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🏛|自民・甘利幹事長「政府の意思決定の中に共産党の意思が」執拗に野党共闘を“口撃”するワケ


写真 200を超える選挙区で、与野党1対1の構図に…(自民党の甘利明幹事長)/(C)日刊ゲンダイ

自民・甘利幹事長「政府の意思決定の中に共産党の意思が」執拗に野党共闘を“口撃”するワケ

 
内容をざっくり書くと
福田赳夫元首相の秘書を務めた中原義正氏もこう言う。
 

「立憲さん、共産党さんが候補を一本化して、限定的といえども閣外協力をする。政府の意思決定の中に共産党… →このまま続きを読む

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福田赳夫元首相

中原義正

中原 義正(なかはら よしまさ、1892年4月3日 - 1944年2月23日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将

経歴

山口県美祢郡美東町太田出身。農業・中原吉蔵の三男として生れる。萩市医師平和主義者、宮原進の叔父にあたる。山口中学校を経て、1913年12月、海軍兵学校41期)を卒業し、翌年12月、海軍少尉任官。1920年12月、海軍水雷学校高等科を卒業し、「第1潜水艦」長兼水雷学校教官、第1潜水戦隊参謀練習艦隊参謀、「第37潜水艦」長心得などを歴任し、1926年11月、海軍大学校(甲種24期)を卒業した。

呂号第六十四潜水艦」長、アメリカ駐在、軍令部第1班第1課参謀、軍令部出仕(第1班)、ジュネーヴ出張、海軍省人事局第1課局員、軍令部第1部員、「名取艦長、開戦時の御前会議に出席をした。連合艦隊参謀、「摩耶」艦長、連合艦隊司令部付、蘭印出張などを経て、1940年11月、海軍少将に進級。

海軍省人事局長を経て、太平洋戦争1942年12月、南東方面艦隊参謀長第11航空艦隊参謀長を歴任し、1943年11月、海軍中将となった。同年12月、南東方面艦隊司令部付となり戦傷を受け、軍令部出仕となる。1944年2月、戦病死した。

人物

南進論者として知られ海軍部内では『南洋王』の異名があった。「中国ではなく、資源が豊富で人口も少ない東南アジアに、武力ではなく、経済的に進出すべし」という主張[1]であった。池田清は中原の南進論は海軍国防政策委員会・第一委員会に影響を与えたと推察している[2]

脚注

  1. ^ 『参謀 (上)』P40
  2. ^ 『海軍と日本』P116

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
  • 児島襄『参謀 (上)』文春文庫、1975年。
  • 池田清『海軍と日本』中公新書、1981年。

 

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