ポータルフィールドニュース

ポータルフィールドニュース

in ,

⛺|阪神・ドラ1佐藤輝 指揮官から大きな期待「今の自分のままぶつけてもらって」


写真 阪神・佐藤輝明(撮影・田中太一)

阪神・ドラ1佐藤輝 指揮官から大きな期待「今の自分のままぶつけてもらって」

 
内容をざっくり書くと
佐藤同様、1軍の選手はどうなんだとか、同じ西ですけど、西勇輝はどんなふうに過ごしてるのとか、バッターであれば糸井嘉男とかどんなふうにやってるのかなとか、色々感じ取れると思う。
 

阪神・矢野燿大監督(52)が21日、合同コーチ会議後、甲子園で代表取材に応じ、1軍キャンプスタートが… →このまま続きを読む

 デイリースポーツ

最新のニュースをお届けするデイリースポーツのニュースサイト、デイリースポーツonline(DailySportsOnline)です。阪神タイガースをはじめとした野球、サッカー、フィギュアスケートなどの最新情報(速報)、特集情報などをいち早くお届け!他にも写真特集やコラム特集も充実。スポーツ情報ならデイリースポーツonlineにお任せください。


Wikipedia関連ワード

説明がないものはWikipediaに該当項目がありません。

西勇輝

西 勇輝(にし ゆうき、1990年11月10日 - )は、三重県三重郡菰野町出身のプロ野球選手投手)。右投右打。

日本プロ野球(NPB)では、オリックス・バファローズを経て、2019年から阪神タイガースに所属。2020年に阪神へ入団した西純矢とは、遠縁の親戚(父方の曽祖父同士が兄弟)に当たる[2]。オリックス時代の2012年に、パシフィック・リーグの対福岡ソフトバンクホークス戦でノーヒットノーランを達成。

経歴

プロ入り前

三重県立菰野高等学校では2年生の時からエースとして活躍。2年夏の県大会では、宇治山田商業と決勝で対戦するも、中井大介バックスクリーン本塁打を打たれるなど4点を失って敗戦。翌3年夏の県大会でも決勝で宇治山田商業と対戦すると、5-2で勝利し雪辱を果たすとともに甲子園大会への出場を決めた。甲子園では、橋本到擁する仙台育英と1回戦で対戦。橋本に5安打を打たれた末に1-4で敗れた。

2008年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズから3位で指名。契約金5,000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は63

オリックス時代

2009年ウエスタン・リーグ公式戦18試合に登板すると、シーズン終盤に一軍昇格を果たした。9月21日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(クリネックススタジアム宮城)にリリーフで一軍デビューを果たすと、1イニングを三者凡退に抑えた。オリックスの高卒新人投手による一軍公式戦の登板は、球団合併後初めて。その後もリリーフで3試合に登板すると、通算4イニングで無安打無失点のままシーズンを終えた。

2010年、リリーフを中心に一軍公式戦18試合に登板し防御率3.41を記録。8月12日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)ではプロ初先発を務め、勝利投手の権利を得るまであと一死の5回二死までは無安打に抑えたが、松田宣浩に同点適時打を打たれるなど逆転され、初先発初勝利はならなかった。夏には突発性顔面神経麻痺を発症し、顔の右半分の感覚が失われ、激しい頭痛耳鳴り味覚障害などの症状に襲われた。一時は医師から野球を続けることはできないと診断されるほどの状態だったが、約2か月ほどで平癒した[3]

2011年オープン戦の好調を背景に、一軍の開幕先発ローテーション入りが早々に確定。4月17日の対楽天戦(阪神甲子園球場)に登板し、初回に犠飛で失点したものの、3回から6回までは三者凡退に抑え、7回8奪三振3安打1失点の内容だった。8回表に味方打線が逆転したことにより、プロ初勝利を挙げた[4]。4試合目の先発となった5月8日の対千葉ロッテマリーンズ戦では7回を3失点に抑え、開幕4連勝[5]。オリックスの投手としては1993年の長谷川滋利以来、前年未勝利投手の4戦4勝はオリックス前身の阪急ブレーブス時代で当時新人だった1978年の三浦広之以来であった[6]。連勝は4でストップしたが、6月4日の対広島東洋カープ戦で5勝目を挙げた[7]。しかし、6月11日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦で風邪による体調不良により急遽登板を回避してエバン・マクレーンに先発を譲る形になり、監督の岡田彰布に「自己管理ができていない」と叱責を受け登録を抹消された[8]。一軍復帰後の7月1日の対ソフトバンク戦では7回表からの3イニングを無失点に抑え、プロ初セーブを記録[9]。先発とリリーフで登板を重ねる中、8月11日の対楽天戦にて9回9奪三振1失点でプロ初完投を果たし、約2か月ぶりとなる6勝目を挙げた[10]。しかしその後、先発した9月29日の対ロッテ戦、リリーフ登板した10月1日の対楽天戦で立て続けに敗戦投手となり、3日で2敗したことから再度登録抹消。再調整を経て昇格し、シーズン最終戦となった10月13日の対ロッテ戦で、7回2/3を無失点に抑え2桁勝利を挙げた。

2012年、背番号を21に変更。チームが一軍公式戦の開幕から3連敗で迎えた4月3日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)では、先発で5回を3失点にとどめた末に、チームおよび自身のシーズン初勝利を果たした[11][12]金子千尋寺原隼人などの先発陣が続々と戦線離脱していく中で先発ローテーションを守り続けたが、8月9日に右肩痛で登録抹消。9月23日に一軍復帰を果たすと、チームのシーズン最終戦となった10月8日の対ソフトバンク戦(ヤフー)で、日本プロ野球史上76人目、85度目のノーヒットノーランを達成(平成生まれ初)。パシフィック・リーグでは12年ぶり、球団では17年ぶり、最終戦での達成は1937年春季戦の阪急の石田光彦以来75年ぶり2度目、2リーグ制以降では初、四球による1走者だけの準完全試合は45度目[13]であり、またこれが西自身にとって初の完封ともなった。この試合はソフトバンクの小久保裕紀の引退試合であり、前日小久保が「真剣勝負してほしい」と言ったことから、西は真剣勝負で挑んだが、試合後のコメントでは「誰も(達成すると)思っていなかったと思う」と複雑な表情でコメントを残した[14]。最終的にはチーム最多の8勝を挙げた。

2013年、一軍公式戦で、自己最多の28試合に登板。自己最多の166イニングを投げるとともに、先発3試合で完投勝利を収めるなど、9勝8敗、防御率3.63という成績を収めた。

2014年、シーズン初登板から勝ち続けた末に、5月20日の対阪神タイガース戦(京セラドーム大阪)で、開幕8戦全勝の球団記録を達成した[15]。5月26日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で敗れたことで連勝は8で途切れた[16]が、7月8日の対ソフトバンク戦(ヤフオク)で自己最多のシーズン11勝目を記録。このような好成績を受けて、オールスターゲームには、パ・リーグ先発投手部門のファン投票1位で初出場を果たした。オールスターゲーム後は不調で、8月1日の対ロッテ戦(京セラドーム)で12勝目を挙げたことを最後に、5連敗でレギュラーシーズンを終了した。しかし、開幕から一軍の先発ローテーションを守り抜いた末に、12勝10敗、防御率3.29を記録。チーム6年ぶり2度目のクライマックスシリーズ(CS)出場に貢献した。チームは日本シリーズへの進出を果たせなかったものの、シリーズ終了後の日米野球2014には、日本代表のメンバーとして出場[17]。先発の則本昂大の後を受けて6回から登板した第3戦では、四球と死球を与えたものの、2イニングを無安打無失点という内容で交代。後を継いだ牧田和久西野勇士も無安打無失点を続けたことから、日米野球史上初の継投ノーヒットノーラン達成に至った[18]

2015年、一軍公式戦で開幕から勝ち星に恵まれないまま、4月28日の練習で、キャッチボール中に顔面の神経麻痺が再発した。この日は西の先発が予告されていたが、この事態を受けて、チームは先発を急遽アレッサンドロ・マエストリに変更[19]。本人は大事に至らず、5月3日の対ソフトバンク戦から実戦に復帰すると[20]、同月10日の対日本ハム戦(いずれも京セラドーム)で一軍公式戦282日ぶりの勝利を挙げた[21]。一軍公式戦全体では、24試合の登板で、2年連続の10勝とリーグ2位の防御率2.38を記録。先発登板時のクオリティー・スタート率(QS率)がリーグ1位の83.3%に達したほか、5月以降は投球内容が安定していた[22]。シーズン終了後には第1回WBSCプレミア12に出場する日本代表に選出され[23]、2試合で1勝を記録した。さらに、同大会終了後の契約更改で、投手としては球団史上最年少(25歳)の年俸1億円プレーヤーになった[24]

2016年、公式戦開幕前の3月6日に京セラドームで催された「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」で、4回表から2番手投手として登板すると、2回無失点という内容で勝利投手になった[25]。一軍公式戦では、シーズン初登板からの3戦全敗を経て、4月18日の対西武戦(ほっともっとフィールド神戸)でシーズン初勝利[26]。5月31日の対巨人戦で両リーグシーズン最速の7敗に達したものの[27]、後に4戦全勝を記録。しかし、チーム87試合目となった7月26日の対ロッテ戦では、6失点を喫して自身の連勝が途切れたばかりか、チームの自力によるCS進出の可能性が消滅した[28]。シーズン最終登板であった9月28日の対楽天戦(いずれも京セラドーム)で、3年連続のシーズン10勝を達成[29]。チーム内でこの年唯一の2桁勝利投手にもなったが、通算成績は10勝12敗で、リーグ最多敗戦と自身初の負け越しを喫した。また、被本塁打数4と前年の約3分の1にまで減ったものの、防御率4.14と48与四球はいずれも自己ワーストであった。

2017年、レギュラーシーズン2試合目の先発登板であった4月9日の対日本ハム戦で、154球を投げた末に9回完封でシーズン初勝利。セ・パ両リーグの一軍公式戦シーズン初の完封勝利で、日本ハム戦で完封勝利を挙げたのは、プロ入り後初めてであった[30]。4月中旬までは2連勝を記録するほど好調だったが、同月28日の対ソフトバンク戦(いずれも京セラドーム)から3連敗を喫したため、一軍の首脳陣から無期限の再調整を通告。右足首を痛めたことや、急激な不振がチームの失速と重なったこともあって、5月12日付で出場選手登録を抹消された。不振による再調整を目的に登録を抹消されたのは、2011年以来6年ぶりであった[31]が、実際には6月2日の対巨人戦(東京ドーム)で先発投手として一軍に復帰した。復帰後は勝利数を5勝まで伸ばしていたが、8月22日の対日本ハム戦(ほっともっと)で、1回表に松本剛が打ったライナーが左手首を直撃したためこの回限りで急遽降板。直後の検査で左手大菱形骨の骨折と診断、患部の固定だけで4週間の固定を要することが判明したため[32]、翌23日付で再び登録を抹消された。一軍公式戦での通算成績は5勝6敗で、2桁勝利が3年連続で途切れ、2年連続の負け越しに至った。

2018年、3月30日の対ソフトバンク戦(ヤフオク)で、プロ入り後初の開幕投手に起用。7回裏まで無失点で凌いたが、8回裏に2点を失った末に0-2で黒星を喫した。以降の先発登板でも、クオリティスタート(QS)を達成しながら打線の援護に恵まれない試合が続いた[33][34]。6月には3試合の登板で全勝した一方で、その直後から8月上旬まで4連敗を喫するなど、好不調の波が大きかった。それでも、開幕時点での先発投手陣からただ1人、シーズンを通じて先発ローテーションを堅持。13敗を喫しながらも、シーズン最終登板であった10月1日の対楽天戦(楽天生命)で10勝目を挙げたことによって、自身2年ぶりのシーズン2桁勝利を達成した[35]

なお、シーズン中の5月に国内FA権の取得要件を満たしたことを受けて、シーズン終了後の11月7日には国内FA権を行使することをNPBへ申請した[36]。同月14日付で、NPBから国内フリーエージェント宣言選手として公示[37]。宣言後の残留を認めていたオリックスに加えて[38]、公示当日に獲得に向けて交渉に乗り出すことを表明していた阪神[39]や、ソフトバンク[40]横浜DeNAベイスターズなどと交渉に臨んだ[41]

阪神時代

2018年12月7日に、阪神タイガースへ移籍することを表明[42]。阪神との4年契約で合意したことも、球団から正式に発表された[43]。契約期間中の年俸推定総額は10億円で、背番号は16[44]

2019年、3月31日に、東京ヤクルトスワローズとの開幕カード第3戦(京セラドーム)に先発投手として移籍後初めて公式戦に登板[45]。4月7日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で、移籍後初勝利を2年ぶりの完封で記録した[46]。4月14日の対中日戦(甲子園)では一軍公式戦での初打点[47]、6月21日の対西武戦(甲子園)でNPB史上149人目の公式戦通算1000奪三振を記録[48]。その一方で、好投しても打線の援護に恵まれない試合が続いた[49][50][51][52]ため、5月10日の対中日戦(甲子園)でシーズン3勝目を挙げてから約2か月間(7試合)にわたって白星から遠ざかった[52][53]。7月21日の対ヤクルト戦(甲子園)で4勝目を挙げてから[53]は、打線の調子と噛み合う試合が増加。9月28日の対DeNA戦(横浜スタジアム)までの5連勝によって、2年連続6度目の2桁勝利に到達した[54]。同月には、登板した4試合で全勝したことに加えて、月間の防御率を1.93にとどめるほどの活躍でチームのCS進出に大きく貢献。2014年3・4月以来2度目の月間MVPを受賞した[55][56]。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦26試合に登板。投球イニングは自己最多の172回1/3で、チームトップの10勝(8敗)、防御率2.92という成績を残した[57]QS(19回)とQS率(73.08%)はいずれもリーグトップで、2015年以来4年ぶりに勝利数が敗戦数を上回った。CSでは、10月5日にDeNAとのファーストステージ第1戦(横浜)で先発を任されたものの、1回表に先頭打者・神里和毅から5連打を打たれたばかりか、5番打者・宮﨑敏郎の打球が右足を直撃した影響で一死も取れずに降板[58]。同月13日に巨人とのファイナルステージ第2戦(東京ドーム)へ先発したものの、好投しながらチームを日本シリーズに導けなかった[59]。なお、CSの終了後には、阪神の投手として初めてゴールデングラブ賞を受賞[60]。また、同姓の親戚である西純矢の入団が決まったものの、スコアボードでの表記は「西」のままとなっている(純矢は「西純」。報道などでは区別のため「西勇」となっているものもある)。

2020年、自身2度目・移籍後初めてのレギュラーシーズン開幕投手として、6月19日の対巨人戦(東京ドーム)に先発。6回1失点と好投しながら勝敗は付かなかったものの、3回表の第1打席で菅野智之から一軍公式戦およびチームのレギュラーシーズン初本塁打[61]、5回表の第2打席で適時二塁打を打ってチームの全得点(2点)を叩き出した[62]。日本プロ野球の開幕戦における投手の本塁打は、2008年の川上憲伸(中日)以来史上12人目[63]で、阪神の投手では1938年春の御園生崇男以来82年ぶりであった[64]

選手としての特徴

2019年の投球データ[66]
球種配分
%
平均球速
km/h
スライダー34129
フォーシーム31140
ツーシーム19140
チェンジアップ11132
カーブ5111

スリークォーターから、平均球速約141 km/h[67]、最速149 km/hのストレートを中心に、シュートスライダーカーブチェンジアップフォークをテンポよく投げ込む[3][67][68]。特にシュートへの評価が高く、シュートとスライダーを軸とした横の揺さぶりを得意としている[3]

投球フォームはプロ入り当初から既に完成されており、10球程度で肩が出来上がる仕上がりの早さ、物怖じしないマウンド度胸が持ち味である他[69]、右打者へのシュートをより生かすために、投球の際には投手板の一塁側ぎりぎりを踏む[3]。内角を強気に攻める投球を信条とするが[70]、その影響からリーグ最多与死球を2度記録している(2011、2013年)。

人物

オリックスでの一軍デビュー当初は、マウンド上でも笑顔を見せることが多く、「スマイル王子」の異名をとったが[71]、「相手を馬鹿にしているのではないか?」という意見が出たこともあり(特に当時楽天の監督であった星野仙一は、アウトを1つ取るたびに笑顔を見せる西に激高し、ベンチ裏で「潰せ!」という指示を出したことがあるという)、後にマウンド上での笑顔は封印している。斎藤佑樹群馬県出身)が日本ハムのドラフト1位ルーキーとして注目を集めていた2011年は西が初めて先発ローテーションに定着した年でもあり、名前の読み方が同じ「ゆうき」であることから、メディアから「西のユウちゃん」と呼ばれていた時期もあった[72]。現在では、帽子の裏に「きっと大丈夫」という言葉が書かれており、マウンド上でその言葉をつぶやくことがある[73]

漫画の『ドラえもん』・『ドラベース』のファンで、『ドラベース』作者のむぎわらしんたろうからグッズをプレゼントされる等の交流を持っている[74]。2015年には『コロコロアニキ』(小学館)に、西とむぎわらの交流や、『ドラベース』の主人公クロえもんとの対決を描いた特別漫画が掲載された[75]

オリックス時代の2011年から、日本赤十字社日本財団子どもサポートプロジェクトへ毎年寄付するなど、社会貢献活動を続けている。阪神移籍後の2019年には、他球団から移籍した選手では初めて、阪神球団から若林忠志賞を授与された[76]

オリックス時代の2010年から、知人の紹介で一般女性と交際。後に結婚したため、2016年10月には、その事実を初めて公表した[77]

同姓同名という縁から車いす陸上選手のと親交を持つ。車いす陸上の西が新聞に掲載されたことで存在を知った野球の西が、知人を通して問い合わせたことがきっかけであり、2020年の春季キャンプ時に初対面を果たした。車いす陸上の西の方は物心ついたときから野球好きで、野球の西のことを菰野高校時代から認知していたという[78]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2009オリックス300000000----134.000100200000.000.25
20101810000001----12831.22131401310012123.411.11
2011251810110710.588537130.21098260161061049443.031.03
201219192108300.727503123.010633305872041382.781.13
201328283019800.529708166.017813420141375074673.631.33
20142424312121000.545640156.01461135171191065573.291.16
2015242432010600.625655162.21401143061433046432.381.13
20162626210101200.455712165.1171448181082080764.141.33
201717173105600.455483117.2108142907880046453.441.16
20182525000101300.435679162.11621536261191066653.601.22
2019阪神262611010800.556702172.11591236291122060562.921.02
2020212142211500.688582147.21161528241151144372.260.98
通算:12年2562292296957811.54963421539.1141610937188311671815835403.161.16
  • 2020年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 2020年度シーズンは新型コロナウイルスの影響で120試合制

WBSCプレミア12での投手成績










































2015日本21000205.082201310447.20

年度別守備成績



投手












2009オリックス310001.000
20101823001.000
20112553111.973
20121982123.935
201328123927.962
201424162922.957
201524183911.983
20162673610.977
20171732320.929
20182582911.974
2019阪神26934041.000
20202162922.946
通算256953131421.967
  • 2020年度シーズン終了時
  • 太字の年度はゴールデンクラブ賞受賞
  • 2020年度シーズンは新型コロナウイルスの影響で120試合制

表彰

記録

初記録
投手記録
打撃記録
  • 初安打:2016年6月14日、対阪神タイガース1回戦(阪神甲子園球場)、2回表に能見篤史から右前安打
  • 初打点:2019年4月14日、対中日ドラゴンズ3回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に吉見一紀から左前2点適時打
  • 初本塁打:2020年6月19日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、3回表に菅野智之から左越ソロ
節目の記録
  • 1000投球回:2017年6月16日、対横浜DeNAベイスターズ1回戦(横浜スタジアム) ※史上347人目
  • 1000奪三振:2019年6月21日、対埼玉西武ライオンズ1回戦(阪神甲子園球場)、5回表に中村剛也から ※史上149人目
  • 1500投球回:2020年10月2日、対読売ジャイアンツ17回戦(阪神甲子園球場)、1回表1死目に吉川尚輝から見逃し三振 ※史上179人目
その他の記録

背番号

  • 63(2009年 - 2011年)
  • 21(2012年 - 2018年)
  • 16(2019年 - )

登場曲

代表歴

関連情報

写真集

脚注

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ 阪神 - 契約更改 - プロ野球. 日刊スポーツ. 2019年12月12日閲覧。
  2. ^ “阪神1位西が聖地へ再び、遠戚西勇輝に弟子入り希望”. 日刊スポーツ. (2019年10月17日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201910170001093.html 2019年10月17日閲覧。 
  3. ^ a b c d “二宮清純レポート オリックス・バファローズ投手 西勇輝 覚醒した「やんちゃ坊主」”. 現代ビジネス (講談社). (2014年9月6日). https://gendai.ismedia.jp/articles/-/40264 2016年10月1日閲覧。 
  4. ^ “「西の勇ちゃん」も勝った!プロ初勝利に喜び爆発”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年4月18日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/04/18/kiji/K20110418000649460.html 2013年4月19日閲覧。 
  5. ^ “西の勇ちゃん開幕4連勝!長谷川氏以来18年ぶり快挙”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年5月9日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/05/09/kiji/K20110509000782950.html 2013年4月19日閲覧。 
  6. ^ 日刊スポーツ・大阪版 2011年5月9日付紙面記事 6版6面「データセンター」より。
  7. ^ “西 5月8日以来の5勝目!「体が慣れてきた」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年6月4日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/06/04/kiji/K20110604000957260.html 2013年4月19日閲覧。 
  8. ^ “岡田監督 先発回避の西に激怒「あした抹消」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年6月12日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/06/12/kiji/K20110612001003290.html 2013年4月19日閲覧。 
  9. ^ オリ・西がプロ初セーブ「うれしいです」 SANSPO.COM 2011年7月1日付記事。
  10. ^ 西プロ初完投!オリックス5連勝、楽天は2季ぶり7連敗 スポーツニッポン 2011年8月11日付記事
  11. ^ オリックス逆転勝ちで今季初勝利!岡田監督「明日からすっきり」 スポーツニッポン 2012年4月3日配信
  12. ^ 2012年4月3日 【公式戦】 試合結果 (北海道日本ハムvsオリックス) NPB公式サイト
  13. ^ 小久保の最終打席で迷いも…西 ノーヒッター「どうしようかと」 スポーツニッポン2012年10月9日配信
  14. ^ 小久保の“ガチで来い”に応えた 西「どう喜んでいいのか」 スポーツニッポン 2012年10月8日配信
  15. ^ オリックス 西 球団新記録の開幕8戦8勝 交流戦も6連勝 スポーツニッポン 2014年5月20日配信
  16. ^ 西 開幕からの連勝止まる 8回1失点も援護なし スポーツニッポン 2014年5月28日配信
  17. ^ 2014年10月9日 侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表! 侍ジャパン公式サイト (2014年10月9日) 2015年3月26日閲覧
  18. ^ 侍救援陣、重圧はねのけ無安打リレー日刊スポーツ、2014年11月16日
  19. ^ オリックス今度は西…顔面けいれんで先発回避、全治は不明日刊スポーツ、2015年4月29日
  20. ^ オリックス西6回無失点好投も 9回岸田つかまり逆転負け日刊スポーツ、2015年5月4日
  21. ^ オリックス西282日ぶり勝ち星に笑顔「本当にうれしい」日刊スポーツ、2015年5月11日
  22. ^ 本人も「まさか」 オリックス西、プロ7年の成績と“右肩上がり”年俸推移(2ページ)Full-Count、2015年12月5日
  23. ^ 「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!! 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年10月9日) 2015年10月9日閲覧
  24. ^ 本人も「まさか」 オリックス西、プロ7年の成績と“右肩上がり”年俸推移(1ページ)Full-Count、2015年12月5日
  25. ^ 侍ジャパン強化試合 チャイニーズ・タイペイvs日本 打席結果・投打成績 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2016年3月6日) 2016年10月5日閲覧
  26. ^ オリックス西やっと1勝、粘投6回「今日こそはと」日刊スポーツ、2016年4月18日
  27. ^ オリックス西、早くも7敗目「見つめ直したい」日刊スポーツ、2016年5月31日
  28. ^ オリックス自力CS消滅…西が大誤算 福良監督「何とか勝てるように」スポーツニッポン、2016年7月27日
  29. ^ オリックス西3年連続2桁勝利「やっぱりうれしい」日刊スポーツ、2016年9月28日
  30. ^ オリックス西が完封一番 154球に「えげつない」日刊スポーツ、2017年4月9日
  31. ^ オリックス ついに貯金0 西再調整にコーク「力が入らない」緊急降板スポーツニッポン、2017年5月14日
  32. ^ オリックス西が左手骨折で今季絶望的 福良監督嘆く日刊スポーツ、2017年8月23日
  33. ^ 勝てないオリックス開幕投手の西勇輝 試合は作っているのに、なぜ…Full-Count、2018年4月15日
  34. ^ オリックス西に打線の援護あるか/パ・リーグ見どころ日刊スポーツ、2018年5月24日
  35. ^ オリックス西2年ぶり2桁勝利、開幕からローテ守る日刊スポーツ、2017年8月23日
  36. ^ オリックス・西がFA宣言「このチャンスをしっかり使っていきたい」サンケイスポーツ、2018年11月7日
  37. ^ 2018年度フリーエージェント宣言選手NPB日本野球機構、2018年11月14日
  38. ^ オリックス西がFA宣言「他チームの話を聞きたい」日刊スポーツ、2018年11月7日
  39. ^ プロ野球 阪神、FAオリックスの西、獲得乗り出し表明毎日新聞、2018年11月15日
  40. ^ 【ソフトバンク】西勇輝獲得に4年16億円超用意!速攻成功”. スポーツ報知 (2018年11月16日). 2018年12月1日閲覧。
  41. ^ DeNA FAオリ西獲り参戦へ 右腕の駒不足、先発の柱に期待”. スポーツニッポン (2018年11月16日). 2018年12月1日閲覧。
  42. ^ FA西勇輝 阪神入団を正式表明 矢野監督の熱烈なラブコールに感激「1イニングでも長く」”. スポーツニッポン (2018年11月16日). 2018年12月1日閲覧。
  43. ^ 西勇輝選手との契約合意について”. 阪神タイガース (2018年12月7日). 2019年2月6日閲覧。
  44. ^ FA西、阪神入団へ=生活環境優先、背番号16-プロ野球”. 時事通信社 (2018年12月7日). 2019年2月6日閲覧。
  45. ^ 阪神・西、らしさ存分!虎初登板 仲間に感謝「いいチームだな」 SANSPO.COM 2019年4月1日
  46. ^ 阪神西が完封一番乗り、客観的分析は新天地でも健在 日刊スポーツ 2019年4月7日
  47. ^ 快勝!甲子園の連敗4でストップ 西7回2失点で2勝目&プロ初打点デイリー 2019年4月14日
  48. ^ 阪神西「歴代捕手の方々に感謝」通算1000奪三振 日刊スポーツ 2019年6月21日
  49. ^ 阪神西7回1失点降板 打線援護なく勝ち星得られず 日刊スポーツ 2019年5月31日
  50. ^ 虎のイニングイーター―阪神・西勇輝の覚悟― Sponichi Annex 2019年6月29日
  51. ^ 阪神・西11度目QSも援護なく7戦連続白星なし Sponichi Annex 2019年7月2日
  52. ^ a b 阪神・西、4勝目ならず 6回6安打3失点で登板8試合白星なし SANSPO.COM 2019年7月8日
  53. ^ a b 西 72日ぶり白星!今季4勝目 ほえた気迫7回2失点 デイリースポーツonline 2019年7月22日
  54. ^ 阪神、CS進出へ望みつなぐ4連勝 西は2年連続6度目2桁勝利 今永7失点も186K、山口と5差に Sponichi Annex 2019年9月28日
  55. ^ 阪神西が月間MVP「野手の方に感謝したい」 日刊スポーツ 2019年10月15日
  56. ^ 西、9月度の月間MVP受賞「もう取れないと思ってた」14年以来2度目 デイリースポーツonline 2019年10月15日
  57. ^ 阪神・西が自身2度目の月間MVPを受賞「もうとれないと思っていた」 SANSPO.COM 2019年10月15日
  58. ^ [1]日刊スポーツ 2019年10月5日
  59. ^ 阪神西ぼう然 2死から丸にセーフティー適時打許す 日刊スポーツ 2019年10月13日
  60. ^ 阪神・西 球団投手初のゴールデン・グラブ賞!梅野は田淵以来の2年連続 Sponichi Annex 2019年10月31日
  61. ^ 【阪神】西勇輝、師匠・菅野からプロ初本塁打となる1号先制ソロ 投手の開幕戦本塁打は08年の中日・川上以来12人14本目” (日本語). スポーツブル (スポブル). 2020年6月19日閲覧。
  62. ^ プロ1号の阪神・西勇が今度は左中間へ勝ち越し打 巨人菅野から2打数2安打2打点” (日本語). Full-Count. 2020年6月19日閲覧。
  63. ^ npbのツイート- Twitter
  64. ^ 阪神 西勇が開幕アーチ 球団投手では御園生崇男以来82年ぶり” (日本語). Sponichi Annex (2020年6月19日). 2020年6月19日閲覧。
  65. ^ 1.02 - Essence of Baseball, DELTA Inc.”. 1point02.jp. 2020年5月26日閲覧。
  66. ^ 20先発・143.0回。1point02.jpによる。[65]
  67. ^ a b 変化球ラーニング チェンジアップ編 西勇輝『週刊ベースボール』2011年26号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-6/20、18-19頁。
  68. ^ 正妻オレがヤル!阪神・梅野が坂本が岡崎が西争奪お見合いブルペン63球”. サンケイスポーツ (2019年2月7日). 2019年2月7日閲覧。
  69. ^ ウエスタン一番星
  70. ^ “オリックス西、「次男坊」が背負ったエースの重圧”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2015年6月7日). http://www.nikkei.com/article/DGXMZO87689410U5A600C1000000/ 2016年10月1日閲覧。 
  71. ^ “【オリックス好き】西勇輝、芽生えた自覚と深めた自信”. JSPORTS. (2015年3月7日). http://www.jsports.co.jp/press/article/N2015030619065601.html 2016年10月1日閲覧。 
  72. ^ “「西のユウちゃん」マー君を超えるか!? オリックス西勇輝が打たれない理由”. exciteニュース=日刊大衆配信記事. (2011年6月11日). http://www.excite.co.jp/News/sports_g/20140611/Taishu_8195.html 2016年10月5日閲覧。 
  73. ^ “早くも9勝!オリックス西の合言葉は「きっと大丈夫」”. 東スポweb (東京スポーツ新聞社). (2014年6月13日). http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/277136/ 2016年10月1日閲覧。 
  74. ^ 西勇輝のニコニコ日記 「きっと大丈夫!」
  75. ^ むぎわらしんたろう『野球の星 メットマン』3巻(小学館てんとう虫コロコロコミックス、2017年)収録。
  76. ^ “2019年度(第9回)若林忠志賞について”. 阪神タイガース. (2019年11月13日). https://hanshintigers.jp/news/topics/info_6569.html 2019年12月2日閲覧。 
  77. ^ “【オリックス】西、一般女性と結婚していた!「家族のため頑張りたい」”. スポーツ報知. (2016年10月2日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20161001-OHT1T50265.html 2016年10月2日閲覧。 
  78. ^ “同姓同名で親交 パラ陸上選手が阪神西勇輝から刺激”. 日刊スポーツ. (2020年6月20日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202006190000364.html 2021年5月21日閲覧。 

関連項目

外部リンク

糸井嘉男

糸井 嘉男(いとい よしお、1981年7月31日 - )は、京都府与謝郡与謝野町出身[3]プロ野球選手外野手)。右投左打[1]阪神タイガース所属。愛称は「超人[4][5]、「ヨッピ[6]

概要

プロ入り後に投手からの野手コンバートに成功した選手の代表格[7][8]。野手転向後は日本を代表する5ツールプレイヤーとなる[9][8]

2004年に北海道日本ハムに投手として入団し、2006年に外野手転向。2009年にレギュラーの座を獲得し、そこから11年連続規定打席到達、10年連続オールスターゲーム出場を続けた。

2013年からの4年間はオリックス・バファローズに所属し、2017年から現在は阪神タイガースに所属している。2013年にはワールド・ベースボール・クラシック侍ジャパンの四番打者も任された。

2009年から2014年まで、NPB史上初の6年連続「シーズン打率3割・20盗塁ゴールデングラブ賞」を達成[10][注釈 1]。2016年には35歳2か月のNPB史上最年長盗塁王記録を樹立[11]

これまでに、NPB史上初の8度の「シーズン打率3割・20盗塁」の記録[12]、NPB史上9位の通算9度の打率3割のマーク[注釈 2]、NPB史上8位の通算6度の出塁率4割のマーク[注釈 3]などを成し遂げている。

通算成績では、NPB史上25人目の通算打率3割[注釈 4]、NPB史上7位の通算出塁率.393を記録している[注釈 5]

経歴

プロ入り前

1981年7月31日に、京都府与謝郡岩滝町(現与謝野町[13]にて、トライアスロンの元選手の父と、バレーボールの元国体選手の母のもとに生まれる[14]。母方の祖父は、京都府立峰山高等学校の体育教師で、当時の教え子に野村克也がいた[15]

中学時代は硬式野球部ではなく、旧岩滝町の橋立中学校軟式野球部に所属。3年時、勝てば府大会へと繋がる重要な大会の日、試合前の練習中にベンチに座り休憩していたが、顧問の教師に「帰れ!」と怒鳴られ、それを真に受けて帰宅してしまう[16][17]。学校の目の前に自宅があった糸井は、試合へ出陣するチームのバスに向かって、自宅の二階から「頑張ってこいよ〜!」と手を振っていたという[16]。エースの不在でチームは早々に敗退してしまい、私立強豪校からの誘いを受けられず、岩滝町に隣接する宮津市にある京都府立宮津高等学校に進学した[16]

高校入学早々に、痛んでいた膝を病院にて診断。中学2年時から膝の皿が割れていて、痛みに耐えながらプレーを続けていたことが発覚し、すぐさま手術する[18]。リハビリを行い、2年時にようやく走れるようにまで回復し[16]、2年の春先の練習試合で復帰登板を果たす。ところが一人に投げ終えたところですぐに肩の痛みを発症し降板[18][19]。今度は肩を手術することとなり、その後医師の許可が降りた3年春から復帰を果たす[19]。実質3年時の4ヵ月しかプレーしていなかったが、投手として阪神のスカウトからも注目される[19]。それでもドラフト会議での指名が確実ではなかったことから4年後を見据え、近畿大学に進学した[20]

近大野球部では、1年秋から先発を務めていた同学年でエースの野村宏之や、1学年下の貴志款八(その後日本新薬)の陰に隠れ、3年時の2002年春まで関西学生野球連盟のリーグ戦出場がなかった。しかし同年の秋季リーグでデビューを果たすと、4年時の春季リーグではエースとして2度の完封勝利を含む5連勝(無敗)の大活躍でリーグMVP・最優秀投手・ベストナインの三冠に輝いた。大学選手権では初戦で馬原孝浩九州共立大)と投げ合うが2回途中7失点で降板し、5回コールド負け[21]。大学通算成績は19試合に登板、9勝2敗、防御率1.49であった。同期には田中雅彦中村真人らがいる。

2003年11月19日に行われたプロ野球ドラフト会議にて北海道日本ハムファイターズ自由獲得枠で入団。契約金1億円、年俸1,500万円で、背番号は26となった。

日本ハム時代

2004年 - 2005年の2年間は本人曰く「鳴かず飛ばず」で一軍登録されることはなく、二軍では通算36試合に登板し、8勝9敗3セーブ防御率は4.86だった。

2006年4月25日に正式に外野手コンバート。投手として結果を残すことは出来なかったが、高田繁GMに野手としての素質を見込まれての転向であった。すると転向僅か5か月にして9月度のイースタン・リーグ月間MVPを受賞(月間打率.397)。二軍のシーズン成績は打率.306、8本塁打、8盗塁を記録。シーズン中の一軍出場はなかったが、11月のアジアシリーズでは出場登録28人枠入りし、11月11日のチャイナスターズ(中国野球リーグ選抜チーム)戦にて途中出場で一軍初出場を果たした。

2007年は野手転向2年目にして開幕一軍入りを果たすが、結果を残せずすぐに二軍落ち。その後故障もあったが9月に再昇格し、プロ初安打・初盗塁を記録。しかしその盗塁の際に足を痛めてしまい、すぐに登録抹消となった。二軍では同僚の金子洋平に次ぐイ・リーグ2位の12本塁打をはじめ、打率.319、長打率.579、14盗塁と好成績を残した。

2008年左翼手として初の開幕戦先発出場を果たすものの、3月30日に楽天戦で負った肉離れを押して試合に出続けたことにより、故障箇所を悪化させ二軍落ち。一軍復帰後にはプロ入り初を含む5本塁打を打ち、この年は他に63試合出場、打率.239、45安打、21打点、13盗塁を記録した。クライマックスシリーズ第1ステージでは1番打者に抜擢された。オフに770万円アップの推定年俸1,800万円で契約更改。

2009年は「7番センター」として2年連続の開幕スタメンの座を掴むと[22]打順は7番や2番を中心に、主に3番の稲葉篤紀がスタメンを外れた12試合では3番を担い、ポジションは前年まで3年連続でゴールデングラブ賞を獲得していた森本稀哲を押しのけセンターとしてついにレギュラーに定着。特に6月は好調で、月間打率、安打数がともにリーグ2位で、4試合で殊勲安打(同点1、先制3)を打ち、チームの首位堅持に貢献[23]。6月11日から30日にかけては11試合連続安打を打ち、月間9二塁打はリーグトップ、6盗塁はリーグトップタイの成績を残し、自身初の月間MVPを受賞した[23]。受賞会見では「不安ばっかりだったが、必死に練習してきた。起用してくれた監督、コーチ、そして転向を打診してくれた高田監督(当時東京ヤクルト監督)に感謝したい」と秘めた思いを口にした[22]。7月には監督推薦によりオールスターゲームにも初出場を果たした[24]。シーズン終了までレギュラーを守り切り、チームの2年ぶりのリーグ優勝に貢献。自己最多となる131試合に出場し、初めて規定打席に到達。打率.306(リーグ7位)、15本塁打、24盗塁(同7位)、出塁率.381(同6位)、長打率.520(同4位)、OPS.901(同3位)という成績を記録し、パ・リーグ外野手部門2位で初のベストナイン[25]、同外野手部門1位で初のゴールデングラブ賞[26]をダブル受賞した。契約更改では3倍以上増となる推定年俸6,000万円でサインし、「投手で入って野手になったときは一軍が目標だった。活躍できるなんて想像もしていなかった」と喜びを口にした[27]

2010年は前年主に5番のターメル・スレッジが退団した影響で主に「5番センター」としてクリーンアップの一角を担った。6月15日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では1試合4二塁打を打った。イチロー井口資仁ら好打者に並ぶ史上10人目の記録であったが「ホンマですか。必死なだけです」と語った[28]。7月1日には、選手間投票により2年連続でのオールスターゲーム選出を果たす。本拠地最終戦の9月26日の西武戦(札幌ドーム)では9回裏にサヨナラ打を打ち、勝利を引き寄せた[28]。この年は2年連続15本塁打を放ち、すべて前年を上回る打率.309、64打点、26盗塁、さらに76四球(25四球増)を選び初の4割台となる出塁率.407を記録。2年連続でパ・リーグ外野手部門の1位でゴールデングラブ賞も受賞[29]。オフの契約更改にて年俸は1億円の大台に到達し[30]、背番号を同年まで坪井智哉がつけていた7に変更。背番号7について、「坪井さんの付けてた背番号なので相当な重みを感じています。」とコメントしていた。この記事を見た坪井は自身の公式ブログで「涙が出そうになった」とコメントし、『7番似合ってるやん!』と糸井にメールしたことを明かしている[31]

2011年、打順は稲葉篤紀に代わる3番にまで昇格。相手投手の攻めも厳しさを増し、リーグトップタイの19の死球を受け[32]、8月には右手小指に死球を受けて骨折しながらも痛みを押して出場を続けた[32][33]。それでも打率はシーズン中盤までリーグ首位に立ち、最終的に自己最高でリーグ2位の.319を記録、本塁打も11本打ち3年連続の打率3割・2桁本塁打を記録した[32]。出塁率は12球団全選手の中で唯一4割を超え、自身初タイトルとなる最高出塁率を獲得し、「出塁は毎年意識しており、(タイトルを)獲得できて光栄」と喜びを語った[32]。31盗塁も自己最多でチームトップ[32]。守備でも3年連続でゴールデングラブ賞を受賞[32]。2年ぶり2度目のベストナインはリーグ外野手部門の1位で獲得した[34]。12月13日、9,000万円増の推定年俸1億9,000万円でサインし、野手転向者としては石井琢朗が横浜時代の2005年の推定年俸2億5,000万円に次ぐ高額年俸となった[35]

2012年、相手チームにライトへヒットを打たれた時に、一塁走者の三塁進塁を抑止するため、首脳陣が当時右翼手を務めていた陽岱鋼と糸井を比較し「センターの守備力は変わらない。ならば(糸井)嘉男の強肩を生かす布陣の方が良い」という考えによりポジションを入れ替える形で右翼手にコンバートされる[36]。オールスターゲームには稲葉篤紀に次ぐ両リーグ2位の得票を集め初めてファン投票で選出され、4年連続の出場を果たした[37]。しかし怪我を抱えてのプレーとなり[33]、前半戦は僅か2本塁打で、5月16日以来8月3日まで本塁打が出ないなど思いがけない不振に見舞われた[38]。8月25日の試合前練習で左脇腹を痛め、翌日に登録抹消[33]。「負けられない戦いの中、怪我をして不甲斐なかった」と、患部が完治していない状態で9月7日に3番右翼でスタメン復帰し、7回に右前打を放って意地を見せた[33]。9月に打率.380、15打点でリーグ2位、出塁率.473、長打率.608はリーグトップの成績を記録し[39]、5本の先制打、1本の勝ち越し打を打ってチームの3年ぶりのリーグ制覇の大きな原動力となり[39]、3年ぶり2度目の月間MVPを獲得。最終的にシーズン成績は打率は4年連続で3割を超える.304(リーグ3位)をマーク、出塁率は.404で2年連続で最高出塁率のタイトルを獲得という成績を残し[33]、守備ではゴールデングラブ賞を4年連続で獲得し、2年連続でリーグ外野手部門の1位の得票で2年連続3度目のベストナインを受賞した[40]。ポストシーズンに入っても好調を維持し、クライマックスシリーズファイナルステージ(札幌ドーム)では初戦と第2戦に2試合連続本塁打を打ちチームの日本シリーズ進出に貢献。初のクライマックス・シリーズMVPを受賞した[41]。11月17日、18日に行われた「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表に選出され、背番号は1を背負った[42]。第2戦では自身初めての侍JAPANの4番打者に抜擢され4打数2安打を打った[43]。契約交渉では1,000万円増の推定年俸2億円の提示を受け、これに保留[44]。球団はこのような評価となった理由を「糸井の成績は上がっているわけではない」とした。2度目の交渉からは代理人を伴ったものの交渉は難航した[45]

オリックス時代

2013年1月25日、木佐貫洋大引啓次赤田将吾との交換トレードで、八木智哉と共にオリックス・バファローズへ移籍することが発表された[46]、球界に激震が走った大型トレードに、チームメイトの武田勝は「痛手であることは間違いない。僕らも気持ちの整理をつけてキャンプに臨みたい」と語り[47]、日本ハム時代に一緒にトレーニングをする仲だったという元同僚で当時テキサス・レンジャースダルビッシュ有も「糸井さんトレードとか、ありえん」と自身のツイッターにツイートし、衝撃が走ったことを素直に表現した[48]。翌26日にほっともっとフィールド神戸で記者会見した糸井は、「関西出身なので、小さいころからよくテレビで見ていた。優勝目指して頑張りたい」と抱負を語った[49]。なお背番号は日本ハム時代と同じ7となった。2月20日に第3回WBC日本代表に選出された[50][51]。背番号は年上の松井稼頭央が7を背負うため9となる。山本浩二侍ジャパン監督から大会前からキーマンに指名されると、3月2日の1次ラウンドA組開幕戦(対ブラジル、5-3、ヤフオクドーム)では4番打者(右翼手)に起用され、4回にライトへの適時打を打ちチームの勝利に早くも貢献する。3月3日の中国戦(5-2、ヤフオクドーム)では5回の満塁のチャンスでフェンス直撃の中越え3点二塁打を打ち、10日の第2ラウンド・オランダ戦(東京ドーム)では4回に右越え3点本塁打を打つなど日本代表のベスト4入りに貢献する活躍を見せた。大会では全7試合に4番、5番などで出場し、打率.286、1本塁打、7打点、2盗塁、OPS1.024の好記録を残した[52]

シーズンでは安定した調子を維持し、5年連続での打率3割、ゴールデングラブ賞受賞を達成したほか、すべて自己最多の157安打、17本塁打、33盗塁(リーグ3位)を記録[53]オールスターゲームにはファン投票で唯一の40万票超えとなる約43万票で自身初の両リーグ最多得票となり5年連続で出場[54]。オフの契約更改では自己最高の推定年俸2億5,000万円プラス出来高で契約を更改し、その会見の際に「今は将来のことは考えていない。(メジャーへの思いは)でっかい大胸筋の奥に秘めておきます。」と冗談混じりに大リーグ挑戦の思いを一時的に封印すると述べた[55]

2014年は開幕から好調で、5月10日の日本ハム戦(ほっともっとフィールド神戸)ではディクソン武田勝の両先発が好投を続け、投手戦となり両者無得点の6回の好機に均衡を破る5号先制3点本塁打を打つ。続く7回にも自身初の2打席連続本塁打となる6号ソロ本塁打を打ちチームの勝利を決定づけた[56]。6月8日の広島東洋カープ戦(マツダ)ではプロ初の4番に座り、8号決勝2点本塁打を打った[57][58]。この試合以降4番として出場し、8月14日からは再び3番に戻ったが、多くの試合で4番として出場した[58]。シーズン終盤まで1位であった盗塁は、過去にパ・リーグでシーズン50試合以上で4番に座り盗塁王を獲得した選手はいないため、パ・リーグ史上初の「4番で盗塁王」なるかと注目された[58]。7月18日、19日に行われたMAZDAオールスターゲーム2014には、前年を上回る48万7246票で2年連続でファン投票両リーグ最多得票を集め[59]、選手間投票でも両リーグ最多得票で選出され[60]、6年連続での出場を果たした。最終的に自己最高の打率.331で初の首位打者、同じく出塁率.424で2年ぶり3度目の最高出塁率のタイトルを獲得。2年ぶり4度目のベストナインと、6年連続のゴールデングラブ賞にも選出され、史上初の「6年連続打率3割・20盗塁・ゴールデングラブ賞」という快挙を達成した[10]。シーズン終了後の日米野球2014には、日本代表[61]の3番打者として出場した。契約更改では1億円増の推定年俸3億5,000万円プラス出来高払いでサインしている[62]

2015年、オリックスの主将に就任[63]。一軍公式戦では、5月20日に通算1000安打[64]、7月30日に通算100本塁打、9月2日に通算1000試合出場[65]と節目の記録を次々と達成。その一方で、シーズン序盤から満身創痍の状態で出場を続けた結果、7月2日に右肘靱帯や右足首腱の損傷で戦線を離脱した[66]。そのまま前半戦を終えたが、外野手部門のファン投票で3位に選ばれたオールスターゲームには、指名打者として出場した。後半戦から復帰し、7月30日の日本ハム戦(わかさスタジアム京都)では、プロ入り後初めての地元・京都での公式戦に出場し凱旋を果たす。その試合では1回裏に8号先制2点本塁打を打つと、5回裏には勝利を決定づける9号3点本塁打を打ち、この本塁打で一軍公式戦通算100号本塁打を達成した[67]。同時に1試合における自己最多打点も記録。試合後のヒーローインタビューでは、「思いが詰まった球場で(通算100本塁打を)達成できて嬉しい。光栄です」と述べた[68]。ここから調子を上げ、8月は打率.293、6本塁打、18打点、出塁率.409、さらに9・10月は打率.330、出塁率.434、12打点と復調した。シーズン終了後には、推定年俸2億8,000万円(7,000万円減)で契約を更改[69]。さらに、PRP療法(自身から採取した血小板で左膝組織の修復や再生を図る自己多血小板血漿療法)を受けることで、左膝の回復を図った[70]

2016年は開幕戦から10試合連続安打を記録[71]。4月13日の日本ハム戦(京セラドーム大阪)では、5回裏の打席で自身およびチームのシーズン初本塁打を打ち、前日にチームが至った2リーグ制導入後のワーストの開幕13試合連続本塁打無しという記録も止まった[72]。翌日の同カードでは、2試合連続本塁打(ソロ本塁打)でチーム唯一の得点を挙げ、チームにシーズン初の連勝をもたらした[73]オールスターゲームにも、前年に続いてパ・リーグ外野手部門のファン投票で3位に入り、8年連続で出場した。8年連続の出場は、この年の出場選手で最も長い[74]。8月13日の対西武戦(西武ドーム)第1打席で、一軍公式戦4000打数(NPBにおける通算打率の規定打数)に到達[注釈 6]。9月15日の日本ハム戦で1回表にルイス・メンドーサから初球で13号先頭打者本塁打を打ったことを皮切りに、公式戦では自身初の3打数連続本塁打を記録。「同一選手による1回表の先頭打者初球本塁打を含む1試合3本塁打」というNPB史上初の快挙も達成した[76][77]。さらに、次のカードの9月17日・18日のソフトバンク戦(福岡 ヤフオク!ドーム)でも本塁打を打ち、自身初の3試合連続本塁打を記録[78][79]。走塁面では、5月8日の千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)で、一軍公式戦通算200盗塁を記録[80]。35歳の誕生日を迎えた7月31日の対西武戦(京セラドーム大阪)でシーズン自己最多の34盗塁を記録する[81]と、8月下旬からは1番打者に起用された。9月6日のソフトバンク戦(福岡 ヤフオク!ドーム)の7回表にニ盗を成功させたことによって、シーズン50盗塁に到達[82][83][注釈 7]。シーズン終盤には、猛烈な勢いで盗塁数を増やしてきた金子侑司(西武)との間で、熾烈な盗塁王争いを展開。最終的に53盗塁を記録し金子と分け合う形で自身初の盗塁王を獲得した。35歳2か月での盗塁王獲得は史上最年長となる[85]。また、「34歳で開幕を迎えたシーズンの盗塁王獲得」という日本プロ野球史上4人目の快挙を成し遂げた[注釈 8]。シーズン終了後にはゴールデングラブ賞(いずれもパ・リーグ外野手部門)を受賞。ゴールデングラブ賞への選出は通算7度目で、セ・パ両リーグの現役選手としては最も多い[86]

3月28日に取得していた国内FA権[87]を11月7日に行使することを表明[88]。11月10日付で、NPBからフリーエージェント宣言選手として公示された[89]。既にシーズン中から読売ジャイアンツ阪神タイガースなどの他球団が、糸井の獲得に興味を示していることを示唆する報道が相次でおり[90][91][92][93]、その一方で、オリックスも推定年俸総額18億円規模の4年契約を提示するなど慰留につとめていた[94][95][96]

阪神時代

2016年11月21日に、阪神タイガースが契約合意を正式発表[97]。契約期間は4年で、年俸総額は推定18億円以上(推定)[98]。背番号は前年まで西岡剛が使用した7を譲り受け、西岡は背番号5に変更となった[99]

2017年金本知憲監督から早々に正中堅手の座を確約されていたが、1月の自主トレーニング中に右膝の関節炎が再発[100]。春季キャンプでは一軍の「沖縄組」へ参加したものの、本隊と別のメニューによる調整で患部のリハビリを優先させた[101]。3月15日のオリックス戦で復帰した[102]。3月31日のシーズン開幕戦(広島戦、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)に「3番中堅手」として移籍後公式戦初出場を果たし、四球を選んだあとの3回無死一、ニ塁の第2打席で左中間越えの2点適時二塁打を打った[103]。4回一死ニ塁でもダメ押しの右翼線適時打、7回にも左前打を打ち、3安打猛打賞と活躍し、移籍初戦でヒーローインタビューを受けた[104]。7月17日の広島戦、5回裏で出場した打席で、チェンジアップを空振りした際に右の脇腹を痛め、途中交代した。翌日、右脇腹の筋挫傷であることが判明し、登録抹消を余儀なくされた[105]。8月17日に一軍に復帰[106]。8月30日のヤクルト戦では、10回裏二死で迎えた第4打席で、プロ入り後初となる値千金のサヨナラソロ本塁打を右翼席へ打った[107]。そのままシーズン最終戦及びクライマックスシリーズまで全試合に出場。一軍復帰した8月17日時点の打率は.267だったが[108]、9月16日まで打率.297まで上昇。自身8度目の3割へ射程圏内にいた[109]。最終的に打率.290でシーズンを終え、初めて規定打席に到達した2009年[22]以降、自身2度目となる3割を切る数字となったが[1]、リーグ打撃10傑入りは果たした[110]。また出塁率はリーグ7位の.381を記録[111]。レギュラーに定着以降最少の114試合の出場ながら[1]、自己2位の17本塁打[1]、同5位の62打点[1]やリーグ4位タイの21盗塁を記録した[112]。12月14日、チーム大トリとなる契約更改を行い、1億2,000万円増で自己最高の推定年俸4億円プラス出来高という内容で4年契約2年目となる翌年の契約を更改した[113]

2018年、開幕スタメンを勝ち取り3月30日の巨人戦(東京ドーム)で「3番・右翼手」として出場した。5月25日の巨人戦(甲子園)で、プロ通算150本塁打を菅野智之から打った。またその3連戦の最終戦となる27日からは、4番打者として期待されたウィリン・ロサリオの不振を背景に阪神移籍後初の「4番・右翼手」として先発し、6月2日の西武戦(メットライフドーム)では、野田昇吾から逆転満塁弾を打つなど阪神打線を引っ張り、オールスターゲームの選手間投票で選出されるも、6月30日のヤクルト戦(神宮)の8回、ヤクルトの風張蓮から死球が原因で、右足腓骨を骨折した。それでもオールスターに出場し、7月21日の横浜戦(横浜スタジアム)で戦線復帰し、9月21日の広島戦(マツダ)で野村祐輔からプロ通算1500本安打を記録したが、8回裏一死二塁で打席に入った代打新井貴浩の打球を、ダイビングキャッチを試みた際に左肩腱板部分を損傷し、29日に登録を抹消され、シーズンを終えた。そのため119試合の出場に留まるも、打率は2年ぶり自身8度目の3割を超え、出塁率は.420(キャリア2位)、OPSは.900(同3位)を記録した。阪神の選手がOPS.900以上を記録したのは、2010年のブラゼル以来である[114]

2019年、3月29日のヤクルト戦(京セラドーム大阪)で「3番・右翼手」として開幕スタメン入りを果たしたが、8月9日の広島戦(京セラドーム大阪)で二盗を試みて滑り込んだ際に左足を負傷。「左足首の関節炎」と診断され、翌8月10日に登録を抹消された[115]。そのため103試合の出場に留まり、本塁打、打点共に規定打席到達以降ではワーストとなったが、打率は.314(リーグ3位)、出塁率は.403(同2位)を記録した。

2020年は古傷の右膝に悩まされ打撃不振に陥っていたが、9月の月間打率は.352、10月は.290と徐々に復調した[116]。移籍後最少の86試合の出場に終わり、オフには54%減の推定年俸1億8,500万円でサインした[117]

選手としての特徴

プロ入り後に投手から野手へのコンバートに成功した選手として知られ[118]、日本を代表する5ツールプレイヤーであり[119]、2009年から2014年にかけて史上初の「6年連続打率3割・20盗塁ゴールデングラブ賞受賞」を達成している[10]

しかし、2015年は膝の故障によりその全てが途絶え(本塁打は17本を記録)、レギュラー定着後最低のシーズンとなったが[120]、オフに左膝の改善を図り、自身から採取した血小板を使って組織の修復や再生を図るPRP注射と呼ばれる治療を受けた[70]。すると翌2016年には再び打率.306と53盗塁(盗塁王を受賞)をマークし、ゴールデングラブ賞を受賞。また17本塁打・70打点(共にキャリア2位)を記録。復活を果たし、年を重ねるごとに進化している[120]

打撃

死球が非常に多い上に8打席に1つ近い割合で四球を選ぶ優れた選球眼を持ち、カウントに応じて打球方向を変える器用さも併せ持つ[121]

芯でボールを捉えた時に日本人離れした打球のスピードと飛距離を見せるパワーを持ち[122]、広い札幌ドームでも左方向へ本塁打を打つことができる技術を持つ[123]。レギュラー定着後8シーズンのうち統一球導入年の2011年、2012年以外の全6シーズンで15本塁打以上を記録している。打者転向当初の2008年から2010年までは左投手に対して打率.278と苦手にしていたが、2011年からは対左通算打率.304と克服した[121]

打率と出塁率では、前述のように2016年シーズン中にNPBの通算成績規定を満たした。通算出塁率.392はNPB現役選手の最高記録である。また現役選手からただ1人歴代出塁率ランキングベストテンにランクイン(史上4位)。さらに通算打率.301は史上23位で、現役選手では青木宣親内川聖一に次ぐ3位に相当する[124](いずれも2019年終了時点)。

守備

一塁到達まで基本的に4秒を切り、バントヒットで一塁到達3.54秒を計測したこともある脚力を生かした広い守備範囲と[125]、遠投120メートル[126]の強肩と制球力を持つ[127]。投手として最速151km/hを記録した[128]。大学時代に50メートル走5秒76を記録した[129]

中堅守備では後方の打球に強く、2010年にはUZR0.9を記録[130]。2012年には、右翼守備でUZR25.9を記録[131]。一方で自ら「内野手みたい」と語るなどのポカも多く[132]、2010年から3年連続で外野手リーグ最多失策を記録。2013年には失策数を1に留め、外野手としてリーグ4位の守備率.995を記録したが[133]、UZRは右翼守備でマイナスを記録した(-10.2)[134]

走塁

牽制でベースに戻ることひとつ取っても、研ぎ澄まされたセンスと能力を持ち併せており、盗塁の失敗率が低い[135]。また、スタートを判断する嗅覚も優れている[135]。2015年は膝の故障の影響で11盗塁と数字が減少したが、この年のオフに上述のPRP注射を受けたことに加えて膝に負担のかからない走り方をマスターしたことで[136]、2016年9月6日に50盗塁に到達。NPBで35歳以上の選手が50盗塁以上を記録した前例は、1983年に福本豊が35歳11か月で54盗塁したのみで、糸井は33年ぶり史上2人目の快挙を成し遂げた[84]。福本、大石大二郎の34歳11ヶ月を上回る35歳2ヵ月での受賞で、史上最年長盗塁王となった。その背景には、その年に就任したヘッドコーチの西村徳文と打撃コーチの高橋慶彦から「もっと走れる」と言われ上限を定めずに走るようになった影響がある[137]

人物

愛称は「超人[4][5]、「ヨッピ[6]など。非常に天然でプロ4年目のヒーローインタビューで、インタビュアーに、「うちゅうかん(右中間)ってなんですか?」と聞いてしまうほど。

父はトライアスロンの元選手で、母はバレーボールの元国体選手[138]。祖父は元高校体育教師で、教え子に野村克也がいる[121]

オリックス移籍後の2015年には、当時の森脇浩司一軍監督からの任命を受けて、野球人生で自身初の主将に就任した[139]。しかし、チームは優勝候補と目されながら、森脇がシーズン途中で休養(後に監督を辞任)するなど低迷。糸井自身も、「(前年の好成績から)長打を増やすことを意識し過ぎたことに加えて、主将の肩書がプレッシャーになった」と述懐するなど、開幕から極度の打撃不振に見舞われた[140]。2016年には、前年途中から一軍監督代行を務めていた福良淳一新監督の方針で主将を置いていないが、糸井は「(2015年限りで)主将をクビになった」と受け止めていた[141]

日本ハム時代から打席に入る際の登場曲としてSMAPの「SHAKE」を使用[142][6]。オリックス時代には、本拠地の京セラドーム大阪やほっともっとフィールド神戸では、「二人ならヤレルヤ~♪」というサビの部分の歌詞を「糸井ならヤレルヤ~♪」に変えたうえで、同球団のファンがサビを合唱することが恒例になっていた。そのSMAPは2016年末で解散し、同時期に糸井自身も阪神への移籍と共に転機を迎えたが、糸井は移籍後も「SHAKE」を登場曲に使い続けている[143]。「糸井ならヤレルヤ~♪」のコールも阪神ファンに受け継がれている。

オリックスから阪神への移籍については、移籍が決定した際に、「毎日悩みに悩んできた。」「今までどんなときも温かく声援くださったオリックスファンの皆さんには感謝の気持ちでいっぱい。その想いも踏まえた上でやはり今回の決断に至った中には、野球人として成長するために自分の中で変化というものが必要ではないかと考え、自分を奮い立たせて新しい環境でチャレンジすることにより更に成長出来るのではないかという強い思いと、そして何より金本監督の熱意に心を打たれたことがあった」と述べている[144]。移籍が正式に発表される直前(2016年11月23日)には、退団が決定していたにもかかわらず、オリックスのファン感謝イベントに出席。大声援で迎えられ、「(自分の名前の入った)旗を振っていてくれたり、タオルを掲げてくれていたので何か出来ることあるかな思っていた」と自身のバットに「ありがとう」と記してファンに手渡しし、最後はハイタッチして回るなど4年間を過ごした「どんなときも応援してもらえてありがたい。最後にみんなに会えてよかった」というファンに感謝の気持ちを示した[145]。同年11月25日に開かれた阪神への入団会見には、およそ200人もの報道陣が集結。糸井は、12台のテレビカメラを前に、阪神のイメージを「記者が多いなと。熱狂的なファンとマスコミのイメージが大半ですね」と表現した。また、「チームがトップに立つために、金本監督を胴上げするために一つでもチームに貢献したいなと思います」と語っている[146]。さらに、翌26日にゲストで出演した『せやねん!』(MBSテレビ制作の生放送番組)では、2017年の公約として「お立ち台(公式戦でのヒーローインタビュー)7回」を挙げた[147]

2017年から阪神で2年間チームメイトになった西岡剛とは、自身と同じパ・リーグの球団出身である縁で、阪神への移籍前から親交がある。糸井の阪神移籍に際しては、西岡が同球団で2016年まで付けていた背番号7を糸井に譲渡する意向を示したうえで、背番号を5に変更した。西岡もロッテに入団した2003年から延べ12年間にわたって背番号7を着用していたが、糸井が阪神でも7番の着用を希望していることを知ったため、「糸井さんは自分より実績がある」という理由で背番号を譲ることを決意。糸井の移籍交渉中には、糸井本人に連絡したうえで、「背番号を7番にするなら、気分よく(阪神に)来て下さい」とのメッセージを伝えたという[99]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2007日本ハム711111100010100000010.091.091.091.182
200863205188194514157621133501012536.239.285.404.689
20091314964257413040315221582461814686936.306.381.520.901
201013858348886151333152356426813171210947.309.407.482.889
20111375784897215630011219543169259219915.319.411.448.859
2012134597510721552139209482290175211869.304.404.410.813
2013オリックス141601524751573321724561339036618936.300.384.468.852
20141405905027316636219263813190470714737.331.424.524.948
20151325654846112722017200681140172287810.262.366.413.779
201614361653279163241172407053170275578413.306.398.451.849
2017阪神1144934276012416017191622160259056212.290.381.447.828
2018119509419601292401620168223057748639.308.420.480.900
201910344438245120221515942950352776310.314.403.416.819
20208631126925721612962821013803505.268.363.357.720
通算:14年158865995650802169633117165255672529986452677041108984105.300.393.452.845
  • 2020年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[1]

年度別打撃成績所属リーグ内順位

























O
P
S
200726パ・リーグ----------
200827----------
2009287位-1位---7位6位4位3位
201029--6位10位--5位5位6位7位
2011302位-----5位1位4位2位
2012313位2位----6位1位8位4位
20133210位9位2位---3位9位9位9位
2014331位3位1位-8位5位3位1位3位3位
201534----9位--10位--
2016354位5位----1位5位10位4位
201736セ・リーグ10位-----4位7位9位9位
201837------3位5位-10位
2019383位------2位--
202039----------
  • 太字年規定打席到達年
  • -は10位未満(打率、出塁率、長打率、OPSは規定打席未到達の場合も-と表記)

[148]

WBCでの打撃成績

















































O
P
S
2013日本7312146201117201060320.286.500.5241.024

[149]

年度別守備成績



外野












2007日本ハム30000.000
200861112421.983
2009125234722.992
2010138302450.984
2011136286971.977
2012131266850.982
2013オリックス125194511.995
2014139223533.987
2015881193001.000
2016118174460.967
2017阪神105134240.971
2018117165431.983
201996130020.985
20207568120.972
通算1457240756429.983

タイトル

表彰

記録

初記録
節目の記録
年齢による記録
  • 35歳以上の選手のシーズン50盗塁:53盗塁(2016年、35歳)※史上2人目[84][137]
  • 史上最年長盗塁王:35歳(2016年)[156]
  • 37歳以上の選手のシーズン20盗塁:22盗塁(2018年、37歳)※史上6人目、セ・リーグ史上3人目、1986年の福本豊(39歳、23盗塁)以来プロ野球32年ぶりの記録[12]
  • 37歳以上で20盗塁を記録した選手の盗塁成功率:.880(2018年、37歳)※史上最高[12]
連続記録
  • 6年連続打率3割・20盗塁・ゴールデングラブ賞:2009年 - 2014年 ※史上単独1位[10]
  • 6年連続打率3割・20盗塁:2009年 - 2014年 ※史上1位タイ(松井稼頭央と並ぶ)
  • 6年連続打率3割・ゴールデングラブ賞:2009年 - 2014年 ※史上2位(イチローの7年連続に次ぐ)
  • 6年連続打率3割:2009年〜2014年 ※史上8位タイ
通算記録
  • 打率.3008(史上23位、現役選手中3位)[157]
  • 出塁率.394(史上9位、現役選手中2位)

※2018年度シーズン終了時点

オールスターゲームの記録
  • 出場:10回(2009年 - 2018年)
  • ファン投票選出:6回(2012年 - 2017年)
  • ファン投票両リーグ最多得票:2回(2013年、2014年)
  • 選手間投票選出:8回(2010年 - 2014年、2016年- 2018年)
  • 選手間投票両リーグ最多得票:1回(2014年)
  • 監督推薦選出:1回(2009年)
その他の記録

背番号

登場曲

代表歴

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ イチローの4年連続がそれまでの最長記録
  2. ^ 規定打席到達での打率3割以上の回数。1位張本勲16回、2位王貞治13回、3位川上哲治若松勉12回、5位長嶋茂雄落合博満前田智徳11回、8位小笠原道大10回に次ぎ、門田博光大下弘加藤英司山内一弘らに並ぶ。
  3. ^ 規定打席到達での出塁率4割以上の回数。1位王貞治17回、2位落合博満15回、3位張本勲12回、4位山本浩二掛布雅之イチロー松井秀喜の7回に次ぎ、8位タイ。長嶋茂雄門田博光金本知憲ロベルト・ペタジーニ青木宣親柳田悠岐ら6人に並ぶ
  4. ^ 4000打数以上の選手が対象。2020年終了時点。
  5. ^ 5000打席以上の選手が対象。1位王貞治.446、2位落合博満.422、3位松井秀喜.413、4位青木宣親.403、5位張本勲.399、6位アレックス・カブレラ.398に次ぐ。2020年終了時点。
  6. ^ この試合が終了した時点で、通算打率がNPB歴代23位の.300(4003打数1202安打)になった[75]
  7. ^ NPBの一軍公式戦で35歳以上の選手がシーズン50盗塁を達成した事例は、通算盗塁数のNPB記録を保持している福本豊が1983年に35歳で達成して以来、33年ぶり史上2人目である[84]
  8. ^ 1978年柴田勲1982年福本豊1993年大石大二郎に次ぐ史上4人目。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 年度別打撃成績【糸井嘉男(阪神タイガース)】
  2. ^ 阪神 - 契約更改 - プロ野球”. 日刊スポーツ. 2020年12月9日閲覧。
  3. ^ 糸井、新天地デビューへ故郷・京都与謝野町で大応援団結成
  4. ^ a b 阪神糸井「超人宣言」36歳でキャリアハイ目指す”. 日刊スポーツ (2016年11月26日). 2021年4月3日閲覧。
  5. ^ a b 糸井偉業挑む!セでも盗塁王 来季も達成なら55年ぶりスポニチアネックス 2016年11月29日閲覧
  6. ^ a b c 糸井SMAP存続に「ヨッピハッピシェイクやね」日刊スポーツ 2017年1月3日閲覧
  7. ^ 投手から野手転向 開花した糸井、雄平の才能に続くのは誰”. Full-Count (2014年10月8日). 2019年11月19日閲覧。
  8. ^ a b 打者転向からトリプルスリーを狙える存在へ 糸井嘉男にかかる"史上9人目"への期待”. Full-Count (2014年9月21日). 2019年11月19日閲覧。
  9. ^ 阪神四藤社長「走攻守すべて」5ツール糸井を大絶賛”. 日刊スポーツ (2016年11月26日). 2020年11月25日閲覧。
  10. ^ a b c d 継続することの難しさ…内川と糸井の連続記録に黄信号BASEBALL KING 2016年11月29日閲覧
  11. ^ オリ 糸井が途中交代、単独盗塁王ならず 金子侑と分け合うスポーツニッポン2016年10月1日掲載
  12. ^ a b c 糸井史上6人目37歳以上20盗塁超え/データ連載 2018年12月16日掲載
  13. ^ 糸井、新天地デビューへ故郷・京都与謝野町で大応援団結成
  14. ^ 第42回受賞・糸井嘉男選手|三井ゴールデングラブ賞特別インタビューズ
  15. ^ ありがとう野村克也さん 阪神・糸井「丹後の星」バトン引き継ぐ 「地元のスーパースターやし…ホンマに残念」zakzak 2020年2月12日
  16. ^ a b c d 第9回 糸井 嘉男選手(宮津-オリックス・バファローズ)「高校時代は実質4か月しかプレーしていなかった」1/3高校野球ドットコム 2016年2月4日
  17. ^ 電撃移籍のWBCキーマン糸井嘉男の超人伝説「俺はケガにも気づかない(笑)」2/2現代ビジネス 2013年2月8日
  18. ^ a b 電撃移籍のWBCキーマン糸井嘉男の超人伝説「俺はケガにも気づかない(笑)」1/2現代ビジネス 2013年2月8日
  19. ^ a b c 第9回 糸井 嘉男選手(宮津-オリックス・バファローズ)「高校時代は実質4か月しかプレーしていなかった」2/3高校野球ドットコム 2016年2月4日
  20. ^ 第9回 糸井 嘉男選手(宮津-オリックス・バファローズ)「高校時代は実質4か月しかプレーしていなかった」3/3高校野球ドットコム 2016年2月4日
  21. ^ 週刊ベースボール増刊 大学野球2003秋季リーグ戦展望号 ベースボールマガジン社
  22. ^ a b c 『北海道日本ハムファイターズ パ・リーグ優勝 2009オフィシャルグラフィックス』北海道新聞社、2009年、70頁。ISBN 978-4-89453-523-7
  23. ^ a b 2009年6月度「日本生命月間MVP賞」受賞選手(パシフィック・リーグ) NPB.jp 日本野球機構 2020年7月20日閲覧
  24. ^ 『北海道日本ハムファイターズ パ・リーグ優勝 2009オフィシャルグラフィックス』北海道新聞社、2009年、35頁。ISBN 978-4-89453-523-7
  25. ^ 2009年度 表彰選手 投票結果(ベストナイン)|NPB.jp 日本野球機構
  26. ^ 投票結果(三井ゴールデングラブ賞)|2009年度 表彰選手|NPB.jp 日本野球機構
  27. ^ ハム糸井、査定に四苦八苦も233%増
  28. ^ a b 『北海道日本ハムファイターズ 2010オフィシャルグラフィックス』北海道新聞社、2010年、42頁。ISBN 978-4-89453-577-0
  29. ^ 投票結果(三井ゴールデングラブ賞)|2010年度 表彰選手|NPB.jp 日本野球機構
  30. ^ 糸井は1億円で更改!初の大台突破に「険しい道のり」
  31. ^ プロの(T . T)坪井智哉オフィシャルブログ「TSUBOCHIKA SPIRITS」、2013年1月24日。
  32. ^ a b c d e f 『北海道日本ハムファイターズ 2011オフィシャルグラフィックス』北海道新聞社、2011年、42頁。ISBN 978-4-89453-628-9
  33. ^ a b c d e 『北海道日本ハムファイターズ パ・リーグ優勝 2012オフィシャルグラフィックス』北海道新聞社、2012年、64頁。ISBN 978-4-89453-672-2
  34. ^ 2011年度 表彰選手 投票結果(ベストナイン). NPB.jp 日本野球機構. 2019年1月10日閲覧。
  35. ^ ハム糸井3年連続3割評価で9000万増 スポーツニッポン 2011年12月14日
  36. ^ 悲願達成!? 糸井が阪神で“奪い返した”モノとは サンケイスポーツ 2017年3月19日
  37. ^ ファン投票結果|マツダオールスターゲーム2012|NPB.jp 日本野球機構
  38. ^ 糸井「アドレナリン満開」 不調脱して2本塁打 スポーツニッポン 2012年8月3日
  39. ^ a b 2012年9月度「日本生命月間MVP賞」受賞選手 (パシフィック・リーグ)NPB公式サイト 2017年1月21日閲覧
  40. ^ 2012年度 表彰選手 投票結果(ベストナイン). NPB.jp 日本野球機構. 2019年1月10日閲覧。
  41. ^ ファイターズが3年ぶり4度目のCS制覇!MVPは糸井選手 北海道日本ハムファイターズ (2012年11月6日) 2016年9月8日閲覧
  42. ^ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧
  43. ^ 侍ジャパンマッチ 試合結果(第2戦)|NPB.jp 日本野球機構
  44. ^ ハム糸井沈黙は金ならず…2億円保留日刊スポーツ、2012年12月7日。
  45. ^ ハム糸井越年「納得するまでやる」日刊スポーツ、2012年12月22日。
  46. ^ トレード(2012年度シーズン終了後 ~ )”. 日本野球機構. 2015年10月31日閲覧。
  47. ^ 日本ハムナイン動揺 糸井トレードに武田勝絶句「痛手 間違いない」
  48. ^ ダル 糸井の電撃移籍に衝撃「糸井さんトレードとか、ありえん」
  49. ^ 移籍の糸井「優勝目指し頑張る」 オリックスが入団会見
  50. ^ 2013 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年4月2日閲覧
  51. ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
  52. ^ 日本代表個人成績 NPB.jp 日本野球機構 2016年9月8日閲覧
  53. ^ オリックス・糸井、2億5000万円で更改 5000万円増
  54. ^ ファン投票結果 マツダオールスターゲーム2013 NPB.jp 日本野球機構
  55. ^ オリックス糸井、大リーグ挑戦は「大胸筋の奥に秘めておく」5千万円増の年俸2億5千万円
  56. ^ オリックス・糸井、会心2発!初の連発で日本ハム戦連敗止めた
  57. ^ オリ糸井、つなぐ意識で8号2ラン 日刊スポーツ 2014年6月8日
  58. ^ a b c 糸井嘉男 パ・リーグ初の4番で盗塁王なるか!?BASEBALL KING 2014年8月19日
  59. ^ マツダオールスターゲーム2014 ファン投票結果 日本野球機構オフィシャルサイト 2015年12月18日閲覧
  60. ^ マツダオールスターゲーム2014 選手間投票結果 NPB.jp 日本野球機構
  61. ^ 2014年10月9日 侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表! 侍ジャパン公式サイト (2014年10月9日) 2015年3月26日閲覧
  62. ^ オリックス・糸井、3億5000万円で更改 パ首位打者 日本経済新聞(2014年12月15日) 2016年9月8日閲覧
  63. ^ オリ糸井3・5億円 来季の主将に任命 プロ野球ニュース : nikkansports.com 2014年12月15日
  64. ^ a b オリ・糸井が1000安打達成「うれしいです」 SANSPO.COM(2015年5月20日) 2015年12月18日閲覧
  65. ^ a b オリックス糸井、通算1000試合出場を達成 nikkansports.com(2015年9月2日) 2016年2月25日閲覧
  66. ^ 糸井、右肘靱帯と右足首腱損傷 復帰まで3~4週間nikkansports.com(2015年7月5日) 2016年4月17日閲覧
  67. ^ 糸井 故郷で2発!プロ入り通算100本塁打到達 Sponichi Annex(2015年7月30日) 2016年2月25日閲覧
  68. ^ オリ糸井「やりました!」 地元京都で2発“故郷に錦”100号
  69. ^ オリックス・糸井が2億8000万円で更改「僕もトリプルスリーを目指したい」 SANSPO.COM(2015年12月17日) 2016年2月25日閲覧
  70. ^ a b オリックス糸井 最高にいい状態
  71. ^ 連続3割はストップも…首位打者争い常連の2人に復活の兆しベースボールチャンネル(2016年6月1日) 2016年9月19日閲覧
  72. ^ オリックス小田サヨナラ打、糸井はチーム初本塁打 nikkansports.com(2016年4月14日) 2016年4月17日閲覧
  73. ^ 糸井二試合連続本塁でオリックス連勝
  74. ^ オリックス・糸井、球宴では盗塁決める デイリースポーツ online(2016年6月28日) 2016年6月29日閲覧
  75. ^ オリックス糸井が4000打数到達、プロ通算打率3割の領域に。史上最年長タイ盗塁王も射程圏内ベースボールチャンネル(2016年8月14日)同日閲覧
  76. ^ 日本ハム連敗 糸井に3発被弾、金子に6回1死まで無安打、大谷は3三振
  77. ^ a b 糸井 初回表の先頭打者初球本塁打を含む3発は史上初スポーツニッポン(2016年9月14日)同月19日閲覧
  78. ^ 【オリックス】糸井が手がつけられない!3試合で13打数9安打、4本塁打5打点
  79. ^ 3戦連発に酔う糸井=プロ野球・オリックス
  80. ^ a b オリックス・糸井が通算200盗塁達成 本盗で201個目 Sponichi Annex(2016年5月8日) 2016年5月22日閲覧
  81. ^ 35歳オリ糸井 自己最多34盗塁 盗塁王なら最年長スポーツニッポン(2016年8月1日) 2016年6月29日閲覧
  82. ^ オリ糸井・50盗塁の大台到達「もう一切走りません」サンケイスポーツ(2016年9月6日)同月19日閲覧
  83. ^ オリックス糸井 両リーグトップ50盗塁日刊スポーツ(2016年9月6日)同月19日閲覧
  84. ^ a b c 糸井、35歳以上で2人目のシーズン50盗塁!福良監督「元気ですね」スポーツ報知(2016年9月6日)同月19日閲覧
  85. ^ オリ 糸井が途中交代、単独盗塁王ならず 金子侑と分け合うスポーツニッポン(2016年10月1日)同月2日閲覧
  86. ^ 【オリックス】FAの糸井、両リーグ最多7度目「三井ゴールデングラブ賞」受賞スポーツ報知(2016年10月18日)同年11月29日閲覧
  87. ^ 糸井がFA権取得
  88. ^ 糸井がFA宣言「自分が成長できると思うところで」
  89. ^ 2016年度フリーエージェント宣言選手
  90. ^ FA市場の目玉は外野手、外野手の層が薄い球団は?
  91. ^ [1]
  92. ^ [2]
  93. ^ 糸井嘉男、衰え知らずの35歳はどこへ行く 巨人?阪神!?それとも… (1/3) 〈dot.〉”. AERA dot. (2016年9月17日). 2021年6月25日閲覧。
  94. ^ オリックスオーナーが糸井引き留め厳命、大型契約へ中島以上の契約も
  95. ^ 糸井、残留も選択肢「オリックスで優勝したい」球団首脳が交渉で確認
  96. ^ オリックス・宮内オーナー FA権の糸井に残留懇願「今後もなくてはならない選手」
  97. ^ 糸井嘉男選手との契約合意について阪神タイガース公式サイト 11月21日
  98. ^ 糸井の入団、阪神が発表=4年契約、18億円超-プロ野球時事通信 2016年11月21日
  99. ^ a b 西岡、背番号7→5 糸井に男気譲渡「負けないようにやっていきたい」デイリースポーツ 2016年11月23日
  100. ^ 阪神に不安材料…糸井が古傷右ヒザ違和感「関節炎」日刊スポーツ 2017年1月25日
  101. ^ 阪神糸井「無理ですね」リハビリ順調も中旬合流×」日刊スポーツ 2017年2月8日
  102. ^ 阪神・糸井、いきなり虎初ヒット出たァ!金本監督「安心しきっとる」
  103. ^ 糸井、阪神初ヒットは2点タイムリーツーベース 開幕戦2打席目に貴重な一打
  104. ^ 糸井が3安打3打点の満点虎デビュー「一戦一戦、死ぬ気で戦う」”. 東京スポーツ (2017年3月31日). 2021年4月3日閲覧。
  105. ^ 阪神糸井が登録抹消 空振りで右脇腹筋挫傷 日刊スポーツより 2017年8月30日閲覧
  106. ^ 【阪神】猛チャージの糸井、あるぞ大逆転首位打者
  107. ^ 糸井がプロ初のサヨナラ本塁打 「甲子園で打てて最高の気分」 デイリースポーツより 2017年8月30日閲覧
  108. ^ 【阪神】猛チャージの糸井、あるぞ大逆転首位打者
  109. ^ 阪神・糸井 打率.297で自身8度目3割射程圏
  110. ^ 2017年度セントラル・リーグ リーダース【打率】
  111. ^ 2017年度セントラル・リーグ リーダース【出塁率】
  112. ^ 2017年度セントラル・リーグ リーダース【盗塁】
  113. ^ 阪神糸井1・2億増更改、今季「50点…いや2点」
  114. ^ 阪神・糸井嘉男は金本以来の強打者か 今季OPSは過去10年で球団内日本人トップ”. SPAIA (2018年11月10日). 2021年6月24日閲覧。
  115. ^ 阪神・糸井 登録抹消へ…チーム唯一の打率3割男がまさかの離脱 矢野阪神にさらなる試練スポーツニッポン 2019年8月10日掲載
  116. ^ 阪神・糸井が出場選手登録を抹消スポーツニッポン 2020年11月2日掲載
  117. ^ 阪神・糸井、球団史上最大2・15億円ダウン「自分はレギュラーではない」2021年へ決意サンケイスポーツ 2020年12月10日掲載
  118. ^ 投手から野手転向 開花した糸井、雄平の才能に続くのは誰”. Full-Count (2014年10月8日). 2019年11月19日閲覧。
  119. ^ 打者転向からトリプルスリーを狙える存在へ 糸井嘉男にかかる"史上9人目"への期待”. Full-Count (2014年9月21日). 2019年11月19日閲覧。
  120. ^ a b 30代で成績が向上した野手といえば…BASEBALL KING 2016年10月17日
  121. ^ a b c 『週刊プロ野球データファイル』2011年31号、ベースボール・マガジン社、雑誌27743-11/16、5-6頁。
  122. ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2011』廣済堂出版、2011年、152-153頁。ISBN 978-4-331-51519-8
  123. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』白夜書房、2010年、90頁。ISBN 978-4-86191-595-6
  124. ^ 日本野球機構 打率【通算記録】
  125. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2010』アスペクトムック、2010年、264-265頁。ISBN 978-4-7572-1744-7
  126. ^ 今年も糸井伝説誕生の予感 「クリロナ目指す」発言の真意とは?”. Full-Count (2015年2月17日). 2018年11月7日閲覧。
  127. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』白夜書房、2011年、58頁。ISBN 978-4-86191-710-3
  128. ^ オリ糸井「やりました!」 地元京都で2発“故郷に錦”100号. スポニチ Sponichi Annex 野球 (2015年7月31日). 2019年1月10日閲覧。
  129. ^ https://www.nikkansports.com/baseball/wbc/2013/member/member_itoi.html
  130. ^ Baseball Lab守備評価~Center Fielder SMR Baseball Lab
  131. ^ DELTA OFFICIAL WEB SITE コラム 2013年1月24日
  132. ^ ハム糸井ポカ厳禁!「1つだけにします」日刊スポーツ、2011年12月22日。
  133. ^ 2013年度 パシフィック・リーグ 個人守備成績(規定以上) 2014年3月2日閲覧。
  134. ^ 『2014プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2014年、221頁。ISBN 978-4-905411-17-8
  135. ^ a b オリックス糸井、史上最年長盗塁王なるか。ハイペースで量産「スタートを判断する嗅覚がすごい」【どら増田のオリ熱コラム#78】
  136. ^ オリックス糸井「おかげさまで最高にいい状態」 日刊スポーツ 2016年1月27日
  137. ^ a b 歴代盗塁王と35歳の壁。オリックス・糸井嘉男の史上最年長盗塁王は実現するか!?デイリーニュースオンライン 2016年9月6日
  138. ^ 第42回受賞・糸井嘉男選手|三井ゴールデングラブ賞特別インタビューズ
  139. ^ オリ糸井3・5億円 来季の主将に任命プロ野球ニュース : nikkansports.com 2014年12月15日
  140. ^ 最下位オリ糸井が吐露した「打撃不振の原因」と「主将の重圧」(2)日刊ゲンダイDIGITAL 2015年5月2日
  141. ^ オリックス糸井が勝ち越し二塁打 前主将、今季の浮上期す快音朝日新聞DIGITAL 2016年4月3日
  142. ^ 2012年選手登場曲[リンク切れ].北海道日本ハムファイターズ.2016年10月15日閲覧。
  143. ^ 阪神糸井、登場曲はSMAPの「SHAKE」継続日刊スポーツ 2016年11月26日
  144. ^ 糸井4年総額18億円で阪神入り
  145. ^ 阪神入りの糸井、オリックスファンに感謝バットで別れ
  146. ^ 糸井嘉男選手入団会見”. 阪神タイガース公式サイト (2016年11月25日). 2021年4月3日閲覧。
  147. ^ 阪神・糸井 来季公約は「お立ち台7回」 今季最多は福留の6回”. スポーツニッポン (2016年11月27日). 2021年4月3日閲覧。
  148. ^ パシフィック・リーグ リーダーズ(打撃部門) 日本野球機構
  149. ^ 日本代表個人成績 NPB.jp 日本野球機構 2017年4月11日閲覧
  150. ^ 阪神・糸井 プロ通算250盗塁達成”. スポーツニッポン (2017年5月28日). 2021年4月3日閲覧。
  151. ^ 阪神・糸井、通算150号本塁打達成!史上167人目「自分でもどうやって打てたのか」SponichiAnnex 2018年5月25日
  152. ^ 阪神・糸井が通算1500安打 プロ野球124人目”. サンケイスポーツ (2018年9月21日). 2021年6月25日閲覧。
  153. ^ 阪神・糸井「300二塁打」達成 第1打席で中日・柳から”. デイリースポーツ (2019年4月28日). 2019年4月28日閲覧。
  154. ^ 阪神糸井100死球 内角攻められる強打者の証し” (日本語). 日刊スポーツ (2019年6月2日). 2019年6月4日閲覧。
  155. ^ 阪神の糸井が1500試合出場” (日本語). 時事ドットコム. 2019年8月7日閲覧。
  156. ^ 阪神・糸井、両リーグで達成が期待される記録とは…”. BASEBALL KING (2016年12月1日). 2021年6月25日閲覧。
  157. ^ 日本野球機構 打率【通算記録】
  158. ^ 糸井&桑原 プロ野球史上初!同日2本のプレーボール弾!

関連項目

外部リンク


 

Back to Top
Close