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👶|~福島と香川をつなぐ~「福島の子どもたち 香川へおいでプロジェクト」10年のあゆみ #あれから私は


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~福島と香川をつなぐ~「福島の子どもたち 香川へおいでプロジェクト」10年のあゆみ #あれから私は

 
内容をざっくり書くと
同じ福島県、同じ地域、たとえ家族といえども、原発事故や保養、移住についての考え方はそれぞれ異なり、また置かれている事情も異なる。
 

10年前の2011年3月、東日本大震災、そして福島第一原発事故とこれまで経験したことのない未曽有の事… →このまま続きを読む

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福島県

福島県(ふくしまけん、: Fukushima Prefecture)は、日本東北地方に位置する県庁所在地福島市

概要

面積北海道岩手県に次ぐ全国3位、都道府県別の人口は全国21位、人口密度は全国40位である(いずれも2015年10月1日時点の国勢調査および全国都道府県市区町村別面積調による)。

県内は南北方向に延びる山脈・山地によって、地形気候交通歴史などの面に違いが顕れており、3地域に分けられている。県の西部に位置し越後山脈奥羽山脈とに挟まれた日本海側内陸にあって4割弱の面積に約13%の人口を擁する「会津」、県の中央部に位置し奥羽山脈と阿武隈高地とに挟まれた太平洋側内陸にあって4割弱の面積に約62%の人口を擁する「中通り」、県の東部に位置し阿武隈高地と太平洋とに挟まれた太平洋側沿岸にあって2割強の面積に約25%の人口を擁する「浜通り」である。

これら3地域の地域差が顕著に見られる例を挙げると、近年の「降雪の深さの合計」(冬季の累積降雪量)があり、会津の会津若松市は300 - 400cm程度、中通りの福島市は100cm前後、浜通りのいわき市小名浜は10cmに満たない年が多く[1]、冬季の生活習慣に顕著な影響を与えている。県の広域行政単位は上記3地域をさらに細分している一方、県名以外にも多用される「うつくしま」とのキャッチコピーが県内各地で用いられ、統合のイメージも創られている。

現在の福島県には幕末に、親藩かつ雄藩だった会津藩(23万)があったが、他は親藩・譜代外様の10万石に満たない多数のに分かれていた[2]廃藩置県後の紆余曲折の後、1876年明治9年)8月21日に会津の前身にあたる若松県、中通りの前身にあたる福島県(1876年以前)、浜通りの前身にあたる磐前県の、計3県の合併によって当県が成立した。なお、県名の福島は3県合併によって県庁所在地となった福島町(現・福島市)から採ったものである。また「福島」の名は、福島城として使われたのが最初とされる[3]

当県には1899年(明治32年)に全国7番目、かつ、東北初の日本銀行営業所(後に支店)が開設[4]されるほど鉱工業が発達していた。

県内に一極集中都市(プライメイトシティ)はなく、人口30万人前後の都市が3市あって機能分担している。すなわち、浜通りには、広大な面積を持ち、かつては炭鉱都市であったが現在は臨海工業、漁業、温泉などの観光が集積するいわき市があり、中通りには行政機能が集中し全国有数の果樹地帯を形成している福島市(テレビではNHK福島放送局およびTBS系列TUFフジテレビ系列FTVが所在)、そして、商業・内陸工業地帯となっている郡山市(テレビでは日本テレビ系列FCTテレビ朝日系列KFBが所在)とがある(参照)。また、会津の中心都市で史跡が多く存在する観光都市の会津若松市、中通りにあって古くからの奥羽東北地方)の玄関口であった白河の関がある白河市も重要な歴史都市である。その他、浜通りの相双には漁業と電源立地が、南会津には大内宿重要伝統的建造物群保存地区)を初めとする観光地があり、会津と中通りとにまたがる磐梯朝日国立公園には磐梯高原五色沼猪苗代湖などリゾートエリアも擁する。

地理

東北地方の南部に位置し、面積は 13,783.90km2[5]で、北海道岩手県に次ぐ全国第3位である。県庁所在地の福島市は、東京から約270km、JR東北新幹線で約90分の位置にある。

東部の阿武隈高地、中央部を南北に縦断する奥羽山脈、北部から西部に連なる飯豊連峰越後山脈の山岳地帯と、それらにより区切られ県中央部を南から北へ流れる阿武隈川地溝帯に連なる盆地群から構成される中通り地方、県東部浜通り地方の沿岸平野部、西部の会津盆地を中心とした会津の3地域に大別される。

地形

福島盆地(信達平野)会津盆地郡山盆地、白河盆地、猪苗代盆地
奥羽山脈阿武隈高地越後山脈那須山地
翁島
吾妻山安達太良山栗子山霊山磐梯山飯豊山燧岳会津駒ヶ岳帝釈山会津布引山浅草岳日山蒲生岳大滝根山宇津峰山八溝山
会津高原磐梯高原阿武隈高原羽鳥湖高原甲子高原布引高原
土湯峠板谷峠鳩峰峠国見峠大峠六十里越八十里越沼山峠藤峠中山峠山王峠駒止峠
阿武隈川(支流:荒川松川摺上川大滝根川)、阿賀川(支流:只見川日橋川長瀬川)、久慈川宇多川請戸川夏井川
猪苗代湖五色沼 (福島市)五色沼 (北塩原村)尾瀬沼松川浦沼沢湖雄国沼曽原湖桧原湖秋元湖小野川湖奥只見湖田子倉湖若郷湖羽鳥湖母畑湖さくら湖茂庭っ湖
尾瀬田代山湿原駒止湿原谷地平湿原雄国沼湿原

気候

福島県は東西に広く、さらに海岸や山地の地形装飾を受け、標高差も大きいため同じ県内であっても気候差は大きい。

西から順に「会津」と「中通り」、阿武隈高地の東側の「浜通り」の三地域に別れている。

福島県内各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
浜通り阿武隈高地
相馬浪江広野いわき市
小名浜
いわき市
上遠野
飯舘田村市
船引
川内小野町
小野新町
平均
気温
(°C)
最暖月23.7
(8月)
23.6
(8月)
23.4
(8月)
23.9
(8月)
23.9
(8月)
22.0
(8月)
22.6
(8月)
22.1
(8月)
22.7
(8月)
最寒月1.8
(1月)
2.0
(1月)
2.8
(1,2月)
3.6
(2月)
2.1
(1月)
−1.4
(1月)
−0.8
(1月)
−0.8
(1月)
−1.0
(1月)
降水量
(mm)
最多月238.8
(9月)
256.6
(9月)
247.5
(9月)
205.8
(9月)
205.1
(9月)
211.9
(9月)
170.3
(9月)
218.0
(9月)
193.1
(9月)
最少月22.1
(12月)
30.5
(12月)
35.2
(12月)
35.0
(12月)
32.8
(12月)
24.7
(2月)
27.8
(1月)
32.0
(12月)
25.2
(1月)
平年値
(月単位)
中通り
白河二本松塙町
東白川
福島市
(松木町)
福島市
茂庭
福島市
鷲倉
郡山伊達市
梁川
石川
平均
気温
(°C)
最暖月23.3
(8月)
23.9
(8月)
23.6
(8月)
25.2
(8月)
23.2
(8月)
18.1
(8月)
24.2
(8月)
24.6
(8月)
23.6
(8月)
最寒月0.2
(1月)
0.4
(1月)
−0.2
(1月)
1.4
(1月)
−6.6
(2月)
0.7
(1月)
1.0
(1月)
0.0
(1月)
降水量
(mm)
最多月228.2
(8月)
182.7
(9月)
219.2
(9月)
169.2
(9月)
197.0
(9月)
348.6
(8月)
178.6
(7月)
159.7
(9月)
195.1
(9月)
最少月25.0
(12月)
23.6
(12月)
29.3
(12月)
32.5
(12月)
27.0
(12月)
29.3
(12月)
30.0
(12月)
平年値
(月単位)
会津
北塩原村
桧原
猪苗代喜多方若松西会津天栄村
湯本
只見南会津町
南郷
南会津町
田島
檜枝岐
平均
気温
(°C)
最暖月20.2
(8月)
22.3
(8月)
24.2
(8月)
24.8
(8月)
23.9
(8月)
21.2
(8月)
23.0
(8月)
22.6
(8月)
22.2
(8月)
20.1
(8月)
最寒月−4.5
(2月)
−2.4
(1,2月)
−1.2
(1月)
−0.7
(1月)
−0.7
(1月)
−2.2
(1月)
−1.6
(1月)
−2.6
(1月)
−2.7
(1月)
−3.9
(2月)
降水量
(mm)
最多月234.5
(7月)
193.1
(7月)
200.9
(7月)
160.1
(9月)
208.6
(8月)
245.2
(9月)
303.4
(1月)
194.8
(7月)
185.0
(7月)
174.8
(7月)
最少月114.7
(4月)
64.3
(2月)
81.0
(4月)
63.4
(4月)
87.5
(4月)
65.7
(12月)
110.0
(4月)
63.7
(4月)
61.0
(3月)
79.2
(4月)

自然公園

地域

地域区分と2021年5月1日推計人口[6]
(推計人口が発表されない自治体は2015年国勢調査速報値[7]で代用)

日本海側


太平洋側

会津
(旧若松県
25.5万人
(14.1%)
5,421km2
(39.3%)
中通り
(旧福島県)
112.9万人
(62.3%)
5,393km2
(39.1%)
浜通り
(旧磐前県
43.8万人
(24.2%)
2,969km2
(21.5%)
会津
231,529人
会津若松市他)

県北
467,469人
福島市他)
相双
102,747人
南相馬市他)

県中
524,659人
郡山市他)
南会津
023,612人
南会津町他)
いわき
334,775人
いわき市
県南
136,566人
白河市他)

福島県は東西に長い形状をしているが、2つの山地によって浜通り中通り会津の3つの地域に分かれており、天気予報でもこの呼称が使われている。東から順に、太平洋阿武隈高地に挟まれている浜通り、阿武隈高地と奥羽山脈に挟まれている中通り、そして奥羽山脈と越後山脈に挟まれている会津となっている。

地形的に山地で隔てられているために、山越えした地域同士の交流は浅く、気候や文化にも差があり、3地域での同一県として帰属意識は低い。また南北においても城下町として栄えた会津若松を中心とする北会津地方と南会津地方、宿場町だった郡山市をはさんで県北地方と県南地方で歴史の違いや交流が乏しい傾向がある。同様に沿岸部においても相双地方といわき市にもこの傾向があることから、福島県は他県に比較すると一つの県としての統一感に乏しい傾向にある。

以下、人口は2021年5月1日現在の推計人口(福島県の総人口は1,810,286人)。

  • 中通り 1,128,694人
  • 浜通り 437,522人
  • 会津 255,141人

県内は、さらに県庁の出先機関である地方振興局の管内によって7つに分けられている。以下、地方振興局ごとに市町村を記載する。なお、県北の本宮市・安達郡(約3.9万人)が県中に、相双の双葉郡(約0.6万人)がいわきに入るとする地域圏の設定もある。

以下の13市13郡31町15村がある。福島県では、町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む。東北6県の中で唯一、「ちょう」と読む町が存在しない。

中通り

  • 由来 - 中通りという名称は中山道に由来する。現在の中山道は、徳川幕府江戸を中心として引き直した路線で、京都から加納関ヶ原合戦前の岐阜)、塩尻高崎を経て江戸(戊辰戦争後の東京)に至る路線である。古代の中山道は「東山道」といい、奈良(後に京都)を始点として、岐阜、塩尻、高崎、宇都宮に至り、宇都宮以北が現在の国道4号沿いに北上する東山道(律令制下の道国制の行政区)の主要街道だった。「中山道」という呼称自体が「東山道」の別称である。この縦貫道は中世には奥大道(おくのだいどう)とも呼ばれた。この縦貫道の名称から、福島県中通り地方は古代から中山道(中仙道)と呼ばれ、中世には仙道(せんどう)とも呼ばれた。なお、高崎から東京に至る関ヶ原合戦後の中山道は、元々は「東山道武蔵路」と呼ばれる東山道(中山道)の支路である。武蔵国はもともと東山道の1国であったが、771年(宝亀2年)に東海道に移管された。
  • 気候 - 那須火山帯山麓は豪雪地帯日本海側気候、それ以外の地域は太平洋側気候に属する。北部の福島盆地は典型的な内陸性盆地型気候で、夏は非常に高温になる。南部は那須高原に連なる高原地帯となるとので、北部に比べると低温傾向がある。そのため、中通りでは桜前線が北部から南部に南下して移動する。降雪はあるが、通常は 数cm - 15cm 程度で、30cm も積もれば大雪といわれる。生活面では降雪よりも夜間の路面凍結が深刻である。
  • 文化 - 古来より奥州の玄関口として、街道筋として重要な役割を担った。高度成長期以後は東北新幹線東北自動車道も整備されており、東京まで新幹線で1 - 2時間、自動車で2 - 3時間ということもあり、東京との結び付きも強めている。
  • 中心地 - 北部に福島市、中部に郡山市、そして南部に白河市の、3極が定立している。
県北地方振興局管内 467,469人

福島広域行政圏

安達広域行政圏

県中地方振興局管内 524,659人

郡山広域行政圏

県南地方振興局管内 136,566人

白河広域行政圏

浜通り

  • 由来 - 浜通りという名称は陸前浜街道に由来がある。陸前浜街道は、戊辰戦争前には単に「浜街道」や「海道」とも呼ばれた道で、鎌倉以北(関ヶ原合戦後は江戸以北)の東海道に当たる沿岸路線で、現在の国道6号とほぼ一致する沿岸の街道である。奈良時代や平安時代の東海道は、鎌倉以西のみならず、鎌倉以北も含まれており、奈良(後に京都)を始点として、現在の名古屋浜松東京(戊辰戦争前の江戸)、水戸を経由して多賀城に至る路線であった。
  • 気候 - 太平洋側気候に属する。東北地方としては非常に温暖で、夏は涼しく、冬は乾燥してもほとんど降らない。東北地方の他の地域よりも関東地方の沿岸部に近い、穏やかな気候である。
  • 文化 - 関東地方東部(茨城県千葉県)との結びつきが強い。元々は海道で常陸国下総国と繋がっていた上に、岩城氏が常陸府中(戊辰戦争後の石岡)に源流を持つ常陸平氏の氏族であることや、相馬氏鎌倉時代初期に下総国相馬郡(現在の茨城県取手から千葉県松戸にかけての地域)から入植したこともあり、茨城県や千葉県に根源を持つ神社仏閣やお祭りなどが少なくない。現在でも、茨城県や千葉県を中心に展開するチェーン店や製造業が福島県浜通りに店鋪や工場を出す、あるいは浜通りに本社を持つチェーン店や製造業が茨城県に店鋪や工場を出すなどの現象がしばしば見られる。
  • 中心地 - 夜ノ森以南(旧岩城氏領)はいわき市平地区が中心地だが、夜ノ森以北(旧相馬氏領)は相馬市中村地区南相馬市原町区に中心が分散している。
相双地方振興局管内 102,747人

相馬広域行政圏

双葉広域行政圏

いわき地方振興局管内 334,775人

会津

  • 由来 - 記紀の記述には、崇神天皇(すじんてんのう)が北陸道に遣わした大彦命(おおひこのみこと)と東海道に遣わした建沼河別命(たけぬかわわけのみこと)が、日本海側と太平洋側から遠征して出会ったのが相津(あいづ)だったという記述があり、この相津が後に会津と表記されるようになった説が有力である。他に会津盆地でいくつかの川が合流するために舟運の拠点として会津と呼ばれるようになった、あるいは日本海側と太平洋側の物産を運ぶ隊商が会津盆地で取引をするために会津と呼ばれるようになった、など諸説ある。
  • 気候 - 日本海側気候に属する。新潟県と多くの県境を接しており、全国有数の豪雪地帯(一部特別豪雪地帯)である。
  • 文化 - 会津藩に由来する文化が色濃く投影されている。また現在の武術武道界に多大な影響を与えた近代最強の武術家とたたえられる大東流合気柔術武田惣角(たけだそうかく)の出身地(会津坂下町)としても名高い。現在でも会津若松を中心に剣道をはじめとする現代武道や各種の古武術が非常に盛んで、県立高校でも体育の授業に薙刀術があるなどの特色がある。ナショナルジオグラフィック、ヒストリーチャンネル、ディスカバリーチャンネル等の海外のドキュメンタリー製作でも、武士道や侍文化に関するドキュメンタリーではしばしば会津を例として取り上げる。
  • 中心地 - 北部(北会津)は会津若松市が中心地、南部(南会津)では南会津町の旧田島町が中心地となっている。
会津地方振興局管内 231,529人

喜多方広域行政圏

会津若松広域行政圏

南会津地方振興局管内 23,612人

南会津広域行政圏

都市圏

都市雇用圏(10 % 通勤圏)の変遷

1980年1990年1995年2000年2005年2010年2015年
いわき 都市圏
347408人
郡山 都市圏
493891人
郡山 都市圏
521116人
郡山 都市圏
537493人
郡山 都市圏
548310人
郡山 都市圏
554194人
郡山 都市圏
544662人
福島 都市圏
343063人
福島 都市圏
404636人
福島 都市圏
410964人
福島 都市圏
412353人
福島 都市圏
470961人
福島 都市圏
456996人
福島 都市圏
451044人
郡山 都市圏
341004人
いわき 都市圏
361286人
いわき 都市圏
366207人
いわき 都市圏
365864人
いわき 都市圏
360025人
いわき 都市圏
347667人
いわき 都市圏
350237人
会津若松 都市圏
197672人
会津若松 都市圏
197213人
会津若松 都市圏
197316人
会津若松 都市圏
188686人
会津若松 都市圏
246056人
会津若松 都市圏
232992人
会津若松 都市圏
223807人
須賀川 都市圏
80990人
須賀川都市圏は郡山都市圏に包含
原町 都市圏
74296人
白河 都市圏
86678人
白河 都市圏
95084人
白河 都市圏
96786人
白河 都市圏
97136人
白河 都市圏
150657人
白河 都市圏
147080人
白河 都市圏
72914人
原町 都市圏
77162人
原町 都市圏
77860人
原町 都市圏
75020人
原町 都市圏
72837人
南相馬 都市圏
116919人
南相馬 都市圏
104571人
喜多方 都市圏
45780人
二本松 都市圏
66988人
二本松 都市圏
67268人
二本松 都市圏
66077人
二本松都市圏は
福島都市圏に包含
二本松 都市圏
45568人
喜多方 都市圏
60818人
喜多方 都市圏
63413人
喜多方 都市圏
59701人
喜多方都市圏は
会津若松都市圏に包含
  • 交通の変遷
    • 1982年(昭和57年) - 東北新幹線 大宮 - 盛岡駅間開業
    • 1985年(昭和60年) - 東北新幹線 大宮 - 上野駅間開業
    • 1991年(平成3年) - 東北新幹線 上野 - 東京駅間開業

歴史

先史

福島県を含む北関東・東北地方における人の足跡は、後期旧石器時代に始まる。県域における遺跡としては平林遺跡(桑折町)や会津若松湊の笹山原遺跡群がある。この遺跡から旧石器時代人が製作し使用したとみられる石器群が発見されている。年代は約2万2000年前の AT よりも下から出土していることから、後期旧石器時代前半に属する。少しくだって約1万5000年前の塩坪遺跡(喜多方市高郷町)から熱を受けた139個のこぶし大の石がまとまって発見された。

この時代はまだ土器がなく、焼石は食材を直接加熱するのに使用されたのであろう[8]

縄文時代・弥生時代を経て古墳時代に入るが、福島県は大型の古墳が少ない東北地方にあって大安場古墳郡山市前方後方墳、全長約 83m)、会津大塚山古墳会津若松市前方後円墳、114m 、4世紀後半、東北最古級、割竹形木棺検出、三角縁神獣鏡出土)、亀ヶ森・鎮守森古墳会津坂下町、前方後円墳、127m)などの大型の古墳が集積する。

古墳時代、畿内に前方後円墳が登場するのとほぼ同時期に会津地方でも前方後円墳が作られ始めており、すでに大和朝廷の影響下にあったことが窺える。古墳時代中期以降は、会津地方の古墳造営が減少し、代わって県南地方で盛んに古墳が作られた。県南地方の前方後方墳は隣接する那須地方那須国造)から連続しており、南那須地方から県南地方一帯は古墳街道ともいうべき古墳集積地帯ともなっている。

古代

5世紀にはすでに北関東・東北の一部までがヤマト王権の影響下にあったと思われ、福島県域においても各国造が成立した。当初、大和朝廷の勢力圏は福島県域が北限であり、蝦夷勢力圏との境界に当たる信夫国(福島盆地)などの国には防備の任もあった。

また、関東や近畿地方などから、盛んに開拓のための移民も行われている。その後、国は(こおり)と呼び名が代わり、陸奥国に再編された。また、大和朝廷の勢力圏も宮城県域、あるいはさらに北に拡大し、信夫評(しのぶごおり)も「北端」ではなくなった。

701年(大宝元年)の大宝律令の施行時には陸奥国となり、評は郡、評司(国造)は郡司になった。拡大した陸奥国から718年(養老2年)に石城国石背国が分置された。

現福島県域は石城国または石背国に属することとなり、陸奥国の領域ではなくなった。 分置後も蝦夷との戦いが続き、東北全体(陸奥・出羽)で戦う必要性起こってきたので、724年(神亀元年)までには石城国と石背国は再び陸奥国に合併された。これらの郡は、その後、人口の増加などにより、さらに再分割されている。例えば信夫郡から伊達郡が分割され、安積郡からは安達郡などが分割され、会津郡耶麻郡を始め多くの郡に分割された。

  • 現在、福島県域は岩盤が固くて地震が少ないから「岩代国」と呼ぶ、という説があるが、これは「岩」という文字のイメージから生まれた俗説である。岩代国の由来は石背国にある。石背国の読み方は本来「いわせ」であったが、後に山背を「やましろ」と読むのに習って「いわしろ」とも読むようになったと思われる。明治旧国名では「いわしろ」の読みを採用し、「岩代」の文字を当てた。

平安時代には会津で恵日寺が強大な勢力を得たが、平安時代末期にはほぼ福島県全域が奥州藤原氏の勢力下に入り、藤原氏一族の信夫佐藤氏が福島盆地を本拠地として、中通りの中部まで、恵日寺後退後の会津、山形県置賜地方まで支配するまでになった。平安末期、福島県内で他には中通りの石川氏、浜通りの岩城氏があった。石川氏は清和源氏の流れで前九年の役に従軍して石川郡に定住した。岩城氏は桓武平家の氏族で、藤原清衡の養女を妻に迎えて石城郡に定住したとも石城郡司の子孫とも言われる。

国宝白水阿弥陀堂は平安時代末期1160年(永暦元年)に岩城則道の菩提を弔うために建立されたものである。

鎌倉開府から戦国時代まで

中世においては源頼朝が鎌倉に幕府を開府し東国において自立するが、頼朝は東北において奥州征伐により奥州藤原氏を滅ぼす。

県域においては信夫佐藤氏が信夫荘(信夫郡の西北、松川以北)に押し込められると、鎌倉による論功行賞で福島県内は伊達氏相馬氏二階堂氏蘆名氏畠山氏結城氏など、多数の関東武士団に細分化された。南北朝の動乱においては結城氏の一族である白河結城氏が台頭し、白河結城氏を主力とする南朝方が大いに優勢となったが、しばらくすると相馬氏など北朝方が盛り返し、白河結城氏など多くの諸氏は奥州管領鎌倉公方の支配を受けるようになる。

戦国時代に北関東・東北においては一国以上の領国を持つ戦国大名は少なく中小の地域勢力が分立する傾向をもっているが、伊達氏は伊達稙宗が南奥羽で外征や婚姻外交を繰り返し南奥羽のほとんど大名が勢力下に入るが天文の乱を起こし衰退したり、白河結城氏が衰退し代わって岩城氏が勢力を盛り返すなど、栄枯盛衰は止むことはなく、隣接する常陸国佐竹氏や越後国上杉氏の影響も受けるようになるが、最終的には蘆名氏や相馬氏、二本松氏などを圧倒した伊達氏の伊達政宗が短期間ではあるが、福島県域の浜通りを除く大半を領有することになる。

豊臣政権と徳川藩政時代

豊臣秀吉による奥州仕置により伊達政宗が伊達氏の元の本領以外没収され、会津には蒲生氏郷が入る。翌年の葛西大崎一揆の戦後処理で伊達政宗が岩出山に移封させられると、蒲生氏郷が福島県中通り以西のほとんどを領有した。しかし子の蒲生秀行は会津から宇都宮に移され、代わって越後国上杉景勝が会津120万石を得て福島県の中通り以西のほとんどの地域と山形県の置賜地方を領有した。なお、葛西大崎一揆の原因を作ったとして所領を奪われた岩出山の旧領主の木村吉清は、後に許されて蒲生氏郷に仕えて杉目城主となった。吉清は杉目を「福島」と改称し、今日の県名の由来となっている。

関ヶ原の戦いによって上杉景勝は信夫郡伊達郡を除く福島県域の所領を失い、30万石となる。代わって会津には蒲生秀行が再度入封し、会津藩60万石が成立する。が、2代目の蒲生忠郷が早世し伊予松山藩に移ることになる。次に1627年加藤嘉明が40万石で会津に入封するが、これも2代目加藤明成会津騒動を起こして領地を徳川幕府に返上した。そして、1643年に松平氏保科正之が23万石で入封し、この松平氏会津藩が戊辰戦争まで続くことになる。

一方、信夫郡と伊達郡も1664年に上杉氏米沢藩から召し上げられ、会津藩以外の大藩はなくなり、会津と浜通り夜ノ森以北(相馬氏領)を除く県内のほとんどの地域で、江戸時代を通じて小・中藩、天領が入り乱れて激しく変遷した。尚この間白河藩は一時徳川譜代となり、寛政の改革を主導した松平定信など中央の名門家から城主が入り文人政治が行われた。

江戸時代会津若松日光街道を結んだ重要な交通路会津西街道(下野街道)の宿場大内宿が当時の街並みのまま重要伝統的建造物群保存地区として残され往時を偲ばせる。

幕末から福島県成立まで

諸外国の接近によって、幕府の政治が停滞。その中で尊王攘夷開国といった主導で日本を立て直そうとする各藩の武士たちが京都に押し寄せた。白河藩主阿部正外は江戸老中として諸外国との折衝にあたり、神戸港を開港したことで攘夷派の公家などの反感を買い老中を罷免され、白河藩は棚倉へと移封され藩主不在となったにも関わらず、東西両軍にとって要衝の地と目された白河は戊辰の一大激戦地となる悲劇を生むこととなった。当代の会津藩主松平容保京都守護職となり、京都の治安維持を担った。そして禁門の変では、孝明天皇を奪取しようとした長州藩勢から御所を守り抜いた。

しかし、大政奉還後の新政府から徳川を排除する意思を固めていた薩長同盟薩摩藩長州藩)との衝突が鳥羽・伏見の戦いから生じ、敗れた旧幕府側は朝敵とされた。新政府への恭順を良しとしない主戦派が逃れた結果、戦禍が東北にまで伸びてしまった。圧倒的な西洋戦法を有する薩長の軍勢に、会津藩士は元より、奥羽越列藩同盟磐城平藩中村藩などでも各藩の勢力は徹底して反撃を繰り返したが、降伏してしまった。

江戸時代幕末に置かれた藩及び城郭、交代寄合陣屋としては会津藩、支城の猪苗代城二本松藩棚倉藩中村藩三春藩磐城平藩福島藩泉藩湯長谷藩下手渡藩、水戸藩支藩の守山藩、幕末に徳川幕府直轄地となった白河城仙台藩の支城谷地小屋城などがあり、交代寄合の溝口家の横田陣屋、その他に代官陣屋もあった。

代表的な藩主


明治初期、版籍奉還後の1869年(明治2年)の太政官令により、陸奥国(むつのくに)南端である現在の福島県域は陸奥国から分離し、西側が岩代国(いわしろのくに)、東側が磐城国(いわきのくに)となった。岩代国は現在の福島県中通り地方の中北部と会津地方。磐城国は現在の福島県中通り地方南部と福島県浜通り地方と宮城県南部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)にほぼ相当する。

1869年(明治2年)7月20日、福島藩が重原藩に移封され幕府領となっていた伊達郡信夫郡を管轄するために福島県(第1次)が設置され、安達郡二本松藩領37村、伊達郡の幕府領42村、盛岡藩領8村、棚倉藩領4村、館藩領2村、信夫郡の幕府領43村、重原藩領19村、足守藩領11村、新発田藩領8村、関宿藩領6村、二本松藩領4村、棚倉藩領2村、宇多郡の幕府領1村を管轄した。この第1次福島県は後述の二本松県(第2次)に統合され、わずか2年で廃止されている。

1871年(明治4年)7月(旧暦)の廃藩置県で全国に多数の県が生まれた後、同年11月(旧暦)に現在の福島県域は、岩代国の会津地方(旧会津藩領の越後国蒲原郡の一部[のち東蒲原郡]を含む)が若松県、岩代国と磐城国からなる中通り地方が二本松県(第2次、二本松県になって、わずか12日間後に県庁が信夫郡福島町に移転、福島県に改称したのでほとんど機能はしていない)、磐城国はほぼそのまま磐前県(いわさきけん)の3つの県として統合された。

1876年(明治9年)8月21日に、福島県(第2次)、若松県、磐前県が合併され、現在の福島県(第3次)が成立した。その際、磐前県北部(亘理郡、伊具郡、刈田郡)が宮城県に、磐前県南部の一部が茨城県に移管され、さらに1886年(明治19年)に東蒲原郡が新潟県へ移管されて、現在の福島県域になった。これらの変遷は最後の東蒲原郡移管を除いて、1869年(明治2年)の藩の制度化の後、1871年(明治4年)の廃藩置県から1876年(明治9年)までの短期間に行われた。

福島県成立後

人口

1997年の213万7406人をピークに減少傾向にある。 2019年10月1日時点の推計人口は184万4173人で、全国21位である。東日本大震災の影響で2011、2012年は人口減少率が全国最高を記録したが、2013年は全国25位とやや落ち着いている。

合計特殊出生率が1.53(2018年)あり、これは東日本では群を抜いて高い(次ぐ山形県が1.48)。ただし、合計特殊出生率が高い県は九州や中四国など西日本に集中しており、全国的には20位に過ぎない。

Demography07000.svg
福島県と全国の年齢別人口分布(2005年)福島県の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 福島県
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

福島県の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より
福島県の市の人口、人口密度、可住地人口密度(2005年)
順位人口人口密度可住地人口密度
1位いわき市354,492人郡山市447人/km2福島市1,079人/km2
2位郡山市338,834人福島市387人/km2いわき市1,035人/km2
3位福島市297,357人本宮市356人/km2郡山市1,012人/km2
4位会津若松市131,389人(会津若松市)343人/km2(会津若松市)887人/km2
5位須賀川市80,364人須賀川市288人/km2伊達市524人/km2

政治

県政

歴代知事(公選後)

現在の福島県知事は、内堀雅雄(第21代、2期目)。以外歴代知事を列挙する。冒頭数字は人数を指しており、就任代ではない。

  1. 石原幹市郎(1947年4月12日 - 1949年11月30日)
  2. 大竹作摩(1950年1月28日 - 1957年7月25日)
  3. 佐藤善一郎(1957年8月25日 - 1964年3月23日)
  4. 木村守江(1964年5月16日 - 1976年8月11日 収賄容疑に問われ引責辞任)
  5. 松平勇雄(1976年9月19日 - 1988年9月18日)
  6. 佐藤栄佐久(1988年9月19日 - 2006年9月28日 親族による談合事件で引責辞任)
  7. 佐藤雄平(2006年11月12日 - 2014年11月11日)
  8. 内堀雅雄(2014年11月12日 - )

議会

財政

平成19年度
  • 財政力指数 0.44
    • IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)11自治体中6位
平成18年度
  • 財政力指数 0.42
    • IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)9自治体中5位
平成17年度
  • 財政力指数 0.39
    • IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)14自治体中3位
平成16年度
  • 財政力指数 0.38
    • IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)13自治体中2位

キャッチコピー

福島県は、1991年(平成3年)より県のイメージアップ事業で使用するため「うつくしま、ふくしま。」を使用している。これはコピーライターの眞木準の手により提示されたキャッチコピーである。眞木の説明によると、その由来は

古語の『うつくし』は日本の原風景を残した福島に似合っており、『しま』は県土の形がオーストラリア大陸に似ていることから考えた」[9]ものとされる。同年11月27日に福島県で採用が決定し、初年度だけでも2600万円をイメージアップ事業のために投入した。

キャッチコピーは当初こそ福島県民に対してその意図がなかなか浸透せず、「全国でも例を見ない」「奇抜なイメージデザイン」との見解が寄せられることもあった[10]が、1995年(平成7年)、1999年(平成11年)、2001年(平成13年)の3度の福島県デスティネーションキャンペーン (DC) のキャッチコピーにも用いられ、また、DC と同時期に開催された1995年(平成7年)のふくしま国体全国障害者スポーツ大会(うつくしまふくしま大会)や、2001年(平成13年)の「うつくしま未来博」などのイベント名との相乗効果により県内外から広く認知されるに至った。

県の観光事業に主に用いられてきたキャッチコピーであったが、うつくしま大橋うつくしま百名山に見られるように、福島県の美称として固有名詞に「うつくしま」のフレーズが単独で用いられることもある。

イメージキャラクター

元々は 1995年に開催された第50回ふくしま国体のマスコットであり、国体終了後に広告代理店より無償提供され、現在キビタンの版権は福島県のものになっている。

国政

衆議院小選挙区が5。参議院では、全県で1区を構成。

経済・産業

2008年(平成20年)度の県内総生産は7兆6669億円である[11]。世界の国の国内総生産 (GDP) と比較しても、世界70位以内にランクインしており、県単独で世界の過半数の国より大きな経済規模を有している。

第一次産業では水稲、福島市や伊達エリアのモモに代表される果物などの農産物、いわき市のカツオ、郡山市の養殖鯉(出荷量日本1位[1])などの水産物が主要産物である。

第二次産業では東京首都圏に隣接する至便性のため首都圏より県内に進出する企業も多く製造品出荷額では宮城県を抑え東北地方1位である。電子機器関連の工場の立地が多く、福島市周辺では電子機器、会津若松周辺では半導体、郡山周辺ではプリント基板関連、電子部品、いわき市周辺では電子機器、化学製品、自動車エンジン工場などの立地がある。最近では田村市において自動車電装部品関連企業の誘致にも成功している。(2008年(平成20年)現在)

第三次産業では県内における最大の都市圏は、中通り中部の郡山を中心とする郡山都市圏であり、周辺地域とともに県内最大の郡山経済圏を形成し、郡山市は東北地方第2位の商業年間商品販売額を誇り商都と呼ばれている。

第一次産業

農林水産省による統計では、2009年(平成21年)の都道府県別の農業産出額は福島県が2450億円となり、金額では全国7位である[12]。この内、米の948億円(全国5位)と野菜の546億円を含めた耕作物、つまり耕種の産出額は1931億円であり、肉用牛137億円や生乳97億円、豚100億円、鶏卵123億円を含む畜産は513億円となっており、これらが農業による主な産出額である。漁業に関しては2009年(平成21年)の都道府県別の農業産出額のうち、福島県は養殖での額が不明ながら海面漁業は160億円とされている[13]。また、2008年(平成20年)発表統計データによる青森県(2797億円)、岩手県(2541億円)に次いで東北第3位。県内では農業産出額が多い順に福島市(195億円、県内1位、東北12位)、郡山市(188億円、県内2位、東北14位)、伊達市(140億円、県内3位、東北20位)[14]

2008年発表統計データによる
県内上位20市町の農業産出額[14]
1福島市195億円
2郡山市188億円
3伊達市140億円
4須賀川市127億円
5喜多方市121億円
6いわき市112億円
7田村市104億円
8会津若松市104億円
9南相馬市100億円
10相馬市99億円
11二本松市95億円
12白河市91億円
13会津美里町62億円
14矢吹町50億円
15会津坂下町49億円
16猪苗代町37億円
17飯舘村37億円
18平田村36億円
19浪江町36億円
20鏡石町34億円

第二次産業

2008年(平成20年)発表統計データの製造品出荷額等によると、福島県は5兆5686億円となり東北1位。2位は宮城県(3兆5702億円)、3位は山形県(2兆8692億円)。県内では製造品出荷額等が多い順にいわき市(1兆0701億円、県内1位、東北1位)、郡山市(9667億円、県内2位、東北2位)、福島市(6608億円、県内3位、東北5位)は東北地方有数の工業都市[14]

県内上位20市町の製造品出荷額[14]
(2008年発表。喜多方市以外[※ 1]
1いわき市1兆701億円
2郡山市9667億円
3福島市6608億円
4会津若松市2946億円
5白河市2743億円
6伊達市2544億円
7本宮市2269億円
8須賀川市1987億円
9二本松市1763億円
10西郷村1624億円
11相馬市1036億円
12南相馬市1014億円
13棚倉町958億円
14喜多方市(916億円)
15泉崎村794億円
16田村市766億円
17矢吹町587億円
18玉川村501億円
19桑折町476億円
20三春町455億円
21鏡石町452億円
伝統工芸
鉱業
  • 浜通り夜ノ森以南には、20世紀前半に常磐炭田と呼ばれる日本有数の炭鉱が存在した。
発電所

福島県は様々な形態の発電所が建設された電源地帯である。同県に送電しない企業も含め、複数の企業が発電所を建設した。

第三次産業

  • 2008年(平成20年)発表統計データによると、福島県の商業年間商品販売額は、4兆7,206億円となり宮城県(10兆2365億円)に次いで東北2位。県内では商業年間商品販売額が多い順に郡山市(1兆4,515億円、県内1位、東北2位)、福島市(9,150億円、県内2位、東北7位)、いわき市(8,153億円、県内3位、東北9位)[14]
2008年発表統計データによる
県内の上位20市町の商業年間商品販売額[14]
1郡山市1兆4515億円
2福島市9150億円
3いわき市8153億円
4会津若松市3432億円
5須賀川市1280億円
6南相馬市1239億円
7白河市1151億円
8伊達市792億円
9本宮市755億円
10相馬市749億円
11二本松市703億円
12喜多方市638億円
13田村市428億円
14浪江町311億円
15西郷村283億円
16矢吹町247億円
17富岡町243億円
18南会津町232億円
19棚倉町227億円
20会津坂下町224億円

主な大型商業施設

福島県の企業

福島県に本社のある主な企業

福島県に進出した主な企業

生活・交通

警察

交通

空港

鉄道

東京方面との連絡は、東北新幹線および常磐線特急列車である。福島駅は東北新幹線・山形新幹線の連絡駅である他、郡山駅は南北東西方向の要所である。また、いわき駅は東京方面からの直通列車の北限であり、運行上の拠点駅になっている。普通列車は福島交通・阿武隈急行[※ 2]を除いて毎時1本以下となっている。また、営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。

新幹線
JR在来線
私鉄(民鉄)路線
第三セクター

バス路線

国鉄時代、福島県内が東京支社・水戸支社と仙台支社の境目になっていた。このため、地域ごとに分割したJRバスにおいても、日本で唯一2社が営業拠点を設置している県となっている。

道路

高速道路
国道

県道

港湾

医療・福祉

災害拠点病院
保育所

教育

大学・短期大学

国立大学法人

公立大学法人

私立

高等専門学校
専修学校
特別支援学校
高等学校
中学校
小学校
幼稚園
学校教育以外の施設

マスメディア

新聞社

放送局

本社演奏所の立地として、福島市県庁所在地。政治的中心地)と、郡山市(商業的中心地)との2都市に分かれるため、立地の違いによって地方ニュースの重点配分や話題に微妙な地域色がでる。しかし、コミュニティFM以外の全放送局とも、放送対象地域は福島県(全域)となっている。

戦後の福島県域2大新聞社である福島民報毎日新聞系)と福島民友読売新聞系)や、福島市と郡山市の対立を反映した影響からか、県域対象の民放VHFテレビ局は開局は日本全国で最も遅く、民放FM局も東北6県では最後の開局である。しかし、東北地方に系列局を持たないテレビ東京系列を除く民放テレビ局4局が出揃った時期は1983年(昭和58年)である[※ 4]。これは東北6県のなかでは宮城県に次いで2番目であり、東名阪近辺を除いた全国でも比較的早い[※ 5]

その影響もあり、県内民放テレビ局第1局となった福島テレビ開局にあたっては県が主導的な役割を果たし、現在も株式の約半数を所有している。この比率はやはり県主導で開局した南隣りのとちぎテレビより高い。

以下の通り、AMラジオ局はラジオ単営局であり、民放のラテ兼営局は存在しない[※ 6]

福島都市圏に立地する放送局(全て福島市に所在)
郡山都市圏に立地する放送局
その他の都市に立地する放送局

相馬市の一部では放送対象地域外の宮城県の民間放送4局が[15]放送区域になっている。

いわき市や白河市の一部では、放送対象地域外の関東1都6県共通の民放キー局(日本テレビテレビ朝日TBSテレビテレビ東京フジテレビ)がスピルオーバーにて受信することが可能である。地上デジタル放送による減力により受信できるエリアは限られているが、県境部を中心に引き続き受信することが可能である。

福島県と同様に、政治力と経済力の綱引きにより民放県域放送局の演奏所が県庁所在地以外にも立地している例は、山形県富山県鳥取県山口県福岡県にも見られる。

地上デジタル放送のリモコンキーIDはTXN系と独立局がない以外は関東広域圏と全て同じである(詳しくはリモコンキーIDの項を参照)。

文化・スポーツ

方言

食文化

郷土料理

会津の代表的な郷土料理としては、「こづゆ」「いかにんじん」「ニシンの山椒漬け」「鯉の旨煮」が挙げられる。

また、会津の山間部では蕎麦を工夫した料理がみられ、今でも味わうことができるものとして「はっとう(檜枝岐村)」「裁ち蕎麦(南会津)」「祝言蕎麦(猪苗代町)」などがある。

  • いかにんじん(福島市を含む県北地方)
  • あんぽ柿(伊達市を含む伊達エリア)
  • ニシンの山椒漬け(会津地方)
  • あわまんじゅう(会津地方)
ご当地グルメ

伝統工芸

経済産業大臣指定伝統的工芸品
伝統工芸品

伝統芸能

重要無形民俗文化財(指定年月日)
祭事
農村歌舞伎

スポーツ

サッカー
バスケットボール
野球
アイスホッケー
駅伝大会

観光

国宝

建造物
彫刻
  • 勝常寺 - 木造薬師如来坐像及び両脇侍立像(3躯)
書跡典籍
  • 龍興寺 - 一字蓮台法華経 開結共(巻第六欠)9巻

重要伝統的建造物群保存地区

イベント

その他


福島県を舞台とした作品

発表年順に記載

映画

テレビドラマ

漫画・アニメ

福島県出身の人物

県民栄誉賞受賞者

  1. 田部井淳子(1988年)
  2. 鈴木猛史(2014年4月)
  3. 室屋義秀(2017年10月)
  4. 西田敏行(2018年9月)

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 高郷村分データ不明により喜多方市が記載されていないため、福島県ホームページ (PDF) より概算値引用。
  2. ^ 日中は概ね毎時2本程度の運転。
  3. ^ 勿来 - 浪江間は福島県内、および、東北地方唯一の東京近郊区間である。また、上野東京ラインは勿来駅・泉駅・湯本駅・いわき駅のみ。
  4. ^ この年の12月4日にTUFが開局したことにより民放TVが4局出揃った。
  5. ^ 東北で3番目以降に民放TVが4局化された地域の出現は1990年代に入ってからとなり、1996年10月1日に岩手県が(岩手朝日テレビ開局により)、翌1997年4月1日に山形県が(さくらんぼテレビ開局により)民放TV4局化が実現した。
  6. ^ 当初は福島県民放第1号であるラジオ福島がラテ兼営局になることを目指して1957年(昭和32年)10月22日にTV予備免許と「JOWR-TV」というコールサインを取得したが、役員人選等の難航によりそれらは僅か半年で(翌1958年(昭和33年)4月1日をもって)失効。以後 RFC はAM単営局となって現在に至る。これにより福島県では1963年(昭和38年)4月1日に(民放TV第1局となる)FTV が開局するまでの間、民放TVが全く視聴不可の状態が他県より長く続いた。

出典

  1. ^ 4.6 福島県の気候の変化 (PDF) (気象庁)
  2. ^ 近世(福島県「福島のすがた」)
  3. ^ 福島県公式ホームページ 県名の由来
  4. ^ 福島支店の歴史(日本銀行福島支店)
  5. ^ 福島県の位置・人口・面積 - 福島県ホームページ”. 2021年4月21日閲覧。
  6. ^ 福島県の推計人口(福島県現住人口調査結果)(福島県)
  7. ^ 平成27年国勢調査 調査の結果(総務省統計局)
  8. ^ 工藤雅樹「福島のあけぼの」p.12(丸井佳寿子・工藤雅樹・伊藤喜良・吉村仁作『福島県の歴史』山川出版社 2003年2月)
  9. ^ 読売新聞』1991年11月28日 東京夕刊23面
  10. ^ 河北新報』1992年2月17日
  11. ^ 平成20(2008)年度 福島県県民経済計算の概要
  12. ^ 農林水産省大臣官房統計部 平成21年農林水産統計 全国農業地域別農業産出額”. 2011年11月28日閲覧。
  13. ^ 平成21年漁業生産額 (PDF) - 農林水産省
  14. ^ a b c d e f 総務省統計局 統計でみる市区町村のすがた 2008”. 2011年11月28日閲覧。[リンク切れ]
  15. ^ Dpa放送エリアのめやす(仙台局)
  16. ^ a b 堀田眞三 (2006年7月21日). “親父 - 撮影快調!”. 俳優 堀田眞三(グランパ)です。. 2012年3月30日閲覧。

関連項目

外部リンク

先代:
福島藩
岩代国内の幕府領
行政区の変遷
1869年 - 1871年 (第1次福島県)
次代:
二本松県
先代:
二本松藩
福島県(第1次)・白河県
磐前県若松県
行政区の変遷
1871年 - (二本松県→第2次福島県)
次代:
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原子力事故

原子力事故(げんしりょくじこ、: Nuclear and radiation accidents)とは原子力関連施設での放射性物質放射線に関係する事故のこと。放射性物質や強力な放射線が施設外へ漏れ出すと、人々の健康・生活や経済活動に大きな被害をもたらす。原子力関連施設内での事故であっても、放射性物質や放射線の漏出にまったく無関係な事故は原子力事故とは呼ばない。

原子力発電所などで事故が発生した場合には、国際原子力事象評価尺度(INES)による影響度の指標が「レベル0」から「レベル7」までの8段階の数値で公表される[1]。本項目ではINESレベル4未満の事象も含めて記述する。1970年代以降、レベル4以上の事故は7年以内の間隔で起こっている。

事故と異常事象

日本の原子力関連施設では、放射性物質が環境中へ放出されて公衆の健康を害する恐れが生じた場合やそれ以上を「事故」と呼び、そのような状況に至らない施設内での不測の事態は「異常事象」と呼んで区別している[2]

主な原子力事故

日本

INESレベル7の事故

福島第一原子力発電所炉心溶融・水素爆発事故

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により、東京電力福島第一原子力発電所で電源喪失。溶融が発生、水素爆発により原子炉建屋が大破した。初の原子力緊急事態宣言が発出され、周辺半径20kmの住民には避難指示が出された[3]

経済産業省原子力安全・保安院は12日、国際原子力事故評価尺度 (INES) の暫定値で、「局所的な影響を伴う事故」とするレベル4に当たることを明らかにした。東海村JCO核燃料加工施設臨界事故と同レベル[4]。経済産業省原子力安全・保安院は1 - 3号機の事故の深刻さを示す国際評価尺度 (INES) を、8段階のうち3番目に深刻な「レベル5」にすると発表した[5]。その後、同年4月12日、経済産業省原子力安全・保安院は国際評価尺度 (INES) の暫定評価を「レベル7」にすると発表した[6]

INESレベル4の事故

1999年9月30日 東海村JCO核燃料加工施設臨界事故[7]
日本で3番目の臨界事故で、作業員2名が死亡。

INESレベル3以下の事故

1978年11月2日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故
日本で最初の臨界事故とされる。
戻り弁の操作ミスで制御棒5本が抜け、午前3時から、出勤してきた副長が気付きゆっくり修正し終わる10時半までの7時間半、臨界が続いたとされる。
沸騰水型の原子炉で、弁操作の誤りで炉内圧力が高まり、制御棒が抜けるという本質的な弱点の事故。この情報は発電所内でも共有されず、同発電所でもその後繰り返され、他の原発でも(合計少なくとも6件)繰り返される。1999年志賀原発事故も防げたかも知れず、本質的な弱点なので、世界中の原子炉で起こっている可能性がある。
特に重要なのが、1991年5月31日の中部電力浜岡3号機の制御棒が同様に3本抜けた事故である。中部電力は1992年にマニュアルを改訂した。「国への報告はしなかったが、他電力へ報告した。」と主張した。
事故発生から29年後の2007年3月22日に発覚、公表された。東京電力は「当時は報告義務がなかった」と主張している。
1989年1月1日 東京電力福島第二原子力発電所3号機事故
原子炉再循環ポンプ内部が壊れ、炉心に多量の金属粉が流出した事故。レベル2。
1990年9月9日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故
主蒸気隔離弁を止めるピンが壊れた結果、原子炉圧力が上昇して「中性子束高」の信号により自動停止した。レベル2。
1991年2月9日 関西電力美浜発電所2号機事故[8]
蒸気発生器の伝熱細管の1本が破断し、55トンの一次冷却水が漏洩し、非常用炉心冷却装置 (ECCS) が作動した。レベル2。放出量0.6キュリー。
1991年4月4日 中部電力浜岡原子力発電所3号機事故
誤信号により原子炉給水量が減少し、原子炉が自動停止した。レベル2。
1997年3月11日 動力炉・核燃料開発事業団東海再処理施設アスファルト固化施設火災爆発事故
低レベル放射性物質をアスファルト固化する施設で火災発生、爆発。レベル3。
1999年6月18日 北陸電力志賀原子力発電所1号機事故
定期点検中に沸騰水型原子炉 (BWR) の弁操作の誤りで炉内の圧力が上昇し3本の制御棒が抜け、想定外で無制御臨界になり、スクラム信号が出たが、制御棒を挿入できず、手動で弁を操作するまで臨界が15分間続いた。点検前にスクラム用の窒素を全ての弁で抜いてあったというミスと、マニュアルで弁操作が開閉逆だったと言うのが、臨界になる主な原因であった。レベル1 - 3。
2011年3月11日 東京電力福島第二原子力発電所事故
東日本大震災による地震・津波で原子炉の冷却機能が一時不全状態に陥った事故。
原子力安全・保安院は2011年3月18日にINESレベル3であるとの暫定評価を下した。
2013年5月23日 J-PARC放射性同位体漏洩事故
J-PARCハドロン実験施設にて、装置の誤作動により管理区域内に漏洩した放射性同位体が、排気ファンを回すという人為的な行動によって管理区域外に漏洩した事故。
原子力規制委員会は、2013年5月27日に本件をINESレベル1に相当する事象と暫定的に評価した。

その他の事故

1973年3月 関西電力美浜発電所燃料棒破損
美浜一号炉において核燃料棒が折損する事故が発生したが、関西電力はこの事故を公表せず秘匿していた。この事故が明らかになったのは内部告発によるものである。
1974年9月1日 原子力船むつ」の放射線漏れ事故
1995年12月8日 動力炉・核燃料開発事業団高速増殖炉もんじゅナトリウム漏洩事故
2次主冷却系の温度計の鞘が折れ、ナトリウムが漏洩し燃焼した。レベル1。この事故により、もんじゅは15年近く経った2010年4月まで停止を余儀なくされた。
1998年2月22日 東京電力福島第一原子力発電所
第4号機の定期検査中、137本の制御棒のうちの34本が50分間、全体の25分の1(1ノッチ約15cm)抜けた。
2004年8月9日 関西電力美浜発電所3号機2次系配管破損事故
2次冷却系のタービン発電機付近の配管破損により高温高圧の水蒸気が多量に噴出。逃げ遅れた作業員5名が熱傷で死亡。レベル0+。
2007年7月16日 新潟県中越沖地震に伴う東京電力柏崎刈羽原子力発電所での一連の事故
同日発生した新潟県中越沖地震により、外部電源用の油冷式変圧器が火災を起こし、微量の放射性物質の漏洩が検出された。この地震により発生した火災は柏崎刈羽原子力発電所1箇所のみであるとされる。
震災後の高波によって敷地内が冠水、このため使用済み核燃料棒プールの冷却水が一部流失している。
全ての被害の詳細は2007年10月現在もなお調査中である。この事故により柏崎刈羽原子力発電所は全面停止を余儀なくされた。
2007年11月13日、経済産業省原子力安全・保安院はこの事故をレベル0-と評価した。
2010年6月17日 東京電力福島第一原子力発電所2号機原子炉自動停止
制御盤内作業中に瞬間的に補助リレーが動作したことにより常用系電源が停止、冷却ファンが停止して原子炉が自動停止(トリップ)した。その後、非常用ディーゼル発電機2台が自動起動した。電源停止により一時水位が低下したが、蒸気を駆動源とする原子炉隔離時冷却系[注釈 1]を手動で起動し、水位を戻した[9]

カナダ

1952年12月12日 NRX事故
1947年にオンタリオ州(オタワの北西150km)のチョーク・リバー研究所に建設された出力4.2万KWの実験用原子炉英語版の事故である。操作ミスで制御棒が引き抜かれ、1万キュリーまたは370テラベクレルの放射能を有する放射性物質が外部に漏れた[10]。その後1993年まで稼働していた[10]
1958年5月24日 NRU事故
1957年にチョーク・リバー研究所内に建設されたばかりの出力135万KWの研究用原子炉英語版の事故[11][12][13]。燃料棒を引き抜いた際に燃料棒が過熱して出火し、その後燃料棒は2つに引き裂かれるように破壊された。火災は消し止められたが原子炉建屋内と研究所内の広範囲が汚染され、修復と除染に3ヶ月を費やした後に再稼働した[14]。除染作業に従事したカナダ軍人1名が、後に珍しい種類の皮膚癌を発症し、カナダ政府から障害者年金を受給された[15][16]

旧ソビエト連邦・ロシア

1957年9月29日 ウラル核惨事
ソビエト連邦ウラル地方に建設された「チェリャビンスク65」という暗号名を持つ秘密都市の、「マヤーク」(灯台の意味)という兵器(原子爆弾)用プルトニウムを生産するための原子炉5基および再処理施設を持つプラントで起こった事故。プルトニウムを含む200万キュリーの放射性物質が飛散した。放射性物質の大量貯蔵に伴う事故の危険性を知らせた事故である。当初この事故は極秘とされていたが、西側亡命した科学者であるジョレス・A・メドベージェフが1976年に英科学誌「ニュー・サイエンティスト」に論文を掲載したことで知られるようになった。国際原子力事象評価尺度でレベル6の大事故であり、現在も放射能汚染は続いている。
1958年4月16日 英語版
ソビエト連邦下のキルギス共和国ジャララバード州のウラン鉱山を有する閉鎖都市英語版(西側名称:メールボックス200)にて、それまでも地滑りや地震が多発していたテクトニクス上不安定な丘の中腹に設置された、ウラン鉱滓を杜撰に野積みしていた鉱滓ダムが崩落、隣接するロシア語版に大量の鉱滓が流入し、キルギスのみならず、下流のカラダリヤ川を通して隣接するウズベク共和国(ウズベキスタン)のフェルガナ盆地一帯に放射能汚染が拡散した。ウラン鉱山は1968年に閉山したが、ソ連政府による鉱滓の封じ込めの措置は一切行われず、その後も大小の鉱滓崩壊事故が複数回発生して汚染が拡散し続けている。ソ連崩壊後に国際連合世界銀行の出資による実態調査が進み、ブラックスミス研究所に因ればマイリ・スウ一帯は放射能に世界で最も汚染された10の区域の一つとされている。
1980年 英語版
ウクライナ共和国英語版に新築されたフルシチョフカ様式のアパートメントに入居した人々のうち、2組の家族から次々に白血病による死者が出た。4名の死者のうち3名までが子供であったが、医師は当初白血病が発生した原因を特定できず、「遺伝的要因によるものではないか?」と推定したが、この説明に納得しない片方の家族の父親が、1989年に当局に対して「建物が何かおかしい」と訴え出た事から事態が発覚した。原因はアパートメントの壁のコンクリートの中に骨材として紛れ込んでいたセシウム137の放射線源であった。この放射線源は1970年代にドネツィク州の採石場で工業用放射線源として使用されていたもので、70年代後半に採石場から紛失し、捜索を行っても行方知れずのままとして報告されていたものであった。この放射線源が意図せず埋め込まれた壁が2家族の子供部屋のベッドの真横に位置していた事が、10代の子供たち3名が犠牲となる悲劇を生んでしまった。ウクライナ当局は直ちに壁の一部を切り取り、カプセルは英語版で回収され廃却された。悲劇の舞台となったアパートメントは、カプセルの除去後は放射線量が自然界と同一となり、周囲は平穏を取り戻した。一連の事態での死者の数は資料によって幅があり、事件発覚直後の報告では子供3名、大人1名の4人であるが、この時点で重病となっていた子供1名、大人1名も後年死亡した為、合計人数を6名とする場合もある。
1982年2月 英語版
ムルマンスクソビエト連邦海軍の使用済核燃料貯蔵プールにて、厳冬期の貯留水の凍結融解に起因する第5プールの亀裂から汚染された貯留水の漏出が始まった。第5プール付近のガンマ線が急激に上昇した事から事態の発生がソ連海軍に把握されたが、ソ連海軍は当初はプールの破損はピンホール程度で、検出される線量から漏出も日量30リットル程度と判断し、小麦粉をプールに投入するなどの手段でしか対処が行われなかった。その後ガンマ線量が急激に増加していった事でソ連海軍は現場にリクビダートルを投入する事を決定。4月にはプールの建屋の地下部分600平方メートルをコンクリートで埋め固めたり、貯留水を凍結させる方法なども試されたが、ほとんど効果が無かった。9月には漏出は日量30トンまで増加し、使用済核燃料が空気中に露出する危機が迫ったが、リクビダートルたちはプールの金属ケースの周囲を鉄・鉛・コンクリートの混合物で覆い尽くす手法で1983年2月14日に漏出を完全に停止させた。アンドレエフ湾への汚染水の総漏出量は77万トンに達した。その後プール内の1500本の使用済核燃料容器は1989年12月13日までに全量がマヤークに搬出された。公式には一連の事態における死者や負傷者は記録されていないが、リクビダートル達の回想では使用済核燃料容器の搬出作業中に1名がプールに転落し、救出の為にもう1名がプールに飛び込んで大きなベータ線被曝を受けた事や、容器の搬出作業中腐食や損傷などで容器内の高レベル放射性廃液がしばしば外部に漏出し、その度にチェレンコフ放射とみられる不気味な発光現象が複数のリクビダートル達に目撃されていたが、ソ連政府に対するソ連海軍の公式報告ではこれらの事象の一切が隠蔽され、箝口令が敷かれた事などが証言されている。この事故で投入されたリクビダートルはムルマンスク軍港の港湾労働者を中心とした約1000名であったが、いずれも「放射能が極めて恐ろしいものである」事を日頃からある程度以上理解していた者たちばかりであった為、人的な二次被害は最小限に食い止められた。
1986年4月26日 チェルノブイリ原子力発電所事故
ソビエト連邦下のウクライナ共和国チェルノブイリ原発4号機が爆発・炎上し、多量の放射性物質が大気中に放出されたレベル7の大事故。原因は諸説あるが、発電実験中、出力が急上昇して起こったとされている。放射性物質は気流に乗って世界規模で被曝をもたらした。直接の死亡者は作業員・救助隊員の数十名だけである。しかし、2005年に発表された世界保健機関 (WHO) 等の複数組織による国際共同調査結果では、この事故による直接的な死者は最終的に9,000人と評価された。2000年4月26日に行われた14周年追悼式典では事故処理に従事した作業員85万人のうち、5万5,000人が死亡したと発表されている。この事故を契機に国際的な原子力情報交換の重要性が認識され、英語版 (WANO) が結成された。
1993年4月6日 ロシア語版
ロシア連邦トムスク州の都市セヴェルスクに旧ソ連時代からあるトムスク-7再処理コンビナートにおいて、硝酸での清掃時にタンクが爆発する事故。爆発によって放射性ガスの雲が放出された。国際原子力事象評価尺度レベル4の事故[17]
2017年9月、英語版
2017年9月から11月に掛けて、スイスやフランスなど複数の欧州諸国の原子力機関が、微量ではあるが発生元不明のルテニウム106の空中放射線量の増加を検出した。ルテニウム106の有意な増加は原子力事故などの発生を示唆するもので、欧州諸国の各原子力機関はロシアのマヤーク核技術施設が発生源ではないかとしてロシア政府に照会を行ったが、ロシア政府自体はマヤークとの関連性を否定しており、公式には原因不明のままとなっている。
2019年8月8日、英語版
アルハンゲリスク州セヴェロドヴィンスク近郊の英語版村の実験施設にて、9M730巡航ミサイルのものとみられる原子力推進エンジンのテスト中に爆発事故が発生し、8月12日までに事故に巻き込まれたロスアトムの労働者5人が急性放射線障害で死亡した。翌13日にネノクサ村の村人約450人が一時避難させられたものの、翌日には避難命令は解除された。

イギリス

1957年10月10日 ウィンズケール原子炉火災事故
世界初の原子炉重大事故。イギリス北西部の軍事用プルトニウムを生産するウィンズケール原子力工場(現セラフィールド)の原子炉2基の炉心で黒鉛炭素製)減速材の過熱により火災が発生、16時間燃え続け、多量の放射性物質を外部に放出した。国際原子力事象評価尺度レベル5の事故[18]。避難命令が出なかったため、地元住民は誰も避難しなかった。数十人がその後白血病で死亡した。現在の所白血病発生率は全国平均の3倍である。当時のマクミラン政権が極秘にしていたが、30年後に公開された。現在でも危険な状態にある。2万キュリーのヨウ素131が工場周辺500平方キロメートルを汚染し、ヨードの危険性を知らせたことで有名である。水素爆発のおそれから注水に手間取った。これはスリーマイル島でも繰り返された。

アメリカ合衆国

1958年12月30日 ロスアラモス臨界事故
ニューメキシコ州ロスアラモスロスアラモス国立研究所プルトニウム回収施設で発生。溶液処理槽で作業員が電動撹拌機を回したところ水が有機相を破って臨界状態に達してしまい、作業員3人が被曝した。1名が120シーベルト以上を被曝して死亡した。過酷な労働条件下での作業が原因とされる。
1959年7月13日 サンタスザーナ野外実験所燃料棒溶融事故
カリフォルニア州ロサンゼルス市郊外約50kmのシミバレーにあった英語版の燃料棒が溶融した。1500-6500キュリーヨウ素131と1300キュリーのセシウム137が環境中に放出されたとされる。1960年に閉鎖されその後解体された。1979年に学生が偶然資料を発見し公表するまで極秘であった。
1996年にプルトニウム239コバルト60、2011年にセシウムがそれぞれ規制値の数倍から数百倍検出された。
1961年1月3日 SL-1事故
SL-1 (Stationary Low-Power Reactor Number One) はアメリカアイダホフォールズにあった海軍の軍事用の試験炉である。運転出力は軍事基地のための暖房用の熱エネルギーとして400 kW、電気出力として200 kWの合計600 kWであり、設計出力は3 MWであった。当事者が死亡してしまったため事故の原因ははっきりとは分かっていないが、制御棒を運転員が誤って引き抜き、原子炉の暴走が起きたと考えられている。10センチまでしか引き出してはいけない制御棒が50センチも引き出されていたが、この制御棒は引き出すときにハウジングに引っかかることが事件前の映像からもわかっており、運転員が力まかせに引っ張ったものと考えられている。その結果大量の水蒸気が瞬時に発生し炉内が高圧になって炉が破壊された。この暴走により、13トンの原子炉容器が3メートル近く飛び上がった。事故で放出されたエネルギーは約50 MJに相当し、炉内にあった約100万キュリーの核分裂生成物のうち約1パーセントが放出されたと考えられている。なお原子炉は暴走したものの、その後減速材である軽水が失われたため自然に停止したと考えられている。また、冷却材が失われても炉心が溶融しなかったのは、炉の出力が小さかったためとも考えられる。[要検証][要出典]
1964年7月24日 ウッドリバー臨界事故
アメリカ・ロードアイランド州ウラン回収施設で起きた臨界事故。作業員1人が450シーベルト以上の被曝を受けて死亡した。事故処理に当たった工場長らが再臨界で被曝した。
1966年10月5日 エンリコ・フェルミ1号炉
エンリコ・フェルミ炉 (Enrico Fermi Nuclear Generating Station) はアメリカのデトロイト郊外にあった高速増殖炉試験炉である。1966年10月5日に炉心溶融を起こし閉鎖された。原子炉の炉心溶融事故が実際に発生した最初の例とされている。後にこの事故について書かれたドキュメンタリーのタイトルには、『我々はデトロイトを失うところであった』と書かれた[19]
1979年3月28日 スリーマイル島原子力発電所事故
アメリカ・スリーマイル島原子力発電所の炉心溶融事故。レベル5の事故であり、不完全な設備保全、人間工学を重視していない制御盤配置、そして中央制御室運転員の誤判断等が重なって発生した。当初は外部へ放射性物質が大量に放出されたとの報道もあった。この事故の影響により、アメリカ政府は新規原発建設中止に追い込まれた。アメリカではこの事故を契機にトラブルや運転等の情報を共有する組織として英語版 (INPO) が結成された[20][21]
1979年7月16日 英語版
ニューメキシコ州英語版にてユナイテッド・ニュークリア社(現在のガルフ・ユナイテッド・ニュークリア社)が管理していた英語版の鉱滓ダムが決壊。ニューメキシコ州ナバホ族居留地を汚染した。また、流出したウランの鉱滓は、コロラド川の支流に沿って下流のアリゾナ州ネバダ州へ移動し流域一帯を汚染した。

フランス

1969年10月17日、フランス語版
サン=ローラン=デ=ゾー原子力発電所にて、黒鉛減速ガス冷却炉1号機の燃料挿入中にウラン50kgが溶けだした。この事故は国際原子力事象評価尺度レベル4に分類された。これは2012年までのフランス原子力史上最も大きな事故であった[22][23]
1980年3月13日、フランス語版
サン=ローラン=デ=ゾー原子力発電所にて、黒鉛減速ガス冷却炉2号機でウラン20kgが炉心溶融を起こす事故が発生した。激しい損傷を受けて原子炉は3年半の間運転できなかった[22]。この事故は1969年の炉心溶融事故と同様、国際原子力事象評価尺度レベル4に分類された。
1999年12月27日、英語版
ジロンド川に面するボルドー近くのブレイエ原子力発電所で、大嵐(フランス語版)のため洪水が発生し、外部電源系が全部停止し、1,2号機の全電源喪失が起こった。1,2号機は蒸気発生器により炉心冷却ができ、またESWSも復旧した。幸い4号機が30日未明に復旧しこの事態は収まった[24]。国際原子力事象評価尺度レベル2。この教訓は日本国内でも知られていたが、JNESの2007年の指摘に対し国内原発での安全策は講じられなかった[25][注釈 2]
2008年7月7日、トリカスタン原子力発電所事故
7日の夜から8日にかけて、フランス・アヴィニョン北部ボレーヌ市に接するトリカスタン原子力発電所において、ウラン溶液貯蔵タンクのメンテナンス中、タンクからウラン溶液約3万リットルが溢れ出し、職員100人余が被曝し、付近の河川に74 kgのウラニウムが流れ出した。原発は一時閉鎖され、水道水の使用や河川への立ち入りが禁止されるなどした[27][28]

スイス

1969年1月21日、英語版
スイスのボー州リュサン(Lucens)の研究用ガス冷却地下原子炉での冷却材喪失事故で、炉心燃料が一部溶融、放射性物質が洞窟内に漏れた[29]

ブラジル

1987年9月、ゴイアニア被曝事故
ブラジルゴイアニア市で発生した放射能汚染事故。閉鎖された病院に放置されていた放射線療法用の医療機器から放射線源が盗難に遭い、地元のスクラップ業者によって解体された事で内部のセシウム137が露出。放射性物質の危険性を認識できず蛍光物質が暗闇で光るという特性に好奇心を持った人々が自宅に持ち帰るなどした事で、貧民街を中心に汚染が広がった。同年の12月までに250人が被曝し、4人が急性放射線障害で死亡した。翌年の3月までに汚染がひどかった家屋7軒が解体され、周辺の土壌交換などが行われた。

メキシコ

1962年3月、英語版
メキシコメキシコシティ市で発生した放射能汚染事故。当時10歳の少年が放射線療法用の医療機器のコバルト60放射線源を何処かより入手し、自宅に持ち帰った事で少年を含む家族5人が重度の被曝を受け、同年10月までに少年を含む一家4人が急性放射線障害で死亡した。家族のうち、生存者は少年の父親のみであった。汚染の規模は異なるが、ゴイアニア被曝事故と内容がほとんど同じ原子力事故であり、放射線源の不適切な管理状況がもたらす悲劇の典型例でもある。

スペイン

1990年12月10日-20日、英語版
スペインサラゴサにて、不適切な手順によるメンテナンスを受けた放射線治療機材が既定値の5倍以上の出力の放射線を発射してしまい、治療を受けた27人の患者のうち、25人が死亡した事件。国際原子力機関の調査により、25人の死者のうち急性放射線障害と認定されたのは11人であった。メンテナンスを請け負っていたゼネラル・エレクトリックは、総額で4億ペセタ(約2億4千万ユーロ)の賠償責任を負うこととなった。

コスタリカ

1996年8月-9月、英語版
コスタリカサンホセにある聖ヨハネ・ア・デオ病院にて、コバルト60を用いる放射線治療機材が調整のミスにより既定値を上回る放射線を発射してしまい、114人の患者が過度の被曝を受け、うち13人が急性放射線障害で死亡した。

パナマ

2000年8月-2001年3月、英語版
パナマパナマ市にある国立の癌治療施設にて、個々の患者に対する線量分布と照射量を計算する放射線治療計画システムのプログラムミスにより、複数のセクションの医師による入力内容が適切に累積線量表示に反映されない状態となってしまい、結果として通常では許容され得ない累積線量が患者に対して照射される事となった。一連の経過により20人の患者が過度の被曝を受け、うち8人が急性放射線障害で死亡した。

主な軍事原子力事故

原子力潜水艦などの事故(原潜事故)について、概説する。

原子力潜水艦

旧ソ連・ロシア

級の名前はNATOが命名。本当の名前は当時最高機密事項だったので、旧ソ連海軍であってもNATO名で記載する。深さは沈没した潜水艦のいる場所の深さである[注釈 3]

  • 1961年7月4日 K-19(ソ連海軍初の原潜、ホテル級原子力潜水艦一次冷却系の圧力低下によって生じた事故である。8名が死亡した。原因は、修理中の溶接棒の破片が冷却回路内に入っていたため[注釈 4]
  • 1985年8月10日正午頃 エコー2型K-431。ウラジオストック近郊の船舶修理工場で燃料棒交換中に、原子炉の誤操作で制御棒が抜かれ、炉心の核反応が高まり原子炉が爆発した。10名が即死、290名が被曝した。500万キュリーの放射能を持つ放射性の塵と、200万キュリーの放射能を持つ放射性の希ガス類が流出し、北西30kmに渡り拡散したとされる。この事故で放出された放射能は総量で推定26ベクレルであった[30]
  • 1989年4月7日、2基の原子力魚雷を搭載した旧ソビエト海軍の原子力潜水艦コムソモレツ(K-278)がノルウエー沖で火災を起こし沈没。ノルウェー当局による2019年7月の沈没状況調査では、艦体ダクトハイプの海水から800Bq/Lが検出されたが、その他ではこうした高濃度の漏洩は確認されていない[31]

アメリカ合衆国

  • 1963年4月10日 米パーミット級原潜スレッシャー」、大西洋ニューイングランド沖2,500 mにて沈没した。原子炉緊急停止。1962年6月の衝突事故と海面下の内部波の関与が疑われる。129名が死亡した。後の潜水調査で、残骸からコバルト60が検出されている。

航空機事故

その他の事故

核実験や軍需工場の事故の影響で広範囲に放射能汚染が発生した事例を記述する。

  • 英語版 - ソビエト連邦にて1945年から1948年に掛けて建設されたマヤーク核技術施設は、中・低レベル放射性廃棄物を含む廃液を、施設内にある福島第一原子力発電所よりも面積が小さい英語版へと放流し続けてきた。英語版に因ると、カラチャイ湖は世界で最も放射能汚染が酷い場所であるという。
  • 英語版 - マヤーク核技術施設では高レベル放射性廃棄物を含む廃液はタンクに貯蔵されていたのだが、タンク本体の容量不足により廃液を貯蔵しきれなくなった場合や、化学物質による腐食などの要因でタンクその物に破損の危険性が迫った場合には、緊急措置として隣接するテチャ川へ廃液を放流していた。大規模な放流は1949年-1951年5月に掛けての6500万立方メートル、1951年6月-9月の6200万立方メートル、1951年10月の2120万立方メートルの3回が記録されている。
  • 英語版 - アメリカ合衆国の核施設であるロッキーフラッツ周辺では、1957年のプルトニウム切削屑の発火による施設火災、放射性廃棄物を含む廃液をドラム缶に詰めて大量に野積みしていた「パッド903」におけるドラム缶の腐食破損による廃液の漏出、1969年に再び発生したプルトニウム切削屑に起因する施設火災の3度の事故により、高度の放射能汚染が報告されている。
  • ハンフォード・サイト - アメリカ合衆国の核施設で、1944年から1971年に掛けて原子炉の冷却の為にコロンビア川から大量の水を取水し、炉心の冷却後に最大で6時間程度貯水池に保管した後に再び放流していた。また、プルトニウムの分離行程で空気中に微量の放射性物質が日常的に放出されており、特に1945年から1951年に掛けて最も多く放出された。それ以外にも孤発的な事故により度々大きな放射能漏れが起きていたが、最も悪名高いのは1949年12月2から3日に掛けて実行された英語版と呼ばれる実験によるもので、5500-12000キュリーのヨウ素131が大気中に放出された。
  • ジョンストン島 - 1962年に行われたアメリカ合衆国の核実験、英語版にて、合計4回の核ミサイルの発射失敗事故が発生し、墜落した核ミサイルによって島の広範囲が放射能汚染を受けた。

人工衛星落下

原子力事故を主題としたフィクション作品

※事故が物語上の1エピソードとして扱われる作品も含まれている。

  • プロメテウス・クライシス (The Prometheus Crisis) - 英語版英語版による1975年のアメリカの小説。巨大原子力発電所が事故を起こしロサンゼルスを死の灰が襲う[32]
  • チャイナ・シンドローム - 1979年公開のアメリカ映画
  • チェーン・リアクション - 1980年公開のオーストラリア映画
  • ゴルゴ13 第213話「2万5千年の荒野」 - 日本のシリーズ漫画の、1984年に発表された当エピソードでは、南カリフォルニアで操業を開始した原子力発電所にメルトダウンの危機が迫る。ゴルゴ13は貯まった水蒸気を逃がすために原子炉内のパイプを狙撃する[33]
  • みえない雲 - 1987年発表のドイツのヤングアダルト向け小説。2006年には映画化された
  • 一九九九年地球壊滅 - 1988年発表の桐山靖雄による日本の小説。世界4ヵ国にある5ヵ所の原子力発電所が爆破され、世界中に死の灰が広がる[34]
  • 第五惑星アスカ - 1989年発表の日本のライトノベル
  • 『赤冨士』、『鬼哭』- 1990年公開の日本、アメリカ合作映画 黒澤明監督の夢を基にしたオムニバス映画。『赤富士』では原子力事故で富士山が噴火する様子を、続く『鬼哭』では放射能汚染で人が鬼になって生きる世界を描いている。
  • 罵詈雑言(バリゾーゴン)- 1996年発表の渡辺文樹監督による自主映画。福島県のある原子力発電所で起こった重大トラブルにからんで自殺、殺人事件が起こる。事件を知った主人公が村人から話を聞いて回る間に、村への大規模な原子力発電所の誘致の動きが進む[35]
  • ザ・ホワイトハウス シーズン7第12話「Duck and Cover」 - アメリカのテレビドラマシリーズの、2006年1月に放送(日本では2009年に放送。和題は『メルトダウンの危機』)された当エピソードにおいて、カリフォルニアの原子力発電所で事故が発生する。
  • COPPELION - 2008年から2016年まで連載されていた日本の漫画
  • 臨界幻想2011 - 1981年から82年にかけて『臨界幻想』の題で上演され、『臨界幻想2011』に改作後2012年から再演されている日本の舞台演劇
  • 希望の国 - 2012年公開の日本映画
  • 朝日のあたる家 - 2013年公開の日本映画

脚注

注釈

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  1. ^ 非常用炉心冷却装置とは異なる。
  2. ^ 2001年02月03日にも南カリフォルニアのオノフレ原子力発電所でも電源系統の火災により電源喪失を経験している[26]
  3. ^ 情報源により異なるので、注意されたい。
  4. ^ 2002年ハリソン・フォード主演・総指揮で『K-19』として映画化された。

注釈 原子力施設の停電

出典

  1. ^ 原子力安全規制 原子炉の故障・トラブル等の評価尺度”. 原子力百科事典 ATOMICA. 一般財団法人高度情報科学技術研究機構. 2011年3月28日閲覧。
  2. ^ 村主進 1997 [要ページ番号]
  3. ^ “福島第1原発の建屋が爆発=4人負傷、原子炉容器は無事-避難範囲、半径20キロに”. 時事通信. (2011年3月13日). http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011031200517 2011年3月13日閲覧。 [リンク切れ]
  4. ^ “福島原発事故、JCOレベル=国際評価の暫定値-保安院”. 時事通信. (2011年3月13日). http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011031300014 2011年3月13日閲覧。 [リンク切れ]
  5. ^ “福島原発事故、国際評価尺度(INES) - 保安院”. 日本経済新聞. (2011年3月18日). http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819595E3EAE2E28A8DE3EAE2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2 2011年3月18日閲覧。 
  6. ^ “福島第一原子力発電所の事故「レベル7」に 原子力安全・保安院”. CNN. (2011年4月12日). http://www.cnn.co.jp/world/30002422.html 2011年4月12日閲覧。 [リンク切れ]
  7. ^ よくわかる原子力 東海村JCO 臨界事故”. 原子力教育を考える会 (2008年10月28日). 2011年3月25日閲覧。
  8. ^ 橘内良雄、小林英男. “原子力発電所蒸気発生器伝熱細管破断 1991年2月9日、福井県 美浜町 (PDF)”. 失敗知識データベース-失敗百選. 畑村創造工学研究所. 2011年9月10日閲覧。
  9. ^ 福島第一原子力発電所2号機における原子炉自動停止に関する調査結果について”. プレスリリース. 東京電力 (2010年7月6日). 2011年5月3日閲覧。
  10. ^ a b Cleveland, Cutler J. (2007年8月3日). “Chalk River, Canada”. The Encyclopedia of Earth. 2010年1月1日閲覧。
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  12. ^ The Canadian Nuclear FAQ - Section D: Safety and Liability
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  14. ^ Myers, D.K., Morrison, D.P. and Werner, M.M., "Follow-up of AECL employees involved in the decontamination of NRU in 1958", AECL Report, AECL-7901, 1982 September 1.
  15. ^ "Battle For Pension Ending" by Peggy Curran, the Montreal Gazette , April 16 , 1985
  16. ^ "Nuclear Mishap Seen First Hand" by Michael Farber, the Montreal Gazette , April 29 , 1986
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  18. ^ Richard Black (2011年3月18日). “Fukushima - disaster or distraction?”. BBC. http://www.bbc.co.uk/news/science-environment-12789749 2011年4月7日閲覧。 
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  20. ^ About Us "Our History"”. Institute of Nuclear Power Operations (INPO). 2013年2月15日閲覧。
  21. ^ 原子力発電運転協会 (INPO) (13-01-03-10)”. ATOMICA. 2013年2月15日閲覧。
  22. ^ a b A Saint-Laurent, EDF a renoncé à construire une digue contre les inondations
  23. ^ Le jour où la France a frôlé le pire
  24. ^ 宮坂靖彦「原子力発電所の全交流電源喪失規制はなぜ遅れたか (PDF) 」 『ATOMOΣ 日本原子力学会誌』第54巻第1号、2012年1月、 33頁、2013年12月15日閲覧。
  25. ^ 我が国のシビアアクシデント対策の変遷 原子力規制はどこで間違ったか (PDF)”. p. 6. 2015年12月8日閲覧。
  26. ^ サンオノフレ原子力発電所で火災が発生し、緊急停止”. 失敗知識データベース. 畑村創造工学研究所. 2013年12月15日閲覧。
  27. ^ Le Monde (2008年9月7日). “Les autorites nucleaires se veulent rassurantes face au rejet d'uranium sur le site de Tricastin” (仏語). http://www.lemonde.fr/cgi-bin/ACHATS/acheter.cgi?offre=ARCHIVES&type_item=ART_ARCH_30J&objet_id=1043894&clef=ARC-TRK-D_01 2011年3月25日閲覧。 
  28. ^ OVNI (2008年9月15日). “放射性廃棄物の将来”. http://www.ilyfunet.com/actualites/a-propos/639_apropo.html 2011年3月25日閲覧。 
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  30. ^ 中川八洋 2012 [要ページ番号]
  31. ^ “沈没したロシア原潜から80万倍の放射線 ノルウェー沖”. BBC NEWS JAPAN. (2019年7月12日). https://www.bbc.com/japanese/48959841 2020年11月26日閲覧。 
  32. ^ 青木賢一「原子力発電所は爆発するか - プロメテウス・クライシスを読んで」『同盟』第222号、全日本労働総同盟、1977年1月1日、 pp. 76-81。; 松岡信夫「深刻な「原子力西部劇」 - T. N. スコーシア, F. M. ロビンソン著 井坂清訳「プロメテウス・クライシス」」『潮』第211号、潮出版社、1976年12月1日、 pp. 327-329。; 「プロメテウス・クライシス-1-原発事故で消えたカリフォルニアの町 (Thomas N. Scortia, Frank M. Robinson著 市 雄高訳)〕(原発に高まる疑義〈特集〉)」『朝日ジャーナル』第18巻第19号、1976年5月14日、 pp. 26-31。; “四季”. 日本農業新聞 (日本農業新聞社): p. 総合1面12版. (2015年7月9日). "制御不能な科学技術を暗喩する〈プロメテウス・クライシス〉。" 
  33. ^ 藤本匡弘. “2011年04月の記事”. いわき経営コンサルタント事務所. 2016年7月20日閲覧。
  34. ^ 一九九九年地球壊滅”. 阿含宗公式ブログ (2016年5月7日). 2016年7月20日閲覧。
  35. ^ 罵詈雑言 - Movie Walker、2015年1月21日閲覧。

参考文献

関連資料

関連項目

外部リンク


 

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