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🌤|【7日の天気】本州付近は広く晴れて暑くなる 沖縄は大雨のおそれ


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【7日の天気】本州付近は広く晴れて暑くなる 沖縄は大雨のおそれ

 
内容をざっくり書くと
7日明け方にかけて、梅雨前線が停滞している南西諸島では雷を伴った激しい雨を解析。
 

7日(月)は、全国的に晴れて日中の気温が上がるため暑さに注意したい。 沖縄は、前線の影響で引き続き大… →このまま続きを読む

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梅雨

梅雨(つゆ、ばいう)は、北海道小笠原諸島を除く日本朝鮮半島南部、中国の南部から長江流域にかけての沿海部、および台湾など、東アジアの広範囲においてみられる特有の気象現象で、5月から7月にかけて来る曇りの多い期間のこと。雨季の一種である[1]

東アジアの四季変化における梅雨

気候学的な季節変化を世界と比較したとき、東アジアでは春夏秋冬に梅雨を加えた五季、また日本に限るとさらに秋雨を加えた六季の変化がはっきりと表れる[1]

東アジアでは、は、温帯低気圧移動性高気圧が交互に通過して周期的に天気が変化する。一方、盛夏期には亜熱帯高気圧太平洋高気圧)の影響下に入って高温多湿な気団に覆われる。そして、春から盛夏の間と、盛夏から秋の間には、中国大陸東部から日本の東方沖に前線が停滞することで雨季となる。この中で、春から盛夏の間の雨季が梅雨、盛夏から秋の間の雨季が秋雨である。なお、梅雨は東アジア全体で明瞭である一方、秋雨は中国大陸方面では弱く日本列島方面で明瞭である。また、盛夏から秋の間の雨季の雨の内訳として、台風による雨も無視できないほど影響力を持っている[1]

梅雨の時期が始まることを梅雨入り入梅(にゅうばい)といい、社会通念上・気象学上はの終わりであるとともにの始まり(初夏)とされる。なお、日本の雑節の1つに入梅(6月11日頃)があり、の上ではこの日を入梅とするが、これは水を必要とする田植えの時期の目安とされている。また、梅雨が終わることを梅雨明け出梅(しゅつばい)といい、これをもって本格的な夏(盛夏)の到来とすることが多い。ほとんどの地域では、気象当局が梅雨入りや梅雨明けの発表を行っている。

梅雨の期間はふつう1か月から1か月半程度である。また、梅雨期の降水量は九州では500mm程度で年間の約4分の1・関東東海では300mm程度で年間の約5分の1ある。西日本では秋雨より梅雨の方が雨量が多いが、東日本では逆に秋雨の方が多い(台風の寄与もある)。梅雨の時期や雨量は、年によって大きく変動する場合があり、例えば150mm程度しか雨が降らなかったり、梅雨明けが平年より2週間も遅れたりすることがある。そのような年は猛暑少雨であったり冷夏・多雨であったりと、夏の天候が良くなく気象災害が起きやすい[1][2][3]

東アジアは中緯度に位置している。同緯度の中東などのように亜熱帯高気圧の影響下にあって乾燥した気候となってもおかしくないが、大陸東岸は夏季に海洋を覆う亜熱帯高気圧の辺縁部になるため雨が多い傾向にある。これは北アメリカ大陸東岸も同じだが、九州では年間降水量が約2,000mmとなるなど、熱帯収束帯の雨量にも劣らないほどの雨量がある。この豊富な雨量に対する梅雨や秋雨の寄与は大きい。梅雨が大きな雨量をもたらす要因として、インドから東南アジアへとつながる高温多湿なアジア・モンスーンの影響を受けている事が挙げられる[1][4]

時折、梅雨は「雨がしとしとと降る」「それほど雨足の強くない雨や曇天が続く」と解説されることがある。これは東日本では正しいが、西日本ではあまり正しくない。梅雨の雨の降り方にも地域差があるためである。特に西日本や華中長江の中下流域付近)では、積乱雲が集まった雲クラスターと呼ばれる水平規模100km前後の雲群がしばしば発生して東に進み、激しい雨をもたらすという特徴がある[1]。日本本土で梅雨期にあたる6-7月の雨量を見ると、日降水量100mm以上の大雨の日やその雨量は西や南に行くほど多くなるほか、九州や四国太平洋側では2カ月間の雨量の半分以上がたった4-5日間の日降水量50mm以上の日にまとまって降っている[5]。梅雨期の総雨量自体も、日本本土では西や南に行くほど多くなる[1]

名称

漢字表記「梅雨」の語源としては、この時期はの実が熟す頃であることからという説や、この時期は湿度が高くカビが生えやすいことから「黴雨(ばいう)」と呼ばれ、これが同じ音の「梅雨」に転じたという説、この時期は「毎」日のように雨が降るから「梅」という字が当てられたという説がある。普段の倍、雨が降るから「倍雨」というのはこじつけ(民間語源)である。このほかに「梅霖(ばいりん)」、旧暦5月頃であることに由来する「五月雨(さみだれ)」、の実る頃であることに由来する「麦雨(ばくう)」などの別名がある。

なお、「五月雨」の語が転じて、梅雨時の雨のように、物事が長くだらだらと続くことを「五月雨式」と言うようになった。また梅雨の晴れ間のことを「五月晴れ(さつきばれ)」というが、この言葉は最近では「ごがつばれ」とも読んで新暦5月初旬のよく晴れた天候を指すことの方が多い。気象庁では5月の晴れのことを「さつき晴れ」と呼び、梅雨時の晴れ間のことを「梅雨の合間の晴れ」と呼ぶように取り決めている。五月雨の降る頃の夜の闇のことを「五月闇(さつきやみ)」という。

地方名には「ながし」(鹿児島県奄美群島[6])、「なーみっさ」(喜界島での別名[7])がある。沖縄では、梅雨が小満から芒種にかけての時期に当たるので「小満芒種(スーマンボースー、しょうまんぼうしゅ)」や「芒種雨(ボースーアミ、ぼうしゅあめ)」という別名がある。

中国では「梅雨メイユー)」[1]、台湾では「梅雨(メイユー)」や「芒種雨」、韓国では「장마チャンマ)」[1]という。中国では、古くは「梅雨」と同音の「霉雨」という字が当てられており、現在も用いられることがある。「」はカビのことであり、日本の「黴雨」と同じ意味である。中国では、梅が熟して黄色くなる時期の雨という意味の「黄梅雨(ファンメイユー)」もよく用いられる[8]

メカニズムと経過

気団

梅雨の時期には、以下の4つの気団が東アジアに存在する。

から夏に季節が移り変わる際、東アジアでは性質の違うこれらの気団がせめぎ合う。中国大陸方面と日本列島・朝鮮半島方面ではせめぎ合う気団が異なる。

  • 中国大陸方面 : 北の揚子江気団と南の熱帯モンスーン気団が接近し、主に両者の湿度の差によって停滞前線が形成される[注 1]
  • 日本列島朝鮮半島方面 : 北のオホーツク海気団と南の小笠原気団が接近し、主に両者の温度の差により、停滞前線が形成される[注 1]

性質が似ていることや、距離が離れていて干渉が少ないことなどから、北側の気団同士・南側の気団同士の間には、前線は形成されない。

北と南の気団が衝突した部分には東西数千kmに渡って梅雨前線(ばいうぜんせん)ができ、数か月に渡って少しずつ北上していく。この前線付近では雨が降り続くが、長雨の期間は各地域で1か月–2か月にもなる。これが梅雨である。

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華南に停滞する梅雨前線の雲(画像上部。2008年5月22日,PD NASA)
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本州に停滞する梅雨前線の雲(画像中央。下の濃緑の部分は九州から紀伊半島。2006年7月16日,PD NASA)
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華中から朝鮮半島にかけて停滞する梅雨前線の雲(画像中央付近。2008年7月22日,PD NASA)

梅雨前線の最初

冬の間、シベリアから中国大陸にかけての広範囲を冷たく乾燥したシベリア気団が覆っている。シベリア気団はしばしば南下して寒波をもたらし、日本の日本海側に大雪を降らせるが、チベット高原では高い山脈が邪魔して気団がそれ以上南下できない。そのチベット高原の南側、インド-フィリピンにかけての上空を亜熱帯ジェット気流が流れる。

冬が終わり春が近づくにつれ、シベリア気団は勢力が弱くなり、次第に北上していく。代わって中国大陸には暖かく乾燥した揚子江気団ができ始め、勢力を強めていく。春になると、揚子江気団は東の日本列島や朝鮮半島などに移動性高気圧を放出し、これが偏西風に乗って東に進み、高気圧の間にできた低気圧とともに春の移り変わりやすい天候を作り出している。

春が終わりに差し掛かるにつれて、南シナ海付近にある熱帯モンスーン気団が勢力を増し北上してくる。すると、揚子江気団と熱帯モンスーン気団が衝突し始める。地上天気図でみると、揚子江気団からできた高気圧と熱帯モンスーン気団からできた高気圧が南シナ海上でせめぎあい、その間に前線ができていることがわかる。これが最初の梅雨前線である。

例年、華南や南西諸島南方沖付近では5月上旬頃に、梅雨前線のでき始めである雲の帯(専門的には準定常的な雲帯と呼ぶことがある)が発生する。

明瞭になる梅雨前線

5月上旬には南西諸島も梅雨前線の影響を受け始める。5月中旬ごろになると、梅雨前線ははっきりと天気図上に現れるようになり、華南や南西諸島付近に停滞する。

一方、初夏に入った5月ごろ、亜熱帯ジェット気流も北上し、チベット高原に差し掛かる。ただし、チベット高原は上空を流れる亜熱帯ジェット気流よりもさらに標高が高いため、亜熱帯ジェット気流はチベット高原を境に北と南の2つの流れに分かれてしまう。

分かれた亜熱帯ジェット気流のうち、北側の分流は、樺太付近で寒帯ジェット気流と合流する。さらにこの気流は、カムチャツカ半島付近で南側の分流と合流する。この合流の影響で上空の大気が滞ると、下降気流が発生して、その下層のオホーツク海上に高気圧ができる。この高気圧をオホーツク海高気圧といい、この高気圧の母体となる冷たく湿った気団をオホーツク海気団という。

同じごろ、太平洋中部の洋上でも高気圧が勢力を増し、範囲を西に広げてくる。この高気圧は北太平洋を帯状に覆う太平洋高気圧の西端で小笠原高気圧ともいい、この母体となる暖かく湿った気団を小笠原気団という。

5月下旬から6月上旬ごろになると、九州や四国が梅雨前線の影響下に入り始める。このころから、梅雨前線の東部ではオホーツク海気団と小笠原気団のせめぎあいの色が濃くなってくる。一方、華北や朝鮮半島、東日本では、高気圧と低気圧が交互にやってくる春のような天気が続く。

北上する梅雨前線

北上を続ける梅雨前線は、6月中旬に入ると、中国では南嶺山脈付近に停滞、日本では本州付近にまで勢力を広げてくる。

次に梅雨前線は中国の(長江流域・淮河流域)に北上する。6月下旬には華南や南西諸島が梅雨前線の勢力圏から抜ける。7月に入ると東北地方も梅雨入りし、北海道を除く日本の本土地域が本格的な長雨に突入する。また同じころ、朝鮮半島南部も長雨の時期に入る。

7月半ばを過ぎると、亜熱帯ジェット気流がチベット高原よりも北を流れるようになり、合流してオホーツク海気団が弱まってくる。一方で、太平洋高気圧が日本の南海上を覆い続けて晴天が続くようになり、日本本土や朝鮮半島も南から順に梅雨明けしてくる。

こうして北上してきた梅雨前線は最終的に、北京などの華北・中国東北部に達する。例年、この頃には前線の勢力も弱まっており、曇天続きになることはあるが前線が居座り続けるようなことはほとんどない。また、8月中旬・下旬を境にしてこれ以降の長雨はいわゆる秋雨であり、前線の名前も秋雨前線に変わるが、前線の南北の空気を構成する気団は同じである[8]。ただし、秋雨は中国大陸方面ではほとんど見られない。西日本でも秋雨はあるものの雨量はそれほど多くない。一方、東日本、および北日本(北海道除く)では梅雨期の雨量よりもむしろ秋雨期の雨量の方が多いという傾向がある(ただし、秋雨期の雨量には台風によるまとまった雨も含まれる)。

梅雨前線の性質

性質の違う2つの空気(気団という)がぶつかる所は大気の状態が不安定になり、前線が発生する。梅雨前線を構成する気団はいずれも勢力が拮抗しているため、ほぼ同じ地域を南北にゆっくりと移動する停滞前線となる。

梅雨前線の南側を構成する2つの気団はともに海洋を本拠地とする気団(海洋性気団)のため、海洋から大量の水蒸気を吸収して湿潤な空気を持っている。ただ、北側の気団と南側の気団とではお互いの温度差が小さいため、通常はほとんどが乱層雲の弱い雨雲で構成される。そのため、しとしととあまり強くない雨を長時間降らせる。

しかし、上空の寒気や乾燥した空気が流入したり、台風や地表付近に暖かく湿った空気(暖湿流)が流入したりすると、前線の活動が活発化して、積乱雲をともなった強い雨雲となり、時に豪雨となる。

2つの高気圧がせめぎあい、勢力のバランスがほぼつり合っているとき、梅雨前線はほとんど動かない。しかし、2つの高気圧の勢力のバランスが崩れたときや、低気圧が近づいてきたり、前線付近に低気圧が発生したりしたときは一時的に温暖前線や寒冷前線となることもある。梅雨前線の活動が太平洋高気圧の勢力拡大によって弱まるか、各地域の北側に押し上げられ、今後前線の影響による雨が降らない状況になったとき、梅雨が終わったとみなされる。

梅雨入りの特定なしの年

年によっては梅雨入りの時期が特定できなかったり、あるいは発表がされないこともある。東・西日本(特に四国地方近畿地方北陸地方)ではこのパターンが数年に一回の割合で起こる。これは、太平洋高気圧の勢力が強いために梅雨前線が北陸地方から北上して進みそのまま夏空に突入し、南の高気圧となって次第に南下していくパターンである(小暑を境にして、小暑以降はそのまま梅雨明けになる)。この場合でも、四国地方、近畿地方、北陸地方では高温や晴天がやや多くなるものの、概ね晴天が続く「夏」が訪れている。このことから、年によっては、近畿地方における(本当の)夏は北陸地方よりも長いとされている。

梅雨明けの特定なしの年

年によっては梅雨明けの時期が特定できなかったり、あるいは発表がされないこともある[注 2][1] 東北地方(特に青森岩手秋田北東北3県)、関東甲信地方ではこのパターンが数年に一度の割合で起こる。これは、オホーツク高気圧の勢力が強いために梅雨前線が東北地方から北上できずにそのまま秋に突入し、秋雨前線となって次第に南下していくパターンである(立秋を境にして、立秋以降の長雨を秋雨とする)。この場合でも、北の北海道では低温や曇天がやや多くなるものの、概ね晴天が続く「夏」が訪れている。このことから、年によっては、東北地方における(本当の)夏は北海道よりも短いとされている[注 3]

アジアモンスーンと梅雨

梅雨前線は、気象学的にはモンスーンをもたらす前線(モンスーン前線)の1つである。インドをはじめとした南アジア東南アジアのモンスーンは、インド洋や西太平洋に端を発する高温多湿の気流が原因である。世界最多の年間降水量を有する地域(インドのチェラプンジ)を含むなど、この地域のモンスーンは地球上で最も規模が大きく、広範囲で連動して発生していることから、総称してアジア・モンスーンと呼ばれる。またこの影響を受ける地域をモンスーン・アジアという。

アジア・モンスーンの影響範囲はさらに東にまで及んでおり、南シナ海を覆う熱帯モンスーン気団にも影響を与えている。具体的には、南西諸島や華南の梅雨の降雨の大部分が熱帯モンスーン気団によってもたらされるほか、太平洋高気圧の辺縁を時計回りに吹く気流が、この熱帯モンスーン気団の影響を受けた空気を日本・朝鮮半島付近まで運んできて雨を増強する。このような関連性を考えて、気象学では一般的に、梅雨がある中国沿海部・朝鮮半島・日本列島の大部分をモンスーン・アジアに含める。

また、梅雨前線付近の上空の大気をみると、冬の空気と春・秋の空気の境目となる寒帯前線、春・秋の空気と夏の空気の境目となる亜熱帯前線が接近して存在していて、梅雨は「季節の変わり目」の性質が強い。

各地の梅雨

日本

沖縄~東北

梅雨の平均期間・平均降水量[2]
地域梅雨入り梅雨明け日数代表地点期間降水量
沖縄地方5月08日ごろ6月23日ごろ47日那覇市234.7 mm
奄美地方5月10日ごろ6月28日ごろ50日奄美市511.3 mm
九州南部5月29日ごろ7月13日ごろ46日鹿児島市540.4 mm
九州北部6月05日ごろ7月18日ごろ44日福岡市338.8 mm
四国地方6月04日ごろ7月17日ごろ44日高松市201.7 mm
中国地方6月06日ごろ7月20日ごろ45日広島市327.9 mm
近畿地方6月06日ごろ7月19日ごろ44日大阪市296.6 mm
東海地方6月08日ごろ7月20日ごろ43日名古屋市312.7 mm
関東・甲信地方6月08日ごろ7月20日ごろ43日東京千代田区288.2 mm
北陸地方6月10日ごろ7月22日ごろ43日新潟市276.4 mm
東北地方南部6月10日ごろ7月23日ごろ44日仙台市243.8 mm
東北地方北部6月12日ごろ7月27日ごろ46日青森市141.6 mm
北海道地方-----
小笠原諸島-----
山口県は九州北部に属する。 降水量は各代表地点における観測値。

日本では各地の地方気象台気象庁が、数個の都府県をまとめた地域ごとに毎年梅雨入り・梅雨明けの発表をする(北海道を除く)。まず、梅雨入り・梅雨明けしたと思われるその日(休日の場合は、以降最初の平日)に「速報値」として発表が行われ、その発表に従って「梅雨入りしたとみられる」・「梅雨明けしたとみられる」と報道される。その後、5月から8月の天候経過を総合的に検討し、毎年9月に最終的な梅雨の時期を「確定値」として発表する。その際、速報値での梅雨入り・梅雨明けの期日の修正が行われたり、最終的に「特定せず」という表現になることもある。一般に、南の地域ほど梅雨の到来は早く、沖縄は5月中旬から6月下旬、東北・北陸では6月下旬から7月下旬頃となるのが平均的である。

梅雨入りや梅雨明けの発表は通常、次のようにして行われる。各気象台は主に、1週間後までのとそれまでの天候の推移から、晴れが比較的多い初夏から曇りや雨の多い梅雨へと変わる「境目」を推定して、それを梅雨入りの日として発表している。端的には、管轄地域で曇りや雨が今後数日以上続くと推定されるときにその初日を梅雨入りとする。梅雨明けの場合は逆に晴れが数日以上つづくときである。中期予報の根拠になるのは、誤差が比較的少ないジェット気流などの上空の大気の流れ(亜熱帯ジェット気流と梅雨前線の位置関係は対応がよい)の予想などである。ただ、この中期予報自体が外れると、発表通りにいかず晴れたりする。梅雨入りや梅雨明けの発表は、確定したことを発表するのではなく、気象庁によれば「予報的な要素を含んでいる」ので、外れる場合もある。

ただし、梅雨前線が停滞したまま立秋を過ぎると、梅雨明けの発表はされない。立秋の時期はちょうど、例年梅雨前線がもっとも北に達するころであり、これ以降はどちらかといえば秋雨の時期に入る。しかし、この場合でも翌年には通常通り「梅雨入り」を迎えるが、「梅雨明けがないまま一年を越して重畳的にまた梅雨入りとなる」わけではない。つまり、梅雨明けがない場合は「はっきりと夏の天気が現れないまま梅雨から秋雨へと移行する」と考える。

梅雨期間の終了発表のことを俗に梅雨明け宣言という。基本的に、梅雨前線の北上に伴って南から北へ順番に梅雨明けを迎えるが、必ずしもそのようにならない場合もある。前線が一部地域に残存してしまうような場合には、より北の地方の方が先に梅雨明けになる場合もある。過去に、先に梅雨入りした中国地方より後に梅雨入りした北陸地方が先に梅雨明けしたり、関東地方の梅雨明けが西日本より大幅に遅れたりした例がある。

梅雨の末期は太平洋高気圧の勢力が強くなって等圧線の間隔が込むことで高気圧のへりを回る「辺縁流」が強化され、暖湿流が入りやすくなるため豪雨となりやすい[10]。逆に梅雨明け後から8月上旬くらいまでは「梅雨明け十日」といって天候が安定することが多く、猛暑に見舞われることもある。

梅雨の期間はどの地方でも40日から50日前後と大差はないが、期間中の降水量は大きく異なる。本土では西や南に行くほど多くなり、東北よりも関東・東海・近畿、関東・東海・近畿よりも九州北部、九州北部よりも九州南部の方が多い。一方南西諸島では、石垣島や那覇よりも名瀬の方が期間降水量は多く、総合的に日本付近の梅雨期の雨量は九州南部が最も多い[10]

北海道

実際の気象としては北海道にも道南を中心に梅雨前線がかかることはあるが、平均的な気象として、つまり気候学的には北海道に梅雨はないとされている[11]。これは、梅雨前線が北海道に到達する梅雨末期は勢力が衰え、北上する速度が速くなっていて、降水が長く続かず前線がかかっても曇りとなるだけで雨が降らないようなことが多いためである。 しかし、記録的猛暑となった2010年を境に、近年は北海道南西部を中心にゲリラ豪雨や梅雨前線が弱まらずに勢力を保持したまま北海道付近に停滞するといった例が顕著に現れるようになり、中でも平成30年には、梅雨前線の停滞による大雨で河川の氾濫など平成30年7月豪雨となって北海道各地で被害を及ぼした。

北海道の中でも南西部太平洋側(渡島胆振日高)では本州の梅雨末期に大雨が降る事がある。また、北海道の広い範囲でこの時期は低温や日照不足が起こりやすいほか、釧路など東部で海霧の日数が多くなるのも、東日本の梅雨と同じくオホーツク海高気圧の影響を受けている[11]。特に、5月下旬から6月上旬を中心として見られる一時的な低温は、北海道ではリラ(ライラック)の花が咲く時期であることから俗に「リラ冷え」とも呼ぶ[注 4][12][13]。また、このようにぐずついた肌寒い天気が、年によっては2週間程度、本州の梅雨と同じ時期に続くことがあり、「蝦夷梅雨」(えぞつゆ)と呼ばれることがある[14]

小笠原諸島

小笠原諸島が春から夏への遷移期にあたる5月には、気団同士の中心が離れているため前線が形成されず、雨が長続きしない。そして初夏を迎える6月頃より太平洋高気圧の圏内に入ってその後ずっと覆われるため、こちらも梅雨がない[15]

中国

中国中部・南部でも梅雨がみられる。中国では各都市の気象台が、梅雨入りと梅雨明けの発表をしている。ある研究では、1971年-2000年の各都市の梅雨入り・梅雨明けの平均値で、長江下流域の梅雨入りは6月14日、梅雨明けは7月10日、淮河流域の梅雨入りは6月18日、梅雨明けは7月11日となっている[8]

目安として、華南では5月中旬ごろに梅雨前線による長雨が始まり6月下旬ごろに終わる。時間とともにだんだんと長雨の地域は北に移り、6月中旬ごろから7月上旬ごろに華東(長江中下流域)、6月下旬ごろから7月下旬ごろに華北の一部が長雨の時期となる。長雨はそれぞれ1か月ほど続く。

朝鮮半島

韓国各地方の梅雨の平均期間・平均降水量[16]
地域梅雨入り梅雨明け日数期間降水量
中部地方6月23–24日7月23–24日32日238 – 398 mm
南部地方6月22–23日7月22–23日32日199 – 443 mm
済州道6月19日7月20–21日33日328 – 449 mm

朝鮮半島では6月下旬ごろから7月下旬ごろに長雨の時期となり、1か月ほど続く。北にいくほど長雨ははっきりしないものになる[17]

梅雨の気象の特徴

梅雨入り前の5月-6月ごろ、梅雨に似た天候がみられることがあり、これを走り梅雨(はしりづゆ)、梅雨の走り(つゆのはしり)、あるいは迎え梅雨(むかえづゆ)と呼ぶ。

梅雨入り当初は比較的しとしととした雨が連続することが多い。梅雨の半ばには一旦天気が回復する期間が出現することがある。この期間のことを梅雨の中休み(つゆのなかやすみ)という。

梅雨の時期、特に、長雨の場合は、日照時間が短いため、気温の上下(最高気温と最低気温の差、日較差)が小さく、肌寒く感じることがある。この寒さや天候を梅雨寒(つゆざむ)または梅雨冷(つゆびえ)と呼ぶ。一方、梅雨期間中の晴れ間は梅雨晴れ(つゆばれ)または梅雨の晴れ間と呼ばれ、特に、気温が高く、湿度も高い。そのため、梅雨晴れの日は不快指数が高くなり過ごしにくく、熱中症が起こりやすい傾向にある。

梅雨末期には降雨量が多くなることが多く、ときとして集中豪雨になることがある。南および西ほどこの傾向が強く、特に、九州では十数年に1回程度の割合でこの時期に一年分の降水量がわずか一週間で降ることもある(熊本県宮崎県鹿児島県九州山地山沿いが典型例)。逆に、関東や東北など東日本では梅雨の時期よりもむしろ秋雨の時期のほうが雨量が多い。

梅雨末期の雨を荒梅雨(あらづゆ)あるいは暴れ梅雨(あばれづゆ)とも呼ぶ。また、梅雨の末期には雷をともなった雨が降ることが多く、これを送り梅雨(おくりづゆ)と呼ぶ。また、梅雨明けした後も、雨が続いたり、いったん晴れた後また雨が降ったりすることがある。これを帰り梅雨(かえりづゆ、返り梅雨とも書く)または戻り梅雨(もどりづゆ)と呼ぶ。これらの表現は近年ではあまり使われなくなってきている。

梅雨明けが遅れた年は冷夏となる場合も多く、冷害が発生しやすい傾向にある。

梅雨は日本の季節の中でも高温と高湿が共に顕著な時期であり、カビ食中毒の原因となる細菌ウイルスの繁殖が進みやすいことから、これらに注意が必要な季節とされている[3]

空梅雨

梅雨の期間中ほとんど雨が降らない場合がある。このような梅雨のことを空梅雨(からつゆ)という。空梅雨の場合、夏季に使用する水(特に稲作に必要な農業用水)が確保できなくなり、渇水を引き起こすことが多く、特に青森秋田岩手北東北地方においては空梅雨になる確率がかなり高く、また、秋季~冬季の降水量が少ない北部九州瀬戸内地方などでは、空梅雨の後、台風などによるまとまった雨がない場合、渇水が1年以上続くこともある。

陰性・陽性

あまり強くない雨が長く続くような梅雨を陰性の梅雨、雨が降るときは短期間に大量に降り、降らないときはすっきりと晴れるような梅雨を陽性の梅雨と表現することもある。陰性の梅雨を女梅雨(おんなづゆ)、陽性の梅雨を男梅雨(おとこづゆ)とも呼ぶ。性差別的な表現であるが、俳句では季語として使われる場合がある。

傾向として、陰性の場合は、オホーツク海高気圧の勢力が強いことが多く、陽性の場合は、太平洋高気圧の勢力が強いことが多いが、偏西風の流路や、北極振動南方振動(ENSO、エルニーニョラニーニャ)なども関係している。

台風との関連

台風熱帯低気圧[18]は地上付近では周囲から空気を吸い上げる一方、上空数千m-1万mの対流圏上層では吸い上げた空気を湿らせて周囲に大量に放出している。そのため、梅雨前線の近くに台風や熱帯低気圧が接近または上陸すると、水蒸気をどんどん供給された梅雨前線が活発化して豪雨となる。また、梅雨前線が、勢力が弱まった台風や温帯低気圧とともに北上して一気に梅雨が明けることがある。

梅雨の豪雨パターン

梅雨の時期の大雨や豪雨[19]の事例をみていくと、気圧配置や気象状況にある程度のパターンがあるといわれている。日本海側で豪雨になりやすいのが日本海南部に停滞する梅雨前線付近を低気圧に進むパターンで、低気圧に向かって南西から湿った空気が流れ込み、その空気が山脈にぶつかって局地的な豪雨となりやすい。

太平洋側で豪雨になりやすいのが、梅雨前線が長期的に停滞するパターンや、太平洋側付近に梅雨前線、西側に低気圧がそれぞれ停滞するパターンであり、-南東から湿った空気が流れ込み、同じようにその空気が山脈にぶつかって局地的な豪雨となりやすい。

このほか、梅雨前線沿いに(楕円形の雲群をつくる降水セルの一種)と呼ばれる積乱雲の親雲が東進すると、豪雨となりやすいことが知られている。上空の大気が乾燥している中国大陸や東シナ海で形成され、日本方面へやってくることが多い。

海洋変動との関連

統計的にみて、赤道付近の太平洋中部-東部にかけて海水温が上昇・西部で低下するエルニーニョ現象が発生したときは、日本各地で梅雨入り・梅雨明け共に遅くなる傾向にあり、降水量は平年並み、日照時間は多めとなる傾向にある[20]。また、同じく中部-東部で海水温が低下・西部で上昇するラニーニャ現象が発生したときは、沖縄で梅雨入りが遅めになるのを除き、日本の一部で梅雨入り・梅雨明けともに早くなる傾向にあり、降水量は一部を除き多め、日照時間はやや少なめとなる傾向にある[21]

梅雨前線によってもたらされた災害

日本

災害名期日被災地域
阪神大水害1938年07月03日 - 05日神戸市
昭和28年西日本水害1953年06月25日 - 29日九州地方北部
南紀豪雨1953年07月16日 - 25日和歌山県
諫早豪雨1957年07月25日 - 28日長崎県佐賀県熊本県
昭和36年梅雨前線豪雨1961年06月24日 - 7月5日東海北陸信越近畿地方九州中国地方の一部
昭和39年7月山陰北陸豪雨1964年07月17日 - 20日山陰地方石川県富山県
昭和42年7月豪雨1967年07月08日09日長崎県、瀬戸内海沿岸
昭和47年7月豪雨1972年07月03日 - 15日北海道東北四国地方の一部を除く全国
七夕豪雨1974年07月07日 - 08日東海地方、瀬戸内海沿岸
昭和57年7月豪雨(長崎大水害)1982年07月23日 - 25日長崎県、熊本県、山口県、佐賀県、大分県
昭和58年7月豪雨1983年07月20日 - 29日島根県、東北、北陸地方
7.11水害1995年07月11日 - 12日新潟県長野県富山県
6.29豪雨災害1999年06月23日 - 7月3日福岡市中心部で浸水、広島県で土砂災害
2003年07月8日 - 17日九州地方、山陰地方、北陸地方
2003年7月下旬の大雨九州地方、熊本県水俣市土石流
平成16年7月新潟・福島豪雨2004年07月12日 - 14日新潟県福島県
平成16年7月福井豪雨2004年07月17日 - 18日福井県岐阜県
平成18年7月豪雨2006年07月15日 - 24日九州地方、山陰地方、北陸地方、長野県
平成21年7月中国・九州北部豪雨2009年07月19日 - 26日九州地方北部、中国地方西部
平成23年7月新潟・福島豪雨2011年07月26日 - 30日新潟県福島県
平成24年梅雨前線豪雨2012年07月3日、12日、13日大分県福岡県熊本県
平成24年7月九州北部豪雨2012年07月11日 - 14日九州地方北部(熊本県、大分県、福岡県)
平成29年7月九州北部豪雨2017年06月30日 - 7月10日九州地方北部(福岡県、大分県)
平成30年7月豪雨2018年07月5日 - 7月7日九州地方、中国地方、四国地方、近畿地方など
令和2年7月豪雨2020年07月4日 -九州地方、中国地方、四国地方、近畿地方など

梅雨の気象記録

  • 最大1時間降水量
  • 最大年間降水量
    • 8670.0mm - 宮崎県えびの1993年、日本の全観測点の観測史上1位) - この年は、5月17日に梅雨入り、平年であれば7月中旬ないし下旬に梅雨明けとなるところ、8月に入っても梅雨が続いたどころか、盆を過ぎた8月31日になってもまだ梅雨が明けなかったため、梅雨明けは「特定せず」となり、梅雨期間中の5月に122mm、6月に2,242mm、7月に2,299mm、8月に1,717mmの雨が降った(梅雨入りから8月末までに平年の年間降水量を超える雨が降った。平年の年間降水量は4,582.2mm)。8月にも梅雨の時期が続いた年は観測史上極めてわずかである。

梅雨予想の目的

日本の気象庁が梅雨入り・梅雨明けの情報提供を始めたのは1955年ごろとされ、「お知らせ」として報道機関に連絡していた[22][23]。気象情報として発表を始めたのは1986年になってからである[22]

梅雨の時期を発表することにより、長雨・豪雨という水害・土砂災害につながりやすい気象が頻発する時期としての「梅雨」を知らせることで防災意識を高める[22]、多雨・高温多湿が長続きする「梅雨」の時期を知らせることで生活面・経済面での対策を容易にする、「梅雨」という一種の季節の開始・終了を知らせることで季節感を明確にする(春一番木枯らし初雪などの発表と同様の役割)といった効果が期待されている。

梅雨に関連する文化

植物

楽曲

俳句

類似の気象現象

菜種梅雨
おもに3月下旬から4月上旬にかけての、連日降りつづく寒々とした降雨を「菜種梅雨」(なたねづゆ)という。菜の花が咲くころに降るためこの名前があり、花を催す雨という意味で「催花雨」(さいかう)とも呼ばれる。梅雨のように何日も降り続いたり、集中豪雨をみたりすることは少ないが、やはり、曇りや雨の日が多く、すっきりしない天気が何日も続くことが多い。
また、「春の長雨」や「春霖(しゅんりん)」、「催花雨(さいかう) とも言う[24]。「春霖」の「霖」は長雨を表す漢字であり、春の長雨を表している[25]。「催花雨」は、桜をはじめいろいろな花を催す(咲かせる)雨という意味である[24]。「春雨(はるさめ)」も、このころの雨を指して言う場合が多く、月形半平太の名せりふ「春雨じゃ、濡(ぬ)れてゆこう」も、草木の芽を張らせ花を咲かせる柔らかい春の雨だからこそ、粋(いき)に聞こえる[24]
なお、NHKで「菜種梅雨」を言うときには、必ず説明を付けるようにしている[24]
冬の間、本州付近を支配していた大陸高気圧の張り出しや、移動性高気圧の通り道が北に偏り、一方で、その北方高気圧の張り出しの南縁辺に沿って、冷湿な北東気流が吹いたり、本州南岸沿いに前線が停滞しやすくなるために生ずる[26]。そのときには南岸にが頻繁に発生しやすくなるのもまた特色である。そのため、西-東日本太平洋沿岸部にかけていう場合が多く、北日本にはこの現象はみられない。近年は、暖冬傾向および、温暖化の影響もあり、菜種梅雨が冬に繰り上がるきらいがあり、気候の変動が懸念される面もある。
また、菜種梅雨は梅雨のようにずっと続くということはなく、期間は一日中あるいは数日程度のことがほとんどである[27]
例としては、1990年平成2年)2月は月の後半を中心に曇雨天続きで、東京での同・月間日照時間は僅か81時間しかならず、大暖冬を象徴するかのようだった。また、1985年(昭和60年)には3月は月全体を通して関東以西の太平洋側地方では冷たい雨の連続で、東京では同年月での快晴日数は0(梅雨期である6、7月を除いては初のワースト記録)、日本気象協会発行の天気図日記では「暗い3月」と評される程であった。その他、1986年(昭和61年)、1988年(昭和63年)、1991年(平成3年)、1992年(平成4年)、1995年(平成7年)、1999年(平成11年)と3月が比較的長いこと曇雨天が持続した影響で、月間日照時間は北日本を除いてかなり少なかったため、20世紀末にかけての3月は、「菜の花の上にお日様無し」、「行楽受難・鬼門の月」、「花見には 傘など雨具が 必需品」、「卒業式、終業式、離任式はいつも雨」などと不名誉なレッテルが貼られたこともあった。その他、2002年(平成14年)、2006年(平成18年)には2月おわりから3月初めにかけて、南岸前線が停滞したり、朝晩中心に雨の降りやすいすっきりしない空が続いて、お天気キャスターの一部では「菜種梅雨の走り?」と評されたりもした。
走り梅雨
おもに5月下旬から梅雨本番前ぶれのように雨が降り続く状態をいう。ちょうど、その時期が卯の花が咲くころにあたり、卯の花を腐らせるような雨ということから、卯の花腐し(うのはなくたし)とも呼ぶことがある。「走り」とは「先駆け」を意味し、「走り梅雨」とは梅雨に先駆けて降り続く雨と解釈することもある。「梅雨の走り」ともいう。沖縄など南西諸島の梅雨期にあり、南西諸島付近にある梅雨前線が一時的に本州南岸沿いに北上したときに多くみられる。また、オホーツク海高気圧が5月前半に出現した場合に北東気流の影響を受けやすくなるため、関東以北の太平洋側で低温と曇雨天が長続きすることがある。その他、メイストームなど、日本海や北日本方面を通過する発達した低気圧の後面に伸びる寒冷前線が本州を通過して、太平洋側に達した後、南海上の優勢な高気圧の北側に沿って、そのまま停滞前線と化して、太平洋側、おもに東日本太平洋沿岸部でしばらくぐずつき天気が続くケースもそのたぐいである。
秋雨(秋林[28]
おもに8月後半頃から10月頃にかけて(地域によって時期に差がある)降り続く長雨の時期をいう。「秋霖(しゅうりん)」、「すすき梅雨」などとも呼ぶ。
さざんか梅雨(山茶花梅雨[28])
おもに11月下旬から12月上旬にかけての、連続した降雨を「さざんか梅雨」という。さざんかが咲くころに降るためこの名前がある。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ a b 梅雨前線のもととなる対流)は、大気の相当温位θeの減率が大きいほど強くなる。大気の温度湿度が高いほどθeは大きいので、乾と湿、あるいは寒と暖の性質を持つ気団の衝突によって大気のθe減率が大きくなることで、前線の雲が発生しやすくなる。
  2. ^ 2004年に立秋の2日以降にになってもまだ梅雨が明けない場合は梅雨明けを発表(特定)しないこと定めた。また8月31日の時点で梅雨明けしない場合は梅雨明けなしとなる(扱いは梅雨明け特定なしと同じ)。ちなみに、梅雨明け特定なしは何度があるが、梅雨明けなしは1993年の一度だけである。1993年の記録的長雨では、沖縄と北海道以外での梅雨が、8月も梅雨となり(8月の梅雨は観測史上では極めて稀である)、2ヶ月半以上にわたって梅雨が続いた状態であったため、梅雨明け時期は特定しなかった。
  3. ^ ただしこのパターンの年は北海道も低温・多湿・多雨傾向であり、8月でも内陸部では最低気温が10度を割る日がしばしば起こることがあるだけでなく、更に夏季の降水量が平年以上に多くなる場合もある。
  4. ^ なお、「リラ冷え」は1970年代から知られるようになった言葉で、俳人の榛谷美枝子が初めて俳句に用いたものを、辻井達一が著書で紹介、それがさらに渡辺淳一によって引用され小説『リラ冷えの街』となり、テレビドラマ化もされたことが契機となって広まったと伝えられている。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i キーワード 気象の事典、加藤内蔵進「梅雨」221-226頁
  2. ^ a b “平成20年の梅雨入り・明けと梅雨時期の特徴について” (PDF) (プレスリリース), 気象庁, (2008年9月1日), https://www.jma.go.jp/jma/press/0809/01a/tsuyu2008.pdf 2009年8月16日閲覧。 
  3. ^ a b Yahoo!百科事典『梅雨(ばいう)』
  4. ^ 二宮、81-84頁
  5. ^ 二宮洸三 『豪雨と降水システム』、121-122頁、東京堂出版、2001年 ISBN 4-490-20435-3
  6. ^ 甲東哲、先田光演 編、『分類沖永良部島民俗語彙集』、p258、2011年、鹿児島、南方新社、ISBN 978-4-86124-209-0
  7. ^ 岩倉市郎、『喜界島方言集』p192、1941年、東京、中央公論社
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  10. ^ a b 『気象予報士ハンドブック』、2008年、§1-3-2
  11. ^ a b 『気象予報士ハンドブック』、2008年、§1-3-5
  12. ^ 榛谷美枝子さん:季語「リラ冷え」の俳人、1月に96歳で永眠、香る花に託した思い /北海道」毎日新聞、2013年05月31日北海道版
  13. ^ 豊島秀雄「ことば(放送用語) > 放送現場の疑問・視聴者の疑問 > 北海道の「リラ冷え」、本州の「花冷え」と同じ?」、NHK放送文化研究所、1999年5月1日付
  14. ^ “えぞ梅雨? 北海道内で雨や曇り続く 札幌は11日連続の降水”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2014年6月16日). オリジナルの2014年7月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140714160247/http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/545685.html 
  15. ^ 森田正光 (1999年8月30日). “小笠原に梅雨はある?”. 森田さんのお天気ですかァ?. TBSテレビ. 2009年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月16日閲覧。
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  19. ^ 地球の声を聞こう「集中豪雨から身を守ろう!」より。
  20. ^ エルニーニョ現象に伴う日本の天候の特徴”. エルニーニョ/ラニーニャ現象に関するデータ. 気象庁. 2007年6月29日閲覧。
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  23. ^ 浅野芳『お天気おじさんうちあけ話』家の光協会(原著1981年7月)、p. 123。ASIN B000J7XODO
  24. ^ a b c d 「春の長雨」と「菜種梅雨」、同じ意味? | ことば(放送用語) - 放送現場の疑問・視聴者の疑問 | NHK放送文化研究所”. www.nhk.or.jp. 2020年5月31日閲覧。
  25. ^ 菜種梅雨とは?意味・由来・梅雨との違いは? | Beyond(ビヨンド)” (日本語). Beyond (2018年11月12日). 2020年5月31日閲覧。
  26. ^ 日本国語大辞典,世界大百科事典内言及, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,デジタル大辞泉,とっさの日本語便利帳,大辞林 第三版,日本大百科全書(ニッポニカ),精選版. “菜種梅雨(なたねづゆ)とは” (日本語). コトバンク. 2020年5月31日閲覧。
  27. ^ 菜種梅雨とは?意味・由来・梅雨との違いは? | Beyond(ビヨンド)” (日本語). Beyond (2018年11月12日). 2020年5月31日閲覧。
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参考文献

  • 児玉安正、山田広幸「アジアの梅雨・世界の梅雨」、『天気』54巻6号、日本気象学会、7-10頁、2007年6月 NAID 110006317416
  • 新田尚、伊藤朋之、木村龍治、住明正、安成哲三(編) 『キーワード 気象の事典』、朝倉書店、2002年 ISBN 4-254-16115-8
  • 日本気象予報士会(編) 『気象予報士ハンドブック』、オーム社、2008年 ISBN 978-4-274-20635-1
  • 梅雨(ばいう) 」、Yahoo!百科事典(日本大百科全書)、小学館、2013年9月1日閲覧[リンク切れ]

関連項目

外部リンク

南西諸島

南西諸島(なんせいしょとう)は、九州島南方から台湾北東にかけて位置する島嶼群である[6][11][12][13]

北から南へ、大隅諸島吐噶喇列島奄美群島沖縄諸島宮古列島八重山列島と連なり、沖縄諸島の東に離れて大東諸島、八重山列島の北に離れて尖閣諸島がある。

名称と範囲

「南西諸島」という名称は、海上保安庁の前身である水路部が中心となって1887年(明治20年)頃に命名した地名とされ、翌年発行した海図『石垣泊地 日本・南西諸島・石垣島』[14]にその名称が初めて記載されている[11][15]1894年(明治27年)発行の『日本水路誌』以降の海図から本格的に使用され[11]、また国土地理院の前身の1つである日本陸軍陸地測量部による1937年(昭和12年)発行の陸図にも記載されている[16]。しかし、「南西諸島」の名称は水路部など限定された組織で使用されたためか、太平洋戦争が開始されるまで、一般には知れ渡ることは無かった[11]米軍統治下の沖縄でも、公文書のごく一部に「南西諸島」が記載されているだけで、後に日本復帰した沖縄県でも使用例はほとんど無い[11]

現行の国土地理院の地方図と海上保安庁の水路図誌では「南西諸島」が使用されている[17]。これは1965年10月25日の第4回「地名等の統一に関する連絡協議会」において「南西諸島」の使用合意がなされ[18][19]、それ以降の国土地理院の陸図と海上保安庁海洋情報部刊行の海図で、正式名称として使用されている[12]

また、「地名等の統一に関する連絡協議会」では以下の名称も合意されている。

「地名等の統一に関する連絡協議会」により合意された決定地名
国土地理院の地方図による区分および名称[17][22]
南西諸島薩南諸島大隅諸島鹿児島県
吐噶喇列島
奄美群島[20]
琉球諸島[21]沖縄諸島沖縄島久米島硫黄鳥島など)沖縄県
慶良間列島
先島諸島宮古列島
八重山列島
尖閣諸島
大東諸島
海上保安庁の水路図誌による区分および名称[17]
南西諸島
(薩南諸島)※
大隅群島
吐噶喇列島
奄美群島[20]
琉球諸島[21]
沖縄群島
先島諸島(尖閣諸島を含む)
大東諸島
※薩南諸島については第65回「地名等の統一に関する連絡協議会」で保留になっている[23]

南西諸島の他の呼称

南西諸島には時に、以下の名称が使用されることがある。

  • 琉球列島(りゅうきゅうれっとう)
琉球海溝沖縄トラフとの間に形成された背斜部分が弧状となった島嶼群(弧状列島)で、南西諸島のうち、東シナ海大陸棚上に位置する尖閣諸島と太平洋の深海底上に存在する大東諸島を除く[6][12][13]1907年(明治40年)に発行された地質学者の脇水鉄五郎の著書『沖縄視察談』[24]に見受けられる[25]。上記とは別に、琉球列島は沖縄県全域を構成する島々で、琉球諸島と同義に説明している文献[26][27]もある。
南西諸島と同じく行政名であり、一般にはあまり使用されていない。江戸時代中期の新井白石が著した『南島志』を初め、明治時代でも琉球諸島は奄美群島以南の地域を指していた。また沖縄における戦後の米軍統治期でも、奄美群島が日本復帰するまで、米軍は奄美群島以南を琉球諸島と呼称していたと思われる。そして奄美返還後、琉球諸島の範囲は本土復帰していなかった沖縄県全域を示すようになった[28]。しかし、「地名等の統一に関する連絡協議会」は、大東諸島以外の沖縄県全域を範囲として合意した[21]。また、琉球列島のうち沖縄県に属する島嶼群、すなわち沖縄諸島と先島諸島を範囲とし、大東・尖閣諸島を含まないとする文献[6][12]もある。国土地理院の前身の一つである地理調査所は、1958年(昭和33年)以降に発行した陸図で使用してから、国土地理院刊行の地図にこの名称を用いている[16]
  • 南島(なんとう)
九州以南の島嶼を示す言葉で、古代から存在し、『日本書紀』に南島人と交流を行ったという記録がある[29]。南西諸島の名称が使用される以前の、1873年(明治6年)発行『南島水路誌』でも確認できる[11]。行政・学術名称でもないが、民俗文化研究に関する資料に多く見られる[29]

また、以下に「南西諸島」とほぼ同義で、使用されていない名称を挙げる。

  • 州南諸島(しゅうなんしょとう)
「南西諸島」という名称が誕生する以前に海軍省が命名し、九に位置する島嶼群という意味で名付けられたと思われる。1886年(明治19年)発行の水路誌に見られるが、1894年(明治27年)の水路誌には南西諸島へ改名後、一切用いられていない。1885年(明治18年)に大東諸島が日本に編入した際、九州の南よりも多少離れた位置に存在する為か、この名称はふさわしくなかったと考えられる[30][31]
  • 海南諸島(かいなんしょとう)
1887年(明治20年)頃に田代安定により命名された。その後約30年間にわたって田代は使用し続けたが、途中から州南諸島と同義に扱い、併用している。柳田國男の著書の一部にこの名称は記載されているが、一般には普及しなかった[32][33]

地質学的・地形学的区分

「南西諸島」は公共機関が決定した行政名称であって、地理学地球科学で用いられる専門用語ではない[6][11]

地質学的・地形学的観点では1885年のハインリッヒ・エドムント・ナウマンの地質構造図にLiukiu Bogenの名称がみられる[17]

  • 琉球弧(りゅうきゅうこ)
琉球列島とほぼ同義に扱われるが、厳密には日本列島を形成する島弧の一つで、九州は西南日本弧と琉球弧の結合部分に位置する[34][35]。琉球弧は、琉球列島と九州の他に台湾も含む[6][36]。行政名の南西諸島と異なり、琉球弧は地理学や地球科学分野での学術用語である[36]1870年代ハインリッヒ・エドムント・ナウマン原田豊吉が命名したドイツ語 " Liukiu Bogen " を訳した言葉で、南西諸島や琉球列島という名称が成立する以前に存在していた[36]
  • 琉球彎(りゅうきゅうわん)
明治時代後期に、琉球弧と同義の琉球彎(りゅうきゅうわん)という用語も現れたが、戦後に入ってからほとんど使用されなくなった[37]

地質学的・地形学的には地質構造上の凹地のトカラ構造海峡(悪石島と宝島の間)と慶良間海裂(沖縄島と宮古島の間)で分け、東北琉球・中部琉球・西南琉球や北琉球・中琉球・南琉球など3つの区域に分けられるようになっている[17]

各諸島の地形概要

南西諸島の内、尖閣・大東諸島を除く琉球列島は琉球海溝沖縄トラフとの間に位置する[38]。またトカラ列島の悪石島から小宝島、沖縄島と宮古島の2間に琉球列島を分断する2本の構造線が存在し、前者はトカラ構造海峡(この海峡は生物地理区旧北区東洋区の境界の一つで、渡瀬線といわれる)、後者は慶良間海裂(宮古凹地)と呼ばれる[39][40]。琉球弧はこれらの構造線を境にして北から、北琉球(大隅諸島など)、中琉球(奄美群島、沖縄諸島など)、南琉球(宮古・八重山列島)と分けられる[41][42]

大隅諸島

大隅諸島は南西諸島の北部に位置し、屋久島種子島口永良部島馬毛島の4島から成るが、広義には西側の三島村に属する島々(上三島、口之三島ともいわれる[43])も含まれる[44]。種子島西部、屋久島東部などにサンゴ礁が小規模であるが発達し、これらは南西諸島に分布する最北端のサンゴ礁と考えられる[45]

九州地方の最高峰・宮之浦岳を擁する屋久島は、中新世に四国海盆の沈み込みにより生じた花崗岩が、隆起侵食を受けて、高く険しい山地を形成したと思われる。海岸付近では数百メートルを超す急な斜面が現れるが、島中央部に向かうにつれて、斜面は緩くなる。山頂部は岩盤がむき出しの状態となるトア地形が生じている。これは、長年の風化や、氷期に起こった周氷河作用によるものと考えられる。南部と東部の海岸部に4段または5段に及ぶ海岸段丘が発達している。更新世に段丘が形成されたと思われるが、海抜数メートルの非常に低い場所に完新世時代の段丘が見受けられる[46][47]

高峻な地形の屋久島に対して、種子島は低平な台地状の島である。種子島は海底から隆起した島で、全体的に海岸段丘が発達している。特に島北西岸部は幾度にわたって形成された海岸段丘が見受けられるが、南東部では段丘地形が侵食され、溺れ谷が目立つ。これは島北部は主に砂岩と粘板岩の堅硬な互層から成り、南部は礫岩・泥岩などの軟弱な地質で構成されているからである。また島全体はテフラと呼ばれる火砕流による堆積物が完新世に広がり、地上の動植物に多大な影響を及ばしたと見られる[46][48]

口永良部島と上三島は阿蘇山から南へ連なる霧島火山帯に属する。また硫黄島竹島鬼界カルデラの外輪山の一部を成し、ほとんどのカルデラは海底に沈んでいる。直径約20kmの楕円形カルデラで水深は最大500mにも達する。過去に大規模な火砕流を伴う噴火は少なくとも4回発生し、最近の噴火時期は約7300年前である。これらの火砕流は東側に離れた屋久島と種子島、さらに九州の大隅薩摩半島にまで及んだ。口永良部島の東部と西部に2つの火山体を有する。特に東部に位置する新岳の噴火活動は活発で、有史時代から何度も噴火している。1933年の噴火により東側山麓に存在した集落が消滅している[49][50]

吐噶喇列島

吐噶喇列島は鹿児島県十島村に帰属する島嶼群である[51][52]。全長約320kmに及び、琉球弧内弧の火山島が列をなす[53]。霧島火山帯に含まれ、その内硫黄島・竹島からトカラ列島を経て、沖縄県最北端の硫黄鳥島までをトカラ火山島列といわれる[54]。トカラ列島は第四紀に形成した新期火山島列と、第三紀に噴火し火山地形の原型を留めていない旧期火山島列に大別される[55]。旧期火山島列は新期火山島列よりも大陸側に位置する[56]

旧期火山列は安山岩質の火山島で構成されるが、中には宝島小宝島のようにサンゴ礁由来の地形が発達している島もある。臥蛇島平島は島の一部を囲む急で険しい断崖もあれば、平坦で緩やかな傾斜面を有する場所も存在する。また宝島と小宝島は約2,500年前に発生した大地震による隆起運動が認められ、宝島は約3m、小宝島は最大8mも上昇したことが判明した。霧島火山帯という活発な火山帯、トカラ構造海峡、沖縄トラフの拡大等と多くの要因が挙げられる[56][57]

新期火山列に属する火山島は海面下約500mの海底から山体を成し、海抜979mの御岳をもつ中之島は海底からの比高が約1,500mに達する。口之島は2箇所のカルデラが分布し、その内比較的新しく形成されたカルデラ内に3つの中央火口丘が存在する。このカルデラは島南東部に位置し、長径2.5kmの楕円形を有し、外輪山の原型を保っている。中央火口丘はいずれも溶岩ドームで、その1つの燃岳には噴気活動が見受けられる。諏訪之瀬島は、霧島火山帯の桜島とともに非常に活発な火山活動を行う。過去200年間で少なくとも8回の噴火が認められ、スコリア溶岩を大量に噴出している。1813年頃(文化年間)にスコリアは集落地に厚さ50cm以上堆積し、当時の住民は島外への避難を余儀なくされた[58]

奄美群島

奄美群島は南西諸島の中北部に位置し、最北の奄美大島から南端の与論島までの約200kmの海上に連なる島嶼群である[59][60]。国土地理院発行の陸図に長らく「奄美諸島」と表記されていたが、2010年2月15日の第72回「地名等の統一に関する連絡協議会」において、「奄美群島」は決定地名として採用された[20]

奄美群島で最大の面積を有する奄美大島は、古生代ジュラ紀から白亜紀にかけて形成された基盤岩類が露出している。そのほとんどは侵食により急峻な山地形を成しているが、標高300m付近に平らな地形を有し、さらに島南西部の山頂部(標高約300mから450m)には起伏の小さい突起状の地形を確認できる。これらは準平原(侵食小起伏面)といわれ、南西諸島の一部の島も準平原が形成されている。島の海岸線は入り組んだ構造をしたリアス式海岸で、周囲の海岸には現生サンゴ礁が見られる。島北東部の笠利半島は上述した奄美大島主体部の地形と異なる。海岸段丘が広く分布し、厚さ約40mの海洋堆積物で構成されている[61][62][63]

喜界島は数段に及ぶサンゴ礁段丘で形成されている。島の海岸線沿いに完新世に形成されたサンゴ礁段丘が4段も確認でき、また北西に向かうにつれて、この段丘面の高度は小さくなる。奄美群島の東部に位置する喜界島は海溝側に最も近く、フィリピン海プレートの沈み込みで隆起が激しい。実際に喜界島の隆起速度は琉球列島内で最大で、約7千年間で10m以上も隆起している。この島で発生した隆起運動は大地震による地殻変動によるものと考えられる[64][65]

徳之島火成岩を主に基盤とし、島最高峰の井之川岳の標高は645mに達する。それに対し沖永良部島与論島全体は隆起サンゴ礁の段丘で形成され、最高標高は約200mと比較的低く、河川も発達していない[59][66]

沖縄諸島

沖縄諸島は南西諸島の中央部に位置する島嶼群で、南西諸島で最大の面積を有する沖縄島(沖縄本島)をはじめ、その周辺離島の慶良間列島や久米島などで構成される。行政上の区分として、大東諸島は沖縄諸島に含まれるのが一般的である[68][69]

沖縄諸島の主島である沖縄島は地質構造上、うるま市石川から残波岬付近までを結ぶ境界(石川地峡)を基準に南北で異なる地形・地質を有する。本部半島を除く島北部は、白亜紀に形成した変成岩の一種・千枚岩で主に構成された名護層で占める。しかし島北部から見て南東側(名護市東部から金武町)は砂岩質付加体の嘉陽層で、場所によっては大きく褶曲した地層を観察できる。本部半島と伊平屋島伊是名島から南東にかけて付加し、その内の嘉陽層は付加体構造をとる沖縄島北部周辺の中で最も新しく形成された基盤である[70][71]

本部半島は主に古生代末の結晶質石灰岩チャート泥岩から成る。カルスト地形が発達し、熱帯地方特有の円錐カルストやポリエといわれる溶食窪地が多数見受けられる。半島中央に位置する海抜約400mの山頂の起伏は緩く、西側に向かうにつれ標高は下がる。本部半島の西方海上に位置する伊江島は、全体的に第四紀に形成された石灰岩に覆われた平坦な地形である。しかし、島の東寄りに古生代のチャートが突出した城山(伊江島タッチュー)が聳え、透水性の石灰岩と不透水層のチャートの間から湧水が現れる[72][73][74]

沖縄島中南部は北部の地質と異なり、サンゴ礁を由来にする第四紀石灰岩(琉球石灰岩)と、新第三紀の泥岩や砂岩等で占められた島尻層群で構成される。山地状の北部に対して、中南部は台地・低地から成り、河川は北部と比較して発達していない。島南部は北西 - 南東方向に走向を持つ断層が多数存在するが、これらは琉球石灰岩が堆積する以前に形成されている。島尻層群泥岩層の風化速度は日本本土と比べて大きい為、広い盆状の谷が点在し、また砂岩層には水溶性の天然ガスを含み、南部一帯に分布している。島南東部に位置する中城湾は過去に陸塊が陥没し、海岸沿いに広がる平野の西側に沖縄島から見て東寄りの分水嶺が形成されたと考えられる[75][76][77]

伊平屋・伊是名島はチャートと砂岩から構成され、石灰岩は見受けられない[78]。山勝ちな島々で、伊平屋島には琉球列島で最大の沖積平野の一つが広がる[79]慶良間列島も山地状の島々であるが、砂岩と変成岩(緑色片岩と千枚岩)で成る。千枚岩は慶良間列島各地に分布するが、緑色片岩は過去に銅鉱を産出した久場島屋嘉比島に見られる[80]久米島北部は第三紀の火山岩で構成され、標高300m以上に達するが、南部は琉球石灰岩が卓越し平地を成している[81][82]。久米島各地には鉱山跡が残存し、かつてを採掘していた[82]。また久米島東海岸の奥武島には畳石といわれる安山岩柱状節理が形成されている[83]

沖縄県最北端に位置する硫黄鳥島は、本県における唯一の活火山島で[注 2]、霧島火山帯の南端と考えられる。硫黄岳とグスク岳の2つの火山体を有し、硫黄岳には火口湖が、グスク岳に外輪山が形成されている。数万年前から火山活動を継続し、硫黄を含む噴気を上げている。1959年に島民を久米島に避難させて以降、無人島と化している[84][85]

宮古列島

宮古列島(宮古諸島)は、沖縄島の南西約300kmに位置し、その間には慶良間海裂(宮古凹地)と呼ばれる水深1,000m程の窪地が存在する。当諸島の地質のほとんどは琉球石灰岩から成り、その下部に砂岩・泥岩の島尻層を基盤とする。地形は山地の無い平坦な低地で、当諸島の最高標高は宮古島の115mである[86][87]

本諸島の主島・宮古島は台地状の島で、北東ないし南海岸には海崖が発達するが、西海岸は砂浜が広がる[88]。北東部の海岸線に沿って発達した断層は、ケスタ地形を形成[89]、またこの断層により宮古島が三角形の形状を取ったとも言われる[86]。河川は無く、住民は石灰岩と島尻層の地層間を流れる地下水と湧き水に頼らざるを得ない(→宮古島の上水道 を参照)。1979年、宮古島に世界初の地下ダムが建設され、現在は複数の地下ダムが完成している。しかし農地に散布した農薬が地下に浸透し、それによりダムや地下水の水質汚染が問題となっている[90]。宮古島北約15kmの海上に八重干瀬と言われるサンゴ礁群を形成している[87]

伊良部島多良間島は全て琉球石灰岩に覆われ[89]、伊良部島はカルスト地形が[91]、多良間島は海岸段丘で形成されている[92]

八重山列島

八重山列島(八重山諸島)は、南西諸島の最南部に位置し、日本最西端の与那国島や有人島としては日本最南端の波照間島を有し、また行政的には尖閣諸島も含まれる[93]

石垣島の地質は南北で異なり、山がちな北部では古生代末の変成岩類(トムル層)、チャートと砂岩の複合体(富崎層)と火山岩由来の野底層などから構成される。また沖縄県最高峰の於茂登岳(標高526m)は花崗岩を中心とした火山複合岩で成り、中新世に形成されたと思われる。トムル層は八重山列島で最も古い地層で、海洋堆積物の付加体と考えられる。南部は宮良層といわれる始新世の石灰岩が主で、有孔虫を多く含む[92][94]

西表島は山地状の島で、南岸は急峻な崖を有する。標高300m以上の山頂部は侵食により緩やか起伏を呈し、準平原を形成している。島西部の海岸線は複雑に入り組み、リアス式海岸を成している[93]。西表島全体は中新世に形成された砂岩や泥岩の八重山層群で構成され、北東部にトムル層が見受けられる。また八重山層は石炭層を含み戦前は島西部で炭坑が開発され、1960年まで石炭を採掘していた[95]。県内最長の河川である浦内川と仲間川の河口には三角江(エスチュアリー)が発達し、マングローブ林が群生している[96][97]

琉球列島に広く分布する琉球石灰岩は波照間島黒島与那国島北部に存在し、石垣島と西表島には発達していない[98]。波照間島と黒島はサンゴ礁段丘で形成された島であるが、与那国島は沖縄トラフに近い為、断層によって発生した小規模の傾動地塊が多数存在する。石垣島と西表島の海域に石西礁湖と呼ばれる堡礁が形成されている。琉球列島では裾礁が多く分布しているが、石西礁湖の水深は約10mとやや深い[99]

1924年10月31日、西表島の北東海上から多量の軽石スコリアが噴出した。一時は八重山列島の島々の海岸や港を埋め尽くし、一年掛けて北海道礼文島にまで漂着した軽石もあった。火口の詳細な位置は特定されていないが、水深200m程の浅い海底に存在しているのではないかと思われる。またこの火山は霧島火山帯の南西延長に当たるかは不明である[100][101]

大東諸島

大東諸島は、沖縄島から東方約400kmに位置する。北大東島と南大東島の他に、そこから約140km南の海上に沖大東島がある[102]太平洋上に存在する当諸島は琉球海溝と沖縄トラフに挟まれた背斜部に形成された琉球列島には含まない[103]

北・南大東島は世界でも類を見ない隆起環礁の島である。中央部は標高10m以下の低地であるが、周囲は数十メートルの高台に取り巻かれ、住民らは「はぐ(幕)」と呼称している。1934年東北大学の地質学者が北大東島を訪れ、ボーリング調査を行った。地上から430mも掘り下げ、当時の世界最深記録に匹敵する深度であったが、基盤と思われた火山岩には達しなかった。そして1980年代に大東海嶺で行われたボーリングでは、始新世の玄武岩に到達、その基盤に堆積していた石灰岩の形成年代は少なくとも約4800万年前と判明した。さらに基盤岩の残留磁気を調査した結果、両島は赤道付近で環礁として発達し、フィリピン海プレートの移動により北上したと考えられる。またフィリピン海プレートが琉球海溝に沈み込む際、その手前でプレートが皺のように撓み、盛り上がった部分が形成される。これは「海溝周縁隆起帯」といわれ、約400万から600万年前にその隆起帯に島は差し掛かり、沈降から隆起に転じたとされる[104][105][106][107]

北・南大東島は日本最南端の湖沼密集地で、南大東島には南西諸島最大の「大池」がある[108]。カルスト地形が発達し、ドリーネやウバーレといった窪地に雨水が溜り、湖沼が形成された。水面標高は1mと海水面とほとんど変りなく、水深は7m以上もある。間隙の多い石灰岩地形のため、当初は湖沼に海水が浸入しているのではないかと思われた。しかし導電率の計測結果より、海水は湖沼水と混入していないと考えられる[109]

沖大東島は北・南大東島と同様、隆起環礁から成る。しかし最高標高は30mと北・南大東島より低いことから、北・南大東島の隆起時期よりも遅く開始したと考えられる。明治末期から戦前にかけて島全体は企業の私有地で、リン鉱石を採掘していた。戦後からはアメリカ軍の訓練地として利用され、現在は無人島である[110][111]

尖閣諸島

尖閣諸島は八重山列島の北約150kmの海上に位置し、小島や岩礁群から成る。東シナ海大陸棚に形成された島嶼群であるため、大東諸島と同様に琉球列島に属さない[112]

尖閣諸島の大半は中新世の砂礫層と安山岩質の地質であるが、久場島は当諸島唯一の火山島で、玄武岩で構成されている。島の周囲は離水サンゴ礁が見受けられるが、全体として険峻な岩山で取り巻かれ、ほぼ垂直な海崖を形成している。「尖閣」という名称はこれらの険しい地形に由来する[112][113]

1968年に尖閣諸島沖の海底に石油貯蔵層と思われる堆積層が面積約20万km2、厚さ約3kmにわたって存在し、海底資源が豊富に埋蔵している可能性が高いと報告された[114]。その発表を受けてから、1970年中華人民共和国台湾が当諸島の領有権を主張し、意見の相違が見られる(→尖閣諸島問題 を参照)[115][116]

島嶼

南西諸島は九州南方と台湾の間約1,200kmに点在する[5]。その内、薩南諸島は鹿児島県に属し、沖縄県全域の島嶼群は琉球諸島といわれる[117]。南西諸島に属する面積0.01km2以上の島の総数は198島で、薩南諸島は38島、琉球諸島は160島となる[1]

気候

南西諸島の気候は、ケッペンの気候区分によると西日本と同じ温暖湿潤気候 (Cfa) に属する[119]。しかし海に囲まれ、暖流である黒潮の影響を大いに受けるため、那覇市の年間平均気温は23℃と1年の半分以上が温暖で、日本の他の地域と比較して冬季は暖かく、四季の変化は不明瞭である。そのため、熱帯と温帯の中間的な気候ということで、俗に「亜熱帯気候[注 3]」と一般的に言われている[120]

気温

南西諸島の9 - 12℃、日較差4 - 5℃とともに日本で最も小さい値で、海洋性気候の特徴を示している[121]。夏季の北太平洋では北太平洋高気圧が発生し、日本にまで伸びてきたその西縁部は小笠原高気圧と呼ばれる[120][122]。小笠原高気圧に覆われる夏は高温多湿な気候となるが、海上に位置するため、最高気温は本州と比較してさほど高くはない(沖縄県の観測史上最高気温は池間島の36.7℃、2009年現在)[123][124]。最暖月は7月で、本州の8月より一か月早い。これは7月頃に本州にかかる梅雨前線の南側に、北へ勢力を拡大する小笠原高気圧が南西諸島を覆い、著しい下降気流を生み出しているのではないかと考えられる[123][125]。また冬季は逆にユーラシア大陸シベリア高気圧が発生し、大陸からヒマラヤ山脈により南下をせき止められた冷たい季節風が南西諸島へ回り込む[123][126]。この時期の平均気温は16℃、最低でも約10℃まで下がるが、沖縄県における観測史上最低気温は1963年1月20日観測された久米島の2.7℃(2016年1月24日午後11時日本標準時現在[127])で、黒潮の影響で氷点下まで達しない[123][124]。最寒月は本州と同様1月である[123]

降水量・雲量

沖縄県は5月中旬から6月下旬までの梅雨時期(沖縄気象台[128]によると1981年から2010年にかけての梅雨入りの平年値は5月9日、梅雨明けは6月23日とされる。)と7月から10月にかけての台風接近期の降水量が多く、年間降水量の約60%を占める[123]インドシナ半島からのモンスーンが南西諸島付近に到達、北の冷たい気団との接触に伴い積乱雲の発生頻度を高め、南西諸島の南方で梅雨前線が形成し始める[129]。さらに低気圧の発生により、暖湿流が加わり南西諸島に大雨をもたらす[123]。しかし、南西諸島が位置する北緯20 - 30度は中緯度高圧帯が存在し、砂漠など乾燥した地域が多い。高圧帯の位置と勢力は時期によって変動する為、南西諸島は少雨による干ばつ渇水に見舞われることもある[120][130]。実際に沖縄県は1963年の大干ばつ、1981年7月から約1年間の渇水による給水制限(昭和56-57年沖縄渇水を参照)を経験している[131]

南西諸島において、降雪は最北の大隅諸島までに限られる[132]1977年2月17日気象庁は沖縄県内で初めて降雪を久米島で観測したが[133]、これは「みぞれ」であり、俗にいう「雪」の公式記録ではない[134]2016年1月24日、奄美大島で1901年2月12日以来の雪を[135]、また久米島で2度目の、沖縄島では初のみぞれを観測した[136]

12月から梅雨明けの6月下旬までの那覇の全雲量は70 - 80%[137]と、非常に曇りの多い日が続きやすい。冬季の12月頃から、大陸の乾燥した寒気が水温が比較的高い東シナ海を通過する際に筋状積雲の発生により雲量が大きくなる。2月から3月の春にかけて、暖気が前線を北へ押し上げ、東シナ海では低気圧(東シナ海低気圧)が生じやすく、本州太平洋側に降雪をもたらす[134][138]。また4月の日本全域では低気圧の通過に伴い、停滞前線が発生し「菜種梅雨」と呼ばれる長雨が降るが[139]、南西諸島では移動性高気圧も通過する為、晴天になる日もある[140][141]。5月に入ると、日本本土はいわゆる「五月晴れ」が続くが、南西諸島近海では梅雨前線が形成し始める[142][143]。そして梅雨が明けた7月は1年で最も安定した晴天日が続き、高温乾燥の激しい少雨時期となる[124][125]

台風

南西諸島は「台風銀座[120][145]と呼ばれる程、台風の接近・通過[注 4]が多い地域である。気象庁によると1981年から2010年の期間において、台風の年間発生数25.6個に対し本土への年間接近数は5.5個、トカラ列島以南の南西諸島は7.6個とされる[146]。また台風の発生数は7月から10月にかけて多くなり、8月で最大となる。それに伴い、接近数も8月が最も多い。しかし、最大風速と日最低海面気圧の観測上位30位以内(観測当初から1983年まで)の記録数は9月が最大となる。つまり、9月頃に強い台風が南西諸島へ接近しやすいといえる。8月頃は台風の発生領域の北限がフィリピン北方海上となるが、沖縄付近へ到達する台風は、発達途中であるのも少なくない。9月頃になると、台風の発生域は8月と比較して南下し、接近時には最盛期の台風が襲来し易い傾向にある。また、台風の進路が西から東寄りの方向へ転換する地点(台風の転向点と言われる)が存在し、8月は本州付近、9月は南下し南西諸島へ移動する。台風はこの転向点で勢力は最大、かつ進行速度も小さくなる場合が多いため[147]、9月頃の沖縄へ襲来する台風が最も勢力を大きく保持した状態で、低速で通過する頻度が高くなると考えられる[145]

季節を表す言葉

沖縄には古くから季節の移り目に現れる雨・風を独特な言い回しで表現している。例えば、3月頃に東シナ海低気圧により吹き荒れる強風をニングァチカジマーイ(「2月(旧暦)の風廻り」)、梅雨明けの到来を告げるカーチーベー(夏至南風。この時期は南から強風が吹く。)、10月から11月の秋にはニーニシ(新北風。晩夏に吹く初めの北風)とタカヌシーバイ(小便サシバの群れが沖縄へ越冬する時期で、北風の吹く日は小雨が降りやすい。)、12月下旬の寒波はトゥンジービーサ(冬至の寒さ)、2月頃の寒波はムーチービーサ(ムーチーといわれる月桃の葉に包んだ旧暦12月8日(新暦の1月下旬 - 2月上旬)に作って食す習慣があることから[148]。)など多くの言葉を生み出している[124][134][149][150]

主要都市

南西諸島の主要都市を掲載する。データは2021年6月1日現在。

那覇市(314,725人)
沖縄市(141,845人)・うるま市(122,373人)・浦添市(116,018人)・宜野湾市(98,937人)・宮古島市(52,213人)・石垣市(48,004人)・奄美市(40,744人)・西之表市(14,601人)

脚注

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注釈

  1. ^ a b 鹿児島県の西之表市奄美市鹿児島郡熊毛郡大島郡と沖縄県全域を合計。
  2. ^ 加藤(1995年)p.166によると、沖縄県に属する火山島は硫黄鳥島と尖閣諸島の久場島の2島で、また本県の活火山は硫黄鳥島の他に、西表海底火山が挙げられる。
  3. ^ 中村和郎ほか『日本の自然 地域編 8 南の島々』(1996年)pp.1 - 6によると、海洋には「亜熱帯」は存在しないと述べている。夏季の南西諸島は熱帯収束帯に入る期間がある程度長いからこう呼ばれるのだろうが、大気循環と異なり海流は季節により寒流と暖流が入れ替わることは無いと説明している。さらに大気循環のメカニズムも熱帯と熱帯以外でも根本的に違うため、欧米では熱帯 (tropical ) と熱帯外 (extra-tropical ) と大別して気象を研究している機関もあるという。また河名俊男 『シリーズ沖縄の自然 琉球列島の地形』(1988年)pp.17 - 28でも、植生の分布の違いを基に区分したケッペンの気候区分には「亜熱帯」という用語はなく、さらに気候要素の一つである気団の異なる性質に基づいたアリソフの気候区分には「亜熱帯地帯」という気候区分があるが、これに属するのは南西諸島以外にも北海道を除く日本全土、アメリカ合衆国大陸部のほとんどの範囲に及ぶため、「琉球列島="亜熱帯"」とするのは相応しくないと述べている。
  4. ^ 気象庁 台風に関する用語によると、台風の接近は「台風の中心がその地点、またその地域の地理的な境界線(海岸線、県境など)を中心とする半径300km以内の域内に入ること」を指し、台風の通過は「台風の中心が、小さい島や小さい半島を横切って、短時間で再び海上に出た場合」をいう。ちなみに、台風の上陸は「台風の中心が北海道・本州・四国・九州の海岸に達した場合」を指し、沖縄・奄美を含む南西諸島に関してはこの用語は使用されない。

出典

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参考文献

関連項目

外部リンク


 

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