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🧁|お芋スイーツ好きはファミマに急げ! 目移りしちゃう17品、秋の「ファミマのお芋掘り」


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お芋スイーツ好きはファミマに急げ! 目移りしちゃう17品、秋の「ファミマのお芋掘り」

 
内容をざっくり書くと
国産紅はるかパウダーを生地に練りこんだドーナツは、さつまいものやさしい香りが印象的。
 

バラエティに富んださつまいもスイーツが17品!ファミリーマートでは、9月7日から27日までの期間限定… →このまま続きを読む

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やさしい香り

サツマイモ

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サツマイモ(薩摩芋[1]学名: Ipomoea batatas)は、ヒルガオ科サツマイモ属多年草植物。あるいはその食用部分である塊根(養分を蓄えている肥大した根、)。別名で、甘藷(かんしょ)、唐芋(からいも)ともよばれる。中南米の原産で、ヨーロッパ、中国、日本などへ広まり、各地で栽培される。食用される塊根はデンプンやビタミン類を豊富に含み、焼酎原料や飼料にも利用される。また食物繊維が多く、便秘改善にも役立てられる。

名称

和名サツマイモは、琉球王国(現・沖縄県)を経て薩摩国(現・鹿児島県)に伝わり、そこでよく栽培された事に由来する[2][3]。サツマイモは「薩摩藩から全国に広まった芋」を意味している[4]。別名として甘藷(かんしょ)があり[1]、中国植物名も甘藷である[5]。甘藷は「甘味のある芋」の意味である[4]

英語では Sweet potato(スウィート・ポテト)[1]フランス語では potate douce(パタートゥ・ドゥース)[6]イタリア語では patata dolce(パタータ・ドルチェ)といい、いずれも「甘い芋」という意味をもつ。イタリア語では potata americane(パタータ・アメリカーナ:アメリカの芋の意)とも表現される[6]。英語圏の一部では、サツマイモ「sweet potato」を「Yam」(ヤム)などの別の名前で呼んでいる[7][注釈 1]ヤム芋を育てていたアフリカ系奴隷が、アメリカ合衆国で作られた水っぽい「ソフトスイートポテト品種」をヤム芋と似ていたことから「ヤム」と呼ぶようになった。アメリカなどでは本来のヤム芋は輸入食料品店ぐらいにしか置いてないことから、ヤムと表示されていれば「ラベルに注意書き」が無い限り「ソフト」スイートポテトのことである[8][9]

地方により、また歴史的にも呼称は変遷し、たとえば日本本土では「唐芋(からいも、とういも)」や「琉球薯(りゅうきゅういも)」、野國總管沖縄本島に導入した当時は「蕃薯(ばんしょ、はぬす、はんす、はんつ)」と呼ばれていた。他に「とん」「うむ(いもの琉球発音)」等とも呼ばれる。唐芋は「中国から伝わった芋」という意味を含んでいる[4]。中国()から伝来した由来により、特に九州では「唐芋」とも呼ばれる場合が多い[10]

特徴

各地で栽培されるつる性の多年草[5]。高温や乾燥に強く、痩せ地でも良く育つ丈夫な野菜で、芋(塊根)などを食用にする[11]ピンク色でアサガオに似るが、鈍感な短日性であるため、日本本州など温帯地域では開花しにくく、品種や栽培条件によってまれに開花する程度である。また、花の数が少なく受粉しにくい上に、受粉後の寒さで枯れてしまうことが多いため、品種改良では種子を効率よく採るためにアサガオなど数種類の近縁植物に接木して、台木から送られる養分や植物ホルモン等の働きによって開花を促進する技術が使われる。

1955年昭和30年)に西山市三メキシコで祖先に当たる二倍体の野生種を見つけ、イポメア・トリフィーダ(Ipomoea trifida)と名付けた。後に他の学者達によって中南米が原産地とされた。若いを利用する専用の品種もあり、主食野菜として食用にされる。

芋の皮の色は紅色や赤紫色の他、黄色や白色がある[1]。芋の中身は主に白色から黄色で、中には橙色や紫色になる品種もある[1]。特に芋の中身が紫色のサツマイモを、紫芋(むらさきいも)と呼んでいる。

歴史

原産地は中央アメリカメキシコ中央部からグアテマラにかけてとする説が有力である[1][4]。紀元前3000年以前から、メキシコ地域で栽培化されていたとみられている[4]。その後は南米ペルーに伝わり、古代ペルーの遺跡からサツマイモの葉や花、根を描いた土器や綿布が発見されていることから、重要作物になっていったと考えられている[4]

15世紀末にクリストファー・コロンブスが新大陸を発見し、スペインイザベル女王へ献上したこと契機に、アメリカ大陸からヨーロッパへと広まった[1][4]。しかし、もともと熱帯作物であったため、ヨーロッパではジャガイモのように普及することはなかった[4]イギリスではエリザベス朝の頃に、その甘さから好意的に受け入れられた。イギリス人はこの芋をペルーでの塊茎を意味する言葉 batata から patate と呼んだ。18世紀末に甘くないジャガイモ(potato)が一般化するにつれ、サツマイモは sweet potatoと呼ばれるようになった[12]

大航海時代の1498年に、コロンブスがベネズエラを訪れて以降、1519年にはポルトガルフェルディナンド・マゼランスペイン船隊を率いて南端のマゼラン海峡を発見。16世紀に頻繁に南アメリカ大陸にやってきたスペイン人あるいはポルトガル人により東南アジアに導入された。ルソン島フィリピン)から中国を経て1597年宮古島へ伝わり、17世紀の初め頃に琉球九州へと伝わった。アジアにおいては外来植物である。

ニュージーランドへは10世紀頃に伝播し、「クマラ」(kumara) の名称で広く消費されている。西洋人の来航前に既にポリネシア域内では広く栽培されていたため、古代ポリネシア人は南米までの航海を行っていたのではないかと推測されている。

日本へは中国から宮古島に渡ったのが始まりで、17世紀初めに琉球にもたらされ、やがて薩摩へ伝わり、九州南部で栽培されたのが「薩摩の芋」として、全国へ広まり定着した[1][4]。西日本の大飢饉の折に、鹿児島で餓死者を出さなかったことから、凶作の年でも収穫が見込める救荒作物として重要視されるようになる[4][13]。飢饉対策に腐心していた江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の命によって、1735年、蘭学者青木昆陽が薩摩から江戸に種芋を取り寄せて、小石川御薬園(現:小石川植物園)などでサツマイモを試作し、これをきっかけに東日本各地でも栽培が広がった[4][13]。20世紀の第二次世界大戦太平洋戦争)中は、軍事統制下の深刻な食糧難からサツマイモ栽培が大いに奨励された[4]

栽培

栽培法

サツマイモは繁殖能力が高く、窒素固定細菌(クレブシエラ・オキシトーカ (Klebsiella oxytoca) 、パントエア・アグロメランス (Pantoea agglomerans) )など[14][15] との共生により窒素固定が行えるため、痩せた土地でも育つ。有機物の多い肥沃な土地では、つるばかりが伸びて葉が茂り、塊根が太らなくなる「つるぼけ」になってしまうことがある[13]。従って、肥料は窒素過多による「つるぼけ」を防ぐため、ごく少なくする[13]連作障害は少ない方であるが、同じ畑では1 - 2年あけるようにする[11]。栽培に適する土壌酸度は pH 5.0 - 6.0、生育適温は25 - 30℃、発芽適温は20 - 30℃とされている[11]

サツマイモは種芋を植えるのではなく、種芋から芽を出して育苗して、7 - 8枚の葉が付いたツル(茎:さし苗)を切り取って土に挿すという形で定植し[注釈 2]、さし苗の節から出る不定根を発生させる[13]。その後、不定根が十分に肥大して芋になるので[16]、これを収穫する方法が一般的である。種から発芽させる方法もあるが、アサガオのようにツルを伸ばして生長するためイモはあまり取れない。農家では前年に収穫した種芋を、温床をつくって伏せ込み、その種芋から伸びたツルを切り取って苗とする[13]家庭菜園程度であれば春に園芸店やホームセンターなどでツルを購入して栽培するのが簡単である。

水はけと通気性の良い環境を好むため、高さ30センチメートルほどの高畝で育てる[11]。畝は地中の温度を上げ、除草のためにマルチングを行うときもある[16]、高畝にした畑に苗を水平、または斜めに差すようにして、30 - 40 cm開けて植え付ける[17]。植え付け後の追肥は、一般的には不用である[16]。つるが四方に伸びると、まわりの土にも根付いてくるので、四方に根付いた部分から芋がつくのを防ぎ、ついで栄養成長を抑えて芋を充実させるために、つるを持って根を引き剥がして裏返すように置く「つる返し」を行う[17]晩夏からにかけて、地上部のつるを刈り取って、芋を傷つけないようにまわりの土を掘ってほぐし、株元をつかんで引き抜いて収穫する[16]。霜に当たるとサツマイモが腐ったり、貯蔵性が悪くなったりするため、霜が降りる前に収穫を終えるようにする[18]

肥料(特に窒素肥料)を多く与えて葉や茎が育ちすぎると、過剰成長して根の品質(外見・味)が下がる。また、極端な場合では光合成で作られた栄養が茎や葉の成長に浪費されるため、芋の収穫量が減る。サツマイモは痩せた土地でも育つので、前作で野菜を作っている畑の場合では、全く肥料を与える必要はない[19]。苗が植物ウイルスに感染すると収量低下を起こすため、ウイルスフリー苗が利用されることもある[20][21]

以下は特殊な栽培法についての説明である。

  • 乾燥地ではツル苗の活着率が悪いため、種芋を直接または種芋を適当な大きさに分割して、ジャガイモのように圃場に直接植えつける(直播)こともある。栽培の省力化を目論んで種芋直播用農機具の技術開発が行われている[22]
  • 希少品種などの極少量の種芋から多くの苗を得ることを目的に、種芋を輪切りにして、その切断面から不定芽を出させる方法もある[要出典]
  • 開花しやすい系統では種子(真性種子)から栽培されるものもある。遺伝的なバラツキが大きいが、種芋と比べて種苗の維持管理が簡単なため、劣悪な環境での栽培や救荒作物として期待されている。

病虫害

病虫害はあまり発生しない方であるが[19]、発生する場合は以下のようなものがある。

病気
害虫
  • コガネムシの幼虫[11]、サツマイモネコブセンチュウ[11]ドウガネブイブイ、チャイロムナボソコメツキ、イモキバガ、ナカジロシタバ

沖縄県全域、奄美群島トカラ列島小笠原諸島ではイモゾウムシ[25]、サツマイモノメイガ[26] による被害が問題となっているが、根絶に向け不妊虫放飼法による対策も行われている[27]

品種

世界には4000種あるといわれているが、日本で栽培されるのは40品種程度である[6]。紅あずま、紅こまち、紅赤(べにあか)、安納紅、安納こがね、紅はるか、シルクスイート、金時などの品種がある。なかでも、関東では紅あすま、関西および九州では高系14号が主流となっている[6]デンプン原料用としては、シロユタカ、シロサツマ、コガネセンガン(黄金千貫)などがある。天然着色料の原料としても使用される品種に[28]、七福人参(カロテン色素を抽出する。)、琉球紫(アントシアニン色素を抽出する。)、パープルスイートロード(アントシアニン色素を抽出する。)がある。

  • (べにあずま) - 東日本でポピュラーな品種。芋の外皮が濃い紅紫色で中身が濃い黄色。繊維が少なく甘味が強い。粉質でホクホクした食感が特徴[1]。焼き芋や菓子の材料の他、家庭料理全般に向く[4]
  • (こうけい14ごう) - 西日本でポピュラーな品種。芋の外皮は赤褐色、中身が淡黄色。糖度は8%ほどで甘味が強く、ややねっとりしている。焼き芋には最適で、各生産地で「鳴門金時」「土佐紅」「千葉紅」などの独自ブランド名をつけて出荷流通する[4]
    • 鳴門金時(なるときんとき) - 西日本でポピュラーな徳島県鳴門の品種。甘味が強くホクホクした食感が特徴。天ぷら・大学芋・菓子材料に向く[29]
    • 紅はるか(べにはるか) - 鳴門金時と同じ高系14号系の品種。甘味が強く、水分が多めで、蒸し芋や干し芋にすると美味しい[29]
    • 坂出金時(さかいできんとき) - 高系14号系の香川県の品種。粉質のホクホクした食感で、ほどよい甘さがあり、料理や菓子に向く[29]
    • 五郎島金時(ごろうじまきんとき) - 高系14号系の石川県金沢市五郎島の砂丘地で栽培される品種[13]。江戸時代の元禄期に、鹿児島から加賀に種芋を持ち帰って栽培されたといわれる伝統品種。粉質でホクホクした食感がある[29]
  • 紅赤(べにあか) - かつて関東地方の代表的な品種で、皮が鮮やかな赤紫色で細長いのが特徴。細すぎるのは繊維が多い。加熱すると中が濃い黄色になって甘味が強く、焼き芋や栗金団用に人気がある[30]
  • 紅さつま(べにさつま) - 鹿児島県でもっとっも多く栽培されている青果・加工用の芋。皮は濃赤色で中は黄白色。例年5月下旬から、日本一早い「新芋」として出荷される。ホクホクした食感で甘味があり、焼き芋やふかし芋、天ぷらなどに向く[30]
  • 大隅甘いも(おおすみあまいも) - 小ぶりで中が濃い色の鹿児島県の品種。加熱するとねっとりした食感で、甘味が強い[29]
  • アヤコマチ - 中が橙色に近い濃い色の芋で、カロテンを多く含む。焼き芋・蒸し芋・サラダに向く[29]
  • いずみいも - 外皮が白っぽい色で、中が濃い黄色の芋。甘味が強く、こくがあってねっとりした食感をもち、茨城県産の干し芋として人気がある[29]
  • シルクスイート - 農林水産省の登録品種で、登録名 HE306。外皮は赤褐色で中身は淡黄色。絹のような滑らかな食感と強い甘さを持つ[11]
  • (はやといも) - 鹿児島県の在来種で、別名「にんじん芋」「かぼちゃ芋」。外皮が薄い茶橙色で、加熱すると中身がニンジンのようなオレンジ色になる。カロテン含有量が多く、甘味が強くやわらかい。蒸し芋や焼き芋にするほか、焼酎の原料にも使われる[29][30]
  • 紅はやと(べにはやと) - 皮は赤紫色で、中はカロテン含有量が多くオレンジ色をしている。柔らかく繊維が少ないことから、大学芋や菓子、シャーベットなどに利用される[30]
  • (たねがしまむらさき) - 種子島の在来種で、沖縄県・鹿児島県に多い紫芋の一種。外皮は白く、中身は鮮やかな紫色が特徴。ホクホクした食感で甘味が強く、デンプン質も多く含まれている。焼き芋、蒸し芋のほか、菓子加工用にも向き、紫芋独特の上品な甘さの焼酎にも加工される[29][31]
    • 種子島ゴールド(たねがしまゴールド) - 1999年に「種子島紫」から品種選抜して育成された品種で、皮が白色で中が斑入りの鮮やかな紫色。紫芋の中では甘味があり、焼き芋、ふかし芋、天ぷらに向き、また和洋菓子の材料としても利用される[31]
    • 種子島ロマン(たねがしまロマン) - 1999年に「種子島紫」から品種選抜して育成された品種で、皮は赤紫色で中は淡紫色。外観もよく、ふかし芋、天ぷらに向く[31]
  • 安納いも(あんのういも) - 鹿児島県種子島産の在来種。甘味が強く、焼くとねっとりした食感で、「密イモ」とも呼ばれている。干し芋や焼き芋のほか、デザートの原料にも使われる[29]
    • 安納紅(あんのうべに) - 2000年に「安納いも」から品種選抜されたもので、在来種よりも優れている。皮は赤褐色で中が淡黄色。粘度が高く、甘味が強い。蒸し芋や焼き芋にすると美味しい[30]
  • 黄金千貫(こがねせんがん) - 外皮も中身も黄白色で、もともとデンプン原料として栽培され、主に芋焼酎の原料として使われる品種。ホクホクした食感とあっさりした甘味があり、天ぷら、焼き芋、ふかし芋揚にも向く[29][30]
  • 栗こがね(くりこがね) - 皮は淡黄褐色で中が黄白色。九州で人気があり、ホクホクした食感で甘味が強い。天ぷらや焼き芋をはじめ、様々な食べ方に使われる[30]
  • こがねむらさき - 種子島で古くから栽培された紫芋から味の良いものを選抜した品種。生産数が少なく「幻のサツマイモ」として珍重される。皮は灰白色で中が薄紫色。熱を通すと濃い紫色になる。肉質は緻密で、和菓子のような上品な甘さがある。天ぷら、ふかし芋、焼き芋に適している[31]
  • 山川紫(やまかわむらさき) - 海外から導入されて鹿児島県山川地方で栽培される品種。皮は赤色で中は濃い紫色。糖分が少なく青果には不向きである代わりに、色の濃い紫を活かして、アイスクリームや芋飴などの着色料として利用する[31]
  • - 外皮は赤紫色や暗紫色で中身が濃紫色をした、青果用の紫芋として育成された品種。ホクホクした食感と、ほどよい甘味があり、焼き芋やふかし芋の他、料理や菓子と用途は幅白く使われる[29][31]
  • えいむらさき - 鹿児島県頴娃町で生産される在来種で、外皮は赤色で中はわずかに霜降り状になっている濃い紫色。さっぱりした甘さで、蒸し芋や天ぷらの他、菓子の原料に使われる[31]
  • 紅芋(べにいも) - 沖縄特産の紫芋。肉質はきめ細かく、ほどよい甘さがあり、ふかし芋や焼き芋の他に、菓子やソフトクリームなどにも加工される[31]
  • タマユタカ(玉豊) - 「かんしょ農林22号」という干し芋用・デンプン原料用・飼料用にされる品種で、芋はずんぐりした短紡錘形で、外皮は黄白色で中身が白い。掘ったばかりのものは甘味は少ないが、干し芋に加工することで甘味が出る[11]
  • ベルベット - 大正時代にアメリカから日本へ導入された鹿児島で栽培される品種。皮は紅色、中身がオレンジ色でその周囲が紫色をしているのが特徴。粘質で、天ぷらや干し芋にされる[30]
  • シモンイモ - 南アメリカ原産の白甘藷(英語:Ipomoea batatas)は、日本では「シモン芋」とも呼ばれる。

産地

世界

2019年のサツマイモ生産量上位10ヶ国
生産量 (t)シェア
中華人民共和国の旗 中国51,793,91656.4%
マラウイの旗 マラウイ5,908,9896.4%
ナイジェリアの旗 ナイジェリア4,145,4884.5%
タンザニアの旗 タンザニア3,921,5904.3%
ウガンダの旗 ウガンダ1,949,4762.1%
インドネシアの旗 インドネシア1,806,3392.0%
エチオピアの旗 エチオピア1,755,8551.9%
アンゴラの旗 アンゴラ1,680,1461.8%
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国1,450,2501.6%
 ベトナム1,402,3501.5%
世界計91,820,929

国際連合食糧農業機関(FAO)が発表した統計資料によると、2019年令和元年)の全世界における生産量は9182万トンであり、主食にするイモ類ではジャガイモ(同3億7043万トン)、キャッサバ(同3億0356万トン)に次ぐ。生産地域は中華人民共和国に極端に集中しており、その大部分は酒類への加工用である。ただし、中華人民共和国においては転作が進んでおり、作付け面積及び生産量は減少傾向にあり、2005年までは生産量1億トンを超えていたが、2012年以降6000万トンを下回っている。その影響で、全世界での生産状況も低下傾向を示しており、2005年までは1億2000万トンから1億5000万トンの収穫量があったが、2006年約1億1000万トンを記録して以降減少し続け、近年は9000万トン程度で推移している。なお、2019年の日本の生産量は74.8万トン。

長期の保管に適していないため、自国における生産消費が大部分であり、貿易量は、世界総計で年間30万トン程度と極めて少ない[32]。主要な輸出国は、アメリカ合衆国ベトナムラオスエジプトなどで、特に米国は総輸出量の2/3程度を占めている。一方主要な輸入国は、英国オランダカナダフランス日本である[33]

日本

サツマイモは、比較的痩せた土壌でも生育が可能であるため、肥料流通や土壌改良が進まない中では作付けが容易であったため、1960年代初頭には年間600万トン程度の収穫量があったが、1960年代から1970年代前半にかけ土壌改良等により商品価値の高い作物への転作が急激に進み、1974年には140万トンまで減少した。それからも、緩慢に減少を続け200年代に100万トン代、2010年以降は100万トンを割る生産量となっている。

日本における主産地

鹿児島県茨城県千葉県宮崎県徳島県が全国のトップ5県。このうち上位4県で全国の8割を占め、とりわけ鹿児島県は全国の生産量約69万トンの3割程度を産する。同県ではデンプン原料用や酒造原料用としての作付けも多い。産地の偏在にはいくつか理由がある。まず、県内の多くの地域がサツマイモの栽培に適した水はけの良いシラス台地であること。また、サツマイモは可食部が地中の「芋」であるため、台風に襲われても害を受けにくいことなどが挙げられる。

2020年においては、全国の総収穫量は687,600であり、主産地の収穫量は以下の通りである[34]

主産地の収穫量
順位都道府県名収穫量
1鹿児島県214,700
2茨城県182,000
3千葉県90,200
4宮崎県69,100
ブランド産地

この他にも、新潟市西区を主産地とする「いもジェンヌ」のように、地元品種のブランド化を試みる生産者や地方自治体がある[35]

このほか、生産量は少ないものの地域特産品となっているサツマイモに、新居大島愛媛県新居浜市)の「七福芋」がある。見かけが白色の白いもで、明治33年(1900年)にアメリカ合衆国から移入された。同島で育てると糖度15%と栗きんとん並みの甘さになる[36]

日本国内間の検疫

植物防疫法の定めにより、イモゾウムシやサツマイモノメイガなどの害虫の拡散を防ぐため国内間でも検疫が行われ[37]、沖縄県全域、奄美群島、トカラ列島、小笠原諸島からは、サツマイモやグンバイヒルガオ等のヒルガオ科植物の生茎葉および生塊根等の持ち出しは規制されている[38]。個人の手荷物程度の量であれば、所定の方法で事前に申請すれば移動規制地域から持ち出すことができる。ただし、蒸気で消毒を行う蒸熱処理を行うため、その施設がない地域からの持ち出しはできない[39]。加工品にはこのような制限はない。

現地の港および空港に、これらの注意を促す掲示やポスターがあるので、当地を訪問の際には参照されたい。

日本列島における栽培と普及史

南方ないしは中国から琉球国に伝わり、それが薩摩藩領で栽培され、下見吉十郎らの手によって救荒作物として広められ、享保の大飢饉の際にその有用性に気付いた江戸幕府の命により青木昆陽が日本各地で栽培を開始した、とするのが定説である。ただし、中国から伝わったものと南蛮貿易などで南方からもたらされたものは別品種・別系統である、とする考察もある。

日本列島の特に本州を中心にした社会では、伝来の経緯から当初「リュウキュウイモ(琉球芋)」「カライモ(唐芋)」またはその色から「赤芋」と呼ばれていたが、江戸幕府が薩摩藩から入手し、全国に栽培を奨励して以降は「サツマイモ(薩摩芋)」という呼称が普及し、先の呼び方より多く使用されるようになった。現在も方言として各地に「アカイモ」「カライモ」「トイモ(唐芋)」などの呼称が残っている[注釈 3]

琉球への渡来

  • 1597年宮古島に伝来したとする説がある。長真氏等の家譜によると、1594年、宮古島の村役人であった長真氏旨屋(砂川親雲上旨屋)が、宮古島を支配下に置いていた琉球王国首里王府への帰途に逆風で中国に漂着した。1597年に中国を出発したが、今度は九州に流れ着き、それからようやく帰島した。この時に宮古島へ苗を持ち帰ったとする。旨屋は栽培の普及に努め、島では主食となるほどに広まった。死後はンーヌ主(芋の神様)として御獄に祀られている。ただし、サツマイモがフィリピンから中国・福州に伝来したのが1594年であり、1597年はそのわずか3年後であることから、この説には時期的に疑問が呈されており、『宮古史伝』や『宮古島庶民史』は家譜の記述を誤記として退け、宮古への伝来を1618年としている[40]。宮古島から沖縄本島へは伝播しなかった。先島では1612年与那国島1694年石垣島など、それぞれの島ごとに中国から、本島とは関係なくばらばらに伝来し、その島内では急速に普及が図られるものの、他の島へ伝えるのは消極的だった。2013年時点、宮古島の大座御嶽にて甘藷(イモ)の神が祭られている[41]
  • 1604年或は1605年[42]、当時の琉球王国(現在の沖縄県)の沖縄本島に伝わる。への進貢船の事務職長(総管)であった野國総管(与那覇 松)という人物が明の福建等處承宣布政使司(今日の中国福建省付近とされる)からの帰途、苗を鉢植えにして北谷間切野国村(現在の沖縄県中頭郡嘉手納町)に持ち帰り、儀間村の地頭・儀間真常が総管から苗を分けてもらい栽培に成功、痩せ地でも育つことから広まった。種子島や本土に伝来したのはこちらの系統である。
  • 1713年の『琉球国由来記』では、蕃薯には種類があり、皮や実の色から4種類が分類されている。
  • 1609年(慶長14年)の薩摩藩による琉球侵攻に際して、サツマイモが持ち帰られた可能性は否定できない。また、1611年に薩摩藩軍が撤兵する際、尚寧王が宴席にてサツマイモ料理を出し、その美味を味わった薩摩藩士の求めに応じ、サツマイモを進呈した、とされる。
  • 1698年元禄11年)3月、種子島に伝わる。領主の種子島久基種子島氏第19代当主、栖林公)は救荒作物として甘藷に関心を寄せ、琉球の尚貞王より甘藷一籠の寄贈を受けて、家臣の西村時乗に栽培法の研修を命じた。これを大瀬休左衛門が下石寺において試作し、栽培に成功したという。西之表市下石寺神社下に「日本甘藷栽培初地之碑」が建つ[43]。この時の芋は「唐芋(カライモ)」と呼ばれている。西村は栽培するだけではなく、粉や、菓子、焼酎など利用法を試行した。このことにより普及が進んだとされている。

本土への渡来

前述のように、一般的には日本列島の南方から順に伝わった、とされるが、室町時代安土桃山時代に中国や東南アジアから直接、九州各地の貿易港や畿内などにもたらされていても不思議ではない。以下に記すように、導入ルートも複数ある。もっとも多くは栽培に成功したわけではなく、定着には至っていない。本土で最初にサツマイモが定着したのは薩摩藩であったとされる。

  • 後世に薩摩藩で編纂された農書本草学書『成形図説』に拠れば、慶長から元和年間(1596から1623年)にかけてのうちに領内の坊津港でのポルトガル人との貿易において、ルソンからの交易品として既にサツマイモがもたらされていた、とされる。
  • 1614年(慶長19年)、肥前国平戸イギリス商館[注釈 4]リチャード・コックスの命を受けたウィリアム・アダムス(三浦按針)は、平戸からシャム(タイ)に向けて貿易のための航海に立った。しかし中古の中国ジャンク船を改造したシーアドベンチャー号は浸水を起こし、緊急に琉球国那覇港に寄港した。船の修理を行う間にアダムスは現地の芋を入手し、翌1615年(元和元年)に平戸に持ち帰った。イギリスで食されていたジャガイモに似ているため、コックスは平戸でを借り、農民に委託する形でこれを栽培した、とコックスの日記に記されている。コックスはこれを「琉球芋」と記している。
  • 同じく元和の頃、薩摩出身の僧侶であった鼎山が、紀伊国に持ち込んだ、とされる。
  • 1692年(元禄5年)、伊予国今治藩の重臣江島為信が、日向国から今治藩領に種芋を移入した。しかし、その後の記録は途絶えており、栽培には失敗したと考えられている[44]
  • 1697年元禄9年)、宮崎安貞が『農業全書』を著す。同書で甘藷について記述しているが、宮崎は甘藷そのものを見たことはなかったのではないか、と推測されている。また「薩摩や長崎周辺では「琉球芋」または「赤芋」と言い広く栽培されているが、他地域では知られていない」と記している。宮崎と親交のあった貝原益軒1708年(宝永5年)の著『大和本草』では、貝原が実際に観察したと推測される記述がみられ、また、「蕃薯(琉球芋、赤芋)」と「甘薯」の二つに分けて区別している。貝原は「蕃薯は長崎に多く、甘い」「甘薯は元禄時期に琉球から薩摩に伝わった」としている。
  • 1704年宝永元年)に出版された浮世草子『心中大鑑』(書方軒)に、「八里半(後述)といふ芋、に似たる風味とて四国にありとかや」とあり、これはサツマイモのことだと推定される。

救荒作物としての普及

藩を挙げて栽培を奨励していた薩摩藩を除き、サツマイモはまず、民間の力で広まった。最初に本格的な栽培に成功したのは飢饉に見舞われることの多かった芸予地方とされ、その後も土壌や土地傾斜などが耕作に不向きなために食糧生産力が低い、すなわち気候異常などにより飢饉が発生し易かった土地を中心に救荒作物として普及していった。薩摩藩もまた、領内の半数を占めたシラス台地と呼ばれる、米作には不向きな土地があったことが奨励の主要因である。

  • 薩摩藩以外で最初に栽培に成功したのは芸予諸島であるとされる。1711年正徳3年)、六部僧として大三島から諸国行脚の道中に薩摩を訪れた下見吉十郎が、薩摩藩領内からの持ち出し禁止とされていた芋を、仏像に穴を空けてそこに種芋を隠すという手法で持ち出し、故郷である伊予国(現在の愛媛県)大三島での栽培を開始した。下見の妻の父である村上休広が琉球から持ち帰った芋を安芸国竹原で栽培したとする話も伝わる。
  • 1715年(正徳5年)、対馬郷士原田三郎右衛門が、薩摩国からサツマイモの種芋を持ち帰った。対馬国の地は全島の9割近くが山地であり、耕作面積が非常に狭いため、武士階級でも山野の食物を採集して食べていたほど食糧生産事情が悪かったが、サツマイモの普及によりこれが解消した。現地では「孝行イモ」とも呼ばれる。また、サツマイモを非常に手間をかけて加工し、「せん」と呼ばれる保存食を製造していた。この「せん」から対馬独特の団子や餅、ちまき、さらに「ろくべえ」と呼ばれる麺を作る。六兵衛は肥前国島原半島周辺と対馬にて作られているが、両者の関係はよくわかっていない。共通するのは他のサツマイモ産地と同様に「米作りに適した土地(土壌)ではなかった」という点である。
  • 1716年享保元年)、京都の薬問屋・島利兵衛(嶋利兵衛)という男が琉球から芋を持ち帰り、故郷の村で栽培に成功する。一説には禁を破ったため琉球鬼界ヶ島島流しとなり、許されて帰る際にこれまた禁を破って芋を持ち帰った、とされる。流刑先は琉球の他、壱岐硫黄島隠岐など諸説ある。村の名を取り「寺田芋」として名産地となった。利兵衛の墓は後年、和菓子司の手によって「琉球芋宗匠 島利兵衛」と刻まれた。このため同地では「青木昆陽の栽培より10年早い」ということを誇っている[注釈 5]
  • 江戸幕府はこの頃既に救荒作物としてリュウキュウイモ(サツマイモ)の有用性を認識していたらしく、1723年(享保8年)に耕作に不向きで全島飢饉に陥ることが多かった八丈島にこれを導入しようとしている。同年の試みは失敗に終わったが、数年後の1727年(享保12年)に定着に成功した。1735年(享保20年)には伊豆七島に種芋を送り、栽培を推奨している。1811年(文化8年)には大賀郷の名主家の菊池武昌が新島から紅さつま芋を持ち込み、栽培した。さらに1822年(文政5年)には、武昌の息子の小源太がハンスという品種を導入したとされる。菊池親子の事績は、「甘藷由来碑」として残されている[45][46]
  • 1732年(享保17年)、享保の大飢饉により瀬戸内地方を中心に西日本が大凶作に見舞われ、深刻な食料不足に陥った。しかしサツマイモを栽培していた伊予国大三島の周辺では餓死者が全く出ず、これによりサツマイモの有用性を天下に知らしめることとなった。
また、石見銀山では江戸幕府の代官であった井戸正明年貢の減免、年貢米の放出、官金や私財の投入などを行った[47]。大森地区(現在の島根県大田市)の栄泉寺で、薩摩国の僧である泰永から甘藷が救荒作物として適しているという話を聞き、種芋を移入[47]。その年に種付けを試みたが、種付けの時期が遅かったことなどもあって期待通りの成果は得られなかった[47]。しかしながら、邇摩郡福光村(現・大田市温泉津町福光)の老農であった松浦屋与兵衛が収穫に成功[47]。その後、サツマイモは石見地方を中心に救荒作物として栽培されるようになり、多くの領民を救った[47]。この功績により、井戸正明は領民たちから「芋代官」あるいは「芋殿様」と称えられ、今日まで顕彰されるに至っている[47]

幕府の奨励

1734年、青木昆陽は薩摩藩から甘藷の苗を取り寄せ、九州出身の者の手を借り、江戸小石川植物園下総の馬加村(現・千葉市花見川区幕張町)、上総九十九里浜の不動堂村(現・九十九里町)において試験栽培し、1735年に栽培成功を確認。「薩摩芋」はこれ以後、東日本にも広く普及するようになる。
1734年、 昆陽は『甘藷記』を記し、普及に努めている。編纂は越智直澄。共著は小比賀時胤、越智直澄、医官の野呂元丈
1736年元文元年)昆陽は幕府より薩摩芋御用掛を拝命し、幕臣となった。
サツマイモの普及イコール甘藷先生(青木昆陽)の手柄、とするには異説もあるが、昆陽が同時代に既に薩摩芋を代名詞とする名声を得ていたことは事実である。

余談となるが幕府はこの頃、同じような目的からジャガイモの普及・栽培も奨励している。

一般への普及

その後、サツマイモは庶民の生活・文化の中に急速に浸透した。サツマイモを詠んだ狂歌川柳も多く残る。

  • 1751年寛延4年)頃、川越名主が息子を上総に派遣してサツマイモの栽培法を学ばせ、これを導入した。これがのちに川越をサツマイモの名産地と成した。のち川越藩主の松平直恒を通して将軍徳川家治に川越地方でとれたサツマイモを献上した際、「川越いも」の名を賜ったとされる。
  • 1773年安永2年)出版の小松屋百亀小噺本『聞上手』に「いもや」という話が収録されている。古典落語芋俵』の元になったとされるが、この時点で江戸では芋が庶民にも親しまれ、芋の商いが商売として成り立っていたことがわかる。
  • この頃の川柳作品に「夏渋く冬甘くなる堀江町」という一句がある。これは当時日本橋堀江町において、夏は柿渋を塗って製造される団扇を商い、冬は芋を売っていた情景を読んだ一句である。この頃はまだ焼き芋ではなく、蒸した芋であった。山東京伝作の『一百三升芋地獄』の作中において、閻魔大王の裁きを受けたサツマイモは「粋人を胸焼けさせた罪」を問われ、「堀江町地獄」に送られている。このように堀江町は当時、芋の商いで有名であった。
  • 1789年寛政元年)、いわゆる百珍物のレシピ本である『甘藷百珍』(珍古楼主人・著)が出版された。
  • 寛政年間(1789年-1801年)頃、尼崎においてサツマイモの栽培が始まった。それまでは農業に適しているとはいえなかった荒れた土地を使い、「尼いも」と呼ばれ特産となった芋は京阪神の料亭などに出荷された。
  • 1794年(寛政6年)に刊行された山東京伝・作で北尾重政・画の黄表紙『箕間尺参人酩酊』には、蒸し芋売りの店が描かれている。1830年頃の随筆『寛天見聞記』には「寛政の頃は焼き芋はなく、蒸し芋しかなかった。のち神田甚兵衛橋(弁慶橋隣)あたりで焼き芋が初めて売られた」と記されている。
  • 文政年間(1818年-1831年)頃、駿河国御前崎周辺(現在の静岡県御前崎市)で干しいもの製法が確立された。現代の干しいもも基本的にこの製法である。
  • 1831年天保2年)、幕臣の山田桂翁による随筆集『宝暦現来集』には、1793年(寛政5年)の冬に、江戸本郷[要曖昧さ回避]四丁目の番屋にて、行灯に「八里半」と書いて焼芋[注釈 6]を売った、その後小石川白山町にてこちらは行灯に「十三里」と書いて石焼芋が売られた、と記されている。また、それ以前の江戸では「蒸し芋」が主であったが、このヒット以降、焼き芋が主流になったとも書かれている。番所では小物の商いをすることが黙認されており、その物販の一つとして冬場に芋が売られていた。
  • 上述の「八里半」とは栗(九里)に食味が近いという意味である。前出の通り、1704年頃には既に関西方面では知られた名称だったことが推測される。また「十三里」は栗より上という意味と、当時サツマイモ栽培が盛んであった武蔵国川越が、江戸から十三里の距離であったことに由来すると共に「栗より美味い十三里(九里+四里=十三里)」という江戸の地口の宣伝文句と共に広まった。1853年嘉永六年)頃に書かれた喜多川守貞の『守貞謾稿』では、川越とはもはや無関係の関西方面でも「十三里」と書かれた芋売りがいたことが記されている。同書では一方で江戸の「○焼き」「八里半」と書かれた看板(行燈)の挿絵も収録されている。1858年安政5年)に描かれた歌川広重の『名所江戸百景』中の「びくにはし雪中」という作品には、冬の江戸(京橋川が外堀に出る河口に架かっていた比丘尼橋付近。現在の銀座一丁目あたり)で「○焼き」「十三里」と書かれた看板が描かれている。この「○焼き」とは焼き芋の形体の事であり、切ってから焼いたものを「切焼き」、芋一本を丸ごと焼いたものを「丸焼き」と呼び、「○焼き」などと書かれた。また「十里」という用語もある。1850年 (嘉永3年) に西沢一鳳が出した江戸見聞録『皇都午睡』[注釈 7]にて、生焼けの芋を十里と言う、と書かれている。五里五里、すなわち食感がゴリゴリだという意味である。
  • 前出の『守貞謾稿』では大阪京都において「ほっこり、ほっこり」と言いながら行商で蒸し芋を売り歩く姿が記録されており、これは同書に先立つ1809年文化6年)出版の十返舎一九滑稽本東海道中膝栗毛』大阪編においても「ほっこりほっこり、ぬくいのあがらんかいな」と売り歩く姿が書かれている。ここから派生し、上方方面では蒸し芋・焼き芋の事を「ほっこり」と呼ぶようになった。『東海道中膝栗毛』作中においても「女中がたの器量不器量、ほっこり買うて喰うてござるも」という文があり、現代の辞書においても「ほっこり」の意味として「上方方言で焼き芋のこと」とされている。
  • 1853年嘉永六年)、薩摩の商人であった丹宗庄右衛門が罪を得て八丈島に遠島処分となった。前出のように八丈島では米が恒久的に不作であり、酒造りに回す余剰の米が無く、酒造は禁止されていた。庄右衛門は八丈島にて栽培定着していたサツマイモを使って、地元薩摩で行われていた芋焼酎作りに着手し成功した。庄右衛門が島に居た16年の間に彼は、薩摩から焼酎に適した品種の芋、薩摩の優れた道具の導入を行い、八丈島に芋焼酎産業を定着させた。
  • 江戸末期において甘いサツマイモは、世間に肥満が増えた原因とされたことがある。
  • 近世後期において、九州、四国を中心とした日本の西南地域ではサツマイモの日常食材化が進み、人口増加率も全国平均を大きく上回っている。風害や干害に強く人口支持力の高いサツマイモは、米の売却で利益を得る諸藩にとってもまた藩領民にとっても、基本的に税の対象外でもあり、都合の良い作物だった[48]
  • 江戸時代末期に生まれた菊池貴一郎が「蘆乃葉散人」という筆名で明治30年代になって出版した『江戸府内絵本風俗往来』という書がある。自身の手による挿絵もある同書には、自身の江戸期の思い出として「冬になれば江戸の町人が住む市中で焼芋店のあらぬ所はなかった」「町々の木戸の番太郎の店(番屋)では必ず焼芋を売っていた」「日本橋あたりの繁華街で売っていた芋は甘くて香りが良かった。あれは川越の本場物だったと推測する。だからであろう、値段も高かった」と記されている。また、「焼き芋は9月下旬から12月まで売られた」「1月から2~3月は焼芋ではなく蒸し芋または芋の丸揚げが売られた」とも記されている。同書の著者の菊池とは、のちの四代目歌川広重のことである。
  • 幕末から明治期には、現在もサツマイモで名高い川越の赤沢仁兵衛が実験・研究しまとめた「赤沢式甘藷栽培法」によって収穫量が増加した。
  • 明治42年(1902年)に刊行された夏目漱石の小説『それから』の作中には、東京市内において夏は氷水、冬は焼き芋を扱う店が多くあったことが書かれている。
  • 前述の番所での焼き芋の商いはしかし明治期になり番所制度が無くなると、当たり前だが無くなった。一方で漱石が記すようなビジネスが生まれ、さらに専業ではない店や主婦の小商いとして人気があり、店舗も多かったがそれらは同時に、火災の原因となることが多かった。明治期に入り明治24年(1891年)年10月9日に東京府から『麪包(パン)焼場及甘藷焼場規則制定』が出され、さらに明治26年には『甘藷焼場改造』の布令が出された。両法令には防火設備の義務付けなどが含まれており、手頃なサイドビジネスとしての街角の焼き芋売りは姿を消していった。同時に明治24年11月4日に東京甘藷小売商組合が設立され、業界内での自立規制を執ろうとする動きがみられる。これらの法令にも拘らず東京の焼き芋人気は衰えを知らず、明治30年頃の東京のサツマイモ消費量は「年間60万俵」と記録されている。ただし大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災により、これらの小売焼き芋店は他業種の店舗と同様にその店舗を失った。

大学芋

  • 明治31年(1898年)に平出鏗二郎が書いた『東京風俗志』にて、東京の焼き藷の売り方として「丸焼・切焼・胡麻塩焼の類あれども、京阪に見るが如く輪切にして焼き、醤油を塗れるものなし。近時京都焼きと称して、間々これを学ぶものあれども、多く行われず。」と記録されている、明治時代に焼き藷屋が味付けをしていたこと、またサツマイモにゴマを合わせていたことも知れる。これがのちの「大学芋」のルーツの一つではないかとする説がある。

食材としての利用

主に塊根(芋)の部位が利用される。主食やおかずのほか、軽食おやつ用に様々に調理・加工される。さらには本格焼酎などの酒醸造の材料として使われる。加熱しただけで甘味があり、焼き芋や天ぷらにするとホクホクしたおいしさが引き立つ[1]。反対に、水分が多くねっとりした食感を持つ品種もある[1]

また、柔らかいも食用にでき、これらは主に炒めものや、佃煮かき揚げなどの天ぷら素材などにして利用される[11]。ヒルガオ科のクウシンサイに似た風味で、茎や葉を専用に食べる品種もある[11]

サツマイモ本来のは9 - 11月とされ、掘りたてより貯蔵後が甘いため、収穫してから1か月ほど熟成させてから出荷される[1][6]。超早掘が5月、早掘が7月から出回ることもあるが[6]、それらは貯蔵性がないため収穫後はすぐに出荷される[49]。芋の皮の色が均一でハリとツヤがあり、傷や斑点がなく、中央部がずんぐりと膨らんでいて、凸凹やひげ根が少ないものが商品価値の高い良品とされる[1][4]

栄養価

生の場合の可食部100グラム (g) あたりのエネルギー量は132 kcalで、水分は約66%含まれ、炭水化物31.5 g、タンパク質1.2 g、灰分1.0 g、脂質0.2 gが含まれている[54]デンプンが豊富で、エネルギー源として適している。また、ビタミンC食物繊維を多く含み、サツマイモを加熱してもビタミンCが壊れにくいという特長がある[54]。水溶性・不溶性ともに豊富に含まれる食物繊維と、切り口からにじみ出る白い液体のの働きで、腸の働きを活性化し、便秘の解消に効果的な食材といわれ[1][16]、大腸がんの予防、糖尿病や高血脂症、高血圧の予防にも期待されている[54]。ビタミン類は、ビタミンDKを除いてバランス良く含んでおり、とりわけビタミンB1B6CEを多く含んでいる[1][54]。芋の中身がオレンジ色の品種は色素成分β-カロテンを多く含み、紫色の品種はアントシアニンを含んでいる[1]。ミネラル類では、余分な塩分を排出する作用があるカリウム、鉄欠乏性貧血の予防に欠かせない、赤血球を作るのに欠かさない、性ホルモンの合成を助けるマンガンなどに富む[54]

サツマイモは1回に食べる量が多く、栄養的には多くの野菜を摂ったのと同様の効果があるが、緑黄色野菜に含まれるカロテンの量が普通のサツマイモでは少なく、エネルギーが高いため、肥満を気にする人は注意する必要がある[54]。また、タンパク質の割合が低いなどの理由で、サツマイモばかり食べていると、カロリーベースでは身体を支えることができても、栄養失調、特にタンパク質の欠乏に陥る。

サツマイモの炭水化物の約8割がデンプンで、良質なエネルギー源であるが、消化しきれないデンプンが1 - 2割は残る[54]。サツマイモを食べるとガスが出やすいのは、食物繊維としてデンプンが残るせいだと言われるが、健康を保つための大切な働きもしている[54]。単位面積当たりのカロリーベース収量は、コメを上回る[55]琉球薩摩以外の大半の地方においてサツマイモがコメに取って代わって主食の座につけなかったのは、コメと比べて保存性に劣るために長距離の運搬にも向かないからである。他に、栄養面(特にタンパク質)でコメに比べて劣ることも挙げられる[55]。ただし、薩摩藩ではサツマイモの栽培を通じて、当時は不毛の地であったシラス台地の開発を進め、タンパク質の含有量に優れる大豆や食用油の原料であるアブラナなど栽培の多角化に成功した。また、琉球王国や薩摩藩は日本の他地域と異なり、18世紀頃から豚肉食が盛んであったため、上記のようなサツマイモの栄養面の欠点を補うことができたと考えられる。

調理法

焼いたり、蒸したりしてそのままた食べるか、煮物天ぷらスイートポテト大学芋などの菓子などに、また裏ごしして栗金団などにする[4]。60程度で長時間加熱すると、デンプン糖化する酵素が働いて甘味が増す[4]石焼き芋やふかし芋はこの性質により甘味を最大限引き出す調理法である。また、蒸したあと天日で干して干し芋などに加工されることも多い。いも類はポリフェノール化合物による変色(褐変)を起こしやすく、灰汁タンニンも含まれるため、切断面を水や焼きミョウバン水にさらす方法などで褐変を防ぎ灰汁抜きを行う[1][56]。色よく仕上げるため、栗金団などで使うときは皮の内側の薄い筋のあるところまで、皮を厚めに剥いて使われる[1]。皮が黒変している部分は、強い苦味がある有害成分を含んでおり、完全に取り除いておく[4]。焼き芋では丸ごと使われるが、皮ごと使う煮物や天ぷらは輪切りに、炒め物や大学芋では皮付きのまま乱切りに、揚げ物などには太めの拍子切りにしてよく使われる[1]

葉や茎(硬い紫色の蔓の部分ではなく、葉に直接つながっている柔らかい緑色の葉柄の部分=いわゆる芋ツル)は、若くても、育っていても、食べられる。中国(特に福建省)や台湾では、普通に食べられている葉野菜である。

ポピュラーな調理法は、ニンニクを炒めた油で葉や茎をよく炒め(サツマイモの葉や茎は少し苦味(アク)があるので炒め物に向いている)、(+出汁)で味付けする。

葉はおひたし天ぷらにしてもよい。

茎は(筋がある場合は)皮を剥いて、フキのように用いることができる。下茹でしてアクを抜いて、煮物佃煮混ぜご飯にするなど。きんぴら炒めや天ぷらにしてもよい。

保存

低温に弱い性質のため冷蔵庫には保存しないで、新聞紙などでくるんで風通しの良い冷暗所に置いて保存する[1]。温度13 - 15℃くらい、湿度は高めの85 - 90%の日の当たらない場所が、保存に適した環境とされる[4]。旬のものであれば、この状態で3か月ほど保存がきく[1]。冷蔵庫に長期保存すると、腐れの原因につながる[4]

食中毒

害虫の食害やフザリウムFusarium)属のカビからの防御物質(ファイトアレキシン)として苦味のあるフラノテルペン類のイポメアマロン (iopmeamarone)、イポメアニン (ipomeanine) やイポメアノール (ipomeanol) 類を生合成する。この病変は、甘藷黒斑病と呼ばれ、イモは黒緑色から黒色に変色する[57]。イポメアマロンなどの生成物には哺乳類肝臓およびへの毒性があり、の重度出血、間質性肺気腫肺水腫等の症状を引き起こし、家畜での中毒死事例が報告されることがある。したがって、人の食用及び家畜の飼料としては使用できない。また、この苦味物質は焼酎に加工した場合でも、蒸発して焼酎に移行する。

原料・飼料としての利用

日本における用途別消費量と割合(2018年[58]
用途消費量(トン)割合
生食用[59]387,20048.6%
アルコール用213,40026.8%
でん粉用95,80012.0%
加工食品用71,5009.0%
種子用9,6001.2%
飼料用[59]2,2000.3%
減耗・その他16,8002.1%
総生産量796,500100.0%

サツマイモは、調理素材としての食用他、以下のとおり、原料・飼料として利用されている。用途別の消費量は右のとおり。

デンプン

サツマイモからはデンプンを取ることができる。このデンプンは、春雨水飴などの原料となる。また、沖縄県ではサツマイモから取ったデンプンがイムクジ(芋くず)という名前で市販されており、生産量が少なく高価な葛粉の代用品として使われている。家庭でもくず餅ジーマーミ豆腐など料理の凝固、とろみ付けに使用される。

焼酎

サツマイモは焼酎の原料としても利用され、サツマイモを主原料とした焼酎を芋焼酎といい[注釈 8]、鹿児島県や宮崎県を中心に製造されている。デンプンを糖化するための原料としても、米と共に芋が使用される。

鹿児島では江戸時代から芋焼酎が作られており、法律によって自家醸造が禁止されるまでは、広く家庭で作られていた[60]。よって、鹿児島では「味のよい焼酎を煮れる女が立派な主婦」などといわれていた[61]。当時の作り方は、サツマイモを蒸してからで潰し、それに加水して2 - 5日放置し、そこに黄麹を加えて攪拌して放置して作ったを、ツブロ式蒸留器で蒸留するというものだった[60]

2000年代には焼酎ブームによりサツマイモ不足に陥った。また、中小建設業者が多角化の一環としてコガネセンガン(黄金千貫)の栽培に取り組む例もみられる。

中国の白酒 (中国酒)には、サツマイモを原料とする製品もある[62]

芋蜜

鹿児島県南九州市知覧町頴娃町には「あめんどろ」と呼ばれるサツマイモを煮詰めて作ったが伝わっていた。伝統的な製法を守ってきた最後の職人が廃業し、伝統が消滅する寸前であったが、後継者が現れ全国展開を進めている[63][64]

原料イモの品種

食用としても広く消費されるベニアズマや紫芋の1種でアヤムラサキ、焼酎専用品種のジョイホワイトなど様々な品種が使用されており、耐病性、単位面積あたりの収穫量、デンプンの含有率、貯蔵性を良くすることに主眼が置かれた品種改良が行われている。

  • 農林2号 1970年昭和45年)頃まで中心品種として栽培されていた。
  • コガネセンガン 1966年(昭和41年)に命名登録され1967年(昭和42年)より用いられ1980年(昭和55年)過ぎまでは中心品種として栽培された。これは、農林2号よりデンプンの含有率が高く1株当たりの収量が1.5倍であったことによる。
  • シロサツマ - 1985年(昭和60年)頃から。収穫後も傷みにくい。
  • シロユタカ - 1985年(昭和60年)頃から。耐病性があり高デンプン含有率。
  • ムラサキマサリ(農林54号) - 2001年(平成13年)頃から。アントシアニンを含有した紫芋で、蒸留後、芳香性や甘みを与える。

この他にも多種の品種が使用される。

飼料

サツマイモは、飼料として家畜に与えられることもある。ブタにサツマイモを与えることを義務付けているブランド豚肉もある。そうして育てる千葉県産「いも豚」は、獣臭さが少なく、脂が甘く食べると口溶けが良いことが特徴である[65]かごしま黒豚の定義では、肥育後期に飼料含量あたり20%のサツマイモを与えるよう定めている。

燃料

痩せ地での栽培に適し、デンプンを多く含むサツマイモは、しばしバイオエタノールの原料として注目されることがある。第二次世界大戦中の日本では、不足する航空機用燃料のためにバイオエタノールの製造が研究された[66]。現代においても、環境志向の高まりと将来起こるであろう化石燃料の不足に備えて、研究が進められている[67]

薬用

薬菜の1種として、晩秋から冬にかけて掘り出した塊根を蕃薯(ばんしょ)と称して薬用にする[5]民間療法では、薬効は疲労倦怠、食欲不振、便秘に有効とされ、煮たり焼いたりして食べる[5]。繊維質が多く、胃腸を温める作用があることから、クリジャガイモトウモロコシと同様に、特に冷え症の人の便秘によいと言われる[5]。生野菜を食べても便秘が解消できない人や、虚弱体質で食欲がない子供に向いている薬菜であり、サツマイモを食べると胸焼けを起こす人には、ショウガと一緒に煮て食べるとよいと言われている[5]

文化

食品

石焼き芋
石焼き芋屋台は秋から冬にかけての風物詩である。「いしやあーきぃいも〜」という特徴のある呼び声や、地域によってはピョーという独特の笛の音を響かせて街を巡る。この笛は芋を焼く窯に取り付けられており、排ガスの圧力で鳴る仕組みになっている。
干し芋
正式名は「甘藷蒸切干」。現在の製法が確立されたのは、江戸時代の文政年間の頃、現在の静岡県御前崎市にあたる地域であると言われる。その後、保存食として全国各地に広まった。日露戦争で野戦食としても活用され、「軍人いも」と呼ばれた。 現在は茨城県が圧倒的なシェアを誇るまでになっている。
いきなり団子(いきなりだんご、いきなりだご)
熊本県郷土料理郷土菓子輪切りにしたサツマイモと(小豆あん)を(ねりもち)、または小麦粉を練って平たく伸ばした生地で包み、蒸した食品。見た目は大福にも似ている。福岡県筑後地方には、いきなり団子とほぼ同じ「いきなり饅頭」と呼ばれる饅頭状の菓子があり、特に熊本県に隣接する福岡県大牟田市などでは代表的なお土産物としても扱われている。
ねりくり(ねったぼ、からいも餅)
鹿児島県から宮崎県南部で食される、茹でたと蒸したサツマイモを合わせて作る芋餅の一種。家庭料理としては、正月に余って硬くなったや水餅などを使って作られ、食べる時にはきな粉をまぶして食する。奄美群島では小正月餅花を利用してひっきゃげひっちゃきとする。
かんころ餅(甘古呂餅)
長崎県五島列島特産のサツマイモを薄く輪切りにし、湯がいて天日で干し上げもち米と蒸して搗き合わせ、お餅に仕上げたもの。かつてもち米の貴重だった時代にその量を増やすために作られ、冬の間の貴重な保存食でもあった。五島列島のほか長崎県の崎戸島大島などの島々では今でも各家庭の伝統として伝わっている。
丸十
サツマイモは、日本料理の献立に「丸十(まるじゅう)」と書かれることがある。これは、薩摩藩島津氏家紋が丸に十字であることが由来だとされている。マルジュという地域もある[68]

慣用句

八里半(はちりはん)
焼き芋(または蒸し芋)の異称。味が(くり=九里)に近く美味しいという意味で八里半[69]。石焼き芋などサツマイモ食品を売る店が看板に用いた[69]
九里四里(くりより)うまい十三里(または十三里半)、十三里
栗(九里)より(四里)うまいと、サツマイモ(特に川越いも)の美味しさを称えた言葉[70]
十三里は江戸時代、サツマイモの名産地で知られた川越(現在の埼玉県)が江戸から川越街道を通り、約十三(52km)の距離であったことに因み[70][71]、距離的概念の十三里と九里+四里を足して十三里 (9+4=13) を引っかけ、洒落を利かせている[72]
現在では各地で販売するサツマイモ食品の宣伝文句や商品名に活用されている[73]。愛媛県の佐田岬半島地域でも、佐田岬半島の長さが約十三里であることから「栗よりうまい十三里」という。同半島は火山灰の混じる土壌でサツマイモの産地でもある。
九里四里うまいを略し、「十三里」でサツマイモ、サツマイモ食品の異称にもなっている[74]
いもづる式
1つの事実が明らかになったことをきっかけに、次々と関連する事実が明らかになること[75]。サツマイモの芋は塊根であり、塊根のもととなる不定根は地表を這っている匍匐茎(ツル)の葉の付け根から出ていて、芋がツルを介してつながっている。1つの芋を掘り出せば残りの芋も容易に見つけられることから来た言葉である。
芋を引く
芋を収穫するときに後ずさりすることから転じて怯むこと。主として仁侠の世界の人間が使うことが多い。
芋っぽい
田舎っぽい、ダサい、垢抜けていないなどを意味する。

その他

芋掘り
秋、サツマイモの「芋掘り」を観光農園などで体験することができる。サツマイモは収穫しやすく、探り掘りの楽しみもある上、掘った後の調理も比較的簡単であるので、学校行事として行うことも多い。幼稚園保育所などでは、秋の行事として定着している所も少なくない。収穫したイモを園庭で焼き芋にして食べる園もある。
芋堀をテーマとする本
芋版(いもばん)
サツマイモなどの芋を輪切りにし、その断面に図や文を彫って印刷する簡易な凸版印刷術。児童教育にも用いられる。
さつまいもの日 - 10月13日
サツマイモのが10月であることと、川越いも(サツマイモの一種)と埼玉県川越市に由来する言葉「九里四里(くりより)うまい十三里」の13里を合わせて、同市の市民グループ『川越いも友の会』が記念日に制定した[71]

脚注

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注釈

  1. ^ ニュージーランドではkumaraと呼ぶ。
  2. ^ 種まきとは種子(特に真性種子)に対して使われる言葉であり、種芋やツル苗あるいは球根などの栄養繁殖の場合は定植(ていしょく)という言葉が一般的。
  3. ^ 「アカイモ」がサトイモを差す場合もあるため注意。
  4. ^ 当時はイギリス(グレートブリテン王国)と呼ばれる国家は存在せず、イングランド王国スコットランド王国同君連合であったが、便宜上「イギリス」の呼称を用いる。
  5. ^ ここまで各地で栽培に成功しており、また、近年になって利兵衛の孫の口上書が発見されたが、それに拠れば流刑先は壱岐島で、1746年(宝暦3年)に赦免され帰国したことになり、以降に栽培した場合、江戸幕府試験場での栽培試験のほうが先であったことになる。
  6. ^ 1833年(天保4年)城北百拙老人・著『世のすがた』によれば「ほうろく焼き」、すなわち壺焼き。
  7. ^ 「みやこのひるね」。旅先の江戸やその道中の風俗を、著者の地元である京・大阪と比較している。
  8. ^ ジャガイモナガイモ(長芋)、サトイモ(里芋)を主原料とした焼酎も存在する。これらは「芋」を使った焼酎であることには違いないが、通常、芋焼酎とは区別され、ジャガイモ焼酎、長芋焼酎、里芋焼酎などと呼ばれる。したがって、芋焼酎といえばサツマイモを主原料とした焼酎と考えてよい。

出典

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参考文献

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関連項目

外部リンク


 

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