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🥾|火山噴火 噴気や揺れ、すぐ避難を 東北に18の活火山


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火山噴火 噴気や揺れ、すぐ避難を 東北に18の活火山

 
内容をざっくり書くと
長野県と岐阜県にまたがる御嶽山は2014年9月、レベル1で噴火しました。
 

火山は麓から見上げる姿が美しいだけでなく、山頂からの眺めも格別です。このため登山は人気のレジャーの一… →このまま続きを読む

 河北新報


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長野県

長野県ながのけん: Nagano Prefecture)は、日本中部地方に位置する県庁所在地長野市

令制国名の信濃国にちなみ「信州」とも呼ばれている。に面していない内陸県であり、日本アルプスを始め大規模な山岳地があるため可住地面積率は低い。キャッチフレーズはしあわせ信州[2]

長野市は善光寺門前町として発展し、第18回冬季オリンピックの開催地でもある。

概要

現在の長野県の県域は、令制国の信濃国にほぼ相当する。ただし、旧神坂村・旧山口村岐阜県中津川市越境編入されたように、僅かながら差異もあるため、「信州」(しんしゅう)と呼ばれることも多く、特に観光ガイドでは「信州」と呼ぶ。古代では科野(しなの)と書いた[3]。日本の都道府県のなかでトップクラスの長寿の県として知られ、2020年現在、都道府県別健康寿命では男女共に1位であった[4]

丘陵山脈が多く、三大都市圏からのアクセスも良好なことから、軽井沢上高地を筆頭とした高原リゾート山岳リゾートが多いことで知られている。「日本三大外国人避暑地」に数えられた軽井沢と野尻湖イギリス人によって見出された日本アルプスオーストリア人に紹介されたことで有名になった菅平高原、国際的なスキーリゾートとしてその地位を確立しつつある白馬村など、古くから欧米人の余暇活動の拠点となってきた歴史がある。上記以外にも「日本の〇〇(ヨーロッパの地域名)」などと称される地域が多数ある(下栗の里:「日本のチロル」、諏訪盆地:「東洋のスイス」など)。

地理

長野県は本州の中部に位置しており、周囲8県に隣接し、東西約128キロメートル、南北約220キロメートルと、東西に短く南北に長い県域である。県内の南半分は太平洋側に近く、南信州地域の多くは東京よりも南であり、県の最北端は那須塩原市いわき市とほぼ同緯度である。長野県の面積は13,562.23平方キロメートルであり、これは南関東1都3県の面積の合計に近く、日本の都道府県では、北海道岩手県福島県に次いで4位の面積を持っている。

本県は群馬県埼玉県山梨県静岡県愛知県岐阜県富山県新潟県と8つの県と隣接し、隣接都道府県数8は、47都道府県で最多である[注釈 1]。ただし、これらの県とは陸続きでありながら、その間の交通は必ずしも簡単ではない。例えば、埼玉県と県境が接している長さは10キロメートル程度しかなく、川上村道192号梓山線[注釈 2]のみでしか直接的な行き来ができない。また、富山県とは陸続きで接しているものの、3,000メートル級の北アルプスが立ちふさがっており、地形的に険しく、また非常に山奥であるため空路か関電トンネル電気バスでしか往来ができず、一般人は自家用車両による往来は不可能である。これ以外に車両が往来できない県境として群馬と福島との県境が挙げられる。また、地形的な問題などで飯田市と静岡県静岡市松本市下諏訪町王滝村大桑村など陸続きでありながら往来できない市町村が多数ある。

県境を越える事が地形的に難しい理由として、長野県は中央部を高地が占める山地型の地形ではなく、むしろ北西の県境の飛騨山脈、南東の県境の赤石山脈の標高が高く、間の幾つかの盆地(伊那谷松本盆地佐久盆地長野盆地など)を中心とした地域である点が挙げられる。県境付近の山々は「日本の屋根」とも呼ばれ、標高2,000メートルから3,000メートル級の高山が連なっている。ただ、長野県の中央部も平坦というわけではなく、内部にも山岳が多数見られる、急峻で複雑な地形である。これは日本列島が新期造山帯であること以外に、長野県付近が、北アメリカプレートとユーラシアプレートとのプレート境界に近い事と無関係ではない。なお、本州を縦断する糸魚川静岡構造線(糸静線)が県下を南北に走り、糸静線の東側は第三紀層が分布している。糸静線沿線の諏訪湖からは中央構造線が南に走っている。このようなこともあり、善光寺地震を始め、多数の地震を経験してきた。また、長野県内には活火山も複数存在する。

自然地理学の分野では、長野県付近は中部地方中央高地として分類される。内陸県で本州の中では降水量の少ない地域もあるものの、本州が日本海と太平洋とに挟まれており、さらに、長野県の急峻な地形と相まって河川を維持するのに充分な降水はあり、県内には数多の水源を擁する。県内には大小多数の河川が見られ、それぞれの河川が山々を侵食した地形も多数見られる。長野県に流域を持つ一級河川としては、信濃川水系・天竜川水系・木曽川水系・姫川水系・矢作川水系・富士川水系・関川水系・利根川水系がある。なお、県内には太平洋と日本海の分水嶺が存在している。例えば、天竜川(南信、諏訪湖を水源とし伊那谷を通る)、木曽川(中信)は南下して太平洋へ注ぐ。また例えば、千曲川(東信、北信)、犀川(中信)は長野市で合流して北上し、県境を越えて信濃川と名称を変えて日本海へ注ぐ。姫川(中信)も日本海へと流れている。

なお、県下の最大人口を誇る都市は長野市の38万7146人であり[5]、最大面積の自治体は松本市の978.77平方キロメートル[6]、最大人口密度の自治体は岡谷市の620.27(人/平方キロメートル)[7]、最大昼間人口比は軽井沢町の117.8%であった[8]

土地利用としては、長野市、須坂市および上高井郡小布施町、松本市、塩尻市の4都市計画区域区域区分による市街化調整区域が設定されている。

地形

盆地・谷

山地

湖沼

自然公園

国立公園
中部山岳国立公園妙高戸隠連山国立公園上信越高原国立公園秩父多摩甲斐国立公園南アルプス国立公園
国定公園
八ヶ岳中信高原国定公園天竜奥三河国定公園妙義荒船佐久高原国定公園中央アルプス国定公園
国営公園
国営アルプスあづみの公園
県立自然公園
御岳県立公園三峰川水系県立公園塩嶺王城県立自然公園聖山高原県立公園天竜小渋水系県立自然公園

気候

長野県は内陸に位置するため、おおむね内陸性気候で、標高の高い地域もあるため中央高地式気候と言われる。ただし、北信地方の大半と、中信地方東信地方の一部は日本海側気候の特色を併せ持つ。逆に、中信地方の一部と南信地方太平洋側気候の特色を併せ持つ。また、長野県の各都市は標高が異なり、さらに山脈や盆地の形状などの影響で、気候に修飾を受けるため、気候に違いが見られる。

ただ、全体的に冬の冷え込みは日本の同緯度付近の内陸県と比べると厳しい。中でも、軽井沢信濃町志賀高原菅平高原八ヶ岳山麓開田高原野辺山高原上高地などの標高が高い地域は、ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Df)であり、通年で北海道並みの気候である。また特に標高の高い場所では北極圏並みの寒さの地域もある。

夏は、長野市や松本市などの盆地部においては日中の気温は東京とほとんど変わらず、時には猛暑日も観測されるものの、朝晩は涼しく、熱帯夜が観測される日は皆無に等しい。

降水量も地域差が大きく、東信地方から北信地方にかけては年間900ミリメートル前後と少ないが、中信地方から南信地方にかけては年間1,500ミリメートルに達する。

降雪に関しては、北信地方、中信地方、東信地方の一部地域は、豪雪地帯または特別豪雪地帯である。県の南北で降雪条件が異なる。長野県には「上雪(かみゆき)」「下雪(しもゆき)」と言われる雪の降り方がある。「上雪(かみゆき)」は、普段ならば雨の降るはずが、南岸低気圧が通過することによって、気温が低下して雪となる現象で、低気圧に近い中・南信や東信で降雪量が多くなる[9]。「下雪(しもゆき)」は冬の強い季節風の吹き出しによって降る雪のことで、長野県の北部の雪の降り方で、西高東低の日本付近における冬型の気圧配置の場合に降雪し易い、いわゆる日本海型の降雪である[10]。なお、南信地方の伊那谷は、飯田市の旧南信濃村地域を除き雪は少ないものの、寒暖の差が激しい。

長野県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
北信地方東信地方中信地方
野沢温泉飯山信濃長野長野市
信州新町
白馬上田市
菅平
上田東御軽井沢佐久立科南牧村
野辺山
大町安曇野市
穂高
平均
気温
(°C)
最暖月23.6
(8月)
24.4
(8月)
21.9
(8月)
24.9
(8月)
23.9
(8月)
22.5
(8月)
19.3
(8月)
24.9
(8月)
21.6
(8月)
20.3
(8月)
23.2
(8月)
22.6
(8月)
19.0
(8月)
22.0
(8月)
24.2
(8月)
最寒月−1.4
(1月)
−2.0
(1月)
−3.2
(1月)
−0.7
(1月)
−1.1
(1月)
−2.9
(1月)
−6.1
(1、2月)
−0.5
(1月)
−2.5
(1、2月)
−3.6
(1月)
−1.8
(1月)
−2.1
(1月)
−5.2
(1、2月)
−2.8
(1、2月)
−1.0
(1月)
降水量
(mm)
最多月296.7
(1月)
188.7
(1月)
182.2
(7月)
137.1
(7月)
161.0
(7月)
295.8
(7月)
147.1
(7月)
144.1
(9月)
159.5
(9月)
185.5
(7月)
165.5
(9月)
170.0
(9月)
227.6
(9月)
187.3
(7月)
52.5
(8月)
最少月76.7
(4月)
62.5
(4月)
65.8
(4月)
38.2
(12月)
41.5
(12月)
112.4
(11月)
63.8
(11月)
17.5
(12月)
18.8
(12月)
20.8
(12月)
15.4
(12月)
19.3
(1月)
29.5
(12月)
58.5
(12月)
24.8
(12月)
平年値
(月単位)
中信地方南信地方
松本松本市
松本今井
松本市
奈川
塩尻
木曽平沢
木曽町
開田高原
木曽町
木曽福島
南木曽諏訪原村辰野伊那飯島飯田飯田市
南信濃
阿智村
浪合
平均
気温
(°C)
最暖月24.3
(8月)
20.3
(8月)
22.3
(8月)
19.8
(8月)
22.6
(8月)
23.2
(8月)
23.5
(8月)
21.4
(8月)
23.2
(8月)
23.1
(8月)
22.9
(8月)
24.7
(8月)
24.2
(8月)
20.9
(8月)
最寒月−0.6
(1月)
−3.5
(1、2月)
−2.1
(1月)
−4.8
(1月)
−1.7
(1月)
−0.6
(1月)
−1.5
(1月)
−3.1
(1月)
−1.3
(1月)
−0.8
(1月)
0.6
(1月)
0.9
(1月)
−2.4
(1月)
降水量
(mm)
最多月155.9
(9月)
275.9
(9月)
260.7
(7月)
293.4
(9月)
273.0
(9月)
385.3
(7月)
203.8
(9月)
208.8
(7月)
151.1
(9月)
280.5
(9月)
232.9
(9月)
267.8
(9月)
378.6
(9月)
最少月23.3
(12月)
71.8
(12月)
62.5
(12月)
63.7
(12月)
53.7
(12月)
87.1
(12月)
33.8
(12月)
31.6
(12月)
34.0
(12月)
55.0
(12月)
47.7
(12月)
49.7
(12月)
83.3
(12月)

気象庁による区分

長野県北部(甲信地方北部のうち)
  • 中野飯山地域 - 飯山市・中野市・下水内郡・下高井郡
  • 長野地域 - 長野市・須坂市・千曲市・上高井郡・上水内郡・埴科郡
  • 北アルプス地域 - 大町市・北安曇郡
長野県中部(甲信地方北部のうち)
  • 上田地域 - 上田市・東御市・小県郡
  • 佐久地域 - 佐久市・小諸市・北佐久郡・南佐久郡
  • 松本地域 - 松本市(旧安曇村と旧奈川村を除く)・塩尻市(旧楢川村を除く)・安曇野市・東筑摩郡
  • 諏訪地域 - 岡谷市・諏訪市・茅野市・諏訪郡
  • 乗鞍・上高地地域 - 松本市(旧安曇村と旧奈川村)
長野県南部(甲信地方南部のうち)
  • 上伊那地域 - 伊那市・駒ヶ根市・上伊那郡
  • 下伊那地域 - 飯田市・下伊那郡
  • 木曽地域 - 塩尻市(旧楢川村)・木曽郡

地方気象台による警報・注意報は、原則として各市町村ごとに発表される。ただし、松本市は「松本」および「乗鞍上高地」、塩尻市は「塩尻」および「楢川」に別けて発表される[11]

豪雪指定

全域:中野市、松川村、飯綱町、小川村
一部:長野市、松本市、上田市、飯田市、須坂市、大町市、安曇野市
  • 特別豪雪地帯
全域:飯山市、白馬村、小谷村、高山村、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村、信濃町、栄村
一部:長野市

地域

日本の地域区分における長野県の位置付け

長野県は、日本のほぼ中央に位置しているが、東西の分類では中部電力など一部の企業や団体で西日本に分類されることもあり、文化的[注釈 3]・歴史的・人口の比率・面積の比率からして東日本に分類されることもある。地方の分類では中部地方甲信地方信越地方甲信越地方北信越地方などがある。

自治体

  • 県内には計77の自治体がある。このうち市が19市、郡が14郡、町が23町、村は35村で約半分近くが「村」である。市町村数77は全都道府県中北海道に次いで第2位、およびの数は47都道府県で最多である。このうち人口面で町制施行要件を満たす村(人口8,000人以上、太字表記)は5村、市制施行要件を満たす町は存在しない[12]
  • DIDは市部のほか、下諏訪町と箕輪町に設定されている。
  • は阿南町(あなんちょう)を除いて「まち」、村はすべて「むら」と読む。

県による区分では地方事務所の管轄に準じて10地域に細分化される。

(人口は2021年11月1日現在)

都市圏

都市雇用圏(10%通勤圏、中心都市DIDが1万人以上)の変遷

地域1980年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
北信地方長野 都市圏
514136人
長野 都市圏
536895人
長野 都市圏
608073人
長野 都市圏
609811人
長野 都市圏
610687人
長野 都市圏
602781人
長野 都市圏
589549人
中野 都市圏
58282人
中野 都市圏
58676人
中野都市圏は
長野都市圏に包含
中信地方松本 都市圏
371850人
松本 都市圏
417666人
松本 都市圏
431901人
松本 都市圏
444926人
松本 都市圏
455352人
松本 都市圏
450869人
松本 都市圏
447802人
東信地方上田 都市圏
205775人
上田 都市圏
216017人
上田 都市圏
221386人
上田 都市圏
227062人
上田 都市圏
223463人
上田 都市圏
217421人
上田 都市圏
212314人
佐久 都市圏
87797人
佐久 都市圏
98348人
佐久 都市圏
100597人
佐久 都市圏
162355人
佐久 都市圏
189058人
佐久 都市圏
186206人
佐久 都市圏
182007人
小諸 都市圏
48346人
小諸 都市圏
44888人
小諸 都市圏
45711人
小諸都市圏は
佐久都市圏に包含
南信地方飯田 都市圏
141286人
飯田 都市圏
146498人
飯田 都市圏
168439人
飯田 都市圏
169427人
飯田 都市圏
171491人
飯田 都市圏
166652人
飯田 都市圏
159632人
諏訪 都市圏
114705人
諏訪 都市圏
109028人
諏訪 都市圏
127278人
諏訪 都市圏
130616人
諏訪 都市圏
133323人
諏訪 都市圏
204875人
諏訪 都市圏
198475人
岡谷 都市圏
112678人
岡谷 都市圏
109260人
岡谷 都市圏
82591人
岡谷 都市圏
80325人
岡谷 都市圏
77562人
岡谷都市圏は
諏訪都市圏に包含
伊那 都市圏
84003人
伊那 都市圏
111759人
伊那 都市圏
116512人
伊那 都市圏
141715人
伊那 都市圏
142453人
伊那 都市圏
190402人
伊那 都市圏
184305人

地域的特徴

平成の市町村大合併は、他県ほど実施されず、中小自治体が櫛比する。ただし、広域連合制度が県内全市町村で活用されており、一部事務組合による広域行政も活発である。2005年(平成17年)には長野県から岐阜県中津川市へ越県合併の事例もあった。

明治の大合併の際にも合併件数は少なかったが、これは地租改正の時期に小規模な村の合併が進んだことが理由である[13]。地租改正でできた広大な村に通し番号で地番を振ったため、県内では地番が5桁になることも珍しくない[13]。また、町村名の次に番地が来る住所も多い[13]

北信北信地域長野地域)、東信佐久地域上田地域)、中信松本地域木曽地域北アルプス地域)、南信上伊那地域南信州地域諏訪地域)の4地域は、自然地理や歴史や交通などの各面で、特徴がまったく異なっている。

これは、「信濃の国」(県歌)における「松本伊那佐久善光寺」の4区分にも象徴されている。大まかに分けると、北信、東信、中信、南信は、それぞれ長野県の北部、東部、西部、南部の地域となっており、北信南信を除いて4地域は互いに接している。

北陸新幹線信越本線飯山線小海線国道18号上信越自動車道の沿線である北信東信は、千曲川流域でおもに中山道北国街道沿線にあたる。

北信は、新潟県群馬県に接しており、戦国時代には村上氏武田氏織田氏上杉氏の支配圏に置かれてきた。善光寺街道沿いであった経緯や北陸新幹線上信越自動車道で接続していることから、新潟県群馬県東京とのつながりが深い。

近年では、首都圏からの観光客も多く訪れている。また、中信とは長野自動車道篠ノ井線により接続している。北信長野盆地を中心とした地域であり、新潟県に近いことから、海水浴で日本海へ行く者も多い。

一方の東信は、群馬県埼玉県山梨県に接しており、戦国時代には武田氏織田氏徳川氏北条氏真田氏の支配権に置かれてきた。中山道と北国街道の合流点であった歴史的経緯や北信と同様に北陸新幹線上信越自動車道で接続していることから、浅間山碓氷峠を越えた群馬県東京との交流も深い。

また、野辺山高原を経由する国道141号小海線によりつながる山梨県との交流も深い。山梨県との間には現在、中部横断自動車道が整備中である。三国峠 (長野県・埼玉県)を経由して、埼玉県とも接しているが、道路事情が悪いため物流はほとんどない。道路で雁坂峠国道140号が開通する前には、碓氷峠 - 東信 - 山梨県 - 静岡県大井川以東のルートが、国道16号圏内を経由せずに関東地方内を迂回する最短ルートとなっていたために、関東志向がもっとも強い地域になっている。

これらに対して、中央本線飯田線大糸線中央自動車道長野自動車道の沿線である中信南信は、中山道甲州街道、千国(ちくに)街道(糸魚川街道、松本街道)、北国西街道、三州街道沿線にあたる。

中信は、新潟県富山県岐阜県に接しており、戦国時代には小笠原氏仁科氏木曾氏を経て、武田氏織田氏の支配権に置かれてきた。中山道甲州街道、千国街道(糸魚川街道、松本街道)、三州街道の沿線であったことから、新潟県岐阜県山梨県愛知県東京都との交流が深い。

北国西街道沿線には長野自動車道が整備されており、長野地域と接続している。中信地域の北部に位置する北アルプス地域は、飛騨山脈のすぐ東側に位置しており、登山・スキーなどの観光が盛んで、日本最大規模の八方尾根スキー場や、栂池高原スキー場があり、長野オリンピックの会場にもなった。観光の面では、関東地方からだけでなく関西地方からの観光客も多い。

また、国道147号国道148号を経由してつながる新潟県との交流もあり、山岳観光ルートの立山黒部アルペンルートにより富山県とも接している。また、中信地域の中部に位置する松本地域(中信)は、諏訪地域(南信)とともに中山道甲州街道の沿線として発展した地域で、山梨県東京都岐阜県(東濃、飛騨)との交流が深い。中信地域の南部に位置する木曽地域(中信)は、広域の名古屋圏(中京圏)であり、歴史的に中世以前は美濃国に属し江戸時代には尾張藩領であったことや、国道19号(中山道)を通して、岐阜県愛知県と接続しているため、経済や文化の面でつながりが深い。

一方、南信は、山梨県静岡県愛知県に接しており、戦国時代には諏訪氏武田氏織田氏徳川氏の支配圏に置かれてきた。中山道甲州街道三州街道の沿線であったことから、山梨県東京都静岡県愛知県との交流が深い。諏訪地域は、松本地域(中信)とともに中山道甲州街道の沿線として発展した地域で、山梨県東京都岐阜県東濃)との交流が深い。

また、南信州地域(南信)は、広域の名古屋圏(中京圏)であり、中央自動車道国道153号三州街道足助街道)を通して、岐阜県東濃地方、愛知県名古屋・尾張・西三河地方、さらには三重県と接続しているため、経済や文化の面でつながりが深い。

さらに、南信州地域では、静岡県・愛知県東三河地方とも隣接しているが、道路事情が悪いため、物流が発達していない。現在、三遠南信自動車道(飯田市 - 浜松市)を建設中であるが、全通するかは未定である。また、JR飯田線国道151号線で、新城市豊川市を経て豊橋市に出られる。

水系は、北信中信松本地域北アルプス地域)・東信(一部を除く)が日本海側水系に属するのに対して、南信中信木曽地域)・東信佐久市立科町南牧村の一部)は太平洋側水系に属している。

一般に、南信州地域木曽地域は名古屋志向が強く、その他の地域は東京志向が強い[14]。近世以前は中山道沿いという面で信濃国全体でまとまりがあったが、明治時代に東京が首都になり交通が整備されると、

  1. 北陸新幹線(旧信越本線)を経由して東京とのつながりが深い北信・長野・上田・佐久地域
  2. 中央本線を経由して東京とのつながりが深い北アルプス・松本・諏訪・上伊那地域
  3. 名古屋とのつながりの深い木曽・南信州地域

という3地域に区分できるようになった。

ただし長野新幹線開通により北アルプス地域の住民の多くはバスで長野駅まで行き新幹線利用に代わってきている。

歴史

原始

長野県域でも旧石器時代の遺跡がいくつか発掘されている。その中の野尻湖遺跡(立ヶ鼻遺跡)から人類が活躍していたことを示す槍状木器・骨器・剥片石器などの遺物が発見されている。この遺跡はナウマンゾウオオツノシカなどの大型哺乳動物を解体したと推定されている。時期は約2万5000年前から3万年前のものである。全国で発見されているの約4分の1にあたる239点を出土し、刃の部分を砥石で研磨したものが多く、世界でももっとも古い磨製石器と言われている[15]。そのほか、この時代の遺跡としては仲町(信濃町)・日向林B(信濃町)・石子原(飯田市)遺跡が発見されている。

2000年代の前半に竹佐中原(たけさなかはら)遺跡(飯田市)が発掘・調査されている。この遺跡の石器集中地点4か所から石器を含む800点あまりの旧石器時代の遺物が出土した。この石器包含層の自然科学分析(火山灰分析、植物珪酸体分析、炭素14年代測定、光ルミネッセンス年代測定など)が行われ「3万年より古く5万年より新しい」という結果が出た。今までは、日本列島に人々が居住し始めたのは後期旧石器時代の約3万年前以降であると考えられていたが、この遺跡の発掘調査で中期旧石器時代の終わりごろ(3万年前から5万年前)には本県に人々が生活を始めていたことが証明された[16]

2万年前以降では剥片石器を特徴とする石器群が県内各地から発見されるようになる。後期旧石器時代が終わるころには日本で最初の細石刃矢出川遺跡(南牧村)で見つかっている[17]

有史以前、県内には縄文時代遺跡が多数分布し、この時代の中心地のひとつであった。茅野市で発掘された土偶は2体が国宝とされている。また小県郡長和町和田峠は日本における黒曜石の代表的な産地であり、諏訪郡原村阿久遺跡は最古級の環状集石とされている。

続く弥生文化は、まず東海地方から長野県南西部へと伝わり、その後、日本海側の北陸地方から北部へと伝わったと考えられている。この2ルートでの波及が原因かは不明であるが、中野市柳沢遺跡からは、東日本では唯一となる一緒に埋納された銅鐸銅戈が出土している(銅鐸と銅戈が一緒に出土したのは日本全国でも数例しかなく、また大阪湾型と九州型の銅戈が混在していることもきわめて稀なケース)。

律令時代から江戸時代

明治維新後

府藩県三治制
廃藩置県

近現代

人口

Demography20000.svg
長野県と全国の年齢別人口分布(2005年)長野県の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 長野県
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

長野県の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

都市

長野県内 市別人口ランキング
長野県内市別人口密度ランキング(2016年(平成28年)現在)
  1. 岡谷市(585人/平方キロメートル)
  2. 千曲市(502人/平方キロメートル)
  3. 諏訪市(453人/平方キロメートル)
  4. 長野市(450人/平方キロメートル)
  5. 小諸市(434人/平方キロメートル)

政治

県政

県知事・県庁

執行機関
  • 知事阿部守一
  • 副知事:太田寛、関昇一郎
    • 知事部局 - 危機管理部、企画部、総務部、健康福祉部(部内局に病院事業局)、環境部、商工労働部、観光部、農政部、林務部、建設部、会計局
  • 公営企業管理者
  • 行政委員会
  • 出先機関支庁
    • 佐久地域振興局=小諸市・佐久市・南佐久郡・北佐久郡
    • 上田地域振興局=上田市・東御市・小県郡
    • 諏訪地域振興局=岡谷市・諏訪市・茅野市・諏訪郡
    • 上伊那地域振興局=伊那市・駒ヶ根市・上伊那郡
    • 南信州地域振興局=飯田市・下伊那郡
    • 木曽地域振興局=木曽郡
    • 松本地域振興局=松本市・塩尻市・安曇野市・東筑摩郡
    • 北アルプス地域振興局=大町市・北安曇郡
    • 長野地域振興局=長野市・須坂市・千曲市・上水内郡・上高井郡・埴科郡
    • 北信地域振興局=中野市・飯山市・下高井郡・下水内郡

県議会

議決機関

外郭団体

などの計43団体に県が出資または出捐している(2009年〈平成21年〉4月現在)。

財政

2007年度(平成19年度)
  • 財政力指数 0.46
    • IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)11自治体中1位
2006年度(平成18年度)
出典:総務省平成18年度地方公共団体の主要財政指標一覧
県内の地方交付税不交付団体
2005年度(平成17年度)
  • 財政力指数 0.40
    • IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)14自治体中1位
2004年度(平成16年度)
  • 財政力指数 0.40
    • IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)13自治体中1位

2000年代以降の長野県に関する話題

田中康夫県政関連
  • 脱・記者クラブ宣言
    2001年(平成13年)5月15日、当時の知事・田中康夫が県庁にある記者クラブが独占的に利用する記者室を廃止して、誰でも利用できるプレスセンターを設置すると発表し、2001年(平成13年)7月2日に「仮設 表現道場」を設置、波紋を広げた。
    その後、2002年(平成14年)4月1日に「表現センター」と改称、県庁5階北側に設置されたが、2006年(平成18年)に廃止した。
  • 脱ダム宣言
  • 長野県原産地呼称管理制度制度の概要
    詳細については内部リンクを参照
  • 改名構想
    知事時代の田中が「長野県」から「信州県」へと改名するとした構想。特に観光面で「信州」呼ばれることが多いことから、観光産業への効果などが謳われた。これには依然として長野市と松本市との対立意識が残ることがその根底にある。当初新聞紙上には載ったが、実際の動きがあったかは不明のまま立ち消えとなる。
  • 山口村越県合併問題
    山口村(現・岐阜県中津川市山口地区)の越県合併を合併告示当初より反対であった。合併協議会の賛成を得ても反対し続け、「山口村は長野に残るべき」と述べた。結果的には合併を承認し、越境合併は実現したが、田中自身は最後まで反対の意思を曲げることはなかった。
    山口村越県合併問題で、山口村村民、村役場、村議会、県議会と対立したことで、「反・田中派」の追い風に乗り、後任の知事である村井県政が始まるきっかけのひとつになった。

田中県政については独善・独裁的という見方もある一方で、それまでの長野県政の悪弊(たとえば、県議会の多数を占める自民党が、少数会派の意見を無視して乱開発などを進めていく手法)を打破したという点では評価する向きもあり、賛否は分かれる。

村井仁県政関連
  • 「田中県政完全清算」宣言
    2006年(平成18年)の知事選で田中を破った村井仁は、田中の政治姿勢を「独裁者だ」と選挙中から痛烈に批判し続け[注釈 4]、当選後には田中の全政策を完全否定・完全清算することを宣言した。村井が明言していたものは、田中が「開かれた県政を目指す」として県庁1階に移したガラス張り知事室の廃止・脱ダム宣言の取り消しであった。
  • 「脱ダム委員」追放
  • 冬季五輪使途不明金疑惑の調査委員会の解散
    1998年(平成10年)に行われた冬季五輪の使途不明金調査委員会を、「特定の個人、特定のグループの罪をあばくことは建設的でない」という理由で解散させる。調査委員会は今後、財政悪化の原因や第三セクター鉄道に関する調査を行う予定であり、存在している可能性のある行政の癒着の発見を妨げることとなった。田中によって開かれた県政が閉ざされつつあることが浮き彫りになった一件である。
  • リニア中央新幹線ルート策定問題
    南アルプスを貫く「Cルート」の採用が有力視される中、「大きな県だから、(リニアの県内駅は)2つでも3つでもいいのではないか。Bルートの北の所に駅がなければ意味がない」と述べ、「我田引鉄を彷彿とさせる」との議論を呼んだ。その後、飯田下伊那地方でCルート実現を求める声が高まってきたことなどを受け、2010年(平成22年)5月には初めてBルート採用を明記しない決議を採択した。この問題は2011年5月13日、後任の阿部知事が「南アルプスルートを採択することが適当」と表明したことをもって一応の決着となった。

村井県政は田中県政と比較して、「閉ざされた県政」「県政の後戻り」などと批判される一方で、議会や県職員との対立を避ける姿勢(全国のほとんどの都道府県知事がこうしている(いわゆる「オール与党」体制))を評価する向きもあり、田中県政同様に賛否は分かれている。

阿部守一県政関連
  • 信州型事業仕分け
    現知事の阿部が2009年(平成21年)内閣府行政刷新会議事務局次長として事業仕分けにかかわった経験を基に、県事業の効率化や国・市町村などとの役割分担を公開された場において議論する「信州型事業仕分け」を2011年(平成23年)1月15日から16日の2日間にわたって実施した。これは県知事選挙での政権公約でもあった。取り扱われた計29件の事業のうち、インターネットを活用した生涯学習情報提供システム事業、信州「食」の魅力向上事業の一部、交通安全啓発活動事業、総合型地域スポーツクラブ育成支援事業の4件が「不要」と判定され、残す25件のうち全体の約7割となる21件が「要改善」と判定された[21]
  • リニア中央新幹線建設工事に伴う諸問題
    リニア中央新幹線の工事にともない発生する795万立方メートルの残土のうち350万立方メートルの活用先が2019年9月時点で決定しておらず、阿部知事は期限を設けず情報提供を受け付けている。また活用先が決まるまでの仮置き場も現時点では不十分であり、候補地を受け入れるなどしている。リニア中央新幹線の工事や、残土置き場の設置の工事などでの重機などによる騒音の苦情が発生しており、対応にあたっている。
    静岡県工区で発生した大井川水系の大規模流水の発生については阿部知事も心痛しており、JR東海に水資源の保全を要望するなどしている。一方で川勝平太静岡県知事が工事着工に反対していることに関しては、阿部知事は「住民に我慢を強いている。なんとしても2027年までの開通をしてもらいたい」と静岡県知事を諌める立場をとっている。

国政

経済・産業

  • 長野県は就業率が高く、(全)就業率(61.3%)と高齢者就業率(29.9%)がともに全国一であり、女性就業率(51.1%)も全国第2位である[22]
  • 2010年度時点の県内総生産は名目で8兆240億円。
  • 所得格差は全国を100とした場合、長野県は85.5。市町村では軽井沢町の103.4が唯一全国水準を上回っている[8]

産業

本社を置く企業についてはCategory:長野県の企業を参照。

産業別生産

第1次産業

  • 農業産出額(2018年)[26]
    1. 松本市 211.9億円
    2. 長野市 165.3億円
    3. 川上村 162.5億円
    4. 中野市 130.4億円
    5. 塩尻市 116.7億円
    6. 安曇野市 112.6億円
    7. 佐久市 113.1億円
    8. 南牧村 103.7億円
    9. 上田市 87.8億円
    10. 須坂市 86.6億円

第2次産業

  • 工業製造品出荷額(2018年)[27]
    1. 塩尻市 7374億円
    2. 長野市 5884億円
    3. 松本市 5810億円
    4. 上田市 5572億円
    5. 安曇野市 5103億円
    6. 飯田市 2290億円
    7. 茅野市 2283億円
    8. 佐久市 2218億円
    9. 千曲市 2152億円
    10. 伊那市 1913億円

第3次産業

  • 年間商品販売額(卸売業・小売業、2015年)[28]
    1. 長野市 1兆6850億円
    2. 松本市 1兆0618億円
    3. 上田市 4448億円
    4. 飯田市 2460億円
    5. 佐久市 1943億円
    6. 安曇野市 1786億円
    7. 諏訪市 1779億円
    8. 塩尻市 1533億円
    9. 伊那市 1205億円 
    10. 岡谷市 1111億円

上場企業

1部上場

2部上場

JASDAQ上場

生活・交通

警察

消防

現在、13の消防本部がある。

電力

中部電力をはじめ、東京電力リニューアブルパワー東北電力関西電力電源開発などの水力発電所がある。

県企業局による発電事業として14の発電所があり、伊那市に南信発電管理事務所、長野市に北信発電管理事務所が設置されている。

送配電は長野県の全域が中部電力パワーグリッド(本社は名古屋市)の送配電区域である。60Hzの電源周波数の区域が大半を占めるものの、小諸市高峰高原大町市の一部、小谷村の一部、松本市奈川松本市安曇の一部、安曇野市穂高中房温泉飯山市の一部、栄村の一部などでは50Hzとの混在区域がある。

ガス

長野県内の都市ガス事業はこれまで長野県営によるものと、東京ガスによるものが規模の大きなものとされてきたが、2006年(平成18年)に長野県営のガス事業(長野県企業局)が民営化され、新たに設立された長野都市ガスに事業が移管された。その後、2006年(平成18年)7月1日をもって、東京ガスが長野県内で行っていた事業(同社長野支社の業務も含む)がすべて長野都市ガスに統合された。長野都市ガスは東京ガスグループに属している。

上記も含め、長野県内の主な都市ガス供給業者は下記の通り。

  • 長野都市ガス - 本社:長野市、供給エリア:中野市、須坂市、長野市、千曲市、上田市、東御市、小諸市、佐久市、山ノ内町、小布施町、御代田町
  • 上田ガス - 本社:上田市、供給エリア:上田市、東御市
  • エナキス - 本社:上田市、供給エリア:塩尻市
  • 大町ガス - 本社:大町市、供給エリア:大町市
  • 松本ガス - 本社:松本市、供給エリア:松本市
  • 諏訪ガス - 本社:諏訪市、供給エリア:諏訪市、茅野市、岡谷市、下諏訪町
  • 信州ガス - 本社:飯田市、供給エリア:飯田市

上水道

  • 長野県営水道(企業局)
    • 上水道事業
      • 長野市(篠ノ井、川中島、更北、信更地区の一部)、上田市(塩田、川西地区の一部)、千曲市(桑原、八幡地区を除く)、坂城町
    • 水道用水供給事業
      • 松本市、塩尻市、山形村

それ以外の水道事業は各市町村の当該部課や、水道局(地方公営企業)および水道企業団(一部事務組合)などが供給している。

交通

長野県は古くから、中山道北国街道甲州街道など、国内を東西南北を結ぶ交通の交差点に位置し、その流れから現在においても主要幹線交通が交わる。

また、広く山国の長野県において、県内各地を結ぶ交通網は重要な機能を担っている。関東地方近畿地方からの距離があり、広大な面積を持つ県であるため、全国で唯一JR本州3社すべての管轄路線が存在している。特に伊那谷木曽郡は、首都圏東京鎌倉)と畿内大阪京都奈良)から等距離に位置している。

1990年代前半の高速道路中央自動車道長野自動車道上信越自動車道)や新幹線(北陸新幹線)が開通する前まで、地理的事情などによる他県や首都圏・中京圏などへのアクセスのしづらさから「陸の孤島」と呼ばれていた[29]

自動車登録番号標

諏訪ナンバーは、地元での支持率が低かった(導入に関する全戸アンケートの回収率は20パーセント前後)にもかかわらず広域行政主体で導入したためか、全国の18のご当地ナンバーの中で、普及率は15位、交付台数は17位。行政としては、車両入れ替えによる、自然切替での普及を期待している。この他、伊那谷に「伊那」ナンバーあるいは「南信州」ナンバーの導入を、東信地方に「軽井沢」ナンバーあるいは「佐久」ナンバーの導入を、国土交通省に求める動きがある[30]

なお、上田市松川町喬木村は、市町村内において独自のデザインナンバープレートを採用している。

鉄道

長野県は、旧国鉄の線路がJR本州3社に分割された唯一の都道府県である。おもに東日本旅客鉄道(JR東日本)が北信・東信・中信(木曽地域と北アルプス地域北部を除く)地方および諏訪地域を、東海旅客鉄道(JR東海)が南信(諏訪地域を除く)、木曽地方を管轄している。また、西日本旅客鉄道(JR西日本)は南小谷駅以北の大糸線非電化区間を管轄している。普通列車の本数は長野・松本両市のごくごく近郊の区間[注釈 5] および東信地域[注釈 6] を除いて毎時1本以下である。

東日本旅客鉄道
東海旅客鉄道
西日本旅客鉄道

道路

高規格幹線道路
地域高規格道路
一般国道
主要地方道一般県道

空港

内陸県で唯一、空港を有する。

医療・福祉

三次救急指定医療機関
地方独立行政法人の県立病院(運営主体は「長野県立病院機構」)
地方独立行政法人ではない県立病院
災害拠点病院
保育所

教育

長野県は以前は教育に熱心で「教育県」と呼ばれていたが、日本の教育システムが偏差値重視教育へシフトするにつれ、次第に長野県の「教育県」イメージは薄れていった。

2002年(平成14年)度より田中県政下において、公立小学校の30人規模学級が進められ、2005年(平成17年)度には、小学校1 - 4年生の4学年にまたがる完全30人学級が、全額県の費用負担により全国で初めて実現した。また小学校5、6年生に関しては、市町村と共同で行われている。

長期休みに関しては、長野県の気候の関係による「寒中休み」も一部の学校で実施されているが、冬休み夏休みなどの長期休業が短いため、ほかの都道府県よりも年間休日数が少なく、その分登校日が多くなっている。

長野県の県立高校の正式名称は、高等学校設置条例(昭和39年12月28日長野県条例第64号)第2条により「長野県○○高等学校」となっており、「長野県○○高等学校」といった「県立」の名称は用いない。これは北海道宮城県と同様である。1920年に旧制の県立学校の名称から「立」の字を削除するとした「県令第38号」が出された時に遡及するものであり[32]、長野県の場合、学制改革当時は組合立や町村立の高校であっても県立と区別せず、「長野県○○高等学校」を名乗っていた例があり、市町村立や組合立の高校が順次県立に移管されていった経緯がある。

四年制大学進学者のうち、県内大学への進学率は1987年には8.0%(全国ワースト2)[33] であったが、1990年代以降、四年制大学の開学が相次ぎ、2013年には16.4%(全国ワースト5)[34] まで改善している。

備考・その他

教育機関

大学

国立大学

公立大学

私立大学

短期大学
高等専門学校
専修学校
特別支援学校
高等学校
中学校
小学校
幼稚園

マスメディア

新聞

日本新聞協会によれば、2007年上半期の購読部数は信濃毎日新聞(約48万)、読売新聞(約6.9万)、朝日新聞(約6.1万)、中日新聞(約4.8万)、日本経済新聞(約3.4万)の順であった。

全国紙
ブロック紙
地方紙
  • 信州市民新聞グループ
    • 岡谷市民新聞
    • 下諏訪市民新聞
    • 諏訪市民新聞
    • 茅野市民新聞
    • たつの新聞
    • みのわ新聞
    • 南みのわ新聞
  • 南信州新聞
  • 更埴新聞
  • 大糸タイムス
  • 長野県商工新聞
  • 新建新聞
  • 医療タイムス
  • 北信タイムス
  • 北信ローカル
  • 北信濃新聞
  • 須坂新聞
  • 諏訪毎夕新聞(2004年休刊)
  • 湖国新聞(2005年休刊)
  • 伊那毎日新聞(2008年休刊)

ラジオ放送

AMラジオ
FMラジオ
コミュニティFM
北信
東信
中信
南信

テレビジョン放送

長野県で民放テレビの4局目が開局したのは1991年である。190万人以上の人口を抱えていた22都道府県で[いつ?]、民放テレビ4局目が開局したのは長野県が最後だった。それ以降もテレビ東京TXN系列局は存在しないが、ケーブルテレビによる区域外再放送で在京キー局のテレビ東京(木曽地域・下伊那地域ではテレビ愛知)が視聴可能である。なお、長野県内のすべての民放局で終夜放送は災害・特番を除いて一切行われていない。

長野県の地上波テレビ・FMラジオの県域放送親局及びSBCラジオのFM補完中継局のメイン送信所は、いずれも美ヶ原に設けられている。

地上波
NHK長野放送局(長野市) - NHK松本支局(松本市)
NHK放送センター首都圏)管轄局。中部地方ではあるが名古屋拠点放送局の管轄ではない。
  • 4 テレビ信州(TSB)(長野市 ※2007年9月までは本社・松本市、放送センター・長野市)
日本テレビNNN/NNS系列。
テレビ朝日ANN系列。
TBSJNN系列。
民間放送教育協会加盟局。
フジテレビFNN/FNS系列。
ケーブルテレビ

長野県内のケーブルテレビ局の数は、日本の都道府県の平均よりも多く、加入者も県内全世帯の半数を超え[38]、局数も20局以上存在する。これは県内に山地が多く、難視聴地域も多数存在していたために発達したと考えられる。

しかし、ケーブルテレビが発達して間もない時期は、局数が少なかった。そのために、難視聴地域解消という目的以外にも、県内外の情報格差是正を目的に県内主要ケーブルテレビ各局は、長野県域民放局の再送信に加え、在京民放キー局(下伊那地域の一部では在名民放基幹局)の再送信(いわゆる区域外再放送)を実施した。この区域外再放送は、県内に民放が4局開局して情報格差が是正されてからも長く続いたが、2011年地上デジタル放送完全移行により、基本的にデジタル放送では、区域外再放送を中止する方針が出されたことを受け、テレビ東京分を除き2014年7月24日を以って廃止された。

文化・スポーツ

方言

食文化

郷土料理

伝統工芸

経済産業大臣指定伝統的工芸品
伝統工芸品

伝統芸能

スポーツ

サッカー
野球
バスケットボール
バレーボール
フットサル
カーリング
アイスホッケー
  • (長野市)
バドミントン
ボクシング
  • (松本市)
空手
綱引
マラソン駅伝大会
ゴルフ
スピードスケート
ロードレース
プロレス
障害者スポーツ

公営競技

長野県は沖縄県と同様に、公営競技場および投票券場外発売場が1つもない県である。そのため、テレビなどではローカルで「レースガイド」が放送されることは滅多にない(しかし、NBSにおいてフジテレビ系列日曜午後の競馬番組みんなのKEIBA)・フジテレビ系列日曜未明の競馬番組うまズキッ!)の中央競馬関連番組はネットしている)。また隣県の競馬競輪競艇場などのローカルCMが県内民放各局で流れる。

県民性

信州人は一般的に自負心が強いが、悪く言えば排他的で、偏屈質を多分に持ち合わせている。また真面目で誠実、独創性に富んだ人が多く、理屈好きであるとされる[39]

地域によって異なる気質

信州は南北に長く広大であるため、北に行くほど根性があるなど、地域によって気質に差がみられる[39]

北信

誠実で忍耐強いが、社交下手で引っ込み思案が多く、自己顕示欲が少ない。また、理屈で相手を屈伏させるようなことも少ない。内向的で、閉鎖性のため心底を見せることはないが、責任感は非常に強い[39]

東信

県下でもっとも理屈っぽく、筋を通すまでは絶対論争をやめない。喜怒哀楽を面に出す熱血漢が多く、おおむね社交下手で、人を傷つけることはしない。信州では唯一団結できる気質を持っている[39]

中信

  • 松本・安曇地域

荒っぽくて妥協心が薄く、短気で喧嘩っ早い。感情家で、理屈は筋を通すことを徹底している。排他的で、他人を傷つけることもお構いなしな部分があるが、感受性が強く、ものに対する粘りに欠ける[39]

  • 木曽地域

誠実で、人を疑うことを知らず、互いに傷つけ合うこともない。忍耐力が強く、古い伝習をよく守っている[39]

南信

おおむね穏健で、進歩的である。対人感情にはムラがあり、一度や二度で信頼感情を示すことは少なく、安易な妥協は許さない。また、心の琴線にそぐわないことには、まるでそっぽを向いてしまうことが多い[39]

  • 諏訪地域

理性的・科学的な面が強く、合理的である。また責任感が強い[40]。一度決めたら、あえて険しい道でも我が道を行く[41]

  • 飯田・伊那地域

人がよく非常に暖かいが、物事を徹底的にやりきるという厳しさに欠ける[40]。県の各地域からは「おっとりしている」といった印象を持たれている[42]

観光

有形文化財建造物

国宝
重要伝統的建造物群保存地区
国指定の名勝

主な観光地

対外関係

姉妹・友好提携

長野県を舞台とした作品

長野県出身の人物

長野県県民栄誉賞受賞者

長野県県民栄誉賞は、2015年(平成27年)に創設された賞で、県表彰規則では「個人又は団体で、広く県民に敬愛され、県の名を高めるとともに、県民に明るい希望を与えることに特に顕著な功績があったもの」を対象にしている[43]

受賞者氏名分野授与年月日功績出典
小澤征爾指揮者2015年9月28日セイジ・オザワ 松本フェスティバルでの功績[44]
小平奈緒スピードスケート選手2018年3月27日2018年平昌オリンピックスピードスケート女子500m金メダル[45]
菊池彩花スピードスケート選手2018年3月27日2018年平昌オリンピックスピードスケートの女子団体パシュート金メダル[45]
髙木菜那スピードスケート選手2018年3月27日2018年平昌オリンピックスピードスケートの女子団体パシュートマススタートで金メダル[45]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 2位は埼玉県、岐阜県、兵庫県の7都府県。ただし兵庫県は海上区間を含む。
  2. ^ 旧梓山林道。埼玉県側は秩父市道大滝幹線17号線であり、旧中津川林道として知られる。未舗装、また冬季や夜間は閉鎖されている。
  3. ^ ただし東北信が東日本と、中南信が西日本と共通している場合などもある(市川健夫 2004年 信州学大全)など県内が一様ではない。
  4. ^ 立候補当初は「自分は田中氏の改革姿勢を評価していた」とした上で、「反田中ではなく、田中氏をえる『超田中』」をキャッチフレーズにしていた。
  5. ^ 篠ノ井駅 - 長野駅 - 豊野駅、塩尻駅 - 松本駅間で毎時2 - 3本程度。
  6. ^ 小諸駅 - 長野駅で毎時2本程度。
  7. ^ 淫行処罰規定と夜間における児童の外出制限についてはの後2016年11月1日に施行された。
  8. ^ 栄村除く。

出典

  1. ^ 長野県庁(画面左下に標高表示) - 国土地理院地図
  2. ^ 長野県ホームページ
  3. ^ 長野県『長野県史 通史編 第一巻』、1989年、287頁。
  4. ^ 長野県の「健康寿命」 男女とも全国1位に」『朝日新聞』、2020年8月8日。2021年2月16日閲覧。
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参考文献

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  • 八幡和郎 『47都道府県うんちく事典』 PHP研究所、2009年。ISBN 978-4-569-67178-9 

関連項目

外部リンク

行政
観光
先代:
伊那県の一部(信濃国北部)
龍岡藩の一部(信濃国)
岩村田県小諸県上田県
松代県須坂県飯山県
筑摩県の一部(信濃国)
行政区の変遷
1870年 - (中野県→長野県)
次代:
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御嶽山

御嶽山[6](おんたけさん)は、長野県木曽郡木曽町王滝村岐阜県下呂市高山市にまたがり、東日本火山帯の西端に位置する標高3,067 mの複合成層火山である[5][7]。大きな裾野を広げる独立峰である[8][9]

2014年9月27日に7年ぶりに噴火。山頂付近にいた登山客が巻き込まれ、1991年雲仙普賢岳の火砕流による犠牲者数を上回る事態となった[10][11]

概要

木曽御嶽山御嶽、王嶽[7]、王御嶽[12]とも称する。また嶽の字体新字体で表記し御岳山や、単に御岳[8]と表記されることもある。標高3,000mを超える山としては、日本国内で最も西に位置する。日本には同名の山(御嶽山・御岳山)が多数あり、その最高峰である[注釈 1]。山頂には一等三角点(3,063.61 m、点名「御岳山」)[13]御嶽神社奥社がある。

古くから山岳信仰の対象のとして信者の畏敬を集めてきた巨峰で、いくつものを連ねてそびえる活火山である。民謡の『木曽節』では「木曽の御嶽夏でも寒いやりたや足袋添えて」、『伊那節』では「わしが心と御嶽山の胸の氷は 胸の氷はいつとける」と歌われており、神聖な信仰の山であるとともに木曽を代表する山として親しまれている[14]東海地方特に尾張地方ではほとんどの場所からその大きな山容を望めることから、「木曽のおんたけさん」として郷土富士のように親しまれている山である[15]日本百名山[8]新日本百名山[16]花の百名山[17]ぎふ百山[18]のひとつに選定されている。旧開田村を代表する山として飛騨頂上、旧三岳村を代表する山として剣ヶ峰が「信州ふるさと120山」の一つに選定されている[19]1927年(昭和2年)に、大阪毎日新聞社東京日日新聞社などにより日本二十五勝の一つに選定されている。

国立公園に指定されている飛騨山脈赤石山脈国定公園に指定されている木曽山脈とは異なり、国定公園にさえも指定されていない。長野県の御岳県立公園[20]および岐阜県の御嶽山県立自然公園[21]には指定されているものの、国立・国定公園に指定されなかったのは、木曽ヒノキを主とする林業の盛んな地域であるという事情がある。山腹は深い森で覆われ多くのがあり、木曽川水系の源流部の山であり、その下流部である中京圏の水がめとなっている。

以前は死火山休火山であると思われていた山であるが、1979年昭和54年)10月28日に突如噴火した[9]気象庁2008年平成20年)3月31日に噴火警戒レベル1(平常)と噴火予報を発表した[22]2014年(平成26年)9月27日に噴火、南側斜面を火砕流が流れ下り、噴火警戒レベルが3(入山規制)に引き上げられた[23]。これに伴い、火口から概ね4kmの範囲が立入禁止区域に指定された。 2015年6月、火山性地震は続くものの2014年10月中旬以降噴火が観測されていないため、噴火警戒レベルが2(火口周辺規制)に引下げられた[24]。これに伴い、立入禁止区域は火口から概ね1kmの範囲に変更された。 2017年8月、噴煙活動や山頂直下付近の地震活動は緩やかな低下が続いており、2014年10月中旬以降噴火の発生がないため、噴火警戒レベルが1(活火山であることに留意)に引下げられた[4]。ただし現在も、火口から概ね1kmの範囲は立入禁止区域である。

「岐阜県北アルプス地区及び活火山地区における山岳遭難の防止に関する条例[25]」により、御嶽山の火口域から4km以内の地域[26]に立ち入る場合に登山届の提出が義務づけられている。

長野県では「長野県登山安全条例[27]」により、指定登山道[28]を通行しようとするときはあらかじめ登山計画書を届出[29]なければならない。

また山頂付近には噴火に備えて、登山者向けの屋外スピーカー避難シェルターが設置されている[30]

山名の由来

遠く三重県からも望め「王御嶽」(おんみたけ)とも呼ばれていた[31]。古くは坐す神を王嶽蔵王権現とされ[32]修験者がこの山に対する尊称として「王の御嶽」(おうのみたけ)称して、「王嶽」(おうたけ)となった[7][33][34][注釈 2]。その後「御嶽」に変わったとされている[35]修験者の総本山の金峯山は「金の御嶽」(かねのみたけ)と尊称され、その流れをくむ甲斐の御嶽武蔵の御嶽などの「みたけ」と称される山と異なり「おんたけ」と称される[36][37]。日本全国で多数の山の中で、「山は富士、嶽は御嶽」と呼ばれるようになった[34][38]

火山・地勢

御嶽山は日本の山の標高順で14位の山であり、火山としては富士山に次いで2番目に標高が高い山である[注釈 3]。剣ヶ峰を主峰にして、摩利支天山(2,959.2 m)、継子岳(2,858.9 m)、継母岳(2,867 m) などの外輪山があり、南北約3.5 kmの山頂部による台形の山容である。北端の継子岳は比較的新しい山体の成層火山で、北側山麓から見ると、他の峰が隠れて見えないためきれいな円錐形をしており、郷土富士として「日和田富士」とも呼ばれている[39]。なお、長野県側に寄生火山として三笠山(2,256 m)、小三笠山(2,029 m)がある。最高点の剣ヶ峰は長野県に位置し、王滝口登山道の外輪山との合流部が「王滝頂上」(標高点2,936 m)[40]、小坂口との合流部が「飛騨頂上」(標高2,811 m)である。火山灰の堆積した裾野は広く、長野県側の麓の傾斜地では濃い色の火山灰が耕地を覆っていて、高地の開田高原蕎麦の産地として知られている[7]。岐阜県側の地形は長野県側と比較して複雑で、平坦地が少なく、尾根筋が屈曲している[7]。2007年(平成19年)5月10日に、日本の地質百選選定委員会により「日本の地質百選」の第1期選定(全国83箇所)の一つに選定された[41]

山容山名標高
(m)[1][13][注釈 4]
三角点等級
基準点名[13]
剣ヶ峰からの
方角と距離(km)
所在地
摩利支天山から望む継子岳、手前に五ノ池と五の池小屋、遠景の左側は乗鞍岳(2013年7月9日)継子岳2,859.14三等
「継子岳」
16 cardinal points N.png北 2.7高山市
木曽町
南側から望む摩利支天山と賽ノ河原(2014年9月6日)摩利支天山2,959.45三等
「御岳」
16 cardinal points NNW.png北北西 1.4下呂市
木曽町
王滝頂上から望む剣ヶ峰、山頂部に王滝御嶽神社頂上奥宮本宮と山小屋(2010年8月27日)剣ヶ峰
(最高点)
3,067(一等)
「御岳山」
(3,063.61m)
16 cardinal points O.png 0木曽町
王滝村
東方から望む継母岳(2013年7月9日)継母岳2,867 16 cardinal points W.png西 1.4下呂市
王滝村
三笠山、登山口の田ノ原には駐車場と田ノ原山荘、遠景は牧尾ダムの御岳湖(2011年9月18日)三笠山2,256.1三等
「三笠山」
16 cardinal points SE.png南東 3.2王滝村

火山活動

御嶽山は東日本火山帯の西端(旧区分による乗鞍火山帯の最南部)に位置し、古生層と中生代の濃飛流紋岩類を基盤(基底部は17 km四方の広さ)とし、基盤からの高さが1,400-1,900 mのカンラン石、複輝石、安山岩などで構成される成層火山である[5][9][42]。各方向に溶岩流を流れ出しているが、西に流れた摩利支天山第6溶岩流は、最も延長が長く約17kmに及ぶ。末端には安山岩の大岩壁巌立がある[43]。一ノ池を中心として、摩利支天山、継母岳、王滝頂上を結ぶ外輪山の内側がカルデラであると推測され、カルデラ形成前の姿は、富士山に匹敵する高さの成層火山であったと推測される。大爆発によって崩壊した土砂は土石流となって川を流れ下った岐阜県各務原市付近の各務原台地には御嶽山の土砂が堆積しており、水流によってできた火山灰堆積物地層となっている。この大爆発によって剣ヶ峰、摩利支天山、継母岳の峰々が形成された複成火山であり、その山容はアフリカキリマンジャロ山に似ている[44][45]

1970年代以前の認識では、最後のマグマ噴火は約2万年前で以降は水蒸気爆発と考えられていたが、2006年(平成18年)に行われた岐阜県の調査および2008年(平成20年)に行われた国土交通省多治見砂防国道事務所や産業技術総合研究所(産総研)の調査によれば、約5200年前の火砕流を伴う噴火を含め、2万年間に4回(約1万年前以降、約1万年前、約9000年前、約5200年前、約5000年前)のマグマ噴火を起こしている[42][46][47]。『信濃毎日新聞』の2007年(平成19年)4月30日の紙面に掲載された記事によると、岐阜県の調査によって、剣が峰北西6キロの下呂市小坂町内において、約5200 - 6000年前の火砕流が堆積してできた地層が発見され、五ノ池火口からの噴出物と考えられる火砕流の痕跡が確認された。最近の2万年以降の活動は水蒸気爆発と限定していた岐阜県・長野県それぞれにおいて、火砕流も想定しての、ハザードマップなど防災に関する見直しが行われた。

1979年以降は断続的(1991年、2007年)に小規模な噴気活動が続いている[48][49]。2014年現在、気象庁により「火山防災のために監視・観測体制の充実等が必要な火山」に指定されていて[50]、山頂周辺には火山活動の観測のための地震計、空振計、傾斜計、火山ガス検知器、GPS観測装置、監視カメラなどの観測機器が設置されている[51][52]。2001年から名古屋大学大学院環境学研究科が、「岐阜・長野両県における火山噴火警戒避難対策事業」として噴火の前兆現象を観測する地震計による御岳火山災害観測を行っている[53]。1979年の水蒸気爆発の6ヶ月前に三ノ池が白濁して池の中から泡が噴き出す音が発生した現象と、6時間前の火口直下での地震は、その前兆現象であったと見られている[54]2011年(平成23年)7月27日に「御嶽山火山噴火緊急減災対策砂防計画検討会」が開催され、御嶽山火山噴火緊急減災対策砂防計画が策定された[46]。王滝頂上直下西面(八丁ダルミ付近)と地獄谷の噴気孔から硫化水素などの火山ガスを噴出し続けていて[55]、噴気孔から発生する火山ガスの轟音が聴こえることがある。

活火山の定義を見直すきっかけとなった有史以来の水蒸気爆発

1979年(昭和54年)の水蒸気爆発以前において、御嶽山は火山学者の多くと一般大衆から死火山と認識されていた。実際、当該爆発を伝える新聞見出しも「死火山大爆発」などと報道された[56]。このことから、この時点において御嶽山は死火山であるとの認識が一般的であった。ところがこれは不正確な認識が一般的となっていたことを示しているにすぎない。例えば19世紀前半の文献には実際に噴気活動の証拠を示す現象が記録されている[49]。また 気象庁も、1968年(昭和43年)刊行の『火山観測指針』において御嶽山を「御岳山」として63座の活火山の一つとして掲載しており、直前の1975年(昭和50年)刊行の『日本活火山要覧』の77活火山にも包含されていた[57]

1979年当時は、定常的な観測体制が整備されていなかったため明確な前兆現象が観測されず、また活動自体も山麓から噴気が観察できる規模ではないまま同年10月28日に水蒸気爆発を起こし、約1,000 mの高さにまで噴煙を噴出した[48][58]。同日5時頃に発生した噴火は14時に最大となり、その後衰退した。噴出物の総量は約二十数万トン。噴煙は北東方向に流れ、長野県軽井沢町や群馬県前橋市にまで降灰が観測された[9][55][58][59]

この噴火をきっかけとして、日本国内における火山の分類(死火山、休火山、活火山の定義)そのものが見直されるに至った[9][49]。現在では「活火山」以外の用語は使用されない[60]

火山史

御嶽火山の活動史は休止期を挟み古期と新期の2つの活動期[61][62]と新期以降から現在までの静穏期の3つに分けられる[9]。なお、各々の始まりと終わりの年代に関しては研究者により5万年程度の差違がある。また、最後のマグマ噴火は三ノ池を埋めた五ノ池のスコリア噴火と考えられているが噴火年代は不明である[63]

古期御嶽火山(78万年前以前から39万年前)

古期御嶽火山は現在と同じ位置に噴火口を有する中心火山により形成された、標高3,200-3,400 mほどの玄武岩安山岩デイサイトにより構成される複成火山[64]。古期御岳火山は、溶岩層の年代値と岩石学的特徴から、約78万年前以前から64万年前の降下テフラが卓越するステージと、約64万年前から39万年前の溶岩流が卓越するステージに大きく区分される[65]。降下テフラが卓越するステージは更に3つのサブステージに細分される[62]。また、溶岩層の年代値と分布から4つの火山体が推定されている[66]。広域テフラとして、湯川テフラ5と、上浦沢テフラがそれぞれ、上総層群中の白尾テフラ(約77万年前[67])と、笠森12テフラ(60-58万年前)に対比される[68][69]。このうち、白尾テフラは松山‐ブリュンヌ逆転の直下に存在し、地磁気逆転の年代を高精度で決定するのに役立ち[67]チバニアン という地質時代の命名に大きく貢献した。

  • 78万年前から65万年前 - 東部火山群
  • 68万年前から57万年前 - 土浦沢火山
    • 64万年前 - 東山腹に倉越溶岩を噴出した。周りの地層が浸食されて、堅い溶岩がレリーフ状に残り現在の倉越高原を形成。
  • 54万年前から52万年前 - 上俵山火山
  • 44万年前から42万年前 - 三笠山火山
    • 東山腹に安山岩質溶岩の三笠山溶岩を噴出。
休止期(約39万年前から10万年前)

約10万年前まで約30万年の活動休止期間が続く。山体は浸食を受けて深い谷と和村泥流を形成。

新期御嶽火山(約10万年前から2万年前)

活動域からは摩利支天火山群と西側の継母岳火山群に分類される[70][71]

  • 継母岳火山群 - 約9万年前の爆発的な噴火により、御嶽第1軽石層や塩尻軽石層、Pm-Iテフラを噴出し、広域テフラを関東地方まで降らせた[72]。この活動は、プリニー式噴火で古期御嶽火山の中央部に直径5-6kmのカルデラ形成する活動であり、流紋岩からデイサイトのシン谷溶岩層、湯ノ谷溶岩層、濁滝火砕流堆積物、三浦山溶岩層などを形成。総見かけ噴出量 50 km3(30 km3 DRE)。
  • 摩利支天火山群 - カルデラが形成された後の約8万年前から約2万年前の活動では摩利支天火山群の濁河火山、金剛堂火山、奥の院火山、草木谷火山、継子岳火山、およびほぼ南北方向に並ぶ小火山群として四ノ池火山、一ノ池火山、三ノ池火山などの火口から安山岩質の溶岩・火砕物などを噴出[73]。噴出量は四ノ池火口由来が最大で、一ノ池火口と二ノ池火口は山頂の小カルデラ内に形成された。また、現在の御嶽山の最高点の剣ヶ峰の火口丘と南北に並ぶ山頂群が形成された。
  • 約6万年前 - 摩利支天溶岩を噴出した。摩利支天第6溶岩が濁河川の支流の大俣川に沿って流下して形成された柱状節理である「巌立」(所在地が下呂市小坂町落合中サキ平)は、1957年(昭和32年)に岐阜県の天然記念物の指定を受けている[43]
  • 約5万年前 - 大規模な山体崩壊を起こし崩壊した土砂は東山麓の西野川から王滝川、木曽川流域を埋め約200km下流の愛知県犬山市にもその泥流の堆積物が残された。
約2万年前から現在までの静穏期

2000年代以前は、約2万年前からはマグマを噴出しない活動が主体で静穏な期間と考えられていたが、近年の研究では最近1万年間で4回のマグマ噴火と10数回の水蒸気爆発が起きたと考えられているほか、東山腹で山腹割れ目噴火も生じている[74]

  • 約1万年前 - カラ谷火砕流で1740万 m3軽石を中規模に降下した[46][75]
  • 約9,000年前 - 三ノ池溶岩で5億 m3の大規模な噴出をした[46][73]
  • 約6,000年前 - 五ノ池火口が形成された[75]
  • 約5,200年前 - 女人堂スコリアで140万 m3の小規模な噴出をした[46]
  • 約5,000年前 - 濁滝スコリアで35-75万 m3の小規模な噴出をした[46]
有史以降

『御嶽山 地質と噴火の記録』千村出版によれば、774年1892年に噴火活動があったとされているが、後の研究によりこの2回の噴火は発生していなかったことが明らかとなっている[49][76]。有史以降最も活発な活動は1979年に始まった。

  • 19世紀前半 小規模な噴気活動を示す記録が残る。
  • 1968年 気象庁「火山観測指針」 の63活火山に掲載。
  • 1975年 気象庁「日本活火山要覧」 の77活火山に掲載。
  • 1979年(昭和54年)
    地獄谷上部の標高2,700 m付近を西端とし東南東に並ぶ10個の火口群が形成され[9][48]、噴出量は18万トンから20数万トンほどの小規模な噴出量であった[46][77]。最大降灰深度は溫田原で 3cmと報じられた[78]。なお、噴出当初の火山灰は湿り気を帯び、カオリナイトモンモリロン石などを主成分とする 2 - 3mmkの粒状であった。また、モンモリロン石を含むことから山頂地表下の浅い場所に泥漿溜まりが存在し、その泥漿溜まりが深いところからの高温ガスによって熱せられ爆裂的に噴出したと考えられている[79][80]。約50名の登山者がいたが負傷1名[9]
    • 4月頃から三ノ池の水の白濁化[54]
    • 10月28日
      • 噴火の6時間前頃から、山頂直下の地震増加[54]
      • 5時頃 - 水蒸気爆発が起こり、王滝村役場の職員が頂上付近で高さ150 mの噴煙を確認した[9][58]
      • 5時15分頃 - 王滝頂上から山頂へ向かった登山者が硫黄臭に気付き、15分後に降灰を受けた[9]
      • 6時頃 - 王滝口7合目の登山口(田の原)で登山者、頂上付近で黒煙が上昇するのを目撃し、頂上にいた登山者はジェット機に似た音やかなりの煙に気付いた[9]
      • 9時頃 - 三岳村から白煙が1箇所から上昇しているのが確認され、田の原では白煙が茶色に変わるのが確認された。
      • 9時30分 - 飛行機から山頂の山小屋が黒い火山灰に覆われて、高さ1,000 mの噴煙が東北東に流れているのが確認された。
      • 11時 - 定期航空便が高さ1,800 mの噴煙と下部で灰色の火山灰が上がっているのを目撃し、三岳村では降灰のため暗くなった。
      • 12時 - 長野地方気象台、臨時火山情報第1号発表。
      • 12時30分頃 - キノコ雲状の噴煙が確認された。八合目付近まで噴石が飛ぶ。噴火口付近では、直径1 m程の岩が飛ぶのが確認された。噴煙は、4000mから5000mまで。
      • 15時頃 - 三岳村では降灰が盛ん。開田村では降灰により視界が10-20 m程となり、道路照明自動点灯。
      • 16時頃 - 開田村での降灰徐々に弱まる。
      • 17時頃 - 王滝村から多量の黒い煙が確認され、王滝頂上の山小屋の裏の方では白い噴煙が確認された。王滝口村では多量の降灰が続いていた。
      • 18:45 - 長野地方気象台、臨時火山情報第2号発表。
    • 10月29日 - 噴煙の量は減少して白色に変わり、火山灰の降灰も少なくなった[9][58]
    • 10月31日 - 噴煙には火山灰が含まれなくなった。
    • 11月4日 - 白色噴煙 100m、活動小康状態続く。
    • 12月2日 - 深夜から山頂付近で微小地震と鳴動を観測。微小地震は数日間続く。
    • 12月末 - 噴煙極めて少量。
  • 1984年 気象庁『日本活火山総覧』の77活火山に掲載。
  • 1991年(平成3年)5月中旬 - 79-7火口でごく小規模な噴火が起きて、10トン程度の火山灰を噴出した[48]。約1ヶ月前から火山性地震[81]。79火口群の一部の八丁ダルミ直下南と山頂直下南面の地獄谷の上部の噴気孔から噴気活動が続いている。粉体流(火砕流)が発生していたとする報告がある[77]
  • 2004年 微弱な地震と噴気活動[82]
  • 2007年(平成19年)3月16日頃[83] - 79-7火口でごく小規模な噴火が起きた[84][48]。約4ヶ月前から火山性地震と山体膨張、約2ヶ月前から低周波地震と火山性微動[54][85]
  • 2008年(平成20年)3月31日 - 気象庁は、噴火警戒レベルの導入に伴い、噴火予報(噴火警戒レベル1、平常)を発表した[22]
  • 2014年(平成26年)
    • 8月末より火山性地震を観測。
    • 9月27日 - 11時52分に噴火[86]

長野県西部地震による大規模崩壊

1984年(昭和59年)9月14日8時48分49秒に南山麓で発生した長野県西部地震(M6.8)により、御嶽山南斜面で大規模な山体崩壊が発生した[42]。地震によって崩壊した大量の土砂は木曽川水系の濁川上流部の支流伝上川をかけ下り8分間で王滝川にまで達した[42][70][87]。平均80-100 km/h、延長距離約3 kmで、「御岳崩れ」と呼ばれることがある[88]濁川温泉、住宅、営林署の建物を流失させ、15人が犠牲となった[42]

5つの火口湖

1929年(昭和4年)に京都大学地理学者田中阿歌麿湖沼の調査を行った[89][90]。御嶽山には、5つの火口湖があり、一ノ池から五ノ池の名前が付けられている。常に水をたたえているのは、エメラルド色の二ノ池と三ノ池である。二ノ池は日本で最も高いところ (2,905 m) にあるお盆形状の水深3.5 mの湖沼[91]、集水面積は湖面の数倍あり、ミクリガ池などの飛騨山脈の火口湖と比べて水位の日変化が40 cm程と大きいのが特徴である[44]。昼夜の気温差による雪解け量の差がその原因である。夏でも雪渓が残り、北西斜面の雪渓の雪解け水・天水・伏流水を集め、水位が極端に上昇した場合には、東端にあるニノ池小屋付近から北東に排水される。1979年の噴火活動の際に、ニノ池に大量の硫黄が流れ込み池の水は酸性度が強くなった。周辺の山小屋ではこの湖水をポンプで送水して宿泊者のためのお風呂の水に利用していた時期もある[92]。三ノ池は御嶽山で最大の池で[93]、湖盆の平均斜度14.4度、水深が13.3 m、8月初旬の平均水温が表面で9.7 °C低層で9.5 °Cである[44]。三ノ池畔には荒神と白龍王初春姫大神などの神々が祀られていて[94]、三ノ池の湖水は信者の御神水(ごしんすい)とされている[95][96]。王滝村御嶽神社里宮御神水とともに「信州の名水・秘水」の一つに選定されている[97]。四ノ池は高層湿原となっていて、小川が流れており、高山植物の群生地となっている。なお、二ノ池北西の斜面の下、賽の河原との間に小さな窪地があり、多雨期には水がたまる。これを六ノ池と呼ぶことがある。賽の河原の西端、シン谷へ落ち込むところに日本最高所の (2,800 m) がある。この谷は兵衛谷となり濁河川と合流して小坂川となって、飛騨川に注いでいる[注釈 5]。三ノ池のみにオンダケトビケラ(学名:Pseudostenophylax sp.)の幼虫が生息する[44]

画像名称標高
(m)
水深[44]
(m)
備考座標
西方から望む一ノ池と剣ヶ峰(2011年9月18日)一ノ池2,990 涸れていることが多い北緯35度53分42.9秒 東経137度28分42.4秒 / 北緯35.895250度 東経137.478444度 / 35.895250; 137.478444 (一ノ池)
山頂から望む二ノ池と畔にある二ノ池本館(2014年9月6日)二ノ池2,9053.5日本の最高所の湖沼
北東岸にニノ池小屋
北緯35度53分51.4秒 東経137度28分52.0秒 / 北緯35.897611度 東経137.481111度 / 35.897611; 137.481111 (ニノ池)
摩利支天山方面から望む三ノ池(2014年9月6日)三ノ池2,72013.3湖岸線の延長が705 m
湖盆平均斜度14.4度
北緯35度54分27.1秒 東経137度29分11.3秒 / 北緯35.907528度 東経137.486472度 / 35.907528; 137.486472 (三ノ池)
三ノ池方面から望む四ノ池と継子岳(2013年7月9日)四ノ池2,690 高層湿原から東にが流れる北緯35度54分41.8秒 東経137度29分14.8秒 / 北緯35.911611度 東経137.487444度 / 35.911611; 137.487444 (四ノ池)
摩利支天山から望む五ノ池と五の池小屋(2014年9月6日)五ノ池2,790 残雪期と降水後に水がある
池の北側に五の池小屋
北緯35度54分32.5秒 東経137度29分1.3秒 / 北緯35.909028度 東経137.483694度 / 35.909028; 137.483694 (五ノ池)

滝が非常に多い山

「御嶽山は滝の山である」と言われるほど、御嶽山を源とする河川には滝が多い[98]。地形が急峻で高低差が大きいこと、独立峰で山体が大きいこと、降水量が多いこと、豊かな森林を育んでいて水が涸れることがないことなどがその成因となっている。人が近づきにくいところにあるものが多いが、黒沢口から油木尾根の遊歩道沿いにある百間滝(西野川の支流の南俣川)、開田高原の尾ノ島滝、王滝口の滝・清滝、濁河温泉付近の仙人滝・緋の滝、日本の滝百選に選ばれた根尾の滝など、比較的簡単に目にすることができる滝もいくつかある。新滝と清滝は御嶽教の行場で、新滝には洞窟がありここに籠って断食を行い滝に打たれる行場となっている[94]。冬に新滝(落差約30 m)と清滝は氷柱となる[99]。黒沢口四合目の霊神場周辺には、日ノ出滝、明栄滝、大祓滝、松尾滝などがあり不動明王などの神霊が祀られた行場となっている[100]。下呂市小坂町には落差5 m以上の滝が200以上あり[54]、多数の小坂の滝めぐりコースが紹介されている[101]

御嶽山は飛騨山脈に含まれるのか

御嶽山は北アルプス(飛騨山脈)の延長線上にあり、北アルプスに含めるという説もあるが、北側の乗鞍岳との間には稜線らしき峰々はほとんどないため、一般的には御嶽山は飛騨山脈には含まれないというのが定説である(ただし、旧乗鞍火山帯には含まれる)。しかし、間を横切る河川は1本もないのも事実であり、明確な結論は出ていない。著名登山家でも意見は分かれている。なお、ガイドブック等で日本アルプスを3つに分けて紹介する場合、中央アルプスの山数が少ないので御嶽山を中央アルプスと合わせて掲載されるケースが多々ある[102]。このため、御嶽山を中央アルプスの山と思いこんでいる人も数多く存在するが、中央アルプスとの間には木曽川が流れており、明らかに中央アルプスには属さない。国土地理院の日本の主な山岳標高の一覧では、鎌ヶ峰までが「飛騨山脈南部」、御嶽山は「御嶽山とその周辺」とされている[1]。御嶽山と鎌ヶ峰との鞍部には長峰峠(標高約1,350 m)がある[6]

歴史・信仰

御嶽山は山岳信仰の山である。通常は富士山白山立山日本三霊山と言われているが、このうちの白山又は立山を御嶽山と入れ替えて三霊山とする説もある。日本の山岳信仰史において、富士山(富士講)と並び講社として庶民の信仰を集めた霊山である[103][104]教派神道の一つ御嶽教信仰の対象とされている。最高点の剣ヶ峰には大己貴尊えびす様を祀った御嶽神社奥社がある。鎌倉時代御嶽山一帯は修験者の行場であったが[7]、その後衰退していった[105]室町時代中期に神沢杜口の随筆翁草』巻162で

御山禅定は百日精進せずしては上り得ず、其間は行場に入りて修行をなす、昼夜光明真言を誦し、水垢離をとるなり。其の料金三二分百日間の行用とす。斯くのごとくなれば軽賦の者は登り得ず生涯大切の旨願ならねば籠らずとなり。 — 神沢杜口『翁草』巻162(室町時代中期)

と記載されていて、山頂の御嶽神社奥社登拝に当たり麓で75日または100日精進潔斎の厳しい修行が必要とされ、この厳しい修行を行った者だけに年1回の登拝が許されていた[14][31]。この「道者」と呼ばれる木曽谷の人々による登拝が盛んとなった[105]1560年永禄3年)6月13日木曽義昌が、従者と共に武運を祈願するために御嶽神社の里宮で100日の精進潔斎を終えた後に登拝した[106]江戸時代前期の行脚僧円空も登拝し、周辺の寺院で多くの木彫仏像を残している[107]。1785年(天明5年)に尾張春日井郡出身の覚明行者が、旧教団の迫害を退けて地元信者を借りて黒沢口の登拝道を築き[12]、軽い精進登山を普及させるに成功し、厳しい修行をしなくても水行だけで登拝できるようになった[14][108]。その後、普寛行者が王滝口を開いた。江戸時代に、王滝口、黒沢口および小坂口の3つの道が開かれることにより、尾張や関東など全国で講中普寛講他)が結成されて御嶽教が広まり、信仰の山として大衆化されていった[14][109]。江戸時代末期から明治初期にかけて毎年何十万人の御岳講で登拝され賑わっていた[91]。江戸時代末期の『信濃奇勝録』で、

信州一の大山なり、嶽の形大抵浅間に類して、清高これに過ぐ、毎年6月諸人潔斎して登る、福島より十、全く富士山に登るが如し。 — 信濃奇勝録(江戸時代末期)

と記載されている[91]。1868年(明治元年)に黒沢口の8合目には「女人堂」が御嶽山で最初に山小屋としての営業を開始し、この上部への女性の立ち入りが禁止されていたが[109]、1872年の太政官通達により他の国内の山と比較して早くから女人禁制が解かれた[7]

王滝口と黒沢口の参道には多数の霊場と修行場跡がある[5]。御嶽信仰では自然石に霊神(れいじん)の名称を刻印した「霊神碑」を建てる風習がある[110]。黒沢口の参道には登拝者を祀った約5,000基の霊神碑があり、王滝口の参道にも多数の霊神碑が並ぶ[45]。御嶽神社には蔵王権現が祀られていて、遠く離れた鳥居峠和田峠などの遥拝所に御嶽信仰の石碑が設置されている[7]。江戸時代後期の絵師谷文晁が『日本名山図会』この山を描いて、名山として紹介した[12]。林道黒石線と白崩林道の有料道路御岳ロープウェイの開業に伴い、ひのき笠と金剛杖の白装束の信者で埋め尽くされていた登拝道に、一般の登山者が混じるようになってきた[111]。1985年(昭和60年)以降に山腹に4つのスキー場が建設された。

御嶽神社

御嶽大神と呼ばれる国常立尊大己貴命少彦名命を祭神とする[112]。王滝口に里宮と黒沢口に里宮と若宮があり、木曽御嶽神社王滝口の奥社は王滝頂上、木曽御嶽神社黒沢口の奥社は山頂の剣ヶ峰にある[113]1882年(明治15年)6月に、小谷分喜が『御嶽神社社略縁起』を出版した[114]。1944年(昭和22年)に御嶽教などの教団と御嶽神社が「木曽御嶽山奉賛会」を設立し、その後「御嶽山奉賛会」と改称し神社の運営を行っている[115]。1984年(昭和59年)9月14日の御嶽山直下を震源とした長野県西部地震で一合目の里宮の拝殿と末社が半壊し、行場の清滝は滝つぼが土砂に埋まった[116]。御嶽神社黒沢口では太々神楽が奉納されている。

  • 木曽御嶽神社黒沢口
    • 里宮 - 黒沢口、所在地は木曽町三岳6687、少彦名命を祭神とする。
    • 若宮 - 1385年至徳年間)黒沢口に再興された[117]。大己貴命を祭神とする。
    • 頂上奥社本宮 - 御嶽山頂上(剣ヶ峰)、大己貴命と少彦名命を祭神とする[118]
  • 木曽御嶽神社王滝口
    • 里宮 - 王滝口1合目にあり、1484年(文明16年)に再建され、御嶽山登拝前の精進潔斎の参籠のための行場であった。古くは、「岩戸権現」と呼ばれ[119][109]、明治以前は王御嶽岩戸座王権現が祀られていたが[118]、現在は国常立尊、大己貴命、少彦名命を祭神とする。
    • 頂上奥社本宮 - 頂上の剣ヶ峰、かつては日ノ権現が祀られていたが、現在は国常立尊、大己貴命、少彦名命を祭神とする[120]
  • 八海山神社 - 王滝口5合目、眼病平癒
  • 三笠山神社 - 王滝口7合目の三笠山頂上、道中安全、交通安全
  • 田ノ原大黒天 - 王滝口5合目の田の原、商売繁盛、開運
  • 御嶽神社飛騨口里宮 - 濁河温泉登山口

御嶽の四門

遠方から御嶽の登拝にやってきて最初に御嶽山を望むことができる場所が「御嶽の四門」と呼ばれていて[121]鳥居などが設置された御嶽山の遥拝所がある[122][123]。これらは仏教の四門として、岩郷村神戸が発心門、長峰峠が菩薩門、三浦山中が修行門、鳥居峠が涅槃門にたとえられていた[124]。木曽福島から黒沢口への古道の合戸峠や姥神峠などにも御嶽遥拝所があった[125][126]

  • 岩郷村神戸 - 中山道方面から最初に御嶽山を望める箇所[123]、現在の木曽町、山頂の東南東19.8 km。
  • 長峰峠 - 鎌ヶ峰との鞍部 - 覚明行者系の空明行者によって再興された御嶽大権現の碑が設置されている[121][123]。山頂の北北東10.4 km。
  • 三浦山中 - 戦乱で焼失したと記録されている[123]。阿寺山地の拝殿山、山頂の南西17.2 km。
  • 鳥居峠 - 中山道、山頂の東北東29.2 km。木曽義元が戦勝祈願のため、御嶽遥拝の鳥居を建造した。普寛行者系の一心行者の石像が設置されている。

御嶽信仰を広めた行者

覚明行者

覚明行者(かくめいぎょうじゃ)は、1718年享保3年)3月3日に尾張国春日井郡牛山村皿屋敷の農夫丹羽清兵衛(左衛門)と千代の子として生まれ、幼名は源助で後に仁右五衛門に改名、幼少期は新川村土器野新田の農家で養われていた[127][128]。出身地の愛知県春日井市立牛山小学校校歌で、「北に御岳見はるかす 覚明行者の産湯の街に」と歌い込まれている。1818年文政元年)10月の『連城亭随筆』で「医師の箱持ちをした後お梅と結婚し屋を開き商いをしていた」と記録されている[128][注釈 6]。ある時予期せぬ出来事(盗みを働いたと疑われたことがきっかけとする説がある)が起こり、各地で巡礼修行をして行者となった[128]。木曽谷の村々で布教活動を行い信者を増やした[129]1782年天明2年)御嶽山を管轄する神職武居家と尾張藩木曽代官山村氏に登山許可の請願を行ったが、数百年に渡る従来の登拝型式(精進潔斎)を破ることになるため却下された[130]。しかし登山許可がないまま1785年(天明5年)6月8日に地元住民8名と、6月14日には尾張の38名の信者らと、6月28日には約80名を引き連れて強引に登拝を行った[130]。登拝したものは罪を受け、覚明行者も21日間拘束を受けたとされている[130]1786年(天明6年)にも多数の同志を引き連れて登拝を強行し黒沢の登山道の改修を行ったが、その最中の6月20日[注釈 7]にニノ池畔で病に倒れ、その直下にある黒沢口九合目の覚明堂の宿舎上の岩場に埋葬された[130][131]。山小屋「覚明堂」の横に覚明行者の霊場が現存する。その後覚明行者の志を受け継いだ信者により黒沢口の登山道の改修が完結され、覚明行者が強行登拝したことによって事実上の「軽精進による登拝解禁」となった[130]。信者が増加し福島宿経済効果が生まれるようになったこともあり1791年(寛政3年)6月には麓の庄屋が連名で武居家に軽精進登拝の請願を提出し、1792年(寛政4年)1月1日に許可が下された[130][131][129]。6月14日から6月18日まで間に、入山料200文を徴収し、軽精進による登拝を認めるという規定が作られた[130]1850年嘉永3年)に上野東叡山日光御門主から菩薩号が授与された[132]。覚明行者は麓の開田西野で村人に「アカマツの苗が育てば必ずができる」と教え、村人が苗を植えたら育ったことから開田の地名が生まれ、その由来が1806年(文化3年)に設置された稗田の碑に刻まれている[129]。御嶽山を中興開山させた先駆者とされている[133]

普寛行者

普寛行者(ふかんぎょうじゃ)は、1731年(享保16年)に武蔵国秩父郡大滝村落合で生まれ(本名が本明院普寛)、青年期に江戸へ出て剣術を学び、酒井雅楽頭家に仕えたと伝えられている[134]1764年明和元年)三峯神社に入門した本山派の修験者となった[134]1792年(寛政4年)5月に江戸などの信者を引き連れて開山のために旅立ち、6月8日から山に入り各地で御座(おざ)[注釈 8]を行いながら6月10日に登拝し王滝口を開いた[134]。その後江戸方面での御嶽講を組織し御嶽信仰を普及させた[134]1794年寛政6年)には上州武尊山1795年(寛政7年)には八海山の開山を行い霊山の開山活動を続けた後、1801年享和元年)9月、巡錫中に武州本庄宿で病に倒れた[135][117]。普寛行者は

なきがらは いつくの里に埋むとも 心御嶽に 有明の月 — 普寛行者の辞世の句

の辞世の句を残している。王滝口3合目の清滝上の花戸には普寛行者の墓塔がある[136]。1850年(嘉永3年)に上野東叡山日光御門主から菩薩号が授与された[132]1890年(明治23年)王滝村で普寛行者百年祭が開催され記念碑が建立された[90]。普寛行者の直弟子として広山行者、泰賢行者、順明行者などがいて、その後次々に有力な行者が現れて御嶽講が広まった[137]

御嶽講

御嶽山の登拝は行者と信者が一緒にその聖地を巡礼する旅(御嶽参り[138])でもある[139]。講者ごとに先達(せんだつ)に導かれて集団で登拝されることが多い。普寛行者の没後有力な行者が次々と現れ、この信仰により病苦が救われると信頼され、最初に江戸など関東地方に普寛行者系の御嶽講社が開かれた[37]。その後、普寛行者の弟子である儀覚行者(きかくぎょうじゃ、1769-1841年)が東海地方に宮丸講を初めて開き、覚明行者系の講社が愛知県を中心に西日本へと広まった[140]濃尾平野の農民は木曽川の水源となる御嶽山を水分神の山として尊崇していた[141]。木曽谷の地域でも普寛行者系の講社が次々と結成された[142]。各講の先達の魂は霊神として、そのが御嶽山の登拝道に鎮められている[34]。この「死後我が御霊はお山にかえる」という信仰に基づく霊神碑が御嶽山信仰の特徴の一つである[143]。江戸時代から関東や尾張から中山道が利用されていたが、1919年(大正8年)の中央本線が全線開通すると木曽福島駅から御嶽山へ歩き始めるようになった[144]1923年大正12年)に木曽森林鉄道が敷設された後、木曽福島駅から黒沢と王滝までおんたけ交通乗合バスが利用されるようになった[144]1966年(昭和41年)に有料道路林道黒石線が全線開通すると貸切バスで直接王滝口の田の原へ入ることができるようになり、1971年(昭和46年)有料道路白崩林道が全線開通すると貸切バスで直接黒沢口の中の湯まで入ることができるようになった[145]。現在は天気が安定している7月下旬から8月中旬頃に1泊2日または2泊3日で登拝が行われることが多い[146]。黒沢口から8合目の女人堂を経て山頂を往復するか、黒沢口から山頂を経て王滝口へ下るルートで登拝されるか、王滝口から山頂を往復するか、王滝口から山頂を経て8合目の女人堂を経て黒沢口へ下るルートで登拝されることが多い[146]

宗教教団

御嶽教、、、神理教禊教、、神道修成派丸山教、、や古くは講社と呼ばれていた旧教派神道系の教団などの御嶽信仰の教団がある[147]

御嶽教

御嶽教(おんたけきょう)は、奈良県奈良市に教団本部(御嶽山大和本宮)を置く教派神道で、神道十三派の一つ[148]。御嶽教の山の本部である木曽大教殿が長野県木曽町福島新満郡にある。1984年(昭和59年)4月に、日本全国に御嶽教の教会、枝教会、布教所が978(愛知県263、岐阜県98、埼玉県47、長野県40など)ほどあった[149]

木曽御嶽本教

木曽御嶽本教(きそおんたけほんきょう)は、1946年(昭和21年)に覚明行者系の講社などが結集して設立された御嶽信仰の宗教教団。総本庁と天昇殿事務所が木曽町三岳にある[144]。御嶽神社を宗祠とし、初代の管長は黒沢御嶽神社宮司の武居誠[144]

御嶽山の人間史

  • 702年大宝2年)6月 - 役小角が開山し[5]、高根道基が山頂の剣ヶ峰に御嶽神社奥社を創建したとされている[34][109]
  • 774年宝亀5年) - 信濃国司の石川望足 (石川朝臣)がを受けて登頂し、大己貴命と少彦名命の二神を祀り悪疫退散を祈願した[34][117]
  • 925年延長3年) - 白河少将重頼が登拝し、御嶽神社奥社の神殿を建造したとされている[109]

御嶽山の環境

1757年宝暦7年)に松平君山が『吉蘇志畧』を刊行し、御嶽山について

その東の峰に三つの池有り、一の池は水涸る、一の池は水少し、一の池は水満る、その水は流れて西のに至る。この北を地獄谷と云う硫黄多し、その水流れて王滝に至る、濁川と云う、往々硫黄を取得す、その水甚だ臭し — 松平君山『吉蘇志畧』

と記載し、ハイマツコマクサオンタデオコジョなどの解説とホシガラスライチョウなどの鳥類の詳細なスケッチを残している[159]。標高3,000 mを越える高山であり、『木曽節』では「木曽の御嶽夏でも寒い袷やりたや足袋添えて」と歌われている。1979年(昭和54年)の噴火による荒廃で黒沢口登山道九合目の石室山荘周辺のハイマツが枯れたが、21世紀初頭の2002年-2003年頃から若芽が確認されている[52]。御嶽山のコマクサの昔話がある[160]。王滝口登山道にある田の原天然公園を中心に約830 haが、木曽御岳自然休養林に指定されている[161]田中澄江は著書『花の百名山』で、代表する花に一つとしてリンネソウを紹介した[17]。標高1,500m以下の山麓では、ヒノキアスナロなどの木曽五木が見られる[7]1836年天保7年)に西山麓の下呂市小坂町赤沼田で植栽されたヒノキの人工林が、1993年(平成5年)に林野庁により「赤沼田天保ヒノキ植物群落保護林」の指定を受けた[162]。木曽町三岳では「御嶽黒光真石」と呼ばれる安山岩が産出され、御嶽信仰の霊神碑にも利用されていた。現在も麓の田中石材店などで石材加工が行われている。

御嶽山の動物

3万年前の旧石器時代オオツノジカが生息していて、東山麓の開田高原はその狩猟場であった[163]。柳又遺跡からは石器土器が出土している[163]。山頂付近の登山道の高山帯に生息するホシガラス、ライチョウ、クジャクチョウなどが見られる。ライチョウ(雷鳥)は日本で特別天然記念物に指定され[164]環境省によりレッドリストの絶滅危惧IA類[165]、岐阜県では絶滅危惧I類、長野県では絶滅危惧II類に指定され、絶滅が危惧されている[166]。1981年の調査で50箇所あったライチョウの縄張りが、2008年の調査で28箇所に減少している[167]。2012年12月に、西側の前衛峰である御嶽山系の御前山の標高1,500 m付近でライチョウ1羽(冬羽のメス)が確認され、冬期に尾根伝いに高山帯から移動してきたものと見られている[168]。山域にはイタチイノシシタヌキツキノワグマニホンザルホンドギツネなどが生息し、アトリイカルキジキバシリ[169]ヒガラブッポウソウなどの鳥類も豊富である[5]。南東山麓の長野県木曽郡木曽町の「三岳のブッポウソウ繁殖地」は国の天然記念物の指定を受けている[170]。開田高原ではその産地であった木曽馬が飼育されていて、長野県の天然記念物の指定を受けている[171]チョウ目ヤガ科のオンタケクロヨトウ(学名:Apamea ontakensis Sugi)の高山蛾は、御嶽山の高山帯のみに生息する[注釈 10][172]本州の限られた山岳地帯に分布するチョウ目シャクガ科のウチジロナミシャク(学名:Dysstroma truncata fusconebulosa Inoue)は、岐阜県では御嶽山のみで分布が確認されている[注釈 11][173]

御嶽山の植物

江戸時代末期に御嶽山の高山植物は「御神草」として珍重され、山頂部の高山帯に自生するコマクサは薬草として採集され、多くの自生のものが消滅した[174][注釈 12]。山頂部のコマクサ群落の再生活動が行われている。1887年(明治20年)7月に植物学者白井光太郎が登頂して高山植物を採集し、1889年(明治22年)には三好学らも採集し[114]、1933年(昭和8年)に植物学者の中野治房が御嶽山の植物生態を調査した[89][90]。山の上部の森林限界の高山帯には、アオノツガザクライワウメウラジロナナカマドオオヒョウタンボクガンコウランキバナシャクナゲクロマメノキコケモモコメバツガザクラタカネナナカマドチングルマ、ハイマツ、ミネズオウ、などの樹木とイワギキョウイワツメクサオンタデクモマグサ[注釈 13][175]クロユリ、コマクサ、シラタマノキチシマギキョウトウヤクリンドウハクサンイチゲミヤマアキノキリンソウミヤマキンバイミヤマダイコンソウモミジカラマツなどの多くの高山植物が自生している[176][177][178]。日本の固有種であるオンタデ(御蓼)の和名は、この山で最初に発見されたことによる[179][180]。ウラジロナナカマドとタカネナナカマドとの雑種のオンタケナナカマド(学名:Sorbus x yokouchii M.Mizush. ex T.Shimizu)が自生している[181]。中腹の亜高山帯では、オオシラビソオガラバナコメツガシラビソダケカンバトウヒナナカマドハリブキミヤマザクラなどの樹木とオサバグサカニコウモリ、、、ゴゼンタチバナコバイケイソウサンカヨウセリバシオガマタケシマランツバメオモトバイカオウレンマイヅルソウムシトリスミレユキザサなどの草花が自生している[5][7][176][177]。下部の山地帯では、イヌブナカエデ類カツラクリシラカンバシナノキミズナラなどの落葉広葉樹とトチノキクロベサワラヒノキなどの自然林の針葉樹とカラマツスギ、ヒノキなどの人工林イワカガミクガイソウササユリススキツルアジサイ、、ホタルブクロマツムシソウヤナギランなどの草花が分布している[176][177]。「御岳オサバグサ」(面積18.39 ha)と「胡桃島ハイマツ等」が林野庁により、植物群落保護林の指定を受けている[182]。「木曽ヒノキ」は、「秋田のスギ」と「津軽のヒバ」とともに『日本三大美林』に選定されている[5]。南側は現在も火山活動中であり植物相は貧弱で、北側はコマクサの群生地など豊富な植物相となっている[93]1910年植物学者小泉源一がこの山でトリカブト属のオンタケブシ(学名:Aconitum metajaponicum Nakai)を採集しその和名の由来となっている[183]。オンタケチブシは絶滅が危惧されていて、環境省の絶滅危惧IA類の指定を受けている[184]

御嶽山の生薬「百草丸」

多くの薬用植物が分布し、江戸時代に本草学の研究が盛んに行われ、この地域を領有していた尾張藩が薬草の採取を行っていた[150]。1716年-1735年(享保年間)に本草学者の丹羽正伯らが山域で生薬の採集や調査を行った。1804年-1818年文化年間)に水谷豊文が山麓を中心とする『木曽採薬記』を刊行し[150]、山頂付近にコマクサが自生していることが記載されている[185]。1844年(天保15年)に周辺の木曽谷の山域で採取された植物のおしば帳である『木曽産草花根皮類』が刊行され、アオノツガザクラ、オヤマリンドウ、クロユリ、スミレ、チングルマ、ミズバショウなど50種類などが図鑑型式にまとめられていた[186]。そのうちの24種が現在の和名で記載されていた[186]本草学が進んでいた尾張藩に属していて、山村代官により薬草の調査、栽培、管理が行われていた [186]。王滝口を開いた普寛行者により、『御嶽山の霊薬百種を採り集めよく煎じて薬を製せば霊験神の如し、これを製して諸人を救え。』と村人などに伝授された[187]。1849年(嘉永2年)に王滝口を開いた普寛行者の弟子である寿光行者が、御嶽山の霊草百種を採り集め煎じて生薬としたと伝えられていて[154]、王滝村には「百草元之碑」には同村の胡桃沢弥七と小谷文七が普寛行者の遺法を基に百草を製造したと記載されている[188]。御嶽信仰の広がりと共に木曽御嶽の「御神薬」の百草が各地に広まった[150]。百草は御嶽参りのお土産とされていた[189]。南山麓では長野県製薬(御岳百草丸)と日野製薬(御嶽山日野百草丸)が、キハダの樹皮の内側の木の層の「オウバク」を主成分とした「百草丸」(胃腸薬)を製造している[150][154][188]。この薬箱には「山三丸マーク」と呼ばれる御嶽信仰を象徴するマーク(御嶽神社や登山道の霊神碑の刻印などでも使用されている)が印刷されている。なおこの山三丸マークを使用する商標権について製薬会社間で訴訟「平成9年(行ケ)213号 審決取消請求事件」が行われた[190]明治以降は兵士の常備薬として需要が高まり、山域のキハダは昭和初期には伐採し尽くされ、他の地域や海外から輸入する事態となり、現在は大半を中国のから輸入に頼っている[188]。百草には「御嶽山の五夢草」であるコマクサ、オンタケニンジン、オウレントウヤク、テングノヒゲが含まれ[150]タカトウグサゲンノショウコなども利用されていた伝えられている[187]

御嶽山の国有林

鎌倉時代から昭和初期まで山腹から山麓にかけての森林で木曽五木などが伐採され、その伐材は木曽川を利用して川流しが行われていた[138]。山域の森林は江戸時代には尾張藩により管理され、明治になると御料林となり、現在山域の多くは国有林となっている[138]。その大部分が水源かん養保安林に指定されている[191]。御岳特定地理等保護林(旧御岳垂直森林帯植物群落保護林、面積1,540 ha)などで、自然環境の維持や動植物の保護ための国有林の保護管理が行われている[191]。千間樽国有林と胡桃島国有林の一部が、「御岳自然休養林」に指定されている[192]

  • 下呂地区(岐阜森林管理署管内)
  • 高山地区(岐阜森林管理署管内)
    • 幕岩下国有林
    • 千間樽国有林
    • 胡桃島国有林 - 胡桃島ハイマツ等植物群落保護林がある。
    • 幕岩下国有林
  • 木曽谷地区(木曽森林管理署管内)
    • 三浦国有林 - 古くからヒノキの山地として知られ、江戸時代初期に伐採されていて、痕地にチマキザサ(学名:Sasa palmata)などが分布する。阿寺山地上部の隆起準平原で濃飛流紋岩などで構成されている[194]
    • 王滝御岳国有林
    • 樽沢国有林
    • 浦沢国有林
    • 障子沢国有林
    • 御嶽国有林
    • 黒沢御岳国有林 - 黒沢口の油木尾根沿いの百間滝道には江戸時代に尾張藩が植林した樹齢200年以上のヒノキの美林が広がり「油木美林」と呼ばれている[100][195]
    • 新高国有林
    • ヤケノ国有林
    • ヌカネ国有林
    • ナガウ原国有林

登山

古来より信仰の対象として少数の修験者によって登られ、江戸時代に覚明行者が黒沢口を開き、普寛行者が王滝口を開き全国各地に御嶽講が広まり信者による集団登拝が盛んに行われ、現在も白装束の登拝者が見られる山である。江戸時代の御嶽登山者の病気や凍死による死亡者の記録(御嶽山遭難者遺族差出証文など)が多数残されていて、1847年弘化4年)7月16日には山頂の強い風雨で7人中5人が凍死する山岳遭難が起きた[196]。1868年(明治元年)に黒沢口8合目の「女人堂」が御嶽山で最初に山小屋としての営業を開始した[197]。1872年(明治5年)に女人禁制が解かれるまでは、避難小屋などとして登拝者に利用されていた女人堂から上部への女性の立入りは禁じられていた[197][198]。明治初期に外国人の登頂により近代登山が始まった[199]。1894年にウォルター・ウェストンが登頂して以降、一般の登山者にも登られるようになった[14]。ウェストンと同時期にアメリカ天文学者パーシヴァル・ローウェルが来訪した際に登頂し、『オカルト・ジャパン』(第1章「御嶽」)で当時の様子を記している[200]1907年(明治40年)のかごに乗る御嶽山登山者の写真が残されている[201]。御嶽山の登山口は木曽側から3つ(王滝口、黒沢口、開田口)、飛騨側から1つ(小坂口)が昔から利用されていたが、その後日和田口が比較的新しく開かれた。

1979年10月の噴火により、山頂から4合目までが入山規制された。1981年に山頂部の火口付近を除き入山規制が解除された[89]。気象庁が発表する噴火警戒レベルにより入山が規制される場合がある[202]。木の丸太などで整備された階段状の登山道は「木曽御嶽奉仕会」などによる地元の有志や御岳信仰の関係者によって修復整備がなされている[35][203]。3,000 mを越える高峰であるが登山口の標高が高いため日帰りで登山されることもある[204]。麓の開田中学校や王滝中学校、下呂市の小学校などで学校登山が行われている[205]。黒沢口などでは御嶽講の先達を背負ったり、信者の荷物や、山小屋の物資を運ぶ強力を担う人がいる[96][206]。1954年(昭和29年)から8月8日に山頂直下(剣ヶ峰と王滝頂上の間)の八丁ダルミで、御嶽教の御嶽山大神火祭が行われている[5][148]。大多数の信仰登山者が利用する黒沢口と王滝口の登拝道は、一般登山道としても利用されている[95]。積雪期の登山において難所はないものの、独立峰のため山頂付近が強風でアイスバーンとなるため滑落に注意を要し、視界が悪い時にはルート判断が難しくなる山である[207][208]。百名山ブームもあって、旅行会社による登山ツアーが多数行われた。

2014年9月の噴火により、噴火警戒レベルが3(入山規制)に引き上げられたことに伴い、火口から概ね4kmの範囲が立入禁止区域に指定された[23]。2015年6月、噴火警戒レベルが2(火口周辺規制)に引下げられたことに伴い、立入禁止区域は火口から概ね1kmの範囲に縮小された[4]。2017年8月に噴火警戒レベルが1(活火山であることに留意)に引き下げられたが、現在も火口から概ね1kmの範囲は立入禁止区域である。黒沢口登山道では、7月から10月までの登山シーズンの期間に限り、登山道のみ立入規制の緩和[209]を行い、剣ヶ峰まで行くことができる。

「岐阜県北アルプス地区及び活火山地区における山岳遭難の防止に関する条例[25]」により、御嶽山の火口域から4km以内の地域[26]に立ち入る場合には登山届の提出が義務づけられている。

長野県では「長野県登山安全条例[27]」により、指定登山道[28]を通行しようとするときは、あらかじめ登山計画書を届出[29]なければならない。

近代登山史

登山道

各方面から登山道が開設されている[6][87][215][216]。小坂口、日和田口利用者の中には、剣ヶ峰まで登らずに、飛騨頂上・継子岳あるいは、摩利支天山までの登山を目的とする登山者も多い。一ノ池を取り囲むの西側の稜線に登山道があり、剣ヶ峰からニノ池小屋へのルートの一つとなっている。以前は、の支流の濁川に沿って濁川温泉(現存せず)を経て、剣ヶ峰と継母岳の鞍部に登る松原新道があったが、1984年の長野県西部地震により発生した伝上崩れにより崩壊し、廃道となった[87]

王滝口

車道で上がれる登山口は御嶽山で最も高い標高地点(田の原、標高2,160 m)であり、山頂の剣ヶ峰への最短ルートである。途中での眺望が優れており、登山口から王滝頂上までのコースが常に上から下まで見渡せる。登山口の田の原から王滝頂上までの間には8合目と9合目に避難小屋がある。山開きに相当する開山祭は7月1日に行われる。積雪期には登山口の田の原への道路が閉鎖されるが、春先におんたけ2240のスキー場のゴンドラを利用して、雪山登山を行う例がある。1合目に国常立尊、大己貴命、少彦名命を祀った御嶽神社里宮があり登拝口となっている[136]。3合目には清滝と新滝があり、清滝には清滝不動明王が祀られ、登拝者が水行を行う行場となっている[136]。5合目には子授け神霊である十二権現、6合目には眼の神様の八海山大神がある[136]。標高約2,190 mの田の原には田ノ原山荘と木曽御嶽自然休養林田ノ原自然公園があり、登山シーズン中には自動車で上がることができる[125]

  • 田の原 - 7合目大江権現 - 金剛童子(8合目下) - 9合目石室 - 王滝頂上 - 剣ヶ峰[217]

黒沢口

覚明行者によって開かれた最も古い登山道。御嶽教、に最も関わりの深い登山道でもある。夏には「懺悔反省、六根清浄」を唱える白衣の登拝者が見られる[91][218]。有人山小屋が合目ごとにある。現在は7合目付近にロープウェーの飯森駅(標高2,150 m)ができ、王滝口登山口の田の原とほぼ同じ標高まで歩かずに登ることができるようになったため、大半の登山者がロープウェイを利用するようになったが、6合目から歩く登山者は現在でも少なくない。山開きに相当する開山祭は王滝口と同じ7月1日に行われる。1合目に大己貴命を祀った御嶽神社若宮と少彦名命を祀った御嶽神社里宮があり登拝口となっている[100]。登拝道場には多数の霊神碑が並べられていて、4合目の屋敷場には御嶽山で最大規模の霊神場があり講社単位で建てられた多数の霊神碑がある[100]。松尾滝から油木尾根を経て百間滝から8合目の女人堂に至るルートは百間滝道と呼ばれている[125]。百間滝には百間滝小屋があり行場となっている[100]

  • 中の湯(6合目)またはロープウェイ飯森駅 - 行場山荘(7合目) - 女人堂(8合目) - 石室山荘(9合目) - 覚明堂 - 剣ヶ峰[219]

開田口

木曽側の3つの登山口のうち、唯一、信仰のためでなく作られた登山道。営林署(現・森林管理署)の作業道として開かれた。距離は長いが、大自然を満喫することが出来る。水場は4合目付近に湧き水があり、それ以外は三の池まで無し。登山口の標高が低く(1,500 m)標高差が大きいため、健脚向き。

  • 開田口4合目 - 7合目避難小屋跡 - 三ノ池避難小屋 - 賽の河原 - 二ノ池 - 剣ヶ峰

小坂口

剣ヶ峰へのアプローチが長いためか、現在は信仰登山者はほとんど見かけず、一般登山客が多い。このルートの山開きは、毎年6月15日に御嶽神社飛騨口里宮で開催されている[220]。下山時に温泉を楽しめるのが魅力のコース。なお、登山口を胡桃島とし、のぞき岩避難小屋下で濁河温泉からの道と合流するコースもあるが、このコースを特に胡桃島コースと称することもある。飛騨頂上の五の池小屋は、2010年に新館が増築され収容人数が100人に倍増した[221]。なお、平成30年6月豪雨の影響により登山道が崩落したが、迂回ルートが整備され2018年9月より通行可能となった。[222]

日和田口

継子岳頂上を目指して登るコースで宗教登山に由来しないコースのひとつ。1998年チャオ御岳スキー場の開発に伴い、通年運行されるゴンドラリフトの「フライングチャオ」を利用することが多くなり、旧来の登山口からの登山は減った。ゴンドラリフトを使用した場合は王滝口とほほ同じ標高(2,190 m)まで登ることができるが、継子岳から最高峰剣ヶ峰までの距離が長い。また、ルートは他のコースに比べてあまり手入れがされていない。2010年現在、フライングチャオはスキーシーズン(12月初旬 - 5月初旬)のみの運行となっており、春 - 秋の登山には利用できなくなっている。

  • 日和田口またはゴンドラリフト山頂駅 - 継子岳 - 飛騨頂上(五の池小屋) - 賽の河原 - 二ノ池 - 剣ヶ峰

山小屋

御嶽山は宗教登山が盛んであるため、山小屋も宗教施設としての側面がある山小屋が多い。五の池小屋は近代的なアルペンスタイルの山小屋である[93]。各登拝道や山頂などに多数の山小屋と避難小屋がある[109][223]。登山道上にキャンプ指定地はないが、胡桃島口の登山口に「胡桃島キャンプ場」がある[109]。それらの山小屋は大広間や客室内に御嶽神社の掛け軸などが祀られている。また、王滝口・黒沢口の開山祭の7月1日以降の営業開始となる小屋が多く、営業終了は山小屋によって差があるものの、8月末から9月末までの間が多い。御嶽神社・御嶽教・木曽御嶽本教は山開きを7月10日から9月10日までとしているため、その間は特に白装束の宗教登山者の宿泊利用や立ち寄り利用が多い。なお、五の池小屋は例外的に例年6月1日から10月15日までの営業と、長期間の営業を行っている。8合目と7合目の山小屋は紅葉シーズンも営業する。

山頂地域に多くの有人山小屋があるが、黒沢口には途中にも合目ごとに有人山小屋が営業している。2014年噴火以前は、二ノ池の水を飲料水などの水源としている山小屋が多く、二ノ池から遠い「五の池小屋」や7合目以下の山小屋以外の山小屋は「二の池水組合」を設立し、共同で水道施設の設置・維持・撤去を行っていた。また、日頃の水源ポンプ施設の操作は「二ノ池本館(現:二ノ池山荘)」のスタッフが行い、豊富な湖水を使って「二ノ池本館(現:ニノ池山荘)」「二ノ池新館(現:二の池ヒュッテ )」「石室山荘」「覚明堂(現在無人)」では、宿泊者向けの風呂を毎日用意するほか、宿泊者が少ない時のみ宿泊者にスタッフ用の風呂を提供する山小屋もあったが、2014年噴火の降灰によると思われる湖水の酸性化により、現在は湖水からの取水利用は行われていない。

かつて、山小屋のトイレはほぼ垂れ流しの状態であったが、環境問題への関心の高まりを背景に、有人の山小屋については汲み取り式のトイレへと改修が進められている。汲み取られたし尿は、ヘリにより麓まで運搬し処理業者へ引き渡される。そのらの維持費用が高額となるため、トイレ利用者に一回の利用につき100円の協力金の負担をお願いしている。

有人山小屋

  • 王滝口…田の原登山口2軒(田の原山荘および御嶽観光センター・ただし山小屋とされないことが多い)・王滝頂上(王滝頂上山荘)・剣ヶ峰山頂(御嶽剣ケ峰山荘・旧称「剣ヶ峰旭館」)
  • 黒沢口…7合目(行場山荘・旧称「一ノ又行者小屋」または「覚明行場小屋」)・8合目(女人堂・別称「金剛堂」)・9合目(石室山荘)
  • 小坂口…飛騨頂上(五の池小屋
  • 二ノ池周辺…池畔(二ノ池山荘)・飛騨側(二の池ヒュッテ)(なお、二ノ池山荘と二の池ヒュッテは全くの別経営である)
画像名称所在地標高
(m)
御嶽山からの
方角と距離 (km)
[注釈 14]
収容
人数
備考
Gonoike huts in Mount Ontake.jpg五の池小屋小坂口飛騨頂上
五ノ池の北畔
2,78016 cardinal points N.png北 1.81002010年増築
Nyonindo in Mount Ontake (2014-09-06).JPG女人堂黒沢口8合目2,47016 cardinal points E.png東 1.6120別名が金剛堂
Ishimuro hut in Mount Ontake.jpg石室山荘黒沢口9合目2,80016 cardinal points ENE.png東北東 0.780
Ninoike shinkan.JPG二の池ヒュッテ二ノ池の北西傍2,90016 cardinal points N.png北 0.72502014年9月噴火前は入浴施設があった
Ninoike honkan in Mount Ontake.jpg二ノ池山荘[224]二ノ池の東畔2,90016 cardinal points NNE.png北北東 0.61002014年9月噴火前は入浴施設があった


以下は、2014年9月噴火の前まで営業していた山小屋である。

画像名称所在地標高
(m)
御嶽山からの
方角と距離 (km)
[注釈 14]
収容
人数
備考
Kakumeido in Mount Ontake (2014-09-06).JPG覚明堂黒沢口9合半3,00016 cardinal points ENE.png東北東 0.6100傍らに覚明行者の霊場
Mount Ontake top huts.jpg御嶽頂上山荘山頂直下南東3,04016 cardinal points SE.png南東 0.0370
Mount Ontake Kengamine huts.jpg御嶽剣ヶ峰山荘山頂直下南東3,04016 cardinal points SE.png南東 0.03150
Mount Otaki huts.jpg王滝頂上山荘王滝口頂上2,93016 cardinal points SSE.png南南東 0.5100王滝御嶽神社奥社と隣接
Tanohara sanso.JPG田ノ原山荘王滝口7合目2,20016 cardinal points SE.png南東 3.0136御嶽観光センターに隣接

避難小屋

  • 王滝口…8合目避難小屋、9合目避難小屋
  • 開田口…7合目避難小屋(荒廃し倒壊)、三ノ池避難小屋、白竜避難小屋

焼印

多くの有人山小屋や山頂神社社務所では、宗教登山に使われる金剛杖に焼印を押印するサービスを有料で行っている。1891年(明治24年)に登山道の神社などで、「登山杖に記念の印を捺します」の看板が設置されこの焼印が行われていた[225]富士山で特にポピュラーなサービスであるが、御嶽山でも実施する山小屋を少し減らしながらも現存しており、貴重な存在である。ただ、富士山ほど押印希望者は多くなく、希望者が現われてから焼印を加熱するところが多いため、焼印に時間がかかることが多い。また、押印の料金も富士山よりも割高になっている。

登山者数の推計

昭和中期までの木曽側からの御嶽山の登山者数は下表のように推計されている[226]。2010年頃の黒沢口から入山者は年間3万人を越える程度であった[227]

年度登山者数備考
1887年(明治20年)8,000故老の談話による
1914年(大正3年)30,000『木曽案内』による
1917年(大正6年)50,000丸山梓水『木曽』による
1929年(昭和4年)37,900木曽福島駅調査による
1936年(昭和11年)41,999
1939年(昭和14年)63,020
1951年(昭和26年)26,900
1955年(昭和30年)31,458

地理

木曽川水系の源流の山であり、西側から飛騨川、東と南側から王滝川などの本流へと流れ太平洋側の伊勢湾へ流れる。剣ヶ峰の山頂には一等三角点(点名が「御岳山」、標高3,063.41 m)が設置されていて[13]一等三角点百名山のひとつに選定されている[228]。最高点は御嶽神社の西側のある岩の標高点[1]日本で14番目に高い山[229]。南東中腹の王滝村の区域は「御岳高原」と呼ばれている。

周辺の山

独立峰であるため、周囲の多くの山からその山容を望むことができる。山頂部は広く、複数のピークから成る[215]濃尾平野からも北東にその大きな山容が望める。岐阜県側には前衛の山として、ぎふ百山の一つである御前山(1,646 m)と続ぎふ百山の一つである下呂御前山(1,412 m)がある。

山容山名標高
(m)[1][13][注釈 4]
三角点等級
基準点名[13]
御嶽山からの
方角と距離(km)
備考
御嶽山の王滝頂上方面から望む白山(2013年7月9日)白山2,702.14一等
「白山」
16 cardinal points WNW.png西北西 70.2日本百名山
御嶽山から望む乗鞍岳と槍ヶ岳(2014年9月6日)乗鞍岳3,025.73一等
「乗鞍岳」
16 cardinal points NNE.png北北東 24.6日本百名山
野麦峠スキー場から望む鎌ヶ峰(2009年4月19日)鎌ヶ峰2,121.25二等
「鎌ケ岳」
16 cardinal points NE.png北東 18.3 
鉢盛山から望む御嶽山、右手前は継子岳(日和田富士)(2008年4月25日)御嶽山3,067(一等)
「御岳山」
(3,063.61m)
16 cardinal points O.png 0日本百名山
御嶽山から望む小秀山周辺の阿寺山地の山並み(2014年9月6日)小秀山1,981.86二等
「小秀山」
16 cardinal points SSW.png南南西 14.1日本二百名山
御嶽山の王滝口登山道から望む中央アルプスの木曽駒ヶ岳と宝剣岳(2014年5月2日)木曽駒ヶ岳2,956.14一等
「信駒ケ岳」
16 cardinal points ESE.png東南東 31.4日本百名山
御嶽山から望む雲海に浮かぶ恵那山(2012年10月17日)恵那山2,191(一等)
「恵那山」
(2,190.28m)
16 cardinal points SSE.png南南東 51.0日本百名山

源流の河川

源流となる以下の河川は木曽川水系で伊勢湾へ流れる[6]。山頂の南東13.4 kmにある王滝川の牧尾ダムの御岳湖に貯水された水は愛知県などの飲料水、工業用水及び農業用水に利用されていて、その上流部には関西電力の水力発電用の三浦ダム(山頂の南西11.0 km)がある。王滝川の支流の濁川上流部の赤川では浸食と崩落が激しく「地獄谷」と呼ばれている[215][230]。南面の王滝川の支流の濁川は、1979年10月28日噴煙後地獄谷上部の火口から白いガスと火山灰で黒色となった温泉水が大量に流れ出て白く濁った[9]

  • 西野川、白川、王滝川(木曽川の支流)
  • 飛騨川
  • 秋神川、小坂川(飛騨川の支流)

主な峠

  • 野麦峠 - 乗鞍岳との間に映画『あゝ野麦峠』などで有名となったがある。標高1,672 mで長野県道・岐阜県道39号奈川野麦高根線が通る。
  • 長峰峠 - 国道361号にある岐阜県と長野県との県境で、暮岩川(飛騨川の支流)と西野川(木曽川の支流)との分水嶺となっている。
  • 九蔵峠 - 国道361号の開田高原にある峠で、九蔵峠展望台からは西南西に御嶽山を望むことができる。
  • 濁河峠 - 秋神川と濁河川(小坂川の支流)との分水嶺となっている。
  • 白巣峠 - 白川(王滝川の支流)と付知川との分水嶺となっていて、林道が通る。
  • 鞍掛峠 - 水無川(王滝川の支流)と竹原川(飛騨川の支流)との分水嶺となっていて、林道が通る。

交通・アクセス

南山麓の王滝川沿いには1923年(大正12年)に竣工された木曽森林鉄道の王滝森林鉄道が敷設され、1975年(昭和50年)5月30日まで国有林の材木の運搬に利用されていた[231]。1925年(大正14年)に御嶽自動車商会(現在のおんたけ交通)が開業、おんたけ交通は山麓や御嶽山の登山口まで路線バスを運行している。1963年(昭和38年)に西山腹の名古屋営林局小坂営林署が運営する小坂森林鉄道濁河温泉線が開通し伐採した木材の運搬に利用されていたが、林道が敷設されトラックによる輸送への切り替えに伴い1971年(昭和46年)に廃止された。1966年(昭和41年)に山麓の王滝村の長野県道256号御岳王滝黒沢線から田の原までの「有料道路林道黒石線」が全線開通し、1997年(平成9年)4月1日に村道41号線(御岳スカイライン)として無料開放され、おんたけ2240のスキー場利用者、登山者、観光客などに利用されている[87]長野県道473号上松御岳線が南東の山麓から通じ無料化された白崩林道を経て中腹の中の湯まで通じている[87]。東山麓を長野県道20号開田三岳福島線が通り、木曽町三岳の木曽温泉付近から御岳ロープウェイスキー場まで東山腹に「御岳ブルーライン」が通る。その鹿の瀬温泉から上部は冬期閉鎖されている[232]。南東山麓の県道20号開田三岳福島線沿いに道の駅三岳がある。北東山麓に国道361号が通り、北山腹に岐阜県道463号朝日高根線、北西山腹に岐阜県道435号御岳山朝日線が通る。西山麓の下呂市小坂町から濁河温泉まで岐阜県道441号濁河温泉線が通り、「御嶽パノラマライン」と呼ばれている。小三笠山(標高2,029 m)の南面には御岳林道と王滝林道が通る。

主な交通機関

路線バス

岐阜県側のJR東海高山本線飛騨小坂駅及び高山駅から御嶽山の登山口である濁河温泉への濃飛バス路線は2007年(平成19年)11月30日に廃止された。

  • 王滝・田の原線(黒沢・王滝線) - 長野県木曽合同庁舎前 - 木曽福島駅前 - 王滝 - 田の原(御嶽山登山口)、2006年7月よりおんたけ交通から王滝村営バスに移管された。
  • 御岳ロープウェイ線 - 木曽福島駅前から御岳ロープウェイまでの区間、2006年(平成18年)6月1日よりおんたけ交通から木曽町生活交通システムに移管された。
  • チャオスノーリゾート線(おんたけ交通) - 木曽福島駅前 - チャオ御岳スノーリゾート - 濁河温泉

観光

主な観光スポット

  • 御嶽山資料館 - 王滝口の二合目の木曽郡王滝村大又にある。
  • 田の原天然公園 - 御嶽山の登山道の王滝口標高約2,200m付近に広がる天然公園で、湿原、背の低い針葉樹林帯に遊歩道や展望台が整備されている[161]
  • 御岳ロープウェイ - 御岳ロープウェイスキー場は2013年にスキー場の営業を休止していて、冬期の運行が行われていない[233]
  • 開田高原 - 蕎麦の産地や木曽馬の里としても知られ、乗馬体験ができる施設がある。
  • 自然湖 - 長野県西部地震によりせき止められた木曽川の支流である王滝川上流の湖で、立ち枯れの木が湖の中に並んでいて夏季シーズンのカヌーが人気となっている[234]
  • 御岳湖 - 王滝川の牧尾ダムによりできた
  • おんたけ休暇村 - 御岳高原にある名古屋市の保険休養地、周辺には木曽御岳カントリークラブのゴルフ場がある。
  • 濁河温泉 - 御嶽山の濁河口の登山口にある温泉
  • 東京大学天文台木曽観測所 - 東京大学大学院理学系研究科附属天文学教育研究センターの木曽観測所が木曽郡木曽町三岳10762-30にあり、1977年(昭和55年)2月に香西洋樹古川麒一郎が発見した小惑星がその場所にちなんで『御嶽』と命名された。
  • 飛騨御嶽高原高地トレーニングエリア - 北西山腹にある高地トレーニング施設。2007年(平成19年)に濁河温泉付近に下呂市が「御嶽パノラマグランド」を開設した。濁河温泉とチャオ御岳リゾートを結ぶ「飛騨御嶽尚子ボルダーロード」が整備されている[235]
  • 小坂の滝めぐりコース - 西山腹の下呂市小坂町の飛騨川の支流の小坂川には落差5 m以上の滝が200以上あり[6][54]、多数の滝めぐりコースが紹介されている[101]。滝によってはガイドが必要な箇所もある[101]
  • 三ツ滝コース(椹谷) - 三ツ滝(上段の落差5 m、中段11 m、下段6 m)、あかがねとよ(落差14 m)、からたに滝(落差15 m)
  • 仙人滝コース(濁河川上流部) - 仙人滝(落差30 m)、無名の滝(落差15 m)、白糸の滝(落差15 m)、緋の滝(落差20 m)
  • 根尾の滝コース(濁河川) - 根尾の滝(落差63 m、日本の滝百選)
  • 材木滝コース(兵衛谷) - 材木滝(落差23 m)、翡翠の滝(上段の落差10 m、下段8 m)
  • あまつばの滝コース(椹谷) - あまつばの滝(落差17 m)、二段の滝(上段の落差10 m、下段3 m)、孫八滝(落差15 m)、焼小屋の滝(落差17 m)
  • 観音滝コース(大洞川) - 観音滝(落差9 m)、立岩の滝(落差45 m)、塩滝(落差15 m)
  • 濁滝コース(濁河川) - 二段の滝(上段の落差10 m、下段10 m)、くの滝(落差15 m)、濁滝(落差27 m)
  • 岩折の滝コース(兵衛谷) - 岩折の滝(落差21 m)、屏風の滝(落差28 m)、吹上の滝(落差25 m)
  • 千畳の滝コース(真谷) - 千畳の滝(落差50 m)
  • しょうけ滝コース(兵衛谷) - しょうけ滝(落差23 m)、扇滝(落差6 m)
  • 龍門の滝コース(兵衛谷) - 龍門の滝(落差15 m)、袴滝(落差20 m)
  • 回廊の滝コース(椹谷) - 回廊の滝(落差40 m)、開門の滝(落差40 m)
  • 百間滝コース(兵衛谷) - パノラマの滝(上段の落差50 m、下段10 m)、百間の滝(落差60 m)

スキー場

北側と東側の山腹には以下のスキー場があり、標高の高い位置(上部は標高2,000 m以上)にあり雪質が良く、ゴールデンウィーク頃の遅い時期まで滑走が可能である。王滝村は、村営であった旧おんたけスキー場の負債により厳しい財政状況となっている[236]

眺望スポット

3,000mを越える高山であるが、奥深い山中にあるため、山体全体を眺められる場所は意外と少ない。高山市中切町の「中切町付近の山より望む御嶽山」、高山市久々野町無数河の「舟山山頂道路より望む御嶽山」、高山市朝日町西洞の「鈴蘭高原より望む御嶽山」、高山市朝日町胡桃島の「胡桃島キャンプ場近く展望台より望む御嶽山」と「秋神地域より望む継子岳」が、「新高山市100景」のひとつに選定されている[237]

御嶽山の風景

独立峰である御嶽山の大きな山容を、名古屋市をはじめとした濃尾平野尾張美濃)や遠方の山[注釈 15]からなどの各方面から望むことができる[141]。東海地方の多くの 高等学校の校歌で山名が歌い込まれている[注釈 16][238]。木曽谷では開田高原以外に麓から御嶽山を望める箇所は少ない[141]。5月中旬ごろ、東面の9合目付近に残雪の白い背景に黒色の種をまくお爺さんの姿の雪形(ネガ型)が見られる[239]深田久弥は1965年(昭和39年)に第16回読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞した『日本百名山』の著書で御嶽山の山容を

この傾斜がみごとである。厖大な頂上を支えるには十分な根張りをもって、御岳全体を均整のとれた美しい山にしている。 — 深田久弥『日本百名山』

と表現している[8]

各方面からの山容

14 Ontakesan from kazakoshiyama 2002-5-6.jpgOntakesan from kohideyama 2002 10 30.jpgOntakesan from Kuraiyama 2005-3-21.JPGKiso Ontake.jpg開田高原からの御嶽山.jpg
東の風越山より南の小秀山より西の位山より北の国道361号より開田高原からの御嶽山

御嶽山からの展望

山上部からは東に八ヶ岳中央アルプス南アルプス富士山、南に小秀山などの阿寺山地、濃尾平野、西に白山などの両白山地、北にニノ池、乗鞍岳などの北アルプスが望める[240]

Lenticular clouds on Mount Fuji from Mount Ontake.jpgYatsugatake and sunrise.JPGMount Mamahaha and Mount Haku from Okunoin.jpgHida Mountains and Ninoike from Mount Ontake (wide).jpgサイノ河原避難小屋付近からの三ノ池.jpg
中央アルプス越しの富士山八ヶ岳とご来光継母岳と白山ニノ池と飛騨山脈(北アルプス)サイノ河原避難小屋付近からの三ノ池

メディア

古文書

  • 『御嶽登山社礼伝祝詞巻』 - 1576年天正4年)の古祭文
  • 『御嶽縁起』 - 室町時代の中期1592年(天正20年)に書写された御嶽の神を祀る祝詞、祭文、縁起などの巻物
  • 『御嶽蔵王権現登山次第』 - 1704年-1710年宝永年間)の筆写本で道者の王滝口での登拝の方法などが記載されている[241]
  • 『登山古例之事』 - 道者の黒沢口での登拝の方法などが記載されている[241]
  • 『御嶽由来伝記』
  • 『御嶽登山案内』
  • 『御嶽一山記録』
  • 『木曽採薬記』 - 1804年-1818年(文化年間)に水谷豊文が刊行[185]

新聞

  • 大型写真企画「御岳山」 - 信濃毎日新聞で2009年(平成21年)7月から2010年(平成22年)4月まで39回の連載[243]

写真集

  • 宮原卓司『信州木曽御嶽 山麓逍遙』遊人工房、2001年12月。ISBN 4946562346

関連書籍

テレビ番組

脚注

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注釈

  1. ^ 厳密には御嶽山の最高点である剣ヶ峰の西北に位置する外輪山に、3,053.4mの小ピークがある(1:5,000国土基本図(火山基本図)御岳山-国土地理院発行)。
  2. ^ 室町時代中期に「王嶽」(おうたき)が「おんたけ」に変わったとす説がある。
  3. ^ 3番目に標高が高い火山は乗鞍岳(3,026m)、火山以外も含めた2番目に標高が高い山は北岳(3,193m)である。なお、日本の活火山で3,000mを超えるのは、富士山・御嶽山・乗鞍岳の3つである。
  4. ^ a b 基準点の標高は、国土地理院による2014年3月の改定値を反映。
  5. ^ よく、四ノ池から落ちる滝が日本最高所の滝と言われているが、四ノ池の標高は2,690 mであるため誤りである
  6. ^ 魚の行商をしていたとする説もある。
  7. ^ 7月23日とする説もある。
  8. ^ 「御座」は普寛行者が普及させた術による神降ろしの儀礼と祈祷
  9. ^ 木曽山行巻の下で「義昌登嶽本意事」として記録されている。
    永禄三年木曽長政御嶽之登り山神を享祭すべきと、黒沢に百日斎して同月十三日登御なり。 — 木曽山行巻の下「義昌登嶽本意事」
  10. ^ 岐阜県で絶滅危惧I類の指定を受けている。
  11. ^ 岐阜県で準絶滅危惧の指定を受けている。
  12. ^ 東隣の木曽駒ヶ岳では同様な採集が行われたことにより、自生していたものが消滅した。
  13. ^ 御嶽山と白馬岳に分布する希少な植物。
  14. ^ a b 御嶽山からの山小屋までの距離は、登山経路上の距離ではなく、2地点の直線距離。
  15. ^ 条件が良ければ、如意ヶ嶽(通称大文字山)や比叡山など、京都市にある山から見えるという。京都の如意ヶ岳(大文字山)から長野の御嶽山を遠望 2014年1月
  16. ^ 一例として「みはるかす尾張の平野独り立つ御岳」(愛知県立一宮北高等学校)、「朝あけの山なみ越えて空かぎる御岳はるか」(愛知県立小牧南高等学校)、「御嶽の峰に雲たなびきて」(北名古屋市立師勝中学校)、「雪の御岳伊吹多度の山なみ遠く望む時」(稲沢市立大里東小学校

出典

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