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🎥|今夜のコナン、探偵事務所に夫を捜す女性が…「二つの素顔(前編)」


写真 名探偵コナン「二つの素顔(前編)」より – (C) 青山剛昌/小学館・読売テレビ・TMS 1996

今夜のコナン、探偵事務所に夫を捜す女性が…「二つの素顔(前編)」

 
内容をざっくり書くと
原作は週刊少年サンデーで連載中の 青山剛昌 による人気コミック。
 

テレビアニメ「名探偵コナン」(読売テレビ・日本テレビ系、毎週土曜よる6時放送)の10月24日の放送回… →このまま続きを読む

 シネマトゥデイ


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週刊少年サンデー

週刊少年サンデー』(しゅうかんしょうねんサンデー、: WEEKLY SHONEN SUNDAY)は、小学館が発行する日本週刊少年漫画雑誌1959年に創刊。略称は 「サンデー」など。

概要

1959年(昭和34年)3月17日に、同年4月5日号として創刊。「サンデー」という誌名は「この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるように」という初代編集長豊田亀市が名付けた[1]。当初は毎週火曜日の発売だったが、2019年現在は、毎週水曜日に発行されている。マスコットキャラクターはナマズで、『ビッグコミック』系列誌のものとは異なり、本誌ではイナズママーク入りのヘルメットを被っている。「澱んだ池の底でも辛抱していればそのうち大きくなる」というハングリー精神を表している[2]

企画立ち上げ時のスタッフの中核が学年誌の編集者ということから、創刊前には「小学館の新児童誌」と宣伝され、実際、創刊から10年近くの間、学年誌の延長線上にあり[注 1]、読み物や付録などが充実していた。1960年代半ばにはSFに力を入れ、当時気鋭の若手筒井康隆が小説の連載を行なっていたこともあった。

1960年代にシリアスな漫画で問題を起こすことが多かった一方、比較的ライトな内容のギャグ漫画やコメディ・タッチの漫画にヒット作が多かったことから、俗に「ギャグのサンデー」と呼ばれることになった。1980年代初頭には「ラブコメ」や「パロディ」も加わり、この様な軽快さは雑誌の大きな気風として現在も続いている。とは言い、1980年代半ばにはギャグ漫画家(パロディ組)が飽和状態になり、サンデー出身作家の『月刊少年キャプテン』(徳間書店)など他誌への鞍替えが目立った時期もあった。

担当編集者を介したつながりや誌上企画などに端を発した、師弟関係以外の漫画家間の交流(サンデー内のみではなく、小学館関係の雑誌も含め)が比較的盛んで、中でも1980年代から1990年代初頭の島本和彦を中心としたグループ、1990年代半ばの藤田和日郎を中心としたグループが有名である。1985年に通巻1500号の記念企画としてレコード「WINGS OF FREEDOM」が制作された際には、当時の連載陣の一部が歌を披露している。

伝統的に、掲載作品については編集部が企画段階から関与し、その意向が作品の方向性に少なからぬ影響を及ぼす。また、長期連載となるには読者からの作品人気が必要で、雑誌付属のアンケート葉書などのリサーチの結果が編集方針や作品の内容・存続に影響を及ぼすことに、競合他誌と違いはない。しかし、創刊時からの競合誌『週刊少年マガジン』と比べれば編集部主導という姿勢がそこまで色濃いわけでもなく、かといって後発誌『週刊少年ジャンプ』『週刊少年チャンピオン』ほどに読者アンケート人気の結果データに極端に偏重したスタイルでもないため、これら競合誌と比較した場合、編集部との折り合いさえ付けば、あとは漫画家が自身の描きたい方向性を自由に打ち出せる傾向がある(そのせいか、他誌のように作品の方向性がテコ入れによって突然、大きく変質してしまうケースが比較的少ない)。

2018年現在の発行部数は、週刊少年漫画誌としては『週刊少年ジャンプ』(集英社)、『週刊少年マガジン』(講談社)に続いて業界3位に位置する[3]

歴史

1959年創刊 - 1960年代

1958年、学年誌編集部の次長だった豊田亀市が、テレビ時代の到来と1950年代半ばから続いていた週刊誌ブームを受けて、漫画を中心に据えた少年週刊誌の発行を社長の相賀徹夫に働き掛け、『週刊少年サンデー』の創刊が決まる。当初は1959年5月5日の発行を予定して諸準備に取り掛かっていたが、『ぼくら』『少年倶楽部』などの月刊少年誌を持つ講談社も週刊誌ブームを受けて『週刊少年マガジン』の創刊準備を始めたことから、徐々に創刊日が繰り上がり、結局ともに1959年3月17日に創刊した。創刊号のラインアップは手塚治虫『』、横山隆一『宇宙少年トンダー』、寺田ヒロオ『』、 藤子不二雄海の王子』、益子かつみ『南蛮小天狗』で、創刊号の表紙に読売巨人軍長嶋茂雄を起用。巻末には児童心理学者波多野勤子が祝辞を寄せている。

両誌の価格はサンデーが30円、マガジンが40円で、豊田が「もしサンデーがマガジンと同じ値段だったとしたら、マガジンの付録の分お得感で負けてしまう」と判断した事から、両誌の契約している印刷所がともに大日本印刷だったこともあり、「マガジンが刷り始めるのを確認してからサンデーの値段を入れて刷る」という機密漏洩的後だしジャンケンのような裏技を使っている。創刊号の売上げはサンデーが30万部で、マガジンが20.5万部でサンデー側に軍配が上がり[4]、マガジンも5号から30円に値下げした。これ以降もお互い張り合って雑誌の総ページ数を増やしていった。1960年代半ばにはW3事件(『W3』をマガジンからサンデーに移籍)、1960年代末には『天才バカボン』のマガジンからサンデーへの移籍が起きるなど、その後もライバル間の争いは続いた。

1960年代のヒット作には、横山光輝伊賀の影丸』(1961年)、赤塚不二夫おそ松くん』(1962年)、藤子不二雄オバケのQ太郎』(1964年)、藤子・F・不二雄パーマン』(1966年)、横山光輝『ジャイアントロボ』(1967年)、手塚治虫『どろろ』(1967年)、赤塚不二夫『もーれつア太郎』(1967年)などがある。

1960年代半ばからマガジンが劇画路線・スポ根路線を開拓して、創刊当初の主要読者層(戦後のベビーブーム世代)を離さなかったのに対して、サンデーは少年向けの漫画にこだわった。毎週土曜日に編集部を子供達に開放し、漫画需要を探るという作戦を取り、当時立ち上げを企画していた『週刊少年ジャンプ』(集英社)編集部の協力要請に「一ツ橋に少年向けの漫画雑誌は二つもいらない」と協力を拒否する一方で、青年向けの漫画雑誌『ビッグコミック』(1968年、創刊当初「一流の漫画家しか起用しない」というのをウリのひとつにしていた)を創刊するなどして対応していた。

1960年代末になると、「右手に朝日ジャーナル、左手にマガジン」の学生運動の時代が訪れ、学生の他にアングラ・カルチャー層からの支持を得たマガジンが発行部数を伸ばし、一気に追い抜かれることになった。この時期、園田光慶の『あかつき戦闘隊』(1968年)の懸賞問題の影響で、隆盛を誇っていた戦記モノが激減した。

1970年代

『週刊少年マガジン』との争いの敗北を受けて、追随する形で青年向け雑誌(マガジンとは異なり、スタイリッシュな路線を目指した)への方向転換を図り、1970年21号から1年間広告製作プロダクションサン・アドに表紙の製作を受注。「傑作アイデアシリーズ」と称した、昆虫をダイナミックにレイアウトした「怪虫シリーズ」を皮切りに、トイレの便器、マネキン、スキンヘッド、マッチ箱、オール手書きイラスト、編集部宛の投書など表紙としての定義さえも破壊した表紙が次々と登場した。この時期の主な連載にジョージ秋山銭ゲバ』(1970年)、古谷三敏ダメおやじ』(1970年)、赤塚不二夫『レッツラゴン』(1971年)などがある。それらが沈静化した1972年頃からは『月光仮面』、『赤胴鈴之助』などの旧作のアニメ化に伴った漫画連載を展開し、当時作品に馴染んでいた親層の取り込みを図る一方で、『人造人間キカイダー』(1972年)、『ウルトラマンタロウ』(1973年)、『がんばれ!!ロボコン』(1974年)、『ゲッターロボ』(1974年)などの特撮・SFアニメ作品のコミカライズを大挙掲載し、新規子供層を押えようとするなど、「親と子が安心して読める」誌面の展開を目指した。

しかし、サンデー、マガジンともすでに青年(あるいはそれ以上)向け雑誌に転じていたため、本来の読者層であるはずの少年の多くが『週刊少年ジャンプ』に流れることになり、1973年にはサンデー、マガジンともに発行部数で追い抜かれることになり、再び少年向けに方向転換(ただし、一部の劇画は残った)。

当時の小学館は路線転換の煽りで離れつつあった少年読者層の再度獲得を目指すべく、まず1974年6月に単行本レーベルの「少年サンデーコミックス」(「漂流教室」などが第一弾として刊行)を立ち上げ、続いてサンデーから特撮・SFアニメ作品の部分を引き継いだ『てれびくん』(1976年)、児童向けの『コロコロコミック』(1977年)、学年誌とサンデーの中間の『マンガくん』(1976年)(1979年に『少年ビッグコミック』に改称)、新人作家育成のための『週刊少年サンデー増刊号』(1978年)など次々と新雑誌を創刊。

この時期は『週刊少年チャンピオン』の大躍進の影響もあり、発行部数が低迷、第4位になっていた。1977年には編集長が交代し、ビッグコミック系誌から持ち込まれ、現在もサンデーを象徴するイメージキャラクターのヘルメットを被ったナマズが初登場。また1976年から5年間1年ごとに誌名ロゴを変更する体制をとった。

1970年代中期から後期にかけては小山ゆうがんばれ元気』(1976年)、楳図かずおまことちゃん』(1976年)、村上もとか赤いペガサス』(1977年)などがヒットしているが、雁屋哲/池上遼一男組』(1974年)、さいとう・たかをサバイバル』(1976年)、林律雄/大島やすいちおやこ刑事』(1976年)などの劇画のインパクトが強く、硬派でかつ重い雑誌と取られがちだった。1980年前後には、『週刊少年チャンピオン』の部数激減の影響もあり、発行部数が『週刊少年ジャンプ』に次ぐ第2位になった。

1980年代

1980年代に入ると、劇画村塾出身の高橋留美子の『うる星やつら』(1978年)と、『少年ビッグコミック』で『みゆき』をヒットさせていたあだち充の『タッチ』(1981年)のヒットでラブコメブーム(学園もの、青春もの)を巻き起こし、部数を大きく伸ばして、1983年には最高発行部数の228万部を記録するなど黄金期を迎えた(ちなみに、この記録は現在でも破られていない)。そのため、当時発行部数で首位に立っていた『週刊少年ジャンプ』編集部は猛追を恐れ、「友情・努力・勝利」を「友情・勝利・愛」に変えようとした程であった(ただし、これはその直後の『北斗の拳』の大ヒットと、これに伴う発行部数の急激な上昇によって回避された)。高橋とあだちはその後もサンデーに連載を続け、一時期[5]を除くと、2018年3・4合併号まで「サンデーに両者あるいは一方の作品が掲載される」状態が続いた。

また、この時期から増刊組が台頭し、島本和彦の『炎の転校生』(1983年)、ゆうきまさみの『究極超人あ〜る』(1985年)などの特撮のパロディが話題になり、いずれもヒットした。なお、本誌から連載の依頼があっても増刊で描くのが好きだからと断るみず谷なおき[6]のような漫画家もいた。

1985年に誌名ロゴを固定化し、その頃から、RCサクセションを筆頭にBARBEE BOYS爆風スランプなどのロックバンド、あるいはウィラードやガスタンクなどのパンク・ハードコア系のバンドの盛り上がり(第1次バンドブーム)にインスピレーションを受けた石渡治の『B・B』(1985年)、上條淳士の『To-y』(1985年)などの、音楽的かつ青年誌的な漫画が増えた。

1985年中盤に新谷かおるふたり鷹』が、1986年末に『タッチ』が、1987年初頭に『うる星やつら』が終了したのを皮切りに、それまでのサンデーを支えていた作品の多くが完結し、1980年代前半の勢いが止まる。その後、高橋留美子の『らんま1/2』(1987年)、ゆうきまさみの『機動警察パトレイバー』(1988年)、青山剛昌の『まじっく快斗』(1987年~、不定期連載)・『YAIBA』(1988年)などがヒットするものの、続くヒット作がなかなか出ずに部数が大きく落ち込み、1987年頃にはマガジンに発行部数を追い抜かれた。

1988年から1991年にかけて連載数を増加させ、他社からのギャグ漫画家などの引き抜きや、石ノ森章太郎楳図かずおら大御所の再登用、漫画家インタビューコラム「オレのまんが道」の連載、既存の枠にとらわれない増刊『サンデーspecial』の発行、プロ・アマチュアを問わずに連載用の第1話を公募して誌面に掲載、読者の人気が高かったものを連載化する「コミックグランプリ」の実施、たま(1990年14号)やX(1990年35号)といったロックバンドのカラーグラビア掲載などの実験的な試みを数多く行った。この時期は雑誌および編集部に混乱が続いていて、小山ゆうの『少年』(1989年)の不自然な打ち切り、柳沢きみおの『ウエルカム』(1990年)の打ち切り、単行本が最終巻刊行直後に絶版になる(石ノ森『仮面ライダーBlack』、楳図『まことちゃん(平成版)』)など、中堅・ベテラン・大御所を問わず悲惨な目に遭うことになった。

この時期、少年ビッグコミックの対象読者層が創刊当初に予測していた層より上になっていた事を受けて、青年誌『ヤングサンデー』(1987年)としてリニューアル創刊された。

1990年代

1988年から1991年にかけての大混乱の中、若手漫画家の手により、それまでのサンデーの色に無かった新しい漫画が増え始め、『帯をギュッとね!』(河合克敏、1989年)、『スプリガン』(原作:たかしげ宙・漫画:皆川亮二、1989年)、『健太やります!』(満田拓也、1989年、増刊号から移籍)、『うしおととら』(藤田和日郎、1990年)、『今日から俺は!!』(西森博之、1990年、増刊号から移籍)、『行け!!南国アイスホッケー部』(久米田康治、1991年)、『GS美神 極楽大作戦!!』(椎名高志、1991年)などがヒットし、これらはいずれも長期連載となった。

これらに加えて、『俺たちのフィールド』(村枝賢一、1992年)、『H2』(あだち充、1992年)、『名探偵コナン』(青山剛昌、1994年〜)、『ガンバ!Fly high』(原作:森末慎二・漫画:菊田洋之、1994年)、『MAJOR』(満田拓也、1994年)、『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』(ゆうきまさみ、1994年)、『DAN DOH!!』(原作:坂田信弘・漫画:万乗大智、1995年)、『烈火の炎』(安西信行、1995年)、『め組の大吾』(曽田正人、1995年)、『神聖モテモテ王国』(ながいけん、1996年)、『モンキーターン』(河合克敏、1996年)、『犬夜叉』(高橋留美子、1996年)、『タキシード銀』(松浦聡彦、1997年)、『ARMS』(皆川亮二、(原案協力:七月鏡一)、1997年)、『からくりサーカス』(藤田和日郎、1997年)、『かってに改蔵』(久米田康治、1998年)、『天使な小生意気』(西森博之、1999年)、『ファンタジスタ』(草場道輝、1999年)などがヒットし、伸び悩んでいた部数も1994年頃から2000年頃まで上昇を続け、サンデーは再び黄金期を迎えた。雑誌的には一種の安定期に入ったが、その一方で1990年代半ばから後半にかけて若手漫画家が台頭せず、暗い影を落とした(1995年に週刊少年サンデー増刊号を『週刊少年サンデー超』とリニューアルするなどして若手漫画家の台頭を待っていた)。

1992年16号から誌名ロゴが現在のものに落ち着き。1993年51号で、サンデーは創刊2000号を迎え、その記念として嘉門達夫(サンデー創刊と同じ年の1959年生まれ)によるオリジナルソング「SUNDAY'S DREAM」が発表され、サンデーの懸賞プレゼント用に8cmCDが制作された(歌詞は嘉門の半生を歌った内容に駄洒落的に過去のサンデーの連載作品名を盛り込んだもの)。

この時期、『コロコロコミック』と『サンデー』の中間層をターゲットにした『コミックGOTTA』(1999年)、メディアミックス誌『月刊サンデーGX』(2000年)が創刊された。

2000年代

この前後から長期連載や人気作が次々と終了し、部数が低迷。1990年代以上に積極的なメディア展開を行うようになり、『金色のガッシュ!!』(雷句誠、2001年)、『うえきの法則』(福地翼、2001年)、『焼きたて!!ジャぱん』(橋口たかし、2002年)、『史上最強の弟子ケンイチ』(松江名俊、2002年)、『美鳥の日々』(井上和郎、2002年)、『ワイルドライフ』(藤崎聖人、2003年)、『MÄR』(安西信行、2003年)、『結界師』(田辺イエロウ、2003年)、『ハヤテのごとく!』(畑健二郎、2004年)、『最強!都立あおい坂高校野球部』(田中モトユキ、2005年) 、『クロスゲーム』(あだち充、2005年) 、『絶対可憐チルドレン』(椎名高志、2005年~) 、『ダレン・シャン』(原作:ダレン・シャン・漫画:新井隆広、2006年)、『魔王 JUVENILE REMIX』(原作:伊坂幸太郎・漫画:大須賀めぐみ、2007年)、『最上の命医』(橋口たかし、2008年)、『月光条例』(藤田和日郎、2008年)、『神のみぞ知るセカイ』(若木民喜、2008年)などがヒットするが、その他の連載は伸び悩み、部数の低迷に歯止めが効かず、また、この時期から多くの漫画家がサンデーを離れていくことになり、さらに、2008年雷句誠がサンデー編集部での原稿紛失を巡って小学館に対し損害賠償請求の民事訴訟を提起するなど、1980年代後半の混乱と同様に安定しない時期となった。

2000年に創刊された『サンデーGX』の合同企画コーナーが設置され、一部の作家の入れ替えや引き入れが同じ小学館で刊行されている『少女コミック』・『ちゃお』と同時になされることが多くなった。

2008年3月から2009年3月にかけて『週刊少年マガジン』と「サンデー×マガジン 創刊50周年企画」を行ない、共同雑誌の他、数多くのコラボレーション商品を発売。2009年第14号(3月18日号)では、「創刊表紙トリビュート号」と題して創刊号の表紙デザインを再現(創刊号表紙の長嶋茂雄を松坂大輔に、手塚治虫の『スリル博士』のイラストを橋口たかしの『最上の命医』に置換)した。

50周年イベント終了後の2009年3月末からは、週刊少年誌としては初のウェブコミック配信サイトクラブサンデー』を開設。さらに、月刊少年サンデー『ゲッサン』の創刊、『週刊少年サンデー超』(現在は『週刊少年サンデーS』)の月刊化などをし、今まで連載経験のない新人作家を、積極的に連載させるなど、これまで以上に新人育成に力を入れるようになる。

また、それ以降連載作品を『クラブサンデー』や『週刊少年サンデー超』に移動させたり、『週刊少年サンデー超』の連載作品を本誌に移動させたりする事例が増え、連載陣の入れ替えの激しさが増していった。

2010年代前半

この前後から、『アラタカンガタリ〜革神語〜』(渡瀬悠宇、2008年~)、『マギ』(大高忍、2009年)、『銀の匙 Silver Spoon』(荒川弘、2011年)など、他誌・他社の人気漫画家の新作を連載する事例が増え、いずれもヒットし、さらに、『コロコロコミック』関連作品との連動も図られるようになっており、『ペンギンの問題』の出張掲載や『機動戦士ガンダムAGE』の前後編読み切り掲載などが行われているほか、小学館の主力コンテンツである『ポケットモンスター』や『デュエル・マスターズ』を原作とする作品が連載されたり、メディアミックスとして『戦国コレクション』や『ささみさん@がんばらない』、『キャプテン・アース』、『』のコミカライズ作品を連載したりしている。

上記3作品以外では、『境界のRINNE』(高橋留美子、2009年)、『今際の国のアリス』(麻生羽呂、2010年)、『常住戦陣!!ムシブギョー』(福田宏、2011年)、『BE BLUES!〜青になれ〜』(田中モトユキ、2011年~)、『電波教師』(東毅、2011年)、『湯神くんには友達がいない』(佐倉準、2012年)、『競女!!!!!!!!』(空詠大智、2013年)、『だがしかし』(コトヤマ、2014年)、『MAJOR 2nd』(満田拓也、2015年〜)などがヒットする。

また、雑誌に付録として、クリアファイルやシール・栞・ソーシャルゲームの限定シリアルコードなどを付録に付けることが増え、単行本関連では人気作品において限定版・特別版の同時発売が多く行われるようになっている[注 2]。他にも、SSS(サンデーサポーターズショップ)・一部アニメショップ[注 3]でイラストペーパーやなどを初回特典として同梱・配布するケースが増加した。

さらに、ウェブコミック関連では『クラブサンデー』に加えて、WEB漫画作家を多数起用した『裏サンデー』(後に『マンガワン』として独立)を2012年4月に開設し、『モブサイコ100』(ONE、2012年)や『ケンガンアシュラ』(原作:サンドロビッチ・ヤバ子・作画:だろめおん、2012年)などをヒットさせた。

その他にも、著名人である野島伸司五味一男が原作の漫画の連載、2013年33号のみ17年ぶりに200円で販売、初の単独イベント『サンデーフェス』を開催したりなど様々な展開をするが、他の漫画雑誌と同様に出版不況などの影響で、発行部数は減少し続けた。

2010年代後半

2015年7月、『ゲッサン』を創刊し、ゲッサンの編集長を務めていた市原武法が編集長として就任。新人作家の育成を絶対的な使命とする大改革を行うと宣言し、大きな話題となった[7]。宣言通り、多くの連載作品の打ち切り、新たな作品の連載、新人作家向けの漫画勉強会、編集部の意識改革、サンデーの雑誌作りに協力する中高校生限定のサンデーサポータークラブ(SSC)の設立、『週刊少年サンデーS』のリニューアル、『クラブサンデー』を終了し、新たなウェブコミック配信サイト『サンデーうぇぶり』の開設など様々な展開をし、新人作家の作品として、『天野めぐみはスキだらけ!』、『魔王城でおやすみ』、『古見さんは、コミュ症です。』、『保安官エヴァンスの嘘 〜DEAD OR LOVE〜』、『妖怪ギガ』、『switch』、『葬送のフリーレン』などを、サンデーうぇぶりでは、『ジンメン』、『死神坊ちゃんと黒メイド』、『君は冥土様。』などをヒットさせた。

これらに加えて、ベテラン・中堅作家による『双亡亭壊すべし』、『あおざくら 防衛大学校物語』、『舞妓さんちのまかないさん』、『トニカクカワイイ』、『君は008』、『MAO』、『よふかしのうた』などをヒットさせ、サンデーの業績を500パーセント近く上昇させた[8]。しかし、他の少年誌と比べて、アニメ化などメディア展開される作品が減少傾向になっており、発行部数も減少し続けている。

また、連載作家に会えるなど、SSC会員限定のイベントを開催したり、2016年頃からサンデーSと共に『名探偵コナン』関連の全員サービスを定期的に行ったり、スピンオフ作品として、『名探偵コナン ゼロの日常』を連載したりなど、今まで以上に『名探偵コナン』の色が強く出るようになり、内容によっては、売り切れることも増え始めた。

2019年に創刊60周年を迎え、巻末には連載中の漫画家の日記を紹介するミニコーナー、『水曜日のDiary』を立ち上げる。

特徴

連載傾向と読者層

本誌の傾向としては、特にラブコメディ恋愛漫画にノウハウと強みを持っていることが挙げられる。特に、中長期連載となった作品ではその傾向が強く見られる。また、ラブコメ・恋愛漫画ではない作品でも、作中のエピソードなどで恋愛およびラブコメ的な要素を色濃く匂わせるものが多い。

他の少年漫画雑誌と比べて、スロースタートで始まる作品や一つの出来事・展開に数話分使う作品などが比較的多く、ストーリーを深く書かせてくれる傾向がある。また、時折少年漫画雑誌とは思えない社会を絡ませた重厚な内容の作品が連載されることもある[注 4]

作品を打ち切りにする場合、『週刊少年ジャンプ』など他誌のように唐突に終了することは少なく、ある程度物語がまとまった形で終了させる傾向にある。

漫画家では、あだち充高橋留美子青山剛昌藤田和日郎満田拓也椎名高志松江名俊畑健二郎など、他の少年誌と比べて、二作目以降も完全新作でヒット作を生み出す作家が多く、「作品を作ることよりもマンガ家を作ることを得意とする雑誌」と評させることがある[7]

少年漫画誌の中では読者の年齢層が高く、高校生以上の読者が全体の約6割を占めている[9]。ラブコメや恋愛漫画に強みを持っているため、少年誌でありながら女性の購読者も非常に多い。そのためか、他の少年誌と比べて女性漫画家が多いのも特徴である。

各種コーナー

『週刊少年ジャンプ』とは異なり、表紙にグラビア(『週刊少年マガジン』なども同様)が付いている号がある。ただ2013年に入ると前述のアニメプロジェクトもあってかグラビアは減少している。また、グラビア以外でも女性キャラクターを前面に押し出す表紙イラストがしばしば見られる。

その他、2001年よりアンケートや読者投稿コーナーがハガキ以外にもインターネットウェブサンデー)からも応募・投稿できるが、これは週刊少年誌で最初に始まったものである。読者コーナーの節やサンデー青春学園も参照のこと。

また、2008年より週刊少年漫画誌としては初めてウェブコミック配信サイトクラブサンデー」を、2012年からは「裏サンデー」を、2016年からはサンデーうぇぶりを開設した。

週刊少年サンデー事件史

歴代編集長

  1. 豊田亀市(1959年 - 1960年)
  2. (1960年 - 1963年)
  3. (1963年 - 1965年)
  4. (1965年 - 1967年)
  5. (1967年 - 1969年)
  6. (1969年 - 1970年43号)
  7. (1970年44号 - 1972年3・4合併号)
  8. (1972年5号 - 1977年46号)
  9. (1976年47号 - 1984年29号)
  10. (1984年30号 - 1987年27号)
  11. (1987年28号 - 1991年32号)
  12. (1991年33号 - 1994年33号)
  13. (1994年34号 - 1996年33号)
  14. (1996年34号 - 2000年16号)
  15. 都築伸一郎(2000年17号 - 2001年34号)
  16. 三上信一(2001年35号 - 2004年50・51合併号)
  17. 林正人(2004年52号 - 2009年35号)
  18. (2009年36号 - 2012年33号)
  19. (2012年34号 - 2015年34号)
  20. (2015年35号 - )

連載作品

2020年11月25日(2020年52号)現在連載中の作品。不定期連載作品も含む。

作品名作者(作画)原作など開始号備考
めいたんていこなん名探偵コナンあおやま こうしよう青山剛昌1994年5号
せったいかれんちるとれん絶対可憐チルドレンしいな たかし椎名高志2005年33号
ひいふるうすあおになれBE BLUES!〜青になれ〜たなか もとゆき田中モトユキ2011年9号
めしやあせかんとMAJOR 2ndみつた たくや満田拓也2015年15号MAJOR』の続編
あまのめくみはすきたらけ天野めぐみはスキだらけ!ねこくちねこぐち2016年3号週刊少年サンデーS』より移籍
そうほうていこわすへし双亡亭壊すべしふした かすひろ藤田和日郎2016年17号
あおさくらほうえいたいかつこうものかたりあおざくら 防衛大学校物語にかいとう ひかる二階堂ヒカル2016年22・23合併号
まおうしようておやすみ魔王城でおやすみくまのまたかきし熊之股鍵次2016年24号
こみさんはこみゆしようてす古見さんは、コミュ症です。おたともひとオダトモヒト2016年25号
まいこさんちのまかないさん舞妓さんちのまかないさんこやま あいこ小山愛子2017年5・6合併号
ほあんかんえうあんすのうそ保安官エヴァンスの嘘 〜DEAD OR LOVE〜くりやま みつき2017年20号
たいくのはとう第九の波濤くさは みちてる草場道輝2017年21号
ようかいきか妖怪ギガさとう さつき2017年22・23合併号掲載順は巻末近くに固定
とかちひとりほつちのうえん十勝ひとりぼっち農園よこやま ゆうし横山裕二2018年1号掲載順は巻末に固定
そうきゆうのありあとね蒼穹のアリアドネやき のりひろ八木教広2018年2号
とにかくかわいいトニカクカワイイはた けんしろう畑健二郎2018年12号
きみはたふるおおえいと君は008まつえな しゆん松江名俊2018年13号
すいつちswitchなみきり あつし2018年20号
ほんこつちやんけんしようちゆうポンコツちゃん検証中ふくち つはさ福地翼2019年21・22合併号
まおMAOたかはし るみこ高橋留美子2019年23号
のけものたちのよるノケモノたちの夜ふくい せい星野真2019年36・37合併号
よふかしのうたよふかしのうたことやまコトヤマ2019年39号
そうそうのふりいれん葬送のフリーレンあへ つかさ(漫画)やまた かねと山田鐘人(原作)2020年22・23合併号
いとやんことなきいとやんごとなきこまつ しようた2020年24号
りゆうといちこ龍と苺やなもと みつはる柳本光晴2020年25号
いまわのくにのありすりとらい今際の国のアリス RETRYあそう はろ麻生羽呂2020年46号

休載中

作品名作者(作画)原作など開始号備考
ましつくかいとまじっく快斗あおやま こうしよう青山剛昌1987年26号休載中
あらたかんかたりアラタカンガタリ〜革神語〜わたせ ゆう渡瀬悠宇2008年44号休載中
あとあすとらへるあすへらアド アストラ ペル アスペラはた けんしろう畑健二郎2015年40号休載中
めいたんていこなんせろのていいたいむ名探偵コナン ゼロの日常あらい たかひろ新井隆広(漫画)あおやま こうしよう青山剛昌(原作)2018年24号名探偵コナン』のスピンオフ作品
休載中

発行部数

  • 1959年 30万部(創刊号)
  • 1983年 228万部(本誌の最高発行部数)
  • 1989年 140万部
  • 1995年 140万部
  • 1998年 170万部
  • 2001年 150万部
  • 2004年(2003年9月 - 2004年8月) 1,160,913部[10]
  • 2005年(2004年9月 - 2005年8月) 1,068,265部[10]
  • 2006年(2005年9月 - 2006年8月) 1,003,708部[10]
  • 2007年(2006年9月 - 2007年8月) 935,729部[10]
  • 2008年(2007年10月 - 2008年9月) 873,438部[10]
  • 2009年(2008年10月 - 2009年9月) 773,062部[10]
発行部数(2008年4月以降)(社団法人日本雑誌協会
1〜3月4〜6月7〜9月10〜12月
2008年866,667 部833,334 部802,084 部
2009年781,667 部765,000 部745,770 部717,728 部
2010年684,462 部670,417 部645,834 部624,546 部
2011年630,770 部605,000 部583,750 部565,584 部
2012年540,167 部526,500 部525,834 部520,334 部
2013年502,000 部494,000 部532,667 部490,334 部
2014年461,250 部445,500 部428,417 部411,250 部
2015年393,417 部388,417 部369,231 部356,584 部
2016年345,667 部369,833 部330,000 部323,250 部
2017年319,667 部315,750 部311,167 部306,000 部
2018年298,333 部301,667 部306,667 部296,250 部
2019年277,500 部263,333 部252,500 部242,083 部
2020年232,500 部223,636 部213,333 部

増刊号

系列誌

映像化作品

作品名は五十音順としている。

アニメ

2020年10月現在のもの。

2000年代中期には週4 - 5本程度のテレビアニメ作品が放送されていた。しかし、他の少年誌と比べて、アニメ化作品が減少傾向になっており、時期によってはアニメ作品が『名探偵コナン』関連のみとなる時がある。

1990年代半ばまではアニメ化される作品の大半がフジテレビ系列(FNS)で放送されていたが、以降は読売テレビ制作・日本テレビ系列(NNN)で放送されることが多い。2000年代に入るとテレビ東京系列(TXN)でアニメ化される作品も多くなっていた。他の週刊少年誌の作品と比較するといわゆる「UHFアニメ」として新作が放送されたのは『美鳥の日々』・『競女!!!!!!!!』・『うしおととら』・『からくりサーカス』・『トニカクカワイイ』程度に留まっており、基本的にはキー局準キー局で制作され、放送されることが多い。

現在放送中の作品

放送予定の作品

過去にアニメ化された作品

タイアップ作品のアニメ化

いずれも「サンデー」ではアニメと並行して漫画版を連載。

OVA


コミックス限定版や応募者全員サービスとしてのOVA化
※印が付く作品は2015年10月 - 12月に『アニサン劇場』の枠内でテレビ放送された。

ドラマ

放送予定の作品

過去にドラマ化された作品

実写映画

OV

特撮関連

特撮ドラマ化されたものや、メディアミックスとして漫画化された作品群。

少年サンデーCM劇場

1995年から、連載作品の中でまだアニメ化されていない作品をテレビCM用にアニメ化して放送している。これらは公式ホームページで、一部を除き過去分も含め視聴することができる。

アニメ化された作品の場合はテレビ放送が開始した時点で放送を終了しているが、『ハヤテのごとく!』ではアニメ開始後も放送をしばらく続けていた。近年ではCM劇場の形をとらない形態でCMが放送される作品も増えている。

サンデーCM劇場でアニメ化された作品

※が付くのは後に正式なテレビアニメ化がされなかった作品。近年はテレビアニメ化が決定している作品がCMに使われることがほとんどである。

海外提携誌

  • 元気少年(台湾・青文出版集団
  • 龍漫少年星期天(中国・吉林美術出版社。編集は小学館の現地合弁法人「上海碧日咨詢事業有限公司」が担当)
  • BOOKING(韓国・鶴山文化社)
  • SHONEN STAR(インドネシア・ELEX MEDIA)

※ただし日本作品が全て掲載されているわけではない。

読者コーナー

ジャンプ放送局」の『週刊少年ジャンプ』や「マガジン7」の『週刊少年マガジン』に対抗して、巻末に読者コーナーが設置された。当時の人気アイドルだったおニャン子クラブ出身の高井麻巳子渡辺美奈代吉沢秋絵などがいたが、特筆すべきは当時人気絶頂だったとんねるずが最初の読者コーナー「サンデーファン」を担当していたことである。

現在の読者ページは2001年春に始まった。週刊の少年誌の中で「サンデー青春学園」が初めて読者からのインターネットでの投稿を受け付けた。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 同様の状況は同時期に創刊されたライバル誌『週刊少年マガジン』にもあり、マガジンの場合は企画立ち上げ時のスタッフに少女漫画誌の編集者が多く、少女漫画家を多く起用していた。
  2. ^ 例として、『神のみぞ知るセカイ』においては10巻~22巻まで連続して関連グッズ・DVDを同梱した初回限定版が発売されている。
  3. ^ 作品にもよるが、主にアニメイトゲーマーズコミックとらのあなで実施されるケースが多い。漫画全般に置いてこうした店舗での新刊特典自体は珍しくないが、週刊少年誌の単行本としては多い部類に入る。
  4. ^ 例としては『銭ゲバ』や『男組』、『機動警察パトレイバー』、『魔王 JUVENILE REMIX』、『ちいさいひと 青葉児童相談所物語』など。
  5. ^ 当初の題名『ジャップ』について、作者が日本に対する蔑称である点に懸念を抱いたが、編集者が問題ないと判断して題名としたものの、クレームが多発して改題されるに至った。この一件が原因で『バランサー』は打ち切りになり、新谷は増刊号も含めサンデーから一時撤退した。増刊号に連載された『紅たん碧たん』の単行本は小学館では1巻のみの発行となり、1994年に完全版が白泉社から発行されている。その後はサンデーとの関係が修復し、単発の読切作品や『少年サンデー1983』の復刻・インタビューの掲載も行っている。

出典

  1. ^ (2009). サンデーとマガジン. 光文社. ISBN 4334035035 
  2. ^ 芳崎せいむ金魚屋古書店』第1巻、P.193
  3. ^ JMPAマガジンデータ”. 2011年7月22日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2007年12月18日閲覧。
  4. ^ 『サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年』(大野茂、2009年、光文社新書、ISBN 4-334-03503-5
  5. ^ 『うる星やつら』終了後の1987年9号から『ラフ』開始前号の同年16号まで
  6. ^ みず谷なおき『Hello! あんくる』追悼版に収録されている関係者のコメント
  7. ^ a b 週刊少年サンデー特集、新編集長・市原武法インタビュー - コミックナタリー http://natalie.mu/comic/pp/sunday02
  8. ^ 週刊少年サンデー特集 編集長・市原武法インタビュー - コミックナタリー 特集・インタビュー https://natalie.mu/comic/pp/sunday03
  9. ^ JMPA読者構成データ
  10. ^ a b c d e f 社団法人日本雑誌協会JMPAマガジンデータによる該当期間中に発売された雑誌1号当たりの平均印刷部数。

参考文献

関連項目

外部リンク

青山剛昌

青山 剛昌(あおやま ごうしょう、1963年6月21日[2] - )は、日本漫画家血液型B型鳥取県東伯郡大栄町(現北栄町)出身[2]鳥取県立由良育英高等学校[3][注 1]日本大学藝術学部美術学科絵画コース卒[2]

代表作の『名探偵コナン』と『YAIBA』は、それぞれ小学館漫画賞を受賞し、テレビアニメ化やコンピュータゲーム化がされている。特に『名探偵コナン』は、連載が25年以上続いており、劇場アニメ化、テレビドラマ化もされている(2018年に発行部数が2億3千万冊を突破)。ほかに、『まじっく快斗』『4番サード』などの作品がある。

来歴

生い立ち

1963年鳥取県大栄町(現在の北栄町)に4人兄弟の次男として生まれる[4][5]。子供のころから漫画が好きで描いてはいたが親に叱られるためこっそり描いていた[6]北栄町立大栄小学校を卒業[3]。小学生の時の卒業文集に「私立探偵専門の漫画家になりたい」と書いており、青山剛昌ふるさと館に展示されているが[7]、本人はそのことを覚えていなかったと発言している[6]鳥取県立由良育英高等学校を卒業した後、漠然と美術教師を目指して日本大学芸術学部へ進学する[3][6]。野球剣道少年であり、部活動は小中高と剣道部に在籍していたが、アニメーターに憧れて高2から美術部に入っていった[8]

大学時代とデビュー

大学時代は漫画研究部「熱血漫画根性会」に所属[9]。元々はアニメーターを志望していたが[10]、漫研の先輩である矢野博之にアニメーターよりも、漫画家のほうが儲かると言われ、漫画家を目指すことになる[11]

ちばてつやの大ファンであり、『おれは鉄兵』が好きだったことから『週刊少年マガジン』に持ち込み、佳作をもらい、担当編集者とも上手く行っていたが、ある時、編集長から「青山くんの絵が気に食わない」「このまま『マガジン』でやるなら絵柄を変えたほうがいい」と担当経由で伝えられ、『マガジン』でやっていくことを断念[11][12]。その後、講談社を出て、持ち込み先を選ぶために近くの本屋へ雑誌を探しに行き、その場にあった『週刊少年サンデー』を見たことやあだち充のファンで絵が可愛いこともあり、編集部へ連絡し、その足で原稿を持ち込んだ[12][13]。この時に原稿を見てくれた編集者の世話になり、1986年、『ちょっとまってて』で小学館新人コミック大賞に入選し、同作でデビューした[12]。それを機に就職活動はせず、生活費はアルバイトでひらけ!ポンキッキの背景を描いたり新人賞の賞金を使い、半年間は頻繁にネームを編集者へ持って行った[6][14]

デビュー後

1987年に、『週刊少年サンデー』増刊号で『まじっく快斗』の連載を開始。

1988年には、『週刊少年サンデー』でチャンバラアクション漫画『YAIBA』の連載を開始する。これが人気作となり初の長期連載となって、1993年に『YAIBA』で第38回小学館漫画賞・児童部門を受賞。その後、『剣勇伝説YAIBA』としてテレビアニメ化される。

1994年(平成6年)、『週刊少年サンデー』で『名探偵コナン』の連載を開始する。「『マガジン』で『金田一』がヒットしているので、『サンデー』でも推理マンガをやってくれないか」と編集部に打診されて『名探偵コナン』を描き始めた。当初はあまり乗り気ではなく、ネタ的に続かないため3ヶ月程度で終わるだろうと思っていた[15]

2000年代以降

2007年3月18日には出身地である鳥取県北栄町の道の駅大栄青山剛昌ふるさと館が開館した。

2017年12月13日、療養と充電のため、『名探偵コナン』の再開時期未定の長期休載が、『少年サンデー』第3・4合併号で発表された[16]2018年4月にVTR出演した際には4ヶ月の休養については編集部の意図であり、青山本人は「病床に伏せっていたわけではない」と述べている[17]

略歴

人物

家族・親族

2005年5月5日に声優の高山みなみと結婚[19][20]。青山自身の作品『YAIBA』の主人公・鉄刃(くろがねやいば)役や、『名探偵コナン』の主人公・江戸川コナン役として出演しており、それがきっかけとなった。愛猫は結婚祝いにアシスタント達から贈られたロシアンブルーのカイト[注 2]。その後、2007年12月10日に離婚したことが報じられた[22]

2002年に『名探偵コナン』の制作は1つのエピソードが描き終わると仮眠、起きるとその日のうちに編集者と次の話作りに取りかかり結末まで一気に3、4話を打ち合わせ、3日間でネームを仕上げ、再び打ち合わせ、そして4日間でペン入れと仕上げという1週間の流れで原稿を完成して睡眠するときくらいしか休みはなく休載時に旅行へ出かけてもコナンのことを考えて完全な休みはないと話しており[13][23]、「結婚するとこの生活が続けられない」と問われたのに対して結婚するとペースを維持できないと肯定、上の人から何を言われても勝手にさせてもらわないとやらないと言ったこともあり、生活も作品も好き勝手にやっているから続けていけるんだろうと語っていた[24]

4人兄弟の次男で、兄は科学者、1つ下の弟は実家を継いでエンジニア、1番下の弟が米子市病院に勤務する医師。科学的なことは兄に聞き、アニメにも詳しいことから登場人物の声優は誰がいいか助言を受けたり、死亡推定時刻などは医師である弟に聞き、もう1人の弟から車関係のことを聞いている[25]。また、従兄弟の一人に小学校教師がおり、県警の警視であるアシスタントの義父も合わせて、コナンを描くときのアドバイスを貰っているとのこと[8]。従兄弟の一人にはお笑いコンビ・オキシジェンの田中知史がいる[26]

趣味・嗜好
食べ物
  • 好きな食べ物はカレーライス[29]。また、サントリーウーロン茶も大変好んでおり、長年に渡り日頃から愛飲しているという。なお、『コナン』の扉絵での作者メッセージにおいては、度々取材先などの食べ物の話題を出している。
  • 母親の作るおでんがまずく、東京に行くまでおでんはまずいものと思っていたが、コンビニで買ったおでんのあまりのおいしさにかなり驚いたという[28]
  • レーズンが嫌い。そのため『名探偵コナン』特別編にて主人公・江戸川コナンの嫌いな食べ物は青山と同じレーズンであるという設定の話が出されたことがある[30]納豆も嫌いであったが、ある時テレビ番組で、ひきわり納豆と細切り豚肉を合わせて炒めるとおいしいと言っていたため試したところとても美味しく、そこから納豆が大好きになった[28]
その他
  • 身長は174cmで工藤新一と同じ[1]
  • 漫画家の中では比較的メディア出演が多い。
  • デビュー間も無い頃に『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』(TBS)に挑戦者として出演している[31]。結果は「悪魔の館」で丹古母鬼馬二扮する悪魔に捕まり、顔面に墨を塗られて失格[注 3]
  • 大学生の時、東京ディズニーランドカリブの海賊の背景を描いている。描いた場所は海賊船が出てくる直前の、海賊たちが荒らしている街のレンガであり、その時にもらった記念の小切手を失くしたときはショックを受けたという[32][33]。尚、現在はリニューアルされたため、青山が描いたレンガは無くなっている。
  • アシスタントは全員大学時代の漫画研究部の同級生や後輩で、投稿作から現在に至るまで誰一人欠けることなく同じメンバーである[28]
  • 『まじっく快斗』の黒羽快斗(怪盗キッド)があまり有名でなかった頃、『美少女戦士セーラームーン』の作者である武内直子から、「快斗がタキシード仮面のモデルなんですよ。」と言ってもらえたことがある[28]
  • 『名探偵コナン』87巻に収録されている、「蘭GIRL」「新一BOY」は、2015年に入院した時に、もしかしたらこの先、漫画が描けなくなるかもしれないと感じ、「これだけは残しておきたい!」「絶対に描きたい!」と本気で思い、描いた作品であり、コナンのエピソードの中で一番好きだと答えている[28]
  • 心の底から一番描きたいのは『まじっく快斗』で、コナンは終わるかもしれないけど、まじっく快斗は終わらないかもしれないと答えている[28]

作風

「(主人公やヒロインの精神年齢に対する)肉体の年齢が、ある日突然大きく狂わされる」または「肉体の年齢を飛び越える」というモチーフを多く使用している。例えば、年上の恋人と同い年になるためにタイムスリップを試みる少年を描いたデビュー作『ちょっとまってて』、桜が起こした奇跡で青年の姿に若返った老剣士が、つかの間蘇った青春を楽しむ活劇『プレイ イット アゲイン』、永遠の命をもたらす伝説の宝石を追う組織に父親を殺害された高校生が、組織の野望を砕くために二代目怪盗として活躍する『まじっく快斗』、若い娘の生気を吸い老婆に変える宇宙人の女王によってヒロインが老婆の姿にされる『YAIBA』かぐや編、名探偵として名を馳せた高校生が未完成の毒薬の作用で小学1年生相当の姿に若返り、探偵としての地位や証言能力を失った状態で正体を隠したまま組織を追うため、奇想天外な秘密道具の行使や幼馴染の父を影武者に仕立て上げる事で子供姿のまま探偵稼業を続ける『名探偵コナン』など。

以前は作品が完結しないで連載・執筆を終えることもあった。しかし『名探偵コナン』の最終回のプロットは、作者自身の頭の中ですでに出来上がっていると話していたが[34]、その後2019年4月24日に放送された『1周回って知らない話』にゲスト出演した際には最終回のオチが本格的に決まったことを明かしている[35]

アニメーター志望であったこともあり[10]、『剣勇伝説YAIBA』の最終回や『名探偵コナン』の劇場版では、原画絵コンテをはじめ、ゲストキャラクターのデザインや脚本の監修など(いずれも一部)、積極的に関わっている。原画は、主にクライマックスなど、キャラクターの見せ場となるシーンを担当している。

絵の特徴の一つである目のハイライトの入れ方のルーツは、大学1年の時にハマっていた『戦闘メカ ザブングル』のキャラの瞳であり、通称「ネジ目」と呼ばれる虹彩のない瞳に1本のハイライトが入ったデザインを変化させ、もっとキラキラさせたのが最初とのこと。また、光の入れ方には「目線の逆方向に入れる」という法則がある[8]。この特徴的な目の描き方について「これは発明した!」と答えている[28]

作品一覧

書籍情報

少年サンデーコミックス

少年サンデーコミックス ワイド版

てんとう虫コミックス

小学館文庫

その他の参加作品

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 1998年に再編で鳥取県立鳥取中央育英高等学校に。
  2. ^ 『まじっく快斗』に由来。コナンにしなかったのは、妻である高山みなみが「コナンは私!」といったためとのこと[21]
  3. ^ 尚、青山と同じ放送回に参加したメンバーの中には当時毎日放送アナウンサーだった子守康範がおり、子守も「悪魔の館」で池に落ちて失格となっている。

出典

  1. ^ a b コナンドリル 2003, p. 197
  2. ^ a b c まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、ISBN 4-8169-1760-8、7頁
  3. ^ a b c 青山剛昌ふるさと館 青山剛昌さんについて プロフィール
  4. ^ 青山剛昌(あおやまごうしょう)先生のプロフィール - 北栄町商工会
  5. ^ 「あだち充×青山剛昌 スペシャル対談!!!!!」『ゲッサン 2019年5月号』第11巻第5号、小学館、2019年4月12日、 7-10頁。
  6. ^ a b c d コナンドリル 2003, p. 193
  7. ^ コナン作者が卒業文集に書いた夢に驚き
  8. ^ a b c 週刊少年サンデー2017年5月10日・17日合併号 Vol.23・24『サンデー非科学研究所』「その53 青山剛昌のルーツを探れ!の巻」内での本人談
  9. ^ 日藝賞第5回受賞者 - 日本大学藝術学部
  10. ^ a b まんカレ通信/プロが語るまんが秘伝 part094 青山剛昌先生
  11. ^ a b 週刊少年サンデー 2016年5月4日号 Vol.21 pp.426-431「サンデー非科学研究所 その4 作画メシ〜青山剛昌先生編2〜『名探偵コナン』が生み出される部屋に潜入セヨ!!」。2016年4月20日発行・発売。
  12. ^ a b c 週刊少年サンデー 2016年5月11日/18日号 Vol.22・23 pp.500-505「サンデー非科学研究所 研究その5 作画メシ〜青山剛昌先生編3〜 コナン誕生の数年前…青山先生の新人時代に迫る!!」2016年4月27日発行・発売。
  13. ^ a b コナンドリル 2003, p. 194
  14. ^ コナンドリル 2003, p. 194-195.
  15. ^ 『名探偵コナン&金田一少年の事件簿01』 小学館〈小学館 少年サンデー特別増刊&講談社 少年マガジン増刊〉、2008年4月10日。 青山剛昌、天樹征丸さとうふみやによる鼎談。
  16. ^ 名探偵コナン:作者が病気療養、充電で長期休載へ”. MANTANWEB. まんたんブロード (2017年12月13日). 2017年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月13日閲覧。
  17. ^ 青山剛昌氏『名探偵コナン』休載の4ヶ月「描きたくてしょうがなかった」”. ORICON NEWS. オリコン (2018年4月12日). 2018年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月12日閲覧。
  18. ^ <名探偵コナン>サンデー初の連載1000話達成(2017年8月9日) -まんたんウェブ
  19. ^ ご報告します。”. LITTLE STATION. 2006年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月14日閲覧。
  20. ^ コナン作者・青山剛昌さん、声優の高山みなみと入籍”. zakzak. 2017年9月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月14日閲覧。
  21. ^ 『名探偵コナン51巻』(ISBN 978-4091273611 )より。
  22. ^ 「名探偵コナン」声優と原作者が離婚”. Sponichi Anne. 2016年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月14日閲覧。
  23. ^ コナンドリル 2003, p. 198.
  24. ^ コナンドリル 2003, p. 199.
  25. ^ コナンドリル 2003, p. 196.
  26. ^ ★オキシジェン田中さんご来館★”. 青山剛昌ふるさと館 オフィシャルサイト. 2016年4月13日閲覧。
  27. ^ [月刊BLT 6月号 2012]
  28. ^ a b c d e f g h 『青山剛昌 30周年記念本』三〇〇〇〇字インタビューより。
  29. ^ 名探偵コナンの作者のルーツを知れる「青山剛昌ふるさと館」”. Yomerumo. 2017年3月19日閲覧。
  30. ^ 『名探偵コナン 特別編』第2巻おまけ漫画より。
  31. ^ 『TBSもさんまも60歳 伝説のドラマ&バラエティ全部見せます!夢共演も大連発 (2015年10月12日放送回)』の番組概要ページ - gooテレビ番組(関東版):2015年11月22日閲覧
  32. ^ 『名探偵コナン 57巻』作者コメントより。
  33. ^ 週刊少年サンデー 2018年 29号 目次コメント
  34. ^ 『名探偵コナン10+SDB』(ISBN 978-4-09-124716-2)での読者の「最終回をどのようにするのかもう決めているのか」という旨の質問に「あります」と答えている。
  35. ^ 1周回って知らない話 2019/04/24(水)19:00 の放送内容 ページ2 | TVでた蔵

参考文献

外部リンク


 

 

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