写真 球磨川流域の治水対策の是非を問う住民投票を実施しない考えを述べた蒲島郁夫知事=3日、県議会棟
川辺川ダム住民投票「実施しない」 熊本県知事、地域分断を懸念
内容をざっくり書くと
質問した立憲民主連合の西聖一氏(熊本市1区)は「ダムへの賛否が拮抗[きっこう]する中、住民投票で民意を明らかにするべきではないか」と指摘した。
熊本県の蒲島郁夫知事は3日の県議会一般質問で、球磨川流域の治水対策に関し、川辺川への流水型(穴あき)… →このまま続きを読む
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立憲民主連合
立憲民主連合(アラビア語:التجمع الدستوري الديمقراطي Al-Tajammu` al-Dustūrī al-Dīmuqrāṭī、フランス語:Rassemblement constitutionnel démocratique)は、チュニジアの政党。ベン=アリー、ガンヌーシ、メバザ政権において与党の立場にある。 本項目では、その前身である新憲政党、社会主義憲政党も説明する。
歴史
- 1934年 憲政党(Destour)より分立。新憲政党(Neo Destour)を創設。
- 1956年 チュニジア、立憲王国(チュニジア王国)としてフランスから独立。新憲政党を中心とする民族戦線が圧勝し、ブルギーバが首相に選任。
- 1957年 ブルギーバ、王政を廃し、共和制への移行を宣言。自ら大統領に就任。
- 1964年 名称を「新憲政党」から「社会主義憲政党(Parti socialiste destourien)」に変更。
- 1987年 ブルギーバが退任し、ベン=アリーが大統領に就任。
- 1988年 名称を「社会主義憲政党」より現名称に変更。
- 2011年1月 ジャスミン革命によりベン=アリー政権が崩壊。後継の暫定政権でも主体となったが、国民からの批判をかわすため1月18日に中央委員会を解散、入閣した党員は全員が離党。党としては存続する[1]。
- 2011年2月 暫定政権が活動の全面停止を言い渡した[2]。
- 2011年3月 裁判所から解党を命じられた[3]。
脚注
- ^ “チュニジア暫定政権が初閣議 政治グループを承認”. CNN.co.jp (CNN). (2011年1月21日) 2011年1月21日閲覧。
- ^ チュニジア旧与党が活動停止に、デモで1人死亡
- ^ チュニジア旧与党を解党