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⚽|【J1第22節】鳥栖はリードを守りきれず、C大阪と引き分け


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【J1第22節】鳥栖はリードを守りきれず、C大阪と引き分け

 
内容をざっくり書くと
前半、鳥栖は3 – 1でC大阪に対しリードして折り返します。
 

J1リーグ第22節は7月24日 (土)、駅前不動産スタジアムでサガン鳥栖 vs セレッソ大阪の試合が… →このまま続きを読む

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セレッソ大阪

セレッソ大阪セレッソおおさか西: Cerezo Osaka)は、日本大阪府大阪市堺市をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。セレッソは、スペイン語で桜の意味を指す語。株式会社セレッソ大阪は、セレッソ大阪の運営会社である。

概要

1957年創部のヤンマーディーゼルサッカー部が前身となり[1]、1995年にJリーグへ加盟した[1]。ホームスタジアムはヤンマースタジアム長居およびヨドコウ桜スタジアム[1] である。チーム名の「セレッソ(Cerezo)」はスペイン語で「桜」という意味[1]。桜は大阪の「市花」であり、大阪市全体を、そして日本を代表するチームになるよう願いが込められている[1]。ホームタウンは加盟当初より2013年までは大阪市だけであったが、2014年に堺市が追加された[4]

マスコットの「ノブレ・バリエンテ・アッチェ・ロビート・デ・セレッソ」(愛称ロビー。"高貴で勇敢な、由緒あるセレッソ家のオオカミの息子"という意味がある)。2008年より、ロビーの母親として「エレガンテ・エスプレンディーダ・マダマ・ロビーナ・デ・セレッソ」(愛称マダム・ロビーナ、「優雅で華麗な、由緒あるセレッソ家の“オオカミの令夫人”」という意味)が加わった。なお、ガンバ大阪などと区別するため、「セ大阪」、「C大阪」(CはCerezoの頭文字)などと略記される。

歴史

前身

前身は1957年創部のヤンマーディーゼルサッカー部[1]日本サッカーリーグ(JSL)で4回、JSLカップで2回、天皇杯で3回それぞれ優勝した。

1993年 - 1994年(JFL)

1995年 - 2001年(J1)

  • 1995年 - Jリーグに加盟[1]
  • 1996年 - 成績不振によりエミリオが監督を辞任。後任にコーチだった楚輪博が監督に昇格。
    • 7月3日 - ナビスコカップの福岡戦で8得点。チーム最多得点記録
    • 7月27日 - 大阪長居スタジアム(長居)が改修終了。それに伴いC大阪のホームスタジアムも長居第2陸上競技場から長居へ変更。こけら落しとしてブラジルのボタフォゴFRと親善試合を行った(1-3で敗戦)。
    • 5月11日から10月2日 - リーグ戦で5か月間10試合に及ぶ連敗を記録。チーム連敗最長記録
  • 1997年 - 監督にクルゼイロEC元監督のレヴィル・クルピが就任。カプコンが出資から撤退。
  • 1998年 - 松木安太郎が監督に就任。リーグ戦では34試合中13試合で3失点以上を喫した。韓国代表の黄善洪が入団。
    • 4月15日 - 長居での磐田戦で 1-9 の敗戦。Jリーグ最多失点・得点記録
    • 8月8日 - 長居での柏戦で 5-7 の敗戦。試合当りのJリーグ最多得点記録
  • 1999年 - レネ・デザイェレが監督に就任。
  • 2000年 - 副島が監督に就任。韓国代表の尹晶煥が入団。
  • 2001年 - 1stステージは16チーム中14位。
    • 7月27日 - 強化担当だった大西忠生が成績不振を理由に副社長を辞任。
    • 8月20日 - 副島が成績不振を理由に監督を辞任(事実上の解任)。後任はジョアン・カルロスが就任。
    • 11月3日 - FC東京戦に敗れ、J2降格が決定。カルロスが監督を辞任。後任にはコーチだった西村昭宏が監督に昇格。
    • 天皇杯は決勝へ進出したが、清水に延長の末2-3で敗れた。なお、J2降格決定から天皇杯の決勝まで7連勝であった。

2002年(J2)

  • 2002年 - 2002 FIFAワールドカップの代表選手として森島寛晃・西澤明訓・尹晶煥らが選出された。
    • 11月16日 - 第43節の新潟戦に3-0と勝利して、J1復帰が決定。最終順位は2位。

2003年 - 2006年(J1)

  • 2003年 - 1stステージは5位。2ndステージに入ると白星が遠く、2001年にJ2降格が決まってから指揮を執っていた西村がシーズン途中で解任。シーズンの残りはヘッドコーチだった塚田雄二が監督を務め、天皇杯は3度目の決勝進出を果たすが、磐田に敗れ、準優勝。
  • 2004年 - 監督就任が決定していたナドベザ・ペーターが狭心症の発作のため来日不可能となり、練習開始前日に直前にナドベザとは旧知の仲だったフアド・ムズロビッチが急遽監督に就任したが、準備不足やクラブとの方針の違いもあり、公式戦3試合(リーグ戦2試合・カップ戦1試合)のみで解任される。後任にはヘッドコーチだったアルベルト・ポボルが昇格したが守備が崩壊。1stステージ最終節で最下位争いをしていたにホームで惨敗し、最下位でステージを終えたことが決定打となりアルベルトも解任となった。2ndステージからは前年まで大分の監督だった小林伸二が指揮を執り、西村から数えて1年足らずで5人が監督を務める異例の事態となった。2ndステージも低迷し、13節終了時点で残り2試合に1敗でもすれば年間最下位とJ1・J2入れ替え戦行きが決定するところまで追い込まれたが、14節・最終節と連勝し、最終節で柏を逆転して年間15位に浮上、J1残留が決定した。2ndステージは12位。シーズン終了後、大久保がスペインのマヨルカにレンタル移籍。
  • 2005年 - 小林が監督続投。GKにG大阪から吉田宗弘を完全移籍で獲得、DFには2003年夏季ユニバーシアード優勝メンバーの江添建次郎を7クラブに及ぶ争奪戦の末に獲得に成功、テスト生出身の前田和哉も入団した。京都からFW黒部光昭、東京VからMF廣山望をいずれもレンタル移籍で獲得。外国人選手も数年続いた東欧路線から一変して、ブルーノ・クアドロスファビーニョゼ・カルロスを獲得。
    • 当初9位を目標に掲げ、開幕は3連敗と出遅れたが、新加入の吉田、ブルーノ・クアドロス、江添が開幕からスタメンに定着、江添が第3節の大宮戦で右ひざじん帯断裂の重傷を負ったが、その穴を前田が埋め、ボランチのファビーニョや下村東美とともに守備の建て直しに成功、森島寛晃・西澤明訓・古橋達弥・黒部光昭といった当時のJ1屈指の攻撃陣と攻守の歯車がかみ合いだし、第4節の名古屋戦で初勝利を挙げると第11節の清水戦まで8試合負けなし、前半戦を6勝5分6敗で折り返した。後半戦はG大阪や鹿島、浦和などの上位チームがもたつく間に順位を上げ、第33節でG大阪を抜いて首位に立った。
    • 勝てば優勝決定、敗戦・ドローで自力優勝が消えるという状況で迎えた最終節・FC東京戦で1点リードしていたが、アディショナルタイムで同点に追いつかれ優勝は成らなかった。翌朝の朝日新聞には「長居の悲劇」との見出しが掲載された。最終順位は5位だったが、後半戦(第18節~最終節)に限れば10勝6分1敗、当時のJリーグ無敗最長記録となる16試合無敗で、天皇杯も含めれば準決勝で清水に敗れるまで20試合負けなしであった。また、この年の平均観客動員数は過去最高の1試合当り17,648人。
    • シーズン終了後、ファビーニョが家庭の事情により退団。他にも布部陽功久藤清一を放出(ともに福岡に移籍)し、黒部と廣山のレンタル移籍契約を更新しない(黒部は浦和へ再度レンタル移籍、廣山は東京Vに復帰)など、世代交代を図る為にベテラン選手に対して大なたを振るった。
    • 吉田と古橋がベストイレブンに選ばれ、前田が優秀新人賞を獲得した。
  • 2006年- 小林体制3年目。東京Vから山田卓也を完全移籍で、河村崇大磐田からレンタル移籍で獲得。新外国人選手ではピンゴが入団。即戦力では中盤中心の補強を行い、新加入選手では強化指定選手となっていた森島康仁が入団したのをはじめ、大学選抜で活躍した小松塁や、高校生ながら素質を見込まれてプロ契約を結んだ香川真司、クラブ最年少の16歳でトップチーム昇格を果たした柿谷曜一朗らが入団した。リーグ戦は、開幕からの4節をすべて3失点以上で負けるなどしてつまづき、8節終了時で1勝1分6敗の成績。4月18日付で小林が解任され、育成アドバイザーを務めていた塚田雄二が2度目の監督に就任した。
    • 4月22日、広島戦(アウェイ)で、FW佐藤寿人にJ新記録となる試合開始から僅か8秒でゴールを決められた(Jリーグ最速得点・失点記録)。
    • 6月15日、マヨルカにレンタル移籍していた大久保がチームに復帰した。
    • 8月13日、磐田から元日本代表MF名波浩レンタル移籍で獲得。以後チーム状況が多少上向き、勝ち点を重ねるようになった。
    • 11月26日、大宮戦で柿谷曜一朗がチーム最年少出場記録となる16歳10か月で公式戦デビュー。
    • 12月2日、最終節で川崎に敗れ、年間17位となり5シーズンぶりのJ2降格が決定。塚田は降格の責任を取り監督辞任。後任に東京Vヘッドコーチの都並敏史が就任した。シーズン終了後に、大久保嘉人(神戸へ)、西澤明訓(清水へ)、名波浩(磐田復帰後、東京Vへ)、下村東美(千葉へ)、ブルーノ・クアドロス(退団後、札幌へ)が退団した。

2007年 - 2009年(J2)

  • 2007年-ヤンマーサッカー部発足から創設50周年を迎えた。完全移籍で柳沢将之(東京V)を、レンタル移籍で羽田憲司(鹿島)、丹羽竜平(神戸)を獲得。逆にレンタルさせていた濱田武鳥栖)と千葉貴仁(札幌)、小松塁(長崎)を復帰させ、新人では立命館大学から阪田章裕、外国人選手ではブラジルからアレーと韓国ユニバーシアード代表の金信泳を獲得。
    • リーグ戦は開幕3連敗でスタートし、第4節の京都戦で初勝利を挙げた。第12節の草津戦で柿谷がJ2最年少記録となるゴール(17歳3か月)を決めるが、森島寛晃が原因不明の首痛に悩まされるようになり戦列を離脱した事や、一気に若返った選手の適性を見極める為、戦力を使い回す試行錯誤をしていて勝ち点が延びず、第14節終了時点で4勝3分6敗でJ2の9位という成績であった。
    • 5月7日付で監督の都並、コーチの藤川孝幸、GMの西村昭宏を解任し、後任に元監督のレヴィー・クルピが監督に就任した。就任当初は1勝3敗と負けが先行したが、第19節の試合なし期間を活用した淡路島ミニキャンプで戦術を浸透させ、メンバーも小松塁をFWのスタメンに抜擢、香川真司をサイドに、ゼ・カルロスと柳沢将之を左右のSBに固定するなど、それまでの使い回しから一変した選手起用を実施。これが功を奏して第20節からは4連勝。第2クール終了後には、比較的戦力に余裕のあったFW陣から金信泳を鳥栖へレンタル移籍させ、空きができた外国人枠を活用して、ボランチを強化するためにクルピの肝いりでジェルマーノを獲得した。その後第3クールでは9勝3敗のリーグ1位の成績を残したが、第1クールでの出遅れと、京都(2勝2分)以外のJ1昇格争いを繰り広げた上位チームに大きく負け越した(札幌と仙台には1勝3敗、東京Vと湘南には1分3敗)事が響き、J2・5位に終わった。
    • 昇格を逃したものの、FWに抜擢されて12ゴールを挙げた小松をはじめ、香川・森島康・柿谷が世代別代表に選出されて国際大会で活躍。しかし、その森島康や柿谷でもレギュラーではなく、彼らより先にU-23代表にも選出され、当初スタメンで出場していた苔口卓也に至っては、クルピ就任以後ベンチ入りする機会すら限られるなど、チーム内競争は激しさを増し、戦力の底上げがなされた。
  • 2008年-吉田宗弘が福岡に完全移籍、苔口卓也が千葉にレンタル移籍した。補強はGKに川崎から相澤貴志をレンタル移籍で獲得、退団したゼ・カルロスの後任となる左SBに湘南から尾亦弘友希を完全移籍で獲得、FWにカレカをレンタル移籍で獲得した。また前田和哉がキャプテンとなった。
    • 開幕は水戸に勝利し、久々の開幕戦勝利を収めた。
    • 5月は前月末の愛媛戦から数えて、負けなしの7連勝を飾り2位に浮上。
    • 6月は怪我人と出場停止選手が続出。1勝1分4敗の成績。
    • 7月も1勝1分2敗と勝ち点を伸ばせないまま終わる。
    • 8月は2勝1分2敗と浮上の兆しが見えてきたに思われたが、本間勇輔がスタジアムマスターに就任し、新たなアンセムを作曲した9月も低迷のまま終わり、10月、上位争いをした3位の仙台との直接対決に敗れた時点で勝ち点8差がつけられていた。
    • 11月に入りC大阪が3連勝した一方、仙台は2分1敗と不振に陥った為、勝ち点差を1にまで縮めて最終節を迎えた。C大阪は愛媛に勝利を挙げたが、仙台も勝利したために逆転ならず、4位となりJ1昇格はならなかった。
    • 香川が日本五輪代表に選ばれ3月のアンゴラA代表との試合の際に見せたプレーが日本代表監督である岡田武史の目に止まり、香川は平成生まれとして初の日本代表に招集された。C大阪からは大久保嘉人以来4年ぶりの代表選出。香川はキリンカップ・コートジボワール代表戦でデビューし、ワールドカップ3次予選の2試合に出場。香川は8月に行われる北京オリンピック日本代表にも選ばれた。
    • シーズン途中に、名古屋から青山隼、横浜FMから乾貴士、新人の白谷建人を含めて世代別の日本代表の経験がある選手を多く獲得。これはクルピの方針で『C大阪に移籍して、さらに成長する可能性のある選手』を獲得する傾向にある。一方でチームにフィットしなかったカレカを解雇し、出場機会が激減した森島康をレンタル(シーズン終了後に完全)移籍で大分に放出した。
    • この年を最後に森島寛晃が現役を引退。
  • 2009年-ジェルマーノ、古橋達弥山本浩正、柳沢将之などが完全移籍で去り、相澤貴志、丹羽竜平、青山隼がレンタル終了、レンタル移籍中の森島康仁や宮本卓也も完全移籍する。しかし、レンタル移籍で加入していた乾貴士、羽田憲司、平島崇が完全移籍に移行し、小松塁、香川真司などの主力が残留した。また、レンタルで石神直哉を獲得し、西澤明訓清水から復帰した。外国人選手では前年途中加入し、フィットしていたカイオが残留、パルメイラスからマルチネスクルゼイロからチアゴとクラブの主力だった2選手と2007年U-20W杯韓国代表のキム・ジンヒョンを「アジア枠」で獲得。中でも新加入のマルチネスの評価は高く、「J1でもトップクラスのボランチ」とも評された。マルチネス自身、二部のクラブでプレーした経験がなく、移籍に当初は抵抗も感じたが、セレッソが本気でJ1昇格を目指しているチームであることを知り、そうした抵抗感はなくなったと語っている[5]
    • 開幕戦となった鳥栖戦は4-1で勝利。以降、3月から4月は、4月19日の札幌戦で一敗を喫したのみであった。
    • その後も勝ち点を積み重ねるが、6月に富山と鳥栖に連敗する。
    • 7月9日、鹿島から船山祐二を獲得。船山は加入直後こそ出場機会に恵まれなかったが、終盤戦にレギュラーを獲得。マルチネス故障の穴を埋め、チームの快進撃に大きく貢献した。
    • 8月中旬から3戦連続で勝ちなしと不振に陥る。
    • 8月30日の熊本戦からは10勝3分と勝ち点を積み重ね、11月8日に草津に5-0で勝利をおさめ、J1昇格が決定。同時に勝ち点100越えを達成した。J2で勝ち点100以上を達成したチームは川崎、広島に次いで3チーム目(ただし川崎は44試合、広島は42試合)。シーズンを通じて昇格圏外に落ちることはなかった。
    • 11月8日の鳥栖戦の後、今季3シーズンぶりにチームに復帰した西澤明訓が引退を発表。西澤は当初、右足首のコンディションが悪く、すでに清水で引退するつもりであったが、前年に引退した森島から「戻って何とかJ1に上げてほしい」と言われたこともあり、「自分の中で、J2に落としたというのは汚点だったから・・・せめて、J1に上げるためにちょっとでも力になれれば」という思いで復帰を決めた。5月20日の熊本戦で復帰後初ゴール。決して万全の状態ではなかったが、クルピ監督は西澤がチームに与えるポジティブな影響を期待し、常にベンチに置き続けた。11月8日の引退発表は、セレモニーを開催するような形を好まなかったため「あの場のノリです(笑)」と語っているが、「できれば避けたかった」という引退セレモニーはホーム最終節の岐阜戦(11月28日)の後に開催されている[6]。なお、引退後は代理人になることを目指しているが、2010年2月にはセレッソ大阪アンバサダーに就任した。
    • その後はJ2優勝を目指すが、11月22日の仙台戦(0-1)、1試合置いて12月5日の鳥栖戦(1-2)と、いずれもアウェイで後半ロスタイムに失点して敗北。シーズン2位となった(2009年J2最終節)。

2010年 - 2014年(J1)

  • 2011年-シーズンオフに家長昭博のスペイン・リーガエスパニョーラのマヨルカへの移籍を皮切りに、2009年度キャプテンの羽田憲司(神戸)、石神直哉湘南)、山下達也札幌)、多田大介鳥取)が移籍。アドリアーノ(アトレチコPR)はレンタル期間満了の上、G大阪に完全移籍。一方、大分からキム・ボギョンが復帰した他、神戸から高橋祐太郎(DF高橋大輔の実弟)を完全移籍で獲得。千葉から中後雅喜を、G大阪から倉田秋(千葉へのレンタル期間満了)を、またCRヴァスコ・ダ・ガマからホドリゴ・ピンパォンを、それぞれ期限付き移籍で獲得した。
    • 開幕戦のG大阪との大阪ダービーは1-2で敗戦。
    • 2011の布陣は1トップがピンパォンで、キム・倉田・乾の3シャドーが流動的に動く4-2-3-1に近いシステムを使う。
    • AFCチャンピオンズリーグ2011では初出場ながらグループリーグをグループGの2位で突破。5月24日のラウンド16では、G大阪とのACL史上初の大阪ダービーを1-0で制し、Jリーグ勢唯一の決勝トーナメント進出を果たす。しかし、準々決勝で全北現代に2戦合計5-9(第1戦 4-3、第2戦 1-6)で敗れ、ベスト8で敗退。
    • 8月に乾貴士がドイツ2部のVfLボーフムへ完全移籍、ピンパォンが契約満了による退団(後に大宮に入団)。これを受け、ファビオ・ロペスFC東京よりMF大竹洋平をそれぞれ期限付き移籍にて獲得。
    • 8月20日の清水戦・9月11日の広島戦にて播戸竜二が途中出場でのハットトリックを達成。
    • シーズン終了後、「2007年から5シーズン指揮を執ってきましたが、J2からJ1へ昇格、さらにACL出場、そしてその中から数多くの選手がフル代表・五輪代表に選出され、欧州へ飛び立っていったことを考えると、セレッソにとっては一つのサイクルが終わり、節目の時がきたのではないかと思います。その間、単身で日本にいましたが、はるか遠くのブラジルにいる家族のもとへ帰る時が来たのではないか、という結論に至りました」として、監督のレヴィー・クルピが退任[7]
  • 2013年-G大阪と神戸がJ2に降格したことにより、関西で唯一のJ1チームとして戦う。監督は引き続きレヴィー・クルピが務め、新戦力として武田洋平清水)、ク・ソンユン(在鉉高校)、新井場徹鹿島)、椋原健太東京、期限付き)、楠神順平川崎)、ブランコ山形からレンタルバック、旧登録名ブランキーニョ)、エジノUANLティグレス)が加わり、ユースからは秋山大地岡田武瑠小暮大器南野拓実の4名が昇格した。後藤寛太高橋大輔が契約満了、舩津徹也ヘベルチが期限付き移籍期間満了で退団し、荻野賢次郎アルビレックス新潟シンガポール児玉新大分松井謙弥徳島(期限付き)へ移籍した。昨季ともに大分へと期限付きで移籍していた夛田凌輔J2群馬に、野口直人JFLびわこに、再び期限付きで加入した。また、2012年9月からAリーグパース・グローリーFCに期限付き移籍していた永井龍は、移籍期間を2013年4月30日まで延長。2013年シーズンのキャプテンは昨年に引き続き藤本康太が務める。
    • 開幕戦は、この年から新たに背番号8を受け継ぐこととなった柿谷曜一朗のゴールで、新潟相手に1-0で勝利。J1での開幕戦勝利は1999年以来、実に14年ぶりのことであった[10]。また、酒本憲幸がこの試合でJ1リーグ通算100試合出場を達成した。
    • 契約を更新せず、海外挑戦が囁かれていた村田和哉について、3月30日、正式に2013年度の契約を両者合意の上で結ばないことが発表された[11]。その後、村田は清水に加入。同じく去就が発表されていなかったキム・チャンフン蔚山現代尾浦造船トルゴレFCへの期限付き移籍が発表された[12]
    • 4月9日、武田洋平が右ひざ内側側副じん帯損傷で全治5週間と診断されたと発表された。第3GKだったク・ソンユンがベンチに入ることで、外国人枠の関係でブラジル人選手が3名中2名しかメンバー入りできない事態に陥り、4月11日、昨季岐阜でプレーしていた多田大介を緊急補強[13]。多田にとっては2009年以来、4シーズンぶりの復帰となった。
    • 6月10日、契約期間が6月30日までとなっていたシンプリシオの契約延長が発表された。契約期間は2013年7月1日から2014年1月1日まで[14]
    • 7月1日に井上翔太の北九州への[15]、12日に永井龍のパース・グローリーFCへの[16]、そして26日には播戸竜二の鳥栖への期限付き移籍が発表された[17]。いずれも期間は2014年1月31日まで。
    • 7月15日、ユース出身者としてははじめて、柿谷曜一朗、山口螢、扇原貴宏の3選手が日本代表に選出された。そのうち、山口と扇原はハナサカクラブ出身者として初の選出となった。8月27日にキム・ジンヒョンが1年ぶりに韓国代表に選ばれた。
    • 膝の手術のため昨季いっぱいで退団していた高橋大輔が現役引退を決断し、7月24日、クラブの公式ホームページでも発表された[18]
    • 7月26日、「マンチェスター・ユナイテッドツアー2013 PRESENTED BY AON ヤンマープレミアムカップ」として、セレッソ大阪とマンチェスター・ユナイテッドのフレンドリーマッチが長居スタジアムで開催された。マンチェスター・ユナイテッドの一員としてピッチに立った香川真司にとって凱旋試合となったこの一戦は、セレッソが終了間際に失点したことにより、2-2の引き分けに終わった。試合後、香川は「成長した姿を見せられてよかった」「サッカー人生のひとつの歴史になったというか、誇りに思います」などの言葉を残している[19]
    • 10月ごろから「来季からクラブのフィロソフィーを変えるプランもある」(社長の岡野)などとして監督・コーチ陣および強化部長を総入れ替えするとの報道が流れはじめ[20]、かつてセレッソにも在籍した名波浩らの名前が監督候補として取り沙汰される中で、11月25日、監督のクルピ、ヘッドコーチのマテル、フィジカルコーチのホドウホ、強化部長の梶野智の退任(契約満了)が正式に発表された。退任の発表にあたり、クルピは「セレッソで過ごした年月を振り返ると、心あたたまる思い出ばかりです。これから先も、いつまでも私はセレッソを応援し続けます」などとするコメントを発表した[21]。結局シーズンは最後までAFCチャンピオンズリーグ2014出場権争いに絡み、第33節終了時には一旦6位に下がるも、最終節に勝利し、前節3位、4位だったが最終節で敗れた鹿島、浦和を抜いて4位でリーグ戦を終了、3位以内での出場権獲得は逃したが、天皇杯の結果次第での出場の可能性を残した。
    • 今季は、柿谷らの活躍もあり、夏ごろから人気が上昇。練習グラウンドにも若い女性が詰めかけるようになり、メディアも「セレ女」などと報じるようになった[22]。その結果、2013年シーズンは観客動員が増加し[注 1]、また次シーズンの年間シートの売り上げも、過去最高だった今季レベルにまで年内のうちに到達した[24]
    • 第93回天皇杯全日本サッカー選手権では4回戦で鳥栖に敗れたが、天皇杯を2013年J1で2位だった横浜FMが制した為、ACLの出場権を獲得した[25]

2015年 - 2016年(J2)

  • 2015年-新監督にパウロ・アウトゥオリが監督に就任。玉田圭司橋本英郎関口訓充茂庭照幸椋原健太パブロを獲得。また、中澤聡太を期限付きで獲得し、小暮大器が期限付きから復帰した。ユースからは阪本将基沖野将基西本雅崇前川大河温井駿斗が昇格。具聖潤高正大杉本健勇南野拓実金聖埈黒木聖仁が完全移籍し、小谷祐喜平野甲斐が期限付き移籍をした。
    • リーグ開幕から6試合負けなし(3勝3分)だったが、第7節から金沢群馬に連敗するなど8試合で3勝5敗、第8節から19節までは、第10節終了後に一度4位になったのを除き、順位は7位以下の昇格プレーオフ圏外で推移する。第15節から9試合負けなし(4勝5分)で、第20節終了後4位に浮上してからは、プレーオフ圏内から落ちることはなく、第30節からは3位をキープしていたが、第35節、4位福岡との直接対決に敗れ4位に後退、続く第36節北九州戦では勝利したものの、試合後アウトゥオリが選手の前で辞意を表明しチームは混乱、続く5試合で2分3敗と失速したことから、11月17日、リーグ最終節を前にアウトゥオリが退任し、強化部長の大熊清が急遽監督に就任。最終順位は4位となりJ1昇格プレーオフに回ったが、決勝で福岡に引き分け。昇格プレーオフのレギュレーション(引き分けの場合はリーグ戦上位チームが勝ち抜け)によりJ1昇格は成らなかった。

こちらのページも参照。

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2017年 - (J1)

2017年


2018年
  • 尹体制2年目。浦和から高木俊幸岡山から片山瑛一浦項スティーラースからヤン・ドンヒョンHJKヘルシンキから田中亜土夢を獲得。また、バンコク・ユナイテッドFCからチャウワット・ヴィラチャードを期限付き移籍で獲得し、前年FC東京から期限付き移籍で加入していた水沼宏太が完全移籍。関西学院大学から魚里直哉福岡大学から永石拓海長崎総合科学大学附属高等学校から安藤瑞季が新加入。U-18から山田寛人中島元彦が昇格した。
  • 初出場となったFUJI XEROX SUPER CUPでは、川崎に3-2で勝利し初優勝を果たした。天皇杯優勝チームが同大会で優勝するのは、2008年の広島以来10年ぶりとなった。
  • 4年ぶりに出場するAFCチャンピオンズリーグ2018は、広州恒大済州ユナイテッドFCブリーラム・ユナイテッドと対戦。第1節・済州戦を勝利、第2節・広州恒大戦を引き分け2試合計で勝ち点4を獲得した。第3節・ブリーラム戦では杉本や山口、柿谷やキム・ジンヒョンらを筆頭に4日前に行われた札幌戦のスタメンをいずれも帯同させずに試合に臨み2失点を喫し敗戦。ブリーラムをホームに迎えた第4節もヤン・ドンヒョンのオウンゴールなどで2点を失ったのが響き、杉本が終了間際に同点ゴールを決めて引き分けとしたのがやっと。第5節・済州戦には勝利、決勝トーナメント進出に望みを繋いだが天河体育中心体育場での最終節・広州恒大戦は怪我から復帰したばかりの清武を始め、杉本や山口、柿谷、キム・ジンヒョン、丸橋等、3日前に行われたJ1第8節・FC東京戦のスタメンをまたも帯同させずにスタメンを10人入れ替えて[30] 試合に臨み、試合は1-3で広州恒大に敗戦、決勝トーナメント進出を争っていたブリーラムが済州に勝利した為、グループリーグ3位となり、チーム史上初のグループステージ敗退となった。最終節の試合後の会見で尹は記者からの「ACLよりJリーグを優先しているのか」という質問に対し、「ACLよりJリーグに重点を置いてるのは事実」と答え、主力を休ませた事を認めている[31]。このスタメン入れ替え策については、Twitterインターネット掲示板等でも賛否が分かれた[30]
  • リーグ戦は最初の3戦で全て引き分けに終わるなど勝ち切れない試合が続き、第4節のアウェイ神戸戦で初黒星。第5節から8節までは4連勝と一気に巻き返すかに見えたが、第9節のアウェイ大阪ダービー(ガンバ大阪)に1-0で惜敗。第14節までは3勝2分と再び立て直したが、15節からは8戦で4分4敗と失速してしまった。前年に22得点を挙げた杉本が僅か5ゴールに終わるなど攻撃陣の不振も響き、ACL圏外となる7位で終了した。
  • ルヴァンカップにはノックアウトステージより出場。湘南ベルマーレに2戦合計2-5(1stレグ0-3,2ndレグ2-2)で敗れ準々決勝敗退となった。
  • 天皇杯では3回戦まで勝ち進んだが、4回戦でヴァンフォーレ甲府に0-1で敗れ、ルヴァンカップ同様連覇はならなかった。
  • 10月6日に行われたホームで開催されたガンバ大阪との大阪ダービー(第29節)に0-1で敗戦。その直後に尹監督が今シーズン限りで退任するとの報道が流れ、11月20日にはクラブからも公式に発表された[32]


2019年
  • アカデミーからの生え抜きであり、クラブの象徴的存在でもあった山口蛍と杉本健勇がそれぞれ神戸と浦和に移籍。山村和也も川崎に移籍するなど、2017年の2冠達成に大きく貢献した主力が相次いで退団。大幅な戦力ダウンが懸念されたが、札幌より都倉賢、仙台より奥埜博亮、神戸より藤田直之が完全移籍で加入。オスマルの抜けた外国人MF枠にはレアンドロ・デサバトを新たに獲得し、攻撃陣ではブルーノ・メンデスを期限付き移籍で獲得するなど、即戦力となる選手を数多く獲得して戦力の低下を防いだ。この他、圍謙太朗と丸岡満がそれぞれ福岡と山口から期限付き移籍から復帰した。
  • 尹晶煥に代わる新たな指揮官として、前年まで東京ヴェルディを率いていたミゲル・アンヘル・ロティーナを招聘。ヘッドコーチとしてロティーナを補佐していたイバン・バランコも同時に加入した。
  • この年はフロントの体制も大きく変わり、2016年より3年間社長を務めた玉田稔の後任として、クラブOBのレジェンドであり強化部門の責任者を務めていた森島寛晃が就任した。クラブOBの元選手がJクラブの社長に就任するのは札幌の野々村芳和に次いで史上二人目となる。
  • リーグ開幕戦はアンドレス・イニエスタダビド・ビジャルーカス・ポドルスキといった強力な攻撃陣を揃え、更に山口の移籍先でもある因縁の神戸をホームに迎えた。守勢に立たされる時間が長い試合展開となったが、77分に山下達也のヘディングゴールで挙げた先制点を守り切り1-0で見事勝利した。その後はチームの熟成不足もあって低空飛行が続いたが、ロティーナの構築した守備戦術が浸透するに従って徐々に勝ち点を伸ばし、第13節ではそれまで無敗で首位を快走していたFC東京に勝利。このシーズンに優勝を果たした横浜F・マリノスにはホーム・アウェイ共に勝利し、ホームで行われたガンバ大阪との第27節大阪ダービーでは3-1で快勝しリーグ戦では7年ぶりとなるダービー勝利を果たすなど、一時は優勝争いを伺える4位にまで浮上した。第28節のホーム鹿島戦に0-1で敗戦して優勝争いからは脱落したが、それでも最終的には勝ち点59で5位に食い込んだ。この年は強固な守備力が武器となり、シーズン25失点は2008年に大分が記録した24失点に次ぐ史上2番目の少なさであった。その一方で都倉とメンデスがシーズン途中で負傷離脱したこともあって総得点は39点に留まった。
  • ルヴァンカップではグループステージ(Cグループ)を3勝2分1敗で首位通過したが、プレーオフステージでFC東京に2戦合計1-2で敗れ決勝T進出を逃した。
  • 天皇杯では3回戦まで勝ち進んだが、サガン鳥栖に2-4で敗れ4回戦敗退となった。


2020年
  • ロティーナ体制2年目。水沼宏太が横浜Fマリノスへ完全移籍。田中亜土夢、ソウザや福満隆貴も退団したもののモンテディオ山形より坂元達裕を完全移籍で、シントトロイデンより小池裕太、オイペンより豊川雄太を獲得。ソウザの後釜としてルーカスミネイロを獲得した。
  • シーズンに先立って行われた京都サンガとのプレシーズンマッチ(サンガスタジアムbyKYOCERA)では坂元のゴールなどで勝利を挙げた。
  • 開幕戦で大分に勝利後、新型コロナウイルスによる試合延期。
  • 再開後の大阪ダービー(Panasonicスタジアム吹田)では2-1で17年ぶりにリーグ戦でのアウェイ勝利を飾った。
  • 新戦力の坂元、ロティーナの戦術理解を深めた片山の活躍により安定した順位をキープ。
  • ルヴァンカップではグループリーグを勝ち抜いたものの、柏レイソルに0-3で敗北。
  • リーグでは4位だったものの、天皇杯の結果を受けてAFCチャンピオンズリーグ2021プレーオフへの出場が決定した。
  • 11月にロティーナ監督の退任が発表された。
2021年
  • 柿谷曜一朗、木本恭生が名古屋グランパスへ完全移籍。片山瑛一が清水へ、ブルーノ・メンデス(福岡)、デサバト、都倉賢(長崎)、鈴木孝司(新潟)との契約満了。守備の要であったマテイ・ヨニッチが退団。
  • 新監督としてレヴィー・クルピが2013年以来のセレッソ大阪監督に復帰。
  • 新戦力としてGKダン・バン・ラム、DF進藤亮佑、新井直人、鳥海晃司、チアゴ、ダンクレー、MF原川力、松本泰志、為田大貴、FW松田力、アダムタガート、加藤陸次樹、大久保嘉人が加入。
  • 開幕戦は大久保のゴールが決勝点となり、2-0で柏レイソルに勝利、新型コロナウイルスで外国籍選手の来日が叶わない中、19歳の西尾が定位置を掴んでいる。序盤は好調だったがその後怪我人続出で調子を落とした。
  • DFダンクレーはアル・アハリ(サウジアラビア1部)に完全移籍することが6月26日に発表された。
  • 成績不振に陥り、8月26日にレヴィー・クルピ監督を解任。同日、小菊昭雄コーチが監督就任と発表された。
  • 8月29日、乾貴士と10年ぶりの復帰で合意したと発表。

成績

タイトル・表彰

国内タイトル

表彰

J1リーグ

ベストイレブン
得点王
  • 1999年 J1 大韓民国の旗 黄善洪
ベストヤングプレーヤー賞
優秀監督賞
フェアプレー賞高円宮杯
  • 2018年
フェアプレー賞
  • 2017年、2019年
フェアプレー個人賞
  • 2013年 日本の旗 柿谷曜一朗
  • 2017年 日本の旗 柿谷曜一朗
功労選手賞
  • 2009年 日本の旗 森島寛晃
最優秀ゴール賞
  • 2013年 日本の旗 柿谷曜一朗(第33節・対鹿島戦・38分)

J2リーグ

得点王

アジアサッカー連盟(AFC)

アジア年間最優秀ユース選手賞

Jリーグカップ

最優秀選手賞

その他

Jリーグベストピッチ賞
最優秀育成クラブ賞
報知プロスポーツ大賞
  • 2003年 Jリーグ部門 日本の旗 大久保嘉人
日本プロスポーツ大賞
  • 2013年 新人賞 日本の旗 南野拓実
関西スポーツ賞
  • 2009年 特別功労賞 日本の旗 森島寛晃
  • 2018年 日本の旗 セレッソ大阪[33]

スタジアム他

ホームスタジアム

ホームスタジアムはヤンマースタジアム長居およびヨドコウ桜スタジアムである[1]。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「セレッソ大阪の年度別成績一覧#年度別入場者数」を参照のこと。

2015年9月29日、長居球技場の育成型複合スタジアム化計画「セレッソの森 スタジアム構想」を発表。改修工事前の収容は1万8000人だが、改修後は2万5000人規模のスタジアムになる。改修費は約50億円を想定している。工費の一部は募金でまかなった。2017年から着工し、2021年4月1日に竣工式を行った[34]。完成後はホームスタジアムをヨドコウ桜スタジアムのみに完全移行される[35]。このため、2019年と2020年のC大阪主催試合は全試合でヤンマースタジアムのみを使用した。

練習場・クラブハウス

トップチームのトレーニングは2013年から舞洲スポーツアイランドの「セレッソ大阪スポーツクラブ クラブハウス・グラウンド」を使用している[1]。この練習場は既存の舞洲球技場を大阪市から賃貸し、天然芝化やクラブハウスの新設などしたもの[36] で、天然芝2面・新設の人工芝1面があり、下部組織チームも使用している[37]

なお、2012年まで練習場として使用していた南津守さくら公園スポーツ広場はセレッソ大阪堺レディースやアカデミーが使用している。また2010年以降は毎年9月中旬から約1か月間行う天然芝の養生期間に限りJ-GREEN堺を使用することもある。以前は舞洲島内北部にあった旧・舞洲グラウンド(現在の施設とは別の場所・2010年4月閉鎖)や尼崎市のヤンマーグラウンド(現在は下部組織チームが使用)も使用していた。

スローガン

年度スローガン
1994Jump To J!
1995To Be Professional
真のプロフェッショナルをめざして
2002Passion to the Top
2003PASSION SOUL 情熱魂
2004Be ONE!
2005日々進化
2006さらなる挑戦
2007猛進
2008YOU ARE MY HEART
2009ユアマイハート
2010攻めきる。~最後の笛が鳴るまで~
2011攻めきるMAXかかげよ桜冠
2012追球 THE CEREZO
2013冒険 ココロ躍れ
2014史上最攻 ~時は、来た。~
2015For The Top of Dreams
2016以降SAKURA SPECTACLE
~閃け。輝け。咲き誇れ。~

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ユニフォーム

ユニフォームの色
カラーシャツパンツストッキング
FP(1st)ピンク
FP(2nd)
GK(1st)
GK(2nd)
GK(3rd)ピンクピンクピンク
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd

チームカラー

  •     ピンク[1]

ユニフォームデザイン

  • 1994年から1996年まで使用したフィールドプレーヤー用の1stユニフォームは、シャツおよびストッキングがピンク、パンツが空色であった。1997年以降の胸デザインはピンク×紺の縦縞であるが、2006年以降は縦縞がさほど強調されなくなっている(2006年 - 2007年モデルは右胸が紺で左胸がピンクの2ブロック。2008年 - 2009年モデルは前年までの配色が反転したようなデザイン、2010年 - 2011年モデルはピンク地に3本の太い縦縞の3ブロック)。
  • 2012年モデルは、胸から上がピンク地で下はピンク×紺の縦縞と、ピンクの割合が多くなった。2013年モデルは右胸部と左腰部に紺の太い斜め縞が入っていた。2014年モデルは紺の縞模様がなくなりピンクの色味も変わった。2005年のフィールドプレーヤー用の2ndユニフォームは、シャツ・パンツ・ストッキングに薄手のグレーを採用していた。
  • 2010年8月8日のキンチョウスタジアムのオープニングゲームでは、専用デザイン(ピンクが真ん中に1ブロック)のメモリアルユニフォームを着用した。
  • 2017年J1第32節から左胸のエンブレム上に同年のルヴァンカップ優勝を示す星マークが付けられた。その後同年度の天皇杯でも優勝を果たした事に伴い、2018年モデルからは同じ位置に星マークが更に1つ追加された。

ユニフォームスポンサー

掲出箇所スポンサー名表記掲出年備考
ヤンマーホールディングスYANMAR2006年 -1995年 - 1996年は袖、
1997年 - 2005年は背中
鎖骨淀川製鋼所ヨドコウ2021年 -
背中上部日本ハムNipponham1994年前半
2006年 -
1994年後半、1995年 - 2005年は胸
(2006年 - 2009年は「NIPPONHAM」、
2010年 - 2014年は「ニッポンハム」表記)
背中下部シンハーコーポレーションSINGHA2016年 -
シャープSHARP2019年 -
パンツ前面ナカバヤシナカバヤシ2018年 -
パンツ背面なし--

ユニフォームサプライ

  • 1994年 - 2014年:リーグ戦・カップ戦ともミズノ
  • 2015年 - 現在:プーマ

歴代ユニフォーム

FP 1st
1994 - 1996
1997 - 1998
1999 - 2003
2004 - 2005
2006 - 2007
2008 - 2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020
2021 -
FP 2nd
1994 - 1996
1997 - 1998
1999 - 2002
2003 - 2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020
2021 -
FP Other
2010
88メモリアル
2011
エイトサマー
2012
サマー
ユニフォーム
2013
ヤンマー
プレミアム杯
2014
20周年記念
2015
キンチョウ
スタジアム
5周年記念
2016
SUMMER
2017
SUMMER
2018
ACL 1st
2018
Limited
2019
25周年記念
2020
Limited
2021
ACL 1st
2021
ACL 2nd

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度箇所サプライヤー
鎖骨左鎖骨右背中上部背中下部パンツ前面パンツ背面
1994CAPCOM /
Nippon Ham
解禁前Nippon Ham /
CAPCOM
解禁前ヤンマー解禁前解禁前Mizuno
1995Nippon HamCAPCOM
1996NIPPON
HAM
1997Yanmar2008
OSAKA
オリンピックを大阪に!
1998
1999-
2000タマノイ酢
2001
2002
2003
2004SPORTS
DEPO
2005
2006YANMARNIPPONHAMSUPER H2O
2007OSAKA
PiTaPa
2008
2009-
2010ニッポンハム- /
KINCHO
- /
SANYU
2011KINCHOSANYU
2012
2013
2014
2015NipponhamPUMA
2016SINGHA
2017
2018-ナカバヤシ
2019SHARP
2020- /
DANISH
2021ヨドコウ-

セレッソ大阪U-23

セレッソ大阪U-23(セレッソおおさか・アンダートゥエンティースリー、略称表記:C大23)は、2016年から2020年にかけてJ3リーグ(J3)に参加していた、セレッソ大阪所属の23歳以下の選手で構成されるサッカーチーム(U-23チーム)[39]

概要(U-23)

2015年12月15日、Jリーグの理事会において2016年シーズンよりJ1・J2クラブの「U-23チーム」がJ3に参加することが発表され[40]、初年度参加チームの一つとして承認された[39]。「タフな試合環境の中でトップチームを担う次の才能を開花させる」との思いを込めて、SAKURA NEXT(サクラ・ネクスト)という独自愛称が与えられている[38]

U-23を育成の一番上のカテゴリー(もしくは育成とトップチームの間)として位置づけ、トップチームと別に練習を行ってチームの育成を図っている[41][42]

日刊スポーツが2019年7月16日付[43] の記事で、2020年を最後としてU-23チームの参戦を終了させる方向である見込みであると報じられた。それに伴い、「セレッソ大阪U-23」は2020年シーズンをもってJ3リーグでの参加を終了することになった。

略歴(U-23)

2016年

初年度の監督には、2014年シーズン途中からトップチームの指揮を執り、2015年にはアカデミー(U-18)の監督を務めた大熊裕司が就任[44]。また、初年度では若手がトップチームに上がることが少なかったが、序盤戦にオーバーエージ枠で出場していた清原翔平がトップチームに這い上がった[45]

2017年

大熊体制2年目。開幕戦では瀬古歩夢喜田陽といった高校1年生も選ばれ、平均年齢17歳で挑んだ。また、序盤こそは選手の入れ替わりがあって苦しんだが、斧澤隼輝西本雅崇がトップに絡み、ユースのが試合を重ねて成長をした[46]

2018年

大熊体制3年目。第3節から第12節にかけて10戦負け無し(5勝5分)を記録し一時は2位にも入った。その後は2度の連敗もあって順位を落とすが、第23節から第26節にかけて4連勝を記録するなど、最終的にはチーム発足後初めて勝利数が敗戦数を上回り、順位も過去最高の7位でシーズンを終えた。個人では、米澤令衣が得点ランク6位の12ゴールを記録する活躍を見せた。

2019年

大熊体制4年目。序盤から好調を維持し、第6節では首位に立った。最終的には前年の過去最高順位を更新して、6位でフィニッシュした。

活動方針(U-23)

  • ゴールを奪う選手の強化育成[38]
  • ボールを奪う選手の強化育成[38]
  • 勝利に貪欲な選手の強化育成[38]

ホームゲーム開催試合数(U-23)

「-」:改修中につき閉鎖

年度金鳥スタヤンマーその他
20161320
201787[注 2]高知陸1
2018880
2019-170

成績(U-23)

年度所属順位試合勝点得点失点得失点監督
2016J312位303288143847-9日本の旗 大熊裕司
201713位3235811133943-4
20187位3246137124736+11
20196位3452164144956-7
202018位3425510192861-33日本の旗 村田一弘
日本の旗 丸山良明(7月-)

表彰(U-23)

チーム
個人別

ユニフォーム

ユニフォームデザイン及びユニフォームのサプライヤーはトップチームと同じ。

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度鎖骨背中上部背中下部パンツサプライヤー
2016YANMAR解禁前Nipponhamナカバヤシたこ焼道楽
わなか
-PUMA
2017
2018-
2019
2020

アカデミー

セレッソ大阪のアカデミーは、各年代別日本代表にも多くの選手を輩出しており、アカデミー出身の柿谷曜一朗山口蛍扇原貴宏杉本健勇南野拓実らが日本代表に選ばれている。また、セレッソ大阪の育成組織である「ハナサカクラブ」にも注目が向けられている[47]

2016年から長期的な「SAKURA SPECTACLE」というクラブ哲学が発表され、アカデミーの名称をスペイン語で「セレッサ」と呼ぶことになった。

アカデミーの構成

セレッソ大阪のアカデミーは年代別の選抜チームとして、第2種(高校生年代)の「U-18」、第3種(中学生年代)の「U-15」、「西U-15」、「和歌山U-15」、第4種(小学生年代)の「U-12」がある。これらは、次のようなピラミッド構造を形成している。

セレッソ大阪 アカデミーの構成 2017年時点
チーム登録種別
U-18第2種(高校生年代)
U-15第3種(中学生年代)
西U-15
和歌山U-15
U-12第4種(小学生年代)

2009年にはレディースU-15(セレッソ大阪レディース)が設立され、2013年よりなでしこリーグ2部相当の「なでしこチャレンジリーグ」参入を果たすなど、女子選手の育成にも力を入れている。

ハナサカクラブ

ハナサカクラブは、セレッソ大阪の育成組織をサポートすることを目的に設立した育成サポートクラブ(個人協賛会)で、2007年に発足した。個人や団体などから年度ごとに会費を募り、合宿や遠征、練習試合、食事などの費用補助にする。ハナサカクラブの会費はクラブ運営費とは完全に分けられ、育成組織の活動をサポートするためのみに活用される。

セレッソ大阪スポーツクラブ

ユースを含めたすべての育成組織のチームは2012年より、セレッソ大阪スポーツクラブが運営している。

出身選手

主な成績

U-18

U-15

西U-15

  • 高円宮杯U-15サッカーリーグ関西 サンライズリーグ
    • 優勝1回:2009年

U-12

BGM

選手紹介

年度曲名アーティスト名DJ
2006Dark Chest of Wondersナイトウィッシュ西川大介
2007
2008

選手入場

年度曲名アーティスト名
2008saturateケミカル・ブラザーズ
2009セレッソ大阪アンセム本間勇輔

セレッソ大阪応援ナビゲーター・セレッソガール

  • セレッソ大阪応援ナビゲーター
セレッソ大阪の『ホームタウン活動』を中心に、セレッソ大阪の広告塔として活動。
駒川商店街まつりの企画がきっかけで2016年に誕生した。その為、1期生は大阪市東住吉区駒川にある「駒川商店街」で2016年7月10日に開催された「関西コレクション presents KOMAGAWA RUNWAY supported by セレッソ大阪」において選出された関西コレクションエンターテインメント所属のモデルが就任している。
  • セレッソガール
『SNS(TikTok)での情報発信』を軸にデジタルの力を活用してセレッソの魅力を発信。
動画配信アプリ「ミクチャ」や「TikTok」を活用したオンラインオーディションを実施。初年度の2021年度は、720名の参加者の中から審査を勝ち上がった5名を新たにセレッソガールに決定。2021年2月27日から「セレッソガールTikTokアカウント」を開設し、セレッソの魅力をTikTokを通じて発信。
年度期生セレッソ大阪応援ナビゲーターセレッソガール備考
20161期生石井里奈[48]
2017[49]
20182期生Momona小西陽向[50]
20203期生[51]
2021-[52]

決算

セレッソ大阪の決算は、つぎのとおり。

損益

年度収入広告料入場料配分その他費用事業費人件費管理費利益純利益
20052,3111,1103924133962,2831,599N.A.6842879
20062,1081,1613282423772,3181,6971,150621-210-199
20072,0661,1022001096552,0451,49788954821208
20081,9401,2932161063251,9991,448824551-59-64
20092,2411,2522781225892,3191,6501,085669-78-84
20102,5541,2824282905542,5281,9381,301590263

出典:各年度のJ1 クラブ決算一覧。 200520062007200820092010

金額の単位:百万円

人件費は事業費に含まれる。

年度収益広告料入場料配分育成その他費用人件費試合トップ育成女子販売利益純利益
20112,5271,361449223204742,5701,185348184567790-43-54
20122,6181,12049522807752,546969290538007497263
20133,2131,49995422005403,2011,2124646520087386
20143,7111,51185623201,1723,8591,680341679001159-88-90
20152,7121,50546410906343,1951,52329749800877-48316

出典:各年度のJ1 クラブ決算一覧。 20112012201320142015

金額の単位:百万円

年度収益広告料入場料配分育成物販その他費用人件費試合トップ育成女子物販販売利益純利益
20163,0081,73851010202394192,9831,49432434500189631258

出典:各年度のJ1 クラブ決算一覧。 2016

金額の単位:百万円

資産

年度総資産総負債純資産資本金
2005452144307315
2006314206108315
2007486170316315
2008543291251315
2009622455167315
2010724554169315
2011694579115315
2012722543179315
2013784599185315
201481171695315
2015813703110315
20161,3001,181119315

出典:各年度のJ1 クラブ決算一覧。 200520062007200820092010201120122013201420152016

金額の単位:百万円

脚注

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注釈

  1. ^ 1試合あたりの平均観客動員数で見ると、J1全体が昨季より約3%落とす中、セレッソは約11%増となった。[23]
  2. ^ うち1試合は和歌山県紀三井寺で開催する予定だったものが平成29年台風第18号の影響により中止されたものの代替開催。

出典

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  11. ^ [1] セレッソ大阪公式サイト、2013年3月31日
  12. ^ チャンフン選手期限付き移籍のお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト、2013年3月30日
  13. ^ 加入のお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト、2013年4月11日
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  20. ^ 「セレッソ大改造!クルピ監督今季限りで退任、コーチ陣総入れ替え」 スポーツニッポン、2013年10月10日
  21. ^ 「レヴィー・クルピ監督との契約について」 セレッソ大阪公式サイト、2013年11月25日
  22. ^ たとえば、「サッカー業界で話題。“セレ女”って何?」 フットボールチャンネル、2013年11月27日
  23. ^ 「『セレッソ女子』急増中 イケメン効果?観客数1割増」 朝日新聞、2013年12月4日
  24. ^ 「C大阪 柿谷&山口人気で来季の年間シート売り上げ絶好調」 スポーツニッポン、2013年12月27日
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  29. ^ セレッソ大阪、延長戦を制して43年ぶりの優勝で今季2冠 ~第97回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝~ 公益財団法人日本サッカー協会公式サイト、2018年1月2日
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  45. ^ C大阪U23 もの足りなかったJ3参入1年目 台頭する若手が見たい スポーツニッポン(2016年12月14日)2016年12月20日閲覧。
  46. ^ セレッソ番の3記者が語る「2017総括&2018展望」vol.5 まいど!セレッソ~マイセレ(2018年1月13日)
  47. ^ たとえば、「C大阪のアカデミー出身の柿谷、山口、扇原が東アジア杯制覇に貢献・・・クラブ関係者が明かす日本代表選出の舞台裏」 SOCCER KING、2013年7月29日
  48. ^ 【9/11V・ファーレン長崎戦】「セレッソ大阪応援ナビゲーター」来場のお知らせ セレッソ大阪 2017年3月1日
  49. ^ セレッソ大阪応援ナビゲーター 今シーズンも活動継続のお知らせ セレッソ大阪 2017年3月1日
  50. ^ セレッソ大阪応援ナビゲーター2期生決定のお知らせ セレッソ大阪 2018年2月24日
  51. ^ セレッソ大阪応援ナビゲーター3期生決定のお知らせ セレッソ大阪 2020年2月17日
  52. ^ 2021年セレッソ大阪応援ナビゲーターについて セレッソ大阪 2021年2月27日

関連項目

外部リンク


 

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