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✈|”緊急事態宣言延長”下 シルバーウイーク人出は


写真 ”緊急事態宣言延長”下 シルバーウイーク人出は

“緊急事態宣言延長”下 シルバーウイーク人出は

 
内容をざっくり書くと
(観光客)「登別温泉にどうしても行きたかった。
 

18日から3連休、さらにはシルバーウィークです。新千歳空港には、道外から大勢の人が降り立ちました。 … →このまま続きを読む

 STVニュース北海道

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登別温泉

登別温泉(のぼりべつおんせん、: Noboribetsu Onsen)は、北海道登別市にある温泉江戸時代から温泉の存在が知られており、明治時代温泉宿が設けられてからは保養地・観光地となった。「にっぽんの温泉100選・総合ランキング」では毎年上位にランクインしている日本有数の温泉地となっている[1]。地名の語源はアイヌ語の「ヌプル・ペツ」(水色の濃い川)に由来している[2]

泉質

自然湧出量は1日1万トン、9種類の泉質、毎分3,000リットル湧き出しており、「温泉のデパート」と呼ばれるほどである[2]。中でも地獄谷は登別温泉最大の源泉エリアになっている。

温泉街

登別駅から約6kmの距離に位置しており、北海道道2号洞爺湖登別線北海道道350号倶多楽湖公園線で通じている。クスリサンベツ川の谷にある温泉街(極楽通り)は飲食店・土産物店のほか、警察(交番)・消防・銀行(信用金庫)・郵便局・病院などがあり、バスターミナル付近には公衆浴場「夢元さぎり湯」がある[3]。また、地獄谷にも近接している。四方嶺(クマ山)へは温泉街からのロープウェイで通じており、山上にはのぼりべつクマ牧場がある。

歴史

大昔はアイヌの人々が温泉を薬湯として重宝していたといわれる[4]。江戸時代には最上徳内が『蝦夷草紙』で温泉の存在を以下のように記している。

「ノボリベッという小川有り[注 1]、この川上に温泉湧き出て、流れ来るため白粉と紺青をかきたてるが如し、一日も水底の見ゆることなし。」

景勝地

地獄谷

  • 日和山の噴火によって生じた爆裂火口跡で、登別温泉の中心的な観光名所になっている。地表には小さな火口噴気孔、湧出孔があり、ガスと高温の温泉が湧き出している。観光用の遊歩道も設けられており、奇怪な光景を1周10分から15分程で楽しむことができ。また、大湯沼までの遊歩道も整備している。

登別原始林

  • 1924年大正13年)に国の「天然記念物」に指定された[21]。約186 haあり、原始林内には約60種類の樹木や約110種類の草木が保存されている。遊歩道を整備している。

大正地獄

  • 大正時代に起こった小規模な爆発で生じた湯沼であり、爆発した時代の年号が命名の由来となっている。間欠泉であり、湯量が減少するときに地鳴りとともに湯の色が変化するという特徴をもつ。2016年平成28年)11月5日には高さ10 mほどに達する湯泥噴出が発生した。その後も1日1回程度の噴出活動が続いて展望台などが被害を受けたため、安全確保のために展望台と大湯沼川天然足湯への遊歩道を閉鎖した[22][23]。同年12月10日に活動が小康状態になったことから大湯沼川天然足湯への通行規制を解除したが、大正地獄は引き続き立入禁止になっている[24]

日和山

  • 標高377 mの活火山であり、一帯が気象庁の常時観測火山「倶多楽(登別火山)」を形成している[25]。現在も山頂から湯気を上げている。高山植物の群生を見ることができる。

大湯沼

  • 周囲1 km、深さ22 mの湯沼であり、日和山の噴火によって生じた。湯の表面温度は約40〜50であるが、深いところでは約130℃ある。以前は湯沼から硫黄を採取していたが、現在は行われていない。

奥の湯

  • 日和山の爆裂火口跡の一部であり、約80℃の灰色の硫化水素泉が湧き出している。成分自体は大湯沼と同じであるが、硫黄は底に蓄積せずに流出している。

大湯沼川天然足湯

  • 大湯沼から流れ出した温泉が大湯沼川に流れ込み、天然の足湯を楽しむことができる。また、森林浴もできる。2016年(平成28年)に発生した大正地獄の活動活発化に伴い遊歩道が一時閉鎖されたが、同年12月10日に通行規制を解除した[24]

選定

イベント

  • 元旦縁起もちつき(元日)
  • 登別温泉湯まつり(2月)
  • 地獄の谷の鬼花火(6月から8月)
  • お宿の浴衣で盆踊り(8月)
  • 登別地獄まつり(8月)
  • 泉源公園イルミネーション(11月から3月)

登別温泉が舞台(ロケ地)となった作品

テレビドラマ

映画

小説

アクセス

札幌・新千歳空港方面から送迎バスを運行している宿泊施設がある。周辺にはカルルス温泉カルルス温泉サンライバスキー場、新登別温泉、のぼりべつ文化交流館「カント・レラ」(冬季休館)、倶多楽湖(道路は冬季通行止め)、登別伊達時代村登別マリンパークニクスがある。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 「ノボリベッ」とはアイヌ語の「ヌプル・ペツ」(水色の濃い川)のことであり、「登別」の語源と言われている。
  2. ^ 普段は温泉街にある「閻魔堂」に安置しており、定時でからくりを上演している。

出典

  1. ^ 観光経済新聞社 にっぽんの温泉100選・総合ランキング”. 観光経済新聞. 観光経済新聞社 (2013年). 2014年5月24日閲覧。
  2. ^ a b 登別温泉のお湯と歴史”. 登別国際観光コンベンション協会. 2014年5月15日閲覧。
  3. ^ 登別温泉ガイドマップ (PDF)”. 登別観光協会. 2015年4月13日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h 割石敏昭、酒井 多加志「登別温泉の形成過程と集落構造」『北海道地理』第1994巻第68号、北海道地理学会、1994年、 35-39頁、 doi:10.14917/hgs1959.1994.35
  5. ^ a b c d NOBORIBETSU GUIDEBOOK きらり登別 (PDF)”. 登別市. pp. 12-13 (2009年). 2017年10月2日閲覧。
  6. ^ a b 登別温泉の歴史登別グランドホテル
  7. ^ 登別温泉と第一滝本館の歴史”. 第一滝本館. 2017年10月2日閲覧。
  8. ^ 『北海道名勝誌』北海道庁、1911年、50頁。
  9. ^ a b ハイリスクの温泉権等に投資した地元銀行・県外信託の観光デザインの結末 : 越後・松之山温泉の温泉権一括譲渡を素材として小川功 (滋賀大学経済経営研究所, 2012-12-28) 彦根論叢. (394)
  10. ^ a b c 歴史 夢元さぎり湯”. 2015年4月13日閲覧。
  11. ^ 1938年創業の、歴史と伝統を糧に登別グランドホテル
  12. ^ 支笏洞爺国立公園”. 北海道地方環境事務所. 環境省. 2014年8月10日閲覧。
  13. ^ a b c 会社案内”. 登別グランドホテル. 2014年8月6日閲覧。
  14. ^ 登別温泉【姉妹温泉】”. 草津町. 2017年10月2日閲覧。
  15. ^ 地獄を東西に横断、登別「地獄谷」に遊歩道”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1990年3月18日). 2017年10月3日閲覧。
  16. ^ “地獄谷など歩道改修、登別市の昨年度工事計画分が終了”. 室蘭民報 (室蘭民報社). (2017年4月11日). http://www.muromin.co.jp/murominn-web/back/2017/04/11/20170411m_05.html 2017年10月3日閲覧。 
  17. ^ <こだま>登別温泉の本格的な外湯として「夢元さぎり湯」が十五日、オープンした”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (1996年4月16日). 2017年10月3日閲覧。
  18. ^ “登別温泉の夢元さぎり湯がきょうリニューアルオープン”. 室蘭民報 (室蘭民報社). (2015年12月2日). http://www.muromin.co.jp/murominn-web/back/2015/12/02/20151202m_04.html 2016年2月13日閲覧。 
  19. ^ <経済トレンド>海外客誘致、鬼火や花火PR*登別温泉 新たな集客術”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2006年6月22日). 2017年10月3日閲覧。
  20. ^ a b “登別温泉開湯150年記念式典、バイパス泉源公園完成祝う”. 室蘭民報 (室蘭民報社). (2008年7月21日). http://www.muromin.co.jp/murominn-web/back/2008/07/21/20080721m_05.html 2017年10月3日閲覧。 
  21. ^ 登別原始林 - 文化遺産オンライン文化庁
  22. ^ “登別温泉・大正地獄から湯泥噴出 10メートル近く上昇か”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2016年11月7日). オリジナルの2016年11月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161108132409/http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doo/1-0335367.html 2016年11月27日閲覧。 
  23. ^ “大正地獄6〜7メートルの間欠噴出続く 登別温泉、対応に苦慮”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2016年11月17日). オリジナルの2016年11月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161117140039/http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doo/1-0338897.html 2016年11月27日閲覧。 
  24. ^ a b “登別温泉の天然足湯へ続く遊歩道の通行規制解除”. 室蘭民報 (室蘭民報社). (2016年12月11日). http://www.muromin.co.jp/murominn-web/back/2016/12/11/20161211m_05.html 2017年1月9日閲覧。 
  25. ^ 気象庁 倶多楽”. 気象庁. 2014年5月24日閲覧。
  26. ^ 日本八景・二十五勝・百景の選定内容 (PDF)”. 環境省. 2014年5月24日閲覧。
  27. ^ かおり風景100選一覧表”. 環境省. 2017年10月3日閲覧。
  28. ^ 北海道遺産「登別温泉地獄谷」”. 北海道遺産協議会. 2014年5月15日閲覧。
  29. ^ 日本美しの森 お薦め国有林 一覧 (PDF)”. 林野庁. 2017年10月3日閲覧。
  30. ^ 1番目の歌詞
  31. ^ はるちゃん6”. フジテレビ. 2014年8月10日閲覧。
  32. ^ 連続ドラマW「プラチナタウン」”. WOWOW. 2014年8月9日閲覧。
  33. ^ 「広域警察(4)」〜東京〜札幌〜登別温泉、殺人犯は何処へ消えたのか?凶器は25年前に海に沈んだはずの拳銃!?美人ホステスを苦しめた驚愕の真実とは?”. 土曜ワイド劇場. テレビ朝日 (2013年10月19日). 2014年8月9日閲覧。
  34. ^ 北海道警事件ファイル 警部補五条聖子3 登別室蘭殺人事件”. 水曜ミステリー9. テレビ東京 (2015年2月4日). 2015年4月13日閲覧。

関連項目

外部リンク

観光

防災

観光

観光(かんこう)とは、一般には、楽しみを目的とする旅行のことを指す。

英語では観光する側(en:sightseeing)と、観光させる側(en:tourism)で言葉が(概念も)分かれている。 これには、後述される宗教行為の対象者(大衆:観光客)と行為者(仕掛け人:観光業者)の立場が現れているとも見られる。

なお狭義には、観光事業を指すこともある。

歴史

人類最古の観光の形態は聖地への巡礼の旅であったと考えられている[1]

例えばスペインでは世界各国からサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者を1000年以上にわたって受け入れてきた歴史がある[1]

観光とツーリズム

日本における「観光」

日本でも古代から神社仏閣への参詣が行われていた。社会が安定した江戸時代中期以降、伊勢神宮などに参るついでに、名所巡りや飲食を楽しむ旅が庶民にも広がった。これらは「旅」「行旅」「遊山」などと呼ばれた。寺社や景勝地を紹介した各地の名所図会や、『東海道中膝栗毛』のような旅行文学も刊行された。

「観光」の語源は古代中国『易経』にある「観国之光,利用賓于王(国の光を観る、用て王に賓たるに利し)」との一節による。この句を略した「観光」の日本での早い時期の用例としては、幕末にオランダから江戸幕府に贈られた軍艦「観光丸」のほか、明治時代初めの米欧使節団を率いた岩倉具視が、報告書である『米欧回覧実記』冒頭に「観」「光」と揮毫[2]した。後者は「外国をよく観察して、日本に役立てる」という意味だったと思われるが、岩倉自身も東京奠都で衰退した京都経済を再生するため、外国人らによる京都観光を政府に献策している。

鉄道敷設など近代化に伴い日本人の国内旅行も更に盛んとなり、明治時代後半には遊覧旅行の意味で「観光」が使われるようになった[3]

大正時代以降、観光は「tourism」の訳語として定着したが、学者や論者によって定義が違うこともある。例えば、国土交通省『』では「宿泊旅行」を「観光」「兼観光」「家事、帰省」「業務」「その他」に分けている。この解釈によると家事、帰省、業務、その他を除いた旅行が「観光」である。

日本政府は昭和5年(1930年)、濱口内閣の時に鉄道省の外局として国際観光局を創設した[4]。元帝国ホテル副支配人で熱海ホテル経営者の岸衛(戦後に静岡県熱海市長を務め、『観光立国』を刊行)が進言し、名称は江木翼鉄道大臣の意見によったと言われている。博識であった江木が『易経』を引用した[5]。この時期には、「大変珍しいもの」という程度で用いられていたといった見方もあるが、国際観光局に先立ち1912年にはジャパン・ツーリスト・ビューロー(後の日本交通公社)が設立されている。その出版物TOURIST(1918年3月号)では、アイヌ文化を詳しく伝えて、国の光=文化の概念の普及に努めている。

概括的に言えば、観光は明治時代からある単語ではあるが、きわめて限定的にしか用いられず、むしろ今日で言う外国人観光客誘致、インバウンド誘致といった意味合いが込められていく。ツーリズムの訳語として充てられたのも、そうした時代背景がある。

国内観光には「遊山」「遊覧」「漫遊」「行楽」などの用語が用いられ、今日の意味合いで、つまり、国内旅行の意味も含めていうところの「観光」が定着したのは1960年代以降とする主張もある[6]。ただ実際は、昭和初期から国内の旅行に関しても「観光」という言葉が広く使用されていた。たとえば1936年に国際観光局が発行した「観光祭記念 観光事業の栞」には「日本国中の年も村落も、それぞれその土地を美しく立派にし、観光客の誘致を図ること、之は日本国内の問題ですから国内観光事業と呼ぶことができます」と記されている。

近年、再び國の光を観るという「易経」の解釈が引用されることが多くなってきた。原義を厳密に解釈すると、文字通り「見物」「物見」であろうが、「」という比喩的表現で対象が幅広く多様な解釈が可能な事も一因であろう。

庶民に観光と言うものが流行り出した当初は、観光に行くという事自体に価値があり、場所や何をするのかということは重点に置かれなかった。しかし、次第に観光に行くということ自体は当たり前となり、何処に行くのかということがステータスとなった。観光地を大きい見出しにしたパンフレット等が流行り出したのもこの時期のことである。しかし、その時代も長くは続かず、たいていの観光地には行ったことがある人が増え、何処に行ったということが自慢になる時代は終わりを告げた。

この頃から観光はステータスではなくなり、純粋な楽しみとしての観光が広まることになる。具体的には場所ではなく目的が観光を引っぱる時代となった。○○をしたいからそれができる場所を観光しようということである。体験型観光が流行り出したのもこの時期からである。現在はこの時代にあると言われるが、もう一歩進んだ次元にあるという考え方もある。それは目的だけでは客は来ない、具体的には楽しい気持ちになりたいとか、癒されたいとか、ゆったりした時間が過ごしたいとか、そういった感情が観光を引っぱる時代となったという考え方である。実際そういう言葉がパンフレット等に登場し始めていることも事実である。

なお、中国では「観光」という語は一般的ではなく、「旅游」「遊覧」が用いられる。中華人民共和国国家観光局の中国語表記は「中華人民共和国国家旅游局」[7]である。

ツーリズム

「観光」との対比

特に近年、「観光」という用語に物見遊山的な、あるいはビジネス的・事業的なニュアンスを感じる場合、あえて「観光」を用いずツーリズムという用語を充てることも増えてきた。原義であるtourは「轆轤(ろくろ)で回す」という意味があるとされ、そういう意味では周遊に近い概念と言える。ただ、今日では「ツーリズム」は、「観光」とイコール、さらに広義では業務も含む旅行そのものと解釈されている。

しかし、近年はツーリズムという言葉は特に観光業者の間では特別なものと認識されることも増えてきた。かつての物見遊山的な観光をサイトシーイングとして昔の物とし、ツーリズムとは体験型観光として位置づける動きが強まっている。そして、ツーリズム自体もその特性によりさまざまな言葉を付加して区別している。環境に配慮したツーリズムをエコツーリズム、自然特に山や森などを扱うツーリズムをグリーンツーリズム、自然特に海を扱うツーリズムをブルーツーリズムと呼んだり、地域独自のツーリズム名が生まれたりしている。

日本でも都道府県や市町村の観光協会、観光連盟に相当する団体でも「ツーリズム」を冠する例が見られるようになってきた。例えば、兵庫県では、「社団法人ひょうごツーリズム協会」と、大分県では「財団法人ツーリズムおおいた」と「観光」を冠していない。また、大分県竹田市では市町村合併に伴い旧自治体単位であった観光協会を統合、「竹田市観光ツーリズム協会」[8]として再発足した(2006年3月)。

ツーリズムの付く用語

ツーリズムのつく用語は非常に多い。ただ、概念や理念が先行しているものもある。

アーバンツーリズム、インダストリアルツーリズム[9]インフラツーリズム、、エコツーリズム、、オーバーツーリズム[9]オールタナティブツーリズムガーデンツーリズム、、グリーンツーリズム、、アニメツーリズム産業ツーリズムサスティナブルツーリズム、、スポーツ文化ツーリズム、スローツーリズム[9]セックスツーリズムソーシャルツーリズム、、ダークツーリズム、、ニューツーリズム、、、、フィルムツーリズム、、ヘリテージツーリズムヘルスツーリズムマイクロツーリズムマスツーリズムメディカルツーリズム(医療ツーリズム)[9]、、など。
※表記法として「ツーリズム」の前に「・」を付ける場合もある。

ビジター産業

「ツーリズム」には観光産業という意味もあるが、これに対してビジター産業と呼ぶこともある。もともと米国発の発想で、目的の如何を問わず、その地を訪れる全ての人(ビジター)を対象にしていこうという考え方である。ただし、米国では来訪による移動の距離や宿泊を伴うかどうかにより、近隣や日帰りの場合は除外することもある(溝尾2003年)。

観光政策

ヨーロッパ

ヨーロッパの観光政策では観光事業と世界遺産などの歴史的建造物の保存と活用が特に着目されている[1]

イタリア、フランス、イギリス、アメリカ等の欧米諸国では歴史的建造物の修復や再生、旧市街地の活性化など先進的な取り組みが実施されている[1]

また、スペインでは観光事業に歴史的建造物の保存と活用を積極的に結びつける観光政策がとられてきた[1]。具体的には歴史的建造物のパラドールとしての活用である。スペインでは1960年代に観光ブームがおこり増大する観光客に対応するために新築のパラドールが次々と建設された[10]。しかし、新築のパラドールの増大は既存の歴史的建造物の中に矛盾する要素を取り込むこととなったとの問題が指摘され、1960年代に建設されたパラドールにはのちに廃止されたものも多い[10]。その後、パラドールを設置する場合にはできる限り古い建物を活用し、芸術的価値・歴史的価値を検討し、その建物が宿泊施設として利用可能かどうか専門家委員会が判断する仕組みが導入されている[10]

日本

観光基本法の制定に際し、法案作成の事務作業をした衆議院法制局では、観光の法的定義を試みたものの困難であると断念し、観光概念は世間で使われているものと同じ意味であるとしたと伝えられている(運輸省観光局監修『観光基本法解説』学陽書房1963年p.208)。

用語としての観光は、朝日新聞データベース「聞蔵」による検索結果によれば、当初は固有名詞(観光丸、観光社、観光寺等)に使用されるケースしかない。普通名詞として使用された初めてのケースは、1893年10月15日に日本人軍人による海外軍事施設視察に使用された「駐馬観光」である。その後日本人軍人から外国人軍人、軍人以外の者の海外視察等へと拡大してゆき、最終的には内外の普通人の視察にも使用されるようになっていったが、いずれも国際にかかわるものである点ではかわりはなかった。

明治期に多くの概念が西洋から輸入され、漢語を用いて造語され、収斂していった。社会、宗教、会社、情報等がその例として認識されているが、字句としての観光はこれらの新たに造語されたものとは異なり、既に存在していたものである。前述の通り固有名詞の一部として使用され朝日データベースに登場もしている。一方tourismが用語として日本社会において造語しなければならない状況にあったのは現在の資料では不明確である。touristに関してはツーリストと外来語のカタカナ表示がなされていた。

概念の明確化が求められる法令において観光が使用されたのは、1930年勅令83号国際観光局官制がはじめてである。朝日新聞データベースから推測されるように、世間では観光が国際にかかわるものに限定されて使用されていたにもかかわらず国際観光と表現した経緯につき、『観光の日本と将来』観光事業研究会1931年及び『観光事業10年の回顧』鉄道省国際観光局1940年に江木翼鉄道大臣(当時)の強い思い入れがあったと記述がなされている。当時の語感からすれば外遊に国際をつけて国際外遊と表現したかの印象があったのであろう。しかしこの時に観光に国際をつけたために国内観光の用語の発生する余地ができたとも考えられる。

国際観光局の英文名はBoard of Tourist Industryとなっており、国際にあたる表示はなされていない。朝日新聞データベース「聞蔵」による記事検索では、ツーリストは1913年から外国人にかかわるものとして使用されているが、原語のtourist自体が当時原語国で外国人にかかわるものに限定されていたのかの立証は、これからの研究課題である。ツーリズムという用語については朝日新聞データベース「聞蔵」によれば、戦前は検索されないどころか、昭和末期までほとんど検索結果に表れてこない状況である。なお、観光が国内観光、国際観光を区別しないで使用されるようになったのは、戦後連合国の占領政策が終了する時期、つまり日本人の国内観光が活発化する頃からである。

政府の観光政策審議会の「今後の観光政策の基本的な方向について」(答申第39号、1995年6月2日)」では、観光の定義を「余暇時間の中で、日常生活圏を離れて行うさまざまな活動であって、触れ合い、学び、遊ぶということを目的とするもの」とし、「時間」、「場所・空間」、「目的」の3つの面から規定している。

さらに、「21世紀初頭における観光振興方策について」(答申第45号、2000年12月1日)によると、「いわゆる『観光』の定義については、単なる余暇活動の一環としてのみ捉えられるものではなく、より広く捉えるべきである。」としている。

2008年10月1日国土交通省外局として「観光庁」が発足し、第1種旅行業者の登録は、従来の国土交通省大臣登録から観光庁長官登録に変わった。

「観光化」の光と影

宿泊を伴うか否かにかかわらず「観光旅行」の普及と発展は、「観光地」にさまざまなプラスのまたはマイナスの影響を引き起こす。このような現象は「観光(地)化」と呼ばれるが、これについてはマスツーリズムに詳しい。

関連書籍

  • 小口孝司 編 前田勇、佐々木土師二『観光の社会心理学―ひと、こと、もの 3つの視点から』千葉大学文学部人文科学叢書 北大路書房 ISBN 4762824968
  • Charles R.Goeldner,J.R.Brent Ritchie『TOURISM』 - 欧米の観光学のバイブルである。心理学からマーケティングまでP624の著書である。研究者、大学院生は、必読書である。 John Wily & Sons,Inc. ISBN 9780470084595

脚注

  1. ^ a b c d e 『現代スペイン情報ハンドブック 改訂版』三修社、2007年、40頁
  2. ^ 特命全権大使米欧回覧実記. 第1篇 米利堅合衆国ノ部国立国会図書館デジタルコレクション(2018年1月6日閲覧)
  3. ^ 【明治あとさき 維新150年】(1)旅/寺社参詣から文化観光へ 岩倉具視、京都再生へ「誘客」の妙手『読売新聞』朝刊2018年1月1日
  4. ^ 砂本文彦 (2008). 『近代日本の国際リゾート 一九三〇年代の国際観光ホテルを中心に』. 青弓社 
  5. ^ 『ホテルと日本近代』(学芸出版)
  6. ^ 溝尾2003年p8
  7. ^ 中華人民共和国国家旅游局
  8. ^ 竹田市観光ツーリズム協会ホームページ
  9. ^ a b c d ツーリズムとは | 観光や旅行との違い・見聞にとどまらない体験や交流・10のニューツーリズム・オーバーツーリズムについても解説” (日本語). 訪日ラボ (2019年10月28日). 2020年6月25日閲覧。
  10. ^ a b c 『現代スペイン情報ハンドブック 改訂版』三修社、2007年、41頁

参考文献

  • 溝尾良隆『観光学 基本と実践』(古今書院、2003年)を参考とした。諸外国での解釈や「観光」と「レクリエーション」「レジャー」等の異同についての詳しい説明もある。
  • 寺前秀一『地域政策研究』(高崎経済大学地域政策学会)第 11 巻第2号2008年9月 マスコミ、情報との類似性に着目して観光を論じている新しい考え方である。

関連項目

  • トーマス・クック - パッケージツアーの産みの親で「ツーリズムの父」とも呼ばれる19世紀の英国実業家
  • - パソコンやテレビの画面、VRに世界各地のライブカメラの映像をオンラインで取得して嗜むものである。2019年新型コロナウイルスの影響下で、外出制限の中、ドローンの航空映像などを含めた様々なオンラインサイトで繰り広げられている。リモート旅行ともいう。

研究・調査

産業・地域振興、国際協力

文化

弊害、問題点

外部リンク


 

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