写真 映画『ステージ・マザー』場面写真(C) 2019 Stage Mother, LLC All Rights Reserved.
ドラァグクイーンたちが圧巻のパフォーマンス 『ステージ・マザー』本編映像解禁
内容をざっくり書くと
店の再建を決意したメイベリンは、ドラァグクイーンたちと一念発起。
女優のジャッキー・ウィーヴァーがゲイバーを再建するヒロイン役で主演を務める映画『ステージ・マザー』よ… →このまま続きを読む
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ドラァグクイーン
ドラァグクイーン(英: drag queen)は、女性の姿で行うパフォーマンスの一種。纏った衣装の裾を引き摺る(drag)ことからこう呼ばれる[1]。
概要
ドラァグクイーンの起源は、男性の同性愛者が性的指向の違いを超えるための手段として、ドレスやハイヒールなどの派手な衣裳を身にまとい、厚化粧に大仰な態度をすることで、男性が理想像として求める「女性の性」を過剰に演出したことにあるといわれる。
本来はサブカルチャーとしてのゲイ文化の一環として生まれた異性装の一つであるため、ドラァグクイーンには男性の同性愛者や両性愛者が圧倒的に多い。しかし近年では男性の異性愛者や女性がこれを行うこともある。また趣味としてこれを行う者からプロのパフォーマーとして活躍する者まで、ドラァグクイーンの層も厚くなっている。
トランスジェンダー女性(性同一性は女性だが、出生時に身体的特徴から男性と割り当てられた人)が女物の服を着るのは「女性になる」または「女性として見られる」ことが目的であるのに対し、ドラァグクイーンのそれは「女性のパロディ」あるいは「女性の性表現を遊ぶ」ことを目的としている点が大きく異なる。
語源
英語の drag が「女装した男性」を意味するようになったのには三つの説がある。
- 演劇界の隠語だとするもの。1870年に初出の記録がある。当時舞台上で女性の役を演じる女優が不足した時は、子役や背の低い若作りの俳優が女装してこれを務めたが、無骨な脚が観客に見えないようにロングスカートを履いた。ところがスカートの履き方に慣れていなかった彼らは裾を床に引きずっても平気な顔をしていた。それが滑稽だったのでこの名がついたというもの。英語の名詞 drag の本来の意味はこの「引きずる」である。これが最も一般に普及している説。
- ドイツ語で「着る」を意味する tragen が、イディッシュ語の trogn となり、これが英語化して drag となったとする説。現代口語英語にはイディッシュ語を経由したドイツ語を源とすることばが多いことを背景とした説だが、変化した際の子音交換が必ずしも音声学の法則に沿っていないところもあり、こじつけだとする見方が一般的。
- 英語の句「dressed as a girl」(女性のように装う)の略語だとする説。英語圏以外で巷間に流布している説だが、これはいわゆる俗説である(正しい英語では「dressed like a girl」という)。
なお drag queen という成語の初出は1941年である。
表記
英語の「drag」を片仮名表記するとき、標準的な転記法に則って「ドラッグ」とする場合もあるが、LGBTのメディアでは通常「ドラァグ」という表記をすることが多い。これは drag が drug(ドラッグ、薬。スラングとして違法薬物)に関係あるかのように誤解されないようにするためである。
日本で最初にこの「drag」を「ドラァグ」と表記することを提唱したのは、元『Badi』編集長の「マーガレット」ことであると言われている。またこれ以前から独自のドラァグ文化が存在した主に関西方面では、今日でも「ドラッグ」と表記することが多い。
日本におけるドラァグクイーン
歴史
背景
歌舞伎の女形の伝統がある日本では古くから男性が女装して人前で芸を披露する伝統があった。また畿内では女舞が主体である上方舞の伝統が根ざしており、そうした中からは人間国宝・吉村雄輝のような舞手も出ている。この吉村の一人息子が1969年『薔薇の葬列』で衝撃的なデビューをした ピーターである。ピーターはデビュー後しばらくは女装でさまざまな芸能活動を行ったが、一歩カメラの前を離れると通常は男装または中性装(ただし派手なものだったが)で、しかも自らのセクシュアリティを一切芸の中には持ち込まなかった。この点で途中から常時女装になり同性愛者を公言していた美輪明宏などとは一線を画していた。カルーセル麻紀は、モロッコで性転換手術を受けている。
このような背景を下地に、既成の「芸能人ドラァグ」には飽き足らなくなった一般の人々が、この新しい分野の芸を自ら体現してみせるようになり始めたのは、時代が下って1980年代、クラブやでで注目を集めたニューハーフとは一線を画する日出郎がメディアに登場したのは、いわゆるバブル全盛の時代のことだった。
黎明期
ミス・グロリアスは90年代初頭から京都で活動し始めた。同じ頃、東京ではマーガレットこと小倉東がアメリカのゲイ文化としてのドラァグを紹介していた。関東では「Gold」という伝説的クラブでドラァグを行う者が多く現れ始めた。その中にはテクノポップを歌う日出郎やJINCOママやKEIKOママがいてマドンナやユーミンを熱唱した[2]。因みに「Badi」(1998年5月号)「同じゲイなら踊らにゃソンソン」には、「ドラァグ・ショウの誕生はゴールドから」「日本のクラブでのドラァグクイーン文化はミス・ユニバースコンテストから」とあり、ゴールドのフライヤーやミス・ユニバースコンテストの写真が掲載されている。
この頃のドラァグには、関西と関東で違いがあった。関東ではクラブの盛り上げとしてパーティ的、あるいはミスコン的なお祭り騒ぎであるものが主流であった。
90年代半ばになると、日本を拠点としていたドラァグクイーンが海外のショーにも出演するようになり、ニューヨークにある(605 W 48th St, New York, NY)には、日本人ドラァグクイーンが在籍するようになった。しかし海外で活動していた日本人ドラァグクイーンの多くが、日本に帰国するとさまざまな理由から表舞台から去っていった。
日本では、折しも映画『プリシラ』のヒットなどと共に1990年代のゲイブームが到来、ドラァグはゲイカルチャーになくてはならない存在となった。1990年代半ば以降は日出郎等メディアドラァグが活躍し、クラブにおいてはスーパーモデルばりにキレイなドラァグクィーンが主流になっていった。「歌モノハウス」が隆盛を極め、そのためクラブイベントでのドラァグは、洋楽女性DIVAのリップシンクや、お立ち台へのお供えが中心となっていった。
その一方で、UC(アッパーキャンプ)と呼ばれる従来のドラァグとは一線を画すドラァグが東京に現れ始める。UCの出現によりドラァグは、日本の女優をオマージュしたセクシャルなショーに変化。流行アイドルのリップシンクや、テレビドラマのパクリなど、ネタ色が強く、しかも誰もが知っているようなネタにより、これがファン層を広げることにもなった。関西のアート性、関東のパーティー美人性の持つ既存権威性に対してのアンチテーゼとしてのアイデンティティーを獲得するが、拡大するなかで、自スタイルが権威性を持つ事となり結果的に自家中毒を起こし、惜しまれる中で解散を迎える。 黎明期は既存文化に対するアンチテーゼとしたレーゾンデートルをエネルギーに拡大してきたが、UCの解散後、不景気に重ね、ドラァグとしての存在意義を明確化できず、時代は迷走期を迎えることとなる。
2000年代以降
2000年代後半に入り、マツコ・デラックスや、ミッツ・マングローブが容姿のインパクトに加え、鋭い切れ味を持つご意見番的なオネェ系という存在で娯楽メディアでも大きな立場を担い始めた。女装家という呼称はミッツがメディア向けに言い始めたことがきっかけに広まっていった。
2010年代に入り、マツコ・デラックスやミッツ・マングローブ、ブルボンヌにナジャ・グランディーバの人気や、かねてからのオネェ系のブームにより、様々なドラァグクイーンが女装家という枠で、主にバラエティ番組を通してメディアへ露出するようになった。その結果、オネェ系のひとつの形としてドラァグクイーンの存在が社会的に認知され始めた。
著名なドラァグクイーン
- 日本
- アイルランド
- (ローリー・オニール)
- アメリカ
- ディヴァイン
- チ・チ・ラルー
- (1960年11月17日生まれ。カリフォルニア州サンディエゴ出身。15歳でジョージア州アトランタに移り住む。アトランタではナイトクラブでパフォーマンスを学び、その後ニューヨークで活動。数々のメディアに露出し、映画やテレビでも活躍する。1993年にはエルトンジョンとのデュエット曲 ""を発表。多くの日本人ドラァグクイーンに多大な影響を与えた)
- (伝説のドラァグクイーンと呼ばれることジョン・エパーソンは、30年以上ニューヨークで活動を続けているため、多くのショービス関係者からは“ゴッドブレス・オブ・ショービジネス”とも呼ばれている。日本ではほどメジャーではないが、リプシンカに憧れる日本人ドラァグクイーンは多い)
- (ニューヨーク州シティーアイランド出身。1983年にを卒業。にて芝居を学ぶ。1992年に最初のワンマンショーである「Miss Coco Peru in My Goddamn Cabaret」を発表すると、さまざまなメディアで活躍する。1995年にスペイン出身の大学教授であるRafaelと出逢い、2008年にスペインにて同性婚をする。現在、Los Ángelesに在住)
- (ニューヨーク州レヴィットタウン出身。1980年代からニューヨーク市を中心に活動。1993年にドラァグクイーン専用のエージェント会社「Screaming Queens Entertainment」を立ち上げ、東海岸を中心に多くのドラァグクイーンのマネジメントを行う)
- マーシャ・P・ジョンソン
- イギリス
- オーストラリア
- オーストリア
- スウェーデン
ドラァグクイーンが登場する作品
映画
洋画
- 『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のヘドウィグ
- 『キンキーブーツ』のローラ
- 『3人のエンジェル』のヴィーダ、ノグジーマ、チチ
- 『バードケージ』のスターリナ(アルバート)
- 『ピンク・フラミンゴ』のディヴァイン(本人役)
- 『プリシラ』のベルナデット、ミッチ、フェリシア
- 『フローレス(英語)』のラスティ
- 『RENT』のエンジェル
- 『ペダル・ドゥース』のアドリアン
- 『ロッキー・ホラー・ショー』
- 『ビクター/ビクトリア』
- 『男として死ぬ』の主人公・トーニャ
- 『』
邦画
- 『東京ゴッドファーザーズ』のハナちゃん
- 『DRUG GARDEN』クリスティーヌ・ダイコ、ホッシー、マーガレット
テレビドラマ
- バナナチップス・ラヴ (1991年10月 - 12月、フジテレビ)
楽曲
- 尾崎豊の「Freeze Moon」の歌詞。
脚注
- ^ 佐伯順子 『「女装と男装」の文化史』 講談社、2009年10月10日、99頁。ISBN 978-4-06-258450-0。 NCID BA91661359。
- ^ Badi1998年5月号P52「同じゲイなら踊らにゃソンソン」。
- ^ AFPBB News 2014年5月11日 オーストリア代表の「ひげの女装歌手」が優勝、欧州歌謡祭ユーロビジョン
関連項目
外部リンク
- Dame-Edna.com: デイム・エドナの公式サイト
- RuPaul.com: ルポールの公式サイト
- Lypsinka.com: リプシンカの公式サイト
- MissCocoPeru.com: ミス・ココ・ペルーの公式サイト
- Interview with Miss Understood: ミス・アンダーストゥッドの雑誌インタビュー
- 五輪閉会式にドラァグクイーン40人出演(シドニー五輪公式ページより抜粋)