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⛳|神奈月、「芸がうますぎて」オーディション全敗、葛藤続きの下積み時代


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神奈月、「芸がうますぎて」オーディション全敗、葛藤続きの下積み時代

 
内容をざっくり書くと
テレビ東京さんからも出演依頼が来たりして『もしかしたら全国区になれるかも』と17歳の僕は考えたわけです。
 

原辰徳のポーズを取る神奈月 「ゴルフを始めて15年になります。スコアは平均すると80台。岡山県内のコ… →このまま続きを読む

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全国区制

全国区制(ぜんこくくせい)とは、選挙区を区分せず全国を一つの選挙区とする選挙制度である。

概説

日本では1947年から1980年まで、参議院議員通常選挙で行われていた。定数100人の全国区(1950年以降は半数改選のため改選数は50人ずつ)として、全国一選挙区で個人名で投票する選挙を行っていた。

全国区制を導入した理由は、法案が貴族院に提出された1946年12月に大村清一内務大臣が、「全国的に有名有為で優れた学識経験を持つ人材を簡抜することを主眼とし、職能的知識経験を有する者が選挙される可能性を生じさせることで、職能代表制を有する長所を採り入れることも目的としている」と説明している[1]

全国一選挙区であるため、候補者は一地域の有権者ではなく、全国の有権者が全て同じ候補者であり、ゲリマンダー一票の格差の問題が生じることなく、全て等しい条件で審判が下される制度であった。

一方で、全国各地を回る必要があることから、選挙費用がかかる制度である故に金権選挙になる傾向があり「銭酷区」、「八当七落」、「十当九落」などと皮肉られる問題もあった(金権選挙を参照)。実際に、労働組合・業界団体・宗教団体などといった大きな組織をもつ組織内候補や、知名度の高いタレント候補に有利な制度であった。また、全国一選挙区で候補者が乱立していた(大体、定数50人に対して90人から110人が立候補していた)ために、有権者にとって候補者との距離を遠く感じさせる選挙という意見も存在した。

全国区制は、無所属で立候補することが可能であった。

参議院選挙は半数改選のため、組織が全国区で擁立した候補を当選させた場合は、3年後の参議院選挙でもう一人の別の候補を擁立することになる。

全国から票を得られるので他の当選者の数倍の得票を得た候補者もいたが、単記非移譲式投票であるため議席を一つしか得られず、取り過ぎて余った票(広義の死票)が目立つ制度でもあった。さらに夏に選挙が行われ、全国を回ることから体力の消費が非常に激しく、当選したにもかかわらず直後に死去してしまうという事例も発生した。

以上の問題点により、1983年の参院選からは政党名で投票する拘束名簿式の比例代表制に変更され、参議院比例区となった。2001年以後は現在の非拘束名簿式による比例代表制に変更されたため、実質的に全国区制が復活したと指摘する意見もある。

選挙結果

全国区上位当選者

全国区上位当選者一覧
1位当選者2位当選者3位当選者4位当選者5位当選者
11947年星一48万7612柳川宗左衛門48万0927早川慎一43万5679松本治一郎41万5494高橋龍太郎37万0934
21950年山川良一61万0611高木正夫61万0025加藤正人58万9120杉山昌作45万8246岩沢忠恭41万9890
31953年宇垣一成51万3863加賀山之雄49万4543横川信夫43万9469鹿島守之助43万2650上林忠次41万2327
41956年加藤シヅエ75万0232加藤正人46万2780高田なほ子46万1593中村正雄45万2467下条康麿41万0072
51959年米田正文94万1053鹿島守之助93万1726辻政信68万3256前田久吉66万6067石田次男66万3602
61962年藤原あき116万5046加藤シヅエ111万0024長谷川仁81万0650迫水久常78万0608源田実73万2896
71965年鹿島守之助101万4545春日正一87万5093玉置和郎85万4473田中寿美子85万4272須藤五郎77万7270
81968年石原慎太郎301万2552青島幸男120万3431上田哲104万6709今東光101万5872重宗雄三88万2036
91971年田英夫192万1640志村愛子
安西愛子
149万1669望月優子111万6839町村金五95万2130栗林卓司82万1067
101974年宮田輝259万5236市川房枝193万8169青島幸男183万3618鳩山威一郎150万4561山東昭子125万6724
111977年田英夫158万7262江田五月139万2475福島茂夫127万7731玉置和郎111万9598梶木又三111万9430
121980年市川房枝278万4998青島幸男224万7157鳩山威一郎200万5694宮田輝184万4286中山千夏161万9629

全国区下位当選者

全国区下位当選者一覧
下位5位当選者下位4位当選者下位3位当選者下位2位当選者最下位当選者
11947年6年議員岡村文四郎13万4525鬼丸義斎13万0816井上なつゑ12万8728小泉秀吉12万7129岡本愛祐12万3679
3年議員伊東隆治7万1324細川嘉六7万1171小杉イ子7万0330仲子隆6万8481国井淳一6万8128
21950年小川久義14万8254鈴木恭一14万7224椿繁夫14万5807山花秀雄14万5617寺尾豊14万4524
31953年関根久蔵16万4701大谷贇雄16万2624八木秀次16万1328柏木庫治16万0091楠見義男15万9762
41956年光村甚助25万5076稲浦鹿蔵25万4781内村清次25万4137柴谷要24万2990小西英雄24万0711
51959年基政七28万3309豊瀬禎一27万9330徳永正利27万6000中村順造27万0942向井長年26万6150
61962年柴谷要39万5797森田たま39万4958光村甚助38万7473松村秀逸38万2149阿部竹松37万6901
71965年金丸冨夫45万0731山高しげり45万0072梶原茂嘉44万3891米田正文44万0944石本茂43万9909
81968年安永英雄51万1587阿具根登50万5332高山恒雄49万2808横川正市47万7493北村暢46万1500
91971年水口宏三48万7161鈴木力47万8723宮之原貞光47万0491青木一男44万5789立川談志44万3854
101974年小巻敏雄57万5110森下泰57万3969岩間正男57万3556上田稔57万3496近藤忠孝57万3211
111977年石本茂65万1553宮之原貞光63万8364佐藤三吾62万5721市川正一60万8924穐山篤58万2847
121980年柄谷道一68万6514伊藤郁男68万3502立木洋67万4958粕谷照美66万4826和田静夫64万2554

第2回以降は欠員補充のため下位当選の何人かが半期(任期3年)議員となっている(背景ピンクの候補者)。なお第3回参院選で当選した楠見義男は1954年10月の栃木県佐野市での再選挙の結果落選。次点だった平林剛が半期議員として当選した。また第4回参院選で当選した小西英雄は1959年2月に東京高裁の当選無効判決[2]について最高裁で上告が棄却され判決が確定し議員を退職[3]。次点だった上条愛一が半期議員として当選した。

全国区上位落選者

全国区上位落選者一覧
次点落選者次々点落選者3番目落選者4番目落選者5番目落選者
11947年6万56426万5642渡部義通6万5023聴濤克巳6万47656万4617
21950年14万3330門屋盛一14万320114万2765松平康東14万1033林了13万9701
31953年平林剛15万938115万847215万7632寺田甚吉15万3788椿繁夫15万3259
41956年上条愛一24万0617岡田修一23万5062北畠教真23万2849竹中治22万943322万7549
51959年後藤俊男26万6059鈴木市蔵26万3485柴谷要25万6140林塩25万6031豊田雅孝25万4761
61962年山高しげり37万517237万4843常岡一郎36万7828平林剛35万627335万5844
71965年石谷憲男43万2644阿具根登41万850041万7596北川義行41万4701豊瀬禎一40万9457
81968年塩崎潤45万2823石本茂44万840943万387842万990342万9517
91971年黒住忠行40万8045野末陳平40万0359横山フク38万817136万1408小林章35万7399
101974年山下春江56万6309村上正邦55万2854田中忠雄55万0689田沢智治54万211951万6159
111977年佐藤敬夫55万9318加藤進55万8685近藤忠孝53万7604春日正一53万0785望月優子52万8228
121980年秦豊62万7272安永英雄62万3252渡辺武62万1135内藤功61万776860万5410

背景青の候補者は、後に繰り上げ当選した候補者。第3回参院選で次点だった平林剛は1954年10月の再選挙で当選。第4回参院選で次点だった上条愛一は小西英雄の当選無効判決の確定により当選[4]

呼称

全国行脚による選挙活動で疲労し切って当選確定直後に急死した候補者が実際にいたため、全国区ならぬ「残酷区(ざんこくく)」と揶揄されていた。また、全国を飛び回る交通費も膨大であったため「銭酷区(ぜにこくく)」とも呼ばれていた。以下にその実例を示す。

脚注

  1. ^ 地方自治研究資料センター「戦後自治史Ⅲ(参議院議員選挙法の制定)」(文生書院)
  2. ^ 裁判例結果詳細 | 裁判所 - Courts in Japan”. www.courts.go.jp. 2021年2月20日閲覧。
  3. ^ 『参議院先例録 平成25年版』123頁。
  4. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』253頁。

関連項目


 

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