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📚|これが初グラビア!? プロゴルファー・野田すみれの健康美に大反響


写真 画像は、『初セクシーショット!』(光文社)写真◎横内禎久

これが初グラビア!? プロゴルファー・野田すみれの健康美に大反響

 
内容をざっくり書くと
そんな彼女が初挑戦したグラビアは、週刊誌「FLASH」(光文社)に掲載されるやいなや、大反響を呼んだそう。
 

プロゴルファーの野田すみれさんがグラビアに初挑戦したときの写真を収めた、デジタル写真集『初セクシーシ… →このまま続きを読む

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光文社

株式会社光文社(こうぶんしゃ)は、日本出版社

概説

1945年10月1日創業。音羽グループに属する。

1954年に創刊され、数々のベストセラーを生み出したカッパ・ブックスの成功は、新書ブームのきっかけを作った。

雑誌では、手塚治虫鉄腕アトムなどを連載した『少年』が、戦後月刊少年漫画誌の黄金時代を作った。また週刊誌『女性自身』は「OL」という言葉を定着させるなど一時代を築き、男性誌では『週刊宝石』(休刊)、ほかに写真週刊誌『FLASH』が人気を博した。

伝統的に女性誌に強く、『JJ』の創刊後、20歳代OL向けの『CLASSY.』、30歳代既婚女性向けの『VERY』、40代女性向けの『STORY』など世代別にラインナップを充実させてきた。

また近年では、山田真哉著『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(2005年)がミリオンセラーとなった光文社新書、亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』(2006年)が異例のベストセラーとなった光文社古典新訳文庫なども注目を集めている。

小学校教科書などを刊行している光文書院とは資本・人材など一切関連がない。

歴史

創業の経緯

1944年7月15日、陸軍報道部の要請により講談社の関係会社として設立された「日本報道社」が起源である。講談社のほか教学社、陸軍美術協会、矢貴書店、陸軍の友社東華堂、陸軍画報社、日本タイムズ社の出資により設立され、淵田忠良が社長に就任し、雑誌『征旗』や陸軍関係の書籍を発行した[2]

1945年講談社は激震に見舞われていた。第二次世界大戦が終わり、出版業界内部は戦争協力者への責任追及の声が激しくあがっていた。戦前から活発な活動をしていた講談社は、その最大の標的となった。当時の経営陣は、最悪の事態に備え、別働隊を組織した。それが光文社である。1945年11月のことであった。

しかし、責任追及の声は次第に弱まり、講談社はピンチを乗り切った。そのため光文社は、いわば梯子を外された状態になった。といっても、光文社の株のほとんどを持っているのは講談社であり、実質的に光文社の経営権を握っているのは講談社である。

なお、講談社の社史『講談社の歩んだ五十年』では、1945年9月5日に日本報道社の定款を変更する形で光文社が設立されたとされている[3]。「光文社」の社名は講談社専務高木義賢の提案によるもので、もともとは野間清治があたためていた社名という[4]

神吉晴夫の台頭と、初代編集長、加藤一夫の功績

光文社が出版界の第一線に躍り出ることができたのは、その講談社から一足早く光文社に移っていた神吉晴夫と、伝説の初代編集長、加藤一夫の手によってである。神吉は「創作出版論」という独特の編集理論をもっていて、それを加藤一夫は編集者として、次々に実現していった。彼らによって、次々とベストセラーが出されていく。1950年の波多野勤子少年期』がその嚆矢で、1953年にはローゼンバーグ夫妻の『愛は死を越えて』の翻訳刊行がされた。1957年には田宮虎彦の妻千代の死への追悼文や往復書簡をまとめた『愛のかたみ』を刊行した。

その一方、1954年には神吉晴夫が、伊藤整『文学入門』と中村武志『サラリーマン目白三平』を皮切りとして「カッパ・ブックス」を創刊。この新書シリーズは、その後の出版界を長く席巻し、「カッパ旋風」を巻き起こした。

など。青春出版社KKベストセラーズ祥伝社などとともに、新書ブームの一翼を担った。

1958年には朝日新聞に全五段の広告を打って松本清張点と線』『眼の壁』の2冊を同時発売、松本清張をベストセラー作家に押し上げた。1959年には「カッパ・ノベルス」を創刊。また、『点と線』(松本清張)、『日本沈没』(小松左京)、『悪魔の飽食』(森村誠一)などが送り出されている。

雑誌においても、1958年創刊の『女性自身』で女性誌ブームを起こす。1965年には、推理小説雑誌だった旧『宝石』の権利をかいとり、男性向け総合雑誌の『宝石』が創刊された。

労働争議

順風満帆に見えた光文社だが、1970年になると、神吉の経営手法(今で言う成果主義や)に労働組合が反旗を翻したことで、労働争議が勃発した。神吉は年内で社長を辞して経営からは身を退いたが、争議は収まらず、1977年にようやく沈静化した。

この泥沼争議を嫌い、多くの人材が光文社を去った。その中には、祥伝社や、ごま書房(現在のごま書房新社)や、かんき出版の設立に関わった者も含まれている。

その後

1980年代後半頃から、文庫ブームのあおりを受けて「カッパ・ブックス」の売れ行きが落ち始める。それに伴い、主力は『女性自身』に始まる一連の雑誌にシフトした。そして、「カッパ・ブックス」は新たに創刊された光文社新書と入れ替わる形で、新刊の発行を終了することになった。

現在の出版状況

女性誌

週刊誌

文芸誌

書籍シリーズ

かつて発行していた雑誌

ベストセラー

関連団体

補足

  • 「カッパ・ブックス」などの「カッパ」は、神吉の「いかなる権威にも屈せず、“何の、屁の河童”と自由な活動をしたい」という思いから名付けられた。
  • 作家の小林信彦は、光文社を受験して面接で落とされたことがある。

著名な在籍者

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 会社案内 光文社2020年3月31日閲覧。
  2. ^ 社史編纂委員会編 『講談社の歩んだ五十年(昭和編)』 講談社、1959年10月20日、532-533頁。 
  3. ^ 社史編纂委員会編 『講談社の歩んだ五十年(昭和編)』 講談社、1959年10月20日、584頁。 
  4. ^ 社史編纂委員会編 『講談社の歩んだ五十年(昭和編)』 講談社、1959年10月20日、585頁。 

外部リンク

初挑戦


 

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