ポータルフィールドニュース

ポータルフィールドニュース

in ,

🚗|EWCのカレンダーが変更に。開幕戦ル・マン24時間は6月、オッシャースレーベン8時間は延期


写真 

EWCのカレンダーが変更に。開幕戦ル・マン24時間は6月、オッシャースレーベン8時間は延期

 
内容をざっくり書くと
日本人ライダーは高橋裕紀(F.C.C. TSRホンダ・フランス)、渡辺一樹(ヨシムラSERT Motul)が参戦する予定だ。
 

FIM(国際モーターサイクリズム連盟)は4月12日、フランスで4月17~18日に開催予定だったFIM… →このまま続きを読む

 AUTOSPORT web


Wikipedia関連ワード

説明がないものはWikipediaに該当項目がありません。

TSRホンダ

高橋裕紀

高橋裕紀(たかはし ゆうき、1984年7月12日 - )は、埼玉県北葛飾郡吉川町(現:吉川市)出身のオートバイレーサー。2004年の全日本ロードレース選手権GP250クラスチャンピオン。2005年~2013年までロードレース世界選手権参戦。2014年より再び全日本ロードレース選手権に参戦中。弟の高橋江紀もオートバイレーサーだった。

経歴

キャリア初期 - 全日本時代

3歳の誕生日に祖父にポケバイをプレゼントされるが、エンジン音を怖がり乗ることはなかった。7歳でポケバイに乗り始め、8歳でポケバイレースデビュー。1996年には全日本ポケットバイク選手権最優秀選手賞を受賞、ミニバイクレースへ転向する。またこの年に桶川塾へ入った。

2000年には全日本ロードレース選手権GP125クラスにデビュー、第9戦SUGOで初優勝を果たした。翌2001年は8戦中4勝を挙げ、仲城英幸に次ぐランキング2位となった。またこの年のロードレース世界選手権第13戦パシフィックGPもてぎ)125ccクラスのレースにワイルドカード枠で参戦し、グランプリデビューを果たした。

2002年よりアイ・ファクトリーを母体とするダイドーMIUレーシングに移籍しGP250クラスにステップアップ。第8戦英田でクラス初優勝を遂げ、年間ランキング7位でルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。またこの年のパシフィックGPにはHRCから250ccクラスにワイルドカード参戦し、3位表彰台に立つ活躍を見せた。このときの高橋の年齢は18歳と86日であり、日本人ライダーとして史上最年少の表彰台獲得記録となっている。

翌2003年もGP250に継続参戦、第4戦鈴鹿で1勝を挙げ、年間ランキングでは5位に成績を伸ばした。世界選手権には春の日本GP(鈴鹿)と秋のパシフィックGPの2戦に出場し、鈴鹿では自身2度目となる3位表彰台に立った。

そしてGP250クラス3年目となった2004年には6戦中4勝を挙げ、青山周平を抑えて初のチャンピオンに輝いた。

ロードレース世界選手権250ccクラス ( 2005 - 2008 )

前年のチャンプ獲得により、高橋はホンダが若手選手育成のために創設した「ホンダレーシングスカラシップ[1]」の第2期生に選ばれ、2005年よりロードレース世界選手権250ccクラスにフル参戦できることとなった。スカラシップの受け皿となったチーム・スコットよりRS250RWを駆りデビューを果たした初年度のベストリザルトは第12戦日本GPでの4位、年間ランキングでは11位となった。

2006年も同チームに残留[2]第5戦フランスGPでグランプリ初優勝を遂げた。その後第10戦ドイツGPにも勝利し、2勝を挙げて年間ランキング6位に成績を伸ばした。しかしこの年の7月には鈴鹿8耐に向けての練習走行中の転倒で左腕を骨折し1戦を欠場[3]最終戦バレンシアGPではフリー走行での転倒で大腿骨骨折の重傷を負う等[4]、怪我に泣かされたシーズンでもあった。

2年のスカラシップ期間を終え、フル参戦3年目を迎えた2007年シーズンもチームに残留した。大腿骨骨折の後遺症でリアブレーキのコントロールに苦しみ[5]第4戦中国GPではマシントラブルから転倒を喫して前年傷めた左腕を再び骨折してしまう等[6]、前年から続いて怪我との戦いとなってしまった。結局この年は一度も表彰台に立つこともなく、ランキングは11位に終わった。

チーム在籍4年目となった[7]2008年シーズン、高橋は勝利こそ挙げられなかったものの、開催された16戦中15戦をポイント圏内で完走、3戦で表彰台に立ち、クラス自己ベストとなる年間ランキング5位を記録した。

MotoGPクラス ( 2009 )

2008年よりチーム・スコットは最高峰MotoGPクラスにアンドレア・ドヴィツィオーゾをライダーに参戦を開始しており、2009年にはホンダワークスに抜擢されたドヴィツィオーゾの後任として高橋がMotoGPクラスデビューを果たすことになった。当初は高橋だけの1台体制だったが、第6戦カタルニアGPよりガボール・タルマクシが加入し2台体制となった。そして第8戦アメリカGPを前に、チームは資金難を主な理由に、高橋との契約を打ち切ることを発表した[8]。これにより、1992年の以降続いていた日本人ライダーの最高峰クラスへのレギュラー参戦が途絶えることになってしまった。

Moto2クラス ( 2010 - 2013)

2010年シーズンは250ccクラス後継のMoto2クラスへ、フランスのテック3チームから参戦した。第7戦カタルニアGPではアンドレア・イアンノーネのペナルティに助けられた形ではあったものの、2006年以来となるグランプリ3勝目を挙げた。しかしシーズンを通して見ると旋回性に問題を抱えたマシン[9]に苦しんで下位に沈んだり転倒を喫したレースも多く、年間ランキングは12位に留まった。

2011年は前年にチャンピオンのトニ・エリアスを輩出したグレシーニ・レーシングに移籍、モリワキのシャシーを駆ってクラス2年目のシーズンを迎える[10]。なおこの移籍に関しては、選択肢としてグレシーニだけではなく、moto2での最多シェアシャーシとなるスーターのメインチームであるマークVDSレーシングからもオファーされていたが、マークVDSではスコット・レディングに次ぐセカンドライダー待遇になるのに対して、グレシーニはファーストライダー待遇である点に加え、日本パッケージで戦えるという点からグレシーニへの移籍を決めたという[11]第3戦ポルトガルでは直前に弟の高橋江紀を交通事故で亡くし、辛い精神状態の中3位に入りこの年の初表彰台に上がると共に、江紀に表彰台を捧げた。翌第4戦フランスでも2位に入り連続表彰台となったが、転倒によるリタイヤも多く、またサスペンションの変更等によりマシンとのマッチングにも苦戦し、年間ランキングは11位に終わった。

2012年はグレシーニ・レーシングを離れ、フォワード・レーシングへと移籍し、スーターシャーシのマシンを駆る。第7戦よりスーターからFTRへとシャーシ変更を行っている。年間を通してセットアップに苦しみ、ようやく最終戦バレンシアGPにてポイントを獲得、年間ランキング30位となる。

2013年岡田忠之を率いるイデミツ・ホンダ・チーム・アジアよりエントリーする。ライダー・チーム・シャーシ(モリワキMD600)・サスペンション(ショーワ)・ブレーキ(NISSIN)・タイトルスポンサー(出光石油)など純国産パッケージでの参戦。第12戦イギリスまで参戦したがポイントを獲得することはできず、13戦以降はアズラン・シャー・カマルザマンが参戦することになった。

再び全日本へ ( 2014 - )

2014年は10年ぶりに全日本ロードレース選手権に同じく同年より参戦を再開したモリワキレーシングよりJ-GP2クラスに参戦。全6戦中4勝し、シリーズチャンピオンを獲得した。

2015年は引き続き全日本ロードレース選手権モリワキレーシングよりJ-GP2クラスに参戦した。全レースでポールポジションを獲得し、第5戦ツインリンクもてぎを除き全6戦中5勝し、シリーズチャンピオンを獲得した。第5戦は最終ビクトリーコーナーで生形秀之と接触し転倒したが、再スタートしトップでチェッカーを受けた。しかし、レースディレクションより失格また、次戦第8戦(第6戦はJSB1000クラスの未開催、第7戦は中止)で、予選トップ5タイム抹消のペナルティが科された。このペナルティにも関わらず第8戦でもポールポジションを獲得している。

また、アジアロードレース選手権にMuSASHi Boon Siew Honda RacingからSS600クラスに参戦。 全12レース中8勝し、年間チャンピオンを獲得した。

第15戦ツインリンクで行われたMotogpにもmoto2クラスにMORIWAKIからワイルドカードで参戦。14位でポイントを獲得した。

2016年は全日本ロードレース選手権モリワキレーシングより参戦することに変更はないもののクラスをJSB1000に変更した。第5戦SUGOの金曜日、クラッシュ。左足かかとを骨折し欠場するなど苦戦が続いた。ランキング14位。

また、引き続きアジアロードレース選手権に参戦。第3戦の日本グランプリで優勝したものの、チーム体制の変更と骨折による欠場の影響もありランキング4位。

2017年は全日本ロードレース選手権モリワキレーシングよりJSB1000に引き続き参戦。多くのチームがブリヂストンタイヤを使用する中、ピレリタイヤを使用。第8戦岡山国際サーキットで3位表彰台を獲得した。ランキング9位。

鈴鹿8時間耐久ロードレースに清成龍一,ダン・リンフットとともにモリワキレーシングより参戦。清成の転倒の影響もあり27位。この年の参戦条件は全日本ロードレース選手権の第1、2戦、および5月に行われる鈴鹿サンデーロードレースのいずれかの成績であった。ライダー、チームの実績から全日本ロードレース選手権での参戦権の獲得が確実視されていた。しかし、第1、2戦はともに耐久戦で、清成とチームを組んで参戦したものの、清成が両レースで転倒してしまい参戦権を得ることはできなかった。そのため、地方選である鈴鹿サンデーロードレースに参戦することとなり、清成に続き2位でチェッカーを受けることで参戦権を獲得した。

2018年は引き続き全日本ロードレース選手権モリワキレーシングよりJSB1000に参戦。悪天候となった第3戦オートポリスで、3位表彰台。ウェットコンディションとなった第5戦岡山でのポールポジションを獲得した(決勝は中止となったため、予選の成績によりハーフポイントを獲得)。ランキング5位。

2019年は全日本ロードレース選手権モリワキレーシングよりJSB1000に第2戦鈴鹿2&4レース、最終戦MFJグランプリの鈴鹿でのレースのみにスポット参戦。ランキング20位。

鈴鹿8時間耐久ロードレースには小山知良、トロイ・ハーフォスとともに参戦し、9位。

レオン・キャミアの代役としてWorldSBKに第6戦、第7戦にスポット参戦。第7戦のレース1では8位入賞するなどし年間ランキング23位。

2020年はモリワキレーシング全日本ロードレース選手権の参戦中止に伴い、日本郵便HondaDream TPに移籍。参戦クラスもこの年から開始されたST1000クラスに変更した。COVID-19のため、全4戦で行われ、第1戦のスポーツランドSUGO、第3戦のオートポリスの2勝。第5戦では開催前に追った左手のけがのためジャンプスタートするミスもあったが、16位でチェッカーを受け、自力でランキング1位を獲得した。

テレビ出演

  • ダイドーMIUレーシング在籍時代に、「MIU」のテレビCMに出演した。
  • 同じくMIUレーシング在籍時代に、ピタゴラスイッチの「アルゴリズムこうしん」に出演した。

主なレース戦績

全日本ロードレース選手権[12]

シーズンクラスチームバイク出走優勝表彰台PPポイントシリーズ順位
2000年GP125FINAエンデュランス&桶川塾10122728位
2001年GP125OSLスポーツクラブ&桶川塾84531162位
2002年GP250ダイドーMIUレーシングホンダ・RS250R8130847位
2003年GP250ダイドーMIUレーシングホンダ・RS250R5130635位
2004年GP250ダイドーMIUレーシングホンダ・RS250R64551081位
JSB1000ホンダドリーム・カストロールRTホンダ・CBR1000RR10000-
  • 2014年 - 全日本ロードレース選手権J-GP2シリーズチャンピオン MORIWAKI RACING MORIWAKI・MD600
  • 2015年 - 全日本ロードレース選手権J-GP2シリーズチャンピオン MORIWAKI RACING MORIWAKI・MD600
  • 2015年 - アジアロードレース選手権スーパースポーツ600ccシリーズチャンピオン MuSASHi Boon Siew Honda Racing ホンダ・CBR600RR

鈴鹿8時間耐久ロードレース[13]

開催年チームバイクパートナー総合順位
2002年チームイワキホンダ・VTR1000SP-2辻本聡30位
2003年仮面ライダー555ホンダホンダ・CBR954RR山口辰也10位
2008年ドリーム・ホンダRT33ホンダ・CBR1000RRジョナサン・レイリタイヤ
2012年TOHO Racing with MORIWAKIホンダ・CBR1000RR山口辰也, 手島雄介2位
2013年Honda Team Asiaホンダ・CBR1000RR玉田誠,6位
2017年MORIWAKI MOTUL RACINGCBR1000RRモリワキ改清成龍一,ダン・リンフット27位
2018年MORIWAKI MOTUL RACING清成龍一,ラタパー・ウィライロー8位
2019年MORIWAKI MOTUL RACING小山知良,トロイ・ハーフォス9位

ロードレース世界選手権

  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
シーズンクラスバイク1234567891011121314151617順位ポイント
2001年125ccホンダ
Ret
NC0
2002年250ccホンダJPNRSASPAFRAITACATNEDGBRGERCZEPORBRAPAC
3
MALAUSVAL21位16
2003年250 ccホンダJPN
3
RSASPAFRAITACATNEDGBRGERCZEPORBRAPAC
4
MALAUSVAL18位29
2004年250ccホンダRSASPAFRAITACATNEDBRAGERGBRCZEPORJPN
5
QATMALAUSVAL25位11
2005年250ccホンダSPA
Ret
POR
7
CHN
10
FRA
10
ITA
Ret
CAT
7
NED
15
GBR
Ret
GER
9
CZE
Ret
JPN
4
MAL
7
QAT
8
AUS
Ret
TUR
Ret
VAL
7
11位77
2006年250 ccホンダSPA
4
QAT
9
TUR
5
CHN
5
FRA
1
ITA
4
CAT
7
NED
6
GBR
7
GER
1
CZEMAL
4
AUS
Ret
JPN
Ret
POR
6
VAL
DNS
6位156
2007年250ccホンダQAT
7
SPA
8
TUR
Ret
CHN
DNS
FRAITA
11
CAT
Ret
GBR
4
NED
10
GER
8
CZE
Ret
SMR
9
POR
Ret
JPN
4
AUS
10
MAL
9
VAL
8
11位90
2008年250ccホンダQAT
5
SPA
3
POR
6
CHN
7
FRA
4
ITA
Ret
CAT
12
GBR
9
NED
8
GER
9
CZE
6
SMR
2
IND
C
JPN
6
AUS
7
MAL
4
VAL
2
5位167
2009年MotoGPホンダQAT
15
JPN
Ret
SPA
12
FRA
13
ITA
Ret
CAT
Ret
NED
15
USAGERGBRCZEINDSMRPORAUSMALVAL21位9
2010年Moto2テック3QAT
Ret
SPA
4
FRA
Ret
ITA
8
GBR
18
NED
10
CAT
1
GER
Ret
CZE
2
IND
26
SMR
Ret
ARA
12
JPN
6
MAL
Ret
AUS
17
POR
26
VAL
18
12位86
2011年Moto2モリワキQAT
5
SPA
Ret
POR
3
FRA
2
CAT
Ret
GBR
7
NED
Ret
ITA
14
GER
Ret
CZE
12
IND
25
RSM
7
ARA
31
JPN
30
AUS
10
MAL
Ret
VAL
Ret
11位77
2012年Moto2スッターQAT
19
SPA
21
POR
Ret
FRA
17
CAT
21
GBR
25
30位2
FTRNED
20
GER
Ret
ITA
17
IND
28
CZE
18
RSM
Ret
ARA
23
JPN
16
MAL
16
AUS
16
VAL
14
2013年Moto2モリワキ
23

19

23

18

24

20

26

19

22

18

23






NC*0*
  • 2014年 ロードレース世界選手権Moto2第15戦に参戦し26位 モリワキ・レーシング モリワキ・MD600
  • 2015年 ロードレース世界選手権Moto2第15戦に参戦し14位 モリワキ・レーシング モリワキ・MD600

脚注

  1. ^ 2004年より始まった制度。全日本GP250クラスでホンダ車でチャンプになるか、それに準じた成績を挙げた22歳以下のライダーを対象とし、最長2年間ホンダの指定するチームからグランプリ250ccクラスに参戦できる。[1]
  2. ^ 冠スポンサーが就いたことによりチーム名は「ヒューマンゲスト・レーシング」に変更
  3. ^ http://www.motogp.com/ja/news/2006/Takahashi+to+miss+out+on+Czech+race
  4. ^ http://www.intellimark.co.jp/bikeArticles/news20061028002.html
  5. ^ http://www.on-line.co.jp/yuki/reports/2007/repo07.html
  6. ^ http://www.on-line.co.jp/yuki/reports/2007/repo04.html
  7. ^ チーム・スコットはJiRと共同でチームを運営することとなり、エントリー名はJiRチーム・スコットとなった。
  8. ^ Insidebikes: Takahashi dropped by Scot Honda” (English). 2009年7月1日閲覧。
  9. ^ http://www.on-line.co.jp/yuki/reports/2010/repo16.html
  10. ^ http://www.motogp.com/ja/news/2010/gresini+moto2+line+up
  11. ^ ライディングスポーツ2011年4月号インタビューより
  12. ^ http://www.motoracing-japan.com/result/index.html
  13. ^ http://www.suzukacircuit.jp/8tai/history/top.html

外部リンク


 

Back to Top
Close