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🥾|サントリー天然水は「南アルプス」だけじゃない 「奥大山」の水が東京に


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サントリー天然水は「南アルプス」だけじゃない 「奥大山」の水が東京に

 
内容をざっくり書くと
例えば関東地方なら、基本的には「南アルプス」(山梨県)を水源とした製品が出回っている。
 

ミネラルウォーター「サントリー天然水」には、4つの水源があることをご存じだろうか。例えば関東地方なら… →このまま続きを読む

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山梨県

山梨県(やまなしけん)は、日本中部地方に位置する県庁所在地甲府市

首都圏整備法における首都圏の一角を成す。令制国甲斐国に相当する。

概要

南に富士山、西に赤石山脈南アルプス)、北に八ヶ岳、東に奥秩父山地など、標高2,000 m〜3,000mを超す山々に囲まれる。島国の日本において、に全く面しない数少ない内陸県である[注 1]。山梨県の面積は全国32位であるが、その8割を山岳地が占めるため可住地面積は全国45位である。

周辺地域とは、往来が比較的容易で交通路も整備されている東京都島嶼部を除く)、神奈川県津久井地区長野県南信地方静岡県大井川以東の三方との交流が、古くから盛んである。又、埼玉県秩父地方との境は奥秩父山塊に隔てられているが、1998年平成10年)の国道140号雁坂トンネル開通により、山岳部の踏破だけでなく自動車やバスでの直接往来が可能となった。

「山梨」の県名は律令制下の甲斐四郡の一つである「山梨郡」に由来し、県名は1871年明治4年)7月の廃藩置県に際して旧甲斐国一国が甲府県を経て「山梨県」に改称された[注 2]。山梨郡は県庁所在である甲府が属している郡域であるが県名の改称理由は不明で、明治新政府による幕藩時代との断絶が意図されていた可能性が考えられている[1]。「山梨郡」は本来は甲斐一国を意味する呼称ではないため、明治時代初期には新県名が浸透せず、政治団体やその機関誌等では県域を指す地域呼称として「峡中」が用いられた[2]。現在では「山梨」が県域全体を指す呼称として定着している。

地理・地域

広袤

重心
北緯35度36分56秒 東経138度36分31秒 / 北緯35.61556度 東経138.60861度 / 35.61556; 138.60861 (山梨県重心)

北端
北緯35度58分18秒 東経138度22分23秒 / 北緯35.97167度 東経138.37306度 / 35.97167; 138.37306 (山梨県最北端)
人口重心
北緯35度37分35.97秒 東経138度37分12.79秒 / 北緯35.6266583度 東経138.6202194度 / 35.6266583; 138.6202194 (山梨県人口重心)
西端
北緯35度42分52秒 東経138度10分49秒 / 北緯35.71444度 東経138.18028度 / 35.71444; 138.18028 (山梨県最西端)
山梨県庁舎所在地
北緯35度39分50秒 東経138度34分6秒 / 北緯35.66389度 東経138.56833度 / 35.66389; 138.56833 (山梨県庁)
東端
北緯35度37分00秒 東経139度8分4秒 / 北緯35.61667度 東経139.13444度 / 35.61667; 139.13444 (山梨県最東端)
 
南端
北緯35度10分6秒 東経138度29分28秒 / 北緯35.16833度 東経138.49111度 / 35.16833; 138.49111 (山梨県最南端)
 

地形

山梨県は急峻な地形であり、花崗岩が風化した脆い真砂土の堆積地も多いために、水をどのように治めるかが政治指導者の課題であった[4]。県内各地に信玄堤と呼ばれる治水遺構が多くあるのはこの歴史的特性による[4]

自然公園

気候と植物相

中央高地式気候を呈しているが、山地によって隔てられる地域差も大きい。また、盆地部は夏の暑さが顕著であるが、冬は緯度や標高を考慮すると比較的温暖で朝晩の冷え込みが厳しいものの晴天が多いために日中の気温は上がりやすい。これは、周囲の標高の高い山脈によって北や西からの寒気を遮ることが多くなるためであり、関東平野と同じく寒気の流入が遅れやすい。特に、年間を通して最高気温が高くなる傾向にあり、南部町では1月を除いてすべて夏日(25度以上)の記録がある。

冬の季節風(八ヶ岳おろし)が強いが、降雪は豪雪地帯南アルプス市(旧芦安村)と早川町を除いてわずか。また、夏は標高の割に最低気温が高くなり、6 - 8月の最低気温の月平年値は熊谷や東京など標高の低い平野部とほぼ変わらなくなる。年降水量が少なく日照時間が長いが、台風の通過経路でもあり、しばしば集中豪雨に見まわれる。その為、沼地の多い中巨摩地域では、舟を所有していた家も多かった。山麓地域では盆地部より気温が冷涼かつ1日の気温差が大きく、降水量も多い。このため、盆地周縁では冷涼な気候に向いた葡萄の栽培が盛んである。

植物相は盆地部で落葉広葉樹林、山岳部では亜高山・高山帯の植生。また、富士川下流域の河内地方は温暖多雨であり太平洋側気候にかなり近く、潜在自然植生で常緑広葉樹林。

富士山の山頂は最暖月平均気温が6.0℃でケッペンの気候区分ではツンドラ気候となっている。また、清里のある八ヶ岳山麓青木ヶ原樹海富士五湖周辺の富士山北麓などの標高1,000mを超える高原地域は亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属し、冬の寒さは非常に厳しく厳寒期には-20度を下回るが、夏は冷涼で避暑地となるなど北海道に似た気候である。

山梨県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
国中地方・中西部郡内地方・東部富士五湖
北杜市
大泉
韮崎甲府甲州市
勝沼
身延町
切石
南部甲府市
古関
大月富士河口湖町
河口湖
山中湖村
山中
富士山
平均
気温
()
最暖月22.3
(8月)
25.6
(8月)
26.2
(8月)
25.5
(8月)
25.6
(8月)
26.0
(8月)
23.6
(8月)
24.5
(8月)
21.8
(8月)
20.5
(8月)
6.0
(8月)
最寒月-0.4
(1月)
2.1
(1月)
2.5
(1月)
2.1
(2月)
1.7
(1月)
3.6
(1月)
0.3
(1月)
1.7
(1月)
-0.8
(1月)
-2.6
(1月)
-18.5
(1月)
降水量
(mm)
最多月187.8
(9月)
215.7
(9月)
190.8
(9月)
188.4
(9月)
307.4
(9月)
194.0
(9月)
337.9
(9月)
236.9
(9月)
256.0
(9月)
368.7
(9月)
最少月20.4
(12月)
22.1
(12月)
23.5
(12月)
22.6
(12月)
32.9
(12月)
29.0
(12月)
35.7
(12月)
26.6
(12月)
33.7
(12月)
49.1
(12月)

日本の地方区分における位置づけ

日本全体の地理上では、箱根峠より西の内陸に位置する為、東日本に分類される。

山梨県の公式見解でも、関東地方と中部地方との両方に属することが明確にされている。

県全体が中央高地の東寄りにあるため、地理的には、明治以来の日本を八つの地方に分ける全国八地方区分では中部地方に位置付けられる[注 3]

一方で行政や経済、県民生活などでは関東地方ないし広域関東圏の一部という面が強い。中部圏知事会のメンバーではなく[5]関東地方知事会に参加しており、首都圏整備法の対象地域でもある[6]。知事会議でも山梨県は中部地方の会議には参加せず、関東地方の会議にのみ参加している。

政府機関でも以下のように、山梨県はおおむね関東の出先機関管轄とされている。

また、衆議院比例代表ブロックでは神奈川県・千葉県とともに南関東ブロックとされている他、防衛分野においては神奈川県・静岡県とともに南関東防衛局の管轄とされるなど、神奈川県等と共に南関東として扱われることも多い。 司法分野では、東京高等検察庁甲府地方検察庁を所管しているほか、甲府地方裁判所の上位裁判所は東京高等裁判所である。

文化・スポーツ面では、国民体育大会で山梨県が関東ブロック[10] に属しているほか、学生陸上競技の地方大会である箱根駅伝に山梨県所在の大学が参加するなど、関東地方の一部として扱われる例が多い。
公益企業を含む民間ビジネスなどの分野でも、県内を通るJR線のうち中央本線東日本旅客鉄道(JR東日本)の八王子支社の管轄であったり、神奈川県と共に日本郵便は南関東支社の管轄、電話はNTT東日本[注 4]、総合スーパーなどを営むイオンリテールは南関東カンパニーの管轄であるなど、関東地域の営業部署の管轄エリアであることが多い。

山梨県は、同じように中部地方東側で、関東圏と関りが深い他県とまとめた地方として扱われることがある。山梨県と静岡県(東側が旧駿河国)を併称する場合は山静(さんせい、やましず)や甲駿(こうすん)と言う。長野県(旧信濃国)とまとめて甲信地方という呼び方もある。

隣接する都道府県

東京都 - 神奈川県 - 埼玉県 - 静岡県 - 長野県

山梨県南都留郡山中湖村静岡県駿東郡小山町の籠坂峠付近と山梨県南都留郡鳴沢村及び富士吉田市静岡県富士宮市及び駿東郡小山町富士山山頂付近(県境)には2ヶ所未定区間がある。御殿場市は、小山町の間に境界未定部分が有るため、富士吉田市及び鳴沢村と接する可能性もある。

自治体

自治体は、以下の13市5郡8町6村がある。町の読み方は富士河口湖町だけが「まち」で、他は全て「ちょう」、村は全て「むら」である。

市部
郡部

県内の地域区分

県域は、中西部の甲府盆地を中心とする国中(くになか)と、東部の相模川多摩川の上流域および富士山北麓からなる郡内(ぐんない)に大別される。両者は方言(郡内は関東地方との結び付きが国中よりも高いため、西関東方言に分類)など、自然や文化においても大きく異なっている。

国中地方はさらに、甲斐を意味する「峡」(きょう)の後に方角を示す語をつけて「峡中」「峡北」「峡東」「峡南」「峡西」に分けられる[11]

「国中」「郡内」は、戦国時代以来の呼称。「中西部」「東部富士五湖」は気象情報で用いられている。郡名は古来用いられてきたもの。「峡○」は、県の出先機関である地域振興局の区分となっている(この四つの他、東部・富士北麓地域振興局がある)。国中地方は東海地方の文化圏であるのに対し、郡内地方は関東地方の文化圏となっている。方言も国中弁郡内弁で異なる。

歴史

先史時代

甲府盆地では釜無川笛吹川氾濫原が広がっている。郡内地方では富士山の火山活動による影響も受け、定住が困難な時代が続いていた。

旧石器時代の遺跡は長野県との八ヶ岳山麓や静岡県の愛鷹山箱根山など隣接する文化圏に属する地域や桂川流域を中心に分布する。最古の一杯窪遺跡(都留市)や立石遺跡(甲府市)をはじめ、八ヶ岳山麓の丘の公園内遺跡群(北杜市)や神津島産の黒曜石が出土した(北杜市)、長野県産の黒曜石が発見された天神堂遺跡などが代表的で、周辺地域に比べ密度は低いものの、周辺地域との人的移動を示す資料が発掘されている。

縄文時代草創期から前期には引き続き湧水が利用できる山麓部やなどに遺跡が分布し、後期旧石器時代から縄文草創期への移行期にあたる神取遺跡(北杜市)や関東文化圏の影響が見られる池之元遺跡(富士吉田市)が出現する。中期には盆地にも進出し、大規模な集落遺跡である釈迦堂遺跡群(笛吹市、甲州市)や重要文化財に指定されている精巧な土器の出土した一の沢遺跡、豊富な生活遺物が出土している花鳥山遺跡などが出現し、論にも一石を投じた有孔鍔付土器など考古学史上注目されている遺物も出土している。また、盆地西部の西郡地域は釜無川の氾濫原であり考古遺跡は乏しいが、近年では精巧な土器や土偶が出土した鋳物師屋遺跡が発掘され、注目されている。

後晩期には地球的な寒冷化の影響を受けて遺跡数が減少するものの、石組や配石遺構など祭祀施設であると考えられている八ヶ岳南麓の金生遺跡(北杜市)や牛石遺跡(都留市)などが出現する。また、郡内地方の桂川流域では関東地方との交流が見られる遺物が出土している。

弥生時代には身洗沢遺跡金の尾遺跡などの集落遺跡があり、(韮崎市)では水田が確認されている。盆地南西部の曽根丘陵では東海地方経由で弥生文化が流入し、方形周溝墓が見られるなど古墳時代に至る遺跡がある。

古墳時代の4世紀後半には畿内で確立したヤマト王権と政治的接触を持っていたと考えられている。曽根丘陵では4世紀前半の前方後方墳である小平沢古墳をはじめ、4世紀後半には最大規模の甲斐銚子塚古墳岡銚子塚古墳などの有力首長クラスの前方後円墳が出現し、三角縁神獣鏡などの副葬品も出土している。5世紀には中道勢力が衰退し、古墳の造営は盆地各地へ拡散する。

古代

国造本紀』などによると景行天皇の時代に狭穂彦王の四世孫の塩海足尼甲斐国造に任命されたと伝わる。古代には律令制下において甲斐国が成立する。『日本後紀延暦16年条によれば甲斐東部の都留郡の帰属をめぐって隣接する相模国との間で争論があったという。甲斐国は五畿七道では東海道に属し、山梨・八代・巨摩・都留の甲斐四郡が成立。郡郷は『和名類聚抄』に31郷が記載されている。山梨・八代両郡は古代甲斐国の政治的中心地で、国府は山梨郡笛吹市春日居町に前期国府が存在し、八代郡の笛吹市御坂町に移転されたと考えられている。官道は東海道から分岐して都留郡を経て、甲府盆地に入り甲斐国府に至る甲斐路が存在していた。四郡のうち甲斐西部の巨摩郡は渡来人の入植により成立した郡であると考えられている。

一方、『古事記』『日本書紀』(記紀)に記される日本神話においてはヤマトタケル(倭建命、日本武尊)の東征において足柄山から甲斐へ入り、酒折宮(甲府市酒折)において老人と歌を交わす説話が残されている。記紀に載る日本神話には両書が成立した奈良時代の歴史認識が反映されているものと考えられているが、考古学的にも甲斐においては古墳後期の4世紀後半代から畿内の影響下にあったとみられ、酒折宮伝承にもヤマト王権と甲斐の在地豪族との関係が反映されているものと考えられている。足柄山から甲斐国へ至ったヤマトタケルの遠征ルートは古代の交通体系を明らかにする上でも注目されている。

また、『続日本紀』においては甲斐国司の田辺史広足が黒毛の駿馬を朝廷に献上したという「甲斐の黒駒」に関する説話が記されている。『延喜式』によれば東国では甲斐をはじめ信濃・上野武蔵の四国に御牧が設置され馬産が行われていたことが記されている。や長屋王家木簡などのからも朝廷への貢馬が確認されている。『延喜式』によれば甲斐には穂坂牧、真衣野牧柏前牧のが設置されていたという[12]

平安時代には市河荘やなどの荘園が成立し、国府所在地である甲府盆地東部では在庁官人である三枝氏が八代荘を勢力基盤とした。『長寛勘文』によれば応保2年(1162年)には三枝氏に打撃を与えたが発生している。

平安時代後期には常陸国から源義清源清光が市河荘に配流された。義清、清光の子孫は甲府盆地の各地へ土着し、後に甲斐源氏となる。

中世

平安時代後期の治承4年(1180年)、以仁王令旨が諸国の源氏に下されると甲斐源氏の一族も平氏政権に対して挙兵する。甲斐源氏の一族は伊豆国源頼朝の挙兵と協調し、富士川の戦いなど治承・寿永の乱において活躍する。乱後、甲斐源氏の棟梁となった武田氏甲斐国守護となるが、甲斐源氏の一族は源頼朝の粛清を受け、衰退する。武田氏は中世には必ずしも甲斐守護を歴任していない。鎌倉幕府滅亡後に北条時行ら北条氏の残党が起こした中先代の乱までは北条方に属し、南北朝時代には建武政権から離反した足利尊氏に従った。

室町時代には、室町幕府鎌倉府の対立や、鎌倉府における鎌倉公方関東管領の対立など関東地方の騒乱の影響を受ける。応永23年(1416年)、鎌倉公方の足利持氏に対し、前関東管領の上杉禅秀が挙兵した上杉禅秀の乱では、甲斐守護・武田信満が禅秀方に加担し、滅亡する。これにより甲斐は守護不在状態となり、足利持氏は甲斐国人のを支持して室町幕府に対抗した。一方、室町幕府は武田信元、続いて武田信重を甲斐守護に任じ、守護代として跡部氏を派遣した。以後、甲斐では守護武田氏と有力国人や跡部氏との抗争が続く。

守護・武田信昌寛正5年(1464年)には跡部氏を排斥する。信昌は嫡男の信縄に家督を譲り、いったん隠居した。後に次男の油川信恵に家督を譲る意向を示し、信縄と信恵間の内訌が生じる。信縄の子・武田信虎永正5年(1508年)に信恵方を滅ぼし、国中地方の有力国人や都留郡(郡内地方)の国衆・小山田氏など従属させる。さらに信虎は駿河国の今川氏や信濃諏訪氏扇谷上杉家山内上杉家と同盟を結び、相模の後北条氏と敵対しつつ、信濃侵攻を開始した(「佐久攻め」を参照)。また、信虎は従来の(甲府市川田町)から甲府躑躅ヶ崎館(甲府市古府中町)に守護館を移転し、新たに城下町を整備し家臣団を集住させる。

都留郡では小山田氏が武田氏に臣従しつつも、、後に谷村館を本拠とした独自の領域支配を行った。河内領では穴山氏が同様に武田家臣となりつつ、下山館を本拠とした領域支配を行った。

信虎の子・武田晴信(信玄)は天文10年(1541年)に信虎を駿河へ追放することで家督を継承する。晴信は信虎の外交方針を転換し、信濃諏訪氏を滅ぼして諏訪郡を領国化する。さらに相模国の後北条氏と和睦を結ぶと、今川・北条間の河東の乱を調停し、三者の間で甲相駿三国同盟を成立させる。一方、信濃侵攻により山内上杉氏とは敵対する関係となり、信濃村上氏ら信濃国衆や越後国の長尾景虎(上杉謙信)と川中島の戦いを繰り広げる。

信濃をほぼ統一した後は西上野や今川領国への侵攻を行い、三河北部や遠江東部・北部、美濃恵那郡も出兵して、織田信長徳川家康と対抗した。また、信玄期に確立した大名権力により独自の領国支配が展開された。年貢収入を調査する検地の実施やの整備や信玄堤の築造するなど治水政策が百姓への農業政策となった。躑躅ヶ崎館を中心とする甲府の城下町の整備が行われて、黒川金山湯之奥金山など近世まで稼働したの開発など商業活性化する領国経営事業が行われている。

信玄死去により家督を継いだ武田勝頼長篠の戦いに敗れて領国の動揺を招き、天正10年(1582年)3月、織田信長・徳川家康連合軍による甲州征伐戦国大名としての武田氏は滅亡した。また、勝頼から離反した郡内領主の小山田信茂は織田氏に出仕するが処刑され、郡内領主としての小山田氏も滅亡する。

近世

武田氏滅亡後、甲斐一国と信濃諏訪郡は織田家臣の河尻秀隆が支配するが、同年6月の本能寺の変により発生した一揆で秀隆は横死。武田遺領を巡る天正壬午の乱では徳川家康と相模国の北条氏直が甲斐へ侵攻して八ヶ岳南麓・七里岩地域において対峙するも、同年10月の徳川・北条同盟の成立により後北条氏は撤兵。甲斐は徳川氏が領した。

その後、家康は豊臣秀吉に帰服。後北条氏滅亡後の天正18年(1590年)に関東へ移封され、甲斐国には浅野長政ら豊臣大名が入った。豊臣政権下で甲斐は東国の家康に対する拠点として重視され、新たに甲府城が築城されて新城下町が整備され、甲斐国内の検地も行われた。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後には、勝利した徳川家康が主導して大名の全国的な再配置が行われた。甲斐では浅野氏が和歌山へ移封され、再び徳川氏による直轄支配が行われた。甲斐国は関東防衛の要所として重視され、江戸時代初期、国中には将軍直系(甲府藩)、郡内には譜代大名谷村藩)が配置された。甲府藩には甲府徳川家が入封し、藩政機構が整えられた。宝永元年(1704年)に綱豊(徳川家宣)が将軍後継になると、川越藩柳沢吉保が受封し、吉保の子吉里は甲府藩主で初めて国元へ入っている。ほか、甲斐には旗本領も存在していた。

享保の改革においては江戸幕府直轄領の整備が行われ、享保9年(1724年)に吉里が大和郡山藩に転封されると甲斐は幕府直轄領化され、谷村藩も秋元氏の転封後は直轄領化された。甲府町方は甲府勤番、在方は甲府代官所をはじめとする三分代官による支配となり、郡内は石和代官所の出張陣屋である谷村代官所が設置された。延享3年(1746年)には御三卿の賄領がおかれ、うち田安家領のみは幕末まで存続した。

近世甲斐は甲府城下町、谷村城下町の城下町のほか在郷町身延山久遠寺門前町や富士北麓の吉田・川口の御師町など都市や町場が発達。、甲州街道駿州往還佐久往還青梅往還をはじめとする諸街道が整備された。江戸初期には角倉了以による富士川の開削工事が行われて富士川舟運中馬による陸上輸送が発展し、江戸後期には甲斐・信濃の年貢米の輸送が行われた[13]

近世には領主権力の確立により治水や用水路の開削が行われ、釜無川・御勅使川の治水や徳島堰の開削、郡内でのや新倉掘抜の開削などが行われ、甲府城下でもが整備される。治水の進捗に伴い在方では新田開発が進み、養蚕織物など産業が発達した。甲府盆地では一般に米麦栽培に商品作物の栽培、農閑期の行商や大工などの農間余業を組み合わせた生業形態が一般的であった。山地が多い甲斐の山村では、林業や狩猟、製炭採取、鉱山経営などの山の生業が発達し、特に郡内では平坦地が少ないため織物の生産や街道沿いでの駄賃稼ぎの占める割合が高い。こうした生業的特徴から甲斐では水利を巡る水論や山の用益を巡る山論が多発している。

また、甲斐では金納税制である大小切税法甲州金甲州枡の甲州三方が独自の国制として存在し、領主側の廃止や改正に対して領民は存置を求め抵抗している。また、領主側との衝突や災害・凶作などに伴う百姓一揆も発生し、や太枡騒動、江戸後期には郡内に発する百姓一揆から無宿・悪党を巻き込み一国規模の騒動となった天保騒動など大規模な百姓一揆も発生した。

文化面では甲府城下町の発達により遊芸文化が興隆し、甲府藩時代には大名文化、江戸後期には町人文化が発達する。甲府勤番・勤番士は学問的関心を持ち、甲斐国の総合地誌である『甲斐国志』の編纂や勤番士による『』など地誌の編纂が行われ、勤番士の学問所である徽典館も開かれた。甲府では町人亀屋与兵衛が芝居小屋であるを開業し、歌舞伎や相撲、人形浄瑠璃などの諸芸興行を行い、1841年天保12年)には甲府町人が江戸の人気浮世絵師である歌川広重を招き、城下の大通りを広重ら人気浮世絵師の幕絵で飾る甲府道祖神祭礼を創始した。ほか、俳諧和算なども発達する。

また、武田信玄は近世から甲斐領民の尊崇を集め、武田氏館跡や墓所、武田氏に関係する寺社などが古跡として成立した。近世にはである『甲陽軍鑑』が成立し、関係書を含めて武家・庶民の間でも広く読まれ影響力を及ぼし、武田家に関する文学や浮世絵なども製作された。

江戸後期は東国に特徴的な農村の荒廃から無宿・博徒が増加し、竹居安五郎黒駒勝蔵など甲州博徒が台頭した。幕末開国#日本の開国により横浜港開港されると、甲州屋忠右衛門若尾逸平ら在方商人が甲州産物を移出して富を築いた。若尾逸平は甲府において製糸業に着手して新興商人として台頭し、明治時代には甲州財閥を形成する。

明治維新から終戦まで

慶応4年(明治元年、1868年)3月、甲府城へ入った新政府の板垣退助率いる甲州街道軍と、近藤勇率いる旧幕府軍の甲陽鎮撫隊新選組)が勝沼甲州市の一部)大善寺で激突した(甲州勝沼の戦い)。旧幕府軍は駆逐され、甲州鎮撫府が設置された。

同年10月19日旧暦9月4日)、甲斐国内に府中県県庁所在地は山梨郡甲府)、市川県石和県が設置され、12月11日旧暦10月28日)にこれら3県を統合して甲斐府が設置された。明治2年(1869年8月27日旧暦7月20日)、「」の呼称が京都府東京府大阪府に限定されたことから、甲斐府は甲府県と改称した。

明治3年(1870年)5月に田安領を併合し、明治4年(1871年8月29日旧暦7月14日)の廃藩置県後も甲府県は存続したが、同年10月末(旧暦)に始まる第1次府県統合により、旧韮山代官所を引き継いだ韮山県の甲斐国内管轄区域などを統合して、12月31日旧暦11月20日)に甲斐国全域を管轄区域とする山梨県が発足した。県庁所在地は引き続き山梨郡甲府、初代県令には土肥実匡が任ぜられた。1873年(明治6年)に着任した藤村紫朗殖産興業政策により、製糸業の勧業や道路、金融機関の整備が行われた。特に青梅街道の改築など道路整備を推し進めたことから、藤村は「道路県令」とも呼ばれている[14]

1909年(明治42年)には陸軍甲府連隊(歩兵第49連隊)が設置された。太平洋戦争中には疎開地でもあったが、1945年(昭和20年)7月には甲府空襲に遭い、市街は灰燼と帰した。

また、明治時代には、1882年、1885年、1907年、1910年と大水害に見舞われ、大きな被害を受けた[4]。これには、地形的理由だけでなく、林野の強権的官有化による里山の荒廃や急激な開発という人為的理由も一因した[4]。1873年の地租改正後、林野の官民有区分が行なわれ、県下のの99%以上が1881年に官有とされ、1889年には皇室財産となった[4]。これにより地元民は草木採取に際し面倒な手続きを強いられることとなり、盗伐や山火事が頻発して里山の荒廃に繋がった[4]。さらに、明治期日本の主要産品である絹織物生産のためにの餌となる桑畑の開墾や、薪炭材調達を目的として山林が徹底的に伐採された[4]。こうしたことが大災害に繋がったとして、1911年に御料林は県に無償返還されて恩賜県有林となり、入会権などは官有前に戻された[4]

戦後から現在まで

※日本の占領時代については「連合国軍占領下の日本」を参照。 終戦後、1945年(昭和20年)9月にはアメリカ陸軍第8軍の部隊が甲府へ進駐。年末には戦闘部隊は引き上げ、少数の山梨県軍政部が県庁周辺の洋風建築を接収して県内の監視を行う。県内人口は復員兵や疎開者の帰還で増加し、戦時期の山林荒廃から災害被害もあり食糧事情は悪化。当局により、新潟 県からの移入米の配給や米軍の食糧放出など対策を講じるが食糧難はしばらく続き、ヤミ米が流通した。

連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による改革を受け、県内でも政党活動や新聞の発行などが再開される。1946年(昭和21年)には内務省官僚による地方支配に代わり公選知事が導入され、1947年(昭和22年)の第一回県知事選では保守派合同の推薦で吉江勝保が当選し、初代公選知事となる。吉江は1948年(昭和23年)2月に食料増産や山林復旧など10大政策を掲げたものの、財政難などの制約もあり産業基盤の復興もままならず、社会福祉制度も構想のみに留まった。

1951年(昭和26年)の知事選では民主党代議士天野久が擁立され、吉江知事を破り当選。天野「富める山梨」を掲げ、利水に乏しい甲府盆地西部の御勅使川扇状地を開発する野呂川総合開発に着手し、計画は国の援助を受け上水道や県営発電所の建設が行われた。また、新笹子トンネル建設による幹線道路の整備は高度経済成長期とも重なり、果樹農業や観光の振興にも繋がった。一方で、天野県政期には開発による災害があり、北富士演習場問題が発生する。1959年と1966年に山梨県は台風により大規模な被害を受けるが、戦時中の治山治水事業の停滞と戦後の乱開発が被害拡大を招いたとされる[4]

1967年(昭和42年)に天野知事を破り3代知事となった田辺国男は「健康山梨」を掲げ、一村一工場誘致を方針に工業団地造成や幹線道路整備を行う一方で、開発により環境破壊が顕著となっていたため環境保護にも配慮したグリーン・プランを提唱する。一方で連峰スカイライン構想を具体化させると批判が相次ぎ、北富士演習場問題の膠着やオイルショックの影響による不況も重なって巨大開発構想は断念された。文化事業では、1978年(昭和53年)にはフランスの画家ミレーの『種をまく人』を2億円で落札・購入した山梨県立美術館を創設。

田辺県政は日本経済の好景気化も受け4期目を目指したが、中央政界で前天野知事を支持した自民党政治家金丸信が影響力を強めると県議会においても金丸派が最大派閥となり、これに社会党県連が4選阻止のため提携し、副知事の望月幸明を擁立。1979年(昭和54年)の県知事選では田辺知事を破り、望月が当選した。望月県政は金丸信の後見を受けて県議会でのオール与党体制を確立し、北富士演習場問題の小康やバブル景気の後押しを受け、1986年(昭和61年)のかいじ国体の開催や県有林の高度活用、リゾート施設の造成、リニア実験線の誘致などを勧めた。

1965年(昭和40年)までに県内の中央本線が複線・電化され、1982年(昭和57年)には中央自動車道が全線開通。また石和温泉富士五湖清里などの観光地が整備され、首都圏から日帰り短期旅行できる観光地としても発展した。

バブル景気が崩壊すると県内の景気も一気に低下。甲府中心地の地価が15年連続下落し、また清里などのリゾート地も衰退する。一方で郊外のベッドタウンではイトーヨーカドーアピタといったショッピングセンターが次々と開業し、甲府西武ダイエー湯村SCが撤退して停滞する甲府中心街に対して発展を遂げている。

望月知事が4選を断念し、1992年(平成4年)に望月県政を批判して金丸派候補を破り当選した天野建知事(父は上記の天野久)は財政難の中公共工事の見直しを行いつつ環境行政を重視する「幸住県やまなし」事業を実施。山梨県立博物館の建設推進や排水路整備の推進をおこない、1996年(平成8年)には長年県民を苦しめてきた日本住血吸虫地方病)の終息宣言を行う。

天野知事の後、2003年(平成15年)からは前甲府市長山本栄彦が知事に就任。バブル崩壊後手付かずだった甲府駅北口の整備や中部横断自動車道増穂IC以南の着工を推進。しかし県政の混乱が発生し、2007年(平成19年)の選挙横内正明に敗れ、山本県政は1期で終焉した。横内県政では、甲府市中心部の再開発や「トップセールス」として山梨県の特産物の海外展開を行なう。この間、世界金融危機東日本大震災が発生し、特に山梨の景況感は冷え込み全国最下位が続いていた。2期続いた横内から2015年(平成27年)に県政を引き継いだ後藤斎は人口減対策などの政策を打ち出したが、政策の修正や見直しを迫られるなどし、2019年(平成31年)の選挙長崎幸太郎に敗れている。

2003年(平成15年)より平成の大合併が行われ、64あった市町村が27(2010年(平成22年)3月時点)まで集約された。

平成末期の2018年(平成30年)基準での都道府県別ランキングでは健康寿命が全国1位(男性1位、女性3位)であるほか[15]、『東洋経済』による幸福度ランキングでも上位につけている[16]。しかしNPO法人「ふるさと回帰支援センター」による移住希望地ランキングでは総合4位で60代以上が全国2位、30代から50代は全国3位と高い評価の一方で20代は10位外となっており[17]ダイヤモンド社による「地元愛が強い都道府県ランキング」では最下位となるなど[18]、高齢者の評価が高いのに対し若者や県外へ転出した者の評価が低い傾向にある。

人口

Demography19000.svg
山梨県と全国の年齢別人口分布(2005年)山梨県の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 山梨県
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

山梨県の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

都市

山梨県内 市別人口ランキング

山梨県内市別人口密度ランキング(2016年(平成28年)時点)
  1. 甲斐市(1,040人/km2
  2. 中央市(980人/km2
  3. 甲府市(905人/km2
  4. 富士吉田市(401人/km2
  5. 笛吹市(344人/km2

政治

県政

財政

  • 2007年(平成19年)度
    • 財政力指数 0.42
      • IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)11自治体中8位
  • 2006年(平成18年)度
    • 財政力指数 0.39
      • IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中2位
  • 2005年(平成17年)度
    • 財政力指数 0.35
      • IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)14自治体中10位
  • 2004年(平成16年)度
    • 財政力指数 0.32
      • IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)13自治体中11位

国政

衆議院小選挙区は2013年の区割り改正で、3から2に減少。参議院では、全県で1区を構成。

経済・産業

第一次産業

山梨県は中央高地式気候のため寒暖の差が大きく、農業に適した地域は甲府盆地を中心に水捌けの良い平坦地である。江戸時代には治水・用水路開発のにより新田開発が行われ農業生産力は向上したが、養蚕果樹などの商品作物栽培を複合させた形態の農業を発達していた。

養蚕は明治初期の殖産興業において特に力を入れられ日本有数の養蚕県であったが、化学繊維の台頭などにより昭和30年代をピークに養蚕の減少と、果樹栽培の増加に転じている。桑畑から果樹園への転換による景観的変化や、年中行事など生活・文化面の変化をもたらしている。

戦後の高度経済成長期において日本経済は農業の比重を低下させているが、工業の立ち後れていた山梨経済においても農業の役割は低下し、農家数や耕地面積は減少している。一方で経済成長により生じた国民生活の変化に対応して農業の形態を変化させており、国民の食生活が変化したことにより葡萄サクランボなどの果樹栽培の需要が高まった。山梨県産葡萄から醸造する「甲州ワイン」は、近代国産ワインの先駆けである[19]。2019年8月7日には山梨「ワイン県」宣言を行った[20]

また、首都圏中京圏から近い地理的条件を活かして観光農園として観光客を集めているところも多い。

1980年代から1990年代にかけては果樹栽培への移行と農業の減退の傾向はさらに加速し、農業を主とする第一種兼業農家から農業を従とする第二種兼業農家への移行を示している。これに伴い中山間地域を中心に高齢化や農業後継者不足、過疎などが顕在化し、近年の課題となっている。

また、ミネラルウォーターの生産量は52万9388キロリットル2004年(平成16年))であり、日本の総生産量の40%を占める。山がちな地形であることから帯水層の露出が多く、都市化が進んでいないため清澄な湧水が多く採取できる上、主要な消費地の東京圏に近く輸送コストが小さいため、大手メーカーの多くが採取地に山梨県を選んでいる。主な産地は南アルプス山麓と富士山および三ツ峠山麓である。

第二次産業

江戸時代後期から近代・昭和戦後期まで養蚕製糸業が盛んであったが、戦後は斜陽化し、現在は衰退している。また海や大河がなく大量の水を使うことが難しく、また戦後しばらくまでは交通機関が未整備であったため鉄鋼金属などの重工業が発展しにくい土地である。その一方で四方を山地に囲まれ水質が良好であることから、戦後の中央自動車道の全線開通以降、長野県諏訪地域とともに精密機械産業が発達している。その他には石英(水晶)の採掘地であったことから、研磨宝飾を中心とした宝石加工産業が発達している。2018年時点でも、宝飾品や貴金属の加工・流通に携わる企業が1000社近くある[21]

甲府盆地および富士山麓地域を中心にほぼ全地域に工業団地が点在しているが、可住地面積の少なさが災いしてか大規模な工業団地が形成しにくい。そのため近年では県外の工業団地に移転する企業が相次いでいる。

富士川など高低差のある河川を利用して戦前より水力発電所が建てられ、戦後は山梨県を管轄する東京電力だけでなく山梨県企業局による水力発電所も建てられた。企業局で発電された電気は東京電力ホールディングスに売却され、これが山梨県の財政の助けになっている。また、日照時間の長さを利用した太陽光発電も建てられ、米倉山太陽光発電所やなど10MWクラスの発電所が稼働している。山梨にある発電所は水力と太陽光が大半を占めており、火力発電所原子力発電所は皆無である。

第三次産業

甲府は近世の甲府城下町が商業的拠点として発達し、明治後に中央本線が開通すると甲府駅が開業し、山梨県庁舎をはじめ岡島百貨店甲府松菱(後の山交百貨店となるも2019年閉店)などが駅前に軒を連ね、戦後復興期までは甲府駅を中心に発展していった。しかし高度経済成長を迎えると県内でもモータリゼーションが進行し、並行して公共交通機関が衰退した。旧城下町である甲府は道幅が狭く、渋滞が顕著になった甲府駅前を避ける傾向が強まった。代わりに高速道路バイパス道路が整備された郊外に大型商業施設が次々と進出したため、1990年代よりドーナツ化現象が進行している。また中央本線の高速化や高速バスの発展により県外へのストロー効果が起こり、山梨県の商業そのものに影響を与えている。総務省が発表した「経済センサス‐基礎調査」によると百貨店・総合スーパーの人口10万人当たり店舗数は0.71軒と、全国ワーストとなっている。但し人口10万人あたりのコンビニ店舗数は全国でもトップクラスである。

外食産業の店舗数が多いことが特徴で、人口当たりで寿司屋ガストバーミヤンモスバーガーの店舗数は全国1位である[22]。特に海が隣接していないのにもかかわらず寿司屋が多く、甲府市の中心部では100mあたり5、6店舗が並ぶところがある。山梨に寿司屋が多い理由として昔からの「海に対するあこがれ」や、元々祝いの席で必ず食べるものがなく、その代わりとして寿司が祝いの席の食べ物として出されるようになったことなどが挙げられている[23]。また、富士川町の鰍沢河岸跡からは明治期のマグロをはじめとする大型魚骨が出土しており、江戸時代から富士山麓の駿州往還中道往還を利用した駿河方面からの海産物移入が行われていたと考えられている。

温泉・宿泊施設として古くから信玄の湯 湯村温泉下部温泉があり、戦後は石和温泉が沸出するなど旅館系施設が発展したが、バブル崩壊後はこれらの温泉街は衰退している。代わりに21世紀になると甲府中心部に県外資本のホテルが進出し、2010年代になるとインバウンド消費の増大と富士山周辺の世界遺産登録により富士五湖周辺の宿泊施設が増えている。

その他

本社を置く主要企業

建設業
製造業
情報通信業
運輸業
卸売業・小売業
金融業
サービス業

拠点事業所を置く主要企業

生活・交通

警察

交通

航空

山梨県内に空港は存在せず、隣接都県で旅客扱いを行う空港としては、信州まつもと空港長野県)や羽田空港(東京都)、富士山静岡空港(静岡県)がある。

羽田空港や成田空港千葉県)へは甲府駅および富士山駅・河口湖駅から、富士山静岡空港へは河口湖駅から空港連絡バスが運行しており、直接空港へ向かう公共交通機関が存在する。一方で信州まつもと空港へ直接アクセスできる交通機関はなく、松本駅で乗り継ぐ必要がある。なお、富士山静岡空港については中部横断自動車道の進捗次第で甲府駅からも空港連絡バスを運行する計画がある。

鉄道

小海線を除いて、電化されている。

なお、2015年3月14日北陸新幹線長野駅長野県)- 金沢駅石川県)間が開業したことで、中部地方の県で新幹線の路線が乗り入れていないのは山梨県と福井県のみとなった[注 5]

バス会社

県内バス輸送人員(年間)
  • 2012年:695万4000人

※全国で2番目にバス利用者が少ない

道路

高速道路有料道路

国道

地域高規格道路
県道
山梨県の県道一覧」を参照
その他の一般道路[注 6]

医療・福祉

災害拠点病院
山梨県災害拠点病院
保育所
山梨県保育所一覧

教育

大学

国立

公立

私立

通信制大学

私立

短期大学

私立

専修学校
山梨県専修学校一覧
特別支援学校
山梨県特別支援学校一覧
高等学校
山梨県高等学校一覧
中学校
山梨県中学校一覧
小学校
山梨県小学校一覧
幼稚園
山梨県幼稚園一覧
その他教育機関
農業大学校
職業能力開発短期大学校

マスメディア

新聞

戦前には『山梨日日新聞』(以下は山日と表記)、『山梨毎日新聞』はじめ6紙が発行されていたが、第二次世界大戦中の新聞統制によって県内の諸紙は山日に統合される。戦後には数紙が創刊され、昭和40年代まで富士急行が大株主である『山梨時事新報』(山時)が山日と部数を競った。1969年(昭和44年)に富士急行が所有株式を売却すると山時は山日に吸収され、現在は、全国紙を除いて日刊紙は山日のみの状態となっている。全国紙は東京版が販売されており、県内ニュースを載せるページ(地方版・県版)を設けている新聞が多い。

テレビ局

NHKのテレビ放送1953年(昭和28年)に開始された。地理的条件のため、当初は受信契約数は少なく、NHK甲府放送局1959年(昭和34年)に中継送信所を設置して以降から普及した。民間放送ではラジオ山梨が1959年(昭和34年)12月に送信所を設置してテレビ局を開設し、山梨放送(YBS、NNN/NNS系列)が開局。1968年(昭和43年)にUHF(極超短波放送)電波が割り当てられると、免許申請は一本化されて「山梨中央テレビ」として取得し、翌1969年(昭和44年)5月には株式会社テレビ山梨(UTY、JNN系列)が発足。そのため、民間テレビ放送局は2局しか無い。

山梨県は首都圏に属してながら、在京キー局の電波が郡内の一部を除き届かず、YBSとUTYの2局しか民間放送がない状態が長く続いている。そのため、福井県徳島県佐賀県宮崎県と並んで、ビデオリサーチによる視聴率調査が行われていない都道府県の1つとなっている。ケーブルテレビに加入して、NNN系列のYBSとJNN系列のUTYに加えて、テレビ朝日、テレビ東京、フジテレビの番組を視聴する世帯が多い(2012年時点で約160,000世帯)。

山梨県の地上波テレビ・FMラジオの県域放送親局及びYBSラジオのFM補完中継局のメイン送信所は、いずれも坊ヶ峰に設けられている。

  • 山梨県内のテレビ局

ラジオ局

※本県は全国の都道府県で唯一、全国FM放送協議会(JFN)加盟の民放FM局がradikoの基本サービスで聴取不可。電波受信では、TOKYO FMK-mixFM長野が一部地域で受信可能。

※本県のコミュニティFM局は全局がミュージックバードの配信局。ネット配信では全局がJCBAインターネットサイマルラジオに参加している。

ケーブルテレビ

山梨県の有料ケーブルテレビ(自主放送)の世帯普及率は、2012年(平成24年)1月時点で86%と、全国第1位である。共同アンテナ受信なども含めると93%を数える。ただし山梨県のケーブルテレビ局は、他の都道府県と用途が異なり、不足するテレ朝系、テレ東系、フジテレビ系の補完放送が第一であるため、標準契約で視聴できる放送は地上波のみである。

地上波の構成は、NHK甲府+地元民放2局と、テレビ朝日・テレビ東京・フジテレビ+独立局が基本である。かつてはBSアナログ放送も視聴できた。STBCS放送は、別途オプション契約となる。

文化・スポーツ

方言

食文化

郷土料理

伝統工芸

経済産業大臣指定伝統的工芸品
伝統工芸品

スポーツ

観光

有形文化財建造物

国宝
重要伝統的建造物群保存地区
  • 赤沢(早川町)
  • 塩山下小田原上条(甲州市)

観光地

自然


祭事

対外関係

山梨県と米国アイオワ州は、1959年(昭和34年)の台風7号と伊勢湾台風の2つの台風による災害[25] に対して、アイオワ州から見舞いとして農畜産物を贈られたことから姉妹締結した[26]

山梨県を舞台とした作品

ここでは「物語の主要舞台が山梨県」「核心部分の舞台が山梨県」「主要舞台が山梨県を参考にしている」作品のみを記載する。

  • 「撮影地が山梨県であるが、舞台は山梨県とは無関係」「作中に山梨県が登場するが、通過点や部分的に触れているだけで主要や核心といえない」等の作品については割愛する。
  • 「登場人物が山梨県出身であるが、舞台は山梨県とは無関係の作品」については山梨県出身の人物一覧#架空の人物にて「人物名(作品名)」として取り扱う。
  • 漫画・アニメ・ゲームについては以下の条件のいずれかにあてはまる作品のみ記載する。
    • 当該作品内にて実在の地名で登場している。
    • 当該作品に携わる出版社や放送局、ゲーム販売会社、アニメ制作会社の公式サイトにて舞台地やモデル地の記述がある。
    • 当該作品に携わる原作者漫画家、制作サイドの責任者(アニメ監督プロデューサー相当)がSNSで舞台地やモデル地を公言している。
    • 出版物やマスメディア、制作協力を行なっている自治体・公益法人・企業など信頼できる情報源にて舞台地やモデル地の記述がある。

文芸

映画

その他、東京に比較的近く交通至便のため、上記の作品以外においても(特に低予算のピンク映画オリジナルビデオなどで)ロケ地として用いられる事が多い。

テレビドラマ

映画同様東京に比較的近いという理由からロケ地撮影されるドラマが多い。

漫画・アニメ

舞台が山梨県の作品

  • MEMORIES(1995年公開)
    • EPISODE.2「最臭兵器」の舞台が山梨県。甲府駅周辺や山梨交通の路線バスなど、ローカルネタが随所に登場する。
  • ゆるキャン△あfろ原作)
    • 高校および主要キャラクターが身延町在住のほか、主人公の一人が南部町に移住してきたという設定。
  • mono(あfろ原作)
    • 『ゆるキャン△』と同じ作者の作品。登場人物が甲府市の高校に通う設定。
  • スーパーカブ
    • 舞台が北杜市。小説をベースに漫画化やアニメ化されている。

モデル地が山梨県の作品

まんが日本昔ばなし』にて山梨県が題材となった話
  • たのきゅう
  • 赤ん坊になったお婆さん
  • 干し葉のおじや
  • 笛吹川
  • 鵜飼いものがたり
  • もぐらと馬と人間
  • 東つぼ屋西つぼ屋
  • 瓔珞つつじ
  • 無用の位
  • 天狗がみこんだ男
  • 乙女湯
  • 鼻かけ天狗
  • 飯が仕事をしてくれる
  • 河童のきず薬
  • 飯ぬすっと
  • 囲碁のうでまえ
  • 両足八足大足二足
  • 甲斐の湖
  • 人が見たらカエルになれ
  • ふろ屋の福の神
  • どうもこうも
  • こやしの息
  • 赤子坂
  • 産女の幽霊
  • るすが岩
  • 鰻沢
  • むじな和尚
  • 栗の木坂のきつね

アニメ化で主要舞台が山梨県になった作品

ゲーム

  • キミの声がきこえるAXL、2006年発売)
    • 主人公が東京と山梨(本編の主人公の解説によると天承郡畔沢村)を行き来する。

人物

山梨県名誉県民

山梨県名誉県民の称号は、2015年(平成27年)12月10日に制定された山梨県名誉県民条例(平成15年12月10日山梨県条例第45号)に基づき、「社会の発展に卓絶した功績があり、県民が誇りとしてひとしく敬愛する者」へ贈られる(条例第1条)[27]。対象者は「社会福祉の向上、文化の振興その他の社会の発展に広く貢献した者で、県内に居住し、又は居住していたもの」であり、山梨県知事が山梨県議会の同意を得て選定することが定められている(条例第2条)[27]。名誉県民に選定された者には、山梨県名誉県民称号記及び山梨県名誉県民章が贈呈される(条例第3条)[27]。山梨県出身者でノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智を顕彰するために急遽制度が創設されたものである[28]

受賞者氏名出身地職業選定年月日選定理由出典
大村智韮崎市化学者2015年月17日ノーベル生理学・医学賞受賞[28]

山梨県県民栄誉賞受賞者

山梨県県民栄誉賞は、1988年(昭和63年)3月11日に制定された山梨県県民栄誉賞表彰規則(昭和63年3月11日山梨県規則第4号)に基づき、「広く県民に敬愛され、社会に明るい希望を与え、山梨県の名を高めたもの」へ、山梨県知事から贈られる(規則第1条・第2条)[29]

1988年の橋本聖子を顕彰するために制度が創設されたが、その後は1991年に創設された「県イメージアップ大賞[注 7]に振り替えられたこともあり、受賞者はなかった。しかし2021年に開催された2020年東京オリンピックおよび2020年東京パラリンピックにおいて本県出身者が多く活躍したことから33年ぶりに県民栄誉賞の授与が行われた[30]

受賞者氏名出身地受賞時職業選定年月日選定理由出典
橋本聖子北海道早来町
(現・安平町
スピードスケート選手(富士急行1988年カルガリー冬季五輪スピードスケート女子5種目全入賞[31]
乙黒拓斗笛吹市アマチュアレスリング選手(自衛隊体育学校2021年2020東京五輪フリースタイル65kg級金メダル[30]
文田健一郎韮崎市アマチュアレスリング選手(ミキハウス2021年2020東京五輪グレコローマン60kg級銀メダル[30]
平野美宇中央市卓球選手(日本生命2021年2020東京五輪女子卓球団体銀メダル[30]
鈴木徹山梨市陸上選手(SMBC日興証券2021年2020年東京パラ男子走り高跳び(T44)4位
2000年シドニーパラから同競技6大会連続入賞
[30]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 47都道府県のうち海に全く面しない内陸県は栃木県、群馬県、埼玉県、長野県、岐阜県、滋賀県、奈良県を含めて8つある。
  2. ^ 山梨郡の名前の由来は「旧春日居町にある山梨岡神社の裏山にの有名な古木があり、そのためこの地域はいつしか山梨と呼ばれるようになった」という付会伝説が存在しているため、果物のヤマナシに由来していると思われがちである。しかし残簡『風土記』には「山無瀬」、737年天平9年)の駿河国正税帳には「夜萬奈之」と記されており、語源としては「山平らす(やまならす)」、つまり甲府盆地の高低の少ない平坦な様子を表す言葉が次第に「やまなし」へ転化したとみるのが妥当である。そして713年和銅6年)に「諸国の郡郷名は好字(よきじ)で著せ」とする和銅官命が出されたことにより、「梨園」などの言葉に見られる一種の優雅さを感じさせる「梨」という好字を当てて、「山梨」と呼ぶようになったといわれている(山梨県道路公社『雁坂トンネルと秩父往還』1998年(平成10年))。
  3. ^ 中部以外は北海道地方東北地方、関東地方、中部地方近畿地方中国地方四国地方、九州地方。
  4. ^ ただし県内の市外局番NTT西日本の営業エリアである静岡県東部と同じ055で始まる。
  5. ^ 北陸新幹線の金沢駅 - 敦賀駅(福井県)間延伸によって福井県にも新幹線が乗り入れる予定のため、2022年度末には山梨県が唯一となる見込み。山梨県にも2027年以降にリニア中央新幹線が開通予定で、将来的に中部地方は東北地方北海道地方に次いですべての県で新幹線が乗り入れることになる。
  6. ^ 愛称のついた道路に関してはこちらを参照。
  7. ^ 県民栄誉賞との違いは「団体や作品も対象にしている」や「県政記者クラブや県関係者で構成する選考委員会で選考し、知事が表彰する(県民栄誉賞は知事の判断)」である。そのためジャン=フランソワ・ミレーの絵画作品「種をまく人」(1992年、功績賞)や甲府鳥もつ煮を宣伝していた「みなさまの縁をとりもつ隊」(2010年、大賞)など受賞対象が幅広い。なお、橋本聖子は1992年アルベールビルオリンピック女子1500mにて銅メダルを獲得したことから同年特別賞を受賞しており、県民栄誉賞と県イメージアップ大賞の双方を受賞している。

出典

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  31. ^ プロフィール - 橋本聖子公式サイト、2019年7月28日閲覧。

関連項目

外部リンク

行政
公式ウェブサイト
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観光
富士の国やまなし観光ネット - やまなし観光推進機構
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先代
府中県市川県石和県
行政区の変遷
1868年 - (甲斐府→甲府県→山梨県)
次代
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関東地方

関東地方(かんとうちほう)は、日本の地域区分(全国八地方区分)の1つであり、本州の東部に位置している。

その範囲について法律上の明確な定義はないが[注釈 1]、一般的には茨城県栃木県群馬県埼玉県千葉県東京都神奈川県の16を指して関東地方と呼ぶ[2]

首都・東京都を擁する関東地方は日本の政治・経済の中心となっており、日本の総人口の3分の1が集中している。

地理

位置

日本最大の平野「関東平野」が中央に広がり、北西側は山岳地帯、東南側は太平洋に面する。関東の東部には房総半島(千葉県)、南部には三浦半島(神奈川県)が太平洋に突き出しており、房総半島と三浦半島の間に東京湾、三浦半島と真鶴半島の間に相模湾を形成する。また、旧伊豆国である東京都島嶼部も東京都の管轄下にあるため、行政的には関東地方である。なお関東地方に山梨県を含むケースもあるが、ここでは取り上げない。

位置市区町村(本州島内)市区町村(離島を含む)
最東端銚子市(千葉県)小笠原村南鳥島、東京都)
最西端嬬恋村(群馬県)小笠原村(沖ノ鳥島、東京都)
最南端南房総市(千葉県)小笠原村(沖ノ鳥島、東京都)
最北端那須塩原市(栃木県)那須塩原市(栃木県)

沖ノ鳥島(無人島)は日本の最南端であるため、関東地方は日本の最東・最南端とも言える。

自然地理

関東平野の表層地質第四紀沖積層洪積層であり、平野部やその周辺の標高約500〜900mの低山の植生は常緑広葉樹林帯。箱根で約900m、丹沢高尾で約800m、奥多摩奥武蔵奥秩父で約700m、西上州赤城山足尾山地筑波山で約600m、北毛那須の山地で約500mが、照葉樹林の分布限界である。

常緑広葉樹林の上にはブナシラカバミズナラなどの落葉広葉樹林が広がる。また、落葉広葉樹林の上にはシラビソダケカンバなどの針葉樹林が落葉広葉樹林の下限から約1100m高い標高から広がる。

北端には帝釈山脈高原山那須連山八溝山三国山脈、西端には関東山地奥秩父山塊もこの一部)などの山地がそびえて、各隣接地方へ繋がる。日本最大の平野である関東平野が広がり、塩那丘陵をはさんでその直ぐ北には那須岳山麓に広がる日本最大級の扇状地那須野が原、東側にはを挟んで千葉県の海岸沿いには九十九里平野が広がる。千葉県南部は房総丘陵で、茨城県の霞ヶ浦周辺は常総台地常陸台地になっている。群馬県や埼玉県秩父地方などは盆地になっている。荒川江戸川などの各河川は東京湾へ注ぎ、鬼怒川利根川(「坂東太郎」の異名を持つ)は犬吠埼で太平洋へ注ぐ。

東京湾は、房総半島と三浦半島に囲まれ、千葉県の西側、東京都の一部と神奈川県の東側に面して、浦賀水道から太平洋に接する。沿岸部は工業地帯になっている。神奈川県の南側は相模湾・相模灘に、茨城県南部の沿岸は鹿島灘に面する。また、相模湾には、二回の関東地震の震源地となった相模トラフが通っているために、各地で地震対策にも力が入れられている。

最高地点は、栃木県日光市と群馬県片品村との境にある日光白根山(奥白根山)山頂。日本の都道府県の最高地点としては、八番目に高い。また、関東以北(関東・東北・北海道)の最高地点でもある。都道府県の最高地点は埼玉県が三宝山 (2483m)、東京都が雲取山(2017m)、神奈川県が蛭ヶ岳 (1673m)、茨城県が八溝山 (1022m)、千葉県が愛宕山(408m)である。千葉県の愛宕山は、各都道府県の最高峰の中では最も低い。

気候

  • 太平洋沿岸に位置するため、が多く、に乾燥する太平洋側気候が見られる。沖合いは黒潮の通路となっている。ただし、群馬県北部の一部は日本海側気候、小笠原諸島は南日本気候となっている。それに併せて、茨城県(北部、鹿行地域)、千葉県(印旛を除く)、東京都(多摩地域を除く)、神奈川県(横浜・川崎、三浦半島、湘南、西湘)では海洋性気候、それ以外の地域は内陸性気候となっており、群馬県の山間部、埼玉県秩父地方、東京都の多摩西部では中央高地式気候の特徴もみられる。
  • 茨城県、千葉県の沿岸部はやませ(北東気流)により、東海地方以西に比べて気温が大幅に下回ることがある。
  • 一方、群馬県、埼玉県の平野部は北東気流の影響を受けることは少なく、赤城山からのフェーン現象と東京都心のヒートアイランド現象によって生じる熱風の影響で夏は非常に暑くなりやすい。猛暑日になることが多く、特に埼玉県では40℃前後の気温も記録したこともあるなど、日本で最も暑い地域のひとつとなっている。
  • 栃木県、群馬県、埼玉県北部には、夕立による雷の発生が多い。
  • 群馬県・栃木県の豪雪地帯では、日本海からの雪雲により、冬に降雪が多い。特に、群馬県片品村は関東地方唯一の特別豪雪地帯で冬の降雪が非常に多い。
  • 冬は、南岸低気圧が通過する時に、雨やが降り易い。東京や横浜など沿岸部の降雪は、湿り雪(ドカ雪)か粉雪かの二つのパターンが多い。特徴として、南岸低気圧の時は湿り雪で、冬型の時は粉雪となる日が多い。ただし、冬型で大雪となる地域は那須岳と三国山脈に近い北側の山間部に多く、南側にはない。例外的に寒冷低気圧の降雪や、強い冬型の時に房総半島から相模湾にかけての地域で発生する局地的な不連続線に伴う降雪もある。もっとも南岸低気圧接近時も、千葉県・茨城県は北東からの比較的暖かい風が流入する影響で、東京や横浜で積雪があっても雨のまま通過することが多い。
  • ケッペンの気候区分では大半が温帯温暖湿潤気候、ただし山間部の一部では西岸海洋性気候)、標高の高い山は亜寒帯火山列島・南鳥島・沖ノ鳥島は熱帯と3種類の気候が存在する。
  • 冬の平野部、特に西回り寒波の場合、南関東や沿岸地方は周囲の山脈が寒気の流入を阻むことから、大陸からの寒気の影響を受けにくく極端な低温に見舞われることは少ない。特に日中は、寒気に覆われても晴れるために、平野部では北部も含めて比較的高くなる。関東平野では南岸低気圧の降雪時の方が寒さを感じやすい。一方、南関東を含めた太平洋・東京湾沿岸部を除いた内陸部は冬の冷え込みが厳しく、日較差が非常に大きくなる。特に、真岡、那須烏山、大子、鳩山など栃木県や茨城県を中心とした内陸部は朝の気温が-10度を下回って北海道南部並みになることもあり、日中との気温差が20度近くになることも珍しくない。東京大手町(気象台)、横浜(気象台)、千葉(旧測候所)は例外的にヒートアイランド現象により、冬の最低気温が極めて高く、島嶼部や岬などを除くと、全国で最も高い日も多い。しかしながら、周囲の冷え込みは厳しく、上記観測地点から数キロ程度内陸の地点に行くだけで、朝の気温差が5度以上になることもある。千葉と佐倉や成田、東京大手町と練馬や府中、横浜と海老名はその代名詞である。また、関東内陸部でも宇都宮(ヒートアイランド)、所沢(湖に隣接)は特に冬場の最低気温が周囲よりも高い場所となっている。北関東でも群馬県の前橋、伊勢崎から埼玉県の熊谷にかけての高崎線沿線いの上武地域は最低気温が高く、南関東内陸部の地点(府中、八王子、佐倉など)よりも高いことが多い。これは、からっ風によるフェーン現象とヒートアイランド現象の影響である。

歴史

ヤマトの最東方に位置するフロンティアから武士の王国、そして日本の中心地へと、関東地方は変遷した。

先史時代

関東地方に人が住みはじめたのは旧石器時代であった。群馬県の岩宿遺跡からは、関東ローム層から旧石器時代の物とされるナイフ形石器が発見されているが、関東ローム層の酸性土壌のために、人骨などは見つかっていない。

縄文時代の関東地方は温暖な環境に恵まれ、縄文人は関東各地に大型集落を営んだ。当時の環境では西日本より東日本の方が漁労採集には適しており、縄文時代の南関東は日本列島で最も人口密度の高い地域であったと推測されている。縄文海進の時期には、現在の茨城県中南部の低地、千葉県北部のうち下総台地以外の地域、東京23区の東部、埼玉県の東南部は海であった。内陸に入り込んだ遠浅の海はよい漁場となり、現在海岸から離れている地域にも加曽利貝塚を筆頭に巨大貝塚が形成された。

弥生時代になると埼玉県全土が陸地化し、東京23区東部でも一部が陸地化した。関東でも水田稲作が行われるようになり、多摩川流域や相模平野を中心に農耕が行われていたと思われる。海面の後退と土砂の堆積により、まだ東京湾に流れ込んでいた利根川の下流域に広大な沖積平野が生まれるが、当時の幼稚な灌漑技術では耕地化できなかった。関東ローム層に覆われた台地は水源に恵まれないため、まだ深い森であった。

古代

古代、4世紀頃には既にヤマト王権が関東地方を勢力下に置いていたとされるが、その根拠の一つが、関東にも存在する前方後円墳で、これはヤマト王権が倭の統一政権として確立してゆくなかで、各地の豪族に許可した形式であると考えられている。関東南部の旧入間川(荒川) - 旧荒川(元荒川) - 旧利根川(古利根川) - 旧渡良瀬川(江戸川) - 毛野川(鬼怒川)に至る地域は、古代は低湿地帯であり、香取海の水は現在の千葉県北西部・茨城県南西部にまで広がっており、現在では関東平野の中央部にあたるこれらの地域と外洋は香取海を通じてつながっていた。したがって、概して当時の関東はこの低湿地帯の北部にあたる毛野川流域地域(毛野国)とその南部地域(无射志国)に分かれていたと考えられる。毛野国は、筑紫国吉備国に比肩する大国であったといわれる。ただし毛野国は記紀に上毛野国造(上毛野氏)と下毛野国造(下毛野氏)に分かれた形で登場している。上毛野氏は現在の群馬県中部から南部、下毛野氏は那須地方を除く栃木県中南部に勢力を持ったとみられている。この毛野氏一族は天武天皇から朝臣姓を賜るなどヤマト王権と関係が深く、毛野一族は蝦夷対策や朝鮮半島政策での将軍に任命されており、律令制以前に軍事を司った豪族だったとみられる。また奈良時代下毛野朝臣古麻呂が登場し、大宝律令の作成に関与している。古麻呂が創建したと伝える下毛野氏氏寺・下野薬師寺は、奈良東大寺大宰府観世音寺と並ぶ三戒壇に指定されている。一方、上総国下総国安房国の房総半島は(ふさ)と呼ばれ、『古語拾遺』によると、四国から渡来した忌部氏が開拓したという。これらの諸国を一括する語が「吾妻」である。記紀神話では、日本武尊の説話が起源とされているが(「あづまはや」という嘆きの詞)、元々は当地の神話であった物を取り込んだ可能性がある。その傍証として、天武10年(681年)に詔を受けて史書編纂に従事した群臣のうち、王族を除くトップは上毛野君三千であった。なお、上総国・下総国・常陸国には、阿波忌部氏に続き神八井耳命の血を引く多氏が上総国に上陸、開拓を行いながら常陸国に勢力を伸ばし、仲国造印波国造長狭国造を輩出した。その他、神聞勝命国摩大鹿島命臣狭山命など中臣氏の祖先が進出し、後裔の中臣鹿島連が鹿島神宮を建立し氏神とした。また多氏によって創祀されたという鹿島の元本宮伝承などが存在する。また、香取神宮もこの際に出雲系の氏族によってとして祀られたのが起源だとする伝承がある。

宋書倭国伝』の武(雄略王に比定する説が有力)の上表文に「祖先が東は毛人を征すること五十五国、西はを征すること六十六国」と記されていることから、5世紀頃の関東地方には国と認識されるものが複数存在したことが記されている。『梁書』などの「扶桑國」「女國」、『旧唐書』に登場する「毛人國」、唐代の漢詩に見える「扶桑東更東」といった地域を関東に比定する説がある。稲荷山古墳金錯銘鉄剣銘文中の「大王」も、畿内ではなく関東にいた首長を指すとする立場(古田武彦井上秀雄鶴岡静夫ら)もある。太田天神山古墳のような巨大古墳や、金鈴塚古墳のような豪華な副葬品を持つ古墳が築造された。このように、関東地方は、古墳時代には、畿内に比肩しうる王権を確立していたとも考えられている。

律令制五畿七道の交通網について、関東には畿内から陸奥国に伸びる東山道と、同じく畿内から伸びて三浦半島から海路房総半島に出て香取鹿島に向かう東海道が整備されたと言われる。「関東」は、京の防備のために設けられた東海道の伊勢国鈴鹿関鈴鹿峠)、東山道の美濃国不破関関ケ原)、北陸道越前国愛発関(愛発山、あらちやま)の三関から東の全域を指した。その中でもとりわけ、「東海道の足柄関箱根峠)から東の国」と「東山道の碓氷関(碓氷峠)から東の国」が、関東地方に当たる。陸奥国(東北地方太平洋側)との境には、白河関勿来関が設置された。関東地方には、西から順に相模国武蔵国、下総国、上総国、安房国、常陸国、上野国、下野国の8つの令制国が設置され、分割統治された。古くは坂東(ばんどう)といわれた。坂東は信濃国と上野国の界にあたる碓日嶺と、駿河国と相模国の界にあたる足柄坂の東の意味である。

大陸に目を向けると、7世紀の東アジアでは新羅が権勢を揮い、663年には百済・倭国(日本)連合軍を白村江の戦いにて破り、高句麗も668年に同様に滅された。また、10世紀にはその新羅も、後高句麗により滅ぼされた。こうした大陸と朝鮮半島の騒乱期に前後して、朝鮮半島方面から多くの人間が渡来人として日本各地に流れてきており、ヤマト王権は彼らに関東の未開発地を与えて住まわせ、関連する地域の名が今でも残る(例:武蔵国高麗郡新羅郡新座郡)。

律令時代の関東は配流の地でもあり、斑鳩や奈良に本拠地を置く畿内政権からは、「都からは遠く、自力で帰るのが難しい地方」と見られており、特に安房国と常陸国は、「遠流」の地ともいわれ、北九州へ向かう防人も関東から多く徴用され、それを象徴する語に「鹿島立ち」があるとされる。

平安時代には、親王任国には、常陸国、上総国、上野国が親王任国に設定された。11世紀頃に成立した『更級日記』などに、松戸幕張、利根川、武蔵野等の情景が描かれている。

平安時代中期には都から渡ってきた下級貴族が武士化し、開発領主として関東各地で開拓を進める流れが生まれる。10世紀には親王任国が半制度化し、下総国、常陸国、上野国には桓武系平氏を中心に平家武士が増加、その一人である平将門は自ら天皇と称し、関東の独立を目指して蜂起すると、下野国押領使藤原北家魚名流藤原秀郷は朝廷の意向をもってこれを討伐した。概ね北関東以北は藤原北家や清和源氏河内源氏)を出自とする領主、南関東は平氏を出自とする領主が支配した。

この頃、関東は「あづま」(畿内から見て東なので「東」の字が充てられる)と呼ばれ、関東の武将たちは、その勇猛さから「あづまえびす」(東夷)と侮蔑的に呼ばれた。将門の独立志向が、その後の関東の武士政権への道を開いたことを、網野善彦は指摘している。

中世

平安末期の関東地方は、中小の武士団が割拠した。北関東は藤原北家流諸氏(那須諸氏宇都宮氏小田氏小山氏結城氏等)や清和源氏流諸氏(足利氏新田氏佐竹氏)、南関東は桓武平氏流諸氏(鎌倉党三浦党秩父党千葉党など)や武蔵七党(小野姓横山党など)が領有した。彼らは相馬御厨など土地の支配権をめぐって相互に争った。源頼朝鎌倉幕府を樹立する際に中核となったのは、このような関東武士団であった。頼朝の死後は、伊豆に拠点を有する北条氏執権となり、鎌倉幕府の実権を掌握した。

関東の武士は承久の乱の後、地頭として西日本各地に移住する。三浦千葉渋谷二階堂葛西など、関東地方の地名に由来する苗字が九州のような遠方にも多数分布するのはこのためである。

南北朝時代には、室町幕府(源氏政権)の出仕機関である鎌倉府が同じく鎌倉に置かれ、鎌倉公方(源氏)を関東管領(主に藤原勧修寺家流)が補佐、さらに関東八屋形(藤原北家流6氏・源氏流1氏・平氏流1氏の計8氏)が各領土内での実権を有した。事実上、東国武家政権の伝統を引き継ぎ、現在の関東地方に伊豆甲斐の両国を加えた地域を当初は管轄し、後に奥羽東北地方)を加えて東日本を広く管轄した。

室町時代には、鎌倉公方は室町幕府(源氏)と対立し、これに、関東管領の上杉氏(藤原勧修寺家流)も加わった。その結果、大きな戦いだけでも、

と相次ぎ、小規模なものも含めれば、関東地方は連年続くことになった戦争によって荒廃した。一連の戦いによって関東管領・鎌倉公方(古河公方)・堀越公方をはじめ、関東の各氏は勢力が衰え、戦国時代にはこれに乗じた小田原北条氏(後北条氏=伊勢平氏を称す)が台頭し、伊豆・相模を皮切りに関東各地を次々と支配下に置いた。対抗勢力としての上杉氏は河越夜戦に敗れた。

16世紀後期には小田原北条氏の勢力圏は関東地方の西半分をはじめ広範な地域におよび、それに対して東部地域では里見氏、佐竹氏、宇都宮氏がこれに抗し領土を守った。最終的に朝廷を奉じる豊臣秀吉が鎮圧に乗り出し、小田原征伐によって小田原北条氏は滅亡、同氏に従っていた千葉氏・小山氏などの旧家も運命をともにした。小田原北条氏の旧領には徳川氏が入り、後にそれがそのまま江戸幕府の勢力基盤として継承されたこと、小田原征伐で中央政権に服属した安房の里見氏、常陸の佐竹氏、下野の宇都宮氏などもその後の中央政権の動向に巻き込まれてその後20年余りのうちに関東の領有権を没収されていったことから、この変動が生じた天正18年(1590年)を関東地方における中世と近世の画期として捉えられている。ただし、従来の支配体系が全否定された訳ではなく、小田原北条氏の拠点になった城の動向を見ても徳川氏の本拠となった江戸城小田原城川越城などのように近世以後も継承されたもの、箕輪城(→高崎城)、唐沢山城(→佐野城)、本佐倉城(→佐倉城)のように領国支配の安定に伴う新城築城まで用いられ続けたもの、八王子城鉢形城栗橋城のように廃城になったものなど様々であり、単純に天正18年を中世と近世の「断絶」とみなす考え方は、継承したものと断絶したものが混在していた地域の実情を見誤る危険性をはらんでいる[3]

近世

豊臣秀吉の命令で関東へ入った徳川家康駿府(現:静岡市駿河区葵区の一部、市制施行時の静岡市)から江戸(現:東京都区部の一部、のちに東京市となる東京府区部にほぼ相当)に本拠地を移した。

この時期には測量技術の発達を背景に、中世までには考えられなかったような大規模な干拓や灌漑が実施できるようになり、大規模な土木事業が次々と実施された。家康は江戸湾に注ぐ利根川・渡良瀬川水系を毛野川水系に纏め、現在の利根川水系の原型を形造る利根川東遷事業を進めた。この事業によって江戸付近の雨期の河川氾濫を治め、旧利根川・旧渡良瀬川の下流 - 河口地帯を干拓して江戸の町の基盤を作った。こうして家康は江戸幕府を樹立し、江戸は水路を周囲に巡らす世界屈指の大都市となった。

その後は椿海の干拓、三富新田開拓などの新田開発が進み、荒川や利根川下流の低湿地や武蔵野の大半が耕地化され、関東地方の農業生産力は激増した。幕府は畿内からの先進技術や人材の導入に努め、当初は大坂からの移入に頼っていた物産(酒、木綿、醤油など)の多くも、江戸時代中期頃には関東の地場生産品で賄えるようになり(江戸地廻り経済圏の確立)、江戸には天明文化や化政文化の華が開いた。

江戸時代の関東地方は、まさに徳川氏のお膝元であった。徳川御三家の一つ・水戸徳川家が治める水戸藩、徳川氏の側近が治める川越藩など、関東各地には徳川氏の血縁者や譜代大名旗本が治める(地方王国)が樹立され、などの天領を含め、徳川家の支配地となった。また、日光(日光東照宮)や鹿嶋(鹿島神宮)や成田成田山新勝寺)といった門前町も盛えた。江戸時代には関東地方は関八州と呼ばれ、武蔵国、相模国、上総国、下総国、安房国、上野国、下野国、常陸国の八国を指したが、これは現在の関東地方と重なる。文化2年(1805年) には、俗に八州廻りと呼ばれた関東取締出役が幕府によって設置され、水戸藩など一部地域は別として関八州一円を巡回して、治安維持活動に当たった。ただし関八州に含まれていない伊豆の韮山代官所の管轄は相模や武蔵にも及んでいる所はあった。

幕末には、マシュー・ペリーが率いるアメリカ艦隊が江戸湾に入港した。水戸天狗党の挙兵、上野戦争宇都宮攻防戦といった北関東の戦役など、政局や戊辰戦争の舞台となった。

近代

江戸幕府が倒されて明治政府が誕生すると、天皇を初めとする皇室京都御所から江戸城に移り、江戸は東京府(とうけいふ)と改名されて、東京は明治政府の本拠地となった。これ以後、東京は実質上の首都、政治・経済・文化の中心となった。関東は、畿内以外で初めて、中央集権型政権の本拠地が置かれる地方となった。

東京には軍事以外の全ての国家の中枢機関が置かれた。そして、東京と横浜は、文明開化の中心地となり、近代化を主導した。 、明治5年9月12日(1872年10月14日)には新橋 - 横浜間で日本初鉄道が開通し、以降は官民を挙げて鉄道が建設され、関東地方には東京を中心とする鉄道網が築かれた。

慶応4年(1868年)に伊豆・相模・武蔵などにまたがった韮山代官所の管轄地域は、明治政府が新設した韮山県になったものの、明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県を経て、1876年8月以降の関東地方は、南西から時計回り順に神奈川県、東京府(1943年7月以後は東京都)、埼玉県、群馬県、栃木県、茨城県、千葉県の7つの県に分割され、従来鎌倉や東京との繋がりが深かった伊豆は静岡県へ編入された。また近世には伊豆国の一部とされ、1876年4月に静岡県域となった伊豆諸島が、1878年1月11日に東京府に編入され、現在に至っている。

現代

太平洋戦争後に在日米軍は旧陸海軍の軍事施設を接収し、関東地方各地に軍事基地を置いた。アメリカ合衆国の世界戦略のもと、戦略爆撃で焼け野原になった東京は急速に復興し、戦後10年に満たない間に戦前同様の繁栄を謳歌した。東京には各地から「金の卵」と呼ばれる労働者が集まった。内陸には、民需に転じた軍需工場を中核に関東内陸工業地域が成立した。東京湾岸には京浜工業地帯京葉工業地帯が造成され、東京湾の干潟の多くが消滅していった。

高度経済成長期以降、特にオイルショック後の産業構造の転換を背景に、第二次産業から第三次産業までの大手企業の本社が次々と東京に移転し、経済面で東京への一極集中が進行した。これに伴って東京都区部周辺のベッドタウン化が顕著になり、東京を中心とする都市圏は大幅に拡大、農地や山林を侵食してスプロール化し、東京の30km圏内は市街地が一面に広がる状態となった(東京都市圏)。しかし、東京への一極集中は、政治・行政・経済・文化など、多方面の問題にもなっている。

近畿地方との間には東海道新幹線(1964年10月開通)と東名高速道路(1969年4月開通)が、東北地方太平洋側(旧陸奥国)との間には東北新幹線(1982年6月開通)と東北自動車道(1987年9月全通)が建設された。これにより、本州太平洋側の地方は、高速交通網での縦断が可能な時代になった。

地域

関東地方内の区分

南関東みなみかんとう
利根川以南の千葉県と東京都と神奈川県と埼玉県の1都3県を指す。埼玉県を除いて1都2県とする場合もある。衆議院比例代表南関東ブロックは千葉県と神奈川県と山梨県である。
北関東きたかんとう
茨城県と栃木県と群馬県の3県を指すことが多いが、埼玉県を含めた4県を指しても使われる。衆議院比例代表の北関東ブロックは茨城県と栃木県と群馬県と埼玉県である。
一都五県いっとごけん
神奈川県を除いた関東地方を指し、利根川水系の水を使用する範囲を示す場合などに用いられる。
首都圏しゅとけん
首都圏整備法及び関連法では、「東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、茨城県、栃木県、群馬県、山梨県を首都圏とする。」と定められている。
東京圏とうきょうけん
東京の都市圏が拡大しているため、時期により範囲は異なる。総務省の基準では、新宿移転前の東京都庁(東京都千代田区。現在の東京国際フォーラム)から70km圏内を指し、東京都、千葉県、茨城県、埼玉県、神奈川県に及ぶ(2000年国勢調査時)。一般的には、「東京都心から~~km圏」のように用いる。
東京都市圏
東京都区部(旧東京市)の都市雇用圏(10%通勤圏)。おおよそ首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の範囲に相当する。東京23区横浜市川崎市千葉市立川市武蔵野市さいたま市厚木市を中心とし、東京都、千葉県北西部、茨城県南西部、埼玉県東部・中南部・西南部、神奈川県の大部分を含む。
東京大都市圏
京浜葉大都市圏。2000年(平成12年)以前の東京都区部(旧東京市)の都市雇用圏(10%通勤圏)。東京23区、横浜市、川崎市、千葉市、立川市、武蔵野市、相模原市府中市を中心とし、東京都区部、千葉県北西部、神奈川県北東部を含む。
関東大都市圏
中心地である東京都区部・横浜市・川崎市・千葉市・さいたま市への通勤通学人口が常住人口の1.5%以上である市町村を指す。2005年国勢調査では、東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県の大部分と、茨城県・栃木県・群馬県の一部、山梨県の上野原市大月市、静岡県の熱海市
常総じょうそう
茨城県と千葉県北部と東京都東辺と埼玉県東辺。狭義では、利根川に近い茨城県南部(旧葛飾県・旧新治県)と千葉県北部(旧葛飾県)の一帯を指す。
じょうぶ
茨城県と千葉県と東京都。城東地区と常総を指す。
北総ほくそう
茨城県西部及び千葉県北部地域。
とうじょう
東京都と埼玉県と群馬県。
両毛りょうもう
群馬県南東部と栃木県南西部。
上武じょうぶ
群馬県と埼玉県。
もうぶ
群馬県と栃木県(毛野)と埼玉県。
葛飾かつしか
東京都城東地区と千葉県西部と埼玉県東部と茨城県西部の一部。
総武そうぶ
千葉県と東京都(と埼玉県)。千葉県北部のみを指す場合もある。
多摩たま
東京都から区部と島嶼部を除いた地域。ただし、明治時代多摩郡に属していた中野区杉並区世田谷区の一部を含む場合もある。
武蔵むさし
昔は、埼玉県と東京都と神奈川県の一部だったが、現在は埼玉県秩父地方入間郡と東京都西部の多摩地域。奥武蔵は、秩父地方の奥の旧大滝村などが合併した秩父市辺りのこと 飯能も加わることもある。
武相・相武ぶそう、そうぶ
東京都と神奈川県(と埼玉県)。多摩市・町田市・相模原市・横浜市北部を中心とした地域のみを指す場合もある。
八高はちこう
八王子市 - 高崎市の縦断区間。
さいきょう
東京23区 - さいたま市の縦断区間。
京成けいせい
東京23区 - 成田市の横断区間。
京葉けいよう
東京23区 - 千葉市の横断区間。
京浜けいひん東横とうよこ
東京23区 - 横浜市の縦断区間。

山梨県などの扱い

首都圏整備法が定義する「首都圏」には、山梨県を加えた1都7県が含まれる。また、「関東地方知事会」には、首都圏1都7県に加えて、中部圏知事会議にも加わっている静岡県長野県の両県知事が参加している。

地域別の特徴

関東地方は人口・面積が多数・広大なので、北関東地方、南関東地方に分割することもある。

南北に分けた場合

分野南関東北関東
政治(茨城県南西部を含む)桓武天皇の子孫が多く領地として有した歴史から、桓武平氏諸氏の影響力が強い地域。平氏の支配下の地に河内源氏が鎌倉の領有権を得て以来、鎌倉幕府(源氏)、室町幕府時代の鎌倉府(源氏)、江戸幕府(徳川氏)、明治政府といった政権の本拠地が置かれて来た。第二次大戦後には東京60km圏内はベッドタウン化し、「○○都民」(例:神奈川都民千葉都民埼玉都民茨城都民)と呼ばれる居住地の地方政治に対し積極的なかかわりを持とうとはしない住民が増加している。古代には毛野国に代表される地方王国が存在したが、次第に清和源氏諸氏や藤原北家諸氏が領主として土着した。室町幕府の足利尊氏は清和源氏で下野国御家人足利市)の出身、江戸幕府の徳川家康は清和源氏・新田氏流の末裔という風に、政権を樹立した武将には北関東(毛野国)に縁を持つ者が多い。なお、源頼朝も徳川家康も、宇都宮大明神(宇都宮二荒山神社)を参詣し寄進を行っている。第二次大戦後は、高崎に象徴されるように「自民党王国」として有名であり、衆議院議長や大臣級の政治家を多く輩出している。
経済(茨城県南西部を含む)政権の所在地(鎌倉、江戸〈明治以後の東京〉)が大消費地として経済の中心地になり、それを中心に経済圏が形成されている。本社の東京一極集中が凄まじく、東京が「プライメイトシティ」と化している。国道16号圏内の私鉄沿線は、鉄道駅周辺に店鋪が集まっており、自家用車の所有率が低い。中心市街地における購買力が顕著であり、宇都宮での年間商品販売額は、栃木県全県の約半数に迫る勢いである。モータリゼーションが発達しており、郊外ロードサイドショップが多く、前橋市の中心市街地衰退は問題となっている。
交通大型幹線には東海道新幹線や東名高速道路など。連絡線は国道16号など。東海地方との境:箱根峠。中央高地との境:相模湖東海道と東山道の東端。大型幹線には東北新幹線や東北自動車道、北関東自動車道など。連絡線は国道50号など。東北地方との境:勿来関、白河関。長野県・新潟県との境:三国山脈。中央高地との境:碓氷峠、雁坂峠

東西に分けた場合

関東地方は主に「南関東」、「北関東」で分けるため、「東関東」、「西関東」の範囲は統一されていない。

東関東西関東
東関東の使用例
  • 東関東方言(茨城県、栃木県)
  • 東関東吹奏楽連盟[4](神奈川県、千葉県、茨城県、栃木県)
  • 東関東自動車道(東京都、千葉県、茨城県)
  • 常総(東京都東辺、千葉県北部、埼玉県東辺、茨城県)
  • 常武(東京都、千葉県、茨城県)
西関東の使用例
  • 西関東方言(東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、群馬県、栃木県南西部、山梨県郡内地方)
  • 西関東吹奏楽連盟[5](埼玉県、群馬県、山梨県、新潟県)
  • 西関東連絡道路(埼玉県、山梨県)
  • 毛武(埼玉県、栃木県、群馬県)
  • 武相(東京都、神奈川県)

隣接する県を編入する例

中央省庁や企業・団体のエリア区分による「関東」の範囲は、必ずしも「箱根関・小仏関・碓氷関から東」とは定義されておらず、統一されていない。

対象地域使用している組織
関東1都6県と山梨県(首都圏)
関東1都6県と新潟県(関越
関東1都6県と山梨県と長野県 (関東甲信
関東1都6県と山梨県と新潟県(関東甲越
関東1都6県と山梨県と長野県と新潟県(関東甲信越)
関東1都6県と静岡県と山梨県と長野県と新潟県(広域関東圏
関東1都6県と静岡県と山梨県
関東1都6県と静岡県と山梨県と長野県
関東1都6県と静岡県と山梨県と新潟県
関東1都6県と静岡県と山梨県と新潟県と福島県
関東1都6県と静岡県、愛知県、三重県、山梨県、長野県、新潟県、岐阜県、富山県、石川県、福井県

その他の例

  • 21世紀FIT構想[6](福島県+茨城県+栃木県の頭文字)
    • 首都移転候補地を域内に含む3県の観光、地域連携などの地域推進協議会。

経済

経済の全体的傾向

平成29年度の関東のGDPは218兆2962億円である[7]。これは大韓民国ロシアのGDPよりも大きく、巨大な経済圏を形成している[8]

地域別特徴を見ると、本社の大半は、東京都区部に集中している。一方で、東京都区部を除く地域には、工場や物流拠点が集中しており、特定企業の工場が集まる「企業城下町」や、営業所や小売業が多く立地する都市が多く見られる。

第一次産業

農業

  • 茨城県と千葉県は、全国でも上位の農業粗生産額を誇り、群馬県と埼玉県と栃木県でも農業生産が多い。特に千葉県は、農業生産額が北海道に次いで第二位であり、野菜の生産額は日本第一位である。だが、近年では住宅や工業地帯の開発、後継者問題により衰退しており、耕作放棄地が増加している。また、南西部の東京都と神奈川県では大きく衰えており、ほぼ自給が不可能な状況である。
  • 東京都と神奈川県では、農業の占める割合が極めて低く、第三次産業の占める割合が極めて高い。これも、交易によって勢力を維持した平氏流諸氏の支配地域と、農業によって勢力を維持した源氏流諸氏の支配地域の特徴がよく表れている現象の一つと言えよう。しかしながら、近年の農業衰退は激しく、群馬県の耕作放棄地率は全国3位の高比率である[9]
  • 東京周辺では、典型的な都市近郊農業として、野菜や花卉の栽培が多い。
  • 関東地方各市町村における年間農業産出額(2006年)は、多い順に以下の通り。
市区町村年間農業産出額
鉾田市(茨城県)539億円
旭市(千葉県)418億円
前橋市(群馬県)387億円
深谷市(埼玉県)356億円
香取市(千葉県)321億円
那須塩原市(栃木県)264億円
大田原市(栃木県)247億円
行方市(茨城県)235億円
銚子市(千葉県)228億円
筑西市(茨城県)228億円
坂東市(茨城県)219億円
真岡市(栃木県)218億円
宇都宮市(栃木県)198億円
小美玉市(茨城県)197億円
太田市(群馬県)190億円

畜産業

  • 大消費地である東京を控え、茨城県や栃木県、千葉県を中心に養豚、養鶏、酪農が多い。生乳生産量では、北海道に続いて、栃木県が第二位、千葉県が第三位に位置する。

漁業(水産業)

  • 太平洋側を中心に水揚げが多い。特に銚子漁港は、国内有数の水揚げ高である。
  • 成田国際空港は、水産物輸入金額が日本一であるため、「成田漁港」とも呼ばれる。

第二次産業

鉱業

  • 昭和半ばまで、茨城県日立市や栃木県日光市(旧足尾町)など一部の鉱山が操業していたが、1975年頃に閉鎖された。
  • 埼玉県の秩父市、栃木県佐野市(旧葛生町)付近では、セメント原料の石灰岩ドロマイトの採掘が行われている。
  • 関東地方の地下には日本最大のガス田である南関東ガス田があり、千葉県では天然ガスの採掘が行われている。大半は東京向けに供給される。また、副産物であるかん水からはヨードが精製されており、医薬品向けに日本から輸出される数少ない鉱物資源となっている。南関東ガス田の埋蔵量が多いのに採掘が比較的少ないのは、天然ガス採掘が地盤沈下をもたらすためである。

工業

  • 南部:東京湾沿岸に、大規模な臨海型工場地帯が広がり、それぞれ京浜工業地帯(東京-神奈川)や京葉工業地域(東京-千葉)と称される。なお、京葉工業地域も、京浜工業地帯に含めることがある。
  • 北部:太田や宇都宮、伊勢崎上三川などを初めとする地域では、内陸型北関東工業地域が形成され、輸送機器ゴム製品の生産額が大きい。
  • 東部:茨城県の北部(日立、ひたちなか)や千葉県北西部(我孫子習志野など)には、日立製作所の関連工場が多い。また、茨城県の鹿行地域(鹿嶋、神栖)には鹿島臨海工業地帯が形成されている。
  • 関東地方における主要工業都市は、各市町村別の年間製造品出荷額(2008年)の多い順に以下のようになっている。
市区町村年間製造品出荷額
市原市(千葉県)5.70兆円
東京特別区(東京都)4.65兆円
川崎市(神奈川県)4.61兆円
横浜市(神奈川県)3.90兆円
太田市(群馬県)2.19兆円
宇都宮市(栃木県)1.69兆円
相模原市(神奈川県)1.61兆円
狭山市(埼玉県)1.49兆円
神栖市(茨城県)1.49兆円
日立市(茨城県)1.45兆円
千葉市(千葉県)1.36兆円
袖ケ浦市(千葉県)1.35兆円
藤沢市(神奈川県)1.34兆円
平塚市(神奈川県)1.28兆円
伊勢崎市(群馬県)1.23兆円
君津市(千葉県)1.02兆円
鹿嶋市(茨城県)1.02兆円
ひたちなか市(茨城県)1.00兆円
日野市(東京都)0.94兆円
河内郡上三川町(栃木県)0.93兆円

「大手」「超大手」といわれる製造業の本社(工場とは限らない)は、東京都区部に所在するものが多い。しかし、関東地方に工場を置く企業(親会社)の本社が、必ずしも関東地方に所在するとも限らない。

建設業

多くの大手ゼネコンの本社が、東京都区部に集中している。東京都区部では、大規模なオフィスビルやマンション・道路・鉄道(地下鉄)などの建設が行なわれている。

第三次産業

商業

  • 東京では、新宿池袋・渋谷・銀座日本橋秋葉原上野を中心に百貨店や専門店、高級ブランド店、大規模商業施設、飲食店などがあり、集積度は高い。
  • 国道16号圏内の鉄道沿線、特に東京と横浜には、鉄道駅の利用者に便利な駅周辺を地盤とする「カメラ系家電量販店」などの駅前ショップが多い。
  • 宇都宮、高崎、水戸では、ターミナル駅の周辺や中心市街地における購買力が強い。そのためバスの路線は必ず都心を通過するように設定されていることが多いほか、都心では低運賃で利用できる循環バスが設定されている。
  • 両毛デルタ地帯や国道16号沿線などでは、バイパスや郊外を地盤とする「北関東系家電量販店」や郊外型ショッピングセンターロードサイド店舗)が多い。
  • 関東地方の主な商業集積地は、各市町村における年間商品販売額(2007年、含卸売業)の多い順に以下のようになっている。
市区町村年間商品販売額
東京特別区(東京都)175兆円
横浜市(神奈川県)9.79兆円
さいたま市(埼玉県)4.73兆円
千葉市(千葉県)3.72兆円
川崎市(神奈川県)3.64兆円
宇都宮市(栃木県)2.84兆円
前橋市(群馬県)2.38兆円
高崎市(群馬県)1.75兆円
水戸市(茨城県)1.52兆円
相模原市(神奈川県)1.31兆円
船橋市(千葉県)1.16兆円
八王子市(東京都)1.14兆円
厚木市(神奈川県)1.12兆円
川口市(埼玉県)0.96兆円
柏市(千葉県)0.89兆円
立川市(東京都)0.88兆円
町田市(東京都)0.81兆円
熊谷市(埼玉県)0.78兆円
つくば市(茨城県)0.78兆円
松戸市(千葉県)0.77兆円

金融

東京には中央銀行である日本銀行や多くの都市銀行が本店を置いているほか、各地の地方銀行や主要な海外金融機関も情報収集を兼ねて東京支店を置いている。また、東京証券取引所、各種商品市場も置かれている。

サービス

基本的には東京都区内に集積するものが多い。

  • IT関係などの集積が多い。
  • 各放送局のキー局(親局)が東京都区内に所在する。東京には各地方局の支社もあり、東京に本社のある企業や出演者などへの営業活動や、一部の番組製作も行われている。
  • 大手通信会社(電気通信事業者)の本社が東京都区内に所在する。

交通

幹線交通網

関東地方の幹線交通網は、東海道ルート甲州街道ルート中山道三国街道ルート日光街道奥州街道ルート水戸街道ルート佐倉街道ルート房総往還ルート、房総東往還ルート[10]に大きく分けられる。

連絡線としては、例幣使街道ルートなどがある。兵士街道古道鎌倉街道大山街道や、その他関東各地域中核都市から周辺部に伸びる路線群が整備されている。

東海道ルート
東海道新幹線東海道本線京急本線小田急小田原線東名高速道路新東名高速道路国道15号国道1号国道246号
甲州街道ルート
中央本線京王線西武新宿線中央自動車道国道20号
中山道・三国街道ルート
上越新幹線北陸新幹線高崎線上越線信越本線東武東上線関越自動車道上信越自動車道国道17号国道18号国道254号
日光街道・奥州街道ルート
:東北新幹線、東北本線宇都宮線)、日光線東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)、東武日光線、東北自動車道、日光宇都宮道路国道4号国道119号
水戸街道ルート
(水戸以北は陸前浜街道常磐線つくばエクスプレス、常磐自動車道、国道6号
佐倉街道ルート
総武本線成田線鹿島線大洗鹿島線)、京成本線京葉道路、東関東自動車道、国道14号国道51号
房総往還ルート
内房線東京湾アクアライン館山自動車道国道127号
房総東往還ルート
外房線千葉東金道路国道128号

鉄道

関東地方の鉄道網は東京から放射状に伸びており、路線相互の接続駅間を結ぶ鉄道路線が高度に整備され、世界最大の輸送力を誇っている。

※ケーブルカーやロープウェイ、貨物専用路線は割愛。

東京都

その他

  • 概ね南西(横浜方面)から順に時計回りに列挙する
  • 東京都内にかかるものは除く
JR東日本

鶴見線根岸線相模線川越線、信越本線、吾妻線、上越線、両毛線、日光線、烏山線水戸線水郡線、成田線、鹿島線、内房線、外房線、久留里線

JR東海

御殿場線

私鉄・第三セクター
茨城

つくばエクスプレス、ひたちなか海浜鉄道湊線鹿島臨海鉄道大洗鹿島線関東鉄道常総線関東鉄道竜ヶ崎線

両毛(栃木・群馬)

東武佐野線、東武日光線、東武宇都宮線真岡鐵道真岡線上信線上毛線東武桐生線東武小泉線わたらせ渓谷鐵道線

埼玉

東武越生線西武狭山線西武秩父線秩父鉄道線東武野田線埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)、つくばエクスプレス、埼玉高速鉄道線

千葉

東武野田線、流鉄流山線、つくばエクスプレス、新京成線東葉高速線京成千葉線京成千原線千葉都市モノレール1号線2号線芝山鉄道線銚子電気鉄道線いすみ鉄道いすみ線小湊鉄道線舞浜リゾートライン山万ユーカリが丘線

神奈川

京急大師線京急久里浜線京急逗子線東急こどもの国線横浜高速鉄道みなとみらい線相鉄本線相鉄いずみ野線相鉄新横浜線横浜市営地下鉄金沢シーサイドライン小田急江ノ島線江ノ島電鉄線湘南モノレール線伊豆箱根鉄道大雄山線箱根登山鉄道線

県庁所在地の近郊路線

県庁所在地(市代表駅)周辺の鉄道路線。東京都は除く。

  • 茨城県:水戸市(水戸駅
    • JR常磐線、JR水戸線、JR水郡線、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線、ひたちなか海浜鉄道湊線
  • 群馬県:前橋市(前橋駅
    • JR高崎線、JR上越線、JR信越本線、JR両毛線、JR八高線、JR吾妻線、上信電鉄上信線、東武伊勢崎線、東武桐生線、わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線
  • 栃木県:宇都宮市(宇都宮駅
    • JR宇都宮線、JR日光線、JR烏山線、東武宇都宮線、東武佐野線、東武日光線、東武鬼怒川線
  • 埼玉県:さいたま市(大宮駅
    • JR埼京線、JR武蔵野線、JR京浜東北線、JR宇都宮線、JR高崎線、JR湘南新宿ライン、JR川越線、東武野田線、東武東上線、東武伊勢崎線、埼玉高速鉄道線、埼玉新都市交通伊奈線
  • 千葉県:千葉市(千葉駅
    • JR中央・総武線、JR総武快速線、JR総武本線、JR成田線、JR内房線、JR外房線、京成千葉線、京成千原線、千葉都市モノレール1号線・2号線
  • 神奈川県:横浜市(横浜駅
    • JR東海道本線、JR横須賀線、JR湘南新宿ライン、JR上野東京ライン、JR京浜東北線・根岸線、JR横浜線、JR鶴見線、京急本線、東急東横線、横浜高速鉄道みなとみらい線、相鉄本線、相鉄いずみ野線、相鉄新横浜線、ブルーライングリーンライン、金沢シーサイドライン

道路

詳細の路線については「関東地方の道路一覧」も参照されたい。

江戸時代に五街道が整備されて以後、日本橋を始点にして幹線国道が放射状に整備され、連絡線国道が環状(弧状)に整備されている。高速道路は、首都高都心環状線を中心に、各方面へ放射状に延びている。

また、国道16号沿線や両毛デルタ地帯では、モータリゼーションの進展が著しい。

主な幹線国道と高速道路
  • 国道1号(国道246号)・東名高速道路
  • 国道20号・中央自動車道
  • 国道17号(国道254号)・関越自動車道
  • 国道18号・上信越自動車道
  • 国道119号・日光宇都宮道路
  • 国道4号・東北自動車道
  • 国道6号・常磐自動車道
  • 国道14号・国道51号・東関東自動車道
  • 国道127号・館山自動車道
主な連絡線国道と高速道路
  • 国道16号・横浜横須賀道路
  • 国道50号・北関東自動車道

バス

東京都区部や周辺都市に、東北・中部・近畿など各地方からの高速バスが多数発着している。

一方、郊外やでの一般路線バスは、モータリゼーションの進展で経営が苦しくなっている。

航空

空港としては、主に東京国際空港(羽田空港)と成田国際空港(成田空港)が立地する。羽田空港は国内線、国際線の拠点として、成田空港は国際線、貨物の拠点として機能している。この他、茨城空港調布飛行場大島空港新島空港神津島空港三宅島空港八丈島空港が立地し、伊豆諸島ではそれに加えて東京愛らんどシャトルが就航している。

羽田と成田の両空港はIATA公認により、マルチエアポートとしての対応がなされている。

海運

東京湾岸の横浜港東京港千葉港を中心に、世界各地を結ぶ貨物船が東京湾に出入りしている。また、日本の大手海運会社である日本郵船商船三井川崎汽船が東京に本社を置いている。

東京港・横浜港・千葉港など - 伊豆諸島間には東海汽船神新汽船伊豆七島海運などが、東京港 - 小笠原諸島間には小笠原海運共勝丸が就航している。

この他、茨城港鹿島港が工業製品・原材料の輸出入等の拠点となっている。茨城港大洗港区 - 苫小牧港にはカーフェリー商船三井フェリー)が就航している。

東京から主な都市への道のり

関東地方の中心都市となっている東京から、主な都市や峠への「Nkm圏」を以下に掲載する。km数は国道の距離標を基準にして測る。

ルート(国道)30km圏60km圏100km圏150km圏
東海道(R1)横浜藤沢箱根峠富士市
矢倉沢往還(R246)町田厚木御殿場沼津
甲州街道(R20)八王子相模湖大月韮崎
中山道(R17・R18)
三国街道(R17)
さいたま熊谷高崎碓氷峠(R18)
月夜野(R17)
東武東毛(R122)さいたま加須桐生足尾
日光街道(R4・R119)
奥州街道(R4)
春日部古河宇都宮日光(R119)
那須塩原(R4)
常総・東野(R6・R294)下妻真岡大田原
水戸街道(R6)土浦水戸日立
佐倉街道(R14・R51)千葉成田銚子、鹿嶋大洗
外房(R14・R128)千葉東金大原鴨川
内房(R14・R16・R127)千葉木更津富浦館山

娯楽

スポーツ

関東地方に本拠地を置くプロ野球チーム
関東地方に本拠地を置くJリーグチーム

芸能

放送局のキー局が東京23区に集中しているため、多くの芸能事務所番組制作会社が東京23区に拠点を置いている。

商業公演は交通の利便性が良い東京23区や横浜、幕張、さいたまなどで多く開催されている。

テレビジョン放送

関東1都6県(関東広域圏)を放送対象地域とする広域放送と、各都県を放送対象地域とする県域放送ローカル局)がある。

広域放送は5局存在するが、いずれも東京都区部に本社を置くキー局であり、関東平野のほぼ全域で東京スカイツリーおよび東京タワーからの電波が受信可能。また、山間部や東京都島嶼部(小笠原諸島は小笠原村ケーブルテレビ)でも、中継施設を通じて静岡県の熱海や伊東などでも小田原テレビ中継局新島中継局を通じて受信可能となっている。県域放送は、茨城県を除く全ての都県に1局ずつ存在する。

広域放送
地上波では放送終了 (BSに完全移行)
県域放送

日本放送協会(NHK)は、総合テレビは広域放送、Eテレは全国放送を行っているが、地上デジタル放送における総合テレビにおいて、茨城県・栃木県・群馬県で県域放送を行っている。他の都県では、従来通り東京都区部を親局とする広域放送が当面は維持されるが、3県(埼玉県・千葉県・神奈川県)内にある中継局は、東京都内と同様の、27chではなく各県ごとに、異なったチャンネルを使用している。詳細としては、埼玉県内が13ch、千葉県内が34ch、神奈川県内が19chを使用する。

言語・方言

関東地方の日本語の方言は、東関東方言西関東方言の二種類に大きく分けられる。西関東方言のうち、東京方言(特に山の手言葉)は標準語(全国共通語)の母体となった。

  • 東関東方言:茨城県、栃木県のほぼ全域で用いられている方言。福島県中通り浜通りなどの東北方言との類似性が高い。埼玉県東部や千葉県の方言もやや近い。
  • 西関東方言:島嶼部を除く東京都、埼玉県、千葉県、群馬県、神奈川県のほぼ全域、栃木県南西部、山梨県郡内地方で用いられている方言。

現在の東京周辺では、1.東京の通勤圏化、2.他地方出身者(移住)の増加、3.テレビ・ラジオの影響などによって、標準語かそれに近い新方言首都圏方言)が多用され、伝統的な在来の方言は衰退している。

伊豆諸島の八丈島青ヶ島で話される八丈方言は、古代東国方言の特徴を色濃く残す方言であり、本土の方言とは差異が大きい。伊豆大島などの北部伊豆諸島方言は、伊豆半島などが属する東海東山方言に類似する。

小笠原諸島は、欧米人とハワイ先住民が移民・開拓し、遅れて日本人が入植した土地であるため、欧米系入植者(太平洋系の人々を含む)の英語と日本人入植者の日本語(八丈方言および標準語)が混合して、独特の「小笠原方言」と呼べるものが生まれた。ただし、日本返還後は急速に共通語化が進んでいる。

人口・面積

平野が広く、首都である東京特別区を抱える地方であり、日本の人口の30%以上が集中する。

ISO 3166-2都道府県名全国順位人口割合面積人口密度
JP-08茨城県112,992,1522.30%6,095.69km2486人/km2
JP-09栃木県181,934,0161.60%6,408.28km2302人/km2
JP-10群馬県191,930,2321.60%6,363.16km2303人/km2
JP-11埼玉県57,037,8495.50%3,797.25km21,890人/km2
JP-12千葉県66,028,3154.70%5,156.60km21,200人/km2
JP-13東京都112,369,1859.70%2,187.65km25,960人/km2
JP-14神奈川県28,687,4226.80%2,415.84km23,740人/km2
40,979,17132.20%32,423.90km21,308人/km2

年齢構成

年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
総計 [単位 千人]

年齢人口
0 - 4歳G30.pngG10.pngG05.pngG01.png 1813
5 - 9G30.pngG10.pngG05.pngG01.png 1823
10 - 14G30.pngG10.pngG05.pngG01.pngG01.png 1886
15 - 19G50.pngG05.png 2179
20 - 24G50.pngG10.pngG05.png 2586
25 - 29G50.pngG10.pngG10.pngG05.pngG03.png 3109
30 - 34G50.pngG30.pngG05.pngG03.pngG01.png 3542
35 - 39G50.pngG10.pngG10.pngG05.pngG03.pngG01.png 3139
40 - 44G50.pngG10.pngG05.pngG01.pngG01.png 2675
45 - 49G50.pngG10.pngG03.png 2485
50 - 54G50.pngG10.pngG10.pngG03.pngG01.png 2920
55 - 59G50.pngG10.pngG10.pngG05.pngG03.pngG01.png 3125
60 - 64G50.pngG10.pngG10.pngG01.pngG01.png 2861
65 - 69G50.pngG05.pngG03.png 2285
70 - 74G30.pngG10.pngG05.pngG01.png 1849
75 - 79G30.pngG05.png 1381
80歳以上G30.pngG05.pngG03.pngG01.png 1570

年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
男女別 [単位 千人]

年齢
929 G10.pngG10.pngG03.png0 - 4歳R10.pngR10.pngR01.pngR01.png 884
932 G10.pngG10.pngG03.png5 - 9R10.pngR10.pngR01.pngR01.png 891
968 G10.pngG10.pngG03.pngG01.png10 - 14R10.pngR10.pngR03.png 918
1128 G10.pngG10.pngG05.pngG03.png15 - 19R10.pngR10.pngR05.pngR01.png 1051
1342 G30.pngG03.pngG01.png20 - 24R30.pngR01.png 1244
1623 G30.pngG10.pngG01.png25 - 29R30.pngR05.pngR01.pngR01.png 1486
1830 G30.pngG10.pngG05.pngG01.png30 - 34R30.pngR10.pngR03.png 1712
1632 G30.pngG10.pngG01.png35 - 39R30.pngR05.pngR03.png 1507
1387 G30.pngG05.png40 - 44R30.pngR01.pngR01.png 1288
1273 G30.pngG01.pngG01.png45 - 49R30.png 1212
1473 G30.pngG05.pngG01.pngG01.png50 - 54R30.pngR05.pngR01.png 1447
1558 G30.pngG05.pngG03.pngG01.png55 - 59R30.pngR05.pngR03.pngR01.png 1567
1414 G30.pngG05.png60 - 64R30.pngR05.pngR01.png 1447
1119 G10.pngG10.pngG05.pngG03.png65 - 69R10.pngR10.pngR05.pngR03.pngR01.png 1166
871 G10.pngG10.pngG01.pngG01.png70 - 74R10.pngR10.pngR03.pngR01.png 978
607 G10.pngG05.png75 - 79R10.pngR05.pngR03.pngR01.png 774
526 G10.pngG03.png80歳以上R10.pngR10.pngR05.pngR01.png 1044


主要都市

政令指定都市
横浜市(3,773,607人)・川崎市(1,541,488人)・さいたま市(1,339,543人)・千葉市(978,704人)・相模原市(726,553人)
中核市
船橋市(646,079人)・八王子市(580,012人)・宇都宮市(515,201人)・横須賀市(381,022人)・柏市(432,198人)・高崎市(370,492人)・川越市(354,885人)・越谷市(340,771人)・前橋市(329,067人)

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ そもそも「〜地方」といわれる範囲に、法律上の明確な定義はない(総務省)[1]

出典

  1. ^ 「首都圏と関東地方・山梨県を含むか含まないか」『日本経済新聞』(2012年6月16日付、S3面)
  2. ^ 日本地名大百科』p.350。
  3. ^ 齋藤慎一「中近世移行期の断絶と継承」(『中世東国の道と城館』(東京大学出版会、2010年)第10章(論文初出2003年))
  4. ^ 東関東吹奏楽連盟”. www.hksuiren.gr.jp. 2019年8月5日閲覧。
  5. ^ 西関東吹奏楽連盟”. www.ajba.or.jp. 2019年8月5日閲覧。
  6. ^ [1]
  7. ^ 統計表(県民経済計算) 内閣府経済社会総合研究所国民経済計算部
  8. ^ World Economic Outlook Database
  9. ^ 耕作放棄地の現状
  10. ^ 坂東巡礼歩きの道: f.房総の街道アーカイブ”. bandoaruki.net. 2019年3月2日閲覧。

参考文献

関連項目