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🎥|柳楽優弥 筆さばき絶賛され「汗かいてきちゃった」


写真  青年期の葛飾北斎を演じた柳楽優弥(撮影・西岡正)

柳楽優弥 筆さばき絶賛され「汗かいてきちゃった」

 
内容をざっくり書くと
東京芸術大学の先生2人から浮世絵を学んで挑んだ柳楽は「汗かいてきちゃった。
 

俳優の柳楽優弥(31)が13日、都内の東京江戸博物館で行われた舞踏家・田中泯(76)とのダブル主演映… →このまま続きを読む

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浮世絵


浮世絵うきよえは、江戸時代初期に成立した、絵画ジャンルのひとつである。

概要

江戸時代に盛行した庶民的な絵画で、江戸を中心に発達し、大和絵を源流とするが、狩野派土佐派そして洋画写生などの様式も取り入れていった[1]

浮世絵の作品形態は、肉筆画[注釈 2](筆で直に描いたもの)と木版画(印刷物)に分かれ、後者は一枚摺と版本(書籍)に分かれるが、庶民に広まった背景として、大量生産とそれによる低価格化が可能な版画形式があげられる[2]。商業資本たる版元の企画の下での、絵師(作画)、彫師(原版彫)、摺師(印刷)の分業体制が確立され、まとまった部数を摺ることによって、廉価で販売、版本の場合は貸し出すことが出来た[3][1]

題材は極めて多種に及ぶが、美人画役者絵名所絵など、庶民の需要や、当時の風俗を反映している。「浮世」とは「彼岸ならぬ現世」、「過去でも未来でもない現在」、「好色の気味の濃い俗世間」といった意味が込められており、遊里や芝居町など庶民の流行であり、幕府から「悪所」とされた場所こそ、中心題材と言える[1]

現在では変化・消失した名所、人々の生活や生業、文化などを伝える歴史資料としても活用されている。

語源

「浮世絵」の語の初出は、1681年(延宝9年)の俳書『それそれ草』での「浮世絵や 下に生いたる 思ひ草 夏入」である。[注釈 3]

「浮世」とは、平安時代初期に見られる「苦しい」「辛い」を意味する「憂し」の連体系である「憂き」に名詞の「世」がついた「憂き世」が語源であり[5][6][7][8]、一例として『伊勢物語』では「つらいことの多い世の中」という意味で用いられる[5][9][注釈 4]。一方で、同時代の「古今和歌集」「後撰和歌集」「拾遺和歌集」の三代集では「世のうき時」「うき世の中」といった表現が多く未だ語句として定まっておらず、「うき世」が多用されるのは平安時代中期の「後拾遺和歌集」以降である[5]。平安時代末期になると定めない無常の世という観念が付加され「浮き世」と表記されるようになるが、これには漢語「浮生」の影響もあったとされる[5][6][8][注釈 5]

中世末・江戸時代初頭になると、前代の厭世的思想の裏返しとして享楽的に生きるべき世の中と逆の意味で使われるようになる[5][注釈 6] [注釈 7] [注釈 8]。そこから「浮世絵」に代表されるように当代流行の風俗を指す「当世風」といった意味でも用いられるようになる[5]

柳亭記』(1826・文政9年頃)において、「浮世といふに二つあり。一つは憂世の中、これは誰々も知る如く、歌にも詠て古き詞なり。一つの浮世は今様といふに通へり。浮世絵は今様絵なり。」と説明している[5][11]

歴史

諏訪(2008)[12]に従って、以下の4期に分けて説明する[注釈 10]

  • 江戸前期 - 1600年代初めから明和元年(1764年)、約150年
  • 江戸中期 - 明和2年(1765年)から寛政13年(1801年)、約35年
  • 江戸後期 - 享和元年(1801年)から慶応3年(1867年)、約70年
  • 明治以降 - 明治元年(1868年)から現在まで

江戸前期

最初期の浮世絵は、版画はなく、肉筆画のみであった。桃山期の「洛中洛外図屏風」と比べ、岩佐又兵衛の同屏風(通称「舟木本」1614-16年(慶長19-元和2年))は、民衆の描写が目立つようになり、そこから寛永年間(1624-44年)頃に「彦根屏風」「松浦(まつら[注釈 11])屏風[15]」(3点とも国宝)といった、当世人物風俗を全面に出す作品が生まれた[16][17][18][19]

美人画は、風俗画からの発展だけでなく、禅寺にあった明朝楊貴妃像を日本女性にあてはめた説がある[20]。そして落款に「日本絵師菱川」「大和絵師」と名乗って現れたのが、菱川師宣である。安房国の縫箔(金銀箔を交えた刺繍)屋出身。「見返り美人」(東京国立博物館蔵)に代表される掛物(いわゆる「掛け軸」)のほかに、巻子(かんす。いわゆる「まきもの」)、絵本浮世草子枕絵などの版本と、多彩な活動をした。師宣の登場は、17世紀後半に、江戸の文化が、上方のそれに肩を並べる契機となる[21]。版本は、最初は墨一色だが、後期作品として、墨摺本に筆で彩色する「丹絵」が表れ、一枚摺りも登場する[22][23]

師宣没後、奥村政信は、赤色染料を筆彩した紅絵や、墨にを多く混ぜ、光沢を出す漆絵柱絵浮絵も創始し、2・3色摺りを可能にした紅摺絵や、拓本を応用した、白黒反転の石摺絵の創始にもかかわった。そして、絵師だけでなく、版元「奥村や」を運営し、自由な作画と販売経路を得た。また、自身の作品を取り扱うだけでなく、他の版元と商品を卸しあい、商機を広めた。活動期間も半世紀に渡った[24][25][26]

歌舞伎は江戸初期に生まれ、幕府の禁令もあり、成人男性のみが演ずる形になった[27]。歌舞伎の役者絵に特化したのが鳥居派である。「瓢箪足蚯蚓描(ひょうたんあし みみずがき)」と呼ばれる、瓢箪のようなくびれた足に、蚯蚓が這いまわったような強い墨線を生かした描写[28]、「大々判」という大きな判型(約55×33センチ[29]。)で知られた。鳥居派は現在も継承されており、歌舞伎座の看板を手がけている(鳥居清光[30]

懐月堂安度は、工房で肉筆の美人画を量産した。庶民を購入層とし、安価な泥絵具を用いた[31]

1720年(享保5年)に8代将軍徳川吉宗が禁書令を緩和し、キリスト教に関係のない蘭書の輸入を認めたことで、遠近法を用いて描かれた銅版画等を見る機会が生まれた。遠近法は、奥村らによる浮絵を生むこととなる[32][33]

江戸中期

1765年(明和2年)から寛政年間(1789-1801年)を指す。

1765年(明和2年)、旗本など趣味人の間で絵暦交換会が流行した。彼らの需要に応えたのが鈴木春信である。彼らの金に糸目をつけない姿勢が、多色(7・8色)摺り版画を生みだすこととなった。錦のような美しい色合いから「錦絵」(東・吾妻錦絵)と呼ばれるようになる[34][35][33]。上述の奥村政信らが、重ね摺りの際、ずれを防止する目印、「見当」を考案したことと、高価で丈夫な越前奉書紙が用いられたことが、錦絵を生み出す必要条件だった[36][37][34]

春信の錦絵は、絵暦以外でも、和歌狂歌 、『源氏物語』『伊勢物語』『平家物語』などの中世文学を、当世風俗画に当てはめて描く「見立絵 」が多く、教養人でないと、春信の意図が理解できなかった。パトロンを対象とした、高価格[注釈 13]摺物[40]であり、ユニセックスな人物描写も含め、庶民を購入対象にはしていなかった[注釈 14]

墨の代わりに露草等の染料を用いた「水絵」(みずえ)が、明和年間初頭に流行り、春信らの作品が残るが、現存する作品は、大部分が褪色してしまっている[41][注釈 15]

勝川春章は安永年間(1772-81年)に細判[注釈 16]錦絵にて、どの役者か見分けられる描写をし、役者名が記されていなければ特定不能な、鳥居派のそれを圧倒した。同様の手法で、相撲絵市場も席巻した。天明年間(1781-89年)には、肉筆美人画に軸足を移し、武家が購入するほど、高額でも好評であった[45][46]。弟子の春好 は、役者大首絵を初めて制作した[47]

鳥居清長は書肆(しょし。書店のこと。)出身で、屋号の「白子屋」をそのまま号とした。天明年間(1781-1789年)に、長身美人群像を大判横2・3枚続きで表現した。前景の群像と後景の名所図は、違和感なく繋がり、遠近法の理解が、前世代の奥村らより進んだことが分かる。鳥居派として、役者絵も描いたが、上述の組み合わせを応用し、役者の後ろに出語り三味線太夫)を入れ込む工夫をした[48][49][50]。春画『袖の巻』は、12.5×67センチという、小絵[注釈 17] のように極端な横長サイズに、愛する男女をトリミングして入れ込んだ、斬新な構図である[52]

喜多川歌麿が名声を得るのは、版元蔦屋重三郎と組み、1791年(寛政3年)頃に、美人大首絵を版行してからである。 雲母摺りの「婦人相学拾躰」、市井の美人の名前を出せないお触れが出たので、絵で当て字にした「高名美人六家撰」、顔の輪郭線を無くした「」、花魁から最下層の遊女まで描く等、さまざまな試みを蔦重の下で行った。また絵入狂歌本『画本虫撰』『潮干のつと』等では、贅を尽くした料紙、彫摺技術がつぎ込まれた 。1804年(文化元年)、『絵本 太閤記』が大坂で摘発され、手鎖50日の刑を受け、その2年後に没した[53][54][55][56]

1790年(寛政2年)、「寛政の改革」の一環として、改印(あらためいん)制度[注釈 18]ができた。以降も松平定信が老中を辞す1793年(寛政5年)まで、浮世絵への取り締まりが度々行われた。上述の歌麿が受けた、「市井の美人の名前を出せないお触れ」もその一つである。改印制度自体は、1872年(明治5年)まで続く[58]

1795年(寛政7年)5月、蔦屋重三郎が、東洲斎写楽による大首役者絵28点を一挙に版行する。無名の絵師に、大部でかつ高価な黒雲母摺大判を任せるのは異例の事である。版元の判断だけでなく、何らかのスポンサーがいたのではと考えられる。また当時、歌舞伎座が不況にあえいでおり、鳥居派もそのあおりを食らっていた。蔦重はその間隙を縫ったのである[59] 。これまでの役者絵は、贔屓客に買ってもらう為、役者を美化して描いたが、写楽は、悪役の醜さや、女形の老いを描いてしまった。28点が当時、どう評価されたかは不明だが、その後の作品は、登場時の「あく」が薄れ、定紋屋号の誤りも見られるようになり[60]太田南畝ほか『浮世絵類考』(1802年・享和2年)に記されるように「あまりに真を画かんとてあらぬさまに書なせしかば長く世に行はれず。一両年にして止む」こととなった。活動期間は10か月以下だった[59]

対して、歌川豊国は、典型的な美化した役者絵や、曲亭馬琴山東京伝らの読本挿絵を描いて、商業的成功を得る。『絵本太閤記』で歌麿と共に摘発されたが、さほど悪影響は受けず、歌麿没後は、美人画でも彼の隙間を埋めることとなる。多くの弟子を得、浮世絵最大流派となる歌川派の基礎を築く[61]

江戸後期

1801年(享和元年)から1867年(慶応3年)を指す。

渓斎英泉遊女屋や白粉屋の経営をしていた経験があり、それが美人画に活かされたのか、「婀娜あだ[62] 」と呼ばれる、「鼻筋が通った面長で、つり目で受け口の歪曲された顔貌表現[63] 」といった、その時代特有の美を示した。[64]

英泉と同時代の、名前の通り、で活動した祇園井特も、大正期の甲斐荘楠音岡本神草[65]を想起させる、廃頽的とも言える美人肉筆画を描いた[66]。文化・文政期(1804-30年)には、下唇が緑色に見える笹紅[注釈 19]が流行り、その点も、現代人が異様さを受ける要因である。

葛飾北斎は、勝川春章の下で役者絵を描き、その後、俵屋宗理(そうり)を名乗り、独自の肉筆美人画様式を得、そして北斎を名乗る。銅版画を真似た名所絵木版実験作を発刊、曲亭馬琴読本椿説弓張月』で挿絵を担当し、馬琴との共著が続くこととなり、絵師としての名声を得る。その後『北斎漫画』もヒットし、版元西村屋与八と組んだ『富嶽三十六景』で輸入染料ベロ藍を用い、藍一色摺りや拭きぼかしを駆使し、斬新な構図も含め、広く世間に受け入れられる。その後西村屋と『諸国瀧廻り』『諸国名橋奇覧』を続けて版行し、版本『富嶽百景』も発表し、名所絵という新ジャンルを確立した。90歳で亡くなるまで絵師であり続けた[68][69][70]。娘応為 は、晩年の父の作画を手伝ったと言われ、自身も明暗を強調した肉筆画を残した[71]

方や歌川広重は、『東都名所』(1830-31・文政13-天保2年頃)で、「ベロ藍」を初めて用いるが、北斎に比べると、抑えた色使いであった。31年(天保2年)、幕命で京都間を往復し、その間での写生をもとに、版元保永堂から『東海道五十三次』全55枚揃えを版行する。残存枚数及び版木の消耗具合から、相当売れたことが推察できる。また、55枚を画帖に仕立てたものもあり、武家や豪商も購入していたことが推測できる。上記2揃は、『富嶽三十六景』と版行時期が重なるが、広重が北斎を意識していただけでなく、版元の決断が大きいであろう[72]。最晩年の1856-58年(安政3-5年)に、版元魚屋(さかなや・ととや )栄吉[73]の下、目録を含め全120枚揃い(うち1枚は二代広重筆)の『名所江戸百景』が版行される。

本シリーズのベロ藍だけでなく、洋紅も用いられるが、『東都名所』同様、抑えられた色使いになっている。また広角レンズを用いたような、前景を極端に大きく画く「近接拡大法」を、多くの作品で採用している。全て縦長であることも、名所絵としては異例だが、『東都名所』で行ったのと同様、最初から画帖に仕立てる考えがあったからと思われる[74] [75][76]。画帖は現在、東洋文庫等に収蔵されている[77]

歌川国貞は豊国門下で名を上げ、三代豊国を襲名する。柳亭種彦と組み、『偐紫田舎源氏』等の合巻の挿絵で成功を得る。役者絵や美人画でも人気を得、最晩年、版元恵比寿屋庄七での、役者大首絵シリーズ全60図は、生え際の彫りや・、高価な顔料を用いる等、手間暇がかけられており、一枚百数十文から二百文で売られたようだ。市場の成熟ぶりが見られるが、このシリーズでは、出資者に関する史料が残っている[78]。浮世絵師として、最も多くの作品を残したといわれる[79][80]


期に成立し、日本でも読本に取り入れられて人気を得た「水滸伝」は、当然のごとく、浮世絵でも取り扱われる。歌川国芳は、版元加賀屋吉右衛門での『通俗水滸伝豪傑百八人』シリーズで人気を得る。2・3枚続きもあり、国貞の役者絵同様、高価だったと思われる。1843年(天保14年)の「源頼光公館土蜘作妖怪図(みなもとの よりみつこうの やかたに つちぐも ようかいを なすの ず)」は『太平記』に記される平安時代中期の逸話だが、版行後、「 天保の改革」(1831-33・天保12-14年)での贅沢禁止を揶揄し、12代将軍家慶老中 水野忠邦を描き込んだと噂が立ち、加賀屋は摺物を回収、版木を削り落としたが、海賊版が横行した[81][82]。 なお、江戸時代は、大坂冬の陣・夏の陣 や、島原の乱を除けば、泰平の世であり、かつ織豊期以降の時代風刺は禁じられていた [注釈 20]ので、それ以前の史実を、当世の暗喩として表現する方法を取った。暗喩の有無を問わず、これらの作品を「武者絵」と呼ぶ[83][84]

国芳は役者絵以外に、「戯画」も多く作画し、「金魚づくし」シリーズ等、動物を擬人化したり、「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」のように、複数の裸の男を組み合わせ、顔を表現したり、天保の改革で役者絵が禁止されたので、「荷宝蔵壁のむだ書」のように、壁のひっかき傷で役者をひそかに表現したりした。改革に抵抗し、笑い飛ばす姿勢が窺える[85][86][81][87][88]

1855年(安政2年)10月、江戸で大地震が発生し、その直後、「鯰絵」が多くの版元から版行された。ナマズが地震を起こすという言い伝えは、江戸時代中期からあった。ナマズは日本列島を下から支え、その頭部が鹿島神宮にあたり、神宮境内に鎮座する「要石(かなめいし)」でナマズを押さえていたと考えられたが、地震当日は神無月だった為、鹿島明神出雲大社 での神々の会議で出払っていたせいで、地震を抑えられなかったと江戸の人々は考えた。その為、鹿島明神がナマズを要石で押さえつける鯰絵が緊急版行された。それ以外にも多くの図柄があり、ナマズが町人に地震を起こしたことを謝ったり、家屋の普請を手伝ったりする絵もある。緊急版行なので、改印および版元・絵師印は皆無だが、画風から歌川派作品が多いと推測される。前向きに生きていこうとする町人の勢いが垣間見える[89][90][91]

1854年(嘉永7年)3月、 日米和親条約により、200年以上に渡る「鎖国」は終焉した。58年(安政5年)には 日米修好通商条約及びオランダロシアフランスイギリスと、同等の条約が結ばれ、和親条約で定められた 下田函館2港に加え、4港開港とそこでの居住が許された。その内、江戸から最も近い横浜は、翌59年(安政6年)に開放され、江戸・神奈川[注釈 21]の人々は、これまでに見たこともない、外国人の顔貌や服装、建造物に興味を引かれた。その結果生まれたのが「横浜絵」である。1860年(安政7・万延元年)から1872年(明治5年)にかけて、大部分が江戸の版元から版行された。絵師は 歌川芳虎芳員ら、国芳門下が多い[92][93]。また、五姓田芳柳らによる、居留者の似顔を、絹地に在来顔料で陰影を付けて描き、それに和装姿をモンタージュした「絹こすり絵」(絹本肉筆画)も、横浜絵に含まれる[94]

そんな時代の転換期、1866-67年(慶応2-3年)に、国芳の門人である月岡芳年と、芳年の弟子である落合芳幾による「英名二十八衆句」が版行された。これらの28点は、鶴屋南北作『東海道四谷怪談』の歌舞伎ものや、史実から取られ、全点が殺戮を描く「血みどろ絵」である[95][96]。同時期に、土佐国の町絵師、絵金が芝居の題材を元に、「血みどろ絵」二双[注釈 22]屏風を残した[97][98]これらの作品が生まれたのは、当時、実際に切り捨てられた屍骸を見る機会があったからだろうと指摘される[96]

明治以降

1868年(明治元年)から現在を指す。

1867年(慶応3年)、徳川慶喜大政奉還により、徳川幕府260年余の歴史は終わる。その後、反幕府側の薩摩藩が、慶喜に圧力を掛けたため、翌68年(慶応4年)に、鳥羽・伏見の戦い、後の戊辰戦争 に至る[99]。それらを版行したのが「戦争画」であり、江戸期の「武者絵」とは区別する。特に江戸が戦場となった、上野山での、彰義隊と新政府軍との戦いが多く版行された。旧幕府側には、旧来の「改め」をする力は無く[注釈 23]、新政府側にとっては、自派の宣伝になるのだから、版行を黙認した。それ以降も、佐賀の乱台湾出兵(ともに1874・明治7年)、西南戦争(1878・明治10年)、日清戦争(1894-5・明治27-28年)、日露戦争(1904-5・明治37-38年)が版行された[101][102][103]

1868年(慶応4年)7月、江戸は「東京」に改められ、9月に明治に改元、翌69年(明治2年)2月に天皇旧江戸城に入り、名実ともに日本の首都となる。1872年(明治5年)には、新橋-横浜間に鉄道が開通し[注釈 24]日本橋周辺に、木造に石材を併用し、2階建て以上、バルコニー付きの「擬洋風建築」が建てられてゆく[104]。それに人力車馬車ガス燈など、東京の変遷ぶりを描いたのが「開化絵」である。三代広重や、国輝らの歌川派が代表例で、「洋紅」を多用した、どぎつい色調のものが多い[105][106][107][108]

小林清親は、下級武士として、将軍家茂・慶喜に従い、鳥羽・伏見の戦いに加わり、旧幕府敗北後、謹慎する慶喜に従い、静岡へ。1884年(明治7年)、東京に戻り、絵師として立つ。光を意識した東京名所図を描き、「光線画」と呼ばれる。都市を描く点では「開化絵」の要素もあるが、絵師ごとの個性が乏しいそれとは、物の見方や色使いが異なる、「近代」の作品と言える[109][110]

幕末に血みどろ絵を描いた月岡(大蘇)芳年は、明治10年代半ばになると、「歴史画」に注力する。これは彼の志向というより、時代の趨勢が大きい。開国・新政府成立により、欧化政策が勧められ、1876年(明治9年)には工部省が「工部美術学校」を設立し、イタリア人画家・彫刻家・建築家を招聘する。しかし政府は、輸出品として、ヨーロッパの真似ではなく、在来の工芸品の方が売れることを認識する。そして、国内体制を強固にするには、天皇の権威を高め、「国史」の重要性を認識し、歴史画が尊ばれることになるのである。また、欧化政策によって冷や飯を食わされていた狩野芳崖橋本雅邦らは、文部官僚の岡倉天心と、政治学・哲学のお雇い教師 として来日したが、その後日本美術に開眼し、天心と行動を共にするアーネスト・フェノロサの、洋画と南画を排斥した、新しい絵画[注釈 25]を生み出す主張に同調する[114]

その時代に注目されたのが、菊池容斎の『前賢故実』(全10冊。1843(天保14)-68(明治元)年。)である。神武天皇から南朝時代後亀山天皇時代までの公家・貴族・僧・武士・女房ら571人の故実と、彼らに見合う装束と顔貌を見開き一丁(2ページ)に描いたもので、彼らの描写が正しいのか、150年以上を経た今となっては疑問が残るが、明治10-20年代に、画家の「粉本」[注釈 26]として盛んに引用される。芳年の引用例を挙げる。また「歴史画」は、浮世絵師を含む在来画家に限らず、洋画家も『前賢故実』を参照して描くことになる[115][116]

日露戦争以降、新聞雑誌絵葉書 などが普及し、浮世絵師は、挿絵画家などへの転向を余儀なくされる。明治40年(1907年)10月4日朝刊の朝日新聞「錦絵問屋の昨今」には、「江戸名物の一に数へられし錦絵は近年見る影もなく衰微し(略)写真術行はれ、コロタイプ版起り殊に近来は絵葉書流行し錦絵の似顔絵は見る能はず昨今は書く者も無ければ彫る人もなし」とある[117]

そのような逆風下、渡辺庄三郎は、1905年(明治38年)に摺師と彫師を雇用して、「版元」として立つ。当初は古版木摺り、及び良質な摺り物からの版木起こしと、復刻品だけだったが、大正期に入り、絵師と交渉して、新版画を制作するようになる。橋口五葉伊東深水川瀬巴水山村耕花らを起用し、また彼らも木版画による表現に刺激を受けた。 1923年(大正12年)、関東大震災 によって、渡辺も壊滅的な被害を負い、多くの版元が廃業に追い込まれた。しかし彼は再起し、 渡米経験のある吉田博を起用、欧米で売れる作品を版行した。渡辺は1962(昭和37年)に亡くなる[118][119]が、彼の版元は21世紀でも健在である[120]。また、アダチ版画研究所も同様の制作・営業を行っている[121]

浮世絵の画題

大久保(1994)[122]を参考に、区分する。そこに記載されていない「死絵」「長崎絵」「歴史画」「おもちゃ絵」を追加した。

美人画
成人女性を描いたもので、狭義の「美人」には限らない。茶屋の看板娘や、遊女が多く描かれた。
見立絵
和漢の故事や謡曲の場面を当世装束に当てはめて描いたもの。和歌や漢詩は記されても、細かな説明はない。
春画
枕絵とも呼ぶ。男女(同性同士もある)の営みを描いたもの。非合法であり、絵草紙屋(書店)に並ぶことはなく、富裕層が肉筆画を注文したりした。
役者絵
歌舞伎の人気役者や上演場面を公演ごとに描いたもの。
死絵
人気役者が亡くなった時、報道を兼ねて出されたもの。歌川広重歌川国貞のものもある[124]
名所絵
明治以降の、画家が良いと思った所ではなく、人々に広く知られたところを描いた。絵師は取材せずに、既にある絵から写したものが多い。
浮絵
蘭書の挿絵を見た絵師が、そこでの線遠近法を誇張して建造物等を描いたもの。
花鳥画
主要画題ではなかったが、喜多川歌麿・葛飾北斎・歌川広重・小林清親らが質の高い作品を残した。
武者絵
故実だけでなく、当世事情を織豊期以前の武将に当てはめ(直接表現はご法度だった)、ひそかに幕府批判をする例があった。
戯画
葛飾北斎『北斎漫画』の他に、歌川国芳が得意とした。浮世絵#江戸後期参照。
相撲絵
力士や土俵入り、取り組みを描いたもの。役者絵同様、興行ごとに新作が出る。
長崎絵
蘭船や出島でのカピタンや唐人、彼らの風習を描いた。一枚絵は合羽摺が多く、長崎の版元から売り出された[125][出典無効]
鯰絵
1855年(安政2年)の大震直後に出た絵。浮世絵#江戸後期参照。
横浜絵
開国後、横浜を舞台にした外国人の風俗を描いたもの。浮世絵#江戸後期参照。
開化絵
維新後の東京での、洋館・鉄道・馬車・人力車・ガス燈などを描いたもの。浮世絵#明治以降参照。
戦争絵
戊辰戦争から日露戦争までの戦争を描いたもの。浮世絵#明治以降参照。
新聞錦絵
1874(明治7年)、東京日日新聞別刷りに落合芳幾が描き、商業的成功を得、郵便報知新聞は月岡芳年を起用、追随する。純粋な新聞には速報性で劣るので、殺人など、過激な題材をどぎつい色を用いて描写した[126][127]。 
歴史画
明治10-20年代に、国民意識を高めることを意識した、歴代天皇やその血族、忠君を描いたもの。浮世絵#明治以降参照。
おもちゃ絵
上方で組み立て模型「立板古」(たてばんこ)が流行し、江戸でも18世紀末に受け入れられる。明治期には歌川芳藤がおもちゃ絵専門絵師として活躍[128][129][130]

主な版元

娯楽出版物を扱う地本問屋(じほんといや・とんや)が浮世絵の版元となっている。「地本」とは、上方から齎されたものではなく、江戸独自のものであることを示す[131]

浮世絵版画の制作法

この章は、安達・小林(1994)[132]池田(1997)[133]を基に記述する。

企画を立てる人を版元、版元からの注文で描く人を絵師と呼ぶ。絵師が描いた下絵を版に彫るのが彫師、版木に色具を付け、紙に摺るのが摺師である。版元と絵師の名だけが作品に記されることが多いが、彫師・摺師の名が入ることもある。

  1. 版元が企画を立案し、絵師に作画を依頼する。
  2. 絵師が版下絵を描く。
    絵師は墨線だけを用いて主版(おもはん)の版下を描く。
  3. 版元は版下絵を、絵草子掛りの名主に提出、出版許可の印を捺してもらい、彫師に渡す。
  4. 彫師が主版を彫る。
    版材には、サクラ板目材を用いる。版の大きさは、18世紀終盤になると、「大判」と呼ばれる、奉書紙を縦に半切した大きさ(約39cm×約26.5cm)が主流となる。彫師は版下を版木に裏返しに貼り付け、主版を彫る。この工程で、絵師が描いた版下絵は、彫られて消滅する。
    この工程で出来上がった主版を校合摺り(きょうごうずり)という。
  5. 摺師は主版の墨摺り(校合摺り)を10数枚摺って絵師に渡す。
  6. 絵師は校合摺りに各色版別に朱で色指定をする。また、着物の模様などの細かい個所を描き込む。
  7. 指示に従い、彫師は色版を作る。
    色指定された校合摺りを裏返して版木に貼り、刀入れを行う。まず三角刀で各版に模様を彫り込むが、墨版については各色版の部分も含めて彫りを加える(無駄彫りという)。この無駄彫り版で摺った紙を版木に貼り付けて色数に応じた色版を彫る。無駄彫り版と色版とを絵合わせし、調整後、無駄彫り版の墨以外の部分を削り取る。
    次に各版の不要な部分をのみと木槌で大まかに削り、さらに細いのみで仕上げ彫りを行う。
    仕上げ彫りの工程で見当合わせ用の「鍵」と「引き付け」を残しておく。多色刷りの際に色がずれないように紙の位置を示す「見当」(トンボ)を作る。
  8. 摺師は絵師の指示通りに試し摺りを作る。
    は固形のものを半年間水につけて乳鉢で細かくしたものを用いる。また、絵具には岩絵具と水を混ぜて作る。紙は越前奉書が多く用いられ、滲み防止のため、膠とミョウバンの混合液「ドウサ(礬砂)」を塗っておく。
    版木に墨及び顔料を刷毛(21世紀ではブラシ)で摺り込む。版木の表面に顔料を乗せるのではない。
  9. 絵師の同意が得られれば、初摺り200枚を馬楝で摺る。
  10. 絵草子屋から作品を販売する。

値段

浮世絵の値段は、しばしば「そば一杯」と同じとされる。実際の価格を調べると、浮世絵の形式や年代などによってバラつきがあるが、19世紀前後の大判錦絵の実勢価格は約20文前後で、19世紀半ばになっても総じて20文台で推移した事が、当時の史料や日記、紀行類などで裏付けられる。そば代は幕末で16文だったことから、ほぼ同等と見なせる[134]

山東京伝黄表紙『荏土自慢名産杖』(文化2年〈1805年〉刊)には、「二八十六文でやくしやゑ二まい 二九の十八文でさうしが二さつ 四五の廿なら大にしき一まい」というくだりがあり、しばしば諸書で引用される。なお、2枚で16文の役者絵とは、用紙もやや劣る細版の事だと考えられる。時代が遡った宝暦頃(1751-61年)の細判紅摺絵の役者絵は、1枚4文だったと記されている(随筆『塵塚談』文化11年〈1814年〉刊)が、これは紅摺絵が僅か2,3色摺りで、紙質も薄い分安価だったからだと考えられる。

寛政7年(1795年)の町触では、20文以上の錦絵は在庫限りは売ってよいが、新たに制作するものは16文から18文に制限されている(『類聚撰要』)。天保の改革では、色摺りは7,8回まで、値段は1枚16文以下に規制を受けている。この数字は採算割れすら招きかねない厳しい数字だったらしく、『藤岡屋日記』天保14年〈1843年〉春の記事には、紅を多用した極彩色の神田祭の錦絵は売れはしたが、16文の値段では売れば売るほど赤字になったという話が記されている。

鈴木春信の中版は、65文程度で売られ、代表作である「座舗八景」は8枚揃いで桐箱に入れられ、金1分(=銭1000文)もした[注釈 27]。他にも、天保の改革の風刺との風評が立った歌川国芳の大判三枚続『源頼光公館土蜘作妖怪図』は、商品回収のうえ、版木は削られる憂き目を見たが、歌川貞秀の模刻は、密かに100文で売られた(『藤岡屋日記』)や、同じく国芳の大判三枚続『八犬伝之内芳流閣』(1840・天保11年)は、1枚38文、3枚揃いで118文で売られ、曲亭馬琴は割高だと感じつつも、色版を多く使い通常より手間がかかっているからと聞き及んで、それを買い求めている(馬琴日記)[136]

北斎研究家の永田生慈が、『北斎漫画』の版元であった名古屋永楽屋東四郎に、値段を伺った所、「当時(幕末明初)の出版物は猛烈に高くて、普通の人が簡単に本を買いましょうという値段ではなかった」と証言している[137]

明治になると出版条例改正によって定価表示が義務付けられ、浮世絵の値段がわかる。総じて1枚2銭、2枚続・3枚続でもこれに準じ、手間がかかるものはこの基準価格に5厘から1銭程度割増価格で売られている[138]

展示と保存法

現代の美術館では、中性紙の厚紙(マット)の中央をくりぬき、もう一枚のマットと挟み込んで、保存する。展示時はそれを額装する[139]。紫外線による褪色を防ぐため、直射日光を避け、紫外線カットの照明下で展示すべきである。通年展示してはならない[140][141]

展示しないときの保存方法としては、額から外し、水平に置くことが望ましく、変色を防ぐため、防虫剤の入っていない桐箪笥など、湿度調整が効く箱に仕舞うことが良い[142]

絵具

浮世絵版画に用いられたのは、植物由来の染料や鉱物由来の顔料であるが、19世紀になると、化学染料が輸入、使用される[143][144][145]

黒はが用いられ、多色刷り版画では以下の顔料・染料が用いられる。

赤色系
黄色系
青色系
  • 染料
    • 露草青:露草の花弁絞り汁を濃縮したもの
    • 葉を発酵させたもの
  • 顔料

などがあり、中間色はこれらを混ぜ合わせて表現した。

その他、版画の表現に以下のものが用いられた。

  • 雲母:ケイ酸化合物(背景に用いたものは雲母刷(きらずり)と呼ばれる[146]
  • 金属を粉や箔として。高価な為、商業用ではなく、パトロン対象の「摺物」で使用。
  • 白色顔料は、「摺物」を除き、和紙の字の色を生かし、ほとんど用いられなかった。

後世の評価・収集

19世紀以降、多量の作品が国外に渡り、ヨーロッパの芸術家たちに影響を与えた。ボストン美術館には約5万点[147]ヴィクトリア&アルバート博物館には約3万8000点[148]、大英博物館には2万点[148]プーシキン美術館には約3万点[要出典]、その他ドイツ、イタリア等、欧米美術館[148]、大学等教育機関収蔵品、個人コレクションなど、海外にはおよそ50万の浮世絵が収蔵されており、これは国内の30万を超えるとされる[149]

版木を所蔵している美術館や博物館、図書館などもある。版木は使用後に破棄されることが多かったため、貴重な文化遺産であり、版木の調査・修復、さらに所蔵施設との許可を得て、摺りを再現する版画家もいる[150]

日本の主要な個人コレクション

国内では、大名家や実業家のコレクションがある。

日本国外への影響

浮世絵がヨーロッパに最も早く渡った例として、1798年(寛政10年)に、カピタンらが葛飾北斎に日本人男女の一生を図した巻子を注文し、故国に持ち帰ったことが挙げられる。またシーボルトは多量の日本資料を持ち帰り、1832-52年に『Japonica』20分冊を刊行するが、そこには『北斎漫画』が掲載されている[151]

1856年、ブラックモンが、日本から輸入された陶磁器の包み紙に使われていた『北斎漫画』を見せ回ったことで、美術家に知られるようになったとの「逸話」は、現在では疑問視されている[151][152]

ゴッホが『タンギー爺さん』の背景に浮世絵を描き込んだり、歌川広重の作品を模写した。エドゥアール・マネエドガー・ドガメアリー・カサットピエール・ボナールエドゥアール・ヴュイヤールロートレックゴーギャンらにも影響を与えた[153]

日本美術を取り扱っていたビングは、自身の工芸作品に浮世絵表現を取り入れた[154]

クロード・ドビュッシーが葛飾北斎の『神奈川沖波裏』に触発されて『交響詩“海”』を作曲したとされることもあるが[155]、根拠のない俗説である[156]

脚注

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注釈

  1. ^ 統一された慣習名は無い。様々に呼ばれているなか、2010年代後期後半時点で最も新しい呼び方がこれであり、「奴江戸兵衛(やっこ えどべえ)」が後世の呼び方であると判明したことで「江戸兵衛」に改められている。
  2. ^ 肉筆浮世絵ともいう
  3. ^ 頴原退蔵(1947)『江戸時代語の研究』臼井書房[4]より孫引き。
  4. ^ 『伊勢物語』八二(10世紀前半) 「散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき」
  5. ^ 荘子』刻意篇第十五』「聖人之生也天行、其死也物化、靜而與陰同德、動而與陽同波(略)其生若浮、其死若休。」「聖人が生きている時は自然のままにふるまい、死んで行くときは万物の変化のままに従い、静かにしているときは陰の気にその徳(もちまえ)を合わせ、動くときは陽の気に変化を合わせる、と(略)その生きているときは流れのままに浮かぶかのように、その死んでいくときは休息するかのようである」[10]
  6. ^ 『隆達節歌謡』(1593-1611・文禄2-慶長16年)の「花よ月よと暮らせただ、ほどはないものうき世は」 はかなく定めないのだから、深刻に考えないで、うきうきと享楽的にすごすべき世の中の意
  7. ^ 『隆達節歌謡』(1593-1611・文禄2-慶長16年)の「後生を願ひ、うき世も召され、朝顔の花の露より徒な身を」 享楽的欲望をみたしてくれる世界。遊里。また、遊里の遊びに夢中になること。浮世遊び。の意
  8. ^ 『仮名草子・恨の介』(1609‐1617)の「『心の慰みはうき世ばかり』とうちしげる」 男女間の恋愛。いろごと。情事。また、恋、好色、情事などの対象となる人の意
  9. ^ 東京国立博物館画像検索より引用洛中風俗図屏風(舟木本)”. 2020年5月3日閲覧。
  10. ^ 4期区分はあくまで便宜上であり、この説が絶対ではない。例えば、石田ほか(1987)[13]では3期、稲垣(2011)[14]では5期区分を採用している。
  11. ^ 松浦氏旧蔵なので、「まつうら」と読むのは誤り。
  12. ^ 東京国立博物館画像検索より引用市川団十郎の竹ぬき五郎図”. 2020年5月3日閲覧。
  13. ^ 宝暦年間(1751-64年)の細判(約33×15センチ)紅摺絵が1枚四文程度だったのに対し、春信の中判(約29×22センチ)錦絵は百六十文だった。[38][39]
  14. ^ 春信と交流のあった太田南畝の『半日閑話』明和七年六月の項に「この人一生役者の絵をかかずして云、我は大和絵師なり。何ぞ河原者の形を画くにたへんやと」とある。実際には、1760年(宝暦10年)以降の作品に、複数の役者絵が残されているが、「思古人しこじん」の号を持つ、春信の心情が分かる言葉である[38]
  15. ^ 20世紀の終盤、立原位貫(たちはら・いぬき)は、春信らが用いた染料を復元し、摸刻摸摺をした[42][43]
  16. ^ 約33×15センチ[36]役者絵は、興行を見てから下絵を描き、彫摺するので、小さい判の方が早く版行出来て、有利である[44]
  17. ^ こえ。室町時代後期の、幅17センチ程度の小ぶりな絵巻物[51]
  18. ^ 浮世絵版画に対し、幕府批判等、問題がないか調べ、問題なければ捺印した制度[57]
  19. ^ 1813年(文化10年)に版行され、1923年(大正12年)の関東大震災で、版木が焼失するまで、100年以上に渡り、摺り続けらけた、『 都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』には、「紅を口に染むるは、下唇には濃くぬり、上唇には淡く付けべし。上下ともに濃きは賤し(略)紅を濃く光らさんとするには、まず下地に墨をぬり、その上へ紅を濃く付けべし。濃く見え、紅の色青みて光る也(略)又法。紅を濃く光らさんとするに、下地に行燈 にたまりたる油煙をとりて、筆の先切れたるにつけてぬり、その上に紅を付けるもよしといえり」とある[67]
  20. ^ 先述した、歌麿・豊国の『絵本太閤記』摘発、国芳の「源頼光公館土蜘作妖怪図」回収例を参照。
  21. ^ 県名の神奈川ではなく、東海道五十三次に含まれる地名。当初は横浜ではなく、神奈川が開港される予定だった。
  22. ^ にそう。二つ折りの屏風。
  23. ^ 実際の改めは、地本問屋同士の自主検閲だったので、混乱下での版行も可能だった[100]
  24. ^ 先述の「横浜絵」の下限を1872年としたのは、鉄道開通によって、時代の最先端が、横浜から東京に移ったことを意味している。
  25. ^ 山下は『狩野派復古主義』と呼ぶ[112]。なお「日本画」という用語は、「洋画」に対する対立概念であり、明治20年代に登場し、30年代に一般にも定着する[113]
  26. ^ ふんぽん。狩野派で用いられた、見習い用の絵手本。これを写して絵を学んだ。写生は尊ばれなかった。
  27. ^ 高橋誠一郎(1932)「商品としての浮世絵版画」『三田学会雑誌』32(1)。[135]より孫引き。
  28. ^ 2014年に閉館し、コレクションの行方は公表されていない。

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  • 小林忠監修『浮世絵師列伝』平凡社別冊太陽〉、2005年12月1日。ISBN 978-4-5829-4493-8
  • 辻惟雄『日本美術の歴史』東京大学出版会、2005年12月9日。ISBN 4-13-082086-9
  • 大久保純一「浮世絵の制作と流通」『講座日本美術史4 造形の場』長岡龍作編、東京大学出版会、2005年。ISBN 978-4-13-084084-2
  • 国際浮世絵学会編『浮世絵大事典』東京堂出版、2008年6月30日。ISBN 978-4-4901-0720-3
  • 鍵岡正謹「五姓田芳柳の洋風画」『五姓田のすべて』神奈川県立歴史博物館岡山県立美術館編、2008年8月8日、12-16頁。
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  • 松戸市戸定歴史館、静岡市美術館編『没後100年 徳川慶喜』、2013年10月5日。
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    • 山下裕二「日本美術史の裂け目を修復する-幕末明治期の豊饒な表現について」『日本美術全集16 激動期の美術』、2013年、170-178頁。
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    • 塩谷純「歴史を学ぶ・楽しむ-幕末明治期の視覚表現から」『日本美術全集16 激動期の美術』、2013年、185-193頁。
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  • 公益財団法人東京都歴史文化財団ほか編『大浮世絵展-国際浮世絵学会創立50周年記念・東京都江戸東京博物館開館20周年記念特別展』、2014年1月2日。
  • 安村敏信監修『浮世絵図鑑 江戸文化の万華鏡』平凡社〈別冊太陽〉、2014年1月11日。ISBN 978-4-582-92214-1
  • 狩野博幸編『日本美術全集12 狩野派と遊楽図』小学館、2014年4月30日。ISBN 978-4-09-601112-6
  • 北澤憲昭編『日本美術全集17 前衛とモダン』小学館、2014年6月30日。ISBN 978-4-09-601112-6
    • 北澤憲昭「「表現」の絵画」『日本美術全集17 前衛とモダン』、2014年、174-187頁。
  • 大久保, 純一編『日本美術全集15 浮世絵と江戸の美術』小学館、2014年8月30日。ISBN 978-4-09-601115-7
    • 大久保純一「浮世絵の興隆」『日本美術全集15 浮世絵と江戸の美術』、2014年、170-181頁。
    • 北川博子「上方の浮世絵」『日本美術全集15 浮世絵と江戸の美術』、2014年、182-184頁。
    • 日野原健司「版元-浮世絵のプロデューサーたち」『日本美術全集15 浮世絵と江戸の美術』、2014年、185-191頁。
    • 丸山信彦「雛形本にみる江戸時代のモード」『日本美術全集15 浮世絵と江戸の美術』、2014年、192-199頁。
  • 練馬区立美術館、静岡市美術館編『小林清親 文明開化の光と影をみつめて』青幻舎、2015年2月。ISBN 978-4-86152-480-6
    • 加藤陽介「小林清親の画業」『小林清親 文明開化の光と影をみつめて』、2015年2月、194-197頁。
    • 山本香瑞子「浮世絵版画の死と再生-清親の評価の変遷」『小林清親 文明開化の光と影をみつめて』、2015年2月、198-202頁。
  • 吉田洋子監修『小林清親“光線画”に描かれた郷愁の東京』平凡社〈別冊太陽229〉、2015年6月。ISBN 978-4-582-92229-5
  • 永青文庫、春画展日本開催実行委員会編『春画展』、2015年。
  • 千葉市美術館編『初期浮世絵展-版の力・筆の力』、2016年1月9日。
    • 田辺昌子「浮世絵はいかに生まれ、なぜ続いたのか-房州に生まれた浮世絵の祖 菱川師宣」『初期浮世絵展-版の力・筆の力』、8-11頁。
    • 武藤純子「鳥居派の役者絵と奥村政信のやつし絵」『初期浮世絵展-版の力・筆の力』、2016年、12-15頁。
  • 東京国立近代美術館ほか編『恩地孝四郎展』、2016年1月13日。
    • 松本透「抽象への方途-恩地孝四郎の版画」『恩地孝四郎展』、2016年1月13日、13-21頁。
  • 目黒区美術館編『色の博物誌-江戸の色材を視る・読む』、2016年10月22日。
  • 別冊太陽編集部編『岩佐又兵衛:浮世絵の開祖が描いた奇想』平凡社〈別冊太陽〉、2017年1月27日。
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  • 浅野秀剛『浮世絵細見』講談社〈講談社選書メチエ〉、2017年8月10日。ISBN 978-4-06-258660-3
  • 京都国立近代美術館編『岡本神草の時代展』、2017年11月1日。
    • 小倉実子「「岡本神草の時代」展」『岡本神草の時代展』、2017年11月1日、6-11頁。
    • 古田亮『日本画とは何だったのか』角川書店〈角川選書596〉、2018年1月26日。ISBN 978-4-04-703625-3

関連項目

関連作品

外部リンク

東京芸術大学

東京藝術大学(とうきょうげいじゅつだいがく、英語: Tokyo University of the Arts)は、東京都台東区上野公園12番8号に本部を置く日本国立大学である。1949年に設置された。大学の略称は藝大、東京芸大(東京藝大)、TUA。

国立大学法人法(および旧国立大学設置法)に基づく法的な正式名称は東京術大学である。一方、大学側では届け出以前から使用していた旧字体のも通称として使用している。

2008年平成20年)4月1日から、英語表記をそれまでの Tokyo National University of Fine Arts and Music (TNUFAM) から、Tokyo University of the Arts (TUA) に変更した[1]

概説

歴史・特色

本学は1949年昭和24年)5月、前身の東京美術学校 (旧制)東京音楽学校 (旧制)が統合して設立[2]された大学である。旧制時代も含めると、日本の芸術系大学の中でも最高峰と位置付けられている[3]

2004年(平成16年)4月1日国立大学法人法の制定および国立学校設置法の廃止により、これまで国の機関の一部であった大学は法人格を取得して「国立大学法人東京芸術大学」となり、同時に東京芸術大学を設置。

きめ細かな少人数教育を通じて、国内外の第一線で活躍する数多の芸術家や教育者、研究者を育成・輩出している[4]

日本国内では現在に至るまで一般的に「芸大」の呼称で社会的に認知され、通用している[3]

前身

東京美術学校

1885年(明治18年)に文部省の図画調査会において官立美術学校の設立が提案され、アーネスト・フェノロサ岡倉天心狩野芳崖等が中心となって「図画取調掛」が設立される。

その後1887年(明治20年)10月4日に「東京美術学校」と改称、1889年(明治22年)2月に現在の上野校地(旧教育博物館跡)に移転し、授業を開始した。当初は日本画木彫工芸の三科で、後に西洋画科、建築科などが設置された。「東京藝術大学」開学の2年後(1952年昭和27年))に閉校。

東京音楽学校

1878年(明治11年)、伊沢修二は、目賀田種太郎と連名で音楽教育の意見書を文部大臣に提出。1879年(明治12年)、文部省伊沢修二を御用掛とする音楽取調掛が設立され、日本音楽教育に関する諸調査等を目的とした。

翌年以降、東京師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)生や東京女子師範学校附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)生への音楽教育を行う教員の育成を行い、音楽専門教育機関の役割を果たすようになった。その後、数回の名称変更を経て、1887年(明治20年)10月4日に「東京音楽学校」と改称される。1890年5月12日には新校舎(現在の旧東京音楽学校奏楽堂が含まれていた校舎)が現在の奏楽堂の位置に落成された。

また1893年(明治26年)に、一時東京高等師範学校東京教育大学を経た、現在の筑波大学)の附属学校となったが、1899年(明治32年)に独立。数回に渡る機構改革を経て「東京藝術大学」開学の2年後(1952年(昭和27年))に閉校した。

年表

  • 1949年昭和24年)5月31日 - 新制大学東京芸術大学が創立。東京美術学校、東京音楽学校を包括。
  • 1950年(昭和25年)4月 - 音楽学部に邦楽科を設置。
  • 1951年(昭和26年)4月 - 大学別科(音楽)を設置。
  • 1952年(昭和27年)3月 - 国立学校設置法の改正により、東京美術学校・東京音楽学校を廃止。
  • 1954年(昭和29年)4月 - 美術専攻科および音楽専攻科を設置、音楽学部附属音楽高等学校を東京都千代田区神田駿河台に設置。
  • 1963年(昭和38年)4月 - 大学院美術研究科、音楽研究科(修士課程)を設置。
  • 1965年(昭和40年)
    • 4月 - 美術学部附属古美術研究施設を奈良市に設置。
    • 7月 - 入試の一次学力試験に代わり能研テスト(知能検査)導入を決定[5]
  • 1970年(昭和45年)4月 - 芸術資料館を設置。
  • 1973年(昭和47年)4月 - 保健管理センターを設置。
  • 1975年(昭和50年)4月 - 美術学部工芸科を改組し、工芸科とデザイン科を設置、言語・音声トレーニングセンターを設置。
  • 1976年(昭和51年)5月 - 美術学部附属写真センターを設置。
  • 1977年(昭和52年)4月 - 大学院美術研究科、音楽研究科に博士後期課程を設置。
  • 1982年(昭和57年)8月 - 栃木県那須高原研修施設を設置。
  • 1987年(昭和62年)3月 - 茨城県取手校地取得、旧奏楽堂が上野恩賜公園内に復元完成。
  • 1988年(昭和63年)4月 - 留学生センターを大学の内部組織として設置。
  • 1991年平成3年)10月 - 取手校地を開設。
  • 1994年(平成6年)10月 - 新奏楽堂の新営工事を開始。
  • 1995年(平成7年)4月 - 大学院美術研究科に、独立専攻として文化財保存学専攻を設置、音楽学部附属高等学校を上野校地に移転。
  • 1996年(平成8年)3月 - 千葉県松戸市に国際交流会館を設置。
  • 1997年(平成9年)4月 - 演奏芸術センターを設置。
  • 1998年(平成10年)
    • 3月 - 新奏楽堂が完成。
    • 4月 - 大学美術館を設置(芸術資料館の転換)。
  • 1999年(平成11年)
    • 4月 - 美術学部の既設学科を改組し、先端芸術表現科を取手校地に設置。
    • 7月 - 新奏楽堂内にパイプオルガンを設置。
  • 2000年(平成12年)4月 - 情報処理センター(芸術情報センター)を設置。
  • 2001年(平成13年)4月 - 副学長の設置、事務局・学生部事務一元化。
  • 2002年(平成14年)4月 - 取手校地に附属図書館取手分室を設置。音楽学部の既設学科を改組し、音楽環境創造科を取手校地に設置。
  • 2003年(平成15年)4月 - 大学院美術研究科(修士課程)に先端芸術表現専攻を設置。
  • 2004年(平成16年)4月 - 国立大学法人化され、国立大学法人東京芸術大学となる。音楽学部附属音楽高等学校が創立50周年を迎える。
  • 2005年(平成17年)4月 - 神奈川県横浜校地を開設、大学院映像研究科(修士課程)映画専攻を設置。各キャンパスと関連施設等にIP電話を導入。
  • 2006年(平成18年)
    • 4月 - 大学院映像研究科(修士課程)にメディア映像専攻を設置 、大学院音楽研究科(修士課程)音楽学専攻を改組し、音楽文化学専攻を設置。
    • 9月 東京都足立区に千住校地を開設、大学院音楽研究科音楽文化学専攻の一部と音楽学部音楽環境創造科を千住校地に移転。
  • 2007年(平成19年)4月 - 創立120周年を迎える。大学院映像研究科に博士後期課程を設置。社会連携センターを設置。
  • 2008年(平成20年)4月
    • 大学院音楽研究科(博士後期課程)音楽専攻内に音楽音響創造研究分野・芸術環境創造研究分野を設置。
    • 音楽学研究領域を音楽文化学研究領域に改組。
    • 大学院映像研究科にアニメーション専攻を設置。
  • 2010年(平成22年)5月 - 社会連携センターを学内教育研究組織として整備。
  • 2014年(平成26年)9月 - スーパーグローバル大学創成支援事業に採択。
  • 2016年(平成28年)
  • 2018年(平成30年)
    • 4月 大学院国際芸術創造研究科に博士後期課程(アートプロデュース専攻)を設置。
    • 10月
      • 芸術作品の展示や教職員・学生・卒業生の作品販売を行う「藝大アートプラザ」を開業(小学館との協業)[6]
      • 2019年度より学費の値上げを発表[7]

基礎データ

所在地

徽章

アカンサス (acanthus spinosus) の葉[8]の輪郭を模様化した中に「芸大」の文字を収めたもの。

美術学部と音楽学部が統合されて芸大となった1949年以降、新しい徽章を定める必要が生じたため、校内のコンペから選ばれた。美術学部工芸科鋳金部の清水廣によるもの。(清水廣は清水九兵衛として彫刻を主として活躍)

編成

現在、美術学部(絵画科、彫刻科、工芸科、建築科、デザイン科、先端芸術表現科、芸術学科)と、音楽学部(作曲科、指揮科、声楽科、器楽科、邦楽科、楽理科、音楽環境創造科)の2学部14学科と、大学院の美術研究科、音楽研究科、映像研究科が置かれている。

永らく「美術」と「音楽」の二学部のみであったが、2005年4月に大学院映像研究科を設置し、映像芸術(映画アニメーション)や舞台芸術(演劇舞踊)までを包括した総合芸術大学への改革を進めている。

これまでに国内外で活躍する芸術家演奏家作曲家研究者教育者を数多く輩出している。

実技の科[9]の試験にあっては実技試験を最も重視する。受験者倍率は、科により毎年数十倍に達するものの、近年の少子高齢化を受けて全体的には減少傾向にある。

教育および研究

学部

美術学部

音楽学部

この他に早期音楽教育を目標に掲げた以下の教育プログラムが2014年より順次開始されている。

  • 早期教育プロジェクト (EEP)(2014年度より開始)
  • 東京藝大ジュニア・アカデミー(2017年度より開始)
  • スペシャルソリストプログラム (SSP)(2016年度より開始)

研究科

美術研究科

美術研究科には「東京藝術大学の講座に関する規則」によると、講座として、保存修復、保存科学がある。いずれも博士講座。このほか、美術学部の項で列挙した講座も教育・研究に当たる。

  • 修士課程[32]
    • 絵画専攻
    • 彫刻専攻
    • 工芸専攻
    • デザイン専攻
      • 研究分野:デザイン[45]
    • 建築専攻
      • 研究分野:建築設計[46]、環境設計[47]、構造計画[48]、建築理論[49]
    • 先端芸術表現専攻
      • 研究分野:先端芸術表現[50]
    • 芸術学専攻
    • 文化財保存学専攻
      • 研究分野:保存修復[57]、保存科学[58]、システム保存学[59]
    • グローバルアートプラクティス専攻
  • 博士後期課程
    • 美術専攻[60]
    • 文化財保存学専攻
      • 研究領域:文化財保存学(保存修復[69]、保存科学[70]、システム保存学[71]

音楽研究科

音楽研究科

映像研究科

学部を持たない独立した大学院である。修士課程と博士課程が置かれており、2005年に設置された映画専攻を始め、メディア映像専攻、博士課程の設置を経て、2008年にはアニメーション専攻が設置された[83]

  • 修士課程[84]
    • 映画専攻(2005年度開設)
      • 研究分野:映画表現技術(領域:監督脚本、プロデュース)、映画制作技術(領域:撮影照明、美術、サウンドデザイン、編集)
    • メディア映像専攻(2006年度開設)
      • 研究分野[85]:構造表現(領域:メディアデザイン、メディアアート)、構造設計(領域:メディア技術、メディア研究)
    • アニメーション専攻(2008年度開設)
      • 研究分野:研究・理論(領域:研究・理論)、創造表現(企画制作、立体アニメーション、平面アニメーション)
  • 博士後期課程(平成19年度開設)
    • 映像メディア学専攻[86]
      • 研究領域:映像メディア

国際芸術創造研究科

  • 修士課程
    • アートプロデュース専攻

大学別科(音楽学部)

1951年に設置された、音楽に関する技能を教授する2年制のコースである。個人指導による授業が展開されている[87]

  • 専修:声楽、器楽(ピアノ、オルガン、弦楽器、管打楽器、古楽)、指揮 邦楽

芸術研究院(教員組織)

  • 芸術表現学系
    • 純粋美術表現領域
    • 総合美術表現領域
    • 音楽表現領域
    • 映像制作領域
    • 映像技術領域
  • 芸術理論学系
    • 美術理論領域
    • 音楽理論領域
    • アートプロデュース領域
  • 芸術資源学系
    • 文化財保存修復領域

主な研究室

油画技法材料研究室

美術学部(絵画専攻)に属し、絵画の材料と技術の側面から、実技・講義・演習を通して油画の定義、成立と発展についての教育や研究を行う。ゼミナールの内容は学生の制作および発表、フラ・アンジェリコなどの模写実習によるテンペラ画の考察、支持体地塗り絵具の自家製法、写真、デジタル撮影など。2008年時点では、佐藤一郎が指導しており、佐藤の訳書であるマックス・デルナー著『絵画技術体系』(美術出版社)の講読・実習を行っている。

明治期油画の材料・絵画技術の実態を知るために、大学資料館に所蔵される全作品を調査し出版[88]、また明治後期、西洋画科が設立された当時の教官と学生作品について油画保存修復研究室(1994年設立)との共同調査も出版されている[89]

施設

キャンパス

大きく分けて上野、取手、横浜、千住の四つのキャンパスが存在する[90]JR東日本常磐線に沿っているところから、沿線自治体が芸大と連携して地域振興を図る「JOBANアートライン」事業が行われている[91]

上野キャンパス

東京都台東区上野公園地図

上野キャンパスは敷地が道路によって分かれており、北側には音楽学部、南側には美術学部がある。東京音楽学校と東京美術学校は、現在の奏楽堂付近で旧四軒寺通りによって分けられており、後の音楽学部の拡張とともに屏風坂通り(現在の)付近に正門が移動することとなった。

音楽学部

1号館から5号館、練習ホール館、奏楽堂、赤レンガ1,2号館、大学会館、事務局・保健管理センター、社会連携センター、音楽学部附属音楽高等学校、不忍荘、車庫、テニスコートが立ち並ぶ。

美術学部

中央棟、絵画・彫刻・金工の各棟、A - Cの3つの総合工房棟、附属図書館、大学美術館、大学美術館(旧館)、正木記念館、陳列館、藝大アートプラザが立ち並ぶ。

  • 両学部正門付近には守衛所が設置されている。体育館は少し離れた場所に位置する。
  • 食堂は音楽学部内の大学会館一階のキャッスル食堂、美術学部の大学美術館内一階にある大浦食堂の2つが利用できる。
  • 同大学へは正門の他、奏楽堂の裏のテニスコートの横に置かれている入り口からも入ることができる。
  • 博物館動物園駅跡の向かいにある美術学部の門は元々、現在の美術学部の正門の位置にあった門で、新大学美術館の新設に伴い移転されたものである。
  • 赤レンガ1号館は東京都内最古のレンガ建築物である。
  • 旧東京音楽学校奏楽堂上野恩賜公園内に移設された。
交通アクセス

取手キャンパス

茨城県取手市地図

取手キャンパスでは、美術学部先端芸術表現科の全学年と、絵画・彫刻・工芸・デザイン・建築の各科の1年次の授業を行う。その他、美術学部共通工房棟、美術学部専門教育棟、メディア教育棟、美術学部登窯、野外制作場、福利施設、短期宿泊施設、大学美術館取手館、守衛所が置かれている。 また、メディア教育棟内には附属図書館取手分室、芸術情報センター取手分室が設置されている。

交通アクセス[92]

横浜キャンパス

神奈川県横浜市中区地図

馬車道校舎、万国橋校舎、新港校舎の3つの校舎が存在し、歴史的建造物である旧富士銀行横浜支店の建物に大学院映像研究科が置かれている。馬車道校舎では映画専攻、新港校舎ではメディア映像専攻、万国橋校舎ではアニメーション専攻がそれぞれ設置されている。

交通アクセス
  • 馬車道校舎 - 横浜高速鉄道 みなとみらい線馬車道駅 下車すぐ
  • 新港校舎 - 横浜高速鉄道 みなとみらい線馬車道駅またはみなとみらい駅 下車徒歩15分
  • 万国橋校舎 - 横浜高速鉄道 みなとみらい線馬車道駅 下車徒歩10分

千住キャンパス

東京都足立区(地図

大学院音楽研究科音楽文化学専攻の一部と、音楽学部音楽環境創造科が置かれている。 なお、このキャンパスは2006年9月に開設された。

交通アクセス

その他の校地

上石神井校地

東京都練馬区。石神井寮(学生寮)が置かれている(平成26年4月閉寮)[95]

駒込校地

東京都文京区。外国人教師宿舎が置かれている[96]

奈良校地

奈良県奈良市。附属古美術研究施設が置かれている[97]

那須校地

栃木県那須郡那須町。那須高原研修施設が置かれている[98]

松戸校地

千葉県松戸市。国際交流会館が置かれている[99]

附属機関・施設

美術学部附属 古美術研究施設

奈良、京都を中心に存在する飛鳥以降の各時代の建築物、絵画、彫刻、工芸品等の日本古来の優れた作品の研究を行っている。主に美術研究旅行や、教職員・学生の古美術研究、および実習に利用される[100]。なお、この施設は奈良県奈良市登大路に設置されている。

美術学部附属 写真センター

写真を中心とした視覚芸術に関する研究の増大を目的に開設された。開設授業として、写真表現演習II、写真概論、現代写真論があり、そのほかに集中講義も実施している[101]

音楽学部アートリエゾンセンター

2006年秋、千住キャンパスが開校した際に設置された。足立区をはじめとする学外との連携企画について、その立案、調整、実施を担う[102]

音楽学部音楽研究センター

開架閲覧室、試聴室、音響研究室、小泉文夫記念資料室からなる。開架閲覧室は、音楽の専門書、参考図書をはじめ、楽譜、マイクロフィルムレコードなどを所蔵し、レポートや卒業論文、博士論文などの作成、または個人の研究に利用できる音楽学部の学生・教員の研究施設である。試聴室は、個人の研究のためにテープやレコードを聴く施設である。音響研究室は、室内音響や電子音響の研究、録音・録画方法の研究、楽器や音声の音色・ピッチに関する研究などを行う施設である。録音室、音響実験室、楽器研究室、AV実習室、内外の音響学会誌を揃えたゼミ室が付設されている。小泉文夫記念資料室は、音楽民族学の研究資料を整理保管、研究する施設である。資料の大半は、小泉文夫教授が世界数十か国の現地調査で収集したもので、諸民族の楽器700余点をはじめ、書籍、楽譜、録音録画資料を観覧、閲覧できる[103]

附属図書館(東京藝術大学国際藝術リソースセンター (IRCA) 内)

附属図書館は、1949年5月の東京藝術大学発足時に、東京美術学校文庫と東京音楽学校図書課の蔵書を統合することで始まったものである。46万点の蔵書のうち8割近くは、芸術関係の資料である。同附属図書館は美術学部内に設けられている[104]

東京藝術大学大学美術館

1996年に着工。現在の収蔵品は2万8000件近くに達している。一階には学生食堂である大浦食堂が、地下には絵画材料を小規模に販売している「画翠芸大店」がある。なお、昭和6年3月に東京美術学校敷地内に開設した売店は現・有限会社レモン(レモン画翠)の流れにある[105]

社会連携センター

社会連携活動の総合窓口として2007年設置。国際化社会の中で日本が戦略的文化外交を展開するための事業や、技術開発力と文化外交力を身につけた人材育成を遂行することを目的として、2013-2018年の期間限定で「アートイノベーションセンター」を設置している[106]

言語・音声トレーニングセンター

1975年4月学内共同教育研究施設として設置が認められたもので、主に正しい発声、発音の授業を開設している[107]

演奏芸術センター

新しい総合的な舞台芸術作品の創造を行うことを目的として、美術学部・音楽学部の枠を超えた教育研究を行う場を創っている[108]

奏楽堂

演奏芸術センターが運営。1984年に解体、移築された旧東京音楽学校奏楽堂の跡地に新たに建築された。地上5階、地下2階のホールでフランスのガルニエ製オルガンが設置されている。座席数は最大で、1,140席。

芸術情報センター

学内共同利用施設としてセンターの芸術情報システムを整備運用し、研究、教育および事務処理等の利用に供すると同時にキャンパスネットワークの適切かつ効率的な管理運用を行い、東京藝術大学における情報化を推進している [109]

藝大アートプラザ

東京藝術大学が企画開発した作品や、同大学の教員等が創作した作品等の教育研究成果を、社会に対して積極的に発信するとともに、文化芸術を身近なものにして、心豊かな生活や活力ある社会の実現に寄与することを目的として2005年に設置された[110]

保健管理センター

東京芸術大学の学生および教職員の保健管理に関する専門的な業務を行い、学生および教職員の心身の健康の保持増進を図ることを目的として、運営されている[111]

グローバルサポートセンター

留学生の奨学・生活指導に関する業務を行う施設である[112]

大学会館

学生および教職員の福利厚生を図るための総合施設である。一階にはキャッスル食堂が設けられている[113]

体育館

主に保健体育科目の教育・研究および同大本学の行事に利用するほか、学生の課外活動等に利用されている。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校正門から道路を挟んだ向かい側から右に、約50メートルに位置する[114]

那須高原研修施設

東京藝術大学および音楽学部附属音楽高等学校の学生・生徒および教職員の教育・研修および課外活動のために使用することを目的として設置されたものである[115]

取手校地 利根川荘

東京芸術大学の教員、学生、職員が取手校地における正課および課外活動、その他の教育活動を遂行するため、短期の宿泊に利用することを目的として取手キャンパス内に設置された宿泊施設である[116]

国際交流会館

外国人の留学生・研究者に居住の場を提供し、併せて教育研究上の国際交流に寄与することを目的として、設置された[117]

石神井寮

同大学学生、同大学院生のために1975年に竣工したものである。なお、同大学音楽学部附属音楽高等学校生徒の入寮はできない。平成26年4月に閉寮[118]

藝心寮

石神井寮に代わり平成26年に新たに設置された学生寮。東京都足立区東和に位置する[119]

藝大山岳部黒沢ヒュッテ

長野県黒沢高原に1960年に建築学者の山本学治氏が設計し建築、東京藝術大学山岳部の山小屋とされた。

小島アートプラザ

3階部分の一部を美術研究科の研究室が使用している。学生が主体となり、町中アート大学コジマラジオが運営されている[120]

外国人教師宿舎

学生生活

学園祭

「藝術祭」、通称「藝祭」と呼ばれ、毎年9月に3日間にわたって催されている。上野公園内を練り歩く神輿や地元アメ横商店街サンバ隊で練り歩く[121]

アートパス

取手校地と千住校地における最大の展覧会・成果発表。毎年12月に催される。「取手アートパス」では絵画科油画専攻と先端芸術表現科が、「千住アートパス」では音楽環境創造科が主催、企画運営している[122]

サークル

文化、体育会系の2つのサークルの他[123]、同好会も置かれている[124]

文化系サークル

体育会系サークル

同好会

楽団

アンサンブルリーム

作曲科における専門研究の一環としての演奏実践を主な目的として2017年3月に設立[125]

東京藝大チェンバーオーケストラ

2003年に創設され、東京藝術大学音楽学部と大学院に在籍する弦楽器の精鋭、25名が中心となって、様々な活動を行う室内オーケストラである[126]

東京藝大シンフォニーオーケストラ

音楽学部の2~4年までの弦・管・打楽器専攻生を主体として編成されるオーケストラ[127]

東京藝大ウィンドオーケストラ

音楽学部器楽科管打楽器専攻学生を中心に組織された吹奏楽団。1935年東京音楽学校に生徒吹奏楽団として発足、1949年に吹奏楽研究部となった[128]

藝大フィルハーモニア管弦楽団

東京藝術大学に所属するプロフェッショナル・オーケストラであり、オーケストラ演奏を専門とする研究部員によって組織されている。主な活動としては毎年春と秋に開かれる定期演奏会、声楽家との合唱付オーケストラ作品の演奏、オペラ研究部との共演、年度始めの新卒業生(各科最優秀者)紹介演奏がある。その他、年末には恒例の『メサイア』演奏会、『第九』公演などを行っている。教育面では、器楽科、声楽科学生との協奏曲等の共演および作曲家学生の作品演奏(モーニングコンサート)、指揮科学生による演奏会、試験・演習など、学生の演奏経験の拡充に資している。さらに各地の音楽文化向上のための出張演奏も行っている。このオーケストラの前身である旧東京音楽学校管弦楽団は、日本初の本格的なオーケストラであり、現在ではポピュラーに演奏されている、ベートーヴェンの『交響曲第5番「運命」』『第9番「合唱付き」』、チャイコフスキーの『交響曲第6番「悲愴」』などを日本初演した[129]

大学関係者組織

同窓会

音楽学部と美術学部とで別々に分かれている。

東京藝術大学美術学部杜の会
東京藝術大学美術学部の同窓会で、昭和62年に「美術学部同窓会」として設立され、平成8年より「杜の会」と改められ現在に至る[130]
東京藝術大学音楽学部同声会
東京藝術大学音楽学部の同窓会で、明治22年に設立された。

刊行物

藝大通信
東京藝術大学の広報誌であり、年に2回、9月と3月頃発行される[131]

大学関係者一覧

附属学校

対外関係

海外協定校

2017年5月1日時点、23カ国・地域の69大学・機関と大学間交流協定を締結している[132]

アジア

アメリカ

オセアニア

中東

ヨーロッパ

自治体との協力

香川県長野県と、文化芸術振興や地域振興における包括連携協定を結んでいる[133]

不祥事

芸大事件

セクハラ事件

2015年4月の新入生歓迎コンパにおいて、美術学部に所属する50歳代の男性教授がソファで横になっていた女子学生の服に手を入れ胸を触るなどのセクシャルハラスメント行為を行った。女子学生はこの教授の担当授業を履修していたが、登校できない状態になった。同年7月に女子学生が大学に申し出て事件が発覚し、11月に停職5カ月の懲戒処分が下されたが、大学の調査に対して教授は「酔っていて覚えていない」と述べたとされる。本件につき、宮田亮平学長(当時)は「すべての関係者に心からおわびする。このような事態が再び繰り返されることがないよう、信頼の回復に努める」という声明を発表した[134][135]

アカハラ事件

2016年12月、50歳代の准教授が自分の研究室に所属する学生に対するアカデミックハラスメント行為により停職1か月の懲戒処分を受けた。当該准教授は特定の学生に対し、泣きながら研究内容を非難したり、飲み会を断った理由を厳しく問いただしたりするといった行為を2015年の春から数ヶ月にわたり続けた。これにより学生は心身の不調をきたし、2015年12月から休学することになった。大学は本件に関して「二度とこのような事案が起きないよう、更に啓発活動の強化や一層の相談体制の充実を図り、信頼の回復に努めて参ります」という声明を発表した[136][137]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ お知らせ一覧 > 東京藝術大学英文名称の変更について(2012年8月2日時点のアーカイブ
  2. ^ 国立学校設置法(昭和24年法律第150号)の公布・施行に伴う。
  3. ^ a b 『2015年度用 芸大・美大受験案内』学研教育出版 2014年。
  4. ^ 東京藝術大学/大学トップ|大学受験パスナビ:旺文社
  5. ^ 「藝大、能研テスト採用 来春から 一次学力試験は廃止」『日本経済新聞』昭和40年7月24日 15面
  6. ^ 藝大アートプラザ/本日より開業!(2018年10月2日)2018年10月6日閲覧。
  7. ^ “東京芸大が授業料値上げへ 19年度から、東工大に続き”. 日本経済新聞 (共同通信社). (2018年10月26日). オリジナルの2018年11月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181121004513/https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36954960W8A021C1CC0000/ 2019年4月2日閲覧。 
  8. ^ 大学のシンボルマーク2 東京藝術大学 : これ、誰がデザインしたの?
  9. ^ 東京芸術大学美術学部規則 (PDF) の第3条と、東京芸術大学音楽学部規則 (PDF) の第4条に「学生の所属する科」という文言がある。なお、学科の名称に「学科」を含むのは芸術学科のみである。
  10. ^ 専攻ごとに募集する。なお、東京藝術大学美術学部規則では専攻について定められていない。
  11. ^ 2017年度美術学部履修案内 (PDF) によると、3年次から「版画」の専門カリキュラムを選択できる。
  12. ^ 塑造テラコッタ石彫木彫金属の4素材領域が置かれている。3年次からは素材領域別に分かれ、個別指導体制の下、創作研究が展開される[1]
  13. ^ 2017年度の美術学部履修案内によると、2年次に各分野に分かれる。なお、東京藝術大学美術学部規則では分野について定められていない。
  14. ^ 2018年度大学案内 (PDF) によると、「視覚伝達」「機能演出」「機能・設計」「空間・設計」「空間・演出」「環境・設計」「映像画像」「描画装飾」「企画理論」「情報・設計」の計10の研究室を基盤に構成されている。
  15. ^ 2018年度入学生用の大学案内によると、工学系ではなく美術系に属する建築学科は、国立の教育機関で唯一。
  16. ^ 2018年度入学生用の大学案内によると、3年次から教員別の研究室に所属。
  17. ^ 2018年度入学生用の大学案内によると、3年次から美学、日本・東洋美術史西洋美術史、工芸史から研究領域を定める
  18. ^ 修士課程は「独唱」と「オペラ」の研究分野に分かれているが、学部では自らの声の特性を見極めさせるため、その双方をバランスよく履修させることになっている[2]。ただ、平成27年度入学者選抜要項 (PDF) では、「専攻(声種・楽器等」として、独唱、オペラ(ソプラノアルトテノールバス)が記載されている。
  19. ^ 東京藝術大学音楽学部規則による。
  20. ^ 2015年度入学生用の大学案内によると、ヴァイオリンヴィオラチェロコントラバスハープの5つの楽器種がある。
  21. ^ 2015年度入学生用の大学案内によると、管楽器はフルートオーボエクラリネットファゴットサクソフォーンホルントランペットトロンボーンユーフォニアムチューバという10種の楽器に分かれる。打楽器はティンパニーを主に、パーカッション及びマリンバアンサンブルを通して、すべての打楽器に精通することを目指すとしている。
  22. ^ 2000年度にチェンバロ科を改組して設置。チェンバロリコーダーバロックヴァイオリンという楽器種がある[3]
  23. ^ 東京藝術大学音楽学部規則による。なお、2015年入学生用の学生募集要項では、「専攻(声種・楽器等」として、長唄三味線常磐津三味線清元三味線、長唄、常磐津、清元、箏曲尺八能楽、能楽囃子、邦楽囃子、日本舞踊、雅楽が記載されている。
  24. ^ 2017年度の音楽学部履修便覧によると、主専攻に、長唄三味線、常磐津三味線、清元]味線、長唄、常磐津、清元がある。主専攻に長唄三味線、常磐津三味線、清元三味線を選択した場合、対応する副主専攻には長唄、常磐津、清元があり、主専攻に長唄、常磐津、清元を選択した場合、対応する副主専攻には唄三味線、常磐津三味線、清元三味線がある。
  25. ^ 2014年度の音楽学部履修便覧によると、副主専攻に、長唄、長唄三味線がある。
  26. ^ 2014年度音楽学部授業計画書 (PDF) によると、「主専攻本曲」、「主専攻外曲」(履修便覧によると、いずれも必修)には、それぞれ琴古流、都山流がある。
  27. ^ 音楽学部の2014年度の授業計画書によると、「主専攻謡」には、「観世流」と「宝生流」がある。また「仕舞実技」「実技」から1つ選択しなければならないが、それぞれ観世流と宝生流がある。についても、観世流と宝生流があり、1つ選択することになっている。
  28. ^ 2014年度の音楽学部履修便覧によると、主専攻、副主専攻に、それぞれ小鼓大鼓太鼓がある。
  29. ^ 「雅楽実技」には、篳篥龍笛がある。
  30. ^ 音楽学部の2014年度の授業計画書によると、1-2年次に必修の「音楽学概説」は西洋音楽史、日本音楽史、東洋音楽史、音楽美学、音楽理論、音楽民族学の6分野があり、3-4年次の「音楽学演習」も、西洋音楽史、日本音楽史、東洋音楽史、音楽美学、音楽理論史、音楽民族学 の6分野に分かれる。
  31. ^ 6分野の「プロジェクト」があり、2-3年次にその中から1つを選択して履修する。2年次と3年次で異なった分野を選択することもできる。音楽学部の2014年度の授業計画書によると、2014年度には、「プロジェクト1」(楽音、ノイズ、声、言葉など、様々な素材による表現技術を習得することを目指す)、「プロジェクト2」(芸術表現を通した地域社会へのアプローチを実践的に模索する)、「プロジェクト3」(録音制作、舞台音響、サウンドデザインなどの研究・実践を通して、音の扱い方について学ぶ)、「プロジェクト4」(演劇、ダンスを創作する)、「プロジェクト5」(デジタル化によって音楽や美術、映像の表現はどのように変化しつつあるかといった文化の未来について、理論研究と実践を通じて考える)、「プロジェクト6」(コンピュータプログラミングや音響実験などの研究・実践を通して、音の扱い方について学ぶ)がある。
  32. ^ 研究分野は、2015年入学生用の学生募集要項 (PDF) 「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」による。
  33. ^ 2014年度 美術研究科修士課程 履修案内 (PDF) によると、版画壁画油画技法・材料が、油画から独立した研究分野として扱われている。
  34. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、研究室には「日本画 第1研究室」「日本画 第2研究室」「日本画 第3研究室(古典研究を含む)」がある。
  35. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「油画 第1研究室」「油画 第2研究室」「油画 第3研究室」「油画 第4研究室」「油画 第5研究室」「油画 第6研究室」「油画 第7研究室」「版画 第1研究室(銅版、リトグラフ)」「版画 第2研究室(木版スクリーンプリント)」「壁画 第1研究室(現代美術・アートプロジェクト)」「壁画 第2研究室(現代美術・アートプロジェクト)」「油画技法・材料 第1研究室」「油画技法・材料 第2研究室」がある。なお、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると「壁画 第2研究室(モザイクフレスコステンドグラス)」と表記されている。
  36. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、研究室には「彫刻 第1研究室」「彫刻 第2研究室」「彫刻 第3研究室」「彫刻 第4研究室」「彫刻 第5研究室」「彫刻 第6研究室」「彫刻 第7研究室」がある。
  37. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「第1研究室(ジュエリー)」「第2研究室」がある。2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、「彫金 第1研究室(ジュエリー) 」「彫金 第2研究室」とされている。
  38. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「第1研究室」「第2研究室」がある。2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると「鍛金 第1研究室」「鍛金 第2研究室」とされている。
  39. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「第1研究室」「第2研究室」がある。2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると「鋳金 第1研究室」「鋳金 第2研究室」とされている。
  40. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「第1研究室」「第2研究室」がある。2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると「漆芸 第1研究室」「漆芸 第2研究室」とされている。
  41. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「第1研究室」「第2研究室」がある。2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると「陶芸 第1研究室」「陶芸 第2研究室」とされている。
  42. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「第1研究室」「第2研究室」がある。2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると「染織 第1研究室」「染織 第2研究室」とされている。
  43. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「第1研究室」「第2研究室」がある。2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると「木工芸 第1研究室」「木工芸 第2研究室」とされている。
  44. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「第1研究室」「第2研究室」がある。2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると「ガラス造形 第1研究室」「ガラス造形 第2研究室」とされている。
  45. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、研究室には「視覚・演出 研究室」「視覚・伝達 研究室」「空間・演出 研究室」「空間・設計 研究室」「機能・演出 研究室」「機能・設計 研究室」「環境・設計 研究室」「映像・画像 研究室」「描画・装飾 研究室」「企画・理論 研究室」がある。
  46. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、研究室には「建築設計 第1研究室」「建築設計 第2研究室」「建築設計 第3研究室」がある。
  47. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、研究室には「環境設計 第1研究室」「環境設計 第2研究室」がある。
  48. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、研究室には「構造計画 第1研究室」がある。
  49. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、研究室には「建築理論 第1研究室」「建築理論 第2研究室」がある。
  50. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、研究室には「地域と芸術」「言語と身体」「科学技術と表現」「素材と創造性」がある。
  51. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、研究室には「美学 第1研究室 」「美学 第2研究室」がある。
  52. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、研究室には「日本・東洋美術史 第1研究室」「日本・東洋美術史 第2研究室」「日本・東洋美術史 第3研究室」「日本・東洋美術史 第4研究室」がある。
  53. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、研究室には「西洋美術史 第1研究室」「西洋美術史 第2研究室」「西洋美術史 第3研究室」がある。
  54. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、研究室には「工芸史研究室」がある。
  55. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、研究室には「美術教育 第1研究室」「美術教育 第2研究室」「美術教育 第3研究室」がある。
  56. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、研究室には「美術解剖学 研究室」がある。
  57. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、研究室には「日本画 第1研究室」「日本画 第2研究室」「油画 研究室」「彫刻研究室」「工芸研究室」「建造物研究室」がある。
  58. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、研究室には「文化財測定学 研究室」「美術工芸材料学 第1研究室」「美術工芸材料学 第2研究室がある。
  59. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版の美術研究科修士課程の履修案内によると、研究室には「保存環境学研究室」「修復材料学研究室」がある。東京文化財研究所が連携研究機関となっている。
  60. ^ 研究領域は、2015年入学生用の学生募集要項 (PDF) 「研究領域及び研究室(指導教員)一覧」、2014年度版 美術研究科博士後期課程の履修案内 (PDF) による。なお、東京藝術大学大学院美術研究科規則では、保存修復、保存科学、システム保存学の記載はない。
  61. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には、「日本画 第1研究室」「日本画 第2研究室」「日本画 第3研究室(古典研究を含む)」
  62. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「油画 第1研究室」「油画 第2研究室」「油画 第3研究室」「油画 第4研究室」「油画 第5研究室」「油画 第6研究室」「油画 第7研究室」「版画 第1研究室(銅版、リトグラフ)」「版画 第2研究室(木版、スクリーンプリント)」「壁画 第1研究室(現代美術・アートプロジェクト)」「壁画 第2研究室(現代美術・アートプロジェクト)」、「油画技法・材料 第1研究室」、「油画技法・材料 第2研究室」がある。
  63. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「彫刻 第1研究室」「彫刻 第2研究室」「彫刻 第3研究室」「彫刻 第4研究室」「彫刻 第5研究室」「彫刻 第6研究室」「彫刻 第7研究室」がある。
  64. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「彫金 第1研究室(ジュエリー) 」「彫金 第2研究室」「鍛金 第1研究室」「鍛金 第2研究室」「鋳金 第1研究室」「鋳金 第2研究室」「漆芸 第1研究室」「漆芸 第2研究室」「陶芸 第1研究室」「陶芸 第2研究室」「染織 第1研究室」「染織 第2研究室」「木工芸 第1研究室」「ガラス造形 第1研究室」とされている。
  65. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「視覚・演出 研究室」「視覚・伝達 研究室」「空間・演出 研究室」「空間・設計 研究室」「機能・演出 研究室」「機能・設計 研究室」「環境・設計 研究室」「映像・画像 研究室」「描画・装飾 研究室」「企画・理論 研究室」がある。
  66. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「建築設計 第1研究室」「建築設計 第2研究室」「建築設計 第3研究室」「環境設計 第1研究室」「環境設計 第2研究室」「構造計画 第1研究室」「建築理論 第1研究室」「建築理論 第2研究室」がある。
  67. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には、「美学 第1研究室 」「美学 第2研究室」「日本・東洋美術史 第1研究室」「日本・東洋美術史 第2研究室」「日本・東洋美術史 第3研究室」「日本・東洋美術史 第4研究室」「西洋美術史 第1研究室」「西洋美術史 第2研究室」「西洋美術史 第3研究室」「工芸史研究室」「美術教育 第1研究室」「美術教育 第2研究室」「美術教育 第3研究室」「美術解剖学 研究室」がある。
  68. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「地域と芸術」「言語と身体」「科学技術と表現」「素材と創造性」がある。
  69. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「日本画 第1研究室」「日本画 第2研究室」「油画 研究室」「彫刻研究室」「工芸研究室」「建造物研究室」がある。
  70. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「文化財測定学 研究室」「美術工芸材料学 第1研究室」「美術工芸材料学 第2研究室がある。
  71. ^ 2015年入学生用の学生募集要項「研究分野及び研究室(指導教員)一覧」によると、研究室には「美術解剖学 研究室」がある。
  72. ^ 研究分野は、2015年度 音楽研究科(修士課程)学生募集要項 (PDF) による。さらに、同学生募集要項によると、研究室には、作曲第1、作曲第2、声楽第1、声楽第2、声楽第3、声楽第4、声楽第5(オペラ)、ピアノ第1、ピアノ第2、ピアノ第3、ピアノ第4、ピアノ第5、オルガン、弦楽第1(ヴァイオリン)、弦楽第2(ヴァイオリン)、弦楽第3(ヴィオラ)、弦楽第4(チェロコントラバスハーブ)、管楽第1(木管楽器)、管楽第2(金管楽器)、打楽器、室内楽、古楽、指揮、邦楽第1(三味線音楽)、邦楽第2(箏曲、尺八)、邦楽第3(能楽、能楽囃子)、邦楽第4(邦楽囃子、日本舞踊)、音楽学第1(体系的音楽学)、音楽学第2(西洋音楽史)、音楽学第3(日本・東洋音楽史)、音楽教育、ソルフェージュ、応用音楽学、音楽文芸、音楽音響創造、芸術環境創造があるとされている(専攻ごとに分けて表記されていない)。
  73. ^ 2014年度音楽研究科修士履修便覧 (PDF) によると、研究室には、作曲第一、作曲第二があるとされている。
  74. ^ 音楽研究科修士履修便覧によると、研究室には、声楽第一(独唱)、声楽第二(独唱)、声楽第三(独唱)、声楽第四(独唱)、声楽第五(オペラ)があるとされている。
  75. ^ 音楽研究科修士履修便覧によると、研究室には、ピアノ第一、ピアノ第二、ピアノ第三、ピアノ第四、ピアノ第五、オルガン、古楽、弦楽第一(ヴァイオリン)、弦楽第二(ヴァイオリン)、弦楽第三(ヴィオラ)、弦楽第四(チェロ、コントラバス、ハーブ)、管楽第一(木管楽器)、管楽第二(金管楽器)、打楽器、室内楽があるとされている。
  76. ^ 音楽研究科修士履修便覧によると、研究室には、指揮があるとされている。
  77. ^ 音楽研究科修士履修便覧によると、研究室には、邦楽第一、邦楽第二、邦楽第三、邦楽第四があるとされている。
  78. ^ 2015年入学生用の学生募集要項によると、専門種として、長唄三味線、常磐津三味線、清元三味線、長唄、常磐津、清元がある。
  79. ^ 音楽研究科修士履修便覧によると、研究室には、音楽学第一(体系的音楽学)、音楽学第二(西洋音楽史)、音楽学第三(日本・東洋音楽史)、音楽教育、ソルフェージュ、応用音楽学、「音楽文芸 言語芸術」、音楽音響創造、芸術環境創造があるとされている。
  80. ^ 研究領域は、2015年度 音楽研究科(博士後期課程)学生募集要項 (PDF) による。なお、2014年度 音楽研究科博士後期課程 履修便覧 (PDF) 、東京藝術大学大学院音楽研究科規則では、「室内楽」は記載されていない。
  81. ^ 2015年入学生用の学生募集要項によると、研究分野として、弦楽器、管楽器、打楽器がある。
  82. ^ 2015年入学生用の学生募集要項によると、研究分野として、音楽学、音楽教育、ソルフェージュ、応用音楽学、音楽文芸、音楽音響創造、芸術環境創造がある。
  83. ^ 東京藝大大学院アニメーション専攻修了制作展 横浜と渋谷で開催”. animeanime.jp (2014年2月22日). 2018年11月22日閲覧。
  84. ^ 研究分野、領域は、2015年度 映像研究科学生募集要項 (PDF) による。
  85. ^ 2014年度 映像研究科修士課程 履修案内 (PDF) によると、研究分野は、コンテンツ創造(領域:メディアデザイン、メディアアート)、コンテンツ科学研究(領域:コンテンツウェア開発、メディア文化財)となっている。
  86. ^ 研究領域は、2015年度 映像研究科博士後期課程学生募集要項 (PDF)2014年度 映像研究科博士後期課程履修案内 (PDF) による。
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関連項目

外部リンク


 

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