ポータルフィールドニュース

ポータルフィールドニュース

in ,

⚾|田中将大、8年ぶり復帰マウンドの注目点は? データが示すメジャー7年間での“変化”


写真 楽天・田中将大【写真:PLM】

田中将大、8年ぶり復帰マウンドの注目点は? データが示すメジャー7年間での“変化”

 
内容をざっくり書くと
昨季のパ・リーグでは、スライダーに栗山巧(西武)が.333、柳田悠岐(ソフトバンク)も打率.325と好成績を残し、フォークには吉田正尚(オリックス)が打率.449と破格の数値を記録している。
 

メジャーでも指折りを証明した「制球力」楽天・田中将大投手が、いよいよ17日に公式戦のマウンドに上がる… →このまま続きを読む

 Full-Count


Wikipedia関連ワード

説明がないものはWikipediaに該当項目がありません。

吉田正尚

吉田 正尚(よしだ まさたか、1993年7月15日 - )は、オリックス・バファローズに所属する福井県福井市出身[2]プロ野球選手外野手)。右投左打。

妻はモデル管理栄養士実業家ゆり香[3]

経歴

プロ入り前

6歳から野球を始める[4]と、福井市立麻生津小学校[5]福井市足羽中学校への在学中は、ボーイズリーグの鯖江ボーイズに所属していた[6]。本人曰く、「『遠くへ飛ばしたい』という意識が強い(子ども時代だった)」と述べている[7]

敦賀気比高校への進学後は、1年の夏に4番打者として第91回全国高等学校野球選手権大会に出場。帝京高校との初戦で1安打を放ったが、チームは敗れた[8]。1年の秋に福井県大会優勝・北信越大会準優勝を果たし、2年の春には第82回選抜高等学校野球大会へ出場。開幕戦でもあった1回戦では、中村奨吾擁する天理高校を相手に3安打を放ち、チームの勝利に貢献した[9]。その後も勝ち進んだが、山崎福也を擁する日大三高校との準々決勝で3打数無安打に抑えられると、チームも敗退した[10]。2年の夏以降は甲子園球場での全国大会には出場できなかったが、春夏を通じて4試合で打率.313、16打数5安打、2打点という成績を残した。高校の2学年先輩に山田修義、1学年下には西川龍馬がいた。

青山学院大学への進学後には、東都大学の1部リーグで、1年の春季リーグ戦から4番打者に抜擢。打率.311、1本塁打、7打点を記録し、指名打者としてベストナインに選ばれた[11]。秋季リーグ戦からは、3番打者に定着し、2年先輩の4番・杉本裕太郎とクリーンナップを組んだ[12]。指名打者部門で2季連続のベストナイン選出を果たした[13]。2年の春季リーグ戦では、指名打者から外野手へ転向すると、4本塁打を記録。外野手部門では初めてのベストナインに選ばれた[14][4]。3年の秋季リーグ戦では、打率.352、3本塁打という内容で、外野手として2度目のベストナインを獲得[15]。しかし、チームは2部に降格した。杉本の在学中には、リーグ戦で杉本との2者連続本塁打を3回達成している[12]。4年の秋には、2部リーグで打率.400、5本塁打を記録したが、チームの昇格はならなかった[16]。在学中には、東都リーグの1部で、通算72試合に出場。打率.277(278打数77安打)、9本塁打、38打点、12盗塁という成績を残した。

大学2年の7月には第39回日米大学野球選手権大会日本代表、3年には第27回ハーレムベースボールウィーク日本代表に選出された。4年の6月には、2015年ユニバーシアード日本代表に選出された。大会前に神宮球場で開かれた「大学日本代表対NPB選抜」戦では、髙橋光成から本塁打を放った。ユニバーシアードでは、主に4番打者として、日本代表の優勝に貢献。大会後に開かれたU-18日本代表との壮行試合では、上野翔太郎高橋樹也を相手に、2打席連続本塁打を放った[4]

2015年のNPBドラフト会議で、オリックスから1巡目で指名。契約金1億円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号34。オリックスはこの会議で、JR西日本から杉本を10巡目で指名。2人とも入団したことによって、大学以来のチームメイトになった。なお、球団としては「どうしても和製大砲がほしかったんです」との理由で1位指名したが、本人は「(チームには)糸井嘉男T-岡田後藤駿太と左の素晴らしい外野手がたくさんいる」ことから、オリックスからの1位指名は想像していなかったとのことである[17]

オリックス時代

2016年には、春季キャンプ前の新人合同自主トレーニング中に、前身球団(オリックス・ブルーウェーブ)のOBであるイチロー(当時はMLBフロリダ・マーリンズ所属)とほっともっとフィールド神戸で初めて対面。イチローから直々に、「青学(青山学院大学)の子やな」という声を掛けられた[18]。しかし、トレーニングの2日目に左ふくらはぎの筋膜炎を発症し[19]、春季キャンプのスタートを二軍で迎えた。キャンプ序盤の2月6日に一軍へ昇格したが[20]、当日の打撃練習で右脇腹の違和感を訴えたため、2日後に二軍へ戻された[21]。3月16日には、広島東洋カープとのウエスタン・リーグ公式戦に指名打者で出場。実戦2試合目でプロ初本塁打を記録した[22]オープン戦最終カードの阪神タイガースとの3連戦(京セラドーム大阪)から再び一軍へ合流すると、3試合全てでスタメンに起用。3月19日は、3回裏の第2打席で藤川球児から京セラドーム3階席前面の壁を直撃する本塁打を放った[23]。オープン戦通算で13打数4安打を記録する[24][25]、一軍監督(当時)の福良淳一より「指名打者としての開幕スタメン起用」を明言され[26]、3月25日の埼玉西武ライオンズとの開幕戦(西武プリンスドーム)で「1番・指名打者」としてスタメンで一軍公式戦にデビュー[26][注 1]。本人曰く「中学生(時代)以来」の1番起用とのことだった[27]が、7回表の第3打席で一軍公式戦初安打を放つなど[28]、フル出場で5打数2安打を記録した。さらに、開幕戦から6試合連続安打[注 2]を達成[29]。しかし、スタメン起用が続くうちに、腰椎の椎間板症に見舞われた[30]。外野の守備へ就けないほどにまで症状が悪化した[31]ため、4月24日に出場選手登録を抹消された[32]。8月12日に一軍へ復帰し、8月18日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で一軍公式戦初本塁打を放った。8月26日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(楽天Koboスタジアム宮城)以降は、30試合で3番打者に起用されると、9本塁打をマーク。翌27日の同カードでは、1回表の第1打席から2打席連続で本塁打を放っている[33][注 3]。チームのシーズン最終戦であった10月1日の対楽天戦(コボスタ宮城)では、オリックスの新人選手としては1969年の加藤秀司以来47年ぶりに、一軍公式戦の4番打者に起用された[34]。レギュラーシーズン全体では、前述した故障の影響で一軍公式戦への出場が63試合にとどまり、打席数(258)もパシフィック・リーグ規定打席(443)を下回った。それでも、打率.290(リーグ9位相当)、10本塁打、34打点を記録[35][注 4]OPSは.854(リーグ4位相当)、RC27は6.09(リーグ8位相当)に達した[35][37][注 5]。守備面では、左翼手として44試合でスタメンに起用されたほか、右翼手として9試合、指名打者として8試合に出場した。シーズン終了後に台湾で開かれたアジア・ウィンター・リーグでは、ウエスタン・リーグ選抜の主軸打者として全18試合に出場。打率(.556)、本塁打(6本)、安打数(30安打)、塁打数(57塁打)、打点(29打点)の5部門でいずれもトップの成績を残した結果、最優秀打者に選ばれた[38][39]。帰国後の12月20日に、年俸2,100万円(前年から600万円増)という条件で契約を更改[40]

2017年には、「公式戦全143試合出場」を目標に地元の鯖江市で始動した[41]。前年のシーズン終盤以降の活躍に加えて、国内FA権の行使によって阪神へ移籍した糸井嘉男の穴を埋める中軸打者・レギュラー外野手候補として周囲から高い期待を寄せられた[42]が、オープン戦の終盤に腰痛が再発。後の診察で急性筋性腰痛の発症が判明し、開幕一軍のメンバーから外れた[43]。5月10日に、ウエスタン・リーグの対広島東洋カープ戦(舞洲サブ球場)で、「2番・左翼手」としてスタメンで実戦に復帰。1回裏の第1打席で本塁打を放ったが、試合後に腰痛を訴えたため、再び戦線を離れた[44]。7月9日の対千葉ロッテマリーンズ戦に「3番・指名打者」として、この年初めて一軍の公式戦に出場[45]。翌10日の対日本ハム戦(いずれも京セラドーム大阪)では、1回裏の第1打席で、右翼スタンド5階席に推定飛距離130mの本塁打を放った[46]。同月下旬以降は、首脳陣が攻撃重視の打線を組んだことから、8試合で1番打者、9試合で2番打者に起用。8月8日の対西武戦(京セラドーム大阪)では、2年連続の1試合2本塁打を2打席連続で記録した[47][48]。8月16日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡ヤフオク!ドーム)以降は、シーズン終了まで、再び3番打者に起用。9月3日の対西武戦(京セラドーム)で、2年連続の一軍公式戦シーズン2桁本塁打を達成した[49]。シーズン終盤の10月4日に臀部の膿を除去する手術を受けたが、登録の抹消には至らず、手術後にも一軍公式戦2試合へ出場した[50]。前述した腰痛や手術の影響で、一軍公式戦への出場は64試合(268打席)にとどまったが、打率.311(リーグ2位相当)、12本塁打、38打点を記録。いずれも前年を上回る成績[51]で、OPSは.928(リーグ3位相当)、RC27は7.41(リーグ3位相当)に達した[51]。打順では、1番や2番に起用されることもあったが、主に3番打者(46試合)として起用された。守備面では、主に右翼手(36試合)で出場したが、左翼手として16試合、中堅手として1試合、指名打者として10試合にそれぞれスタメン出場した。なお、シーズン終了後の第1回アジア プロ野球チャンピオンシップには、日本代表として選ばれることが内定していたが、前述した膿を除去する処置を受けたため、正式発表の前に代表入りを辞退した[52]。その後秋季キャンプへの参加も辞退し、11月下旬に腰の手術を受けた[53]。12月6日に、推定年俸3,100万円(前年から1,000万円増)という条件で契約を更改[53]

2018年には、前年に腰の手術を受けたことを考慮されて、春季キャンプを二軍でスタート。「故障しない身体づくり」「走攻守すべての面でのレベルアップ」をテーマに、体幹トレーニングなどへ取り組んだ。キャンプ序盤の2月4日には、野球日本代表監督の稲葉篤紀から、2020年東京オリンピック・野球日本代表の代表候補あることを告げられた[54]。キャンプ終盤から一軍へ合流する[55][56][57]と、3月30日には、ソフトバンクとのレギュラーシーズン開幕戦(ヤフオクドーム)で「3番・左翼手」としてスタメンに起用。5月22日の対楽天戦(楽天生命パーク)では、3回表の第2打席でシーズン6号本塁打、4回表の第3打席で2点適時打(単打)、6回表の第4打席で二塁打を記録した。8回表の第5打席でも長打を放って三塁へ進んだが、二塁から三塁への進塁が「送球間の進塁」(公式記録上は「二塁打」)とみなされ、サイクルヒットの達成はならなかった[58]。入団後初めて出場したセ・パ交流戦では、6月7日の対阪神戦(甲子園)で一軍公式戦初の三塁打[59]、6月13日の対広島戦(京セラドーム大阪)で3年連続のシーズン2桁本塁打を記録[60]。全18試合に出場すると、打率.397、3本塁打、10打点、出塁率.477、 得点圏打率.500という好成績でチームをパ・リーグ球団の最高順位(2位)へ導いたことから、交流戦のMVPに選ばれた[61]。交流戦の最終戦で右足の関節を捻挫し、自力で歩けないまま代走を送られた[62]が、翌22日から再開されたパ・リーグの公式戦では、代打での出場を経てスタメンに復帰している。オールスターゲームには、ファン投票・選手間投票ともパ・リーグ外野手部門の3位に入り、初出場[63]。7月13日の第1戦(京セラドーム大阪)では、パ・リーグ選抜の「5番・指名打者」としてスタメンに起用されると、1回裏の第1打席でオールスターゲーム初安打・初打点を松坂大輔からの適時打で記録した[64]。レギュラーシーズンでは全143試合への出場を果たし、規定打席へ初めて到達。打率.321、26本塁打[注 6]、86打点という好成績を残した。オフに、5,400万円増の推定年俸8,500万円で契約を更改した[66]

2019年には、オープン戦期間中の3月上旬に京セラドーム大阪で開かれた日本代表の強化試合(メキシコ代表との2連戦)に、プロ入り後初めて日本代表の一員として選出[67]、2試合ともスタメンでクリーンアップの一角を任され、第2戦では1回裏の第1打席で満塁本塁打を放った[68]。シーズンでは、開幕から4番打者に起用。開幕当初は打率が1割を切るほどの打撃不振で、シーズン初本塁打を放ったのは、開幕11試合(通算49打席)目の4月11日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)第3打席だった[69]。それでも、5月21日に京セラドームで催された同カードで、オリックスの選手としては初めて、入団1年目からの4年連続シーズン2桁本塁打を自己最速のペース(出場43試合目)で達成した[70]。前年にMVPを獲得したセ・パ交流戦で再び調子を落とした[71]ものの、オールスターゲームには、ファン投票・選手間投票(いずれもパ・リーグ外野手部門2位)を経て2年連続で出場[72]。7月13日の第2戦(甲子園球場)では、「3番・左翼手」としてのスタメン起用で同ゲーム初本塁打を放ち、パ・リーグの選手から唯一の敢闘選手に選ばれた[73]。レギュラーシーズンの終盤には、森友哉(西武)との間でリーグ首位打者争いを展開。打率.329で先にシーズンを終えた森には僅差で及ばなかったものの、リーグ2位の打率.322を記録した[74]。さらに、2年連続の全143試合出場で自己最多の29本塁打を放ったほか、7月度と9・10月度の月間MVPにも選ばれた[75]。シーズン終了後は、11月に開催の第2回WBSCプレミア12日本代表として出場。チームとしては谷佳知オリックス・ブルーウェーブ時代の2001年 - 2004年)以来の2年連続ベストナイン(パ・リーグ外野手部門)選出も果たした[76]。プレミア12終了後の11月29日に、推定年俸2億円(前年から1億1,500万円増)という好条件で契約を更改。オリックス生え抜きの選手が入団5年目で1億円以上の年俸となった事例は、イチローがブルーウェーブ時代の1996年に推定年俸1億8,000万円(前年から1億円増)で契約を更改したことに次いで2人目である[77]

2020年には、8月に打率.430で月間MVPを受賞するなど、シーズンを通じて高い打率を維持。一軍公式戦で3年連続の全試合(同年は120試合)出場を果たすとともに、通算打率.350で、チームの生え抜き選手としては2000年(ブルーウェーブ時代)のイチロー以来20年ぶりに首位打者のタイトルを獲得した。NPBの一軍公式戦において、平成生まれの選手がレギュラーシーズンの最終規定打席に到達したうえで、.350以上の打率でシーズンを終えた事例は吉田が初めてである。開幕から1ヶ月余りの間に7本の本塁打を放ちながら、通算の本塁打数は14本にとどまったが、3年続けてパ・リーグの外野手部門でベストナインに選出。一軍公式戦ではリーグで10番目に多い492打席に立ちながら、三振の総数はわずか29個で、リーグの規定打席到達者では最も少なかった(詳細後述[78]

2021年には、チームの選手会長へ就任。球団との契約交渉を初めて代理人に委ねたうえで、1月4日から西川遥輝などと共に沖縄県内で自主トレーニングに臨んでいたことから、契約更改を春季キャンプインの直前(同月22日)にまで持ち越した。更改後の年俸は2億8,000万円で、出来高分を除いた推定額ながら、NPB6年目の野手としては歴代最高額とされる[79]。その一方で、更改後の記者会見では、ポスティングシステムを通じたMLBへの挑戦を検討する可能性があることを示唆。更改の席で、球団に対してMLB挑戦へのビジョンを伝えたことも明かした[80]

選手としての特徴

身長173cmと野球選手としては小柄だが、オリックスOBの門田博光を彷彿させる左の長距離打者[81][82]。手動計測ながら、学生時代に50m走で6秒2を記録したほどの俊足と、遠投で100mを記録したほどの強肩の持ち主でもある[83]

ホームランバッターに対する憧れは強く、インタビューで「僕自身、子供の頃にホームランバッターに憧れていたので、僕もそういう存在になりたい。今、野球界全体を見渡しても野球をする子供が減ってるじゃないですか。僕のホームランを見たいというのがきっかけになって、野球人口も増えたらいいなと思います」とも述べ[84]、「(力強いスイングは)変わらないし、変えられない」として、長距離打者としてのこだわりを示す一方で、「ボールに対するコンタクト率を意識しているんです」とも語っている[55]。スイングは状況に応じて「投球ラインに沿ってバットを入れる」「上から叩く」「下からバットを入れる」の3つのスタイルを使い分けている[55]

また、探求心を持って自分のバッティングに向き合うことを楽しみながら[7]、「ベストスイングの形を打席の中で再現できる可能性を高くできれば、その延長線上にホームランがある」[7]「『打てると感じた球を打っていく』のが自分の打撃スタイル」[85]と語っている。

高校時代には「力みなくバットが振れ、ヘッドスピードが速く、芯でボールをとらえる技術が高い巧打者」[86]、オリックスへの入団当初は「広角に強い打球を打ち分ける長距離打者」という評価を受けていた。オリックス入団後の2シーズンには、上記の評価から一転して、長打力を示すIsoPが「0.203→0.206」と高い数値で推移[4][35][51]。この時期には、いわゆる「プルヒッター」らしい傾向が顕著に表れていた[35][51][87]。 現に、全打球に占める右翼方向への打球の比率が2年連続で40%を上回っていて、本塁打も通算22本中20本が(右中間を含む)右翼方向に飛んでいた。その一方で、バットコントロールと選球眼のバランスも非常に良く、三振率「13.2%→11.9%(リーグ4位相当)」(リーグ平均は「18.0%→19.5%」)・四球率「9.7%→14.2%(リーグ2位相当)」とも高い水準で推移[35][51]。左投手と対戦した場合のOPSも「.822(対右投手.870)→.946(対右投手.922)」で推移するなど、左投手をほとんど苦にしていなかった[35][51]。もっとも、本拠地の京セラドーム大阪で和田毅から一軍公式戦での初本塁打を放った際には、上記の傾向とは逆に打球が左翼の方向へ飛んだことから、「今までにない感覚で、左投手から左方向に打てたことが良かった」と語っている[41]

オリックス入団3年目の2018年からは、2020年シーズン終了時点で3年連続の全試合出場と最終規定打席到達を果たしながら、いずれの年も.320以上の高打率をマーク。NPBでこの条件を全て満たした打者は、ブルーウェーブ時代(1994 - 1998年)のイチローにまで遡る[88]

打率.350で首位打者のタイトルを初めて獲得した2020年には、通算492打席で72四球を選んだのに対して、三振をパ・リーグの規定打席到達者で最も少ない29個にとどめたことで、シーズン終了後に『日刊スポーツ』から「理想的な打者」との評価を受けるに至った。セ・パ2リーグ分立後(1950年)のNPB一軍公式戦において、「シーズン通算で70個以上の四球」と「シーズン通算で30個以下の三振」という条件をいずれも満たした首位打者は、長嶋茂雄(巨人時代の1960年・1963年)と張本勲日本ハムファイターズ時代の1974年)に次いで3人目。パ・リーグでは、張本以来46年ぶりである[88]。ちなみに、2020年の公式戦におけるPA/K(1つの三振を喫するまでに要する平均の打席数)も、パ・リーグ1位の16.95を記録。この年のセントラル・リーグ規定打席到達者で三振が最も少なかった宮崎敏郎(DeNA)の15.86をも凌いでいたが、吉田が1個でも三振を喫した試合(25試合)でのチームの勝率(.273)は、公式戦全120試合における通算勝率(.398)を大きく下回っていた[89]

人物

少年時代にメジャーリーグ(MLB)公式戦のテレビ中継を見る機会が多かったことから、自身と同じ右投げ左打ちのブライス・ハーパーを「憧れの対象で目標の選手」に挙げている。オリックスへの入団時には、自身の強い希望で背番号を「34」(ハーパーがワシントン・ナショナルズ時代の2018年までに着用していた番号)に決めた[6][84]

青山学院大学時代の監督である曰く、「守備も足も肩も平凡だけど、野球に取り組む姿勢が入学当初からずば抜けていて、『強く振る』ことができる強打者だった」「やはりモノが違います。ほかの『プロに行きたい』と言っている選手とは、思考力や行動力が違いました。魅力的なスイングの持ち主なので、プロでもある程度は活躍できるとは思いますから、けがをしない体を作っていって欲しいですね」と述べている[90]

NPBドラフト会議での1巡目指名に至ったターニングポイントとして、大学4年時にユニバーシアード野球日本代表へ参加したことを挙げている。同学年のチームメイトだった髙山俊(明治大学)や茂木栄五郎(早稲田大学)が東京六大学野球で実力を培っている一方で、自分は東都大学野球2部リーグでのプレーを余儀なくされていたことへの悔しさが、勝負強さを開眼させるうえで大きな原動力になったという[90][91]

「(高校時代までを過ごした)福井が野球人生の原点」ということを、インタビューなどでしばしば言及している。オリックス2年目の2017年には、春季キャンプの直前に、自身が所属していた少年野球チーム(鯖江ボーイズ)の後輩である岸本淳希玉村祐典と共に自主トレーニングへ取り組んだ[92]

「向上心、探究心、反骨心が旺盛なこと」を、自身の性格の特徴に挙げている。2016年のオフシーズンにハンマー投選手の室伏広治へ直筆の手紙を送った縁から、2017年以降は春季キャンプの前に室伏からトレーニングの指導を受けている[93]。2018年1月には、「自分自身に打ち勝つこと」「1日1日を大切に過ごすこと」「規定打席到達」を目標に、糸井や柳田悠岐と一緒にグアムで自主トレーニングを敢行した[53][55]

オリックスへの入団後に、持ち味の力強いバッティングスタイルを生かした動画(通称「マッチョ動画」)をプロデュース。2018年以降に京セラドームで催されるホームゲームでは、吉田がチャンスで打席を迎えた際に「マッチョ動画」をスコアボードの大型ビジョンで流すとともに、この動画と連動したダンベル型の応援グッズを球団公認で販売している[94]

「張り切り屋」を自認する性格ゆえに、オリックスへの入団当初は、腰痛を頻繁に発症していた[25]。2017年のシーズン途中までは、スイングの最後までバットを両手で握り続けていたが、自分で靴下も履けないほどにまで腰の状態が悪化[55]。これを機に、腰への負担の軽減と打球の飛距離アップを両立すべく、スイングのフォロースルーでバットから片手を離している。さらに、2017年のシーズン終了後に腰の手術を受けたことが功を奏して、2018年以降は一軍でレギュラーシーズンの全試合出場を続けている。

社会貢献活動への関心が高く、2018年にパ・リーグ公式戦の規定打席へ初めて到達したことを機に、本塁打1本につき10万円を「国境なき子どもたち」を通じて寄付している[95]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2016オリックス632582313567170101143402012501346.290.360.494.854
2017642682284271110121183811013821329.311.410.518.928
2018143598514771653722628486310869107749.321.403.553.956
20191436105219216824229283855105791256412.322.413.543.956
2020120492408551432211420964850472178296.350.453.512.966
NPB:5年5332226190230161411159110083071710019283412223342.323.413.530.943
  • 2020年度シーズン終了時
  • 2020年度シーズンは新型コロナウイルスの影響で120試合制
  • 各年度の太字はリーグ最高

WBSCプレミア12での打撃成績

















































2019日本521202400041000011000.200.238.200

年度別守備成績



外野












2016オリックス5486410.989
201753922001.000
2018123223231.987
201998149520.987
202093126421.985
通算4216761792.987
  • 2020年度シーズン終了時

タイトル

表彰

記録

初記録
その他の記録

背番号

  • 34 (2016年 - )※野球日本代表のトップチームでも着用

登場曲

代表歴

連載コラム

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ オリックスの新人選手が一軍開幕戦のスタメンに起用された事例は、2011年駿太以来5年ぶり(指名打者としての起用は2002年の後藤光尊以来14年ぶり)であった。
  2. ^ プロ野球ドラフト会議導入後の1966年以降のNPBの新人選手の最長タイ記録。
  3. ^ オリックスの新人選手による一軍公式戦での2打席連続本塁打は、阪急ブレーブス時代の1969年福本豊が記録して以来47年ぶり[33]
  4. ^ オリックスの新人選手による一軍公式戦でのシーズン2桁本塁打は、阪急時代の1985年熊野輝光が記録して以来31年ぶりである[36]
  5. ^ RC27は糸井嘉男(6.72)に次ぐ「チーム内2位相当」、OPSは糸井(.849)を上回る「チーム内1位相当」の好成績だった。
  6. ^ オリックス入団3年目以内の日本人選手が一軍公式戦でシーズン20本塁打を記録した事例は前身・阪急ブレーブス時代の1988年に、入団3年目の藤井康雄が20本塁打を放って以来30年ぶりであった[65]

出典

  1. ^ オリックス - 契約更改 - プロ野球”. 日刊スポーツ. 2020年8月27日閲覧。
  2. ^ “躍動するルーキー” 若き和製大砲・吉田正尚がオリックスを変える”. BASEBALL KING (2016年9月5日). 2016年12月30日閲覧。
  3. ^ オリックス吉田正が結婚 元モデルの管理栄養士・ゆり香さんと”. Sponichi Annex (2018年12月10日). 2018年12月10日閲覧。
  4. ^ a b c d 青学大の飛ばし屋・吉田正尚がドラフトを熱くする”. 日刊スポーツ. 2016年12月30日閲覧。
  5. ^ オリックス吉田 首位打者を報告”. NHK福井 NEWS WEB. 2020年11月25日閲覧。
  6. ^ a b オリックス1位吉田正がハーパーの背番「34」希望”. 日刊スポーツ (2015年12月5日). 2016年2月5日閲覧。
  7. ^ a b c 吉田 正尚選手(オリックス・バファローズ)前編「自分で見つけたスイングが一番強い」”. 高校野球ドットコム (2017年12月7日). 2018年4月5日閲覧。
  8. ^ “帝京 対 敦賀気比”. http://www5.nikkansports.com/baseball/highschool/sensyuken/2009/score/2009081602.html 
  9. ^ “天理-敦賀気比”. http://www.sanspo.com/baseball/highschool/senbatsu82/score/kekka100321_1.html 
  10. ^ “敦賀気比-日大三”. http://www.sanspo.com/baseball/highschool/senbatsu82/score/kekka100331_1.html 
  11. ^ 東都大学野球連盟”. 2016年2月14日閲覧。
  12. ^ a b 【オリックス好き】杉本裕太郎、ドラフト最下位ルーキーの逆襲はあるか(1)”. J SPORTS『野球好き』公式サイト (2016年2月11日). 2016年2月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月25日閲覧。
  13. ^ 東都大学野球連盟”. 2016年2月14日閲覧。
  14. ^ 東都大学野球連盟”. 2016年2月14日閲覧。
  15. ^ 東都大学野球連盟”. 2016年2月14日閲覧。
  16. ^ 東都大学野球連盟”. 2016年2月14日閲覧。
  17. ^ 逆転新人王なるか。オリ“和製大砲”吉田正尚に託した球団の想い【どら増田のオリ熱コラム#84】”. ベースボールチャンネル. 2018年4月5日閲覧。
  18. ^ 「青学の子やな」オリックスドラフト1位・吉田、イチローに“イチ”目置かれていた!”. サンケイスポーツ (2016年1月14日). 2016年2月5日閲覧。
  19. ^ オリックス1位吉田正 合同自主トレでリタイア1号”. 日刊スポーツ (2016年1月12日). 2016年2月5日閲覧。
  20. ^ オリックス ドラフト1位吉田正が一軍合流、柵越え6本にも冷静”. スポーツニッポン (2016年2月6日). 2016年2月6日閲覧。
  21. ^ オリックス1位吉田正2日だけ一軍・・・右脇腹に張り”. 日刊スポーツ (2016年2月8日). 2016年2月16日閲覧。
  22. ^ オリ ドラフト1位吉田正 二軍戦でプロ1号、前日のミス取り返した”. スポーツニッポン (2016年3月16日). 2016年3月26日閲覧。
  23. ^ オリックス1位吉田正1号 3階席前面の壁直撃”. 日刊スポーツ (2016年3月20日). 2016年3月21日閲覧。
  24. ^ オリックス1位吉田正「階段飛ばした感じ」開幕一軍”. 日刊スポーツ (2016年3月21日). 2016年3月21日閲覧。
  25. ^ a b わずか3日で開幕一軍当確。”和製大砲”オリックス、ドラ1位吉田正尚は有言実行の男【どら増田のオリ熱コラム #69”. ベースボールチャンネル (2016年3月22日). 2017年2月7日閲覧。
  26. ^ a b オリドラ1吉田正 開幕戦は「1番・DH」 福良監督が明言”. スポーツニッポン (2016年3月21日). 2016年3月26日閲覧。
  27. ^ オリックス1位吉田正、開幕1番球団新人73年ぶり”. 日刊スポーツ (2016年3月25日). 2018年4月5日閲覧。
  28. ^ オリックスのドラ1吉田正、うれしいプロ初安打”. 日刊スポーツ (2016年3月25日). 2016年3月26日閲覧。
  29. ^ オリックス吉田正、開幕連続試合安打が6でストップ”. 日刊スポーツ (2016年4月2日). 2016年4月3日閲覧。
  30. ^ オリックス吉田正は腰椎椎間板症 復帰まで10日”. 日刊スポーツ (2016年4月25日). 2016年6月4日閲覧。
  31. ^ オリックス ドラフト1位・吉田正が腰痛で抹消へ”. デイリースポーツ (2016年4月24日). 2016年6月4日閲覧。
  32. ^ オリックス吉田正 腰の痛みで一軍登録抹消”. 日刊スポーツ (2016年4月24日). 2016年6月4日閲覧。
  33. ^ a b オリックスドラフト1位吉田正 福本以来!球団47年ぶり新人連発”. スポーツニッポン (2016年8月28日). 2016年8月31日閲覧。
  34. ^ 【オリックス】ドラフト1位・吉田…球団の新人47年ぶりに4番”. 日刊スポーツ (2016年4月24日). 2016年6月4日閲覧。
  35. ^ a b c d e f 『2017プロ野球オール写真選手名鑑』101頁、226頁~228頁。
  36. ^ 【オリックス】ドラフト1位吉田が10号 球団の新人2ケタ本塁打は31年ぶり”. スポーツニッポン (2016年9月30日). 2016年9月30日閲覧。
  37. ^ “躍動するルーキー” 若き和製大砲・吉田正尚がオリックスを変える”. ベースボールキング. 2017年2月7日閲覧。
  38. ^ オリックス吉田正尚が台湾で5冠 来季大ブレークか”. スポーツニッポン (2016年12月18日). 2016年12月19日閲覧。
  39. ^ 糸井の穴を埋めるキーマン、アジアWリーグ5冠のオリ吉田正「まだベンチの信用がない」。秋季キャンプで芽生えた意識【どら増田のオリ熱コラム #88】”. ベースボールチャンネル. 2017年2月7日閲覧。
  40. ^ オリックス吉田正600万増「チームを勝ちに導く」”. 日刊スポーツ. 2017年2月9日閲覧。
  41. ^ a b 吉田正尚「全143試合に出場」 プロ2年目、さらなる飛躍へ始動”. 福井新聞 (2017年1月12日). 2017年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月7日閲覧。
  42. ^ 糸井の穴を埋めるオリの大砲・吉田正尚 周囲の期待は急上昇も本人は「まだまだ」”. スポーツナビ. 2018年4月5日閲覧。
  43. ^ オリックス・吉田正、開幕一軍外れる”. デイリースポーツ. 2017年4月4日閲覧。
  44. ^ オリックス吉田正、一軍復帰白紙 二軍で実戦出場も腰痛再発 症状思わしくなく”. スポーツニッポン. 2017年5月12日閲覧。
  45. ^ オリックス 4連敗でストップ ディクソン7勝目 今季初一軍の吉田が先制打”. スポーツニッポン. 2017年7月10日閲覧。
  46. ^ オリックス吉田正尚「完璧です!」復帰2戦目で1号”. 日刊スポーツ. 2017年7月10日閲覧。
  47. ^ 【オリックス】吉田正、2打席連発!新1、2番で大勝!”. スポーツ報知. 2017年8月24日閲覧。
  48. ^ 持ち味の豪快スイングで2打席連続弾「伸びてくれました」”. Full-Count. 2018年4月5日閲覧。
  49. ^ オリックス吉田正尚が10号3ラン 2年連続2桁弾”. 日刊スポーツ. 2017年9月3日閲覧。
  50. ^ オリックス吉田正、臀部の膿瘍で治療 登録抹消せず”. 日刊スポーツ. 2018年4月5日閲覧。
  51. ^ a b c d e f 『2018プロ野球オール写真選手名鑑』69頁、226頁~228頁。
  52. ^ 【オリックス】吉田正、U24侍メンバー入り辞退”. スポーツ報知. 2017年11月8日閲覧。
  53. ^ a b c 【オリックス】吉田正、1000万円増3100万円でサイン!来季“3年目の正直”で規定打席到達目指す”. スポーツ報知 (2017年12月6日). 2017年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月9日閲覧。
  54. ^ 侍稲葉監督、五輪へオリックス吉田正尚を強化指定”. 日刊スポーツ. 2018年4月5日閲覧。
  55. ^ a b c d e 『週刊ベースボール』2018年4月2日号、14頁~17頁。
  56. ^ オリックスがコーチ会議 吉田正は二軍スタート、ドラ1田嶋は1軍”. Full-Count. 2018年4月5日閲覧。
  57. ^ 【オリックス】吉田正が一軍に昇格「毎日勝負」”. スポーツ報知. 2018年4月5日閲覧。
  58. ^ 吉田正尚サイクル届かず、残り三塁打で三塁到達も”. 日刊スポーツ. 2018年5月25日閲覧。
  59. ^ オリックス吉田正尚、初三塁打「全力で走りました」”. 日刊スポーツ. 2018年6月14日閲覧。
  60. ^ オリックス吉田正尚が入団以来3年連続2ケタ本塁打”. 日刊スポーツ. 2018年6月14日閲覧。
  61. ^ 日本生命セ・パ交流戦2018 表彰選手”. NPB日本野球機構. 2018年6月22日閲覧。
  62. ^ オリックス吉田正尚は右足関節捻挫、今後は様子見で”. 日刊スポーツ. 2018年6月23日閲覧。
  63. ^ マイナビオールスターゲーム2018出場者”. NPB日本野球機構. 2018年7月4日閲覧。
  64. ^ オリックス吉田正尚、松坂から適時打「勢いです」”. 日刊スポーツ. 2018年11月7日閲覧。
  65. ^ オリックス吉田正尚チーム30年ぶり快挙の20号”. 日刊スポーツ (2018年8月18日). 2018年11月7日閲覧。
  66. ^ 新婚オリックス吉田正尚「2人で乗り切った」大幅増”. 日刊スポーツ (2018年12月10日). 2021年5月16日閲覧。
  67. ^ ENEOS 侍ジャパンシリーズ2019「日本 vs メキシコ」に出場するメンバー28名が決定”. 野球日本代表公式サイト. 2019年2月23日閲覧。
  68. ^ 吉田正 満塁弾!代名詞フルスイングで主砲争い名乗り 稲葉監督「心強い」”. 野球日本代表公式サイト. 2019年3月11日閲覧。
  69. ^ オリックス吉田正、開幕11試合49打席目で待望の一発!「打った瞬間いってくれると」”. Full-Count. 2019年7月19日閲覧。
  70. ^ オリックス吉田正尚4年連続10号 43試合で到達”. 日刊スポーツ. 2019年7月14日閲覧。
  71. ^ 吉田正尚70打席ぶり弾 バット角度など修正で結果”. 日刊スポーツ. 2019年7月14日閲覧。
  72. ^ オリックス吉田正尚「光栄」2年連続選手間投票で選出”. 日刊スポーツ. 2019年7月14日閲覧。
  73. ^ オリックス吉田正尚が敢闘選手賞 待望の球宴初弾”. 日刊スポーツ. 2019年7月14日閲覧。
  74. ^ オリックス・吉田正 3打数1安打、打率・322で初の首位打者に届かず”. スポーツニッポン. 2019年10月15日閲覧。
  75. ^ オリックス吉田正尚「びっくり」2度目の月間MVP”. 日刊スポーツ (2019年10月15日). 2019年11月1日閲覧。
  76. ^ 吉田正尚2年連続ベストナイン 谷佳知超えを狙う”. 日刊スポーツ (2019年10月15日). 2019年11月29日閲覧。
  77. ^ イチロー以来!オリックス吉田正尚は激増5年目2億!”. 日刊スポーツ (2019年11月29日). 2019年11月29日閲覧。
  78. ^ 2年連続最下位、2020年のオリックスを振り返る 吉田正が首位打者も…【野手編】”. Full-Count (2020年12月31日). 2021年1月22日閲覧。
  79. ^ オリ・吉田正 6年目野手では史上最高の2億8000万円 初の越年交渉でイチロー氏も柳田も超えた”. スポーツニッポン (2021年1月23日). 2021年1月23日閲覧。
  80. ^ オリックス吉田正尚が米挑戦検討示唆「少し話した」”. 日刊スポーツ (2021年1月23日). 2021年1月23日閲覧。
  81. ^ オリックス・ドラフト1位吉田正 門田2世だ”. デイリースポーツ (2016年1月22日). 2016年2月5日閲覧。
  82. ^ 吉田正尚選手が「豪快な打撃」伝授 福井で少年野球教室”. 福井新聞. 2018年4月5日閲覧。
  83. ^ 青学大・吉田正尚はオリックスが単独1位指名”. 日刊スポーツ (2015年10月22日). 2021年1月23日閲覧。
  84. ^ a b オリックス吉田正尚が抱くホームランへの思い”. ベースボールキング (2017年9月4日). 2018年4月5日閲覧。
  85. ^ 吉田 正尚選手(オリックス・バファローズ)後編「身体が小さくてもホームランは追求できる」”. 高校野球ドットコム (2017年12月8日). 2018年4月5日閲覧。
  86. ^ オリックス吉田正尚、本塁打連発の秘密 小柄な体で飛距離を生み出す理由とは!?”. スポーツナビ. 2018年4月5日閲覧。
  87. ^ 朝日新聞』、2018年4月5日付朝刊。
  88. ^ a b 記録的年俸増の吉田正尚、理想の打者ぶり示すデータ”. 日刊スポーツ (2015年10月22日). 2021年1月23日閲覧。
  89. ^ わずか29三振の首位打者・吉田正尚が三振するとオリックスは負ける?”. SPAIA (2021年1月21日). 2021年1月23日閲覧。
  90. ^ a b 今年ブレイク必至 恩師が語るオリックス吉田正尚、フルスイングの秘話”. Full-Count (2017年1月26日). 2017年2月7日閲覧。
  91. ^ 飛躍の2年目へ オリックス・吉田正尚外野手”. 毎日新聞 (2017年2月2日). 2017年2月7日閲覧。
  92. ^ 吉田正尚、原点で打撃感触を確認 岸本淳希、玉村祐典も後輩と初練習”. 福井新聞. 2017年2月7日閲覧。
  93. ^ 【オリックス】昨年手術の吉田 室伏広治氏の指導でトレーニング”. スポーツ報知 (2018年1月21日). 2018年5月25日閲覧。
  94. ^ 「マッチョ」を前面に!? オリックス吉田正プロデュースの“チャンス動画”が話題”. Full-Count (2018年4月20日). 2018年6月23日閲覧。
  95. ^ オリックス吉田正、本塁打で世界の子どもたち救う 1発につき10万円寄付へ”. スポーツニッポン (2019年2月23日). 2019年2月23日閲覧。

関連項目

外部リンク

ソフトバンク

ソフトバンク株式会社: SoftBank Corp.[1])は、ソフトバンクグループ株式会社傘下の会社で、日本で携帯電話などの無線通信サービス移動体通信事業者)および長距離国際通信を提供する日本の大手電気通信事業者。2015年7月1日にソフトバンクモバイル株式会社から商号変更した。

ソフトバンクが展開するSoftBankブランドの携帯電話についてはSoftBank (携帯電話)、当社との協業によるMVNO(仮想移動体通信事業者)や当社が吸収合併した事業者から継承した他ブランドPHS事業を含む)などについては、それぞれ別記事で扱う。

概要

会社組織上の原点は日本国有鉄道(国鉄)が分割民営化するのに先立ち、1986年に国鉄の鉄道電話事業の継承を目的として設立された鉄道通信株式会社(JR通信)である。その後、1989年に旧国鉄が新電電子会社として設立した日本テレコムを吸収合併し、JR通信は日本テレコム(2代目)へ改称した。

日本テレコムは1991年に携帯電話(移動体通信)事業に参入するため、関東甲信地方東海地方近畿地方地域においてパシフィック・テレシス(その後、移動体通信をエアタッチに分割)、JRグループ他との共同出資でデジタルホングループを設立。北海道東北地方北陸地方中国地方四国ならびに九州ではデジタルホンとして参入せず、1994年に日産自動車他との共同出資でデジタルツーカーを設立。IDODDIセルラーと同じく、ローミングにより全国サービスを提供した。

1997年からデジタルホン・デジタルツーカーの共通のブランドとしてJ-PHONEジェイフォン)を制定。1999年に日産自動車が資本撤退したデジタルツーカーはデジタルホンの地域会社に吸収合併され、2000年に日本テレコムとボーダフォンの出資会社であるジェイフォン株式会社(旧アイエムティ二千企画)がデジタルホンの地域会社を傘下に入れ、吸収合併により1社へ集約した。また、同年11月に国内で初めてカメラ付き携帯電話J-SH04)を市販化し、キャンペーンの一環として行った「写メール」はジェイフォンの市場占有率を引き上げるきっかけとなった。

2000年からイギリスの携帯電話会社ボーダフォン(Vodafone)がジェイフォンのM&Aによる日本の携帯電話事業への参入を狙っていたが、親会社である日本テレコムは乗っ取りを懸念したことで1999年にBTグループAT&Tと出資を受け入れていた。しかし、環境の変化によりボーダフォンは2001年10月に日本テレコム株式の過半数を既存株主から買収することに成功したことで、日本テレコムおよびジェイフォンはボーダフォングループとなった。宣伝や端末などにはJ-PHONEとVodafoneを併記したシンボルロゴを即ちに採用。2002年には第3世代移動通信システム (3G)のサービスとしてVodafone Global Standard(のちにVodafone 3G、さらにSoftBank 3G)を開始した。

2003年10月にボーダフォンは日本テレコムホールディングスから会社分割した日本テレコム(3代目)をリップルウッド・ホールディングスへ売却し、翌11月にジェイフォンはボーダフォン株式会社へ商号変更を実施。

2004年7月30日付でソフトバンク(現・ソフトバンクグループ)が日本テレコムを買収。

ボーダフォン(日本)では、2004年7月は競合他社との料金面での競争激化や通信エリアの不満から新規契約数より解約数が多くなった[5]

2006年3月、BBモバイルによる携帯電話事業参入を計画していたソフトバンクグループが、英ボーダフォンからボーダフォン株式会社の株式と資産・負債を日本企業として最高額となる1兆7500億円で買収する旨を発表[6]。同年10月1日をもってボーダフォン日本法人はソフトバンクモバイル、日本テレコムはソフトバンクテレコムへ社名を変更した。

2007年4月より口座振替のお知らせ・ご利用料金のご案内など紙の請求書は有料化した。

2015年4月1日付で、ソフトバンクモバイルがソフトバンクBB、ソフトバンクテレコム(ソフトバンクテレコム販売逆さ合併した2代目)、ワイモバイルを吸収合併。これに伴い、完全親会社のBBモバイルの出資が75.81%となり、ソフトバンク本体が24.18%(グループ合算で99.99%)、その他0.01%の出資構成となった。また、社名は変更がないながらも、BBおよびワイモバイル(旧・イー・アクセス)のADSL事業、テレコムの長距離・国際事業といった固定系通信事業も手掛けることになる。また、ワイモバイルを継承したことにより、一社で固定通信とPHSを兼営することになった。

2015年7月1日付で、持株会社のソフトバンクが「ソフトバンクグループ株式会社」に商号変更すると同時に、ソフトバンクモバイルが商号を承継し、(新)「ソフトバンク株式会社」となった(持株会社のソフトバンク株式会社が6月19日開催した株主総会で商号変更が承認された)。商号変更については「携帯電話事業などの移動体通信事業だけでなく、固定通信事業、インターネット接続サービスと、事業領域が拡大したことによる」としている[7]。なお携帯電話のブランドについては過去の経緯などからの名残により、現在も「ソフトバンク」と「ワイモバイル」のデュアルブランドとして併存している。

2015年12月1日付で、中間持株会社であったモバイルテック(BBモバイルの完全親会社)及びBBモバイルがソフトバンクグループに吸収合併され、同社が99.99%の株式を直接保有することになった。

沿革

  • 1984年10月 - (初代)日本テレコム株式会社を設立。
  • 1986年12月9日 - 日本国有鉄道の分割民営化に伴い「鉄道通信株式会社」を設立。
  • 1987年
    • 3月 - 第一種電気通信事業許可を取得
    • 4月 - 日本国有鉄道から基幹通信網を承継し、JR電話サービス・専用サービスの営業開始
  • 1989年5月1日 - 鉄道通信株式会社が、国内専用線・0088市外電話・市外公衆電話サービスの(初代)日本テレコム株式会社を合併し、「(2代目)日本テレコム株式会社」に商号変更。
  • 1991年
    • 2月 - 「0088カード」サービス開始。
    • 7月 - 株式会社東京デジタルホン(関連会社、後のジェイフォン東日本株式会社)を設立し、携帯・自動車電話事業に参入。
    • 11月 - 株式会社関西デジタルホン(関連会社、後のジェイフォン西日本株式会社)を設立。
  • 1992年11月 - 株式会社東海デジタルホン(関連会社、後のジェイフォン東海株式会社)を設立。
  • 1994年
    • 3月15日 - 株式会社デジタルツーカー九州(関連会社)を設立。
    • 4月 - 株式会社東京デジタルホンによる携帯・自動車電話サービスの営業開始。
    • 9月6日 - 東京証券取引所及び大阪証券取引所の各市場第二部に上場
    • 10月 - 株式会社デジタルツーカー中国(関連会社)を設立。
  • 1995年
    • 4月28日 - 株式会社デジタルツーカー東北(関連会社)を設立。
    • 7月28日 - 株式会社デジタルツーカー北海道(関連会社)を設立。
    • 9月4日 - 株式会社デジタルツーカー北陸(関連会社)を設立。
    • 10月4日 - 株式会社デジタルツーカー四国(関連会社)を設立。
  • 1996年9月 - 東京証券取引所及び大阪証券取引所の各市場第一部に指定替え。
  • 1997年
    • 2月 - 株式会社デジタルツーカー四国(関連会社)の開業をもって、携帯・自動車電話事業の全国展開完了。
    • 4月 - 「ODN」サービス開始。
    • 10月1日 - 日本テレコムが、「0041国際電話サービス」の日本国際通信(ITJ)を吸収合併。
  • 1998年
    • 5月25日 - ビーティ・コミュニケーションズ・サービス株式会社設立。
    • 11月30日 - 日本テレコム・日産自動車・エアタッチインターナショナル社の3社合弁にて、次世代携帯電話システム「IMT-2000」の事業性を調査する株式会社アイエムティ二千企画(関連会社、後のボーダフォン株式会社)設立[8]
  • 1999年
  • 1999年10月 - デジタルホン、デジタルツーカー各社がジェイフォン東京株式会社(以下、J-フォンと表記)など「J-フォン[注 2]」を冠した商号に変更。
  • 2000年
    • 2月 - 株式会社アイエムティ二千企画(後のボーダフォン株式会社)を子会社化。
    • 4月1日 - 株式会社アイエムティ二千企画がJ-フォン株式会社に商号変更。
    • 5月1日 - 日本テレコム株式会社が日本テレコムコミュニケーションズサービス株式会社を合併。
    • 5月9日 - J-フォン9社を子会社化。
    • 10月1日 - 合併により全国3社(事業会社)体制へ。
      • J-フォン東京株式会社がJ-フォン北海道株式会社、J-フォン東北株式会社を合併し、J-フォン東日本株式会社に商号変更。
      • J-フォン関西株式会社がJ-フォン北陸株式会社、J-フォン中国株式会社、J-フォン四国株式会社、J-フォン九州株式会社を合併し、J-フォン西日本株式会社に商号変更。
      • J-フォン東海株式会社はそのまま存続。
  • 2001年
    • 5月 - 市内電話サービスの提供を開始。
    • 7月 - ブリティッシュ・テレコミュニケーションズ PLC、AT&T CORPとの包括的提携契約を解消。
    • 10月 - Vodafone International Holdings B.V.(以下、英ボーダフォン)による日本テレコム株式会社の株式公開買付けの結果、親会社であるVodafone Group Plcが日本テレコム株式会社の議決権の過半を有する親会社となる。
    • 11月1日 - J-フォンが、J-フォン東日本、J-フォン東海、J-フォン西日本を吸収合併。
  • 2002年
    • 7月 - 会社分割によりジャパン・システム・ソリューションを設立し、移動体通信事業におけるシステム・ソリューション事業を承継。また、会社分割によりテレコム・エクスプレスを設立し、携帯電話端末の販売代理店事業を承継。
    • 8月1日 - 日本テレコム株式会社が、「日本テレコムホールディングス株式会社」に商号変更し、事業を承継する完全子会社(3代目)日本テレコム株式会社(後の初代ソフトバンクテレコム株式会社)を会社分割(新設分割)にて設立し、純粋持株会社に移行。
  • 2003年
    • 10月1日 - J-フォン株式会社がボーダフォン株式会社に商号変更。
    • 11月14日 - 日本テレコムホールディングス株式会社が(3代目)日本テレコム株式会社の全株式をリップルウッドへ譲渡。
    • 12月10日 - 日本テレコムホールディングス株式会社が「ボーダフォンホールディングス株式会社」に商号変更。
  • 2004年
    • 6月 - 英ボーダフォンがボーダフォンホールディングス株式会社の株式を公開買付けし、96.08%を取得。
    • 10月1日 - ボーダフォンホールディングス株式会社が、ボーダフォン株式会社を合併し、商号を「(2代目)ボーダフォン株式会社」に変更。英ボーダフォンの株式の所有割合が97.68%に上昇。
    • 12月 - 海外でも携帯電話のTV電話機能を利用できる「国際ローミングTVコール」を開始。
  • 2005年
    • 5月13日 - 少数特定者持株数が上場株式数の90%超となった為、東京証券取引所及び大阪証券取引所が株式を監理ポストに割り当てる。
    • 8月1日 - 上場廃止。
  • 2006年
    • 3月17日 - 英ボーダフォンが日本法人の携帯電話事業を1兆7500億円でソフトバンクに売却することで合意。
    • 5月18日 - 10月1日より社名をソフトバンクモバイルに、ブランド名をSoftBank(ソフトバンク)に変更すると発表。
    • 8月 - BBモバイルを完全親会社とする株式交換により、同社の100%子会社となる。
    • 10月1日 - 「ソフトバンクモバイル株式会社」に商号変更[9]
  • 2007年6月 - 監査役会設置会社に移行。
  • 2008年7月-AppleのiPhone 3Gを日本で独占販売
  • 2010年4月 - ジャパン・システム・ソリューション、ジャパン・モバイル・コミュニケーションズ、ソフトバンクモバイルサポートを吸収合併。
  • 2012年
    • 2月 - LTEデータ通信サービス「SoftBank 4G」(AXGP方式)の提供を開始。
    • 7月 - 900MHz帯プラチナバンド)を使用した通信サービスの提供を開始。
    • 9月 - FDD-LTE方式の高速データ通信サービス「SoftBank 4G LTE」の提供を開始。
  • 2013年2月 - ソフトバンク衛星電話サービスの提供を開始。
  • 2014年12月 - 「VoLTE」による音声通話サービスの提供を開始。
  • 2015年
    • 4月1日 - ソフトバンクBB(2代目)ソフトバンクテレコムワイモバイルの3社を吸収合併[10]。これに伴い、親会社はソフトバンク本体と本体の孫会社であり、かつモバイルテックの子会社であるBBモバイルの2社となり、移動体通信事業だけでなく固定通信事業も手掛けることになる[11]
    • 7月1日 - 「(2代目)ソフトバンク株式会社」に商号変更[12]。持株会社の(初代)ソフトバンク株式会社はソフトバンクグループ株式会社に商号変更。
    • 7月 - 株式会社テレコム・エクスプレスを合併。
    • 9月15日 - ソフトバンク・ペイメント・サービスを完全子会社化 [13]
    • 12月1日 - モバイルテック及びBBモバイルがソフトバンクグループ株式会社に吸収合併され、ソフトバンクグループ株式会社のみが親会社となる。
  • 2016年7月1日 - 親会社がソフトバンクグループジャパン合同会社に異動[14]
  • 2017年
    • 4月24日 - 親会社ソフトバンクグループジャパン合同会社が、ソフトバンクグループインターナショナル合同会社に吸収合併され、ソフトバンクグループインターナショナル合同会社(現・ソフトバンクグループジャパン株式会社)の子会社となる。
    • 5月15日 - SB C&S ホールディングス合同会社(現:SB C&S ホールディングス株式会社。ソフトバンクコマース&サービスの親会社)を完全子会社化 [13]
    • 10月 - 日本テレコムインフォメーションサービス株式会社を合併。
  • 2018年
  • 2019年
    • 1月1日、主要子会社である、ソフトバンク C&Sソフトバンク・ペイメント・サービスソフトバンク サテライト プランニングソフトバンクモバイル サービスが、それぞれSB C&SSBペイメントサービスBB SatelliteSBモバイルサービスに商号変更[23]
    • 6月 - FinTechを含む様々な事業分野での連携およびシナジー強化を目的として、ヤフー株式会社を子会社化。
    • 11月 - 子会社であるZホールディングスは、eコマース事業のさらなる成長のためにファッションECを強化することを目的として、ZOZOを子会社化。

化。

  • 2021年
    • 1月1日、本社を汐留から竹芝に移転

主なサービス

移動通信サービス

インターネット接続サービス

  • SoftBank光
  • SoftBank Air
  • Yahoo! BB 光 with フレッツ
  • Yahoo! BB ADSL
  • ODN
  • SpinNet

固定電話サービス

  • おとくライン
  • フリーコールスーパー
  • マイライン/マイラインプラス
  • 0088電話サービス
  • 0061国際電話サービス
  • ボイスネット
  • 国際ISDN
  • IP-One IPフォン
  • JR電話サービス

 電気サービス 

  • おうち電気

 ロボット 

携帯電話事業の動向

ソフトバンクモバイルに改称した2007年度から純増数ではNTTドコモKDDI沖縄セルラー電話連合au、ワイモバイル・ウィルコム沖縄連合のイー・モバイルなどを抑え1位となる月が増え、純増数が26ヶ月連続で首位となり、翌月NTTドコモに抜かれるが再度その翌月に首位となるなど激しい加入者競争を繰り広げた。これは「ホワイトプラン」「ホワイト家族24」など契約期間を約束する代わりに基本料金を抑えたプランの人気が高いこと、加えて、いわゆるスパボ一括、法人向けには大規模な無料貸し出し(実質の相対無料プラン)を行っていること、2011年夏まではソフトバンクモバイルの専売機種であったiPhoneiPadの人気[24]などが理由として挙げられる。

日本国内の携帯電話契約数は約3976万契約であり、日本国内の携帯電話市場における市場占有率は3位[25](2015年9月末現在)。

NTT東西のに相当するネットワークサービス(ネットワーク上での非通知拒否)は、国内のMNO(移動体通信事業者)では唯一対応していない。このため、当社のMVNOであるEMOBILE 4G-SWILLCOM CORE 3Gなど、自社回線では対応していながらもMVNO回線では対応していないという現象も生じている(MNOは行っていないが、ディズニー・モバイルも同様に相当するサービスを行っていない)。

口座振替のお知らせ・ご利用料金のご案内など請求書は2007年4月より有料化された。[26]

サブブランド

2015年4月1日にワイモバイルを合併した後、ワイモバイルが行っていた通信サービス「Y!mobile」を、引き続き自社サービスとして行っており、実質的にSoftbankに次ぐ第2の通信サービス(いわゆるサブブランド)となっている。合併以前は、一方が他方のMVNOとして双方の通信エリアを利用していたものが、合併によりどちらも自社網として利用する形に移行したことになる(ただし制度上の制限により、両ブランド間の移動にはMNPと同様の手続きを踏む必要がある[27])。

さらに、2018年4月にはLINEが運営するMVNO・LINEモバイルの株式の51%を取得して子会社とした[28]。これにより、ソフトバンクには自社およびグループ企業を合わせて、SoftBank・Y!mobile・LINEモバイルという3つのブランドを抱えることになった。

ソフトバンクでは、上記3ブランドを下記のようにカテゴライズしている[27]

  • SoftBank - 大容量ユーザー・ビジネスユーザー
  • Y!mobile - ライトユーザー
  • LINEモバイル - 10代から20代前半の世代向け

出資会社の変遷

ボーダフォンによるジェイフォンの買収

ジェイフォンの親会社であった日本テレコム(以下JT)は、デジタルツーカー各社の共同出資者である日産自動車の資本撤退により、同社が債務保証をしていた設備投資に伴う借入金8000億円の負担やW-CDMAの設備投資を控えていた。1999年にアメリカの旧AT&T、イギリスのBTからそれぞれ15%ずつの出資受け入れにより資金調達を図った。JTの親会社であったJR各社はJT株の33.8%を保持していたため経営権は確保されていたが、国鉄時代からの債務縮小に力を入れていたJRにとってJTはコストがかかる会社でしかなく、さらにJTはJRに断りなく外資導入を決めたため、JRとの関係は悪くなる一方だった。

1999年に事業会社のジェイフォンに直接出資していた米国エアタッチ・コミュニケーションズが英ボーダフォングループ(以下VFG)に買収(2014年にベライゾン・ワイヤレスへ売却)された事により、VFGが経営参画(ジェイフォン北海道の社長はエアタッチ出身のだった。トンプソンはのちに専務執行役技術本部長に就任した)。VFGはジェイフォンの買収により日本の携帯電話市場への参入を目論み、2001年にAT&T・BTおよびJR東海JR西日本が手放した日本テレコムの株式を購入。同年9月にはTOB実施によりJR東日本からも日本テレコム株式を取得し、出資比率を66.73%にまで上げてVFGの子会社とした。

日本テレコムを子会社化した直後の2001年10月に逸早くブランドをVodafoneに移行することを決定。J-PHONEVodafoneを併記するデュアルロゴを採用して、ブランド認知度向上を図った。また、さらなる認知度と好意度、選好度向上を目指して、メールアドレスのドメイン強制変更を断行したが、これは大きな反感を買い混乱を招いた。このため、ソフトバンクになった現在においても割り当てられたVodafoneドメインのメールアドレスを初期状態のまま変更しない限り、J-フォン時代のドメインを使用したメールアドレスにメールを送信しても受信できるようにしている。

ジェイフォン時代には写メールなどのサービス展開により契約純増数を確実に増やし、2002年3月末には戦略を決めあぐねていたauを全体シェアで追い抜き、わずか1ヶ月とはいえ、累計加入者数で2位となったこともあった[29]。しかし日本とヨーロッパで統一した仕様の端末を出す「コンバージェンス端末」戦略をとったために、「写メール」に続く話題となるサービスを出せなかった。その結果、クアルコムチップの進化とともに「着うた」などのサービスをリリースしたauなど他キャリアにシェアを奪われてしまう。

また、後述する「ボーダフォンから10の約束」をのちに反故する形となったり、ほとんどの利用者にとって事実上の値上げとなった料金改定、端末調達絞り込みによる魅力減など、各施策の多くは裏目に出た。

こうした経緯からVFGは日本事業の見直しを迫られ、元NTTドコモ副社長の津田志郎ヘッドハンティングしたり、設備投資を増加させるなど手を打った。しかし株主からの利益確保への圧力、アメリカにおけるベライゾン社の完全子会社化の失敗、成長市場への資本集中などが重なったことと、ソフトバンクからの買収申し入れもあり、本国のCEOが日本事業からの撤退を決断。こうして日本におけるVodafoneの歴史は幕を閉じた。

ボーダフォン買収以前の資本構成

東日本・東海・西日本のジェイフォン地域会社統合以前(2001年2月)のジェイフォン株式会社の出資比率は、以下のとおりであった。

  • 日本テレコム株式会社 - 54%
法人格は鉄道通信に遡り、VFG買収後は日本テレコムホールディングス→ボーダフォンホールディングス→ボーダフォン→ソフトバンクモバイル→ソフトバンクとなっている。

ボーダフォンから10の約束

2003年10月にボーダフォンへ社名変更を行う際に新施策を告知したもの。企業・経営理念のような箇条書きであるが広告展開に過ぎず、同時期になってパケット定額制を導入するなど他社では当たり前のことやサービス名の変更など抽象的なフレーズが占めていた。

これを期に開始したハッピーボーナスハッピータイムなど新割引サービスとインセンティブの支出増加で2004年3月期は減益・赤字決算となり、2004年6月にはハッピータイムを終了。「ボーダフォンから10の約束」は半年ほどで消滅した[30]。その後、約束反故として記者会見などで後々にまで語られることとなる。内容は以下の通り。

  1. 機種変更、お求めやすく
  2. 料金プランや割引サービスをパワーアップ
  3. 先進機能搭載、優れたデザインの携帯を次々と
  4. Eメール受信は今までどおり
  5. 「J-スカイ」は「ボーダフォンライブ!」へ飛躍します
  6. 「J-フォンショップ」は「ボーダフォンショップ」へ
  7. もっとグローバルに
  8. TVコールサービスを使いやすく
  9. パッケージプランの提供
  10. 「J-フォン」のケータイは引き続きご利用いただけます

ソフトバンクグループによる買収

ソフトバンク(現・ソフトバンクグループ)は2006年3月17日、英ボーダフォンから日本法人を1兆7500億円で買収する契約を結んだと発表した。2ヶ月以内に子会社を通じて買取を完了する。買収資金のうちの1兆800億円程度は買収先のボーダフォン株式等を担保に資金を調達するLBO方式であり、残りをソフトバンクやYahoo!JAPANが出資する形でまかなわれることを明らかにした。

当初、英ボーダフォンは日本法人株の一部を継続して保有し、ある程度の影響力を保持しようと考えていたが、ソフトバンクとの幾度となる交渉によって結果として保有株のすべてを譲渡した。しかし英ボーダフォンは日本から完全に撤退するのではなく、両社は戦略提携をし、ジョイントベンチャー(共同企業体)を設立する。また、英ボーダフォンは2006年4月27日までに、3000億円相当の優先株式・新株予約権と1000億円相当の劣後債の投資をBBモバイルに対して行っている。

2006年10月1日にボーダフォン株式会社は社名をソフトバンクモバイル株式会社、ブランド名をSoftBankに変更した。

2011年11月30日をもって、英ボーダフォンとソフトバンクモバイル間の法人向けを中心とした提携契約の更新を行わず、翌日よりボーダフォンがNTTドコモを中心としたコネクサスモバイルアライアンスに加入する事業者の一部と提携する方針であることが明らかになっている。

4つのコミットメント

2006年5月10日、ボーダフォン買収完了後初の決算発表会において、ボーダフォン改革の4つのコミットメントが発表された。圏外が多い、端末に魅力がないなどの理由から解約が多かったとして、3G基地局を現行の2万局から年度内に4万6000局に増やすこと、日本のユーザのニーズに合わせた端末づくりを行うことなどが約束された。

  1. 3Gネットワークの増強
  2. 3G端末の強化
  3. コンテンツの強化
  4. 営業体制・ブランディングの強化

経過

  • 2006年02月: MVNOでのボーダフォンとソフトバンク提携交渉を行っていると報道される。
  • 2006年03月03日: 英ボーダフォン、ボーダフォン日本法人買収交渉の事実認める。
  • 2006年03月04日: ソフトバンク、ボーダフォン日本法人買収交渉の事実認める。
  • 2006年03月17日: 英ボーダフォンはボーダフォン日本法人をソフトバンクに1兆7500億円で譲渡することを決定。また公式発表をしたソフトバンク社長の孫正義は基本的には新ブランドに切り替える意向をあらわした。新ブランドの詳細については「できるだけ早い時期に決めていきたい。まだ決定しておらず、これから検討していく」と述べた。
  • 2006年03月17日: ソフトバンク、ホームページに買収決定後初めてのコメントボーダフォン株式会社の買収およびヤフー株式会社との携帯電話事業に関する業務提携についてを掲載。
  • 2006年04月04日: ソフトバンク、BBモバイルを通して1株31万3456円でTOBを実施。
  • 2006年04月14日: ボーダフォン、ホームページに今後の方針"お客さま第一主義の継続"を掲載。メールアドレスのドメイン名や現行サービス継続の意向を表明。
  • 2006年04月24日: 5月1日より本社を港区愛宕にあるからソフトバンク本社と同じ同区東新橋の東京汐留ビルディングに移転することを発表。ソフトバンクグループ企業との連携強化のためとしている。
  • 2006年04月27日: ソフトバンク、BBモバイルを通して英ボーダフォン所有のボーダフォン日本法人株を買い付けると同時にメトロフォン・サービスの全株式を買い付けすることにより同社が保有する株も合わせて取得することで、ボーダフォン日本法人株540万2913株(発行済株式数99.54%)を取得。
  • 2006年04月28日: ソフトバンク社長孫正義が、ボーダフォンの取締役会議長ならびに代表執行役社長兼CEOに就任。
  • 2006年05月18日: 同年10月1日をもって「ソフトバンクモバイル株式会社」に社名変更、ブランドもソフトバンクを基本としたものに変更することが発表された。
  • 2006年06月09日: 総務省から産業再生法の適用を受け、ボーダフォン日本法人株を100%取得する際に株式に代えて現金の交付が可能になった。
  • 2006年08月15日: ソフトバンクの完全子会社となる。
  • 2006年08月25日: ソフトバンクロゴが入った機種発売開始を発表。このロゴマークはソフトバンクグループの「〓」をあしらったものだが、色はシルバーメタリックになっている(ソフトバンク本社は、黄色=レヴォリューション・イエロー)。
  • 2006年10月01日: ソフトバンクモバイルに社名変更。

株主構成

(2018年12月19日現在)

  • ソフトバンクグループジャパン株式会社 63.14%[31]

2015年3月までは、ソフトバンク(現・ソフトバンクグループ)の孫会社であるBBモバイル株式会社が全株を保有し、BBモバイルの全株を保有する子会社モバイルテックを介して旧ソフトバンクがすべての株式を間接保有していた。なお、ボーダフォン株式会社をソフトバンクが買収する以前には、ソフトバンクが独自に携帯電話事業に新規参入する計画があった。BBモバイルはその事業会社となる予定で、総務省から2005年11月10日付でBBモバイルに対し携帯電話事業が認定されている。しかし、BBモバイルは、下記の手法でボーダフォン株式会社(当時)を傘下におさめたことで携帯電話事業に参入したため、2006年4月28日に新規参入認定を総務省に返上することを発表した。

2006年4月に行われた株式公開買い付け(TOB)では、応募があったのは99.54%で、以下の株主構成となった(旧ソフトバンクによる株式会社の完全子会社化はできなかった)。

  • BBモバイル株式会社 - 529万9814株、議決権の97.6%
  • メトロフォン・サービス株式会社 - 10万3099株、議決権の1.9%(メトロフォンはBBモバイルに買収され完全子会社となった)

その後、2006年6月9日に総務大臣産業活力再生特別措置法(産活法)の事業再構築計画を認定。同年7月4日には、産活法を活用したによる株式交換契約を締結。同年8月15日までに株式交換を実施し、78億円で少数株主が保有していた残りの0.46%の株式をBBモバイルが取得し、ボーダフォンを完全子会社化した。

親子関係は、ソフトバンクグループ(持株会社) >モバイルテック >BBモバイル >ソフトバンクとなり、ソフトバンクグループから見ると曾孫会社にあたる。

2015年4月にグループの他の通信事業者3社(ソフトバンクBB・ソフトバンクテレコム・ワイモバイル。いずれも旧ソフトバンクが直接株式を保有している)を吸収合併した結果、旧ワイモバイルの株主所有分が振り替えられたため、ごくわずかだがソフトバンクグループ以外の保有分が生じた。この時点の株主構成は以下の通り。

  • BBモバイル株式会社 - 75.81%
  • ソフトバンク株式会社(現ソフトバンクグループ株式会社)24.18% (間接保有込で99.99%)
  • その他 0.01%

2015年12月1日に、モバイルテック及びBBモバイルが、ソフトバンクグループ株式会社に吸収合併され、ソフトバンクグループ株式会社が99.99%直接保有することとなった[32]。 2016年7月1日: 親会社がソフトバンクグループジャパン合同会社(現:ソフトバンクグループジャパン株式会社)に異動した[33]

不祥事

特別採用コース

2009年3月17日、2010年4月入社を目標に応募してきた学生の一部に、営業・企画職のみのリベンジ採用(エンジニア職や一般職は対象外)として「特別採用コース」の案内が電子メールで送られた。内容は学生に対し2009年3月23日から2009年4月12日までにソフトバンクモバイルの携帯電話の新規契約を取らせ、その結果を筆記試験・面接と共に選考基準に加えるというものである。

なお、同社では採用するか決まっていない学生に対し実質的に営業をさせることについて「筆記試験・面接には無い選考基準を設けただけで営業目的ではない」とコメントしている。なお、グループ会社のソフトバンクBBやソフトバンクテレコムも同時一括採用のため、同様の採用条件を設けている[34]。この選考について労働基準法違反に抵触する疑いがあるとして、厚生労働省が調査を開始した。

問題が社会的に注目を集めたことから、後にソフトバンクの新規契約数ではなく、販売モデルの提案や面接などの選考内容に変更された。

信用情報機関への入金誤登録事件

2009年10月8日から2013年8月6日の間に、スマートフォンを分割購入(個別信用購入あっせん契約/割賦購入契約)した際に、分割支払金や携帯電話料金を支払っているにも関わらず、誤った信用情報がシー・アイ・シー(CIC)と日本信用情報機構(JICC)に、料金が支払われてない「未入金」として、63,133件が登録されていたことを、2013年10月1日に発表した[35]。また、この事象に関連して、CRINに接続されている提携信用情報機関の全国銀行個人信用情報センター(全国銀行協会運営)の加盟会員各社との取引時に悪影響を受けた[35]

実際に誤登録でクレジットカード審査やローン審査など、影響を受けた件数は16,827件と公表しており、影響を受けたと思われる顧客に対して、ダイレクトメールで謝罪と連絡をした[36]。また、信用情報に含まれる内容をどう扱うかは事業者によって異なるうえ、その審査内容は非公開のため「誤登録に関して、信用情報の取引時に個別・具体的にどんな影響があったかをソフトバンクモバイル側で詳細に調査・通知するのは難しい」と述べている[35]

誤登録事件は、2009年にコンピュータシステムを改修した際のコンピュータプログラムの設定ミスが原因で、2013年3月、利用者からソフトバンクモバイルへの問い合わせがきっかけで発覚し、同年3月末までに経済産業省に届け出ていたが、利用者への通知が、誤登録発覚から6ヶ月も後になったのは「影響範囲の確認や関係各所との調整のため、一般ユーザーへの公表までに時間がかかった」と、ソフトバンクモバイル広報は説明している[35]

問題発表の前日(9月30日)には、2013年冬春商戦向け新型スマートフォンの発表会を行ったが、孫正義は誤登録事件については触れず、むしろ「重大な通信障害を起こしていないのはソフトバンクだけだ」と、競合他社(NTTドコモ、au)の通信障害の事例を並べながら、850日間も重大事故が無いことを強くアピールしていたが、10月3日付の産経新聞では「誤登録は通信障害ではないが、稀に見る“重大事故”だ」「個人の信用情報を傷つけ、単なる通信障害よりも社会的影響は大きい」と批判し、インターネットユーザーも、この誤登録事件について批判した[37]

申告漏れ(所得隠し)の発覚

同社が2012年から2015年までの3年間に亘り、東京国税局税務調査によって、計約62億円の申告漏れを指摘されていたことが、2017年12月に判明した。このうち、携帯電話の通信用アンテナの耐用年数を30年に設定することで、1年当たりの資産の目減り分を毎年の減価償却費としてしていたことについて「減価償却費を過大に計上している」などとして約62億円の申告漏れを指摘されたほか、別会社に委託した研究開発業務費用約1億4000万円についても所得隠しに当たると判断され、重加算税を含め約17億円を追徴課税された[38]

景品表示法違反(おとり広告)

2017年7月27日、店舗に対象となる商品を十分に準備していなかったにもかかわらず、Apple Watchを割安なキャンペーン価格で販売すると広告したとして、景品表示法違反(おとり広告)で消費者庁から再発防止の措置命令を受けた。2016年11月3日から始まるキャンペーンの初日からほぼ全店舗で過半数の種類の在庫がなかった[39]

大規模通信障害

2018年12月6日、大規模な通信障害が発生。約4千万回線が日中の4時間半にわたって、ソフトバンクやY!mobileで通話や通信できない異例の事態に陥った。原因は通信の要となる、交換機のソフトの不具合で、認証などの処理が進まず、端末が通信できなくなった。この大規模な通信障害について、総務省は電気通信事業法に基づく「重大な事故」にあたるとみて、同社に対して事故原因などの報告を求める行政指導、業務改善命令を出す方針を固めた。宮内社長は会見で、大規模通信障害の後、4~5日間で約1万件もの解約があったことを公表した。
この日はソフトバンクだけではなく、同じ会社のソフトを使用している日本国外11の通信事業者でもほぼ同時刻に通信障害が発生したことも公表している[40]

機密情報のロシアへの譲渡

2020年1月25日、ソフトバンクの元社員が不正に取得した機密情報を駐日ロシア連邦通商代表部の職員らに渡し、現金を受領したとして警視庁公安部不正競争防止法違反の疑いで逮捕された。逮捕容疑は2019年2月18日、勤務していたソフトバンクのサーバーにアクセスし、営業秘密である機密情報など計2点を複製し不正に取得した疑い[41]。ソフトバンクは「多大なるご心配とご迷惑をおかけしたことを深くおわびする」とするコメントを発表した[42]。ソフトバンクの広報担当によれば、逮捕された元社員は事件当時は設備構築業務の省力化を推進する部門の統括部長を務めており、持ち出された疑いがあるのは工事の手順書で捜査当局から連絡を受けた後、2019年12月中旬に懲戒解雇したとしている[43][44]

7月9日、東京地方裁判所は元社員に対し不正競争防止法違反の罪で懲役2年執行猶予4年、罰金80万円の有罪判決を言い渡した[45]

駐日ロシア連邦通商代表部の職員についても不正競争防止法違反の教唆容疑で書類送検されたが、国外に出国しており再入国の見込みが無いことから不起訴処分となった[46]

5G技術不正持ち出し容疑

2021年1月12日、警視庁は元ソフトバンク社員(2019年12月31日、ソフトバンクを退職。翌日の2020年1月1日に楽天モバイルへ転職[47])が同社から第5世代移動通信システム(5G)に関する技術情報を不正に持ち出したとして、不正競争防止法違反の疑いで、この元社員を逮捕した[48][49]。ソフトバンクは2020年2月に事態を把握し[50]、警視庁に相談・被害申告。元社員が利用する楽天モバイルの業務用パソコン内に同社営業秘密が保管されており、楽天モバイルが当社営業秘密を既に何らかの形で利用している可能性が高いと認識。今後、楽天モバイルにおいて当社営業秘密が楽天モバイルの事業に利用されることがないよう、同社営業秘密の利用停止と廃棄等を目的とした民事訴訟を提起する予定である事・引き続き捜査当局に全面的に協力し、当該元社員への損害賠償請求を含めた措置も視野に入れて、今後の対応を検討していくと発表した[51]。また、楽天モバイル側も状況報告がなされた[52]が、楽天モバイル広報部によると「逮捕された人物が弊社に在籍していることは間違いないが、詳細についてはお答えできない。警察の捜査に全面的に協力していく」と取材に答えている[53]。 

スポンサー

テレビ
現在

日本テレビ

フジテレビ

TBS

テレビ朝日

過去

グループ会社(主要子会社)

脚注

注釈

  1. ^ 1984年10月に日本テレコム株式会社として創業、1986年12月9日に鉄道通信株式会社として設立。2002年に会社分割を実施し事業会社から純粋持株会社に移行、2004年に子会社を吸収合併し、携帯電話事業会社となる(詳細:[2])。
  2. ^ IMT2000企画同様、登記上の商号は「ジェイフォン東京株式会社」等となる。これは商法の規定により、2002年まではアルファベット登記ができなかったためである(IMT2000企画も同様)。

出典

  1. ^ a b c d e 会社概要”. ソフトバンク株式会社 (2015年4月1日). 2020年8月29日閲覧。
  2. ^ 沿革 - 企業情報 - 企業・IR - ソフトバンク
  3. ^ a b c 第33期 有価証券報告書 (PDF)”. ソフトバンク株式会社 (2018年6月26日). 2020年6月26日閲覧。
  4. ^ 四半期報告書 2021年2月4日閲覧
  5. ^ 事業者別契約数 (平成17年1月末現在)”. 社団法人電気通信事業者協会. 2012年10月12日閲覧。
  6. ^ 小林伸也, 岡田有花 (2006年3月17日). “ソフトバンクの持ち出しは2000億円 巨額資金の仕組みは”. ITmedia. 2012年10月12日閲覧。
  7. ^ 当社及び子会社の商号変更に関するお知らせ |プレスリリース |ニュース |企業・IR |ソフトバンク
  8. ^ 次世代移動通信システム「IMT-2000」の企画会社設立について - 日産自動車公式ウェブサイト、2014年2月23日閲覧。
  9. ^ ソフトバンク・モバイル株式会社(現リアライズ・モバイル・コミュニケーションズ)とは別会社。
  10. ^ http://www.softbank.jp/corp/set/data/group/sbm/news/press/2015/20150123_01/pdf/20150123_01.pdf
  11. ^ 通信自由化20年 市場4倍22兆円
  12. ^ 当社及び子会社の商号変更に関するお知らせ,ソフトバンク株式会社,2015年5月11日
  13. ^ a b c 新規上場申請のための有価証券報告書 (PDF)”. ソフトバンク株式会社 (2018年11月12日). 2018年11月21日閲覧。
  14. ^ 第36期有価証券報告書”. ソフトバンクグループ (2016年6月22日). 2017年3月5日閲覧。
  15. ^ 支配株主等に関する事項について (PDF)”. アイティメディア株式会社 (2018年6月29日). 2018年11月21日閲覧。
  16. ^ 支配株主等に関する事項について”. ソフトバンク・テクノロジーズ株式会社 (2018年6月18日). 2018年11月21日閲覧。
  17. ^ ソフトバンク株式会社への国内子会社等株式の移管に関するお知らせ | プレスリリース | ニュース | 企業情報” (日本語). ソフトバンク. 2018年12月12日閲覧。
  18. ^ LINEモバイルとソフトバンク、MVNO事業「LINEモバイル」のさらなる成長を目的とする資本・業務提携締結のお知らせ”. ソフトバンク (2018年3月20日). 2018年11月21日閲覧。
  19. ^ 株式会社IDCフロンティアおよびファーストサーバ株式会社の株式取得について”. ソフトバンク (2018年3月20日). 2018年11月21日閲覧。
  20. ^ “ソフトバンク通信子会社、東証が上場承認 12月19日”. 日本経済新聞. (2018年11月12日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37644960S8A111C1000000/ 2018年11月15日閲覧。 
  21. ^ 新規上場会社情報”. JPX日本取引所グループ. 2018年12月10日閲覧。
  22. ^ “ソフトバンク上場、終値1282円 公開価格を15%下回る”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2018年12月19日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39088300Y8A211C1000000/ 2018年12月19日閲覧。 
  23. ^ 子会社の商号変更に関するお知らせ”. ソフトバンク株式会社 (2018年10月1日). 2018年11月22日閲覧。
  24. ^ ただし、NTTドコモ・auでもiPhone・iPadが発売されている。
  25. ^ 社団法人 電気通信事業者協会 (TCA) 事業者別契約数(2015年9月末現在)
  26. ^ ソフトバンク 携帯料金、請求書を有料化(2006.12、フジサンケイ ビジネスアイウェブアーカイブ)
  27. ^ a b 「ソフトバンク」と「Y!mobile」 2ブランド併存戦略の“功罪””. ITmedia mobile (2019年2月6日). 2019年2月13日閲覧。
  28. ^ LINEモバイルとソフトバンクの提携が完了 2018年夏にSB回線のサービスを提供”. ITmedia mobile (2018年3月20日). 2019年2月13日閲覧。
  29. ^ J-フォンがauを追い抜き2位にITpro 2002年4月5日
  30. ^ ITmediaモバイル:消えた"ボーダフォンの10の約束"
  31. ^ “ソフトバンク上場は12月19日に”. ケータイ Watch (インプレス). (2018年11月12日). https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1152901.html 2018年12月20日閲覧。 
  32. ^ 子会社(モバイルテック株式会社およびBBモバイル株式会社)の吸収合併(簡易合併・略式合併)に関するお知らせ,ソフトバンクグループ株式会社,2015年10月22日
  33. ^ 第36期有価証券報告書”. ソフトバンクグループ (2016年6月22日). 2017年3月5日閲覧。
  34. ^ J-CASTニュース:ケータイ「契約」実績で「特別採用」 学生から不満と批判の声
  35. ^ a b c d 田村奈央 (2013年10月2日). “ソフトバンクが端末分割代金を“未入金”として信用情報機関に誤登録、1.7万ユーザーに影響”. 日経NETWORK (日経BP). http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20131002/508163/ 2016年3月13日閲覧。 
  36. ^ “信用情報機関への入金登録情報の誤りについて” (プレスリリース), ソフトバンクモバイル株式会社, (2013年10月1日), http://www.softbank.jp/corp/group/sbm/news/info/2013/20131001_01/ 2016年3月13日閲覧。 
  37. ^ blueprint (2013年10月7日). “ソフトバンク信用情報誤登録問題、孫社長「重大事故ない」発言直後の発表に批判続出”. Business Journal. http://biz-journal.jp/2013/10/post_3068.html 2016年3月13日閲覧。 
  38. ^ ソフトバンク 国税局が62億円の申告漏れ指摘 NHKニュース 2017年12月3日
  39. ^ ソフトバンク:消費者庁が措置命令 おとり広告で”. 毎日新聞 (2017年7月27日). 2018年2月11日閲覧。
  40. ^ 2018年12月6日に発生した携帯電話サービスの通信障害に関するおわび | プレスリリース | 企業・IR |ソフトバンク株式会社 | 2018年12月6日
  41. ^ “ソフトバンクの機密情報、ロシアに譲渡か元社員逮捕”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2020年1月25日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54860730V20C20A1CZ8000/ 2020年2月10日閲覧。 
  42. ^ “当社元社員の逮捕について” (プレスリリース), ソフトバンク株式会社, (2020年1月25日), https://www.softbank.jp/corp/news/press/sbkk/2020/20200125_01/ 2020年2月10日閲覧。 
  43. ^ “ソフトバンク元社員が不正競争防止法違反容疑で逮捕、露に漏洩と報道”. ブルームバーグ. (2020年1月26日). https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-01-26/Q4OR9UT0G1L201 2020年2月10日閲覧。 
  44. ^ “ロシア側に漏えいか ソフトバンク元社員 機密、不正取得容疑で逮捕”. 東京新聞 (中日新聞社). (2020年1月26日). https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/202001/CK2020012602000135.html 2020年2月10日閲覧。 
  45. ^ “ソフトバンク元社員に有罪判決 ロシアへの機密漏洩事件”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2020年7月9日). https://www.asahi.com/amp/articles/ASN795VMLN79UTIL016.html 2020年7月11日閲覧。 
  46. ^ “ロシア元外交官を不起訴 機密情報取得そそのかした容疑”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2020年7月2日). https://www.asahi.com/amp/articles/ASN726SMYN72UTIL03C.html 2020年7月17日閲覧。 
  47. ^ 楽天「転職元の機密流出で社員逮捕」仰天の弁明 真っ向からぶつかるソフトバンクと楽天の主張”. 東洋経済オンライン (2021年1月12日). 2021年1月12日閲覧。
  48. ^ “5G技術不正持ち出し容疑 元ソフトバンク社員逮捕 - 警視庁”. JIJI.COM. (2021年1月12日). https://www.jiji.com/jc/article?k=2021011200425&g=soc 2021年1月12日閲覧。 
  49. ^ “5G技術持ち出し容疑 ソフトバンク元社員を逮捕 退職翌日にライバル社転職”. 毎日新聞. (2021年1月12日). https://mainichi.jp/articles/20210112/k00/00m/040/048000c 2021年1月12日閲覧。 
  50. ^ ソフトバンク元社員、楽天モバイル転職直前に秘密情報持ち出し ネット民「やることが大胆」「素人手口に呆れる」”. iza (2021年1月12日). 2021年1月12日閲覧。
  51. ^ 楽天モバイルへ転職した元社員の逮捕について”. ソフトバンク株式会社 (2021年1月12日). 2021年1月12日閲覧。
  52. ^ 従業員の逮捕について”. 楽天モバイル株式会社 (2021年1月12日). 2021年1月12日閲覧。
  53. ^ “ソフトバンク元社員を逮捕 5G情報を持ち出した疑い(会員記事)”. 朝日新聞デジタル. (2021年1月12日). https://www.asahi.com/articles/ASP1D3CT4P1DUTIL00B.html?iref=comtop_BreakingNews_list 2021年1月12日閲覧。 
  54. ^ ソフトバンク・チーム・ジャパン、アメリカズカップへの挑戦! -

関連項目

外部リンク


 

Back to Top
Close