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🥾|キャンプ場で遠隔勤務 白山・吉野でワーケーション体験


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キャンプ場で遠隔勤務 白山・吉野でワーケーション体験

 
内容をざっくり書くと
アウトドア・ラウンジは9月にも金沢市内での開催を計画している。
 

旅先で休暇を楽しみながら仕事をする「ワーケーション」を自然の中で体験してもらう「アウトドア・ラウンジ… →このまま続きを読む

 北國・富山新聞


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金沢市

金沢市(かなざわし)は、石川県のほぼ中央に位置する。石川県の県庁所在地であり、中核市に指定されている。

石川郡および河北郡

概要

江戸時代には、江戸幕府(約800万と言われる)を除いて、大名中最大の102万5千石の石高を領した加賀藩(「加賀百万石」)の城下町として栄え、人口規模では江戸大坂三都に次ぎ、名古屋と並ぶ大都市であった。第二次世界大戦中にアメリカ軍からの空襲を受けなかったことから市街地に歴史的風情が今なお残っている。空襲の被害者やその遺族が少ない地域という理由から、終戦間もない頃には国際交流を目的として来日するアメリカ市民の滞在先としても選ばれた。また、長年の都市文化に裏打ちされた数々の伝統工芸日本三名園の一つとして知られる兼六園加賀藩の藩祖・前田利家の金沢入城に因んだ百万石まつり、さらに庶民文化(加賀宝生郷土料理治部煮等)などにより、観光都市として知られる。2009年にはユネスコ創造都市に認定された(国内では神戸市、名古屋市に続く3番目、クラフト&フォークアート部門ではアジア初)。また、北陸地方を管轄する国の出先機関が置かれ、大企業の「北陸支社」「北陸支店」も金沢市に置かれることも多い。

地理

地理区分

地理区分は中部地方北陸地方北信越地方に属する。石川県内の地理区分では、加賀地方に属する。

地形

南東部は山地で、奈良岳(1,644m、金沢市の最高峰、犀川の水源)をはじめ、見越山 (1,621m)、大門山 (1,572m)、医王山(いおうぜん、939m)などがある。平野に近い部分は丘陵地となり、戸室山 (548m)、キゴ山 (546m)、野田山 (180m)、満願寺山 (177m)、卯辰山 (141m) などがある。戸室山・キゴ山は数十万年に形成された第四紀火山である。山地と平野の境界付近に森本・富樫断層帯が分布する。北西部は金沢平野で、犀川(別名おとこ川)、浅野川(別名おんな川)、金腐川(かなくさりがわ)、森下川(もりもとがわ)、伏見川、、内川などが流れる。犀川とこれに合流する伏見川は日本海へ直接注ぐが、他の川は河北潟へ流れ、大野川を経て日本海へ注ぐ。海岸部は砂丘となっており、河口部分は北向きに曲がっている。犀川上流には犀川ダム内川ダムがあり、上水道や灌漑などに利用されている。犀川と浅野川は市内を並行して流れ、犀川北岸と浅野川南岸それぞれの河岸段丘に挟まれた台地小立野台地である。小立野台地の西端に金沢城趾兼六園がある。また、犀川南岸の河岸段丘は寺町台地と呼ばれる。

気候

日本海側気候で、年中湿度が高く、雲が発生しやすい。特に冬には雨・雪が降る日が多い[注釈 1]。平年のが全国の県庁所在地の中で最も多く、そのほとんどは晩秋から冬に起こる。比較的好天が多いのは4-5月と10月、夏にはフェーン現象が起きて最高気温が35℃を超えることもある。梅雨の影響は太平洋側と比較して少ない。12月から2月にかけてはが多い。雷を伴ってあられや雹が降ることもある。1987年以降の暖冬に加え、1991年10月23日に金沢地方気象台が中心部にほど近い弥生地区から、海風の影響で気温が高めで雪が積もりにくい沿岸寄りの西念地区へ移転して以降、観測される降雪量は急激に減っており、北陸の他都市はおろか鳥取市よりも積雪量が少なくなることが増えた。しかしながら、市の公表している積雪量[1] によると、気象台よりも兼六園のある市内中心部の方が積雪が多く、特に、金沢大学のある角間町などの内陸地域などは豪雪となりやすい。このように同じ市内であっても海側と内陸では積雪量が大きく異なっている。

降雪の深さ合計は平年で278cmと前平年値(1971〜2000年平均)の360cmと比べて大きく減少した。気象台移転後の最深積雪記録は2001年1月16日の88cm、なお金沢地方気象台が現在の場所に移転する前の最深積雪極値は三八豪雪の1963年1月27日に記録した181cm。最後に積雪が1mを超えたのは1986年1月28日の113cmまで遡る。ただし、冬季の気温は曇りや雪の日が多く放射冷却が少ないため、最低気温は高め(1月平均最低気温0.9℃)であり、2000年代以降は暖冬傾向であること、また、除雪融雪の体制が発達していることなどから、冬季の都市生活に支障は少ない。

湿度が高いため、伝統工芸の漆塗りや金箔製造に適している。

金沢地方気象台(西念町、標高:6m)1981–2010年平均の気候
1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
最高気温記録 °C (°F)21.2
(70.2)
23.6
(74.5)
27.0
(80.6)
31.6
(88.9)
33.7
(92.7)
36.1
(97)
37.3
(99.1)
38.0
(100.4)
38.5
(101.3)
33.1
(91.6)
28.4
(83.1)
24.7
(76.5)
38.5
(101.3)
平均最高気温 °C (°F)6.8
(44.2)
7.3
(45.1)
11.0
(51.8)
16.9
(62.4)
21.6
(70.9)
25.0
(77)
28.8
(83.8)
30.9
(87.6)
26.6
(79.9)
21.3
(70.3)
15.5
(59.9)
10.2
(50.4)
18.5
(65.3)
日平均気温 °C (°F)3.8
(38.8)
3.9
(39)
6.9
(44.4)
12.5
(54.5)
17.1
(62.8)
21.2
(70.2)
25.3
(77.5)
27.0
(80.6)
22.7
(72.9)
17.1
(62.8)
11.5
(52.7)
6.7
(44.1)
14.6
(58.3)
平均最低気温 °C (°F)0.9
(33.6)
0.7
(33.3)
3.0
(37.4)
8.2
(46.8)
13.1
(55.6)
18.0
(64.4)
22.3
(72.1)
23.7
(74.7)
19.5
(67.1)
13.3
(55.9)
7.7
(45.9)
3.4
(38.1)
11.2
(52.2)
最低気温記録 °C (°F)−9.7
(14.5)
−9.4
(15.1)
−8.3
(17.1)
−1.6
(29.1)
1.5
(34.7)
6.8
(44.2)
11.0
(51.8)
13.1
(55.6)
7.6
(45.7)
2.2
(36)
−0.7
(30.7)
−6.7
(19.9)
−9.7
(14.5)
降水量 mm (inch)269.6
(10.614)
171.9
(6.768)
159.2
(6.268)
136.9
(5.39)
155.2
(6.11)
185.1
(7.287)
231.9
(9.13)
139.2
(5.48)
225.5
(8.878)
177.4
(6.984)
264.9
(10.429)
282.1
(11.106)
2,398.9
(94.444)
降雪量 cm (inch)119
(46.9)
93
(36.6)
27
(10.6)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
2
(0.8)
37
(14.6)
281
(110.6)
平均降水日数 (≥ 0.5 mm)24.720.718.413.011.711.914.39.813.014.818.123.3193.7
平均降雪日数19.116.08.10.60.00.00.00.00.00.01.09.854.6
湿度75726769757773747171727272.3
平均月間日照時間63.584.1141.3185.5202.3152.6158.9221.5144.1150.4104.172.51,680.8
出典: 気象庁
医王山観測所(平等本町、標高:420m)の気候
1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
降水量 mm (inch)176.0
(6.929)
201.0
(7.913)
207.2
(8.157)
出典: 気象庁 (降水量平均値:2003-2010)

隣接自治体

北側に内灘町津幡町、東側に倶利伽羅峠医王山などの山地を挟んで富山県小矢部市南砺市、南側に白山市(旧松任市、旧鶴来町)、野々市市と接する。

歴史

第二次世界大戦以前

「金沢」という都市名は「昔、山科の地(現:金沢市郊外)に住んでいた芋掘り藤五郎が山芋を洗っていたところ、砂金が出たため、金洗いの沢と呼ばれた」という伝説による。

金洗いの沢」は、兼六園内の金沢神社の隣りにあり、現在は「金城霊沢」と呼ばれている。

古文書における「金沢」の初見は、『高野山正智院聖教目録』に文明13年10月8日(1481年10月30日)付で記載された「加州金沢惣持寺」が知られている[4]

天文15年(1546年)。戦国時代一向一揆本願寺の拠点が置かれた尾山御坊(金沢御坊)と、その周辺の寺内町を起源とする。天正8年(1580年)、織田信長配下の柴田勝家の甥佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、その地に金沢城を築城した。

賤ヶ岳の戦い以降、前田利家が金沢城に入り、加賀藩の原型が形成された。利家は金沢城を人心の一新(羽柴秀吉に敵対した佐久間盛政色の一掃および一向一揆に加わっていた真宗門徒との融和)を意図して自身の出身地である尾張国にも通じる「尾山城」と改名するが定着せず、利家の晩年もしくは次代の前田利長の時代には再び「金沢城」の名前に戻した[5][6]。城下町には二重の惣構が掘られ、環濠都市となり、現在でもその遺構を確認することができる。それまで点在していた寺院は一向一揆を防ぐために、金沢城から南西の犀川流域、東側の卯辰山、南東の小立野台地の三ヶ所に集められ、それぞれが寺町寺院群卯辰山山麓寺院群小立野寺院群となった。

慶長5年(1599年)に利家が死去すると、翌年には関ヶ原の戦いが起こる。利家の遺領を相続した長男の前田利長は、東軍の徳川家康につき、西軍に属した弟の前田利政の所領を戦後に与えられ、加賀国能登国越中国を有する大大名となる。第三代藩主前田利常の時代には、十村制改作法といった農政改革を進め、支配機構の整備が行われ藩体制が確立した。第五代藩主前田綱紀は名君として名高く、兼六園の前身にあたる蓮池庭(れんちてい)を作庭し、木下順庵室鳩巣稲生若水といった学者の招聘につとめ学問を振興した。また綱紀は和書や漢書、洋書などの多様な書物の収集にも努め、その書物の豊富さから新井白石は「加賀は天下の書府」と言ったと伝えられている[7]。集められた書物や美術工芸品の収蔵品は尊経閣文庫と呼ばれ、現在では前田育徳会により保存管理されている。その後金沢は150余年に渡り、加賀百万石の城下町として繁栄することとなる。参勤交代の時、前田氏は約2,000人の家来を従え、現在の価値で片道約7億円をかけて江戸との間を往来した。

以下江戸時代の藩政史料や地図、明治初期の統計書に記録されている金沢町の人口をまとめる。但しその多くが町奉行支配場(本町、地子町、旧門前地、大工地)の町方人口に関するものであり、主に寺社奉行支配地(門前地)に居住した僧侶・神職ほか、武家屋敷や一部町方・寺社方に居住した士分・武家奉公人については人口に関する資料がほとんど残っていない。

江戸時代から明治初期の金沢の人口[8][9][10][11]
元号西暦家数人口備考典拠
寛文4年1664年9,86855,106本町2532戸1万9845人、地子町7336戸3万5261人『越登賀三州志』
寛文5年1665年7,350地子町のみ『改作所旧記』
寛文7年6月1667年8,66759,101本町1332軒1万9840人、地子町7335軒3万9261人『稿本金沢市史』
延宝年中1675年頃9,927本町2186軒、地子町7081軒『金沢古蹟志』
3,959武家屋敷分。士分1677軒、足軽1953軒、小者305軒『延宝金沢図』
貞享2年1685年8,448地子町のみ『国事雑抄』
貞享3年1686年8,326地子町のみ『国事雑抄』
元禄3年1690年13,601寺社奉行支配地を含む。寺社243戸、山伏65戸、
百姓85戸、非人4戸、穢多4戸、町其外遊民1万3209戸
『加賀藩史料』
17,601金府家数凡1万3601戸、外に士家奉公人分家4000戸の合計
元禄9年1696年11,927本町2536戸、地子町9391戸『金沢古蹟志』
元禄10年春1697年12,08568,636本町2285戸1万8949人、旧門前地大工地354戸2630人、
地子町9446戸4万7057人
『加賀藩史料』
宝永7年6月21日1710年12,55864,987『国事雑抄』
宝暦5年1755年13,443外に侍屋敷1365軒(但し知行持のみ)『稿本金沢市史』
文化7年8月1810年13,79256,355本町2540戸、旧門前地384戸、地子町1万0754戸、大工胆煎等114戸『越登賀三州志』
14,909町奉行支配地1万3792戸、寺社奉行支配地1117戸の合計
文化8年1811年11,070本町2112戸、地子町8958戸。
但し本町4胆煎、地子町3胆煎分戸数不足
『城下町金沢』
天保9年閏4月1838年15,27335,841町方・寺社方合計、人口は15歳以上のみ『金沢町数人口調』
安政4年2月1857年13,48558,506町方・寺社方合計、他支配2186軒を除く。
本町2650軒1万2019人、地子町9478軒4万0803人、門前地1351軒5684人
『金沢町家数人数高』
15,671町方・寺社方合計、他支配2186軒を含む。
本町2784軒、地子町1万1281軒、門前地大工地1600軒
文久3年5月以降1863年15,720町方・寺社方合計、他支配を含む。
本町3049軒、地子町1万1342軒、大工胆煎等127軒、門前地1202軒
『町役人名帳』
明治2年8月1869年15,7151胆煎分戸数不足『町役人名帳』
13,56260,789町方・寺社方合計、支配違2634軒を除く『金沢町家教調』
16,196町方・寺社方合計、支配違2634軒を含む
明治3年閏10月10日1870年17,22256,295居住制限撤廃後、家数は集計不完全、人口は町方人別之者のみ。
東郷3253軒1万2093人、西郷2263軒7943人、
南郷6600軒1万8960人、北郷5106軒1万7294人
『稿本金沢市史』
明治4年2月1871年24,744123,363全身分合計。士族4932戸2万6028人、
卒4607戸2万6888人、平民1万4907戸6万8810人、
元神官39戸139人、寺院259戸1032人、御預人466人
『金沢名数』
明治4年8月24,146123,453第1区3253戸、第2区3635戸、
第3区882戸、第4区1836戸、第5区4068戸、第6区3369戸、第7区4103戸
『石川県史料』
明治5年1月29日1872年37,880壬申戸籍による本籍戸数・人口。第1区5610戸、第2区5411戸、
第3区6026戸、第4区2717戸、第5区6272戸、第6区5080戸、第7区6763戸
『石川県史料』
明治6年1月1日1873年35,788109,685本籍戸数・人口[注釈 2]『金沢市統計書』
34,580『日本地誌提要』
34,883『明治八年共武政表』
明治9年11月1日1876年23,995108,758本籍家数・人口『石川県史料』
明治11年12月9日1878年23,937108,263本籍家数・人口『石川県史料』
明治12年1月1日1879年23,915107,878本籍家数・人口『明治十一年共武政表』
107,876本籍人口『日本全国郡区分人口表』

「今津甚四郎書出候人数一巻」[12] によると、享保6年(1721年)の金沢藩の15歳以上の御家中人口は6万7302人(おそらく武家奉公人を含む)。また『金沢市史』や『藩制一覧』によると、明治3年閏10月10日の旧家中人口は、華族1戸11人、士7797戸2万8683人、卒9703戸2万7038人、仲間・小者(平民扱い)2699戸5938人の合計20,200戸61,670人(但し戸数は成人男性数(名数))。江戸時代中期以降、金沢城下町に居住する武家・武家奉公人人口は4万人から5万人で推移したと推測される。以下に2人の研究者による江戸時代から明治初期の金沢の推定総人口を列挙する。なお土屋敦夫の推計人口には神社仏閣数と僧侶・神官人口(明治4年2月の時点で298箇所1171人)が加算されていない[8]。また斎藤誠治が明治11年調として『明治十一年共武政表』より引用している人口は、正確には明治12年1月1日調のものである[13]

江戸時代から明治初期の金沢の推計総人口
年号西暦土屋敦夫 (1980)[8][9]斎藤誠治
(1984)

[13]

城下町
合計
武士町
居住
町人町
居住
慶安3年1650年114,000
寛文4年1664年86,30031,20055,100
貞享2年1685年62,200
元禄10年1697年111,20042,60068,600
宝永7年1710年70,600
寛延3年1750年128,000
宝暦5年1755年116,60044,90071,700
文化7年1810年68,900
文政4年1821年114,60046,50068,100
天保9年1838年73,500
嘉永3年1850年118,000
文久3年1863年73,600
明治4年1871年122,90048,10074,800
明治11年1878年107,878

江戸時代の金沢の人口は17世紀後半には10万人を超え、江戸、大坂、京の三都には及ばないものの、名古屋と並ぶ日本第4位から第5位の都市として発達し、美術工芸など現在に受け継がれる都市文化が花開いた。幕末から明治維新の頃の金沢は人口において東京、大阪、京都、名古屋に次ぐ日本第5位の都市であったが、明治時代に入ると産業・交通発達の基軸が太平洋側へと移り、明治20年頃には六大都市を形成することになる神戸横浜にも人口で抜かれる。しかしながら金沢には旧制第四高等学校金沢大学の前身)や日露戦争旅順攻囲戦で知られる陸軍第九師団が置かれ、学都・軍都として栄えた。

第二次世界大戦中は機銃掃射など()があったものの大規模空襲を免れ、古い町並みが残った。(石川県内では、空襲で60人以上が死傷した。)

地名の移り変わり

現在の金沢市中心部は、古くは石浦村と呼ばれていた。尾山御坊が置かれたことで寺内町として発展し、南町、西町、松原町、安江町、近江町、堤町、金屋町、材木町といった町が成立した。これを総じて尾山八町、或いは単に「尾山」と呼んだ。なお、尾山という地名は、「二つの川に挟まれた台地の先端」という意味を持つ。後に、前述の芋掘り藤五郎の伝説から「金沢」と称するようになるが、こちらの地名も室町時代まで遡ることが確認されており2つの地名が併用されていた。前田利家が城主になると一度「尾山」に戻され、家督を長男の前田利長が継いだ後に再び「金沢」となった。

旧町名の復活運動

金沢市は、1962年(昭和37年)に「住居表示に関する法律」の実験都市に指定され、500余りの町名が消滅してしまった。しかし、長年慣れ親しんだ旧町名の復活を望む声が多く、主計町を皮切りに次々と旧町名が復活した。これを受けて長崎市など全国へ旧町名復活運動が広がっていった。

沿革

  • 1878年明治11年)12月17日 - 郡区町村編制法が施行され金沢城下534町に金沢区成立。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 金沢区に市制施行され金沢市成立。10.40 km2
  • 1924年大正13年)1月1日 - 石川郡野村字泉野の一部との境界変更。10.61 km2
  • 1925年(大正14年)4月1日 - 石川郡野村を編入。16.82 km2
  • 1925年(大正14年)4月10日 - 石川郡弓取村を編入。20.05 km2
  • 1935年昭和10年)12月16日 - 石川郡富樫村・潟津村・米丸村・鞍月村粟崎村大野町を編入。51.55 km2
  • 1936年(昭和11年)4月1日 - 石川郡崎浦村三馬村河北郡小坂村を編入。90.71 km2
  • 1943年(昭和18年)10月1日 - 石川郡戸板村を編入。96.21 km2
  • 1943年(昭和18年)12月1日 - 石川郡金石町大野村二塚村を編入。111.09 km2
  • 1947年(昭和22年)5月3日 - 河北郡三谷村字釣部を編入(境界変更)。114.16 km2
  • 1949年(昭和24年)6月1日 - 河北郡川北村を編入。122.10 km2
  • 1954年(昭和29年)7月1日 - 石川郡安原村額村内川村犀川村湯涌谷村を編入。303.76 km2
  • 1956年(昭和31年)1月1日 - 石川郡押野村を編入。309.79 km2
  • 1957年(昭和32年)4月5日 - 河北郡浅川村を編入。393.40 km2
  • 1957年(昭和32年)4月10日 - 押野地区の一部を石川郡野々市町へ編出(境界変更)。391.34 km2
  • 1962年(昭和37年)6月1日 - 河北郡森本町を編入。458.78 km2
  • 1965年(昭和40年)7月30日 - 河北潟の一部埋立による面積増加。458.90 km2
  • 1967年(昭和42年)10月27日 - 河北潟の一部埋立による面積増加。459.18 km2
  • 1968年(昭和43年)4月1日 - 石川郡野々市町との境界変更。459.19 km2
  • 1969年(昭和44年)3月1日 - 石川郡野々市町との境界変更。459.21 km2
  • 1971年(昭和46年)3月2日 - 河北潟の一部埋立による面積増加。459.31 km2
  • 1980年(昭和55年)2月1日 - 石川郡野々市町との境界変更。459.31 km2
  • 1980年(昭和55年)5月13日 - 大野町4丁目および粟崎町4丁目に隣接する公有水面埋立による面積増加。460.20 km2
  • 1980年(昭和55年)9月1日 - 石川郡野々市町との境界変更。460.20 km2
  • 1981年(昭和56年)10月1日 - 河北潟干拓地境界決定。468.09 km2
  • 1988年(昭和63年)10月1日 - 国土地理院における新しい測定方法による修正。467.77 km2
  • 1992年平成4年)3月1日 - 松任市との境界変更。467.77 km2
  • 1996年(平成8年)6月1日 - 河北郡津幡町との境界変更。467.77 km2
  • 1999年(平成11年)5月1日 - 石川郡野々市町との境界変更。467.77 km2

人口

近年、市内の人口は減りつつある。市街地を中心に、山間部等でも空き家が目立つ一方、太陽が丘や団地等の新宅地で人口が増加している。ドーナツ現象である。

Demography17201.svg
金沢市と全国の年齢別人口分布(2005年)金沢市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 金沢市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

金沢市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


行政

市長

  • 山野 之義(やまの・ゆきよし)

副市長

  • 相川 一郎
  • 村山 卓

[14]

歴代市長

歴代区長[15]
氏名就任退任備考
1878年(明治11年)12月17日1879年(明治12年)4月10日区長代理
1879年(明治12年)4月10日1879年(明治12年)7月7日区長心得
1879年(明治12年)7月7日1879年(明治12年)11月11日区長心得
111879年(明治12年)11月11日1881年(明治14年)6月20日
221881年(明治14年)6月20日1881年(明治14年)10月8日
331881年(明治14年)10月8日1884年(明治17年)2月18日
44稲垣義方1884年(明治17年)2月18日1889年(明治22年)3月31日
歴代市長
氏名就任退任備考
11稲垣義方1889年(明治22年)5月27日1893年(明治26年)4月11日
221893年(明治26年)6月23日1897年(明治30年)12月2日
33奥村栄滋1898年(明治31年)1月12日1902年(明治35年)5月10日
44渡瀬政礼1902年(明治35年)6月16日1908年(明治41年)6月15日
51908年(明治41年)7月24日1909年(明治42年)11月6日
65山森隆1909年(明治42年)12月15日1915年(大正4年)12月14日
71915年(大正4年)12月15日1919年(大正8年)5月14日
861919年(大正8年)5月28日1922年(大正11年)4月24日
97相良歩1922年(大正11年)5月23日1926年(大正15年)5月22日
101926年(大正15年)5月23日1930年(昭和5年)5月22日
1181930年(昭和5年)6月9日1934年(昭和9年)6月8日
129片岡安1934年(昭和9年)7月13日1936年(昭和11年)4月20日
1310澤野外茂次1936年(昭和11年)7月30日1940年(昭和15年)7月29日
141940年(昭和15年)7月30日1944年(昭和19年)7月29日
151944年(昭和19年)7月30日1945年(昭和20年)9月22日
16111945年(昭和20年)10月18日1947年(昭和22年)2月28日
1712井村重雄1947年(昭和22年)4月5日1951年(昭和26年)4月4日
181951年(昭和26年)4月23日1955年(昭和30年)4月22日
19131955年(昭和30年)5月2日1959年(昭和34年)5月1日
201959年(昭和34年)5月2日1963年(昭和38年)1月16日
2114徳田與吉郎1963年(昭和38年)2月10日1967年(昭和42年)2月9日
221967年(昭和42年)2月10日1971年(昭和46年)2月9日
231971年(昭和46年)2月10日1972年(昭和47年)7月8日
2415岡良一1972年(昭和47年)8月6日1976年(昭和51年)8月5日
251976年(昭和51年)8月6日1978年(昭和53年)11月23日
2616江川昇1978年(昭和53年)12月10日1982年(昭和57年)12月9日
271982年(昭和57年)12月10日1986年(昭和61年)12月9日
281986年(昭和61年)12月10日1990年(平成2年)12月9日
2917山出保1990年(平成2年)12月10日1994年(平成6年)12月9日
301994年(平成6年)12月10日1998年(平成10年)12月9日
311998年(平成10年)12月10日2002年(平成14年)12月9日
322002年(平成14年)12月10日2006年(平成18年)12月9日
332006年(平成18年)12月10日2010年(平成22年)12月9日
3418山野之義2010年(平成22年)12月10日2014年(平成26年)12月9日[注釈 3][16]
352014年(平成26年)12月10日2018年(平成30年)12月9日
362018年(平成30年)12月10日現職

金沢市の行政組織

石川県の機関

国の行政機関

司法機関

独立行政法人

議会

市議会

役員

(2020年4月1日現在[17]

  • 議長 - 野本正人(自由民主党金沢市議員会)
  • 副議長 - 喜多浩一(金沢市議会自由民主党議員会)

定数・会派

(2020年7月16日現在[18]

会派議員数所属議員
自由民主党金沢市議員会8高村佳伸横越徹福田太郎久保洋子野本正人
高岩勝人上田雅大荒木博文
金沢市議会自由民主党議員会8黒沢和規清水邦彦下沢広伸喜多浩一高誠
坂本泰広小間井大祐中川俊一
みらい金沢6中西利雄森一敏山本由起子麦田徹喜成清恵
田中美絵子
金沢保守議員会6澤飯英樹宮崎雅人前誠一小林誠粟森慨
新谷博範
公明党金沢市議員会4秋島太源野和清上原慶子稲端明浩
日本共産党金沢市議員団3森尾嘉昭広田美代大桑初枝
創生かなざわ2玉野道熊野盛夫
令政会1松村理治
38

委員会

(2020年7月16日現在[19]

  • 議会運営委員会(定数12)
  • 常任委員会
    • 総務常任委員会(定数8)
    • 経済環境常任委員会(定数7)
    • 市民福祉常任委員会(定数8)
    • 建設企業常任委員会(定数7)
    • 文教消防常任委員会(定数8)
  • 特別委員会
    • 防災・安全対策特別委員会(定数10)
    • ガス事業・発電事業民営化に関する特別委員会(定数10)
    • まちづくりにおける公共施設再整備等に関する特別委員会(定数10)
  • 議会広報委員会(定数6)

石川県議会(金沢市選出)

  • 定数:16名
  • 任期:2019年(令和元年)6月9日〜2023年(令和5年)6月8日
議員名会派名備考
長田哲也自由民主党石川県議会議員協議会
下沢佳充自由民主党石川県議会議員協議会
中村勲自由民主党石川県議会議員協議会
田中敬人自由民主党石川県議会議員協議会
不破大仁自由民主党石川県議会議員協議会
増江啓公明党
佐藤正幸日本共産党
谷内律夫公明党
盛本芳久未来石川議員会党籍は社会民主党
打出喜代文未来石川議員会党籍は無所属
米沢賢司自由民主党石川県議会議員協議会
紐野義昭自由民主党石川県議会議員協議会
石坂修一未来石川議員会党籍は無所属
安居知世自由民主党石川県議会議員協議会
太郎田真理自由民主党石川県議会議員協議会
川裕一郎WILL石川無所属

衆議院

選挙区議員名党派名当選回数備考
石川県第1区(金沢市)馳浩自由民主党7選挙区

姉妹都市・提携都市

姉妹都市の多くは、その地方の中心的都市であったり、歴史的遺産を持つ古都であるのが特徴的である。

日本国外

姉妹都市
提携都市
その他
  • 世界歴史都市連盟
    歴史都市の保存と開発をテーマにした世界都市の集まりに加盟している。

日本国内

提携都市
その他
  • 日本の旗加賀小京都「金沢」として全国京都会議に過去に加盟していたが当時の市長であった山出保によって脱退した。これは、金沢は京都のように公家文化で栄えた町と違い武家文化の町であるという理由からであった。しかし、観光都市として「加賀の小京都」と称されることがある。

国際機関

国連機関

領事館

経済

農林水産業

市内から周辺市町村へ広がる金沢平野は、低温であるものの水利がよく適湿で、江戸時代から良質の農地であった。明治時代中期には、他地方に先駆けて近代的な耕地整理が行われ、生産性が飛躍的に向上した。現在でも、単作の稲作中心の農業が継承されており、北陸地方の他地域と並んでコシヒカリの主要な産地の一つである。

稲作だけでは採算が望めない農地については、小規模でも生産でき付加価値の高い作物、さつまいも蓮根などの加賀野菜などの果実の生産に移行する動きがみられる。

また、北前船の寄港地であった大野港や金石港から金沢港が整備され、ここを拠点とした水産業も盛んである。

製造業

伝統製造業・工芸品

江戸時代に金沢を治めた加賀藩は、石高は高いものの外様大名であったため、幕府や周囲に警戒されないよう内向きの産業や工芸を奨励した。そのため、当時から絹織物の主要な産地であった。また、藩の財政に余裕があったため、京都などから職人を招聘し、加賀友禅などの染織工芸を育成することができた。これらを基盤として、明治時代には繊維工業や染織加工業が発達した。ただし現在では、中国などから安価な製品が輸入されるようになったため、高機能商品の生産に特化する動きがみられる。現在でも金箔の製造は全国シェアの98%、銀箔は100%、市民1人当たりの和菓子購入額全国第1位である。 また、大野地区では醤油の製造が昔から盛んで、現在も直源が製造している「直っぺ」などがある。

近代製造業・工業

繊維製品の生産に必要な織機の製造は現在でも衰退しておらず、ジェット・ルーム(高速の気流や水流で横糸を飛ばす方式の織機)を生産する津田駒工業本社工場は、世界最大の織機製造工場と言われている。また、こうした高速制御が可能な複合的な機械製造技術は他分野にも転用され、ボトリング・システム(瓶詰め機械)で世界一の澁谷工業や、自動給茶装置付き回転寿司コンベア機でトップシェアを持つ石野製作所など、一風変わった機械の製造に結びついている。

近年では、パソコン周辺機器に関する企業群が急速に成長している。市内で創業したパソコン周辺機器大手のアイ・オー・データ機器は、当地の小規模な繊維工場では手が届かなかったメインフレームではなく、マイコンを利用した工場制御用の周辺機器開発からスタートした企業であり、コンピュータ関連の大手企業が手がけなかった需要に応えて成長の軌道に乗った。また、織物用の柄を修正するディスプレイ装置の開発といった細かな需要の発掘でも、繊維工業が周辺産業へ影響を与えたことがうかがえる。

卸売・小売業

金沢市は北陸地方では二番目に大きな卸、小売業販売額をあげる商業都市であり(北陸3県に限ると最も多い)[22]百貨店・大型ショッピングセンター・や多数のブランドショップなどの集積がある。

中心部にある市内最大の繁華街香林坊片町地区には、百貨店大和本店をキーテナントとした香林坊アトリオ東急ハンズなどが入居する香林坊東急スクエア、アパレルなど多数の路面店が軒を連ねる竪町通りがある。また、香林坊に隣接する片町地区は、約1500もの飲食店がある北陸最大の歓楽街となっている。中心部の主な商店街は香林坊商店街、竪町商店街、広坂振興会(商店街)、柿木畠振興会(商店街)、片町商店街。

一方、もう一つの繁華街である武蔵地区には名古屋鉄道系の百貨店めいてつエムザ近江町市場がある。なかでも近江町市場は、市場独特の風情が味わえることから訪れる観光客も多く、金沢市内の観光地のひとつとしても有名。2009年4月16日には市街地再開発事業により、近江町いちば館が開業した。

金沢駅周辺では北陸新幹線開業を控えた時期にさらなる開発が進んだ。駅東口横にイオン系列のファッションビルである金沢フォーラスが開業、金沢百番街では2007年5月26日にくつろぎ館がオープン、2011年3月3日にはトレンド館を大幅に改装したRintoがオープンするなど、駅ビル駅ナカの商業施設の集積が進んだ。また、北陸新幹線開業を受けて都市型マンションやビジネスホテルの集積も顕著である。そのため、駅周辺の商業地としての地位が向上し、テナントビルの空室率は駅周辺ビルを中心に大幅に改善した。それに伴い、商圏は香林坊・片町地区、武蔵地区、金沢駅前地区と三極化し始めた。[要出典]

また、金沢大学石川県庁などの公共施設が市街地から郊外へ移転したことや、イオンタウン金沢示野アピタタウン金沢ベイ、ラパーク金沢(メガ・ドン・キホーテ)などのショッピングセンターロードサイドショップが開業し、国道8号線沿いや山側環状道路および海側環状道路周辺などの郊外が著しく発展していることから、中心街の空洞化、購買客の流失が懸念されている。[要出典]

本社を置く企業

上場企業
主な非上場企業

本店を置く企業

支店を置く主な金融機関

中央銀行
政策金融機関
系統中央機関
メガバンク都市銀行信託銀行地銀第二地銀
信用金庫信用組合労働金庫
ゆうちょ銀行

拠点を置く主な生活協同組合

教育

大学

国立
公立
私立

短期大学

専修学校

廃校

高等専門学校

高等学校

国立
県立
市立
私立

中学校

国立
県立
市立
私立

小学校

国立

公立

私立

特別支援学校

養護学校

施設

警察

消防

金沢市消防局が管轄する。

  • 中央消防署
    • 高尾台出張所
    • 泉野出張所
    • 味噌蔵出張所
    • 小立野出張所
  • 駅西消防署
    • 玉川出張所
    • 鳴和出張所
    • 森本出張所
  • 金石消防署
    • 三和出張所
    • 臨港出張所

主な医療機関

※病床数200以上の医療機関のみ記述する。

図書館

財団法人の図書館
  • 県国際情報ライブラリー
    財団法人石川県国際交流協会)
学外者の館外貸出し利用が可能な大学
  • 金沢大学
  • 金沢星稜大学
  • 北陸大学
  • 北陸学院短期大学
  • 金沢美術工芸大学

美術館・博物館・記念館

ホール・劇場・その他の文化施設

  • いしかわ子ども交流センター
  • 銀河の里キゴ山
    • 金沢市キゴ山天体観察センター
    • 金沢市キゴ山少年自然の家
  • 石川県青少年総合研修センター
  • 九谷光仙窯

公園・緑地・運動場・野球場・グラウンド

体育館・アリーナ

  • 城西市民体育館
  • 西部市民体育館
  • 森本市民体育館
  • 浅野川市民体育館
  • 額谷ふれあい体育館

プール

  • 金沢市営西部プール
  • 金沢市営鳴和台プール
  • 健民海浜プール

テニスコート

  • 城北市民テニスコート
  • 城東テニスコート
  • 東金沢スポーツ広場
  • 西金沢テニスコート
  • 大徳テニスコート
  • 城東テニスコート

ゲレンデ

交通

鉄道

市の中心となる駅:金沢駅

JR logo (west).svg 西日本旅客鉄道(JR西日本)
JR logo (freight).svg 日本貨物鉄道(JR貨物)
IRいしかわ鉄道 IRいしかわ鉄道
北陸鉄道(北鉄)

北陸鉄道の両線は連絡していない。石川線は西金沢駅で、浅野川線は金沢駅で、JR線・IRいしかわ鉄道線に乗り換えできる。

隣接市町村への連絡
  • 内灘町へ:北陸鉄道浅野川線
  • 津幡町へ:IRいしかわ鉄道線
  • 野々市市、白山市(旧松任市・旧美川町)へ:北陸本線
  • 野々市市、白山市(旧鶴来町)へ:北陸鉄道石川線

広範囲な連絡

特急列車

金沢駅には2019年時点、北陸新幹線のほか、JRの以下の在来線特急が発着している。

航空路線

IATA都市コードはQKWが充てられている。小松空港(空港コードKMQ)から、2019年時点、国内線は東京(羽田)成田札幌(新千歳)仙台福岡および那覇へ、国際線は大韓航空ソウル(仁川)中国東方航空上海(浦東)エバー航空タイガーエア台北(桃園)キャセイパシフィック航空香港(季節運航便で3~10月の運航)へ、それぞれ就航している。小松空港へは金沢駅から小松空港連絡バスによって約40分で結ばれている。

路線バス

金沢市街地に高頻度の路線網を持つ。観光用には城下まち金沢周遊バスが約15分間隔一律200円で走り、さらに金沢駅 - 兼六園下までの往復バス「兼六園シャトル」が20分間隔で走る。
能登方面や加賀温泉方面、小松空港といった、県内各地を結ぶ特急バス・急行バスも多数運行。
高速バスは、東京(渋谷八王子)、大阪(梅田)、名古屋仙台山形)、新潟富山高岡砺波)、高山白川郷)と、各主要都市との路線がある。
金沢駅 - 森本駅 - 福光駅間など、市北部から富山県南砺市への系統を持つ。過去には福光以南名古屋駅までの名金線があった。現在は高速バスの東京(池袋新宿または東京駅上野)、大阪京都福井)、名古屋仙台富山との路線に参入している。
金沢駅西口と富山県の福光・井波の間で路線バスを運行。
高速バスのみ運行。北鉄グループや西日本JRバスと共同運行をせず、単独で乗り入れている。群馬県および埼玉県内の複数の停留所を経由して東京(秋葉原駅東口)へ向かう「東京・さいたま・群馬〜富山・金沢線」を運行している。[25]
青い車体が特徴。金沢駅を起終点に、市内中心部の商店街を20分ないしは30分間隔100円で周回している(土曜日・日曜日および祝日のみ運行)。運営は金沢商業活性化センター(金沢市出資の第3セクター)であるが、西日本JRバスに委託している。
金沢市が運営し、民間に委託運行しているコミュニティバス。「此花ルート」、「菊川ルート」、「材木ルート」および「長町ルート」の4ルートがある。いずれのルートも旧市街の裏通りが経路として含まれており、そこへ走り得る小型の車体と100円均一の低運賃が特徴。

その他の交通手段

道路

金沢市街地は加賀前田藩の城下町として栄えた歴史があり、初代藩主前田利家は、甲州流兵学に基づいて城下に敵が攻め込まりにくいように、他の城下町以上に道に曲がり角を多数設けた設計がなされた[26]。市内の道路は道が入り組んでいて、わかりにくいという指摘があるが、これは金沢が戦災に遭わなかったこともあって、藩政時代の区画がそのまま残されて今の道路に引き継がれていった名残である[26]

高速道路
自動車専用道路
一般国道
一般県道
国道・県道以外の主要幹線・バイパス

その他、市道を含む、金沢市内の道路には、さまざまな通称名がつけられている。詳しくは金沢市内の通りを参照のこと。

港湾

マスメディア

新聞
テレビ
ラジオ
フリーペーパー

全国紙では、朝日新聞毎日新聞産経新聞日本経済新聞の4紙は大阪本社で発行された物が、読売新聞北陸支社富山県高岡市読売新聞東京本社の支社)で発行された物が販売されている。読売新聞については夕刊も発行されている。

観光・催事・特産・スポーツ・文化

金沢市を含む「金沢地域」の観光入込客数は約761.8万人(2011年(平成23年)[27])で、兼六園への来客が全体の2割を占める。伝統的な建造物や工芸、文化が遺り、「北陸の京都」とも呼ばれるが、江戸期に成立した町であることから江戸の町の典型を遺し、また、京都が伝統文化を対外的な売り物としている「観光都市」であるのに対し、金沢はそれらを生活の中で消費する「文化都市」であるとも一時は言われていたが[28]、2015年の北陸新幹線開通などを受け国際観光都市を目指した街づくりが推進されている。

主な観光地

江戸時代に金沢城の庭園として作られた兼六園は、水戸偕楽園岡山後楽園とともに日本三名園とされる。名称「兼六」の由来は、宋代の洛陽名園記が指摘する、庭園にとって両立しがたい六つの特性、宏大と幽邃、人力と蒼古、水泉と眺望を兼ね備えていることによる。

この兼六園から百間堀を隔てた金沢城跡には、当時の建造物のうち一部である石川門や三十間長屋などが現存している。この跡地には城の中の大学として金沢大学のキャンパスがあったが、郊外(角間)へ移転した。その後一部の櫓や門、庭園などが当時の技術のままに復元され、一般に公開されている。

市内中心部の長町には石畳に整備された路地に並ぶ武家屋敷跡に野村家庭園があり、加賀友禅の長町友禅館(旧彩筆庵)と並んで内部を見学することができる。中には小さい滝があり、立体的な配置のため街中とは思えない奥行きがある風景を楽しめる。

市内には、犀川浅野川の二つの川が流れている。浅野川沿いの東山周辺、東の茶屋街(旧東の郭)には江戸時代の遊郭に由来する古い町並みが残る。内部を改装して飲食店などに利用されている家もある。東山ひがし地区主計町重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。背後にある卯辰山からは市街地から遠く日本海までを見渡すことができる。 一方犀川沿いには、にし茶屋街(旧西の郭)がある。

犀川からほど近い寺町妙立寺は、内部に外敵を避けるための隠し通路や階段などの工夫が施されていることから「忍者寺」と呼ばれ人気がある。海外のガイドブックにも紹介されている。

この他、2010年10月に東山に移転オープンした安江金箔工芸館では金箔の製造工程や箔打ちなどの実演を観ることができる。松根城は市の史跡に指定されている。

2004年に開館した金沢21世紀美術館は市街地の中心部に立地し、現代美術をテーマとした展示を行っている。開館1年で地方都市の公立美術館としては驚異的な157万人の入館者を集め、5周年にあたる2009年には累計入館者数700万人を突破し[29]、兼六園と並ぶ新たな観光資源として注目されている。

金沢市の海に面した地域に大野地区醤油の産地で、今でも醤油蔵が立ち並んでいる。 町並保存地区として独特の風情を楽しむことができる、商業の町である。

近年、台湾を始めとした日本国外からの観光客も増えており、仏ミシュランの2009年3月発行の「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン2009」では、兼六園が3ツ星、金沢21世紀美術館と長町武家屋敷跡の野村家が2ツ星を獲得している[30]

北陸新幹線の開業により、これまで少なかった関東や東北などからの観光客が増加し、ホテルの建設ラッシュなども進んでいる。

行事・イベント

金沢百万石まつりが有名。毎年6月に前田利家の金沢入城を模した行列が街の中を練り歩く。利家役には男性有名人が選ばれている。友禅灯籠流しや百万石踊り流しなどの協賛・関連行事も多く催される。

湯涌地区では、毎年6月30日に氷室開きと呼ばれる藩政期より伝わる伝統行事が行なわれる。

イベントでは、毎年2月初旬にいしかわ四高記念公園で行われるフードピア金沢、毎年5月初旬にクラシック音楽祭いしかわ風と緑の楽都音楽祭(旧ラ・フォル・ジュルネ金沢)、8月には香林坊から武蔵が辻が歩行者天国となる金沢ゆめ街道が開催される。

宗教施設

市内には、神社が330余り、仏教寺院が390余りある。仏教寺院を宗派別に見ると、他宗派が17世紀からほぼ横ばいなのに対して浄土真宗の寺院のみが3倍あまりに増加し、寺院全体の半数を超える210寺が立つ。これは、中世に親鸞のもとで修行した僧蓮如が、北陸地域で熱心に布教活動を行ったからといえる。その内の192寺が真宗大谷派である。

神社

金沢五社

  • 宇多須神社
  • 小坂神社
  • 神明宮
  • 椿原天満宮
  • 安江八幡宮

寺院

キリスト教会

その他

名産品

菓子

金沢では加賀藩が茶菓子作りを奨励したため高度な菓子文化が育まれ、京都市松江市などと並ぶ「日本三大菓子処」として知られてきた。正月に食べる福梅、や、初夏に食べる氷室饅頭婚姻の際に振舞われる五色生菓子金花糖などのいわゆる縁起菓子は、菓子文化の成果の一つといえよう。

市内には今でも「森八」、「」、「俵屋」、「柴舟小出」、「村上」といった和菓子の老舗が至る所にある。特に森八で作られている長生殿日本三名菓 の一つである。

日本酒

  • 加賀鳶(福光屋
  • 黒帯(福光屋)

海産物

農作物

    • せり
    • 加賀太きゅうり
    • 加賀つるまめ
    • ヘタ紫なす
    • 加賀れんこん
    • 金沢一本太ねぎ
    • たけのこ
    • 金時草

土産品

B級グルメ

その他

不室屋

伝統工芸

金沢市では数多くの伝統産業が継承されている。

  • 金沢表具
  • 金沢和傘
  • 加賀毛針
  • 加賀提灯

伝統芸能

温泉

金沢温泉郷
その他

スポーツチーム

その他

金沢市を舞台とした作品

唱歌

  • 鉄道唱歌第四集北陸篇』(1900年10月)
    • 作者の大和田建樹は、上野から米原まで移動する過程において、北陸の都会として栄えた金沢には新潟とともに重点をおき、4番を割いて歌っている。
56.津幡にかえり乗り換えて ゆけば金沢ステーション 百万石の城下とて さすが賑う町のさま
57.名も兼六の公園水戸岡山と諸共に かぞえられたる吾(わが)国の 三公園の其(その)一つ
58.柳みどりに花赤く おちくる滝の水白し 雲にそびゆる銅像は 西南役の記念碑よ
59.第九師団も県庁も 皆此(この)町にあつまりて 海の外(ほか)までひびきたる その名物は九谷焼

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脚注

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注釈

  1. ^ 石川県・福井県は雨が多く「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉がよく使われる。加藤迪男『お国柄ことばの辞典』(東京堂出版p.99f)では「富山浄瑠璃加賀謡」という言葉を紹介している。
  2. ^ 『金沢市統計書』では明治5年12月末とある。
  3. ^ 2014年8月18日に辞職し、出直し市長選で再選。
  4. ^ かつては実店舗である金沢支店を置いていたが、2018年6月29日をもって本店(東京都中央区)内にブランチインブランチとなり、同時にカナザワ支店へ改称された。

出典

  1. ^ かなざわ積雪情報
  2. ^ Climate Normals 1961-1990”. アメリカ海洋大気庁. 2016年8月15日閲覧。
  3. ^ 産総研地質調査総合センター
  4. ^ 瀬戸薫「金沢城と前田利家」大西泰正 編『シリーズ・織豊大名の研究 第三巻 前田利家・利長』戎光祥出版、2016年、p. 265。「付記」(2008年に記された原論文には記載されていないので注意)
  5. ^ 瀬戸薫「金沢城と前田利家」(初出:『加能史料研究』第20号(2008年)/所収:大西泰正 編『シリーズ・織豊大名の研究 第三巻 前田利家・利長』戎光祥出版、2016年。ISBN 978-4-86403-207-0
  6. ^ 大西泰正「織豊期前田氏権力の形成と展開」(所収:大西泰正 編『シリーズ・織豊大名の研究 第三巻 前田利家・利長』戎光祥出版、2016年、pp. 14-16。ISBN 978-4-86403-207-0
  7. ^ 『新井白石全集』(第6巻) p. 673
  8. ^ a b c 土屋敦夫「金沢の人口変遷―その1 藩政期人戸数と人口―」『金沢工業大学研究紀要A』11号、1979年、pp. 125–155。
  9. ^ a b 土屋敦夫「金沢の人口変遷―その2 藩政期武士戸数と人口―」『金沢工業大学研究紀要A』14号、1980年、pp. 145–177。
  10. ^ 土屋敦夫「金沢の人口変遷―その3 戸籍による人口戸籍統計 (明治5年〜大正8年)―」『金沢工業大学研究紀要A』18号、1982年、pp. 99–148
  11. ^ 金沢市史編さん委員会『金沢市史 資料編6 近世四 町政と城下』金沢市、2000年。
  12. ^ 土屋喬雄, 『封建社会崩壊過程の研究』, 弘文堂, 1927.
  13. ^ a b 斎藤誠治「江戸時代の都市人口」『地域開発』9月号、1984年、pp. 48–63
  14. ^ https://mainichi.jp/articles/20190323/ddl/k17/010/343000c
  15. ^ 近代デジタルライブラリー 石川県史. 第四編 168-169ページ
  16. ^ 2014年8月19日から10月6日までは丸口邦雄副市長が職務代理に就任した。金沢市告示第256号金沢市選挙管理委員会告示第119号
  17. ^ 議長・副議長(金沢市公式ページ「いいね金沢」)2020年8月1日閲覧
  18. ^ 議員名簿(会派等別)(金沢市公式ページ「いいね金沢」)2020年8月1日閲覧
  19. ^ 議員名簿(委員会別)(金沢市公式ページ「いいね金沢」)2020年8月1日閲覧
  20. ^ 目黒区と友好都市協定を締結”. 金沢市ホームページ. 金沢市. 2017年11月3日閲覧。
  21. ^ 金沢市と友好交流都市協定に向けての覚書を締結しました”. 目黒区公式ホームページ. 目黒区. 2017年11月3日閲覧。
  22. ^ 統計局ホームページ/統計でみる市区町村のすがた2011
  23. ^ 石川県埋蔵文化財センターの紹介と利用案内. 石川県埋蔵文化財センター
  24. ^ 金沢市埋蔵文化財収蔵庫. 金沢市
  25. ^ 東京・さいたま・群馬〜富山・金沢線. 日本中央バス
  26. ^ a b ロム・インターナショナル(編) 2005, pp. 156–157.
  27. ^ 金沢市統計データ集 統計書24年度版”. 2013年7月25日閲覧。
  28. ^ 『日本の町』丸谷才一、山崎正和、文藝春秋、1987、p12
  29. ^ 金沢21世紀美術館、5周年で記念式典-累計入館者数は700万人超に - 金沢経済新聞
  30. ^ 日本に関するフランス語の観光ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」2009掲載内容(中部地域抜粋)”. 愛知県. 2009年8月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月15日閲覧。
  31. ^ 映画「リトル・マエストラ」公式サイト”. 2013年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月15日閲覧。
  32. ^ 『金沢ロケ「ワクワクする」 映画「いのちの停車場」 吉永さん、撮影に意欲』(2020年9月12日付け北國新聞朝刊30面)2020年9月12日閲覧
  33. ^ 医師役「演じ切りたい」 吉永小百合、撮影現場会見(2020年09月11日、東京新聞)2020年9月12日閲覧
  34. ^ 『日本音声製作者名鑑2004』Vol.1、小学館、2004年、112頁。ISBN 978-4095263014

参考文献

関連項目

外部リンク

行政
観光
その他

9月

9月(くがつ、きゅうがつ)はグレゴリオ暦の第9のにあたり、30日ある。 の境目とした季節である。

日本では、旧暦9月長月(ながつき)と呼び、現在では新暦9月の別名としても用いる。長月の由来は、「夜長月(よながつき)」の略であるとする説が最も有力である。他に、「稲刈月(いねかりづき)」が「ねかづき」となり「ながつき」となったという説、「稲熟月(いねあがりづき)」が略されたものという説がある。また、「寝覚月(ねざめつき)」の別名もある。

英語での月名 September は、ラテン語表記に同じで、これはラテン語で「第7の」という意味の「septem」の語に由来しているのに不一致が生じているのは、紀元前153年に、それまで3月を年の始めとしていた慣例を1月に変更したにもかかわらず、名称を変えなかった為であり、7月と8月にローマ皇帝の名が入ってずれたというのは俗説である。これは7月ガイウス・ユリウス・カエサルによって「Julius」に改める以前は「Quintilis」といい、これがラテン語で「第5の」という意味の「quintus」の語に由来していて、既にずれが発生していたことからもわかる[1]

日本学校年度会計年度は大半が4月始まりであるが、世界に目を向けると9月を採用している国が多い。(アメリカ合衆国カナダヨーロッパ中華人民共和国など)

9月はその年の12月と同じ曜日で始まる。

異名

いろどりづき(彩月)、いわいづき(祝月)、えいげつ(詠月)、きくさきづき(菊開月)、きくづき(菊月)、くれのあき(晩秋)、げんげつ(玄月)、けんじゅつづき(建戌月)、せいじょづき(青女月)、ちくすいづき(竹酔月)、ながつき(長月)、ねざめづき(寝覚月)、ばんしゅう(晩秋)、ぼしゅう(暮秋)、もみじづき(紅葉月)

9月の年中行事

9月に行われるスポーツ

9月をテーマにした作品

タイトルは「9月」だが、12月に9月のことを回想している曲である。

その他

脚注

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  1. ^ 同様に一般的な暦の10月,11月,12月はそれぞれローマ暦で8,9,10番目の月にあたり、ラテン語の「第8の」「第9の」「第10の」を意味する "octavius", "nonus", "decimus" に由来する

関連項目

2020年 9月長月
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