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⚽|【J1第11節】川崎FがC大阪から逆転勝利


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【J1第11節】川崎FがC大阪から逆転勝利

 
内容をざっくり書くと
前半、川崎FはC大阪に攻め込まれ、得点を許します。
 

J1リーグ第11節は3月3日 (水)、等々力陸上競技場で川崎フロンターレ vs セレッソ大阪の試合が… →このまま続きを読む

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川崎フロンターレ

川崎フロンターレ(かわさきフロンターレ、Kawasaki Frontale)は、日本神奈川県川崎市をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

概要

1955年富士通サッカー部として創部[1]1997年Jリーグ準会員に承認され、1999年にJリーグへ加盟[1]

ホームスタジアムは中原区等々力陸上競技場[1]、練習場は麻生区川崎フロンターレ麻生グラウンド[1]

チーム名の「フロンターレ (Frontale) 」はイタリア語で「正面の、前飾り」を意味し、常に最前線で挑戦し続けるフロンティアスピリッツ、正面から正々堂々と戦う姿勢を表している[1]

歴史

前史

1955年に創部された「富士通サッカー部」が前身であり[1]1972年日本サッカーリーグへ昇格、1992年からジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ参加[1]1996年に「富士通川崎フットボールクラブ」へ改称し、11月21日に運営会社となる「富士通川崎スポーツマネジメント株式会社」を設立。

1997年にJリーグ準会員となり[1]、名称が公募によって川崎フロンターレと決定された。

1997年 - 1998年 (JFL)

1997年

Jリーグ昇格条件の2位以内を目指すため、小浜誠二が事実上の責任者となる常務に就任。監督を富士通社員の城福浩からプロ契約の斉藤和夫へと交代し[4]、選手では名古屋中西哲生平塚ベッチーニョ横浜F桂秀樹清水向島建横浜M小泉淳嗣等を獲得。

ブラジルのグレミオとの業務提携も発表した[5]。現在のチームカラーが水色と黒なのは、グレミオのチームカラーを模した名残である[6]

最終成績は3位となり、勝ち点1差でJリーグ昇格を逃した。

1998年

ベットが監督に就任。鹿島から鬼木達が加わり、ヴァルディネイツゥットなどのブラジル人FWが活躍した。前年は桐光学園高校からの新入団直後にグレミオにサッカー留学していた佐原秀樹も試合に出場し、社員選手でも川元正英久野智昭がレギュラーでプレーした。準優勝となったが、J1参入決定戦1回戦福岡戦でVゴール負けを喫し、Jリーグ ディビジョン2 (J2) への参入が決まった。

1999年 (J2)

ベット体制2年目。元日本代表の岩本輝雄を獲得して同時に主将に据えた。リーグ戦は開幕3連敗でスタートし、第5節のヴァンフォーレ甲府戦に勝利した後、ベットを監督から解任。Jリーグカップ(ナビスコ杯)1回戦のG大阪[7] を挟み、第6節、4月18日の札幌戦から松本育夫に監督が交代した[8]。久々のクラブチーム監督となった松本に対して反発した岩本はやがてチーム構想から外されたが[9]、岩本に代わって主将に就任した中西の起用やから途中加入したDF森川拓巳などが守備を安定させ、攻撃面ではブラジル人のティンガが活躍した。松本就任後のチームは順調に勝ち点を伸ばし、7月30日・第19節の大宮戦に勝利して首位に立ち、11月5日鳥栖戦(等々力)に勝利し、J1昇格条件のJ2の2位以内が確定。11月8日にJ2優勝も決めた[10]

前年のJ1参入戦に続くこの年の戦いは中西が自身のホームページで日記として書き続け、シーズン終了後に『魂の叫び J2聖戦記』として出版された[11]

この年の開幕戦にチーム初のマスコットとしてふろん太を発表[12]。5月には練習場が東京都稲城市の富士通南多摩工場敷地内の「富士通南多摩グラウンド」[13] から、川崎市麻生区片平にある麻生グラウンド(旧・大東学園高等学校グラウンド)に移転。市内全体での広報活動を強化し、川崎市も市民後援会を発足させた。

2000年 (J1)

松本が監督を退いて社長となり、後任としてヘッドコーチのゼッカが監督に就任。鹿島から奥野僚右鈴木隆行マジーニョ鬼木達(再移籍)などを獲得。パラグアイ代表MFアルバレンガ、元日本代表FW森山泰行等が加入した。

シーズン途中にヘッドコーチの今井敏明が後任の監督に就任。第15節(最終節)のC大阪戦では我那覇和樹の得点と浦田尚希が延長Vゴールを決め、2 - 1で勝利してC大阪の優勝を阻止した[14] 1stステージは16チーム中15位で終えた。シーズン2度目の監督交代で小林寛が就任した。ナビスコ杯決勝では鹿島に敗れて準優勝。リーグはJ2降格が決定した。

シーズン後には、監督小林の他、ゼネラルアドバイザー・杉本、社長・松本、副社長・小浜、奥野僚右、中西などがクラブを退団した。

2001年 - 2004年 (J2)

2001年

堀井美晴を監督、ピッタをコーチに迎え、前年にサンパウロFCから札幌へレンタル移籍していたエメルソンを完全移籍により獲得した。7月14日の第20節・甲府戦に引き分けた時点で8位。堀井を監督から解任し、石崎信弘を新監督に迎えた。新人DFの伊藤宏樹は出場停止の最終節を除く43試合に出場した。

シーズンは7位。第81回天皇杯はベスト4[15]

クラブ体制自体も一新され、富士通サッカー部のマネージャーや日本サッカーリーグの運営委員、富士通本社の部長などを務めてきた[16]武田信平が前年12月から社長に、強化本部長(GM)に元富士通サッカー部監督の福家三男、強化部長に同サッカー部の元選手であるが就任し、福家と庄子が強化責任者となった。運営面では地域社会との関係強化が図られ、運営会社の商号が「株式会社川崎フロンターレ」へ変更され、川崎市や他企業、およびサポーター持株会などからの資本を受け入れた。また、クラブによる従来のファンクラブと、川崎市が組織していた川崎市民後援会が統合された。

2002年

石崎体制2年目。ベンチーニョマルキーニョや途中加入のマーロンアレックスなどのブラジル人選手が攻撃を担った。リーグ戦は4位。第82回天皇杯はベスト8。

新加入の岡山一成は試合後にバックスタンドの前でサポーターからメガホンを借り、ビールケースの上に乗って観客に対する「マイクパフォーマンス」を度々行った。これは「岡山劇場」と呼ばれ、クラブ・チームとファン・サポーターの一体化に大きく貢献し、岡山の退団後もクラブの伝統として他選手や来賓・ゲストなどに引き継がれた[17]

2003年

石崎体制3年目。ブラジルのSEパルメイラスから獲得したFWジュニーニョ我那覇和樹とともに前線で活躍、また鹿島から移籍したDFアウグストも攻守にわたりチームをまとめ上げた。大宮からFWバルデスを獲得したが[18]、シーズン途中に退団した。日本人の新加入選手では、大分からMF山根巌、中央大学からMF中村憲剛などが加わった。

リーグ最多の88得点、リーグ最少の7敗ながらリーグ最多タイの13引き分けと、最終的には2位と勝ち点1差の3位に終わり、J1昇格に失敗した。シーズン終了後にチームから、石崎の契約満了が発表された。第83回天皇杯ではベスト16に進出し、2回戦の国見高校戦(等々力)の後には選手やサポーターによる石崎の胴上げが行われた。

2004年

チームスローガン:「Mind-1 勝点1への執念―こころ1つにJ1へ。

関塚隆が監督に就任。鹿島からDF相馬直樹新潟から2年連続でJ2リーグ得点王のマルクスを補強した。リーグ戦では開幕直後から首位を独走し、9月26日・第36節の水戸戦(笠松)でマルクスの2ゴールにより2 - 1で勝利してJ2の2位以内によるJ1昇格が決まり[19]、続く10月2日・第37節の横浜FC戦(等々力)にも勝利して5年ぶり2度目のJ2優勝が確定。シーズン最終成績も勝ち点105、得点104と、昇格後に設定した「ダブル・トリプル」の目標を達成した。また、ジュニーニョは37得点を挙げてJ2得点王を獲得した。第84回天皇杯ではベスト16に入った。なお、この年のスローガン「Mind-1」は、2011年からの東日本大震災復興支援活動で再び利用されている。

2005年 - (J1)

2005年

チームスローガン:「FRONTALE FORTISSIMO -強く激しく!!-

関塚体制2年目。地域密着に更に力を入れるため、エンブレムからFUJITSUの企業名をはずす。

現有戦力をベースにし、若干名の補強選手を加えて臨んだが、終盤戦ではチーム新記録となる6連勝を記録。また、川崎市出身のDF箕輪義信が日本代表に選出された。鹿島、千葉、柏、東京V、磐田、名古屋から初勝利を挙げ、シーズン成績は8位となり、J1残留を果たした。天皇杯は2年ぶりにベスト8へ進出した。

2006年

チームスローガン:「Challenge the Future

関塚体制3年目。アウグストが退団、相馬・久野が現役を引退。マルコンを獲得。開幕戦の新潟戦で我那覇和樹のハットトリックなどにより6 - 0、第2節の京都戦でもジュニーニョのハットトリックを含む7 - 2で勝利、開幕2試合で13得点のJリーグ新記録を打ち立てて好スタートを切り、2006 FIFAワールドカップ前の中断期間を暫定ながら首位で折り返した。中断期間中にマルクスが東京Vに移籍した一方、MFマギヌンを獲得した。

W杯終了後に日本代表に我那覇、続いて中村憲剛がそれぞれ初招集された。

リーグは2位。ジュニーニョ、我那覇、中村、谷口博之の4選手がリーグ戦で2桁得点を挙げ、チーム合計84得点(リーグ1位)となった。中村と谷口はJベストイレブンに選出。

前年の天皇杯で優勝し、既にAFCチャンピオンズリーグ (ACL) 出場権を得ている浦和がリーグ戦で優勝したため、規定によりAFCチャンピオンズリーグ2007への出場権を獲得した。

2007年

チームスローガン:「One for Goal, Goal for One

関塚体制4年目。シーズン前の練習試合で新加入のフランシスマールが左膝靱帯断裂の重傷を負った。

4月21日に埼玉スタジアム2002で行われた第7節では、浦和のホーム連続不敗のJリーグ記録を25試合で止めた。

4月23日、我那覇和樹が試合後に受けた疲労回復の静脈注射(点滴)がJリーグのドーピング(禁止薬物使用)規定違反と認定され、自粛期間を含めて公式戦6試合の出場停止、チームにも1000万円の罰金が課された。2008年にスポーツ仲裁裁判所で審理される事になったが、仲裁の結果は我那覇にドーピングの事実が認められないとされ、かつ、Jリーグ側に仲裁費用の負担を求める異例の裁定となった。

名古屋から獲得したGK川島永嗣は全34試合フル出場。プロ2年目の鄭大世が12得点し、ジュニーニョは22得点で得点王に輝き、リーグ2位の計66得点を挙げた。5位でシーズンを終了した。

AFCチャンピオンズリーグ2007は、グループリーグF組を1位で通過したが、準々決勝でセパハンにPK戦で敗退した。

また、9月23日のJ1第26節・戦(柏)で、セパハンとの第1戦から先発選手8人を入れ替えて臨んだ。Jリーグ専務理事(当時)の犬飼基昭[20] は「ベストメンバーの出場を求めた自分達への背信行為であってサポーターへの裏切り行為だ」と怒りを顕わにしたが、川崎側は当該試合の前にJリーグ事務局へ予めベストメンバー規定に抵触していない旨を事前確認していた。

ナビスコ杯は決勝でG大阪に敗れて準優勝。天皇杯はベスト4。

AFCアジアカップ2007中村および川島が日本代表に選出。中村は決勝まで5試合連続で先発起用された。また、代表候補合宿には森勇介黒津勝も初招集された。FW鄭大世北朝鮮代表に初選出され、東アジアサッカー選手権2008予選大会で3試合8得点で得点王となり、翌年2月の本大会進出に貢献した。

2008年

チームスローガン:「With 12 (supporters)

関塚体制5年目。MFマギヌンが名古屋へ移籍。東京Vへ期限付き移籍していた吉原慎也フッキらがチームに復帰し、千葉より山岸智を獲得。また、青山学院大学からMF田坂祐介駒澤大学からMF菊地光将早稲田大学からDF横山知伸、下部組織よりトップチームへ昇格のDF吉田勇樹らが加入。

起用法を不満としたフッキが4月2日に退団、東京Vへ完全移籍した。罹患していた持病の不整脈の悪化もあり、関塚が検査入院のため離脱。同月24日に監督を辞任。ヘッドコーチの高畠勉が監督に昇格した。

一方、5月27日には我那覇和樹が、スポーツ仲裁裁判所 (CAS) にJリーグが科した処分(ドーピング禁止規定違反)の取り消しを求めた問題で、スポーツ仲裁裁判所は我那覇の訴えを認める裁定を下した(ただし、Jリーグ側は誤訳を盾に我那覇本人、及び当時のチームドクターへの正式な謝罪は未だ行われていない)。

6月21日には箕輪義信札幌へ期限付きで放出し、7月8日にはサントスFCのMFヴィトール・ジュニオールを期限付移籍で獲得。7月29日にはFW都倉賢草津に期限付きで放出、8月5日にはサントスのFWレナチーニョを期限付き移籍で獲得した。

8月に川崎フロンターレ後援会の会員数が初の2万人を突破。また、この頃から等々力陸上競技場の老朽化及び混雑に対し、競技場の全面改修を求める請願書の提出の一環として、シーズン終盤に10万筆目標の署名活動を行った(最終的に15万4020筆を集め、2月18日に川崎市へ提出)。

リーグは準優勝でシーズンを終え、AFCチャンピオンズリーグ2009の出場権を獲得した。

2009年

2009年シーズン基本フォーメーション
チームスローガン:「ONE STEP

関塚が再び監督に、高畠は再びヘッドコーチに就任した。

我那覇と箕輪がそれぞれ神戸札幌に完全移籍し、原田拓熊本へ、大橋正博Kリーグ江原へ、レンタル移籍だった都倉賢西山貴永が完全移籍。前年に東京Vのレンタル移籍から復帰した吉原慎也が磐田へ再度レンタル移籍した。FC東京にレンタル移籍していた佐原秀樹のレンタル期間が1年延長された。

主な補強はC大阪へ期限付き移籍していた相澤貴志の復帰、新戦力として、特別指定選手として2004年2005年に所属していた清水矢島卓郎を完全移籍で獲得、レンタル移籍だったヴィトール・ジュニオールを完全移籍で獲得。

ナビスコカップは準優勝。この決勝戦後の表彰式において、一部選手が首にかけて頂いた準優勝メダルを外すといった行動[21] をとった事が問題となった[22]。これを受けて、クラブ側は謝罪[21]、準優勝賞金5000万円の自主返還、社長ら役員3人の減俸、森勇介の最低1試合の出場停止などの処分を発表した[23]。Jリーグ側は賞金返還を受け付けず、代わりにホームタウン活動への使用を提案。サッカーボールや図書、少年サッカーチームへのビブスなどの物品の他、残額は全て川崎市への寄付とされた[24]

リーグも準優勝でシーズンを終了。関塚が監督を辞任した。

12月26日に『公益のため多額の私財を寄附した』功に対して、日本政府より褒状を受けた[25]

2010年

チームスローガン:「+α -Plus ALFA-

監督にヘッドコーチの高畠勉が就任。U-18で指導に当たっていたクラブOBの鬼木達がトップチームコーチに就任。

横浜FMから小宮山尊信が完全移籍、スタッド・レンヌから9年ぶりのJリーグ復帰となる稲本潤一を獲得。佐原秀樹FC東京への期限付き移籍から2年ぶりに復帰した。村上和弘が大宮へ移籍。吉原慎也が退団(のちに加入)、山岸智や、養父雄仁久木野聡杉浦恭平などがそれぞれ期限付き移籍した。

2010年のACLは予選敗退。

2010 FIFAワールドカップ日本代表川島永嗣稲本潤一中村憲剛の3人が選出され、川島は日本の全4試合にフル出場し、ベスト16進出に貢献した。また稲本が2試合、中村が1試合出場した。北朝鮮代表には鄭大世が選出された。

W杯終了後の7月、川島がベルギー1部リールセSKへ、鄭がドイツ2部VfLボーフムへ移籍。レナチーニョが高畠の采配に不満を訴え、練習ボイコットからブラジルへ無断帰国し、8月末にポルトガル1部ポルティモネンセへ期限付き移籍した。

川島の穴を相澤貴志が埋めた一方、鄭の穴を埋めるには至らず、5位でシーズンを終了。高畠はシーズン終了後に監督を退任した。

2011年

チームスローガン:「挑 -いどむ-

この年からユニフォームサプライヤーがプーマに変更。 町田元監督の相馬直樹が監督に就任。DF森勇介東京V谷口博之横浜FM植草裕樹がレンタル移籍先の山形木村祐志北九州へそれぞれ移籍した。

横浜FMから山瀬功治田中裕介、東京Vから柴崎晃誠、U-21代表の實藤友紀ら6人の新人選手が加入した。

強化本部長には福家が退任し、庄子が就任した。

7月23日(第6節)の新潟戦から9月11日(第25節)の神戸戦までリーグ8連敗を喫した[26]。9月17日(第26節)の山形戦に勝利して、連敗を止めた[27] 。リーグは11位。

同年3月11日に発生した東日本大震災に対する復興支援活動として、フロンターレは「Mind-1」キャンペーンとしての支援活動を開始し、津波で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市などへの物資提供などを開始し、翌年以降も継続した(地域密着の項目を参照)。

2012年

チームスローガン:「一体感

相馬体制2年目。ジュニーニョが鹿島へ完全移籍したほか、相澤貴志[28]町田に、横山知伸C大阪に、菊地光将大宮に、久木野聡栃木SCに完全移籍、棗佑喜が栃木SCに、薗田淳が町田にレンタル移籍、松本拓也がレンタル移籍期間満了につき湘南に復帰、昨シーズン甲府にレンタル移籍していた養父雄仁熊本へ完全移籍、吉田勇樹が現役を引退し、スクール・普及コーチに就任した。

補強は、湘南から西部洋平、C大阪から小松塁、京都から森下俊を完全移籍で、コリチーバFCからレナトジェシグレミオからレネ・サントスをレンタル移籍で獲得、2年間愛媛にレンタル移籍していた杉浦恭平が復帰した。

4月11日に相馬を解任した。望月達也が監督代行し、同月23日、筑波大監督の風間八宏が監督に就任した。7月1日に風間監督の長男である風間宏希風間宏矢が入団し、Jリーグ史上初めて同時に父が監督、息子が選手として所属した[29]

リーグは8位。

本拠の等々力が大型改築に入った。

2013年

チームスローガン:「Wing -勝利に向かって進み続ける-

風間体制2年目。黒津勝横浜FC山瀬功治が京都、楠神順平がC大阪、小松塁が大分に、昨シーズン途中から古巣の東京Vに期限付き移籍していた柴崎晃誠徳島へそれぞれ完全移籍。同じくシーズン途中から栃木SCへ期限付き移籍していた田中雄大鳥取に、杉浦恭平神戸へ、安藤駿介が湘南へ、森下俊が横浜FCへ期限付き移籍した。

補強では横浜FMから森谷賢太郎、札幌から山本真希G大阪から中澤聡太、神戸から大久保嘉人、東京Vから新井章太を、新外国人としてパトリックを獲得。棗佑喜と薗田淳が期限付き移籍から復帰した。風間の強い要望でトレーニングコーチとして西本直が入閣した(5月に一身上の都合で退団)。

ナビスコカップでは、2010年以来3シーズンぶりに決勝トーナメント進出を果たした。準決勝の浦和戦は2戦合計3-3アウェーゴール数の差で敗退した。

AFCチャンピオンズリーグ2014出場権を獲得した。

天皇杯では高知大学東京V山形に順調に勝ち進み、ベスト8で鳥栖に延長戦の末敗れた。

2014年

2014年シーズン基本フォーメーション
チームスローガン:「OURS

風間体制3年目。伊藤宏樹が現役を引退、風間宏矢大分矢島卓郎が横浜FM、棗佑喜松本風間宏希北九州へ、薗田淳が札幌、鳥取へ期限付き移籍していた田中雄大水戸へ完全移籍、高木駿が千葉へ期限付き移籍、アラン・ピニェイロロブソンが期限付き移籍期間満了、谷尾昂也(鳥取)杉浦恭平(神戸)が期限付き移籍先に完全移籍、昨年横浜FCに期限付き移籍していた森下俊磐田に期限付き移籍した。

補強は、大分から森島康仁、横浜FCから武岡優斗を完全移籍で、栃木からパウリーニョ大宮から金久保順を期限付き移籍で獲得、安藤駿介が期限付き移籍から復帰、昨年途中に特別指定選手として登録された筑波大学のMF谷口彰悟阪南大学のMF可児壮隆が入団した。

2014年のACLではら3回目の決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメントでは前年のファイナリストであるFCソウルと対戦しトータルスコア4-4だったものの、アウェーゴールの差でベスト16。天皇杯は3回戦で愛媛FCに敗れる。ナビスコカップは小林を代表招集で失った準決勝のG大阪に2戦合計4-5で敗れ、準決勝敗退となった。リーグ戦では15節から26節までは僅か2敗だったが、終盤に主将の中村が左足関節骨棘障害で離脱したのも影響しし6位。

2015年

チームスローガン:「ATTRACTIVE

風間体制4年目。田中裕介オーストラリアウエスタン・シドニーへ、稲本潤一が札幌へ、杉山力裕清水へ完全移籍、福森晃斗が札幌へ、可児壮隆湘南へ、森島康仁が磐田へ、中澤聡太C大阪へ期限付き移籍、パウリーニョジェシ金久保順が期限付き移籍期間満了につき退団した。また高木駿森下俊の期限付き移籍期間が延長した。

補強は、仙台から角田誠、大宮から橋本晃司、松本から船山貴之、C大阪から杉本健勇徳島から松井謙弥を完全移籍で、アメリカFCからエウシーニョを期限付き移籍で獲得。ユースから板倉滉三好康児が昇格し、昨年途中に特別指定選手として登録された筑波大学車屋紳太郎、同じく筑波大学の中野嘉大が入団した。 4月25日のJ1リーグ1st7節ヴァンフォーレ甲府戦にてホーム等々力陸上競技場でのJ1リーグ戦通算100勝目を達成。

2000年から社長を務めていた武田信平が会長に就任。後任の社長には藁科義弘が就任した。

6月には、VfLボーフムに所属していた田坂祐介が3年ぶりに復帰した。

9節のFC東京戦では大久保嘉人がJ1の通算得点で横浜FCの三浦知良と並んだ。終盤に3連勝を飾り1stステージは5位で終えた。

7月にはホーム等々力に香川真司擁するブンデスリーガのドルトムントを迎えての親善試合を行ったが、試合は香川の得点を含む6-0で敗戦した。

ナビスコカップでは予選リーグ敗退となった。

2ndステージ開幕戦直後にレナトが中国・広州富力へ移籍した。リーグ戦は2ndステージ7位、年間順位は6位で終えた。また大久保がシーズン23得点を挙げ史上初となる3年連続J1単独得点王に輝いた。

天皇杯では2回戦で中国リーグ所属の松江シティFC[30] に、3回戦でJ2の京都に勝利、4回戦では前年チャンピオンのG大阪に敗戦。

また、等々力陸上競技場のメインスタンド改修工事も完成し、3月のJ1開幕から供用された。これに合わせてチームは新スタンドのグラフィックや断面図をデザインした特別ユニフォームを試合で着用した[31]

2016年

チームスローガン:「CHALLENGE THE FUTURE

風間体制5年目。西部洋平が清水、船山貴之山本真希が千葉、杉本健勇がC大阪、山越享太郎が栃木、實藤友紀福岡松井謙弥が大宮へ完全移籍、湘南に期限付き移籍していた可児壮隆、千葉に期限付き移籍していた安柄俊金沢へ期限付き移籍、角田誠(清水)、中澤聡太(C大阪)、森島康仁森下俊(磐田)はそれぞれ期限付き移籍先へ完全移籍、福森晃斗は札幌への期限付き移籍期間が延長、アルトゥール・マイアが期限付き移籍期間満了により退団した。

補強は、北九州から大塚翔平、千葉から森本貴幸、柏から狩野健太、京都から原川力、札幌から昨シーズンFC東京に期限付き移籍していた奈良竜樹水原三星ブルーウィングスから鄭成龍(チョン・ソンリョン)アヴァイFCからエドゥアルド・ネットを完全移籍で獲得、高木駿が期限付き移籍先から復帰、順天堂大学から長谷川竜也が入団した。大島僚太がクラブで初めて日本人選手が10番を付ける事になった。シーズン中に柏からエドゥアルドを期限付き移籍で獲得した。

1stステージは2位。

2ndステージは小林が開幕節の仙台戦から湘南戦までジュニーニョのクラブ記録を更新する6試合連続ゴールを挙げた。同試合でクラブ史上新記録となる15戦無敗も記録。

年間2位でクラブ史上初のJリーグチャンピオンシップ出場。チャンピオンシップ準決勝で鹿島に0-1で敗れ、総合順位としては年間3位[32]

天皇杯は準決勝では大宮を下して翌2017年シーズンのACL本戦出場権獲得した[33]。2017年1月1日に行われた天皇杯決勝では鹿島に破れ準優勝となった。

10月14日に風間の契約満了に伴う退任、11月7日にコーチを務めていた鬼木達の来季新監督就任が発表された[34]

2017年

2017年シーズン基本フォーメーション
チームスローガン:Paint it Blue

鬼木達が監督に就任。大久保嘉人がFC東京、高木駿大分、金沢へ期限付き移籍していた安柄俊熊本に移籍。原川力が鳥栖、中野嘉大が仙台に期限付き移籍、福森晃斗が期限付き移籍先の札幌へ完全移籍した。

補強は大宮から家長昭博、G大阪から阿部浩之新潟から舞行龍ジェームズを完全移籍で獲得、エドゥアルド・ネットエドゥアルドが完全移籍に移行、ユースから田中碧桐光学園高校からタビナス・ジェファーソン愛知学院大学から知念慶が入団した。

2017年のJ1は最終節大宮戦では5-0の勝利し、リーグ優勝。1999年のJ2発足初年度に所属していたクラブとして史上初のJ1リーグ優勝[35] クラブ創設21年目にして初めての主要タイトル獲得を達成した。リーグ優勝が得失点差で決まったのはJリーグ史上初[36]。年間4敗は2005年にJリーグが1シーズン制になってからはリーグ史上最少タイで、4敗でのリーグ優勝は史上最少。得失点差+39でのリーグ優勝は史上最多タイ[37]。最終節まで1度も首位に立たずに逆転優勝したのは10年ぶり2例目。

個人では、鬼木が優勝監督賞を受賞したほか[38]、23得点を記録し小林が最優秀選手賞と得点王を受賞した[39]。また小林に加え、エウシーニョ、車屋、中村がベストイレブンに[40]、さらにこの4人に加え、谷口、阿部、大島の7選手が優秀選手賞に[41] それぞれ選出された。

3シーズンぶりの出場となったACLは水原三星ブルーウィングス広州恒大淘宝香港東方足球隊と同組。グループステージを首位で通過した。決勝トーナメント準々決勝では浦和とのJリーグクラブ同士の対決も2戦合計で4-5で敗戦。

ルヴァンカップではACL出場に伴って決勝トーナメントからの出場となった。初戦のFC東京には2戦合計7-1と大勝して3年ぶりに準決勝に進出する。準決勝はベガルタ仙台と対戦。第1戦では前半は0-3と大量リードを許したが、後半アディショナルタイムに知念がプロ初ゴールを奪うなど2-3とした。勝利が最低条件となる等々力での第2戦では三好が今シーズン初ゴールを決めたが、後半に奈良が退場し一時は2戦合計4-4となる苦しい展開となるも途中出場の長谷川の追加点で試合を決定づけ、2戦合計5-4とし、前身のヤマザキナビスコカップを含めて8年ぶり4度目の決勝進出を果たした。

決勝戦はセレッソ大阪に敗れ、準優勝。

2018年

チームスローガン:GO Sensational !

鬼木体制2年目。狩野健太大塚翔平が契約満了、井川祐輔香港の東方足球隊、森本貴幸福岡JFL今治へ期限付き移籍していた可児壮隆鳥取へ完全移籍、板倉滉が仙台、三好康児が札幌に期限付き移籍、中野嘉大(仙台)、原川が期限付き移籍先の鳥栖へ完全移籍、ハイネルが期限付き移籍期間満了で退団した。

補強はFC東京から2シーズンぶりに加入する大久保、横浜FMから齋藤学、鹿島[42] から赤﨑秀平山形から鈴木雄斗湘南から下田北斗を完全移籍で獲得。ポープ・ウィリアムが完全移籍に移行し、阪南大学から脇坂泰斗流通経済大学から守田英正が入団した。

初出場したFUJI XEROX SUPER CUPでは、C大阪と対戦。小林、大久保が得点するも2-3で敗れ準優勝。

リーグ戦では、昨年の第20節のFC東京戦から第4節の名古屋戦までクラブ新記録となる19試合連続無敗を記録。2年連続で出場したAFCチャンピオンズリーグ2018では、ヒュンダイ・A・リーグ2位だったメルボルン・ヴィクトリー中国スーパーリーグ2位の上海上港集団韓国FAカップ優勝の蔚山現代と同組であったが、グループステージ敗退。エドゥアルド・ネットが名古屋に、大久保が磐田に移籍した。

ACLに出場していた関係で2年連続で決勝トーナメントからの出場で、YBCルヴァンカップでは鹿島と対戦。カシマスタジアムでの準々決勝1stレグでは開始19分で先制を許すも、その12分後に知念慶がPKを決めて1-1のドロー。しかしホームの等々力が第87回日本学生陸上競技対校選手権大会で使われる為使用出来ず、味の素スタジアムで開催された2ndレグでは、前半に2ゴールを奪われ、後半阿部のゴールで1点を返すも準々決勝敗退。

天皇杯は準々決勝で山形に2-3敗戦。

リーグ戦は、11月3日の第31節柏戦で3年連続ACL出場権獲得を確定させ、連覇に王手をかけると11月10日に行われた第32節のC大阪戦で敗れたものの、広島も仙台に0-1で敗れた為、史上3例目となる最終節を待たずしてのリーグ優勝を達成した。これにより、Jリーグ史上5チーム目、オリジナル10以外では史上初となる連覇を果たした。歴代のリーグ優勝チームの中で、2005年にJリーグが1シーズン制になってからは2015年からの2年間を除いて2位に12の勝ち点差をつけて優勝したのは史上最大である[43]。得点数(57得点)と失点数(27失点と2年連続でクラブ史上最少を更新、Jリーグ当時史上3位[44] )と両項目でリーグトップを記録したのも優勝を決めた日にちが11月10日とこの後に11月16日と20日に日本代表の試合が行われた為、最後の中断期間を挟まずにリーグ優勝を決めたのはいずれもJリーグ史上初である。

2019年

チームスローガン:EVER BLUE

鬼木体制3年目。武岡優斗、田坂祐介、森谷賢太郎、エウシーニョが契約満了、エドゥアルドが松本、仙台に期限付き移籍していた板倉滉がマンチェスター・シティへ完全移籍、札幌に期限付き移籍していた三好が横浜FMに期限付き移籍、ポープ・ウィリアムが大分に期限付き移籍、赤崎秀平が名古屋に期限付き移籍、タビナス・ジェファーソンが岐阜に期限付き移籍した。

補強は藤嶋栄介を山口から、ジェジエウパラナ・クルーベからそれぞれ期限付き移籍、マギーニョヴィラ・ノヴァFCから、元ブラジル代表でロンドン五輪の得点王のレアンドロ・ダミアンSCインテルナシオナルから、馬渡和彰を広島から、山村和也をC大阪からそれぞれ完全移籍で獲得。昌平高校から原田虹輝が入団。

2年連続出場となったFUJI XEROX SUPER CUPでは、天皇杯王者の浦和と対戦。新加入選手のレアンドロ・ダミアンが決勝点を挙げ、FUJI XEROX SUPER CUP初優勝を飾った[45]

ACLではシドニーFC、上海上港、蔚山現代と同組。グループリーグ3位で決勝T進出を逃した[46]

7月19日、チェルシーFCと「明治安田生命Jリーグワールドチャレンジ2019」にて対戦。ダミアンのゴールで1-0で勝利した[47]

天皇杯では、4回戦で神戸に2-3で敗退した。

YBCルヴァンカップでは、決勝戦で札幌と対戦。前半10分に先制されるが、アディショナルタイムに脇坂のコーナーキックから阿部が押し込んでJリーグカップ決勝で初めての得点を挙げて前半を折り返す。後半43分に途中出場の小林が逆転弾を決めたが、後半アディショナルタイムに具聖潤も上がったコーナーキックから深井一希にヘディングで叩き込まれ2-2とされ延長戦に突入。延長前半4分に谷口がチャナティップの突破を止めたシーンで一度はイエローカードを提示されたが、その後のVARの末に決定機阻止としてレッドカードが提示された。その直後のFKで試合前当時は過去3年で6発決めている福森に直接決められ2-3と勝ち越され更に残り時間を10人で戦わなければならない状況を強いられるが、延長後半4分に中村のコーナーキックから山村のシュート性の折り返しを小林が合わせて小林はJリーグカップ決勝で史上8人目、途中出場の選手としては史上初[48] の1試合2ゴールで3-3と再び追いつきPK戦に突入する。PK戦では4番手の車屋が失敗するも新井が絶体絶命の状況下で札幌の5番手・石川直樹のPKを防ぐとサドンデス戦で6番手の進藤亮佑もシュートを防ぎ5度目の決勝にして悲願のJリーグカップ初優勝[49]2019年のJリーグカップ#決勝の欄も参照)。鬼木は国内3大タイトルを3年連続で獲得した日本人監督[50] となった。

リーグ戦では、第5節の松本戦から第20節の大分戦まで15試合連続無敗を記録。6月30日に行われた第17節の磐田戦に3-1で勝利した事で関塚、風間に次いでクラブ史上3人目のJ1監督通算50勝を84試合目というクラブ史上最速[51] で達成したが、シーズン12分け[52] と勝ちきれない試合が多く年間順位は4位。

2020年

チームスローガン:GET NEXT 青き意志とともに。

鬼木体制4年目。新井章太が千葉、奈良竜樹が鹿島、名古屋にレンタル移籍していた赤崎秀平が仙台、阿部浩之が名古屋へそれぞれ完全移籍、長崎にレンタル移籍していたカイオ・セザールがレンタル移籍期間を延長し、ポープ・ウィリアムが岡山に、タビナス・ジェファーソンがG大阪に、鈴木雄斗が松本に、右サイドバックを務めたマギーニョが横浜FC、馬渡和彰が湘南へ、知念慶が大分にそれぞれ期限付き移籍した。またHonda FCから遠野大弥を完全移籍で獲得し福岡へ、宮城天はユースから昇格し富山へそれぞれ出場機会を得る為に期限付きで移籍した。

補強は山口に期限付き移籍していた宮代大聖が復帰。レンタル移籍の身だった藤嶋、馬渡洋樹、ジェジエウをそれぞれ完全移籍に切り替えた[53]。ジオゴ・マテウスをコリチーバから期限付き移籍、丹野研太をC大阪から、山根視来を湘南からそれぞれ完全移籍で獲得。筑波大学から三笘薫順天堂大学から旗手怜央東海学園大学から神谷凱士桐蔭横浜大学からイサカ・ゼインが入団した。

リーグ戦は鳥栖と引き分け開幕戦引き分けが8年連続に伸びたものの、新型コロナウイルスの影響で国内全ての公式戦が中断。8月15日の札幌戦で三笘と小林がそれぞれ2ゴールを挙げJ1で途中出場選手の2人が複数得点を挙げた史上初の記録。また小林がジュニーニョのクラブ最多得点記録を更新した。第11節C大阪戦では10連勝。Vゴール方式の延長戦が廃止されて引き分けの制度が導入された2003年以降では同一シーズンでのJ1新記録を達成した。第22節の広島戦を2-0で勝利しJリーグ史上初となる2度目の10連勝を記録。第25節のFC東京戦に勝利して12連勝を達成。11月18日に開催された第30節の横浜FM戦で3-1で勝利し、クラブ史上初の神奈川ダービー(横浜FM、横浜FC、湘南)6戦全勝。11月25日、G大阪戦で5-0で勝利し2年ぶり3回目のリーグ優勝を成し遂げた。これにより勝ち点は75となり、2003年以降で最多記録を更新、シーズン24勝も2003年以降で最多記録、4試合を残しての優勝はJ1史上最速。前回2018年も2節残してリーグ優勝を決めているので、2回以上リーグ優勝を最終節を待たずして決めたのはJリーグ史上初である。12月16日、浦和に3-1で逆転勝ちし85ゴール目と1999年以降ではシーズン最多得点記録となり、12月19日、柏に3-2と2試合連続にして7月22日の仙台戦に続く0-2からの逆転勝ちでシーズン26勝5分3敗。シーズン3敗は1993年にJリーグが始まってから、シーズン26勝はJリーグが2回戦総当たり制となった1996年以降で何れもタイ記録。得失点差+57で優勝したのは1993年以降、2位に18の勝ち点差をつけて優勝したのはJリーグに勝ち点制が導入された1995年以降いずれもリーグ新記録(優勝チーム以外を含めると得失点差+57は1993年以降で1998年のシーズンで2位だった磐田が記録した+68に次ぐ史上2位の記録)。シーズン88得点は2回戦総当たり制になった1996年以降で、1998年の磐田の107得点に次ぐ2位の記録である。また鬼木は国内3大タイトルを4年連続で獲得した史上初の日本人監督となった[54]

個人では、鬼木が2年ぶりに優勝監督賞、家長、三笘、守田、田中、谷口、ジェジエウ、山根、登里、チョン・ソンリョンがベストイレブンに、さらにこの9人に加え、レアンドロ・ダミアン、小林、脇坂、大島の4選手が優秀選手賞にそれぞれ選出された。なおベストイレブンに9人選出されたのは1クラブ当たりの選出数としては史上最多である。

YBCルヴァンカップは4年ぶりとなるグループステージからの参加となった。グループステージを2勝1分で1位通過。準々決勝で神戸に6-0で勝ち2年連続の準決勝に進出したもののFC東京に0-2で敗れベスト4。

100回目の天皇杯はコロナウイルスの影響による日程変更のため準決勝から参加となり、J3を制した秋田と対戦。前半39分に三笘が、後半36分に田中が自身初の直接フリーキックを決め2-0で勝利。決勝はG大阪と対戦[55] して後半10分にレアンドロ・ダミアンのスルーパスに反応して抜け出した三笘が得点。1-0で制して天皇杯初優勝。Jリーグと天皇杯の2冠を達成した。なおこれによってオリジナル10以外のチームでは史上3チーム目、J2からスタートしたチームとしては史上初の国内3大タイトル(Jリーグ・YBCルヴァンカップ・天皇杯)獲得チームとなった。

2021年

チームスローガン:New Front.

鬼木体制5年目。昨季、ローン移籍していた遠野、知念が復帰。大分から小塚和季、松本から塚川孝輝、名古屋からジョアン・シミッチを完全移籍で獲得した。

2年ぶりの出場となったFUJI XEROX SUPER CUPでは、Jリーグと天皇杯でいずれも準優勝のG大阪と対戦。三笘が昨年の天皇杯準決勝の秋田戦から続く公式戦3試合連続ゴールを挙げ、山根のシュート性の折り返しに合わせ、SUPER CUP史上6人目の1試合2ゴールを挙た。後半追いつかれるものの途中出場だった小林のSUPER CUP3年ぶりとなるゴールで勝ち越し2回目の優勝を飾った。

Jリーグは開幕戦で横浜FMに2-0で勝利。これにより2012年以来9とな等々力での開幕戦勝利[56] 。鬼木はJ1の監督通算85勝目をあげ、前任の風間を抜いてクラブ史上最も勝利を積み重ねた監督となった。またJ1で開幕から3連勝を果たしたのはクラブ史上初である[57]

現所属メンバー

成績

タイトル・表彰

国内タイトル

個人・チーム表彰

最優秀選手(MVP)
ベストイレブン
得点王
  • 2007:ジュニーニョ
  • 2013:大久保嘉人
  • 2014:大久保嘉人
  • 2015:大久保嘉人
  • 2017:小林悠
フェアプレー個人賞
優勝監督賞
Jリーグカップ最優秀選手賞(MVP)
Jリーグカップニューヒーロー賞

その他

ユニフォーム

ユニフォームの色
カラーシャツパンツストッキング
FP(1st)水色×黒[1][1][1]
FP(2nd)[1][1][1]
GK(1st)緑×黒
GK(2nd)
GK(3rd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd

チームカラー

  •   サックスブルー[1]    ブラック[1]    ホワイト[1]

ユニフォームデザイン

  • 2004年から右袖に「KAWASAKI」の文字が書かれたワッペン、選手やスタッフ用には「市の花」であるツツジ刺繍が付けられている。
  • 2011年のユニホーム右脇部には川崎市高津区出身の岡本太郎デザインによる「挑」の文字が付けられていた。
  • 2014年の1stユニフォームは川崎市の市制90周年を記念して川崎市の全7区のシンボルマークをモチーフとした市松模様となっている。また、背番号の下にふろん太のシルエットが隠れている。ただし、ACL仕様の1stユニフォームは2ndユニフォームの色違いである。
  • 2016年の1stユニフォームは「原点回帰」をコンセプトに20周年記念として創立当時のストライプ柄を採用[58]。ただしサプライヤーはペナルティではなくプーマである。
  • 2016年はクラブとしては初となるカップ戦限定デザインユニフォームを採用(1stユニフォームのみ)。2009 - 2010シーズンのデザインの復刻版となっている[58]。こちらもサプライヤーはアシックスではなくプーマである。
  • AFCチャンピオンズリーグについては規定によりスポンサーは1社に限られているため、FUJITSUの胸ロゴのみ[59] 表記され、左袖に大会のロゴ、背番号上には選手名(アルファベット表記)を入れている。

ユニフォームスポンサー

掲出箇所スポンサー名表記掲出年備考
富士通FUJITSU1997年 -2013年 - 2015年の2ndは「ARROWS」表記
2016年 - 2017年は旧ロゴの「arrows」表記
(ACLでは1st、2nd共に「FUJITSU」表記)
鎖骨GA technologiesRENOSY2018年9月 - [60]左側に表記
アンカー・ジャパンAnker
Innovations
JAPAN
2021年 -右側に表記
背中上部SMBC日興証券SMBC日興証券2005年 -2005年 - 2007年途中は商品名の「ピーカブー」表記
2007年途中 - 2011年3月は「日興コーディアル証券」表記
背中下部富士通エフサス富士通エフサス2018年 -1998年 - 2004年は背中上部
1998年 - 2004年は「Fsas」表記
富士通Japan富士通Japan2011年 -2011年 - 2020年9月は「富士通マーケティング」表記
パンツ前面松尾工務店MATSUO2021年4月 - [61]
パンツ背面なし--

ユニフォームサプライの遍歴

歴代ユニフォーム

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度箇所サプライヤー
鎖骨左鎖骨右背中上部背中下部パンツ前面パンツ背面
1997FUJITSU解禁前NIFTY解禁前富士通
ゼネラル
-解禁前PENALTY
1998FsasFUJITSU GENERAL
1999富士通ゼネラルasics
2000FUJITSU / GENERAL
富士通ゼネラル
2001富士通ゼネラル
2002
2003PFU
2004nOEL
2005ピーカブー
2006NOELふくしまの米
2007ピーカブー /
日興コーディアル証券
2008日興コーディアル証券
2009富士通ゼネラル
エアコン
PFU
2010
2011日興コーディアル証券 /
SMBC日興証券
富士通
マーケティング
PUMA
2012SMBC日興証券
2013FUJITSU(1st)
ARROWS(2nd)
2014FUJITSU(Jリーグ仕様1st・ACL用)
ARROWS(Jリーグ仕様2nd)
2015FUJITSU(1st)
ARROWS(2nd)
2016FUJITSU(1st・カップ戦)
arrows(2nd)
@nifty
2017FUJITSU(Jリーグ仕様1st・ACL用)
arrows(Jリーグ仕様2nd)
2018FUJITSU- /
RENOSY
- /
富士通
ビー・エス・シー
富士通エフサス
2019RENOSY富士通
ビー・エス・シー
2020富士通
マーケティング /
富士通Japan
-
2021Anker
Innovation
JAPAN
富士通Japan- /
MATSUO

ユニフォームスポンサーについて

  • この他、1997 - 98年は旧JFL、1999年以降はJリーグのロゴが右袖に付く。
  • 1998年 - 2004年の背中スポンサー、富士通エフサス(Fsas)の会社名は「富士通サポートアンドサービス」。
  • ノエル(NOEL)は、2005年途中にCIの変更によりロゴが変更されたが、2005年シーズンは旧ロゴのままで、2006年シーズンより新ロゴに変更された。
  • 2007年9月30日の金融商品取引法施行に伴い、日興コーディアル証券(当時)はユニフォームでの掲示名を商品名の「ピーカブー」から自社名に変更。マスコットのピーカブーは2014年5月末まで応援マスコットとして主にホームゲームでふろん太と共に活動した。同年6月にキャラの使用権利が日興からクラブへ移籍されため頭の部分を青色にした上で公募で「カブレラ」と改名された。クラブ公式のマスコットとして活動している。
  • 2013年 - 2017年の2ndユニフォーム胸スポンサーのARROWSは富士通のスマートフォンタブレット端末のブランド名。ただし、2014年及び2017年のACL仕様の2ndユニフォームはロゴが赤色のFUJITSUとなっている。
  • ARROWSのロゴは2015年途中に従来の大文字から小文字のarrowsに変更されたが、2015年シーズンは旧ロゴのまま、2016年より変更された。

スポンサー

アカデミー

  • 川崎フロンターレU-18
  • 川崎フロンターレU-15
  • 川崎フロンターレU-13
  • 川崎フロンターレU-12
  • 川崎フロンターレU-10

新聞などによるチーム略称の表記

  • 2000年まで[62] は川崎市に本拠地を置くJリーグチームがヴェルディ川崎(V川崎)を含め2つあったので、区別の意味合いで川崎Fと表示していた。
  • 2001年以後、ヴェルディが東京都にホームタウンを移してからも、Jリーグ公式サイトやJ's GOALDAZNスカパーでの中継では川崎Fと表記されているが、川崎と記載されるケースもある(ウィキペディア日本語版も後者で表記)。なお、スポーツ新聞では日刊スポーツとスポーツニッポンは川崎Fと表記しているが他は川崎表記である。
  • 本拠地等々力陸上競技場アウェーゴール裏2階席上部に2014年まであった電光スコアボード(スタジアム改装に伴い2015年以降は大型ビジョン化)のチーム表記は2010年までは川崎Fと表記されていたが2011年からは川崎と表記されていた。

運営会社

  • 1997年 - 2001年: 富士通川崎スポーツマネージメント株式会社
  • 2002年 - 現在: 株式会社川崎フロンターレ

地域密着

富士通サッカー部1996年にプロ化を推進するにあたり、Jリーグの理念に沿った地域社会との共生を目指すことをテーマに掲げた。地元川崎市の各行政区でのサッカースクール(学校巡回スクール含む)の実施といったサッカーに関わることだけでなく、地域の市民・区民まつりへの参加、市内各商店街等の行事への選手らの派遣(お年始など)、また地元商店街加盟店舗などの協賛によるマン・オブ・ザ・マッチの表彰制度「あんたが大賞」、週末のホームゲームでのサイン会等を積極的に行うように務めた。特に、クリスマスシーズンに行われる入院児への訪問活動「青いサンタクロースは毎年恒例の奉仕活動として定着している。

ホームタウンである川崎市も2004年9月に「川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー」を制定。フロンターレはこの創設メンバーとして認定を受けた。また、川崎市は他の地元企業・団体、またサポーター持株会と共に、運営会社の株式の一部を取得した。現在は富士電機富士通グループ各社のほか、川崎市に本社や事業所を持つ企業・公益法人など36の団体が出資している。2016年からは男子バスケットボールのジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)でとどろきアリーナをホームとする「川崎ブレイブサンダース」とのコラボレーション企画を発表し、ホームゲーム同日開催時のチケット割引サービスなどを実施している[63]

2006年はクラブ創立10周年に当たり、川崎市商店街連合会を通じ、市内の全商店街の街灯にチームの応援タペストリーを配布。2014年には同連合会に加盟する市内全域の11地区の商店街連合会[64] 全てと市連合会の青年部が「あんたが大賞」として、フロンターレの主催試合で最も印象に残る活躍をした同チームの選手 に各地区の名産品などの商品を贈り[65]、持株会の理事長には川崎市商店街連合会の相談役(元会長)である和田義盛が就任している[66]

また広報担当者のインタビュー記事には、後援会員の75%が等々力陸上競技場と富士通本店・川崎工場のある中原区、クラブ事務所のある高津区、そして市が整備しフロンターレが指定管理者となって2006年4月に開業した「フロンタウン・さぎぬま」(フットサル場)のある宮前区の3区在住者で占められる。

川崎競馬場2006年11月2日JBCマイル競走の前座として「祝10周年・フロンターレ特別」が行われた[67]

トップチームの麻生練習場がある麻生区では2009年に「麻生アシストクラブ」が発足した。「しんゆり・芸術のまちづくりフォーラム」内に事務所が置かれ、商店街や各種団体などが構成する同クラブを川崎市役所(麻生区役所)やフロンターレが後援する形を取って、同区内での広報・支援活動を展開する事になった[68]。同クラブでは小田急電鉄の協力も受け、麻生練習場の最寄り駅である小田急多摩線栗平駅のホーム脇陸橋に告知看板を出すなどの活動をしている[69]

スポーツ交流パートナー事業以外の異競技交流では大相撲中川部屋が川崎市にある[70] という縁で、フロンターレのファン感謝デーに中川部屋の力士をゲスト出演として招き、フロンターレの主催試合では中川部屋の所属力士が同部屋のちゃんこを販売する屋台が競技場外の広場に毎回出店されていた。また、毎年1度は同部屋の力士が等々力陸上競技場を訪れ、相撲にちなんだイベントを行う「イッツァスモウワールド」[71] を実施していた。2014年は開催が途切れたが、2015年4月29日のJ1・1stステージ第8節、柏レイソル戦では2年ぶりに開催され、同部屋力士によるアトラクション、特製ちゃんこなどの飲食販売、等々力陸上競技場での枡席の設置、選手入場前の呼出による両チーム名の読み上げなどが行われた。なお、この時の開催は日本相撲協会も後援し、本場所(五月場所)のチケット販売、特製焼き鳥の販売、マスコット「ひよの山」の来場[72]、始球式では振分親方(高見盛精彦)の参加した[73]。2016年10月に春日山部屋が閉鎖されたため2017年は開催が見送られたが、中川部屋としての再興により2018年には再開された[74]。2019年は中川部屋勢に加え、川崎市出身久々の幕内力士となった友風勇太尾車部屋)が参加し、始球式を行った[75]。2020年は新型コロナウイルスの影響により開催されていない。2009年からは毎年1回、両国国技館での本場所でフロンターレが告知してサポーターが集まる中川(春日山)部屋応援ツアーが実施された。2011年も九月場所(秋場所)9日目の9月19日に実施された[76]。春日王は2011年4月に引退したが、同年の「イッツ・ア・スモウワールド」開催日となった5月3日のジュビロ磐田戦では春日王が試合前にグラウンドに登場して引退報告と今までの支援への感謝を述べ、5月28日に行われた春日王の断髪式には武田社長が参加した[77]

プロボクサー新田渉世が川崎市多摩区に開いている川崎新田ボクシングジムとも協力関係にあり、2011年8月16日にとどろきアリーナで行われた同ジム主催の興行ではふろん太が登場し、「日本マスコット級タイトル決定戦(非公認)」として一平くん愛媛FC応援マスコット)と対戦して勝利した後、メインイベントだった黒田雅之の日本ライトフライ級タイトルマッチでのラウンドボーイを務めた[78]

2009年からは地元密着のための事業の一つとして、小学6年生用のオリジナル算数ドリルを作成し市内の小学校に配布している[79]。これはプレミアリーグアーセナルがロンドン市と共同で毎年製作している外国語学習教材にヒントを得たもので[80]、初年度は市内の1校のみに配布されたが、2010年は前年のナビスコ杯準優勝の賞金を原資に市内の全小学校及び特別支援学校に配布先を拡大[81]。2011年からは川崎市からも補助金が出るようになった[82]。このドリルを題材とした小学生と選手の交流授業「算数ドリル・ゲストティーチャー」も行われている他[81]、2011年には東日本大震災で被害を受けた岩手県陸前高田市の小学校にも同ドリルが寄付された[83]

2016年3月現在、Jリーグが実施しているスタジアム観戦者調査において、2010年シーズンから5年連続で地域貢献度1位の評価を得ている。

毎試合、審判・両チーム選手入場前にサポーターが川崎市民の歌『好きです かわさき 愛の街』を歌うことが慣例となっている。

応援番組

後援会

1997年のクラブ発足当初から存在していたファンクラブと、1999年に川崎市が設立した市民後援会が合流し、2001年から現在の川崎フロンターレ後援会の形となった。愛称は「ブルーフレンズ[84]」。後援会長は事実上川崎市長の充て職で、初代は高橋清、その後は長く阿部孝夫が務めた後、2013年11月からは福田紀彦が就任している。毎年7月1日の市制記念日[85] 付近で行われる「市制記念試合」では、後援会長を兼任する市長が試合前に挨拶をするのが恒例となっている。

後援会員には個人・ファミリー・ジュニア(小中学生)[86] の3種別。

2014年は27,051人で、初めて2万5千人を超えた。2018年は4万人を超えた。

年度後援会員数
2005年12,406
2006年12,681
2007年16,686
2008年20,189
2009年21,522
2010年24,004
2011年24,588
2012年23,778
2013年23,187
2014年27,051
年代後援会員数百分比
0-9歳3,48013%
10-19歳4,83518%
20-29歳2,69310%
30-39歳4,82618%
40-49歳6,46424%
50-59歳3,00411%
60歳以上1,6456%
年齢不明1040%
性別後援会員数百分比
男性17,35865%
女性9,14034%
性別不明3731%

地域別では川崎市在住者が18,062人で全体の67%を占める。川崎市外の会員数では横浜市が2,175人で最も多く、次いで中原区に隣接する東京都大田区世田谷区などとなっている[87]

コラボレーション

コラボレーション

パロディー

    • エースをねらえ!4月15日清水戦。Jリーグ加盟以来勝利を挙げていなかった清水を相手に「エス(パルス)をねらえ!」と題して初勝利を目指そうという企画を行った。この時はアニメの「エースをねらえ!」で岡ひろみ役を演じた高坂真琴が「このゲームは絶対に負けられない!! 打倒オレンジ、ついに完結よ!!」といったフレーズの宣伝を行った。
    • 川崎麻世6月30日神戸戦で、川崎市のスポンサードマッチ(7月1日の市制施行記念日に合わせた記念試合)を実施。その試合で川崎麻世が「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」をハーフタイムショーとして熱唱。
    • 朝日放送(現:朝日放送テレビ)パネルクイズアタック258月25日ガンバ大阪戦の試合において、同番組とのコラボレーション「アタック25日」を開催。博多華丸児玉清の物まねで「フロンターレ!! 大事なアタックチャーンス!!」とPRした他、同番組の特徴である回答者のカラーの入れ替わり(ガンバの青からフロンターレの水色)のパフォーマンスをバックスタンドのフロンターレ応戦席で行った。
    • あいのり5月11日のAFCチャンピオンズリーグ・アレマ・マラン(インドネシア)戦で、同大会初出場・初の決勝ラウンド進出決定の時にサポーターがそれをパロディー化した「はつのり」のTシャツを着用し祝福。
    • プロジェクトX〜挑戦者たち〜9月に行われるアウェーでの鹿島9月1日)、9月22日)の試合を、ホームタウンの頭文字が全て「K」(川崎=Kawasaki、鹿島=Kashima、柏=Kashiwa)で始まるということ、更に「決戦の9月」という意味合いも込めて、大応援団を川崎から繰り出そうという**「プロジェクトK(打倒!! 鹿島&柏)」なる試みを行った。なお、2006年のホーム鹿島戦ではスキージャンプ競技の極限点になぞらえた「K点越え」キャンペーンを実行した。

スポンサーのとんかつ和幸協賛の下、パロディー弁当が発売された。

  • 清水戦/「カツのよ!!フロンターレ弁当」(オレンジデザート入りのとんかつ弁当)
  • 神戸戦/「マヨわずカツ弁当」(とんかつにタルタルマヨネーズソースが添付されている)
  • G大阪戦/「アカッツ!! チャンス!!弁当」(当日発売されたカツ弁当の半数に幸運をもたらすといわれる「ラッキーメンチカツ」が挿入されている)

※このパロディー弁当が発売されると必ずチームは勝利を挙げている(2008年8月25日現在)。

なお、上記の川崎市制記念試合では川崎市により市民が招待されているが、2004年(市制施行70周年)から2006年までは当時川崎市内在住だった西城秀樹が毎年招聘され、ハーフタイムショーに出演していた。2008年から西城が再び出演するようになった。西城は死去する前年の2017年まで出演し、以降もハーフタイムショーでゲストがヤングマンのショーを行っている。

アウェイゲーム観戦ツアー

  • 2007年10月28日のFC東京ホームゲームの多摩川クラシコで、多摩川の「丸子の渡し」を約70年ぶりに復活させて船で東京へ乗り込むアウェイツアーを実施[96]
  • 2009年4月12日の対清水エスパルス戦は、「何もしない」プロモーションを実施した。これはJ参入以降清水にアウェーで勝利したことがなく、それを打破するために2006年から3年続けて大々的なアウェーツアーをしたものの勝利できないことから、あえて「何もしない」こととした。なお、当日の試合は敗れ、清水戦アウェー未勝利は2011年まで続いた[97]
  • 2009年5月24日のアウェイの多摩川クラシコで、試合前日の23日の夜に横浜から伊豆大島フェリーで行き、試合当日の24日に大島空港から飛行機で味の素スタジアムの隣にある調布飛行場へ行くという「多摩川クラシコエアーツアー」を実施[98]
  • 2009年7月11日のアルビレックス新潟ホームゲームのアウェイツアーではそれまで新潟に10連敗していたため、「新潟戦11連敗阻止キャンペーン『11回目のプロポーズ』」と題し、全員そろいの川崎のチームカラーパジャマを着て貸切列車で移動するというツアーを実施。帰りの貸切夜行列車では、新潟まで来たふろん太らが見送っていた[99]
  • 2009年10月7日の鹿島アントラーズとの16分間の再試合では、1,000円のバスツアーを実施。平日の再試合にも関わらずバス25台の規模となった。[100]

決算

損益

年度収入広告料入場料配分その他費用事業費人件費管理費利益純利益
20062,7801,6303913683912,7652,3191,535446152
20073,1051,6835243855133,0962,6001,639496924
20083,3201,8574843546253,2502,7211,743529709
20093,6041,8296263937563,5433,0291,951514616
20103,5401,8566032987833,4932,8311,743662477

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 200520062007200820092010

金額の単位: 百万円

人件費は事業費に含まれる。

年度収益広告料入場料配分育成その他費用人件費試合トップ育成女子販売利益純利益
20113,2751,7385542131576133,2121,5871652399501,1266342
20123,0731,3735582141587703,0051,4281792357301,0906833
20133,2141,7025402181645903,1701,5571742627501,1024421
20143,3591,7945712281715953,2881,5461852697401,2147144
20154,0771,5697771971791,3553,9771,6851904305001,62210061

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 20112012201320142015

金額の単位: 百万円

年度収益広告料入場料配分育成物販その他費用人件費試合トップ育成女子物販販売利益純利益
20164,2541,8099072221684766723,9231,6431952794403781,384331217
20175,1231,8541,0384951835639904,7302,3392292986004201,384394261

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016

金額の単位: 百万円

資産

年度総資産総負債純資産資本金
2005786296489349
2006996504491349
20071,104588515349
20081,075549525349
20091,097566531349
20101,039501538349
2011962381581349
2012988374614349
20131,241607635349
20141,195516679349
20152,2781,539739349
20161,9581,001957349

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 200520062007200820092010201120122013201420152016

金額の単位: 百万円

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab クラブガイド:川崎フロンターレ”. 日本プロサッカーリーグ. 2014年7月23日閲覧。
  2. ^ 住居表示旧新対照表 末長3・4丁目 (PDF) 平成26年度の住居表示実施地区、川崎市ホームページ 2014年10月19日閲覧
  3. ^ a b c d e f 2019年度(平成31年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2020年10月15日閲覧。
  4. ^ 城福は監督続投を希望したが容れられず、社業専念となった。1998年、FC東京設立準備室に招かれた城福は富士通を退社してプロ指導者へ転身、2008年-2010年途中にはFC東京のトップチーム監督に就任してフロンターレと「多摩川クラシコ」で対戦した。
  5. ^ 川崎フロンターレ、「グレミオ」と姉妹クラブ関係を締結”. pr.fujitsu.com. 富士通. 2020年5月5日閲覧。
  6. ^ 意外!デザインのルーツが「他のチームだった」ユニフォーム5着”. Qoly. 2020年5月5日閲覧。
  7. ^ 2試合で1勝1敗、合計得点数の差で敗退した。
  8. ^ 2000年3月に出版された松本の著書『尽くしてみないか、全力を-サッカーがくれた熱血意識革命』の中で、この監督就任はメキシコシティオリンピックでのチームメイト(主将)だった元富士通監督の八重樫茂生からの要請だった事を明かしている。
  9. ^ 岩本はこのシーズン限りで退団し、その後もフロンターレへのわだかまりを口にしていたが、2006年に岩本がNHK衛星放送の『東海道五十三次完全踏破 街道てくてく旅』で旧東海道の約500kmを徒歩で歩いた際には、川崎宿(川崎市川崎区)通過時にフロンターレスタッフ・ふろん太・サポーター有志が応援のため集まった。
  10. ^ 2位のFC東京が大宮に敗れたため。
  11. ^ サッカーライターの金子達仁戸塚啓との共著。
  12. ^ ふろん太の公式プロフィールでは、生年月日をこの開幕戦が行われた1999年3月14日としている。出典:フロンターレ公式サイト、選手・スタッフプロフィール内「マスコット ふろん太」
  13. ^ 2005年に同工場が閉鎖された後は稲城市に移管され、「稲城市営南多摩スポーツ広場」に改称された。
  14. ^ 1stステージの優勝は横浜M。この試合は「長居の悲劇」と呼ばれるようになった。
  15. ^ これは「リストラ選手の活躍」(参照:ノート)として話題となり、2006年に出版された『クラブ創設10周年メモリアルブック』(兼2006年イヤーブック)でもこの表現で紹介された。
  16. ^ 川崎市立大師小学校でのPTA講演会の「後援者紹介」、2003年作成、2013年9月29日閲覧。
  17. ^ 岡山自身もこのパフォーマンスで注目され、その後も移籍先のチームで「岡山劇場」を続けて、サポーターから根強い人気を得るようになった。
  18. ^ バルデスは札幌時代の1997年にフロンターレとの2試合ともにVゴールを決め、札幌のJFL優勝に貢献していた。
  19. ^ Jリーグ理事会での決定が必要なため、この表現を用いた。
  20. ^ ACLプロジェクトチームを主宰。イランからの帰国時にUAEのドバイまでのチャーター便費用を補助していた。
  21. ^ a b 弊クラブ所属選手の行為について (お詫び)、川崎フロンターレ公式サイト、2009年11月4日
  22. ^ 鬼武チェアマン川崎Fに激怒、nikkansports.com、2009年11月4日
  23. ^ 弊クラブ所属選手の行為について (対応・処分)、川崎フロンターレリリース、2009年11月5日
  24. ^ 天野春果「僕がバナナを売って算数ドリルを作るワケ」37頁(2011年・小学館)
  25. ^ 官報2010年(平成22年)1月8日付 第10頁 褒賞に告知されている。
  26. ^ 【J1:第25節 川崎F vs 神戸】”. J's Goal (2011年9月12日). 2012年12月4日閲覧。
  27. ^ 【J1:第26節 山形 vs 川崎F】”. J's Goal (2011年9月18日). 2012年12月4日閲覧。
  28. ^ 2000年-2007年、2009年-2011年まで在籍(2008年はセレッソ大阪にレンタル移籍。)
  29. ^ ゲキサカ記事、「J初の親子鷹誕生!!川崎Fが風間兄弟の加入を正式発表」、2012年7月1日付、2017年4月23日閲覧。
  30. ^ 松江には谷尾昂也が所属していて、この試合にフル出場し、川崎所属時には実現しなかった等々力での公式戦出場を果たした。出典:ゲキサカ「念願の等々力でプレーした松江シティFC FW谷尾「こんな形でできるとは」」、2015年9月6日付、2017年4月23日閲覧。
  31. ^ 川崎フロンターレ、「「新メインスタンド完成記念ユニフォーム」着用と販売のお知らせ」、2015年6月22日付、2017年4月23日閲覧。
  32. ^ 年間勝ち点では3位だった鹿島がチャンピオンシップで優勝し、川崎の順位が繰り下がった。
  33. ^ 決勝で対戦する鹿島は既にJ1優勝による本戦出場権を得ていたため、仮に決勝で敗れても天皇杯優勝チームに与えられる本戦出場権が繰り上げで与えられる事になっていた。
  34. ^ 11月上旬には大久保のFC東京移籍が公然となり、本人も来季からの移籍を認めていた。なお、公式発表は天皇杯決勝終了後の2017年1月になった。出典:スポニチアネックス、大西純一「なぜ川崎F大久保のFC東京移籍がこんなに早く決まったのか」、2016年11月23日付、2017年4月23日閲覧。
  35. ^ “[http://number.bunshun.jp/articles/-/829422?page=4 川崎優勝を象徴する最後の5点目。 「甘い」と言われても貫いた攻撃姿勢。]”. Number Web (2017年12月4日). 2017年12月6日閲覧。
  36. ^ 川崎逆転Vは史上初の得失点差決着!2チームならんだ勝ち点72”. SANSPO.COM (2017年12月3日). 2017年12月6日閲覧。
  37. ^ 2ステージ制時代にあたる2015年、2016年、2004年以前を含めても1994年のV川崎(+44)、2015年の広島(+43)、2002年の磐田(+42)、1993年のV川崎(+41)に次いで5番目に多い差である。
  38. ^ 川崎F鬼木監督が優勝監督賞を受賞「うれしく思う」”. 日刊スポーツ (2017年12月5日). 2017年12月6日閲覧。
  39. ^ 【Jアウォーズ】川崎の小林悠がMVP!! 得点王とダブル受賞は史上6人目の快挙”. サッカーダイジェストWeb (2017年12月5日). 2017年12月6日閲覧。
  40. ^ 小林悠ら川崎Fから最多4人/ベストイレブン一覧”. 日刊スポーツ (2017年12月6日). 2017年12月6日閲覧。
  41. ^ JリーグがJ1優秀選手賞33名を発表! 鹿島から最多8名選出”. サッカーキング (2017年12月3日). 2017年12月6日閲覧。
  42. ^ 昨シーズンはG大阪へ期限付き移籍
  43. ^ 2ステージ制時代にあたる2015年、2016年、2004年以前を含めてもJリーグに勝ち点制が導入された1995年以降では2位・横浜FMに16の勝ち点差をつけて優勝した2002年の磐田に次いで2番目である。
  44. ^ 2008年の大分が24失点、2011年の仙台と2019年のC大阪がいずれも25失点である。
  45. ^ 因みに2019年のFUJI XEROX SUPER CUPの入場者数は52587人と21世紀に入ってからは最多、1995年のV川崎平塚(今の湘南)戦に記録した53,167人に次ぐ記録である。
  46. ^ J王者・川崎FのみACL敗退…鹿島が通過なら日本勢3チームラウンド16入り”. GOAL (2019年5月21日). 2019年5月22日閲覧。
  47. ^ 7/19「明治安田生命Jリーグワールドチャレンジ2019」試合結果”. 公式サイト (2019年7月19日). 2019年7月19日閲覧。
  48. ^ 決勝が唯一ホームアンドアウエー制度だった1997年のマジーニョ、1998年の川口信男、2003年のエメルソン、2010年の前田遼一、2012年の柴崎岳、2014年の佐藤寿人パトリックでいずれも決勝は先発出場している。
  49. ^ 因みにJリーグカップ決勝の歴史上PK戦はこの試合も含めて7例あり、いずれも先に失敗したチームは全て準優勝となっている為、先に失敗したチームが逆転で制して優勝したのはJリーグカップ史上初である。
  50. ^ 因みに外国人監督も合わせると、日本人ではG大阪時代の西野(2007年から2009年)、ブラジル人ではいずれも鹿島時代のトニーニョ・セレーゾ(2000年から2002年)とオズワルド・オリヴェイラ(2007年から2011年の在任期間全て)、第1次柏時代のネルシーニョ(2011年から2013年)に続いて5人目である。
  51. ^ 因みに関塚は103試合目で、風間は106試合目で監督通算50勝を達成している。
  52. ^ 2005年にJ1再昇格を果たしてからどころかJ2にいた頃を含めてもJ2優勝を果たした1999年は3分け、2002年は4分け、2003年は5分け、2度目のJ2優勝を果たした2004年に至ってはホームで引き分けがなかったので、ホーム・等々力での9分けはJリーグ加盟後クラブ史上最多である。
  53. ^ その後、馬渡洋樹は3月21日に岡山に完全移籍した。
  54. ^ 全ての監督を含めても鹿島時代の在任期間(2007年から2011年)全てで獲得したオリヴェイラ以来2人目である。
  55. ^ Jリーグの上位2チームが天皇杯決勝を戦うのは2013年の横浜FM対広島以来2例目である。
  56. ^ 2013年から直近8シーズンのホーム開幕戦は全て引き分けている。
  57. ^ 開幕3連勝となるとJ2時代も含めるとJ2最後のシーズンとなった2004年以来であるが、3月10日の徳島戦も2-0で勝ったので開幕4連勝はクラブ史上初である。
  58. ^ a b お知らせ:KAWASAKI FRONTALE:2016シーズン 「1st/2nd/GK/カップ戦ユニフォーム」先行販売のお知らせ 2016年1月17日
  59. ^ ただし、Jリーグとは違いFUJITSUの公式ロゴではなく角ゴシック体表記。これは胸ロゴの規格がJリーグより小さいという都合によるものと思われる(特に「JI」の上に「∞」があるため、ACLの規格に合わせるとロゴが小さくなり過ぎる)。ちなみに2013年出場時の仙台は、アイリスオーヤマの胸ロゴデザイン小変更(IRIS OHYAMAの文字列を2段に)で対応した。
  60. ^ “株式会社GA technologiesとのユニフォームスポンサー契約締結のお知らせ” (プレスリリース), 公式サイト, (2018年9月14日), http://www.frontale.co.jp/info/2018/0914_3.html 2018年9月18日閲覧。 
  61. ^ “株式会社松尾工務店とのトップパートナー契約締結のお知らせ” (プレスリリース), 公式サイト, (2021年2月26日), https://www.frontale.co.jp/info/2021/0226_1.html 2021年2月26日閲覧。 
  62. ^ 1998年まではJリーグ準会員としてJFLとナビスコ杯に参加
  63. ^ 川崎フロンターレ、「かわさきスポーツパートナーpresents 10/22「川崎ブレイブサンダース×川崎フロンターレ」コラボ企画実施のお知らせ」、2016年10月17日付、2017年4月23日閲覧。
  64. ^ 川崎区は4団体、幸区は2団体、他の5区は1団体が加盟。
  65. ^ 川崎市商店街連合会公式サイト、「川崎市商店街連合会は、川崎フロンターレを応援しています!
  66. ^ 川崎フロンターレ持株会オフィシャルサイト、「概要」、2015年5月11日閲覧。
  67. ^ 地方競馬全国協会ニュースリリース川崎競馬場ニュースリリース
  68. ^ 川崎市麻生区で川崎麻生アシストクラブが発足 k-press 2009年8月23日付
  69. ^ 新ランドマーク誕生! 川崎公式サイト内「フロンターレ日記」2010年5月19日
  70. ^ 同部屋の前身である春日山部屋の師匠(20代)、春日山由晃(故人、現役時代の四股名は春日富士晃大)は川崎市で育ち、同市立桜本中学校卒業後に角界入りしていた。なお、春日山部屋は2012年に21代(現役時代の四股名は濱錦竜郎熊本市出身)に引き継がれ、その後20代と21代の間には民事訴訟も起こり、最終的に部屋も一時閉鎖となったが、2017年に15代中川(現役時代の四股名は旭里憲治大阪府池田市出身)により中川部屋として再興されて以降も所在地は川崎市のまま変わらず(2017年に川崎区から幸区に移転)、フロンターレとの協力関係も維持されている。
  71. ^ 東京ディズニーランドなどのディズニーパークにあるイッツ・ア・スモールワールドをもじった名称。
  72. ^ 焼き鳥やひよの山が両国国技館以外で披露されるのは稀だとされている。
  73. ^ フロンターレ日記、2015年5月9日付、「柏戦 イッツァ スモウワールド報告!
  74. ^ 川崎フロンターレと相撲部屋がコラボ 「イッツァ スモウワールド」 川崎経済新聞、2018年3月26日
  75. ^ フロンターレ日記、2019年5月12日付、「令和初陣川崎勝利!
  76. ^ JTBアウェイツアー「春日山部屋応援ツアー2011」参加者募集のお知らせ
  77. ^ [1] フロンターレ日記2011年6月7日
  78. ^ [2] フロンターレ日記2011年8月16日
  79. ^ 「フロンターレ算数ドリル」完成のお知らせ J's GOAL、2009年4月8日
  80. ^ 「川崎フロンターレ算数ドリル」完成 Jリーグ公式サイト・2009年4月28日
  81. ^ a b 川崎F:2010算数ドリル・ゲストティーチャー(稲本潤一選手、伊藤宏樹選手)レポート J's GOAL、2010年10月7日
  82. ^ 2011年度「川崎フロンターレ算数ドリル(上巻)」完成のお知らせ 川崎フロンターレ・2011年4月11日
  83. ^ 「川崎フロンターレ算数ドリル」の寄付について 川崎フロンターレ・2011年4月19日
  84. ^ この愛称を用いて、かわさきFMで放送されるホームゲームの実況放送の名前は「BLUE FRIENDS STADIUM○○○○」(○○○○部分には西暦年が入る)ともされている。
  85. ^ 1924年7月1日、川崎市が現在の川崎区の範囲で市制を施行。後の中原区となる中原町が川崎市に編入されたのは1933年8月1日。
  86. ^ 2014年度では、個人会員が10,347人、ファミリー会員が12,450人、ジュニア会員が4,254人。
  87. ^ 東京特別区を一つの市と考えると、会員数ベスト10の地域として挙げられている品川区目黒区杉並区との5区合計で横浜市を上回る。
  88. ^ 特別コラボアニメ「天体戦士サンレッド」×「川崎フロンターレ」製作について - 川崎フロンターレ公式サイト(更新日: 2008年12月18日)]
  89. ^ スタジオからの中継
  90. ^ ローソン/川崎フロンターレとのコラボ店舗オープン - 流通ニュース(更新日: 2011年8月2日)
  91. ^ 川崎フロンターレ名物部長が企てた、漫画『テルマエ・ロマエ』と川崎市『銭湯』とのコラボ。『一緒におフロんたーれ - Number Web(更新日: 2012年2月17日)
  92. ^ 川崎とF・ニッポンのありえないコラボ 等々力のトラックを疾走したフォーミュラカー - スポーツナビ(更新日: 2012年7月13日)
  93. ^ 川崎フロンターレ「JR武蔵中原駅「発車メロディ」について」 - 川崎フロンターレ公式サイト(更新日: 2013年1月20日)
  94. ^ JR南武線武蔵小杉駅「フロンターレ応援ソング発車メロディ」開始のお知らせ - 川崎フロンターレ公式サイト(更新日: 2014年2月17日)
  95. ^ サポから天体望遠鏡を贈られた大久保「星からパワーをもらって4年連続得点王!」 | サッカーキング 2016年1月17日
  96. ^ オフィシャルニュース|多摩川クラシコ「アウェイ舟ツアー」参加者募集のお知らせ J's GOAL
  97. ^ お知らせ:KAWASAKI FRONTALE:4/12 清水「何もしない」プロモーション実施のお知らせ:
  98. ^ 【無事に味スタヘ到着!】多摩川クラシコ:川崎F「エアーツアー」レポート (2009年5月24日) J's GOAL
  99. ^ 川崎フロンターレ新潟戦アウェイツアー「11回目のプロポーズ」写真レポート J's GOAL、2009年7月12日
  100. ^ 「16分間」観戦ツアーにサポ殺到 豪雨中断の鹿島-川崎戦2009年9月29日

関連項目

外部リンク

セレッソ大阪

セレッソ大阪セレッソおおさか西: Cerezo Osaka)は、日本大阪府大阪市堺市をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。セレッソは、スペイン語で桜の意味を指す語。

概要

1957年創部のヤンマーディーゼルサッカー部が前身となり[1]、1995年にJリーグへ加盟した[1]。ホームスタジアムはヤンマースタジアム長居およびヨドコウ桜スタジアム[1] である。チーム名の「セレッソ(Cerezo)」はスペイン語で「桜」という意味[1]。桜は大阪の「市花」であり、大阪市全体を、そして日本を代表するチームになるよう願いが込められている[1]。ホームタウンは加盟当初より2013年までは大阪市だけであったが、2014年に堺市が追加された[4]

マスコットの「ノブレ・バリエンテ・アッチェ・ロビート・デ・セレッソ」(愛称ロビー。"高貴で勇敢な、由緒あるセレッソ家のオオカミの息子"という意味がある)。2008年より、ロビーの母親として「エレガンテ・エスプレンディーダ・マダマ・ロビーナ・デ・セレッソ」(愛称マダム・ロビーナ、「優雅で華麗な、由緒あるセレッソ家の“オオカミの令夫人”」という意味)が加わった。なお、ガンバ大阪などと区別するため、「セ大阪」、「C大阪」(CはCerezoの頭文字)などと略記される。

歴史

前身

前身は1957年創部のヤンマーディーゼルサッカー部[1]日本サッカーリーグ(JSL)で4回、JSLカップで2回、天皇杯で3回それぞれ優勝した。

1993年 - 1994年(JFL)

1995年 - 2001年(J1)

  • 1995年 - Jリーグに加盟[1]
  • 1996年 - 成績不振によりエミリオが監督を辞任。後任にコーチだった楚輪博が監督に昇格。
    • 7月3日 - ナビスコカップの福岡戦で8得点。チーム最多得点記録
    • 7月27日 - 大阪長居スタジアム(長居)が改修終了。それに伴いC大阪のホームスタジアムも長居第2陸上競技場から長居へ変更。こけら落しとしてブラジルのボタフォゴFRと親善試合を行った(1-3で敗戦)。
    • 5月11日から10月2日 - リーグ戦で5か月間10試合に及ぶ連敗を記録。チーム連敗最長記録
  • 1997年 - 監督にクルゼイロEC元監督のレヴィル・クルピが就任。カプコンが出資から撤退。
  • 1998年 - 松木安太郎が監督に就任。リーグ戦では34試合中13試合で3失点以上を喫した。韓国代表の黄善洪が入団。
    • 4月15日 - 長居での磐田戦で 1-9 の敗戦。Jリーグ最多失点・得点記録
    • 8月8日 - 長居での柏戦で 5-7 の敗戦。試合当りのJリーグ最多得点記録
  • 1999年 - レネ・デザイェレが監督に就任。
  • 2000年 - 副島が監督に就任。韓国代表の尹晶煥が入団。
  • 2001年 - 1stステージは16チーム中14位。
    • 7月27日 - 強化担当だった大西忠生が成績不振を理由に副社長を辞任。
    • 8月20日 - 副島が成績不振を理由に監督を辞任(事実上の解任)。後任はジョアン・カルロスが就任。
    • 11月3日 - FC東京戦に敗れ、J2降格が決定。カルロスが監督を辞任。後任にはコーチだった西村昭宏が監督に昇格。
    • 天皇杯は決勝へ進出したが、清水に延長の末2-3で敗れた。なお、J2降格決定から天皇杯の決勝まで7連勝であった。

2002年(J2)

  • 2002年 - 2002 FIFAワールドカップの代表選手として森島寛晃・西澤明訓・尹晶煥らが選出された。
    • 11月16日 - 第43節の新潟戦に3-0と勝利して、J1復帰が決定。最終順位は2位。

2003年 - 2006年(J1)

  • 2003年 - 1stステージは5位。2ndステージに入ると白星が遠く、2001年にJ2降格が決まってから指揮を執っていた西村がシーズン途中で解任。シーズンの残りはヘッドコーチだった塚田雄二が監督を務め、天皇杯は3度目の決勝進出を果たすが、磐田に敗れ、準優勝。
  • 2004年 - 監督就任が決定していたナドベザ・ペーターが狭心症の発作のため来日不可能となり、練習開始前日に直前にナドベザとは旧知の仲だったフアド・ムズロビッチが急遽監督に就任したが、準備不足やクラブとの方針の違いもあり、公式戦3試合(リーグ戦2試合・カップ戦1試合)のみで解任される。後任にはヘッドコーチだったアルベルト・ポボルが昇格したが守備が崩壊。1stステージ最終節で最下位争いをしていたにホームで惨敗し、最下位でステージを終えたことが決定打となりアルベルトも解任となった。2ndステージからは前年まで大分の監督だった小林伸二が指揮を執り、西村から数えて1年足らずで5人が監督を務める異例の事態となった。2ndステージも低迷し、13節終了時点で残り2試合に1敗でもすれば年間最下位とJ1・J2入れ替え戦行きが決定するところまで追い込まれたが、14節・最終節と連勝し、最終節で柏を逆転して年間15位に浮上、J1残留が決定した。2ndステージは12位。シーズン終了後、大久保がスペインのマヨルカにレンタル移籍。
  • 2005年 - 小林が監督続投。GKにG大阪から吉田宗弘を完全移籍で獲得、DFには2003年夏季ユニバーシアード優勝メンバーの江添建次郎を7クラブに及ぶ争奪戦の末に獲得に成功、テスト生出身の前田和哉も入団した。京都からFW黒部光昭、東京VからMF廣山望をいずれもレンタル移籍で獲得。外国人選手も数年続いた東欧路線から一変して、ブルーノ・クアドロスファビーニョゼ・カルロスを獲得。
    • 当初9位を目標に掲げ、開幕は3連敗と出遅れたが、新加入の吉田、ブルーノ・クアドロス、江添が開幕からスタメンに定着、江添が第3節の大宮戦で右ひざじん帯断裂の重傷を負ったが、その穴を前田が埋め、ボランチのファビーニョや下村東美とともに守備の建て直しに成功、森島寛晃・西澤明訓・古橋達弥・黒部光昭といった当時のJ1屈指の攻撃陣と攻守の歯車がかみ合いだし、第4節の名古屋戦で初勝利を挙げると第11節の清水戦まで8試合負けなし、前半戦を6勝5分6敗で折り返した。後半戦はG大阪や鹿島、浦和などの上位チームがもたつく間に順位を上げ、第33節でG大阪を抜いて首位に立った。
    • 勝てば優勝決定、敗戦・ドローで自力優勝が消えるという状況で迎えた最終節・FC東京戦で1点リードしていたが、アディショナルタイムで同点に追いつかれ優勝は成らなかった。翌朝の朝日新聞には「長居の悲劇」との見出しが掲載された。最終順位は5位だったが、後半戦(第18節~最終節)に限れば10勝6分1敗、当時のJリーグ無敗最長記録となる16試合無敗で、天皇杯も含めれば準決勝で清水に敗れるまで20試合負けなしであった。また、この年の平均観客動員数は過去最高の1試合当り17,648人。
    • シーズン終了後、ファビーニョが家庭の事情により退団。他にも布部陽功久藤清一を放出(ともに福岡に移籍)し、黒部と廣山のレンタル移籍契約を更新しない(黒部は浦和へ再度レンタル移籍、廣山は東京Vに復帰)など、世代交代を図る為にベテラン選手に対して大なたを振るった。
    • 吉田と古橋がベストイレブンに選ばれ、前田が優秀新人賞を獲得した。
  • 2006年- 小林体制3年目。東京Vから山田卓也を完全移籍で、河村崇大磐田からレンタル移籍で獲得。新外国人選手ではピンゴが入団。即戦力では中盤中心の補強を行い、新加入選手では強化指定選手となっていた森島康仁が入団したのをはじめ、大学選抜で活躍した小松塁や、高校生ながら素質を見込まれてプロ契約を結んだ香川真司、クラブ最年少の16歳でトップチーム昇格を果たした柿谷曜一朗らが入団した。リーグ戦は、開幕からの4節をすべて3失点以上で負けるなどしてつまづき、8節終了時で1勝1分6敗の成績。4月18日付で小林が解任され、育成アドバイザーを務めていた塚田雄二が2度目の監督に就任した。
    • 4月22日、広島戦(アウェイ)で、FW佐藤寿人にJ新記録となる試合開始から僅か8秒でゴールを決められた(Jリーグ最速得点・失点記録)。
    • 6月15日、マヨルカにレンタル移籍していた大久保がチームに復帰した。
    • 8月13日、磐田から元日本代表MF名波浩レンタル移籍で獲得。以後チーム状況が多少上向き、勝ち点を重ねるようになった。
    • 11月26日、大宮戦で柿谷曜一朗がチーム最年少出場記録となる16歳10か月で公式戦デビュー。
    • 12月2日、最終節で川崎に敗れ、年間17位となり5シーズンぶりのJ2降格が決定。塚田は降格の責任を取り監督辞任。後任に東京Vヘッドコーチの都並敏史が就任した。シーズン終了後に、大久保嘉人(神戸へ)、西澤明訓(清水へ)、名波浩(磐田復帰後、東京Vへ)、下村東美(千葉へ)、ブルーノ・クアドロス(退団後、札幌へ)が退団した。

2007年 - 2009年(J2)

  • 2007年-ヤンマーサッカー部発足から創設50周年を迎えた。完全移籍で柳沢将之(東京V)を、レンタル移籍で羽田憲司(鹿島)、丹羽竜平(神戸)を獲得。逆にレンタルさせていた濱田武鳥栖)と千葉貴仁(札幌)、小松塁(長崎)を復帰させ、新人では立命館大学から阪田章裕、外国人選手ではブラジルからアレーと韓国ユニバーシアード代表の金信泳を獲得。
    • リーグ戦は開幕3連敗でスタートし、第4節の京都戦で初勝利を挙げた。第12節の草津戦で柿谷がJ2最年少記録となるゴール(17歳3か月)を決めるが、森島寛晃が原因不明の首痛に悩まされるようになり戦列を離脱した事や、一気に若返った選手の適性を見極める為、戦力を使い回す試行錯誤をしていて勝ち点が延びず、第14節終了時点で4勝3分6敗でJ2の9位という成績であった。
    • 5月7日付で監督の都並、コーチの藤川孝幸、GMの西村昭宏を解任し、後任に元監督のレヴィー・クルピが監督に就任した。就任当初は1勝3敗と負けが先行したが、第19節の試合なし期間を活用した淡路島ミニキャンプで戦術を浸透させ、メンバーも小松塁をFWのスタメンに抜擢、香川真司をサイドに、ゼ・カルロスと柳沢将之を左右のSBに固定するなど、それまでの使い回しから一変した選手起用を実施。これが功を奏して第20節からは4連勝。第2クール終了後には、比較的戦力に余裕のあったFW陣から金信泳を鳥栖へレンタル移籍させ、空きができた外国人枠を活用して、ボランチを強化するためにクルピの肝いりでジェルマーノを獲得した。その後第3クールでは9勝3敗のリーグ1位の成績を残したが、第1クールでの出遅れと、京都(2勝2分)以外のJ1昇格争いを繰り広げた上位チームに大きく負け越した(札幌と仙台には1勝3敗、東京Vと湘南には1分3敗)事が響き、J2・5位に終わった。
    • 昇格を逃したものの、FWに抜擢されて12ゴールを挙げた小松をはじめ、香川・森島康・柿谷が世代別代表に選出されて国際大会で活躍。しかし、その森島康や柿谷でもレギュラーではなく、彼らより先にU-23代表にも選出され、当初スタメンで出場していた苔口卓也に至っては、クルピ就任以後ベンチ入りする機会すら限られるなど、チーム内競争は激しさを増し、戦力の底上げがなされた。
  • 2008年-吉田宗弘が福岡に完全移籍、苔口卓也が千葉にレンタル移籍した。補強はGKに川崎から相澤貴志をレンタル移籍で獲得、退団したゼ・カルロスの後任となる左SBに湘南から尾亦弘友希を完全移籍で獲得、FWにカレカをレンタル移籍で獲得した。また前田和哉がキャプテンとなった。
    • 開幕は水戸に勝利し、久々の開幕戦勝利を収めた。
    • 5月は前月末の愛媛戦から数えて、負けなしの7連勝を飾り2位に浮上。
    • 6月は怪我人と出場停止選手が続出。1勝1分4敗の成績。
    • 7月も1勝1分2敗と勝ち点を伸ばせないまま終わる。
    • 8月は2勝1分2敗と浮上の兆しが見えてきたに思われたが、本間勇輔がスタジアムマスターに就任し、新たなアンセムを作曲した9月も低迷のまま終わり、10月、上位争いをした3位の仙台との直接対決に敗れた時点で勝ち点8差がつけられていた。
    • 11月に入りC大阪が3連勝した一方、仙台は2分1敗と不振に陥った為、勝ち点差を1にまで縮めて最終節を迎えた。C大阪は愛媛に勝利を挙げたが、仙台も勝利したために逆転ならず、4位となりJ1昇格はならなかった。
    • 香川が日本五輪代表に選ばれ3月のアンゴラA代表との試合の際に見せたプレーが日本代表監督である岡田武史の目に止まり、香川は平成生まれとして初の日本代表に招集された。C大阪からは大久保嘉人以来4年ぶりの代表選出。香川はキリンカップ・コートジボワール代表戦でデビューし、ワールドカップ3次予選の2試合に出場。香川は8月に行われる北京オリンピック日本代表にも選ばれた。
    • シーズン途中に、名古屋から青山隼、横浜FMから乾貴士、新人の白谷建人を含めて世代別の日本代表の経験がある選手を多く獲得。これはクルピの方針で『C大阪に移籍して、さらに成長する可能性のある選手』を獲得する傾向にある。一方でチームにフィットしなかったカレカを解雇し、出場機会が激減した森島康をレンタル(シーズン終了後に完全)移籍で大分に放出した。
    • この年を最後に森島寛晃が現役を引退。
  • 2009年-ジェルマーノ、古橋達弥山本浩正、柳沢将之などが完全移籍で去り、相澤貴志、丹羽竜平、青山隼がレンタル終了、レンタル移籍中の森島康仁や宮本卓也も完全移籍する。しかし、レンタル移籍で加入していた乾貴士、羽田憲司、平島崇が完全移籍に移行し、小松塁、香川真司などの主力が残留した。また、レンタルで石神直哉を獲得し、西澤明訓清水から復帰した。外国人選手では前年途中加入し、フィットしていたカイオが残留、パルメイラスからマルチネスクルゼイロからチアゴとクラブの主力だった2選手と2007年U-20W杯韓国代表のキム・ジンヒョンを「アジア枠」で獲得。中でも新加入のマルチネスの評価は高く、「J1でもトップクラスのボランチ」とも評された。マルチネス自身、二部のクラブでプレーした経験がなく、移籍に当初は抵抗も感じたが、セレッソが本気でJ1昇格を目指しているチームであることを知り、そうした抵抗感はなくなったと語っている[5]
    • 開幕戦となった鳥栖戦は4-1で勝利。以降、3月から4月は、4月19日の札幌戦で一敗を喫したのみであった。
    • その後も勝ち点を積み重ねるが、6月に富山と鳥栖に連敗する。
    • 7月9日、鹿島から船山祐二を獲得。船山は加入直後こそ出場機会に恵まれなかったが、終盤戦にレギュラーを獲得。マルチネス故障の穴を埋め、チームの快進撃に大きく貢献した。
    • 8月中旬から3戦連続で勝ちなしと不振に陥る。
    • 8月30日の熊本戦からは10勝3分と勝ち点を積み重ね、11月8日に草津に5-0で勝利をおさめ、J1昇格が決定。同時に勝ち点100越えを達成した。J2で勝ち点100以上を達成したチームは川崎、広島に次いで3チーム目(ただし川崎は44試合、広島は42試合)。シーズンを通じて昇格圏外に落ちることはなかった。
    • 11月8日の鳥栖戦の後、今季3シーズンぶりにチームに復帰した西澤明訓が引退を発表。西澤は当初、右足首のコンディションが悪く、すでに清水で引退するつもりであったが、前年に引退した森島から「戻って何とかJ1に上げてほしい」と言われたこともあり、「自分の中で、J2に落としたというのは汚点だったから・・・せめて、J1に上げるためにちょっとでも力になれれば」という思いで復帰を決めた。5月20日の熊本戦で復帰後初ゴール。決して万全の状態ではなかったが、クルピ監督は西澤がチームに与えるポジティブな影響を期待し、常にベンチに置き続けた。11月8日の引退発表は、セレモニーを開催するような形を好まなかったため「あの場のノリです(笑)」と語っているが、「できれば避けたかった」という引退セレモニーはホーム最終節の岐阜戦(11月28日)の後に開催されている[6]。なお、引退後は代理人になることを目指しているが、2010年2月にはセレッソ大阪アンバサダーに就任した。
    • その後はJ2優勝を目指すが、11月22日の仙台戦(0-1)、1試合置いて12月5日の鳥栖戦(1-2)と、いずれもアウェイで後半ロスタイムに失点して敗北。シーズン2位となった(2009年J2最終節)。

2010年 - 2014年(J1)

  • 2011年-シーズンオフに家長昭博のスペイン・リーガエスパニョーラのマヨルカへの移籍を皮切りに、2009年度キャプテンの羽田憲司(神戸)、石神直哉湘南)、山下達也札幌)、多田大介鳥取)が移籍。アドリアーノ(アトレチコPR)はレンタル期間満了の上、G大阪に完全移籍。一方、大分からキム・ボギョンが復帰した他、神戸から高橋祐太郎(DF高橋大輔の実弟)を完全移籍で獲得。千葉から中後雅喜を、G大阪から倉田秋(千葉へのレンタル期間満了)を、またCRヴァスコ・ダ・ガマからホドリゴ・ピンパォンを、それぞれ期限付き移籍で獲得した。
    • 開幕戦のG大阪との大阪ダービーは1-2で敗戦。
    • 2011の布陣は1トップがピンパォンで、キム・倉田・乾の3シャドーが流動的に動く4-2-3-1に近いシステムを使う。
    • AFCチャンピオンズリーグ2011では初出場ながらグループリーグをグループGの2位で突破。5月24日のラウンド16では、G大阪とのACL史上初の大阪ダービーを1-0で制し、Jリーグ勢唯一の決勝トーナメント進出を果たす。しかし、準々決勝で全北現代に2戦合計5-9(第1戦 4-3、第2戦 1-6)で敗れ、ベスト8で敗退。
    • 8月に乾貴士がドイツ2部のVfLボーフムへ完全移籍、ピンパォンが契約満了による退団(後に大宮に入団)。これを受け、ファビオ・ロペスFC東京よりMF大竹洋平をそれぞれ期限付き移籍にて獲得。
    • 8月20日の清水戦・9月11日の広島戦にて播戸竜二が途中出場でのハットトリックを達成。
    • シーズン終了後、「2007年から5シーズン指揮を執ってきましたが、J2からJ1へ昇格、さらにACL出場、そしてその中から数多くの選手がフル代表・五輪代表に選出され、欧州へ飛び立っていったことを考えると、セレッソにとっては一つのサイクルが終わり、節目の時がきたのではないかと思います。その間、単身で日本にいましたが、はるか遠くのブラジルにいる家族のもとへ帰る時が来たのではないか、という結論に至りました」として、監督のレヴィー・クルピが退任[7]
  • 2013年-G大阪と神戸がJ2に降格したことにより、関西で唯一のJ1チームとして戦う。監督は引き続きレヴィー・クルピが務め、新戦力として武田洋平清水)、ク・ソンユン(在鉉高校)、新井場徹鹿島)、椋原健太東京、期限付き)、楠神順平川崎)、ブランコ山形からレンタルバック、旧登録名ブランキーニョ)、エジノUANLティグレス)が加わり、ユースからは秋山大地岡田武瑠小暮大器南野拓実の4名が昇格した。後藤寛太高橋大輔が契約満了、舩津徹也ヘベルチが期限付き移籍期間満了で退団し、荻野賢次郎アルビレックス新潟シンガポール児玉新大分松井謙弥徳島(期限付き)へ移籍した。昨季ともに大分へと期限付きで移籍していた夛田凌輔J2群馬に、野口直人JFLびわこに、再び期限付きで加入した。また、2012年9月からAリーグパース・グローリーFCに期限付き移籍していた永井龍は、移籍期間を2013年4月30日まで延長。2013年シーズンのキャプテンは昨年に引き続き藤本康太が務める。
    • 開幕戦は、この年から新たに背番号8を受け継ぐこととなった柿谷曜一朗のゴールで、新潟相手に1-0で勝利。J1での開幕戦勝利は1999年以来、実に14年ぶりのことであった[10]。また、酒本憲幸がこの試合でJ1リーグ通算100試合出場を達成した。
    • 契約を更新せず、海外挑戦が囁かれていた村田和哉について、3月30日、正式に2013年度の契約を両者合意の上で結ばないことが発表された[11]。その後、村田は清水に加入。同じく去就が発表されていなかったキム・チャンフン蔚山現代尾浦造船トルゴレFCへの期限付き移籍が発表された[12]
    • 4月9日、武田洋平が右ひざ内側側副じん帯損傷で全治5週間と診断されたと発表された。第3GKだったク・ソンユンがベンチに入ることで、外国人枠の関係でブラジル人選手が3名中2名しかメンバー入りできない事態に陥り、4月11日、昨季岐阜でプレーしていた多田大介を緊急補強[13]。多田にとっては2009年以来、4シーズンぶりの復帰となった。
    • 6月10日、契約期間が6月30日までとなっていたシンプリシオの契約延長が発表された。契約期間は2013年7月1日から2014年1月1日まで[14]
    • 7月1日に井上翔太の北九州への[15]、12日に永井龍のパース・グローリーFCへの[16]、そして26日には播戸竜二の鳥栖への期限付き移籍が発表された[17]。いずれも期間は2014年1月31日まで。
    • 7月15日、ユース出身者としてははじめて、柿谷曜一朗、山口螢、扇原貴宏の3選手が日本代表に選出された。そのうち、山口と扇原はハナサカクラブ出身者として初の選出となった。8月27日にキム・ジンヒョンが1年ぶりに韓国代表に選ばれた。
    • 膝の手術のため昨季いっぱいで退団していた高橋大輔が現役引退を決断し、7月24日、クラブの公式ホームページでも発表された[18]
    • 7月26日、「マンチェスター・ユナイテッドツアー2013 PRESENTED BY AON ヤンマープレミアムカップ」として、セレッソ大阪とマンチェスター・ユナイテッドのフレンドリーマッチが長居スタジアムで開催された。マンチェ