ポータルフィールドニュース

ポータルフィールドニュース

in ,

🎥|東ちづる、笠井信輔らがコメント バリアフリー社会人サークル「colors」追うドキュメンタリー映画


写真 

東ちづる、笠井信輔らがコメント バリアフリー社会人サークル「colors」追うドキュメンタリー映画

 
内容をざっくり書くと
■青木拓磨(車椅子ですがルマンレーサー)
東京、蒲田で一人ひとりの個性を出しているドキュメンタリー映画。
 

障害の有無に関係なく集まった人々によるバリアフリー社会人サークル「colors」の500日を切り取っ… →このまま続きを読む

 映画スクエア

「映画スクエア」は、映画紹介、ニュース、レビューを掲載するサイトです。最新作はもちろん、旧作についても積極的に取り上げていきます。


Wikipedia関連ワード

説明がないものはWikipediaに該当項目がありません。

ルマンレーサー

青木拓磨

青木 拓磨(あおき たくま、1974年2月24日 - )は、日本オートバイロードレースライダー、現在はプロレーサー。群馬県子持村(現渋川市)出身。「青木三兄弟」の次男であり、兄は青木宣篤、弟は青木治親

経歴

ロードレースライダー時代

兄弟のふたりと同じくポケバイミニバイクレースを経て、1990年にロードレースデビュー。1991年に国際A級に特別昇格し、全日本ロードレース選手権GP250クラスに参戦。兄弟ふたりが海外進出しても国内に残り、1994年はGP500クラス廃止により国内最高峰となったスーパーバイククラスへ転向。1995年はホンダワークスのHRCに入り、全日本チャンピオンを獲得した。また、NSR500に乗りワイルドカード枠で出場したロードレース世界選手権日本GPで3位表彰台を獲得した。1996年はスーパーバイククラスの連覇を達成。

1997年には世界GPのGP500クラス(現MotoGP)にレプソル・ホンダよりフル参戦。NSR500に比べ戦闘力の劣るNSR500Vながら、開幕戦マレーシアGPで一時トップを走行。イモラでは宣篤と兄弟で表彰台に立ち、最終戦オーストラリアはアレックス・クリビーレと優勝を争い、僅差の2位。フル参戦初年度ながら表彰台を3回獲得し、年間ランキング5位を獲得した。

1998年、シーズン前に結婚し、公私ともに充実した時に事故に見舞われる。2月に栃木にあるホンダのテストコースでテスト走行中、右コーナーでハイサイドを起こし、バイクのタンクに乗りかかる格好でコースアウト。速度は50km/hも出ていなかったが、バリアに頭部から突っ込み、脊髄損傷のため下半身不随となる。

四輪ドライバーとして現役復帰

事故翌年の1999年、車椅子に乗って復帰し、ホンダ・レーシング助監督に就任。また、テレビ解説や子供向けバイク教室、参加型ミニバイクレース「レン耐」のプロデュースなど、モータースポーツ普及活動に精力的に取り組む。

それでも、レーサーとしての情熱を諦めることはできず、レース中の事故で下半身不随となった元F1ドライバーのクレイ・レガッツォーニに刺激され、レース復帰を目指す[1]。手動カート「ハンドドライブ・クロス(HDX)」で実績を積み、レガッツオーニがプロデュースしたイタリア製の身体障がい者用運転補助装置「グイドシンプレックス」を取り付けた改造車で海外ラリーに参戦。2007年、アジア・クロスカントリーラリー(タイ)に出場し総合7位、2008年は総合19位・市販車改造ディーゼルクラス優勝、2011年は総合3位の成績を残した。2009年にはダカール・ラリーに初参戦。

最初に日本自動車連盟(JAF)に競技ライセンスを申請した際には「体に50%の障がいがある人には発給できない」と断られた[1]。その後、発給されたライセンスはジムカーナラリーレイドダートトライアルなど単独走に限定され、他車と競争するレースには参加できなかった。これに対し、拓磨本人も手動での車両操作機構の開発を引き続き進めると共に、出場可能なナンバー付きヴィッツレースで腕前をアピール。さらに、友人である土屋武士らが中心となってJAFに働きかけを行った結果、2010年にライセンスの限定が解除され、国内のサーキットレース参戦が可能になった。14年ぶりに全日本クラスの競技に復帰し、スーパー耐久シリーズST4クラスに土屋と組んで参戦[2]

2013年には国際自動車連盟 (FIA) から国際競技ライセンスを発給され、現在はレーシングドライバーとして、アジアン・ル・マン・シリーズなど海外のレースにも出場し、「優勝」することを目標に挑戦している。2014年にル・マン24時間レース出場プロジェクトを立ち上げ、2018年にはフランスのSRT41チームより2020年のル・マン24時間レースに特別枠で出場することを発表した[3](2020年の新型コロナウイルス感染症の影響で計画延期)。また、未来を担う青年やハンディをもつすべての人に、「夢をあきらめない、挑戦し続けること」の素晴らしさを伝えるべく、笑顔と勇気を届けるため、全国各地で講演会や訴求活動をしている。

障がいを負って以降バイクには乗れずにいたが、2019年に治親が代表となり、障がい者ライダーを支援する「サイドスタンドプロジェクト」を設立。同年7月の鈴鹿8時間耐久ロードレースの企画「Takuma Rides Again」にて、21年ぶりにバイクに乗って鈴鹿サーキットを走行した[4]。車両は、下半身不随でも走行できるよう改造された特別仕様のホンダ・CBR1000RRが使用された。同年10月の日本GP(ツインリンクもてぎ)では第二弾としてMotoGPマシンのレプリカ、ホンダ・RC213V-Sに乗り、青木三兄弟揃ってのデモランを行った[5]。11月には「鈴鹿Sound of ENGINE 2019」にて、レース中の事故で下半身不随となった元世界GP500王者ウェイン・レイニーとデモランを行った[6]

略歴

  • 1982年 - 初めてポケバイに乗る
  • 1983年 - ポケバイレース開始
  • 1986年 - ミニバイクレース開始
  • 1990年 - ロードレースデビュー
  • 1991年 - 国際A級特別昇格
全日本ロードレース選手権GP250 ランキング13位(日清カップヌードルホンダ
  • 1992年 - 全日本ロードレース選手権GP250 ランキング4位
鈴鹿8時間耐久ロードレース9位(RVF750
  • 1993年 - 全日本ロードレース選手権GP250 ランキング2位
鈴鹿8時間耐久ロードレース3位(マイク・スミス/RVF750)
  • 1994年 - 全日本ロードレース選手権スーパーバイク ランキング2位(6勝)
  • 1995年 - 全日本ロードレース選手権スーパーバイク チャンピオン(5勝/HRCRVF/RC45
  • 1996年 - 全日本ロードレース選手権スーパーバイク チャンピオン(8勝/HRC/RVF/RC45)
鈴鹿8時間耐久ロードレース3位(カール・フォガティ/RVF/RC45)
鈴鹿8時間耐久ロードレースリタイヤ(ウルトラマンレーシング/RVF/RC45)
  • 1998年 - 2月 開幕前のホンダテストコースで脊椎を損傷
  • 1999年 - ホンダレーシング助監督に就任
  • 2000年 - チームキャビンホンダ助監督
  • 2001年 - チームキャビンホンダ助監督
  • 2002年 - ホンダモーターサイクルジャパン レーシングアドバイザー
  • 2005年 - ハンドドライブクロス選手権参戦
  • 2007年 - FIAアジアクロスカントリーラリー T1-G クラス2位 (team takuma-gp/三菱・トライトン)
  • 2008年 - FIAアジアクロスカントリーラリー T2-D クラス優勝 (team takuma-gp/いすゞ・D-MAX)
  • 2009年 - ダカール・ラリー T2-2 リタイヤ (/team takuma-gp/いすゞ・D-MAX)
FIAアジアクロスカントリーラリー T2-D (team takuma-gp/いすゞ・D-MAX)
  • 2010年 - HONDA EXCITING CUP CIVIC INTER 参戦
FIAアジアクロスカントリーラリー T2-D (team takuma-gp/いすゞ・D-MAX)
  • 2011年 FIAアジアクロスカントリーラリー 総合3位 T1-Dクラス3位(team takuma-gp/いすゞ・D-MAX)
  • 2012年 スーパー耐久ST-2クラス年間ランキング3位
FIAアジアクロスカントリーラリー T1-D (team takuma-gp/いすゞ・D-MAX)
  • 2013年 FIA GT ASIA FUJIラウンド GTMクラス5位 (DIJON RACING/シボレー・コルベットGT3)
FIAアジアクロスカントリーラリー T1-D (team takuma-gp/いすゞ・D-MAX)
  • 2014年 FIA GT ASIA KOREAラウンド GTMクラス 第1戦&第2戦 2戦連続優勝 ディランゴレーシング ランボルギーニ・ガヤルドGT3
  • 2020年 FIAフォーミュラEのサポートレースである国際EVシリーズ英語版に、第3ラウンドメキシコシティよりTEAM YOKOHAMA CHALLENGEより参戦。
  • 2021年 FIA世界耐久選手権 第89回ル・マン24時間耐久レースに出場予定

ロードレース世界選手権

1993年からのポイントシステム:

順位123456789101112131415
ポイント252016131110987654321
  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
クラスチームマシン123456789101112131415ポイント順位勝利数
1993年250ccカップヌードル-ホンダNSR250
-

-

8

-

-

-

-

-

-

-

-

-

-

-
824位0
1994年250ccNSR250
-

-

5

-

-

-

-

-

-

-

-

-

-

-
1120位0
1995年500ccHRC-ホンダNSR500
-

-

3

-

-

-

-

-

-

-

-

-

-
1623位0
1996年500ccNSR500
-

-

NC

-

-

-

-

-

-

-

-

-

-

-

-
0-0
1997年500ccレプソル-ホンダNSR500V
5

4

4

NC

NC

5

NC

3

3

-

10

6

7

7

2
1345位0

バイク関連以外での受賞歴

  • アクアピースゴールデンハート賞(2001年) ※アクアピースネットワーク主催[7]

出演

テレビ番組

CM

映画

脚注

[脚注の使い方]

外部リンク


 

Back to Top
Close