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🎁|丸山桂里奈、送り主不明のプレゼントに困惑 車のフロントガラスに紙袋が…


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丸山桂里奈、送り主不明のプレゼントに困惑 車のフロントガラスに紙袋が…

 
内容をざっくり書くと
昨年9月に元サッカー日本代表・本並健治氏との結婚を発表した丸山。
 

丸山桂里奈が贈り主不明のウエディングプレゼントを受け取ったと報告した。中にはワインが入っていたという… →このまま続きを読む

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元サッカー日本代表

本並健治

本並 健治(ほんなみ けんじ、1964年6月23日 - )は、大阪府枚方市出身の元サッカー選手、サッカー解説者、サッカー指導者。血液型B型[3]。 元サッカー日本代表選手で、妻は元サッカー女子日本代表選手丸山桂里奈[4]

経歴

松下/ガンバ時代

清風高等学校大阪商業大学を経て1986年ガンバ大阪の前身である松下電器産業サッカー部に入団。松下時代は1学年上の慶越雄二の控えであったが、慶越の移籍もあって正GKの座を奪取。

1993年のJリーグ発足後より、度々見せる鋭い反応や、自陣のぎりぎりまでも飛び出す攻撃的な姿勢が注目を浴び、人気選手の1人となる。当時のG大阪は弱小チームであり、守備の弱さから本並の出番は多かった。

突然の大怪我と選手生命の危機

7月7日サンフレッチェ広島戦において、後半終了直前のコーナーキックの競り合いで田口禎則と激しく接触し[1]腎臓破裂の重傷を負う[1]。試合は、延長開始直後にVゴールを決められ、ガンバが敗れて終了したが、「仮に延長戦が続いていたら助からなかっただろう」と診断されたほどの大怪我だった。本並は既に選出されていたJリーグオールスターの出場キャンセルは勿論、選手生命はおろか命の危機に晒されることとなった。手術では腎臓の4分の1を摘出した[1]

だが驚異的な回復力を見せ、7ヶ月後の翌1994年サントリーシリーズには再び正GKとしてピッチに立つ。ファルカンが監督を務めていた日本代表に選出されたのもこの年である。デビュー戦であるキリンカップフランス戦では、後半から出場し、トンネルを含む2失点(後半からの出場、試合結果は1-4[5])を喫し、その後出場した2試合(1994年7月のアシックスカップのガーナとの2試合)でどちらも失点すると、以後代表から声は掛からなくなり、結局代表キャップは3に留まった。

クラブではその後もチームの顔として活躍し、1995年には日刊スポーツ紙上の「ミスター GAMBA 銀の脚」賞、1996年には「ミスター GAMBA 黄金の脚」賞を受賞。しかしヨジップ・クゼ監督との確執から、1996年の中盤以降は正GKの座を岡中勇人に明け渡し、出場機会が激減していた。

ヴェルディ時代

G大阪で出場機会に恵まれなくなった本並は、ヴェルディ川崎の誘いに応え1997年シーズン途中にレンタル移籍した[1]。本並にとってはこれが学生時代も含めて初めての大阪以外のチームでのプレーでもあった[1]。1997年シーズン終了後、G大阪からはコーチ就任を打診されたが[1]、現役続行を選び、1998年はV川崎に完全移籍した[1]。この年までは菊池新吉の控えであり、特に1998年は起用されたのはリーグ戦1試合、天皇杯1試合のみであったが[1]1999年はシーズン前に菊池が腰痛を再発させたことからレギュラーに定着[1]2001年を最後に引退するまで、Jリーグ創世記からの武器である鋭い反応で、第2期全盛期と言える活躍を見せた。

1999年11月には日本代表候補に選ばれたこともあったが[2]、結局代表に選ばれることはなかった。Jリーグの通算出場は209試合。

現役引退後

2003年から吉本興業(後にホリプロ)とマネジメント契約を締結。サッカー中継で解説やリポーターなどを随時担当するほか、一時は『すぽると!』(フジテレビ)『GAMBA TV』『ちちんぷいぷい』(いずれも毎日放送)などのテレビ番組にサッカー解説者として出演していた。その一方で、2003年からは一時、京都産業大学東海大学付属仰星高等学校のサッカー部でコーチを務めていた。

2005年にJFA公認S級指導者ライセンスを取得した[6]ことを背景に、2012年8月3日付でなでしこリーグスペランツァFC大阪高槻の監督に就任[7]。シーズン途中からの半年契約で就任したが、当時成績が低迷していたクラブをなでしこリーグ1部に残留させたことから、シーズン後に改めて3年契約を結んだ[8]2013シーズンは1部の最下位(10位)でチャレンジリーグ(2部)への自動降格を余儀なくされたが、2014シーズンの2部優勝によって、1シーズンで1部に復帰。2015シーズンは9位ながら、ノジマステラ神奈川相模原との1部・2部入れ替え戦での勝利によって1部残留を決めたため、契約期間を1年延長した。しかし、2016シーズンも1部を9位で終了。さらに、ASエルフェン埼玉との入れ替え戦に敗れたため、クラブは再び2部へ降格した[9]。契約期間の満了を理由に、2016年12月9日付で監督職を退任[6]。翌2017年からは、千葉県立白井高等学校のサッカー部でコーチを務めている[10][11]

2020年9月4日に、スペランツァFC監督在任中の主力選手(FW)だった丸山桂里奈(ホリプロ所属のタレント)との婚姻届東京都内区役所へ提出[12]。翌5日に「第31回東京ガールズコレクション」(さいたまスーパーアリーナ)へゲストモデルとして揃って出演すると、「本物の結婚式」をテーマに設けられた「マイナビウェディングステージ」で、神父役の前園真聖(サッカー日本代表及びヴェルディ選手時代のチームメイト)を前に結婚を初めて公表した[4]。本並にとっては再婚、丸山にとっては初婚。本並はスペランツァFCの監督時代に、(丸山を含む)当時の所属選手全員に対して、公の場以外で2人きりにならないよう配慮していたという[13]。本並は2016年の監督退任、丸山は同年の現役引退でスペランツァFCを退団した後に、ホリプロでの活動がきっかけで2020年から交際に至った[12]

人物

  • チームの中で、特に当時は弱小チームだったG大阪所属時には、再三のピンチを凌ぐ本並は注目されることが多かった。だが、自身は「GKが目立つというのは、それだけチームがピンチにさらされているということであり、決して好ましい状況ではない」と再三発言していた。さらに「銀の脚賞」に選ばれた際にも、「嬉しいが、本当は自分が選ばれないようにしないといけない」との旨のコメントを出している。またヴェルディ時代のインタビューでは、「チームが30点取り優勝し、そのうち1点を自分が決める」のが夢だと語っている。

エピソード

  • 現役時代の愛車は紫のベンツである[14]前述した1993年の怪我の際には、負傷後チームメイトに初めてした電話の内容が、練習場に停めたままの愛車を心配するものだったという[要出典]
  • 派手なユニフォームを纏っていた理由として、後年「GKは地味というイメージを変えたかった」と述べている。しかし、同時に「派手で目立つということは、相手にも自分の場所が分かりやすいということで、正直失敗だった」とも発言している。Jリーグ開幕直後に特注ユニフォームとして「昇り龍をプリントして欲しい」というリクエストを出したが、あえなく却下されたというエピソードもある[要出典]
  • 基本的に敗戦ゲームで着用したユニフォームは次の試合で着用しないという験担ぎをしていたが、1994年JリーグNICOSシリーズで連敗が続いた為、着用できるユニフォームが無くなってしまった。そこで仕方なく前年まで着用していたユニフォームを引っ張り出して着用し、難をしのいだ[要出典]
  • 腎臓破裂から復帰した直後は、ウォームアップ時にはゴールマウス付近に清めのを撒いてからアップを開始し、試合中は特注の腎臓を保護するプロテクターを着用し試合に臨んでいた。(ただし、プロテクターは動きがしっくりこない為に短期間で着用しなくなった。)[要出典]
  • 阪神・淡路大震災の際には、チームメイトにも呼びかけ、被災者に救援物資を提供している[要出典]
  • 同じくGKで、元ポルトガル代表ビトール・バイーアに顔がそっくりとしばしば言われ、自らもネタにしていた[要出典]
  • 高い鼻と深い彫りを持つ日本人離れした顔立ちだが両親は日本人であり、その容姿がネタにされ、1999年にはJOMO CUP Jリーグドリームマッチに外国人選抜登録選手チーム側で出場した。
  • 現役時代は「浪速のイタリア人[15]」(ヴェルディでの公式愛称は、明石家さんまが命名した「浪速のイタリアーノ」)の愛称で親しまれ、髪を染めることすら珍しかった当時に金髪にしたり、自分でデザインした鮮やかなユニフォームを着たりと、かなりの派手好きでも知られていた。一方、演歌大相撲が大好きという古風好みな面もある[要出典]
  • 学生時代、たこ焼きを食べる大会があり、その際に240個を平らげ、優勝した事がある。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグリーグ戦リーグ杯オープン杯期間通算
出場得点出場得点出場得点出場得点
日本リーグ戦JSL杯/ナビスコ杯天皇杯期間通算
1987松下22JSL2部25000
1988-8921JSL1部16000
1989-9010010110
1990-91601070
1991-9220100010
1992G大阪-J-202040
19931600000160
19944303040500
1995490-40530
19961606040260
1997120020-20
V川崎161100000110
19982110001020
1999J12902040350
20002901020320
2001東京V1500000150
通算日本J120901602102460
日本JSL1部3302000190
日本JSL2部25000
総通算22601801902630

その他の公式戦

代表歴

出場大会

日本代表(1994年)

試合数

  • 国際Aマッチ 3試合 0得点(1994)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
199430
通算30

指導歴

監督成績

年度所属クラブリーグ戦なでしこ杯皇后杯
順位試合勝点
2012なでしこリーグ大阪高槻8位911324グループリーグ敗退3回戦敗退
201310位1840414グループリーグ敗退3回戦敗退
2014チャレンジリーグ優勝22531651-2回戦敗退
2015なでしこリーグ
ディビジョン1
9位*24204515-3回戦敗退
20169位*18113213グループリーグ敗退2回戦敗退

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h i j 「連載・男の背中 本並健治(ヴェルディ) 考える人」『週刊サッカーマガジン』、ベースボール・マガジン社、1999年6月2日号 No.713、38-41頁。
  2. ^ a b 慎武宏. “ヴェルディ川崎の2000年 スペシャルインタビュー 第2回 本並健治”. チケットぴあ. 2006年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月7日閲覧。
  3. ^ タレントキャスティング HoriPro
  4. ^ a b “丸山桂里奈と本並健治氏が結婚 TGCのステージで電撃発表”. スポーツニッポン. (2020年9月5日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/09/05/kiji/20200905s00041000233000c.html 2020年9月5日閲覧。 
  5. ^ http://samuraiblue.jp/timeline/19940529/
  6. ^ a b “本並健治監督退任のお知らせ” (プレスリリース), コノミヤ・スペランツァ大阪高槻 オフィシャルサイト, (2016年12月9日), https://www.speranzafc.jp/news/14720/ 2018年9月7日閲覧。 
  7. ^ “なでしこL大阪高槻が本並新監督”. nikkansports.com. (2012年8月4日). https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20120804-994879.html 2018年9月7日閲覧。 
  8. ^ “大阪高槻本並監督、異例3年契約で続投”. デイリースポーツ. (2012年11月29日). https://www.daily.co.jp/soccer/2012/11/29/0005561611.shtml 2018年9月7日閲覧。 
  9. ^ “なでしこ2部降格のコノミヤ、眞中靖夫の新監督就任を発表「まずは1年での昇格を」”. サッカーキング. (2016年12月10日). https://www.soccer-king.jp/news/japan/nadeshiko/20161210/525843.html 2018年9月7日閲覧。 
  10. ^ a b 本並健治氏就任のお知らせ”. 千葉県立白井高等学校サッカー部 オフィシャルウェブサイト (2017年3月21日). 2018年9月7日閲覧。
  11. ^ a b スタッフ紹介”. 千葉県立白井高等学校サッカー部 オフィシャルウェブサイト. 2018年9月7日閲覧。
  12. ^ a b “元なでしこジャパン、丸山桂里奈が結婚! 相手は元日本代表GK本並健治氏”. サンケイスポーツ. (2020年9月5日). https://www.sanspo.com/geino/news/20200905/mrg20090513580002-n1.html 2020年9月5日閲覧。 
  13. ^ “丸山桂里奈戸惑いから8年…本並監督が夫に“就任””. 日刊スポーツ. (2020年9月5日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202009050001098.html 2020年9月8日閲覧。 
  14. ^ スポーツ酒場 語り亭』2016年3月6日放送
  15. ^ “大阪高槻の本並監督にNMB「日本人?」”. 日刊スポーツ. (2013年3月15日). http://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp0-20130315-1098224.html 2015年7月28日閲覧。 

外部リンク


 

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