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水島新司さん死去 “あぶさん”のモデル 元プロ野球選手永淵洋三さん「ご苦労様でした」
内容をざっくり書くと
【永淵洋三さん】「一番最初お会いしたのはね、ぼくが日本ハムにいるときに、後楽園球場の食堂に来られて、そのときに実は「あぶさん」ていう漫画は永淵さんがモデルでしたということを本人から言われたんですね。
野球漫画「ドカベン」や「あぶさん」などで知られる漫画家の水島新司さんが、肺炎で亡くなっていたことが分… →このまま続きを読む
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永淵洋三
永淵 洋三(ながぶち ようぞう、1942年5月4日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手(外野手、投手)。
現役時代は酒豪として知られ、水島新司の漫画『あぶさん』の主人公・景浦安武のモデルとなった[1][2]。
経歴
佐賀県に生れ、佐賀市立城南中学校から、県内有数の進学校である佐賀県立佐賀高等学校(現・佐賀県立佐賀西高等学校)に進む。1958年、1年生の時に、背番号13の控え選手ながら夏の甲子園に出場。1回戦で篠田勇のいた水戸商に9回逆転サヨナラ負け[3]。その後はエースとして活躍し、1960年に春の九州大会決勝で鹿児島商を破り優勝するが、甲子園には届かなかった。
その後、東芝に入社し、小柄ながら実戦的な投手兼外野手として活躍する。1964年の都市対抗では一番打者、右翼手として起用され、1回戦で愛知マツダから4安打を放つ[4]。1966年の都市対抗は1回戦で全積水クラブから代打本塁打を放ち、打撃面で注目される。準々決勝ではこの大会に優勝した熊谷組を相手に先発。9回途中まで好投するが後続が打ち込まれ、結局は9回逆転サヨナラ負けを喫する[4]。この時のチームメートに二宮忠士がいる。1967年の都市対抗にも日本コロムビアの補強選手として出場。五番打者として活躍し、準々決勝では先発を任せられるが電電東京に敗退[4]。
プロ入りの意志が強く、1965年、西鉄ライオンズの入団テストを受けるが落ちる。2年後の1967年、高校時代の先輩であり、東芝の元監督でもある伊丹安広が早稲田大学の後輩で近鉄バファローズ球団社長の芥田武夫に永淵を紹介[1]。入団テストに合格し近鉄入団が決まった。ドラフト会議では伊丹-芥田ラインに敬意を払ったため形式的に2位で指名されたが、契約金は300万円[要出典]と3位の小川亨の1000万円より安価な額となった[1]。しかし、東芝当時の月給が3万円に対し飲み屋に30万円(いまの貨幣価値で言うと数百万ぐらい)のツケがあり、返済のアテもなく契約金で返済するしかないと考えていた永淵はこの額を了承し、近鉄と契約を結んだ[1]。
投手として選手登録されたが1968年の開幕戦である4月6日対西鉄戦で代打としてデビュー。稲尾和久相手に三振であった。投手としては翌日の7日の対西鉄戦7回裏に初登板。初対戦となった高木喬など3者凡退に抑える。16日の対東映戦で代打出場。石川緑の投げた初球の内角のストレートを叩き初本塁打を記録[1]。この年、監督の三原脩は永淵に投手、外野手、代打の3役を与えた。試合途中で代打に出て、次の回にマウンドに登り、何人か投げて、外野の守備に回ったり、外野からワンポイントリリーフでマウンドに行き、終わると又外野に戻るというような起用を行った。打者としては66試合に先発出場、規定打席には届かなかったが、打率.274、5本塁打、30打点を記録し新人王候補にもなる。しかし投手としては実力不足を露呈したため6月以降は登板がなかった[1]。
翌年の1969年からは外野手に専念。同年のオールスターゲーム第3戦では、堀内恒夫よりソロホームランを放ち、さらに金田正一、高橋一三からも安打を記録する[5]。右翼手、三番打者ととして127試合に出場し、打率.333を記録[1]。首位打者を張本勲と分け合った。張本のいる東映フライヤーズが先に全日程を終了し、永淵のいる近鉄が2試合を残している時点で永淵の打率が張本を上回っており、永淵は残り2試合を欠場すれば単独で首位打者を獲得出来る状況ではあったが、チームが阪急ブレーブスとの残り2試合の直接対決を連勝すれば逆転優勝するチャンスであったため欠場するわけにはいかず、最初の試合はスタメンで出場した。しかし、この試合で近鉄は阪急に敗れ、阪急のリーグ3連覇が決まり、近鉄は優勝を逃した。永淵自身もこの試合は4打数1安打となり、打率2位だった張本と並んだ。そして最終戦は欠場し、張本と首位打者を分け合った。この時酒好きであったことから当時の新聞などには「酒(主)力打者」と書かれた[1]。
その後も右翼手、三番打者として活躍、1971年、1972年に打率.300を記録した。1972年は強肩を活かし12補殺も記録している。しかし1973年には打撃が低迷、故障欠場も増える。翌1974年には開幕試合で先発を外れ、佐々木恭介など若手外野手の台頭で出番が急減した。1976年、西本幸雄監督の若返り策もあり、阪本敏三・八重沢憲一のトレードで、服部敏和と共に、三原が球団社長を勤めていた日本ハムに移る。日本ハムでも、外野手、指名打者として活躍したが、年齢から来る体力の衰えには勝てず、1979年シーズンを最後に現役を引退した。
1980年からは日本ハムの関西地区担当のスカウトとなり自身のように小柄でもいい選手がいるという方針で活動したが、大型選手に目が行く球団と対立し、ドラフト前の9月に辞職[1]。その翌日に大阪の焼鳥店に見習いとして働き、12月に故郷の佐賀で焼鳥店「あぶさん」を開店した[1][5]。38年間営業を続け、2018年10月に閉店した[6]。
酒の強さは並外れており、元は先述の西鉄入団テスト失敗の後に自棄酒を飲み始めたのがきっかけで、アマチュア時代には月給3万円のところ飲み屋のツケが30万円にまで達し、ドラフトの契約金400万円[要出典]を手にしてようやく払い終えたほどだった[5]。プロ入り後も毎日試合後に飲みに出かけては、二日酔いで試合に出場することも多く、酒量も20代の頃には一晩に一升をあけるほどであった[2]。先述の1969年のオールスターゲーム第3戦も、前日より徹夜で飲み明かして寝ずに球場入り、しかし練習時間の前に到着したためさらにまた飲み続け、酩酊状態で打ったという[5]。試合中にグラウンドに吐きながら守っていて線審の田川豊に注意されたというエピソードもある[7]。この話には続きがあり、その晩も永淵は飲みに行ったが、トイレで吐いていた中年男を介抱してあげたところその男は田川であった(田川も酒豪で有名だった)[7]。また打席に入ったときに相手チームの捕手から酒のにおいを指摘されることもあった[2]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1968 | 近鉄 | 109 | 299 | 270 | 29 | 74 | 15 | 4 | 5 | 112 | 30 | 11 | 6 | 5 | 2 | 16 | 0 | 6 | 35 | 6 | .274 | .327 | .415 | .741 |
1969 | 127 | 535 | 486 | 80 | 162 | 18 | 8 | 20 | 256 | 74 | 23 | 6 | 5 | 5 | 37 | 6 | 2 | 41 | 3 | .333 | .379 | .527 | .906 | |
1970 | 128 | 519 | 461 | 59 | 136 | 29 | 3 | 14 | 213 | 47 | 25 | 9 | 4 | 1 | 48 | 6 | 5 | 40 | 1 | .295 | .367 | .462 | .829 | |
1971 | 128 | 532 | 490 | 68 | 147 | 22 | 4 | 13 | 216 | 59 | 24 | 9 | 4 | 4 | 32 | 2 | 2 | 44 | 6 | .300 | .343 | .441 | .784 | |
1972 | 128 | 544 | 503 | 72 | 151 | 16 | 0 | 22 | 233 | 57 | 15 | 6 | 4 | 3 | 32 | 0 | 2 | 35 | 3 | .300 | .343 | .463 | .806 | |
1973 | 114 | 382 | 355 | 30 | 82 | 8 | 0 | 4 | 102 | 30 | 11 | 5 | 6 | 4 | 16 | 0 | 1 | 28 | 4 | .231 | .263 | .287 | .551 | |
1974 | 94 | 185 | 158 | 22 | 39 | 2 | 0 | 7 | 62 | 13 | 12 | 6 | 2 | 0 | 25 | 3 | 0 | 17 | 1 | .247 | .350 | .392 | .742 | |
1975 | 29 | 45 | 35 | 3 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 5 | 0 | 1 | 1 | 0 | 8 | 1 | 1 | 4 | 0 | .143 | .318 | .171 | .490 | |
1976 | 日本ハム | 81 | 266 | 242 | 27 | 63 | 12 | 1 | 5 | 92 | 26 | 5 | 2 | 1 | 1 | 21 | 0 | 1 | 26 | 7 | .260 | .321 | .380 | .701 |
1977 | 100 | 272 | 243 | 19 | 54 | 7 | 0 | 10 | 91 | 41 | 8 | 2 | 0 | 5 | 21 | 1 | 3 | 22 | 7 | .222 | .287 | .374 | .661 | |
1978 | 86 | 217 | 197 | 16 | 46 | 3 | 0 | 9 | 76 | 24 | 0 | 4 | 0 | 3 | 13 | 1 | 4 | 29 | 6 | .234 | .290 | .386 | .676 | |
1979 | 26 | 26 | 21 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | 6 | 0 | .143 | .308 | .190 | .498 | |
通算:12年 | 1150 | 3822 | 3461 | 425 | 962 | 134 | 20 | 109 | 1463 | 409 | 134 | 56 | 32 | 28 | 272 | 20 | 29 | 327 | 44 | .278 | .333 | .423 | .756 |
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別投手成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1968 | 近鉄 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | -- | .000 | 81 | 19.1 | 19 | 3 | 5 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 6 | 6 | 2.84 | 1.24 |
通算:1年 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | -- | .000 | 81 | 19.1 | 19 | 3 | 5 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 6 | 6 | 2.84 | 1.24 |
タイトル
表彰
- ベストナイン:1回(1969年)
記録
- 節目の記録
- 1000試合出場:1977年7月17日 ※史上192人目
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:3回(1969年、1970年、1972年)
背番号
- 10(1968年 - 1979年)
関連書籍
- 澤宮優 『「あぶさん」になった男 酒豪の強打者・永渕洋三伝』角川書店、2014年。ISBN 978-4041014837。[8]
脚注
- ^ a b c d e f g h i j “【4月16日】1968年(昭43)代打でプロ初本塁打の後はリリーフ登板した“あぶさん””. スポニチ (2008年3月30日). 2009年10月10日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c “「あぶさん」引退もモデルは健在ナリ”. スポニチ (2009年10月8日). 2009年10月10日閲覧。
- ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
- ^ a b c 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
- ^ a b c d “漫画「あぶさん」実在モデル 元日本ハム永渕洋三さんは今”. 日刊ゲンダイ (2018年2月26日). 2018年2月26日閲覧。
- ^ 「「あぶさん」閉店 野球漫画モデル・永渕さん焼き鳥店 営業38年、ファン集う」『佐賀新聞』、2018年9月27日。2019年10月1日閲覧。
- ^ a b 近藤唯之『戦後プロ野球50年-川上、ON、そしてイチローへ-』、新潮文庫、1994年、151-152頁。
- ^ 「人気漫画「あぶさん」のモデル 永渕さんの痛快評伝」『佐賀新聞』、2014年8月25日。2019年10月1日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 永淵洋三 - NPB.jp 日本野球機構
日本ハム
日本ハム株式会社(にっぽんハム、英: NH Foods Ltd.)は、大阪府大阪市北区に本社を置く大手食品加工メーカー。日経平均株価の構成銘柄の一つ[2]。
概要
ハム・ソーセージ大手(伊藤ハム・プリマハム・丸大食品)の一角で、業界首位。プロ野球チーム北海道日本ハムファイターズの親会社である。Jリーグのセレッソ大阪にも出資し役員を派遣している。グループ、日本フードグループ、日本ハム販売グループ、宝幸(旧宝幸水産)など約90社の関連企業がある。最大のヒット商品はシャウエッセンで、ソーセージのトップブランドとして現在でも重要な基幹商品となっている。
長らくカタカナ表記のニッポンハムを用いる場合も多かったが、2014年4月にコーポレートロゴを日本ハムの発足から51年目にして初めて改定され、英字表記の Nipponham に改められた。同年7月からは製品パッケージにも順次表記され始めている。
沿革
- 1942年 - 香川県大川郡津田町津田(現・さぬき市)出身の大社義規が、徳島県徳島市で「徳島食肉加工場」として創業。
- 1951年12月29日 - (旧)徳島ハム株式会社設立。
- 1962年12月3日 - 徳島ハム販売株式会社が(旧)徳島ハム株式会社を合併し(新)徳島ハム株式会社に商号変更。
- 1963年8月1日
- 1968年 - 本社を大阪市東区(現・中央区)南本町三丁目6番14号イトウビル7階に移転。
- 1973年
- プリマハムを抜き、業界首位となる。
- プロ野球パ・リーグの日拓ホームフライヤーズを買収。「日本ハムファイターズ」とする。
- 1985年 - 「シャウエッセン」発売。
- 2002年 - 「輸入牛肉偽装事件」が発生[3][4][5]。社長が事件の責任を取り辞任。
- 2005年 - イメージキャラクターの「ハムリンズ」が登場する。
- 2005年1月 - グループブランド「Nippon Ham Group」を制定。
- 2005年4月27日 - 創業者の大社義規が心不全のため91歳で没す。
- 2012年8月15日 - 事業部・グループ間のコミュニケーション強化と業務の効率化を図るため、本社を大阪市北区梅田二丁目4番9号に所在するブリーゼタワーに移転。
- 2014年4月1日 - グループブランド及びコーポレートブランドロゴを変更[6][7][8]。
- 2014年6月 - 当社の英文表記をNIPPON MEAT PACKERS, INC.からNH Foods Ltd.に変更[9]。
- 2016年7月 - 株式会社北海道新聞社との主催で日本女子プロゴルフ協会公認の女子プロゴルフトーナメント「ニッポンハムレディスクラシック」を新規トーナメントとして開催[10][11]。
- 2017年5月31日 - ウルグアイの大手食肉処理会社であるBreeders & Packers Uruguay SAを1億2500万ドル(約150億円)で買収[12]。
主な商品
- シャウエッセン
- 美ノ国
- 彩りキッチン
- ウイニー
- 新鮮生活
- アンティエ
- チキンナゲット
- チキチキボーン
- 中華名菜シリーズ
- 石窯工房シリーズ
- ミルポアデミグラスハンバーグ
- とろける4種チーズのハンバーグ
- 天津閣
- アジア食彩館
- 焼肉のたれ
過去の商品
- コンちゃんソーセージ
- スイフト
- エッセンポルカ
- ミュンヘナー
- カロリーソフト
- クナッカー
- あらびきテリパンナ
- Choice(チョイス)
- 牛ふりかけ
- ナポリピザ
- モーニングサーブ
- テリヤキ一番
- テリヤキハンバーグ
- 蒲焼地鶏
- ベーコン切り落とし
- お買得ベーコンパック
- これは便利ペッパーももハム
- チョップドハムスライス
- レガートソフト&フライ
- トマトリコピン入り赤ウインナー
- まるとくなっとくウインナー
- クックデミ
- グルメボロナ
- 美味健康
- 洋食名菜
- ローストビーフカレー
- 手料理名人
- キレイ畑
- すっきりたまねぎドレッシング
- もちもちした生パスタ
- ソウル園
- 韓流苑
- 麺名菜
- 皆盛
- シャウエッセンマスタード
- チキンと白身魚のコーンハンバーグ
- ハミングタイム
他、多数。
国内関連会社
日本ハムホームページ・関連会社の項目の記述順に配列した。
加工事業
製造
- 株式会社(静岡県榛原郡吉田町)
- 株式会社(北海道旭川市)
- 株式会社(山形県酒田市)
- 株式会社(宮崎県日向市)
- 株式会社(香川県坂出市)
- 株式会社ジャバス(茨城県筑西市)
- 株式会社函館カール・レイモン(北海道函館市)
- 株式会社(神奈川県鎌倉市)
- 株式会社(香川県さぬき市)
- 日本ハム食品株式会社(三重県桑名郡木曽岬町)
- 日本ハム惣菜株式会社(新潟県三条市)
- 株式会社 (兵庫県小野市)
販売・物流
- 株式会社(札幌市手稲区)
- 株式会社(東京都品川区)
- 株式会社(大阪市北区)
- 株式会社(東京都港区)
- 株式会社(大阪市北区)
- 株式会社(茨城県筑西市)
- 株式会社(東京都品川区)
食肉事業
生産飼育
- 株式会社(青森県上北郡横浜町)
- 株式会社(青森県上北郡おいらせ町)
- 株式会社(東京都品川区)
処理・加工
- 日本フードパッカーグループ
- 株式会社(青森県上北郡おいらせ町)
- 株式会社(鹿児島県伊佐市) - 2023年3月をめどに操業停止・清算予定[13]
- 株式会社(徳島県名西郡石井町)
- 株式会社 (青森県南津軽郡田舎館村)
畜産エキス・加工
- 日本ピュアフード株式会社(東京都品川区)
販売・物流・商社
- 日本フードグループ
- 株式会社(札幌市北区)
- 株式会社(東京都品川区)
- 株式会社(名古屋市中区)
- 株式会社(福岡市博多区)
- 株式会社(川崎市川崎区)
- 株式会社(川崎市川崎区)
- 株式会社(東京都港区)
その他事業
- 株式会社北海道日本ハムファイターズ(札幌市豊平区)[14]
- 株式会社セレッソ大阪(大阪市住吉区 旧・大阪サッカークラブ株式会社)[15]
- マリンフーズ株式会社(東京都品川区)
- 株式会社宝幸(東京都品川区)
- 株式会社(福岡県三井郡大刀洗町)
- 株式会社(京都府八幡市)
- 日本ハムヘルスクリエイト株式会社(東京都品川区)
- 株式会社(大阪市北区 保険サービス、物販業など)
- 株式会社(東京都品川区 教育・学習支援、 採用支援など)
- 株式会社(大阪市北区 情報管理業)
- 株式会社(東京都品川区 日本ハムグループの工場や店舗を中心とした建築設計・設備保全業務)
その他
以下は日本ハムホームページのグループ企業紹介に記述されていないもの
- 株式会社(神奈川県厚木市)
- 株式会社(神戸市兵庫区)
- 株式会社
国外現地法人
日本ハムホームページ・関連会社の項目の記述順に配列した。
アジア
- 有限公司
- 有限公司
- 有限公司
- 有限公司
- 有限公司
- 有限公司
- 株式会社
- CO., LTD.
- CO., LTD.
- CO., LTD.
- 株式会社
- 株式会社
オーストラリア
- PTY.LTD.
- PTY.LTD.
- 株式会社
- (AUSTRALIA)PTY.LTD.
- PTY.LTD.
- 株式会社
- PTY.LTD.
アメリカ
- , LLC.
- , LLC.
- ,Inc.
- ,Inc.
- 株式会社
ヨーロッパ
- 株式会社
広報活動
提供番組
- 現在
- ニッポンハムレディスクラシック(テレビ東京)2016年〜
- 熱血テレビ(山口放送)
- GAORAプロ野球中継(GAORA)Nipponham Group名義。日本ハム主催試合のみ2015年より提供。番組限定のCM「ニッポンハムグループはグループじゃない。チームだ。」のシリーズを放映。
- 三四郎のオールナイトニッポン(ニッポン放送)
- おはようコールABC(おはようセレッソ)
下記にもあるが、数々のテレビ番組のレギュラー提供をしていた。しかし、関連会社の「牛肉偽装事件」が発覚して以降、週替わりや期間限定での提供が多かった。2012年4月から「ザ!世界仰天ニュース」(日本テレビ)よりレギュラー番組提供を再開した。提供テロップはNipponham Groupで2020年7月現在では週替わり提供であり、基本的にスポットCM中心。
- 過去
- (関西テレビ制作)※1985年10月から1990年4月まで放映された料理番組で1社提供
- ザ!世界仰天ニュース(日本テレビ)
- AKBINGO!(日本テレビ)
- ワンダーゾーン(読売テレビ制作・日本テレビ系列)
- 新春スポーツスペシャル箱根駅伝(日本テレビ)2014年 - 2017年。グループブランドであるNipponham Group名義。
- クイズ100人に聞きました(TBS・末期)
- 女神の天秤(TBS)
- 所さんの20世紀解体新書(TBS)
- 関口宏の東京フレンドパークII(TBS)
- ごごネタ!とれたてTV(CBC制作・TBS系列)※主に取材・制作面での諸事情により提クレ自粛。
- HKT48のおでかけ!(TBS)2014年11月〜
- RKKワイド夕方いちばん(熊本放送、2013年4月より火・水曜の16時台の番組スポンサー)
- ステーションEYE(テレビ朝日・1990年代半ば)
- GIRLS A GOGO!(テレビ朝日)
- 関ジャニの仕分け∞およびお願い!ランキング GOLDなどの2時間スペシャルの土曜20時台(テレビ朝日)
- アフタヌーンショー(テレビ朝日)
- ワイド!スクランブル(テレビ朝日・月曜)※仕分け∞降板後の2013年10月より務めるものの、2ヶ月で降板
- 興味しんしん丸(朝日放送制作・テレビ朝日系列)
- 平成ふしぎ探検隊(朝日放送制作・テレビ朝日系列)
- 親知らずバラエティー 天使の仮面!!(朝日放送制作・テレビ朝日系列)
- 探検王国 そんなことアルマジロ(朝日放送制作・テレビ朝日系列)
- 大発見!恐怖の法則(朝日放送制作・テレビ朝日系列)
- 人気者でいこう!(朝日放送制作・テレビ朝日系列)
- パネルクイズ アタック25(朝日放送制作・テレビ朝日系列)
- 大阪国際女子マラソン(関西テレビ制作・フジテレビ系列)2002年度まで
- 新伍&紳助のあぶない話(関西テレビ制作・フジテレビ系列)※ヒッチハイク
- タモリのスーパーボキャブラ天国→タモリの超ボキャブラ天国(フジテレビ系)
- キャプテン翼J(フジテレビ系)
- 超野球ファイターズ→超ぽじてぃぶ! ファイターズ(テレビ東京)
- (東京時代)
- Vダッシュ!!セレッソ(テレビ大阪)
- 日経スペシャル カンブリア宮殿(テレビ東京)Nipponham Group名義。
- 報道ステーション(テレビ朝日)火曜後半ナショナルスポンサー、Nipponham Group名義。
- ひるおび!内のJNNニュース(TBS 平日・昼)Nipponham Group名義。
- 久保田利伸のプラネット・フレーヴァ(TOKYO FM(2005年4月よりFM OSAKA)) - ラジオ媒体唯一の1社提供番組 など
- 桑田佳祐のやさしい夜遊び(TOKYO FM)2016年6月11日 - 2019年3月30日
- AKB48のオールナイトニッポン(ニッポン放送)
この他1996年4月 - 2000年3月まで放送されていた文化放送のワイド番組「えのきどいちろう意気揚々」にて1コーナーの提供→「フォークトレイン」→「ミュージックトレイン」の箱番組提供も行っていたが、2006年3月で10年間の歴史に幕を閉じた。
CM出演
俳優・女優・歌手などの芸能人やアニメキャラクターのほか、保有するファイターズの選手も度々出演している。
- 現在
- 坂口健太郎(中華名彩)
- 林遣都(石釜工房)
- 天海祐希(ギフト「美ノ国」)
- ムーミン(森の薫り)
- 西川遥輝(「強いカラダをつくる、は終わらない。」編)
- 橋本愛(シャウエッセン®とろける4種チーズ)
- 金子大地(シャウエッセン®とろける4種チーズ)
- 過去
- 大村崑(コンちゃんソーセージ)おまけのシールも人気で集めた少年少女が多かった。
- ジェスター(ゲーリー・ジェスタッド)(牛ふりかけ。1975年)
- 当時日本ハムファイターズに所属していた外国人選手。日本の少女と共演。キャッチコピーは「コノアジ、ベリー、ギュー!」。
- ウイニー坊や(ウイニー/オリジナルキャラクター)
- 共演した著名人
- 大橋巨泉(スイフト。1979年)
- CM中に「今スイフトはアメリカの若奥さんにグンバツ(抜群)の大人気。日本の若奥さんもお召し上がり。ながれいしー(流石)!!」というフレーズがあった。
- 持田真樹(カロリーソフト 1993年、桜っ子クラブ=当時)
- 久保田利伸(シャウエッセン 1994年、1997-1999年、1994年当時の日本ハムファイターズの球団マスコット、ファイティーとの共演も有り)
- 竜雷太(シャウエッセン)
- 伊藤裕子(シャウエッセン)
- 倉本聰(ギフトセット)
- 江夏豊(ギフトセット)
- 大沢啓二(ギフトセット)
- 江夏・大沢両名共演バージョンもあった。
- 山口もえ(中華名菜 2000年代前半)
- 正田樹(ナポリザ 2000年/北海道日本ハムファイターズ→阪神タイガース→東京ヤクルトスワローズ。入団時にCM出演)
- 小笠原道大(シャウエッセン/北海道日本ハムファイターズ→読売ジャイアンツ→中日ドラゴンズ)
- 新庄剛志(モーニングサーブ→お中元・お歳暮など/北海道日本ハムファイターズ)
- ダルビッシュ有(モーニングサーブ リンクス/現テキサスレンジャーズ)
- 爆笑問題 (彩りキッチン/太田光がイロー、田中裕二がドリーの声)
- ストロングマシン2号(ミートスティック リンクス)
- 永作博美(新鮮生活 ZERO)
- 生田斗真(彩りキッチン/「彩り王子」として出演)
- 栗山英樹(日本ハムグループ/ 元北海道日本ハムファイターズ監督)
- 大谷翔平(〃・ニッポンハムグループオールスターフェア/2015年版から)
- 倉科カナ(彩りキッチン)
- ハムリンズ(企業/オリジナルキャラクター)
スポーツ
不祥事
- 牛肉産地偽装事件
- 排水データの改竄
- 所得税の申告漏れ
- 贈答品の商品のすり替え
- 贈答品における虚偽表示
- 加熱不足の冷蔵加工食品を出荷
- 執行役員の不適切発言
- 動物の扱いに関する告発
脚注
- ^ 「日ハム」の略称は北海道日本ハムファイターズを指す場合が多い。また、株式市場でも「日ハム」の略称が使われており、新聞の株式欄で見られる。
- ^ 構成銘柄一覧:日経平均株価 Nikkei Inc. 2021年10月8日閲覧。
- ^ a b 輸入牛肉偽装問題に関する社内調査結果及び再発防止策等についてのご報告(日本ハム)2020年11月12日閲覧。
- ^ a b 牛肉偽装 雪印、日本ハム、日本食品 こうして広がった(日本共産党)2020年11月12日閲覧。
- ^ a b 日本ハム国産牛肉偽装事件(日外アソシエーツ)2020年11月12日閲覧。
- ^ 日本ハムグループのグループブランド変更に関するお知らせ 日本ハムホームページ ファイリング情報(2013年一覧) 2013年11月8日
- ^ 日本ハム株式会社のコーポレートブランドロゴ変更に関するお知らせ 日本ハムホームページ ファイリング情報(2014年一覧) 2014年3月24日
- ^ これにより、グループブランドとコーポレートブランドのシンボルマーク及びロゴタイプが統一され、コーポレートブランドロゴは日本ハム発足から51年目にして初めての改定となった。
- ^ 当社商号の英文表記変更に関する定款の一部変更及び海外連結子会社の商号変更に関するお知らせ (PDF) - 日本ハムホームページ ファイリング情報(2014年一覧) 2014年3月24日(2014年7月21日閲覧)
- ^ “女子プロゴルフツアー新規トーナメント ニッポンハムレディスクラシック 開催のお知らせ” (プレスリリース), 日本ハム株式会社, (2015年12月18日) 2019年7月15日閲覧。
- ^ 2017年シーズン以降も継続開催、2019年の第4回大会からは日程が4日間となった。
- ^ “Uruguay entra al radar de Japón”. . (2018年2月25日). オリジナルの2018年2月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ “日本ハム系2工場、来春閉鎖 従業員300人の処遇「対応を検討」グループ再編”. 南日本新聞. 2022年4月14日閲覧。
- ^ 元々は1945年(昭和20年)創設のセネターズ。以後東急フライヤーズ→東映フライヤーズ→日拓ホーム・フライヤーズ→日本ハムファイターズと系譜されている。
運営会社は1945年(昭和20年)のセネターズ設立時に「株式会社セネターズ野球協会」として発足し、その後「株式会社東急ベースボールクラブ」→「東映興業株式会社」→「日拓ホーム野球株式会社」を経て1974年(昭和49年)に「日本ハム球団株式会社」(旧社)となったが、北海道移転に際しこれまでの日本ハム1社での単独出資から、日本ハムとホクレン・北海道新聞社・札幌市などと合弁した「株式会社北海道日本ハムファイターズ」を新法人として設立し、旧法人は特別清算により法人消滅している。 - ^ 元々はヤンマーディーゼルサッカー部。Jリーグ参入を目指して1993年(平成5年)に大阪サッカークラブに改組された際に母体であったヤンマーなどとともに資本参加している。
- ^ 税申告漏れ:大阪国税局、日本ハムに2億円指摘 毎日新聞 2011年7月26日
- ^ 日本ハム:3年で5億7600万円申告漏れ大阪国税局指摘 毎日新聞 2014年6月6日
- ^ 中元・歳暮の中身すり替え…でも8割は高級に 日本ハム 朝日新聞 2010年1月29日
- ^ 日本ハムが虚偽表示 中元のソーセージ自主回収 産経新聞 2014年7月16日
- ^ 日本ハム、「中華名菜 八宝菜」など約3万パックを自主回収 加熱不足で 産経新聞 2015年2月7日
- ^ 日本ハム 社長が辞任 役員が航空会社の女性に不適切発言 NHKニュース 2018年2月16日(リンク切れ)
- ^ 日ハム社長は退任 「部下のセクハラ発言」でクビになる?(2020年4月27日閲覧)
- ^ “Piglets Slammed Into Concrete, Left to Die at Nippon Ham Farm in Japan”. 20220303閲覧。
関連項目
- 徳島ラーメン - 日本ハムの前身である徳島ハムの工場があり、安いとんこつが大量に供給された。
外部リンク
- 日本ハム株式会社
- 【公式】ニッポンハムグループ (@nipponhamgroup) - Twitter
- NipponhamGroup - YouTubeチャンネル