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🐈|南国生まれの子猫はストレスでご飯が食べられない…家族の愛情で回復し、今はみんなの太陽のような存在に!


写真 和海ちゃんは福助くんと幸愛ちゃんが大好き!

南国生まれの子猫はストレスでご飯が食べられない…家族の愛情で回復し、今はみんなの太陽のような存在に!

 
内容をざっくり書くと
そういえば、太陽の女神・天照大神も天岩戸に隠れたことがあります。
 

大阪府に住む三毛猫の和海(なごみ)ちゃんは、お返事が上手。自分の名前だけでなく、「和海ちゃんは猫です… →このまま続きを読む

 まいどなニュース

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天岩戸

天岩戸(あめのいわと、あまのいわと)[注釈 1]とは、日本神話に登場する、岩でできた洞窟である。天戸(あめと、あまと)、天岩屋(あめのいわや)、天岩屋戸(あめのいはやと、あまのいわやと)[注釈 2]ともいい、「岩」は「磐」あるいは「石」と書く場合もある。

太陽神である天照大御神が隠れ、世界が暗闇に包まれた岩戸隠れの伝説の舞台である。

神話での記述

古事記

誓約で身の潔白を証明した建速須佐之男命は、高天原で、勝ちに任せて田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりして乱暴を働いた。だが、天照大御神は「クソは酔って吐いたものだ、溝を埋めたのは土地が惜しいと思ったからだ」と須佐之男命をかばった[1][2]

しかし、天照大御神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだを落とし入れたため、驚いた1人の天の服織女は(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。ここで天照大御神は見畏みて、天岩戸に引き篭った。高天原葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した[3][4]

そこで、八百万の神々が天の安河の川原に集まり、対応を相談した。思金神の案により、さまざまな儀式をおこなった。常世の長鳴鳥()を集めて鳴かせた。

鍛冶師の天津麻羅を探し、伊斯許理度売命に、天の安河の川上にある岩と鉱山の鉄とで、八尺鏡(やたのかがみ)を作らせた。玉祖命に八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)を作らせた。

天児屋命布刀玉命を呼び、雄鹿肩の骨とははかの木で占い(太占)をさせた。賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八尺鏡と布帛をかけ、布刀玉命が御幣として奉げ持った。天児屋命が祝詞(のりと)を唱え、天手力男神が岩戸の脇に隠れて立った。

天宇受賣命が岩戸の前にを伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った[5][4]

これを聞いた天照大御神は訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、天宇受賣命は楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。

天宇受賣命が「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、天児屋命と布刀玉命が天照大御神に鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿をその貴い神だと思った天照大御神が、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。

すぐに布刀玉命が注連縄を岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」といった。こうして天照大御神が岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなった[6][4]

八百万の神は相談し、須佐之男命に罪を償うためのたくさんの品物を科し、髭と手足の爪を切って高天原から追放した[7][4]

日本書紀

日本書紀』の第七段の本文では、素戔嗚尊が古事記と同様の暴挙を行う。最後には天照大神が神聖な衣を織るために清浄な機屋(はたや)にいるのを見て、素戔嗚尊が皮を剥いだ天斑駒を投げ込んだ。すると、天照大神は驚いて梭で自分を傷つけた。このため天照大神は怒って、天石窟に入り磐戸を閉じて籠ったので国中が常に暗闇となり昼夜の区別もつかなかった、とある。

そこで、八十萬神(やそよろづのかみ)たちは天安河の河原に集まり、祷(いの)るべき方法を相談した。以下が神のとった行動である。

  • 思兼神:深く思慮をめぐらし、常世之長鳴鳥(とこよのながなきどり)を集めて長く鳴かせた。
  • 手力雄神:(思兼神の指示で)磐戸の側(そば)に立つ
  • 天児屋命太玉命天香山(あめのかぐやま)の繁ったを掘り起こし、上の枝には八坂瓊之五百箇御統(やさかにのいほつみすまる)をかけ、中の枝には八咫鏡あるいは眞経津鏡(まふつのかがみ)をかけ、下の枝には青い布帛(ふはく)と白い布帛をかけ共に祈祷をした。
  • 天鈿女命:手に蔓(つる)を巻きつけた矛を持ち、天石窟戸の前に立って巧に俳優(わざおさ)を作す(見事に舞い踊った)。また、天香山の榊を鬘(かづら)としてまとい蘿(ひかげ)を襷(たすき)にし、火を焚き桶を伏せて置いて、顕神明之憑談(かむがかり)をした。

天照大神はこれを聞いて、「私はこの頃、石窟に籠っている。思うに、豊葦原中國は長い夜になっているはずだ。どうして天鈿女命はこのように笑い楽しんでいるのだろう」と思い、手で磐戸を少し開けて様子を窺った。 すると手力雄神が天照大神の手を取って、引き出した。そこで天児屋命と太玉命が注連縄を張り渡し、「再び入ってはなりません」と申し上げた、とある。

話の流れは古事記と同様だが、細部に若干の違いがある。特に、天鈿女命は「巧に俳優行す」とあるのみで、おどけたしぐさや、神々が笑ったという描写はない。

その後、神々はを素戔嗚尊に負わせ、贖罪の品々を科した。それ以外に髪を抜き手足の爪を剥いで償わせたとも言う、とある。こうして、素戔嗚尊は高天原から追放された。

第七段一書(一)では、この後、稚日女尊(わかひるめ)が清浄な機屋で神聖な衣を織っていると、素戔嗚尊が天斑駒の皮を逆さに剥ぎ御殿の中に投げ入れた。「稚日女尊は驚きて機墮ち所持せる梭によりて体を傷め神退(かむざ)りき」。 天照大神は素戔嗚尊に、「汝は黒心(きたなきこころ)あり。汝と相い見えんと欲(おも)わず」と語り、天石窟に入って磐戸を閉じた。「是に天下(あめのした)恆(つね)に闇(くら)く、また昼・夜の殊(わかち)無し」とある。

そこで、八十萬神たちは天高市(あめのたけち)で相談した。高皇産霊尊の子の思兼神が思案し、「その神(天照大神)の姿を映し出すものを作って、招き寄せましょう」と申し上げた。そして、石凝姥に天香山の金(かね)を採らせ、日矛(ひほこ)を作らせた。また、美しい鹿の皮を剥いで天羽鞴(あめのはぶき)を作らせた、とある。

この一書では、稚日女尊が梭で傷ついて死んだとされる。ワカヒルメは天照の妹神とも子神ともする神社がある。 また、作らせた鏡は紀伊國に鎮座する日前神(ひのくまのかみ)である、とあるため鏡は日像鏡・日矛鏡(ひがたのかがみ・ひぼこのかがみ)と同一とされる。

第七段一書(二)では、素戔嗚尊が本文同様の暴挙を行うが、「然れども、日神(ひのかみ)、親み恩(めぐ)む意(こころ)にして、怒らず恨まず、皆、平らかな心以ちて容(ゆる)しき」とある。

しかし、嘗(にひなへ)を行う時に、素戔嗚尊は新宮(にひなへのみや)の席の下にこっそりと糞をした。日神は気づかずに席に座ったため、体中が臭くなってしまう。そのため怒り恨みて、天石窟に入ってその磐戸を閉じた、とある。

そこで神々は困り、神(あめのぬかど)に鏡を、太玉命に布帛を、豊玉(とよたま)に玉を作らせた。また、神(やまつち)に多くの玉で飾った榊を、野槌神(のづち)に多くの玉で飾った小竹(ささ)を作らせた。それらの品々を持ち寄って集まり、天児屋命が神祝(かむほぎ)を述べたため、日神は磐戸を開けて出てきた、とある。

そうした後、神々は罪を本文同様に素戔嗚尊に負わせ贖罪の品々を科して差し出させ、高天原から追い払った。

第七段一書(三)では、素戔嗚尊は自らが与えられた土地(天杙田(あまのくいた)・天川依田(あまのかわよりた)・天口鋭田(あまのくちとた))は、日神の土地(天安田(あまのやすだ)・天平田(あまのひらた)・天邑田(あまのむらあわせた))に比べ痩せた土地だったため、妬(ねた)んで姉の田に害を与えた、とある。日神は最初は咎めず、常に穏やかに許していた、とあるが結局、天石窟に籠るのである。

その為、神々は天兒屋命を遣わして祷らせることにした。以降が神々のとった行動である。

  • 天兒屋命:天香山の榊を掘り起こす。((こごとむすひ)の子)
  • 石凝戸邊(いしこりとべ):作った八咫鏡を上の枝にかける。((あめのぬかど)の子)
  • 天明玉(あめのあかるたま):作った八坂瓊之曲玉を中の枝にかける。(伊弉諾尊の子)
  • 天日鷲あめのひわし):作った木綿(ゆふ)を下の枝にかける。
  • 太玉命:榊を持ち、広く厚く称える言葉によって祷る。

すると、日神は「頃者(このごろ)、人、多(さわ)に請(こ)うと雖(いえ)ども、未(いま)だ若此(かく)言(こと)の麗美(うるわ)しきは有らず。」 意味:「これまで人がいろいろなことを申してきたが、未だこのように美しい言葉を聞いたことはなかった」 と言って、磐戸を少し開けて様子を窺った。その時、磐戸の側に隠れていた天手力雄神が引き開けると、日神の光が国中に満ち溢(あふ)れた、とある。

そこで、神々は大いに喜び、素戔嗚尊に贖罪の品々を科し、手の爪を吉の物として切り棄て、足の爪を凶の物として切り棄てた。そして天兒屋命をして其の解除(はらえ)の太諄辭(ふとのりと)を掌(つかさど)りて宣(の)らしめき、とある。

後、素戔嗚尊は「神々は私を追い払い、私はまさに永久に去ることになったが、どうして我が姉上に会わずに、勝手に一人で去れるだろうか」と言い天に戻る。すると天鈿女命がこれを日神に報告する。

日神は、「我が弟が上って来るのは、また好意(よきこころ)からではないはず。きっと我が国を奪おうとしているのだ。我は女だが逃げるほどでは無い」と言って武装した、とある。そして二神で誓約が行われる運びになる。

この一書は、話の筋立てが他とは異なり、思兼神が登場しないなど大きな特徴がある。

世界の神話

インドネシア・タイ・トルコ・モンゴル・中国南部・サハリンなどアジアには広く射日神話・招日神話が存在する。特に中国南部の少数民族に天岩戸と似た神話が多い。[8]

ミャオ族は、九個の太陽と八個の月が一斉に出てきた。弓矢で八個の太陽と七個の月を刺し殺す。残った一つずつの日月は隠れてしまった。天地は真っ暗。知恵者を集めて相談しオンドリを鳴かせる。オンドリは翼を叩いて三度鳴くと日月が顔を出した。[9]

プーラン族は、太陽の九姉妹と月の十兄弟は、揃って天地の間にやって来て一斉に照りつける。八個の太陽と九個の月を射落し、さらに残った月も射殺そうとした。逃げ出した太陽と月は洞窟に隠れ夫婦になった。世界が真っ暗になったので、オンドリを遣わし太陽と月を洞窟から出るよう説得させる。一人は昼もう一人は夜に別々に出てくること、ただし月の初めと終わりには洞窟の中で会っていいとした。月と太陽が洞窟から出ようとしたとき大きな岩が邪魔をして出られない。そこで力自慢のイノシシが岩を動かして入口を開け太陽と月を外に出してやった。[10]

ペー族には、天地が離れ始めた頃、天に十個の太陽と一個の月が昇った。子供の太陽たちは昼夜を分かたず天を駆ける。そのため地上は焼けるような熱さで、蛙と鶏の兄弟は太陽を追って槍で九個の太陽を刺し殺してしまう。両親である母・太陽と父・月は恐れて天眼洞の奥深くに隠れてしまい世は真っ暗闇。そこで蛙は天を、鶏は地を探した。鶏が声を放って呼ぶと太陽と月は天眼洞から顔を出し、こうして大地に日月が戻った。人々は太陽を呼び出した鶏に感謝して、赤い帽子を与えた。[11]

その他の少数民族にもさまざまなパターンで存在する。中には太陽と月を射殺した者が逃れて隠れた太陽と月に色々捧げてなんとか外に出て来てもらう神話や、美声を使って出て来てもらう神話もある。[12][13]

中国北方の馬の文化では太陽を男性とみなし、南方の船の文化では太陽が女性として信仰されていた。[14]シベリアでもナナイ族やケト族など太陽を女とみる少数民族が多い。[15]

天岩戸と呼ばれる場所

天岩戸説話は天上界の出来事であるが、「ここが天岩戸である」とする場所や関連する場所が何箇所か存在する。

天の岩戸

岩戸

伊勢神宮の「神鶏」

を集めて鳴かせたことから、[要出典]伊勢神宮の内宮では「神苑」という庭園に「神鶏」と呼ばれる鶏を放し飼いにしている[16][17]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 『日本神話事典』 26頁、佐佐木隆による解説では天の岩戸(あめのいはと)。
  2. ^ 『日本神話事典』 27頁、寺川真知夫による解説では天石屋戸(あめのいはやと)。

出典

  1. ^ 戸部民夫 『日本神話』 52-53頁。
  2. ^ 「古事記」 岩波文庫
  3. ^ 戸部民夫 『日本神話』 53-54頁。
  4. ^ a b c d 寺川真知夫 「天石屋戸神話」『日本神話事典』 27頁。
  5. ^ 戸部民夫 『日本神話』 54-55頁。
  6. ^ 戸部民夫 『日本神話』 55-57頁。
  7. ^ 戸部民夫 『日本神話』 59頁。
  8. ^ 荻原真子 『北方諸民族の世界観 - アイヌとアムール・サハリン地域の神話・伝承』 草風館、1996年2月。ISBN 978-4-88323-086-0[要ページ番号]
  9. ^ 百田弥栄子 『中国神話の構造』 三弥井書店、2004年6月。ISBN 978-4-8382-3131-7[要ページ番号]
  10. ^ 吉田敦彦他 『世界の神話伝説 総解説』 自由国民社〈Multi book〉、2002年7月。ISBN 978-4-426-60711-1[要ページ番号]
  11. ^ 百田弥栄子 『中国神話の構造』 三弥井書店、2004年6月。ISBN 978-4-8382-3131-7[要ページ番号]
  12. ^ 村松一弥編訳 『苗族民話集 - 中国の口承文芸2』 平凡社東洋文庫 260〉、1974年。ISBN 978-4-582-80260-3[要ページ番号]
  13. ^ 萩原秀三郎 『稲と鳥と太陽の道 - 日本文化の原点を追う』 大修館書店、1996年7月。ISBN 978-4-469-23127-4[要ページ番号]
  14. ^ 福永光司 『「馬」の文化と「船」の文化 - 古代日本と中国文化』 人文書院、1996年1月。ISBN 978-4-409-54050-3
  15. ^ 斎藤君子 『シベリア民話集』 岩波書店岩波文庫〉、1988年12月。ISBN 978-4-00-326441-6
  16. ^ お伊勢参りのいろは”. 伊勢神宮の歩き方. 三重県観光連盟. 2016年9月26日閲覧。
  17. ^ “保存会が神鶏奉納 内宮神苑で放し飼い”. 中日新聞 (47NEWS). (2016年6月14日). http://www.47news.jp/localnews/mie/2016/06/post_20160614055755.html 2016年9月26日閲覧。 

参考文献

関連項目

天照大神

天照大神(あまてらすおおかみ)、または天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話主神として登場する[1]女神と解釈され、高天原を統べる主宰神で、皇祖神とされる。『記紀』において、アマテラスは太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在として描かれている。

太陽神、農耕神、機織神など多様な神格を持つ。天岩戸の神隠れで有名な神で、神社としては三重県伊勢市にある伊勢神宮内宮が特に有名[2]

名称

古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)、『日本書紀』においては天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)と表記される。別名、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)[3]。神社によっては大日女尊(おおひるめのみこと)[4]大日孁(おおひるめ)[5]大日女(おおひめ)[6]とされている。

『古事記』においては「天照大御神」という神名で統一されているのに対し、『日本書紀』においては複数の神名が記載されている。伊勢神宮においては、通常は天照大御神の他に天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、あるいは皇大御神(すめおおみかみ)と言い、神職が神前にて名を唱えるときは天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)と言う[7]

なお、「大日孁貴神」の「ムチ」とは「貴い神」を表す尊称とされ、神名に「ムチ」が附く神は大日孁貴神のほかには大己貴命(オオナムチ、大国主)、道主貴(ミチヌシノムチ、宗像大神)など[注釈 1]わずかしか見られない[8]

系譜

ツクヨミ同様、明確な性別の記載があるわけではないが、『日本書紀』ではスサノヲに姉と呼ばれていること、アマテラスとスサノオの誓約において武装する前に髪を解き角髪に結び直す、つまり平素には男性の髪型をしていなかったことに加え、機織り部屋で仕事をすることなど女性と読み取れる記述が多いことなどから、古来より一般に女神と解されている。

別名の「オホヒルメノムチ(大日孁貴)」の「オホ(大)」は尊称、「ムチ(貴)」は「高貴な者」、「ヒルメ(日孁)」は「日の女神」[10]を表す。但し「孁」は「巫」と同義であり、古来は太陽神に仕える巫女であったとも考えられる[11]。「ヒコ(彦)・ヒメ(姫・媛)」、「ヲトコ(男)・」、「(郎子)・(郎女)」など、古い日本語には伝統的に男性を「(子)」・女性を「メ(女)」の音で表す例がみられ、この点からも女神ととらえられる[12]。後述するように中世には仏と同一視されたり、男神説等も広まった[13]

天照大神のモデルは淮南子山海経などに出てくる東海の海の島(日本)に住んでいる十の太陽神の母である義和が該当するとする説[14]や、淮南子の冒頭と日本書紀の冒頭にて重なる部分が存在する事から記紀の執筆者が淮南子を読んでいたとする説がある。

天照大神は太陽神としての一面を持ってはいるが、神御衣を織らせ、神田のを作り、大嘗祭を行う神であるから、太陽神であるとともに、祭祀を行う古代の巫女を反映した神とする説もある[15]。ただし、「メ(女)」という語を「妻」「巫女」と解釈する例はないともいわれる[16]

もとはツングース系民族の太陽神として考えると、本来は皇室始祖の男神であり、女神としての造形には、女帝推古天皇や、持統天皇(孫の軽皇子がのち文武天皇として即位)、同じく女帝の元明天皇(孫の首皇子がのち聖武天皇として即位)の姿が反映されているとする説もある[17][18]。兵庫県西宮市の廣田神社は天照大神の荒御魂を祀る大社で、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)という祭神名が伝わっている。これは天照大神を祀る正殿には伝わらない神名であるが、荒祭宮の荒御魂が女神であることの証左とされる。

天照大神からの皇室家系図

神話での記述

『日本書紀』においては、

  • 第五段の本文では、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が大八洲国と山川草木の神を産んだ後に、「天下の主者」(あまのしたのきみたるもの)として大日孁貴(おおひるめのむち)を産んだ。
  • 第五段の一書の1では、伊弉諾尊が、左手で白銅鏡(ますみのかがみ)を持ったときに大日孁貴が生まれた。
  • 第五段の一書の6では、『古事記』のように禊にて伊弉諾尊が左の眼を洗った時天照大神が生まれた。

古事記

『古事記』においては、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が伊邪那美命(いざなみのみこと)の居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗ったときに化生したとしている。このとき右目から生まれた月読命(つくよみのみこと)、鼻から生まれた建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)と共に、三貴子(みはしらのうずのみこ)と呼ばれる。このとき伊邪那岐命は天照大御神に高天原(たかあまのはら)を治めるように指示した(「神産み」を参照)。

海原を委任された須佐之男命は、伊邪那美命のいる根の国に行きたいと言って泣き続けたため伊邪那岐命によって追放された。須佐之男命は根の国へ行く前に姉の天照大御神に会おうと高天原に上ったが、天照大御神は弟が高天原を奪いに来たものと思い、武装して待ち受けた。

須佐之男命は身の潔白を証明するために誓約をし、天照大御神の物実から五柱の男神、須佐之男命の物実から三柱の女神が生まれ、須佐之男命は勝利を宣言する[注釈 2](「アマテラスとスサノオの誓約」を参照)。

このとき天照大御神の物実から生まれ、天照大御神の子とされたのは、以下の五柱の神である[注釈 3]

これで気を良くした須佐之男命は高天原で乱暴を働き、その結果天照大御神は天岩戸(あまのいわと)に隠れてしまった。世の中は闇になり、様々な禍が発生した。思金神(おもいかねのかみ)と天児屋命(あめのこやねのみこと)など八百万(やおよろず)の神々は天照大御神を岩戸から出す事に成功し、須佐之男命は高天原から追放された(「天岩戸」を参照)。

大国主神(おおくにぬしかみ)の治めていた葦原中国(あしはらのなかつくに)を生んだのは親である岐美二神(イザナギとイザナミ)と考え、葦原中国の領有権を子の天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)に渡して降臨させることにし、天津神(あまつかみ)の使者達を大国主神の元へ次々と派遣した。最終的に武力によって葦原中国が平定され、いよいよ天忍穂耳命が降臨することになったが、その間に邇邇芸命(ににぎのみこと)が生まれたので、孫に当たるニニギを降臨させた(「葦原中国平定」「天孫降臨」を参照)。その時八尺鏡を自身の代わりとして祀らせるため、降臨する神々に携えさせた。

神仏習合と天照大神の男神説

中世の神仏混淆本地垂迹説が広まると、天竺インド)の仏が神の姿をとなり、日本に出現したとする考えが広く浸透した。はじめ天照大神には観音菩薩十一面観音菩薩)が当てられたが、やがて大日如来となり、両部神道が登場すると天照大神は太陽の仏である大日如来と同一視されるようになる[20][21]

平安末期の武士の台頭や神仏混淆が強まると以前より指摘されていた天照大神の男神説が広まり、中世神話などに姿を残した[22][注釈 4]

天照大神男神説

神道において、陰陽二元論が日本書紀国産みにも語られており、伊弉諾尊を陽神(をかみ)、伊弉冉尊を陰神(めかみ)と呼び、男神は陽で、女神は陰となされている。太陽は陽で、月は陰であり、太陽神である天照大神は、男神であったとされる説である。この組み合わせはギリシャ神話でも同じで、太陽神のアポロと月神のアルテミスは兄妹神の組合せで生まれている。

平安時代、『寛治四年十一月四日伊勢奉幣使記』で伊勢神宮に奉納する天照大神の装束一式がほとんど男性用の衣装であって、江戸時代の伊勢外宮の神官度会延経はこれを典拠にして、『左経記』の宇佐への女子用装束と比較して、「之ヲ見レバ、天照大神ハ実ハ男神ノコト明ラカナリ」と記している。(『内宮男体考証』『国学弁疑』)。また、『山槐記』永暦二年(1161)四月廿二日条、『兵範記』仁安四年(1169)正月廿六日条にも内宮に男子装束が奉納された記事がある。

京都祇園祭の岩戸山の御神体は伊弉諾命・手力男命・天照大神であるが、いずれも男性の姿である。天照大神の像は「眉目秀麗の美男子で白蜀江花菱綾織袴で浅沓を穿く。直径十二センチ程の円鏡を頸にかけ笏を持つ。」と岩戸山町で伝えられるとおりの姿である。江戸時代、円空は男神として天照大神の塑像を制作している。江戸時代に流行した鯰絵には天照大神が男神として描かれているものがある。京丹後市久美浜町布袋野(ほたいの)の三番叟(さんばそう)に登場する翁は天照大神を表すとされ、振袖を着てカツラを装着し、かんざしを挿して金色の烏帽子を被る姿である。また、藤原不比等が女性が天皇に即位できるように記紀を作り替えたとも言われる[23]

江戸時代には荻生徂徠山片蟠桃などを筆頭に天照大御神の男神説が数多く主張されており、明治移行も津田左右吉松前健楠戸義昭武光誠筑紫申真、、宝賀寿男などに男神説が見られる。

ただし前述のように現在では国学時代に主流となった女神説が一般的であり、伊勢神宮を始め各神社でも女神としている。また、現代語訳本や漫画においても女神として描かれることが主流である。

なお、日本国内の諸説から離れて比較神話学の立場から見た場合、世界的に太陽神は男神よりも女神とされることが多かったという指摘もある。詳細は「太陽神」の項目を参照のこと。太陽女神(あるいは、女神とされることもある太陽神)の例としては、ソールサウレシャマシュシャプシュマリナ羲和トカプチュプカムイなどがある。

一方日本神話をギリシャ神話ローマ神話と同じ性格の「神話」・「虚構」と位置づけることに反対し、上古東アジアの神話、習俗、祭祀の事情から男神であったとする説もある。これは東夷北狄系の民族が「天・太陽」を崇敬し、鳥のトーテミズムがあり、「地域移動」を高所・天からの降下(天降り・天孫降臨)と受けとめる考え方があったからとされる。日本の上古支配氏族である天孫族天皇家や高天原起源の諸豪族)と東夷同系の種族とみられる高句麗王家では、始祖の朱蒙が日光に感精した河伯の娘から卵で産まれたという伝承をもつ。日本と高句麗との間には、王者の収穫祭が即位式に結びつく点、穀物起源神話や王者の狩猟の習俗などで、両者の王権文化は多くの共通点をもっており、この他、朝鮮半島では例として天日槍命関係の伝承に見るように、朝鮮半島では日光により感精し卵から始祖が誕生する卵生神話が存在し、始祖の卵生伝承もモンゴルと朝鮮半島に多く、日本にも僅かであるが伝わっていたとされる。『姓氏録』などの記録において、女性を始祖とする氏族が一つも記載されていないことも、天照大御神が女神たりえなかった根拠とする見方がある[24]

一方、これは北方諸民族の影響下にあったためであり、卵生伝承は日本ではシベリア系北方民族と関わりがあったアイヌの神話の中に見られるが日本神話においては見あたらないとする説もある。

各仏教宗派の教学

仏教界においては、宗派にもよるがちょうど八幡神(やはた/ハチマン)のように「てんしょうだいじん」と音読みで読まれることが多い。

真言宗
真言宗では天照大神を大日如来化身と見ていた[25](詳しくは両部神道の項へ)
日蓮宗法華宗
日蓮は御書の中で自身の出身地である安房国長狭郡(現在の千葉県鴨川市の大半)を、天照大神の日本第一の御厨東条御厨)であると記している。日蓮は天照大神と八幡大菩薩を日本の法華経守護の善神の筆頭とし十界曼荼羅に勧請しており[26]、その本地を釈迦牟尼仏だとしている[27]。現在でも日蓮宗・法華宗の寺院では三十番神の一柱として天照大神が祀られている姿が見られる。
昭和になると日蓮宗・法華宗各派は、日蓮が御書にて天照大神を帝釈天や梵天などのインドの神と比べて「小神」と呼んだこと、「天照大神」という文字が十界曼荼羅の中で鬼子母神八大龍王などよりも下に書かれていることなどが問題視され、法華宗が不敬罪で訴えられる事件となった[28]

近代

1880年明治13年) - 1881年(明治14年)、東京の日比谷に設けた神道事務局神殿の祭神をめぐって神道界に激しい教理論争が起こった[29]。神道事務局は、事務局の神殿における祭神として造化三神(天之御中主神高御産巣日神神産巣日神)と天照大神の四柱を祀ることとしたが、これに対して「出雲派」は、「幽顕一如」(あの世とこの世との一体性)を掲げ、祭神を「幽界」(あの世)を支配する大国主大神を加えた五柱にすべきだと主張した[29]

しかし、神道事務局の中心を担っていた「伊勢派」は、天照大御神は顕幽両界を支配する「天地大主宰」であり、他の神々はその臣下にすぎないと主張するなど、両派は真っ向から対立した[29]。果てには、「出雲派が神代より続く積年の宿怨を晴らさんとしている」「皇室に不逞な心を持っている千家尊福を誅殺すべし」など、様々な風説が飛び交った。やがてこの論争は明治天皇の勅裁により収拾(出雲派が敗北)し、天照大神の神格は最高位に位置づけられることになった[29]

なお、政府は神道に共通する教義体系の創造の不可能性と、近代国家が復古神道的な教説によって直接に民衆を統制することの不可能性を認識したと言われている[30]

芥川龍之介は自身の小説にて天照御大神を登場させる際、「天照大御神」と言う呼称では皇祖神をそのまま文中に登場させてしまう事になるため、太陽神、それも自然神という性格付けで別名の「大日貴」(おおひるめむち)を用いた。実際、芥川の小説には検閲によって訂正・加筆・削除を強いられた箇所が多数存在する[31]

日本全国の神社本庁傘下の神社で皇大神宮(天照皇大神宮)の神札(神宮大麻)を頒布している[注釈 5]。また、鹿児島県神社庁は、天照大御神を「日本国民総氏神[注釈 6]としている。

天照大神を祀る神社

全国の天照大神伝承

天照大神の伝承は各地に存在する。

全国の天照大神伝承

  • 木曽山脈恵那山には天照大神誕生の際に、胞衣(えな)が埋設されたという伝承が残る[35]
  • 長野県戸隠山の戸隠神社には天岩戸の伝承が残る[15]
  • 三重県のめずらし峠は、天照大神と天児屋根命が出会ったという伝承が残っている[36]
  • 奈良県の與喜(よき)山には天照大神が降臨した伝承が伝わっている[37]。また、長谷寺の本尊十一面観世音菩薩立像の左脇侍雨宝童子立像は、天照大神として信仰されており、頭髪を美豆良に結って冠飾を付け、を着しを纏った姿をしている[38]
  • 島根県隠岐は天照大神が行幸の際、そこに生育していた大木を「おおき」と感動して呼んだことが隠岐の名の起源であるという伝承が残る[39]
  • 鳥取県因幡八上郡には、天照大神がこの地にしばらくの間行宮する際、白兎が現れて天照大神の裾を銜(くわ)えて、行宮にふさわしい地として、現在も八頭町鳥取市河原町の境にある伊勢ヶ平(いせがなる)にまで案内し、そこで姿を消したとされる[40]。八頭町の青龍寺の城光寺縁起と土師百井(はじももい)の慈住寺記録には、天照大神が国見の際、伊勢ヶ平付近にある御冠石(みこいわ)に冠を置いたという伝承が残っている[40]。この伝承と関連して八頭町に3つの白兎神社が存在し、八頭町米岡にある神社は元は伊勢ヶ平にあった社を遷座したものと伝えられるが、の具体的な伝承に基づく全国的に見ても極めて珍しい神社である。
  • 同じく鳥取県八上の氷ノ山(ひょうのせん)の麓、若桜町舂米(つくよね)には天照大神が大群を従えての行幸伝承とともに、天照大神が作ったとされる和歌が伝わっている[41]2007年(平成19年)、若桜町舂米地区内で天照大神が腰掛けをしたさざれ石が発見された[42]
  • 氷ノ山の名は、天照大神が樹氷の美しさに感動して日枝(ひえ)の山と呼んだことが起源とされ、氷ノ越えの峠(ここにもかつて白兎を祀る因幡堂があった)を通って因幡をあとにしたとされる[43]
  • 現在は存在しないが、熊本県八代市には上古に天照大神の山陵が在ったと伝えられる[44]
  • 宮崎県高千穂町岩戸にあり天照大神を祭神とする天岩戸神社の周辺には、岩戸隠れ神話の中で天照大神が隠れこもったとされる天岩戸をはじめ、複数の神話史跡や関連の地名が残る。

天照大御神=卑弥呼説

脚注

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注釈

  1. ^ 布波能母遅久奴須奴神八島牟遅能神などにも見られる。
  2. ^ 「我が心清く明し。故れ、我が生める子は、手弱女を得つ。」[19]
  3. ^ 日本書紀には6柱とする説もある
  4. ^ 中世神話では主に男性神として、中世に編纂された『日諱貴本紀』には両性具有神として描写される。
  5. ^ 1871年12月22日、政府は伊勢神宮の神宮大麻を地方官を通して全国700万戸に1体2銭で強制配布することに決め、翌年から実施した。1878年(明治11年)以後は受不受は自由となったが、依然として地方官が関与してトラブルを生ずることがあった[32]
  6. ^ 「皇大神宮は、内宮(ないくう)とも呼ばれ、御祭神は皇室の御先祖神と尊ばれ、また、国民の総氏神と仰がれている天照大神(あまてらすおおみかみ)です。」[33]

出典

  1. ^ 天照大神/天照大御神(あまてらすおおみかみ)の意味”. goo国語辞書. 2019年11月28日閲覧。
  2. ^ a b 『八百万の神々』
  3. ^ 『日本書紀上』p.86、日本古典文学大系、岩波書店
  4. ^ Akimitsu (2013年). “神戸市東灘区 西岡本からのお知らせ”. 神戸市東灘区西岡本. 2013年6月16日閲覧。
  5. ^ 石川県神社庁 (2008年). “神社を探す ― 大日孁神社/おおひるめじんじゃ”. 石川県神社庁. 2013年6月16日閲覧。[リンク切れ]
  6. ^ 岐阜県神社庁 (2011年). “大日女神社 (おおひめじんじゃ)”. 岐阜県神社庁. 2013年6月16日閲覧。
  7. ^ a b 『日本の神々の事典』[要文献特定詳細情報]
  8. ^ 次田潤『新版祝詞新講』p.506、戎光祥出版、2008年。
  9. ^ 『古事記の本』学研、2006年、81頁。
  10. ^ 『日本国語大辞典』[要文献特定詳細情報]
  11. ^ 1927-2016., Ueda, Masaaki,; 1927-, 上田正昭, (Heisei 22 [2010]). Nihon shinwa (Shinpan, saihan ed.). Tōkyō: Kadokawa Gakugei Shuppan. ISBN 9784044094249. OCLC 650211550. https://www.worldcat.org/oclc/650211550 
  12. ^ 溝口睦子『アマテラスの誕生』[要文献特定詳細情報][要ページ番号]
  13. ^ 斎藤英喜『読み替えられた日本神話』[要文献特定詳細情報][要ページ番号]
  14. ^ 山海経
  15. ^ a b 『神道の本』[要文献特定詳細情報][要ページ番号]
  16. ^ 溝口睦子『アマテラスの誕生』[要文献特定詳細情報][要ページ番号]
  17. ^ 概説日本思想史 編集委員代表 佐藤弘夫(吉田一彦)[要文献特定詳細情報][要ページ番号]
  18. ^ 宝賀寿男「天照大神は女性神なのか」『古樹紀之房間』2010年。
  19. ^ 『古事記』
  20. ^ 佐藤 2000, p. 150.
  21. ^ 伊藤 2003, pp. 74-73.
  22. ^ 上島享「中世王権の創出とその正統性」『日本中世社会の形成と王権』[要文献特定詳細情報]
  23. ^ 斎藤英喜『読み替えられた日本神話』[要文献特定詳細情報][要ページ番号]
  24. ^ 宝賀寿男天照大神は女性神なのか」『古樹紀之房間』、2010年。
  25. ^ 伊藤 2003, pp. 73-71.
  26. ^ 『日蓮宗辞典』日蓮宗事典刊行委員会 1999年5月
  27. ^ 『日蓮聖人の国神観』日蓮聖人と国神観 山川智應 1940年5月[要ページ番号]
  28. ^ 『曼陀羅国神不敬事件の真相―戦時下宗教弾圧受難の血涙記』小笠原日堂、礫川全次 2015年2月[要ページ番号]
  29. ^ a b c d 『古神道の本 甦る太古神と秘教霊学の全貌』学研[要ページ番号]
  30. ^ 『日本史大事典』 平凡社 1993年
  31. ^ 芥川龍之介 『澄江堂雑記』
  32. ^ 安丸良夫・宮地正人『宗教と国家-日本近代思想大系第5巻』岩波書店、1998年、p443,535,562。
  33. ^ 鹿児島県神社庁 2017年12月9日閲覧。
  34. ^ 京都府宮津市 (2016年). “籠宮大社”. 2016年4月9日閲覧。
  35. ^ 『日本の山1000』山と溪谷社〈山溪カラー名鑑〉、1992年8月、p.355。ISBN 4635090256
  36. ^ めずらし峠の観光施設・周辺情報‐観光三重” (日本語). 三重県観光連盟. 2011年12月24日閲覧。
  37. ^ 與喜天満神社公式サイト ご由緒” (日本語). 與喜天満神社. 2011年12月24日閲覧。
  38. ^ 寺宝(像)” (日本語). 奈良大和路の花の御寺 総本山 長谷寺. 2017年3月3日閲覧。
  39. ^ 成り立ち” (日本語). 西ノ島町観光協会. 2011年12月24日閲覧。
  40. ^ a b うさぎが導く縁結びバスツアー 因幡の旅特集ページ 鳥取いなば観光ネット 鳥取県東部の観光ポータルサイト” (日本語). 鳥取・因幡観光ネットワーク協議会. 2011年12月25日閲覧。
  41. ^ 大江幸久『もう一つの因幡の白兎神話 天照大神行幸と御製和歌の伝わる八上神秘の白兎と天照大神伝承』[要文献特定詳細情報][要ページ番号]
  42. ^ 日本海新聞平成21年6月10日
  43. ^ 若桜町の位置/若桜町” (日本語). 若桜町. 2013年5月1日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2011年12月25日閲覧。
  44. ^ 森本一瑞『肥後国誌』[要文献特定詳細情報][要ページ番号]

参考文献

  • 戸部民夫 『八百万の神々 日本の神霊たちのプロフィール』 新紀元社 1997年
  • 薗田稔、茂木栄 『日本の神々の事典 神道祭祀と八百万の神々』 学研 1997年
  • 『神道の本 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』 後藤然、渡辺裕之、羽上田昌彦ほか、学研「ブックス・エソテリカ」 1992年
  • 佐藤 弘夫『アマテラスの変貌 - 中世神仏交渉史の視座』法蔵館、2000年8月、227頁。ISBN 9784831871299
  • 伊藤 聡「天照大神=大日如来習合説をめぐって(上)」『茨城大学人文学部紀要. 人文学科論集』第39巻、茨城大学人文学部、2003年3月、 74-58頁。

関連項目

先代:
-
地神五代
次代:
天忍穂耳尊

 

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