ポータルフィールドニュース

ポータルフィールドニュース

in ,

📺|「青天を衝け」冒頭5分で修羅場…千代に同情集まる


写真 第31回「栄一、最後の変身」より – (C)NHK

「青天を衝け」冒頭5分で修羅場…千代に同情集まる

 
内容をざっくり書くと
くには、大蔵省で働く栄一が大阪造幣局へ出張していたころ、三井組の三野村利左衛門( イッセー尾形 )が設けた宴席で働いていた女中。
 

17日に放送された大河ドラマ「青天を衝け」(NHK総合ほかにて放送)第31回の冒頭で、吉沢亮演じる主… →このまま続きを読む

 シネマトゥデイ


Wikipedia関連ワード

説明がないものはWikipediaに該当項目がありません。

三野村利左衛門

三野村 利左衛門(みのむら りざえもん、1821年12月4日文政4年11月10日) - 1877年明治10年)2月21日)は、幕末から明治時代初期に活躍した三井組の大番頭。元の名は利八。三井財閥の中興の祖。

略歴

文政4年(1821年)、庄内藩士、関口松三郎の次男として鶴岡にて出生。その後松三郎は、同酒井家中の木村家の養子となったが、文政10年(1827年)松三郎は木村家を出奔、浪人となり、父とともに諸国を流浪。

やがて天保10年(1839年)に江戸へ出る。その後深川の干鰯問屋奉公を経て小栗忠高中間(ちゅうげん)となる。

弘化2年(1845年)菜種油や砂糖を販売していた紀ノ国屋の美野川利八の養子となり、利八の名を継ぐ。その後地道に資金を蓄え、安政2年(1855年)には、両替株を買い両替商となった。

万延元年(1860年)には、旧知の小栗忠順からの小判吹替の情報を事前に得て、天保小判を買占め、巨利を得た。この事が利八の名が世間に知られるきっかけとなった。慶応2年(1866年)、三井家から勘定奉行小栗との伝を見込まれ、幕府から命ぜられた御用金50万両の減免交渉を任され、これを成功させる。その後は小栗の三井組大番頭に対する要請によって三井に勤めることとなり、小栗と三井の間のパイプ役として「通勤支配」(取締役)に任命され、三野村利左衛門と改名。

慶応4年(1868年)1月、小栗忠順が失脚すると幕府の命運を察し、新政府への資金援助を開始するよう三井組に働きかけ、動乱を乗り切ることに成功する。これには小栗本人の助言があったとする説もあるが、真偽は不明である。三野村はひらがなしか読めなかったとも言われるが、薩長と幕府のどちらの時代になってもいいように身を処した嗅覚があった。

1873年(明治6年)、小野組と共に第一国立銀行を設立。

1874年(明治7年)、小野組の破綻に伴った三井組の危機は聡い三野村にとって、地位確立のチャンスでもあった。三野村は三井組の内部改革の為に大隈重信大蔵卿より三井家に対しての諭書を下す措置を求め明治維新政府との繋がりを強め、三井組内部での権力を確立し、1876年(明治9年)の三井銀行設立に繋げていった。

1877年(明治10年)、胃癌のため死去。57歳没。

利左衛門没後は婿養子の三野村利助(1843-1901)が三井銀行の実質的経営者となり引き継いだ[1]

大正4年(1915年)、従五位を追贈された[2]

人物

  • 鳥羽・伏見の戦い後、江戸城における評定で新政府軍に対して交戦継続を主張して罷免された小栗忠順に対して、罷免後、身の危険が迫っていると察し、米国亡命を勧めたとされる(三野村に促がされたのでは無いが、元若年寄で小栗と共にの設立を推進した塚原昌義などは、身の危険を感じ、米国に亡命している)。
  • 戊辰戦争中、小栗忠順は捕縛され、処刑されたが、残された小栗の家族の世話をしたのは、かつての小栗家の奉公人であり、小栗に恩義を感じている三野村であった。三野村は日本橋浜町の別邸に小栗の家族を匿い、明治10年(1877年)に没するまで終生、小栗の家族の面倒を見続けた[3][4]。その間、小栗家は忠順の遺児・国子が成人するまで、駒井朝温の三男で忠道の弟である忠祥が継いだ。三野村利左衛門の没後も、三野村家が母子の面倒を見ていたが、明治18年(1885年)に道子が没すると、国子は親族である大隈重信に引き取られた。大隈の勧めにより矢野龍渓の弟・貞雄を婿に迎え、小栗家を再興した[5]

関連項目

登場作品

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 三野村利助(読み)みのむら りすけコトバンク
  2. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.39
  3. ^ 村松、富田、246-248頁
  4. ^ 村上、211、218-219頁
  5. ^ [1][2]
  6. ^ 物語はいよいよ明治時代へ!”. NHK (2021年8月11日). 2021年9月20日閲覧。


外部リンク

参考文献


造幣局 (日本)

独立行政法人造幣局(ぞうへいきょく、: Japan Mint)は、硬貨製造勲章褒章及び金属工芸品等の製造、地金鉱物の分析及び試験、貴金属地金の精製貴金属製品の品位証明(ホールマーク)などの事業を行う日本独立行政法人行政執行法人)。

職員の身分国家公務員である。なお、紙幣日本銀行券)の製造は行わず、これは独立行政法人国立印刷局で行われる。

概要

本局は大阪市北区天満に位置し、構内に造幣博物館がある。支局はさいたま市大宮区広島市佐伯区の2か所に位置する。

1871年の創設時(創設当時の名称は「造幣寮」)以来、工場内および近隣周辺に貨幣鋳造時の余剰発生ガスでガス灯を灯しており、当初は日本初のガス灯による街灯で見物人が多数訪れている。 1964年東京オリンピック1972年札幌オリンピック1998年長野オリンピックパラリンピック2020年東京オリンピックパラリンピックの金・銀・銅の各メダル名古屋城金鯱なども製作され、大阪造幣局とも俗称される。

沿革

明治新政府は1868年5月16日(慶応4年4月24日)に旧金座および銀座を接収し、6月11日(慶応4年4月21日)にを設けて二分判および一分銀などの鋳造を引き継がせている。1869年3月17日(明治2年2月5日)に貨幣司が廃止されて太政官に造幣局が設置され、8月15日(明治2年7月8日)に造幣局は造幣寮へ改称されて大蔵省所属となる。

1868年(慶応4年)に参与会計事務官三岡八郎、外国事務局判事五代才助らが同年に廃止されたイギリス帝国香港造幣局の造幣機械を6万で購入する契約を結び、11月1日(明治元年9月17日)に英国建築技師トーマス・ウォートルスが雇用され局舎設計および機器購入などを担当している。1869年にはオリエンタル・バンクとのあいだで貨幣鋳造条約が締結された。1870年3月3日(明治3年2月2日)に旧香港造幣局長トーマス・ウィリアム・キンダー(キンドル)が造幣寮首長に任命[4][5]されている。

大阪本局は1871年1月17日(明治3年11月27日)に銀貨製造を開始し、4月4日(明治4年2月15日)に大蔵省造幣寮として創業式を挙行している。6月27日(明治4年5月10日)に新貨条例および造幣規則布告がされて近代的貨幣制度が開始される。

1875年明治8年)1月31日限りでキンドルらお雇い外国人10人を解雇して寮務全般が改革され、試験分析局のディロンおよび冶金室のウィリアム・ゴーランドに造幣頭の顧問役を兼任させている。

1877年(明治10年)1月11日に造幣局へ改称される。

1879年(明治12年)9月16日に大蔵省内で東京出張所が開設され貨幣製造のための地金受け入れ業務を開始する。1889年(明治22年)大阪本局の土地の一部が宮内省(現・宮内庁)の所管へ移され、その後三菱合資会社(現三菱マテリアル)へ払い下げられる。東京支局は1907年(明治40年)5月17日に廃止されるが、1929年昭和4年)7月1日に東京市麹町区内幸町へ東京出張所が再設され、1939年(昭和14年)11月20日に豊島区西巣鴨へ移転し、1943年(昭和18年)9月1日に造幣局東京支局へ改称され、1945年(昭和20年)4月13日に空襲で全焼し事業を停止している。同年6月7日に大阪本局も空襲で被災し工場の一部を焼失している。

1945年(昭和20年)2月1日に広島県佐伯郡五日市町へ造幣局広島支局が開設される。8月6日に広島市への原子爆弾投下により被災するが、1946年(昭和21年)1月15日に貨幣製造を再開し、同月に東京支局も貨幣製造を再開している。

1949年(昭和24年)6月1日に大蔵省の外局であり、長官を長とする造幣庁となる。

1952年(昭和27年)8月1日に大蔵省の附属機関である造幣局となる。

国家行政組織法の改正により、1984年(昭和59年)7月1日に位置づけが、大蔵省特別の機関となる。

2003年(平成15年)4月1日に独立行政法人化された。

2012年(平成24年)9月、東京支局がさいたま市さいたま新都心隣接地(三菱マテリアル所有地を取得)へ移転することを発表[6]2016年(平成28年)10月3日に移転開局すると共に、さいたま支局に改称された。

硬貨製造量

年銘別貨幣製造枚数[7]による。

年銘別製造枚数
年銘一円硬貨五円硬貨十円硬貨五十円硬貨百円硬貨五百円硬貨合計
1948年(昭和23年)[8]74,520[9]74,520
1949年(昭和24年)[8]291,588[10]291,588
1950年(昭和25年)[8]181,824[11]181,824
1951年(昭和26年)197,980101,068[12][13]299,048
1952年(昭和27年)55,000486,632541,632
1953年(昭和28年)45,000466,300511,300
1954年(昭和29年)0520,900520,900
1955年(昭和30年)381,700[14]0123,10063,700[15]568,500
1956年(昭和31年)500,9000091,300592,200
1957年(昭和32年)492,00010,00050,00039,00030,000[16]621,000
1958年(昭和33年)374,90050,00025,00018,00070,000537,900
1959年(昭和34年)208,60033,000[17]62,400[18]23,900[19]110,000[20]437,900
1960年(昭和35年)300,00034,800225,9006,00050,000616,700
1961年(昭和36年)432,40061,000229,90016,00015,000754,300
1962年(昭和37年)572,000126,700284,20050,30001,033,200
1963年(昭和38年)788,700171,800411,30055,00045,0001,471,800
1964年(昭和39年)1,665,100379,700479,20069,20010,0002,603,200
1965年(昭和40年)1,743,256384,200387,600189,30062,5002,766,856
1966年(昭和41年)807,344163,100395,900171,50097,5001,635,344
1967年(昭和42年)220,60026,000158,900238,400[21]432,200[22]1,076,100
1968年(昭和43年)0114,000363,600200,000471,0001,148,600
1969年(昭和44年)184,700240,000414,800210,900323,7001,374,100
1970年(昭和45年)556,400340,000382,700269,800237,1001,786,000
1971年(昭和46年)904,950362,050610,05080,950481,0502,439,050
1972年(昭和47年)1,274,950562,950634,950138,980468,9503,080,780
1973年(昭和48年)1,470,000745,0001,345,000200,970680,0004,440,970
1974年(昭和49年)1,750,000950,0001,780,000470,000660,0005,610,000
1975年(昭和50年)1,656,150970,0001,280,260238,120437,1604,581,690
1976年(昭和51年)928,850200,0001,369,740241,880322,8403,063,310
1977年(昭和52年)895,000340,0001,467,000176,000440,0003,318,000
1978年(昭和53年)864,000318,0001,435,000234,000292,0003,143,000
1979年(昭和54年)1,015,000317,0001,207,000110,000382,0003,031,000
1980年(昭和55年)1,145,000385,0001,127,00051,000588,0003,296,000
1981年(昭和56年)1,206,00095,0001,369,000179,000348,0003,197,000
1982年(昭和57年)1,017,000455,000890,00030,000110,000300,000[23]2,802,000
1983年(昭和58年)1,086,000410,000870,00030,00050,000240,0002,686,000
1984年(昭和59年)981,850202,850533,85029,85041,850342,8502,133,100
1985年(昭和60年)837,150153,150335,15010,15058,15097,1501,490,900
1986年(昭和61年)417,960113,96068,9609,96099,96049,960760,760
1987年(昭和62年)955,775631,775165,775775[24]193,7752,7751,950,650
1988年(昭和63年)1,269,042396,120618,112109,112363,112148,2182,903,716
1989年(昭和64年)116,10067,33274,6920016,042274,166
1989年(平成元年)2,366,970960,660666,308245,000369,000192,8524,800,790
1990年(平成2年)2,768,953520,953754,953274,953444,953159,9534,924,718
1991年(平成3年)2,301,120517,120632,120209,120375,120170,1204,204,720
1992年(平成4年)1,299,130301,130538,13049,130211,13088,1302,486,780
1993年(平成5年)1,261,240413,240249,24051,24082,240132,2402,189,440
1994年(平成6年)1,040,767197,767190,76765,76781,767105,7721,682,607
1995年(平成7年)1,041,874351,874248,874111,87492,874182,8692,030,239
1996年(平成8年)942,213207,213546,21382,213237,21399,2132,114,278
1997年(平成9年)783,086239,086491,086150,086272,086173,0902,108,520
1998年(平成10年)452,612172,612410,612100,612252,612214,6081,603,668
1999年(平成11年)67,12060,120359,12059,120179,120165,120889,720
2000年(平成12年)12,0269,030315,0267,026172,026595,969[25]1,111,103
2001年(平成13年)8,02478,025542,0248,0248,024608,0511,252,172
2002年(平成14年)9,667143,662455,66711,66710,667504,6611,135,991
2003年(平成15年)117,406102,406551,40610,40698,406438,4051,318,435
2004年(平成16年)52,90370,903592,9039,903204,903356,9031,288,418
2005年(平成17年)30,02916,029504,02910,029300,029345,0301,205,175
2006年(平成18年)129,5949,594440,59410,594216,594381,5931,188,563
2007年(平成19年)223,9049,904388,9049,904129,904409,9031,172,423
2008年(平成20年)134,8119,811362,8118,81193,811432,8111,042,866
2009年(平成21年)48,0034,003338,0035,003115,003343,003853,018
2010年(平成22年)7,905510[24]328,905510[24]67,905406,905812,640
2011年(平成23年)456[24]456[24]255,936456[24]178,936301,936738,176
2012年(平成24年)659[24]659[24]279,211659[24]402,211267,211950,610
2013年(平成25年)554[24]554[24]100,892554[24]608,892137,892849,338
2014年(平成26年)124,01387,538171,0137,538445,013167,0131,002,128
2015年(平成27年)82,004105,004203,00447,004410,004143,004990,024
2016年(平成28年)574[24]35,064198,06446,064461,064221,064961,894
2017年(平成29年)477[24]33,927124,92720,927518,927426,3271,125,512
2018年(平成30年)440[24]17,960178,96056,960567,960286,1921,108,472
2019年(平成31年)566[24]16,946197,5941,118302,006126,164644,394
2019年(令和元年)502[24]20,574137,02642,50258,61476,956336,174
2020年(令和2年)528[24]29,528276,42858,428453,428143,928962,268
単位千枚、端数は四捨五入。記念貨幣は含まず。

外国硬貨の製造

保有する高度な通貨偽造防止技術を活かし、諸外国の通貨・記念硬貨やメダル製造も手掛けている。

戦前は、1901年(明治34年)2月20日に台湾銀行兌換券の引換基金として日本一円銀貨踏襲の「台湾銀行兌換引換用圓銀」製造を請け、1905年(明治38年)4月8日に韓国金貨銀貨銅貨[4]製造を請け、1916年(大正5年)2月9日にロシア15カペイカおよび10カペーク銀貨[5]製造を契約している。

近年は、スリランカニュージーランドの記念硬貨[26]や、2012年(平成24年)11月に戦後初の外国一般流通貨幣製造[27]となるバングラデシュステンレス製2タカ貨幣5億枚を5億2千万円で落札し受注[28]するなど、電子マネー普及などの貨幣流通量減少による余剰設備活用と技術力維持のため外国からの貨幣製造[29]に注力している。

日本の民間向け事業

試験検定事業

貴金属製品の品位証明、地金・鉱物の分析、貴金属地金の精製など、造幣で培った技術を利用した企業・個人向けの事業を有償で行っている。

勲章

造幣局では勲章に関して製造以外にも、受章者が勲章を紛失・破損した場合、内閣府賞勲局から発行される「勲章調製通知書」や「勲章修理通知書」を提示すれば自費で修理・調製が出来る[30]。また受章者向けに、本勲章の代わりに左胸に着用する略小勲章も販売している[31]

国の勲章以外にも、地方自治体の功労賞メダルなど金属工芸品の製造も受注している[32]

土産品

造幣局内売店の土産品「造幣せんべい」は、神戸亀井堂総本店が製造して煎餅両面に1円 - 500円硬貨の図案が焼かれ、造幣局の他財務省内売店でも販売し、旧・東京支局が豊島区に所在した縁で2004年(平成16年)に豊島区選定名品・名産品となる。桜の通り抜け期間中に順路沿い特設売店での販売時期もあるが、現在京阪シティモール地下入口前で販売している。

歴代局長・理事長等

氏名在任期間前職後職
大蔵省造幣局長
松田篤之1990.6.29 - 1991.6.11大蔵省理財局次長(国有財産担当)退職 
田中寿1991.6.11 - 1992.7.20大蔵省理財局次長(国有財産担当)退職 
吉本修二1992.7.20 - 1993.6.25大蔵省理財局次長(国有財産担当)
→大蔵省大臣官房
退職 
井坂武彦1993.6.25 - 1994.6.15大蔵省大臣官房金融検査部長退職 
西方俊平1994.7.1 - 1995.5.26大蔵省大臣官房審議官証券局担当)
関東財務局東京証券取引所監理官
退職 
花野昭男1995.5.26 - 1996.7.12大蔵省大臣官房審議官(銀行局担当)退職 
志田康雄1996.7.12 - 1997.7.15国土庁長官官房審議官退職 
戸恒東人1997.7.15 - 1998.7.1大蔵省理財局次長(国有財産担当)退職
堀田隆夫1998.7.1 - 1999.7.8大蔵省証券取引等監視委員会事務局長退職
山本晃1999.7.8 - 2000.6.30大蔵省大臣官房審議官(金融企画局担当)退職
筑紫勝麿2000.6.30 - 2001.1.6大蔵省大臣官房審議官(関税局担当)財務省造幣局長
財務省造幣局長
1筑紫勝麿2001.4.1 - 2003.3.31大蔵省造幣局長退職
独立行政法人造幣局理事長
1西村篤夫2003.4.1 - 2008.7.18元・国際復興開発銀行理事(1992.6退職)
東京証券取引所常務
退職
2新原芳明2008.7.18 - 2015.4.1元・金融庁証券取引等監視委員会事務局長(2004.7.2退職)
一般社団法人信託協会専務理事
退職
3百嶋計2015.4.1 - 2018.4.1造幣局理事退職
4川嶋真2018.4.1 - 2021.4.1財務省大臣官房参事官
兼大臣官房審議官(大臣官房担当)
退職
5山名規雄2021.4.1 -財務省大臣官房審議官(大臣官房担当)

桜並木一般公開

大阪本局

大阪本局にはカンザンフゲンゾウなどの遅咲きのヤエザクラを中心に137品種336本(2021年(令和3年)時点)のサクラが植栽されており、日本さくら名所100選に選定されている。毎年4月中旬のヤエザクラの開花時期の7日間に敷地内の一部が花見客に一般公開される「桜の通り抜け」が行われており、多品種のサクラを見ることができる春の伝統行事となっており、夜間照明により日没後も夜桜鑑賞ができる[33][34]

大阪市北区の大川沿いに位置する本局は藤堂家大坂屋敷の敷地を明治期に再整備して開業した経緯があり、その際、同家の敷地に植栽されていた樹木約120品種、約400本も造幣局へ引き継がれて大川の川岸通りに移植され、造幣局敷地内には1870年(明治3年)以降に新たに桜の若木が並木として植えられた。

1883年(明治16年)に当時の造幣局長遠藤謹助が「役人だけが花見をしていてはいけない」と桜並木の一般公開を始めたのが「桜の通り抜け」の始まりであり「桜の通り抜け」の呼称は1907年(明治40年)ごろに定着した。1943年(昭和18年)から1946年(昭和21年)までは太平洋戦争による被災で中止され、大阪大空襲では多くの桜を焼失したが、戦後に職員らの蒐集により多品種の桜並木が復元された。

1967年(昭和42年)に観客の1人が転倒したことから将棋倒しとなり、女性1人が死亡し27人が負傷。これを切っ掛けとして、1968年(昭和43年)から川崎橋方向の南側ゲートから入場し桜宮橋方向の北側ゲートへ抜ける一方通行となった。1975年(昭和50年)からは毎年一品種が「今年の花」として紹介されるようになり[34]、また「通り抜け記念メダル」の販売も始まった[35]

平成23年(2011年)は東日本大震災に際する電力危機により内外からの開催反対意見があったが、夜桜ライトアップを取り止めて昼間のみ開催され、開催7日間で1000万円余が募金された[36]

2020年(令和2年)は新型コロナウイルス感染症の流行の影響を受け中止が発表された[37]。また、2021年(令和3年)は、防疫・拡大防止のため事前にはがきによる抽選申し込みに当選した方を対象として、1日当たり8400人(週末は9600人)、かつ、1時間当たり1200人を上限として、申込者に曜日と時間(午前・午後。1時間単位の入場指定については主催者で決定)を指定した入場を受け付けたうえで[38]4月8日~14日に開催する予定になっていたが、変異種などによるコロナウィルス第4波の影響が広がっていること、また日本国政府が大阪市に対して、「蔓延防止等重点措置」を4月6日~5月5日(予定)に適用することを決めたことを踏まえ、「来場者の感染を防ぐため」に同年の開催も見合わせることが決まった[39]

観桜者数第1位は、2005年(平成17年)の114万7000人、第2位は1959年(昭和34年)の106万1780人[34]

支局

1967年(昭和42年)に大阪から桜が移植された広島支局でも、1991年(平成3年)以降、毎年ヤエザクラの開花時期に「花のまわりみち」として一般開放されている。広島支局の桜は60品種220本である[40]。2020年(令和2年)は新型コロナウイルス感染症の流行の影響を受け中止が発表された[37]

2016年(平成28年)に東京支局から移転して開局したさいたま支局では、敷地内(博物館棟の北側)に200mほどに渡り、ヤエザクラ約20種類、約100本の若木が植えられており、将来的には開花時期に一般開放を予定している。

拠点

530-0043 大阪府大阪市北区天満1丁目1番79号北緯34度41分48.6秒 東経135度31分16.3秒 / 北緯34.696833度 東経135.521194度 / 34.696833; 135.521194 (大阪本局)
330-0835 埼玉県さいたま市大宮区北袋町1丁目190番22号北緯35度53分37.7秒 東経139度38分25.5秒 / 北緯35.893806度 東経139.640417度 / 35.893806; 139.640417 (さいたま支局)
731-5128 広島県広島市佐伯区五日市中央6丁目3番1号北緯34度22分40.6秒 東経132度21分26.8秒 / 北緯34.377944度 東経132.357444度 / 34.377944; 132.357444 (広島支局)

交通アクセス

文化財

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 平成20年度 決算報告書PDFファイル:16.3KB) 上位URL=平成20年度 財務諸表等 独立行政法人造幣局、2020年(令和2年)11月5日閲覧
  2. ^ 独立行政法人造幣局 役員一覧(2020年(令和2年)10月1日現在、2020年(令和2年)11月5日閲覧。)
  3. ^ 人事異動 令和3年4月1日発令”. 財務省 (2021年4月1日). 2021年4月2日閲覧。
  4. ^ a b 『造幣局六十年史』 大蔵省造幣局、1931年(昭和6年)
  5. ^ a b 『造幣局百年史(資料編)』 大蔵省造幣局、1974年(昭和49年)
  6. ^ さいたま新都心 開発再び 造幣局東京支局が移転方針 - 日本経済新聞、2012年(平成24年)9月26日、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
  7. ^ 貨幣に関するデータ - 独立行政法人造幣局、2021年(令和3年)2月27日閲覧。
  8. ^ a b c この年には一円黄銅貨が製造・発行されたが、小額通貨整理法により通用が停止されたため、製造枚数は掲載していない。
  9. ^ 無孔黄銅貨。
  10. ^ うち無孔黄銅貨179,692、有孔楷書体黄銅貨(愛称:フデ五)111,896。この年より有孔楷書体黄銅貨製造開始。
  11. ^ この年には十円洋銀貨が製造されたが、発行されなかったため、製造枚数は掲載していない。
  12. ^ この年よりギザ付き青銅貨(愛称:ギザ十)。
  13. ^ この年にはギザ付き十円青銅貨が製造される前に十円洋銀貨が製造されたが、十円洋銀貨は発行されなかったため、十円洋銀貨分の製造枚数は含まれていない。
  14. ^ この年よりアルミ貨。
  15. ^ この年より無孔ニッケル貨。
  16. ^ この年より鳳凰銀貨。
  17. ^ この年より有孔ゴシック体黄銅貨。
  18. ^ この年よりギザ無し青銅貨。
  19. ^ この年より有孔ニッケル貨。
  20. ^ この年より稲穂銀貨。
  21. ^ この年より白銅貨。
  22. ^ この年より白銅貨。
  23. ^ この年より白銅貨。
  24. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 全て造幣局販売の貨幣セット(ミントセット)に組み込まれており、一般流通用は存在しない。
  25. ^ この年よりニッケル黄銅貨。
  26. ^ 財務省・造幣局、バングラデシュ貨幣の製造受注 - 日本経済新聞、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
  27. ^ バングラデシュ中央銀行から2タカ貨幣の製造を受注しました(2012年11月13日) - 造幣局プレスリリース、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
  28. ^ 造幣局、バングラデシュ貨幣製造を受注 海外進出重視へ [リンク切れ] - 朝日新聞、2012年(平成24年)11月13日、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
  29. ^ 財務省・造幣局、バングラデシュ貨幣の製造受注 - 日本経済新聞、2012年(平成24年)11月13日、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
  30. ^ 内閣府賞勲局 (2011年). “東日本大震災によって勲章等を紛失された方へ”. 2020年11月5日閲覧。
  31. ^ 独立行政法人 造幣局 : 略小勲章 - 2020年(令和2年)11月5日閲覧。
  32. ^ 独立行政法人 造幣局 : 金属工芸品の種類 - 2020年(令和2年)11月5日閲覧。
  33. ^ 桜の通り抜け(大阪) - 造幣局公式サイト、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
  34. ^ a b c 桜の通り抜けのデータ - 造幣局公式サイト、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
  35. ^ 「通り抜けの桜」造幣局泉友会、創元社、1985年(昭和60年)、p78
  36. ^ 桜の通り抜けにおける募金について(報告)~来場者の皆様及び被災地の皆様へ~ - 造幣局サイト トピックス 2011年(平成23年)4月25日、2020年(令和2年)11月5日閲覧。
  37. ^ a b 独立行政法人造幣局 (2020年2月28日). “「桜の通り抜け」及び「花のまわりみち」の開催の中止について”. 2020年11月5日閲覧。
  38. ^ 独立行政法人造幣局 (2020年12月8日). “「令和3年桜の通り抜け」開催のお知らせ(2020年12月8日)”. 2021年4月5日閲覧。
  39. ^ 毎日新聞 (2021年4月3日). “造幣局桜の通り抜け、今年も中止 大阪市「まん延防止」適用で”. 2021年4月5日閲覧。
  40. ^ 花のまわりみちの沿革 - 造幣局、2020年(令和2年)11月5日閲覧。

関連項目

外部リンク


 

Back to Top
Close