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⛳|巻き起こる論争 ブライソン・デシャンボーの勝利でゴルフの未来が変わる?


写真 理論派、科学者、肉体改造 デシャンボーの勝利がゴルフを変える?(撮影:GettyImages)

巻き起こる論争 ブライソン・デシャンボーの勝利でゴルフの未来が変わる?

 
内容をざっくり書くと
それでも彼は自分の方法を見つけ出して勝利した」とローリー・マキロイ(北アイルランド)。
 

“ゴルフの革命”、“ゲームチェンジャー”…。ブライソン・デシャンボー(27歳・米国)の「全米オープン… →このまま続きを読む

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ローリー・マキロイ

ローリー・マキロイ, MBE(Rory McIlroy、別表記ロリー・マキロイローリー・マクロイなど[1]1989年5月4日 - )は、イギリス北アイルランドダウン県ハリウッド出身のプロゴルファー。2015-16・2018-19フェデックスカップ総合優勝。4度のメジャー制覇を果たしている。世界ゴルフランキングにおいて約5年ぶりに1位に復帰。(2020年第6週〜2020年第28週)しかし、2020年第29週に行われたメモリアルトーナメントで優勝したジョン・ラームに1位の座を明け渡す結果となった。

2007年、17歳の時に世界アマチュアゴルフランキングにおいて1週間首位の座につくなどの実績を残し同年9月プロに転向、欧州PGAツアーに参戦した。欧州ツアーでは2009年、PGAツアーでは2010年に初勝利を挙げている。また2010年のライダーカップに欧州代表として出場している他、アマチュア時代にも2004年のジュニアライダーカップに出場するなどの代表経験がある。

2011年6月19日全米オープンでトータル16アンダー、2位に8打差をつける記録でメジャー初制覇を成し遂げた。マキロイはこのとき22歳で、1923年の全米オープンを制覇したボビー・ジョーンズ(当時21歳)に次ぐ年少記録であり、「最も将来を期待されている若手[2]」と評するメディアもある。またこの勝利により2011年第25週の世界ゴルフランキングでは前週の8位から4位になった[3]

生い立ち

北アイルランドの首府ベルファスト近郊にある人口12,000人程の港町ハリウッド  (Holywood に、ゲリー、ロージー・マキロイ夫妻の一人息子として生まれた[4]。父ゲリー・マキロイ自身、スクラッチ(ハンデなし)でプレイしたこともある腕前のゴルファーで[5]、ローリーは生後18カ月のころから父親にゴルフを教えられて[6][7]、2歳のころには40ヤード(約36メートル)飛ばすなど幼くしてゴルフの才能の片鱗をみせていた[8]。スポーツに熱中する性格で、ほとんど毎日ゴルフ場に連れて行ってくれるようせがみ、新しいクラブをプレゼントにもらって正しいグリップの握り方を父から教わると、夜寝る時もベッドにクラブを持ち込みクラブをきちんと握ったまま寝ていたという。またニック・ファルドの出したゴルフ・テクニックのビデオがお気に入りであった[9]。マキロイのゴルフの才能が開花しはじめると、父ゲリーは仕事を掛け持ちし、母ロージーも地元にある3Mの工場で夜勤するなどして息子のプレー費を捻出した[10]。やがてマキロイは同年代の競技会では負け無しとなり、フロリダ州マイアミのドラル・ゴルフリゾート・アンド・スパで行われた9-10歳グループの世界大会で、国際的な大会での初優勝を遂げた[6][11]

マキロイがはじめゴルフを学んだのは地元にあるハリウッドゴルフクラブであるが、そこは今でもマキロイのホーム・コースである。このハリウッドゴルフクラブは1904年に創設された全18ホール、全長6,000ヤード超、バックティーからのパースコアは69打のパークランドコースで、マキロイはこのコースについて、その後トップ・プレイヤーになるために必要なすべてのスキルを学んだコースと述べている[12]。マキロイは7歳のときクラブのメンバー(過去最年少のメンバー)となり[13]、練習はクラブ所属の元プロゴルファー、マイケル・バノンに師事した。バノンは現在でもマキロイのコーチであり献身的指導者である[14]。なおこのクラブの近くには素晴らしいゴルフ場がいくつかあり、中でも著名なものとしてロイヤル・ベルファスト・ゴルフクラブや、難コースで知られ米ゴルフダイジェスト誌によって米国外で最高のコースと評されたロイヤル・カントリーダウン・ゴルフクラブなどがある[15]

プロ経歴

2007年

マキロイは、欧州PGAツアー「ブリティッシュ・マスターズ」の前日である2007年9月19日にプロ転向を宣言した。翌日から出場したブリティッシュ・マスターズではトータル290打(+2)で42位であった。

10月のアルフレッド・ダンヒル・リンクス選手権では、優勝したと3打差の3位と躍進した。さらに翌週の欧州ツアー「オープン・デ・マドリード」では4位につけ、2008年のシード権を獲得した。2007年シーズンの獲得賞金額は27万7,255ユーロ、賞金順位は95位であった[16]

2008年

シーズン前の2007年12月、タイガー・ウッズが主催するオフシーズンのゴルフ・トーナメント、ターゲット・ワールド・チャレンジに招待されたがスケジュールの都合で辞退した。マキロイは「プロになったばかりの自分を招待してくれたなんて身震いする思いだった」と語り、「ただこの試合にでると、タイガーが主催する来年7月のAT&Tナショナルにも出場しなければならず、そうなると来年のヨーロピアン・オープンとスケジュールがぶつかってしまう。ヨーロピアン・オープンに出場しないなんて愚かなことだ。」と辞退の理由を述べている[17][18]

2008年シーズンはUBS香港オープンからスタートしたが、予選通過ライン1アンダーに対して、第1ラウンドでは69打、第2ラウンドでは74打と4オーバーとなり、プロ初の予選落ちを味わった[19]オーストラリアで開催されたマスターカード・マスターズでは15位タイと持ち直している。

2008年1月27日付けのワールドゴルフランキングで、初めてトップ200位に入る。

9月7日、スイスクラン・モンタナで開催されたオメガ・ヨーロピアン・マスターズにおいて、マキロイは2位に4打差をつけ首位で最終日を迎えるが、最終日18ホールの4フィート・パットを外して優勝を逃し、勝敗はフランスのジャン=フランソワ・リューキンとのプレイオフに持ち込まれた。最終的にマキロイは2フィートのパットを外し、リューキンが15フィートパットを決め勝利した[20]

2008年シーズンはワールドランキングで100位以内に入り欧州ツアー獲得賞金ランク36位であった。

2009年 

2008年11月のUBS香港オープンを2位で終えた後[21]、マキロイは19歳6か月という過去最年少の記録でワールドゴルフランキング50位に入る。(この記録は後に石川遼マッテオ・マナセロによって破られた。)その後出場した南アフリカオープンでは3位となり、2008年のワールドゴルフランキング最終順位は39位であった。この成績によって、プロ転向後わずか18カ月にして2009年4月開催のマスターズから招待状が届く。マキロイがプロ初勝利を挙げたのは2009年2月に開催されたドバイ・デザート・クラシックであり、この勝利で世界ランキングは16位に上昇した[22]

2009年のWGCアクセンチュアマッチプレー選手権で、マキロイは4回戦進出を遂げた。1回戦では南アフリカのを 2 & 1で破り、2回戦ではを 1-up で退け、3回戦では 4 & 3でを下したが、4回戦でジェフ・オギルビーに2 & 1で敗れた。なおオギルビーはその後ポール・ケーシースチュワート・シンクに勝利して優勝している[23]。マキロイは5月までPGAツアーに参戦し、ホンダ・クラシックで13位タイ、CA選手権で20位タイ、シェル・ヒューストン・オープンでは19位タイと好成績を収めた。

2009年4月、マキロイは初のメジャー大会としてマスターズに初出場した。最終順位はトータル2アンダーの20位であった。予選通過選手中の飛距離ランキングではダスティン・ジョンソン、に次ぐ3位であった[24]。マスターズの後2試合に出場したが、ザ・プレーヤーズ選手権では予選落ちしている。

その後欧州に戻り、全米オープンに出場するまでの間に、BMW PGA選手権では5位、ヨーロピアン・オープンでは12位と2試合でトップ25位内に入っている。メジャー第2戦目は2009年の全米オープンであり、最終ラウンドを68打(2アンダー)と結果10位タイで終え、メジャー大会初のトップ10入りを果たした。翌週BMWインターナショナル・オープンでは15位。7月には全英オープンに初出場し47位タイ、8月の全米プロゴルフ選手権では3位タイと2011年の全米オープン優勝に次ぐ好成績であった。

2009年の「レース・トゥ・ドバイ」ではリー・ウエストウッドに次ぐ2位でシーズンを終え、11月にはセルヒオ・ガルシアに次ぐ若さで世界ランキングで初のトップ10入り(9位)を果たした。また2010年シーズンはPGAツアーに参戦すると発表した[25]

ゲーリー・プレーヤーはマキロイについて「このままいけば、そしてきちんと指導されれば、彼の年代での世界最高の選手になれるだろう。(中略)だが彼はタイガー・ウッズのような肉体を手に入れることができるだろうか?この若い選手は朝6時にジムに通うだろうか?私には分からない。彼はタイガー・ウッズの持つ強さやその他すべての能力をもっているのだろうか?私には分からない[26]。」と述べている。なおマキロイは12月にサンシティ (南アフリカ)で開かれた、ゲーリー・プレーヤーがトーナメント・ホストを務めるネドバンク・ゴルフチャレンジに招待され出場する予定であったが、体調不良のため欠場している。

2010年

2010年シーズンはアブダビHSBCゴルフ選手権で3位に入るなど好調な出足であった。ドバイ・デザート・クラシックでは、最終日を73打でまわるなどして連覇は逃したものの5位につけた。

2010年のWGCアクセンチュアマッチプレー選手権では、第1回戦ではを1-up で下したが、にプレイオフの末敗れた。この選手権の後、背筋痛のためツアーを一時離脱する。

2週間後、復帰したマキロイはホンダ・クラシックに出場、結果は40位タイであった。

5月2日、マキロイはクエイル・ホロー選手権でPGAツアー初優勝を遂げた。5アンダーでスタートした最終日、1イーグル・8バーディーでコースレコードの62を記録する逆転勝利であり[27]、タイガー・ウッズが1996年に21歳でツアー初優勝した記録を抜く史上最年少でのPGAツアー優勝であった[28]。この勝利で2年間のPGAツアーシード権を獲得している。6月2日、マキロイは、メモリアル・スキンズ・トーナメント(オハイオ州ダブリンにあるジャック・ニクラスの設計したゴルフコース、ミュアフィールド・ヴィレッジ・ゴルフクラブで開催された)に出場し、何かと比較されるようになったタイガー・ウッズとラウンドをまわった。結果は10位タイであった。

7月15日、全英オープンに出場したマキロイは、初日セント・アンドルーズ オールド・コースとの相性の良さを示す9アンダー63の記録的スコアをたたき出した。63打は150年の歴史を持つ全英オープンでも最小打数タイ(コースレコード)であり、初日に記録したのはマキロイのみである[29]。17番、通称「ロード・ホール」でパットを失敗しなければ記録はさらに伸びたであろう。翌金曜日は天候が悪く80打と崩れた。土曜は68打、日曜は69打で最終順位は3位タイとなり、世界ランキングは7位に上昇した。

8月の全米プロゴルフ選手権では15番グリーンで3パットを叩き首位タイから陥落、最終ホールのバーディーパットもわずかに外れ、プレーオフを逃し3位タイとなった。なおプレーオフではマルティン・カイマーバッバ・ワトソンを下し優勝している。マキロイがメジャー大会で3位に入ったのはこれで3度目である。

10月4日に行われたライダーカップには欧州代表として出場、個人戦引き分けで0.5ポイント稼ぐなどして欧州の勝利に貢献した。ライダーカップ後の11月、マキロイは2011年シーズンは欧州ツアーを主戦場とすると発表した。米ツアーでは引き続き11から12試合は出場し続ける予定だがツアーメンバーとしてではない。理由として、欧州ツアーに親しい友人がいること、ライダーカップ勝利で果たした自分の役割、ガールフレンドや家族と近くにいたいことなどを挙げている[30][31]

2011年

2011年、メジャー初戦となるマスターズで最終日首位でスタートするが、大きくスコアを崩し、最終的には15位まで順位を落とした。しかし、メジャー第2戦の全米オープンで、大会新記録となる通算16アンダーを記録し[32]メジャー初優勝[33]

私生活

2011年の7月からプロテニス選手のキャロライン・ウォズニアッキと交際[34]、2014年1月1日、婚約を発表した[35]が、5月に婚約を破棄した[36]。その後、2014年に全米プロゴルフ協会職員のエリカ・ストールと交際し、2015年に正式に婚約[37]。2017年4月22日に結婚式を行った[38]。 2020年8月31日、妻エリカさんとの間に第一子となる娘が誕生し、ポピー・ケネディ・マキロイと名付けた。

通算成績 (27勝)

PGAツアー (18勝)

凡例
メジャー大会 (4)
World Golf Championships (3)
フェデックスカッププレーオフ (5)
その他 (6)
日付トーナメント名スコアアンダーパー2位との差2位(タイ)
12010年5月2日クエイル・ホロー選手権72–73–66–62=273)-154打差アメリカ合衆国の旗 フィル・ミケルソン
22011年6月19日全米オープン65–66–68–69=268-168打差オーストラリアの旗 ジェイソン・デイ
32012年3月4日ザ・ホンダ・クラシック66-67-66-69=268–122打差アメリカ合衆国の旗 タイガー・ウッズアメリカ合衆国の旗
42012年8月12日全米プロゴルフ選手権67-75-67-66=275-138打差イングランドの旗
52012年9月3日ドイツ銀行選手権65-65-67-67=264-201打差南アフリカ共和国の旗
62012年9月9日BMW選手権64-68-69-67=268-202打差アメリカ合衆国の旗 フィル・ミケルソンイングランドの旗 リー・ウエストウッド
72014年7月20日全英オープン67-75-67-66=275-172打差アメリカ合衆国の旗 リッキー・ファウラースペインの旗 セルヒオ・ガルシア
82014年8月3日WGCブリヂストン・インビテーショナル69-64-66-66=265-152打差スペインの旗 セルヒオ・ガルシア
92014年8月10日全米プロゴルフ選手権66-67-67-68=268-161打差アメリカ合衆国の旗 フィル・ミケルソン
102015年5月3日WGCキャデラック・マッチプレー4 & 2アメリカ合衆国の旗
112015年5月17日ウェルズ・ファーゴ選手権 (2)70-67-61-69=267−217打差アメリカ合衆国の旗 , アメリカ合衆国の旗
122016年9月5日ドイツ銀行選手権71-67-66-65=269-152打差イングランドの旗 ポール・ケーシー
132016年9月25日ザ・ツアーチャンピオンシップ68-70-66-64=268−12プレーオフアメリカ合衆国の旗アメリカ合衆国の旗
142018年3月18日アーノルド・パーマー招待270−183打差アメリカ合衆国の旗 ブライソン・デシャンボー
152019年3月17日ザ・プレーヤーズ選手権272−161打差アメリカ合衆国の旗 ジム・フューリク
162019年6月9日RBCカナディアン・オープン67-66-64-61=258−227打差アイルランドの旗 シェーンローリー(golfer), アメリカ合衆国の旗 Webb Simpson
172019年8月25日ザ・ツアーチャンピオンシップ (2) 66-67-68-66=267−1814打差アメリカ合衆国の旗
182019年11月3日HSBCチャンピオンズ67-67-67-68=269−19プレーオフアメリカ合衆国の旗

1Started tournament at −5 FedEx Cup playoffs adjustment, scored −13 to par.

プレーオフ記録(1–2)

No.Year大会相手結果
12012ウェルズ・ファーゴ選手権アメリカ合衆国の旗 リッキー・ファウラー, アメリカ合衆国の旗1ホール目、ファウラーがバーディーで優勝。
22014ザ・ホンダ・クラシックアメリカ合衆国の旗 , スコットランドの旗 , アメリカ合衆国の旗1ホール目、ヘンリーがバーディーで優勝。
32016ツアーチャンピオンシップアメリカ合衆国の旗 , アメリカ合衆国の旗4ホール目、バーディーを決め優勝。

ヨーロピアンツアー (14勝)

Legend
Major championships (4)
World Golf Championships (3)
Race to Dubai finals series (2)
Other European Tour (5)


No.年月日トーナメントスコアアンダーパー2位との差2位(タイ)
12009年2月1日ドバイ・デザート・クラシック64-68-67-70=269−191打差イングランドの旗 ジャスティン・ローズ
22011年6月19日全米オープン65-66-68-69
=268
−168打差オーストラリアの旗 ジェイソン・デイ
32011年12月4日UBS香港オープン
(アジアンツアーとの共催)
64-69-70-65
=268
−122打差フランスの旗
42012年8月12日全米プロゴルフ選手権67-75-67-66
=275
−138打差イングランドの旗
52012年11月25日DPワールド・ツアーチャンピオンシップ・ドバイ66-67-66-66
=265
−232打差イングランドの旗 ジャスティン・ローズ
62014年5月25日BMW PGA選手権68-71-69-66
=274
−141打差アイルランドの旗
72014年7月20日全英オープン67-75-67-66
=275
−172打差アメリカ合衆国の旗 リッキー・ファウラースペインの旗 セルヒオ・ガルシア
82014年8月3日WGCブリヂストン・インビテーショナル69-64-66-66Z
=265
−152打差スペインの旗 セルヒオ・ガルシア
92014年8月10日全米プロゴルフ選手権66-67-67-68
=268
−161打差アメリカ合衆国の旗フィル・ミケルソン
102015年2月1日ドバイ・デザート・クラシック66-64-66-70
=266
−223打差スウェーデンの旗
112015年5月3日WGCキャデラック・マッチプレー4 & 2アメリカ合衆国の旗
122015年11月22日DPワールド・ツアーチャンピオンシップ・ドバイ (2)68-68-65-66
=267
−211打差イングランドの旗
132016年5月22日ドバイデューティーフリー・アイリッシュ・オープン67-70-70-69
=276
−123打差ウェールズの旗 , スコットランドの旗
142019年11月3日HSBCチャンピオンズ67-67-67-68
=269
−19Playoffアメリカ合衆国の旗

豪PGAツアー優勝(1)

No.年月日トーナメントスコア打差2位
12013年12月1日エミレーツ・オーストラリアン・オープン-18 (69-65-70-66=270)1打差オーストラリアの旗 アダム・スコット

その他

4大メジャートーナメントの成績

トーナメント20072008200920102011201220132014201520162017201820192020
マスターズDNPDNPT20CUTT15T40T25T84T10T7T5T21T5
全米オープンDNPDNPT10CUT1CUTT41T23T9CUTCUTCUTT9T8
全英オープンT42LADNPT47T3T25T60CUT1DNPT5T4T2CUTCCL
全米プロDNPDNPT3T3T641T8117CUTT2250TT8T33

LA = ローアマチュア
DNP = 不参加
T = タイ
CUT = 予選落ち

CCL=中止
背景黄色 = 10位内入賞
背景緑色 = 優勝

World Golf Championships の成績

大会200920102011201220132014201520162017201820192020
キャデラックT20T65T103T8T25T9T3T7DNP25
デルQFR32R322R64R3214T30T36T9CCL
ブリヂストンT68T9T6T5T271DNPDNPT5T6T4T47
HSBC45T4DNPT6DNPT11T4DNPDNP1

DNP = 不参加
T = タイ
CUT = 予選落ち

CCL=中止
背景黄色 = 10位内入賞
背景緑色 = 優勝

R64, R32, R16, QF = 敗退

脚注・出典

[脚注の使い方]
  1. ^ マクロイ? マキロイ? マッキャロイ? 気になる表記、正しくは…(週刊ゴルフダイジェスト 7/12号)”. ゴルフダイジェスト (2011年7月4日). 2011年8月10日閲覧。
  2. ^ ローリー・マキロイ プロフィール”. ゴルフ情報ALBA (2011年6月19日). 2011年7月8日閲覧。
  3. ^ Official World Golf Ranking 2011, Week 25” (2011年6月20日). 2012年4月4日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2011年7月8日閲覧。
  4. ^ NBC Sports television broadcast of 2011 U.S. Open, June 19, 2011
  5. ^ NBC Sports television broadcast of 2011 U.S. Open, June 19, 2011
  6. ^ a b Thanks Dad: The best Father's Day present ever as golf's new superstar dedicates stunning U.S. Open victory to his parents”. Daily Mail (2011年6月20日). 2011年6月20日閲覧。
  7. ^ 米ゴルフウィーク誌記者 ジム・マッケイブ (2011年6月22日). “全米オープン圧勝、マキロイはウッズになる必要はない ”. 日本経済新聞. 2011年7月7日閲覧。
  8. ^ Celtic Tiger has golf by the tail, by Mark Lamport-Stokes, Reuters, June 21, 2011
  9. ^ golfdigest.com, How Rory McIlroy won the U.S. Open, June 20, 2011
  10. ^ NBC Sports television broadcast of 2011 U.S. Open, June 18-19, 2011
  11. ^ NBC Sports coverage of 2011 U.S. Open, June 19, 2011
  12. ^ http://www.holywoodgolfclub.co.uk
  13. ^ The Golf Channel, Morning Drive show, June 21, 2011
  14. ^ NBC Sports television broadcast of 2011 U.S. Open, June 18-19, 2011
  15. ^ Golf Digest magazine, May 2010, 100 Best Golf Courses in the World
  16. ^ 第49回中日クラウンズ 外国人招待選手”. 2011年8月25日閲覧。
  17. ^ Bernie McGuire (2007年11月15日). “McIlroy too busy for date with Tiger”. Independent.ie. http://www.independent.ie/sport/golf/mcilroy-too-busy-for-date-with-tiger-1219315.html 2011年7月15日閲覧。 
  18. ^ "McIlroy says no to Tiger, he's too busy!" 15 November 2007, Belfast Telegraph
  19. ^ “McDowell in contention after 66”. BBC News. (2007年11月16日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/golf/7097937.stm 2010年5月22日閲覧。 
  20. ^ Crans-Montana – 1–4 September 2011”. Omega European Masters. 2011年6月19日閲覧。
  21. ^ [1][リンク切れ]
  22. ^ TWI Interactive. “Official World Golf Ranking – News – Full Story – 6/19/2011 3:18:46 pm”. Owgr.com. 2013年8月20日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2011年6月19日閲覧。
  23. ^ World Golf Championships-Accenture Match Play Championship – Rory McIlroy Scorecard”. Pgatour.com (2011年2月28日). 2011年6月4日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2011年6月19日閲覧。
  24. ^ Driving Distance Leaders – 2011 Masters Tournament”. Masters.com. 2011年6月19日閲覧。
  25. ^ Reason, Mark (2009年11月18日). “Rory McIlroy's self motivating qualities makes him favourite for the Race to Dubai”. The Daily Telegraph (London). http://www.telegraph.co.uk/sport/golf/europeantour/6599443/Rory-McIlroys-self-motivating-qualities-makes-him-favourite-for-the-Race-to-Dubai.html 2010年11月9日閲覧。 
  26. ^ Oliver Brown (2009年4月13日). “Rory McIlroy can become best in the world, says Gary Player”. The Telegraph. http://www.telegraph.co.uk/sport/golf/mastersaugusta/5146009/Rory-McIlroy-can-become-best-in-the-world-says-Gary-Player.html 2011年7月15日閲覧。 
  27. ^ “R・マキロイが大逆転優勝!米国ツアー初勝利!”. ゴルフ情報 ALBA. (2010年5月3日). http://www.alba.co.jp/news/article_l/no=11729 2011年7月15日閲覧。 
  28. ^ “Rory McIlroy breaks record to win maiden PGA Tour title”. BBC Sport. (2010年5月2日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/golf/8657581.stm 2010年5月4日閲覧。 
  29. ^ “マキロイ メジャー最少タイ63!”. スポニチ. (2010年7月16日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2010/07/16/20.html 2011年7月15日閲覧。 
  30. ^ “Rory McIlroy to focus on European Tour rather than PGA”. BBC Sport. (2010年11月9日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/golf/9169185.stm 2010年11月9日閲覧。 
  31. ^ “全米オープン優勝のR.マキロイ、米ツアーメンバー復帰の可能性は?”. ゴルフダイジェストオンライン. (2011年6月22日). http://news.golfdigest.co.jp/tournament/hotnews/tne000002835501.html?car=28239a07 2011年7月15日閲覧。 
  32. ^ それまでの記録は、2000年にタイガー・ウッズが出した12アンダー。
  33. ^ マキロイが初優勝、石川遼は30位…全米ゴルフ - 産経新聞 - 2011/6/20
  34. ^ “【イタすぎるセレブ達】スポーツ界の大物カップル誕生か? キャロライン・ウォズニアッキとローリー・マキロイのディナーデートが目撃される!”. TechinsightJapan. (2011年7月22日). http://japan.techinsight.jp/2011/07/kay1107192132.html 
  35. ^ “ゴルフ=マキロイとウォズニアッキ、ツイッターで婚約発表”. ロイター. (2014年1月1日). http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA0000U20140101 
  36. ^ “ゴルフ=マキロイ、ウォズニアッキとの婚約解消”. (2014年5月22日). http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPKBN0E201T20140522 
  37. ^ マキロイが来年4月に結婚式!招待状を送る
  38. ^ マキロイが古城で挙式!セレブ集結で厳重警戒 費用は1.3億円?

関連項目

外部リンク

受賞
先代:
グレーム・マクドウェル

2011
次代:
ケイティー・テイラー
先代:
トニー・マッコイ
RTÉスポーツ・パーソン・オブ・ザ・イヤー
2014
次代:

北アイルランド

北アイルランド
Northern Ireland英語
Tuaisceart Éireannアイルランド語
Norlin Airlannアルスター・スコットランド語
地域の標語:Dieu et mon droit
フランス語神と私の権利
地域の歌:ロンドンデリーの歌(事実上)
北アイルランドの位置
公用語英語アイルランド語
アルスター・スコットランド語
主都ベルファスト
最大の都市ベルファスト
政府
連合王国国王エリザベス2世
首相英語版
面積
総計13,843km2N/A
水面積率不明
人口
総計(2020年1,908,250人(N/A
人口密度138人/km2
GDP(PPP
合計(2002年332億ドル(N/A
1人あたり19,603ドル
発足アイルランド統治法 (1920年)
通貨UKポンド (£)(GBP
時間帯UTC GMT (UTC+0)(DST:UTC+1)
ISO 3166-1GB (GB-NIR)
ccTLD.ie, .uk
国際電話番号353 48, 44 28
国花シャムロック
守護聖人聖パトリック

北アイルランド(きたアイルランド、英語: Northern Irelandアイルランド語: Tuaisceart Éireann[1]アイルランド語発音: [ˈt̪ˠuəʃcəɾˠt̪ˠ ˈeːɾʲən̪ˠ]アルスター・スコットランド語: Norlin Airlann)は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)のアイルランド島北東部に位置する構成要素の一つである。北アイルランドについては、イギリスのカントリープロヴィンス地域など様々な表現がされている[2][3][4]

アイルランド島北東に位置するアルスター地方9県の内の6県からなるためアルスター6県とも称されている。 2015年に6県を廃止し、新たに11行政区が設置された。 アイルランド島でアイルランド共和国国境を接している。 面積は1万4139km2、首都は東岸に位置するベルファストである。

歴史

1920年に成立したアイルランド統治法によってアイルランドは南北に分割され、それぞれに自治権が付与された。その後に発生したアイルランド独立戦争の講和条約である英愛条約に基づいて、南部26県によりアイルランド自由国が建国され、グレートブリテン及びアイルランド連合王国より分離した際は北アイルランドも自由国の管轄内に含まれていた。しかしアイルランド自由国で内戦が始まったため、英愛条約の条項に基づいて北アイルランド議会は自由国からの離脱を表明して連合王国にとどまることになった。

19世紀にアイルランドがグレートブリテンおよびアイルランド連合王国へと併合されて以来、アイルランドにおいては(イギリスとの連合維持を主張)とナショナリスト(イギリスからの独立を主張)の対立が続いていた。アイルランド全土がイギリスに支配されていた時代から、北アイルランド地域はグレートブリテン島からの植民者が多数を占めており、ユニオニストの勢力が強かった。また、必ずしもアイルランド人即ちナショナリストではなく、経済的に考えると英国に帰属した方が有利であると考える者も多かった[5]。このようなことが考慮されて、北アイルランドはイギリス統治下に残留することになった。

1960年代後半になると、アメリカ合衆国公民権運動の影響を受けて、社会的に差別を受けていたカトリックの「一人一票」を要求する社会運動が活発になったが、プロテスタント主体であった北アイルランド政府はこれを抑圧、情勢は緊迫化し、深刻な分断と対立が発生した。以降、1990年代前半までIRA暫定派を始めとするナショナリストとユニオニスト双方の私兵組織と、政府当局(英陸軍、)とが相争う抗争が続き、血の日曜日事件など数多くの武力弾圧やテロによって数千名にものぼる死者が発生するなど、「北アイルランド紛争」と呼ばれる事態が生じ、社会と経済の混乱は極めて苛烈なものとなった。北アイルランド議会はこの事態に対処できなかったため、1972年3月30日の「1972年北アイルランド暫定法(en:Northern Ireland (Temporary Provisions) Act 1972)」で議会は停止され、翌1973年7月18日の「1973年北アイルランド憲法法(en:Northern Ireland Constitution Act 1973)」によって正式に廃止、翌1974年7月17日の「1974年北アイルランド法(en:Northern Ireland Act 1974)」によって、イギリス本国の枢密院による直接統治が行われるようになった。

1990年代になると和平への道が模索されはじめ、1998年になるとユニオニストおよびナショナリスト政党、私兵組織とイギリス、アイルランド両政府によってベルファスト合意が形成され、アイルランド政府は国民投票の結果北アイルランドの領有権を放棄、またこれに基づいて、全政党が参加する北アイルランド議会が復活した。この功績によって、穏健派政党の党首であるデヴィッド・トリンブルジョン・ヒュームノーベル平和賞が授与されている。過激派によるテロが収まったことを受け、シティグループ富士通など、外国企業による新たな直接投資が相次ぎ、経済成長を遂げている。

しかし2016年のイギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票で離脱派が賛成多数となったことを受け、再び南部との間の国境問題が浮上した。国境の取扱についてイギリス議会でも議論がまとまらず、同国のEU離脱は先延ばしを繰り返した。

政治

1960年代に北アイルランド問題が発生する以前、本土の政党との関係で言うと、アルスター統一党保守党に代わり、が自由党に代わり、それぞれストーモント議会The Parliament of Northern Ireland・旧議会)を支配していた。については、本土の労働党と強い協力関係を有していなかった。この他、アイルランド統一を掲げるとシン・フェインが活動していた。

1960年代の後半から1990年代にかけ、宗教差別を発端としたユニオニスト、ナショナリスト両勢力の私兵組織が騒乱やテロを繰り返す、いわゆる「北アイルランド問題」が巻き起こり、1972年にストーモント議会が廃止されてイギリス政府による直接統治が始まった。この社会的混乱に各政党も強い影響を受けた。アルスター統一党は、を批判して保守党との関係を断絶した。アルスター自由党は、自由民主党へと衣替えしたが支持を失い、現在、同盟党の姉妹政党に落ちついている。解党された北アイルランド労働党の一部の議員によって社会民主労働党が結党された。

近年になり、イギリスの主要政党が北アイルランドの選挙に参加しようとする動きが見られる。保守党は、1980年代の終わりから候補者を送り出しているが、ほとんど支持を得られていない。自由民主党は、同盟党を支援している。

ベルファスト合意から現在まで

現在のは、1998年ベルファスト合意によって設立が決定されたが、2002年から機能を停止した。同時に設置された北アイルランド議会The Northern Ireland Assembly)も、一時は、党派間の対立によって機能停止に追い込まれた。2003年の北アイルランド総選挙においては、強硬派のシン・フェインや民主統一党が穏健派以上の票を獲得するなど、政治的対立が先鋭化する傾向も見られる。2007年3月26日には、シン・フェインと民主統一党との間で自治機能を同年5月8日より再開させることで合意が形成されたものの、エネルギー政策をめぐる対立が激化し2017年1月に再び機能を停止。2020年1月10日にシン・フェインと民主統一党が自治政府再建で合意し、翌11日より議会が再開した[6]

北アイルランド議会における主要政党や、その議席数(2007年3月時点)については、北アイルランド議会#現議会を参照。

イギリス下院の総選挙においては、人口比に従って全646議席の内の18議席が北アイルランドに割り当てられている。2017年イギリス総選挙によって決定した現在の議席数は、民主統一党が10議席、シン・フェインが7議席、無所属が1議席で、社会民主労働党とアルスター統一党は議席を失った。シン・フェインの議員は、女王への宣誓の拒否、統一アイルランドを正統政府と見なす、などの信念から議会に参加していない。2017年の総選挙の結果、どの党も過半数を得られなかった(ハング・パーラメント)ために、保守統一党政権は民主統一党との閣外協力協議を始めた。シン・フェインに対しても、民主統一党に対抗して登院すべきという批判があがるなど、両党への注目は俄に高まっている。

行政区画

NI11w.jpg

次の11の行政区からなる。

  1. ベルファスト
  2. アーズ・アンド・ノース・ダウン
  3. アントリム・アンド・ニュータウンアベイ
  4. リスバーン・アンド・カースルレー
  5. ニューリー・モーン・アンド・ダウン
  6. アーマー・シティ・バンブリッジ・アンド・クレイガヴォン
  7. ミッド・アンド・イースト・アントリム
  8. コーズウェー・コースト・アンド・グランス
  9. ミッド・アルスター
  10. デリー・シティ・アンド・ストラバン
  11. ファーマナ・アンド・オマー

ベルファスト以外にはロンドンデリー、、アーマーリスバーンが主要都市として挙げられる。 世界遺産に登録されているジャイアンツ・コーズウェーとコーズウェー海岸を始めとする観光地も多い。

経済

北アイルランドの経済規模はイギリスの4地域中で最小である。主要産業は造船、ロープおよび繊維製造などであったが、次第にサービス業が占める比率が増加している。北アイルランド紛争により長年の停滞を経験したが、和平成立後はイギリスとアイルランド両国の好景気を受けて失業率が改善するなど落ち着きを取り戻しつつある。

人口あたりのGDPは2005年時点で19,603ユーロであり、北西イングランド地方やウェールズよりも多い[7]。1986年に17.2%にも及んでいた失業率は2001年には4.5%にまで減少した[8]。労働者の特徴として、他の英国内地域に比べて長時間勤務をおこなっていること、収入について性差が少ないことなどが挙げられる[9]

国民

宗教

北アイルランドの宗教
宗教名割合*
プロテスタント**
  
42%
ローマ・カトリック教会
  
41%
無宗教または無回答
  
17%
キリスト教以外
  
1%
*May not add to 100% due to rounding
** Church of Ireland, Presbyterian Church in Ireland and others

2001年に行われた調査では、北アイルランドの住民のうち45.5%がプロテスタントであった。この中には長老派アイルランド聖公会メソジストなどが含まれている。それに対してカトリック教徒は40.3%であった。その他の13.9%の住民は特定の宗派、宗教を有していない[10]

帰属意識

他の調査によると、住民の38%が自身をユニオニストであると規定し、同様に24%がナショナリスト、そして35%がどちらにも当てはまらないと回答している[11]。全体の59%は長期的な視野にたった英国による北アイルランド統治を是認すると述べ、22%が統一アイルランドの形成を支持している[12]。態度が不明確な層が存在するのは、北アイルランド同盟党が一定の支持を受けていることからも裏付けられる。最近の選挙においては、54%が親プロテスタント政党に投票し、42%が親カトリック政党へ、残りの4%がそれ以外の政党に投票している。

アイルランド共和国国籍

2005年以前に生まれた全ての住民には、アイルランド共和国の市民権が自動的に与えられていた。これはベルファスト合意を受けて2001年に制定されたアイルランド共和国の国籍法の条項によっている。ベルファスト合意においては、イギリスとアイルランド両国が北アイルランドの全ての住民にアイルランド人またはイギリス人となる権利を与えるとある。現在でもこれは大多数の住民に適用されている。

教育

言語

歴史的な経緯から、北アイルランドではイギリスとアイルランドの双方に由来する文化がみられる。言語は英語の他にアイルランド語アルスター・スコットランド語 (enが公用語として認められている。アイルランド共和国ではアイルランド語の復興運動により多くの国民がアイルランド語の知識を習得しているが、北アイルランドでは復興運動は乏しく、2011年の調査によるとアイルランド語の多少の知識がある人の割合は11%、読み書きが可能なレベルではわずか3.7%にとどまっている。また、アルスター・スコットランド語はさらに少数派で読み書きが可能なレベルの割合は0.9%に過ぎない。現在では中国系移民の増加を反映して中国語が2番目の母語集団となっている。

文化

この地域を象徴するものの一つとしてアマの花がある。

食事には特に特有のものはないが、[13]という朝食が著名である。ベーコン目玉焼きソーダパンまたはポテトパンからなる。

スポーツ

盛んなスポーツとしてはサッカーラグビーユニオンが挙げられるが、カトリック系住民の間ではゲーリック・ゲームズゲーリック・フットボールハーリング)の人気も高い。サッカー北アイルランド代表はこれまでFIFAワールドカップに3回、UEFA欧州選手権に1回出場しており、60~70年代に大活躍した名選手ジョージ・ベストは北アイルランドの出身である。サッカーの少年向けの国際大会であるミルク・カップも開催されている。ラグビーアイルランド代表は北アイルランドおよびアイルランド共和国との合同チームであり、世界的な強豪チームの一つである。

ゴルフでは、ローリー・マキロイが2011年の全米オープンを皮切りにメジャー選手権を4度制した他、グレアム・マクダウェルが2010年の全米オープン、ダレン・クラークが2011年の全英オープンでそれぞれ優勝している。スヌーカーでは、(1972年、1982年)と(1985年)という2人の世界チャンピオンを輩出している。モータースポーツでは、ジョン・ワトソン(年間総合順位の最高は1982年の3位)とエディ・アーバイン(同じく1999年の2位)という2人の有名F1ドライバーを生んでいる。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ An Roinn Dlí agus Cirt agus Comhionannais : Tuaisceart Éireann. Justice.ie. Retrieved on 2013-07-23.
  2. ^ S. Dunn; H. Dawson (2000), An Alphabetical Listing of Word, Name and Place in Northern Ireland and the Living Language of Conflict, Lampeter: Edwin Mellen Press, "One specific problem - in both general and particular senses - is to know what to call Northern Ireland itself: in the general sense, it is not a country, or a province, or a state - although some refer to it contemptuously as a statelet: the least controversial word appears to be jurisdiction, but this might change." 
  3. ^ J. Whyte; G. FitzGerald (1991), Interpreting Northern Ireland, Oxford: Oxford University Press, "One problem must be adverted to in writing about Northern Ireland. This is the question of what name to give to the various geographical entities. These names can be controversial, with the choice often revealing one's political preferences. ... some refer to Northern Ireland as a 'province'. That usage can arouse irritation particularly among nationalists, who claim the title 'province' should be properly reserved to the four historic provinces of Ireland-Ulster, Leinster, Munster, and Connacht. If I want to a label to apply to Northern Ireland I shall call it a 'region'. Unionists should find that title as acceptable as 'province': Northern Ireland appears as a region in the regional statistics of the United Kingdom published by the British government." 
  4. ^ D. Murphy (1979), A Place Apart, London: Penguin Books, "Next - what noun is appropriate to Northern Ireland? 'Province' won't do since one-third of the province is on the wrong side of the border. 'State' implies more self-determination than Northern Ireland has ever had and 'country' or 'nation' are blatantly absurd. 'Colony' has overtones that would be resented by both communities and 'statelet' sounds too patronizing, though outsiders might consider it more precise than anything else; so one is left with the unsatisfactory word 'region'." 
  5. ^ “Why is Northern Ireland part of the United Kingdom?”. The Economist. (2013年11月7日). ISSN 0013-0613. https://www.economist.com/the-economist-explains/2013/11/07/why-is-northern-ireland-part-of-the-united-kingdom 2019年11月1日閲覧。 
  6. ^ “英領北アイルランドで3年崩壊していた自治政府が復活 継続に向けて未だに残る不安”. 産経新聞. (2020年1月12日). https://www.sankei.com/world/news/200112/wor2001120027-n1.html 2020年1月12日閲覧。 
  7. ^ Regional GDP per capita in the EU25. 25 January 2005. Eurostat. URL accessed 10 May 2006.
  8. ^ "Northern Ireland's economic fears". 22 June 2001. Orla Ryan, BBC. URL accessed 10 May 2006.
  9. ^ Economic Overview. 2006. Northern Ireland DETI. URL accessed 10 May 2006.
  10. ^ Population in Northern Ireland: breakdown by religious denomination, Census 2001
  11. ^ Ark survey, 2003. Answer to the question "Generally speaking, do you think of yourself as a unionist, a nationalist or neither?"
  12. ^ Ark survey, 2004. Answers to the question "Do you think the long-term policy for Northern Ireland should be for it to [one of the following]"
  13. ^ The Ulster fry”. www.bbc.co.uk. BBC. 2020年6月9日閲覧。

関連項目

外部リンク

政府

観光


 

 

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