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⚾|「監督は嫌だけどコーチはやりたい」新庄氏が日本球界復帰の“恩人”に語った今後


写真 始球式に登場した新庄剛志氏(左)と三澤今朝治氏【写真:荒川祐史】

「監督は嫌だけどコーチはやりたい」新庄氏が日本球界復帰の“恩人”に語った今後

 
内容をざっくり書くと
独立リーグ「ルートインBCリーグ」の信濃グランセローズ-新潟アルビレックスBC戦(長野オリンピックスタジアム)で、始球式を務めた。
 

独立Lの信濃-新潟戦で始球式、若き選手に助言も「格好つけてやって」注目を集めた48歳の挑戦から4か月… →このまま続きを読む

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長野オリンピックスタジアム

長野オリンピックスタジアム(ながのオリンピックスタジアム)は、長野県長野市篠ノ井東福寺の南長野運動公園内にある野球場。条例上の正式名称は長野市営南長野運動公園総合運動場野球場(ながのしえいみなみながのうんどうこうえんそうごううんどうじょう やきゅうじょう)[2]。施設は類設計室が設計、長野市が所有し、南長野スポーツマネジメント共同事業体が指定管理者として運営管理を行っている[3]

スタンドの躯体はサクラの花をモチーフにデザインされており、内野2階スタンドが花びらを、6基の照明塔が花弁を模している。

歴史

長野市中心部にあった(1926年竣工)と、県が所有し市が管理する長野運動公園野球場1966年竣工)の2施設が老朽化したのに伴って、長野市は新たな市営野球場の建設計画を立案し、篠ノ井地区に野球場などを中心としたスポーツ公園「南長野運動公園」が整備されることになった。建設を前に、まず1998年2月開催の長野冬季オリンピックの開会式・閉会式の会場として使用することとなり、五輪に合わせて現在の内野スタンドの部分が先行して建設され、外野スタンドの位置には鉄骨で組まれた仮設スタンドが設けられた[注 1]

建設事業は五輪開催終了後の同年から再開され、仮設スタンドを撤去して外野スタンド等が建設された。そして2000年3月に両翼99.1m、中堅122m、内外野全面人工芝の野球場として開場。当時の正式名称は南長野運動公園総合運動場多目的競技場(-・たもくてききょうぎじょう)。完成と同時に愛称「長野オリンピックスタジアム」が付与された(詳細は後述)。なおオリンピックスタジアムの竣工に伴って、城山野球場は1999年シーズン限りで供用を終了して閉鎖・撤去。跡地は隣接する城山公園の園地に転用され、サクラ150本をはじめとする樹木が植栽された「ふれあい広場」として2007年3月28日に開場している。

初のプロ野球公式戦は、2000年5月20日5月21日に開催されたパ・リーグ公式戦・西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)対オリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)2連戦。プロ公式戦初本塁打は、当時西武に在籍していた中嶋聡が放った。その後2008年まで、西武は長野で毎年2連戦を主催開催していた。またセ・リーグの初公式戦は同年8月1日に開催された広島東洋カープ対ヤクルトスワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)17回戦。以来、毎年1~3カードのプロ野球公式戦が開催されており、2002年7月にはフレッシュオールスターゲームが、また2003年10月にはプロ野球ファーム日本選手権が開催された。

2007年からは、ベースボール・チャレンジ・リーグ信濃グランセローズがホームゲームの主たる開催野球場として使用している[注 2]。2017年にはリーグチャンピオンシップ1試合とグランドチャンピオンシップ2試合が開催された(地区チャンピオンシップ1試合も予定されていたが雨天中止となり、順延で長野県営野球場での開催となった)[4]

このほか、アマチュア野球においても長野県及び北信越地区の社会人野球の公式戦でも使用される。

人工芝のフィールドとあって野球以外の競技での供用機会もあり、毎年4月に開催される「長野オリンピック記念長野マラソン」は、ここがゴールとなる。オリンピックスタジアムには、走者は一塁側のゲート(グラウンド搬入口)から入場し、外野のフェンス沿いを通り三塁側の内野側をゴールとするコースが設けられる。

当球場のプロ公式戦の多くは、県内全域で販売されている地方紙の信濃毎日新聞が主催もしくは共催により開催している。なお長野県南部(松本市などの中信、飯田市などの南信)は中日新聞の販売エリアとなってはいるものの、長野市などの北信、上田市などの東信はエリア外となっているなど全県では販売されていないこと等もあって、中日ドラゴンズの地方主催公式戦が当球場で開催された事は一度も無い(他球団主催試合の対戦相手としての開催実績はある)。

開場以来敷設されていたショートパイル型人工芝(アストロ製 アストロターフS-8、パイル長13mm)が経年劣化したため、2010年春に張り替え工事を実施し、ロングパイル型(アストロ製 アストロピッチSL、パイル長60mm)が敷設された。

愛称について

スタジアムの愛称は公募によって決定された。候補としては「フラワー」「さくら」など、スタンドの形状に因むものも応募されたが、長野オリンピックに因む名称が多く寄せられたため、長野市は「オリンピック」を愛称として採用することを内定。2000年2月1日国際オリンピック委員会(IOC)の承認を得た上で正式に決定した。

但しIOC側から長野市に対しては、五輪マークをみだりに使用しない、ノベルティグッズの制作等の宣伝利用を行わない等々の条件が付けられた上で使用認可が下りており、五輪マークは球場正面のバルコニー部と、正面玄関の長野五輪開催地を示すエンブレム以外には掲出されていない。

グランセローズの公式HPでは「オリスタ」と略されて表記される。

主なエピソード

オリンピックスタジアムでのコンサート

2001年8月22日DA PUMPのコンサートが当スタジアムで行われた。DA PUMPは同年夏、全国で野外ツアーを行っていた。

コンサートそのものは無事に開催されたものの、公演中、スタジアムの周辺の住民から騒音の苦情が相次いだ。これを受け、管理する長野市側はコンサート会場としての使用を当面の間禁止すると発表。そのため現在のところ、これがオリンピックスタジアムで行われた唯一のコンサートとなっている。

2004年オールスターゲーム

2004年7月11日にはオールスターゲーム第2戦が開催された。当時プロ野球再編問題による1リーグ化への流れが加速する中、セ・パ対抗最後のオールスターになるのでは、とチケットは即完売となった。試合は北海道日本ハムファイターズSHINJO阪神タイガースのバッテリーからホームスチールを奪う活躍で全パが勝利した。試合後、SHINJOはMVP獲得のヒーローインタビューで「これからは、パ・リーグです」と宣言し、スタンドの喝采を浴びた。[5]

楽天準本拠地構想

2004年プロ野球再編問題に絡み、9月15日、日本国内最大手のインターネットのショッピングモール「楽天市場」を運営する楽天が、プロ野球への参入を検討していることを公式に表明した。

この際、フランチャイズとしては、同社代表である三木谷浩史の出身地である兵庫県神戸市ヤフーBBスタジアム)を候補に挙げていたが、9月18日には楽天の役員を通じて長野市長・鷲澤正一に長野オリンピックスタジアムを本拠地にすることについて打診があったことが判明した。 これを受けて鷲澤や当時の長野県知事・田中康夫は「楽天側からの希望があれば支援したい」と表明している。打診内容は本拠地か、もしくは年間数カードを開催する準本拠地としてのものだったとされる。22日には鷲澤と田中が長野市役所内で協議し、県と市が協力して誘致活動を行っていく方針を確認した。

一方、20日には三木谷と大阪府知事・太田房江の対談があり、大阪ドームが本拠地候補の想定内であること、太田知事も「条件面で、できる限りのバックアップをしたい」と応じたことが明らかになった。だが、大阪・兵庫は阪神と、オリックス・近鉄の合併により誕生する新球団が保護地域としていることがネックとなり、三木谷は22日、先にプロ野球への加入申請を行ったライブドアが本拠地として申請している宮城県仙台市宮城球場を本拠地として、24日に加盟申請を行うことを表明。同時に「長野も素晴らしいスタジアムを持っている。年間10~15試合できればいいかなと思っている」として、オリンピックスタジアムでも定期的な試合開催を検討していることを明らかにした。また仙台を本拠地とできなかった場合、長野を本拠地とする可能性については「それはない」としながらも、「地元の人達が、どう盛り上がるかにかかっている」と、準本拠地化については前向きな姿勢であることを示した。この楽天の計画について鷲澤は「素晴らしく名誉な話。ぜひ(誘致したい)と思う」と述べ、歓迎の意向を再度表明した。

長野市の人口は38万人と、他のプロ本拠地と比較すると人口規模が少なく、マーケット性の問題がネックになる可能性があるが、オリンピックスタジアムは全国的に見ても設備が整った野球場である他、スタジアム周辺には温泉地や旧跡などの観光資源も多く、温泉等を利用した療養施設もあるなど、プロ野球の拠点としても充分機能できる可能性がある。

しかし、その後楽天は東北地方を中心とした球団創りを目指す方針に転換。東北楽天ゴールデンイーグルス2005年シーズンからパ・リーグに参入することとなったが、同年以降、長野県内で楽天の主催公式戦が行われた事は一度もない。なおオリンピックスタジアムでは同年、西武対楽天2試合と、交流戦の読売ジャイアンツ千葉ロッテマリーンズ戦が開催された。

セ・パ交流戦開始以降

楽天の準本拠地構想は頓挫し、依然として複数の球団が主催試合を行っている。主に巨人、横浜DeNAが主催試合を行っており、ヤクルトや広島、西武も公式戦開催実績がある。

2014年9月2日の巨人対広島戦でカープのライネル・ロサリオ選手が初回先頭打者本塁打に始まり、NPB史上63人目(67度目)のサイクル安打を達成した。(本塁打から始まり単打で終わる達成であった)

2015年6月23日の広島対阪神戦は試合前から降り続く雷雨の中おこなわれた。2回表終了時に34分間の中断を挟み、試合は8回表にマウロ・ゴメス選手の逆転ホームランで阪神が勝ち越すも、9回裏に丸佳浩選手の同点打で試合は延長戦に入り、その後両軍得点が入らず12回引き分けとなった。試合終了時刻は23時47分、実に5時間47分の激闘となった。なおこの試合で広島は「1試合21残塁」のNPBタイ記録を樹立した。(ちなみに前年に当球場でサイクルを達成していたロサリオ選手は2軍にいたため、出場できなかった)また、この試合前の時点で勝率5割で2位だった阪神はこの引き分けで勝率は変わらず、首位の巨人が敗れて5割で並んだため、セ・リーグ全球団が勝率5割以下(いわゆる貯金なし)という6月としては異例の状態となった。これはこの年のセ・パ交流戦でセ・リーグが大幅に負け越したのが大きな要因である。さらに、この日開催されたプロ野球のセ・パ計6試合のうち、この試合を含めて5試合が地方球場で行われた。これはプロ野球が12球団となった1958年以降では初めてである。

全国消防操法大会

2016年10月14日に第25回全国消防操法大会が当スタジアムで行われ[6]ポンプ車の部は松江市消防団が、小型ポンプの部は伊賀市消防団がそれぞれ優勝した[7]

施設概要

  • グラウンド面積:14,200m2
  • 両翼:99.1m、中堅:122m
  • 内外野:全面ロングパイル人工芝(アストロ製 アストロピッチSL パイル長60mm)
  • 外野フェンス高:4.0m
  • スコアボード:磁気反転式
  • ナイター照明設備:6基(照度可変。フル点灯時:投捕間=2500Lx、内野=2000Lx、外野=1000Lx)
  • 収容人数:35000人
    • 内野:2階建、21,000人。外野:芝生席、9000人。身障者席:10席。(合計:約30,000人収容)
  • フェンス広告あり

交通

  • JRしなの鉄道 篠ノ井駅東口より長野市地域循環コミュニティバス「篠ノ井ぐるりん号」で「南長野運動公園」下車
平日全11本のうち、運動公園経由は4本のみ。土曜・休日は全便運休。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 建設中の1997年7月には第11回FNSの日(疾風怒涛!FNSの日スーパースペシャル11・真夏の27時間ぶっ通しカーニバル ~REBORN~)の中で開催した全国フリースロー選手権大会の長野放送の中継場所として使用されている。
  2. ^ 発足当時、リーグの方針により、所属球団は特定の本拠地野球場を設けていなかった。2015年現在は特定本拠地の設定を容認しているが、信濃については未設定が継続している。

出典

関連項目

  • 日本の野球場一覧
  • 北野建設 (長野県) - 当スタジアムの共同建設事業体に参画。竣工後もフェンス広告を掲出している他、長野放送などの長野県内民放で放映しているテレビコマーシャルの最後のカットに当スタジアムが登場する。

外部リンク

始球式

始球式(しきゅうしき)とは、スポーツ(主に球技)における試合開始前のセレモニーである。主催者や来賓など現役選手以外の人物が務めることが多い。

野球

野球における始球式(Ceremonial First Pitch)では、試合開始前に来賓が投手役として1球(稀に数球)投球を行う。

アメリカ合衆国における始球式

アメリカ合衆国では、従来は客席の来賓からグラウンド上の選手へボールを投げ渡す方式が取られていた。昨今、試合開始前に投手役の来賓がマウンドまたはマウンド前方から捕手役に向けて1球投球する形式が取られる場合が多いが、これは、日本の形式を取り入れたものとされている。ただし、基本的に打席に打者は立たず、内外野の守備も就かない。捕手役には試合に出場する選手(あるいは監督・コーチ)でその来賓にゆかりのある人物が務めることがある(例えば、仰木彬マリナーズの始球式に招かれた際には愛弟子のイチローが捕手を務めた)。

アメリカ合衆国第27代大統領だったウィリアム・ハワード・タフトが、1910年MLBワシントンD.C.にある地元球団『ワシントン・セネタース』の開幕式で行なった始球式が最初である。これは、当時太りすぎのタフトを見かねた側近が、タフトに運動をさせようとして野球での始球式を思いついたことがきっかけと言われている。これ以降歴代の大統領が、同球団の開幕式で始球式を行うことが恒例行事となった。

日本における始球式

日本では、当初より、投手役の人がマウンドから打者に対して1球(稀に数球)投球する形式がとられていた。試合開始直前に始球式が行われるケースが多く、この場合投手役の人は先攻チームの1番打者に対して投球し、また捕手を含めた守備も後攻チームの先発メンバーが務めることになる。

記録に残っている最古の始球式は1908年11月22日にアメリカの大リーグ選抜チームと早稲田大学野球部の試合における大隈重信の始球式とされる[1]。大隈重信の投球はストライクゾーンから大きく逸れてしまったが、“早稲田大学の創設者、総長、政治家である大隅大先生の投球をボール球にしてはいけない”と考えた早稲田大学の1番打者・山脇正治がわざと空振りをしてストライクにした。これ以降、打者は投手役に敬意を表すため、投球がボール球でも絶好球でも空振りをすることが慣例となった[1][2]。これらの日本式の始球式はその後アジアの国々だけでなく、アメリカでもこの方式で実施するケースが出てきている。

しかし、始球式の投球を空振りしないこともある。北海道日本ハムファイターズ時代の新庄剛志 (SHINJO) の数例[3]川﨑宗則等のように打ちにいった例、1964年7月22日オールスター第3戦での山内和弘による見逃し(原因は捕手と雑談していたため。ボールを全く見ていなかった)[1]など。また、平野恵一のように空振りをしたつもりが結果的にはバットに当たってしまったというハプニングもある[4]。始球式の投球を空振りしなくても特に罰則規定はない(※ただし投手役はスポーツ選手でない場合も多く、ピッチャー返しを打つと危険であるため、わざと空振りするのは投手役の負傷を防ぐ目的もあるともいわれている)。

高校野球

センバツ大会は開幕試合の始球式では1975年第47回選抜高等学校野球大会以降、文部大臣(2001年以降は文部科学大臣)が投手役を務める(ただし、何度か始球式が中止になったことがある)。夏の甲子園大会の始球式では1997年第79回全国高等学校野球選手権大会までは文部大臣(2001年以降は文部科学大臣)が投手役を務めることが多かった。旧制中学時代野球部に所属していた愛知揆一が文部大臣時代に行った始球式では、外角低めにストライクとなる球を投げた[5]。また第85回全国高等学校野球選手権大会2003年)で小泉純一郎高校野球大会史上初となる現職首相による始球式を行い、ど真ん中へのストライクを投じた。

1988年第70回全国高等学校野球選手権大会では、当時皇太子だった徳仁が皇族初の始球式投手を務めた。打者は常総学院の仁志敏久[6]

1998年第80回全国高等学校野球選手権大会以降は高校球児が務めることが多く、特に2006年8月6日夏の甲子園の始球式では、前年に人命救助をした久美浜高校の野球部員4名が始球式を務めたため、投手役のほか、打者役と捕手役も同校の選手が務めた。このほか、上空のヘリコプターから投下されたボールをグラウンドで拾って投手役に渡す役も設定された。

2018年8月5日から8月21日まで16日間(8月19日の休養日を除く)開催された第100回全国高等学校野球選手権記念大会では、甲子園レジェンド始球式が毎日行われ、松井秀喜桑田真澄佐々木主浩太田幸司などかつて高校球児として夏の甲子園大会で活躍した、元野球選手の合計18人がそれぞれ参加しプレーボール直前でボールを放り投げていた[7]

プロ野球

近年の日本野球機構(NPB)管轄のプロ野球では中継テレビ局で放送しているバラエティ番組ドラマ、または球団スポンサーのCMの出演者をはじめ、芸能人宣伝の一環として行うケースが増えている。球団のレトロ企画として往年の名選手(投手出身者に限らない)が行う場合や、異競技交流の名目として野球以外のアスリートが行う場合、地域密着を目指して球団ファンクラブの会員や本拠地の地方自治体に多額のふるさと納税を行った寄付者が行うケースもあり、多様化が進んでいる[8]。引退選手の最終試合の始球式を選手の子息などが務めることもある。また打者が打席に立たないアメリカ方式や、来賓が投手役ではなく打者役(2名の場合は両方)になる始球式が行われるケースもある。2010年3月27日にはタレントの磯山さやかが捕手役を務めるという異例の始球式が行われた[9]。2016年4月24日には、タレントの稲村亜美が「始球式」と「始打式」を1人で行った。また稲村・上杉あずさ長谷川玲奈など、野球やソフトボールなどの経験のある女性タレントが100km/h前後の球を披露することも増えている[10]

現職首相によるプロ野球公式戦の始球式は、1957年3月30日に岸信介が、開幕戦となる巨人国鉄戦でおこなったのが初めてで[11][12]、2020年現在まで唯一の事例である。ただし、日本選手権シリーズでは1960年の日本シリーズ第1戦で池田勇人が始球式をおこなっている[13]

その他

独立リーグ四国アイランドリーグplus愛媛マンダリンパイレーツは、2011年8月26日の徳島戦(松山中央公園野球場)の試合前にファンやスポーツ少年団の選手らにより「最大人数で行う始球式」に挑戦した。111組222人が成功を収め、ギネス世界記録に認定された[14][15]

それ以外の球技

アイスホッケーでは、センターライン中央のフェイスオフ・スポットでフェイスオフを行う。

ゴルフでは、最初のパーティーがラウンドをはじめる前に、招待者がスモークボールを1番グラウンドのティーグラウンドから打つことが多い(行われない場合も多い)。

サッカーでは、コート外からボールを蹴ってコート内の審判にパスをする。正式には「キックイン」と呼ばれる(PKを蹴る場合もある)。スポンサー関係者、地元自治体の首長、チームゆかりの有名人、サポーター代表などが務める。

バスケットボールでは、ティップ・オフを行う(ティップ・オフ・セレモニー)。来賓が選手の1人にパスを渡し、ドリブルしてシュートを決めるのが通例である。来賓によってはフリースローを投げる場合もある。

バレーボールでは、サーブを行う。人によってサーブライン(自信有りの人)かアタックライン(自信無しの人)のどちらかに分かれる。

ラグビーでは、ペナルティキックを行う。キック力を要することから、サッカー選手などが招待されることが多い。

アメリカンフットボールでは、実際に試合の攻撃順・陣地を決めるコイントスのコイン投げを審判の代わりに来賓が行うことがある。なお、1948年の第1回ライスボウルでは、訪日したポール・ラッシュがキックオフを行った。

その他

モータースポーツにおいて、新しいサーキットが完成した時には始球式ならぬ「始走式」でサーキットの完成を祝う。

空手テコンドーでは、大会の開始前セレモニーとして行う「試割り演武」を始球式に掛けて「始割式」と呼ぶこともある。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c 幸運社『意外と知らないもののはじまり』PHP文庫、2002年、p.249。ISBN 4-569-57841-1
  2. ^ NHK「チコちゃんに叱られる!」2019年4月19日放送分「なぜ始球式で空振りするようになった?」
  3. ^ “やっぱり輝いてた金色バットでファンを魅了”. 新庄カウントダウン プロ野球 : nikkansports.com 日刊スポーツ2005年7月24日紙面. (2005年7月24日). http://www5.nikkansports.com/baseball/professional/shinjo/487/0724-12441.html 
  4. ^ “こじるりノーバン 平野恵バット当てる”. デイリースポーツ. (2014年9月13日). http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2014/09/13/0007326880.shtml 
  5. ^ 朝日新聞1975年8月
  6. ^ 皇太子さまの始球式「打ってしまったら…」仁志敏久さん 朝日新聞2018年8月4日
  7. ^ スター、再び夢舞台へ 甲子園レジェンド始球式、全日程で実施 第100回全国高校野球朝日新聞 2018年7月7日
  8. ^ 福岡・筑後市:ふるさと納税返礼に、今年も「始球式権」”. 毎日新聞 (2018年12月1日). 2021年3月31日閲覧。
  9. ^ 磯山さやか、ウエディングドレスでプロ野球史上初のキャッチャーでの始球式に!荻野貴司選手の球を見事キャッチ!”. シネマトゥデイ (2010年3月27日). 2015年5月29日閲覧。
  10. ^ 今どき始球式は可愛さより“速さ” 稲村亜美、NGT長谷川ら“本格派”ズラリ
  11. ^ 宇佐美徹也『宇佐美徹也の記録巨人軍65年』説話社、2000年、p.98[1]
  12. ^ 【1957】日本の現職の総理大臣としては初めて始球式登板! - 野球太郎twitter
  13. ^ ““アベノミクス”より、はるかに大胆かつ、実効性があった“イケノミクス”。その池田首相も広島の弱さだけは……”. 週刊ベースボール. (2015年1月26日). http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=018-20150202-01 2020年12月30日閲覧。 
  14. ^ プレス・パイレーツ2011年9月19日付
  15. ^ “236人同時に始球式、ギネスに認定/松山”. 四国新聞. (2011年8月27日). http://www.shikoku-np.co.jp/sports/iblj/20110827000098 2017年1月27日閲覧。 

関連項目


 

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