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⚾|19点も防いでいる西武源田…パの「GG賞」は順当? データで予想する“最有力候補”


写真 西武・源田壮亮【写真:荒川祐史】

19点も防いでいる西武源田…パの「GG賞」は順当? データで予想する“最有力候補”

 
内容をざっくり書くと
○外野手
ポジション別でみると、左翼はロッテの35歳ベテラン・荻野貴司が「5.8」でトップ。
 

守備の総合指標「UZR」でみるゴールデングラブ賞の行方は?両リーグともに、優勝争いは最終盤までもつれ… →このまま続きを読む

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ポジション別

荻野貴司

荻野 貴司(おぎの たかし、1985年10月21日 - )は、奈良県高市郡明日香村出身のプロ野球選手外野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。

経歴

プロ入り前

小学校4年生(1995年)の時に「明日香フレッシュジュニアーズ」で野球を始める。中学時代は加治前竜一と共に橿原コンドルに在籍した。

郡山高では高校2年夏(2002年)からレギュラーとなり、3年夏(2003年)の奈良大会では準優勝に終わった。

関西学院大学(同期に北海道日本ハムファイターズ宮西尚生がいた)では、大学1年秋(2004年)から遊撃手のレギュラーとして活躍、4年春(2007年)には17盗塁で23年ぶりとなるリーグ新記録を樹立した(2020年秋季リーグ終了時点でも破られてはいない)[2]。最終的に関西学生リーグ通算80試合に出場し295打数98安打、打率.332、3本塁打、35打点、47盗塁、ベストナイン5度受賞の記録を残した。

卒業直後の2008年にはトヨタ自動車へ入社と同時に外野手に転向、オープン戦で1試合3本塁打を記録する。同年の第35回日本選手権で3番打者として出場、打率.409(長打率.682)の好成績でチームの連覇に貢献し社会人ベストナイン外野手部門を受賞した。しかし、社会人2年目の夏(2009年)に左ひざの半月板を痛めるが、復帰後の都市対抗野球で活躍してプロのスカウトの注目を集めた。なお、トヨタ自動車時代のチームメイトには、荒波翔中澤雅人、後にロッテでも同僚となる大谷智久がいる。

2009年度のプロ野球ドラフト会議では複数球団から上位指名候補としてリストアップされ[3]千葉ロッテマリーンズより単独1位指名を受けた。11月30日に契約金1億円プラス出来高5,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)で契約、背番号4に決まった。

ロッテ時代

2010年は、春季キャンプから俊足をアピールし[4]、球団では25年ぶりとなる新人外野手の開幕スタメン出場を果たす。開幕から46試合で25盗塁を記録し、3月26日の対北海道日本ハムファイターズ戦では逆転決勝弾となるプロ入り初本塁打を打つなどの活躍を見せた。だが、5月21日の対東京ヤクルトスワローズ戦で二盗を試みてスライディングした際に右ひざを負傷した。精密検査の結果、全治2か月の右膝外側半月板損傷と診断された。同月26日に半月板の部分切除手術を受けたが、シーズン中の復帰は叶わなかった[5]。オフの契約更改の席では西岡剛の移籍で空いた遊撃手へのコンバートについて「やってみたい気持ちがあるので、守れるなら守りたいですね」と前向きなコメントを残した[6]

2011年は、内野手登録となり、2番・ショートとして開幕戦にスタメン出場した。だが5月13日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で右ひざの違和感を訴え、17日に登録を抹消された。「去年の痛みとは全然違いますから。少し休めば大丈夫だと思います。」と語ったが[7]、25日に手術を受けた[8]オールスターゲーム後の復帰を目指し急ピッチで調整を続けたが、回復は思わしくなく8月25日にプロ入り後3度目となる右ひざの手術を受けた[9]。また、この年は鉄道車両の行き先看板を模したグッズが発売された[10]。表面には「快足荻野二塁(盗塁)」裏面には「特急荻野本塁(三塁経由)」と書かれている。

2012年は、再び外野手登録となり[11]、荻野も「外野一本でやりたい」と宣言[12]した。前年の教訓から開幕よりまず完治を優先し[13]、春季キャンプでも一軍から外れて別メニュー調整を行った。開幕は二軍で迎え、4月21日のイースタンリーグで約1年ぶりの実戦復帰を果たす。6月13日に一軍選手登録されると[14]、同日の対広島東洋カープ戦の10回裏に代走として出場し二盗を決めた[15][注 1]。翌日には復帰後初スタメンでシーズン初安打[17]。8月1日の対日本ハム戦では2年ぶりの本塁打を記録した[18]。8月17日の対日本ハム戦で2失策を記録し[19]、同月20日に一軍登録抹消。二軍調整後、最短の10日間で一軍復帰。プロ入り後初めて怪我による離脱なくシーズン終了を迎えた。

2013年は、腰痛で開幕一軍を逃したものの5月上旬に復帰し、102試合に出場、打率.276、盗塁26個(成功率.897)の好成績を残した。

2014年は、5月6日のオリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)において、西勇輝から史上初となる初回先頭打者初球ランニング本塁打を記録した[注 2][20]。6月22日の対中日ドラゴンズ戦で、本塁突入時に左肩関節窩を骨折[21]。そのまま残りのシーズンを棒に振った。

2015年は、負傷等で2回の登録抹消を味わうなどして82試合の出場にとどまったが、初めてポストシーズン、クライマックスシリーズに出場し、初ヒットに盗塁も記録した。左翼手として35試合、中堅手として34試合にスタメン出場した。

2016年は、4月27日に左内腹斜筋肉離れを負傷し全治6週間[22]、9月20日に右大腿二頭筋肉離れで二度の故障に悩まされた[23]。最終的に71試合の出場にとどまり、前年よりも出場機会を減らす不本意なシーズンになってしまったが、盗塁は16個(成功率.889)を記録し、入団1年目から続いている連続2桁盗塁(7年連続)の記録はキープした。記録守備位置としては主に右翼手(31試合にスタメン出場)として起用されたが、中堅手としても10試合にスタメン起用された。シーズンオフの12月15日、「ケガがゼロになればいい」という理由で背番号を0に変更した[24]

2017年は、プロ入り後はじめて1年間怪我なくシーズンを終えた。前半戦は打撃不振で2度の二軍降格を味わったが、8月1日に一軍に昇格し、以降スタメンに定着。8月は月間打率.299と復調すると、9月・10月は月間打率.346、盗塁15、OPS.862を記録し、月間MVP候補に選出されるほどの活躍を見せた。最終的には103試合に出場し、安打(94本)、本塁打(5本)は自己最多、盗塁も自己最多タイの26個(成功率.897)を記録した。

2018年は、開幕戦から「1番・中堅手」に定着。5月31日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮球場)から6月7日の中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)にかけて7試合連続マルチ安打を記録するなど、好調を維持。監督推薦で初のオールスターゲーム出場選手にも選出された。しかし、7月9日の埼玉西武ライオンズ戦(メットライフドーム)において右手第二指基節を骨折。オールスターゲームも辞退となり、シーズン終了まで復帰することはできなかった[25]

2019年は、「グリップエンドの感覚が欲しい」という理由で、前年より8 - 9cm短くした、76 - 77cmの短尺バットの使用を始めた[26]が、オープン戦で打率.059と打撃に苦しみ[27]、開幕スタメンを高卒ルーキーの藤原恭大に譲った。しかし、4月中旬から前年と同じ85cmのバットに戻し、バットを短くもつスタイルに変更すると打撃が復調[28]。「1番・中堅手」に定着し、5月25日の福岡ソフトバンクホークス戦(ZOZOマリンスタジアム)で10個目の盗塁を記録。これで史上9人目の新人から10年連続2桁盗塁を達成した[29]。球団では弘田澄男が達成して以来、2人目[30]。6月7日の巨人戦(東京ドーム)から7月4日のオリックス戦(京セラ)にかけて20試合連続安打を記録する[31]など、前半戦をパ・リーグトップの打率.330で折り返す。前年、怪我のため出場できなかったオールスターゲームにも出場を果たした。8月12日の西武戦では、10年目にしてプロ入り初の規定打席に到達した[28]。8月22日の楽天戦(東京ドーム)では史上77人目となる通算200盗塁を達成した[32]。 最終的には、125試合に出場し、打率.315(リーグ3位)、本塁打10本、盗塁28(同4位)、OPS.842(同10位)という成績を残した。二塁打35本、三塁打7本はいずれもリーグ1位を記録した。さらに、先頭打者本塁打を5本記録している。 また、守備面でも、補殺8はリーグ3位、失策はわずか1と、走攻守全てにおいてリーグトップクラスの成績を残し、ゴールデングラブ賞ベストナインを初受賞した。多くの項目でプロ入り最高の成績を残し、キャリアハイの1年となった。10月31日には、5月31日に獲得した国内FA権を行使せず残留すると発表され、「まだまだ恩返しができていないと思っている。これからしっかり恩返しをしていきたいと思っています。」とコメントを残した[16]。12月25日には3,300万増の推定年俸7,800万円で契約を更新した[33]

2020年は、6月19日のソフトバンクとの開幕戦(福岡PayPayドーム)に「3番・左翼手」で出場。翌20日の試合からは、開幕前の練習試合で骨折していた福田秀平に代わり、「1番・中堅手」として出場を続けた。7月14日の日本ハム戦(札幌ドーム)では、21試合目にしてシーズン10・11個目の盗塁を決め、新人から11年連続2桁盗塁を達成した[34]。7月21日の西武戦(メットライフ)で4打数無安打に倒れるまで、1970年のアルトマンに並び球団タイ記録の、開幕から26試合連続出塁を記録[35]し、打率.330、出塁率も4割を超えるなど、好調を維持していたが、翌22日の同対戦の試合中、走塁時に違和感を覚え交代した。都内の病院を受診した結果、「右大腿二頭筋の軽い筋損傷」との診断を受け、翌23日に出場選手登録を抹消された[36]。当初は10日間で復帰する予定だったが[36]、8月17日に二軍で実戦復帰した後も右足に違和感を覚え、一軍に上がることなく再び離脱[37]。最終的に一軍に合流したのは離脱から2か月後の9月25日となった[35]。しかし、復帰から約1週間後の10月4日には、角中勝也藤岡裕大ら複数の主力選手とともに新型コロナウイルスに感染したことが判明[38]。再び離脱を余儀なくされた。10月20日に再び一軍に復帰[39]すると、16試合で打率.305、1本塁打、4打点の成績を残し、チーム13年ぶりの2位・4年ぶりのCS出場に貢献した。シーズンオフには、国内FA権の行使を熟考していることが報じられた[40]が、12月4日に残留することが発表された[41]。12月21日には、推定年俸8,000万円の2年契約を結んだと発表された[42]

2021年は、3月26日のソフトバンクとの開幕戦(福岡PayPayドーム)に「1番・左翼手」で出場。6月22日ソフトバンク戦(ZOZOマリン)では25年ぶり史上4人目(ロッテ球団では初)となる新人から12年連続2桁盗塁を達成。

選手としての特徴

打撃

荻野はバットを極端に短く持つ[43]がパンチ力もあり、またどのコースにも柔軟に対応する打撃を見せる[44]

走塁・守備

50メートル走のタイムは荻野曰く6秒切るくらいと図抜けて速いわけではないが[45]、トップスピードに乗るのが早い[45]。「20メートル直線を走らせたら、日本で一番」と評するスカウトもいた[45]ほどで、右打者にもかかわらず一塁への到達タイムは3.57秒とプロ有数のスピードを誇る[43][46]。その走力を活かし、2011年4月14日の楽天戦では無死満塁の状況で一塁から二塁へのタッチアップを決めた[47]

入団1年目から11年連続で2桁盗塁を記録。通算盗塁成功率はNPBで通算200盗塁以上を達成している選手の中では西川遥輝の.864に次ぐ2位の数値となる.842を記録している(2020年シーズン終了時点)[注 3]

プロ入り当初、スライディングの技術に難があり、ベース付近から飛び込むように滑っていたことで膝へ負担がかかり故障につながった[49]

大学まで遊撃手としてプレーしていたが、社会人時代に外野手に転向。プロ一年目は主に中堅手で起用されたが翌2011年は遊撃手として出場した。荻野は右翼手が一番守りやすく、打球の判断がしやすいと語っている[50]。大学時代までは内野での送球に不安を抱えていたが、外野手に転向したことで「思い切り腕を振れるロングスローの場面があるので、自分の長所を生かせるようになったと思います。僕のスローイングは外野からのバックホームのようなロングの送球が一番伸びると思いますので」と荻野は語っている[50]

人物

家族は祖母、父、母、兄、姉、妹の7人で、4歳年上の兄・公一は早稲田大学競走部OBの毎日新聞記者[51]

2014年10月に一般女性と結婚し、同年12月に日本国外で挙式を行なった[52]。息子がいる。

ロッテには2014年まで同姓の荻野忠寛が在籍していたため、ニックネームは「タカシ」、スコアボード表記は荻野貴、背ネームはT.OGINOと区別されていた(忠寛は「OGINO」のまま)。しかし、忠寛の退団後の2015年以降もスコアボード表記と背ネームはそのままである。また、2017年に変更した背番号0は元々忠寛が着けていた背番号である。

同じく2010年にロッテに入団した清田育宏とは、大学時代からの知り合いだった[53]。また、入団後は年齢が同じことや外野手同士ということもあり、互いに連絡を取り合う仲でもある[54]

好きな食べ物は「かつ丼」[55]。また、貝類も好物である[56]

2021年からの登場曲に、の楽曲を複数用いているが、これは嵐ファンである息子からのリクエストによるもの[57]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2010ロッテ46217175295792173172532131612242.326.383.417.800
20112310391142440028101413170161.264.320.308.628
2012611871651837501458133601105170.224.293.273.566
201310239733552921434124282631733209264.275.351.370.721
20144015514226371023601215150800141.261.300.423.723
20158230927942759229413185911604385.269.317.337.654
201671219192354811137021162901404253.250.314.365.679
201710339435653942215133242631012502446.264.315.374.689
2018783513175291153211825206931309256.287.330.372.703
20191255695087616035710239462810944008564.315.371.470.842
202053236203305917017910194612402232.291.370.389.759
NPB:11年7843137276342777415121321063214220411041720614629834.280.338.385.723
  • 2020年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



外野遊撃
























2010ロッテ4699230.971-
2011-233571614.946
201254123331.977-
2013101182621.989-
20143966410.986-
201582152712.994-
201665112410.991-
2017101183613.995-
201878180724.989-
2019125258812.996-
20205196210.990-
通算7421451491613.989233571614.946

表彰

記録

初記録
節目の記録
  • 200盗塁:2019年8月22日、対東北楽天ゴールデンイーグルス21回戦(東京ドーム)、7回裏に二盗(投手:アラン・ブセニッツ、捕手:太田光)※史上77人目
その他の記録
  • 初回先頭打者ランニング本塁打:2014年5月6日、対オリックス・バファローズ7回戦(京セラドーム大阪)、1回表に西勇輝から左越ソロランニング本塁打 ※史上8人目[58]
  • 初回先頭打者初球ランニング本塁打:同上 ※史上初[58]
  • 2試合連続初回先頭打者本塁打 ※史上36人目、42度目。35歳11か月での達成は史上最年長[59]
    • 2021年10月6日、対埼玉西武ライオンズ24回戦(ZOZOマリンスタジアム)、1回裏に本田圭佑から左越ソロ
    • 2021年10月7日、対東北楽天ゴールデンイーグルス24回戦(ZOZOマリンスタジアム)、1回裏に則本昂大から左越ソロ
  • 同一投手先発時にシーズン4度の初回先頭打者本塁打:2021年、佐々木朗希先発時に記録 ※史上3度目[59]
  • プロ入りから12年連続2桁盗塁 ※史上4人目、球団史上初[60]
  • オールスターゲーム出場:2回(2019年2021年)※2018年も選出されるも出場辞退

背番号

  • 4(2010年 - 2016年)
  • 0(2017年 - )

登場曲

  • 「U Don't Know (Remix)」Jay-Z(2010年)
  • 「My ANSWER」SEAMO(2011年 - 2012年)
  • 「GIRL」秦基博(2013年、2016年)
  • 「NEVER GIVE UP!!」FALCO&SHINO(2014年)※1&3打席目以降
  • 「泣いていいよ」CHIHIRO(2014年 - 2015年)※2打席目以降
  • 「風に想う」冨山佑希(2015年)
  • 「赤い実ハジケタ恋空の下」LGMonkees(2015年10月 - )
  • 「clock strike」ONE OK ROCK (2017年 - 2020年)
  • 「Cage」SawanoHiroyuki[nZk](2020年)※2打席目以降

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 荻野が登場した際、本来は打席に入ったときに流れる荻野の応援歌がスタンドから流れた。このことを荻野は7年後の2019年に「覚えていますね。なかなか代走で出て応援歌が流れることはないと思うので、すごく嬉しかったです。今でも印象に残っています」と語っている[16]
  2. ^ 左翼への飛球を追っていたオリックスのレフト竹原直隆が転倒し、起き上がってボールを捕球する間にホームまで生還したものであった。
  3. ^ 2017年シーズン終了時の通算盗塁成功率は、通算150盗塁以上を達成している選手の中で1位だった[48]

出典

  1. ^ ロッテ - 契約更改 - プロ野球”. 日刊スポーツ. 2020年8月21日閲覧。
  2. ^ 故障リスクと背中合わせも「怖がったら悔いが残る」 ロッテ荻野の盗塁哲学”. full-count (2021年8月6日). 2021年8月9日閲覧。
  3. ^ 長野が巨人1位へ 荻野の上位指名も 2009年度社会人ほか注目選手を探る”. スポーツナビ. 2021年7月1日閲覧。
  4. ^ 速い!荻野貴 快足で開幕スタメン猛アピール”. スポーツニッポン (2010年2月12日). 2021年7月1日閲覧。
  5. ^ 「全力で走れる!」荻野貴、277日ぶり盗塁”. スポーツニッポン (2011年2月23日). 2021年7月1日閲覧。
  6. ^ ロッテ・荻野貴は2500万円 契約更改”. 47NEWS、共同通信 (2010年11月30日). 2021年7月1日閲覧。
  7. ^ 荻野貴、右膝痛で抹消も「去年の痛みとは全然違う」”. スポーツニッポン (2011年5月18日). 2021年7月1日閲覧。
  8. ^ 荻野貴が右膝手術 復帰に1カ月から1カ月半”. スポーツニッポン (2011年5月25日). 2021年7月1日閲覧。
  9. ^ 荻野貴が右膝手術…今季の復帰は困難”. スポーツニッポン (2011年8月26日). 2021年7月1日閲覧。
  10. ^ 4/19(火)〜荻野貴選手をモチーフにした『荻野貴行き先プレート』発売開始!!”. 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト (2011年4月18日). 2021年7月1日閲覧。
  11. ^ 荻野貴司選手ポジション登録の変更について”. 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト (2012年1月20日). 2021年7月1日閲覧。
  12. ^ ロッテ荻野、完治優先「無理しない」”. デイリースポーツ (2012年1月21日). 2012年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月1日閲覧。
  13. ^ 荻野貴 3度手術の右膝完治目指す 開幕こだわらず”. スポーツニッポン (2012年1月21日). 2021年7月1日閲覧。
  14. ^ 【ロッテ】荻野貴1年ぶりの1軍復帰”. 日刊スポーツ (2012年6月13日). 2021年7月1日閲覧。
  15. ^ 荻野貴が帰ってきた!そして期待通りに俊足を披露 2012.06.13 M-C - YouTube
  16. ^ a b ロッテ・荻野、国内FA権を行使せず残留 7年前の代走での応援歌は「嬉しかった」”. BASEBALL KING (2019年10月31日). 2020年11月10日閲覧。
  17. ^ 荻野貴、今季初スタメンで復帰後初ヒット! 2012.06.14 M-C - YouTube
  18. ^ 【ロッテ】荻野同点弾「滅多に出ない」”. 日刊スポーツ (2012年8月1日). 2021年7月1日閲覧。
  19. ^ 成瀬、自責0で敗戦投手に…名手・荻野貴が痛恨失策”. スポニチ Sponichi Annex (2012年8月17日). 2021年7月1日閲覧。
  20. ^ オリ竹原 ずっこけランニング弾献上も…一発&勝った”. スポニチ (2014年5月7日). 2014年12月17日閲覧。
  21. ^ ロッテ荻野貴が今季絶望…左肩関節窩骨折”. 日刊スポーツ (2014年6月27日). 2015年1月1日閲覧。
  22. ^ ロッテ荻野、左内腹斜筋肉離れで全治4~6週間”. 日刊スポーツ (2016年4月29日). 2021年7月1日閲覧。
  23. ^ ロッテ 荻野 肉離れで全治3週間”. スポニチアネックス (2016年9月20日). 2021年7月1日閲覧。
  24. ^ ロッテ荻野背番0に「ケガがゼロになればいい」”. 日刊スポーツ (2016年12月15日). 2021年7月1日閲覧。
  25. ^ ケガ0の願いは叶わず…最年長外野手として迎える千葉ロッテ・荻野貴司の10年目”. パ・リーグ インサイト (2018年11月15日). 2021年7月1日閲覧。
  26. ^ ロッテ荻野「力入りやすい」超短尺バットで打撃練習”. 日刊スポーツ (2019年1月21日). 2020年11月10日閲覧。
  27. ^ 2019年度 千葉ロッテマリーンズ 個人打撃成績(オープン戦)”. NPB. 2021年7月1日閲覧。
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  29. ^ 【千葉魂】荻野支えた「塞翁が馬」 プロ10年目“初”づくし”. 千葉日報 (2019年8月27日). 2020年11月10日閲覧。
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  32. ^ 8/22(木)荻野貴選手が通算200盗塁達成!!”. 千葉ロッテマリーンズ (2019年8月22日). 2021年7月1日閲覧。
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関連項目

外部リンク


 

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