ポータルフィールドニュース

ポータルフィールドニュース

in ,

🚌|箱根登山電車 施設更新工事で12/16-18運休、路線バス振替と代行バス運行


写真 

箱根登山電車 施設更新工事で12/16-18運休、路線バス振替と代行バス運行

 
内容をざっくり書くと
箱根登山バスの振替輸送は、箱根登山電車各駅の最寄りバス停のみ利用できるほか、交通系ICカードは箱根登山バスの運賃で利用できる。
 

箱根登山鉄道(箱根登山電車)は、12月16~18日の3日間、箱根湯本~強羅(約8.9km)を運休する… →このまま続きを読む

 鉄道チャンネル

鉄道チャンネルは、いつでも鉄道に浸れる!鉄道ファンのための鉄道専門チャンネルです。
気になる最新鉄道ニュースをまとめてチェックできます!


Wikipedia関連ワード

説明がないものはWikipediaに該当項目がありません。

箱根登山バス

箱根登山バス株式会社(はこねとざんバス、Hakone Tozan Bus Co., Ltd.)は、神奈川県小田原市に本社を設け、神奈川県小田原市および足柄下郡箱根町周辺を主な営業エリアとする、小田急グループのバス事業者である。

1913年3月1日に開業した小田原電気鉄道の貸自動車業[2]と、1914年8月15日に開業した富士屋自働車の貸自動車業[3]を前身とし、1932年に両社が合併して富士箱根自動車となる[4]が、戦時中の交通事業統合の流れの中で1921年創業の足柄自動車とともに箱根登山鉄道に合併し、同社の自動車部門となった[5]。2002年10月には小田急グループ内での事業再編に伴い分社化された[6]

本項目では箱根登山鉄道のバス部門(自動車部)によって事業が行われていた時代についても記述する。

歴史

創業期

2012年現在の箱根登山バスが主な営業エリアとしている神奈川県西部において自動車業が開始されたのは、1912年明治45年)に営業を開始した箱根自動車の貸自動車業(ハイヤー)に端を発する[7]。この頃に日本国外からの旅行者が自動車で箱根を訪れるようになっていた[7]が、小田原電気鉄道の終点であった湯本駅の駅前にて茶屋を経営していたうちの1軒で、その親族が貸自動車業を開始したものである[7]。これに驚いた小田原電気鉄道では、翌1913年大正2年)3月1日より貸自動車業に参入した[2]。当初の車両数は5台で、国府津駅から強羅までと、芦ノ湖畔の箱根町を結ぶ区間での営業であった[2]。これらの貸自動車業は、それまで人力車夫や駕篭かきからは脅威として受け止められ[8]、路上にガラス片をまかれたり投石されたりといった運行妨害を受けることもあった[9]

この1913年の夏、富士屋ホテルでの滞在を終えて帰任するアメリカ陸軍少佐から予約を受けたにもかかわらず小田原電気鉄道の貸自動車が約束した時間よりも遅れて配車されるという事態が発生した[10]。この陸軍少佐は辛うじて国府津駅から予定の列車に乗車し、無事に帰任できた[10]ものの、帰任後に富士屋ホテルに対して「一流ホテルとしては、ホテル専属の自動車を所有すべき」と意見書を送った[3]。当時、富士屋ホテルの取締役であった山口正造はこれに応えるべく、富士屋自働車を設立した[3]。富士屋自働車は運転士に礼儀作法と英語を学ばせた上、当時としてはモダンな制服を着用させた[11]。また、それまで人力車夫や駕篭かきを営業していたものに対して、富士屋自働車の株主になることを薦めた[11]

富士屋自働車では貸自動車だけではなく、乗合自動車の運行を行なう構想を抱いており[12]、1915年(大正4年)8月には国府津駅と箱根地区を結ぶ乗合自動車、1917年(大正6年)6月には小田原と熱海を結ぶ乗合自動車の運行許可を得ていた[13]。貸自動車業を開始した際にも反対運動があった経験から[12]、乗合自動車の運行については慎重に時機をうかがうこととした[13]。なお、箱根で最初に貸自動車業を開始した箱根自動車は、1919年に富士屋自働車に買収された[14]

その後、1912年に小田原電気鉄道が湯本から強羅までを結ぶ登山鉄道の工事を開始した[15]が、登山電車の開通は貸自動車業にとっては脅威であり、それに対抗するためには乗合自動車の運行を行なう必要があると考えられた[12]。そこで、富士屋自働車は登山電車の運行を待つこととし、1919年6月1日より国府津駅から宮ノ下、宮ノ下から箱根町において乗合自動車(路線バス)の運行を開始した[16]。これが神奈川県下においても初となる本格的な路線バス運行であった[13]が、同時に、鉄道とバスの競合の始まりでもあった[17]。富士屋自働車では高級車両を投入し[17]、横浜や東京に至る長距離路線の運行も開始した[17]。対する小田原電気鉄道は、小涌谷から箱根町まで、自社の登山電車に接続する路線バスの運行を1921年(大正10年)より開始した[4]。一方、1921年には足柄自動車が松田町で設立された[18]

登山電車で小田原から宮ノ下までの運賃が下等で61銭で、それでも下りは歩いて湯本に戻る利用客も多かった状況では、小田原から宮ノ下まで1円80銭もの運賃が設定された路線バスの利用者はさらに少なかった[16]。このため、富士屋自働車では1922年には運賃の値下げを行い、小田原から宮ノ下までのバス運賃は1円となった[19]。また、同年には小田原駅前に営業所を併設した食堂・売店として「カフェ・レゾート」をオープンさせた[20]。一方の小田原電気鉄道側も運賃を値下げして対抗するなど、激しい乗客争奪が展開された[21]。同年12月3日には両社の社員同士が乱闘事件を起こし[22]、4人が傷害罪で送検された[22]

1923年9月1日に発生した関東大震災によって、富士屋自働車では前年に完成したばかりの「カフェ・レゾート」が倒壊[20]、車庫にあった数十台の自動車も破壊された[20]。また、湯本と塔ノ沢の間では乗客5人を乗せた自動車が崖崩れにより埋没し行方不明となり[20]底倉にある蛇骨川の橋を渡っていた自動車が谷底へ転落する[23]など、保有していた自動車の半数近くが失われるという被害を受けた[23]

競合の末の合併から戦時統合まで

震災後、富士屋自働車は復旧とともに車両の改良に注力した[24]。1924年には当時としては超大型となる25人乗りのバスを導入し[25]、1925年から実際に運行を開始している[25]。また、1924年には三島沼津にまで路線網を拡大した[4]ほか、震災以来中断されていた横浜と箱根を結ぶ路線の運行も再開されている[25]。一方の小田原電気鉄道も1927年までにはほぼ復旧している[26]。なお、小田原電気鉄道は1928年(昭和3年)1月にいったん日本電力に合併した[4]あと、同年8月に再度箱根登山鉄道として分社化された[4]

鉄道やバスの復旧とともに、再び激しい乗客争奪が展開されることになった。小田原駅前では富士屋自働車の社員は「乗り換えなしで箱根へ」と宣伝[27]、一方の箱根登山鉄道の社員は「電車の方が静かで安い」と声を上げ[27]、観光客を自社へ誘導した。時には観光客の手を引っ張りあい[28]、ひどい時には互いの社員同士が殴り合いを始める始末だった[28]

箱根登山鉄道が1929年には国府津まで、1931年には箱根湯本と箱根町を結ぶ自社鉄道線と並行する路線バスの運行に至り[4]、小田原駅前に乗り入れるようになると、この2社の競合はさらにエスカレートし、現地での社会問題にまで発展した[4]。富士屋自働車はアメリカ製の高級バス「ホワイト」を導入[28]、対する箱根登山鉄道はスイス製の高級バス「サウラー」を導入し[28]、女性の車掌が自社のバスに乗せようと大声を上げる有様であった[28]

ここにきて、小田原市や警察署長、さらには鉄道省が両社の合併を再三にわたって勧奨する事態になり[28]1932年には京阪電気鉄道の社長であった太田光凞の仲介により[4]両社のバス事業を統合することになった。こうして、1933年1月に箱根登山鉄道のバス事業全てが富士屋自働車に譲渡され、富士屋自働車は社名を富士箱根自動車[29]に変更した[4]1934年には足柄自動車を傘下に組み入れた[4]

なお、富士屋自働車は1931年には省線との連帯運輸を開始した[4]が、乗合自動車が省線と連絡運輸を行ったのは、日本ではこれが初めての事例である[30]

しかし、戦時体制の波は富士箱根自動車にも影を落とすことになる[4]1935年(昭和10年)に電力統制が行われると、富士箱根自動車は箱根登山鉄道とともに日本電力の傘下に入った[4]。戦時体制が強化されると、不要不急の路線は休止を命じられることになり、鉄道並行路線や観光路線などはこれによって休止されたが、これは全路線の6割強に達した[4]。さらに、1942年(昭和17年)に強制統合の通牒が出され、統合母体として箱根登山鉄道が選ばれることになり、1944年(昭和19年)7月31日付で富士箱根自動車と足柄自動車は箱根登山鉄道に合併となった[5]。加えて、箱根登山鉄道の社長に東京急行電鉄社長の五島慶太が就任し、かくして箱根登山は大東急の影響下に置かれることになった。

本項では以下、単に「登山バス」とした場合は箱根登山鉄道および箱根登山バスをさすものとする。

戦後の復興

終戦間もない1945年(昭和20年)11月より、小田原から宮ノ下・江ノ浦への路線について運行を開始[31]、以後順次休止路線の運行再開を図るが、路線網がほぼ完全に復旧したのは1954年と、9年を要している[31]。この間の1948年、戦時統合により巨大な鉄道事業者となっていた東急から、小田急電鉄(小田急)・京浜急行電鉄京急バス)・京王帝都電鉄京王バス)が分離したが、元来旧・小田急電鉄が運行していた鉄道の井の頭線は京王の所属となり、その代わりとして神奈川中央乗合自動車(当時)とともに新生・小田急の傘下に入ることになった[31]

1950年には貸切バス事業も再開[31]、翌年には東京都・静岡県・山梨県にも営業エリアを拡大した。また、長距離路線の開設も目立ち、1950年には東京から箱根・熱海へ直通する路線を開設した[32]ほか、1952年には富士山麓電気鉄道(当時)との運輸協定により小田原駅と山中湖を結ぶ路線も開設された[31]

貸切バス事業においても、1953年には東京都内で貸切バス事業を行っていた新光バスを買収し、1956年に箱根登山バス(2003年以降とは別の会社)と改称した上で1960年に登山バスに吸収合併した[33]

箱根山戦争と事業拡大

大正後期以降、芦ノ湖近辺では箱根土地(当時)が別荘地の分譲などを中心とした観光開発を行なっており[34]、開発に欠かせない交通機関の整備についても西武グループの手で熱海峠箱根峠の間と、小涌谷から湖尻を経由して元箱根に至る有料道路を運営し、駿豆鉄道(当時)の路線バスが運行されていた[34]

1947年9月、駿豆鉄道では、小田原と小涌谷を結ぶ区間に路線バスの運行免許申請を行った[35]。傘下にあった大雄山鉄道(当時)との一貫輸送を図ったものであった[36]が、当時まだ東急の傘下だった登山バスは、自社防衛の見地から反対の立場をとった[31]。しかし、当時の登山バスではただちに増強を図ることは難しかった[37]上、地元からも「独占はよくない」という声も上がっていた[37]こともあり、1949年12月には駿豆鉄道の路線バス運行については条件付で認可された[36]。これに対応して、小田急の傘下に入った直後の登山バスでは早雲山から大涌谷を経由して湖尻に至る路線バス運行の免許申請を行なった[38]が、これは逆に駿豆鉄道から反対を受けた[39]。最終的には、1950年3月に両社の協定により、駿豆鉄道は途中停留所と運行回数の制限を、登山バスは1年ごとの有料道路利用契約の更新をそれぞれ条件とした上[40]で、小田原へは駿豆鉄道バスが乗り入れ、代わりに登山バスが初めて芦ノ湖北岸へ乗り入れることになった[31]

登山バスはこれに続いて、1950年3月に芦ノ湖への湖上交通に着手するために、箱根町や仙石原で西武グループに敵対の立場を取っていた有力者と共同で船舶会社(箱根観光船)を設立した[40]。当初の箱根観光船は小型遊覧船のみを保有する小規模な事業者であった[35]が、1954年には芦ノ湖一周航路の免許を取得[40]、さらに1956年には大型の遊覧船を就航させた[35]。駿豆鉄道側ではこれに対して、1956年3月に「有料道路通行契約が満了すると共に契約を破棄する」と通告し、契約満了後の同年7月以降には有料道路に遮断機を設けて登山バスの通行を阻止した[41]。これは箱根観光船の大型船導入に対する報復で[41]、後に箱根山戦争として広く知られ、獅子文六の小説『箱根山』の題材にもなった西武グループと小田急グループの対立の始まりでもあった[40]

その後、互いに訴訟を起こして争う一方で、小田急側では1959年箱根ロープウェイを開通させたことにより、小田急グループのみで芦ノ湖北岸へ到達できるようになった[40]。また、1961年に有料道路を神奈川県が買い上げた上で一般道路として開放した[40]ことで、抗争は事実上終結した[33]。数多くあった訴訟案件の決着がついた1968年には西武と小田急のトップが友好的な協定に調印した[42]ことから、以後両社は共存してゆくことになる。しかし、既に独自の周遊ルートを築いていたこともあり、小田原駅での観光客の呼び込みや箱根地区でのターミナルの違いなど、競合の構図は残った[33]

これらの紛争の間にも、事業区域の拡大は進められた。1950年代には東海道本線と並行する路線が新設されたほか、1958年には定期観光バスの運行を開始している[43]。また、1960年代には三島・沼津地区において東海自動車(現・東海バス)・富士山麓電気鉄道改め富士急行(現・富士急シティバス)との免許争奪合戦も行われた[44]

貸切バス事業においても拡大傾向は続き、1963年には名古屋にも営業所を設置した[33]上で、1968年には箱根登山観光バスとして独立させている[33]

モータリゼーションの波と事業再編成

1970年代に入ると、モータリゼーションの進展に伴い、路線バスの走行環境は悪化の一途をたどる[45]。特に登山バスの主たる路線は国道1号という幹線でありながらカーブの多い山岳道路を経由しており、観光客を乗せたマイカーが特定の道路に集中することによる渋滞[45]とそれに伴う利用者減は、登山バスに対して深刻な影響を及ぼすものとなった。このため、1982年より中型車の導入が開始され、通勤通学路線の開拓を進めた[45]他、1985年からは地域密着経営の一環として、沿線の小学生の絵画を車内に展示する「ギャラリーバス」の運行を開始した[45]。一方で、1978年からは箱根旧街道経由のバスを毎日運行に切り替えた[45]ほか、定期観光バスのコースを拡充したり、祭りに合わせて会員制ツアーバスの運行を行う[45]など、新規需要の開拓に努めた。1998年5月からは、箱根地区の施設を巡る循環バスの運行を開始した。

しかし、モータリゼーションの進行に加え、箱根地区を訪れる観光客自体が減少傾向となった[46]ことにより、バス事業をとりまく環境はさらに厳しくなったため、長距離路線の廃止や短縮などが行われた[46]。また、1996年には秦野市内の登山バス路線については神奈川中央交通100%出資の湘南神奈交バスに移管[46]した。

一方で、静岡県内では1971年(昭和46年)、東海自動車が小田急グループ入りしたことで小田急系バス会社が2社併存することになる。非効率な状態を解消し、将来的な東海自動車の地域別分社化の際には統合させることも視野に入れて、1998年(平成10年)4月1日付で沼津・三島地区の一般路線を分社化の上沼津箱根登山自動車を設立した[46]。法的にはこの時をもって現社設立としている。

さらに、2002年(平成14年)10月には小田急グループ全体の再編成が行われた。沼津箱根登山自動車の路線は全路線が沼津東海バスに譲渡された上、沼津登山東海バスと改称された[6]ほか、熱海営業所は伊豆東海バスに統合された。残った箱根登山のバス部門は法人格上存続することになった沼津箱根登山自動車に譲渡、社名を箱根登山バスと改称した[6][注釈 2]。これによって、静岡県内の路線バス事業からは撤退し、営業拠点は消滅した。

貸切バス事業についても、東京・横浜の各営業所については1996年に箱根登山観光バスに移管[46]1997年には横浜と東京の各営業所を移転の上統合した[46]が、同社は2002年には営業を廃止した[6]。また、小田原観光営業所の貸切バス事業は1994年(平成6年)設立の箱根湯本バスに移管された[46]後に、2000年に湘南箱根登山自動車に社名変更した[6]。その後、2010年には湘南箱根登山自動車を箱根登山観光バスに社名変更している[48]

一方、2002年には登山電車と登山バスに共通のプリペイドカードとして「とざんカード」を導入し[6]、同時にバス共通カードも導入した[6]が、2005年度にはICカード化の流れで「とざんカード」の販売は中止された[6]。2005年3月からは、箱根湯本駅と宿泊施設との間で観光客の手荷物を託送する「箱根キャリーサービス」の運営を開始した[49]

2004年度には、小田急グループと西武グループとの協力体制構築が発表された[6]ことを受け、伊豆箱根鉄道バスとは共同歩調をとることになり、停留所名の統一などが行われた[6]。さらに、2010年(平成22年)6月15日からは、伊豆箱根バス・小田急箱根高速バス・沼津登山東海バスと連携し、箱根地区の路線に系統記号を設定し、路線図も各社共通の様式で作成した上で各停留所や案内所で掲出することになった[50]

2016年(平成28年)4月1日、沼津登山東海バスは東海バスオレンジシャトルに社名変更[51]。静岡県内拠点の消滅後も社名の上にあった登山バスの名残が消えた。

2020年令和2年)2月1日箱根登山観光バス吸収合併した[52]

事業内容

バス事業

路線バス
2008年の時点では、営業区域は小田原市箱根町を中心に[53]、足柄地域(南足柄市開成町松田町[53]真鶴町[54]湯河原町[54]を主な営業エリアとしている。一部路線は静岡県御殿場市にも乗り入れる。かつては熱海市沼津市にもバス路線を開設していたが、その後小田急グループ内での事業再編に伴い他社への移管が行われている[6]
貸切バス
2008年時点では7台が稼動している[53]が、そのうち5台は小田原養護学校のスクールバス[55]、1台が企業送迎用[56]で、一般貸切車両は大型バス1台のみである[57]
特定バス
2008年時点では8台が稼動している[53]が、そのうち3台は箱根町立箱根の森小学校のスクールバス[58]。富士フイルム系列企業の輸送も行っている[57]

その他事業

箱根キャリーサービス
箱根を訪れる観光客の荷物を箱根湯本駅から提携している宿泊施設へ、また宿泊施設から箱根湯本駅へと託送するサービスで、2005年3月から開始された[49]

営業所

以下の営業所を拠点として路線バスの運行を行っている[59]

小田原営業所
小田原営業所と小田原観光営業所の路線バス部門を統合。
宮城野営業所
2005年5月に小田原観光営業所宮城野出張所を格上げして新設[6]
関本営業所
1921年5月22日に足柄自動車として開設[60]。その後小田原観光営業所に統合されるが、足柄営業所統合後に再分離。
湯河原営業所
1956年5月に開設[61]
湯本営業所

過去に存在した営業所

小田原観光営業所
1963年1月16日に開設[61]。路線バス部門は小田原営業所に移管、貸切部門は1999年に箱根湯本バスに移管後[46]、2000年に湘南箱根登山自動車に商号変更[62]
熱海営業所
2002年10月に伊豆東海バスに譲渡[6]
沼津営業所
1958年6月1日に開設[61]1998年には沼津箱根登山自動車として分社化[46]、2002年10月に沼津東海バスに移管され沼津登山東海バスと改称[6]
横浜観光営業所
1996年に箱根登山観光バスに移管され、関東支店神奈川営業所となる[46]。1997年に東京営業所に統合して廃止[46]
東京営業所
1953年に設立された新光バスを1956年に箱根登山バス(初代)に改称し[61]、1960年に合併[61]。箱根登山観光バスに移管され、関東支店東京営業所となった後、神奈中ハイヤー(現・神奈中観光)に車両・乗務員ごと譲渡。これに伴って、神奈中ハイヤーは町田営業所を野津田車庫より移転。現在の神奈中観光東京営業所。
名古屋営業所
1964年3月1日に新設[63]。1968年8月1日に箱根登山観光バス(初代)に移管された[63]が、2002年に廃止[6]

車両

車両史

路線バス車両は、富士屋自働車では当初はビュイックの乗用車を利用し、ラジエター上に行き先を掲出しただけであった[64]。富士屋ホテルの宿泊客から意見を集めた上で、アメリカの高級車ホワイトを導入した[64]。当初はシャーシのみ輸入し、車体は日本国内で製造させていた[16]が、1923年にはアメリカのベンダー車体製造に依頼して製造させた車体をホワイトに架装して輸入[65]、さらに詳細な図面を取り寄せた上で日本自動車に依頼して、日本国内で車体を製造させた[65]。これがその後日本国内で製造されるバス車体の原型となったといわれている[65]

一方、箱根登山鉄道の自動車部門では、富士屋自働車に対抗して、スイス製の高級車であるサウラーが導入された。この車両は右ハンドル仕様ではあった[66]が、スイス国内で使用される車両と同様にオープンタイプで[66]、車体も含めて全てスイスから輸入されたものと推測されている[66]五十嵐平達は「活躍した場所から考えても、1930年代の遊覧バスを代表する1台」であるとしている[66]。富士箱根自動車となってからもサウラーなどの大型車が導入された[4]

戦時中は他社と同様に代用燃料に対応させた車両が使用されたが、代用燃料車両では箱根を登りきることができず、宮ノ下で別のバスに乗換えを余儀なくされたという[67]

戦後にはディーゼルバスが順次導入され、1953年からは日野自動車(日野)のセンターアンダフロアエンジン車が大量導入された[31]

1970年代以降の車両概説

1970年代頃は日野と日産ディーゼルの台数が多かった[68]が、2008年時点ではいすゞ・日野・三菱の3メーカーを導入している[56]。箱根地区の道路環境から、自社導入の大型車は全て短尺の高出力車を採用している[69]。また、貸切車については、全てフルエアブレーキ仕様である[69][注釈 3]。車両のタイヤは年間を通じてスタッドレスタイヤを装着し[70]、毎年冬に交換する[70]ほか、状況に応じてタイヤチェーンを併用する[70]

箱根登山バスの路線バスの特徴として、トップドア車(乗降扉が前方1つだけ)であってもドアの直後の窓には側面方向幕を設置せず、1つ後の窓部分に設置するという独特の仕様が挙げられる[69]。これは、方向幕の大型化に伴い、急カーブで極力視界を確保するためとされている[69]。ノンステップバスは山間部では走りにくいという理由で小田原市内路線に投入されている[70]

定期観光バスを運行していることから、標準床ながらオールリクライニングシートの観光仕様路線車も導入している[69]。2010年には、同社では11年ぶりとなる定期観光バスの車両更新[71]と同時に、神奈川県内では初導入となる[71]日野・セレガハイブリッドを導入している[71]

乗降方式は車両の扉位置にかかわらず前乗り前降りである[69]。そのため、ベビーカーは折りたたんで乗降する[72]。扉配置は、ワンマン化初期には前中扉仕様[注釈 4]が採用されていた[33]が、その後前後扉仕様[注釈 4]に変わり[45]、さらに1980年代以降は座席定員を極力増加させるために前扉仕様[注釈 5]が標準となった[56]。2002年以降は交通バリアフリー法に準拠した前中扉仕様[注釈 4]となり[70]、中扉は車椅子専用の出入口として使用している[56]

カラーリング

戦後に採用されたカラースキムは、クリーム色の上下に青い帯が入るものであったが、1980年からは白ベースに青の濃淡2色と赤のラインが入るものになった[74]。しかし、塗装パターンが比較的複雑である上に特別色も含まれていることからコストが高く[74]、2000年代には「ハートフルバスとざん」色や試験塗色の採用なども行われた[56]。2010年の新車からは、クリーム色ベースで灯火をイメージするオレンジ色(同社では「柿渋色」と呼称)の帯を配した上、箱根細工をイメージするデザインに変更されることになった[75]。これまでの塗装デザインの車両については塗り替えは行わない[75]

譲受車・譲渡車

1970年代から2000年代初頭までは、東京都交通局神奈川中央交通長崎自動車からの譲受車や、東京都交通局の注文流れの車両を導入していた。近年は神奈川県生活環境の保全等に関する条例(ディーゼル車規制条例)に対応するため車両の更新は全て新車によって行なわれている。2008年時点では12年以内に代替されており[56]、同条例の規制を受けないことから、グループ会社の東海バスへの譲渡が多い[76]

車両番号

小型車は001から099まで[56]、中型車と大型車は100から999までの連番で[56]、番号の前には車種頭文字(B:路線、BH:貸切、特:特定車)が付される[77]。2001年から2003年までの導入車両については、営業所頭文字(K:小田原観光、T:(2001年当時の)熱海、Y:湯河原、A:足柄)+年式記号(A:2001年、B:2002年、C:2003年)+2桁の連番となる附番方式を採用していたが、2004年以降は2000年までの附番方式に戻されている[77]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 旧商号は「沼津箱根登山自動車株式会社」。2002年10月1日の会社再編により、同日より箱根登山バスとしての事業を開始。
  2. ^ この事業再編の結果、箱根登山バスは、小田急箱根ホールディングスの下で箱根登山鉄道・箱根ロープウェイ・箱根観光船と並列に位置することになる[47]
  3. ^ 排気ブレーキの使用頻度が高いため、日野RE100・RV731系では排気ブレーキのスイッチをハンドルの左側に取り付ける改造が施工されていた。
  4. ^ a b c 前扉と中扉を配置した仕様。
  5. ^ 前扉のみを配置した仕様。

出典

  1. ^ a b c d e f 箱根登山バス株式会社 第21期決算公告
  2. ^ a b c 『箱根山の近代交通』 p.112
  3. ^ a b c 『すばらしい箱根』 p.40
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.26
  5. ^ a b 『すばらしい箱根』 p.88
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.31
  7. ^ a b c 『箱根山の近代交通』 p.109
  8. ^ 『すばらしい箱根』 p.39
  9. ^ 『箱根山の近代交通』 p.110
  10. ^ a b 『箱根山の近代交通』 p.113
  11. ^ a b 『箱根山の近代交通』 p.114
  12. ^ a b c 『すばらしい箱根』 p.41
  13. ^ a b c 『箱根山の近代交通』 p.118
  14. ^ 『箱根山の近代交通』 p.111
  15. ^ 『箱根山の近代交通』 p.98
  16. ^ a b c 『箱根山の近代交通』 p.120
  17. ^ a b c 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.25
  18. ^ 『箱根山の近代交通』 p.160
  19. ^ 『箱根山の近代交通』 p.121
  20. ^ a b c d 『箱根山の近代交通』 p.142
  21. ^ 『箱根山の近代交通』 p.123
  22. ^ a b 『箱根山の近代交通』 p.124
  23. ^ a b 『箱根山の近代交通』 p.143
  24. ^ 『箱根山の近代交通』 p.146
  25. ^ a b c 『箱根山の近代交通』 p.149
  26. ^ 『箱根山の近代交通』 p.151
  27. ^ a b 『箱根山の近代交通』 p.155
  28. ^ a b c d e f 『箱根山の近代交通』 p.156
  29. ^ 路線、車両広告『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  30. ^ 『箱根山の近代交通』 p.157
  31. ^ a b c d e f g h 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.27
  32. ^ 『すばらしい箱根』 p.62
  33. ^ a b c d e f 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.28
  34. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.98
  35. ^ a b c 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.99
  36. ^ a b 『箱根山の近代交通』 p.179
  37. ^ a b 『箱根山の近代交通』 p.180
  38. ^ 『箱根山の近代交通』 p.181
  39. ^ 『箱根山の近代交通』 p.182
  40. ^ a b c d e f 『鉄道ピクトリアル』通巻546号 p.72
  41. ^ a b 『箱根山の近代交通』 p.192
  42. ^ 『箱根山の近代交通』 pp.207-208
  43. ^ 『すばらしい箱根』 p.68
  44. ^ 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.21
  45. ^ a b c d e f g 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.29
  46. ^ a b c d e f g h i j k 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.30
  47. ^ 『鉄道ジャーナル』通巻480号 p.107
  48. ^ 会社概要”. 箱根登山観光バス. 2010年12月27日閲覧。
  49. ^ a b 『鉄道ジャーナル』通巻480号 p.108
  50. ^ “箱根エリアバス路線の系統記号化を実施します” (プレスリリース), 小田急電鉄, http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/5473_4627422_.pdf 2010年6月14日閲覧。 
  51. ^ 社名変更について”. 東海自動車. 2016年4月26日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2016年4月26日閲覧。
  52. ^ 箱根登山バス株式会社と箱根登山観光バス株式会社の合併に関するお知らせ (PDF)”. 箱根登山バス・箱根登山観光バス (2019年11月8日). 2020年5月3日閲覧。
  53. ^ a b c d 『バスラマ・インターナショナル』通巻110号 p.39
  54. ^ a b 『バスラマ・インターナショナル』通巻110号 p.40
  55. ^ 『バスラマ・インターナショナル』通巻110号 p.51
  56. ^ a b c d e f g h 『バスラマ・インターナショナル』通巻110号 p.47
  57. ^ a b 『バスラマ・インターナショナル』通巻110号 p.43
  58. ^ 『バスラマ・インターナショナル』通巻110号 p.49
  59. ^ 営業所のご案内”. 箱根登山バス. 2020年5月3日閲覧。
  60. ^ 『すばらしい箱根』 p.86
  61. ^ a b c d e 『すばらしい箱根』 p.89
  62. ^ 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 pp.30-31
  63. ^ a b 『すばらしい箱根』 p.90
  64. ^ a b 『箱根山の近代交通』 p.119
  65. ^ a b c 『箱根山の近代交通』 p.147
  66. ^ a b c d 『バスラマ・インターナショナル』通巻6号 p.93
  67. ^ 『箱根山の近代交通』 p.173
  68. ^ 『バスラマ・インターナショナル』通巻110号 p.46
  69. ^ a b c d e f 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.33
  70. ^ a b c d e 『バスラマ・インターナショナル』通巻110号 p.44
  71. ^ a b c 『バスラマ・インターナショナル』通巻119号 p.8
  72. ^ 箱根登山バス. ご利用のお客様へ
  73. ^ 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.57
  74. ^ a b 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.35
  75. ^ a b “箱根登山バス新ボディーカラーの導入について” (PDF) (プレスリリース), 箱根登山バス, http://www.hakone-tozanbus.co.jp/images/information/pdf/pdf_126991512503.pdf 2010年6月14日閲覧。 
  76. ^ 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.32
  77. ^ a b 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.60

参考文献

社史

  • 箱根登山鉄道株式会社総務部総務課『すばらしい箱根 グラフ100』箱根登山鉄道、1988年。

書籍

雑誌記事

  • 青木栄一「小田急電鉄のあゆみ 路線網の拡大と地域開発」『鉄道ピクトリアル』第546号、電気車研究会、1991年7月、 65-75頁。
  • 青木栄一「小田急電鉄のあゆみ(戦後編)」『鉄道ピクトリアル』第679号、電気車研究会、1999年12月、 93-105頁。
  • 五十嵐平達「忘れえぬ1930年代の日本の遊覧バス」『バスラマ・インターナショナル』第6号、ぽると出版、1991年7月、 92-93頁、 ISBN 4938677067
  • 野中祥史「鉄道・軌道プロジェクトの事例研究54 小田急グループの箱根戦略」『鉄道ジャーナル』第480号、鉄道ジャーナル社、2006年10月、 106-108頁。
  • 「バス事業者訪問123 箱根登山バス」『バスラマ・インターナショナル』第110号、ぽると出版、2008年11月、 38-52頁、 ISBN 978-4899801108
  • 「神奈川県第1号!箱根登山バスのセレガハイブリッド」『バスラマ・インターナショナル』第119号、ぽると出版、2010年3月、 8頁、 ISBN 978-4899801191

外部リンク

振替輸送

振替輸送(ふりかえゆそう)は、交通機関が不通もしくは減便になった場合に行われる利用者補償措置の一つである。振替輸送は特に鉄道にて実施されることが多い。本記事では主に、日本における鉄道の振替輸送について述べる。

概要

振替輸送は、不通区間を含む乗車券を持つ利用者が、一定の条件の元で、他の事業者の交通機関を運賃の支払い無しで迂回利用できる制度である。

大都市近郊など列車密度の高い路線では、完全に不通になった場合だけでなく、列車が大幅に遅延・減便された場合にも振替輸送が実施される。本数の少ない列車に利用客が殺到することや、利用客が駅構内や周辺に滞留し、危険な状態になることを防ぐ目的がある。

列車密度の低い地域では、振替輸送を行う代替交通機関が存在しない場合もあり、バスやタクシーによる代行輸送で対応されることが多い。

なお、本項では、本来の振替輸送のほか、同一事業者内での他経路乗車(「迂回乗車」)に関する解説を含む。

規則上の規定

JRでは、JR線の不通区間を他のJR線を使って迂回する扱いを旅客営業規則の「第7章 乗車変更等の取扱い/第3節 旅客の特殊取扱/第5款 運行不能及び遅延」(第282条[1]及び285条[2])に「他経路乗車」として定めている。一方、他の事業者との連絡運輸の取扱いを定めた「旅客連絡運輸規則」ではこの定めを準用しており[3]、これが振替乗車の根拠となっている。「振替輸送」という用語は連絡運輸の実際の取扱いについて規定する「旅客連絡運輸取扱細則」の中で「連絡会社線に関係する他経路乗車の取扱い」のうち「振替乗車票を発行して」これに当たるものを示す単語として登場し(第42条)、取扱い範囲を事前に協議して定めることや、振替乗車票の様式・発行方法などの扱いについても併せて定めている。他の交通機関の事業者でもこれらに準じた約款の中で振替輸送を規定している。

振替乗車そのものが連絡運輸の一部として定められていることもあり、たとえ近隣に代用可能な交通機関があっても、その事業者との間に連絡運輸の契約がない場合、振替輸送の対象とはならない(「代行輸送」の対象になることはある)。

なお、「振替輸送」という用語は旅客営業規則には登場しないが、他経路乗車を認める場合に発行する「振替票」及びその券面の「他経路振替乗車票」に間接的に現われる。ただし、各会社線内で完結する他経路乗車は単に「迂回乗車」と呼ばれることが多く、一般に「振替乗車」という用語は他の会社線に跨る他経路乗車に対して用いられる。

振替輸送が実施される事象

ダイヤに乱れが生じた際、振替輸送が行われる場合が多い。下記はその一例である。

事象にかかわらず、長期運休の場合は振替輸送に特別な扱いがなされる場合がある。

外部要因によるもの

列車事故
近年では人身事故飛び込み踏切障害)や踏切事故(通行者との衝突)による一時不通(輸送障害)が多い。
稀に脱線事故などによる一時不通もある。
輸送障害
高架橋(ガード)に自動車が衝突したり、誤って障害物が線路をふさいでしまったことによるもの。
列車妨害
故意による線路上への障害物設置・立ち入りなどや、その撤去・安全確認のための遅延および運休。
自然災害
台風集中豪雨落雷風雪強風地震落石土砂崩れ・倒木などによる不通・徐行運転。
この場合、振替輸送の対象となる事業者も同じ理由で逆方向の振替輸送を実施している場合があるため注意が必要。

設備故障によるもの

車両故障
車両の故障・不具合によるもの。
線路設備の故障
信号機ポイント変電所などの異常・故障による大幅遅延または運転休止。

計画的なもの

路線の工事
駅の大規模な改良工事や、高架化工事に伴う線路の切り替えなど、旅客営業終了(終電)から翌日の運行開始(初電)までの時間では工期が足りない場合や、朝ラッシュ終了後から夕刻時の日中に列車を運休して保線作業を行う「リフレッシュ工事」などの運休。
事故や災害・設備の故障と異なり、前もって工事の日時が決められていることから、路線によっては他社への振替輸送や代行バス以外に、自社内の迂回乗車や折り返し(重複区間)乗車を認めるなど扱いが異なる場合がある。
例としては2007年1月14日2008年5月18日の始発から13:00頃の間、浦和駅高架化工事による京浜東北線南浦和 - 北浦和間の運休について運休区間への経路に代行バスや迂回経路のほか、赤羽駅さいたま新都心駅からの折り返し乗車も案内している。
不発弾の撤去
線路沿線で不発弾が発見された場合、その撤去時間帯における安全のための運休。

振替輸送の扱い

上記の通り、振替輸送は「他経路乗車」の一形態である。これは、既に運送契約を締結(「乗車券の購入」がこれにあたる)した旅客に対し、その運送契約を契約条件(輸送の区間など)に従って完遂するための代替措置であり、これを受けるにあたっては事前に有効な乗車券を所持していることが原則となる(このことはIC乗車券など事前に運送契約が確定していない形態の乗車券で問題となる)。具体的には、以下のような取扱いとなる。なお、いずれの場合も振替乗車中の途中下車はできない(乗車変更として扱われる)。

普通乗車券・回数券の場合

以下の2つの取扱いがある。

  1. 他経路乗車で利用する連絡会社線への接続駅までのどこかの時点で旅客の所持する乗車券を回収し、着地までの特別補充券を発行する。
  2. 旅客が所持する乗車券を確認し、振替乗車票を発行する。振替輸送終了時(終了駅)にて振替乗車票と乗車券を回収する。ただし、旅客の迂回乗車経路が連絡会社線を経由したあと再び元の会社線に戻り、さらにその先まで有効な乗車券を所持している場合、回収は行なわない。なお、振替乗車票の発行は対象となる乗車券1枚につき1枚限り。

1. は狭義の振替輸送の扱いではなく、迂回乗車の一形態となる。

本来 2. の扱いは「旅客が多数のため 1. の扱いができない場合」の特殊取扱いとして定められているものだが、都市部などではこちらの扱いが一般的である。また、本来の規定では事前に振替輸送の対象となる交通機関(複数の事業者を経由する場合は最初に通過するもの)から交付された振替乗車票を旅客に発行することと定められているが、煩瑣となるため会社規模で無票扱い・代理発行をすることも多い。

なお、一日乗車券周遊きっぷなどの一部の特別企画乗車券(回数券と類似したものやフリーきっぷなど)においても振替輸送の対象となるものがある[要出典]が、株主乗車券は対象外が多い。

定期券の場合

普通乗車券の場合と同じ。ただし、期間内であれば回数に制限なく乗車可能であるという定期乗車券の特性上、乗車券の回収は行わない。接続駅が定期券の区間外となる場合、区間の終端となる駅までの運賃は自己負担となる。福祉乗車証や株主乗車証、職務乗車証、議員パスは振替乗車の対象外となっている事が多い。

磁気式プリペイドカードの場合

パスネット

パスネットは振替輸送の対象となり、次の要領で取り扱う。

  • 乗車 改札入場後のパスネット・カードを係員に提示し、所定の振替乗車票を受け取り後当該振替区間に乗車する。この際、振替経路中は目的地の駅まで自動改札機を利用せず、有人改札を通る
  • 下車 目的地の駅で振替乗車票と引き換えに証明書が発行されるため、後刻の乗車時等にこの証明書を提示し、最寄り駅で支障運送機関に係る支障なき場合の経路の運賃精算を受ける。

参考:小田急電鉄「振替輸送に関するQ&A」

スルッとKANSAI

ICカードの場合

ICカードの特性上、振替輸送の扱いは旅客営業規則とは別に定められている。

Suica

SuicaJR東日本ICカード乗車券等取扱規則にて、振替輸送の扱いが定められている(PASMOもSuicaとの相互利用を意識して近い扱いになっているため参考のこと)。要点は以下のとおり。

定期券の券面表示区間内での乗車
振替輸送を受けることができる。従来の定期券と同じ取り扱いである。ただ、入場時にセンサーに読ませ、定期券の区間外の連絡駅で他社への振替乗車票の発行を受け、他社線内の駅で出場した場合には次回の乗車時にエラーとなって利用できなくなるため、エラー処理を受ける必要がある。
SF機能での乗車
振替輸送を受けることができない。入場時点では着駅が決まらないため、区間変更前の普通乗車券と同じ取り扱いとなる。なぜならICカードの特性上入場時にタッチしただけではチャージされている金額は引かれておらず出場時になって初めて精算されるため(つまり後払い)。なお、出発駅までの無賃送還、旅行中止または発駅から途中駅までの送還(発駅から出場する駅までの運賃を精算)を受けることは出来る。
SF機能を相互利用先で利用して乗車
相互利用先の各社局の規約に従う。

ICOCA

ICOCAJR西日本ICカード乗車券取扱約款にて、振替輸送の扱いが定められている。要点は以下のとおり。

定期券の券面表示区間内での乗車
振替輸送を受けることができる。従来の定期券と同じ取り扱いである。通常通り自動改札機で出場(一部の駅では係員改札を通る場合あり)。振替先各社局の駅でICOCA定期券を提示、有人改札を通り当該振替区間に乗車する。なお、2019年3月15日までは所定の振替乗車票を受け取る必要があった。
SF機能での乗車
振替輸送を受けることができない。入場時点では着駅が決まらないためである。2019年3月15日までは所定の振替乗車票を受け取ることで振替輸送を受けることが出来た。この扱いはICOCAの他、Suica(モバイルSuica除く)、PiTaPaなど相互利用のICカードを使用している場合も同等に扱われた。通常通り自動改札機で出場(一部の駅では係員改札を通る場合あり)後、ICカード利用証明書を受け取る。振替先各社局の駅でICカードとICカード利用証明書を提示、所定の振替乗車票を受け取り、有人改札を通り当該振替区間に乗車する。なお、後日JRの駅窓口でICカードと振替乗車票(お客様用控え)とともに提示し、処理を受ける必要があった。
SF機能を相互利用先で利用して乗車
相互利用先の各社局の規約に従う。

PiTaPa

PiTaPaの振替輸送の扱いはPiTaPaが使用可能な各社局の約款による。スルッとKANSAIの見解から要点をまとめると以下のとおりである。

定期券の券面表示区間内での乗車
振替輸送を受けることができる。従来の定期券と同じ取り扱いである。通常通り自動改札機で出場(一部の駅では係員改札を通る場合あり)。振替先各社局の駅でPiTaPa定期券を提示、有人改札を通り当該振替区間に乗車する。なお、2019年3月15日までは所定の振替乗車票を受け取る必要があった(バスなどとの振替輸送については、2019年3月16日以降も振替乗車票を配布、近畿日本鉄道の東海エリアでの振替輸送も2021年1月31日までは振替乗車票を配布していた)。
ポストペイ機能での乗車(マイスタイル・区間指定割引も含む)
振替輸送を受けることができない。
2019年3月15日までは乗車中に運行不能となった場合に限り、振替輸送の取扱いを行う場合があった。
上記に起因して、「区間指定割引」等のポストペイ交通割引サービスを受けることができない場合があった。
SF機能での乗車(例:JR西日本エリアの利用)
各社局の約款による。JR西日本エリアの場合は2019年3月15日まではICOCAと同等に振替輸送が受けられた。

TOICA

TOICAJR東海のICカード乗車券運送約款にて、振替輸送の扱いが定められている。 TOICA定期券の定期券区間内の乗車の場合、他社線への振り替え輸送が可能。TOICA定期券の区間外および通常のTOICAにおいては他社線への振り替え輸送の取り扱いはしない。この際、出発駅まで無償送還の取り扱いを受けることはできるが、途中駅で旅行中止の場合は、当該出発駅から旅行中止駅までの運賃がTOICAから精算される。2012年4月よりmanacaとの相互利用が行われているが、manacaを利用した場合もTOICAと同様の扱いとなる。

Kitaca

Kitacaの場合、Kitaca定期券は代替輸送(後述)の対象となり、記名・無記名Kitacaは対象外となる[4](Kitaca定期券で定期券区間外を利用する場合は対象外となり実際に乗車した区間の運賃が精算される)。

SUGOCA

PASPY

PASPYICカード乗車券取扱規則では振替輸送の扱いは明記されなかった。PASPY取扱事業者のうち広島高速交通は2016年3月より、振替輸送についての約款を各駅にて掲示している。

定期券の券面表示区間内での乗車

振替輸送を受けることができる。従来の磁気定期券についても同じ取り扱いである。

SF機能での乗車

電車が運行不能となる前に自動改札機を入場していた場合、振替輸送を受けることができる。

振替輸送を受ける方法

大都市近郊の短距離利用の場合

前述の通り、乗車券(定期券)の券面表示区間内の駅にて、駅係員に迂回経路を告げると振替乗車票が交付される。迂回経路として利用する交通機関の改札の係員に乗車券(定期券)とともに振替乗車票を見せることで、迂回経路を運賃の支払い無しで利用することができる。また、近隣の交通機関の駅に向かうための路線バス振替乗車票が交付される場合もある。路線バス振替乗車票は振替乗車票と同様に、バスの係員に乗車券(定期券)とともに提示する。路線バス振替乗車票も振替乗車票と同様に使用は1回限りである。

なお、振替乗車票を持たない場合は振替輸送を受けることができない。日常発生する交通機関の乱れでは、現場の判断で乗車票を持たずに振替輸送を受けられることもあるが、正式な方法ではない。ただし、交通機関が長時間運休する場合に交通機関を運営する会社間で協定が結ばれた場合はこの限りではない。例えば、高架化工事などによる線路の切り替え作業や、日中に行われるリフレッシュ工事(保線作業)などで、JRの乗車券で並行する他社私鉄や地下鉄などへの乗車を可能にする場合がある。

2012年10月1日から、首都圏の鉄道会社においては、一定の条件(あらかじめ不通区間の乗車券・定期券・回数券を所持している等)を満たす場合に限り、振替乗車票がなくても振替輸送が利用できるようになった。(Suica・PASMOなどICカードのSF利用を除く)

JR北海道の場合

JR北海道札幌市営地下鉄では事業者間で連絡運輸を実施していないため、「代替輸送」と呼ばれている。JR社線で悪天候や施設トラブルなどで2時間以上運転を見合わせることが見込まれる際に、運転見合わせ区間のJR乗車券定期券を所持している乗客に対して指定の札幌市営地下鉄駅からの地下鉄乗車券が配布される。

対象となるJRの駅と乗車できる地下鉄の駅が限定されている(手稲発寒宮の沢発寒中央発寒南(JR)琴似(地)琴似札幌さっぽろ新琴似麻生新札幌新さっぽろ)。なお、札幌駅と新札幌駅以外は各駅間が直結していないが駅間の交通手段は提供されない。

長距離利用の場合

※この項は振替輸送ではなく一般的な他経路乗車(迂回乗車)についての解説です。

JRグループでは乗っていた列車が途中で運転を打ち切られた場合、他のJR線を経由して旅行を継続できる救済制度が設定されている。乗っていた列車が特急や急行だった場合、後続の同種の列車に乗車できるほか、迂回乗車中も可能な限り元の列車と同じ種別・設備を利用することができる(乗車後であれば「急乗承」、指定列車乗車前であれば「事故列変」と俗に呼ばれる扱いとなる)。区間や状況によっては追加料金無しで新幹線を利用することができる場合もある。この場合、車掌や駅員に利用可能な迂回経路や列車を確認し、乗車券や特急券・急行券に証明を受ける必要がある。

寝台特急の場合は、例えばサンライズ出雲サンライズ瀬戸の運行を途中駅で打ち切りになった場合は岡山駅東京駅間の特急料金とのぞみの指定席料金の差額分が返金される。


乗車中、目的地までの区間に災害や事故が発生し、復旧が長引くと判断された場合は、旅行を中止して無料で出発駅に戻ることのできる制度もある(無賃送還)。この場合、使用中の乗車券や特急券・急行券は出発駅で無手数料で全額払い戻しを受けられる。この場合、乗車券については、途中下車等ある場合には全額の払い戻しにならず、使用が完了している料金券については、払い戻しの対象にならない(ただし、送還の際に同級の車両に乗車できる)。

また、不通区間を含む乗車券で、不通区間をJR旅客鉄道以外の交通手段で移動する場合(当該区間の運賃等は別途負担)は、事前に申し出て不乗証明書の交付を受けることで、旅行後に不乗区間の運賃の払い戻しを受けられる。

航空機の場合

航空機が欠航した場合に、機材故障など航空会社の責に帰するときは自社便の他、他航空会社や鉄道・バスなどの定期交通機関への振替が認められる[5][6]。ただし、格安航空会社においては他社便への振替輸送を実施していない場合が多い[7]。自然災害(台風、降雪)など航空会社の責を問えないときは自社便への振替が認められる[8][9]。原則として他社航空便や鉄道・バスなどの定期交通機関への振替は認められないが、無手数料での払い戻しの上、乗客が自分で他社・他交通機関への変更を行うことは妨げられない。

その他

  • 各交通機関の営業終了直前に振替輸送が必要な事象が発生した場合、短距離であればタクシーによる代行輸送を行うことがある。ただし、これはあくまでも交通機関がサービスとして行うものであり、規則や法律上の規定があるわけではない。タクシー用の乗車証は用意されていない事が多い為、後日、駅に領収証を提出して精算となることがある。駅に取り残された客が多い場合はタクシーに相乗りして目的地に向かえるように駅係員が手配する場合もある。長距離の場合は振替輸送することが困難なため、ホームに留置した列車を仮眠所として開放する場合がある(→「列車ホテル」を参照)。特に新幹線や代替路線のない長距離列車の運休・遅延時に見られる対応である。
  • 終戦直後には、振替輸送が行われずに徒歩で移動を余儀なくされた例もある。そのほか、1950年7月13日飯田線下川合駅-中部天竜駅間が土砂崩れのため不通になったケースでは、トラックで振替輸送が行われた[10]

出典

  1. ^ 旅客営業規則 第282条”. 東日本旅客鉄道. 2018年8月17日閲覧。
  2. ^ 旅客営業規則 第285条”. 東日本旅客鉄道. 2018年8月17日閲覧。
  3. ^ 旅客連絡運輸規則”. 東海旅客鉄道. 2018年8月17日閲覧。
  4. ^ 札幌市営地下鉄での代替輸送のご案内”. JR北海道. 2013年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月24日閲覧。
  5. ^ 国内旅客運送約款 第24条”. 全日本空輸. 2018年8月17日閲覧。
  6. ^ 国内旅客運送約款 第24条”. 日本航空. 2018年8月17日閲覧。
  7. ^ 国内・国際旅客運送約款 第7条第B項”. Peach Aviation. 2018年8月17日閲覧。
  8. ^ 国内旅客運送約款 第25条”. 全日本空輸. 2018年8月17日閲覧。
  9. ^ 国内旅客運送約款 第25条”. 日本航空. 2018年8月17日閲覧。
  10. ^ 「飯田線で土砂崩壊」『日本経済新聞』昭和25年7月15日3面

関連項目


 

Back to Top
Close