写真
世界食料事情、G7ロシア孤立化政策で悪化=ロシア外務省
内容をざっくり書くと
ロシア外務省はウェブサイトに掲載した声明で「経済、財政、物流の面でロシアを長年の国際協力から切り離そうとする試みにより、経済危機と食料危機は悪化する」とし、「G7を中心とする西側諸国の一方的な行動で、世界市場に食料を供給するための物流と金融の流れの断絶という問題が悪化した」と指摘した。
[16日 ロイター] – ロシア外務省は16日、西側諸国と主要7カ国(G7)によるロシアを孤立化させ… →このまま続きを読む
ロイター
Wikipedia関連ワード
説明がないものはWikipediaに該当項目がありません。
恐慌
恐慌(きょうこう、英: crisis、独: Wirtschaftskrise)は、景気循環の過程のうち、好況局面で突如発生する深刻な景気後退である。経済学の研究分野の1つである。マルクス経済学では、資本主義経済に固有の現象として恐慌を重視する。
概要
19世紀には恐慌が頻繁に起きていた。20世紀前半には世界恐慌が起きた。20世紀後半には財政政策の成果などもあり、凄惨な恐慌はあまり見られなくなったとされていた。政府や中央銀行当局のマクロ経済学に関する研究も蓄積され、適切な金融政策を執ることによって深刻な恐慌は回避できると考えるのが一般的であった。[1]
サブプライム住宅ローン危機をきっかけに、リーマン・ブラザーズが破綻するなどして世界金融危機が起きると、続く世界規模の大幅な景気後退を併せて世界恐慌と呼ぶことが多くなり、今日においても深刻な恐慌は起こるというのが常識になった。
マルクス経済学の恐慌論
カール・マルクスは、恐慌局面にある資本主義の様々な諸現象(信用制度の崩壊、企業・銀行倒産、失業者の増大等)のうち、根本的な現象を過剰生産ととらえた。そして恐慌現象の本質を、資本主義に内在する基本的矛盾から発生する諸矛盾の爆発であり、この爆発を通じた強制的な内的統一性の回復の局面である、と把握した。
「世界市場恐慌は、ブルジョア経済のあらゆる矛盾の現実的総括および強力的調整として理解されなければならない。」(マルクス『剰余価値学説史』Ⅱ、全集26巻第2分冊、689ページ。
生産と消費の矛盾
資本主義の基本的矛盾とは、部分的ではない一般的な過剰生産傾向を生む生産と消費の矛盾である。
資本は一方では、資本家の衝動としてはより多くの利潤を得るために、また諸資本間の競争による蓄積の強制によって、生産力をどこまでも発展させようとする傾向をもっている。資本は他方では、賃金労働者の賃金を、生活必需品の範囲の最低限にまで制限しようとする傾向をもっている。無制限の生産力の発展と、労賃によって制限された大衆の消費力とは、資本がいくら商品を生産しても、消費制限のために売れないという、過剰生産傾向を生む。この生産と消費の矛盾は、資本が自ら生み出し、資本につきまとう恒常的な矛盾(生きている矛盾)であり、恐慌の発生根拠となる。
「すべての現実の恐慌の究極の根拠は、どこまでも、資本主義的生産の衝動に対比しての、すなわち、あたかもその限界をなすのはただ社会の絶対的な消費能力だけであるかのように生産諸力を発展させようとする衝動に対比しての、大衆の窮乏と消費制限なのである。」(マルクス『資本論』第三部)
恐慌と過剰資本の価値破壊
恐慌局面では、企業倒産、株価下落、信用制度崩壊、デフレーション等を通じて、多すぎる資本(過剰資本)の価値が破壊され、社会的総資本の量が縮小する。この結果、消費制限に対して過剰となっている生産力が破壊され、消費と生産の均衡が取り戻される。過剰資本とは、利潤率が低いために資本として運動できない資本のことである。生産力の上昇は資本の有機的構成の高度化をもたらし、利潤率の傾向的低下をもたらして(利潤率の傾向的低下の法則)、過剰資本を生み出す。恐慌は過剰な資本と生産力を破壊して、資本による生産の再活性化を準備する。すなわち景気回復するためには、恐慌による過剰資本の価値破壊が必要条件となる。この意味では、恐慌は資本主義的生産の総過程を更新するプロセスであり、資本の生命力の発露である。
旧ソ連の教科書的なマルクス主義経済学では、恐慌を資本主義の全般的危機の現われであるとしていたが、これはマルクスの理解とは異なる。恐慌そのものは資本主義の諸矛盾の爆発であるが、恐慌がそのまま資本主義体制の危機につながらないことは、これまでの資本主義経済の歴史を見ても明らかである。マルクスによれば恐慌は資本主義が理想的な経済体制ではないこと、資本主義的生産関係が生産力の発展にとって桎梏となっていること、資本主義は永遠ではなく歴史的に一時的に成立する経済関係にすぎないこと、を示す現象にすぎない。
資本による消費制限の突破
賃金労働者の消費制限による市場の限界は、資本が自分に与えた制限-内的制限-である。資本はこの制限を突破するために、様々な方法を駆使する。
- 資本家や富裕層による奢侈品の消費、すなわち浪費はその一つの方法である。
- 利益の再投資すなわち資本蓄積は、支払賃金の増大による労働者の生活手段の消費拡大とともに生産手段の消費拡大をもたらす。
- 資本は新たな使用価値を開発し、それに対する人々の欲望を喚起することを通じて、社会的欲望の限界による消費制限を突破しようとする。
- 国家の財政出動(ケインズ政策)は、租税収入や国債発行による資金を支出し国家が買い手となることによって、巨大な消費をつくりだす。軍事費に国家予算を投じることによって経済成長が可能であるとするのが、軍事ケインズ主義である。また、グリーン・ニューディールなど、環境対策に国家予算を投じて市場を拡大しようとするのが環境ケインズ主義である。賃金労働者の生活安定のために国家財政を投じる社会保障制度は、賃金労働者の消費能力を増大させて国内市場を大きくする。ベーシックインカムなどの最低限所得保障政策は、生存権保障だけでなく貧困者の消費拡大による経済的効果も見込まれている。
- なお、ケインズ経済学に対置されるサプライサイド経済学の政策は、資本間の競争を自由化し企業倒産やM&Aを促し、生産の集中・集積と過剰資本の価値破壊を促すことによって、利潤率の回復を促して景気回復をはかろうとするものである。生産と消費の矛盾に対して、消費を拡張するのでなく、意図的に過剰生産を調整しようとする。失業者や非正規雇用の増大によって国内市場が縮小するなど、副作用も大きい。
- 貿易は、狭い自国市場の制限を越えて海外市場での販売を可能にする(ただし外国資本との摩擦を生む)。国内市場の制限を突破して海外市場を求める資本の国際的運動は、国境の垣根を低くし世界市場をつくりだす。EU(欧州統合)も各国の狭い消費市場をこえた巨大な統一市場を創出する試みである。
- 貿易とケインズ政策が結びつく場合もありうる。政府開発援助は、先進国国家の財政出動によって先進国企業のための市場を途上国でつくりだす政策である。
- 消費者信用は、生活費に限定された賃金労働者の低い賃金の制限を超えることを可能にする。ただし、世界金融危機の発端となったアメリカのサブプライムローン問題に見られるように、借金による消費拡大はあくまでも一時的なものであって、生産と消費の乖離を大きくする。一般に、様々な信用制度の発展は、貨幣量の制限を超えた消費をつくりだして好況時には生産に刺激を与えるが、生産と消費の矛盾を大きくし、恐慌の規模を深刻なほど大きなものとする。
このように様々な方法を駆使して資本が消費制限を突破しうる間は、恐慌は起こらず、好景気はつづく。しかしその間にも生産力の上昇はつづく一方で、消費制限の拡大方法には限りがあり、生産と消費は乖離して矛盾が蓄積されていく。19世紀資本主義では、以上のような消費制限突破の諸手段は未発達であり、10年周期の周期的恐慌現象として現れた。20世紀資本主義においては、兌換貨幣から不換貨幣への移行と管理通貨制度の採用によって、国家の財政出動の能力が飛躍的に高まったこと、帝国主義時代における植民地市場の獲得、第二次世界大戦後のドル体制のもとでの外国貿易の発達によって消費制限が飛躍的に拡大し、景気循環は長期化し、国際的な相互依存が強まっている。また、1929年恐慌(世界恐慌)や2008年恐慌(世界金融危機 (2007年-2010年))のように、ひとたび恐慌が起こればグローバルな規模で激烈な長引くものとなっている。
マルクス恐慌論の方法をめぐって-恐慌の可能性の現実性への転化
マルクス経済学者は「恐慌の必然性」を論証する、という問題の立て方をしてきた(たとえば富塚良三『恐慌論研究』)。しかし、マルクス恐慌論研究者の久留間鮫造は、マルクスの文章を主題別に抜粋する『マルクス経済学レキシコン』を編纂し、恐慌についてマルクスが何を述べているかを調べ上げた。そして、マルクスは「恐慌の必然性」という言い方をどこでもしていない。マルクスは「恐慌の可能性を現実性に転化させる諸契機」と表現しているのであって、「恐慌の必然性」という不明瞭な表現をするべきではない、と述べている(久留間鮫造『マルクス経済学レキシコンの栞』)。恐慌は、資本の基本的矛盾が究極の根拠となって起こるものであるが、この根拠も可能性にすぎない。いつでも生産と消費の矛盾は存在するが、恐慌になる場合もあればならない場合もある。恐慌とは、この根拠の上に様々な諸条件がそろったときに初めて可能性が現実性に転化して発生する資本主義の総合的な現象である。「恐慌の必然性」という把握の仕方では、マルクスの恐慌論の内容が不明確になる。これが久留間鮫造の主張の要旨であり、『資本論の方法』を著してマルクスの用いた弁証法的論理学の方法を研究した見田石介もこれを支持した。
その他の諸学説
- 不比例説
- 過少消費説
不比例説は生産の無政府性により生産と消費が不均衡になるため起こるとするものであり、ミハイル・トゥガン=バラノフスキー、ルドルフ・ヒルファーディングによって主張された。過少消費説は大衆の消費不足と資本家の消費制限から説くものでありジャン=シャルル=レオナール・シモンド・ド・シスモンディ、ヨハン・ロードベルトゥス、ニコライ・ブハーリン、カール・カウツキー、また最近の経済学者ではポール・スウィージーやポール・A・バランによる。
経済学者のは恐慌下の生活には、
- 生涯消費が減る
- 劣悪な消費パターンを強制される
という2つの短所があるとしている[2]。
過去の恐慌
19世紀
20世紀
脚注
- ^ それゆえその後の経済学、特にマクロ動学理論においては経済成長論の方が重要視されている。また、持続的な好景気局面にあった1990年代のアメリカ経済は、「景気後退や恐慌を克服した新たな経済」という意味でニューエコノミーと呼ばれた。
- ^ スティーヴン・ランズバーグ 『ランチタイムの経済学-日常生活の謎をやさしく解き明かす』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2004年、184頁。
参考文献
関連項目
- 金融危機#関連項目 - 過去の恐慌一覧
- 1837年恐慌#関連項目 - 過去の恐慌一覧
- バブル経済
- 利潤率の傾向的低下の法則
外部リンク
- 恐慌論チャールス・エー・コナント著[小手川豊次郎訳] (博文館, 1896)
西側諸国
資本主義 |
---|
![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
西側諸国(にしがわしょこく、西側、資本主義陣営、自由主義陣営ともいう、英語:Western Bloc、ウェスタンブロック)とは、1947年から1991年の冷戦時代にアメリカ合衆国と公式に同盟を結び、ソビエト連邦を中心とする東側諸国と対立した国の連合体である[1]。狭義には同盟国なので、NATO加盟国や日本、韓国といった第一世界を指す。しかし、広義には反共産主義、反社会主義を標榜し、同様に東側諸国に反対する国すべてを含むため、サウジアラビアやブラジルなどを入れる場合もある。また、反ソ連であれば1961年以降の中国も含まれた。
ここでいう西側は、ヨーロッパにおける資本主義陣営と共産主義陣営の境界が鉄のカーテンと呼ばれる東西ドイツを境にしている事に由来するが、実際には欧州東部にも西側諸国は存在した(トルコ、ギリシャ)他、欧州以外のその他の地域では、属する陣営と地理上の東西が反転することもあった。
西側各国はアメリカとの単独・多国間の政治・軍事的保障条約に組み込まれた。それらの機構として有名なものは、北大西洋条約機構(NATO)、米州機構(OAS)などがある。
東欧の西側陣営
これを受けて、アメリカのトルーマン大統領はトルーマン・ドクトリンを発表。イギリスに代わってギリシャに対して支援を行い、加えてトルコを資本主義陣営に留めることを宣言。両国に大量の資金援助を行い、東側陣営化するのを防いだ。
これらの国は1952年にNATOに加盟した。特にトルコは、現在でも中東にアメリカが軍事介入するときは在トルコの米軍基地が大きな役割を果たしており、欧州連合(EU)加盟を目指すなど、強固な「西側国家」である。
西欧・中欧
NATOは1949年に西欧・北アメリカの13ヶ国が参加して出来た軍事同盟であり、各国は攻撃にさらされた場合共同で参戦する義務を負っている。
1966年にフランスがド・ゴール主義の下でNATOの軍事機構を脱退し欧州連合軍最高司令部がパリから移転を余儀なくされるなどの事件もあったが、EUなどもあわせて考えると基本的には蜜月といってよい関係にある。
西欧・中欧で東西の軍事機構に参加していない国は、アイルランド・スイス・オーストリア・スウェーデンの中立宣言を行うなどで非同盟政策をとった国々。特に北欧諸国の政策を合わせてノルディックバランスと言う。ただしスウェーデンは、冷戦終結後、NATOとの協力関係にあったことが明らかとなっている(武装中立)。実態としては、同盟関係はなくともスウェーデンは西側寄りであったと言える。
南北アメリカ大陸
南北アメリカ大陸の各国の多くは、既に第二次世界大戦末期に連合国として参戦しており、アメリカ軍(米軍)に基地を提供するなどをしていた。
これらは戦後アメリカの「裏庭」として親米で西側に属することが求められ、1948年に結成また締結された米州機構(12月)と米州相互援助条約(4月)によってアメリカに追従した。親米政権が革命などで崩されると、“ドミノ理論”を唱えるアメリカの武力介入、中央情報局の内政干渉を招いた(ピッグス湾事件・コントラ戦争・チリ・クーデター・グレナダ侵攻・パナマ侵攻など)。
アメリカのアメリカ大陸への東側陣営に対する危機感からの行動は1962年のキューバ危機で実際に示され、このときはソ連が折れることで第三次世界大戦は回避された。キューバはアメリカの干渉を撥ね退けた唯一の国である。
東アジア
日本と中華民国(台湾)、大韓民国(韓国)が西側諸国である。中華民国は72年のニクソン訪中を契機としてアメリカが中華人民共和国を承認した後(すなわち米台断交後)も「反共の砦」として軍事援助を受けていたため、西側諸国に含まれると考えられる。また、フィリピンは東南アジア諸国連合(ASEAN)の原加盟国であるが、アメリカの植民地だった経緯から、親米的な外交政策をとっていた。また南ベトナムにはベトナム共和国、カンボジアにはクメール共和国の親米政権が誕生したが、いずれも現地住民の反感を買って共産化。ベトナムは南ベトナム共和国を経てベトナム社会主義共和国として南北統一、カンボジアはクメール・ルージュの反乱により民主カンプチアが建国された。
東アジアにおける仮想敵国はソ連、中国、北朝鮮、(北)ベトナムであったが、それぞれの役割と仮想敵国が全く違う関係上、日米・米韓・米華・米比といった二国間条約による同盟関係を基本としていたことが特徴。これは東アジアに集団安全保障体制を構築させず軍事的影響力を維持したいアメリカの介入であるとも見られる。
冷戦後の西側諸国
ソ連が崩壊した後、東欧諸国は新たな安全保障を得るためにNATOに接近した。1999年にチェコ・ハンガリー・ポーランドの旧東側諸国の旧ソ連構成国以外の国々が、2004年に旧東欧諸国のスロバキア・ブルガリア・ルーマニアと、エストニア・ラトビア・リトアニアのバルト三国、旧ユーゴスラビアのスロベニアが、2009年に旧ユーゴスラビアのクロアチアと旧社会主義国家のアルバニアが、2017年に旧ユーゴスラビアのモンテネグロが、2020年に旧ユーゴスラビアの北マケドニアがそれぞれNATOに加盟した。
また上記NATO加盟国のうち、2004年にチェコ・スロバキア・ハンガリー・ポーランド・エストニア・ラトビア・リトアニア・スロベニアが、2007年にブルガリア・ルーマニアが、2013年にクロアチアがEUに加盟しており、アルバニア・モンテネグロ・北マケドニアはEUの加盟候補国である(ただし東欧以外の地域ではEUとNATO加盟国には差がある)。これらは新たな枠組みにおける西側諸国と言える。
中南米では、米州機構が空洞化しベネズエラのチャベス政権を筆頭に南米で次々と左派政権が誕生しアメリカ型の機会平等結果不平等の資本主義から脱する動きを見せるなど、対米感情の悪化が目立つ。また、南米諸国独自の経済圏の構成、さらにはEU型の国家連合の構築などの独自の政策が打ち出されている。
更に、中東・アラビアでは、冷戦時代の君主制イスラーム国家の「反ソの為の親米」といった構造が崩れ、これらの国との協力関係が薄れたため、不安定化が進んでいる。また、西側諸国は常にイスラエルと親密な関係を持ち、パレスチナ自治政府とは距離を置いている国がほとんどである。東側諸国時代に既に承認している旧東欧諸国を除くと、パレスチナ国家承認を行っている欧米西側諸国はマルタ(1988年)、アイスランド(2011年)、スウェーデン(2014年)、バチカン市国(2015年)だけとなっている。チェコは旧チェコスロバキア時代にパレスチナを承認したものの、2012年の国連総会における「オブザーバー国家」への格上げ決議に反対するなどその関係は悪化し、むしろイスラエルと親密な関係にある。
米ブッシュ政権末期では、チェコにアメリカがICBMに対する早期警戒レーダーサイトを、ポーランドに迎撃ミサイル基地を建設をする計画を進めており、事実上ロシアを仮想敵国としていることからロシアの強硬な反発を受けている(アメリカは、イランの脅威に対抗するためであって、ロシアを対象とはしていないと説明している)。ロシアは代替案としてアゼルバイジャンのレーダーサイトの共同利用を申し出たが、アメリカはそれを拒否した[2]。さらにその後もアメリカは政権交代から難航しているポーランドとの交渉の他に、リトアニアにも接触を図るなどしている[3]。しかし、続くオバマ政権は2009年9月17日、東欧MD配備計画を白紙に戻すことを発表した[4]。09年12月に失効するSTART-Iに代わる米露新核軍縮条約の交渉進展および対イラン制裁の足並みをそろえるためと目されており、実際にロシアは9月23日の首脳会談で対米協調アピールとも取れる発言を行った。[5]。
また、ロシアは中国との関係を深めつつあり、旧来のCISに加え2002年に新たに上海協力機構(SCO)を創設している。後に、イランとも関係を強化した。
冷戦後、対共産主義というイデオロギー対立から開放された西側諸国は、「独裁国家が革命によって共産主義化してしまうくらいならば独裁的なままでも西側と友好関係にあったほうがよい」という冷戦期の理論を放棄し、アメリカが主導となって独裁的な国家への圧力を強めていった。
これらの行動は少なくともコソボ紛争に対するユーゴ空爆やアメリカ同時多発テロ事件に対するアフガニスタン侵攻などの「敵」がはっきりしていた範囲では西側諸国(と国連)に大きな反対のない中で行う事が出来た。
しかし、その後の悪の枢軸発言・対テロ戦争から始まるイラク戦争などにおいてはアメリカの性急さも相まって足並みが乱れ、アメリカと特に親密な国家がアメリカを支援しているが、当の政府が国民の支持が得られず撤退するなど状況は流動的になっている。
このように近年自由主義陣営に乱れが目立つのは、アメリカが西側諸国の足並みをそろえることを怠ったのみならず、21世紀に入り各国が経済発展と資源枯渇への懸念などから資源の確保に余念がなくなったことも大きい。イラク戦争がしばしばアメリカがイラクに眠る石油利権を確保したいがために起こしたと言われるように、各国もまたさまざまな方法で特に化石燃料の確保に全力を注いでおり、独裁政権を支持する代わりにその国の資源を確保する方法は、最も簡単なものの一つである。このような政策をとる国が表れると、制裁などの足並みがそろわず、独裁政権を倒し民主化を進めるのは困難を極める。
西側諸国の足並みの乱れではないが、ミャンマーの非民主的な軍事政権への国連の非難決議が大幅に弱い文言となった原因の一つにも、ミャンマーが産油国であるために、中国がその石油を目当てに資源外交を行って独裁政権を経済的にも国際政治的にも支援している事が上げられる。
冷戦体制時の西側諸国一覧
- 西ヨーロッパ
- 南ヨーロッパ
- 北ヨーロッパ
- 北アメリカ
- 中央アメリカ
エルサルバドル キューバ(1959年の革命後、東側に転じる) グアテマラ グレナダ(1983年の人民革命政権崩壊後、東側から転向) ジャマイカ ドミニカ共和国 ハイチ パナマ バハマ バルバドス ベリーズ ホンジュラス メキシコ
- 南アメリカ
米国支援下の軍事政権が多く、「アメリカ合衆国の裏庭」と呼ばれた。
- 東アジア
- 東南アジア
ベトナム国(1949年にフランスから独立。ただしフランス連合内。)→ 南ベトナム(1955年にベトナム共和国として完全独立。) ラオス王国(1975年に人民民主共和国の成立で東側に転じる) カンボジア王国→ クメール共和国(1970年にクーデターで成立。1975年の民主カンプチア成立で東側に転じる) マレーシア シンガポール(1965年にマレーシアから独立) フィリピン インドネシア(1967年のスハルト政権樹立後) タイ
- 南アジア
- 西アジア
イラン(1979年のイラン革命で西側から離脱) イラク(1959年の共和制移行で西側から離脱) イスラエル(1948年に米英の支援で独立) サウジアラビア 北イエメン オマーン アラブ首長国連邦 バーレーン ヨルダン クウェート カタール
- オセアニア
- アフリカ
エジプト(サダト政権樹立後) エチオピア帝国(1974年に社会主義エチオピアの成立で東側に転じる) リベリア リビア王国(1969年の共和制移行で西側から離脱) モロッコ ウガンダ(イディ・アミン政権樹立後) 南アフリカ連邦→ 南アフリカ共和国 コンゴ民主共和国→ ザイール(モブツ政権樹立後)
脚注
- ^ 精選版 日本国語大辞典、大辞林 第三版「西側」コトバンク
- ^ MD配備で正式調印、米とチェコ両政府[リンク切れ]
- ^ 米、ミサイル防衛施設受け入れ問題でリトアニアにも接触
- ^ 露、イラン制裁で米と共同歩調へ…両首脳合意
- ^ 米露首脳会談:イラン追加制裁、露が米と協調アピール 「中東非核化」けん制も