『タンタンソビエトへ』の一冊にまとめられ、ユーロピアン・コミックスのコミック・アルバムの形式で出版された。

その他にも、1929年には新聞漫画を再版した『ザ・ファニーズ』が出版されている。この漫画はアメリカ合衆国においてニューススタンドで発売された、最初の4色印刷の漫画として評価されており、タブロイド判のサイズで印刷されていた。この判型は当時の新聞の日曜版と混同されやすく、売り上げを伸ばせなかったため、36号で廃刊となった。

現在のアメリカン・コミックス形式で出版された最初の漫画は、日曜版のタブロイド判サイズを半分にした判型による、『ファニーズ・オンパレード』であった。ニューヨークのイースタン・カラー・プリンティング社で働いていたハリー・L・ウィルデンバーグとマックス・C・ゲインズにより、広告用の景品として1933年に出版されたこの雑誌の成功は、同種の景品雑誌出版の呼び水となった。やがてゲインズは余った雑誌に10セントの価格を表示したカバーを掛けて、ニューススタンドで販売することを思い付き、それらをすべて売り切った。これにより、イースタン社はニューススタンドで販売される漫画雑誌『フェイマス・ファニーズ』を1934年5月に創刊した。

1935年までの漫画は、主に当時のパルプ雑誌に影響された独自の素材を利用していたが、この頃から漫画外の素材が漫画に用いられるようになった。ウィル・アイズナーは漫画外の素材を漫画に持ち込んだ漫画家であり、漫画外の素材を漫画に適用すべく改良し、漫画の文法を発明した事により高く評価されている。アイズナーにより案出された漫画の手法としては、場面を突然に切り替える「ジャンプ・カット」などがある。

アメリカでは1938年に、『アクション・コミックス』第1号でスーパーマンが初登場し、アメリカン・コミックスの黄金時代と呼ばれる期間が到来した[15]。また同年にベルギーでは、バンド・デシネの特徴である週刊形式の漫画雑誌『スピルー』が創刊された[16]

しかしアメリカでは第二次世界大戦後に俗悪コミックへの反対運動が激化し、これを受けて1954年にコミックス倫理規定委員会が設立されて厳しい規制が導入された結果、一時スーパーヒーローのジャンル以外の漫画はほとんど発行されなくなった[17]

アメリカでは、第二次世界大戦期以降、高等教育を受けておらず社会経験が少ない新兵向けの副読本として、任務中の注意点などを解説した漫画が軍主導で多数企画され、ウィル・アイズナーなどのコミック作家が請け負っていた(英語版記事「PS」参照)[注 2]

日本では、戦後の漫画の表現技法が後の漫画家たちに大きな影響を与え、現在まで日本の漫画の表現技法として定着している[18]。日本の漫画の歴史については、「日本の漫画」「日本の漫画の歴史」項を参照。

各国の漫画

世界各国で漫画は発行されているが、なかでも日本アメリカフランスの3カ国は独自のアートスタイルと市場を持つ[19]

アメリカン・コミックスは、新聞漫画であるコミック・ストリップと、大手出版社からコミック・ブック形式で発行されるメインストリーム・コミック、そして独立系出版社のオルタナティヴ・コミックとに分かれる[20]スーパーヒーローもののコミックに代表され[21]、アメリカ国内でもその認識が強い[22]。コミック・ブックはカラーが中心である[23]

フランスの漫画はバンド・デシネと総称され、これにはフランスのみならず、ベルギー漫画などフランス語圏諸国のものが含まれる[24]。フランスでは「第9の芸術」と呼ばれることもあり、エンターテイメント性の高いものが中心ではあるが、技巧や芸術性の高いものも存在する[25]

日本の漫画は主にモノクロで描かれ、独特のデフォルメされた絵柄や表現技法、ストーリーの長さ、そして老若男女すべてを対象とする読者層の広さと、ジャンルの多様性に特徴があるとされる[26]

その他の国家の漫画については、中国の漫画香港の漫画中国語版韓国の漫画マレーシアの漫画の各記事を参照のこと。

産業

産業としての漫画の市場規模は、日本が突出して大きく、他国の数倍以上の規模を持っている。アメコミ・マンガ・バンドデシネなどすべての漫画を含めた2008年度の漫画の売り上げは、日本が4483億円、アメリカが281億円、フランスが246億円と推定されており、その他の国はさらに小さなものとなっている[27]。その後は日本が伸び悩む一方で世界的には市場は伸長し、2017年度には日本39億ドル、アメリカ10億ドル、中国8億ドルの順となっている[28]。日本では出版物の3分の1を漫画が占めるほど大きな地位を占めているが、1995年以降漫画の売り上げは長期低落傾向にある[29]。ただし2020年にはCOVID-19のパンデミックによる巣ごもり需要の急拡大や、電子書籍需要の急増、そして「鬼滅の刃」の大ヒットによって減少傾向が一転し、前年比23.0%増の6126億円となって過去最大の売上高を記録した[30]

漫画は単体のみならず、アニメ映画のコンテンツ供給源としても重要である[31]。これは日本の漫画のみならず、アメリカンコミックにおいても同様の傾向が見られる[32]

脚注

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注釈

  1. ^ 日本漫画家協会の英称はTHE JAPAN CARTOONISTS ASSOCIATIONであり、マンガ大賞の英称もCartoon grand prizeである。
  2. ^ なお、同様にアニメーション業界でも銃器の取り扱いを学ぶ学習アニメなどが多数制作された。これらは終戦後には廃れており、幼児教育向けのみが残っている。

出典

  1. ^ 茨木正治『メディアのなかのマンガ』臨川書店、2007年。
  2. ^ 漫画会館所蔵品展「楽天・異国へのまなざし」”. さいたま市プラザノース (2011年1月). 2013年12月10日閲覧。 “(北沢)楽天は政治風刺画や風俗漫画の執筆で活躍した日本で初めての職業漫画家でした。明治期に外国から入ってきた「comic(コミック)」「cartoon(カートゥーン)」の訳語として漫画という言葉を広めたのもまた、楽天でした。”
  3. ^ 「マンガジャンル・スタディーズ」p3 茨木正治編 臨川書店 平成25年4月30日初版発行
  4. ^ 「平常、舗中ニ在ツテ梧ニ凭リ、偶、夫ノ貴賎士女老少等ノ大路ニ交加スル所ヲ漫畫シ」 山東京伝『四時交加』(1798年) 序文
  5. ^ 北斎漫画 - 近代デジタルライブラリー
  6. ^ 「マンガ文化 55のキーワード」(世界文化シリーズ別巻2)p9 竹内オサム・西原麻里編著 ミネルヴァ書房 2016年2月25日初版第1刷発行
  7. ^ https://www.chunichi.co.jp/article/209237 「関心高まる仏語圏漫画「バンド・デシネ」 政治や移民 深いテーマ」中日新聞 2021年2月27日 2021年3月19日閲覧
  8. ^ https://book.asahi.com/article/13179930 「メキシコの知られざる大衆漫画「イストリエタ」 ルチャ・リブレのレスラーら庶民の英雄像描く」好書好日(朝日新聞デジタル)2020.03.06 2021年3月19日閲覧
  9. ^ 「マンガ文化 55のキーワード」(世界文化シリーズ別巻2)p4-7 竹内オサム・西原麻里編著 ミネルヴァ書房 2016年2月25日初版第1刷発行
  10. ^ Perry, George; Aldridge, Alan (1989 reprint with introduction). The Penguin Book Of Comics. Penguin. ISBN 0-14-002802-1. p.31
  11. ^ Beerbohm, Robert (2003) The Adventures of Obadiah Oldbuck Part III. The Search For Töpffer In America. Retrieved on May 30, 2005.
  12. ^ Weiss, E. Enter: The Comics, University of Nebraska Press, Lincoln, pp.4. (1969)
  13. ^ 「アメリカン・コミックス大全」p12 小野耕世 晶文社 2005年11月20日初版
  14. ^ 「はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド」 (玄光社MOOK) p14 原正人監修 玄光社 2013年7月7日初版発行
  15. ^ 「アメリカン・コミックス大全」p15 小野耕世 晶文社 2005年11月20日初版
  16. ^ 「はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド」 (玄光社MOOK) p14 原正人監修 玄光社 2013年7月7日初版発行
  17. ^ 「アメリカに日本の漫画を輸出する ポップカルチャーのグローバル・マーケティング」p141-142 松井剛 有斐閣 2019年3月15日初版第1刷発行
  18. ^ 日本の漫画と西洋漫画の違いを山藤章二は『ヘタウマ文化論』(岩波新書)p.159で“日本漫画のそれは、筆の運びが持つ「徘味」と「描いてないところを想像させる空間の面白さ」と言った、いわば「落語の間(ま)に通ずる空気感があるのです。/西洋漫画のそれは、「面白い所(アイデア)は描く」のです。描かないで読者の想像力にまかせる、ということはほとんどない、文化の違いでしょう。”と書いている。
  19. ^ https://courrier.jp/news/archives/67182/ 「なぜ日本人は「アメコミ」を読まず、米国人は「MANGA」を読まないのか? 現役漫画家が特別寄稿で教えます」クーリエ・ジャポン 2016.11.13 2021年3月21日閲覧
  20. ^ https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1209/12/news013.html 「アメコミ市場は日本の10分の1、世界のマンガ市場を見る(後編)」ITmedia ビジネスオンライン 2012年09月12日 2021年3月21日閲覧
  21. ^ 「はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド」 (玄光社MOOK) p88 原正人監修 玄光社 2013年7月7日初版発行
  22. ^ 「アメリカに日本の漫画を輸出する ポップカルチャーのグローバル・マーケティング」p141 松井剛 有斐閣 2019年3月15日初版第1刷発行
  23. ^ 「アメリカに日本の漫画を輸出する ポップカルチャーのグローバル・マーケティング」p36 松井剛 有斐閣 2019年3月15日初版第1刷発行
  24. ^ 「はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド」 (玄光社MOOK) p18 原正人監修 玄光社 2013年7月7日初版発行
  25. ^ 「はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド」 (玄光社MOOK) p15 原正人監修 玄光社 2013年7月7日初版発行
  26. ^ 「アメリカに日本の漫画を輸出する ポップカルチャーのグローバル・マーケティング」p36-42 松井剛 有斐閣 2019年3月15日初版第1刷発行
  27. ^ https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1209/12/news013.html 「アメコミ市場は日本の10分の1、世界のマンガ市場を見る(後編)」ITmedia ビジネスオンライン 2012年09月12日 2021年3月20日閲覧
  28. ^ https://www.sankeibiz.jp/macro/news/200630/mcb2006300500007-n1.htm 「韓国発の電子コミック注目 近年急増、世界市場で存在感」SankeiBiz 2020.6.30 2021年3月21日閲覧
  29. ^ https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1209/11/news015.html 「出版物の3冊に1冊を占めるけど……危機を迎える日本のマンガ(前編)」ITmedia ビジネスオンライン 2012年09月11日 2021年3月20日閲覧
  30. ^ https://www.ajpea.or.jp/information/20210225/index.html 「2020年のコミック市場規模発表 紙+電子で23.0%増の6,126億円、統計開始以来史上最大 紙は13.4%増、電子は31.9%増」公益社団法人 全国出版協会・出版科学研究所 2021年2月25日 2021年3月21日閲覧
  31. ^ https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1209/11/news015.html 「出版物の3冊に1冊を占めるけど……危機を迎える日本のマンガ(前編)」ITmedia ビジネスオンライン 2012年09月11日 2021年3月20日閲覧
  32. ^ https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1209/12/news013.html 「アメコミ市場は日本の10分の1、世界のマンガ市場を見る(後編)」ITmedia ビジネスオンライン 2012年09月12日 2021年3月20日閲覧

関連項目



 

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