写真 「川俣シャモのおいしさを再発見してほしい」と新商品をPRする渡辺専務(右)と芝田社長
「川俣シャモ」スープの素に!鍋料理やラーメン…家庭用に着目
内容をざっくり書くと
銘品館シルクピア、セレクトショップ「AMEKAZE」(郡山市、三春町)で販売している。
川俣町農業振興公社と漬物の製造・販売などを手掛ける小田原屋(郡山市)は、本県を代表するブランド地鶏「… →このまま続きを読む
福島民友新聞
福島県を代表する地方紙「福島民友新聞」のニュースサイト。明治28年の創刊以来、「県民の友」として地域密着の最新ニュースを発信しています。県内ニュースは福島県内25カ所の取材拠点をつなぎ、幅広く地域のニュースをカバー。東日本大震災からの復興や東京電力福島第一原発関連の記事にも力を入れています。グルメや観光、イベント、読みごたえのある連載など多彩な記事をお届けします。
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三春町
三春町(みはるまち)は、福島県中通り中部に位置し、田村郡に属する町。
地理
福島県のほぼ中央部、阿武隈山系の西裾に位置し、郡山市の北東に隣接している。町のほとんどが標高300~500mの丘陵地で、ゆるやかな山並みが続いている。気候は内陸性気候で、冬の降雪は少なく、夏もあまり暑くない。
隣接している自治体
町内の風景
歴史
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、田村郡三春町、御木沢村、巌江村、中妻村、中郷村、沢石村、要田村が成立。
- 1914年(大正3年)7月21日 - 平郡西線(現在の磐越東線)の郡山 - 三春間が開業。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 田村郡三春町、中郷村、沢石村、要田村、御木沢村、中妻村が合併し、三春町となる。
- 1955年(昭和30年)11月15日 - 田村郡巌江村の一部を編入する。
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 国道288号が制定。
- 1995年(平成7年)8月2日 - 船引三春インターチェンジが供用開始。
行政区域変遷
- 変遷の年表
三春町町域の変遷(年表) | ||
---|---|---|
年 | 月日 | 現三春町町域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行により、以下の村が発足。[2][3] |
1889年(明治27年) | 7月23日 | 巌江村の一部(南小泉・北小泉と芹沢の一部)が分立し小泉村が発足。 |
1955年(昭和30年) | 4月1日 | 三春町・沢石村・要田村・中妻村・御木沢村・中郷村が合併し三春町が発足。 |
11月1日 |
| |
1957年(昭和32年) | 三春町の一部(笹山・荒和田と熊耳・南成田の各一部)は船引町に編入。 | |
1963年(昭和38年) | 船引町の一部(笹山・荒和田・要田の各一部)は三春町に編入。 |
- 変遷表
三春町町域の変遷表(※細かい境界の変遷は省略) | |||||
---|---|---|---|---|---|
1868年 以前 | 明治22年 4月1日 | 明治22年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |
三春町 | 三春町 | 昭和30年4月1日 三春町 | 三春町 | 三春町 | |
実沢村 | 沢石村 | ||||
富沢村 | |||||
青石村 | |||||
熊耳村 | 要田村 の一部 | ||||
南成田村 | |||||
北成田村 | |||||
鷹巣村 | 中妻村 の一部 | ||||
斉藤村 | |||||
西方村 | |||||
沼沢村 | |||||
平沢村 | 御木沢村 | ||||
御祭村 | |||||
七草木村 | |||||
滝村 | 中郷村 | ||||
柴原村 | |||||
蛇石村 | |||||
根本村 | |||||
樋渡村 | |||||
狐田村 | |||||
過足村 | |||||
春田村 | |||||
貝山村 | |||||
蛇沢村 | |||||
込木村 | |||||
楽内村 | |||||
芹ケ沢村 | |||||
山田村 | 巌江村 の一部 | 昭和30年11月15日 三春町に編入 | |||
上舞木村の一部 |
人口
![]() | |
三春町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 三春町の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 三春町 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
三春町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
提携都市
行政機関等
国の機関
県の機関
- 福島県三春合同庁舎
- 福島県県中建設事務所 三春土木事務所
- 福島県県中農林事務所 田村農業普及所
- 福島県県中保健福祉事務所 田村福祉相談コーナー(旧・田村出張所)
- 福島県環境創造センター
- 福島県動物愛護センター「ハピまるふくしま」
町の機関
- 三春町福祉会館(社会福祉法人三春町社会福祉協議会による指定管理)
- 三春町保健センター
- 三春駅前健康サロン
- 三春町清掃センター
- 三春町民図書館
- 三春町立三春病院(公益財団法人星総合病院による指定管理)
- 養護老人ホーム三春町敬老園(同上) ほか
その他
- 国立環境研究所福島支部
- 日本原子力研究開発機構福島環境安全センター
- 郡山地方広域消防組合田村消防署 三春分署
- 田村西部環境センター
- 一般社団法人田村青年会議所
- 三春町商工会
- 双葉地方森林組合 田村事業所 ほか
交通
鉄道
路線バス
タクシー
- 三春タクシー
- マルイチ三春自動車
道路
経済
名産品
農業
工業
主たる製造工場
商業
金融機関
- JAバンク福島()三春支店、桜支店
- 郵便局
電気
- 東北電力青石発電所
- 東北電力移川発電所
- 東北電力ネットワーク三春変電所
通信・新聞
- NTT東日本三春交換所
郵便
- 三春郵便局(集配局)
- 中妻郵便局
- 三春八幡町郵便局
- 三春駅前郵便局
- 沢石簡易郵便局
- 中郷簡易郵便局
教育
専門学校
高校
中学校
- 三春町立三春中学校
- 2015年(平成27年)4月に三春中学校、桜中学校、沢石中学校、要田中学校の4校が統合し、新生の三春中学校となった。
- 三春町立岩江中学校
小学校
- 三春町立中妻小学校
- 三春町立三春小学校
- 三春町立御木沢小学校
- 三春町立中郷小学校
- 三春町立岩江小学校
- 三春町立沢石小学校
双葉郡富岡町が設置する学校
- 富岡町立富岡第一小学校三春校
- 富岡町立富岡第二小学校三春校
- 富岡町立富岡第一中学校三春校
- 富岡町立富岡第二中学校三春校
- 2011年(平成23年)3月の福島第一原子力発電所事故により双葉郡富岡町は全町避難となったため、同年9月に三春町熊耳の廃工場建物に上記4校がまとめて仮設された。設置の経緯から、これらの小中学校に通学できるのは富岡町民に限られる。[6][7]
双葉郡葛尾村が設置する学校
- 葛尾村立葛尾小学校三春校
- 葛尾村立葛尾中学校三春校
観光
名所・旧跡
温泉
- 馬場の湯温泉
- やわらぎの湯
- 斎藤の湯(上湯・下湯)
観光施設
- 三春ハーブガーデン
- 三春の里田園生活館
- ライスレイクの家
- 三春郷土人形館
- 三春町歴史民俗資料館
- 三春交流館「まほら」
- 福島さくら遊学舎
祭事・催事
- 水かけまつり
- 三春だるま市
- 三春盆踊り大会
出身有名人
(五十音順)
- 大高正人(建築家)
- (社会運動家)
- 玄侑宗久(僧、小説家、芥川賞受賞者)
- 河野広中(自由民権運動活動家、第11代衆議院議長)
- 國分正明(公益財団法人修養団理事長、元日本芸術文化振興会理事長、元文部事務次官)
- 鈴木隆(元プロ野球選手)
- 田部井淳子(登山家)
- 田村清顕(三春田村氏三代)
- 田村隆顕(三春田村氏二代)
- 田村義顕(三春田村氏初代)
- 富田六郎(元中央競馬調教師)
- 橋元四郎平(元弁護士、元最高裁判事、勲一等瑞宝章)
- 前川つかさ (漫画家)
- 三浦守治(帝国医科大学初代病理学教授)
- 湊季松(衆議院議員)
- 湊徹郎(元衆議院議員)
- 三原昌平(プロダクトデザイナー)
- 宗像紀夫(弁護士、内閣官房参与)
- 愛姫(田村清顕の娘・伊達政宗の正室)
- 渡辺あきお(イラストレーター、画家)
脚注
- ^ 図典 日本の市区町村 p54
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 7 福島県』、角川書店、1981年 ISBN 4040010701より
- ^ 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180より
- ^ “三春町 小・中学校の一覧”. 2016年4月29日閲覧。
- ^ “要田小学校の歴史 (PDF)”. 2016年4月29日閲覧。
- ^ “富岡第一小学校・富岡第二小学校【三春校】”. 2016年4月29日閲覧。
- ^ “富岡第一中学校・富岡第二中学校【三春校】”. 2016年4月29日閲覧。
- ^ “葛尾村公式サイト 葛尾小学校三春校 学校概要”. 2016年4月29日閲覧。
- ^ “葛尾村公式サイト 葛尾中学校三春校 学校概要”. 2016年4月29日閲覧。
外部リンク
セレクトショップ
セレクトショップやセレクトストア(どちらも和製英語[1])は、複数のメーカーやブランドの商品を扱う小売店のこと。複数メーカー品取扱店のこと。
概説
セレクトショップは複数のメーカーやブランドの商品を扱う小売店のことであり、特定メーカーの商品だけを扱っている店舗(例:ソニーショップやユニクロなど)と区別する場合にこの語が用いられる。主に服飾や雑貨を取り扱う店舗に対して用いられる場合が多い。それ以外の、もっと重厚な商品や、格式の高い商品を扱っている分野では、たとえ小売店が複数のメーカーのものを販売していても「セレクトショップ」とは呼ばないのが一般的である。
20世紀後半に、日本では都市部の商業地区で特定ブランド専門店ばかりが並ぶようになった。そのため従来からある複数のメーカーの商品を扱う店舗を特定ブランド専門店と区別する場合に「セレクトショップ」という語が用いるようになった。これは、日本で独自に作られた、一種のレトロニムとなっている。
ブランディング技法の深化と専門店の増殖
店舗というものの歴史を調べれば分かることだが、もともと日用品店であれ、雑貨店であれ、洋服店であれ、小売店というのはさまざまな職人や業者や企業が作ったものを売ることはきわめて一般的なことである。
もともと19世紀や20世紀の製造や流通での一般的な流れとしては、メーカーは(ほぼ)製造すると、上流の大手流通業者(「問屋」などと呼ばれるものの中の特に大手)にまとまった数量販売し(メーカーはその先、商品がどのように販売されてゆくかについてはあまり関与せず / 関与できず)、大手問屋はさらに2次問屋に販売し、2次問屋が3次問屋や小売店に販売し、2次問屋~3次問屋や小売店には複数のメーカーの商品が流れ込む、ということが標準的であった。
ところが日本では20世紀後半に、マーケティングの分野(大学でのマーケティング研究)でブランド設定やブランドイメージの構築によって利益を大きくする手法が本格的に研究されるようになり、MBAのカリキュラムにも組み込まれ、その知識やノウハウが服飾品や高価格帯商品などの実務の世界へ導入されるようになったが、(従来どおりの、小売店が複数のメーカーの商品を販売する、という店舗では、店舗側が自社(メーカー)の商品やブランドをどう扱ってくれるかその扱い方次第でブランドイメージはどうとでもなってしまい、メーカー側がコントロールしようとしても、商品パッケージはあるが、それ以外には、商品付近にリーフレットを置いたり、商品を置く棚にイメージ醸成のためのパネルを置いてもらうことや、あるいは多大な費用をかけて、メーカー側の意図通りにお客にイメージを与えるトレーニングを受けさせた販売員を店舗に配置させてもらう、など、あまり選択肢が無い、という問題があった)、その結果、比較的大きなメーカーが、自社ブランドイメージを自社が狙った通りに顧客の心に植えつける(刷り込む)ためには、メーカーみずからが店舗を作り、ブランドイメージを醸成するような店舗を、設計や内装のレベルから関与し、その店舗の中に、自社の商品を配置することで、購買者に 特定の(メーカーによってコントロールされた)イメージを強く刷り込む、という手法を採用する会社がポツポツと出てくるようになり、その多くが成功し、成功例を見て模倣するメーカーが続々と増え、世の中の小売店の中で、特定メーカー(ブランド)の商品ばかりを扱う店舗の割合が増えてきた。その結果、特定ブランド専門店(たとえばユニクロ)が大幅に増え、日本中の都市部の商業地区のかなりの面積割合を占めるようになり、いつのまにか従来型の店舗の割合が減ってしまった。
なおこうした特定メーカー専門店(特定ブランド専門店)では、商品のラインナップを決定するのは、一般論として言えば、メーカーのマーケティング部門(販売推進部門)や商品開発部門およびメーカーの経営陣であり、メーカー本部のマーケティング部門(販売推進部門)が、商品群の販売計画の大枠や商品ラインナップの展開もあわせて決定する。そして各店舗の「店長」と呼ばれる人は、メーカー本部のマーケティング部や販売推進部等の指示通りに動くのが任務であり、自分の担当する店舗の中に並べる商品に関しても本部の打ち出した指示や方向性に従うのが主たる任務で、裁量の余地はほとんどない。
セレクトショップの特徴
複数のブランドの商品を取り扱う小売店では店舗側の経営者や担当者が選んだ商品を陳列・販している。当該店舗の経営者やバイヤーが、店舗の運営に重要な役割を果たす。消費者の側から見ると、大手メーカーには属していない新進のデザイナーが考案した商品や、まだ小規模の作り手(メーカー)で独自の店舗を構えるほどの資本力は無いような商品も販売している、ということは特定メーカー(ブランド)専門店には無い利点である。また複数のブランドを組み合わせたコーディネートを提案しれる可能性があるのも魅力で、また複数のメーカーの商品を組み合わせたコーディネートをしてくれる可能性もある。
もともとセレクトショップであっても、自社(自店舗)で企画・制作して自社ブランド名を冠する商品を販売している場合も多い。このような商品は「セレクトショップオリジナル(セレオリ)」と呼ばれている。セレクトショップオリジナル商品は一種のSPA方式であるため、ブランドから買い付けたセレクト商品より祖利益率が高く、セレクトショップの経営を安定させるために重要である。特に大手のセレクトショップであるほど、セレクトショップオリジナル商品の割合が高い傾向にある。中には、大半の商品がセレクトショップオリジナルで構成されている場合もあり、このような店舗をセレクトショップと呼ぶか否かの明確な基準はない。 [2]
特定ブランド専門店が存在する市場
服飾
服飾分野では、昔から、駅前の商店街に行けば、複数のメーカーの商品、複数のブランドの商品を並べている「洋服店」や「洋品店」や「ブティック」が並んでいる。現在でも田舎の駅前の商店街には大抵、そうした店舗が複数あり、各店舗ごとに経営者が異なり、店名も異なり、品揃えも異なる。各店舗ごとに、固定相的な顧客、リピーターがついている。それなりに繁盛している店もある。そうした店舗は多数ある。またセレクトショップにはシップス、ビームス、ユナイテッドアローズなどのチェーン店もある。
東京の服飾分野で古くからの有名店としては、1955年にサンモトヤマが有楽町で創業後、1959年に銀座へ移転して[3]2019年まで営業を続けた。
電化製品
また電化製品を扱う店では、ヤマダ電機であれ、ヨドバシカメラであれ、ビックカメラであれ、エディオンであれ、複数のメーカーの商品を展示・販売している。
脚注
- ^ Shopping Japan: What Are "Select Stores"?
- ^ Apple Storeは自社ブランド中心に加えて他社ブランドもセレクトして販売している。自社・自店舗を和製英語の「セレクトショップ」とは決して呼ばない。ユナイテッドアローズは自社ブランドも販売しているが、セレクトショップという認識である。
- ^ 「連載・銀座まちがたり - Vol.22 サンモトヤマ」『松屋銀座』。