写真 ブルペン入りした中日のドラフト1位・高橋宏斗【写真:小西亮】
中日ドラ1高橋宏斗、出た150キロ! 順調調整で与田監督への“お披露目”も間近
内容をざっくり書くと
昼までにブルペン入りした高橋宏は、ストレートを中心に変化球も交えながら計60球を投げ込んだ。
変化球交えて60球、与田監督へのお披露目間近か中日のドラフト1位ルーキー高橋宏斗投手(中京大中京)が… →このまま続きを読む
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高橋宏
高橋 宏(たかはし ひろし、1933年12月21日[1] - )は日本の実業家。日本郵船副社長、郵船航空サービス社長、公立大学法人首都大学東京理事長、特定非営利活動法人一橋総合研究所理事長等を歴任。
人物
新潟県新発田市出身。1952年新潟県立新発田高等学校卒業。1956年一橋大学商学部卒業、日本郵船入社。大学ではゼミ(哲学)と山城章ゼミ(経営学)に参加。柔道部[2]や、禅サークル「如意団」に所属[3]。大学時代から豪快なキャラクターで、日本郵船では「暴れん坊」として知られ「ダーティハリー」のあだ名を持つ。名刺には「HIROSHI(HARRY)TAKAHASHI」と印字されている[4]。大学同期の石原慎太郎、高原須美子、鳥海巌と親しく、4家族で毎年旅行にいく仲であった[5]。如意団後輩の横山進一や柔道部先輩の奥田碩とも親しい[3]。
1963年ニューヨーク支店勤務、1971年ロッテルダム駐在、1973年デュッセルドルフ駐在、1975年北米課長、1983年営業第一部長を歴任後、85年日本郵船取締役、88年常務取締役、90年代表取締役専務、93年代表取締役副社長を経て、95年郵船航空サービス代表取締役副社長、96年代表取締役社長。2001年代表取締役会長、2003年取締役相談役、2004年取締役退任[要出典]。
社団法人如水会副理事長なども務めた。2000年には全国犯罪被害者の会を支援するため石原慎太郎、奥田碩らが設立した「犯罪被害者の会を支援するフォーラム」の事務局長に就任[要出典]。
2004年に公立大学法人首都大学東京経営準備室長、2005年に設立された公立大学法人首都大学東京の初代理事長に就任(2013年3月末で退任)。奥田碩、山口信夫、上原英治、江頭邦雄らを誘い、首都大学東京を支援する「the Tokyo U-club」を組織。大学で初めて任期制・年俸制を導入[6]。また図書館の一般開放範囲を広め、一般利用、貸し出し可能とした[7]。
この間、東京都港湾審議会会長も務めた[8]。2013年に理事長退任後は、石原知事から代表取締役社長に就くよう要請を受けたが、年齢を理由に固辞した。その後一旦引き受け内定を得たものの、のちに辞退した[9][10]。
受賞
- 藍綬褒章(1996年)
著書
- (鈴木秀郎)『コンテナ時代― 拡がりゆく新輸送システム』(日本経済新聞出版社[日経新書]、1970年)
- (涛川栄太、中村哲、鈴木壮治)『「日本浮上」プロジェクト―首都圏スーパー新空港が国を救う』(ブックハウスジャパン、2001年)
- 『喧嘩の作法― アメリカが怖れた男の交渉術』(講談社、2015年)
脚注
- ^ 特定非営利活動法人 一ツ橋総合研究所 トップページ > 一橋総研とは > 理事会 > 理事長 高橋 宏
- ^ 2007/01/31, 日本経済新聞
- ^ a b 1997/10/28, 日経金融新聞
- ^ a b 1997/10/03, 日経産業新聞
- ^ 1999/05/31, 日本経済新聞
- ^ 2005/01/14, 日本経済新聞
- ^ 2005/10/14, 日本経済新聞
- ^ 東京港特集】東京都港湾審議会・高橋宏会長に聞く/ポートオーソリティー化にらむ日本海事新聞2008年05月20日 デイリー版6面
- ^ 東京港埠頭新社長/高橋首都大理事長が内定/4月1日付後任の人事焦点に都政新報
- ^ 東京港埠頭会社/次期社長に平野・元郵船副社長。高橋氏辞退で都が起用マリンネット2013/02/14 (木)
- ^ 『官報』号外第151号、2019年11月3日
外部リンク
学職 | ||
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先代: (新設) | 公立大学法人首都大学東京理事長 初代 : 2005年 - 2013年 | 次代: 川淵三郎 |