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🚗|デビューから50年超の老舗カーブランド3選! まもなく新型モデル登場のカローラ、ランクル、フェ…


写真 日産 初代フェアレディZ 240Z

デビューから50年超の老舗カーブランド3選! まもなく新型モデル登場のカローラ、ランクル、フェ…

 
内容をざっくり書くと
そしてお次はGT-Rと並んで日産を代表するスポーツカーのフェアレディZだ。
 

毎月のように登場する新型車。その中には、威信をかけて開発したにもかかわらずたった1代限りで姿を消すモ… →このまま続きを読む

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日産・フェアレディZ

フェアレディZ(フェアレディ ゼット、FAIRLADY Z)は、日産自動車が製造・販売するクーペタイプのスポーツカーである。

概要

GT-Rと並ぶ日産を代表するフラグシップモデルで、日本を代表するスポーツカーとして幅広く知られる。初代は北米市場で大ヒットを達成し、以降のモデルも主に北米市場をターゲットとした開発が行われている。スポーツカーではポルシェ・911とともに一つの車名で半世紀以上継続生産されている数少ない車種である。

日本における通称・愛称は主に略称である「Z(ゼット/ゼッド)」、北米を中心とした海外においては「DATSUN Z(ダッツンズィー)」「Z-Car(ズィーカー)」など。「フェアレディ」を冠すのは日本国内のみで、輸出向けは「DATSUN」または「NISSAN」と社名を付して呼称される。現行モデルは北米市場を含め日本国外では「NISSAN 370Z」として販売されている。

歴史

初代 S30型系 (1969年 - 1978年)

1969年に先代モデルであるオープンカーダットサン・フェアレディに代わって発売された。

ヨーロッパ製の高級GTに匹敵するスペックと魅力あるスタイルを兼ね備えながら、格段に廉価であったことで、北米市場を中心に大ヒットした。日産のイメージリーダーカーとして、足掛け10年もの長期に渡って生産され、世界総販売台数55万台(うち日本国内販売8万台)という、当時のスポーツカーとしては空前の記録を樹立した。DATSUN Zの愛称で親しまれ、日産自動車の輸出モデルの総称でもあるDATSUNの名を世界に知らしめ、日産の海外進出の活路を拓いた記念碑的車両である。現在でも日本国内はもとより世界的にクラシックカーとしての人気や知名度は高い。

開発の経緯とメカニズム

このモデルの開発・販売を企画したのは、1960年代当時、米国日産の社長であった片山豊である。彼はダットサンの北米市場拡販のために強力なイメージリーダーとなるモデルを求めており、イギリス製小型スポーツカーの模倣に留まる従来のダットサン・フェアレディでは、市場での競争力が不十分であり、年々厳しくなる北米の安全基準にも適合できなくなると考えていた。

片山はアメリカ市場でのニーズに適合した新しいスポーツカーの開発を要望し、1960年代中期から、腰の重い日産本社に対して熱心な働きかけを重ねた末に、当時の日産社長だった川又克二からようやく開発のゴーサインを得た。この時、冷遇されていた当時のスポーツカー開発部門に激励の意味を込めてZ旗を送ったのが、フェアレディ「Z」の由来となった[1][2]。片山はアメリカ市場のニーズを見据えて日産本社の開発陣に明確なコンセプトと適切なアドバイスを与え、初代Zのプロデュースを主導した。片山自身はインタビューで「ジャガー・Eタイプのような車を造ってくれ」と要望を出したと述べており、初代Zのスタイリングはその期待を十分に満たすものとなった。

Zのスペックは高度なもので、軽量なモノコックボディに、前後輪ともストラット式サスペンションによる四輪独立懸架を備え、市場で先行するジャガー・Eタイプポルシェ・911などに肉薄した。

搭載されたL型直列6気筒エンジンは、SOHC動弁機構を備えた2Lクラスの最新式ではあったが、素性は鋳鉄シリンダーブロックにターンフロー燃焼室を組み合わせた手堅い実用型エンジンであった。北米向け仕様は2.4Lへの排気量拡大でトルクを太らせたL24型エンジン採用でパワー対策としており、これもまた手堅い手法であり、低速域からのトルクにも富み、大排気量アメリカ車同様に実用域で扱いやすかった。ジャガーやポルシェの高性能だが複雑なパワーユニットに対して、シンプルな設計のおかげで手荒な取り扱いにも耐え、信頼性が高く整備も容易な、アメリカ市場でのユーザーニーズに合致したユニットであった。この面では、実用車向け量産エンジンをチューニングして搭載していたかつてのイギリス製スポーツカーの良き伝統を受け継いでおり、Zに実用型スポーツカーとしての優れた特性を与えた。

デザインは松尾良彦率いる日産自動車第1造形課・第4デザインスタジオに託され開発が始まった。この部署はスポーツカー担当部署であったものの、少量生産を前提とした小さな部署であった。メディアでは第4デザインスタジオチーフだった理由からS30のチーフデザイナーは松尾良彦と紹介されることが多いものの、実際は吉田章夫(ふみお)案のファストバックをベースに松尾案のフロントマスクを合わせたデザインが基本となっている。その後、1967年に田村久米雄・西川暉一・桑原二三雄の3名がスタジオ入りし、最終的な造形修正は田村が担当している[3]

ボディタイプは各種検討されており、松尾がS30発売以前にデザインしたロングホイールベースの2by2は1973年秋に実車となってシリーズに追加された。オープンエアを求める層に対しては、独立したトランクルームを持つタルガトップモデルが設計され、プロトタイプまで製作された。また、将来的な馬力向上の要求には、プレジデント用V型8気筒Y40型エンジン)で対処する松尾の私案もあったが、どちらも市販化には至っていない。スケッチで終わったモデルには吉田のデザインしたレース仕様のものや松尾のデザインした4人乗りスポーツワゴンなどもあった。このうちスポーツワゴンにおいては松尾が1966年に描いたスケッチをもとに、松尾の協力のもと米在住で自動車レストア専門家の安宅二弥によって1台だけ再現され、2014年8月サンディエゴの日産主催のZコンベンションにてお披露目された。この様子は米国二スモのサイトでも紹介された。70年代当時、2ドアのシューティングブレーク(スポーツワゴン)はヨーロッパの市場では各メーカーが製造していたが、製造コストの課題と、2ドアクーペの製造の優先でスケッチのみで終わった。松尾がプロトタイプまで作っていた2by2モデルは居住性と使いやすさを追求しているところが随所に現れており、ほぼそのままのデザインで生産タイプとなった。

1996年に北米での300ZX(Z32型系)の販売が中止になった後、ファンからの要望で北米日産が新品・中古パーツを集めてレストアして240Zを限定販売する企画が立ち上がり、ビンテージZと名付けられて販売された。しかしレストアには予想以上の費用と時間がかかり採算が合わない上、応募者が殺到したため、当初200台の予定が39台にとどまりその後中止となった。またビンテージZには受注ベースの車両もあったことと、全て地元の板金工場やショップが仕上げた為、個々の車体の仕上がりや仕様には様々なものがある。

新車販売価格

日本国内における当時の新車販売価格が廉価版の「Z」が84万円、「Z-L」が105万円とスポーツカーとしては比較的安価であったことで爆発的にヒットした。「432」は182万円、後に追加された「240ZG」は150万円であった。

変遷

1969年(昭和44年)10月18日 発表

第16回東京モーターショー(10月24日)開幕での初公開に先駆け、10月18日に発表され、11月より販売が開始された。

日本国内では「Z」「Z-L」「Z432」の3グレードが発売された。 「Z」「Z-L」はSUツインキャブレターを装備したSOHCのL20型エンジンを搭載。Zはベースモデルで4速MT。Z-Lは5速MTを搭載し、AMラジオ付きカーステレオ、助手席フットレスト、リクライニングシートなどの装備を充実させたモデル。 Z432は旧プリンスで開発したソレックス3キャブを装備したDOHCS20型を搭載した高性能バージョン。 「432」のネーミングは、「4バルブ・3キャブレター・2カムシャフト」の意であり、搭載されるS20型エンジンの構造に由来する(日産側は、S20を432エンジンと呼んでいた)。 また、ボディ軽量化や装備を簡略化した「Z432R」も用意された。これはカタログには載ってはいたが公道を走れないレース専用車両だった。 アメリカとイギリスでは2.4LのL24型エンジンを搭載した「ダットサン240Z」(HLS30 / HS30型)を発売。

1970年

フェアレディZ-Lに3速AT(ニッサンフルオートマチック)車を追加。それまでハイオクガソリン仕様のみであったが、レギュラーガソリン仕様車も全グレードに追加発売された。L20はハイオクガソリン仕様130ps、レギュラーガソリン仕様125ps。S20はハイオクガソリン仕様160ps、レギュラーガソリン仕様155ps。

1971年

フェアレディZにも3速AT車を追加および細部のマイナーチェンジ。それまで輸出専用であったL24型エンジンを搭載した「フェアレディ240Z」「フェアレディ240Z-L」「フェアレディ240Z-G」を日本国内でも追加発売。240Z-Gには「グランドノーズ」(後年の通称“Gノーズ”:ただしカタログでは“エアロダイナ・ノーズ”)と呼ばれるFRP製のフロントバンパー一体型のエアロパーツとオーバーフェンダーが装着された。

1972年

1971年に240Zが115万円で発売されるとレースの主力はそちら移行、Z432Rは全く売れなくなった。そこで日産は公道不可だったZ432Rに販売証明を付けナンバー取得可能にしてニッサン・モータースポーツ・インターナショナルの前に並べ、決算処分品としてたたき売りした。これにより20台ほどが公道に飛び出した。それでも売れ残った車両は「普通の」Z432に戻された。その中には警視庁高速隊に納入された物もあった。

1973年

2.0Lモデルの「Zシリーズ」をマイナーチェンジ。昭和48年排出ガス規制適合、ダッシュボードの意匠変更とテールランプとリアガーニッシュの変更が施され、バックランプがガーニッシュ内に配置された。折からの公害問題やガソリン高騰などにより、Z432、240Zシリーズを生産中止した。

1974年

全長を310mm延長した、4人乗りモデルを追加(GS30、1月17日発表・発売)。2by2と称した。輸出モデルは従前の2.4Lから2.6LのL26型エンジンの変更で排気量アップした「ダットサン260Z」(RLS30)に変更。260Zは一部を国内基準に適合させ、当時右側通行だった沖縄で販売されている。日本国内でもL26型エンジンを搭載した「フェアレディ260Z」の発売を予定していたが、オイルショックなどの影響で断念している[4]

1975年

昭和50年排出ガス規制の施行に伴い、SUツインキャブからL20E型(ドイツ・ボッシュ開発のL-ジェトロニック式電子制御燃料噴射装置・ニッサンEGI)に変更、同時に排気系に触媒を有する、排気ガス浄化システム「NAPS(ニッサン・アンチ・ポリューションシステム)」を装着。型式が「A-S30・A-GS30」となる。輸出モデルは従前の2.6Lから2.8LのL28E型エンジンの変更で排気量アップした「ダットサン280Z」(HLS30)に変更。ニッサンEGIシステムであるが、触媒などの排気ガス浄化システムは装着されていない。北米モデルは5マイルバンパーと呼ばれるショックアブソーバ付きの大型バンパーを装着。

1976年

Z-LをベースにFM/AMマルチカセットステレオ、電動式リモコンフェンダーミラー、パワーウインドウなどを追加装備した上級グレードの「フェアレディZ-T」を追加。アルミホイールをオプション設定。昭和51年度排出ガス規制の施行に伴い、排気ガス還流装置 (EGR) などを追加装備。型式が「A-S30・A-GS30」から「C-S31・C-GS31」と変更。

1978年

S130型へのフルモデルチェンジにより生産終了。生産台数は6万6291台[5]

型式詳細

型式の解説
HLGS30
搭載エンジンハンドル位置ホイールベース基本型式
無記号 L20
P S20
H L24
R L26
H  L28
無記号 右
L 左
無記号 (標準・定員2名)
G (ロング・定員4名)
S30 昭和50年排出ガス規制以前車
S31 昭和51年排出ガス規制適合車 
  • 型式の頭に、昭和50年排出ガス規制適合車は「A-」、昭和51年排出ガス規制適合車は「C-」がそれぞれ付与される(日本国内販売車のみ)。
  • HLS30(左ハンドル・2名乗り)の場合、同一型式でL24型エンジン搭載車と後年発売されたL28型エンジン搭載車の2種類のエンジン搭載車が存在するため、型式だけではどちらなのか判断できないが、型式に続く車台番号が前者は5桁、後者は6桁であるため車台番号まで全て分かれば判別が可能である。HLGS30のL24型エンジン搭載車は存在しない。


2代目 S130型系 (1978年 - 1983年)

1978年(昭和53年)8月17日 発表
フルモデルチェンジしS130型となる。
先代のロングノーズ・ショートデッキスタイルを継承しながら、2代目はややワイドサイズとなって登場。2.0Lの「200Z」と、排ガス規制によって牙を抜かれたZに「何とか本来の走りを」と大排気量2.8Lの「280Z」の2つのL型エンジンを設定していた。先代を正常進化させたスタイルであったが、リアサスペンションがセミトレーリングアームに変更された影響で、燃料タンクとスペアタイヤ収納部がより後方へ移動し、リアオーバーハングが拡大した。
1980年
国産車で初めてTバールーフ仕様車を追加。
オープンタイプはダットサン・フェアレディからフェアレディZに移行されてからは初の生産となり、Z32までTバールーフの形態が続く(Z32のみフルオープンのコンバーチブルと併売、Z33及びZ34はTバールーフを廃止して「ロードスター」に変更・統一された)。
このモデルをガス圧開閉式セミガルウィングウィンドウ化改造されたものがテレビドラマ『西部警察』に登場するパトロールカー「スーパーZ」として使用された。
1981年10月29日
マイナーチェンジ。2.8Lモデルが圧縮比アップやフリクション低減などにより10ps出力向上し155psとなった。2.0LモデルのATをロックアップ式に、パワーステアリングをリサーキュレーティングボールからラック・アンド・ピニオンに変更。他にサスペンションチューニングの変更、全般的な軽量化、大型ソフトカラードバンパーの全車標準化、対米モデルと同じフードルーバー(NACAダクト)追加、グリルやテールランプの変更、自動速度制御装置、リアサイドウインドウのリモコン機構、メタル対応デッキ、減光式ルームランプ、ドアキー照明、本革と人工皮革のコンビシート(オプション)の採用など。
第24回東京モーターショーにアメリカ合衆国で開催されていたレースSCCA (Sports Car Club of America)に参戦していた「DATSUN ZX TURBO V-8」を参考出品。FRP製のボディにプレジデント用のV8エンジンをベースにターボを組合わせたレーシングカーである。
1982年
アメリカでL28ET型エンジンを搭載した2.8Lターボモデルが誕生。初代に引き続きS130もアメリカでは大ヒットとなり、1年足らずで生産台数10万台を突破した。(L28ET登載車は日本の型式申請が通らなかった。)
1982年10月
歴代フェアレディZ初のL20ET型2.0Lターボエンジン搭載モデル「200Z-T」が追加。日本車初の60%偏平率タイヤとなる215/60R15装着車だった。当時はこれが『超ワイドタイヤ』と呼ばれた。
1983年
初代からの累計台数100万台を達成。

2代目の生産台数は5万1737台[6]

3代目 Z31型系 (1983年 - 1989年)

1983年(昭和58年)9月16日 発表
ロングノーズ・ショートデッキというZの伝統的なコンセプトを引き継ぎながら、空力性能を重視して、エクステリアをシェイプアップした3代目が登場。5年ぶり2度目となるフルモデルチェンジ[7]。キャッチコピーは『較べることの無意味さを教えてあげよう』、『ワルツ・ナイト』、『セラミック・レスポンス』、『SOUL SYNCHRO MACHINE』など。
開発当初からヨーロッパ製の名門スポーツカーを凌ぐ、ハイパフォーマンスの追求を目標に掲げていた。プラザ合意に基づく急激な円高によって、海外輸出車の価格上昇は避けられず、廉価な日常用スポーツカーからハイパフォーマンス・スポーツカーへの宗旨替えは、北米を主要な市場とする本車種にとって時宜を得たものであった。
前期型のエクステリアデザインは社内によるもので、高木一正を中心としたチームによってまとめられた。
エンジンは直列6気筒のL型から新世代V型6気筒エンジンであるSOHCターボ2.0LのVG20ETと3.0LのVG30ET (輸出仕様にはNAのVG30Eがある)全グレードにV6ターボエンジンを搭載した[7]。後に再度直列6気筒モデルが設定されるも、ターボ搭載は守られた。ライバル関係にあるトヨタ・スープラが廉価版に2.0L NAエンジンを採用したのとは、正に好対照であった[注釈 1]。中でもVG30ETは当時としては大パワーを誇り、スープラに搭載される7M-GTEUが出るまではトップクラスの出力を誇り、空力に優れた欧州向けモデルでは、最高速度が250km/hに届いた。また当時の北米では直6エンジンは廉価な自動車のエンジンという印象が強かったため、ハイパフォーマンス・スポーツカーへの宗旨替えのためには、V6エンジンの採用は必須であった。
ターボチャージャーは2.0 L/3.0 Lともにギャレットエアリサーチ製のT03型を使用。
販売当初のラインナップは、日本向けは2.0L「VG20ET」搭載のZ/ZS/ZG、3.0L「VG30ET」搭載の300ZX。
300ZXの5速MTボルグ・ワーナー製のT5型トランスミッションが搭載された。
サスペンションは全車に減衰力3段階切り替え式の3ウェイアジャスタブルショックアブソーバーを採用し、ソフト/ミディアム/ハードの3段階切り替えが可能だった。
外観では、通常の軸回転式リトラクタブル・ヘッドランプとは異なり、ランプが上下に平行移動する構造で、消灯時にもレンズの一部が露出するパラレルライズアップヘッドランプを採用した。ボディの一部を削ったかのようにしてのヘッドランプを装備という、従来のデザインを踏襲するためであるが、別体のパッシングランプを省略するためという実用上の意味合いもあった。ただ当時の米国ではヘッドランプに連邦自動車安全基準に準じない異形レンズの使用を認めておらず、北米輸出仕様では連邦自動車安全基準規格の角型ヘッドランプにドライビングランプを組み合わせた状態で対応した。1986年に行なわれたエクステリアの大幅なマイナーチェンジの際は異形レンズの使用が認可されるようになり、日本仕様と同様の状態で輸出された。輸出では永らくダットサン240~280Z/ZX(130後期まではダットサンプロダクテッド・バイ・日産のサブタイトルがあった)から全世界へ正式に「日産300ZX」となった。
1984年2月
先代にあったTバールーフ仕様を追加設定。
1985年10月(新グレードモデル追加)
フェアレディZでは初代S30型のZ432のS20エンジン以来の久々の直列6気筒DOHCエンジンに、世界初となるセラミックターボを採用したRB20DETが搭載された「200ZRシリーズ」が追加設定された。
エンジン本体は先にR31型系 スカイラインに搭載されていたものだが、ターボチャージャーを変更し世界初となるセラミックターボを採用。タービン内のインペラーを通常のメタル製より軽量なセラミック製にする事で慣性質量を低減し高レスポンス化とターボラグの軽減を目指し、日産は「セラミック・レスポンス」というキャッチコピーでアピールした。また、ターボにより圧縮高温化した給気を冷却するためのインタークーラーがエンジン上部に設置されたため、ボンネットにはエアスクープが設けられ外観上の特徴となっている。また専用のスポーツシート、アルミホイール、サスペンション強化、LSDが奢られていた。 ノーマルルーフの「200ZR-I」とTバールーフの「200ZR-II」のそれぞれに2シーターと2by2が設定され、トランスミッションは200ZR-Iは5MT [FS5W71C型]のみ、200ZR-IIは5MTとATが設定された。
1986年10月(ビックマイナーチェンジ)
日産の北米でのデザイン拠点である日産デザインインターナショナルが提案したエクステリアデザインを採用し、3Lモデルはキャビン部(含むリアゲート)と左右ドア以外のパネルを全て意匠変更するという大幅なマイナーチェンジを施される。北米輸出仕様と同様のワイドフレアーフェンダーの3ナンバー専用ボディを与えられた。2.0Lモデルについては前後のスキンチェンジのみでフロントとリアフェンダーは変わっていない。
2.0Lモデルは、V型6気筒SOHCターボのVG20ETが廃止され、直列6気筒DOHCターボのRB20DETを搭載した「200ZRシリーズ」のみとなった。
3.0Lモデルは、V型6気筒SOHCターボのVG30ETを搭載した「300ZX」が前期型から継続され、トランスミッションの設定が国内仕様ではAT車のみとなった。
また、新グレードのフラッグシップモデルとして「300ZR」が追加され、エンジンには同年2月にレパードに初搭載されデビューを飾った3.0L V型6気筒のツインカムヘッド (DOHC)化されたVG30DEが搭載され、マニュアルトランスミッションには新開発された5速MT [FS5R30A型] が搭載された。2シーターと2by2、5MTとATがそれぞれ設定されている。
この「300ZR」は締め上げられた足回りとZ31型系で唯一の自然吸気エンジンなどから、古典的でスパルタンな味わいを持つマニアックなモデルとなった。しかし1988年にはVG30DEにターボチャージャーを装着したVG30DET(255PS)を搭載する日産・シーマが登場し大ヒットし、エンジンパフォーマンスの面でその後塵を拝することとなった。
1987年11月

AT車にシフトロックを追加。

1988年6月
3.0L車に50%偏平率タイヤとビスカスLSDがオプションで追加設定された。
1989年6月[8]
生産終了。在庫対応分のみの販売となる。生産終了前月までの国内新車登録台数の累計は3万5679台[9]
1989年7月
4代目とバトンタッチして販売終了。

4代目 Z32型系 (1989年 - 2000年)

1989年平成元年)7月10日 発表
スタイル、パフォーマンスを始めとして、完璧なスーパースポーツカーを目指した4代目が登場。キャッチコピーは『スポーツカーに乗ろうと思う』。バブル景気の絶頂期と崩壊、その後の日産の経営悪化のため2000年9月まで11年間という長期に渡り生産・販売された。カルロス・ゴーンの愛車でもあった。
エクステリアデザインは当時日産自動車デザイン部に所属していた前澤義雄園勲夫・山下敏男等数名の手によるものである。イメージは獲物を狙う動物であり、静止した状態でも躍動感のあるフォルムを追求した。そして当時のデザインのトレンドを考慮し、従来からの特徴であるロングノーズ・ショートデッキを改め、新たにワイド&ローというスポーツカーの基本的イメージを決定し、日本本来の良さを持ったアイデンティティや、いつまでも沈まないカリフォルニアの太陽に映えるボディデザインを検討したという[11]。また、前澤によれば、マイナーチェンジの際に前後オーバーフェンダーにし、ホイールを17インチ化する計画があったものの実現しなかったと語っている[12]
ワイド&ローの迫力のあるスタイリングはCADによる設計が多用され、これによりV型6気筒DOHCの全高が高い設計のエンジンを、初代のような盛り上がりなしで低いボンネットに収める事を可能としたが、その結果エンジンルームの余白が狭く、特にターボモデルではエンジンルーム内の換気性能が十分とは言えず、熱害によるトラブルや部品劣化を起こしやすい欠点となってしまっている。
ヘッドランプは3代目のパラレルライジングタイプから、再び固定式に戻された。このランプはレンズの傾斜が非常に緩いため、当時の一般的なレンズカットとハロゲンバルブの組み合わせでは透過率が低すぎて照度が確保できず、カットなしのレンズ(カバー)とし、プロジェクターランプ(ロービーム用)の採用とリフレクター(ハイビーム)の見直しでこの問題を解決している。ボディの一部を削ったかのようにしてランプを設置するというデザインを踏襲してはいるが、透明なガラスレンズによってボディ上面は平滑さを保っている。このランプユニットはその独特な形状から、後年ランボルギーニ・ディアブロR390(ロードカー)にも流用された。
車体寸法は幅方向が特に大きくなり、先代までの5ナンバーサイズから完全な3ナンバーサイズに変更された。2シーターおよび2by2と2つのシャシー、ボディがあり、それぞれホイールベースも異なるためシャシー別に設計、製造されているのがフェアレディZの特徴だが、Z32型は2シーターと2by2の外観上の違いは燃料給油口の位置が2シーターはドアとリヤタイヤハウスの間で2by2はリヤタイヤハウスの後ろに位置していることから容易に判別できるモデルである。2代目 (S130型)から続くTバールーフも一部モデルに引き継がれた。なお、2by2はTバールーフのみの設定でノーマルルーフは設定されていない。また、Z32型は歴代フェアレディZの中で唯一給油口が左側に設置されている。[注釈 2]
フロントインパネに搭載していたS30型からの伝統の三連メーター(燃料計・油圧計・水温計・電圧計・時計(S30はアナログ時計・S130からはデジタル時計))はこの型から外された。
イグニッションキーの材質はチタン、車載ジャッキはアルミ製、スペースセーバー式スペアタイヤアルミホイールである。
メカニズム面においては同時期に発表されたスカイライン(R32型)と同じく電子制御式4WSであるスーパーHICASツインターボモデルに装備され、より理想的なコントロール性能を目指した。
搭載される2種類のエンジンはV6、3.0Lが採用されている。先代の300ZRで採用された自然吸気のVG30DE型[注釈 3](230ps)とMID4-IIに搭載されていた新開発・ツインターボチャージャー搭載のVG30DETT型をデチューンしたものが用意され、中でもVG30DETT型が搭載されたツインターボモデルは日本の自動車メーカーで初めて最大出力280PSに達した。当初は日産としては同時期のスカイラインGT-RインフィニティQ45とともに300PSを出し、300PSトリオとして発売する目論見であったが、運輸省(当時)からの指導により3車種とも280PSに抑えたという経緯がある。日本の各自動車メーカーが実施していた自主規制値の280PSはここから生まれた。なお輸出仕様については300PSである。また、VQ30DEに載せ換える計画が持ち上がったものの、エンジン換装には多額の予算と大幅な仕様変更が必要だったため見送られている。
主要マーケットであった北米においては、ポルシェなど欧州製スポーツカーに伍する高級スポーツカーとしての認知が定着した。なお、従来は本車種が担っていた廉価版スポーツカーの立ち位置は、240SXが担う事になった。
当モデルより、旧日産店(ブルーバード販売系列、後にはブルーステージ販売系列)に加えて旧プリンス店(スカイライン販売系列、後にはレッドステージ販売系列)でも取り扱われるようになった。
1992年8月
フルオープンモデルとなる「フェアレディZコンバーチブル」を追加(2シーターのみ)。シートベルトのリトラクターとハンガーの位置がドア内部からボディ側に変更。。
1993年8月
一部改良。リアスポイラーを高速安定性の高いウイングタイプへ変更。エアコン代替フロン(R-134a)の新冷媒エアコンに変更。ターボモデルに搭載されている、Super HICASが電動式になる。内装色を変更。
1994年10月
一部改良。運転席SRSエアバッグを全車標準装備としたほか、2シーター、2by2、コンバーチブルそれぞれに「バージョンS」追加。リアスポイラーおよび専用シートを装備する。また、2by2 Tバールーフには「バージョンSレカロ」を設定。「バージョンS」をベースに16インチBBS製鍛造アルミホイール、レカロ製シート、ミラーコートTバールーフ、電子制御アクティブサウンドシステムを装備する。全車に運転席SRSエアバッグビスカスLSDが標準装備。ターボモデルに装備されていたブースト計が廃止。ブレーキキャリパーの材質をアルミ合金から鋳鉄に変更。チタンキーの設定が廃止される。
1997年1月
一部改良。「バージョンR」追加、新ボディ色ミッドナイトパープル追加。ツインターボモデルとバージョンRはABSを標準装備。2シーターがバージョンSのみの設定となる。
1998年10月
マイナーチェンジ。ボディ剛性の向上。フロントバンパー、リアスポイラーなどを変更。サイドシルプロテクターを装備。フロントオーナメントとリヤの300ZXの文字を赤色化。メーカーオプションでポリッシュ仕上げのアルミホイールが設定される。ツインターボモデルにキセノンランプを標準装備。リヤコンビランプのターンランプを白色レンズ化。インナーフィニッシャーが黒色からクロームメッキに変更。「コンバーチブル」を廃止。シートカラーが変更される。
2000年8月[13]
生産終了。以後、在庫のみの対応となる。生産台数は6万4884台[14]
2000年9月
販売終了。30年の歴史にいったん幕を下ろし、2002年7月の5代目(Z33型)発売までは一時的に絶版車種となった。


5代目 Z33型系 (2002年 - 2008年)

2002年(平成14年)7月30日 発表

2000年9月の Z32型 販売終了以来、カルロス・ゴーンがCOO就任後の日産リバイバルプランの象徴の一つとしてZ33型が2年ぶりの復活となった。

ボディタイプは、クーペ と ロードスター(オープンルーフ)の2種類でいずれも2シーターのみの設定である。歴代フェアレディZに設定されていた2by2は廃止されスカイラインクーペ(CV35)がその代替を担った。

搭載するエンジンは、排気量3.5LのV型6気筒DOHC自然吸気エンジンのVQ35DE型で、最高出力は当初こそ自動車馬力規制の影響で280psだったが、年次改良を重ね規制撤廃も相まって、最終的にはVQ35HR型を搭載し313psまで向上された。

2008年11月

 販売終了。

6代目 Z34型系 (2008年 - )

2008年(平成20年)12月1日 発表

復活後初のフルモデルチェンジを行い、6代目 Z34型となった。

先代モデルをさらに進化させたモデルで、変速機、ボディなどを煮詰めた。 エンジンは、排気量3.7LのV型6気筒であるVQ37VHRを搭載し、336PSを発生させる。モデルライフ途中でロードスターが遅れてフルモデルチェンジした。

7代目

2020年9月16日
7代目となる新型のプロトタイプを発表。内外装を含めてZ34型系を車体ベースとしており、スタイルはS30型のアイデンティティである「ロングノーズ」や、後方に向かってさがっていくリアビューなどを踏襲したデザインになった。ヘッドライトはティアドロップ形状のものになり、フロントグリルはS30型をイメージした長方形型グリルを採用している。リアデザインはZ32型に似た横長のテールランプを採用している他、リアゲート右側にはS30型と同じ書体の「Fairlady Z」のバッジが装着されている。

車名の由来

ブロードウェイミュージカルの『マイ・フェア・レディ』に感銘を受けた川又社長が、クルマにも洗練されてゆく美しさを求めた名前といわれる。「FAIRLADY」は貴婦人、「Z」はアルファベットの最後の文字であることから究極を意味する。また、初代開発スタッフに、当時のアメリカ日産社長片山豊Z旗を贈ったエピソードもある。

ちなみに、日産ノースアメリカがこの車にちなみ「z.com」というドメインを所持していた(以前はフェアレディZのページへ転送されたが、後にHTTPでのアクセス用としては利用されなくなり、最終的に2014年11月にGMOインターネットに売却された[15])。

ミス・フェアレディ

日産自動車グローバル本社銀座4丁目交差点角にもショールームが存在)に置かれている日産自動車の直営ショールーム「日産ギャラリー」内にいるコンパニオンショールームスタッフ)は、「ミス・フェアレディ」と呼ばれており、日産自動車の顔として活躍している。また、東京モーターショーや新車発表披露会、各種イベントでもコンパニオンとして活躍している。

レース活動

初代

当初はS20登載のZ432とL24搭載の240Zを並行してレース用に開発していた。 先にデビューしたのはZ432だったが、常用8000回転という高回転時の振動は多くのトラブルを生んだ。 加えて同じ排気量では同社のスカイラインGT-Rと食い合う事になる。そこでZはワンクラス上で戦う事になった。 240Zは常用7000回転と高回転は苦手だが大排気量でトルクが太く乗りやすいマシンであった。 何よりも高回転まで回さないから振動が減った。神経質なS20と違ってメンテナンスも楽で燃費も良く、 Z432のエンジンをL24に載せ換えるレーサーも少なくなかった。次第にレースの主役は240Zになっていった。 なお、レース用のオプションとして、L24をクロスフロー化するシリンダーヘッド(LYヘッド)が300万円で設定された。

1月:Z432Rがでデビュー。公認が間に合わず排気量無制限のRクラスに出場。リタイヤ。
3月:全日本ストッカー富士300キロレースで2位、3位獲得。
4月:レースドニッポン6時間耐久で初勝利。
5月17日:富士フレッシュマンで、桑島正美がスカイラインGT-Rを破ってプライベーターとして優勝。
5月24日:西野弘美/藤田皓ニが全日本鈴鹿1000キロ自動車レースでワークス勢を抑えて優勝。
7月:富士1000㎞で240Zが初参戦。1位。
11月: RACラリーに「240Z」が参戦し、総合7位(クラス2位)。ドライバーはラウノ・アルトーネン
モンテカルロ・ラリーに「ダットサン・240Z」が参戦。アルトーネン/組が総合5位(クラス2位)を獲得。組が総合10位(クラス3位)。
サファリラリーに「ダットサン・240Z」が参戦。1-2フィニッシュを達成し、総合・クラス・チーム優勝の3冠を獲得。優勝ドライバーは前年もダットサン 510で優勝のである。2位はシェカー・メッタ、7位はアルトーネン。
1月: 全日本鈴鹿300kmレースにて「240Z」が優勝。
9月: 富士グランチャンピオンレースで、鯉沼三郎が日産プレジデント用のH30(3ℓOHV)エンジンを載せたZ432で参戦。2位。
モンテカルロ・ラリーに「240Z」が参戦し総合3位。組
サファリラリーに「240Z」が参戦。ヘルマンが総合5位。
サザンクロスラリーに「240Z」が参戦し、アルトーネンが総合2位。
6月:「富士グランチャンピオンシリーズ第二戦」で、何とプライベーター(日仏自動車チューン)の240Zが並みいる純レーシングカーを抑えて優勝。ドライバーは「Zの柳田」の異名を持つ柳田春人
世界ラリー選手権モンテカルロ・ラリーに排気量を2.5Lに拡大した「240Z」が参戦し総合9位。
世界ラリー選手権サファリラリーに「240Z」が参戦。シェカー・メッタが総合優勝を獲得。2位にブルーバードU (610) が入りチーム優勝も獲得。
4月: にて「フェアレディ240ZR」が2位獲得。
全日本鈴鹿1000kmレースにて「フェアレディ240ZR」が総合優勝を飾る。
サファリラリーに「240Z」が参戦し、総合4位。
5月: 78 JAF富士グランプリ GTSクラスにて「フェアレディ280Z」が2位獲得。
9月: 富士インター200マイルレース スーパーT&GTクラスにて「フェアレディ240Z」が優勝。

2代目 - 4代目

S130型からは、レース活動の主軸を北米に移し、ポール・ニューマンによってIMSA-GTOに活躍の場を見出した。IMSAの統括団体の解散に至るZ32型まで、北米でのレース活動が継続された。

1985年、3代目(Z31)300ZXターボが全日本ラリー選手権年間総合優勝。ドライバーは神岡政夫

4月: 第3戦 関西ラリー 5位
   第4戦 ACKスプリングラリー リタイヤ
   第6戦 ツール・ド・九州 優勝
   第7戦 ツール・ド・東北 優勝

1987年、Z31型200ZR-Iで参戦。

Z32がIMSA1990年から参戦。エンジンはVGツインターボエンジンを1994年まで使用。1995年からプレジデントに搭載していたV8エンジンを搭載。ドライバーはスティーブ・ミレン1992年1994年、ドライバーズとマニュファクチャラーの両タイトルを獲得。 また1994年デイトナ24時間レースセブリング12時間レースで優勝、ル・マン24時間レースでも総合5位・クラス1位を獲得。

5代目

6代目

パトカー仕様

1972年にS30型240ZGのパトカーが日産より神奈川県警察高速道路交通警察隊に寄贈された。当時は“最強のパトカー”ともいわれ、1980年まで活躍した。その後S130型、Z31型、Z32型、Z33型と代替わりしていった。1992年に導入されたZ32型は寄贈された車両であり廃車できなかったため2004年ごろまでは現役であり、2006年にZ33型のパトカーが導入された。またS30型の240ZGのパトカーは車両が廃棄されず残っており、県警交通安全センターで展示されていたが閉館したため県警が保管していた。現在は日産自動車に返還され、座間事業所内の座間記念車庫に保管されている。また、県警交通機動隊には白色のGS30型にボンネット上のウインドウォッシャー、バッテリー交換用の開閉部をリトラクタブルライト型の赤色灯にするという改造を施した覆面パトカーを1974年に配備している。

1975年には当時三重県警察本部長であった佐々淳行が、部下から「東名阪自動車道で『三重県警のパトカーはオンボロで違反車に追いつかない』と、ドライバーがスピード違反を平気でしている」と聞き、更新予定であったパトカー8台分の予算を使って高速道路の上下線用に各1台、計2台のフェアレディZを導入した。この車両は今までの同県警高速隊の車両(佐々の著作によると『トヨペット・カスタム』)では逃げられてしまっていた悪質速度違反車の取り締まりに絶大な効果を発揮し、またこのことはドライバー間でも話題となり、ついに三重県の高速道路からスピード違反が一掃された。[注釈 4]

2007年にはZ33型Version NISMOが栃木県警高速隊本隊に配属され、東北自動車道で運用されている[注釈 5]

2016年にはZ34型NISMOが警視庁高速隊に導入された(2004年マツダ・RX-8の後継車種)[16]

他にも大阪府警察でも導入されたことがある。

脚注

注釈

[脚注の使い方]
  1. ^ 同じくライバル関係だった初代トヨタ・ソアラ日産・レパードにおいては、前者が廉価版でも2,000cc6気筒だったのに対し、後者は1,800cc4気筒を採用してブランドイメージを損ねている。
  2. ^ 他の日産FR車(Z32以外のフェアレディZ、スカイライン、ローレルなど)は給油口が右側にあるのが定番となっている。
  3. ^ ただし、シリンダーヘッドや吸排気系、シリンダーブロック、クランクシャフトといった骨格の部分に至るまで新設計となっているなど、Z31型に搭載された物とは相違点が多い。
  4. ^ 『菊の御紋章と火炎ビン―「ひめゆりの塔」と「伊勢神宮」が燃えた「昭和50年」』佐々淳行 文藝春秋、2009年。なお、同書ではこの2台を「日本初めての白黒ツートンカラーのフェアレディZ」と記しているが、この時点で前述のとおりすでに神奈川県警にフェアレディZが導入されていた。
  5. ^ モーターマガジン社による高速隊への取材。細部の写真も公開されている。

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ 日産「フェアレディZ」(初代) 優雅でコワモテ? 「淑女」はなぜ「Z」をともなうのか (2017年6月3日) - エキサイトニュース(2/3)” (日本語). エキサイトニュース. 2021年5月19日閲覧。
  2. ^ ABC HOBBY.com”. www.abchobby.com. 2021年5月19日閲覧。
  3. ^ 1st Gen Datsun Z (初代フェアレディZ) デザイン決定までの流れ(田村氏の証言から再構成したもの)
  4. ^ 発売が見送られた「幻」のS30フェアレディZ。待ち望まれた2by2に搭載されていたエンジンは?|幻の260Z 2by2
  5. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第2号3ページより。
  6. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第2号7ページより。
  7. ^ a b 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p83
  8. ^ フェアレディZ (日産)1983年9月〜1989年6月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月19日). 2020年1月19日閲覧。
  9. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第5号19ページより。
  10. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第3号15ページより。
  11. ^ NTTデータ エンジニアリングシステムズ 人とシステム「日産ブランドのデザイン戦略」(No.38)
  12. ^ 『オンリー・ゼット―国内&輸出仕様・完全網羅!S30からZ32まで、日産Zの全てがわかる決定版!!』(ネコ・パブリッシング
  13. ^ フェアレディZ(日産)1989年7月〜2000年8月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月19日). 2020年1月19日閲覧。
  14. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第3号15ページより。
  15. ^ GMO、「z.com」を8億円で取得、同社グループのグローバルブランドに - Internet Watch・2014年11月21日
  16. ^ 警視庁、新型パトカー「フェアレディZ NISMO」公開=高速隊などに配備 - 時事ドットコム動画特集 2016年3月30日

関連項目

外部リンク

スポーツカー

スポーツカーsports car)とは自動車カテゴリのひとつであり、実用として移動手段や物を輸送することよりも「スポーツドライビングを楽しむ」ことに重点を置いて設計開発された自動車のことであり、日常の足としてのみならず、ドライビングを楽しむためにガレージから出す車のことである。

概要

広義には特定のボディ形状に定まっていないが、伝統的にはスポーツタイプの2ドア・2シーター車がスポーツカーとして語られることが多い。ライトウェイトスポーツはその代表格で、主に高速走行時の運動性能に優れている。一方でスポーツカーと呼ぶに足る性能とスタイルを持っていても、運動性よりも快適性や乗り心地重視の設計である場合は「グランドツアラー」、スポーツカーとしての性能が足らずスタイルで雰囲気を演出するに留まる自動車に関しては「スポーティーカー」、「スペシャリティカー」などと呼ばれることがある。

乗用4ドアセダンやほぼハッチバック中心のコンパクトカーでも、実用性より走行性能を重視していたり、モータースポーツでの仕様を前提としたグレードはスポーツカーに含む場合がある(この場合「スポーツセダン」や「ホットハッチ」とも呼ばれる)。

こうした区別の基準に関して明確な決まりは存在せず、基本的には個人の好みや自動車メーカーの裁量に委ねられていると言える。そしてそれゆえに、自動車ファンの間でのスポーツカーの定義についての議論は絶えることがない。

特に排ガス規制や安全基準の厳格化により開発費が高騰している現代は、多くの売り上げが望めない割に開発費のかかる、伝統的な2ドアのスポーツカーを開発するのが難しくなってきている。そのためスポーツカーの定義は広がる傾向にあり、専用チューニングしたミニバンクロスオーバーSUVなども、自動車メーカーやジャーナリストがスポーツカーと呼称したり、「まるでスポーツカーのようだ」などと形容するケースもある。しかし古い時代の過激なスポーツカーを知る保守的なマニアの中には、現代のスポーツカーは物足りず、時代背景と価格設定を考えれば充分スポーツカーたり得そうな性能のクーペでも「これはスポーティーカーであってスポーツカーではない」と批判する者は多い。

より極端に定義を広げた意見になると「軽トラックでさえモータースポーツに用いられるのだから、スポーツカーだと思えばなんでもスポーツカーだ」、逆に狭めた意見だと「あらゆる実用性を排して徹底的にタイムを追求したクーペだけしかスポーツカーとは呼ばない」とするものもある。一応「スポーツカーは乗用車の終わるところで始まり、レーシングカーの始まるところで終わる」という一見それらしい格言もある[1]が、この場合の「乗用車」とはなんなのかに関しては議論の余地がある。

日本独自の規格である軽自動車は、日本の車種別統計では、スポーツカーやミニバンなど全ての軽自動車規格の自動車は「軽自動車」に分類する場合が有り、走行性能を重視したホンダ・S660スズキ・アルトワークス、同アルトターボRS、ダイハツ・コペン(親会社のトヨタでも販売されるコペンGR SPORTを含む)等はスポーツカーでは無く、軽自動車に分類される場合がある[2]

オフロードのスポーツドライビング向けに開発されたラダーフレーム構造+四輪駆動の車種は、スポーツカーではなくクロスカントリー車(クロカン)の括りに入る。またSUVの正式名称は「Sport Utility Vehicle」(スポーツ用多目的車)であるが、この場合はハンティングやアウトドアアクティビティなどのスポーツを快適に行うための車であり、スポーツドライビングを行うスポーツカーとは区別されている。

歴史

スポーツカーは自動車のカテゴリ中、最も古いものの一つである。1913年イスパノ・スイザ3.5 L車は、世界で初めてスポーツカーと呼ばれた車とされる[3]。同時期のスポーツカーとして、ブガッティ・タイプ13ボクスホール・プリンスヘンリーがある[4]

自動車競技の創成期には競技用車両の事を「スポーツカー(sports car)」と呼ぶことがあったが、実際はレース専用車もスポーツカーも明確な区分けがまだなされていない状況にあった。この頃のレーシングモデルのほとんどは屋根がなく、またボディからタイヤが飛び出しているオープンホイールと呼ばれるデザインであったが、後にタイヤをボディと一体のフェンダーでカバーする形式が登場する。オープンホイールタイプのレースカテゴリは「グランプリ」(後のF1)をはじめとして既に確立されており、これらと区別する目的でオープンホイール以外の競技車両を「スポーツカー」と呼び始めた。

当初は、(特に長距離の)自動車競技そのものが公道で行われることが多く、その後各地に専用サーキットが建設されて以降も、競技用車両がサーキットまで一般公道を自走してそのまま競技に参加することが普通に行われていたので、スポーツカーと競技車両の区別は必要なかった(できなかった)。その後、自動車の高性能・高速化により、自動車競技の高度化と一般車を対象とした保安基準の厳格化が進み、競技用車両と一般車の構造の乖離が大きくなって行った。しだいに競技用車両のほうは「レーシングカー(racing car)」「レースカー(race car)」「レーサー(racer)」などと呼んで区別するようになる。競技車両との差が明確になるにつれ、競技車両への応用を前提とした量産車をスポーツカーと称するように変化していったが、さらに時代が下がりレーシングカーの特殊化が進むにつれ、スポーツカーとレーシングカーの共通点は少なくなっていった。

これら経緯からモータースポーツにおけるスポーツカーとはレース用に製造される2座席車両を指し、一般的にスポーツカーとされる公道運用を目的とした2座席乗用車は、モータースポーツにおいてはグランドツーリング (GT) カーとされる。フェラーリ・BBなど多くのフェラーリ乗用車がGTを名乗るのはこのためである。またそれに対し、フェラーリ車でスポーツカーを意味する"S"を名乗る125S159S512Sなどはスポーツカーレース用に製造された競技用車である。[注 1]

※モータースポーツにおける「スポーツカー」の定義については、「スポーツカー (モータースポーツ)」を参照。

現在は運動性能を重視した車のうち、「スポーツカー」は公道で走ることを主な目的として設計されている車、「レーシングカー」はサーキットで行われる自動車競技で使われる車を指す。

日本におけるスポーツカー

第二次大戦後の日本ではオート三輪やトラックといった実用的な車をメインに作られていたが、高度経済成長期の1960年代になると消費者にも嗜好性が生まれ始め、国産メーカーは本格的なスポーツカーと言われるようなホンダ・S500トヨタ・スポーツ800トヨタ・2000GT初代マツダ・コスモスポーツ日産・フェアレディZ S30型三菱・ギャランGTOなどを登場させ始めた。

1970年代に入ると多くのメーカーでスポーツカーの開発・製造が盛んになり、1980年代には有名なモデルとしては日産・スカイライン日産・シルビアマツダ・RX-7トヨタ・セリカ三菱・スタリオン等々が製造・販売され、当時の若者が好んで購入する車となった。それらはバブル景気が崩壊する1992年ごろまでは人気車種の一つであった。

ところが、日本ではバブル景気崩壊後(1994年以降)の景気の冷え込みや京都議定書などを筆頭にした環境意識の変化により、トヨタ・スープラ日産・スカイラインGT-Rマツダ・RX-7など趣味性重視の2ドアクーペスタイル[注 2]に属するモデルは売り上げ面では下位に転落。また、平成12年度排気ガス規制をきっかけにスポーツカーは厳しい環境に追いやられることとなった。そのうち、ホンダ・NSXのようにマイナーチェンジを通じて時の排出ガス規制をクリアした車種もあったが、全体で見れば少数派であった。このうちトヨタはこれを理由に2002年8月のA80型スープラの販売終了から2012年4月のZN6型86の販売開始までの約10年間、スポーツカー事業から一時撤退の道を選び、三菱はランサー・エボリューション以外のスポーツカーを同様の理由で廃止した。他の自動車も大幅な縮小や環境対策を余儀なくされた[注 3]スポーツカーの系譜は完全に消滅こそしなかったものの、販売面ではセダン以上に冷遇され、セダン以上の死に筋扱いのカテゴリージャンル)とされ、スポーツカーにとって不遇の時代(冬の時代)を迎えることとなり、今日に至る。

スポーツカー不遇の背景

根本的な問題として「若者の車離れ」があるとされているが、その「若者の車離れ」という概念自体も万人が納得できるものは確立されていない。そのため、以下の内容はスポーツカー特有の問題ではなく、若者の車離れに関する調査で判明した内容と重複する箇所もある。

金銭的理由
主なターゲットである若年層の雇用不安定化(=収入の不安定化・貧困化、就職氷河期を参照)などが原因で発生した車を購入すること自体の需要の冷え込みも影響した。また、運転免許証を取得しても、購入費用による断念や単純に自家用車を持たない(スポーツカーを買うという概念すら持たない)層も増えている。
仮に購入を決意しても、自動車の本体価格だけを比べても高額化が進んでいる。例えば、毎年進化するイヤーモデル制を採っている日産・GT-R(R35)を例にすれば[注 4]
2007年12月モデル:約777万円
2010年11月モデル:約869万円
2013年12月モデル:約905万円
2016年7月モデル:約996万円
2019年6月モデル:約1063万円
と今回は3年ごととしたが、(インフレ率などの副次的要因やイヤーモデル制に伴う設計変更の差異を考慮せず)価格のみで比較しても、全体で見れば価格は上昇傾向であり、スポーツカーの購入費用の高額化によって買うに買えない状況が増えているのも事実である。
ただ、これは自動車業界全体の傾向であり、単価が安い車種として扱われている軽自動車やコンパクトカーも例外ではない。同じスポーツカーで且つ軽自動車のダイハツ・コペンを例にすれば[5]
2002年6月発売アクティブトップ(5MT)約149万円
2014年6月発売ローブ(5MT)約181万円
となっており、比較的安い車種として扱われる軽自動車であっても大幅ではないが価格上昇が起きている状況である。
例え、ローンなどで購入費用を工面できたとしても、維持費の面から断念することも少なくない。2003年に登場したグリーン化税制の影響や2004年あたりから顕著になっている世界的な原油高によるガソリン価格の上昇も要因の一つだが、税金面の負担が大きくなりやすい点[注 5]、事故率や盗難率の高さから任意保険料の料率が高額に設定されている点、スポーツカー特有の部品を使用していることに伴う整備面の負担が大きい点など、単にスポーツカーを所有した場合の維持費という面からも敬遠されるようになった。
これに関連して、所有するだけで常に維持費が発生するため、単に移動手段という一点だけに絞れば、軽自動車やコンパクトカーなどの購入費用や維持費の安い車種を選ぶ比率が増加。そのため、相対的にスポーツカーの人気が低下したとも言える。
消費者の車に対する価値観の変化
高度経済成長期の時代は日本人の経済力が年々増し、車の性能も年々向上する傾向であり、座席数や積載能力に非常に乏しいクーペを所有しても「どうせ近い将来買い替えるから、将来の自分の状況次第でまた判断すれば良い」などと考えたり、車に何らかの性能差があったことが多かったため、車の性能を目的として買い替えたりするなど、多くの人にとって車は「短期間(1~4年程度)で買い買えるもの」という扱いであったのでスポーツカーを保有してもあまり気にされなかった。また、1990年代までは実用性(=生活の中で実際に使いやすい車で、買い物帰りに買ったものが積める(積載能力))より憧れの存在であるセダンやクーペ、スポーツカーを購入するというステータスも存在していた。
一方でフォルクスワーゲン・ゴルフローバー・ミニのように実用性のあるハッチバックという現代に通じる車種も1980年代には登場していたものの、それらは輸入車であり、カーマニア以外の消費者には評価されずにいた。また、日本車でそう言った概念のある車もなくはなかったが、一代限りで終わるケースも少なくなかった。そのため、この頃は候補はあるが進んで買われる車種ではなかったうえ、当時要求されていた実用性をセダンやクーペでも結果的に満たすことができており、結果的にそちらが買われている車種でもあった。
ところが、バブル景気の崩壊後は車を所有する人が減少傾向となった。車の購入希望者の判断基準の上位に、子供が生まれたり増えたりしても買い買えずに乗り続けられること(=後部座席があり、後部座席にも乗り込みやすいこと)や車自体の実用性が重視されるようになった。また、それに伴い一台当たりを長期間保有することが意識されるようになった。そんななか、軽自動車枠に収めるべく仕立て直し、バブル崩壊後に登場させたスズキ・ワゴンRによって軽自動車の実用性と軽トールワゴンの概念が確立された。また、ミニバンのほうも三菱・デリカ(初代・2代目)などの商用車をベースとしたキャブオーバースタイルのワンボックスカーのように、後年から見ればミニバンの一種という車種もあったが、1990年の初代トヨタ・エスティマをきっかけに消費者が求める実用性のあるミニバンの概念が確立され、市場にミニバンというジャンルが登場することとなった。
様々な要因が重なり、RVSUVミニバン等)やステーションワゴン、果てはハッチバック由来のコンパクトカーや軽自動車の軽トールワゴンがそれを機に隆盛し始め、セダンやクーペ以外の選択肢が激増した。その結果としてスペシャルティカーを含むクーペ系乗用車は敬遠されたうえ、統計的に見て、SUV・ミニバン・ハッチバック・トールワゴンなどを求める人の割合が非常に増えた。また、昔に比べ車の性能も大幅に向上したというケースは減少したため、車齢の長さの由来による経年劣化やユーザーの趣味・嗜好の変化など以外の理由で買い替える人が減少したことも影響した。
実際、現代の若者に未来のクルマを考えてもらうと、車内でダンスをしたり、雑談をしたり、マシンではなくスペースとして考えるアイディアが多く出てくるという事実からも、そうした価値観の変化が窺える[6]。そのため、販売するメーカー側は、売れない分野にあたるスポーツカー(およびクーペやセダン)の開発は敬遠され、確実かつ安定的に売れるSUVやミニバン、軽自動車コンパクトカーの開発に集中する傾向となった。巷で「若者の車離れは、自動車メーカーが手頃なスポーツカーを作らないせいだ」という主張がされることがあるが、実際は因果関係が逆で、「スポーツカーを作っても若者が積極的に買わない」という状況であり、購入層別で見ても財力に乏しい若者より財力に比較的余裕のある年輩者の方がスポーツカーを進んで買っているという車種も少なくない。そのため、若者がスポーツカーよりミニバンや軽自動車を好む様になっただけだというのが正しいともいえる。
他にも所有するにしても、近年日本国内のカーシェアリング、もしくは任意保険料・メンテナンス料込みの月額利用料で利用可能な自動車サブスクリプションサービス(例・KINTO)の基盤が整いつつあるうえ、スポーツカーの登録台数も増えている。現にその登録者が増えていること[7]から、運転は好きだが所有しないという人数が増えているため、スポーツカーを含む車離れというより、単に個人で車を所有する層が減っているだけという見方もあり、「自動車の登録台数の減少=車離れ」という公式は正しくないという見方もある。

21世紀のスポーツカー文化

2000年代前半にもスポーツカーに属する車は開発されていたものの、かつてのような売り上げに貢献する車種ではなくなっており、ラインナップはごく限られたものになっていった。それに関連して、スポーツセダンスポーツワゴンホットハッチとしてマイナーチェンジや再投入して、スポーツカーの存在をアピールした車種[注 6]もあったが、効果は限定的で売り上げのテコ入れにはつながらなかった。トヨタに至ってはMR-Sの販売台数が年間1000台程度に落ち込んだことから、ラインナップからクーペが消滅する事態に陥った。また新たなクーペ系スポーツカーの登場が少なかったため、市場においてはクーペの激減とFF化の波を背景として、スポーティーカーやファミリーカーの域であるマークII三兄弟やローレルセフィーロと言った車種がその素性の良さと流通数の多さからチューニングカーのベースとなるケースが増えた。

だが、声高に叫ばれる若者の車離れやスポーツカーなどのフラッグシップクーペ不在という状況を各メーカーは見逃すことはできず、00年代以降から再びスポーツカーにテコ入れをするようになった。特にモータースポーツで複数の世界選手権を掛け持ちするトヨタが積極的で、トヨタは自らもレースに参戦する車好きで知られる豊田章男社長の元にスポーツカー振興を積極的に行っており、スーパーカーのLFAを開発した他、2009年にスポーツグレードの「G's」とコンプリートモデルの「GRMN」を立ち上げた。2017年にはスポーツカーブランドの「GR」を立ち上げ、ヴィッツGRMNのようなホットハッチを中心にチューニングカーを多数ラインナップした他、ハイパーカーの開発も示唆している。また2012年には富士重工業スバル)との共同開発によるライトウェイトスポーツカーのトヨタ・86スバル・BRZを、さらに2019年にはBMWとの協業でGRスープラも発売した。

ホンダも一時はスポーツカーを生産していない期間もあったが、2010年代から定期的にスポーツカーを国内市場に投入している。海外専売となっていたシビックタイプRを国内発売したほか、他社に先駆けてライトウェイトハイブリッドクーペのCR-Zを開発。さらに20代の若者が開発主査を務めた軽クーペのS660、新型ハイブリッドスーパーカーのNSXなどを次々に誕生させている。

スズキは8代目となるスズキ・アルトを発売後、追加モデルとしてホットハッチモデル「ターボRS」と「ワークス」発売し、5代目アルトの生産終了以降途絶えていた軽ホットハッチを復活させた。日産も新型GT-R(R35)を登場させて世界的に高い評価を得た他、フェアレディも存続。さらにオーテックを2017年にチューニングカーブランドとして発展させた。その他マツダはロードスター、スバルはWRX STi、ダイハツはコペンを存続させている。唯一、三菱ランサー・エボリューションを生産終了させてこの分野から完全に撤退した。

ハイブリッドコンパクトカーを専用チューニングしたG'sアクアが年間1万台以上を売り上げた[8]ことからも分かる様に、2000年以降のスポーツカーは走行性能だけでは無く低燃費・実用性が求められるようになってきている。そのためGT-R、86/BRZ、NSX、CR-Zのように、クーペでも2+2シーター(後部座席付き)やハイブリッドシステム搭載車が増えている。こうした世の趨勢に適応しようとする各メーカーの努力で、徐々に日本のスポーツカー市場は息を吹き返し始めている。

スポーツカーを専門的に製造するメーカー及びブランド

伝統的な2ドアのスポーツカーのみを製造するメーカー及びブランド

2ドア以外のスポーツカーも製造するメーカー・ブランド

脚注

[脚注の使い方]
注釈
  1. ^ フェラーリ乗用車で"S"を名乗るのはGTBとGTSの関係のように、ベルリネッタ (クーペ) の"B" に対するスパイダー (ロードスター) の意味で用いられている。
  2. ^ 厳密に言えば、2シーターの2ドアクーペの車種。
  3. ^ 日産では2ドアクーペのフェアレディZ、「ハイエンドスポーツカー扱いされるセダン」にあたる三菱・ランサーエボリューションインプレッサWRX STiなどはモデルチェンジして生産が続けられ、マツダは4ドア(厳密には2+2ドア)仕様のマツダ・RX-8を後継車種として生産した。
  4. ^ 計算がややこしくなることや名称が多少変更されているため、出典先Goo-net掲載情報の最低価格で統一する。日産 GT-R(GTR)カタログ・スペック情報・モデル・グレード比較2019年11月15日閲覧。
  5. ^ 日本の自動車税は排気量が大きければ大きいほど税率が高くなる仕組みとなっている。
  6. ^ スバル・インプレッサは、2代目まではセダンやクーペが主体であったが、3代目からはハッチバックが主体となったなど。
出典
  1. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
  2. ^ パーク24による統計[1]
  3. ^ Automobiles of the World ISBN 0-671-22485-9 P235
  4. ^ GAZOO.com 1912年 イスパノ・スイザ 15T 注:GAZOO.comでは、イスパノ=スイザモデル15Tの1912年の「アルフォンソXIII」モデルが世界初のスポーツカーとして解説されている。これは3.5Lとは別物。
  5. ^ ダイハツ コペン(COPEN)カタログ・スペック情報・モデル・グレード比較2019年11月15日閲覧
  6. ^ 自動車ライターがズバッと解説! 3分でわかる自動車最新トレンド 復活傾向のスポーツカーに時代が求めるクルマの姿はない!?
  7. ^ クルマ離れはウソ? 若者を中心に日本人が新車を買わなくなったワケ (1/2ページ)
  8. ^ トヨタ「アクア」の人気が全く衰えない理由 発売4年目でも販売トップをひた走る

関連項目


 

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