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🚗|ランクル生誕70周年! ランドクルーザーシリーズ“誕生日”の2021年8月1日(日)、トヨタが…


写真 トヨタ 新型ランドクルーザー300 ロシア仕様[2021年6月10日(木)世界初公開] [photo:TOYOTA]

ランクル生誕70周年! ランドクルーザーシリーズ“誕生日”の2021年8月1日(日)、トヨタが…

 
内容をざっくり書くと
また特設サイトも設けられ、ランドクルーザーでダカールラリーに出場した三浦 昇選手によるオフロードコース攻略動画などのスペシャルコンテンツが公開されている。
 

トヨタの四輪駆動車「ランドクルーザー」シリーズが誕生70周年を迎える。始まりは1951年8月1日に発… →このまま続きを読む

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ダカール・ラリー

ダカール・ラリーDakar Rally)は、フランス人冒険家ティエリー・サビーヌの発案により1978年から例年1月に開催されているラリーレイド競技大会である。アモリ・スポル・オルガニザシオン (A.S.O.) が主催。「世界一過酷なモータースポーツ競技」とも言われている[1]

元々はフランスパリを出発点、セネガルダカールを終着点として主にアフリカ大陸で競技が行われ、パリ-ダカール・ラリーParis-Dakar Rally、日本での略称「パリダカ」)と呼ばれていた。2009年からは南米大陸に開催地を移し、2020年からはサウジアラビアでの開催となる。

大会の公式語はフランス語であり、フランス語では一般に「ラリー・ダカール(Rallye Dakar[注釈 1])」と呼び、さらに短縮して「ル・ダカール(Le Dakar)」と呼ぶこともある。日本語では英語風の語順で「ダカール・ラリー」と呼ぶことが多い。

概要

1979年に始まり毎年行われているラリーレイド大会であり、1981年より国際自動車連盟 (FIA) と国際モーターサイクリズム連盟 (FIM) の公認イベントとなっている[2]世界三大レースモナコグランプリインディ500ル・マン24時間レース)に比べれば開催回数は少ないが、それらに同じレベルの規模・知名度を誇っており、モータースポーツ/ラリー(ラリーレイド)を代表するイベントのひとつとなっている。

以前は、例年1月1日(前年の12月末に始まることもある)にフランスの首都・パリからスタートし、スペインバルセロナからアフリカ大陸に渡り、セネガルの首都・ダカールまでのおよそ12000 kmを走ることで知られていたが、2009年からは南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスからチリを回る周回コースに、2012年からはペルーを加えた3カ国を通るルートとなった。また2019年はペルー、2020年はサウジアラビアのそれぞれ1カ国のみとなっている。

かつてのヨーロッパ-アフリカ大陸時代は、途中ほとんど集落や救護施設のないサハラ砂漠を縦断する過酷な競技なため、出場者の5割以上がリタイアする大会も珍しくなく、アフリカ大陸時代は年によっては死者が発生することもあった。競技区間には、西サハラなど政治的に不安定な国が入っていることも「世界一過酷」と呼ばれる由縁であった。それ故、「全ての完走者が勝者である」という言葉が出場者全員の共通の認識となっており、最終日のレースは「ビクトリーラン」と呼ばれている。

同様にヨーロッパ-アフリカ大陸時代は、フランスなど欧米を中心とした選手とメーカーがかつて植民地として支配していたアフリカ諸国で行っているだけに、植民地主義的だとする批判が根強く存在し、テロリストや強盗集団の標的にされる理由の一つであった。またアフリカの一般住民の住む地域を競技車両が猛スピードで駆け抜け住民と競技車の事故も発生しており、批判されるのもやむを得ないとする見方も多かった。それらの事情から、後に開催地が南米に変更された。しかし南米も治安の問題などから開催国が減少し、2020年には中東へと移った。

冠スポンサーは2007年はポルトガルでロト(日本でいえば宝くじ)を販売するが務めた。過去にはテレフンケンde:telefunken:ドイツの電機メーカー)、トタル(フランスの石油メーカー)、テレフォニカ(スペインの通信会社)などが務めている。日本企業ではパイオニアが1988年 - 1991年に冠スポンサーを務めた。舞台が南米大陸になってからの2009年はトタル、2010年と2011年は社が冠スポンサーを務めた。

歴史

1978年12月26日に第1回大会が開催、この時の名称は「オアシス・ラリー」となっていた。

本ラリーの創始者はティエリー・サビーヌ (Thierry Sabine) である[1]。下記の言葉は1978年の第1回開催の時に彼が言ったとされ、ダカール・ラリー創設の精神を語る言葉として有名である。

  • フランス語: Je vous emmène aux portes de l'Aventure... mais c'est à vous de défier le sort.[3]
  • 英語: I will take you to the gateway of adventure, but you alone can challenge fate.[3]
  • 日本語: 私が冒険の扉を示す。開くのは君だ。望むなら連れて行こう。[4]

ティエリーは運営団体としてTSO()を設立、主催者としてパリ・ダカを象徴する存在となる。しかし、ティエリーは1986年に競技期間中に起こったヘリコプター墜落事故により死去[5][2]、彼の遺志とTSOは父ジルベールによって引き継がれた。だが、そのジルベールもティエリー程のカリスマ性を持つには至らず、高齢を理由に1994年1月に引退。TSOは主催者権を売却し、1994年からはフランスのアモリー・グループである「ASO」(アモリ・スポル・オルガニザシオン)が主催している。

1982年の大会では、競技者として参加していたイギリス首相(当時)マーガレット・サッチャーの息子のが競技中に一時行方不明となり、世界を巻き込んだ大騒ぎとなった[6]。この際、サッチャーは「息子が発見されなかったら、このような危険なレースを2度と開催させない。」と発言している。TSOによる捜索の結果、マークは数日後に無事発見・保護された[6]。この騒動でラリーが世界的に認知される事となる。

1985年大会では三菱パジェロが初優勝[7]。出場者も非常にバラエティに富んだものとなりのアルベール2世 (モナコ大公)とアルベール二世の姉のカロリーヌ[8]、日本からは夏木陽介らが出場した[9]

1986年の大会では15000キロにも及ぶ過酷なルート設定と酷い砂嵐に見舞われ、大会主催者であったティエリー・サビーヌと、日本人ライダーのを含む計6人の死者を出した。しかしサビーヌ亡き後も86年のラリーは継続されゴールを迎えた[5]。86年をもってポルシェワークスは撤退。この年より篠塚建次郎が初参戦[10]

1987年の大会よりティエリーサビーヌの父親で歯科医だったジルベールがラリーを主催[11]プジョーWRCにおけるグループBの廃止に伴って行き場がなくなった205ターボ16を投入[12]し、圧倒的な速さでラリーを席巻した[11]。それまでのパリ・ダカは耐久ラリーの色合いが非常に濃いものであったが、プジョーはWRCのサービス体制をそのままパリ・ダカに持ち込み、どんなトラブルやアクシデントに見舞われようとも、ゴールまでたどり着けば翌日のスタートには新品同様に車両を修復するという手法でパリ・ダカの長丁場を乗り切った。プジョーの手法は三菱をはじめとした他のエントラントにも大きな影響を与えることとなり[13][2]、この年以降、この動きに追従した三菱とプジョー(1990年からは同じPSAグループシトロエン)による優勝争いはより激しさを増し、パリ・ダカは高速化の一途をたどることとなった。

1988年の大会では、オート部門首位だったアリ・バタネンの車両が盗難に遭うという事態が発生し、後に失格の裁定が下された[14]。この時、失格の裁定を巡って、プジョーとFIA、というより、以前から遺恨があったとされる、プジョーチーム監督ジャン・トッドとFIA会長ジャン・マリー・バレストル個人の間で深刻な対立が生じている(ジャン・マリー・バレストルの項目参照)。篠塚建次郎が2位入賞。なお、この年から日本のパイオニアタイトルスポンサーを務めることになった。

1991年にはシトロエンチームのサポートカミオンが、モーリタニア国内でポリサリオ戦線が敷設していた地雷を踏み、コドライバーが逃げ遅れて焼死する事件が発生した。事前警告で地雷が存在するため、メインピストから外れて走らないよう指示が出ていたのにもかかわらず、主催者から指示され、ルートブックにも記載されていたメインピストを外れて走行していたのが原因とされている。

1992年、パリ・ダカの歴史上初めてゴール地がダカールから南アフリカのケープタウンに移された[15]。名前もパリ〜ル・カップに改められ、タイトルスポンサーは日本のパイオニアからフランスの石油メーカーのトタル (TOTAL) に変更になった。この年は大会のが事故を起こし、救護に駆け付けようとしたメディカルカーに1989年のモトクラス覇者が接触し、この世を去るアクシデントが発生した。

1999年にはテレビ局の取材担当者らがテロ組織に襲われた。

この事件だけではなく、特に近年の同レースはテロ組織以外にも強盗も現れ、ドライバーがその被害・脅迫に遭遇することは少なくなかった。銃撃を受ける、盗賊に金品を略奪される等、事件例は枚挙に暇が無い。通行する集落の住民による投石による事故や負傷も多い。シトロエンのサポートカミオンのドライバーが何者かによって射殺されたり、三菱自動車工業のサポートカミオンが狙撃を受ける事態すら発生した。[要出典]

2008年は走行区間のアフリカ北西部モーリタニアの治安悪化のため、開幕前日になって全区間開催中止が発表された[16]。2008年の再開催の予定はなし。2007年末のフランス人旅行者殺害事件を契機にフランス政府が事実上のレース中止勧告をしていたほか、主催者にも直接テロの脅迫が届いていたという。レースが全面中止されるのは30年の歴史で初めてであり、主催者側はテロの危険が絶えないサハラ砂漠からの撤退を含めた議論を示唆した[17]

2008年2月4日、ASOは中止になったダカール・ラリーの代わりに中央ヨーロッパを舞台にしたラリー「」を創設、4月20日 - 26日に開催すると発表した[18]ハンガリーの首都・ブダペストからスタートし、途中ルーマニアを通過、同国西部のバラトン湖までのおよそ4800 kmを走る。

同年2月11日には2009年のダカール・ラリーは南アメリカアルゼンチンチリを舞台に行われると報じられた[19]ブエノスアイレスが発着点となる。この地が舞台となった理由として、ダカール・ラリーの特徴である砂漠や難コースを持ちながらテロの脅威がないことが挙げられている。

2009年2月、2010年も引き続き南米で開催されることが発表された。この年、長らくトップコンテンダーとして健在だった三菱自動車が、2009年限りでワークスチーム撤退を表明した[20]。撤退が噂されていたフォルクスワーゲンは後に参戦継続を表明したが、パリダカールラリーはワークス主体のレースが継続されるか、初期のプライベーター主体のレースに回帰するか、開催地の問題も含め岐路に立たされた。

2010年1月、この年もアルゼンチン・チリを舞台にし、同年8月にコピアポ鉱山落盤事故が発生するサンホセ鉱山もルートに設定された。

2012年2013年大会ではペルーが開催国に加わり、南米開催となって以来初の片道ルートとなった。また、2016年大会ではアルゼンチン、2019年大会ではペルー1国での開催となっている。

コース

コースはASOのコースディレクターによる事前の試走に基づいて決定される。経由地やルートは毎年変更され、前年と全く同じコースを走行することはほとんどない。なお、コースディレクションはティエリー・サビーヌの存命中は彼自身の手によって行われ、彼亡き後はルネ・メッジやユベール・オリオールなど、本ラリーの過去の参加経験者の手によって行われている。

日々のコースは、リエゾンと呼ばれる移動区間とSS(通常のラリーではスペシャルステージの略であるが、本ラリーにおいてはセレクティブセクターもしくはそのままエスエスと呼称される事がある)と呼ばれる競技区間とで構成される。リエゾンとSSを合計した1日の走行距離はおよそ500 kmから800 kmにも及び、過去には1,000 kmを超える競技区間が設けられた事もあった。

また、マラソンステージと呼ばれる区間が全コース中1度ないし2度設けられる。これは競技車が到着後、通常はその日のビバーク地で行う事が出来る整備を一部禁じ(具体的にはエンジン、駆動系などの部品交換が禁止される)、そのまま翌日のステージを走行するものである。2日にわたるステージをタイヤ交換などの軽整備のみで乗り切らなければならないため、ステージ内でのエンジンや駆動系の深刻なトラブルは即リタイヤに繋がる。そのため、車両を壊さないように労わりながらも速く走らなければならないという、2つの相反する要素が求められるステージとなっている。

競技期間中には1日ないし2日の休息日があり、競技車両の整備やクルーの休息に充てられる。

日程・ルート

アフリカ開催時代
開催日程ルート総距離 / SS走行距離ST/P+SS
1978年12月26日 - 1979年1月14日フランスの旗パリアルジェリアの旗アルジェセネガルの旗ダカール10,000 km / 3,168 km8/10
1980年1月1日 - 23日10,000 km / 4,059 km7/13
1981年1月1日 - 20日6,263 km / 3,357 km12/13
1982年1月1日 - 20日10,000 km / 5,963 km14/18
1983年1月1日 - 20日12,000 km / 5,210 km15/15
1984年1月1日 - 20日12,000 km / 5,882 km18/21
1985年1月1日 - 22日14,000 km / 7,470 km17/20
1986年1月1日 - 22日15,000 km / 7,731 km18/22
1987年1月1日 - 22日13,000 km / 8,315 km20/20
1988年1月1日 - 22日12,874 km / 6,605 km18/16
1988年12月25日 - 1989年1月13日フランスの旗パリ→ チュニジアの旗チュニスセネガルの旗ダカール10,831 km / 6,605 km17/16
1989年12月25日 - 1990年1月16日フランスの旗パリ→ リビアの旗トリポリセネガルの旗ダカール11,420 km / 8,564 km18/21
1990年12月29日 - 1991年1月17日9,186 km / 6,747 km11/14
1991年12月25日 - 1992年1月16日フランスの旗パリ→ リビアの旗スルト南アフリカの旗ル・カップ12,427 km / 6,263 km22/17
1993年1月1日 - 16日フランスの旗パリ→ モロッコの旗タンジェセネガルの旗ダカール8,877 km / 4,476 km11/11
1993年12月28日 - 1994年1月16日フランスの旗パリ→ セネガルの旗ダカール→ フランスの旗パリ13,379 km / 4,446 km16/20
1995年1月1日 - 15日スペインの旗グラナダセネガルの旗ダカール10,109 km / 5,725 km14/14
1995年12月30日 - 1996年1月14日7,579 km / 6,179 km15/16
1997年1月4日 - 19日セネガルの旗ダカール→ ニジェールの旗アガデスセネガルの旗ダカール8,049 km / 6,509 km14/15
1998年1月1日 - 18日フランスの旗パリ→ スペインの旗グラナダ→セネガルの旗ダカール10,593 km / 5,219 km16/16
1999年1月1日 - 17日スペインの旗グラナダ→ セネガルの旗ダカール9,393 km / 5,638 km16/16
2000年1月6日 - 23日セネガルの旗ダカール→ エジプトの旗カイロ7,863 km / 5,012 km13/13
2001年1月1日 - 21日フランスの旗パリ→ セネガルの旗ダカール10,219 km / 6,180 km20/19
2001年12月18日 - 2002年1月13日フランスの旗アラススペインの旗マドリードセネガルの旗ダカール9,436 km / 6,486 km16/15
2003年1月1日 - 19日フランスの旗マルセイユエジプトの旗シャルム・エル・シェイク8,552 km / 5,216 km17/17
2004年1月1日 - 18日フランスの旗クレルモン=フェランセネガルの旗ダカール9,506.5 km / 4,635.5 km17/15
2004年12月31日 - 2005年1月16日スペインの旗バルセロナセネガルの旗ダカール9,039 km / 5,433 km16/14
2005年12月31日 - 2006年1月15日ポルトガルの旗リスボンセネガルの旗ダカール9,043 km / 4,813 km15/14
2007年1月6日 - 21日7,915 km / 4,309 km15/14
第30回中止(2008年1月5日 - 20日予定)9,273 km / 5,736 km16/16
南米開催時代
開催日程ルート総距離 / SS走行距離ST/P+SS
2009年1月3日 - 18日アルゼンチンの旗ブエノスアイレスチリの旗バルパライソアルゼンチンの旗ブエノスアイレス9,574 km / 5,652 km14/13
2010年1月1日 - 17日アルゼンチンの旗ブエノスアイレス→ チリの旗アントファガスタアルゼンチンの旗ブエノスアイレス
  • 8,937 km / 4,717 km (Bike Quad)
  • 9,030 km / 4,810 km (Car Truck)
14/14
2011年1月1日 - 15日アルゼンチンの旗ブエノスアイレス→ チリの旗アリカアルゼンチンの旗ブエノスアイレス
  • 9,605 km / 5,007 km (Bike Quad)
  • 9,618 km / 5,020 km (Car)
  • 9,458 km / 4,457 km (Truck)
13/13
2012年1月1日 - 16日アルゼンチンの旗マル・デル・プラタチリの旗コピアポペルーの旗リマ
  • 8,391 km / 4,372 km (Bike Quad)
  • 8,377 km / 4,161 km (Car)
  • 8,336 km / 4,120 km (Truck)
14/13
2013年1月5日 - 20日ペルーの旗リマ→ アルゼンチンの旗サン・ミゲル・デ・トゥクマンチリの旗サンティアゴ
  • 8,423 km / 4,146 km (Bike Quad)
  • 8,474 km / 4,155 km (Car)
  • 8,121 km / 3,541 km (Truck)
14/14
2014年1月5日 - 1月18日アルゼンチンの旗ロサリオアルゼンチンの旗サルタチリの旗バルパライソ
  • 8,734 km / 5,228 km (Bike Quad)
  • 9,374 km / 5,522 km (Car)
  • 9,188 km / 5,212 km (Truck)
13/13
2015年1月4日 - 1月17日アルゼンチンの旗ブエノスアイレス→ チリの旗イキケアルゼンチンの旗ブエノスアイレス
  • 9,295 km / 4,752 km (Bike Quad)
  • 9,111 km / 4,578 km (Car)
  • 3,759 km / 8,159 km (Truck)
13/13
2016年1月2日 - 1月16日アルゼンチンの旗ブエノスアイレス→ アルゼンチンの旗サルタ→ アルゼンチンの旗ロサリオ
  • 8,973 km / 4,690 km (Bike Quad)
  • 9,237 km / 4,792 km (Car)
  • 9,039 km / 4,320 km (Truck)
13/13
2017年1月2日 - 1月14日パラグアイの旗アスンシオンボリビアの旗ラパスアルゼンチンの旗ブエノスアイレス
  • 8,818 km / 4,089 km (Bike Quad)
  • 8,823 km / 4,093 km (Car UTV)
  • 8,781 km / 3,910 km (Truck)
12/10
2018年1月6日 - 20日ペルーの旗リマ→ ボリビアの旗ラパス→ アルゼンチンの旗コルドバ
  • 8,276 km / 4,234 km (Bike Quad)
  • 8,793 km / 4,329 km (Car UTV)
  • 8,710 km / 4,154 km (Truck)
14

参加車両

2017年現在、以下の7つの部門に分かれている。

AUTO/CAR

3500 kg未満のクロスカントリー車のための部門。細かくクラス分けされている。

グループT1

改造範囲が極めて広い、事実上のプロトタイプカー。

年間1000台以上生産される車両のシャーシかモノコックボディ、または単一製造の鋼鉄製パイプフレームシャーシを使用する必要がある。エンジンはグループN、GT(2012年GT公認規定)、T2のいずれかの規定でホモロゲーション取得されているものが使用可能。また二輪駆動車は規則が非常に緩い(排気量次第で重量を200 kg - 650 kg軽くできる、タイヤを130 mm太くできる、コックピットからタイヤの内圧調整ができるなど)ため、ときに四輪駆動車以上のパフォーマンスを発揮する。これに目をつけたプジョー、ついでMiniが2WDで幾度も優勝を修めている。

  • T1.1 - 4×4(四輪装着・四輪駆動)のガソリン
  • T1.2 - 4×4のディーゼル
  • T1.3 - 二輪駆動のガソリン車
  • T1.4 - 二輪駆動のディーゼル車
  • T1.5 - バハ1000など北米オフロードレースを主催するSCOREインターナショナルの規則に合致した車両。2020年までは後述の"グループOP"を名称としていた。

グループT2

四輪駆動、あるいはそれ以上の駆動輪を持つ量産車のためのクラス。年間1000台生産されている車両がホモロゲーション対象。T1とは逆に改造範囲が極めて狭く、安全装備や粉塵対策、アンダーガードなど最低限のボディ補強しか認められない。ガソリンエンジン車について過給器は禁止されている。長きに渡りトヨタ・ランドクルーザーが席巻している。

  • T2.1 - ガソリンの量産車
  • T2.2 - ディーゼルの量産車
  • T2.C - ホモロゲ―ション期限が切れたT2車両

グループOP(オープン)

従来はグループT1.5と称されていたが、2021年からSCORE車両のクラスと名称が入れ替わっている。

  • OP.1 - 旧称T1.5 (1.S)。 "NRJチャレンジ"とも呼ばれる。グループT1~T4ベースの、ハイブリッドや天然ガスなどの特殊な動力源による車両。
  • OP.2 - 旧称T1.E。電気自動車の規定。

これら以外に初参加者 (Trophée 1ère Participation) にも別に賞典が用意されている。

Camion/Track

1980年に創設された、3,500 kg以上の車両(=トラック)のための部門。グループT5と呼ばれる規定で、量産車のT5.1、改造車のT5.2、サポートトラックのためのT5.3の3つに分けられている。なお2020年まではそれぞれ"グループT4(T4.1、T4.2、T4.3)"と呼ばれていたが、後述のSSVがその名を譲り受けたため、T5を名乗るようになっている。

駆動形式が6×6、天然ガスやハイブリッド車などの特殊動力源車両、排気量10 L未満の車両、初参加者はそれぞれ別に賞典が用意される。

Moto/Bike

二輪車両の部門。全車両最大排気量450cc、気筒数は1~2に制限されている。グループ1(エリートクラス)とグループ2(ノンエリートクラス)に分かれ、総合トップ10フィニッシュまたはステージウィン経験者は黄色いゼッケンのエリートクラスに強制的にカテゴライズされる。

また車両は改造範囲の広いクラス1(スーパープロダクション)と、狭いクラス2(マラソン)に分けられており、エリートクラスはクラス1車両のみとなっている。この他女性ライダー、初参加者のための賞典も用意されている。

Quad

2009年にMOTO/BIKE部門から独立した全地形対応車(四輪バギー)のための部門。グループ3と呼ばれる規定で、二輪駆動・単気筒・最大750 ccのグループ3.1と、四輪駆動・2気筒・最大900 ccのグループ3.2に分けられている。部門創設から2021年現在までの全ての開催でヤマハ発動機が部門制覇を収めている。四輪同様、二輪駆動が優位なのも大きな特徴である。

初参加者、女性にも賞典が用意される。

Light Weight Vehicle

2017年にAUTO/CAR部門から独立した、SSV(サイド・バイ・サイド・ビークル)を主とする軽車両のための部門。2020年までは「S×S」「UTV」などの名称で、プロトタイプカーとなるグループT3.3及びT3.3オープンによって争われていた。2021年から市販SSVを改造するグループT4も加えて再編・改名し直されている。

初参加者、女性にも別の賞典が用意される。

グループT3

ベースのシャーシ・モノコックについて最低生産台数を必要としないプロトタイプカークラス。4×4または4×2の鋼鉄製パイプフレームシャーシであることが求められる。紫背景のゼッケンを用いる。

最低重量は850 kg。最大気筒容積は1,050 cc以下で搭載位置は自由だが、前部車軸を含むエンジン、トランスミッションのアセンブリー全体は市販車両(エンジンは二輪出自も可)からのものでなければならない。

従来はグループT3.1~T3.3オープンの4クラスに細かく規定されていたが、新生グループT4の発足に伴い2021年から"グループT3"のみとなっている。

グループT4

連続する12ヶ月の間に500台が生産された、SSVを用いる規定。最低重量は900 kg、最大気筒容積は1,050 cc。白背景のゼッケンを用いる。

  • T4.1 - 過給器を装着する市販車ベースのSSV
  • T4.2 - 過給器なしの市販車ベースのSSV

ORIGINAL by MOTUL

バイク・クアッド部門のうちサポートスタッフを一切雇わず、運営からの一定のサポート以外は全て自分一人で行うアマチュア競技者のための賞典。イベント中、エンジンオイルの解析サービスを行っているモチュールが協賛している。

Dakar Classic

2021年に創設された部門で、2000年までにパリ=ダカールラリーに参戦した四輪・トラックが対象。勝敗は他の部門と異なり、各ステージに設定された平均速度をどれだけ維持できるかで争われる。

過去の規定

ごく初期においては2輪車と4輪車にカテゴリー分けされている程度であり、ナンバープレートが取得可能な車両であればどのような車両であっても大抵の場合は参加することが可能であった。そのため参加車両には、街中を走るごく普通の市販車を改造したものもあり、たとえば2輪部門ではスーパーカブベスパも参加したことがあり、また自動車メーカーのプロトタイプ・カー、軍用車両の流用などもあった。

2008年時点の大まかなクラス分けは下記のとおりで、更に燃料の種類や排気量で細分化されていた。

  • プロダクション(無改造の市販車:二輪・四輪共通)
  • スーパープロダクション(市販車ベースの改造車および競技専用車。バギーを含む:二輪・四輪共通)
  • カミオン(トラックベース)
  • エクスペリメンタル(サイドカーや三輪・四輪のATVなど)

1997年にワークスチームのプロトタイプカー(競技専用車)とガソリンターボエンジンを搭載しての参戦が禁止されたが、2001年からスーパープロダクションという形でプロトタイプカーが実質解禁となった。ガソリンNAエンジンの市販改造車のほか、ディーゼルエンジンを採用するチームが多く登場した。

歴代優勝者

  • 2018年度までの出典:DAK19-GuideHistorique-UK-PROD Interactif.pdf (PDF)”. Amaury Sport Organisation (2019年). 2019年1月18日閲覧。
  • 第1回大会(1979年)は部門・クラス区分なし(オート・モト・カミオン全車の総合順位)。

オート(四輪)

参加台数完走台数優勝クルー優勝マシン備考
ドライバーナビゲーター
第1回 (1979)80台 フランスの旗
  • フランスの旗
  • フランスの旗
イギリスの旗ランドローバー・レンジローバー総合4位
第2回 (1980)116台49台スウェーデンの旗ドイツの旗ドイツの旗英語版
第3回 (1981)170台60台フランスの旗フランスの旗イギリスの旗ランドローバー・レンジローバー
第4回 (1982)233台94台フランスの旗フランスの旗フランスの旗ルノー・20
第5回 (1983)  ベルギーの旗ジャッキー・イクスフランスの旗クロード・ブラッスールドイツの旗メルセデス・280GE
第6回 (1984)  フランスの旗ルネ・メッジフランスの旗ドイツの旗ポルシェ・953
第7回 (1985)362台101台フランスの旗フランスの旗日本の旗三菱・パジェロ
第8回 (1986)282台 フランスの旗ルネ・メッジフランスの旗ドミニク・ルモイヌドイツの旗ポルシェ・959
第9回 (1987)154台 フィンランドの旗アリ・バタネンフィンランドの旗ベルナール・ジローフランスの旗プジョー・205T16GR
第10回 (1988)311台 フィンランドの旗ユハ・カンクネンフィンランドの旗
第11回 (1989)241台100台フィンランドの旗アリ・バタネンスウェーデンの旗フランスの旗
第12回 (1990)236台64台
第13回 (1991)184台 フランスの旗
第14回 (1992)133台68台フランスの旗フランスの旗日本の旗三菱・パジェロ
第15回 (1993)65台 フランスの旗フランスの旗
第16回 (1994)96台57台フランスの旗フランスの旗フランスの旗シトロエン・ZXラリーレイド
第17回 (1995)86台58台
第18回 (1996)99台61台
第19回 (1997)282台71台日本の旗篠塚建次郎フランスの旗日本の旗三菱・パジェロ
第20回 (1998)115台55台フランスの旗フランスの旗日本の旗三菱・パジェロエボリューション
第21回 (1999)88台54台フランスの旗ジャン=ルイ・シュレッサーフランスの旗フィリップ・モネフランスの旗
第22回 (2000)135台95台フランスの旗アンリ・マーニュ
第23回 (2001)133台53台ドイツの旗ユタ・クラインシュミットドイツの旗日本の旗三菱・パジェロ
第24回 (2002)117台52台日本の旗増岡浩フランスの旗
第25回 (2003)130台61台ドイツの旗日本の旗三菱・パジェロエボリューション
第26回 (2004)142台60台フランスの旗ステファン・ペテランセルフランスの旗
第27回 (2005)165台75台
第28回 (2006)174台67台フランスの旗リュック・アルファンフランスの旗
第29回 (2007)181台109台フランスの旗ステファン・ペテランセルフランスの旗ジャン=ポール・コトゥレ
第30回 (2008)中止
第31回 (2009)178台91台南アフリカ共和国の旗ドイツの旗ドイツの旗フォルクスワーゲン・レーストゥアレグ2
第32回 (2010)134台57台スペインの旗カルロス・サインツスペインの旗
第33回 (2011)140台55台カタールの旗ナサール・アルアティヤドイツの旗ドイツの旗フォルクスワーゲン・レーストゥアレグ3
第34回 (2012)161台78台フランスの旗ステファン・ペテランセルフランスの旗ジャン=ポール・コトゥレイギリスの旗ミニ・オール4レーシング
第35回 (2013)153台90台
第36回 (2014)147台61台スペインの旗フランスの旗
第37回 (2015)137台68台カタールの旗ナサール・アルアティヤフランスの旗
第38回 (2016)111台67台フランスの旗ステファン・ペテランセルフランスの旗ジャン=ポール・コトゥレフランスの旗プジョー・2008 DKR Maxi
第39回 (2017)79台57台フランスの旗プジョー・3008 DKR Maxi
第40回 (2018)92台43台スペインの旗カルロス・サインツスペインの旗ルーカス・クルス
第41回 (2019)カタールの旗ナサール・アルアティアフランスの旗マシュー・バウメル日本の旗トヨタ・ハイラックスEVO
第42回 (2020)スペインの旗カルロス・サインツスペインの旗ルーカス・クルスイギリスの旗ミニ・JCWバギー

モト(二輪)

回(年)参加台数完走台数優勝ライダー優勝マシン備考
第1回 (1979)90台 フランスの旗日本の旗ヤマハ・XT500総合1位
第2回 (1980)90台25台
第3回 (1981)106台28台フランスの旗ドイツの旗英語版
第4回 (1982)129台33台フランスの旗シリル・ヌヴー日本の旗ホンダ・XR550
第5回 (1983)132台29台フランスの旗ユベール・オリオールドイツの旗BMW・R80G/S
第6回 (1984)114台50台ベルギーの旗ガストン・ライエ
第7回 (1985)135台25台
第8回 (1986)131台29台フランスの旗シリル・ヌヴー日本の旗
第9回 (1987)154台26台
第10回 (1988)183台34台イタリアの旗
第11回 (1989)155台60台フランスの旗
第12回 (1990)136台46台イタリアの旗エディー・オリオリイタリアの旗カジバ・エレファント900
第13回 (1991)113台46台フランスの旗ステファン・ペテランセル日本の旗ヤマハ・YZE750T
第14回 (1992)98台45台
第15回 (1993)46台12台日本の旗ヤマハ・YZE850T
第16回 (1994)96台47台イタリアの旗エディー・オリオリイタリアの旗カジバ・エレファント900
第17回 (1995)95台27台フランスの旗ステファン・ペテランセル日本の旗ヤマハ・XTZ850R
第18回 (1996)119台50台イタリアの旗エディー・オリオリ日本の旗ヤマハ・XTZ850TRX
第19回 (1997)126台58台フランスの旗ステファン・ペテランセル
第20回 (1998)173台41台
第21回 (1999)161台40台フランスの旗ドイツの旗BMW・F650RR
第22回 (2000)200台107台
第23回 (2001)133台76台イタリアの旗オーストリアの旗KTM・LC4 660R
第24回 (2002)167台58台オーストリアの旗KTM・LC8 950R
第25回 (2003)162台98台フランスの旗オーストリアの旗KTM・LC4 660R
第26回 (2004)195台65台スペインの旗
第27回 (2005)230台104台フランスの旗
第28回 (2006)232台93台スペインの旗
第29回 (2007)231台126台フランスの旗シリル・デプレオーストリアの旗KTM・690ラリー
第30回 (2008)中止
第31回 (2009)217台113台スペインの旗マルク・コマオーストリアの旗KTM・690ラリー
第32回 (2010)151台88台フランスの旗シリル・デプレ
第33回 (2011)170台94台スペインの旗マルク・コマオーストリアの旗KTM・450ラリー
第34回 (2012)178台97台フランスの旗シリル・デプレ
第35回 (2013)183台125台
第36回 (2014)174台78台スペインの旗マルク・コマ
第37回 (2015)161台79台
第38回 (2016)136台84台オーストラリアの旗トビー・プライス
第39回 (2017)143台96台イングランドの旗サム・サンダーランド
第40回 (2018)139台85台オーストリアの旗マティアス・ウォークナー
第41回 (2019)オーストラリアの旗トビー・プライス
第42回 (2020)アメリカ合衆国の旗リッキー・ブラベック日本の旗ホンダ・CRF450ラリー

カミオン(トラック)

参加台数完走台数優勝クルー優勝マシン備考
ドライバーナビゲーター/メカニック
第1回 (1979)12台 フランスの旗ジャン=フランソワ・デュナック
  • フランスの旗ジャン=ピエール・シャペル
  • フランスの旗フランソワ・ボー
オーストリアの旗英語版総合44位
第2回 (1980)10台7台アルジェリアの旗 Miloud Ataquat
  • アルジェリアの旗Hadj Daou Boukrif
  • アルジェリアの旗Mahiedine Kaoula
アルジェリアの旗英語版
第3回 (1981)15台3台フランスの旗アドリアン・ヴィレット
  • フランスの旗アンリ・ガブリエール
  • フランスの旗アラン・ヴォルロー
フランスの旗英語版四輪トラック18位
第4回 (1982)23台 フランスの旗ジョルジュ・グロワン
  • フランスの旗ティエリー・ド・スール
  • フランスの旗ベルナール・マルフェロワール
ドイツの旗メルセデスU 1700L四輪トラック38位
第5回 (1983)  ドイツの旗メルセデス・1936AK四輪トラック19位
第6回 (1984)  フランスの旗ピエール・ラルー
  • フランスの旗ダニエル・デュルス
  • フランスの旗パトリック・ヴェンチュリーニ
ドイツの旗メルセデス
第7回 (1985)55台20台ドイツの旗カール=フリードリッヒ・カピト
  • ドイツの旗英語版
  • ドイツの旗クラウス・シュヴァイカール
第8回 (1986)  イタリアの旗ジャコモ・ヴィスマーライタリアの旗ジュリオ・ミネーリ四輪トラック25位
第9回 (1987)73台 オランダの旗ヤン・デ・ルーイ
  • ベルギーの旗イヴォ・ジューネンス
  • オランダの旗テオ・ファン・デ・リアト
オランダの旗DAF・ターボツイン四輪トラック11位
第10回 (1988)109台 チェコの旗カレル・ロプライス
  • チェコの旗ラドミール・スタッチュラ
  • チェコの旗マック
チェコの旗タトラ・815四輪トラック19位
第11回 (1989)実施されず[注釈 2]
第12回 (1990)93台23台イタリアの旗ジョルジオ・ヴィラ
  • イタリアの旗ジョルジオ・デルフィーノ
  • イタリアの旗クラウディオ・ヴィナンテ
イタリアの旗ペルリーニ四輪トラック16位
第13回 (1991)113台46台フランスの旗ジャック・ウサ
  • フランスの旗ティエリー・ド・スール
  • イタリアの旗ダニーロ・ボッタロ
四輪トラック19位
第14回 (1992)101台56台イタリアの旗フランチェスコ・ペルリーニ
  • イタリアの旗ジョルジオ・アルビエーロ
  • イタリアの旗クラウディオ・ヴィナンテ
四輪トラック16位
第15回 (1993)42台 四輪トラック10位
第16回 (1994)96台47台チェコの旗カレル・ロプライス
  • チェコの旗ラドミール・スタッチュラ
  • チェコの旗ヨセフ・カリナ
チェコの旗タトラ・815
第17回 (1995)24台18台
第18回 (1996)70台21台ロシアの旗ヴィクトル・モスコフスキー
  • ロシアの旗アナトリ・コウジミン
  • ロシアの旗ナイル・バガヴェトディノフ
ロシアの旗カマズ四輪トラック15位
第19回 (1997)55台22台オーストリアの旗J-P.ライフオーストリアの旗ヨハン・ダインホッファー日本の旗日野・レンジャー四輪トラック23位
第20回 (1998)35台8台チェコの旗カレル・ロプライス
  • チェコの旗ラドミール・スタッチュラ
  • チェコの旗ヤン・セルマック
チェコの旗タトラ・815
第21回 (1999)29台16台
  • チェコの旗ラドミール・スタッチュラ
  • チェコの旗ヨセフ・カリナ
第22回 (2000)30台23台ロシアの旗ウラジミール・チャギン
  • ロシアの旗セメン・ヤクボフ
  • ロシアの旗セルゲイ・サヴォスティン
ロシアの旗カマズ
第23回 (2001)30台12台チェコの旗カレル・ロプライス
  • チェコの旗ヨセフ・カリナ
  • チェコの旗ペトル・ハメルラ
チェコの旗タトラ・815
第24回 (2002)34台22台ロシアの旗ウラジミール・チャギン
  • ロシアの旗セメン・ヤクボフ
  • ロシアの旗セルゲイ・サヴォスティン
ロシアの旗カマズ
第25回 (2003)51台27台
第26回 (2004)63台38台
第27回 (2005)69台36台ロシアの旗フィルダウス・カビロフ
  • ロシアの旗アイダール・ベルヤエフ
  • ロシアの旗アンドレイ・モケエフ
第28回 (2006)69台33台ロシアの旗ウラジミール・チャギン
  • ロシアの旗セメン・ヤクボフ
  • ロシアの旗セルゲイ・サヴォスティン
第29回 (2007)85台59 台オランダの旗ハンス・ステイシー
  • ベルギーの旗チャーリー・ゴッドリーブ
  • オランダの旗ベルナルド・デル・キンデレン
ドイツの旗MAN・TGA
第30回 (2008)中止
第31回 (2009)81台54台ロシアの旗フィルダウス・カビロフ
  • ロシアの旗アイダール・ベルヤエフ
  • ロシアの旗アンドレイ・モケエフ
ロシアの旗カマズ・4326
第32回 (2010)52台28台ロシアの旗ウラジミール・チャギン
  • ロシアの旗セルゲイ・サヴォスティン
  • ロシアの旗エドゥアルド・ニコラエフ
第33回 (2011)67台41台
  • ロシアの旗セルゲイ・サヴォスティン
  • ロシアの旗イルダル・シャイスルタノフ
第34回 (2012)74台60台オランダの旗ジェラルド・デ・ルーイ
  • ベルギーの旗トム・コルスール
  • ポーランドの旗ダレク・ロデワルド
イタリアの旗英語版
第35回 (2013)75台60台ロシアの旗エドゥアルド・ニコラエフ
  • ロシアの旗セルゲイ・サヴォスティン
  • ロシアの旗ウラジミール・リュバコフ
ロシアの旗カマズ・4326
第36回 (2014)70台50台ロシアの旗アンドレイ・カルギノフ
  • ロシアの旗アンドレイ・モケエフ
  • ロシアの旗イゴール・デビャトキン
第37回 (2015)63台51台ロシアの旗アイラット・マルデーフ
  • ロシアの旗アイダール・ベルヤエフ
  • ロシアの旗ドミトリー・スビストゥノフ
第38回 (2016)55台44台オランダの旗ジェラルド・デ・ルーイ
  • スペインの旗Moi Torrllardona
  • ポーランドの旗ダレク・ロデワルド
イタリアの旗イヴェコ・パワースター
第39回 (2017)50台38台ロシアの旗エドゥアルド・ニコラエフ
  • ロシアの旗エフゲニー・ヤコブレフ
  • ロシアの旗ウラジミール・リュバコフ
ロシアの旗カマズ・4326
第40回 (2018)44台25台
第41回 (2019)ロシアの旗カマズ
第42回 (2020)ロシアの旗アンドレイ・カルギノフ
  • ロシアの旗アンドレイ・モケエフ
  • ロシアの旗イゴール・レオノフ

クアッド(四輪バギー)

回(年)参加台数完走台数優勝ライダー優勝マシン
第31回 (2009)25台13台チェコの旗日本の旗ヤマハ・ラプター
第32回 (2010)25台14台アルゼンチンの旗日本の旗ヤマハ・ラプター700
第33回 (2011)30台14台アルゼンチンの旗
第34回 (2012)30台12台
第35回 (2013)38台26台アルゼンチンの旗マルコス・パトロネッリ
第36回 (2014)40台15台チリの旗
第37回 (2015)45台18台ポーランドの旗
第38回 (2016)45台23台アルゼンチンの旗マルコス・パトロネッリ日本の旗英語版
第39回 (2017)37台22台ロシアの旗日本の旗ヤマハ・ラプター700
第40回 (2018)49台32台チリの旗イグナシオ・カザール
第41回 (2019)アルゼンチンの旗ニコラス・カヴィグリアッソ日本の旗ヤマハ・ラプター700R
第42回 (2020)チリの旗イグナシオ・カザール日本の旗ヤマハ・ラプター700

UTV / SxS(多用途四輪車)

参加台数完走台数優勝クルー優勝マシン備考
ドライバーナビゲーター
第39回 (2017)10台5台ブラジルの旗レアンドロ・トーレスブラジルの旗ロウリバル・ロルダンアメリカ合衆国の旗ポラリス・RZR1000XP
第40回 (2018)11台6台ブラジルの旗レイナウド・ヴァレラブラジルの旗グスタボ・グージェルミンカナダの旗カンナム
第41回 (2019)チリの旗フランシスコ・ロペス・コンタルドチリの旗アルバロ・キンタニラ
第42回 (2020)アメリカ合衆国の旗ケーシー・カリーアメリカ合衆国の旗ショーン・ベリマン

優勝回数ランキング

記録は2019年大会終了時点。

個人別

Auto (Car)
Moto (Bike)
  • 1. フランスの旗 ステファン・ペテランセル 6 (1991 - 1993, 1995, 1997, 1998)
  • 2. フランスの旗 5 (1979, 1980, 1982, 1986, 1987)
  • 2. フランスの旗 5 (2005, 2007, 2010, 2012, 2013)
  • 2. スペインの旗 5 (2006, 2009, 2011, 2014, 2015)
  • 5. イタリアの旗 4 (1988, 1990, 1994, 1996)
Camion (Truck)
  • 1. ロシアの旗 7 (2000, 2002 - 2004, 2006, 2010, 2011)
  • 2. ロシアの旗 6 (1988, 1994, 1995, 1998, 1999, 2001)
  • 3. ロシアの旗 5 (2000, 2002 - 2004, 2006)
  • 3. チェコの旗 5 (1988, 1994, 1995, 1998, 1999)
  • 3. ロシアの旗 5(2010, 2013, 2017 - 2019)
  • 6. チェコの旗 4 (1994, 1995, 1999, 2001)
  • 6. ロシアの旗 4 (2000, 2003, 2004, 2006)

※ナビゲーター/メカニックとしての優勝回数も含む

Quad
  • 1. アルゼンチンの旗 3 (2010, 2013, 2016)
  • 1. チリの旗 3(2014, 2018, 2020)
  • 3. アルゼンチンの旗 2 (2011, 2012)

メーカー別

Auto (Car)
Moto (Bike)
  • 1. オーストリアの旗 KTM 18 (2001 - 2007, 2009 - 2019)
  • 2. 日本の旗 ヤマハ 9 (1979, 1980, 1991 - 1993, 1995 - 1998)
  • 3. ドイツの旗 BMW 6 (1981, 1983 - 1985, 1999, 2000)
  • 3. 日本の旗 ホンダ 6 (1982, 1986 - 1989, 2020)
  • 5. イタリアの旗 カジバ 2 (1990, 1994)
Camion (Truck)
Quad

日本との関係

日本からは個人での参加、企業での参加、それぞれ様々なものがある。企業は二輪・バギーはヤマハとホンダ、四輪は三菱、トヨタ、日野、日産、いすゞの各社が健闘してきた歴史がある。

モト部門ではかつてはヤマハホンダスズキがワークス・チームを編成して参戦していた。ヤマハはフランスの輸入代理店ソノート社 (Sonauto) でジャン=クロード・オリビエが計画の中心となり、ホンダはフランス支社(フランス・ホンダ)が運営を担当した。

第1回(1979年)と第2回(1980年)はヤマハ・XT500、第4回(1982年)はホンダ・XL550R改に乗るライダーが優勝した[22]。その後、ホンダは打倒BMWを目指してホンダ・レーシング (HRC) 製VツインマシンNXR750を投入し、1986年から1989年まで4連覇を達成[23]。ヤマハは「テネレ」→「スーパーテネレ」シリーズの継続開発が実り、1990年代に7勝を記録[24]。オリビエに見いだされたステファン・ペテランセルがモト部門個人最多の6勝を挙げた。その後、各メーカーともワークス参戦を見送る時期が続いたが、2013年からホンダがCRF450で、2015年からヤマハがWR450Fでワークス参戦を再開させている。また、2009年に創設されたクアッド部門では、ヤマハ・ラプターが連勝を続けている。

オート部門の改造車クラスでは三菱・パジェロの活躍が目覚ましく、1985年に三菱のワークス・チームが1・2位を独占した。その後も2001年から2007年までの7年連続をふくめて、参戦メーカー中最多となる12回の総合優勝を勝ち取り、「パジェロ=パリダカ」というブランドイメージを印象付けた。2009年にはディーゼル車のレーシングランサーをデビューさせたが、リーマンショック後の景気悪化に伴い、大会終了後にラリー活動からの撤退を表明した[25]。日産は2003年にワークスの日産・ピックアップを投入し[26]篠塚建次郎アリ・バタネンコリン・マクレーらビッグネームを迎え入れたが、4年以内に優勝するという計画を前倒しして2005年限りでワークス撤退を決めた[27]。2012年には南アフリカトヨタ (TSAM) がオート部門のT1に「GAZOO Racing South Africa」名義でハイラックスで参戦を開始し、2019年にトヨタのダカール初優勝を達成した[28]

オート部門の市販車無改造クラスで最も成功しているのはトヨタ車体のTLC(チームランドクルーザー)率いるランドクルーザーで、市販車無改造クラスで1996年の優勝を皮切りに1998 - 2003年過去の戦績”. 2019年8月21日閲覧。、2005年 - 2011年[29]にかけて6連覇を2度、2014から2019年まで6連覇を達成している。ちなみに2012年と2013年にTLCの優勝を阻止したのは、スペイントヨタの運用するランドクルーザープラドであった[30][31]

この他にもオート部門には、様々な日本のSUVが国内外のプライベーターの車両として選ばれ参加した。例えば三菱・パジェロ、日産・サファリといった世界的なSUVの他にも、トヨタ・ハイラックスサーフ三菱・チャレンジャー日産・テラノいすゞ・ビッグホーンいすゞ・ミュースズキ・エスクードスズキ・ジムニーなどがダカール・ラリーを走り、他にも初期の大会には、構造上砂漠で不利なトヨタ・スターレットトヨタ・カリーナといった二輪駆動の乗用車で市販車無改造クラスにエントリーした強者もおり、1982年には二輪駆動のカリーナ1500で久保田勝/内田正洋組が市販車無改造クラス優勝を果たしている。また、かつてはプロトタイプ(実際に市販されていない競技専用車両)も参加可能であったため、テラノのシャシーに日産・パルサーGTi-R風のボディーを被せたものや、パジェロを国産初の四輪駆動車・PX33風に改造した車両もあった。

カミオン部門では日野自動車菅原義正親子のチームスガワラとジョイントしてレンジャーで2019年現在まで参戦しており、27回連続完走と10 L未満部門クラス10連覇、1997年には部門総合1-2-3フィニッシュを達成。またサポートカミオンとしてスーパードルフィン・プロフィア(2013年まで)→700シリーズZS(プロフィアの海外仕様、2014年から)も参戦している。過去には三菱ふそうが1997年にはザ・グレートで、1998年には純粋な競技車輌ではなくサポートカミオンとしてではあるが、スーパーグレートで参戦したことがある。

なお、日本の自動車メーカー各社では販売網やその末端の士気向上を目的に、全国各地の系列ディーラーメカニックが参加するグループ内部の技術コンテストなどの成績優秀者などを選抜して、実際にラリーに参戦するチームのメカニックに起用することも多く行われている。

出場した日本人

ダカール・ラリー日本事務所の公式サイトには、2014年までの日本人参加者名および結果のリストが掲載されている[32]

第3回(1981年)、プライベーターのチームACP[33] (Adventurous Creative Persons) が日本人として初めてパリダカに挑戦し、無謀と思われた市販車無改造2WDクラスのトヨタ・スターレットで時間外ながら完走を果たした[34]。それから数年で出場者が増えてゆき、その後はほぼ毎年10人以上の日本人が出場している。1980年代末 - 1990年代初頭にかけてはパリダカの知名度上昇とバブル景気が重なり、50人以上のプライベーターが参加したこともあった。当時は世間で名の知れたタレントや文化人の出場もマスコミの話題となった。ワークスドライバーでは三菱の篠塚建次郎(1997年)と増岡浩(2002・2003年)が四輪総合優勝を果たしている。

四輪(カミオン含む)
  • - チームACP代表。TV番組の取材などでアフリカの道に親しみ、日本勢のパリダカ参戦のきっかけを作る。1981年に久保田車のナビゲーターとして初参戦し、1989年まで9年連続出場。1990年・1992年はドライバーとして出場。
  • 久保田勝 - 1981年にACPのドライバーとして初参戦し、翌1982年には市販車無改造・二輪駆動・バギー・マラソンの4クラス(現在は廃止)において日本人として初優勝する。1992年まで11年連続で参戦。
  • 根本純 - 自動車ジャーナリスト。1981年にACPのドライバーとして初参戦。1982年・1985年・1988年 - 1997年に参戦。
  • 菅原義正 - チーム「子連れ狼」を組織し、1983年から2019年まで参戦。日本人で唯一、モト・オート・カミオンの全部門に参戦。本田技研工業三菱自動車日野自動車。2008年1月、ギネス・ワールド・レコーズダカール・ラリーの最多連続出場(25回)記録保持者として認定された。2019年には記録を36回にまで伸ばした後、引退を発表。
  • 夏木陽介 - 俳優。1985年と1986年にドライバーとして、1987年 - 1993年に「チームシチズン夏木」の監督として参戦。
  • 篠塚建次郎 - 三菱自動車日産自動車→フリー(トーヨータイヤ開発ドライバー)。1986年から参戦、1997年に総合優勝。
  • 増岡浩 - 三菱自動車。1987年からダカール・ラリーに参戦。2002年・2003年に総合優勝。
  • - テレビディレクター。1987年にテレビ番組のスポンサードを受けた「なるほど!ザ・ワールド号」でドライバーとして出場。市販車改造ディーゼルクラスで優勝した。
  • 片山敬済 - 元ロードレース世界選手権チャンピオン。1990年に三菱パジェロ改のPX33で完走。1991年に日産パルサーベースのオリジナルマシンで出場するもリタイヤ。
  • 佐々木隆[要曖昧さ回避] - 元モトクロス国際A級ライダー。1989年は二輪で出場するもリタイア、1990年は完走、クラス3位。1991年は四輪で参戦、総合58位。
  • 立松和平 - 作家。ナビゲーターとして2回出場し、1990年はリタイア、1991年に完走。
  • 岡本佳織 - 女優、タレント。トヨタ・フランスよりドライバーとして1991年参戦。1992年完走などの結果を残す。
  • 新井敏弘 - ラリードライバー。いすゞ自動車、1997年参戦、総合32位完走。
  • - 二輪部門→四輪部門、日産自動車→トヨタ車体→フリーランス
  • 三橋淳 - 2001,2002,2003年 二輪部門→2004年 四輪部門、日産自動車→トヨタ車体[35]。市販車部門で4連覇を挙げている。
  • 片山右京 - 元F1ドライバー。フリーランスとして2007、2008、2009年参戦。
  • 菅原照仁 - 父・菅原義正のチームである日野チームスガワラでナビやチームメカニック、サポートカミオンで経験を積み、2005年からドライバーとして参戦。2010 - 2019年のカミオン部門10L未満クラスで10連覇を達成した。
  • 三浦昂 - トヨタ車体の社員。TLC(チームランドクルーザー)に2007年から2016年まで三橋淳とニコラ・ジボンのナビとして参戦し、2度の市販車部門優勝を果たす。2017年からはドライバーに転向し、2018年にクラス優勝を達成した。ナビ・ドライバーの双方で部門優勝を達成したのはTLC史上三浦が初めてである。
  • 寺田昌弘 - 1997年四輪初参戦。1998年T2-2クラス優勝。2008、2009年は片山右京のナビとして参戦。2011、2012年TLCのドライバーとして参戦。
  • 塙郁夫 - 2020年にチームスガワラ2号車のドライバーとして日野・600で参戦[36]
二輪
  • - モータースポーツジャーナリスト及びカメラマン。パリ・ダカール・ラリーでは初期の頃から取材活動を続けている。日本に紹介されるこのラリーの画像のほとんどは彼の撮影によるものである。パリ・ダカール・ラリーでは完走経験有り。
  • 風間深志 - 冒険家。1982年に参戦し(日本人として賀曽利隆と共に初)、完走(クラス6位で総合18位)。2004年にも再挑戦するが、リタイア。
  • - 冒険家。ジャーナリスト。1982年に風間深志とともに参戦し(日本人として風間深志と共に初)、事故でリタイア。
  • 柴田哲孝 - 作家評論家。1986年・1988年に「チーム・シンバ」として参戦。
  • 打田稔 - ジャーナリスト。1986年に取材。
  • 山村レイコ - 1988年から合計5回参戦。1997年は二輪総合57位(女性クラス優勝)、夫のと共に完走したことで敢闘賞も受賞。1998年は夫婦で四輪部門にいすゞ・ビッグホーンで参戦し完走。
  • 渡辺明 - 元モトクロス世界選手権チャンピオン。1991年にスズキ準ワークスのガストン・ライエ・レーシングより参戦し、完走。
  • - ジャーナリスト。1992年参加。
  • 渡邊毅 - エンジニア。1992年参加。1997年には日本人プライベーター2輪チームのマネージャー兼メカニックとして参加した。
  • - 高知県出身。ラリーレイド・モンゴルなどでの優勝経験あり。ダカール・ラリーでは、1998年20位、1999年15位。
  • 柏秀樹 - ライディングスクール校長。ジャーナリスト。計4回参戦:1996年、1997年(35位完走)、1998年、2006年(62位完走)
  • 木下博信 - 埼玉県草加市の元市長。同市議会議員時代の2001年に参戦し、完走した。
  • 田村聡 -2002年大会出場・聴覚障害の持病がある中ダカールラリーに参戦。
  • - 2002年・2004年・2006年に参戦し100%完走した。総合での上位入賞はないが、クラス別や部門別では常に上位成績を収める実力派。普通の会社員(SE)でありながら有給休暇を利用して参戦した。エコエネルギー(新エネルギー)推進やフォトジャーナリストとしても活躍している。
  • 桐島ローランド - 写真家。2007年に参戦し完走した。
  • 風間晋之介 - 風間深志の三男。2017年より「チーム風間」として参戦。

過去には大会期間中の死亡事故も起きている。1986年、二輪部門にプライベート出場した金子靖雄はフランスのセッテでリエゾン区間を走行中、酒酔い運転の対向車と衝突して亡くなった[37]

メディア

日本国内におけるテレビ放送は、かつてはテレビ朝日NHK衛星第1テレビがダイジェストを大会中毎日放送し、一部のニュース番組のスポーツコーナー内でも取り上げられた。1987年には、フジテレビの番組「なるほど!ザ・ワールド」がチームACPのトヨタ・ランドクルーザー2台をスポンサードし、参戦の模様を3回にわたって放送した(このとき、出場した2台中の1台が市販車改造ディーゼルクラスでクラス優勝した)。現在、総集編がテレビ東京系列で放送されるほか、J SPORTSが大会期間中にダイジェストを、終了後に総集編を放送している。

テレビ朝日のダイジェスト番組では毎年タイアップのイメージソングが使用された。

1986年5月には松竹富士配給のドキュメンタリー映画『[38]』がロードショー公開された。原田真人阪本善尚ら撮影班は同年の大会中チームACPの取材車でダカールまで帯同した。

1987年にはシンガーソングライター松任谷由実が応援団長を務める「ユーミン・マリクレール号」が四輪部門に出場し、松任谷もアフリカを訪れた。松任谷のアルバム『ALARM à la mode』(1986年)にはパリダカをモチーフにした曲「ホライズンを追いかけて」が収録された。

販売促進への利用

  • サーキット系レース以上に地域や企業のイベントで競技車両を展示したり、自動車メーカーの販売促進の一環として全国のメーカー系販売会社やショールームを選手が回って報告会を行うなどの取り組みが見られる。三菱自動車系で行った「報告会」は、篠塚建次郎が参戦して以来ほぼ毎年続けられ、2009年までは増岡浩の報告会が毎年2月 - 3月に開催されるのが恒例となっていた。2人が別行動の場合は参戦車種の関係で篠塚がパジェロを扱うギャラン店系販売会社、増岡がRVRチャレンジャーを扱っていたカープラザ系販売会社を担当した。系列の区切りのない販売会社(山口三菱自動車・徳山支店など)では、篠塚・増岡が揃って登場した。
  • 1985年から1986年にかけて、日清カップヌードルのテレビCM「ハングリアン民族」編ではパリ-ダカール・ラリーに挑む選手やマシンの映像が使用された。CMソングとして起用されたHOUND DOGの「ff (フォルティシモ)」や中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」は当時のヒットチャートを賑わす人気曲となった。

本レースを題材にしたゲーム

日本では、国内の企業がラリーに参加している為に認知度が高く、本レースを題材にしたゲームがいくつか製作・販売されている。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ フランス語では、名詞を形容(修飾)する語句が名詞の後ろに置かれるのが基本であり、英語とは順番が異なる。
  2. ^ 1988年に起きたカミオンの死亡事故によって、ダカール・ラリーはFIAの制定した規定を適用するようになったが、カミオン部門の制定は間に合わなかった[21]

出典

  1. ^ a b 菅原 2009, p. 38.
  2. ^ a b c 菅原 2009, p. 39.
  3. ^ a b Carles 2007, p. 3.
  4. ^ ダカール・ラリー | モータースポーツ | 三菱自動車のクルマづくり | MITSUBISHI MOTORS”. 三菱自動車工業株式会社. 2021年8月14日閲覧。
  5. ^ a b Carles 2007, 1986.
  6. ^ a b Carles 2007, 1982.
  7. ^ Racing on 418, p. 14, 三菱自動車にとってのパリダカ.
  8. ^ Carles 2007, 1985.
  9. ^ Racing on 418, p. 23, インタビュー 夏木陽介.
  10. ^ Racing on 418, p. 44, 三菱パリダカマイスター Part 1 篠塚建次郎.
  11. ^ a b Carles 2007, 1987.
  12. ^ Racing on 418, p. 58, 対峙したライバルたち.
  13. ^ Racing on 418, p. 59, 対峙したライバルたち.
  14. ^ Carles 2007, 1988.
  15. ^ Carles 2007, 1992.
  16. ^ ダカール・ラリー2008、全面中止」。2008年1月5日、スラッシュドット ジャパン。2008年1月5日閲覧。
  17. ^ “パリ・ダカ、サハラ砂漠を走らない? 主催者幹部が発言”. 朝日新聞. (2008年1月5日). オリジナルの2008年1月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080108112840/http://www.asahi.com/car/motorsports/TKY200801050174.html 2008年1月6日閲覧。 
  18. ^ “パリダカの代わりに、中欧舞台の新ラリー4月開催”. 産経新聞. (2008年2月4日). http://sankei.jp.msn.com/sports/other/080204/oth0802042320017-n1.htm [リンク切れ]
  19. ^ “パリ・ダカ、来年は南米での開催が決定”. 日刊スポーツ. (2008年2月12日). http://www.nikkansports.com/sports/motor/f-sp-tp2-20080212-320183.html 2011年2月16日閲覧。 
  20. ^ “三菱自動車、ダカールラリーのワークス活動終了について” (プレスリリース), 三菱自動車工業株式会社, (2009年2月4日), https://www.mitsubishi-motors.com/publish/pressrelease_jp/motorsports/2009/news/detail1892.html 2020年2月2日閲覧。 
  21. ^ 菅原 2009, p. 40.
  22. ^ 斬新なデザインと数々の装備を備えたランドスポーツ車「ホンダ XL250Rパリ・ダカール」を発売 - 本田技研工業。
  23. ^ 1981-1989 Honda パリ・ダカールラリー参戦記 - 本田技研工業。
  24. ^ オフロードマニア 第4節 もうひとつの記号“テネレ” - ヤマハ発動機。
  25. ^ “ラリー界に激震!三菱がパリダカから撤退”. 日刊スポーツ. (2009年2月5日). https://www.nikkansports.com/sports/motor/news/p-sp-tp2-20090205-457453.html 2017年12月21日閲覧。 
  26. ^ 日産自動車 ワークス体制で2003年ダカールラリーに参戦”. NISMO (2002年10月4日). 2017年12月21日閲覧。
  27. ^ “日産、ダカール・ラリーのワークス活動を1年前倒しで休止”. webCG (二玄社). (2005年3月4日). http://www.webcg.net/articles/-/13848 2017年12月21日閲覧。 
  28. ^ “ダカールラリー:2019年大会でトヨタが初の総合優勝。ハイラックス駆るアル-アティヤが通算3勝目”. オートスポーツWeb. (2019年1月18日). http://www.as-web.jp/rally/445334?all 2019年1月18日閲覧。 
  29. ^ ラリーレポート”. 2019年8月21日閲覧。
  30. ^ REPORT-STAGE14”. 2019年1月19日閲覧。
  31. ^ ラリーレポート”. 2019年1月19日閲覧。
  32. ^ 日本人の歴代出場者”. パリダカ日本事務局. 2020年7月22日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年3月10日閲覧。
  33. ^ 二十一世紀に夢を:::冒険的趣向集団 Team ACP:::”. 2017年12月19日閲覧。
  34. ^ ダカールラリー 取材同行の旅No.3”. GAZOO.com (2016年). 2017年12月19日閲覧。
  35. ^ jun38c.com”. 2012年3月10日閲覧。
  36. ^ “"日野チームスガワラ"、さらなる高みを目指した新チーム体制を発表” (プレスリリース), 日野自動車, (2019年6月3日), https://www.hino.co.jp/corp/news/2019/20190603-002351.html 2020年1月7日閲覧。 
  37. ^ 原田真人『砂漠のレーサーたち パリ・ダカール最前線』早川書房、1986年、75頁。ISBN 4152033215
  38. ^ PARIS-DAKAR 15,000 栄光への挑戦”. Movie Walker. 2017年12月19日閲覧。

参考文献 

  • Carles, Philippe Philippa Smith, Pamela White, Chris Evans, Neil Perkins訳 (2007). Stephane Muller, Kathleen Bimson. ed (英語, フランス語). Dakar 30 Years of Adventure. Silver. ISBN 978-2930383170 
  • 「世界の扉を開けた日本車 Part 2 三菱自動車」『Racing on』第418巻、三栄書房、2007年9月、 12-63頁。
  • 菅原, 照仁「ダカールラリーの歴史と日野レーシングトラックの挑戦」『自動車技術』第63巻第10号、自動車技術会、2009年、 ISSN 0385-7298

関連項目

外部リンク


 

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