ポータルフィールドニュース

ポータルフィールドニュース

in ,

☕|“めちゃイケ”コンビ・光浦靖子×雛形あきこ、ナイナイ岡村隆史結婚秘話を暴露!?


写真 

“めちゃイケ”コンビ・光浦靖子×雛形あきこ、ナイナイ岡村隆史結婚秘話を暴露!?

 
内容をざっくり書くと
そうしたら、ナイナイ(ナインティナイン)と(極楽とんぼの)加藤(浩次)さんは入らなかったんだよね、頑なに。
 

TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEAS… →このまま続きを読む

 TOKYO FM+


Wikipedia関連ワード

説明がないものはWikipediaに該当項目がありません。

極楽とんぼ

極楽とんぼ(ごくらくとんぼ)は、加藤浩次山本圭壱による日本のお笑いコンビである。略称は「極楽」。吉本興業所属。

概要

1989年にコンビ結成。2006年、山本が所属事務所から解雇されたことで実質的に活動休止状態となっていた(詳しくは後述)が、2016年11月20日付で山本が同事務所に復帰し、名実ともにコンビとしての活動を再開した[1][2]

2019年10月1日付で加藤が吉本興業を離れ、個人事務所として同事務所とエージェント契約を締結したため、実質的にメンバーの所属事務所が異なるコンビとなった。

メンバー

ツッコミでネタ作り担当(ボケに回ることも多い)。立ち位置は右(かつては左)。北海道札幌市生まれの北海道小樽市育ち。北海道小樽潮陵高等学校卒業。現在は日本テレビ制作の「スッキリ!!」を主に、総合司会としての活動がメインとなっている。
主な愛称は「コージ」・「カトさん」・「狂犬」。
妻は緒沢凛で、三児(男児1人、女児2人)の父親。妻、娘、息子を溺愛するなど、愛妻家子煩悩としても知られている。
ボケ(時々ツッコミに回る)担当。立ち位置は左(かつては右)。東京都生まれの広島県広島市育ち、広島県瀬戸内高等学校卒業。
2006年6月から本名の山本圭一で活動を開始する(後に元の芸名に再改名する)も、不祥事により所属事務所を解雇となり、芸能活動を休止する。
2015年1月19日、芸能界復帰を発表。
主な愛称は「山さん」・「ぶーさん」・「ブタ」・「たまらん兄さん」。
2016年7月30日、フジテレビ系めちゃ²イケてるッ!』にて10年振りにテレビ復帰し、加藤とも共演を果たす(ただし、ラジオや地方テレビ局の番組に出演経験があった)。
2016年11月20日、よしもとクリエイティブエージェンシー復帰が発表された[1][2]。独身、復帰以降は坊主にして出演している。

来歴

1989年2月佐藤B作が主宰する「劇団東京ヴォードヴィルショー」の研究所「闘魂塾」の第4期生として2人が入団し出会う。同期の櫻庭博道を含めた3人で、コントライブ『ラ・ママ新人コント大会』に出演。山本は「なまけものブラザーズ」と提案していた。加藤がトリオ名として「極楽とんぼ」がかっこいいと提案し決定。松田優作の墓跡のうらに刻まれていた極楽とんぼから由来(あくまで加藤が山本を説得するための嘘であり実際には書かれていない[3]。山本がこの事実を知ったのは結成から8年後の事であり、取材の場でこの由来を語った際に加藤から「あれはウソだった」と告げられた[4])。加藤は「旅をする2人」というイメージでこのコンビ名を考えており、「旅番組がしたいと思っていました」「旅番組をやるためにつけたようなコンビ名です」とも発言している[4][5]

その後、2人はヤングサンデー誌内の広告で吉本が東京進出にあたり新人を募集していることを知り、学費滞納などもあり研究所を退団。櫻庭はその後も、劇団東京ヴォードヴィルショーに残留している。東京吉本の吉本バッタモンクラブの第1期オーディションに合格し、同年8月にデビューする。コンビを組んだきっかけは、山本が大の広島東洋カープファンであり、広島の名選手である山本浩二を敬愛していたが故に、加藤の名前が「コウジ」であったことから運命を感じてコンビ結成に至った。なお、加藤の本名は山本浩二と同じ「浩二」であり、山本の弟の名前は同音異字の「浩司」である。

1990年関西テレビ制作の『新伍&紳助のあぶない話』で前説を担当。その後、深夜番組新しい波」に出演したのを機に、ナインティナインよゐこ本田みずほ光浦靖子オアシズ)らとともに当時ディレクターの片岡飛鳥によって『とぶくすり』のレギュラーに抜擢される。以後も片岡が担当した番組『めちゃ²モテたいッ!』(初期は山本のみレギュラー)や『めちゃ²イケてるッ!』に出演。1998年頃からコンビとしての人気が上昇し、次第に仕事が増えていった。

2000年代以降、ともに俳優業にも活動の幅を広げ、加藤は司会者としての仕事が増え、山本も社会人野球チーム茨城ゴールデンゴールズに所属し、個別で活動していくことが多くなっていった。

2006年7月18日午後、山本が起こした淫行騒動を受け、吉本興業が記者会見で山本の芸能活動停止(専属芸能家契約の解除)を発表し、コンビとしての活動は停止となった。以降、加藤はピン芸人として芸能活動を継続、山本は約8年半芸能活動を休止していた。「事実上のコンビ解散」と報道された上に、吉本興業側も「極楽とんぼ・加藤浩次」としたが、加藤は2006年7月21日放送の『金曜JUNK 極楽とんぼの吠え魂』の最終回放送で、「解散は自分と山本が決めること」とこれを否定している。

山本の不祥事以降、コンビで出演した番組の再放送や総集編等で山本が出演しているシーンは基本的に放送されず(詳しくは山本圭壱の項目を参照)、放送されても顔にボカシなどの処理が施されていた。しかしコンビとしての活動停止後も『めちゃ²イケてるッ!』のEPGでは加藤に関しては「加藤浩次(極楽とんぼ)」と表示されることもある他、ナインティナイン山里亮太おぎやはぎら後輩芸人がラジオ番組等で「極楽とんぼの加藤さん」と発言しているように、他の芸人が加藤について言及する際、コンビとしての加藤の名前を出している。当の加藤本人も、2007年4月6日スタートのラジオ番組『金曜JUNK2 加藤浩次の吠え魂』において、第2回放送(4月13日)から番組冒頭の挨拶で「極楽とんぼ・加藤浩次です」と名乗っていた。

2015年1月19日、吉本との契約解除から8年半ぶりに山本が下北沢駅前劇場でお笑いライブを開催および芸能界復帰を発表した。チラシのタレント名は「山本圭一」ではなく旧芸名の「山本圭壱」とし、ライブ出演者欄には「極楽とんぼ 山本圭壱」とコンビ名を記していた。同年の7月5日、加藤が出演したコントライブにて共演者の矢作兼(おぎやはぎ)にうながされ客席でライブを見ていた山本をステージに上げ、飛び入りで出演し、2006年7月の山本の不祥事以来9年ぶりに加藤と共演し、コンビとしての極楽とんぼが復活した。

2016年7月30日、『めちゃ²イケてるッ!』に山本が10年振りに出演した。番組内で加藤は、不祥事を起こして世間に迷惑をかけたことや、メンバーやスタッフに正式な形で謝罪しなかったことを叱責し、コンビとして改めて関係者に謝罪。直後に2人でリングを降り、視聴者に土下座で謝罪した。また、同年夏以降に極楽とんぼとして全国で謝罪行脚のライブをする考えを明かした。加藤は以前より、「いつか、コンビでお笑いライブを開催したい」とコンビ活動について口にしており、山本の『めちゃイケ』出演が決まる前からライブの準備をしていたという。

2016年11月20日付で、吉本興業から契約を解消されていた山本がよしもとクリエイティブエージェンシーに復帰した[1]。これにより、正式にコンビが復活となった[1][2]

2017年2月19日に、TBSラジオ『極楽とんぼの吠え魂』の特番にて10年ぶりコンビとして出演。本当の最終回として17年2ヶ月の幕を閉じた。

2017年3月4日3月5日放送の、極楽とんぼが24時間生放送に挑戦した「AbemaTV」『極楽とんぼ「KAKERU TV」~24時間AbemaTV生JACK〜』が5日午後9時、すべてのプログラムを終了した。AbemaTVの過去最高となる350万視聴を記録し、コンビとしての同局でレギュラー番組も内定すると、加藤浩次はこらえきれずに涙を浮かべた。他にもココリコロンドンブーツ1号2号おぎやはぎ品川庄司ワッキー矢口真里井手らっきょ大原かおりなど50人以上の芸能人が参戦した。

2018年1月2日放送のめちゃイケにて山本にレギュラー復帰と伝えられるも後日の放送ではレギュラー復帰はないと伝えられる。ただそれ以前よりも高い頻繁でゲスト出演となり、3月以降の放送ではクレジット上の表記が加藤浩次の後ろに移動しクレジット上はレギュラーに復帰。

最終回の放送では最初から最後まで参加。正式メンバーとして総監督の片岡飛鳥から番組の卒業証書も受け取っている。名実ともにめちゃイケが11年ぶりにコンビ揃って地上波でレギュラーになった。

現在[いつ?]、月1回ルミネtheよしもとの本公演に出演中。

芸風

主にコントであり、ネタは基本的に加藤が作っている。小道具などは多く持ち込まないため、漫才コントという形になることが多い。基本スタイルは加藤がツッコミ、山本がボケだが、ネタの途中で、どちらかが納得いかないことがあると、キレ始め(大抵は加藤が山本に無茶振り、無理難題を強要することが多い。山本がボケのイメージが強いのもこのため)、もう一方も逆ギレし、結果としてどちらがボケなのかツッコミなのかがわからなくなってしまう、もしくは、ダブルボケになってしまうこともある。こういった芸風には、男性には人気が高かったが、好き嫌いの好みが分かれるところである。

番組では加藤がボケの役割になって、暴走することが多く、山本や他の出演者が止めるというスタイルが定番となっている。また、加藤がボケで山本がツッコミになったり、2人ともボケになったりするのがしばしばである。

出演番組

極楽とんぼとしての出演番組を記載。個別での出演番組は加藤浩次、山本圭壱を参照。

現在の出演番組

配信番組

スペシャル番組

ラジオ

過去の出演番組

テレビ

スペシャル番組

ラジオ

配信番組

映画

オリジナルビデオ

DVD

  • 極楽とんぼのテレビ不適合者 上・下巻
  • 極楽とんぼのテレビ不適合者 DVD-BOX

CM

ライブ

  • 極楽とんぼ 単独ライブ 全国ツアー2016(2016年9月3日 - 10月15日)

関連人物

2人の東京ヴォードヴィルショー研究所時代の同期生。「劇団東京ヴォードヴィルショー」時代に加藤や山本と共にコントライブに出演する際に極楽とんぼを結成。2人の退団後も東京ヴォードヴィルショーに留まったが、現在は退団している。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d “極楽とんぼ山本がよしもとに復帰”. お笑いナタリー. (2016年11月20日). http://natalie.mu/owarai/news/210122 2016年11月20日閲覧。 
  2. ^ a b c “山本さんが復帰 「極楽とんぼ」として活動”. 毎日新聞. (2016年11月20日). http://mainichi.jp/articles/20161121/k00/00m/040/038000c 2016年11月20日閲覧。 
  3. ^ カジサック KAJISAC (2019年7月19日). “【神回】極楽とんぼ加藤さん、あの頃の加藤さんに戻ります”. YouTube. 2019年7月19日閲覧。
  4. ^ a b 極楽とんぼ、コンビ名に秘めた願い成就 東野&岡村『旅猿』とのコラボも希望「決着は相撲です」ORICON NEWS 2020年10月24日配信 2020年12月3日閲覧
  5. ^ 極楽とんぼ悲願の旅番組!加藤浩次「旅番組をやるためにつけたようなコンビ名」TVLIFEweb 2020年10月9日配信 2020年12月3日閲覧
  6. ^ 極楽加藤「山本次第」14年半ぶり2人でレギュラー - お笑い : 日刊スポーツ” (日本語). 日刊スポーツ (2021年1月10日). 2021年1月10日閲覧。
  7. ^ 極楽とんぼオレたちちょこっとやってまーす! オレたちゴチャ・まぜっ!
  8. ^ 全エピソード - AbemaTV
  9. ^ 「極楽とんぼKAKERUTV」配信リスト - AbemaTV
  10. ^ 「極楽とんぼ KAKERU TV」動画 - AbemaTV公式 YouTube
  11. ^ 極楽とんぼ「KAKERU TV」本日スタート、山本が宣伝活動で渋谷、原宿を奔走”. お笑いナタリー (2017年4月27日). 2017年6月4日閲覧。
  12. ^ 加藤浩次がMC!賞金300万円を懸け芸能人たちがガチンコ頭脳勝負、業界初の完全リモートクイズバトル『QUIZOOM』3夜連続配信” (日本語). ABEMA TIMES (2020年4月24日). 2020年4月25日閲覧。

外部リンク

ナインティナイン

ナインティナイン: NINETY-NINE)は、岡村隆史矢部浩之からなる日本お笑いコンビ司会者1990年4月結成。吉本興業(東京本社)所属。略称は「ナイナイ」「99」。

2020年12月現在、共に既婚。

メンバー

岡村 隆史(おかむら たかし、1970年7月3日 - )(50歳)
大阪府大阪市東淀川区出身。
ボケ・ネタ作成担当。立ち位置は向かって右。
矢部 浩之(やべ ひろゆき、1971年10月23日 - )(49歳)
大阪府吹田市出身。
ツッコミ担当。立ち位置は向かって左。

来歴

素人時代

大阪府立茨木西高等学校サッカー部の先輩後輩として出会う。岡村(当時高1)は矢部の兄・矢部美幸(当時高2)とサッカー部の先輩後輩で面識があり、自宅へ招かれたところに矢部浩之(当時中3)がいたのが初対面となる。後に矢部が同じ高校のサッカー部に所属し、練習中に矢部から岡村に「岡村さん、『夕やけニャンニャン』って見てはります? 僕あれ観てるとドキドキするんですよ。」と話しかけたのが初めての会話である。

1990年、矢部が大学受験に失敗したことに伴い、当時吉本興業に先にお笑い芸人として同社に所属していた矢部の兄・美幸の薦めから、矢部も芸人を志す。矢部は吉本の芸人養成学校である吉本総合芸能学院(NSC)に入学を希望する際に、当時立命館大学夜間部の学生だった岡村を誘う。しかし、矢部はNSCへの願書の提出を忘れており、「お笑い芸人になるからには笑いの聖地を見学しに行こう」という理由でなんばグランド花月に足を運んだところ、その日がたまたまNSC入学希望者の二次面接の日で、提出忘れが発覚。当時の担当者だった大崎洋(現・吉本興業ホールディングス会長)にNSC入学希望の旨を伝えるも、当初は門前払いを食らったが面接終了まで待ち続けて頼み込み、何とか入学を許可してもらうことができた。そして2人は、NSCに9期生(同期はほっしゃん。宮川大輔など)として入所する。

NSC在学 〜 プロデビュー

コンビ結成時に最初に作ったネタは、岡村がツッコミ、矢部がボケを担当していた。しかしNSCでの最初の「ネタ見せ」の授業で、当時のNSC講師だった漫才作家の本多正識から「(ボケとツッコミが)逆やろ」と指摘されたことにより役割を交替している。

NSC在学中、NSC生が参加したお笑いのコンテスト「2丁目アマチュア大会」で優勝し、優勝特典である吉本興業が運営している心斎橋筋2丁目劇場の舞台出演権を獲得する。しかしその直後、先輩である雨上がり決死隊宮迫博之や矢部の兄・美幸が「授業料はほとんど払わなかったけど許してもらえた」という経歴を聞いていた2人は、NSCを授業料未納のままで乗り切ろうとしていたところ、岡村曰く「自分たちの年から授業料未納に対する扱いが厳しくなった」とのことで、ナインティナインの2人は授業料未納によりNSC除籍処分を通告される。2丁目劇場の舞台出演権を獲得しながらもNSC退学となってしまったことを報告するために、2丁目劇場の支配人であったのもとを訪れたところ、木山の厚意により2丁目劇場の舞台に立つことを許可される。NSCサイドから「なぜクビになった二人が出演しているんだ」とクレームが来るが、木山は「うちらは面白い芸人をつくるのが仕事です。面白いヤツは出します」などとフォロー。最終的にNSCサイドから「ナインティナインを引き続き出演させる代わりに、NSC生のへびいちごも出演させる」という条件を木山が受け入れる形で、ナインティナインは舞台に出演し続けることができた。

以降も舞台に出演し、NSC9期生の同期として、吉本興業所属の芸人となる。

東京進出後

1991年、吉本の若手コンビ6組で構成されるユニット「吉本印天然素材」に加わり東京進出[1]。1992年には第13回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞し、頭角を現す。程なくして、当時人気番組であった『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ系)の芸能人大会にコンビで出演した頃から人気・知名度が急上昇する[2]

1992年に『新しい波』から選抜されて、1993年に『とぶくすり』が放送開始。

1994年に「天素」から脱退。理由としては、岡村曰く「ミーハーな女性ファンの多さに危機感を持った」とのこと[3]。その後、本格的に活動拠点を東京に置く。東京本格進出1年目の1994年には放送時間こそばらばらなものの、『ナインティナインのオールナイトニッポン』『ぐるぐるナインティナイン』『ジャングルTV 〜タモリの法則〜』と関東放送番組[注 1] 3つのレギュラーになった。途中『銀BURA天国』のメインMCにも抜擢されていたがとぶくすり内の「うのうの団」ですぐ終わったと告げていた。

1995年に『森田一義アワー 笑っていいとも!』のレギュラー、『めちゃ2モテたいッ!』『ASAYAN』が放送開始。1996年10月に『めちゃ2イケてるッ!』が放送開始。1997年〜1999年『ナイナイナ』放送開始。このうち、『ナイナイのオールナイト』『ぐるナイ』『めちゃイケ』の3番組については以後15年以上続くロングランの番組となっている。

1999年にはゴロ合わせで「ナイナイの年」と銘打ち、映画出演や多数のライブイベントなどを精力的にこなした。

2004年、SMAP中居正広と共に『FNS27時間テレビ めちゃ2オキてるッ! 楽しくなければテレビじゃないじゃ~ん!!』の総合司会を務めた。岡村はこの番組の企画としてボクシングに挑戦。本番にて具志堅用高と対戦した。

2010年、岡村が7月15日から体調不良を理由に休養に入ることを発表。休養期間中のコンビ活動は休止となり、レギュラー番組には矢部が単独で出演していた。岡村は約5ヶ月後の11月27日放送(24日収録)の『めちゃ²イケてるッ!』にて復帰。以降はその他の番組にも順次復帰を果たしている。

2011年、2月26日に放送された『めちゃイケ』ナインティナイン結成20周年記念SPで宣材を撮り直しした。

2013年3月27日、矢部が予てから交際していた元TBSアナウンサーでフリーアナウンサーの青木裕子と入籍。

2014年9月25日、『ナインティナインのオールナイトニッポン』終了、20年半と長い歴史に幕を閉じたとともに歴代最長記録を保持している。翌週10月2日から岡村のみとなり『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』が放送開始。

2015年、『FNS27時間テレビ めちゃ2ピンチってるッ! 1億2500万人の本気になれなきゃテレビじゃないじゃ〜ん!!』(フジテレビ系列)の総合司会を中居正広と共に務めた[1]

2018年3月31日、『めちゃイケ』放送終了。

2020年5月14日、『ナインティナインのオールナイトニッポン』放送再開。コンビ結成30周年を迎える。

2020年9月10日の 『ぐるぐるナインティナイン 2時間SP』で、15年ぶりにネタを披露した[4]

2020年10月22日放送の『ナインティナインのオールナイトニッポン』内で、岡村が30代の一般人女性と結婚したことを報告した。

備考

コンビ名の由来

岡村によると、コンビ名の由来は岡村が嗜んでいたブレイクダンスの技のひとつである「1990(ナインティーンナインティ)」から引用している。「NSCの9期生2人だから」という説は、後付けとしている[5]。26年間中居正広はずっと、『ナインティンナイン』とコンビ名を書くものだと思っていた事が『めちゃイケ』の企画「日本一周の旅FINAL」で発覚した。

芸風

初期は舞台を中心にコント漫才を行っていた。岡村の全身を使ったダイナミックなボケと、矢部の「〜じゃないスか」などの冷静な「敬語ツッコミ」が特徴的。岡村が「身長はひゃく○○じゅっ○○センチです」とゴマかす「チビネタ」等も多かった。 ねるとん出演時にて、チビネタがとんねるずにハマっていた。

大阪から東京に活動の場を移してからはテレビのバラエティ番組をメインに活動している。岡村が常識的なことをあえて知らないフリをしたり勘違いしたまま暴走し、それを矢部が軽く突っ込みながらも岡村を泳がす「勘違いボケ」などを得意としている。

漫才のネタを考えるのは岡村の担当で、仕切りや司会などは矢部が担当している。仕事の比率で言えば岡村の方の仕事量の負担が多く、ネタを考える岡村の横で矢部が、新聞や週刊誌を読んで休んでいることでケンカになることが多かった。矢部は岡村が苦手としている仕切りや司会の仕事を矢部が練習もせずに見事にこなすこと、岡村のまじめにネタを考え、笑いに真剣に取り組んでいる部分、お互いに長所、短所をカバーしてコンビのバランスをとっている。

お笑いを目指すきっかけ

立命館大学在学中だった当時は国家公務員を目指していた岡村だったが、それは「安定した職についてほしい」という父・治雄の勧めによるものであった。矢部の誘いをきっかけに「俺は親父の敷いたレールの上を歩いていただけやった」(岡村談)と思い直し、お笑いへの方向転換を決意したという。

この時岡村の父は「隆史をヤクザの世界に誘いおって、矢部を絶対に許さへん!」と大激怒し、その後矢部が岡村の家に遊びに行っても口を全く聞いてくれなかった。岡村が休養したのをきっかけに、矢部は岡村の父から「矢部さん、本当に隆史を見捨てんといて下さい」と言われ、2人はメールでやり取りをする仲になったことを元マネージャーとの対談で語っている[6]

マネージャー

ナインティナイン担当の歴代マネージャーはあだ名を付けられるのが恒例になっている。命名は何故かよゐこ有野晋哉。特にキャラクターが特徴的な人物は『ナインティナインのオールナイトニッポン』で面白いエピソードとして語られてしまうため、リスナーにもネタにされることが多い。

歴代マネージャーのあだ名には、河内マン(河内)・坪倉大臣(ツボクレンジャー、坪倉)・磯塚センターフライ(磯塚)・イトックス(伊藤)・なかなかじま(中島)・お茶子さん(中村)・満喫太郎(織田)・サトスター(佐藤)・居眠り姫(古瀬)・アジアンビューティー(土橋)・大森二等兵(大森)・ジム大谷(大谷)・なうかど(今門)・新車車谷(車谷)などがある。

新しいマネージャーが付いた際に、大阪時代のマネージャーが矢部のファンに手を出して吉本興業をクビになったことがオールナイトニッポンで必ず語られる。

ナイナイのオールナイトニッポンでよくマネージャーいじりをしていた。坪倉が野猿で唯一女性ボーカルで一度だけ参加したCA(あらいちか)と入籍したのを「嫁が野猿」と言ったり、アナウンサーの内田恭子が週刊誌に「吉本のマネージャーKと熱愛(のちに結婚)」を岡村に「河内マンだと思う。」と言われたが矢部に「(河内マネージャーが)体型ちゃうし、河内は角刈りやん!」といじられた。

ナイナイ会議

ナインティナインが今後どのような活動をしてゆくのか、壁にぶち当たったときなどに2人だけで会議がおこなわれている。テレビやラジオ番組で会議がおこなわれる場合もあるが、それ以外に他人に知られたくない議題は主にメールでおこなうことになっている。年齢と共に仕事への向き合い方での修正や活躍のしかた、コンビでの活動などが話し合われる。

受賞歴

漫才

映画

テレビ

出演

テレビ

現在
レギュラー番組
スペシャル番組
過去の出演番組
ドラマ
アニメ
  • サザエさん(2004年7月25日・2011年7月24日・2015年7月26日、フジテレビ) - 岡村隆史役(岡村)・矢部浩之役(矢部)

ラジオ

現在
過去

映画

作品

ライブ

毎年9月9日を「ナインティナインの日」と位置付け、2人の地元である大阪で毎年同日に『ナイナイライブ』と題し2005年まで開催されていた。詳細は『ナイナイライブ』を参照。

イベント

岡村隆史のオールナイトニッポン歌謡祭in横浜アリーナ」(岡村のみ) 2015年から2019年まで開催。

ゲーム

CM

CD

  • 『愛した人はバツイチ』 ナインティナイン with 清水ミチコ1994年
  • 『想い出がいっぱい』 岡村隆史(映画『無問題』主題歌、H2Oの広東語カヴァー)
  • 『無問題2 - オリジナル・サウンドトラック』
  • めちゃイケCD Vol.1

書籍

  • 『ナインティナインのオールナイトニッ本 vol.1〜スキャンダル事件史 94-99年 永久保存版 大年表 少年ナイフ編〜』(ヨシモトブックス、2009年9月9日発売、税込み1,000円)
  • 『ナインティナインのオールナイトニッ本 vol.2〜お台場激闘史!湾岸スキーヤー編〜』(ヨシモトブックス、2010年2月15日発売、税込み1,000円)
  • 『ナインティナインのオールナイトニッ本 vol.3〜ナイナイと99人の女たち編』(ヨシモトブックス、2011年5月19日発売、税込み1,000円)
  • 『ナインティナインのオールナイトニッ本 スペシャル〜ナイナイと99の超常現象編 金(vol.4G)』(ヨシモトブックス、2012年7月19日発売、税込み1,000円)
  • 『ナインティナインのオールナイトニッ本 スペシャル〜ナイナイと99の超常現象編 銀(vol.4S)』(ヨシモトブックス、2012年7月19日発売、税込み1,000円)
  • 『ナインティナインのオールナイトニッ本 vol.5〜有楽町絶体絶命史 05-07年 永久保存版 大年表 ホワイトナイト編〜』(ヨシモトブックス、2013年9月9日発売、税込み1,000円)
  • 『ナインティナインのオールナイトニッ本 vol.6〜絶体絶命 岡村隆史 08-10年 永久保存版 大年表 エバーグリーン編〜』(ヨシモトブックス、2014年3月3日発売、税込み1,000円)
  • 『ナインティナインの上京物語』黒澤裕美(大和書房)(2012年)

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ このうち『ジャングルTV 〜タモリの法則〜』は在阪局毎日放送東京支社制作扱い[要出典]

出典

  1. ^ a b ナインティナインが25年をかけて到達した「本気の仕事論」”. 日刊SPA!. 扶桑社 (2015年7月15日). 2015年9月21日閲覧。
  2. ^ KING[要ページ番号]講談社 2008年5月、『ナインティナインのオールナイトニッポン』2008年10月30日より[出典無効]
  3. ^ 天素ビデオなど[どれ?]の岡村本人談
  4. ^ ナイナイ、タモリの前で久々ネタ披露「恥かくよ」「震えるわ」” (日本語). マイナビニュース (2020年9月9日). 2021年2月17日閲覧。
  5. ^ 踊れて感動! 岡村隆史「ナインティナイン」由来はブレイクダンスの技から”. スポーツ報知. 株式会社報知新聞社 (2015年9月19日). 2015年9月21日閲覧。
  6. ^ 『ナインティナインの上京物語』[要ページ番号]大和書房、2012年。
  7. ^ https://laughmaga.yoshimoto.co.jp/archives/10311

関連項目

外部リンク


 

Back to Top
Close