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⚽|C大阪、藤尾翔太が水戸へ期限付き移籍。昨季J1で初ゴール


写真 セレッソ大阪 写真提供: Gettyimages

C大阪、藤尾翔太が水戸へ期限付き移籍。昨季J1で初ゴール

 
内容をざっくり書くと
同選手はセレッソ大阪を離れることについて「この度、水戸ホーリーホックへ期限付き移籍が決まりました。
 

明治安田生命J1リーグのセレッソ大阪は12日、FW藤尾翔太が水戸ホーリーホックへ育成型期限付き移籍す… →このまま続きを読む

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水戸ホーリーホック

水戸ホーリーホック(みとホーリーホック、英語: Mito HollyHock)は、日本茨城県水戸市ひたちなか市笠間市那珂市小美玉市茨城町城里町大洗町東海村をホームタウンとする[2]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

概要

1994年FC水戸として創立[2]、2000年よりJリーグへ加盟している[2]

クラブ名の「ホーリーホック (HollyHock)」は英語で「タチアオイ)」を意味し、水戸藩水戸徳川家)の家紋の葵[注 1] から採られた[2]。ホームスタジアムはケーズデンキスタジアム水戸[2](Ksスタ)。クラブエンブレムは水戸徳川家の家紋「三つ葉葵」の外周を「水戸黄門」こと2代目水戸藩主・徳川光圀の字「子龍」に由来するが囲む円形[4]。2014年には、クラブ後援会「葵龍会」の会長に水戸徳川家第15代当主の徳川斉正を迎えている[5]

マスコットキャラクターは龍がモチーフの「ホーリーくん」[2]。2002年に公募によりデザインと名前が制定された。背番号310(みと)[注 2]

ホームタウンは創立当初から水戸市のみだったが、2017年11月に水戸市周辺に位置するひたちなか市笠間市那珂市小美玉市の4市と東茨城郡那珂郡の4町村(茨城町城里町大洗町東海村)を追加した[6]

歴史

前史

水戸市で1994年に創設されたフットボールクラブ水戸(フットボールクラブみと、FC水戸)を起源とする[2]茨城県リーグ4部に参戦し、1996年には2部で準優勝を果たしている[7]

1997年土浦市に本拠地を置いていたプリマハム土浦工場の実業団チーム「プリマハムフットボールクラブ土浦」(プリマハムフットボールクラブつちうら、プリマハムFC土浦、1990年創設)と合併して[2]株式会社フットボールクラブ水戸ホーリーホックが設立され、現在の体制が固まった。当時関東サッカーリーグ所属だったプリマハムFC土浦は1996年の第20回全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝し、翌年からのジャパンフットボールリーグ(旧JFL)への昇格が内定していたが、プリマハムがサッカー部への支援を打ち切り廃部が決まったことを受け、FC水戸と合併した[7]。なお、水戸ホーリーホックやJリーグの公式ホームページでは1994年をクラブの創設年と記載しており[2][7]、プリマハムFC土浦は傍系扱いとなっているが、プリマハムFC土浦の持っていた旧JFLの参加資格を承継するために、形式的にFC水戸が吸収された形を取った[注 3]。プリマハムFC土浦は全国社会人サッカー選手権大会優勝(1995年)、関東サッカーリーグ優勝(1995年)という成績を残している。

1997年 - 1998年(旧JFL)

1997年

水戸ホーリーホックとして初の公式戦は1997年4月20日、旧JFL開幕戦の札幌戦(笠松運動公園陸上競技場)で、0-2で敗戦。ここから14連敗し(うち延長戦でのVゴール負けが2試合)、初勝利は7月19日、第15節の川崎戦(1-0)となった。なお、Jリーグ準会員だった川崎は、このシーズンの最終成績で勝ち点1及ばずにJリーグ昇格を逃している。水戸は後半戦に3勝を挙げたが、16チームのリーグ戦で最下位に沈んだ。しかし、札幌のJリーグ昇格と福島FCの消滅により、地域リーグ決勝大会2位チームとの入替戦は行われず、水戸は残留を決めた。

1998年

監督に三浦俊也を迎え、巻き返しを図ったが、年間予算が1億円強と言われ、プロ契約選手でもガソリンスタンドや水産加工所でのアルバイトをしないと生活出来ない状況では成績の劇的な向上は難しく(NHKサンデースポーツでの特集によると年俸は100万円程度だったと報じられている)、最下位脱出が精一杯だった。この年、翌1999年からスタートするJリーグ ディビジョン2(J2)への加盟を申請するも、経営基盤の不安定さ、スタジアム改修に対する地元自治体の動きの鈍さから加盟は見送られ、日本フットボールリーグ(JFL)参加となった。

1999年(新JFL)

監督が二宮浩に交代したが、9チームによる3回戦総当たり制(ステージ制)のリーグ戦で苦戦し、第1ステージでは6位に終わった。しかし、南光太などの活躍により、第2ステージではこの年に優勝した横浜FCにこそ敗れたものの7勝1敗の首位となり、通算では3位でシーズンを終えた。Jリーグへの昇格条件は「JFLで2位以内」だったが、優勝が特例参加による準会員資格の横浜FCだったため、JFL正会員の中では2位という点が考慮され、翌2000年からのJリーグ(J2)加盟が認められた(Jリーグの2部制導入後最初のJリーグ参入チームとなった)。

2000年 - (J2)

2000年

チーム初の外国人監督としてセルビア人バビチ・ブランコを招いた。J2昇格後の初公式戦を3月11日の浦和戦(浦和駒場)で迎え、0-2で敗れた。資金・戦力の欠乏を理由に専門誌などでは先行きを危ぶまれたが、第2節の大分戦でJ初勝利をあげると、全試合出場を果たしたGK本間幸司を中心とした粘り強い守備や(失点数はリーグ7位タイ)、シーズン途中加入で36歳の高齢ながら元ブラジル代表の技を披露したFWジョン・パウロなどの活躍により、昇格初年度の最終順位は9位、しかも6位の鳥栖までは勝ち点5差という善戦を見せた。

2001年

シーズン前に新潟から木澤正徳川崎から池田伸康などベテラン勢を獲得するも、シーズン前半は1勝しか挙げられなかった。その後、補強した韓国人選手の活躍や、メインスタジアムの笠松運動公園陸上競技場のグランドオープン効果などがあり、最終的には最下位を脱出し、11位で終了した。監督は川崎で指揮を執っていた小林寛を招いたが、7月にはゼネラルマネージャーへ転身し、コーチの菅野将晃が監督に昇格して後を継いだ。シーズン後、経営難からチーム存続問題が浮上し、FC水戸代表としてのプリマハムFC誘致からクラブ経営を続けた石山徹が社長を辞任し、小林が石山の所有株と社長職を引き継いで、チームのJリーグ加盟が暫定承認されることになった。なお、この年のチーム得点王(10得点)は東海大から加入して2年目の須藤大輔で、翌年に湘南へと移籍したが、その際の移籍金は苦しい水戸の財政を少なからず助けたとも言われている。

2002年

菅野体制2年目。小林新社長が経営安定化とチーム成績向上を迫られた一年となった。菅野体制2年目のチームではFW小野隆儀が14得点を挙げ、守備でもシーズン失点数はリーグ最下位ながら前年比20点減の73失点に抑えて、最終順位は前年より1つ上がり、10位となった。一方、J2リーグ戦1試合の平均観客数は前年の1559人から2739人に増え、2002年W杯のために来日していたコスタリカ代表との国際親善試合も実現した。これらの実績により、水戸はJリーグから加盟継続が正式に承認された。しかし、増えたとは言っても水戸の観客動員数はJ2最低で、平均の約4割にとどまっていたため、更なる努力が求められた。

2003年

クラブの存続問題が一息ついたこの年、1980年代に日本代表の主将として活躍した前田秀樹を監督に迎え、守備重視からのカウンター戦術をベースにしたチーム強化に乗り出した。この年は同年シーズンにJ2へ降格していた広島からレンタル移籍で獲得したDFトゥーリオが活躍。センターバックとして水戸の守備を固めると共に、機を見てどんどん攻め上がり攻撃に厚みを加え、DFでありながらチーム内得点王となる10ゴールを記録した。トゥーリオは10月に日本への帰化が認められ、登録名を現在の田中マルクス闘莉王に変更した。これらの活躍もあって、水戸は4回戦制のJ2で開幕ダッシュに成功し、一時は首位、11節終了時の第1クールでも2位という好成績を挙げた。その後は徐々に順位を下げたが、最終順位でもチーム史上最高の7位にまで躍進した。10月からは過去の経営危機への反省から、運営資金を広く集め、地域社会での認知度を高めるために「水戸ホーリーホック支援持株会」が拠出金募集を開始した。

2004年

チームスローガン:ムービングフットボール

前田体制2年目。前年大活躍した闘莉王のレンタル移籍が延長されず浦和へ完全移籍し、それまで長らくチームを支えたFWの小野、北川、ディフェンスラインを支えた冨田大介が移籍した。一方、川崎から小林康剛を、大宮から磯山和司など地元茨城出身の選手を獲得した。

開幕戦の湘南戦で9,155人の観衆を集めた。またこの年の平均観客動員数3,773人は2012年に塗り替えられるまでの最高記録であった。しかし前年と比較して主力が多数入れ替わった影響か、なかなか勝ち星が奪えずホームでは5月5日の大宮戦から10月16日の甲府戦まで13戦勝利なしという事態が続いた。この間7月24日の川崎戦ではアウェー戦会場の等々力陸上競技場に集まった水戸サポーター有志による第1回納涼漢祭りが開催され、他チームのサポーターの間でも反響を呼んだ。結局チームは年間6勝しかできなかったが、44試合中19試合(42%)の引き分け(勝ち試合6試合分)で積み上げた勝ち点が効いて、2年連続一桁順位の9位となった。

また天皇杯4回戦で鹿島との「茨城ダービー」が公式戦で初めて実現した。偶然にも「茨城県民の日」である11月13日の対戦になった(試合は0-1で水戸の敗戦)。

2005年

チームスローガン:ストロングハート

前田体制3年目。この年は、開幕前に2つの変化があった。この年から1月のチーム始動後の1次キャンプを福島県いわき市スパリゾートハワイアンズで行い、同所でキャンプ最終日にファンクラブ会員イベントを行うようになった。2月には「いばらきサッカーフェスティバル」として鹿島とのプレシーズンマッチが行われ[8]、以後年1回の頻度で定例化した。鹿島は水戸市内でも公式ショップや小学生・幼稚園児(4種)向けのサッカースクール(旧内原町)などを開設しているため、後発の水戸とは競合関係にもあったが、この試合は両者の関係改善を示した。また、この年にJFLから草津が昇格し、水戸は草津との対戦を「北関東ダービー」と称して共同参加キャンペーンを実施した。10月には日立市出身のシンガーソングライターeco[要曖昧さ回避]による公式応援歌「走れ☆ホーリーホック!」が発売された。

一方、チームは強化策として前年の決定力不足解消のため、パラグアイ人FWのデルリスを獲得し、彼にボールを集中させるため基本システムをそれまでの4-4-2から4-5-1へと変更した。序盤は連敗をしたものの、システム変更策は功を奏し、デルリスは前半戦のみでチームトップの8得点を決めた。しかし、その得点力に注目した札幌がレンタル元のチームに好条件を出したため、デルリスがシーズン中盤に移籍したが、シーズン後半はDF陣の相次ぐ攻撃参加や、若手のファビオの加入などで2年ぶりの2桁勝利となった。

2006年

チームスローガン:CHEMISTRY 〜新たなる融合〜

前田体制4年目。2月、チームの応援を盛り上げるための女子チアリーディングチーム、「Mito Holy's」(水戸ホーリーズ)を発足。4月2日からはJR水戸駅ビル「EXCEL」の屋上に新規設置された人工芝のミニサッカー場「」(フットパルケ水戸)の運営を請け負うことになった。

チームは5月6日の第14節の札幌戦(笠松)で、レンタル移籍で加入したブラジル人FWアンデルソンハットトリックを達成。これは水戸の選手がJ2リーグ273試合目で記録した初のハットトリックだった。第15節の東京V戦ではクラブ史上初めて国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で試合を行い、アンデルソンの2試合連続ゴールで1-0と勝利した。

6月2日の横浜FC戦では横浜FCの連続無失点記録を770分で止めたり、6月24日の戦では、後半ロスタイムで土壇場の同点に追いつき引き分けに持ち込むなど、J2上位クラブを大いに苦しめた。8月13日には那珂川河川敷の水戸市市有地に3面整備された「水府町グラウンド」が開場し、クラブの悲願だった専用練習場「ホーリーピッチ」として水戸に利用権が与えられた。

シーズン後半から前田監督は将来の上位進出に備えるため、カウンター重視の守備的戦術からボールを保持し、ショートパスの連続から能動的にゴールへ迫る攻撃的な戦術への転換を開始した。これは「サッカーの質を上げるために必要な措置」と評価された反面、対戦相手の監督から「あまりにも消極的」と非難されても守り続けるのをやめたことで、逆に「内容は良いが勝てない」という試合が増えた。その結果、勝ち点は伸び悩み、昨年と同じ10位でのシーズン終了となった。1試合平均観客数も3017人まで落ち込んだ。

2007年

チームスローガン:Believe in Myself あきらめない

前田体制5年目。前年17得点のアンデルソンが鳥栖へ移籍し、更にキャプテン吉本岳史が故障で離脱。その結果チームは出遅れ、シーズン初勝利は第13節の東京V戦となり、2勝目も第21節の山形戦となるなど、前半戦(第26節)終了時点でわずか3勝にとどまった。観客動員も更に落込み、第11節の湘南戦は3桁台の958人となった他、前半戦主催12試合中6試合で観客数が2000人以下となった。チームの勝敗のみならず、低予算でのクラブ経営、少人数体制での顧客サービスの低下、クラブスタッフの相次ぐ退職などからサポーターへのアプローチやスポンサーへの営業力が低下し、クラブ経営を問われる声が上がった。この状況に対し、クラブ株主の過半数から小林の経営責任を問う声が上がり4月23日付で宮田裕司が社長に就任した。

チームは旧JFL以来10年ぶりのリーグ戦最下位を回避するため、Jリーグで9シーズン目となるベテランのブラジル人MFビジュを獲得するなど、チーム戦力の再整備を行った。シーズン後半は昨年後半から続けてきたアクションサッカーの戦術が浸透してきたことにより前半より失点数が減った。最終成績は12位で8勝しか挙げられなかったが、そのうちの3勝は東京V、札幌、C大阪など、J2上位クラブから挙げた。

1月にはMF小椋祥平がU-22(22歳以下)日本選抜に選ばれ、次いで6月6日の北京オリンピックアジア二次予選マレーシア戦に出場した。小椋は修徳高校から2004年に入団、1年目からトップチームで出場し、他のプロチームを経由せずに水戸入りした「生え抜き」選手では最も高い年代の世代別代表入りとなった。

しかし、去就が噂されていた前田は2007年シーズン限りで監督を退任。更に、キャプテン吉本が横浜FCへ、小椋は横浜FMにそれぞれ移籍した。なお、シーズン3勝目となった6月17日の第22節愛媛戦が行われた水戸市立競技場は、この試合を最後に大規模な改装工事に入った。

また、チーム通算310得点(通称水戸GOAL)を、当時キャプテンだった吉本岳史がPKで決めている。

2008年

チームスローガン:TOGETHER Concentrate the mind on the present moment.

水戸OBの木山隆之が監督に就任。補強は他のJクラブ出身選手の目立った獲得はせず、大学サッカーでそれなりの実績を挙げた選手の獲得に重点を置いた。また、浦和から赤星貴文東京Vから弦巻健人らをレンタルで獲得した。

開幕から5試合は、ここ2年間のJ1在籍経験チーム(うち3〜5節は2007年J1在籍クラブ)との対戦となった。結果として5節終了時点で1勝2敗2分と健闘するが(うち前年J1在籍クラブ全てから勝ち点を取った)、3月31日に社長の宮田裕司が、前年8月のクラブスタッフとの親睦会での飲酒運転が発覚し辞任(後任としてが就任)。更に、4月には取締役強化部長の鬼塚忠久が前述の宮田辞任に関連して退任、また水戸ホーリーホック初代社長であり、チームのJリーグ参戦に貢献した(旧姓・石山)が死去した。

そんな中、5月に韓国五輪代表候補である朴柱昊が加入、5月末、7月に3連勝するなど、チーム成績は上昇機運に乗り、このシーズン加入した荒田智之が新人ながら多くの得点を挙げ、遠藤敬佑もU-19日本代表に選ばれた。また、9月7日にKKWINGにて行われた熊本戦において、Jリーグ昇格後100勝目となる勝利をあげた。更に、2008年9月28日の仙台戦では荒田の2ゴールなどで仙台から初勝利を上げたが、リーグ終盤はロングボール主体の戦いになってしまうなどゲーム内容が悪くなり失速、15チーム中11位でシーズンを終えた。勝ち点も、目標としていた50にはあとわずか届かなかった。

マスコットであるホーリーくんの入院及び手術(ホーリーくんの着ぐるみのリニューアル)をするための費用として、11月下旬から12月上旬にかけてサポーター有志からの募金とホーム最終戦で行われたチャリティーオークションで100万円以上の入院・手術費用が集まった。ホーリーくんの着ぐるみは2008年シーズン開始当初から頭が割れたり、しっぽがちぎれそうになったりしており、怪我(破損)した部分を包帯で巻き、なんとか試合会場やイベント会場に来ていた。また、試合やイベント会場でも、痛々しい姿を指摘する子どもたちの声もあった。着ぐるみの耐用年数は約2年と言われており、Jリーグの多くのチームは数体予備を用意しているが、予備が無く、チーム財政も厳しいため、今回の募金活動が行われた。

2009年

チームスローガン:前へ。

この試合の勝利により、
2009年2度目の4連勝を達成。

木山体制2年目。主将のDF平松大志FC東京へ移籍、チームの柱だったMF赤星が浦和へ復帰、またMFパク・チュホが鹿島へ移籍したが、浦和からFW高崎寛之、またFC東京から森村昂太愛媛FCからMF金泰橪をそれぞれレンタルで獲得。またJFLのFC琉球から、かつて名古屋でJ1でのプレー経験があるMF中島俊一を獲得した。更に、2月18日にはチーム発足以来初めて、A代表歴を持つ吉原宏太が加入した。

開幕戦は負けたが、以降は勝ち続け、9年ぶりの4連勝を飾り、4月26日の岡山戦で、荒田智之がチーム2人目のハットトリックを達成。5月に入ると、荒田、菊岡などの攻撃陣が相次いで負傷するなどし、その後に控えた上位相手に大量失点することが目立った。そのため、5月20日には湘南からFW山本孝平が、その翌週にはFC東京からMF下田光平が共に期限付きで加入した。6月以降は再び調子を上げ、第2クールでは再び4連勝を記録(右図)。上位4チームに負けただけで、順位も5位で折り返した。

第24節C大阪戦で、チーム通算400ゴールが達成された。この時、誰が400ゴールを挙げるかをファン・サポーターから募集しており、当たった人の中から抽選で1名に400ゴールを挙げた選手のサイン入り試合球が貰えることになっていた。しかし、当の400ゴールは、C大阪のDF前田和哉によるオウンゴールだった為、サインはこの試合にスタメン出場した選手全員のものが入ることになり、当選対象者も応募者全員の中から抽選で1名となった(オウンゴールは投票対象外だったため)。7月8日の福岡戦でFW遠藤敬佑がチーム3人目のハットトリックを達成し、更に8月30日の岡山戦で高崎寛之が、チーム4人目のハットトリックを達成した。

「昇格しか見えない」というゲーフラが登場するほど好調だったが、第3クールでは5試合連続完封負けを含む8連敗を記録して失速。第45節終了時点で、J1昇格の可能性は消滅した。11月3日ケーズデンキスタジアム水戸(Ksスタ)が竣工。第48節の11月8日仙台戦で杮落しとなったが0-4で敗戦し、仙台のJリーグ ディビジョン1(J1)昇格を目前で決められ、Ksスタ初戦を飾ることは出来なかった。改修後の同スタジアムでは2戦目となる第49節の愛媛戦では中村英之のゴールで1-0と勝利し、Ksスタ初勝利を挙げたが、3試合目の第51節(最終節、12月5日湘南戦では2-0からの逆転負けを喫し、湘南にも目前でJ1昇格決定を許した。

2009年の最終成績は21勝20敗10分の勝ち点73で、18チーム中8位となった。J2リーグ参加10年目で初めて勝ち越すとともに、前述の通り1シーズンで3人のFW(荒田智之遠藤敬佑高崎寛之)がハットトリックを達成するなど、総得点でも70点台に到達した。

2010年

チームスローガン:超えろ。

木山体制3年目。2年間でリーグ通算31得点を決めたFW荒田が磐田へ完全移籍、荒田と共に得点を量産したFW高崎も浦和へ復帰。また、鈴木和裕村松潤金澤大将など、水戸で100試合以上出場した選手との契約が終了し退団となった。

補強として、草津にレンタル移籍していた小池純輝を完全移籍で獲得。更に、前年KリーグでプレーしていたMF大橋正博が9年ぶりに水戸に復帰。また岐阜からかつて大学、JFLで得点王を経験したFW片山真人が完全移籍で、C大阪からFW白谷建人をレンタル移籍でそれぞれ獲得。下田光平森村昂太のレンタル移籍期間も延長、更に新卒選手を7名獲得した。またこの年は外国籍選手がいないクラブとなっている。

開幕戦は勝利したもののその後5戦勝利なし。連勝は第6節-第7節の1度のみと最後まで成績は上向かないまま16位に沈んだ。総得点が19チーム中17位の29得点と、前年とは打って変わって得点力不足に苦しめられた。

この年は水戸の観客動員数をJリーグワーストから脱出させようという試みが数々行なわれ、中でもNHKの番組「欽ちゃんのワースト脱出大作戦」において通年にわたってコラボ企画が催された。特に10月31日に行われた戦では、観客動員をクラブ史上初の1万人突破を目標に様々なイベントが企画され、最多記録となる10,181人が来場した。その結果、年間来場者数は19チーム中18位で最下位を脱出した。なおこの年をもって木山が監督を退任し、翌期より柱谷哲二を監督に迎えることになった。

2011年

チームスローガン:かけろ。

柱谷体制1年目。2010年大卒新人の藤川祐司作田裕次大分へ完全移籍した。他には大和田真史栃木SCへ完全移籍、下田光平と森村昂太もレンタル期間の終了により退団。また、35試合に出場した大橋正博などが契約終了により退団した。

新加入選手でJリーグ経験者は栃木SCから移籍した岡田佑樹と、草津から移籍した尾本敬と、磐田から順天堂大学へと進学し、Jリーグ再挑戦となる岡本達也の3名のみであり、他は新卒選手9名が新たに加わった。また6月には鹿島などで活躍した元日本代表鈴木隆行(本人の希望によりアマチュア契約)の完全移籍加入があった。

1月16日の新体制会見の席上において、2010年にスポーツ振興投票対象試合安定開催特別会計から3000万円を借り入れていたこと、その返済期日が2011年1月末に迫っているが返済が困難なことから公式試合安定開催基金の借入申請を行ったことを発表した[9]

しかしシーズン開幕直後の3月11日東日本大震災により水戸も大きく被災。特にホームスタジアムであるKsスタはメインスタンドを中心に著しく損傷。周辺地域も被災していることや、東京電力福島第一原子力発電所事故による放射能漏れの影響への懸念から、一時活動停止していたが、その後練習を再開。スタジアムについては代替開催可能な競技場が他になかった(前年まで準本拠地であった笠松運動公園陸上競技場はKsスタ以上に損傷が激しく、県内の周辺競技場も全て損壊していた)ため、Ksスタのメインスタンドを閉鎖(損壊箇所修繕を含めた耐震補強のため)し、バックスタンドおよびゴール裏に観客席を限定して使用することとなった。その後工事が進み、10月16日の東京V戦からメインスタンドの使用が再開された(ただし最初の2試合は工事資材の撤去作業の都合上「仮オープン」とし、10月30日の草津との試合から完全復旧となった)。[10]

この震災の影響で、スポンサーやテレビ放映収入などの激減が予想される事から、再建計画も見直しを迫られることとなった[11]

やがてクラブを支援する動きは大きな広がりを見せた。岐阜北九州は水戸をアウェーとして迎える直接対決で「震災復興支援招待席」を寄贈(前者・4月30日、後者・5月8日)。それぞれにつき水戸の応援に駆けつけるサポーターに対し500枚と300枚を用意して先着順に招待を行なった[12]。6月3日には前述の鈴木隆行の入団を発表。代表経験者が被災クラブの援助を理由に無報酬契約を発表したことで大きく報じられた。6月17日にはテイクアンドギヴ・ニーズとの新規スポンサー契約により空白となっていたユニフォームの背中・パンツにスポンサーが入り(ユニフォームスポンサーが全て埋まるのは2006年以来5年ぶり)、また増資やサポーター有志の募金などにより、10月20日に公式試合安定開催基金からの借入金3000万円を完済[13]。さらに12月21日には水戸市議会において初めてホームタウン・水戸市からの出資が可決された[14]。かくして波乱に満ちた2011年シーズンの運営危機はクラブ内外の多くの助力により回避された。

なおこの年はリーグ戦の成績こそ20チーム中17位と振るわなかったものの、これまで一度も勝ち星のなかった京都から2勝を挙げ、天皇杯・3回戦ではJ1で優勝争いを繰り広げていたG大阪を延長戦の末3-2で破り、クラブ創設以来初めて公式戦でJ1クラブに勝利した。そして、天皇杯はベスト16に進出した。

2012年

チームスローガン:たつ

柱谷体制2年目。遠藤敬佑保崎淳草津へ、小池純輝東京Vへ、神村奨新潟シンガポールへ、常盤聡北九州へ完全移籍、鶴野太貴ら4人が退団。補強は、甲府から元日本代表の市川大祐神戸から三島康平徳島から輪湖直樹名古屋から橋本晃司を完全移籍で獲得、キム・ヨンギ石神幸征内田航平鈴木雄斗が新加入した。また昨シーズンはアマチュア契約だった鈴木隆行とプロ契約を結んだ。

8月に塩谷司広島へ移籍。代わりのDFとしてFC東京から吉本一謙を始め、G大阪から星原健太を期限付き移籍、特別指定明治大学山村佑樹が加入。しかし吉本が加入してわずか1週間後に全治8か月の負傷で今季絶望となったため、9月に元仙台細川淳矢が加入した。

この年は開幕から3連勝と好調で、第4節アウェー北九州戦で0-1と惜敗し連勝こそ止まったものの、第3節、4節終了時にはJ1昇格圏内の2位となる。その北九州戦を皮切りに、5試合連続勝ちなし(3分2敗)で一旦10位まで降格するも、第9節ホーム草津戦から4連勝して持ち直し、第12節終了の時点で7勝3分2敗の3位と好調を維持していた。しかし、第13節ホーム東京V戦から3連敗し、同節から後半戦初戦の第22節アウェー東京V戦まで10試合で2勝1分7敗と不調に陥り、順位も12位まで下げる。後半戦も、第32節ホーム鳥取戦から3連勝したものの、それ以外シーズン終了まで連勝がなく、最終順位は22チーム中13位に留まった。ただし観客動員については1試合平均3,973人となり2004年の記録を更新した。

9月28日、2013年度のJリーグクラブライセンス申請においてJ2ライセンスの対象となり、2012年度のリーグ戦の成績が6位以内でもJ1への自動昇格もしくはプレーオフ参加の対象とならないことがJリーグから発表された[15]。なおクラブとしてはJ1昇格の目標を早期に達成するために、KsスタのJ1規格への改修・増築を行う間、J1規格に適合し2009年までの本拠地であった笠松運動公園陸上競技場への「一時的な復帰」も視野に入れて、同競技場を管理する茨城県など関係自治体・各方面と協議をすることも示唆している[16]

2013年

チームスローガン:みち

柱谷体制3年目。吉原宏太小野博信が引退。岡本達也鳥取へ、ロメロ・フランク山形へ完全移籍。その他市川大祐らが契約終了により退団。補強面では冨田大介が10年ぶりに復帰、横浜FCから難波宏明新潟から木暮郁哉をレンタルで、神戸から近藤岳登を完全移籍で獲得。その他新卒選手4名が新加入した。

この年、第29節時点で7位につけたがその後10試合勝利なしで失速、2009年以来の勝ち越しのかかった最終節横浜FC戦にも敗れ15位でシーズンを終えた。なお第19節G大阪戦で2度目となるホームゲームの入場者数1万人超えを達成、年間の平均入場者数も4,630人となり前年の動員記録を塗り替えた。

この年はJ2参加14年目となり鳥栖の13年(1999年-2011年)を抜いてJ2最長となった。またJ1ライセンスは前年と同様の理由で交付されずJ2ライセンスのみの交付となった[17]

2014年

チームスローガン:そう

柱谷体制4年目。輪湖直樹へ、橋本晃司大宮へ完全移籍。近藤岳登ら7人が退団。補強は湘南から馬場賢治横浜FCから中里崇宏名古屋から吉田眞紀人をレンタルで、神戸から金聖基新潟から小谷野顕治川崎から田中雄大を完全移籍で獲得。その他新卒3名が新加入した。シーズン中にオズマールを獲得した。

この年は前年からさらに年間動員数を増やしたものの、成績面では第23節から8試合勝利なしなど勝ち星を伸ばせず、前年と同じ15位に終わった。収支面ではユニフォームスポンサーの撤退により4期ぶりの赤字となった[18]

またこの年もスタジアム問題を解決できずJ2ライセンスの交付となった[19]

2015年

チームスローガン:皆翔 (かいしょう)

柱谷体制5年目。広瀬陸斗徳島へ完全移籍。西岡謙太ら8人が退団。補強は湘南から岩尾憲宮市剛・松本からパク・カンイル、シーズン途中から新潟鈴木武蔵などをレンタルで、山﨑貴雅を完全移籍で獲得。その他新卒3名が新加入した。

5月以降の7試合を2分5敗で順位が急落、6月6日第17節北九州戦に敗れ21位の降格圏に陥ったことにより、翌日柱谷を解任[20]。後任にはヘッドコーチの西ヶ谷隆之が暫定監督を経て正式に就任した[21]。監督交代後もリーグ戦では1度も連勝がなく勢いが続かなかったことや序盤の不振の影響もあり、過去最低の19位であったが残留を果たした。天皇杯は3回戦で鹿島と対戦、互いに無得点で迎えたPK戦を3-2で破り公式戦で初勝利したが次の4回戦でFC東京に敗れた。

この年、年間観客動員数が10万人の大台を突破したが、例年通りの事情でJ2ライセンスの交付となった。

2016年

チームスローガン:全力

西ヶ谷体制2年目。田中雄大神戸馬場賢治讃岐へ移籍、鈴木武蔵のレンタル移籍期間満了などで16人の選手が退団。補強は、磐田から木下高彰栃木から湯澤洋介大分から兵働昭弘千葉から佐藤祥伊藤槙人金沢から佐藤和弘名古屋から佐藤和樹山形から萬代宏樹を完全移籍で、4年ぶりの復帰になるロメロ・フランクベトナム代表グエン・コン・フオン浦和から斎藤翔太をレンタル移籍で獲得。その他新卒2名が新加入した。

シーズン中には、ユ・ロモンが新加入し、山口から福井諒司、新潟から平松宗岡山から久保裕一をレンタル移籍で加入する一方で、チームトップの9得点を挙げていた三島康平松本へ完全移籍した。

2016年7月16日に行われた第23節FC岐阜戦でJ2通算200勝を達成したが最終順位は13位。天皇杯は1回戦で埼玉県代表の東京国際大学に勝利したが2回戦で清水に敗れた。またJリーグライセンスは例年通りの事情でJ2ライセンスの交付となった。

2017年

チームスローガン:前進

西ヶ谷体制3年目。山﨑貴雅がレンタル移籍先のJFL・八戸池ヶ谷颯斗がレンタル移籍先の鳥取兵働昭弘甲府へ完全移籍、久保裕一ロメロ・フランクのレンタル移籍期間満了などで10名が退団した。補強は山形から林陵平琉球から田中恵太、JFL・F.C.大阪から浜崎拓磨Kリーグ全北現代からクォン・ヨンジンを完全移籍で、大宮から小島幹敏松本から前田大然札幌から昨年福島でプレーしたパウロン京都から昨年JFL・FC大阪プレーした齊藤隆成をレンタル移籍で獲得。東海1部鈴鹿へレンタル移籍していた角口大征岡田明久が復帰、斎藤翔太のレンタル移籍期間が延長され、福井諒司が完全移籍に移行、ユースから中川洋介が昇格した。また、高知大学から元田龍矢が入団したが今シーズンはSリーグアルビレックス新潟シンガポールへレンタル移籍した。2月16日には,2012年から2013年まで水戸のエースとして活躍した橋本晃司川崎フロンターレより復帰することが発表された。

シーズン中には、熊本から齋藤恵太を完全移籍で、磐田から清水貴文鹿島から小泉勇人、札幌から永坂勇人をレンタル移籍で獲得する一方で、角口大征がJFL・東京武蔵野、岡田明久が東海1部・鈴鹿へ育成型レンタル移籍、萬代宏樹長野、田中恵太が琉球、伊藤槙人藤枝へレンタル移籍、クォン・ヨンジンが契約解除となった。

第8節から第20節までクラブ新記録となる13試合連続無敗を記録し、一時期は4位まで浮上したが最終順位は14位。天皇杯は2回戦で熊本に延長戦の末敗戦。Jリーグライセンスは例年通りJ2ライセンスの交付となった。シーズン終了後、2年半チームを率いた西ヶ谷隆之が退任した。

2018年

チームスローガン: 一新

新監督に千葉コーチで監督代行の経験もある長谷部茂利を招聘。

MF橋本晃司、FW山村佑樹らが契約満了で退団。GK笠原昂史大宮へ、MF内田航平徳島へ、MF佐藤和弘甲府へ、MF湯澤洋介京都へ、FW林陵平東京Vへ完全移籍。期限付き加入中のDFパウロン栃木へ完全移籍)、MF清水貴文栃木Uへ完全移籍)、FW前田大然松本に復帰)が期限付き移籍満了。DF今瀬淳也富山)、GK石井綾福島)、DF木下高彰藤枝)が期限付き移籍。

一方、大宮からGK松井謙弥、徳島からDF冨田大介とMF木村祐志を獲得、MF田中恵太琉球)、DF伊藤槙人(藤枝)、MF元田龍矢新潟S)が期限付き移籍から復帰、DFジエゴジョインビレEC)、FW岸本武流C大阪)、MF前寛之(札幌)、FWジェフェルソン・バイアーノAAサンタ・リタ)、MF黒川淳史(大宮)が期限付き加入。GK長谷川凌市立船橋高)、MF平野佑一国士舘大)が新加入し、MF大原彰輝がユースから昇格。

2019シーズンのJリーグライセンスは、ホームスタジアムについて、成績面でJ1昇格要件を満たした場合に、入場可能人数15,000人を満たす笠松運動公園陸上競技場にライセンスを充足するための改修工事を実施する(J1昇格要件を満たさなかった場合は引き続きケーズデンキスタジアム水戸を使用する)前提でJ1ライセンスを申請。これが認められ、条件付きながらクラブとして初めてJ1ライセンスが交付されることとなった[22] が、シーズン最終順位が10位となったことで「J1昇格のための順位要件を充足できずスタジアムの短期改修工事を行わないことが確定したこと」により、最終的に2019シーズンはJ2ライセンスへ変更となった[23]

2019年

開幕3連勝で第2節には首位に立ち、次節には首位をあけわたしたものの、開幕から12戦無敗(7勝5分)で第9節から再び首位となる。第13節でシーズン初敗戦と同時に首位陥落した後、1位と2位を推移するが、第18節から4戦勝てず、前半戦終了時点で4位。後半戦も、J1昇格プレーオフ圏内の6位以上を維持していたが、第34、35節でシーズン初の連敗を喫し7位に転落、直後に首位柏に勝利し5位浮上したものの、第38節徳島に敗れ8位に後退、第40節に再び4位浮上したが、最終2節で徳島、甲府、そして得失点差で並んでいた山形に総得点の差でかわされ7位となり、過去最高順位は達成したものの、僅差でプレーオフ進出を逃した。

2020年

後述の新スタジアム建設構想の発表に伴い、2020年度ライセンス(2019年申請)から適用された「スタジアムの例外規定2」の特例[注 4] の適用申請を行った。これによりJ1ライセンスが承認され、J1昇格案件の順位を満たした場合でも、前年までとは異なり、継続してケーズデンキスタジアム水戸を本拠地として使用することができるとしている。[24]

その後9月のJリーグ理事会において、上記例外規定適用による通常のJ1ライセンス交付が認められた[25]

J2リーグ戦では、山口一真がリーグ4位の15得点、中山仁斗が同6位の13得点を挙げるなど、優勝した徳島を上回りリーグ最多の68得点を挙げたものの、失点がワースト4位タイの62もあり、複数得点を挙げた試合20に対し複数失点した試合も21(重複あり)で、前年から順位を落とし9位に終わった。

成績

タイトル

リーグ戦

カップ戦

スタジアム・練習場

スタジアム

ホームスタジアムは水戸市立競技場(ケーズデンキスタジアム水戸、通称「Ksスタ」)。Ksスタは2009年に改修されるまでは収容人員がわずか5,000人しかなく照明設備もなかったため、Jリーグのホームスタジアム規定を満たせなかったことから、開催基準を満たす笠松運動公園陸上競技場那珂市)を長年ホームスタジアムとしていたほか、笠松が2002年の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)のメイン会場となり改修工事が行われた2000年はひたちなか市総合運動公園陸上競技場ひたちなか市)と日立市民運動公園陸上競技場日立市)の2会場を中心に主催試合を行なった。また平日のナイターの一部を隣県の栃木県グリーンスタジアムで開催している[注 5]

水戸市競技場(Ksスタ)が2009年まで改修が行われなかったのは、JFL参入時のクラブと水戸市との軋轢に由来する。1996年にJFL昇格を決めたプリマハムFC土浦と合併し、水戸市を本拠地としてJFLでの活動を目指していたFC水戸であったが、市の反応は極めて冷ややかであった[26]。当時の水戸市長であった岡田広水戸商業高校の野球部応援団OBであり圧倒的な野球派でサッカー嫌いであったが、奇しくも当時のクラブ代表であった石山徹が同校のサッカー部OBであったため、水戸市へのJFL誘致を巡って両者はたちまち犬猿の仲となった[27][28]。結局双方とも対立したまま歩み寄ることはなく、最終的に水戸市は本拠地とすることを認める代わり、クラブに対し「競技場・練習場の供給を含む一切の資金援助を求めない」とする覚書を提出させた[27][28]。この確執が長きにわたりクラブに禍根を残すこととなり、ホーリーホックがJリーグに参入する時も水戸市はこの覚書を盾に競技場の整備予算を計上せず、笠松など市外のスタジアムの使用を余儀なくされたものである。

2007年、老朽化が進んでいた水戸市立競技場をホームスタジアムとするべく改修工事に入る。2009年11月に水戸市立競技場の改修工事が竣工。命名権により「ケーズデンキスタジアム水戸」(Ksスタ)の名称が与えられ、晴れて水戸市にホームスタジアムを構えることとなり、2009年11月8日のベガルタ仙台戦から使用を開始、この年は終盤の3試合を開催、2010年度から正式に本拠地登録をKsスタに変更し、原則として主管全試合を開催してきた。

なお、Ksスタは2009年の改修後もJ1基準の収容人員(15,000人)を満たしていないため、水戸市議会がKsスタのJ1基準への改修工事を行なう方針を発表[29][30]、事業に着手した。当初は2016年の完成を目指していた[31] が、用地取得の問題から2017年時点でも本格的な工事着手の目途は立っておらず[32]、2017年3月の水戸市議会で、高橋靖水戸市長が、2019年に茨城県で行われるいきいき茨城ゆめ国体終了後の工事着手を目指す方針であると意向表明している[33]

一方で、2016年度の公認陸上競技場認定の更新に向けたインフィールドの改修工事が先行して行われており、2015年は芝生の入れ替え工事・およびそれに付随した養生期間が必要[32] であるため、開幕当初から5月までに予定される5試合を5年ぶりに笠松で開催し、水戸(K'sスタ)での開催は5月17日の大分戦以後となった[34]

2018年6月29日、クラブは2019年シーズンのJ1クラブライセンス取得に向けた申請書類を提出したことを公表[35]。水戸(K'sスタ)と22,002人収容の笠松の両方をホームスタジアムとして申請し、J1ライセンスを取得して順位条件を満たしてJ1に昇格した場合はJ1スタジアム基準を充足するように短期での改修を施した上で、原則として笠松でホームゲームを行い、J1昇格が果たせなかった場合は引き続き水戸(K'sスタ)を使用する方針とし、条件付きながらJ1ライセンスを取得することができた[36]。ただし最終的に成績面でJ1昇格条件を満たせなかったことから、笠松の短期改修を見送ることとなり、J2ライセンスへの変更が確定した[37](2019年も同様の申請を行い、認められている[38])。

しかし、その間もケーズデンキスタジアムのスタンド増設交渉が難航し進展が進んでいないことから、2019年8月26日に水戸市長・高橋靖が定例会見で「現在芝生席となっているゴール裏・サイドスタンドを立見席にしたうえで、収容可能人員をJ1基準まで充足できるようにする」方針を固めたことを明らかにし、2019年9月水戸市議会で基本計画策定用の補正予算案500万円を計上することを提案した。今後2020年度に計画設計をして、2024年度をめどに完成させたいとしている[39]

主本拠地

新スタジアム構想

水戸市のケーズデンキスタジアム改修動きとは別に、クラブは2019年11月22日に記者会見を開き、クラブ自前のスタジアム及びアカデミー拠点を整備する方針を明らかにした。[40][41]。共に水戸市内の鉄道駅或いはインターチェンジ近くに立地させることを念頭に複数の候補地を検討しているという。スタジアムは収容人員がJ1基準を満たす1万5千人から2万人規模の球技専用スタジアムを想定しており、総工費は100億円を見込んでいる。民設民営方式による整備を想定し、資金調達については既に「県外の複数企業から何十億、何百億という(単位の)話がきている」とし、設計施工、ファイナンスなど賛同してくれる企業が集まっていることも明かしており、クラブ創設30周年となる2024年完成を目指すという。一方でこのクラブの動きに対し、水戸市は今回のクラブのスタジアム新設構想の推移を見守るとして、ケーズデンキスタジアムのJ1基準化工事の設計・着工時期の見直しを示唆している[42]

なお上述の通り、2020年7月に提出した2021年度ライセンスでは、上記新スタジアム建設計画を踏まえた特例適用を申請しており、2020年のJ2でJ1昇格案件を満たす順位をクリアし、かつJ1ライセンスを承認された場合でも継続してケーズデンキスタジアムを使用できるようになる予定である。

スタジアム・大会別試合数

  • 2000年のJ2加盟以後。[43]
年度リーグ戦Jリーグ杯備考
水戸笠松ひたちなかその他
20000-9日立9
栃木2
栃木1笠松改修工事中のため、この年は暫定的にひたちなかを登記上の本拠地とする
2001711栃木3笠松改修竣工、本拠移転
200221010-不参加
20034144
20042190栃木1
20050211-
2006122
200720日立1
足利1
水戸改修着工
2008-172日立1
20093193-K'sスタ(水戸)改修竣工
20101710この年より本拠地を笠松からK'sスタに正式移転
2011190この年より主催全試合K'sスタで開催
震災によりメインスタンド被害があり、使用不可の時期あり
201221J2ライセンス初交付
2013
2014
2015165序盤5試合はK'sスタの芝生養生のため笠松で開催(上述)
2016210
2017
2018条件付きJ1ライセンス交付も年間10位によりJ2ライセンスに変更
2019条件付きJ1ライセンス交付も年間7位によりJ2ライセンスに変更

スタジアムDJ

スタジアムDJは日立市ケーブルテレビJWAY」の寺田忍が担当している[44]。寺田はホームゲームの進行役はもちろんのこと、アウェイの試合にもサポーターの一員としてたびたび自主参加し、試合開始前にはアウェイ側サポーター席でトラメガ片手にホームゲーム同様の選手紹介を行なっている。またスタジアムの場内演出は茨城大学の学生によるボランティアで運営されており[44]、寺田のDJ活動も2003年の同大在学時からの無報酬ボランティアである[45]

スタジアムグルメ

スタジアムの飲食売店はお好み焼きカレーライスなどの定番メニューから、水戸納豆を使用した「ねばり丼」やB級グルメ「みとワングランプリ」を受賞した「ちゃあしゅうバーガー」など地域色を生かしたメニューまで豊富にそろっている。しかし2009年に食中毒事件が起こり、一時は全ての飲食売店に営業停止命令が出された。ほどなく原因となった食品が特定され、該当店舗の出店禁止処分とともに売店営業が再開された。

練習場

2018年以降、練習は城里町の複合施設「城里町七会町民センター」(通称「アツマーレ」)を使用している。2017年までは那珂川の河川敷に整備されたチーム専用グラウンドであるホーリーピッチ(水戸市水府町)の他、水戸市立サッカー・ラグビー場(ツインフィールド、水戸市河和田町)など水戸市近郊のグランドを利用していた。

JリーグではJ1ライセンスの発給条件の一つとして「クラブハウスに隣接したフルサイズの天然芝グラウンドが常時利用可能であること」を求めているが、ホーリーピッチ・ツインフィールドとも近接地にクラブハウスを設けるのが困難であった。この窮状を見た水戸市に隣接する城里町が、2015年3月に廃校となった旧城里町立七会中学校の校舎及びグラウンドを活用する案をクラブに打診。水戸市内からやや遠いという難点はあるものの、校舎が1997年建設と比較的新しいことや天然芝グラウンド2面を確保できる敷地の広さ、また町民の多くからも賛同を得られていることなどから、クラブも練習場の移転を前向きに検討し、2016年7月には、クラブ側が最低10年間施設をクラブハウス及び練習場として使用する旨の協定書を締結[46]。同年シーズンオフには旧七会中で感謝イベントを開催した[47]

城里町ではこれを受け、2016年末から順次施設改修工事を開始。町役場支所・公民館の機能を併せ持った施設として整備を行った。工事完成間際には追加工事分を加えた変更契約議決が否決される[48] などの紆余曲折もあったが、最終的に変更契約議案も可決され、2018年1月に施設が完成した[49]

将来的には近隣の公営住宅を活用し、現在水戸市内にある選手寮を移転させる案も出ている[50]

ホームタウン

水戸市との関係

前述のとおり、ホーリーホックはJFL参入時の水戸市との軋轢により地元自治体の支援を受けられず、また支持されてもいないという理由からスポンサーの獲得も難しく[26]、不安定な経営基盤まま出発を余儀なくされた。ホーリーホックが「地域密着」を謳うJリーグクラブとなっても引き続き市からの財政支援はなく、また水戸から遠く離れた場所で試合が行なわれていたことから地元水戸市民の関心・認知度は極度に低迷し、観客動員・チーム成績・クラブ予算のあらゆる面でJリーグ最低規模での運営が続いた。

しかし2003年4月に加藤浩一が新市長に就任したのを機に市の対応にも変化が生じる。ホーリーピッチの整備やKsスタの改修工事など市側がホーリーホックを念頭に置いた環境整備を行うようになり、2009年の本拠地移転後は観客動員も徐々に増加の兆しを見せていた。しかし、2010年はスポンサーの撤退などにより資金難となった。前述の確約により市の資金援助も得られず、2011年1月に公式試合安定開催基金から3000万円を借り入れる事態となった。追い打ちをかけるように同年3月に東日本大震災により被災。一気にクラブ存続の窮地に追い込まれる中、同年5月にクラブへの積極支援を表明していた高橋靖が新市長に就任。これにより双方の関係は劇的に改善し、水戸市は震災で市庁舎が全壊し仮設庁舎での業務を余儀なくされている中にあって、同年12月にクラブへの出資を可決。ここに至って15年にも及んだ水戸市との確執はついに解消され、覚書については両者同意の元無効化された[28]

なお現在はKsスタのJ1ライセンス獲得に向けた増席改修が新たな問題として浮上しており(前述)、行政のみならず市民の総意に訴える活動を目指すとしている。

ホームタウン推進協議会

ホームタウンは元々水戸市のみであったが、2002年に周辺のひたちなか市那珂市笠間市小美玉市茨城町大洗町城里町東海村の8市町村を加えた「水戸ホーリーホック・ホームタウン推進協議会」が発足した。以後毎年ホームゲーム開催時に「市町村の日」を設け、住民の無料招待や地域の紹介展示、特産品の抽選配布など準ホームタウンとしての地域提携が行なわれている。また2012年に本協議会の5市町がクラブへの出資を表明していることが明らかになった[51]

8市町村は、2017年11月21日に正式にホームタウンとして承認されている[6]

ユニフォーム

ユニフォームの色
カラーシャツパンツストッキング
FP(1st)[2]
FP(2nd)[2]
GK(1st)
GK(2nd)黄×オレンジ
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

チームカラー

ユニフォームスポンサー

掲出箇所スポンサー名表記掲出年備考
ケーズホールディングスK's ケーズデンキ2001年 -1999年 - 2000年は背中
鎖骨なし--
背中上部アトラエ:Atrae2019年5月 -2019年は「Atræ」表記
背中下部なし--
なし--
パンツ前面タカノフーズタカノフーズ2021年 - [52]
パンツ背面なし--

ユニフォームサプライの遍歴

歴代ユニフォーム

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度箇所サプライヤー
鎖骨左鎖骨右背中上部背中下部パンツ前面パンツ背面
1999Netz
TOYOTA
解禁前K's ケーズデンキ解禁前茨城銀行-解禁前PUMA
2000トモエ乳業
2001K's ケーズデンキ-
2002
2003
2004
2005- /
imx
- /
CMC
- /
思学舎モア
2006imxCMC思学舎モアmitre
2007imx /
-
--
2008水戸証券茨城空港
2009
2010--
2011- /
One Heart Wedding
seekel- /
ARK CLUB GEIHINKAN
2012- /
ARK CLUB GEIHINKAN
- /
ARK CLUB GEIHINKAN
GAViC
2013- /
ARK CLUB GEIHINKAN
-- /
ARK CLUB GEIHINKAN
2014--
2015ガールズ&パンツァー
2016- /
Vietnam Airlines
-(あんこうマーク)
2017-
2018-
2019Z-SPORTSZ-CRAFT- /
Atræ
Netz
ネッツトヨタ茨城
2020-:Atrae---
2021タカノフーズSoccer Junky

※2014年(創設20周年)、2019年(創設25周年)の袖には、それぞれ記念ロゴマークがついた。

アカデミー

  • 水戸ホーリーホックユース
  • 水戸ホーリーホックジュニアユース
  • 水戸ホーリーホックジュニア

公式ソング

  • 走れ☆ホーリーホック!(作詞・作曲・編曲・歌:eco)
2005年に発表された初の公式応援ソング。チアリーディング用の振り付けも考案された。試合会場のBGMとして多用されたため観戦に訪れた多くのアウェイサポーターにもメロディが刷り込まれてしまったことから「水戸の洗脳ソング」との異名をとった[55]
  • 蒼く染まれ(作詞・歌:shotaro 作・編曲:和田春)
2011年発表。試合会場では主に試合のダイジェスト映像やボールパーソン入場時のBGMなどに用いられた。
  • Ole ホーリーホック ~葵の魂を見せてやれ~(作詞・作曲・編曲・歌:磯山純)
2014年11月1日のホーム横浜FC戦にて本人のミニライブとともに発表された。2014年時点においてCD販売等はされていない[56]
  • 無限の力(作詞・作曲・編曲・歌:宇宙まお
2014年11月15日のホーム栃木SC戦にて本人のミニライブとともに発表された。CDには表題曲のほか「あの子がすき」も収録されている。
  • スーパースター(作詞:NAOI HIRO 作曲:NAOI 編曲:Ryo Miyata Kazuki 歌:BxAxG
2015年2月26日に新応援ソングとして発表[57]。5月17日のホーム大分戦ではミニライブとCDの先行販売が行われた[58]

eスポーツ

2020年2月10日eスポーツチーム設立を発表し、併せて所属選手の募集を開始。茨城県内の在住または在勤・在学者を対象に2名採用する[59][60]

エピソード

J2参加

J2参入初年の2000年は笠松運動公園陸上競技場が改修工事中であったため、ひたちなか市総合運動公園陸上競技場日立市民運動公園陸上競技場の2会場を中心に主催試合を行った。そのうち、より規模の小さい日立では9試合が行われたが、その中に浦和戦のホームゲーム2試合が含まれ、公称収容人数8,464人のスタンドは浦和サポーターを中心に超満員(観衆約6,000人)となったが、ピッチ状態の悪さなどに批判が集まった。その後、日立での試合開催は2007年の1試合(仙台戦)まで行われなかった。また、警備費用の負担という名目で水戸は浦和戦のみ各席種のチケット販売価格に通常から200円上乗せしたが、対戦相手によってチケット価格を変えるのは当時のJリーグでは珍しかった。[注 6]

水戸ナチオ

2003年に監督に就任した前田秀樹は、資金面、戦力面で他クラブに劣る水戸で対等な勝負をするために、徹底した専守防衛によるリアクションサッカーを導入した。DFやサイドどころか中盤、前線に至るまでほぼ全員が自陣深くに引き、攻撃はカウンター一筋で決して自分たちからは攻めあがらず、何点のビハインドを背負おうと決して前の人数を増やさずに守り続けるという、極端なまでの守備戦術である。

この戦術は、ポゼッション(ボール保持)を半ば放棄しているため、相手の波状攻撃に耐え切れずに大量失点を喫することもあったが、その分カウンターがうまくはまった時は快勝することも多く、特に攻撃的な戦術を組む上位クラブに対しては「守り切られてカウンターだけで負けかねない、侮れないチーム」という意識を植え付けることになった。また、上位だけでなく水戸以降にJリーグに加入した下位クラブにも徹底して引いたため、「横浜FC相手にリトリートするチームがあるとは思わなかった」(足達勇輔横浜FC監督)、「先制して、水戸が前に出てきたら仕掛けようと思ったら、出てこなかった[61]」(望月一仁愛媛監督)など、しばしば相手の選手や監督を驚かせた。

こうした水戸の「超守備戦術」は、いつしかイタリアの「カテナチオ」になぞらえ、一部サポーターから「水戸ナチオ」と呼ばれるようになった。元はインターネットのサッカーコミュニティから生まれたスラングであったが、徐々にサッカーファンの間で浸透し、やがてマスコミでも水戸を説明する言葉としてしばしば用いられるようになった。前田監督の最終年である2007年以降、水戸はポゼッションを高める攻撃的サッカーに方針を転換したが、今なお「水戸ナチオ」は水戸を象徴する代名詞となっている。

サポーター主導のイベント

水戸サポーターはホームゲームの勝利後に全員でラインダンスをするほか、一部選手・クラブ社長・ホーリーくんを交えての万歳三唱、アウェーゲームのゴール裏で屋台やゲームなどの夏祭りを開催する「納涼漢祭り」、前田秀樹監督を盛大に称える「前田祭り」、山形とのゲームで必ず行われる「コール合戦」など、独特のイベントを多数開催している。

これらは基本的にクラブはノータッチ、完全にサポーター主導で行われており、特に漢祭りは「Jリーグの奇祭」として他クラブサポーターも多数参加する。詳細は「納涼漢祭り」を参照。

新日本プロレスとのコラボレーション

2008年から新日本プロレスとのコラボ企画を行なっている。2月14日にひたちなか市松戸体育館で行われた新日本プロレスひたちなか大会において、ホーリーくんやチアリーダーが登場するなどして盛り上げた。6月13日の鳥栖戦には、6月15日の水戸市民体育館で行われる新日本プロレス水戸大会の宣伝も兼ねて、サッカー経験者である蝶野正洋の始球式参加や「I am Chono!!」シートを限定販売を行った。

ガールズ&パンツァーとのコラボレーション

ホームタウン推進協議会に属する大洗町が舞台のテレビアニメ『ガールズ&パンツァー』が2012年に放映されて人気を博したが、視聴したクラブ社長が主人公が所属する学校の立場に共感[62]。製作会社であるバンダイビジュアルとの交渉で2013年11月10日第40節東京V戦でコラボ企画を実施[63]。2014年には同社とスポンサー契約を締結、開幕前には合同記者会見が開かれ[64]、以降関連グッズの販売やコラボイベントなどが活発に行なわれている[65][66][67][68]

観客動員

Jリーグ加盟初年から長らく集客で苦戦が続き、特に2005年から2009年まで5年連続で動員数リーグ最下位を記録するなど、2010年までの年間観客動員数はリーグ下位2位以内が定位置であった。なお2000年、2004年の動員最下位はそれぞれ甲府鳥栖であったが、双方とも当時クラブの存続危機に立たされていた。2010年に最下位だった岐阜はホームスタジアム・長良川競技場が改修工事のためわずか3試合しか使用できず、その他のホームゲームを収容人数3,000人台の長良川球技メドウで行なったためである。

2010年には、10月31日の戦で「ワースト脱出!!1万人チャレンジDAY」と銘打ったキャンペーンを実施、チケット価格を値下げするなどして初めて観客1万人を達成した[69]。この模様はNHKのバラエティ番組「欽ちゃんのワースト脱出大作戦」でも取り上げられた[70]

2011年は東日本大震災で被災し、Ksスタの修理のため19試合のホームゲームのうち実に12試合もの間7,000席分のメインスタンドを使用できなかったにもかかわらず、年間動員数は20クラブ中18位となり初めてワースト2位の壁を越えた。

翌2012年以降から年々動員数を伸ばし続けており、近年は改善傾向が見られる。

観客数の多かったホームゲーム

順位日時所属対戦相手観客数試合会場
12016年3月6日J2セレッソ大阪10,420ケーズデンキスタジアム水戸
22010年10月31日柏レイソル10,181ケーズデンキスタジアム水戸
32013年6月15日ガンバ大阪10,025ケーズデンキスタジアム水戸
42006年8月19日柏レイソル9,482笠松運動公園陸上競技場
52017年9月2日名古屋グランパス9,240ケーズデンキスタジアム水戸

決算

水戸ホーリーホックの決算は、つぎのとおり。

損益

年度リーグ収入広告料入場料配分その他費用事業費人件費管理費利益純利益
2005J231081501037530121013391818
2006J2341835211195338239141993-2
2007J230162431306633724014097-36-40
2008J23491024411291361256159105-12-9
2009J241310871102132399293163106146
2010J2366916211796380269152111-14-16
  • 金額の単位: 百万円
  • 人件費は事業費に含まれる。

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 200520062007200820092010

年度リーグ収益広告料入場料配分育成その他費用人件費試合トップ育成女子販売利益純利益
2011J2436135601053799387152345480139496
2012J24831698290351074792053068110165428
2013J2508189909038101507230356510016714
2014J25181678892451265482354669140184-30-29
2015J2561190818249159561249447121017602
  • 金額の単位: 百万円

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 20112012201320142015

年度リーグ収益広告料入場料配分育成物販その他費用人件費試合トップ育成女子物販販売利益純利益
2016J25891998682495611758626247712104214334
  • 金額の単位: 百万円

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016

資産

年度総資産総負債純資産資本金
20057299-2674
2006124144-2082
2007112128-15104
2008116142-2552
200989107-1852
201082117-3552
20111531332077
20121681125680
20131611016080
20141821443884
20151601194184
20161601154584
  • 金額の単位: 百万円

出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 200520062007200820092010201120122013201420152016

脚注

[脚注の使い方]
注釈
  1. ^ 徳川家の家紋「三つ葉葵」に用いられているフタバアオイは正確にはアオイ科のタチアオイ (HollyHock) とは異なる、ウマノスズクサ科の植物である。
  2. ^ 2008年まで使用されていた初代の着ぐるみが付けていた背番号は12。また2010年にはクラブ社長の沼田邦郎の名前にちなんで920(くにお)を付けていたことがある。なおイラスト上では背番号は描かれていない。
  3. ^ その為、現在のトップチームの天皇杯出場回数はプリマハムFC土浦からの通算である(第76回大会第77回大会の各項を参照のこと)。故にクラブ組織としての前身がFC水戸であるのに対し、その傘下であるトップチームの前身はプリマハムFC土浦となっている。
  4. ^ 新設スタジアムの場合は上位リーグ(この場合はJ1)ライセンスを取得したうえで、上位リーグ(J1)昇格案件の順位を満たして昇格することを条件として、最初の昇格年度から数えて3年目のライセンス申請時までに建設予定地・建設費などの予算などを具体的に提示し、5年目のライセンス申請時までに完成することを義務付ける。ただし、最初の昇格から数えて5年目までに新スタジアムが着工していれば、「スタジアムの例外規定1」(既存スタジアムを改修する場合、例外申請が認められてから3年目=4シーズン目の開幕までに完成すること)との併用可能
  5. ^ ひたちなか市総合運動公園陸上競技場の照明がJ2開催基準の照度に足りなかったため。また当時の栃木SCはまだ地域リーグ所属であった。なお一部の平日試合を薄暮時間帯のひたちなかで開催したこともある。
  6. ^ 他にFC東京神戸も2段階料金制度を採っているほか、大宮が2007年シーズンに2段階料金制度を採用していた。
出典
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関連項目

外部リンク

セレッソ大阪

セレッソ大阪セレッソおおさか西: Cerezo Osaka)は、日本大阪府大阪市堺市をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。セレッソは、スペイン語で桜の意味を指す語。株式会社セレッソ大阪は、セレッソ大阪の運営会社である。

概要

1957年創部のヤンマーディーゼルサッカー部が前身となり[1]、1995年にJリーグへ加盟した[1]。ホームスタジアムはヤンマースタジアム長居およびヨドコウ桜スタジアム[1] である。チーム名の「セレッソ(Cerezo)」はスペイン語で「桜」という意味[1]。桜は大阪の「市花」であり、大阪市全体を、そして日本を代表するチームになるよう願いが込められている[1]。ホームタウンは加盟当初より2013年までは大阪市だけであったが、2014年に堺市が追加された[4]

マスコットの「ノブレ・バリエンテ・アッチェ・ロビート・デ・セレッソ」(愛称ロビー。"高貴で勇敢な、由緒あるセレッソ家のオオカミの息子"という意味がある)。2008年より、ロビーの母親として「エレガンテ・エスプレンディーダ・マダマ・ロビーナ・デ・セレッソ」(愛称マダム・ロビーナ、「優雅で華麗な、由緒あるセレッソ家の“オオカミの令夫人”」という意味)が加わった。なお、ガンバ大阪などと区別するため、「セ大阪」、「C大阪」(CはCerezoの頭文字)などと略記される。

歴史

前身

前身は1957年創部のヤンマーディーゼルサッカー部[1]日本サッカーリーグ(JSL)で4回、JSLカップで2回、天皇杯で3回それぞれ優勝した。

1993年 - 1994年(JFL)

1995年 - 2001年(J1)

  • 1995年 - Jリーグに加盟[1]
  • 1996年 - 成績不振によりエミリオが監督を辞任。後任にコーチだった楚輪博が監督に昇格。
    • 7月3日 - ナビスコカップの福岡戦で8得点。チーム最多得点記録
    • 7月27日 - 大阪長居スタジアム(長居)が改修終了。それに伴いC大阪のホームスタジアムも長居第2陸上競技場から長居へ変更。こけら落しとしてブラジルのボタフォゴFRと親善試合を行った(1-3で敗戦)。
    • 5月11日から10月2日 - リーグ戦で5か月間10試合に及ぶ連敗を記録。チーム連敗最長記録
  • 1997年 - 監督にクルゼイロEC元監督のレヴィル・クルピが就任。カプコンが出資から撤退。
  • 1998年 - 松木安太郎が監督に就任。リーグ戦では34試合中13試合で3失点以上を喫した。韓国代表の黄善洪が入団。
    • 4月15日 - 長居での磐田戦で 1-9 の敗戦。Jリーグ最多失点・得点記録
    • 8月8日 - 長居での柏戦で 5-7 の敗戦。試合当りのJリーグ最多得点記録
  • 1999年 - レネ・デザイェレが監督に就任。
  • 2000年 - 副島が監督に就任。韓国代表の尹晶煥が入団。
  • 2001年 - 1stステージは16チーム中14位。
    • 7月27日 - 強化担当だった大西忠生が成績不振を理由に副社長を辞任。
    • 8月20日 - 副島が成績不振を理由に監督を辞任(事実上の解任)。後任はジョアン・カルロスが就任。
    • 11月3日 - FC東京戦に敗れ、J2降格が決定。カルロスが監督を辞任。後任にはコーチだった西村昭宏が監督に昇格。
    • 天皇杯は決勝へ進出したが、清水に延長の末2-3で敗れた。なお、J2降格決定から天皇杯の決勝まで7連勝であった。

2002年(J2)

  • 2002年 - 2002 FIFAワールドカップの代表選手として森島寛晃・西澤明訓・尹晶煥らが選出された。
    • 11月16日 - 第43節の新潟戦に3-0と勝利して、J1復帰が決定。最終順位は2位。

2003年 - 2006年(J1)

  • 2003年 - 1stステージは5位。2ndステージに入ると白星が遠く、2001年にJ2降格が決まってから指揮を執っていた西村がシーズン途中で解任。シーズンの残りはヘッドコーチだった塚田雄二が監督を務め、天皇杯は3度目の決勝進出を果たすが、磐田に敗れ、準優勝。
  • 2004年 - 監督就任が決定していたナドベザ・ペーターが狭心症の発作のため来日不可能となり、練習開始前日に直前にナドベザとは旧知の仲だったフアド・ムズロビッチが急遽監督に就任したが、準備不足やクラブとの方針の違いもあり、公式戦3試合(リーグ戦2試合・カップ戦1試合)のみで解任される。後任にはヘッドコーチだったアルベルト・ポボルが昇格したが守備が崩壊。1stステージ最終節で最下位争いをしていたにホームで惨敗し、最下位でステージを終えたことが決定打となりアルベルトも解任となった。2ndステージからは前年まで大分の監督だった小林伸二が指揮を執り、西村から数えて1年足らずで5人が監督を務める異例の事態となった。2ndステージも低迷し、13節終了時点で残り2試合に1敗でもすれば年間最下位とJ1・J2入れ替え戦行きが決定するところまで追い込まれたが、14節・最終節と連勝し、最終節で柏を逆転して年間15位に浮上、J1残留が決定した。2ndステージは12位。シーズン終了後、大久保がスペインのマヨルカにレンタル移籍。
  • 2005年 - 小林が監督続投。GKにG大阪から吉田宗弘を完全移籍で獲得、DFには2003年夏季ユニバーシアード優勝メンバーの江添建次郎を7クラブに及ぶ争奪戦の末に獲得に成功、テスト生出身の前田和哉も入団した。京都からFW黒部光昭、東京VからMF廣山望をいずれもレンタル移籍で獲得。外国人選手も数年続いた東欧路線から一変して、ブルーノ・クアドロスファビーニョゼ・カルロスを獲得。
    • 当初9位を目標に掲げ、開幕は3連敗と出遅れたが、新加入の吉田、ブルーノ・クアドロス、江添が開幕からスタメンに定着、江添が第3節の大宮戦で右ひざじん帯断裂の重傷を負ったが、その穴を前田が埋め、ボランチのファビーニョや下村東美とともに守備の建て直しに成功、森島寛晃・西澤明訓・古橋達弥・黒部光昭といった当時のJ1屈指の攻撃陣と攻守の歯車がかみ合いだし、第4節の名古屋戦で初勝利を挙げると第11節の清水戦まで8試合負けなし、前半戦を6勝5分6敗で折り返した。後半戦はG大阪や鹿島、浦和などの上位チームがもたつく間に順位を上げ、第33節でG大阪を抜いて首位に立った。
    • 勝てば優勝決定、敗戦・ドローで自力優勝が消えるという状況で迎えた最終節・FC東京戦で1点リードしていたが、アディショナルタイムで同点に追いつかれ優勝は成らなかった。翌朝の朝日新聞には「長居の悲劇」との見出しが掲載された。最終順位は5位だったが、後半戦(第18節~最終節)に限れば10勝6分1敗、当時のJリーグ無敗最長記録となる16試合無敗で、天皇杯も含めれば準決勝で清水に敗れるまで20試合負けなしであった。また、この年の平均観客動員数は過去最高の1試合当り17,648人。
    • シーズン終了後、ファビーニョが家庭の事情により退団。他にも布部陽功久藤清一を放出(ともに福岡に移籍)し、黒部と廣山のレンタル移籍契約を更新しない(黒部は浦和へ再度レンタル移籍、廣山は東京Vに復帰)など、世代交代を図る為にベテラン選手に対して大なたを振るった。
    • 吉田と古橋がベストイレブンに選ばれ、前田が優秀新人賞を獲得した。
  • 2006年- 小林体制3年目。東京Vから山田卓也を完全移籍で、河村崇大磐田からレンタル移籍で獲得。新外国人選手ではピンゴが入団。即戦力では中盤中心の補強を行い、新加入選手では強化指定選手となっていた森島康仁が入団したのをはじめ、大学選抜で活躍した小松塁や、高校生ながら素質を見込まれてプロ契約を結んだ香川真司、クラブ最年少の16歳でトップチーム昇格を果たした柿谷曜一朗らが入団した。リーグ戦は、開幕からの4節をすべて3失点以上で負けるなどしてつまづき、8節終了時で1勝1分6敗の成績。4月18日付で小林が解任され、育成アドバイザーを務めていた塚田雄二が2度目の監督に就任した。
    • 4月22日、広島戦(アウェイ)で、FW佐藤寿人にJ新記録となる試合開始から僅か8秒でゴールを決められた(Jリーグ最速得点・失点記録)。
    • 6月15日、マヨルカにレンタル移籍していた大久保がチームに復帰した。
    • 8月13日、磐田から元日本代表MF名波浩レンタル移籍で獲得。以後チーム状況が多少上向き、勝ち点を重ねるようになった。
    • 11月26日、大宮戦で柿谷曜一朗がチーム最年少出場記録となる16歳10か月で公式戦デビュー。
    • 12月2日、最終節で川崎に敗れ、年間17位となり5シーズンぶりのJ2降格が決定。塚田は降格の責任を取り監督辞任。後任に東京Vヘッドコーチの都並敏史が就任した。シーズン終了後に、大久保嘉人(神戸へ)、西澤明訓(清水へ)、名波浩(磐田復帰後、東京Vへ)、下村東美(千葉へ)、ブルーノ・クアドロス(退団後、札幌へ)が退団した。

2007年 - 2009年(J2)

  • 2007年-ヤンマーサッカー部発足から創設50周年を迎えた。完全移籍で柳沢将之(東京V)を、レンタル移籍で羽田憲司(鹿島)、丹羽竜平(神戸)を獲得。逆にレンタルさせていた濱田武鳥栖)と千葉貴仁(札幌)、小松塁(長崎)を復帰させ、新人では立命館大学から阪田章裕、外国人選手ではブラジルからアレーと韓国ユニバーシアード代表の金信泳を獲得。
    • リーグ戦は開幕3連敗でスタートし、第4節の京都戦で初勝利を挙げた。第12節の草津戦で柿谷がJ2最年少記録となるゴール(17歳3か月)を決めるが、森島寛晃が原因不明の首痛に悩まされるようになり戦列を離脱した事や、一気に若返った選手の適性を見極める為、戦力を使い回す試行錯誤をしていて勝ち点が延びず、第14節終了時点で4勝3分6敗でJ2の9位という成績であった。
    • 5月7日付で監督の都並、コーチの藤川孝幸、GMの西村昭宏を解任し、後任に元監督のレヴィー・クルピが監督に就任した。就任当初は1勝3敗と負けが先行したが、第19節の試合なし期間を活用した淡路島ミニキャンプで戦術を浸透させ、メンバーも小松塁をFWのスタメンに抜擢、香川真司をサイドに、ゼ・カルロスと柳沢将之を左右のSBに固定するなど、それまでの使い回しから一変した選手起用を実施。これが功を奏して第20節からは4連勝。第2クール終了後には、比較的戦力に余裕のあったFW陣から金信泳を鳥栖へレンタル移籍させ、空きができた外国人枠を活用して、ボランチを強化するためにクルピの肝いりでジェルマーノを獲得した。その後第3クールでは9勝3敗のリーグ1位の成績を残したが、第1クールでの出遅れと、京都(2勝2分)以外のJ1昇格争いを繰り広げた上位チームに大きく負け越した(札幌と仙台には1勝3敗、東京Vと湘南には1分3敗)事が響き、J2・5位に終わった。
    • 昇格を逃したものの、FWに抜擢されて12ゴールを挙げた小松をはじめ、香川・森島康・柿谷が世代別代表に選出されて国際大会で活躍。しかし、その森島康や柿谷でもレギュラーではなく、彼らより先にU-23代表にも選出され、当初スタメンで出場していた苔口卓也に至っては、クルピ就任以後ベンチ入りする機会すら限られるなど、チーム内競争は激しさを増し、戦力の底上げがなされた。
  • 2008年-吉田宗弘が福岡に完全移籍、苔口卓也が千葉にレンタル移籍した。補強はGKに川崎から相澤貴志をレンタル移籍で獲得、退団したゼ・カルロスの後任となる左SBに湘南から尾亦弘友希を完全移籍で獲得、FWにカレカをレンタル移籍で獲得した。また前田和哉がキャプテンとなった。
    • 開幕は水戸に勝利し、久々の開幕戦勝利を収めた。
    • 5月は前月末の愛媛戦から数えて、負けなしの7連勝を飾り2位に浮上。
    • 6月は怪我人と出場停止選手が続出。1勝1分4敗の成績。
    • 7月も1勝1分2敗と勝ち点を伸ばせないまま終わる。
    • 8月は2勝1分2敗と浮上の兆しが見えてきたに思われたが、本間勇輔がスタジアムマスターに就任し、新たなアンセムを作曲した9月も低迷のまま終わり、10月、上位争いをした3位の仙台との直接対決に敗れた時点で勝ち点8差がつけられていた。
    • 11月に入りC大阪が3連勝した一方、仙台は2分1敗と不振に陥った為、勝ち点差を1にまで縮めて最終節を迎えた。C大阪は愛媛に勝利を挙げたが、仙台も勝利したために逆転ならず、4位となりJ1昇格はならなかった。
    • 香川が日本五輪代表に選ばれ3月のアンゴラA代表との試合の際に見せたプレーが日本代表監督である岡田武史の目に止まり、香川は平成生まれとして初の日本代表に招集された。C大阪からは大久保嘉人以来4年ぶりの代表選出。香川はキリンカップ・コートジボワール代表戦でデビューし、ワールドカップ3次予選の2試合に出場。香川は8月に行われる北京オリンピック日本代表にも選ばれた。
    • シーズン途中に、名古屋から青山隼、横浜FMから乾貴士、新人の白谷建人を含めて世代別の日本代表の経験がある選手を多く獲得。これはクルピの方針で『C大阪に移籍して、さらに成長する可能性のある選手』を獲得する傾向にある。一方でチームにフィットしなかったカレカを解雇し、出場機会が激減した森島康をレンタル(シーズン終了後に完全)移籍で大分に放出した。
    • この年を最後に森島寛晃が現役を引退。
  • 2009年-ジェルマーノ、古橋達弥山本浩正、柳沢将之などが完全移籍で去り、相澤貴志、丹羽竜平、青山隼がレンタル終了、レンタル移籍中の森島康仁や宮本卓也も完全移籍する。しかし、レンタル移籍で加入していた乾貴士、羽田憲司、平島崇が完全移籍に移行し、小松塁、香川真司などの主力が残留した。また、レンタルで石神直哉を獲得し、西澤明訓清水から復帰した。外国人選手では前年途中加入し、フィットしていたカイオが残留、パルメイラスからマルチネスクルゼイロからチアゴとクラブの主力だった2選手と2007年U-20W杯韓国代表のキム・ジンヒョンを「アジア枠」で獲得。中でも新加入のマルチネスの評価は高く、「J1でもトップクラスのボランチ」とも評された。マルチネス自身、二部のクラブでプレーした経験がなく、移籍に当初は抵抗も感じたが、セレッソが本気でJ1昇格を目指しているチームであることを知り、そうした抵抗感はなくなったと語っている[5]
    • 開幕戦となった鳥栖戦は4-1で勝利。以降、3月から4月は、4月19日の札幌戦で一敗を喫したのみであった。
    • その後も勝ち点を積み重ねるが、6月に富山と鳥栖に連敗する。
    • 7月9日、鹿島から船山祐二を獲得。船山は加入直後こそ出場機会に恵まれなかったが、終盤戦にレギュラーを獲得。マルチネス故障の穴を埋め、チームの快進撃に大きく貢献した。
    • 8月中旬から3戦連続で勝ちなしと不振に陥る。
    • 8月30日の熊本戦からは10勝3分と勝ち点を積み重ね、11月8日に草津に5-0で勝利をおさめ、J1昇格が決定。同時に勝ち点100越えを達成した。J2で勝ち点100以上を達成したチームは川崎、広島に次いで3チーム目(ただし川崎は44試合、広島は42試合)。シーズンを通じて昇格圏外に落ちることはなかった。
    • 11月8日の鳥栖戦の後、今季3シーズンぶりにチームに復帰した西澤明訓が引退を発表。西澤は当初、右足首のコンディションが悪く、すでに清水で引退するつもりであったが、前年に引退した森島から「戻って何とかJ1に上げてほしい」と言われたこともあり、「自分の中で、J2に落としたというのは汚点だったから・・・せめて、J1に上げるためにちょっとでも力になれれば」という思いで復帰を決めた。5月20日の熊本戦で復帰後初ゴール。決して万全の状態ではなかったが、クルピ監督は西澤がチームに与えるポジティブな影響を期待し、常にベンチに置き続けた。11月8日の引退発表は、セレモニーを開催するような形を好まなかったため「あの場のノリです(笑)」と語っているが、「できれば避けたかった」という引退セレモニーはホーム最終節の岐阜戦(11月28日)の後に開催されている[6]。なお、引退後は代理人になることを目指しているが、2010年2月にはセレッソ大阪アンバサダーに就任した。
    • その後はJ2優勝を目指すが、11月22日の仙台戦(0-1)、1試合置いて12月5日の鳥栖戦(1-2)と、いずれもアウェイで後半ロスタイムに失点して敗北。シーズン2位となった(2009年J2最終節)。

2010年 - 2014年(J1)

  • 2011年-シーズンオフに家長昭博のスペイン・リーガエスパニョーラのマヨルカへの移籍を皮切りに、2009年度キャプテンの羽田憲司(神戸)、石神直哉湘南)、山下達也札幌)、多田大介鳥取)が移籍。アドリアーノ(アトレチコPR)はレンタル期間満了の上、G大阪に完全移籍。一方、大分からキム・ボギョンが復帰した他、神戸から高橋祐太郎(DF高橋大輔の実弟)を完全移籍で獲得。千葉から中後雅喜を、G大阪から倉田秋(千葉へのレンタル期間満了)を、またCRヴァスコ・ダ・ガマからホドリゴ・ピンパォンを、それぞれ期限付き移籍で獲得した。
    • 開幕戦のG大阪との大阪ダービーは1-2で敗戦。
    • 2011の布陣は1トップがピンパォンで、キム・倉田・乾の3シャドーが流動的に動く4-2-3-1に近いシステムを使う。
    • AFCチャンピオンズリーグ2011では初出場ながらグループリーグをグループGの2位で突破。5月24日のラウンド16では、G大阪とのACL史上初の大阪ダービーを1-0で制し、Jリーグ勢唯一の決勝トーナメント進出を果たす。しかし、準々決勝で全北現代に2戦合計5-9(第1戦 4-3、第2戦 1-6)で敗れ、ベスト8で敗退。
    • 8月に乾貴士がドイツ2部のVfLボーフムへ完全移籍、ピンパォンが契約満了による退団(後に大宮に入団)。これを受け、ファビオ・ロペスFC東京よりMF大竹洋平をそれぞれ期限付き移籍にて獲得。
    • 8月20日の清水戦・9月11日の広島戦にて播戸竜二が途中出場でのハットトリックを達成。
    • シーズン終了後、「2007年から5シーズン指揮を執ってきましたが、J2からJ1へ昇格、さらにACL出場、そしてその中から数多くの選手がフル代表・五輪代表に選出され、欧州へ飛び立っていったことを考えると、セレッソにとっては一つのサイクルが終わり、節目の時がきたのではないかと思います。その間、単身で日本にいましたが、はるか遠くのブラジルにいる家族のもとへ帰る時が来たのではないか、という結論に至りました」として、監督のレヴィー・クルピが退任[7]
  • 2013年-G大阪と神戸がJ2に降格したことにより、関西で唯一のJ1チームとして戦う。監督は引き続きレヴィー・クルピが務め、新戦力として武田洋平清水)、ク・ソンユン(在鉉高校)、新井場徹鹿島)、椋原健太東京、期限付き)、楠神順平川崎)、ブランコ山形からレンタルバック、旧登録名ブランキーニョ)、エジノUANLティグレス)が加わり、ユースからは秋山大地岡田武瑠小暮大器南野拓実の4名が昇格した。後藤寛太高橋大輔が契約満了、舩津徹也ヘベルチが期限付き移籍期間満了で退団し、荻野賢次郎アルビレックス新潟シンガポール児玉新大分松井謙弥徳島(期限付き)へ移籍した。昨季ともに大分へと期限付きで移籍していた夛田凌輔J2群馬に、野口直人JFLびわこに、再び期限付きで加入した。また、2012年9月からAリーグパース・グローリーFCに期限付き移籍していた永井龍は、移籍期間を2013年4月30日まで延長。2013年シーズンのキャプテンは昨年に引き続き藤本康太が務める。
    • 開幕戦は、この年から新たに背番号8を受け継ぐこととなった柿谷曜一朗のゴールで、新潟相手に1-0で勝利。J1での開幕戦勝利は1999年以来、実に14年ぶりのことであった[10]。また、酒本憲幸がこの試合でJ1リーグ通算100試合出場を達成した。
    • 契約を更新せず、海外挑戦が囁かれていた村田和哉について、3月30日、正式に2013年度の契約を両者合意の上で結ばないことが発表された[11]。その後、村田は清水に加入。同じく去就が発表されていなかったキム・チャンフン蔚山現代尾浦造船トルゴレFCへの期限付き移籍が発表された[12]
    • 4月9日、武田洋平が右ひざ内側側副じん帯損傷で全治5週間と診断されたと発表された。第3GKだったク・ソンユンがベンチに入ることで、外国人枠の関係でブラジル人選手が3名中2名しかメンバー入りできない事態に陥り、4月11日、昨季岐阜でプレーしていた多田大介を緊急補強[13]。多田にとっては2009年以来、4シーズンぶりの復帰となった。
    • 6月10日、契約期間が6月30日までとなっていたシンプリシオの契約延長が発表された。契約期間は2013年7月1日から2014年1月1日まで[14]
    • 7月1日に井上翔太の北九州への[15]、12日に永井龍のパース・グローリーFCへの[16]、そして26日には播戸竜二の鳥栖への期限付き移籍が発表された[17]。いずれも期間は2014年1月31日まで。
    • 7月15日、ユース出身者としてははじめて、柿谷曜一朗、山口螢、扇原貴宏の3選手が日本代表に選出された。そのうち、山口と扇原はハナサカクラブ出身者として初の選出となった。8月27日にキム・ジンヒョンが1年ぶりに韓国代表に選ばれた。
    • 膝の手術のため昨季いっぱいで退団していた高橋大輔が現役引退を決断し、7月24日、クラブの公式ホームページでも発表された[18]
    • 7月26日、「マンチェスター・ユナイテッドツアー2013 PRESENTED BY AON ヤンマープレミアムカップ」として、セレッソ大阪とマンチェスター・ユナイテッドのフレンドリーマッチが長居スタジアムで開催された。マンチェスター・ユナイテッドの一員としてピッチに立った香川真司にとって凱旋試合となったこの一戦は、セレッソが終了間際に失点したことにより、2-2の引き分けに終わった。試合後、香川は「成長した姿を見せられてよかった」「サッカー人生のひとつの歴史になったというか、誇りに思います」などの言葉を残している[19]
    • 10月ごろから「来季からクラブのフィロソフィーを変えるプランもある」(社長の岡野)などとして監督・コーチ陣および強化部長を総入れ替えするとの報道が流れはじめ[20]、かつてセレッソにも在籍した名波浩らの名前が監督候補として取り沙汰される中で、11月25日、監督のクルピ、ヘッドコーチのマテル、フィジカルコーチのホドウホ、強化部長の梶野智の退任(契約満了)が正式に発表された。退任の発表にあたり、クルピは「セレッソで過ごした年月を振り返ると、心あたたまる思い出ばかりです。これから先も、いつまでも私はセレッソを応援し続けます」などとするコメントを発表した[21]。結局シーズンは最後までAFCチャンピオンズリーグ2014出場権争いに絡み、第33節終了時には一旦6位に下がるも、最終節に勝利し、前節3位、4位だったが最終節で敗れた鹿島、浦和を抜いて4位でリーグ戦を終了、3位以内での出場権獲得は逃したが、天皇杯の結果次第での出場の可能性を残した。
    • 今季は、柿谷らの活躍もあり、夏ごろから人気が上昇。練習グラウンドにも若い女性が詰めかけるようになり、メディアも「セレ女」などと報じるようになった[22]。その結果、2013年シーズンは観客動員が増加し[23]、また次シーズンの年間シートの売り上げも、過去最高だった今季レベルにまで年内のうちに到達した[24]
    • 第93回天皇杯全日本サッカー選手権では4回戦で鳥栖に敗れたが、天皇杯を2013年J1で2位だった横浜FMが制した為、ACLの出場権を獲得した[25]

2015年 - 2016年(J2)

  • 2015年-新監督にパウロ・アウトゥオリが監督に就任。玉田圭司橋本英郎関口訓充茂庭照幸椋原健太パブロを獲得。また、中澤聡太を期限付きで獲得し、小暮大器が期限付きから復帰した。ユースからは阪本将基沖野将基西本雅崇前川大河温井駿斗が昇格。具聖潤高正大杉本健勇南野拓実金聖埈黒木聖仁が完全移籍し、小谷祐喜平野甲斐が期限付き移籍をした。
    • リーグ開幕から6試合負けなし(3勝3分)だったが、第7節から金沢群馬に連敗するなど8試合で3勝5敗、第8節から19節までは、第10節終了後に一度4位になったのを除き、順位は7位以下の昇格プレーオフ圏外で推移する。第15節から9試合負けなし(4勝5分)で、第20節終了後4位に浮上してからは、プレーオフ圏内から落ちることはなく、第30節からは3位をキープしていたが、第35節、4位福岡との直接対決に敗れ4位に後退、続く第36節北九州戦では勝利したものの、試合後アウトゥオリが選手の前で辞意を表明しチームは混乱、続く5試合で2分3敗と失速したことから、11月17日、リーグ最終節を前にアウトゥオリが退任し、強化部長の大熊清が急遽監督に就任。最終順位は4位となりJ1昇格プレーオフに回ったが、決勝で福岡に引き分け。昇格プレーオフのレギュレーション(引き分けの場合はリーグ戦上位チームが勝ち抜け)によりJ1昇格は成らなかった。

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2017年 - (J1)

2017年


2018年
  • 尹体制2年目。浦和から高木俊幸岡山から片山瑛一浦項スティーラースからヤン・ドンヒョンHJKヘルシンキから田中亜土夢を獲得。また、バンコク・ユナイテッドFCからチャウワット・ヴィラチャードを期限付き移籍で獲得し、前年FC東京から期限付き移籍で加入していた水沼宏太が完全移籍。関西学院大学から魚里直哉福岡大学から永石拓海長崎総合科学大学附属高等学校から安藤瑞季が新加入。U-18から山田寛人中島元彦が昇格した。
  • 初出場となったFUJI XEROX SUPER CUPでは、川崎に3-2で勝利し初優勝を果たした。天皇杯優勝チームが同大会で優勝するのは、2008年の広島以来10年ぶりとなった。
  • 4年ぶりに出場するAFCチャンピオンズリーグ2018は、広州恒大済州ユナイテッドFCブリーラム・ユナイテッドと対戦。第1節・済州戦を勝利、第2節・広州恒大戦を引き分け2試合計で勝ち点4を獲得した。第3節・ブリーラム戦では杉本や山口、柿谷やキム・ジンヒョンらを筆頭に4日前に行われた札幌戦のスタメンをいずれも帯同させずに試合に臨み2失点を喫し敗戦。ブリーラムをホームに迎えた第4節もヤン・ドンヒョンのオウンゴールなどで2点を失ったのが響き、杉本が終了間際に同点ゴールを決めて引き分けとしたのがやっと。第5節・済州戦には勝利、決勝トーナメント進出に望みを繋いだが天河体育中心体育場での最終節・広州恒大戦は怪我から復帰したばかりの清武を始め、杉本や山口、柿谷、キム・ジンヒョン、丸橋等、3日前に行われたJ1第8節・FC東京戦のスタメンをまたも帯同させずにスタメンを10人入れ替えて[30] 試合に臨み、試合は1-3で広州恒大に敗戦、決勝トーナメント進出を争っていたブリーラムが済州に勝利した為、グループリーグ3位となり、チーム史上初のグループステージ敗退となった。最終節の試合後の会見で尹は記者からの「ACLよりJリーグを優先しているのか」という質問に対し、「ACLよりJリーグに重点を置いてるのは事実」と答え、主力を休ませた事を認めている[31]。このスタメン入れ替え策については、Twitterインターネット掲示板等でも賛否が分かれた[30]
  • リーグ戦は最初の3戦で全て引き分けに終わるなど勝ち切れない試合が続き、第4節のアウェイ神戸戦で初黒星。第5節から8節までは4連勝と一気に巻き返すかに見えたが、第9節のアウェイ大阪ダービー(ガンバ大阪)に1-0で惜敗。第14節までは3勝2分と再び立て直したが、15節からは8戦で4分4敗と失速してしまった。前年に22得点を挙げた杉本が僅か5ゴールに終わるなど攻撃陣の不振も響き、ACL圏外となる7位で終了した。
  • ルヴァンカップにはノックアウトステージより出場。湘南ベルマーレに2戦合計2-5(1stレグ0-3,2ndレグ2-2)で敗れ準々決勝敗退となった。
  • 天皇杯では3回戦まで勝ち進んだが、4回戦でヴァンフォーレ甲府に0-1で敗れ、ルヴァンカップ同様連覇はならなかった。
  • 10月6日に行われたホームで開催されたガンバ大阪との大阪ダービー(第29節)に0-1で敗戦。その直後に尹監督が今シーズン限りで退任するとの報道が流れ、11月20日にはクラブからも公式に発表された[32]


2019年
  • アカデミーからの生え抜きであり、クラブの象徴的存在でもあった山口蛍と杉本健勇がそれぞれ神戸と浦和に移籍。山村和也も川崎に移籍するなど、2017年の2冠達成に大きく貢献した主力が相次いで退団。大幅な戦力ダウンが懸念されたが、札幌より都倉賢、仙台より奥埜博亮、神戸より藤田直之が完全移籍で加入。オスマルの抜けた外国人MF枠にはレアンドロ・デサバトを新たに獲得し、攻撃陣ではブルーノ・メンデスを期限付き移籍で獲得するなど、即戦力となる選手を数多く獲得して戦力の低下を防いだ。この他、圍謙太朗と丸岡満がそれぞれ福岡と山口から期限付き移籍から復帰した。
  • 尹晶煥に代わる新たな指揮官として、前年まで東京ヴェルディを率いていたミゲル・アンヘル・ロティーナを招聘。ヘッドコーチとしてロティーナを補佐していたイバン・バランコも同時に加入した。
  • この年はフロントの体制も大きく変わり、2016年より3年間社長を務めた玉田稔の後任として、クラブOBのレジェンドであり強化部門の責任者を務めていた森島寛晃が就任した。クラブOBの元選手がJクラブの社長に就任するのは札幌の野々村芳和に次いで史上二人目となる。
  • リーグ開幕戦はアンドレス・イニエスタダビド・ビジャルーカス・ポドルスキといった強力な攻撃陣を揃え、更に山口の移籍先でもある因縁の神戸をホームに迎えた。守勢に立たされる時間が長い試合展開となったが、77分に山下達也のヘディングゴールで挙げた先制点を守り切り1-0で見事勝利した。その後はチームの熟成不足もあって低空飛行が続いたが、ロティーナの構築した守備戦術が浸透するに従って徐々に勝ち点を伸ばし、第13節ではそれまで無敗で首位を快走していたFC東京に勝利。このシーズンに優勝を果たした横浜F・マリノスにはホーム・アウェイ共に勝利し、ホームで行われたガンバ大阪との第27節大阪ダービーでは3-1で快勝しリーグ戦では7年ぶりとなるダービー勝利を果たすなど、一時は優勝争いを伺える4位にまで浮上した。第28節のホーム鹿島戦に0-1で敗戦して優勝争いからは脱落したが、それでも最終的には勝ち点59で5位に食い込んだ。この年は強固な守備力が武器となり、シーズン25失点は2008年に大分が記録した24失点に次ぐ史上2番目の少なさであった。その一方で都倉とメンデスがシーズン途中で負傷離脱したこともあって総得点は39点に留まった。
  • ルヴァンカップではグループステージ(Cグループ)を3勝2分1敗で首位通過したが、プレーオフステージでFC東京に2戦合計1-2で敗れ決勝T進出を逃した。
  • 天皇杯では3回戦まで勝ち進んだが、サガン鳥栖に2-4で敗れ4回戦敗退となった。


2020年
  • ロティーナ体制2年目。水沼宏太が横浜Fマリノスへ完全移籍。田中亜土夢、ソウザや福満隆貴も退団したもののモンテディオ山形より坂元達裕を完全移籍で、シントトロイデンより小池裕太、オイペンより豊川雄太を獲得。ソウザの後釜としてルーカスミネイロを獲得した。
  • シーズンに先立って行われた京都サンガとのプレシーズンマッチ(サンガスタジアムbyKYOCERA)では坂元のゴールなどで勝利を挙げた。
  • 開幕戦で大分に勝利後、新型コロナウイルスによる試合延期。
  • 再開後の大阪ダービー(Panasonicスタジアム吹田)では2-1で17年ぶりにリーグ戦でのアウェイ勝利を飾った。
  • 新戦力の坂元、ロティーナの戦術理解を深めた片山の活躍により安定した順位をキープ。
  • ルヴァンカップではグループリーグを勝ち抜いたものの、柏レイソルに0-3で敗北。
  • リーグでは4位だったものの、天皇杯の結果を受けてAFCチャンピオンズリーグ2021プレーオフへの出場が決定した。
  • 11月にロティーナ監督の退任が発表された。
2021年
  • 柿谷曜一朗、木本恭生が名古屋グランパスへ完全移籍。片山暎一が清水へブルーノ・メンデス(福岡)、デサバト、都倉(長崎)、鈴木(新潟)との契約満了。守備の要であったマテイ・ヨニッチが退団。
  • 新監督としてレヴィー・クルピが2013年以来のセレッソ大阪監督に復帰。
  • 新戦力としてGKダン・バン・ラム、DF進藤亮佑、新井直人、鳥海晃司、チアゴ、ダンクレー、MF原川力、松本泰志、為田大貴、FW松田力、アダムタガート、加藤陸次樹、大久保嘉人が加入。
  • 開幕戦は大久保のゴールが決勝点となり、2-0で柏レイソルに勝利、新型コロナウイルスで外国籍選手の来日が叶わない中、19歳の西尾が定位置を掴んでいる。
  • DFダンクレーはアル・アハリ(サウジアラビア1部)に完全移籍することが6月26日に発表された。

成績

タイトル・表彰

日本国内タイトル

表彰

J1リーグ

ベストイレブン
得点王
  • 1999年 J1 大韓民国の旗 黄善洪
ベストヤングプレーヤー賞
優秀監督賞
フェアプレー賞高円宮杯
  • 2018年
フェアプレー賞
  • 2017年、2019年
フェアプレー個人賞
  • 2013年 日本の旗 柿谷曜一朗
  • 2017年 日本の旗 柿谷曜一朗
功労選手賞
  • 2009年 日本の旗 森島寛晃
最優秀ゴール賞
  • 2013年 日本の旗 柿谷曜一朗(第33節・対鹿島戦・38分)

J2リーグ

得点王

アジアサッカー連盟(AFC)

アジア年間最優秀ユース選手賞

Jリーグカップ

最優秀選手賞

その他

Jリーグベストピッチ賞
最優秀育成クラブ賞
報知プロスポーツ大賞
  • 2003年 Jリーグ部門 日本の旗 大久保嘉人
日本プロスポーツ大賞
  • 2013年 新人賞 日本の旗 南野拓実
関西スポーツ賞
  • 2009年 特別功労賞 日本の旗 森島寛晃
  • 2018年 日本の旗 セレッソ大阪[33]

スタジアム他

ホームスタジアム

ホームスタジアムはヤンマースタジアム長居およびヨドコウ桜スタジアムである[1]。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「セレッソ大阪の年度別成績一覧#年度別入場者数」を参照のこと。

2015年9月29日、長居球技場の育成型複合スタジアム化計画「セレッソの森 スタジアム構想」を発表。改修工事前の収容は1万8000人だが、改修後は2万5000人規模のスタジアムになる。改修費は約50億円を想定している。工費の一部は募金でまかなった。2017年から着工し、2021年4月1日に竣工式を行った[34]。完成後はホームスタジアムをヨドコウ桜スタジアムのみに完全移行される[35]。このため、2019年と2020年のC大阪主催試合は全試合でヤンマースタジアムのみを使用した。

練習場・クラブハウス

トップチームのトレーニングは2013年から舞洲スポーツアイランドの「セレッソ大阪スポーツクラブ クラブハウス・グラウンド」を使用している[1]。この練習場は既存の舞洲球技場を大阪市から賃貸し、天然芝化やクラブハウスの新設などしたもの[36] で、天然芝2面・新設の人工芝1面があり、下部組織チームも使用している[37]

なお、2012年まで練習場として使用していた南津守さくら公園スポーツ広場はセレッソ大阪堺レディースやアカデミーが使用している。また2010年以降は毎年9月中旬から約1か月間行う天然芝の養生期間に限りJ-GREEN堺を使用することもある。以前は舞洲島内北部にあった旧・舞洲グラウンド(現在の施設とは別の場所・2010年4月閉鎖)や尼崎市のヤンマーグラウンド(現在は下部組織チームが使用)も使用していた。

スローガン

年度スローガン
1994Jump To J!
1995To Be Professional
真のプロフェッショナルをめざして
2002Passion to the Top
2003PASSION SOUL 情熱魂
2004Be ONE!
2005日々進化
2006さらなる挑戦
2007猛進
2008YOU ARE MY HEART
2009ユアマイハート
2010攻めきる。~最後の笛が鳴るまで~
2011攻めきるMAXかかげよ桜冠
2012追球 THE CEREZO
2013冒険 ココロ躍れ
2014史上最攻 ~時は、来た。~
2015For The Top of Dreams
2016以降SAKURA SPECTACLE
~閃け。輝け。咲き誇れ。~

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ユニフォーム

ユニフォームの色
カラーシャツパンツストッキング
FP(1st)ピンク
FP(2nd)
GK(1st)
GK(2nd)
GK(3rd)ピンクピンクピンク
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd

チームカラー

  •     ピンク[1]

ユニフォームデザイン

  • 1994年から1996年まで使用したフィールドプレーヤー用の1stユニフォームは、シャツおよびストッキングがピンク、パンツが空色であった。1997年以降の胸デザインはピンク×紺の縦縞であるが、2006年以降は縦縞がさほど強調されなくなっている(2006年 - 2007年モデルは右胸が紺で左胸がピンクの2ブロック。2008年 - 2009年モデルは前年までの配色が反転したようなデザイン、2010年 - 2011年モデルはピンク地に3本の太い縦縞の3ブロック)。
  • 2012年モデルは、胸から上がピンク地で下はピンク×紺の縦縞と、ピンクの割合が多くなった。2013年モデルは右胸部と左腰部に紺の太い斜め縞が入っていた。2014年モデルは紺の縞模様がなくなりピンクの色味も変わった。2005年のフィールドプレーヤー用の2ndユニフォームは、シャツ・パンツ・ストッキングに薄手のグレーを採用していた。
  • 2010年8月8日のキンチョウスタジアムのオープニングゲームでは、専用デザイン(ピンクが真ん中に1ブロック)のメモリアルユニフォームを着用した。
  • 2017年J1第32節から左胸のエンブレム上に同年のルヴァンカップ優勝を示す星マークが付けられた。その後同年度の天皇杯でも優勝を果たした事に伴い、2018年モデルからは同じ位置に星マークが更に1つ追加された。

ユニフォームスポンサー

掲出箇所スポンサー名表記掲出年備考
ヤンマーホールディングスYANMAR2006年 -1995年 - 1996年は袖、
1997年 - 2005年は背中
鎖骨淀川製鋼所ヨドコウ2021年 -
背中上部日本ハムNipponham1994年前半
2006年 -
1994年後半、1995年 - 2005年は胸
(2006年 - 2009年は「NIPPONHAM」、
2010年 - 2014年は「ニッポンハム」表記)
背中下部シンハーコーポレーションSINGHA2016年 -
シャープSHARP2019年 -
パンツ前面ナカバヤシナカバヤシ2018年 -
パンツ背面なし--

ユニフォームサプライ

  • 1994年 - 2014年:リーグ戦・カップ戦ともミズノ
  • 2015年 - 現在:プーマ

歴代ユニフォーム