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🎥|最凶スプラッタ・コメディ『地獄でなぜ悪い』から監督・園子温をフカヨミ! ニコケイ主演の最新作に…


写真 『地獄でなぜ悪い』©2012「地獄でなぜ悪い」製作委員会

最凶スプラッタ・コメディ『地獄でなぜ悪い』から監督・園子温をフカヨミ! ニコケイ主演の最新作に…

 
内容をざっくり書くと
石井岳龍、スタンリー・キューブリック、コーエン兄弟、クエンティン・タランティーノ、テリー・ギリアムらである。
 

ひねくれた作家性『地獄でなぜ悪い』(2013年)はコメディ映画だ。園子温は、狂気とバイオレンスの作家… →このまま続きを読む

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コーエン兄弟

ジョエル・コーエンJoel Coen1954年11月29日 - )とイーサン・コーエンEthan Coen1957年9月21日 - )は、アメリカ合衆国映画監督脚本家映画プロデューサーである。コーエン兄弟(コーエンきょうだい、Coen brothers)として共同で映画製作に携わっている。

経歴

生い立ち

兄のジョエルは1954年11月29日に、弟のイーサンは1957年9月21日に、ミネソタ州ミネアポリス郊外ので生まれた。父親のエドワードはミネソタ大学で経済学を、母親のレナはで美術史を教えていた。また、兄弟の上にデビィという姉がいる[1]

少年時代から兄弟は読書や映画鑑賞を趣味としていた。ジョエルが貯めたお金で8ミリ映画撮影用機材を購入し、近所で仲間を募って映画を撮り始めたこともあった。この頃製作した映画には、当時兄弟の好きだった映画のリメイクのほかに、ヘンリー・キッシンジャーを主人公にしたオリジナル作品も有ったという[1]

二人はマサチューセッツ州のを卒業。ジョエルはニューヨーク大学で映画製作を学ぶ。一方イーサンはプリンストン大学で哲学を学んだ。ニューヨーク大学を卒業後、ジョエルはアシスタントとして映画やミュージック・ビデオの製作現場で働くようになる。ジョエルは映画監督のサム・ライミと知り合い、彼が監督したホラー映画死霊のはらわた』(1981年)の編集助手となった[2]。その後もライミは、コーエン兄弟の友人として公私共に親密な交際を続けている。

映画製作者として

このころプリンストン大学を卒業したイーサンが、ジョエルの住むニューヨークを訪れてくる。兄弟は共同で脚本の執筆を開始、後にそれを彼ら自身の手で映画化した処女作『ブラッド・シンプル』(1984年)を発表する[2]。同作は低予算での製作ながら、完成度の高いスリラー映画として好評を博した。この作品で兄弟はインディペンデント・スピリット賞の監督賞を受賞し、一躍インディペンデント映画界で注目される存在となる。

その後兄弟はハリウッド大手スタジオの20世紀フォックスと契約する。そして20世紀フォックスからのバックアップを受けて『赤ちゃん泥棒』(1987年)、『ミラーズ・クロッシング』(1990年)、『バートン・フィンク』(1991年)といった話題作を次々に公開する。特に『バートン・フィンク』は同年度のカンヌ国際映画祭パルム・ドール監督賞男優賞の主要3部門を制覇、兄弟の国際的な知名度を向上させた。

ハリウッドスターを数多く起用し、巨額の製作費を掛けた『未来は今』(1994年)では興行的に惨敗を喫したものの、捲土重来を期した次作『ファーゴ』(1996年)は批評家たちに絶賛され、兄弟に初のアカデミー賞脚本賞)をもたらした。海外での評価も高く、この作品で兄弟は二度目のカンヌ国際映画祭監督賞を受賞している。『ファーゴ』は2014年からTVシリーズ『FARGO/ファーゴ』となり、兄弟が製作総指揮を務めている。『ビッグ・リボウスキ』(1998年)は公開当時は興行的にも批評的にも微妙な評価だったが、現在ではカルト映画として一部の熱狂的なファンから絶大な支持を受けている[3]

2000年代に入ってもコーエン兄弟は意欲的に作品を発表していく。ジョージ・クルーニー主演の『オー・ブラザー!』(2000年)は、映画のサウンドトラックが700万枚を超える売上[4] を挙げるという話題作となった。翌年の『バーバー』(2001年)では往年のフィルム・ノワールを髣髴させる白黒映画の製作に挑戦。『バートン・フィンク』『ファーゴ』に続き三度目のカンヌ国際映画祭監督賞を受賞した。『ディボース・ショウ』(2003年)、『レディ・キラーズ』(2004年)も興行的に成功を収め、批評家たちからの評価は高くとも一般受けはしないという兄弟に貼られたレッテルを返上する活躍を見せた。

ノーカントリー』(2007年)では作品賞を含むアカデミー賞4部門を受賞。批評家たちから『ファーゴ』に匹敵する傑作だと賞賛され、全世界で1億6000万ドルを上回る興行収入を挙げた[5]。翌年に公開された『バーン・アフター・リーディング』(2008年)も全米興行収入初登場1位という大ヒットを記録。2年後には『トゥルー・グリット』(2010年)で全世界興行収入が『ノーカントリー』を上回る、2億5千万ドルを記録し、コーエン兄弟のキャリアにおいて最大のヒット作となる。

その後も『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(2013年)で、第65回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞。2015年には第68回カンヌ国際映画祭の審査員長に就任。同映画祭では史上初となる兄弟揃っての審査員長となった。

映画製作

便宜上、『ディボース・ショウ』(2003年)までは監督・脚本にジョエル、脚本・製作にイーサンがそれぞれ別個にクレジットされてきたが、実際はどちらも兄弟の共同作業であり、『レディ・キラーズ』(2004年)からは監督・脚本・製作はすべて兄弟の連名となっている。また、コーエン兄弟はロデリック・ジェインズRoderick Jaynes)という変名で映画の編集作業も行っている[6]

特徴

コメディ色の強いスリラー映画、もしくはスリラー色の強いコメディ映画、特にユダヤ的な笑いを用いたものを得意としている。作品のテーマとして犯罪、特に誘拐恐喝を取り扱うことが多い。

脚本

基本的に兄弟が制作する映画は彼ら自身が書き上げた脚本に基づくものであるが、物語の大まかな枠組みとして既存の文学作品などからモチーフを借りてくることも多い。

特に兄弟のハードボイルド小説への傾倒は顕著である。『ミラーズ・クロッシング』はダシール・ハメットの『ガラスの鍵』や『血の収穫』を[7]、『ビッグ・リボウスキ』はレイモンド・チャンドラーの『大いなる眠り』を[8]、『バーバー』はジェームズ・M・ケインの『』や『郵便配達は二度ベルを鳴らす』をそれぞれ参考にしている[9]。『オー・ブラザー!』ではギリシャの古典叙事詩オデュッセイア』の翻案がなされた。

撮影

技術的な特徴としては、移動撮影や複雑なカット割りの多用が挙げられる[10]

撮影監督として処女作の『ブラッド・シンプル』から3作目の『ミラーズ・クロッシング』までをバリー・ソネンフェルドが、4作目の『バートン・フィンク』以降の『バーン・アフター・リーディング』と『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』を除く『ヘイル・シーザー!』までの作品をロジャー・ディーキンスがそれぞれ担当している。

配役

兄弟は彼らの制作映画にしばしば特定の俳優たちを起用することで知られる。スティーヴ・ブシェミフランシス・マクドーマンドジョン・ポリトジョン・タトゥーロジョン・グッドマンらが「コーエン組」として認知されている。しかし近年では兄弟が名声を得たことによる作品のビッグ・バジェット化に伴い、ジョージ・クルーニー等のスター俳優の起用が増え、彼らの出演機会は以前と比べ相対的に減少しつつある。

音楽

映画中の音楽はカーター・バーウェルが一貫して作曲している。

評価

兄弟はカンヌ国際映画祭の常連であり、『バートン・フィンク』(1991年)で同映画祭初の主要3部門(パルム・ドール、監督賞、男優賞)を制覇したのを皮切りに、『ファーゴ』(1996年)、『バーバー』(2001年)でも監督賞を、『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』(2013年)で審査員特別賞をそれぞれ受賞している。アカデミー賞では、『ファーゴ』(1996年)で脚本賞を受賞し、『ノーカントリー』(2007年)では作品賞や監督賞など、計4部門を受賞。名実ともに現代のアメリカ映画界を代表する巨匠として注目を集める存在である。

私生活

ジョエルは1984年に『ブラッド・シンプル』に主演したフランシス・マクドーマンドと、イーサンは1993年に『ミラーズ・クロッシング』の編集助手を担当したとそれぞれ結婚した。どちらの夫婦もニューヨーク在住である。

ジョエルは『ファーゴ』でアカデミー賞脚本賞を、妻のマクドーマンドはアカデミー賞主演女優賞をそれぞれ受賞している。2011年に兄弟でダン・デイヴィッド賞受賞。

作品

監督作品

その他

主な受賞

脚注

注釈

  1. ^ パリを舞台にしたオムニバス映画。コーエン兄弟は『テュイルリー』を担当。
  2. ^ 映画館をテーマにしたオムニバス映画。コーエン兄弟は『ワールド・シネマ』を担当(ただし、日本では権利の関係上『ワールド・シネマ』のみ未公開であり、同作のDVD及びCSでのテレビ放送の際においてもカットされている)。

出典

  1. ^ a b Russell p. 4
  2. ^ a b Russell p. 5
  3. ^ Finlo Rohrer、“Is The Big Lebowski a cultural milestone?”、BBC News Magazine、2008年10月10日。(参照:2009年4月4日)
  4. ^ Paul Grein、“Chart Watch Extra: Ropin' The Biggest Country Hits”、Yahoo! Music、2008年11月7日。(参照:2009年4月4日)
  5. ^ BOX OFFICE MOJO、“No Country for Old Men (2007)”(参照:2009年4月4日)
  6. ^ Jada Yuan、“Roderick Jaynes, Imaginary Oscar Nominee for ‘No Country’”、New York Magazine、2008年1月22日。(参照:2009年4月4日)
  7. ^ Russell p. 45
  8. ^ Production Notes(『ビッグ・リバウスキ』の製作秘話、ユニバーサル・ピクチャーズ版DVD収録)
  9. ^ Nev Pierce、“The Man Who Wasn't There (2001)”、BBC、2001年10月1日。(参照:2009年4月4日)
  10. ^ 百科事典『マイペディア』の「コーエン兄弟」の項目より。
  11. ^ G・クルーニーはセリフ忘れ、S・ヨハンソンは人魚姿に「ヘイル、シーザー!」予告”. 映画ナタリー (2016年2月10日). 2016年2月10日閲覧。

参考文献

  • Carolyn R. Russell (2001). The Films of Joel and Ethan Coen. Jefferson: McFarland & Company, Inc., Publishers. ISBN 0-7864-0973-8.

外部リンク

石井岳龍

石井 岳龍(いしい がくりゅう、1957年昭和32年〉1月15日[1] - )は、日本映画監督。改名前の石井 聰亙(いしい そうご)の名で広く知られている[2]

2006年から神戸芸術工科大学で教授として教鞭をとる[3][4]

略歴

福岡県福岡市出身[1]日本大学芸術学部中退[4]。1976年、大学入学直後、学生による自主映画グループ「狂映舎」を設立[3]。8mm映画デビュー作『高校大パニック』で注目を浴びる。1978年に同作を日活がリメイクした『高校大パニック』を澤田幸弘と共同監督するが、実質的には何もできなかったという[2]。1978年、『突撃!!博多愚連隊』がぴあフィルムフェスティバルに入選。同年の入選者に、森田芳光長崎俊一らがいる。

1980年、長編『狂い咲きサンダーロード』を劇場公開。インディーズ界の旗手として名前が挙がる[3]。1982年、自主映画活動の集大成的な作品『爆裂都市 BURST CITY』を発表。同年、長谷川和彦に誘われディレクターズ・カンパニーの設立に参加[5]。1984年、商業映画としては初の単独監督作『逆噴射家族』を発表。翌年のベルリン国際映画祭で注目され、イタリアの第8回サルソ映画祭でグランプリに輝く[2] など、国内のみならず海外でも高い評価を受ける[3]

また、自らがボーカルをつとめるバンド「石井聰亙&バチラス・アーミー・プロジェクト」で音楽活動も行い、自作映画『アジアの逆襲』の音楽を担当して、同題名のレコード・アルバムも発売した。

しかし『逆噴射家族』以後は約10年にわたって長編作品が作れない状態が続く。未完の企画として『GOD STONE』『虹のキリン』『箱男』などがある[6]。ウィリアム・ギブスンの映画化や『逆噴射家族』の英語リメイクなど、アメリカで撮影する企画もあったが実現していない[7]。その前後からジャパニーズパンクニュー・ウェイヴシーンと共闘した数々のミュージック・ビデオと実験的短編映画製作に打ち込む。1993年、WOWOWのオムニバスドラマ『TOKYO BLOOD』全4話を監督。

1994年、10年ぶりの劇場長編作品『』が公開。バーミンガム映画祭でグランプリを受賞。以後、『水の中の八月』(1995年)、『ユメノ銀河』(1997年・オスロ映画祭グランプリ)と作品を発表。続いて、時代劇とSFXを融合させた超大作『五条霊戦記』(2000年)が公開される。

21世紀に入ってからは、『ELECTRIC DRAGON 80000V』(2001年)、『DEAD END RUN』(2002年)を発表。2005年には、フルデジタル機材を使用して制作した『鏡心・3Dサウンド完全版』を発表、全国上映ツアーを行った。2006年、監督生活30周年を迎え、記念の初期作品集が発売された。

2010年1月17日、公式ブログで、今後は石井岳龍の名前ですべての活動、仕事を行うと発表[8]。改名については「聰亙」が漢字を間違えられることが多かったこと、初期の作品を集めたDVDが発売済みであること、『狂い咲きサンダーロード』に主演した山田辰夫が2009年7月に亡くなったことなどを理由に挙げている[2]

監督作品

映画

テレビドラマ

  • 私立探偵 濱マイク 第8話 「時よとまれ、君は美しい」(2002年、日本テレビ系)
  • ネオ・ウルトラQ 第1話「クォ・ヴァディス」、第4話「パンドラの穴」、第8話「思い出は惑星(ほし)を越えて」(2013年、WOWOW)

PV

DVD

  • 石井聰亙作品集DVD-BOX 1 ~PUNK YEARS 1976-1983~

出演

映画
CM

脚注・出典

  1. ^ a b 石井岳龍”. KINENOTE. 2015年12月6日閲覧。
  2. ^ a b c d 石井岳龍 (2012年2月16日). 【石井岳龍】映画界の“革命児”が名前を変えたワケ. インタビュアー:小張アキコ. zakzak.. https://www.zakzak.co.jp/people/news/20120216/peo1202160815000-n1.htm 2018年3月30日閲覧。 
  3. ^ a b c d 石井岳龍”. 映画.com. 2015年12月6日閲覧。
  4. ^ a b 石井 岳龍”. 神戸芸術工科大学. 2015年12月6日閲覧。
  5. ^ 「撮影現場訪問 逆噴射家族」『キネマ旬報』1984年4月下旬号、pp.138
  6. ^ 「石井聰亙作品集 DVD-BOX II ~PSYCHEDELIC YEARS~」ブックレット. トランスフォーマー 
  7. ^ インタビュー 石井聰亙(映画監督)”. 2020年11月15日閲覧。
  8. ^ 「芸名変えました。」(2010年1月17日付) - ISHII GAKURYU'S MOMENT BY MOMENT (公式ブログ)、2011年12月17日閲覧。
  9. ^ 神武団四郎 (2015年12月4日). “石井岳龍&笠松利通、『爆裂都市』を振り返る「皆、僕に死ねと思っていたんじゃないか」”. シネマトゥデイ. 2015年12月6日閲覧。
  10. ^ 石井岳龍 (2012年2月16日). INTERVIEW #40 新たな創作を模索して現状を変えていくしかない. インタビュアー:水上賢治. HogaHolic.. http://www.holic-mag.com/hogaholic/int/int40.html 2016年3月10日閲覧。 
  11. ^ 染谷将太VS綾野剛!石井岳龍監督最新作はアンダーグラウンドに生きる若者たちの青春ドラマ”. シネマトゥデイ (2015年3月5日). 2015年3月5日閲覧。
  12. ^ 二階堂ふみ「蜜のあわれ」主演で妖艶な金魚に!室生犀星原作を石井岳龍監督が映画化”. 映画.com (2015年7月8日). 2015年7月8日閲覧。
  13. ^ 二階堂ふみと石井岳龍、「蜜のあわれ」イベントで歌人・穂村弘から絶賛受ける”. 映画ナタリー (2016年3月2日). 2016年3月10日閲覧。
  14. ^ 綾野剛×宮藤官九郎×石井岳龍で町田康「パンク侍、斬られて候」映画化”. TVLIFE Web. 学研プラス (2018年2月8日). 2018年3月31日閲覧。

外部リンク


 

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